浅草
「ギャラリー・エフ」は吾妻橋交差点から江戸通りを南に少し行った右側にあります。
場所は台東区雷門2-19-18です。


ギャラリーのあるカフェで、お店は14年前に開店したそうです。
40年ほど前の古い建物を改装したという店内は、木製のテーブル、椅子が並び、
温かみのある感じになっています。
夜はバーになります。
元日の朝で、私は今年最初のお客さんでした。



BGMは現代音楽風だったり、ポップスだったり、いろいろ混じっていました。
ケーキセット750円です。

コーヒーはソフトな味で美味しいです。
かぼちゃのチーズケーキは甘さも控えめで、手作りの味がします。
昼からお酒もあって、ワインを注文したお客さんにはサービスでおせちが
出されていました。
お店の奥が土蔵になっていて、現在はギャラリーとして使われています。
隅田川に面した材木屋さんが内蔵として慶応4年(1868)に建てたもので、
厚さ30cmの土壁は関東大震災、東京大空襲にも耐えたそうです。
1996年に取り壊し寸前だったところ有志によって再生され、ギャラリーとして
使われるようになったとのことです。
中を見せてもらいましたが、がっしりした構造で、暗い中に吹き抜けの空間が
上に高く広がっていました。
土蔵の解説カードです。


とても個性的なお店で、お陰で浅草散策の楽しみが増えました。
chariot
「ギャラリー・エフ」は吾妻橋交差点から江戸通りを南に少し行った右側にあります。
場所は台東区雷門2-19-18です。


ギャラリーのあるカフェで、お店は14年前に開店したそうです。
40年ほど前の古い建物を改装したという店内は、木製のテーブル、椅子が並び、
温かみのある感じになっています。
夜はバーになります。
元日の朝で、私は今年最初のお客さんでした。



BGMは現代音楽風だったり、ポップスだったり、いろいろ混じっていました。
ケーキセット750円です。

コーヒーはソフトな味で美味しいです。
かぼちゃのチーズケーキは甘さも控えめで、手作りの味がします。
昼からお酒もあって、ワインを注文したお客さんにはサービスでおせちが
出されていました。
お店の奥が土蔵になっていて、現在はギャラリーとして使われています。
隅田川に面した材木屋さんが内蔵として慶応4年(1868)に建てたもので、
厚さ30cmの土壁は関東大震災、東京大空襲にも耐えたそうです。
1996年に取り壊し寸前だったところ有志によって再生され、ギャラリーとして
使われるようになったとのことです。
中を見せてもらいましたが、がっしりした構造で、暗い中に吹き抜けの空間が
上に高く広がっていました。
土蔵の解説カードです。


とても個性的なお店で、お陰で浅草散策の楽しみが増えました。
上野
上野の東京国立博物館で開かれている新年恒例の「博物館に初もうで」に行って
きました。


恒例の真生流のいけばなです。

館内も新春らしく華やかです。


今年は本館のリニューアル記念として、所蔵品のうちの名品を選んで特別公開
されています。
期間は1月16日までです。
今までの「平常展」も「総合文化展」に名前が変わります。

「古今和歌集(元永本)」 平安時代(12世紀) 国宝

古今和歌集の全巻の揃っている最古の品とのことです。
金銀箔を撒いた優美で豪華な料紙に和歌がかな書きされています。
右から巻第一春歌上四番、二条后の歌で
ゆきのうちにはるはきにけりうぐひすのこほれるなみだいまやとくらむ
五番 読人不知
うめがえにきゐるうぐひすはるかけてなけどもいまだゆきはふりつつ
六番 素性法師
はるたてば花とやみらむしらゆきのかかれるえだにうぐひすぞなく
「佐竹本三十六歌仙絵巻断簡(忠峯)」 鎌倉時代(13世紀) 重要文化財

壬生忠峯の歌です。
はるたつといふはかりにやみよしのの やまもかすみてけさは見ゆらん
「時代不同歌合絵」 鎌倉時代(14世紀) 重要文化財

時代不同歌合は時代の異なる100人の歌人による歌合です。
承久の乱のため流された隠岐で、後鳥羽上皇により撰ばれています。
歌合絵の人物は白描で描かれていて、小野小町の部分です。
はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに
「秋冬山水図」 雪舟等楊 室町時代(15世紀末~16世紀初) 国宝

漢画特有のくっきりした描き方で、近くの岩や遠くの山は平面を前後に並べた
ように見えます。
「檜図屏風」 狩野永徳 安土桃山時代(16世紀) 国宝

狩野永徳晩年の作で、桃山らしい豪快な筆捌きでぐいぐい描いてあります。
元は八条宮家の襖絵ということで、引き手の跡がうっすらと残っています。
お公家さんの雅びとはかなり趣きが異なりますが、この頃は宮家もこのような
画風を喜んだのでしょうか。
「羅浮仙図」 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀) 重要美術品

羅浮仙は美女の姿をした梅の精です。
岩佐又兵衛特有の下ぶくれの顔立ちで、すっくと立っています。
「風神雷神図屏風」 尾形光琳 江戸時代(18世紀) 重要文化財

俵屋宗達の「風神雷神図」の写しです。
宗達と比べると、構図の取り方がおとなしくまとまっていることが分かります。
「松梅群鶏図屏風」 伊藤若冲 江戸時代(18世紀)

鶏の爪先、尾の端まで力がみなぎっています。
「冨嶽三十六景」 葛飾北斎 江戸時代(19世紀)
全46枚のうち、22枚が展示されています。
「東都浅草本願寺」

今の東本願寺派本山の東本願寺から見た正月の富士山です。
「礫川雪ノ旦」

雪の日の礫川(小石川)からの富士の眺めです。
今の春日通りあたりでしょうか。
富士山も麓まで雪を被っています。
1階の12室は漆工、13室は金工・刀剣・陶磁の展示室になります。
現在の展示品は3月13日までです。
「舟橋蒔絵硯箱」 本阿弥光悦 江戸時代(17世紀) 国宝

何とも大胆なデザインの硯箱です。
鉛の板で、舟橋の橋板を表しています。
表面に散らされている文字は後撰和歌集の源等の歌です。
「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」を元に、
「東路乃 さ乃ゝ かけて濃三 思 わたる を知人そ なき」と書かれ、
「舟橋」の字を抜いています。
「色絵月梅図茶壺」 野々村仁清 江戸時代(17世紀) 重要文化財

ふっくらとした姿で、梅の赤や金泥が白地に映えてあでやかです。
「銹絵山水図水指」 野々村仁清 江戸時代(17世紀)

仁清というと華やかな絵柄を思いますが、こちらは落着いた水墨画風です。
関東大震災で壊れたのを修復したそうです。
また本館では、今年の干支(えと)の兎にちなんだ作品が展示されています。
期間は1月30日までです。
「染付双兎図大皿」 伊万里 江戸時代(19世紀)

パンフレットに使われています。
一面の水葵の中にレリーフで兎を浮き出させるという、豪華なお皿です。
愛嬌のある表情をしています。
「金茶糸素懸威波頭形兜」 江戸時代(17世紀)

波頭をデザインした兜で、両側に立っている物は兎の耳を表しています。
波と兎の組み合わせは一つの様式になっています。
「肩衣 黒麻地波兎牡丹唐草州浜笹模様」 江戸時代(19世紀)

狂言の衣装です。
波に図案化された兎の模様と牡丹唐草模様を並べ、州浜に笹を配しています。
こちらも波と兎の組み合わせです。
「兎桔梗図」 俵屋宗達 江戸時代(17世紀)

桔梗の咲く野で兎が月を見ています。
柔らかな筆遣いで、兎の見上げる先に月を思わせ、しんみりとした秋の風情が
感じられます。
月と兎もよく見られる構図です。
宣伝にある通り特別展並みの豪華な展示で、とても見応えのある展覧会でした。
私の行ったのは2日でしたが、お昼ごろにはかなりの来館者が詰めかけていました。
chariot
上野の東京国立博物館で開かれている新年恒例の「博物館に初もうで」に行って
きました。


恒例の真生流のいけばなです。

館内も新春らしく華やかです。


今年は本館のリニューアル記念として、所蔵品のうちの名品を選んで特別公開
されています。
期間は1月16日までです。
今までの「平常展」も「総合文化展」に名前が変わります。

「古今和歌集(元永本)」 平安時代(12世紀) 国宝

古今和歌集の全巻の揃っている最古の品とのことです。
金銀箔を撒いた優美で豪華な料紙に和歌がかな書きされています。
右から巻第一春歌上四番、二条后の歌で
ゆきのうちにはるはきにけりうぐひすのこほれるなみだいまやとくらむ
五番 読人不知
うめがえにきゐるうぐひすはるかけてなけどもいまだゆきはふりつつ
六番 素性法師
はるたてば花とやみらむしらゆきのかかれるえだにうぐひすぞなく
「佐竹本三十六歌仙絵巻断簡(忠峯)」 鎌倉時代(13世紀) 重要文化財

壬生忠峯の歌です。
はるたつといふはかりにやみよしのの やまもかすみてけさは見ゆらん
「時代不同歌合絵」 鎌倉時代(14世紀) 重要文化財

時代不同歌合は時代の異なる100人の歌人による歌合です。
承久の乱のため流された隠岐で、後鳥羽上皇により撰ばれています。
歌合絵の人物は白描で描かれていて、小野小町の部分です。
はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに
「秋冬山水図」 雪舟等楊 室町時代(15世紀末~16世紀初) 国宝

漢画特有のくっきりした描き方で、近くの岩や遠くの山は平面を前後に並べた
ように見えます。
「檜図屏風」 狩野永徳 安土桃山時代(16世紀) 国宝

狩野永徳晩年の作で、桃山らしい豪快な筆捌きでぐいぐい描いてあります。
元は八条宮家の襖絵ということで、引き手の跡がうっすらと残っています。
お公家さんの雅びとはかなり趣きが異なりますが、この頃は宮家もこのような
画風を喜んだのでしょうか。
「羅浮仙図」 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀) 重要美術品

羅浮仙は美女の姿をした梅の精です。
岩佐又兵衛特有の下ぶくれの顔立ちで、すっくと立っています。
「風神雷神図屏風」 尾形光琳 江戸時代(18世紀) 重要文化財

俵屋宗達の「風神雷神図」の写しです。
宗達と比べると、構図の取り方がおとなしくまとまっていることが分かります。
「松梅群鶏図屏風」 伊藤若冲 江戸時代(18世紀)

鶏の爪先、尾の端まで力がみなぎっています。
「冨嶽三十六景」 葛飾北斎 江戸時代(19世紀)
全46枚のうち、22枚が展示されています。
「東都浅草本願寺」

今の東本願寺派本山の東本願寺から見た正月の富士山です。
「礫川雪ノ旦」

雪の日の礫川(小石川)からの富士の眺めです。
今の春日通りあたりでしょうか。
富士山も麓まで雪を被っています。
1階の12室は漆工、13室は金工・刀剣・陶磁の展示室になります。
現在の展示品は3月13日までです。
「舟橋蒔絵硯箱」 本阿弥光悦 江戸時代(17世紀) 国宝

何とも大胆なデザインの硯箱です。
鉛の板で、舟橋の橋板を表しています。
表面に散らされている文字は後撰和歌集の源等の歌です。
「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」を元に、
「東路乃 さ乃ゝ かけて濃三 思 わたる を知人そ なき」と書かれ、
「舟橋」の字を抜いています。
「色絵月梅図茶壺」 野々村仁清 江戸時代(17世紀) 重要文化財

ふっくらとした姿で、梅の赤や金泥が白地に映えてあでやかです。
「銹絵山水図水指」 野々村仁清 江戸時代(17世紀)

仁清というと華やかな絵柄を思いますが、こちらは落着いた水墨画風です。
関東大震災で壊れたのを修復したそうです。
また本館では、今年の干支(えと)の兎にちなんだ作品が展示されています。
期間は1月30日までです。
「染付双兎図大皿」 伊万里 江戸時代(19世紀)

パンフレットに使われています。
一面の水葵の中にレリーフで兎を浮き出させるという、豪華なお皿です。
愛嬌のある表情をしています。
「金茶糸素懸威波頭形兜」 江戸時代(17世紀)

波頭をデザインした兜で、両側に立っている物は兎の耳を表しています。
波と兎の組み合わせは一つの様式になっています。
「肩衣 黒麻地波兎牡丹唐草州浜笹模様」 江戸時代(19世紀)

狂言の衣装です。
波に図案化された兎の模様と牡丹唐草模様を並べ、州浜に笹を配しています。
こちらも波と兎の組み合わせです。
「兎桔梗図」 俵屋宗達 江戸時代(17世紀)

桔梗の咲く野で兎が月を見ています。
柔らかな筆遣いで、兎の見上げる先に月を思わせ、しんみりとした秋の風情が
感じられます。
月と兎もよく見られる構図です。
宣伝にある通り特別展並みの豪華な展示で、とても見応えのある展覧会でした。
私の行ったのは2日でしたが、お昼ごろにはかなりの来館者が詰めかけていました。
目黒
東京都庭園美術館では1月16日まで、建物公開を行なっています。
今回は「朝香宮のグランドツアー」と題して、アール・デコ様式の朝香宮邸建設の
きっかけとなった、滞欧時の資料を展示したコーナーを設けています。




大広間です。







大客室です。




噴水塔です。

大食堂です。







ウインターガーデンです。

帰国時に持ち帰られた、ロイヤルコペンハーゲンのペンギンの置物です。
箱書は間違って「丁秣(デンマーク)國製陶器 三羽揃ペリカン」となっているそうです。







庭園にも灯が点きました。





前回の建物公開に行った時の記事はこちらです。
chariot
photo by taro
photo by taro
東京都庭園美術館では1月16日まで、建物公開を行なっています。
今回は「朝香宮のグランドツアー」と題して、アール・デコ様式の朝香宮邸建設の
きっかけとなった、滞欧時の資料を展示したコーナーを設けています。




大広間です。







大客室です。




噴水塔です。

大食堂です。







ウインターガーデンです。

帰国時に持ち帰られた、ロイヤルコペンハーゲンのペンギンの置物です。
箱書は間違って「丁秣(デンマーク)國製陶器 三羽揃ペリカン」となっているそうです。







庭園にも灯が点きました。





前回の建物公開に行った時の記事はこちらです。
大手町
三の丸尚蔵館で開かれている「近代の洋画家、創作の眼差し展」に行ってきました。
会期は2011年月10日(月)までで、現在は後期の展示です。

三の丸尚蔵館は皇居東御苑内にあり、皇居の大手門を入ってすぐの所です。
皇室の所有していた美術品類が平成元年に国に寄贈されたのを機に設立
されています。
入館は無料です。
大手門です。

お堀には白鳥やユリカモメがいます。

大手門を入ります。

三の丸尚蔵館です。

神社建築風です。

この展覧会では、明治から昭和初期にかけての洋画、32点が前期、後期に分けて
展示されています。
「栗子山隧道図」 高橋由一(1828~1894) 明治14年(1881) 後期展示

パンフレットからの画像なので、折り目が付いています。
福島県令時代の三島通庸の敷設した福島県福島市と山形県米沢市を結ぶ馬車道に
あるトンネルです。
大変な難工事でしたが、当時日本最長のトンネルとして完成しています。
三島通庸は自分の建設した建物や工事の絵をよく高橋由一に描かせています。
覆いかぶさるような山塊の量感が良く表されています。
明治14年の隧道開通式に主席された明治天皇が行在所でこの絵をご覧になり、
その場で買い上げられたそうです。
「ベルサリエーレの歩哨」 松岡寿(1862~1944)
明治20年(1887) 後期展示

ベルサリエーレとはイタリアの歩兵隊のことで、帽子の羽飾りに特徴があります。
イタリア王国の草創期にフランス軍の占領していたローマに最初に入城した部隊で、
イタリア愛国精神の精神的象徴とされているとのことです。
松岡寿のイタリア留学中に明治天皇の命で制作されたとのことで、アカデミックで
堅実な画風です。
「桜島農夫之踊」 山本芳翠(1850~1906) 明治21年(1888) 後期展示

明治20年に伊藤博文が海防視察に鹿児島や沖縄を訪れた際、山本芳翠も随行
しています。
写真の発達していなかった当時、絵画による記録を残す目的もあったようです。
その折の訪問先を描いた20点が伊藤から明治天皇に献上されています。
現在8点が残っているとのことで、その内4点が展示されています。
役人風の男がしずしずと進む後ろを道化役のような男たちが付いていきます。
三味線を持ったお囃子も控えています。
「琉球中城之東門」 山本芳翠 明治21年(1888) 後期展示
城門に向う石の階段を見上げる構図で、階段には日傘を差し、紅型の着物を着た
女性が上っていきます。
城門の上の青い空には白い雲が浮かんでいます。
山本芳翠の風景画は空が明るく輝いています。
「加奈陀ビクトリア港」 五姓田義松(1815~1915)
明治25年(1892) 後期展示

ビクトリアはカナダの南西の端にある町です。
カナダ滞在中の作品で、広々としてのどかな港の風景をきっちりした筆遣いで
描いています。
五姓田義松は明治天皇の地方巡幸にも随行して作品を描いています。
後にフランスに渡り、日本人として初めてサロンに入選しています。
「なさけの庭」 部分 児島虎次郎(1881~1929)
明治40年(1907) 前期展示
パンフレットの表紙に使われている作品です。
日本最初の孤児院である岡山孤児院の情景とのことで、女性の背後に聖像のような
絵が見えます。
児島虎次郎は孤児院の創設者、石井十次の娘と結婚しています。
東京府勧業博覧会に出品され、実質的なデビュー作でありながら1等賞となり、
明治天皇の皇后の目にとまり宮内省買い上げとなったとのことです。
児島虎次郎は大原孫三郎と親交を持ち、大原コレクションを形成する作品の
ヨーロッパでの買い付けも行なっています。
自身の作風もヨーロッパ留学により明るいものに変わりますが、残念なことに
47歳で亡くなっています。
「夾竹桃」 山本森之助 (1877~1928) 大正3年(1914) 前期展示

時代も新しくなり、印象派を思わせるような明るい画風です。
山本森之助は黒田清輝らの主催する白馬会に入っているので、画風は今までの
明治絵画会系統の暗めの色彩とはかなり違います。
「満州鉄嶺」 山本森之助 大正6年(1917) 後期展示
満州の丘の風景ですが、この作品もとても明るくモダンで、ヨーロッパの景色の
ように見えます。
作品の数は少ないですが、それぞれの画家の個性ばかりでなく、明治という時代の
息吹、熱気も感じられる展覧会です。
三の丸尚蔵館から先に進むと同心番所があります。



更に進むと広場の脇に百人番所があります。


その少し先、本丸の手前に大番所があります。


本丸の天守台です。
寛永期の天守閣は5層6階、地上からの高さ58mもありましたが、1657年の
明暦の大火で焼失しています。
その後、加賀藩前田家の普請でこの天守台が築かれましたが、天守閣は
建てられませんでした。


天守台から見下ろしたところです。

天守台の上です。

再び大手門を出て帰りました。

chariot
三の丸尚蔵館で開かれている「近代の洋画家、創作の眼差し展」に行ってきました。
会期は2011年月10日(月)までで、現在は後期の展示です。

三の丸尚蔵館は皇居東御苑内にあり、皇居の大手門を入ってすぐの所です。
皇室の所有していた美術品類が平成元年に国に寄贈されたのを機に設立
されています。
入館は無料です。
大手門です。

お堀には白鳥やユリカモメがいます。

大手門を入ります。

三の丸尚蔵館です。

神社建築風です。

この展覧会では、明治から昭和初期にかけての洋画、32点が前期、後期に分けて
展示されています。
「栗子山隧道図」 高橋由一(1828~1894) 明治14年(1881) 後期展示

パンフレットからの画像なので、折り目が付いています。
福島県令時代の三島通庸の敷設した福島県福島市と山形県米沢市を結ぶ馬車道に
あるトンネルです。
大変な難工事でしたが、当時日本最長のトンネルとして完成しています。
三島通庸は自分の建設した建物や工事の絵をよく高橋由一に描かせています。
覆いかぶさるような山塊の量感が良く表されています。
明治14年の隧道開通式に主席された明治天皇が行在所でこの絵をご覧になり、
その場で買い上げられたそうです。
「ベルサリエーレの歩哨」 松岡寿(1862~1944)
明治20年(1887) 後期展示

ベルサリエーレとはイタリアの歩兵隊のことで、帽子の羽飾りに特徴があります。
イタリア王国の草創期にフランス軍の占領していたローマに最初に入城した部隊で、
イタリア愛国精神の精神的象徴とされているとのことです。
松岡寿のイタリア留学中に明治天皇の命で制作されたとのことで、アカデミックで
堅実な画風です。
「桜島農夫之踊」 山本芳翠(1850~1906) 明治21年(1888) 後期展示

明治20年に伊藤博文が海防視察に鹿児島や沖縄を訪れた際、山本芳翠も随行
しています。
写真の発達していなかった当時、絵画による記録を残す目的もあったようです。
その折の訪問先を描いた20点が伊藤から明治天皇に献上されています。
現在8点が残っているとのことで、その内4点が展示されています。
役人風の男がしずしずと進む後ろを道化役のような男たちが付いていきます。
三味線を持ったお囃子も控えています。
「琉球中城之東門」 山本芳翠 明治21年(1888) 後期展示
城門に向う石の階段を見上げる構図で、階段には日傘を差し、紅型の着物を着た
女性が上っていきます。
城門の上の青い空には白い雲が浮かんでいます。
山本芳翠の風景画は空が明るく輝いています。
「加奈陀ビクトリア港」 五姓田義松(1815~1915)
明治25年(1892) 後期展示

ビクトリアはカナダの南西の端にある町です。
カナダ滞在中の作品で、広々としてのどかな港の風景をきっちりした筆遣いで
描いています。
五姓田義松は明治天皇の地方巡幸にも随行して作品を描いています。
後にフランスに渡り、日本人として初めてサロンに入選しています。
「なさけの庭」 部分 児島虎次郎(1881~1929)
明治40年(1907) 前期展示
パンフレットの表紙に使われている作品です。
日本最初の孤児院である岡山孤児院の情景とのことで、女性の背後に聖像のような
絵が見えます。
児島虎次郎は孤児院の創設者、石井十次の娘と結婚しています。
東京府勧業博覧会に出品され、実質的なデビュー作でありながら1等賞となり、
明治天皇の皇后の目にとまり宮内省買い上げとなったとのことです。
児島虎次郎は大原孫三郎と親交を持ち、大原コレクションを形成する作品の
ヨーロッパでの買い付けも行なっています。
自身の作風もヨーロッパ留学により明るいものに変わりますが、残念なことに
47歳で亡くなっています。
「夾竹桃」 山本森之助 (1877~1928) 大正3年(1914) 前期展示

時代も新しくなり、印象派を思わせるような明るい画風です。
山本森之助は黒田清輝らの主催する白馬会に入っているので、画風は今までの
明治絵画会系統の暗めの色彩とはかなり違います。
「満州鉄嶺」 山本森之助 大正6年(1917) 後期展示
満州の丘の風景ですが、この作品もとても明るくモダンで、ヨーロッパの景色の
ように見えます。
作品の数は少ないですが、それぞれの画家の個性ばかりでなく、明治という時代の
息吹、熱気も感じられる展覧会です。
三の丸尚蔵館から先に進むと同心番所があります。



更に進むと広場の脇に百人番所があります。


その少し先、本丸の手前に大番所があります。


本丸の天守台です。
寛永期の天守閣は5層6階、地上からの高さ58mもありましたが、1657年の
明暦の大火で焼失しています。
その後、加賀藩前田家の普請でこの天守台が築かれましたが、天守閣は
建てられませんでした。


天守台から見下ろしたところです。

天守台の上です。

再び大手門を出て帰りました。

三越前
chariot
日本橋三越新館ギャラリーで開かれている「善光寺大本願上人展-近世二代と
第百二十一世鷹司誓玉上人ゆかりの御品-」に行ってきました。
会期は1月17日(月)までです。


信濃の善光寺の歴史は古く、境内から出土した瓦によって、7世紀後半には既に
寺院が建立されていたことが分かるそうです。
その後、源頼朝や北条氏の保護を受け、南北朝や戦国時代の争乱に巻き込まれたり
しながらも善光寺信仰は全国に広まって行きます。
現在の善光寺は天台宗の「大勧進」と浄土宗の尼寺である「大本願」の二つの
寺院組織によって運営されています。
この展覧会は「大本願」の住職(上人)の揮毫、着用する礼装など、「大本願」に
関係する品々によって構成されています。
代々、「大本願」の住職は公家出身者が勤め、現在の第百二十一世鷹司誓玉上人も
鷹司家出身です。
そのため、展示品にも皇室関係の品が多く含まれています。
「梨子地菊葵紋散蒔絵食籠」 和宮由緒品

和宮は孝明天皇の異母妹で、14代将軍徳川家茂の正室に迎えられています。
幕末に悪化した朝廷との関係を修復しようとした幕府の公武合体政策の一つです。
食籠(じきろう)とは食物を入れる蓋付きの容器です。
直径40cmほどもある大きな物です。
天皇家の菊紋と、徳川家の葵紋をあしらってあり、幕府の願いが形となって
表れています。
「御大禮装束十二単衣」 貞明皇后由緒品

貞明皇后は大正天皇の皇后です。
白の唐衣(からぎぬ)には皇后の用いる鳳凰の紋様、鴬色の表着(うわぎ)には
貞明皇后のお印でしょうか、藤の紋様が使われています。
「春秋草花図」 岡信孝(1932~)


6枚続きの屏風絵で、右側に紅白梅や水仙、左側に牡丹や紅葉がおだやかな筆遣いで
描かれています。
寄進された品も展示されています。
信濃ということで、小林一茶の短冊も何枚かありました。
はつ雪を着てもどりけり秘蔵猫
鶯のおや子つとめや梅の花
私は夏に善光寺に行ったことがあります。
晴れた日の朝早く、まだ参拝客のほとんどいない頃に門前町を歩くと、土産物屋の
軒先に並んだ風鈴が風に揺れて一斉にからからと鳴っていました。
湯島・浅草
湯島天神と浅草寺に初詣に行ってきました。
湯島天神です。

投銭用に柱にカバーを掛けてあります。

御祓いを待つ人たちの行列が出来ています。

早咲きの白梅が満開でした。

地下鉄銀座線浅草駅の中に、昔のポスターが飾ってありました。
杉浦非水作で、大正3年の三越呉服店のポスターです。

大正4年のポスターです。

お御輿にも鏡餅が供えてあります。

仲見世の賑わいです。

仲見世を宝蔵門に向かいます。

羽子板は「三人吉三巴白浪」の大川端庚申塚の場です。

宝蔵門です。

宝蔵門と五重の塔です。

本殿です。

縁起物の露店が店を出しています。
羽子板

招き猫

熊手

伝法院通りの半纏屋さんです。



吾妻橋から見たアサヒビール本社と東京スカイツリーです。

調度良い撮影スポットなので、カメラを持った人やテレビクルーでいっぱいです。

人力車も稼ぎ時です。

浅草地下街の入口です。

昭和の残る浅草地下街です。

chariot
湯島天神と浅草寺に初詣に行ってきました。
湯島天神です。

投銭用に柱にカバーを掛けてあります。

御祓いを待つ人たちの行列が出来ています。

早咲きの白梅が満開でした。

地下鉄銀座線浅草駅の中に、昔のポスターが飾ってありました。
杉浦非水作で、大正3年の三越呉服店のポスターです。

大正4年のポスターです。

お御輿にも鏡餅が供えてあります。

仲見世の賑わいです。

仲見世を宝蔵門に向かいます。

羽子板は「三人吉三巴白浪」の大川端庚申塚の場です。

宝蔵門です。

宝蔵門と五重の塔です。

本殿です。

縁起物の露店が店を出しています。
羽子板

招き猫

熊手

伝法院通りの半纏屋さんです。



吾妻橋から見たアサヒビール本社と東京スカイツリーです。

調度良い撮影スポットなので、カメラを持った人やテレビクルーでいっぱいです。

人力車も稼ぎ時です。

浅草地下街の入口です。

昭和の残る浅草地下街です。

銀座
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
銀座三越催物会場で開かれている「東京旅ノ介 山口晃展」に行ってきました。
会期は1月10日(月)までです。

山口晃さん(1969~)は並外れた描写力と自由な遊び心で、懐かしいような
近未来のような不思議な世界を繰り広げています。
「百貨店圖 日本橋三越」

三越百貨店の広告の原画になった作品です。
洛中洛外図の技法を使って百貨店の賑わいを描いています。
現代の風景の中に江戸時代の侍や平安時代の牛車も混じる、山口さん独特の
祝祭的な世界です。
「東京駅改造案[其の一]」

方眼紙に描かれた、赤レンガの東京駅の改造案です。
中央には入母屋造りの屋根が乗り、仏塔の九輪まで立っています。
古代の出雲大社にあったと言われるような長い階段も延びています。
こんな絵をこつこつ描いている時は何とも楽しいことでしょう。
「最後の晩餐」
大きな画面の日本画で、山崎の合戦前夜の明智光秀や武将たちが西洋式の
食卓を囲んで、お膳で食事をしています。
常盤居間(時は今)と背中に染め抜いた陣羽織を着た武将もいます。
水色桔梗の陣幕の前で浮かぬ顔をしている光秀など、人物の表情が巧みに
描かれています。
まるでサイズのちがう小さな人物も描かれているのは、イエスと12弟子に
数を揃えるための工夫とのことです。
「日清日露戦役擬畫」
マンガと緻密な戯画を織り交ぜた展示です。
契丹文字のような変わった字もあしらわれています。
子供時代の秋山好古が、「自分が勉強して豆腐ほどの(厚さ)のお金を稼ぐから、
生まれたばかりの弟(真之)をお寺にやらないでくれ」と言っている場面もあります。
根岸で病臥する正岡子規の姿もあります。
「東京タワー」

紅白の際立つ東京タワーに和洋折衷の建物を組合わせています。
空には金雲もたなびく、雅な景色です。
「子の字引留行形柱」

山口さんは電柱ファンで、活け花になぞらえて色々の形の電柱を描いています。
慌しく近代化されて来た日本の象徴として愛着を持っておられるのでしょう。
他にも合戦絵巻に想を得た作品や下町の風情を描いた作品など盛り沢山で、
とても楽しい展覧会です。
chariot
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
銀座三越催物会場で開かれている「東京旅ノ介 山口晃展」に行ってきました。
会期は1月10日(月)までです。

山口晃さん(1969~)は並外れた描写力と自由な遊び心で、懐かしいような
近未来のような不思議な世界を繰り広げています。
「百貨店圖 日本橋三越」

三越百貨店の広告の原画になった作品です。
洛中洛外図の技法を使って百貨店の賑わいを描いています。
現代の風景の中に江戸時代の侍や平安時代の牛車も混じる、山口さん独特の
祝祭的な世界です。
「東京駅改造案[其の一]」

方眼紙に描かれた、赤レンガの東京駅の改造案です。
中央には入母屋造りの屋根が乗り、仏塔の九輪まで立っています。
古代の出雲大社にあったと言われるような長い階段も延びています。
こんな絵をこつこつ描いている時は何とも楽しいことでしょう。
「最後の晩餐」
大きな画面の日本画で、山崎の合戦前夜の明智光秀や武将たちが西洋式の
食卓を囲んで、お膳で食事をしています。
常盤居間(時は今)と背中に染め抜いた陣羽織を着た武将もいます。
水色桔梗の陣幕の前で浮かぬ顔をしている光秀など、人物の表情が巧みに
描かれています。
まるでサイズのちがう小さな人物も描かれているのは、イエスと12弟子に
数を揃えるための工夫とのことです。
「日清日露戦役擬畫」
マンガと緻密な戯画を織り交ぜた展示です。
契丹文字のような変わった字もあしらわれています。
子供時代の秋山好古が、「自分が勉強して豆腐ほどの(厚さ)のお金を稼ぐから、
生まれたばかりの弟(真之)をお寺にやらないでくれ」と言っている場面もあります。
根岸で病臥する正岡子規の姿もあります。
「東京タワー」

紅白の際立つ東京タワーに和洋折衷の建物を組合わせています。
空には金雲もたなびく、雅な景色です。
「子の字引留行形柱」

山口さんは電柱ファンで、活け花になぞらえて色々の形の電柱を描いています。
慌しく近代化されて来た日本の象徴として愛着を持っておられるのでしょう。
他にも合戦絵巻に想を得た作品や下町の風情を描いた作品など盛り沢山で、
とても楽しい展覧会です。