半蔵門・九段下
近代日本画の名品を数多く集めている山種美術館では「百寿を超えて」という題で、
奥村土牛、小倉遊亀、片岡球子の三人展を11月3日(月・祝)まで開いています。
みな、百歳を超えても創作活動を続けた近代日本画家です。
片岡球子(1905~2008、103歳没)は6点出品されています。
片岡球子は力強い大胆な描き振りによる富士山や「面構(つらがまえ)」
シリーズで有名です。
毎年秋に東京都美術館で開かれる院展では、その作品は遠くからでも、
すぐそれと分かりました。
歴史上の人物を大画面いっぱいに太い線と強烈な色彩で自由に描き切っていて、
会場でもひときわ目立っていました。
富士山の絵も、色を惜しげもなく使って、ぐいぐい描くといった風で、見ていて
楽しくなります。
経歴によれば、若いころの片岡球子は院展になかなか入選できず、
一時は「落選の神様」とあだ名を付けられたそうです。
その頃の作品を見たことがないので、どんな作風だったのかよく分かりませんが、
自分がどんな絵を描くべきか模索していたのかもしれません。
また、自分の画風が出来てくると、これだけ個性があるだけに、理解されるのに
時間が掛かったようです。
日本画は伝統の上に立っているので、まったく新しいことを始めると
風当たりも強いでしょう。
富士山のシリーズを見ていると、その柄の大きさ、大胆さに感心しますが、
これは日本画なのか、油絵で描いてもいいのではないか、という気もします。
「面構」シリーズは1966年の「足利尊氏、義満、義政」から始まっています。
足利尊氏を最初に選んだのは、京都等持院に置かれている木像の顔に
惹かれたからだということです。
木像から想像すると、足利尊氏は垂れ目で鼻が大きく、愛嬌のある顔だったようで、
「面構」にもその特徴がよく表れています。
「面構」の最初に、足利尊氏を選ぶという目の付け所が面白いと思います。
「面構」シリーズでは、上杉謙信や写楽のように、肖像が残っておらず、
まったく顔の分かっていない人を多く描いています。
「在るもの」を描くことを超えて、「描きたいもの」を描きたかったのでしょう。
展覧会には1982年の「北斎の娘おゑい」が出品されています。
長煙管を手に、吊り上がった目でにらみつけている姿は、勝気な性格だったという
おゑいをよく表しています。
片岡球子特有の、力のこもった描き方ですが、しっかり浮世絵の伝統を継いでいます。
顔のデフォルメは、もともと浮世絵の得意技です。
独特といわれる片岡球子の画風も、さまざまなことを学び続けた結果として
生まれてきたものだと思います。
chariot
近代日本画の名品を数多く集めている山種美術館では「百寿を超えて」という題で、
奥村土牛、小倉遊亀、片岡球子の三人展を11月3日(月・祝)まで開いています。
みな、百歳を超えても創作活動を続けた近代日本画家です。
片岡球子(1905~2008、103歳没)は6点出品されています。
片岡球子は力強い大胆な描き振りによる富士山や「面構(つらがまえ)」
シリーズで有名です。
毎年秋に東京都美術館で開かれる院展では、その作品は遠くからでも、
すぐそれと分かりました。
歴史上の人物を大画面いっぱいに太い線と強烈な色彩で自由に描き切っていて、
会場でもひときわ目立っていました。
富士山の絵も、色を惜しげもなく使って、ぐいぐい描くといった風で、見ていて
楽しくなります。
経歴によれば、若いころの片岡球子は院展になかなか入選できず、
一時は「落選の神様」とあだ名を付けられたそうです。
その頃の作品を見たことがないので、どんな作風だったのかよく分かりませんが、
自分がどんな絵を描くべきか模索していたのかもしれません。
また、自分の画風が出来てくると、これだけ個性があるだけに、理解されるのに
時間が掛かったようです。
日本画は伝統の上に立っているので、まったく新しいことを始めると
風当たりも強いでしょう。
富士山のシリーズを見ていると、その柄の大きさ、大胆さに感心しますが、
これは日本画なのか、油絵で描いてもいいのではないか、という気もします。
「面構」シリーズは1966年の「足利尊氏、義満、義政」から始まっています。
足利尊氏を最初に選んだのは、京都等持院に置かれている木像の顔に
惹かれたからだということです。
木像から想像すると、足利尊氏は垂れ目で鼻が大きく、愛嬌のある顔だったようで、
「面構」にもその特徴がよく表れています。
「面構」の最初に、足利尊氏を選ぶという目の付け所が面白いと思います。
「面構」シリーズでは、上杉謙信や写楽のように、肖像が残っておらず、
まったく顔の分かっていない人を多く描いています。
「在るもの」を描くことを超えて、「描きたいもの」を描きたかったのでしょう。
展覧会には1982年の「北斎の娘おゑい」が出品されています。
長煙管を手に、吊り上がった目でにらみつけている姿は、勝気な性格だったという
おゑいをよく表しています。
片岡球子特有の、力のこもった描き方ですが、しっかり浮世絵の伝統を継いでいます。
顔のデフォルメは、もともと浮世絵の得意技です。
独特といわれる片岡球子の画風も、さまざまなことを学び続けた結果として
生まれてきたものだと思います。
半蔵門・九段下
近代日本画の名品を数多く集めている山種美術館では「百寿を超えて」という題で、
奥村土牛、小倉遊亀、片岡球子の三人展を11月3日(月・祝)まで開いています。
みな、百歳を超えても創作活動を続けた近代日本画家です。
小倉遊亀(1895~2000、105歳没)は5点出品されています。
小倉遊亀は花や人物をよく描き、感覚がモダンで、色彩も線も美しく、
華のある画家です。
30歳のころに院展に初入選し、数年後に女性として初めて日本美術院の
同人になっていますから、若いころから注目されていたことが分かります。
奥村土牛は、ゆっくり着実な歩みということで、牛というイメージが合いますが、
小倉遊亀は亀というよりは、長距離を走りぬいた兎といった感じです。
1971年の「舞う(舞妓)」、1972年の「舞う(芸者)」が出品されています。
大きな画面の一対の連作で、金色の地に、舞っている舞妓と芸者が一人づつ
描かれています。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」と同じ趣向です。
「舞う(舞妓)」は振袖姿の若い舞妓が金の扇をかざして、誇らしげに振り返った
瞬間をとらえています。
画面左上の扇から右下に流れる構図ですが、扇を持つ手の袖が外に広がって、
全体に三角形で安定した形になっています。
頭の上に扇をかざした姿を画面に収めるためか、舞妓の身長を低く描いています。
赤紫色の振袖の柄は梅、牡丹、紅葉、菊、南天など四季の草花をあしらって
賑やかです。
赤い帯は菊の模様で、襦袢の赤、足袋の白も見えます。
髪飾りも多く、金、銀、赤をあしらっています。
顔は日本画独特の、すっきりと美しい線描で表しています。
色彩を多く使い、若々しく、華やかな姿を生き生きと描いた作品です。
「舞う(芸者)」では芸者が扇を帯に差し、右袖を抱え、左手を髪に添え、
首を少しかしげて振り返っています。
裾が広がって、やはり三角形の安定した構図です。
芸者の着物はあっさりした竹と流水の柄の黒留袖、白の帯も竹の柄です。
襟元の襦袢と帯の端に見える赤色がアクセントになっています。
眉のあたりの影、口許の形で舞妓との年齢の違いや、心意気を表し、
全体として色数を少なく、すっきりと描くことで芸者の粋な姿を描き出しています。
二点それぞれに見応えのある作品ですが、並べることで、舞妓と芸者を描き分ける、
作者の工夫を観ることができます。
それにしても、70歳代半ばでの、この感覚の若さ、みずみずしさはさすがです。
天分だけではない、日々の積み重ねがあっての作品だと思います。
chariot
近代日本画の名品を数多く集めている山種美術館では「百寿を超えて」という題で、
奥村土牛、小倉遊亀、片岡球子の三人展を11月3日(月・祝)まで開いています。
みな、百歳を超えても創作活動を続けた近代日本画家です。
小倉遊亀(1895~2000、105歳没)は5点出品されています。
小倉遊亀は花や人物をよく描き、感覚がモダンで、色彩も線も美しく、
華のある画家です。
30歳のころに院展に初入選し、数年後に女性として初めて日本美術院の
同人になっていますから、若いころから注目されていたことが分かります。
奥村土牛は、ゆっくり着実な歩みということで、牛というイメージが合いますが、
小倉遊亀は亀というよりは、長距離を走りぬいた兎といった感じです。
1971年の「舞う(舞妓)」、1972年の「舞う(芸者)」が出品されています。
大きな画面の一対の連作で、金色の地に、舞っている舞妓と芸者が一人づつ
描かれています。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」と同じ趣向です。
「舞う(舞妓)」は振袖姿の若い舞妓が金の扇をかざして、誇らしげに振り返った
瞬間をとらえています。
画面左上の扇から右下に流れる構図ですが、扇を持つ手の袖が外に広がって、
全体に三角形で安定した形になっています。
頭の上に扇をかざした姿を画面に収めるためか、舞妓の身長を低く描いています。
赤紫色の振袖の柄は梅、牡丹、紅葉、菊、南天など四季の草花をあしらって
賑やかです。
赤い帯は菊の模様で、襦袢の赤、足袋の白も見えます。
髪飾りも多く、金、銀、赤をあしらっています。
顔は日本画独特の、すっきりと美しい線描で表しています。
色彩を多く使い、若々しく、華やかな姿を生き生きと描いた作品です。
「舞う(芸者)」では芸者が扇を帯に差し、右袖を抱え、左手を髪に添え、
首を少しかしげて振り返っています。
裾が広がって、やはり三角形の安定した構図です。
芸者の着物はあっさりした竹と流水の柄の黒留袖、白の帯も竹の柄です。
襟元の襦袢と帯の端に見える赤色がアクセントになっています。
眉のあたりの影、口許の形で舞妓との年齢の違いや、心意気を表し、
全体として色数を少なく、すっきりと描くことで芸者の粋な姿を描き出しています。
二点それぞれに見応えのある作品ですが、並べることで、舞妓と芸者を描き分ける、
作者の工夫を観ることができます。
それにしても、70歳代半ばでの、この感覚の若さ、みずみずしさはさすがです。
天分だけではない、日々の積み重ねがあっての作品だと思います。
半蔵門・九段下
近代日本画の名品を数多く集めている山種美術館では「百寿を超えて」という題で、
奥村土牛、小倉遊亀、片岡球子の三人展を11月3日(月・祝)まで開いています。
みな、百歳を超えても創作活動を続けた近代日本画家です。
暑さの残る日でしたが、地下鉄九段下から九段坂を上がって行きました。
千鳥ケ淵の眺めです。

千鳥ケ淵の桜並木です。
花の季節はとてもにぎわいます。


美術館前です。
ちょうど、彼岸花が咲いていました。


三人の中で、奥村土牛(1889~1990、101歳没)は一番多く、
37点出品されています。
奥村土牛の作品は色数を抑えているので、見た目には地味ですが、
堅牢で深みのある色です。
塗りを何度も何度も重ねることで、この効果を出しているようです。
1959年作の「鳴門」は、大きな画面いっぱいに白みがかった緑色と
白色だけで海と渦潮を描いています。
ほとんど一色なのに、画面に厚みがあり、渦潮の量感が伝わります。
解説によると、連絡船に乗っていて、たまたま渦潮を見た奥村土牛は
奥さんに帯を掴んでもらって、渦潮を覗き込んでスケッチしたそうです。
奥村土牛の写生への姿勢は徹底的で、姫路城の城門を描いた1967年の「門」では
80歳に近い高齢で夏の炎天下に何時間も掛けてスケッチしたとのことです。
この作品には奥村土牛のもう一つの特徴の、形の強調が表れています。
大きく開かれた門扉、門の向こうの視界をふさぐ白壁、その壁に一つ開いている
鉄砲狭間と白壁の屋根の上の空間と、四角い図形が奥へと並び、絵に奥行を
見せています。
城の持つ物語性や情緒に頼らず、あくまで面の作る空間構成にこだわっています。
この作風は1955年の、同じ姫路城を描いた「城」に始まるといいます。
「城」は天守閣を下から見上げた構図ですが、画面の下側に大きく白壁の面を取り、
その上に屋根の構造物の重なりを黒く太い線で積み上げて描いています。
この、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという作風を確立したのが、
普通の人間なら引退している60歳過ぎてから、という気の長さにも驚きます。
セザンヌの影響を受けたということですが、たしかに華やかさを求めない、
量感のある、がっちりした構成はセザンヌに通じます。
形を強調した作品としては1970年の「大和路」もそうです。
右手前から左奥に向けて、民家の大屋根、軒、塀の四角い図形が
並んでいます。
特に右側の屋根の土色の大きな長方形が印象的です。
会場には「城」「門」「大和路」の大作3点が並んで展示されていて、
その迫力に圧倒されます。
桜を描いた1972年の「醍醐」も奥村土牛の特徴がよく表れています。
縦長の画面の真中に桜の巨木の太い幹が直立し、上半分を満開の桜が
面となって埋めるという、大胆な構図です。
画面右側に立つ支柱、中心の桜の幹、奥の土塀、更に左奥の土塀と、
右手前から左奥へと並びます。
奥村土牛は、「城」以前の「軍鶏」(1950年)、「聖牛」(1950年)を見ても、
すでに堂々として立派な画家だということが分かりますが、
独自の世界がはっきり見えるのは、やはり「城」以降といえます。
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近代日本画の名品を数多く集めている山種美術館では「百寿を超えて」という題で、
奥村土牛、小倉遊亀、片岡球子の三人展を11月3日(月・祝)まで開いています。
みな、百歳を超えても創作活動を続けた近代日本画家です。
暑さの残る日でしたが、地下鉄九段下から九段坂を上がって行きました。
千鳥ケ淵の眺めです。

千鳥ケ淵の桜並木です。
花の季節はとてもにぎわいます。


美術館前です。
ちょうど、彼岸花が咲いていました。


三人の中で、奥村土牛(1889~1990、101歳没)は一番多く、
37点出品されています。
奥村土牛の作品は色数を抑えているので、見た目には地味ですが、
堅牢で深みのある色です。
塗りを何度も何度も重ねることで、この効果を出しているようです。
1959年作の「鳴門」は、大きな画面いっぱいに白みがかった緑色と
白色だけで海と渦潮を描いています。
ほとんど一色なのに、画面に厚みがあり、渦潮の量感が伝わります。
解説によると、連絡船に乗っていて、たまたま渦潮を見た奥村土牛は
奥さんに帯を掴んでもらって、渦潮を覗き込んでスケッチしたそうです。
奥村土牛の写生への姿勢は徹底的で、姫路城の城門を描いた1967年の「門」では
80歳に近い高齢で夏の炎天下に何時間も掛けてスケッチしたとのことです。
この作品には奥村土牛のもう一つの特徴の、形の強調が表れています。
大きく開かれた門扉、門の向こうの視界をふさぐ白壁、その壁に一つ開いている
鉄砲狭間と白壁の屋根の上の空間と、四角い図形が奥へと並び、絵に奥行を
見せています。
城の持つ物語性や情緒に頼らず、あくまで面の作る空間構成にこだわっています。
この作風は1955年の、同じ姫路城を描いた「城」に始まるといいます。
「城」は天守閣を下から見上げた構図ですが、画面の下側に大きく白壁の面を取り、
その上に屋根の構造物の重なりを黒く太い線で積み上げて描いています。
この、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという作風を確立したのが、
普通の人間なら引退している60歳過ぎてから、という気の長さにも驚きます。
セザンヌの影響を受けたということですが、たしかに華やかさを求めない、
量感のある、がっちりした構成はセザンヌに通じます。
形を強調した作品としては1970年の「大和路」もそうです。
右手前から左奥に向けて、民家の大屋根、軒、塀の四角い図形が
並んでいます。
特に右側の屋根の土色の大きな長方形が印象的です。
会場には「城」「門」「大和路」の大作3点が並んで展示されていて、
その迫力に圧倒されます。
桜を描いた1972年の「醍醐」も奥村土牛の特徴がよく表れています。
縦長の画面の真中に桜の巨木の太い幹が直立し、上半分を満開の桜が
面となって埋めるという、大胆な構図です。
画面右側に立つ支柱、中心の桜の幹、奥の土塀、更に左奥の土塀と、
右手前から左奥へと並びます。
奥村土牛は、「城」以前の「軍鶏」(1950年)、「聖牛」(1950年)を見ても、
すでに堂々として立派な画家だということが分かりますが、
独自の世界がはっきり見えるのは、やはり「城」以降といえます。
本郷三丁目・東大前
「喫茶ルオー」は本郷三丁目の交差点から本郷通りを北に進んだ、
東大正門の向かいにあります。
本郷を代表する、昔からの喫茶店で、カレーでも有名です。

そのセイロンカレーセット950円です。

肉は食べる前に自分でほぐしてかき混ぜる、消費者参加型のカレーです。
トロミもあって、懐かしいタイプの味です。
刻んだ福神漬けとスライスしたラッキョウも付いています。
大盛1100円、小盛850円もあります。
コーヒーはデミカップですが、ホットだとカレーの辛さが残った舌を刺激するので
アイスにしました。

以前は今より交差点寄りの所にありました。
昔むかし、この店に初めて行った時のことを良く覚えています。
大きな店で、奥行きも深く、しっかりした木のテーブルと、
コーヒーカップの形のくり抜きのある木の椅子が並び、
多くのお客さんがカレーライスを食べていました。

奥の方に坪庭(というより空き地)があって、小さな木も生えていました。
ちょうど新緑の季節で、木の葉の緑が強く印象に残っています。
東京にもこんなのんびりした、味わいのある店があるのかと驚きました。
私の喫茶店好きはこの時以来だったように思います。
「ルオー」は何かの事情があって閉店しましたが、せっかくの店が
無くなるのを惜しんで、関係者の方が元の店の調度品を受け継ぎ、
今の場所に開店しました。
お店はかなり小さくなりましたが、雰囲気もメニューもまったく同じです。
奥に小さな明かり窓があるのも昔の坪庭の名残でしょう。
神保町の「ラドリオ」の場合は店の面積をを半分にして営業を続けています。
長く続けることは個人経営のお店の場合は難しいことでしょうが、
喫茶店というのは一つの文化で、個性のある店は町の文化財です。
ぜひ、これからも「ルオー」を続けて欲しいものです。
キュウリ(多分)とゴーヤの葉です。
お店の人によれば、ゴーヤを植えてみたら、実が一つしか成らなかったそうです。

chariot
「喫茶ルオー」は本郷三丁目の交差点から本郷通りを北に進んだ、
東大正門の向かいにあります。
本郷を代表する、昔からの喫茶店で、カレーでも有名です。

そのセイロンカレーセット950円です。

肉は食べる前に自分でほぐしてかき混ぜる、消費者参加型のカレーです。
トロミもあって、懐かしいタイプの味です。
刻んだ福神漬けとスライスしたラッキョウも付いています。
大盛1100円、小盛850円もあります。
コーヒーはデミカップですが、ホットだとカレーの辛さが残った舌を刺激するので
アイスにしました。

以前は今より交差点寄りの所にありました。
昔むかし、この店に初めて行った時のことを良く覚えています。
大きな店で、奥行きも深く、しっかりした木のテーブルと、
コーヒーカップの形のくり抜きのある木の椅子が並び、
多くのお客さんがカレーライスを食べていました。

奥の方に坪庭(というより空き地)があって、小さな木も生えていました。
ちょうど新緑の季節で、木の葉の緑が強く印象に残っています。
東京にもこんなのんびりした、味わいのある店があるのかと驚きました。
私の喫茶店好きはこの時以来だったように思います。
「ルオー」は何かの事情があって閉店しましたが、せっかくの店が
無くなるのを惜しんで、関係者の方が元の店の調度品を受け継ぎ、
今の場所に開店しました。
お店はかなり小さくなりましたが、雰囲気もメニューもまったく同じです。
奥に小さな明かり窓があるのも昔の坪庭の名残でしょう。
神保町の「ラドリオ」の場合は店の面積をを半分にして営業を続けています。
長く続けることは個人経営のお店の場合は難しいことでしょうが、
喫茶店というのは一つの文化で、個性のある店は町の文化財です。
ぜひ、これからも「ルオー」を続けて欲しいものです。
キュウリ(多分)とゴーヤの葉です。
お店の人によれば、ゴーヤを植えてみたら、実が一つしか成らなかったそうです。

上野
上野アトレ1階にある「ハードロックカフェ上野駅 東京」に行ってきました。

ロンドン生まれながらアメリカンスタイルのお店の店内はロックで一杯、
壁一面にエレキギターや写真やレコード盤が飾られ、TVが何台も
吊ってあって、ロックのビデオを流して雰囲気を盛り上げています。
でも、思ったほどうるさくはありません。
床は板張り、ドアノブはやたら頑丈そう、椅子のクッションも鋲で留めてあります。
このゴテゴテしいところが、いかにもアメリカンです。



当然、スタッフも明るくて、元気です。
お店の写真を撮っていいか訊ねたら、「ご一緒にお撮りしましょうか」と訊かれたので、
丁重に辞退しました。
日本に8店舗の支店がありますが、上野駅店だけは駅ビルの中ということで
朝7時から開いていて、モーニングセットもあります。
ホットドッグとコーヒーセット680円です。

かなりの大きさで、ソーセージはパンからはみ出しています。
味はあっさりしていて、食べやすいです。
コーヒーはソフトな味です。
ケチャップとマスタードは好みによって、自分で付けます。
ケチャップも気分を出して、カゴメではなくHeinzです。
他に、フレンチサラダ780円、ベーコンエッグ880円など、幾つかセットがありますが、
どれもボリュームがありそうです。

たっぷりのモーニングセットとロックミュージックで、朝からガッツの湧いてくるお店です。

chariot
上野アトレ1階にある「ハードロックカフェ上野駅 東京」に行ってきました。

ロンドン生まれながらアメリカンスタイルのお店の店内はロックで一杯、
壁一面にエレキギターや写真やレコード盤が飾られ、TVが何台も
吊ってあって、ロックのビデオを流して雰囲気を盛り上げています。
でも、思ったほどうるさくはありません。
床は板張り、ドアノブはやたら頑丈そう、椅子のクッションも鋲で留めてあります。
このゴテゴテしいところが、いかにもアメリカンです。



当然、スタッフも明るくて、元気です。
お店の写真を撮っていいか訊ねたら、「ご一緒にお撮りしましょうか」と訊かれたので、
丁重に辞退しました。
日本に8店舗の支店がありますが、上野駅店だけは駅ビルの中ということで
朝7時から開いていて、モーニングセットもあります。
ホットドッグとコーヒーセット680円です。

かなりの大きさで、ソーセージはパンからはみ出しています。
味はあっさりしていて、食べやすいです。
コーヒーはソフトな味です。
ケチャップとマスタードは好みによって、自分で付けます。
ケチャップも気分を出して、カゴメではなくHeinzです。
他に、フレンチサラダ780円、ベーコンエッグ880円など、幾つかセットがありますが、
どれもボリュームがありそうです。

たっぷりのモーニングセットとロックミュージックで、朝からガッツの湧いてくるお店です。

日比谷 有楽町
出光美術館では9月6日から10月26日まで、所蔵品による、「近代日本の巨匠たち」
というテーマの展覧会が開かれています。
出光美術館は小杉放菴(こすぎほうあん)の作品を多く所蔵しており、
今回も何点か展示されています。
小杉放菴は明治から昭和に掛けての洋画家、のちに日本画家で、
洋画家時代は未醒の号で有名です。
放菴も、はじめは放庵と書いていました。
飄々とした画風が特徴で、特に水墨画にそれが表れています。
子供たちに混じって、無心で楽しげに遊ぶ良寛さんの絵でよく知られています。
安田鞍彦の描く良寛が、膝の上に紅い手まりを載せながら、墨染めの衣姿で、
厳しい表情で端座しているのと対照的です。
これは二人の個性のそれぞれの表れでしょう。
今回の展示では1931年作の「さんたくろす」に惹かれました。
サンタクロースが雪の森を歩いているのですが、顔は中国の仙人のようで、
腰は曲がり、長い杖を突いています。
なんともユーモラスな絵です。
しかし、丘になった森のはずれに立つ人物と、ふもとに人家がある構図は、
ブリューゲルの有名な「雪中の狩人」を左右逆にしたものと同じです。
洋画と水墨画を自由に溶け合わせ、題も「さんたくろす」と、
ひら仮名で付けるという自在さは小杉放菴独特のものですが、
日本絵画の近代化にはこんな方向もあった訳です。
同じ時期には佐伯祐三が西洋と日本の間で苦悩しながら、
深刻な雰囲気の「踏切」を描いていたことを併せて思います。
chariot
出光美術館では9月6日から10月26日まで、所蔵品による、「近代日本の巨匠たち」
というテーマの展覧会が開かれています。
出光美術館は小杉放菴(こすぎほうあん)の作品を多く所蔵しており、
今回も何点か展示されています。
小杉放菴は明治から昭和に掛けての洋画家、のちに日本画家で、
洋画家時代は未醒の号で有名です。
放菴も、はじめは放庵と書いていました。
飄々とした画風が特徴で、特に水墨画にそれが表れています。
子供たちに混じって、無心で楽しげに遊ぶ良寛さんの絵でよく知られています。
安田鞍彦の描く良寛が、膝の上に紅い手まりを載せながら、墨染めの衣姿で、
厳しい表情で端座しているのと対照的です。
これは二人の個性のそれぞれの表れでしょう。
今回の展示では1931年作の「さんたくろす」に惹かれました。
サンタクロースが雪の森を歩いているのですが、顔は中国の仙人のようで、
腰は曲がり、長い杖を突いています。
なんともユーモラスな絵です。
しかし、丘になった森のはずれに立つ人物と、ふもとに人家がある構図は、
ブリューゲルの有名な「雪中の狩人」を左右逆にしたものと同じです。
洋画と水墨画を自由に溶け合わせ、題も「さんたくろす」と、
ひら仮名で付けるという自在さは小杉放菴独特のものですが、
日本絵画の近代化にはこんな方向もあった訳です。
同じ時期には佐伯祐三が西洋と日本の間で苦悩しながら、
深刻な雰囲気の「踏切」を描いていたことを併せて思います。
日比谷 有楽町
出光美術館では9月6日から10月26日まで、所蔵品による、「近代日本の巨匠たち」
というテーマの展覧会が開かれています。
佐伯祐三の作品も一点展示されています。
1926年作の「踏切」です。
佐伯は1924年にパリに渡航し、健康を害して26年に一旦帰国した後、
27年に再度渡航し、28年にそのまま客死しています。
「踏切」は一時帰国した時に描いたものです。
手前に踏切と番小屋と木造の建物、、奥には鉄道の土手が横切り、
踏切を渡った道は土手をくぐっています。
空は重苦しく曇り、鉄塔や電柱がとげとげしく立ってる、寒々とした風景です。
佐伯の最初の渡航時にヴラマンクを訪ね、自作を見せたところ、
「このアカデミック!」と一喝された話は有名です。
佐伯がそれまで日本で学んできた洋画は、古典的で独創性に欠ける、
すでに時代遅れになりかかっていた代物だった訳です。
その後、何度もヴラマンクを訪れ、作風も影響を受けたようです。
たしかに、この絵にはヴラマンクと同じく、つかみ掛かるような迫力と
暗い緊張感があります。
佐伯は一時国した日本でも絵を描いていますが、自分がパリで得た作風と
日本の風景が合わないことに苦しんだといいます。
たしかに、当時の爛熟したパリと、仮普請のような発展途上の東京では
景色や味わいが違いすぎたでしょう。
そうではありますが、「踏切」は構図も面白く、関東大震災と世界大恐慌の
間という時代の雰囲気、佐伯自身の不安、焦燥が表われていて、
興味深い絵だと思います。
その4で小杉放菴について書いてみます。
chariot
出光美術館では9月6日から10月26日まで、所蔵品による、「近代日本の巨匠たち」
というテーマの展覧会が開かれています。
佐伯祐三の作品も一点展示されています。
1926年作の「踏切」です。
佐伯は1924年にパリに渡航し、健康を害して26年に一旦帰国した後、
27年に再度渡航し、28年にそのまま客死しています。
「踏切」は一時帰国した時に描いたものです。
手前に踏切と番小屋と木造の建物、、奥には鉄道の土手が横切り、
踏切を渡った道は土手をくぐっています。
空は重苦しく曇り、鉄塔や電柱がとげとげしく立ってる、寒々とした風景です。
佐伯の最初の渡航時にヴラマンクを訪ね、自作を見せたところ、
「このアカデミック!」と一喝された話は有名です。
佐伯がそれまで日本で学んできた洋画は、古典的で独創性に欠ける、
すでに時代遅れになりかかっていた代物だった訳です。
その後、何度もヴラマンクを訪れ、作風も影響を受けたようです。
たしかに、この絵にはヴラマンクと同じく、つかみ掛かるような迫力と
暗い緊張感があります。
佐伯は一時国した日本でも絵を描いていますが、自分がパリで得た作風と
日本の風景が合わないことに苦しんだといいます。
たしかに、当時の爛熟したパリと、仮普請のような発展途上の東京では
景色や味わいが違いすぎたでしょう。
そうではありますが、「踏切」は構図も面白く、関東大震災と世界大恐慌の
間という時代の雰囲気、佐伯自身の不安、焦燥が表われていて、
興味深い絵だと思います。
その4で小杉放菴について書いてみます。
上野
JR上野駅のアトレ1階にブラッスリー・レカン・キャフェスペースがあります。
上野駅正面玄関口から入って、右側の奥まった所です。

紅いレカン色の壁が見えます。


「ブラッスリー・レカン」は有名な銀座のフランス料理の「レカン」が
上野アトレに出した姉妹店です。
「キャフェスペース」はその「ブラッスリー・レカン」の入口横にある、
ごく小さなカフェです。
「レカン」の姪というわけで、フランス語だとnièce(何と発音するのでしょうか)
らしいです。
シックな店内装飾です。

年中無休で11:30から23:00まで開いています。
シート席は数人分しかなく、他は背の高いスツールです。
クロックムッシュとコーヒーセット700円です。


コーヒーはフレンチです。
チーズがとろりとしていて、とても美味しいです。
ピクルスも付いています。
のんびりする所ではなく、軽く食べたり、一休みするのに適当なお店です。
chariot
JR上野駅のアトレ1階にブラッスリー・レカン・キャフェスペースがあります。
上野駅正面玄関口から入って、右側の奥まった所です。

紅いレカン色の壁が見えます。


「ブラッスリー・レカン」は有名な銀座のフランス料理の「レカン」が
上野アトレに出した姉妹店です。
「キャフェスペース」はその「ブラッスリー・レカン」の入口横にある、
ごく小さなカフェです。
「レカン」の姪というわけで、フランス語だとnièce(何と発音するのでしょうか)
らしいです。
シックな店内装飾です。

年中無休で11:30から23:00まで開いています。
シート席は数人分しかなく、他は背の高いスツールです。
クロックムッシュとコーヒーセット700円です。


コーヒーはフレンチです。
チーズがとろりとしていて、とても美味しいです。
ピクルスも付いています。
のんびりする所ではなく、軽く食べたり、一休みするのに適当なお店です。
日比谷 有楽町
出光美術館では9月6日から10月26日まで、所蔵品による、「近代日本の巨匠たち」
というテーマの展覧会が開かれています。
出光美術館は陶芸家の板谷波山(1872~1963)の作品を多く所蔵しているので、
今回も何点か展示されています。
板谷波山は長く東京の田端で製作をしていた人で、号の波山(はざん)は
故郷茨城県の筑波山に由来しています。
田端の台地からなら日々、筑波山を眺めることが出来たことでしょう。
板谷波山は陶芸家として最初の文化勲章の受章者で、葆光釉(ほこうゆう)
といわれる技法で有名です。
薄いヴェールのような釉薬を掛けた、端正で優美な作品は、まるで光が
作品の中に閉じ込められているようで、ガラス工芸ではないのかと思わせます。
そして、絵柄はとても大胆で、しかも細密です。
最後にはかまどの火に任せるしかない陶磁器でこのような完璧な作品を
造り上げる技には驚くばかりです。
完全主義者の板谷波山は器作りは専門のろくろ師を使っていたそうです。
焼き上がった作品に少しでも瑕があると容赦なく毀してしまい、親交のあった
出光佐三は無理を言って、幾つかを毀されないうちに引き取ったとのことです。
美術館に所蔵されている作品の内の何点かは、こうしてサルベージされた
物かもしれません。
私は備前焼や常滑焼のような火の技が見える焼物が好きで、曜変天目や
木の葉天目のような偶然のした仕事を面白いと思うので、陶磁器に
玉(ぎょく)の完璧さを追求する板谷波山の気迫には圧倒されます。
その3で佐伯祐三について書いてみます。
chariot
出光美術館では9月6日から10月26日まで、所蔵品による、「近代日本の巨匠たち」
というテーマの展覧会が開かれています。
出光美術館は陶芸家の板谷波山(1872~1963)の作品を多く所蔵しているので、
今回も何点か展示されています。
板谷波山は長く東京の田端で製作をしていた人で、号の波山(はざん)は
故郷茨城県の筑波山に由来しています。
田端の台地からなら日々、筑波山を眺めることが出来たことでしょう。
板谷波山は陶芸家として最初の文化勲章の受章者で、葆光釉(ほこうゆう)
といわれる技法で有名です。
薄いヴェールのような釉薬を掛けた、端正で優美な作品は、まるで光が
作品の中に閉じ込められているようで、ガラス工芸ではないのかと思わせます。
そして、絵柄はとても大胆で、しかも細密です。
最後にはかまどの火に任せるしかない陶磁器でこのような完璧な作品を
造り上げる技には驚くばかりです。
完全主義者の板谷波山は器作りは専門のろくろ師を使っていたそうです。
焼き上がった作品に少しでも瑕があると容赦なく毀してしまい、親交のあった
出光佐三は無理を言って、幾つかを毀されないうちに引き取ったとのことです。
美術館に所蔵されている作品の内の何点かは、こうしてサルベージされた
物かもしれません。
私は備前焼や常滑焼のような火の技が見える焼物が好きで、曜変天目や
木の葉天目のような偶然のした仕事を面白いと思うので、陶磁器に
玉(ぎょく)の完璧さを追求する板谷波山の気迫には圧倒されます。
その3で佐伯祐三について書いてみます。
日比谷 有楽町
日比谷の出光美術館に行ってきました。
こちらは出光興産の創業者である出光佐三のコレクションを展示するための美術館で、
地下鉄日比谷駅、JR有楽町駅近くの帝劇ビルの9階です。

谷口吉郎の設計した館内は数奇屋風で、お茶室も作ってあります。
ロビーのソファーに座って、皇居の景色を眺めながら、セルフサービスの
お茶を飲むことも出来ます。


9月6日から10月26日まで、所蔵品による、「近代日本の巨匠たち」というテーマの
展覧会が開かれています。
期間中、学芸員による解説のある日が数日設けられています。
解説の日程は9月25日(木)、10月9日(木)、23日(木)の午前10時30分からと
9月26日(金)、10月10日(金)、24日(金)の午後6時からです。
上村松園(1875~1949)の「灯(ともしび)」が展示されていました。
初公開とのことです。
1937年の作品で、江戸時代の女性が手燭を持って、
右の袖で風を防いでいる図です。
上村松園の特徴の一つは、きめ細かく、丸みのある色彩で、一目見て
松園の作品と分かります。
師匠の竹内栖鳳は、松園の磨った墨はきめが細かくて描き心地が良い、
と感心していたということですが、松園の特質をよく表した話だといえます。
また、ていねいに生え際まで描き込まれた髪、べっ甲の櫛かんざしの
透き通った感じなど、いかにも上村松園ならではの描き振りです。
眉を落とし、口許にはかすかにお歯黒が見えますが、これは既婚者のしるしです。
上村松園の女性像の幾つかは、自分が画家として大成するのを扶けてくれた
母を追慕して描いたもので、この作品もその一つとのことです。
ふっくらとしながらも凛とした表情は、松園の描く理想の女性像です。
上村松園の美人画は、系譜としては江戸時代の浮世絵に連なりますが、
眉を落とし、お歯黒をしていても、その表情に古さを感じません。
それは、作者自身が近代という時代の人間の表情を作品を通して造ってきた
一人だからでしょう。
その2で、板谷波山について書いてみます。
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日比谷の出光美術館に行ってきました。
こちらは出光興産の創業者である出光佐三のコレクションを展示するための美術館で、
地下鉄日比谷駅、JR有楽町駅近くの帝劇ビルの9階です。

谷口吉郎の設計した館内は数奇屋風で、お茶室も作ってあります。
ロビーのソファーに座って、皇居の景色を眺めながら、セルフサービスの
お茶を飲むことも出来ます。


9月6日から10月26日まで、所蔵品による、「近代日本の巨匠たち」というテーマの
展覧会が開かれています。
期間中、学芸員による解説のある日が数日設けられています。
解説の日程は9月25日(木)、10月9日(木)、23日(木)の午前10時30分からと
9月26日(金)、10月10日(金)、24日(金)の午後6時からです。
上村松園(1875~1949)の「灯(ともしび)」が展示されていました。
初公開とのことです。
1937年の作品で、江戸時代の女性が手燭を持って、
右の袖で風を防いでいる図です。
上村松園の特徴の一つは、きめ細かく、丸みのある色彩で、一目見て
松園の作品と分かります。
師匠の竹内栖鳳は、松園の磨った墨はきめが細かくて描き心地が良い、
と感心していたということですが、松園の特質をよく表した話だといえます。
また、ていねいに生え際まで描き込まれた髪、べっ甲の櫛かんざしの
透き通った感じなど、いかにも上村松園ならではの描き振りです。
眉を落とし、口許にはかすかにお歯黒が見えますが、これは既婚者のしるしです。
上村松園の女性像の幾つかは、自分が画家として大成するのを扶けてくれた
母を追慕して描いたもので、この作品もその一つとのことです。
ふっくらとしながらも凛とした表情は、松園の描く理想の女性像です。
上村松園の美人画は、系譜としては江戸時代の浮世絵に連なりますが、
眉を落とし、お歯黒をしていても、その表情に古さを感じません。
それは、作者自身が近代という時代の人間の表情を作品を通して造ってきた
一人だからでしょう。
その2で、板谷波山について書いてみます。
上野御徒町 湯島
湯島の美味しいフランス菓子屋さんで、2月にマカロンのことを紹介した
「ロワゾー・ド・リヨン(L'oiseau de Lyon)」が改装されました。
2階には喫茶室もできました。
「サロン・ド・テ」(Salon de thé)というそうです。



お店は午前10時から午後9時までですが、喫茶室は午前11時から午後7時までです。
お菓子やパンは1階で注文して、小さなエスカルゴ(螺旋)階段で2階に上がります。

全席禁煙の喫茶室は30席ほどで、すっきりした印象です。
シートの色はお店のテーマカラーのリヨンの鳥(ロワゾー・ド・リヨン)の胸の色です。
BGMは予想していた通り、シャンソンでした。
シャンソンを流す店というのは最近珍しいです。
マスターのフランスへの思い入れでしょう。
コーヒー580円とお菓子470円です。

これはキャラメルといって、キャラメルで作った蝶を飾ったお菓子です。
丸く並んでいるのはヘーゼルナッツです。
タルト生地、ムース、ナッツ、キャラメルの食感をそれぞれ楽しめます。
コーヒーはフレンチでなく、イタリアンでした。
甘くて味の濃いお菓子によく合います。

カップもすっきりしたデザインの「d'ANCAP」というイタリア製です。
dは小文字です。
紅茶も各種あって、こちらは華やかなカップに入ってきます。
厨房は3階とのことですが、2階にお菓子の講習会用の厨房もあります。
3階と2階では作品の出来がかなり違いそうです。
生菓子は持ち帰るのに気を使いますが、ここなら
お茶と一緒にのんびり味わうことが出来ます。
お店のHPです。
chariot
湯島の美味しいフランス菓子屋さんで、2月にマカロンのことを紹介した
「ロワゾー・ド・リヨン(L'oiseau de Lyon)」が改装されました。
2階には喫茶室もできました。
「サロン・ド・テ」(Salon de thé)というそうです。



お店は午前10時から午後9時までですが、喫茶室は午前11時から午後7時までです。
お菓子やパンは1階で注文して、小さなエスカルゴ(螺旋)階段で2階に上がります。

全席禁煙の喫茶室は30席ほどで、すっきりした印象です。
シートの色はお店のテーマカラーのリヨンの鳥(ロワゾー・ド・リヨン)の胸の色です。
BGMは予想していた通り、シャンソンでした。
シャンソンを流す店というのは最近珍しいです。
マスターのフランスへの思い入れでしょう。
コーヒー580円とお菓子470円です。

これはキャラメルといって、キャラメルで作った蝶を飾ったお菓子です。
丸く並んでいるのはヘーゼルナッツです。
タルト生地、ムース、ナッツ、キャラメルの食感をそれぞれ楽しめます。
コーヒーはフレンチでなく、イタリアンでした。
甘くて味の濃いお菓子によく合います。

カップもすっきりしたデザインの「d'ANCAP」というイタリア製です。
dは小文字です。
紅茶も各種あって、こちらは華やかなカップに入ってきます。
厨房は3階とのことですが、2階にお菓子の講習会用の厨房もあります。
3階と2階では作品の出来がかなり違いそうです。
生菓子は持ち帰るのに気を使いますが、ここなら
お茶と一緒にのんびり味わうことが出来ます。
お店のHPです。
御茶ノ水
JR御茶ノ水駅聖橋口を出て、通りを右側に行ってすぐの所に喫茶店「穂高」はあります。

昔からのお店ですが、以前の雰囲気を残したまま改装されました。

山小屋風の板の外壁、こげ茶色の板張りの床、天井、ソファはモスグリーンです。
ピンク電話も置いてあります。
窓際の席は神田川に面していて、御茶ノ水駅が見下ろせますが、
窓の外のフェンスに蔦が繁っている季節は見通しが悪くなります。

BGMはありません。
季節の良い時はドアと窓を開けてあるので、
代わりは窓の外の神田川から湧いてくる蝉の声です。
コーヒー370円とトースト230円です。


モーニングタイムはコーヒー420円が370円になります。
コーヒーはやや酸味のある味です。
写真を撮っていいか、店員さんに訊いたら、
「きれいに撮ってくださいね」と頼まれました。
小柄で銀髪、黒縁めがねのマスターはカウンターの向こうでコーヒーを淹れたり、
店内に目を配ったりしています。
お客さんが一人、他のお客さんと、古代ギリシャ語について話していました。
御茶ノ水の喫茶店ならではの会話です。
新田次郎の色紙が飾ってあります。
こんな字並びです。
穂高岳わがふるさと
の山々に心おきなく
ものをいうなり
新田次郎
新田次郎は長野県生まれですから、穂高岳をふるさとと詠っています。
私がお店に行った8月9日に、富士山に初冠雪があったそうで、これは
1914年に観測を始めて以来、一番早い記録とのことです。
新田次郎の最初の勤務先は富士山観測所でした。
chariot
JR御茶ノ水駅聖橋口を出て、通りを右側に行ってすぐの所に喫茶店「穂高」はあります。

昔からのお店ですが、以前の雰囲気を残したまま改装されました。

山小屋風の板の外壁、こげ茶色の板張りの床、天井、ソファはモスグリーンです。
ピンク電話も置いてあります。
窓際の席は神田川に面していて、御茶ノ水駅が見下ろせますが、
窓の外のフェンスに蔦が繁っている季節は見通しが悪くなります。

BGMはありません。
季節の良い時はドアと窓を開けてあるので、
代わりは窓の外の神田川から湧いてくる蝉の声です。
コーヒー370円とトースト230円です。


モーニングタイムはコーヒー420円が370円になります。
コーヒーはやや酸味のある味です。
写真を撮っていいか、店員さんに訊いたら、
「きれいに撮ってくださいね」と頼まれました。
小柄で銀髪、黒縁めがねのマスターはカウンターの向こうでコーヒーを淹れたり、
店内に目を配ったりしています。
お客さんが一人、他のお客さんと、古代ギリシャ語について話していました。
御茶ノ水の喫茶店ならではの会話です。
新田次郎の色紙が飾ってあります。
こんな字並びです。
穂高岳わがふるさと
の山々に心おきなく
ものをいうなり
新田次郎
新田次郎は長野県生まれですから、穂高岳をふるさとと詠っています。
私がお店に行った8月9日に、富士山に初冠雪があったそうで、これは
1914年に観測を始めて以来、一番早い記録とのことです。
新田次郎の最初の勤務先は富士山観測所でした。