上野
甘味処「喫茶去(きっさこ)」は上野坂下から上野公園を上がっていく
坂の途中の左側にあります。
場所は台東区上野公園4-59です。

和風の趣きのある佇まいです。


喫茶去とは「お茶でも飲んでいきなさいよ」という意味です。
隣の懐石料理の「韻松亭」の喫茶部です。
小上がりは座布団20枚ほど、土間の大きなテーブル席は10席ほどです。


あんみつ650円です。

4種類の寒天と3種類の生麩が入っているということです。
生麩の食感も面白く、あっさりした甘さです。
口直しに塩昆布も付いていて、山椒の風味が効いています。
茶碗は高山寺に伝わる鳥獣戯画をあしらっています。

鳥獣戯画絵巻は東京国立博物館と京都国立博物館に保管されています。
上野公園を見渡せるので、桜や新緑の季節に来ればまた別の景色を
楽しむことが出来るでしょう。
喫茶去の横の道を下りて行くと不忍池です。
冬枯れの蓮池越しの弁天堂です。

上野公園の大噴水はリニューアル工事中でした。

chariot
甘味処「喫茶去(きっさこ)」は上野坂下から上野公園を上がっていく
坂の途中の左側にあります。
場所は台東区上野公園4-59です。

和風の趣きのある佇まいです。


喫茶去とは「お茶でも飲んでいきなさいよ」という意味です。
隣の懐石料理の「韻松亭」の喫茶部です。
小上がりは座布団20枚ほど、土間の大きなテーブル席は10席ほどです。


あんみつ650円です。

4種類の寒天と3種類の生麩が入っているということです。
生麩の食感も面白く、あっさりした甘さです。
口直しに塩昆布も付いていて、山椒の風味が効いています。
茶碗は高山寺に伝わる鳥獣戯画をあしらっています。

鳥獣戯画絵巻は東京国立博物館と京都国立博物館に保管されています。
上野公園を見渡せるので、桜や新緑の季節に来ればまた別の景色を
楽しむことが出来るでしょう。
喫茶去の横の道を下りて行くと不忍池です。
冬枯れの蓮池越しの弁天堂です。

上野公園の大噴水はリニューアル工事中でした。

京橋・東京
京橋のブリヂストン美術館では「コレクション展示:なぜ、これが傑作なの?」が
開かれています。
会期は4月16日までです。

美術館の所蔵作品のうち代表的な12点を取り上げ、解説を添えて、同じ画家の
他の作品とともに展示しています。
オーギュスト・ルノワール 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
1876年

ブリヂストン美術館を代表する作品で、1階のカフェ、「ジョルジェット」も
彼女の名前に由来します。
印象派時代のまだ絵の売れないルノワールに最初に注目したのが、出版業を営む
ジョルジュ・シャルパンティエです。
この作品は彼の依頼で自宅を訪問し、当時4歳の娘を描いたものです。
濃い色の背景の中で、白い肌や水色の服は輝き、浮き立って見えます。
足の届かない、大人用の椅子に座ることで可愛さを強調しています。
この絵はシャルパンティエ夫妻の気に入り、後には「シャルパンティエ夫人と
子どもたち」を描くことになります。
エドゥアール・マネ 「自画像」 1878-79年

晩年の自画像ですが、鏡を見て描いているので、上着のボタンが左右逆に
なっています。
また、マネはこの頃から左足を悪くしているので、この絵のように左足に
重心を置くことは出来なかったそうで、鏡を見て描いたことが分かります。
両腕は未完成のようで、少し形が不自然です。
自信ありげな姿勢と顔付きをしていて、画家としての地位を確立したマネの
気持ちが出ています。
2010年の横浜美術館での「ドガ展」に、マネ夫妻を描いた絵が展示されて
いましたが、マネの自画像に比べるとかなり勇猛な顔をしています。
マネの自己認識とドガの冷徹な観察眼の違いでしょう。
ポール・セザンヌ 「帽子をかぶった自画像」 1890-94年頃

55歳頃の自画像とのことです。
セザンヌは30点ほどの自画像を遺していて、筆の遅いセザンヌにとって
具合の良い画題だっととのことです。
1点描くのに何ヶ月もかかるのではモデルになってくれる人はあまりいない
でしょう。
ある画商がモデルになった時、動いたら、「リンゴが動くか!」と怒られた
そうですから、気長に付き合ってくれる自分は良いモデルだったことでしょう。
時間をかけているだけあって、画面はがっちりとして揺るぎがありません。
それでもまだ塗り残しがあるので、どれだけゆっくり筆を運んでいるのだろうかと
思います。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
1904-06年頃

セザンヌの風景画といえば、サント=ヴィクトワール山で、故郷のプロヴァンス
地方を代表する山です。
シャトー・ノワールとは黒い城という意味で、サント=ヴィクトワール山と
シャトー・ノワールを共に描いた作品は少ないそうです。
頑固なほどにどっしり安定していて、対象の本質を描こうとしたセザンヌらしい
風景画です。
クロード・モネ 「黄昏、ヴェネツィア」 1908年頃

2番目の妻、アリスとヴェネツィアを訪れた時の作品とのことです。
空と海が溶け合い、虹のように輝いています。
尖塔のあるシルエットがサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会で、解説によれば
右側にぼんやり見えるのがサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂とのことです。
解説でもどこでこの絵を描いたのか推測していましたが、グーグルアースを使い、
日の沈む方向を考えてたどってみると、なるほどモネはこの辺りから見たのだなと
分かって面白いです。
アンリ・マティス 「縞ジャケット」 1914年

長女のマルグリット、20歳を描いています。
激しい色彩のフォーヴィズム時代が終わり、実験的な時代の作品とのことです。
色彩も筆遣いも軽やかで心地良く、マティスの特質が表れています。
パブロ・ピカソ 「腕を組んですわるサルタンバンク」 1923年

パンフレットに使われている作品です。
ピカソもよく画風の変わる人ですが、第一次世界大戦中に訪れたイタリアで観た
古典文化にインスピレーションを受け、それ以前のキュビズムから新古典主義に
移った時代の作品です。
古代彫刻のような顔立ちで端然と腰かけていて、色彩も明快です。
解説によればサルタンバンクとは大道芸を行なう最下層の芸人で、フェデリコ・
フェリーニ監督の映画、「道」でアンソニー・クインが演じていた大道芸人も
それだということです。
「道」でアンソニー・クインは粗野でうらぶれた、しがない芸人を演じていました。
この作品のサルタンバンクの持つ雰囲気はかなり異なり、静かで安定していて、
高貴さも漂わせています。
ピカソの自画像の一種でもあるとのことですが、うなずける話です。
元はピアニストのホロヴィッツの居間を飾っていて、ブリヂストン美術館は
1980年にオークションで入手したとのことです。
パウル・クレー 「島」 1932年

題名は「島」ですが、抽象画ですから観る方も観たいように観て、好きなように
感じれば良さそうです。
パウル・クレーは音楽も得意で、音楽を絵の中に取り入れる工夫をしていたとの
ことです。
細かい粒の連続、変化する色彩、流れる描線に音楽を感じることも出来そうです。
パウル・クレーの絵には無邪気な楽しさがあります。
ジャクソン・ポロック 「Number 2, 1951」 1951年

ジャクソン・ポロックはアクションペインティングの画家として有名です。
キャンバスを床に寝かせて、上から絵具を滴らせて描くという方法で、何かを
描くのではなく、描くという行為そのものに意味を持たせています。
題名も、何を描いたかの手がかりにはならず、いつ描いたのかが分かるだけです。
だとすると、作品を鑑賞する人は戦いの後の古戦場を眺めていることになる
のでしょうか。
藤島武二 「黒扇」 1908-09年

亡くなる前年の藤島武二が親交の深かった石橋正二郎に託した作品の中の1点との
ことです。
イタリア留学中の作品で、晩年、病床にあった藤島武二のアトリエでお弟子さんが
偶然発見しています。
絵の存在を忘れていた藤島武二は非常に喜び、いつも腹ばいになってこの絵を
観ていたそうです。
作品が譲られたいきさつについては、ブリヂストン美術館のHPにある石橋正二郎の
挨拶文で触れられています。
古典的な描き方の作品ですが、筆遣いに勢いがあり、ショールは白く輝き、
青い眼も印象的です。
藤島武二にとってさまざまの思い出のこもった絵なのでしょう。
小出楢重 「帽子をかぶった自画像」 1924年

小出楢重の自画像は8点あり、全身像はこの作品だけとのことです。
大阪在住の小出楢重は関東大震災によって東京が壊滅した時、自分の所属する
二科会を大阪でリードしようと奮闘しています。
信濃橋洋画研究所を設立し、最初の夏季講習を開いていた頃の作品とのことです。
夏物の背広を着て絵筆を持ち、イーゼルの前に立つ姿は颯爽としています。
ラッパと黒い帽子はフランスで買ったもので、お気に入りの品とのことです。
小出楢重には、このラッパと息子を描いた、「ラッパを持てる少年」があり、
東京国立近代美術館が所蔵しています。
出世作となった、暗くて不機嫌そうな「Nの家族」や、不気味な雰囲気の漂う、
絶筆の「枯木のある風景」とはかなり違い、いかにも脂の乗った感じがします。
1931年に亡くなった小出楢重にとって、この頃は絶頂期だったのでしょう。
岡鹿之助 「雪の発電所」 1956年

岡鹿之助は心象風景を描いた画家とのことですが、この作品は実景に基く
風景画です。
モデルは志賀高原にある中部電力平穏第一発電所で、1926年に稼動を始めた
現役の発電所です。
制作の過程を書いた文章が残っていて、それによると導水管や稜線の作る斜線と、
雪の積もった水平線で構成し、それだけでは単調になるので、電柱の垂直線を
加えたそうです。
実景によりながらも色々と構図を考えて緊密な画面構成をしていることが
分かります。
見慣れた作品も詳しい解説があると理解が深まり、新しい発見もあって、
観る楽しみが増えます。
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京橋のブリヂストン美術館では「コレクション展示:なぜ、これが傑作なの?」が
開かれています。
会期は4月16日までです。

美術館の所蔵作品のうち代表的な12点を取り上げ、解説を添えて、同じ画家の
他の作品とともに展示しています。
オーギュスト・ルノワール 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
1876年

ブリヂストン美術館を代表する作品で、1階のカフェ、「ジョルジェット」も
彼女の名前に由来します。
印象派時代のまだ絵の売れないルノワールに最初に注目したのが、出版業を営む
ジョルジュ・シャルパンティエです。
この作品は彼の依頼で自宅を訪問し、当時4歳の娘を描いたものです。
濃い色の背景の中で、白い肌や水色の服は輝き、浮き立って見えます。
足の届かない、大人用の椅子に座ることで可愛さを強調しています。
この絵はシャルパンティエ夫妻の気に入り、後には「シャルパンティエ夫人と
子どもたち」を描くことになります。
エドゥアール・マネ 「自画像」 1878-79年

晩年の自画像ですが、鏡を見て描いているので、上着のボタンが左右逆に
なっています。
また、マネはこの頃から左足を悪くしているので、この絵のように左足に
重心を置くことは出来なかったそうで、鏡を見て描いたことが分かります。
両腕は未完成のようで、少し形が不自然です。
自信ありげな姿勢と顔付きをしていて、画家としての地位を確立したマネの
気持ちが出ています。
2010年の横浜美術館での「ドガ展」に、マネ夫妻を描いた絵が展示されて
いましたが、マネの自画像に比べるとかなり勇猛な顔をしています。
マネの自己認識とドガの冷徹な観察眼の違いでしょう。
ポール・セザンヌ 「帽子をかぶった自画像」 1890-94年頃

55歳頃の自画像とのことです。
セザンヌは30点ほどの自画像を遺していて、筆の遅いセザンヌにとって
具合の良い画題だっととのことです。
1点描くのに何ヶ月もかかるのではモデルになってくれる人はあまりいない
でしょう。
ある画商がモデルになった時、動いたら、「リンゴが動くか!」と怒られた
そうですから、気長に付き合ってくれる自分は良いモデルだったことでしょう。
時間をかけているだけあって、画面はがっちりとして揺るぎがありません。
それでもまだ塗り残しがあるので、どれだけゆっくり筆を運んでいるのだろうかと
思います。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
1904-06年頃

セザンヌの風景画といえば、サント=ヴィクトワール山で、故郷のプロヴァンス
地方を代表する山です。
シャトー・ノワールとは黒い城という意味で、サント=ヴィクトワール山と
シャトー・ノワールを共に描いた作品は少ないそうです。
頑固なほどにどっしり安定していて、対象の本質を描こうとしたセザンヌらしい
風景画です。
クロード・モネ 「黄昏、ヴェネツィア」 1908年頃

2番目の妻、アリスとヴェネツィアを訪れた時の作品とのことです。
空と海が溶け合い、虹のように輝いています。
尖塔のあるシルエットがサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会で、解説によれば
右側にぼんやり見えるのがサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂とのことです。
解説でもどこでこの絵を描いたのか推測していましたが、グーグルアースを使い、
日の沈む方向を考えてたどってみると、なるほどモネはこの辺りから見たのだなと
分かって面白いです。
アンリ・マティス 「縞ジャケット」 1914年

長女のマルグリット、20歳を描いています。
激しい色彩のフォーヴィズム時代が終わり、実験的な時代の作品とのことです。
色彩も筆遣いも軽やかで心地良く、マティスの特質が表れています。
パブロ・ピカソ 「腕を組んですわるサルタンバンク」 1923年

パンフレットに使われている作品です。
ピカソもよく画風の変わる人ですが、第一次世界大戦中に訪れたイタリアで観た
古典文化にインスピレーションを受け、それ以前のキュビズムから新古典主義に
移った時代の作品です。
古代彫刻のような顔立ちで端然と腰かけていて、色彩も明快です。
解説によればサルタンバンクとは大道芸を行なう最下層の芸人で、フェデリコ・
フェリーニ監督の映画、「道」でアンソニー・クインが演じていた大道芸人も
それだということです。
「道」でアンソニー・クインは粗野でうらぶれた、しがない芸人を演じていました。
この作品のサルタンバンクの持つ雰囲気はかなり異なり、静かで安定していて、
高貴さも漂わせています。
ピカソの自画像の一種でもあるとのことですが、うなずける話です。
元はピアニストのホロヴィッツの居間を飾っていて、ブリヂストン美術館は
1980年にオークションで入手したとのことです。
パウル・クレー 「島」 1932年

題名は「島」ですが、抽象画ですから観る方も観たいように観て、好きなように
感じれば良さそうです。
パウル・クレーは音楽も得意で、音楽を絵の中に取り入れる工夫をしていたとの
ことです。
細かい粒の連続、変化する色彩、流れる描線に音楽を感じることも出来そうです。
パウル・クレーの絵には無邪気な楽しさがあります。
ジャクソン・ポロック 「Number 2, 1951」 1951年

ジャクソン・ポロックはアクションペインティングの画家として有名です。
キャンバスを床に寝かせて、上から絵具を滴らせて描くという方法で、何かを
描くのではなく、描くという行為そのものに意味を持たせています。
題名も、何を描いたかの手がかりにはならず、いつ描いたのかが分かるだけです。
だとすると、作品を鑑賞する人は戦いの後の古戦場を眺めていることになる
のでしょうか。
藤島武二 「黒扇」 1908-09年

亡くなる前年の藤島武二が親交の深かった石橋正二郎に託した作品の中の1点との
ことです。
イタリア留学中の作品で、晩年、病床にあった藤島武二のアトリエでお弟子さんが
偶然発見しています。
絵の存在を忘れていた藤島武二は非常に喜び、いつも腹ばいになってこの絵を
観ていたそうです。
作品が譲られたいきさつについては、ブリヂストン美術館のHPにある石橋正二郎の
挨拶文で触れられています。
古典的な描き方の作品ですが、筆遣いに勢いがあり、ショールは白く輝き、
青い眼も印象的です。
藤島武二にとってさまざまの思い出のこもった絵なのでしょう。
小出楢重 「帽子をかぶった自画像」 1924年

小出楢重の自画像は8点あり、全身像はこの作品だけとのことです。
大阪在住の小出楢重は関東大震災によって東京が壊滅した時、自分の所属する
二科会を大阪でリードしようと奮闘しています。
信濃橋洋画研究所を設立し、最初の夏季講習を開いていた頃の作品とのことです。
夏物の背広を着て絵筆を持ち、イーゼルの前に立つ姿は颯爽としています。
ラッパと黒い帽子はフランスで買ったもので、お気に入りの品とのことです。
小出楢重には、このラッパと息子を描いた、「ラッパを持てる少年」があり、
東京国立近代美術館が所蔵しています。
出世作となった、暗くて不機嫌そうな「Nの家族」や、不気味な雰囲気の漂う、
絶筆の「枯木のある風景」とはかなり違い、いかにも脂の乗った感じがします。
1931年に亡くなった小出楢重にとって、この頃は絶頂期だったのでしょう。
岡鹿之助 「雪の発電所」 1956年

岡鹿之助は心象風景を描いた画家とのことですが、この作品は実景に基く
風景画です。
モデルは志賀高原にある中部電力平穏第一発電所で、1926年に稼動を始めた
現役の発電所です。
制作の過程を書いた文章が残っていて、それによると導水管や稜線の作る斜線と、
雪の積もった水平線で構成し、それだけでは単調になるので、電柱の垂直線を
加えたそうです。
実景によりながらも色々と構図を考えて緊密な画面構成をしていることが
分かります。
見慣れた作品も詳しい解説があると理解が深まり、新しい発見もあって、
観る楽しみが増えます。
上野御徒町 湯島
湯島のフランス菓子屋さんの「ロワゾー・ド・リヨン」の2階喫茶室、
「サロン・ド・テ」のランチに行ってきました。
場所は文京区湯島3-42-12です。
上野松坂屋にも近いです。
1階の売店にはケーキやマカロンが並んでいます。


この日の日替わりランチ980円はチキントマトです。

パンは3種類付いていて、温められています。
今日のお菓子はプチ・フロマージュとチョコレートケーキです。

量はやや少ないですが、手頃で美味しいランチです。
この前、「サロン・ド・テ」のランチに行った時の記事はこちらです。
お店のHPです。
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湯島のフランス菓子屋さんの「ロワゾー・ド・リヨン」の2階喫茶室、
「サロン・ド・テ」のランチに行ってきました。
場所は文京区湯島3-42-12です。
上野松坂屋にも近いです。
1階の売店にはケーキやマカロンが並んでいます。


この日の日替わりランチ980円はチキントマトです。

パンは3種類付いていて、温められています。
今日のお菓子はプチ・フロマージュとチョコレートケーキです。

量はやや少ないですが、手頃で美味しいランチです。
この前、「サロン・ド・テ」のランチに行った時の記事はこちらです。
お店のHPです。
東京
大丸東京店10階のアートギャラリーでは「鎌田義裕 日本画展」が開かれています。
会期は2月1日(火)までです。
鎌田義裕さん(1956~)は華やかながらすっきりとした画風で、日本の自然を
描いています。
北海道出身なので、新緑の札幌時計台など北海道を描いた作品もあります。
美術学校を出ておらず、日本画の技法は個人的に学ばれたそうです。
「朱景富士」

赤富士を程良い写実と装飾性を組み合わせて作品にしています。
同じ大丸東京店の9階のアートステーションでは、フジ子・ヘミングさんの
版画を何点か展示しています。
期間は2月8日(火)までです。
フジ子・ヘミングさん(1932~)は有名なピアニストですが、絵画もよく
描いています。
演奏の情景や犬、猫を題材にした作品は自由で伸び伸びとしています。
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大丸東京店10階のアートギャラリーでは「鎌田義裕 日本画展」が開かれています。
会期は2月1日(火)までです。
鎌田義裕さん(1956~)は華やかながらすっきりとした画風で、日本の自然を
描いています。
北海道出身なので、新緑の札幌時計台など北海道を描いた作品もあります。
美術学校を出ておらず、日本画の技法は個人的に学ばれたそうです。
「朱景富士」

赤富士を程良い写実と装飾性を組み合わせて作品にしています。
同じ大丸東京店の9階のアートステーションでは、フジ子・ヘミングさんの
版画を何点か展示しています。
期間は2月8日(火)までです。
フジ子・ヘミングさん(1932~)は有名なピアニストですが、絵画もよく
描いています。
演奏の情景や犬、猫を題材にした作品は自由で伸び伸びとしています。
神保町
カフェ&ビアパブ「セブンズハウス」は神田の学士会館の中にあります。
場所は神保町交差点から白山通りを南に歩いて左側、共立学園の向かい、
千代田区神田錦町3-28です。

学士会館は旧帝国大学(国立7大学)の同窓会組織の学士会会員の
交流の場として建設されています。
中のお店は一般の人も利用出来ます。
現在の建物は昭和3年に関東大震災後に建築された震災復興建築で、
内部は重厚でクラシックな雰囲気を残しています。





入って左がフランス料理の「ラタン」、右が「セブンズハウス」です。

天井は高く広々としていて、絨毯が敷いてあり、椅子は肘掛椅子です。

セブンは旧帝国大学7校に由来していて、各校の校章入りのマグカップも
置いてあります。

窓の向こうに共立学園が見えます。

全席禁煙で、BGMは静かなポピュラーミュージックでした。
ランチのパスタセット1000円です。
こちらは野菜とベーコンのトマトソースです。
ミートソースもあります。

テーブルも年季が入っています。

お客さんの年齢層は高めですが、若い人も混じっています。
日曜日も開いているので、私は近くの国立近代美術館に行った帰りに寄って、
のんびりしていました。
学士会館の敷地は東京大学発祥の地ということで、石碑があります。
また、東京大学の前身の学校時代にアメリカ人教師が学生に野球を教えた
場所でもあり、「日本野球発祥の地」のブロンズ像もあります。
ブロンズ像についての記事はこちらです。
明治17年に夏目漱石と正岡子規はここにあった大学予備門予科に入学し、
正岡子規はここで野球に熱中しています。
漱石が帝国大学(現在の東京大学)を卒業した時に、子規の詠んだ句です。
蕣(あさがお)や君いかめしき文学士
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カフェ&ビアパブ「セブンズハウス」は神田の学士会館の中にあります。
場所は神保町交差点から白山通りを南に歩いて左側、共立学園の向かい、
千代田区神田錦町3-28です。

学士会館は旧帝国大学(国立7大学)の同窓会組織の学士会会員の
交流の場として建設されています。
中のお店は一般の人も利用出来ます。
現在の建物は昭和3年に関東大震災後に建築された震災復興建築で、
内部は重厚でクラシックな雰囲気を残しています。





入って左がフランス料理の「ラタン」、右が「セブンズハウス」です。

天井は高く広々としていて、絨毯が敷いてあり、椅子は肘掛椅子です。

セブンは旧帝国大学7校に由来していて、各校の校章入りのマグカップも
置いてあります。

窓の向こうに共立学園が見えます。

全席禁煙で、BGMは静かなポピュラーミュージックでした。
ランチのパスタセット1000円です。
こちらは野菜とベーコンのトマトソースです。
ミートソースもあります。

テーブルも年季が入っています。

お客さんの年齢層は高めですが、若い人も混じっています。
日曜日も開いているので、私は近くの国立近代美術館に行った帰りに寄って、
のんびりしていました。
学士会館の敷地は東京大学発祥の地ということで、石碑があります。
また、東京大学の前身の学校時代にアメリカ人教師が学生に野球を教えた
場所でもあり、「日本野球発祥の地」のブロンズ像もあります。
ブロンズ像についての記事はこちらです。
明治17年に夏目漱石と正岡子規はここにあった大学予備門予科に入学し、
正岡子規はここで野球に熱中しています。
漱石が帝国大学(現在の東京大学)を卒業した時に、子規の詠んだ句です。
蕣(あさがお)や君いかめしき文学士
本郷三丁目
東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では、
特別公開展示「アルディの全身化石骨」が行なわれています。
会期は2月6日(日)までです。

「アルディ」はエチオピアで発見された440万年前のアルディピテクス・ラミダス
(ラミダス猿人)の化石の1体につけられた名前です。
アウストラロピテクスより前の段階に当たり、ヒトとチンパンジーの分岐した後の
ヒトの側に位置するとのことです。
「アルディ」はメスで、身長は120cm、体重は45~50kgと推定されていて、
ラミダス猿人は雌雄の体格の差は小さかったようです。
2010年に科学誌のサイエンスに発表された時の顔の復元図をみると、まだゴリラ
といった感じです。
今回はエチオピア国外で初めての「アルディ」(レプリカ)の展示になるとの
ことです。
「アルディ」展示のHPです。
また、公開展示「ヒマラヤ・ホットスポット―東京大学ヒマラヤ植物調査50周年」も
行なわれています。
会期は2月27日(日)までです。

東京大学は1960年以来、ヒマラヤで調査研究を重ね、収集した標本は40万点にも
なるそうです。
厳しい自然環境のなかで生き抜いてきた植物たちの持つビオソフィア(生物知)
についての研究は人類にとっても有益であるとのことです。
ネパールは高度差の大きい国なので、日本の40%の広さの国土に維管束植物
(シダ植物と種子植物)は6200種類あり、日本の6000種類より多いそうです。
「ヒマラヤ植物調査」展示のコーナーは撮影可能です。
セイタカダイオウのレプリカです。
東ヒマラヤから中国西南部の山岳地帯に生育し、高さは1.5m、発芽後7~8年で
花を咲かせた後は枯れるそうです。






「ヒマラヤ植物調査」展示のHPです。
東京大学総合研究博物館のHPです。
東京大学の構内では水仙が咲いていました。
越前水仙だそうです。

近くの湯島天神の梅が咲き始めました。


受験シーズンなので、絵馬も満杯状態になっています。




2月8日からは梅まつりも始まります。
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東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では、
特別公開展示「アルディの全身化石骨」が行なわれています。
会期は2月6日(日)までです。

「アルディ」はエチオピアで発見された440万年前のアルディピテクス・ラミダス
(ラミダス猿人)の化石の1体につけられた名前です。
アウストラロピテクスより前の段階に当たり、ヒトとチンパンジーの分岐した後の
ヒトの側に位置するとのことです。
「アルディ」はメスで、身長は120cm、体重は45~50kgと推定されていて、
ラミダス猿人は雌雄の体格の差は小さかったようです。
2010年に科学誌のサイエンスに発表された時の顔の復元図をみると、まだゴリラ
といった感じです。
今回はエチオピア国外で初めての「アルディ」(レプリカ)の展示になるとの
ことです。
「アルディ」展示のHPです。
また、公開展示「ヒマラヤ・ホットスポット―東京大学ヒマラヤ植物調査50周年」も
行なわれています。
会期は2月27日(日)までです。

東京大学は1960年以来、ヒマラヤで調査研究を重ね、収集した標本は40万点にも
なるそうです。
厳しい自然環境のなかで生き抜いてきた植物たちの持つビオソフィア(生物知)
についての研究は人類にとっても有益であるとのことです。
ネパールは高度差の大きい国なので、日本の40%の広さの国土に維管束植物
(シダ植物と種子植物)は6200種類あり、日本の6000種類より多いそうです。
「ヒマラヤ植物調査」展示のコーナーは撮影可能です。
セイタカダイオウのレプリカです。
東ヒマラヤから中国西南部の山岳地帯に生育し、高さは1.5m、発芽後7~8年で
花を咲かせた後は枯れるそうです。






「ヒマラヤ植物調査」展示のHPです。
東京大学総合研究博物館のHPです。
東京大学の構内では水仙が咲いていました。
越前水仙だそうです。

近くの湯島天神の梅が咲き始めました。


受験シーズンなので、絵馬も満杯状態になっています。




2月8日からは梅まつりも始まります。
六本木・乃木坂
「ハバナ カフェ」は東京ミッドタウンの横の小路を入った所にあります。
場所は港区六本木4-12-2です。

お店の名前は「ハバナ」ですが、メキシコ料理のカフェということです。
メニューにはトルティーヤやルイジアナ料理のジャンバラヤもあり、
メキシコ湾岸カフェといったところです。
店内には陽気なキューバ音楽が響いています。
地下もあります。



キューバの国旗もかざってあります。

キューバのカストロ議長とチェ・ゲバラがメキシコのコロナビールと
ビールに添えるライムを持って盛り上がっています。

開店は20年ほど前のことで、東京ミッドタウンの場所が防衛庁だった
頃からのお店です。
外国人のお客さんが多く、特に夜は混むそうです。
ジャンバラヤSサイズ900円と、コーヒー350円です。


アツアツ鍋に入っていて、牛肉のぶつ切りがたっぷり乗っており、
濃厚なトマトソース味です。
Sサイズでも十分な量があります。
とても気楽なお店で、お値段も手頃なので、夜はさぞかし賑わっている
ことでしょう。
chariot
「ハバナ カフェ」は東京ミッドタウンの横の小路を入った所にあります。
場所は港区六本木4-12-2です。

お店の名前は「ハバナ」ですが、メキシコ料理のカフェということです。
メニューにはトルティーヤやルイジアナ料理のジャンバラヤもあり、
メキシコ湾岸カフェといったところです。
店内には陽気なキューバ音楽が響いています。
地下もあります。



キューバの国旗もかざってあります。

キューバのカストロ議長とチェ・ゲバラがメキシコのコロナビールと
ビールに添えるライムを持って盛り上がっています。

開店は20年ほど前のことで、東京ミッドタウンの場所が防衛庁だった
頃からのお店です。
外国人のお客さんが多く、特に夜は混むそうです。
ジャンバラヤSサイズ900円と、コーヒー350円です。


アツアツ鍋に入っていて、牛肉のぶつ切りがたっぷり乗っており、
濃厚なトマトソース味です。
Sサイズでも十分な量があります。
とても気楽なお店で、お値段も手頃なので、夜はさぞかし賑わっている
ことでしょう。
新宿
新宿の損保ジャパン東郷青児美術館では「損保ジャパン東郷青児美術館大賞
受賞記念 櫃田伸也展―通り過ぎた風景」が開かれています。
会期は2月13日(日)までです。

第32回損保ジャパン東郷青児美術館大賞の受賞作をはじめ、約45点が展示
されています。
櫃田伸也さん(1941~)は身近な風景を線と図形に解体して、再構成した油彩画を
描いています。
先ず、初期作品10点の展示です。
「飛ぶことへのあこがれ」 1967年 180×180cm

1960年代の作品はコラージュを模したような画面です。
他に1947年(6歳)制作のクレヨン画2点もあります。
自宅や松の木を的確に描いています。
ピカソやエゴン・シーレの子供時代の絵がとても上手だったのを思い出します。
以後の作品は、テーマ別の展示です。
「壁」、「地面」、「傾斜地・斜線」、「山・山々」、「洪水・池」、
「空き地・原っぱ・広場」に分かれています。
「通り過ぎた風景」 1979年 97×162.1cm

コンクリートの床、壁やフェンスなどの乾いた景色です。
1970年代の作品はかなり具象的で、遠近法を使わない平行線をよく使っています。
「通り過ぎた風景(三角形の空き地)」 1988年 162×194cm

1980年代になると、形は抽象化されてきます。
「不確かな風景」 1987年(2000年加筆) 181.8×227.3cm

受賞作です。
池、フェンス、階段、トンネル、ゴールポスト、雑草などで再構成された風景です。
淡い色彩が散りばめられています。
「空き地のプラン」 2003年 181.8×227.3cm

グラウンドのような空き地の周りに屋根のような三角形や池のような丸が
集まっています。
「洪水」 2003年 72.7×90.9cm2003年

池か水溜りのような景色です。
水色に深みがあります。
櫃田伸也さんの作品には、「通り過ぎた風景」、「不確かな風景」といった、
同じ題名の絵が何点もあり、不確かで通り過ぎてしまうものへの愛着を感じます。
破れたフェンス、コンクリートの隙間の雑草といった何気ない景色は、不確かで
通り過ぎてしまうものといえます。
ただ、私にはその景色の印象、記憶こそ確かなものにも思えます。
展覧会のHPです。
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新宿の損保ジャパン東郷青児美術館では「損保ジャパン東郷青児美術館大賞
受賞記念 櫃田伸也展―通り過ぎた風景」が開かれています。
会期は2月13日(日)までです。

第32回損保ジャパン東郷青児美術館大賞の受賞作をはじめ、約45点が展示
されています。
櫃田伸也さん(1941~)は身近な風景を線と図形に解体して、再構成した油彩画を
描いています。
先ず、初期作品10点の展示です。
「飛ぶことへのあこがれ」 1967年 180×180cm

1960年代の作品はコラージュを模したような画面です。
他に1947年(6歳)制作のクレヨン画2点もあります。
自宅や松の木を的確に描いています。
ピカソやエゴン・シーレの子供時代の絵がとても上手だったのを思い出します。
以後の作品は、テーマ別の展示です。
「壁」、「地面」、「傾斜地・斜線」、「山・山々」、「洪水・池」、
「空き地・原っぱ・広場」に分かれています。
「通り過ぎた風景」 1979年 97×162.1cm

コンクリートの床、壁やフェンスなどの乾いた景色です。
1970年代の作品はかなり具象的で、遠近法を使わない平行線をよく使っています。
「通り過ぎた風景(三角形の空き地)」 1988年 162×194cm

1980年代になると、形は抽象化されてきます。
「不確かな風景」 1987年(2000年加筆) 181.8×227.3cm

受賞作です。
池、フェンス、階段、トンネル、ゴールポスト、雑草などで再構成された風景です。
淡い色彩が散りばめられています。
「空き地のプラン」 2003年 181.8×227.3cm

グラウンドのような空き地の周りに屋根のような三角形や池のような丸が
集まっています。
「洪水」 2003年 72.7×90.9cm2003年

池か水溜りのような景色です。
水色に深みがあります。
櫃田伸也さんの作品には、「通り過ぎた風景」、「不確かな風景」といった、
同じ題名の絵が何点もあり、不確かで通り過ぎてしまうものへの愛着を感じます。
破れたフェンス、コンクリートの隙間の雑草といった何気ない景色は、不確かで
通り過ぎてしまうものといえます。
ただ、私にはその景色の印象、記憶こそ確かなものにも思えます。
展覧会のHPです。
池袋
「伯爵 池袋東口店」は池袋駅東口から明治通りを南に歩いた東側にあります。
場所は豊島区南池袋1-18-23です。
マンションのビルの2階にあり、階段を上がって入ります。



シャンデリア、大きな鏡、絨毯、豹柄の椅子の揃った、典型的なゴージャス系の
お店で、店内はきらきらしています。
窓からは明治通りを見下ろせます。
「伯爵」ということで、お店の方も黒と白のユニフォ-ムです。
BGMはお正月なので筝曲でした。


たらこスパゲティセット830円です。
コーヒー単品は500円です。


26年ほど前からのお店とのことで、ゴージャスさもこなれていて、お客さんは
それぞれ好きなように時間を過ごしているようです。
とりとめもない世間話をしてコーヒーのお替りをするグループ、参考書を広げて
勉強している二人、新聞を広げている人、ぼーっとしている私などさまざまです。
今はゴージャス系の喫茶店は減るばかりですが、いつまでも続いてほしいお店です。
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「伯爵 池袋東口店」は池袋駅東口から明治通りを南に歩いた東側にあります。
場所は豊島区南池袋1-18-23です。
マンションのビルの2階にあり、階段を上がって入ります。



シャンデリア、大きな鏡、絨毯、豹柄の椅子の揃った、典型的なゴージャス系の
お店で、店内はきらきらしています。
窓からは明治通りを見下ろせます。
「伯爵」ということで、お店の方も黒と白のユニフォ-ムです。
BGMはお正月なので筝曲でした。


たらこスパゲティセット830円です。
コーヒー単品は500円です。


26年ほど前からのお店とのことで、ゴージャスさもこなれていて、お客さんは
それぞれ好きなように時間を過ごしているようです。
とりとめもない世間話をしてコーヒーのお替りをするグループ、参考書を広げて
勉強している二人、新聞を広げている人、ぼーっとしている私などさまざまです。
今はゴージャス系の喫茶店は減るばかりですが、いつまでも続いてほしいお店です。
三越前
日本橋三越本店新館ギャラリーで開かれている「薩摩焼 桃山から現代へ
歴代沈壽官展」に行ってきました。
会期は1月31日(日)までです。

薩摩焼は豊臣秀吉の文禄・慶長の役で捕虜として連れて来られた朝鮮の
陶工たちによって始められています。
薩摩焼の陶工たちは江戸時代を通じて島津家の保護と統制の元に置かれる
ことになります。
沈壽官窯はその一つで、沈家の十二代から当主は沈壽官を名乗っています。
この薩摩焼の中でも、白い生地で上品な白薩摩を中心にした約100点の展示です。
白薩摩はおもに藩主などの使用のために作られていました。
「白薩摩茶碗 伝火計手」 伝 初代 沈当吉 17世紀初頭

火計手(ひばかりで)とは、陶土も釉薬も朝鮮から持ってきた物を使い、
焼成する火だけが日本の物という意味です。
ぶっくりとした大振りの茶碗で、素朴な姿をしています。
「金襴手花卉文花瓶 一対」 十二代 沈壽官 1893年

高さ77.3cmの大きな花瓶で、シカゴ万国博覧会の出品作です。
左側の瓶にはさまざまの花の模様が、右側の瓶には葡萄や瓜、大根などの
果物、野菜が描かれています。
幕末には既に薩摩藩はパリ万国博覧会に幕府とは別に単独で薩摩焼などを
出品しています。
十二代は幕末明治の薩摩焼を欧米への輸出品に育てています。
現在、サントリー美術館で開かれている、「マイセン磁器の300年」展には、
同じシカゴ万博に出品されたマイセン磁器の大壷が展示されています。
どちらもとても大きく、華麗で、その技術力を競い合っています。
「マイセン磁器の300年」展の記事はこちらです。
「錦手ネズミを見つめる母娘像」 十二代 沈壽官 1880-1900年頃

筆立てでしょうか、小さな像で、大根の上にいるネズミを大きな壷の陰から
ネコと娘と母親が息をひそめて見つめています。
陶磁器の置物の小道具として陶磁器を使うという、面白いアイデアです。
「マイセン磁器の300年」展でも子供がブルーオニオン柄のカップでお茶を
飲んでいる像がありました。
「錦手四君子図蓋透彫角型香炉」 十二代 沈壽官 1880-1900年頃
パンフレットに使われている作品です。
四君子とは蘭、竹、菊、梅のことで、姿の気高さを君子にたとえています。
写真では菊と蘭の面が見えています。
網の部分は七宝つなぎの透かし彫りで、透かし彫りは十二代の考案した
技法とのことです。
その精緻な技術には感心します。
「錦手雛菊流水図宝珠鈕壺」 十二代 沈壽官 1900-1910年頃

中国風の蓋付きの壷に、能の「菊慈童」を思わせる菊と流水を描いています。
「薩摩盛金七宝繋地雪輪文大花瓶」 十四代 沈壽官 1993年

高さ50cmの大きな花瓶で、金の部分は純金を使って盛り上げるという
新しい技法を使っているそうです。
十四代沈壽官は司馬遼太郎の小説、「故郷忘じがたく候」の主人公です。
十四代は豪放な人柄で、司馬遼太郎は十四代に薩摩兵児(へこ)の面影を
見ていたようです。
「薩摩六角伏香炉」 十五代 沈壽官 2010年

高さ28.5cmの全面を透かし彫りにした繊細この上ない作りで、中に炉が入り、
掛け紐まで作ってあります。
これだけの作品は彫るのも焼くのも大変だったろうと思います。
「薩摩獅子乗大香炉」 十五代 沈壽官 2010年

高さ69cmの大きな香炉で、十二代の時代の下絵図に基いて、今回の展覧会の
ために制作されたそうです。
初代沈当吉時代の素朴な品から始まって、よくここまで発展してきたものだと
思います。
白薩摩の豪華さと技術の冴えを十分堪能出来る展覧会でした。
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日本橋三越本店新館ギャラリーで開かれている「薩摩焼 桃山から現代へ
歴代沈壽官展」に行ってきました。
会期は1月31日(日)までです。

薩摩焼は豊臣秀吉の文禄・慶長の役で捕虜として連れて来られた朝鮮の
陶工たちによって始められています。
薩摩焼の陶工たちは江戸時代を通じて島津家の保護と統制の元に置かれる
ことになります。
沈壽官窯はその一つで、沈家の十二代から当主は沈壽官を名乗っています。
この薩摩焼の中でも、白い生地で上品な白薩摩を中心にした約100点の展示です。
白薩摩はおもに藩主などの使用のために作られていました。
「白薩摩茶碗 伝火計手」 伝 初代 沈当吉 17世紀初頭

火計手(ひばかりで)とは、陶土も釉薬も朝鮮から持ってきた物を使い、
焼成する火だけが日本の物という意味です。
ぶっくりとした大振りの茶碗で、素朴な姿をしています。
「金襴手花卉文花瓶 一対」 十二代 沈壽官 1893年

高さ77.3cmの大きな花瓶で、シカゴ万国博覧会の出品作です。
左側の瓶にはさまざまの花の模様が、右側の瓶には葡萄や瓜、大根などの
果物、野菜が描かれています。
幕末には既に薩摩藩はパリ万国博覧会に幕府とは別に単独で薩摩焼などを
出品しています。
十二代は幕末明治の薩摩焼を欧米への輸出品に育てています。
現在、サントリー美術館で開かれている、「マイセン磁器の300年」展には、
同じシカゴ万博に出品されたマイセン磁器の大壷が展示されています。
どちらもとても大きく、華麗で、その技術力を競い合っています。
「マイセン磁器の300年」展の記事はこちらです。
「錦手ネズミを見つめる母娘像」 十二代 沈壽官 1880-1900年頃

筆立てでしょうか、小さな像で、大根の上にいるネズミを大きな壷の陰から
ネコと娘と母親が息をひそめて見つめています。
陶磁器の置物の小道具として陶磁器を使うという、面白いアイデアです。
「マイセン磁器の300年」展でも子供がブルーオニオン柄のカップでお茶を
飲んでいる像がありました。
「錦手四君子図蓋透彫角型香炉」 十二代 沈壽官 1880-1900年頃
パンフレットに使われている作品です。
四君子とは蘭、竹、菊、梅のことで、姿の気高さを君子にたとえています。
写真では菊と蘭の面が見えています。
網の部分は七宝つなぎの透かし彫りで、透かし彫りは十二代の考案した
技法とのことです。
その精緻な技術には感心します。
「錦手雛菊流水図宝珠鈕壺」 十二代 沈壽官 1900-1910年頃

中国風の蓋付きの壷に、能の「菊慈童」を思わせる菊と流水を描いています。
「薩摩盛金七宝繋地雪輪文大花瓶」 十四代 沈壽官 1993年

高さ50cmの大きな花瓶で、金の部分は純金を使って盛り上げるという
新しい技法を使っているそうです。
十四代沈壽官は司馬遼太郎の小説、「故郷忘じがたく候」の主人公です。
十四代は豪放な人柄で、司馬遼太郎は十四代に薩摩兵児(へこ)の面影を
見ていたようです。
「薩摩六角伏香炉」 十五代 沈壽官 2010年

高さ28.5cmの全面を透かし彫りにした繊細この上ない作りで、中に炉が入り、
掛け紐まで作ってあります。
これだけの作品は彫るのも焼くのも大変だったろうと思います。
「薩摩獅子乗大香炉」 十五代 沈壽官 2010年

高さ69cmの大きな香炉で、十二代の時代の下絵図に基いて、今回の展覧会の
ために制作されたそうです。
初代沈当吉時代の素朴な品から始まって、よくここまで発展してきたものだと
思います。
白薩摩の豪華さと技術の冴えを十分堪能出来る展覧会でした。
恵比寿
「neuf cafe(ヌフ カフェ)」は恵比寿駅の北側、山手線沿いの雑居ビルの
9階にあります。
場所は渋谷区恵比寿西1-3-2 東栄ビル9階です。

小さな古いビルの8階までエレーベーターで上がり、そこから階段を
数段上がるとお店に辿り着きます。
9階にあるので、フランス語の9(neuf)と名付けたそうです。
8階の屋上部分はテラス席になっています。
20席ほどのリノベーションカフェで、いろいろな小物が飾ってあって
目を楽しませてくれます。

窓から覗くと目の下に山手線が見えます。

1999年の開店で、レイアウトはしょっちゅう変えているそうです。
BGMはジャズや日本のポップスなどいろいろ混じっていました。
コーヒー520円と、リンゴのタルト500円です。

タルトは濃厚な味で、台もしっかりとして美味しく、フレンチコーヒーの
苦味とよく合います。
お店の方に「タルトの味はいかがでしたか」と尋ねられたので、
その様に答えました。
前もって知っていなければまず見付けられない場所にありますが、
面白みのあるお店です。
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「neuf cafe(ヌフ カフェ)」は恵比寿駅の北側、山手線沿いの雑居ビルの
9階にあります。
場所は渋谷区恵比寿西1-3-2 東栄ビル9階です。

小さな古いビルの8階までエレーベーターで上がり、そこから階段を
数段上がるとお店に辿り着きます。
9階にあるので、フランス語の9(neuf)と名付けたそうです。
8階の屋上部分はテラス席になっています。
20席ほどのリノベーションカフェで、いろいろな小物が飾ってあって
目を楽しませてくれます。

窓から覗くと目の下に山手線が見えます。

1999年の開店で、レイアウトはしょっちゅう変えているそうです。
BGMはジャズや日本のポップスなどいろいろ混じっていました。
コーヒー520円と、リンゴのタルト500円です。

タルトは濃厚な味で、台もしっかりとして美味しく、フレンチコーヒーの
苦味とよく合います。
お店の方に「タルトの味はいかがでしたか」と尋ねられたので、
その様に答えました。
前もって知っていなければまず見付けられない場所にありますが、
面白みのあるお店です。
竹橋
竹橋の東京国立近代美術館では、『「日本画」の前衛 1938-1949』展が
開かれています。
会期は2月13日(日)までです。

前衛的な日本画の運動は1938年に結成された歴程美術協会の活動が一つの画期と
なっているとのことです。
山岡良文 「シュパンヌンク」 1938年 第1回歴程美術協会展

「シュパンヌンク」とはドイツ語で「緊張」という意味で、カンディンスキーが
1926年に発表した著作の中のキーワードの一つとのことです。
形と形の間の緊張関係を作品化したとのことで、日本画の画材を使っている以外は
洋画の抽象画と変わりません。
山崎隆 「象」 1938年 第1回歴程美術協会展

こちらも純粋の抽象画で、塗りも分厚く、日本画というイメージはありません。
田口壮 「季節の停止」 1938年 第1回歴程美術協会展

シュルレアリスム的な画面ですが、日本画の色調で、詩情の感じられる作品です。
日本画の持つ柔らかさはシュルレアリスムと相性が良いようです。
田口壮 「喫茶室」 1934年
歴程美術協会発足前の作品ですが、大きな赤いコーヒーミルと赤い服の女性を
描いていて、モダンで都会的です。
残念なことに田口壮は若くして亡くなっているそうです。
船田玉樹 「花の夕」 1938年 第1回歴程美術協会展

パンフレットに使われている作品です。
四曲一隻の屏風に満開の枝垂梅のような花を描いています。
花弁は赤と白の大きな丸を塗って表すというモダンさですが、大きな月を
背後に置いて、伝統的な装飾性も持たせています。
丸木位里 「馬(部分)」 1939年 第2回歴程美術協会展

丸木位里は「原爆の図」で有名ですが、歴程美術協会に参加しています。
「馬」は形がほとんど抽象化されていて、馬とは分かりません。
丸木位里の作品にはどれも腹の据わったしぶとさがあります。
岩橋英遠 「土」 1938年 第2回自由美術家協会展
木の根、地中で冬眠している蛇や蛙、芽を出しかけた草などを幻想味を
交えて描いています。
歴程美術協会に参加した山岡良文や船田玉樹、丸木位里、岩橋英遠たちは
日本画、洋画の枠を越えた集まりである自由美術家協会にも参加しています。
この交流により、洋画と日本画双方が影響を与え合ったとのことです。
吉岡堅二 「氷原」 1940年
従軍画家として中国を旅行した時に樺太に渡って取材した作品とのことです。
トナカイの群れをアルタミラやラスコーの壁画のような原始的な力強さで
描いています。
吉岡堅二は歴程美術協会とは別に以前から日本画に洋画の新しい流れを
取り入れようとしていたとのことです。
山崎隆 「戦地の印象」 1940年 第3回歴程美術協会展
山崎隆は出征した中国大陸の広漠とした風景を半ば抽象画風に屏風に
描いています。
終戦後、山崎隆が中心になって再び革新的な日本画の運動の一つである、
「パンリアル」が結成されたとのことです。
山崎隆 「海浜」 1949年 第2回パンリアル展
海辺に生えた異様な形の松の木を描いています。
抽象画的な要素を取り入れようとしています。
前衛的な日本画は戦前の1930年代に既に始まり、戦争による中断を経て、
現在につながっていて、その中で歴程美術協会は重要な役割を果たしている
ということでした。
前衛的な日本画の運動について、今まで知らなかった、山岡良文や山崎隆と
いった人たちの活動のあったことが分かりました。
また、展示されている作品を観て分かったのは、現在の日本画でも観られる
新しいスタイルの幾つかは既に戦前から始められているということでした。
展覧会のHPです。
この展覧会が京都国立近代美術館で開かれた時の詳しい解説が同美術館のHPに
載っています。
chariot
竹橋の東京国立近代美術館では、『「日本画」の前衛 1938-1949』展が
開かれています。
会期は2月13日(日)までです。

前衛的な日本画の運動は1938年に結成された歴程美術協会の活動が一つの画期と
なっているとのことです。
山岡良文 「シュパンヌンク」 1938年 第1回歴程美術協会展

「シュパンヌンク」とはドイツ語で「緊張」という意味で、カンディンスキーが
1926年に発表した著作の中のキーワードの一つとのことです。
形と形の間の緊張関係を作品化したとのことで、日本画の画材を使っている以外は
洋画の抽象画と変わりません。
山崎隆 「象」 1938年 第1回歴程美術協会展

こちらも純粋の抽象画で、塗りも分厚く、日本画というイメージはありません。
田口壮 「季節の停止」 1938年 第1回歴程美術協会展

シュルレアリスム的な画面ですが、日本画の色調で、詩情の感じられる作品です。
日本画の持つ柔らかさはシュルレアリスムと相性が良いようです。
田口壮 「喫茶室」 1934年
歴程美術協会発足前の作品ですが、大きな赤いコーヒーミルと赤い服の女性を
描いていて、モダンで都会的です。
残念なことに田口壮は若くして亡くなっているそうです。
船田玉樹 「花の夕」 1938年 第1回歴程美術協会展

パンフレットに使われている作品です。
四曲一隻の屏風に満開の枝垂梅のような花を描いています。
花弁は赤と白の大きな丸を塗って表すというモダンさですが、大きな月を
背後に置いて、伝統的な装飾性も持たせています。
丸木位里 「馬(部分)」 1939年 第2回歴程美術協会展

丸木位里は「原爆の図」で有名ですが、歴程美術協会に参加しています。
「馬」は形がほとんど抽象化されていて、馬とは分かりません。
丸木位里の作品にはどれも腹の据わったしぶとさがあります。
岩橋英遠 「土」 1938年 第2回自由美術家協会展
木の根、地中で冬眠している蛇や蛙、芽を出しかけた草などを幻想味を
交えて描いています。
歴程美術協会に参加した山岡良文や船田玉樹、丸木位里、岩橋英遠たちは
日本画、洋画の枠を越えた集まりである自由美術家協会にも参加しています。
この交流により、洋画と日本画双方が影響を与え合ったとのことです。
吉岡堅二 「氷原」 1940年
従軍画家として中国を旅行した時に樺太に渡って取材した作品とのことです。
トナカイの群れをアルタミラやラスコーの壁画のような原始的な力強さで
描いています。
吉岡堅二は歴程美術協会とは別に以前から日本画に洋画の新しい流れを
取り入れようとしていたとのことです。
山崎隆 「戦地の印象」 1940年 第3回歴程美術協会展
山崎隆は出征した中国大陸の広漠とした風景を半ば抽象画風に屏風に
描いています。
終戦後、山崎隆が中心になって再び革新的な日本画の運動の一つである、
「パンリアル」が結成されたとのことです。
山崎隆 「海浜」 1949年 第2回パンリアル展
海辺に生えた異様な形の松の木を描いています。
抽象画的な要素を取り入れようとしています。
前衛的な日本画は戦前の1930年代に既に始まり、戦争による中断を経て、
現在につながっていて、その中で歴程美術協会は重要な役割を果たしている
ということでした。
前衛的な日本画の運動について、今まで知らなかった、山岡良文や山崎隆と
いった人たちの活動のあったことが分かりました。
また、展示されている作品を観て分かったのは、現在の日本画でも観られる
新しいスタイルの幾つかは既に戦前から始められているということでした。
展覧会のHPです。
この展覧会が京都国立近代美術館で開かれた時の詳しい解説が同美術館のHPに
載っています。