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「前田利為 春雨に真珠をみた人-前田家の近代美術コレクション-」展 目黒区美術館
目黒
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目黒区美術館では、「前田利為 春雨に真珠をみた人-前田家の近代美術
コレクション-」展が開かれています。
会期は3月21日(日)までです。

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前田家第16代当主、侯爵前田利為(まえだとしなり、1885-1942)の収集した
近代美術のコレクションを中心にした展示です。
展示品はすべて公益財団法人前田育徳会の所蔵です。

前田利為は七日市前田家の出身で、加賀前田家15代利嗣侯爵の養嗣子となり、
家督を相続しています。
陸軍軍人となり、陸軍士官学校17期の卒業(同期に東条英機)、陸軍大学校23期
成績優等3位の卒業(1位は終戦時の参謀総長、梅津美治郎、2位は統制派の中心で
暗殺された永田鉄山)です。
中将で予備役となりますが、太平洋戦争で招集され、ボルネオ守備司令官となりますが、
現地で乗機が墜落して死亡し、死後に大将に昇進しています。

「春雨に真珠をみた人」という題名は、前田利為が蜘蛛の巣に付いた雨粒を写真に撮り、
アルバムの台紙に「綾真珠」と記したことによるものです。

本郷前田邸は前田家の念願だった明治天皇による臨幸の実現のため建設され、
明治38年(1905)に和館、翌々年に洋館が竣工し、明治43年(1910)の臨幸を得ています。
臨幸に際し、邸内を飾る美術品を集めることになったので、画商の林忠正旧蔵の
絵画をまとめて購入しています。

ジャン=バティスト=アルマン・ギョーマン 「湖水」 1894年
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ジャン=バティスト=アルマン・ギョーマン(1841-1927)はフランス印象派の画家で、
8回の印象派展の内、6回出展しています。
夜に働き、昼間に制作していましたが、宝くじに当選したので画業に専念するように
なりました。

ルイ=ジョゼフ=ラファエル・コラン 「庭の隅」 1895年
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ルイ=ジョゼフ=ラファエル・コラン(1850-1916)はアカデミーの画家で、フランスに
留学した黒田清輝、久米桂一郎、岡田三郎助、和田英作らを教えています。
印象派の影響を受けた作風で外光派とも呼ばれています。
ただ、印象派のように光を追及している訳ではなく、象徴主義的な甘やかさがあります。

エドモン=フランソワ・アマン=ジャン 「婦女弾琴図」
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弾琴図とありますが、手前の女性はコントラバスの弓を、奥の女性はバイオリンを
持っています。
エドモン=フランソワ・アマン=ジャン(1858-1936)はシャヴァンヌに師事し、
叙情性のある象徴主義的な作風で知られています。
国立美術学校ではスーラと同級で、親しく交流しています。

臨幸は7月8日に明治天皇、10日に昭憲皇太后、13日に皇太子・皇太子妃
(後の大正天皇・皇后)を迎えるという盛儀でした。
前田利為は臨幸の模様を4巻の絵巻物に遺しています。
日本美術院系の下村観山、今村紫紅、安田靫彦の3人の下絵を見て、下村観山に
描かせています。

下村観山 「臨幸画巻」(部分) 昭和6年(1931)
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明治天皇の到着の場面で、大礼服を着た利為が明治天皇を案内しています。
玄関前では騎兵が天皇旗を掲げています。

他に、皇太子に美術品の説明をしている場面や演能の場面もあります。
事前準備で邸内を整えている場面もあって、甲冑が2領、飾られてあるのが見えます。
明治12年に明治天皇の臨幸のあった時には前田家の忠実な家臣だった奥村家と
村井家の鎧を玄関に飾ったということです。

川邉御楯 「末森扶援画巻」(部分)  明治36年(1903)
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末森城の戦いは羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍が小牧長久手で戦っていた
天正12年(1584)、織田徳川側だった越中の佐々成政に前田利家が出城の末森城を
攻められた戦いです。
奥村永福の守る末森城を佐々成政が15000で攻めますが、金沢にいた前田利家は
2500の兵で救援に駆け付け、佐々勢の背後を衝いて撃退しています。
前田利家の武功として最も有名な戦いで、前田家はこの記憶を長く伝えることに務め、
絵巻物を注文して、川邉御楯は7年掛けて完成させています。
展示室には凱旋の場面が展示されていて、丈の長い金の鯰尾の兜を被った利家を
中心に槍や馬印、旗指物を立てた隊列が遠くの金沢城に向かって進み、沿道には
人びとが集まっています。
緑色の地に「金子」と大きく書かれた旗指物が見えますが、あれは何なのでしょう。
川辺(邉)御楯(1838-1905)は筑後柳川藩士の子で、幕末は勤王の志士として活躍し、
維新後は土佐派を学び、歴史画家として有名になります。

末森城では奥村永福の妻、安が薙刀を持って城内を廻り、粥を振る舞って
城兵を励ましています。

前田利為は自分でも美術を好み、作品を購入しています。

牛田雞村 「鎌倉の一日」(部分) 大正6年(1917)
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鎌倉の風景を描いた絵巻物で、同年の院展に出品され、樗牛賞を受賞しています。
展覧会でこの絵を見て気に入った利為は雞村の庇護者だった原三渓から購入しています。
牛田雞村(うしだけいそん、1890-1976)は日本美術院の日本画家です。

フランソワ・ポンポン 「シロクマ」 1930年
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フランソワ・ポンポン(1855-1933)はロダンの助手を勤めた彫刻家です。
単純化された形の動物という、モダンなスタイルの彫刻を発表したのは晩年に
なってからです。
利為はフランス滞在中の1929年に直接アトリエを訪れて、「シロクマ」(大理石)と
「バン」(ブロンズ)を注文し、翌年に受け取っています。
「シロクマ」はポンポンの代表作で、いろいろな大きさがありますが、これは小さいサイズです。

前田利為はおだやかな作風を好んだようで、大正6年(1917)の第4回二科展に
出品された東郷青児の「彼女のすべて」と萬鉄五郎の「もたれて立つ人」については
狂人の描いた絵のようだと非難しています。
2つとも鮮烈なキュビスムの作品で、初めて見た人は前田利為でなくてもたじろいだ
ことでしょう。

本郷前田邸と敷地はその後、東京帝国大学に譲渡され、代わりに目黒区駒場の
東京帝国大学農学部の敷地4万坪と交換されます。
前田利為は昭和4年から5年にかけて洋館と和館を建設しています。

久保田金僊 「駒場本邸図」
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地上3階地下1階の洋館で、戦後は都立近代文学博物館として平成14年まで利用され、
敷地は都立駒場公園となっています。
久保田金僊(1875-1954)は日本画家で、前田利為の事績なども描いています。

フェルディナン・ウンベール 「前田利為肖像画」 1922年
縦約130㎝の大きな絵で、パリ滞在中に何度もアトリエに通って描かせています。
陸軍の軍装で軍刀を下げ、肩に少佐の階級章、胸に飾緒、陸軍大学校卒業徽章、
ロイヤル・ヴィクトリア勲章などの勲章を着けた晴れ姿です。

石川県は多くの陸軍軍人を輩出した県で、駒場前田邸での石川県人の園遊会では
余興として陸軍幼年学校の生徒を先頭に将官を最後にした行進があったそうです。
前田利為はボルネオ沖で亡くなっていますが、その後、昭和20年(1945)3月10日の
東京大空襲で本郷の旧前田邸は焼失し、日本の敗戦と共に陸軍も華族制度も廃止
されています。

展覧会のHPです。


【2021/03/02 17:20】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「狩野派と土佐派 幕府・宮廷の絵師たち」展 南青山 根津美術館
表参道
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南青山の根津美術館では企画展、「狩野派と土佐派 幕府・宮廷の絵師たち」展が
開かれています。
会期は3月31日(水)までです。

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室町から江戸時代に幕府や宮廷で活躍した狩野派と土佐派の作品の展示です。

狩野派は室町時代の狩野正信に始まり、江戸時代には幕府の御用絵師として
画壇の中心となっています。

「四季花鳥図屏風」 伝 狩野元信 室町時代 16世紀
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右隻
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左隻
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広々とした画面に多くの花鳥を配した、力強く堂々とした画風です。
鳥の多くは番(つがい)で描かれています。
狩野元信((1476-1559)は狩野家初代の正信の子で、絵の型(画体)を定め、
工房を構え、漢画ばかりでなく大和絵も取り入れて、狩野派の繁栄の基を築いています。

「両帝図屏風」 狩野探幽 江戸時代 寛文元年(1661)
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右隻
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左隻
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豪華な金地に描かれていて、右隻は古代中国の皇帝とされる黄帝です。
黄帝は舟や車を発明したとされ、竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の舟や牛車も
描かれています。
左隻は、琴を弾き南風の詩を歌って天下を治めたとされる舜です。
狩野探幽(1602-1674)は元信の孫の永徳の孫で、徳川幕府の御用絵師となり、
狩野派の新しい画風を築いています。

狩野派は他に正信(伝)、之信、玉楽、尚信、安信、益信、常信、惟信、栄信、養信などの
絵が展示されています。


土佐派は室町時代に興った大和絵の流派で、宮廷の絵所預を勤めました。

「羅陵王図」 伝 土佐行秀 室町時代 15世紀
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羅陵王(蘭陵王)は舞楽の一つで、北斉の武人皇族、高長恭(541 - 573)の活躍を
演じるものです。
女性や子供が舞う場合は舞楽面を着けないことがあるので、この絵は女性が
舞っている場面のようです。
土佐行秀(生没年不詳)は土佐派の創始者とされる土佐行広の弟、或いは子です。

「蛙草紙絵巻」 伝 土佐光信 室町時代 16世紀
参考
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参考
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牛が干してある布を食べてしまったのを見付けた貧乏な男が、自分にはものを
嗅ぎ付ける能力があると吹聴して、布の在り処を教えます。
そこで、病を持つ娘の親に原因を探るよう頼まれ、思案していると蛙の精が現れ、
自分は娘の住む屋敷の床下に閉じ込められていると告げます。
男の言う通り屋敷の娘の寝ている部屋の床下を掘ると、大きな蝦蟇が掘り出されます。
そして、男は呪いの解けたその家の娘と目出度く結ばれるというお話です。
落語の「御神酒徳利」に似た話ですが、この絵巻に描かれている他は
類例の無い話だそうです。

展示室では別の場面が展示されています。
土佐光信(1434?-1525)は室町中期から戦国時代の絵師で、特に絵巻物を
得意としています。
足利義政の寵愛を受け、宮廷の絵所預にも就いています。

「源氏物語朝顔図」 土佐光起 江戸時代 17世紀
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源氏物語の「朝顔」の場面で、源氏と紫の上が語らい、庭では童女たちが
雪だるまを作っています。
夜の情景で、空には丸い月が浮かび、描写は細密で、火鉢の蒔絵まで描き込まれています。
土佐光起(1617-1691)は江戸初期の絵師で、他派の画風も学び、後水尾天皇の寵愛を受け、
土佐家が一旦失った絵所預の職を85年振りに得て、土佐家中興の祖と謳われています。

「源氏物語図屏風」 住吉具慶 江戸時代 17世紀
右隻
若菜巻上で、光源氏40歳の祝賀の場面です。

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左上が源氏です。

左隻
若菜巻下で、源氏や明石の君の一行が住吉詣でをしています。

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住吉具慶(1631-1705)は大和絵の絵師で京都生まれですが、幕府に呼ばれ
江戸に移り住み、狩野派と並んで幕府の御用絵師となっています。

土佐派は他に広周、光元、光吉、一得、光成、住吉広定などの絵が展示されています。


展示室5のテーマは「変化のものがたり」で、室町時代の御伽草子絵巻2作品が
展示されています。

「賢学草紙絵巻」 室町時代 16世紀
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道成寺伝説と似たお話で、姫が恋する僧を追いかけ、最後は蛇体となって
鐘に巻き付く場面は同じです。

「玉藻前物語絵巻」 室町時代 16世紀
玉藻前となって鳥羽上皇に取り憑いた九尾の狐を陰陽師の安倍泰成に調伏され、
那須野に逃げますが、遂には三浦介義明、千葉介常胤らに討たれます。

2作品とも素朴な描き振りですが、かえって魅力があります。


展示室6は「雛祭りの茶」がテーマです。 

「雛図」 柴田是真 江戸〜明治時代 19世紀
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掛軸の表装の部分に雛道具を描き並べるという、柴田是真らしい
遊び心のある絵です。

「赤楽茶碗 銘 ハッサイ」 伝 楽道入 江戸時代 17世紀
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ハッサイ(発才)とは利発な女の子という意味で、紅く丸みを帯びた可愛い形をしています。

展覧会のHPです。

根津美術館の庭園に紅梅が咲きました。

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【2021/02/28 20:53】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
「筆魂 線の引力・色の魔力 ー又兵衛から 北斎・国芳までー」展 両国 すみだ北斎美術館
両国
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両国のすみだ北斎美術館では「筆魂 線の引力・色の魔力 ー又兵衛から
北斎・国芳までー」展が開かれています。
会期は4月4日(日)までです。
3月7日(日)までの前期と3月9日(火)からの後期で全品展示替えになりますので、
展覧会のHPでご確認ください。

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江戸の浮世絵師の肉筆画約125点を展示する展覧会です。
以下の作品はすべて前期の展示です。

岩佐又兵衛 「弄玉仙図(旧金谷屏風)」 17世紀前半
 摘水軒記念文化振興財団 千葉市美術館寄託 重要文化財

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弄玉仙は中国春秋戦国時代の女性で、仙人に習って鳳凰の声のような音の
簫を吹くことが出来たということです。
桐の木の下で弄玉仙の吹く簫の音に誘われて鳳凰が現れています。
衣の翻る様にも動きがあり、弄玉仙の視線を辿ると鳳凰の姿がある、
岩佐又兵衛らしい見事な出来栄えの作品です。
元は福井の豪商、金屋家の所蔵の「金谷屏風」と呼ばれた6曲1双の屏風に
12枚の絵を貼ってあったものが、明治時代に別々に剥がされたとのことです。

菱川師宣 「二美人と若衆図」 天和年間(1681-84) 個人蔵 福井県立美術館寄託
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菱川師宣は浮世絵の祖とされています。
脇息に凭れた若衆が本を読んでいて、女性が袂を押さえて覗いています。
夏の情景で、着物から手や足が透けて見える様子も描き出されています。
若衆は剃った月代を隠す手拭を付けているので、役者と思われます。
二人の女性の髪型は大島田ということです。

歌川豊国 「三代目中村歌右衛門の九変化図屏風」 文化12年(1815)頃 個人蔵
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新発見の作品です。
6曲1双の屏風で、歌右衛門の演じた、右から文使いの娘、老女、丁稚、小野小町、
雷神、辻君と奴(二役)、江口の君、石橋が並んでいます。

娘は御殿女中の締める立て矢結びの帯をしています。
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江口の君は平安時代から鎌倉時代にかけて摂津国江口にいた遊女たちのことです。
書写山圓教寺を創建した性空上人が舟遊びをしている江口の君の長を見たところ、
それは白象に乗った普賢菩薩であっという伝説に依っています。
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石橋(しゃっきょう)は、寂照法師が中国の清涼山の麓にかかる石橋のたもとで、
文殊菩薩の乗り物である獅子が牡丹と戯れるのを見たという故事を演劇化した
もので、目出度い演目として能や歌舞伎でよく演じられています。
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三代目中村歌右衛門(1778-1838)は立役、女形、道化方をこなす名優でした。
残りの4面には太田蜀山人(1749-1823)の和歌が掛かれています。

葛飾北斎、勝川春英、歌川豊国、勝川春扇、勝川春周、勝川春好
 「青楼美人繁昌図」 文化(1804-18)中期頃 個人蔵

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新発見の作品で、6人の浮世絵師が合作で遊郭の女性を描いています。
勝川春章門下の春好、春英、春扇、春周、北斎と、歌川派を代表する
歌川豊国という珍しい組合せです。
北斎も最初、勝川春章に弟子入りして勝川春朗を名乗っていました。
最年長の春好の呼び掛けと思われますが、春好は中風を患ったため
左手で一番後ろの太鼓持ちを描いています。
北斎は春好と仲が悪かったとも言われ、勝川派も破門されていますが、
この絵では最初に妓楼の女将を描いており、勝川派との関係は保たれて
いたようです。

葛飾北斎 「合鏡美人図」 文化(1804-18)末期~文政(1818-30)初期頃 個人蔵
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初公開の作品です。
べっ甲のかんざし、紗の着物、房の付いた孔雀模様の帯、麻の葉模様の帯襦袢の
女性が、萩模様の合わせ鏡で髪の具合を確かめています。
後ろ姿ですが、顔は鏡に映っています。

葛飾北斎 「登龍図」 弘化3年(1846) 個人蔵
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最晩年の作で、龍が身体をくねらせて天に向かっています。
頭は濃淡を付けて立体的に描かれるなど、迫力のある姿です。
北斎は龍をよく描いていて、絶筆とされる「富士越龍図」でも龍が天に昇ろうとしています。

約60名の浮世絵師が揃い、「弄玉仙図」や「九変化図屏風」「青楼美人繁昌図」など、
興味深い作品も多く、とても見応えのある展覧会です。

展覧会のHPです。


ユニークな形をしたすみだ北斎美術館です。

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【2021/02/27 19:46】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
湯島天神の梅 2021/2
湯島
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湯島天神の梅が咲いたので行ってきました。
受験シーズンなので、参詣する人も多く、絵馬掛には数えきれないほどの
合格祈願の絵馬が掛けられています。
国立大学の入学試験は昨日から始まりました。

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本殿裏の枝垂れ梅です。

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湯島天神の祭神、菅原道真の遺骸を載せた牛車の牛が座り込んで
動かなくなった場所に道真を埋葬したという言い伝えがあり、各地の
天神様には座った牛(臥牛)の像がよく置かれています。

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近くの鳥鍋屋さんでは、お池の周りにアヒルの親子が集まっています。

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【2021/02/26 18:05】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
「没後70年 南薫造展」 東京ステーションギャラリー
東京
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東京駅の東京ステーションギャラリーでは「没後70年 南薫造展」が開かれています。
会期は4月11日(日)までです。
3月14日(日)までの前期と3月16日(火)からの後期で一部展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認ください。

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南薫造(みなみくんぞう、1883-1950)は広島県の呉出身で、東京美術学校に入学し、
岡田三郎助に師事しています。

1907年にはイギリスに留学し、ヨーロッパやアメリカを廻り、1910年に帰国しています。

「夜景」 1908年頃 東京藝術大学
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南薫造はイギリスで活躍したアメリカ人画家、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
(1834-1903)に傾倒しており、この作品もホイッスラーの影響が見られます。

ロンドンでは同じ東京美術学校出身の白滝幾之助(1873-1960)と親しくなり、
一緒に写生旅行に行っています。

「うしろむき」 1909年 広島県立美術館
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前期の展示です。
水彩画で、窓から外の景色を眺める少女の後ろ姿を逆光気味に柔らかく描いています。
南薫造は水彩画も巧みで、多くの作品を描いています。

「少女」 1909年 東京国立近代美術館
チラシに使われている作品です。
印象派風の明るい色彩で、少女の足先に可愛らしさが表れています。
1921年の作品、「ピアノ」でも少女が足先でスリッパをブラブラさせている様子を描いて、
情景を活き活きとさせています。

「六月の日」 1912年 東京国立近代美術館
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帰国後の第6回文展2等賞受賞作品です。
横170㎝の大きな画面に日の光を浴びた中の麦の収穫を描いていて、遠くに瀬戸内の
海も見えます。
夏目漱石はこの絵を見ていて、中央の人物がわざとらしいと言って文句を付けています。
同じ第6回文展に木島櫻谷の出品した「寒月」も2等賞を受賞していますが、漱石はこれも
狐の表現が不自然だとしています。
漱石は新しい傾向のある絵には拒否感があったようです。

「魚見(自刻)」 1911年頃 木版 個人蔵
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前期の展示で、魚見は冲の魚群を見張る小屋です。
南薫造は留学中に知り合った富本憲吉と共に帰国後に木版画を制作しています。
下絵から彫り、摺りまですべて自分が行なうという、創作版画です。

「高原の村の朝」 1941年 油彩キャンバス ひろしま美術館
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南薫造の画風はやがて色彩も筆遣いも力強いものになっていきます。
大きなキャベツの並んだ横に小さな子どもたちがしゃがんでいて、奥には洗濯物も見えます。
太平洋戦争の始まった年の作品ですが、のどかな農村の風景です。
南薫造の風景画にはよく点景に人物が描かれていて、自然の中の人の暮らしを思わせます。

「曝書」 1946年 広島県立美術館
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終戦の翌年の作品で、戦時中に疎開した故郷の家での虫干しの様子です。
明るい庭に面した、風の通る座敷に本などが広げられ、二人の孫娘がそれを見ている、
平和な情景です。

南薫造の画風には変化がありますが、終始穏やかで親しみやすく、好もしいものがあります。
東京美術学校の教授を勤めるなど活躍しているのですが、その割に知られていないのは
疎開した後そのまま広島に留まっていたことも影響したのでしょうか。

展覧会のHPです。


【2021/02/25 18:35】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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Author:chariot
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