けふのみと
けふのみと春をおもはぬ時だにも立つことやすき花のかげかは
凡河内躬恒
春はもう今日だけだと思わなくてさえ、花の咲いている所を立ち去るのは
むずかしいではないか。
古今集春歌下134番の歌で、春歌の最後に置かれています。
上野から本郷にかけての八重桜と新緑の景色です。
上野公園の奏楽堂前

東京国立博物館法隆寺宝物館前


東京国立博物館前の噴水

上野公園

不忍池



東京大学本郷キャンパスの新緑

赤門横


今年の春もこれで終わりかと思えば、花の下を立ち去りがたい思いがしました。
私の春の歌の記事では、今より少し季節が早いですが、「わがせこが」の記事
(こちら)の検索が一番多いようです。
chariot
けふのみと春をおもはぬ時だにも立つことやすき花のかげかは
凡河内躬恒
春はもう今日だけだと思わなくてさえ、花の咲いている所を立ち去るのは
むずかしいではないか。
古今集春歌下134番の歌で、春歌の最後に置かれています。
上野から本郷にかけての八重桜と新緑の景色です。
上野公園の奏楽堂前

東京国立博物館法隆寺宝物館前


東京国立博物館前の噴水

上野公園

不忍池



東京大学本郷キャンパスの新緑

赤門横


今年の春もこれで終わりかと思えば、花の下を立ち去りがたい思いがしました。
私の春の歌の記事では、今より少し季節が早いですが、「わがせこが」の記事
(こちら)の検索が一番多いようです。
花のごと
花のごと世のつねならばすぐしてし昔は又もかへりきなまし
花が毎年咲くように世の中が常に変わらないものならば、
過ごして来た昔の時代はまた帰ってくるだろうに。
古今集春歌下98番の歌で、よみ人しらずです。
花は毎年変わらずに咲くのに、なぜ人はただ老いて行くのだろうと
嘆いています。
未来に期待することも無く過去を振り返るような年になった人の感懐です。
若い時に華やかな人生を送った人ほど、この思いは深いことでしょう。
晴れの場の歌ではなく、ふと洩らした溜め息のような歌です。
古い注には、元良親王(890-943)の作とあるそうです。
元良親王は陽成天皇の皇子で、色好みで知られています。

chariot
photo by taro
photo by taro
花のごと世のつねならばすぐしてし昔は又もかへりきなまし
花が毎年咲くように世の中が常に変わらないものならば、
過ごして来た昔の時代はまた帰ってくるだろうに。
古今集春歌下98番の歌で、よみ人しらずです。
花は毎年変わらずに咲くのに、なぜ人はただ老いて行くのだろうと
嘆いています。
未来に期待することも無く過去を振り返るような年になった人の感懐です。
若い時に華やかな人生を送った人ほど、この思いは深いことでしょう。
晴れの場の歌ではなく、ふと洩らした溜め息のような歌です。
古い注には、元良親王(890-943)の作とあるそうです。
元良親王は陽成天皇の皇子で、色好みで知られています。

春たてば
春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすぞなく
春になったので花と見まちがえたのだろうか、白雪のかかる梅の枝で
うぐいすが鳴いている
古今集春歌上6番の歌で、作者は素性法師です。
白梅、白雪、うぐいすを取り交ぜた、春の初めらしい清澄な歌です。
雪を花と見るのは人ですが、それをうぐいすにもさせているのが
面白いところです。
一つ前の、よみ人しらずの歌です。
梅がえにきゐるうぐひすはるかけてなけどもいまだ雪はふりつつ
同じ情景を詠んでいますが、素性法師の歌の明るさと比べてこちらは
まだ寒そうです。
湯島天神の白梅と紅梅です。
今日8日から梅まつりも始まります。


うぐいすの代わりに、東京ミッドタウンのすずめです。

chariot
春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすぞなく
春になったので花と見まちがえたのだろうか、白雪のかかる梅の枝で
うぐいすが鳴いている
古今集春歌上6番の歌で、作者は素性法師です。
白梅、白雪、うぐいすを取り交ぜた、春の初めらしい清澄な歌です。
雪を花と見るのは人ですが、それをうぐいすにもさせているのが
面白いところです。
一つ前の、よみ人しらずの歌です。
梅がえにきゐるうぐひすはるかけてなけどもいまだ雪はふりつつ
同じ情景を詠んでいますが、素性法師の歌の明るさと比べてこちらは
まだ寒そうです。
湯島天神の白梅と紅梅です。
今日8日から梅まつりも始まります。


うぐいすの代わりに、東京ミッドタウンのすずめです。
