中村橋
練馬区立美術館では「本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と
絵画コレクション」展が開かれています。
会期は4月16日(日)までです。

吉野石膏株式会社と吉野石膏美術振興財団の所蔵する絵画と貴重書の
コレクションにより、絵画と本の結び付きを解説する展覧会で、約200点が
展示されています。
会場の一部は撮影可能です。
「聖セバスティアヌス受難の場面」 時祷書零葉 1455年頃

時祷書は中世カトリック教会で祈りの言葉を集め、挿絵を付けた写本です。
後には印刷もされています。
零葉は写本などの1枚だけを取り出したものです。
聖セバスティアヌスはキリスト教徒のため迫害され、矢で射られて処刑されますが
蘇生した聖人です。
矢の害を免れたことから、黒死病(ペスト)除けの聖者としても崇められました。
大きな絵文字のSが描かれ、背景に高価なラピスラズリによる青色の絵具が
使われています。
「レオネッロ・デステの聖務日課書」 零葉 1441-48年

絵文字も入った美麗な写本です。
エステ家はイタリアのフェラーラの領主でした。
マントヴァ侯妃のイザベラ・デステもエステ家出身です。
「アンティフォナリーあるいはグラデュアーレ」 零葉
16世紀あるいは17世紀 スペインあるいはイタリア

聖歌の合唱用の楽譜で、何人でも見られるように大きく作られています。
印刷術が普及した後も、楽譜や1冊だけの本の場合は写本にすることがありました。
余白に描かれた修道僧たちは後から描き足されたようです。
写本を制作する写字台

15世紀のブルゴーニュ公国のフィリップ・ル・ボン(善良公)の秘書で写字生だった
ジャン・ミエロを描いた絵から再現しています。
絵具や道具類


金箔は金貨を叩き延ばして作ることもあったようです。
「ポリフィロのヒュプネロトマキア」 1545年版

物語の挿絵本で、イタリアルネッサンスの最も美しい印刷本と呼ばれています。
頁を開くと、挿絵の行列が左から右に進んでいるように見える工夫もされています。
出版したアルドゥス・マヌティウス(1450-1515)はヴェネツィアの出版人で、
グーテンベルク聖書などに比べ、版の小さい、持ち運びしやすい本を開発し、
印刷の発展に貢献しています。
シャルル・ペロー 「眠れる森の美女・赤ずきん:ふたつの寓話」
エラニー・プレス 1899年

シャルル・ペロー( 1628 - 1703)はフランスの詩人で、民間の説話を集めた
ペロー童話集」の作者として知られています。
エラニー・プレスはカミーユ・ピサロの長男の画家、リュシアン・ピサロ(1863 – 1944)の
創設した出版社で、美麗な版画集などを出版しています。す。
エラニーは晩年のカミーユ・ピサロが亡くなるまで住んだ所です。
以下は絵画の展示です。
カミーユ・ピサロ 「ポントワーズの橋」 1878年

パリ北西のポントワーズのオワーズ川に架かる橋を描いています。
空を大きく取った広々とした景色で、遠くにはフランスの工業化を象徴するように
工場の煙突と煙も見えます。
ピサロはエラニーの前にポントワーズに住んでいます。
カミーユ・ピサロ 「ロンドンのキューガーデン、大温室前の散歩道」 1892年

ピサロは1890年にロンドンを訪れています。
キュー王立植物園(キュー・ガーデン)は18世紀半ばに作られた王室附属の庭園に
始まる公園です。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「庭で犬を膝にのせて読書する少女」 1874年

青を基調にして、庭にはスポットライトのように光が当たり、黒い犬との
対比になっています。
ジャン=フランソワ・ミレー 「バター作りの女」 1870年

腕に力を入れて牛乳の入った桶をかき混ぜている女性に、
匂いを嗅ぎ付けたのか、猫がすり寄っています。
戸口では鶏がその様子を窺っています。
マルク・シャガール 「ダフニスとクロエ」より
「フィレータースの果樹園」 リトグラフ 1961年

古代ギリシャの恋愛物語で、1952年に制作を依頼され、実際にギリシャにも2度行き、
3年かかって完成したもので、始め5、6色のつもりが20色以上になったそうです。
42の場面の内、12点が展示されていて、まばゆい色彩と夢のような画面に魅了されます。
上村松園 「深雪の図」 制作年不詳

浄瑠璃の「朝顔日記」のヒロイン、深雪が恋人にゆかりの扇を箱から出して
見ていたところ、人の気配を感じて慌てて袖で隠す、可憐な姿です。
下げ髪に、総鹿の子に葦の模様の振袖、菊の模様の帯をしています。
箱には唐子が描かれ、箏には螺鈿細工が施されています。
「洞窟の頼朝」 前田青邨 1958年

平家打倒の旗揚げをした源頼朝主従が石橋山の合戦に敗れ、洞窟に
隠れていた時の情景です。
前田青邨は1929年にこの題の大作を描いていて、代表作になっています。
この作品も力のみなぎる武者群像です。
写本や初期の印刷についての解説も興味深い展覧会です。
展覧会のHPです。
美術館の隣の公園の緑の熊はなかなかリアルです。

chariot
練馬区立美術館では「本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と
絵画コレクション」展が開かれています。
会期は4月16日(日)までです。

吉野石膏株式会社と吉野石膏美術振興財団の所蔵する絵画と貴重書の
コレクションにより、絵画と本の結び付きを解説する展覧会で、約200点が
展示されています。
会場の一部は撮影可能です。
「聖セバスティアヌス受難の場面」 時祷書零葉 1455年頃

時祷書は中世カトリック教会で祈りの言葉を集め、挿絵を付けた写本です。
後には印刷もされています。
零葉は写本などの1枚だけを取り出したものです。
聖セバスティアヌスはキリスト教徒のため迫害され、矢で射られて処刑されますが
蘇生した聖人です。
矢の害を免れたことから、黒死病(ペスト)除けの聖者としても崇められました。
大きな絵文字のSが描かれ、背景に高価なラピスラズリによる青色の絵具が
使われています。
「レオネッロ・デステの聖務日課書」 零葉 1441-48年

絵文字も入った美麗な写本です。
エステ家はイタリアのフェラーラの領主でした。
マントヴァ侯妃のイザベラ・デステもエステ家出身です。
「アンティフォナリーあるいはグラデュアーレ」 零葉
16世紀あるいは17世紀 スペインあるいはイタリア

聖歌の合唱用の楽譜で、何人でも見られるように大きく作られています。
印刷術が普及した後も、楽譜や1冊だけの本の場合は写本にすることがありました。
余白に描かれた修道僧たちは後から描き足されたようです。
写本を制作する写字台

15世紀のブルゴーニュ公国のフィリップ・ル・ボン(善良公)の秘書で写字生だった
ジャン・ミエロを描いた絵から再現しています。
絵具や道具類


金箔は金貨を叩き延ばして作ることもあったようです。
「ポリフィロのヒュプネロトマキア」 1545年版

物語の挿絵本で、イタリアルネッサンスの最も美しい印刷本と呼ばれています。
頁を開くと、挿絵の行列が左から右に進んでいるように見える工夫もされています。
出版したアルドゥス・マヌティウス(1450-1515)はヴェネツィアの出版人で、
グーテンベルク聖書などに比べ、版の小さい、持ち運びしやすい本を開発し、
印刷の発展に貢献しています。
シャルル・ペロー 「眠れる森の美女・赤ずきん:ふたつの寓話」
エラニー・プレス 1899年

シャルル・ペロー( 1628 - 1703)はフランスの詩人で、民間の説話を集めた
ペロー童話集」の作者として知られています。
エラニー・プレスはカミーユ・ピサロの長男の画家、リュシアン・ピサロ(1863 – 1944)の
創設した出版社で、美麗な版画集などを出版しています。す。
エラニーは晩年のカミーユ・ピサロが亡くなるまで住んだ所です。
以下は絵画の展示です。
カミーユ・ピサロ 「ポントワーズの橋」 1878年

パリ北西のポントワーズのオワーズ川に架かる橋を描いています。
空を大きく取った広々とした景色で、遠くにはフランスの工業化を象徴するように
工場の煙突と煙も見えます。
ピサロはエラニーの前にポントワーズに住んでいます。
カミーユ・ピサロ 「ロンドンのキューガーデン、大温室前の散歩道」 1892年

ピサロは1890年にロンドンを訪れています。
キュー王立植物園(キュー・ガーデン)は18世紀半ばに作られた王室附属の庭園に
始まる公園です。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「庭で犬を膝にのせて読書する少女」 1874年

青を基調にして、庭にはスポットライトのように光が当たり、黒い犬との
対比になっています。
ジャン=フランソワ・ミレー 「バター作りの女」 1870年

腕に力を入れて牛乳の入った桶をかき混ぜている女性に、
匂いを嗅ぎ付けたのか、猫がすり寄っています。
戸口では鶏がその様子を窺っています。
マルク・シャガール 「ダフニスとクロエ」より
「フィレータースの果樹園」 リトグラフ 1961年

古代ギリシャの恋愛物語で、1952年に制作を依頼され、実際にギリシャにも2度行き、
3年かかって完成したもので、始め5、6色のつもりが20色以上になったそうです。
42の場面の内、12点が展示されていて、まばゆい色彩と夢のような画面に魅了されます。
上村松園 「深雪の図」 制作年不詳

浄瑠璃の「朝顔日記」のヒロイン、深雪が恋人にゆかりの扇を箱から出して
見ていたところ、人の気配を感じて慌てて袖で隠す、可憐な姿です。
下げ髪に、総鹿の子に葦の模様の振袖、菊の模様の帯をしています。
箱には唐子が描かれ、箏には螺鈿細工が施されています。
「洞窟の頼朝」 前田青邨 1958年

平家打倒の旗揚げをした源頼朝主従が石橋山の合戦に敗れ、洞窟に
隠れていた時の情景です。
前田青邨は1929年にこの題の大作を描いていて、代表作になっています。
この作品も力のみなぎる武者群像です。
写本や初期の印刷についての解説も興味深い展覧会です。
展覧会のHPです。
美術館の隣の公園の緑の熊はなかなかリアルです。

日比谷・有楽町
日比谷の出光美術館では「江戸絵画の華」展の第2部「京都画壇と江戸琳派」が
開かれています。
会期は3月26日(日)までです。

アメリカのエツコ&ジョー・プライス夫妻のコレクションの一部が2019年に
出光美術館のコレクションに加わって初めて公開される展覧会です。
第2部は京都の円山応挙と江戸の酒井抱一を中心にした展示です。
先ず、京都画壇の作品の展示です。
「懸崖飛泉図屏風」 円山応挙 寛政元年(1776)

左隻部分

右隻

注文主の居室の都合なのか、四曲・八曲一双という珍しい形です。
右上の滝から左下の松まで水の流れが続き、間には雌雄の鹿も見えます。
奥行きと広がりのある、静かな情景です。
「赤壁図」 円山応挙 安永5年(1789)


北宋の詩人、蘇軾(蘇東坡)が「前赤壁賦」と「後赤壁賦」に詠んだ景色です。
舟遊びしている長江の水面には月が映っています。
「雪松図屏風」(左隻) 源琦 寛政4年(1792)

源琦(1747 – 1797)は円山応挙の高弟で、長沢蘆雪と並び称せられていました。
三井記念美術館の所蔵する応挙の「雪松図屏風」の忠実な模写で、最初見た時、
応挙の屏風があると思いました。
よく観ると、応挙に比べ、筆遣いがやや穏やかになっています。
「虎図」 円山応挙 天明5年(1785)

掛軸の縦長の画面に頭と前脚だけを描き入れて、迫力があります。
毛並みも一本ずつ丁寧に描かれ、質感が伝わってきます。
虎の絵は他に源琦、森狙仙、岸駒の描いたものがあります。
続いて、江戸琳派の酒井抱一、酒井道一、鈴木其一、鈴木守一、中村芳中、
中野其明などの作品の展示です。
中村芳中は大阪の絵師ですが、尾形光琳に私淑しています。
「四季草花図・三十六歌仙図色紙貼交屏風」(左隻) 酒井抱一 江戸時代

金砂子地の屏風の右から左に季節の草花が移ろい、左隻には朝顔、紅葉、葡萄、
ツワブキなどが描かれ、三十六歌仙の色紙が貼ってあります。
すべて抱一が手掛けた作とのことです。
紀貫之
さくらちるこの下風はさむからでそらにしられぬ雪ぞふりける
源順
水の面に照る月なみをかぞふればこよひぞ秋のもなかなりける
中務
鶯の声なかりせば 雪消えぬ 山里いかで春を知らまし
「十二か月花鳥図」 酒井抱一 江戸時代

十二幅対の一部です。
人気の高い画題だったようで、現在6種類残っており、工房で制作していたと
思われます。
「扇面流し図屏風」(右隻) 鈴木守一 江戸時代~明治時代

江戸琳派風の鮮やかな色彩の流水に扇面を流しています。
右隻の扇には紅梅、菫と蕨、百合とセンノウ、牡丹、薄と鶉などが描かれています。
武者絵は平家物語の屋島の戦いで、平家方の平景清が源氏方の美尾谷十郎国俊の
兜を掴んだら錣(しころ)が引き千切られたという場面です。
鈴木守一(1823-1889)は鈴木其一の子で、江戸琳派の画風を継いでいます。
第1部の「若冲と江戸絵画」もそうでしたが、今回も逸品揃いの展示で、
プライスコレクションの質の高さには感心します。
展覧会のHPです。
chariot
日比谷の出光美術館では「江戸絵画の華」展の第2部「京都画壇と江戸琳派」が
開かれています。
会期は3月26日(日)までです。

アメリカのエツコ&ジョー・プライス夫妻のコレクションの一部が2019年に
出光美術館のコレクションに加わって初めて公開される展覧会です。
第2部は京都の円山応挙と江戸の酒井抱一を中心にした展示です。
先ず、京都画壇の作品の展示です。
「懸崖飛泉図屏風」 円山応挙 寛政元年(1776)

左隻部分

右隻

注文主の居室の都合なのか、四曲・八曲一双という珍しい形です。
右上の滝から左下の松まで水の流れが続き、間には雌雄の鹿も見えます。
奥行きと広がりのある、静かな情景です。
「赤壁図」 円山応挙 安永5年(1789)


北宋の詩人、蘇軾(蘇東坡)が「前赤壁賦」と「後赤壁賦」に詠んだ景色です。
舟遊びしている長江の水面には月が映っています。
「雪松図屏風」(左隻) 源琦 寛政4年(1792)

源琦(1747 – 1797)は円山応挙の高弟で、長沢蘆雪と並び称せられていました。
三井記念美術館の所蔵する応挙の「雪松図屏風」の忠実な模写で、最初見た時、
応挙の屏風があると思いました。
よく観ると、応挙に比べ、筆遣いがやや穏やかになっています。
「虎図」 円山応挙 天明5年(1785)

掛軸の縦長の画面に頭と前脚だけを描き入れて、迫力があります。
毛並みも一本ずつ丁寧に描かれ、質感が伝わってきます。
虎の絵は他に源琦、森狙仙、岸駒の描いたものがあります。
続いて、江戸琳派の酒井抱一、酒井道一、鈴木其一、鈴木守一、中村芳中、
中野其明などの作品の展示です。
中村芳中は大阪の絵師ですが、尾形光琳に私淑しています。
「四季草花図・三十六歌仙図色紙貼交屏風」(左隻) 酒井抱一 江戸時代

金砂子地の屏風の右から左に季節の草花が移ろい、左隻には朝顔、紅葉、葡萄、
ツワブキなどが描かれ、三十六歌仙の色紙が貼ってあります。
すべて抱一が手掛けた作とのことです。
紀貫之
さくらちるこの下風はさむからでそらにしられぬ雪ぞふりける
源順
水の面に照る月なみをかぞふればこよひぞ秋のもなかなりける
中務
鶯の声なかりせば 雪消えぬ 山里いかで春を知らまし
「十二か月花鳥図」 酒井抱一 江戸時代

十二幅対の一部です。
人気の高い画題だったようで、現在6種類残っており、工房で制作していたと
思われます。
「扇面流し図屏風」(右隻) 鈴木守一 江戸時代~明治時代

江戸琳派風の鮮やかな色彩の流水に扇面を流しています。
右隻の扇には紅梅、菫と蕨、百合とセンノウ、牡丹、薄と鶉などが描かれています。
武者絵は平家物語の屋島の戦いで、平家方の平景清が源氏方の美尾谷十郎国俊の
兜を掴んだら錣(しころ)が引き千切られたという場面です。
鈴木守一(1823-1889)は鈴木其一の子で、江戸琳派の画風を継いでいます。
第1部の「若冲と江戸絵画」もそうでしたが、今回も逸品揃いの展示で、
プライスコレクションの質の高さには感心します。
展覧会のHPです。
上野
東京国立博物館本館の総合文化展(平常展)の記事、4回分の3回目です。
仏教関係の展示を集めました。
「孔雀明王図像」 高山寺伝来 平安時代・12世紀

平安時代末期の高野山の僧、玄証が所持していたもので、
玄証は多くの図像を収集していました。
仏画を描く時の基本画像にしていたのでしょう。
「弥勒菩薩図像」 高山寺伝来 鎌倉時代・13世紀

釈迦入滅後、56億7千万年後に現れるとされる弥勒菩薩の像です。
30本の腕を持つ、極めて珍しい作例です。
「紺紙金銀字大唐西域記 巻第二 (中尊寺経)」 平安時代・12世紀 重要文化財

中尊寺経は平泉の中尊寺に伝わる多くの経巻の一つで、奥州平泉の藤原清衡により
献納されています。
紺紙に金泥と銀泥を1行ごとに使い分けて書いてあり、見返しには釈迦説法図などが
描かれています。
大唐西域記は経典を求めてインドへの大旅行を果たした玄奘三蔵が唐の太宗の
求めに応じて記した旅行記です。
2行目に書かれている健駄羅国とはガンダーラのことです。
お経ばかりでなく、大唐西域記も中尊寺経に入っているとは知りませんでした。
「菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀 重要文化財


1階の11室の展示です。
像高約1m、腰をややひねり、金泥が塗られ、衣に切金が入り、瓔珞で飾った、
とてもあでやかなお姿です。
目は玉眼で、下唇に薄い水晶を貼った玉唇という珍しい技法も使われています。
「愛染明王坐像」 鎌倉時代・13世紀 重要文化財




1階の11室の展示です。
奈良にあって今は廃絶した内山永久寺に伝来した像です。
密教の明王像の一つで、神秘的な雰囲気を持っています。
厨子からガラスの装飾品まで当初の品が残っており、赤々と燃え立つような
彩色も鮮やかです。
厨子の内扉には八菩薩と二明王が描かれ、本像と合わせて愛染曼荼羅を
構成しています。
後壁には閻魔天を中心にした閻魔天曼荼羅が描かれ、天蓋には銅板の梵字を
貼って仏眼曼荼羅を表しています。
「文殊菩薩騎獅像および侍者立像」 康円
鎌倉時代・文永10年(1273) 重要文化財


1階の11室の展示です。
獅子に乗った文殊菩薩に、合掌する善財童子、インド人僧の仏陀波利、手綱を引く優填王、
頭巾をかぶる最勝老人の4人の侍者が従う渡海文殊を表しています。
興福寺勧学院の本尊でした。
康円は運慶の孫で、奈良仏師の慶派に属しています。
chariot
東京国立博物館本館の総合文化展(平常展)の記事、4回分の3回目です。
仏教関係の展示を集めました。
「孔雀明王図像」 高山寺伝来 平安時代・12世紀

平安時代末期の高野山の僧、玄証が所持していたもので、
玄証は多くの図像を収集していました。
仏画を描く時の基本画像にしていたのでしょう。
「弥勒菩薩図像」 高山寺伝来 鎌倉時代・13世紀

釈迦入滅後、56億7千万年後に現れるとされる弥勒菩薩の像です。
30本の腕を持つ、極めて珍しい作例です。
「紺紙金銀字大唐西域記 巻第二 (中尊寺経)」 平安時代・12世紀 重要文化財

中尊寺経は平泉の中尊寺に伝わる多くの経巻の一つで、奥州平泉の藤原清衡により
献納されています。
紺紙に金泥と銀泥を1行ごとに使い分けて書いてあり、見返しには釈迦説法図などが
描かれています。
大唐西域記は経典を求めてインドへの大旅行を果たした玄奘三蔵が唐の太宗の
求めに応じて記した旅行記です。
2行目に書かれている健駄羅国とはガンダーラのことです。
お経ばかりでなく、大唐西域記も中尊寺経に入っているとは知りませんでした。
「菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀 重要文化財


1階の11室の展示です。
像高約1m、腰をややひねり、金泥が塗られ、衣に切金が入り、瓔珞で飾った、
とてもあでやかなお姿です。
目は玉眼で、下唇に薄い水晶を貼った玉唇という珍しい技法も使われています。
「愛染明王坐像」 鎌倉時代・13世紀 重要文化財




1階の11室の展示です。
奈良にあって今は廃絶した内山永久寺に伝来した像です。
密教の明王像の一つで、神秘的な雰囲気を持っています。
厨子からガラスの装飾品まで当初の品が残っており、赤々と燃え立つような
彩色も鮮やかです。
厨子の内扉には八菩薩と二明王が描かれ、本像と合わせて愛染曼荼羅を
構成しています。
後壁には閻魔天を中心にした閻魔天曼荼羅が描かれ、天蓋には銅板の梵字を
貼って仏眼曼荼羅を表しています。
「文殊菩薩騎獅像および侍者立像」 康円
鎌倉時代・文永10年(1273) 重要文化財


1階の11室の展示です。
獅子に乗った文殊菩薩に、合掌する善財童子、インド人僧の仏陀波利、手綱を引く優填王、
頭巾をかぶる最勝老人の4人の侍者が従う渡海文殊を表しています。
興福寺勧学院の本尊でした。
康円は運慶の孫で、奈良仏師の慶派に属しています。