三越前
日本橋三越本店新館ギャラリーでは、「生誕110年記念 荻須高徳展
~憧れのパリ、煌めきのベネチア~」が開かれています。
会期は2016年1月16日(月)まで、入場料は一般・大学生800円です。

パリの街角を静かな雰囲気で描いた荻須高徳(1901~1986)の油彩画
約50点の展示です。
荻須高徳は現在の愛知県稲沢市の出身で、東京美術学校では猪熊弦一郎、
牛島憲之、小磯良平、高野三三男、山口長男らと同期です。
東京美術学校を卒業した1927年に26歳で山口長男らとフランスに渡り、
1928年には早くもサロンに入選しています。
また、パリでは佐伯祐三(1898~1928)と親しくしています。
「果物屋」 1930年

初期の作品は佐伯祐三の影響を受けて、激しいタッチで描かれ、
佐伯の作品と見間違えるほどです。
「広告のある街角」 1937年

その後、画風はおだやかになり、いわゆる荻須らしさが出てきます。
壁はしっかりと塗り込めるように描かれています。
荻須は、ヨーロッパの絵画とはボリュームであり、自分は霞みたなびく
日本の風景は好まない、と述べていますが、その通りの厚みのある描き方です。
パリでも冬の景色を好み、色彩も沈んでいて、空の色も灰色です。
「フジタの窓から見たオルドネール通り」 1938年

先輩の藤田嗣治の住んでいた部屋からの眺めのようです。
第二次世界大戦直前の頃で、この頃まだパリにいたのは、藤田と猪熊弦一郎、
高野三三男くらいだったとのことです。
やがて戦争が始まり、多くの日本人は帰国せざるを得なくなります。
版画家の長谷川潔はフランスに残っています。
荻須は戦後の1948年には日本人画家として最初にフランス滞在の許可が下りて、
パリに戻っています。
藤田嗣治がパリに戻るのは荻須より遅く、1950年です。
「ヴニーズ通り」 1953年

戦後の作品も戦前と画風は変わっていません。
荻須の作品にはよく点景のような人物がさりげなく描きこまれています。
ユトリロの取って付けたような描き方と違って、風景に溶け込んでいます。
「金のかたつむり」 1978年

稲沢市荻須記念美術館設立に際して、荻須から美術館に寄贈された作品です。
「金のかたつむり」 とは何のお店なのでしょうか。
看板にも、「L'SCARGO OR」と書いてあります。
人通りの無い街角には程の良い寂寥感がただよっています。
「リオ・デ・レ・ベカリエ」 1935年
荻須はベネチアもよく描いています。
パリの絵に比べると色合いがやや明るくなり、ベネチアらしく水に映る建物の影などが
描かれています。
「サン・マルコ広場」 1935年

サン・マルコ広場といえば華やかな場所ですが、荻須らしく色調は抑え気味です。
「青い着物の美代子」 1959年
人物画も何点か展示されています。
この作品は着物その物を描こうとしたようで、帯は横の衣桁に掛けてあります。
西洋人をモデルにした作品は風景画に比べると色彩も明るく、活気があります。
荻須は肖像画も好んだそうですが、対象の人物の内面、気にかけていることを
描き出してしまい、相手の気持ちを逆なでしてしまうことがあると述べています。
「黄色い壷のリラ」 1976年

花を描いた静物画も数点、展示されています。
色彩はさらに華やかになり、豪華と言ってよいほどで、風景画とはかなり雰囲気が
異なります。
荻須高徳はパリで制作を続け、84歳でパリのアトリエで亡くなっています。
画風も佐伯祐三に似た初期以外は変わっておらず、戦後に抽象画が流行し、
周りの画家が抽象画を描き出したときも動じていません。
よほど自分の作風に早くから確信があったのでしょう。
その手堅さが今も人気のある理由の一つかも知れません。
このblogを始めて4年経ちました。
今年も多くの方にご訪問いただき、ありがとうございました。
また、非公開でコメントを下さった方々には、お返事が出来なかったのですが、
とても嬉しく読ませていただきました。
皆様もどうぞ良いお年をお迎えください。
chariot
日本橋三越本店新館ギャラリーでは、「生誕110年記念 荻須高徳展
~憧れのパリ、煌めきのベネチア~」が開かれています。
会期は2016年1月16日(月)まで、入場料は一般・大学生800円です。

パリの街角を静かな雰囲気で描いた荻須高徳(1901~1986)の油彩画
約50点の展示です。
荻須高徳は現在の愛知県稲沢市の出身で、東京美術学校では猪熊弦一郎、
牛島憲之、小磯良平、高野三三男、山口長男らと同期です。
東京美術学校を卒業した1927年に26歳で山口長男らとフランスに渡り、
1928年には早くもサロンに入選しています。
また、パリでは佐伯祐三(1898~1928)と親しくしています。
「果物屋」 1930年

初期の作品は佐伯祐三の影響を受けて、激しいタッチで描かれ、
佐伯の作品と見間違えるほどです。
「広告のある街角」 1937年

その後、画風はおだやかになり、いわゆる荻須らしさが出てきます。
壁はしっかりと塗り込めるように描かれています。
荻須は、ヨーロッパの絵画とはボリュームであり、自分は霞みたなびく
日本の風景は好まない、と述べていますが、その通りの厚みのある描き方です。
パリでも冬の景色を好み、色彩も沈んでいて、空の色も灰色です。
「フジタの窓から見たオルドネール通り」 1938年

先輩の藤田嗣治の住んでいた部屋からの眺めのようです。
第二次世界大戦直前の頃で、この頃まだパリにいたのは、藤田と猪熊弦一郎、
高野三三男くらいだったとのことです。
やがて戦争が始まり、多くの日本人は帰国せざるを得なくなります。
版画家の長谷川潔はフランスに残っています。
荻須は戦後の1948年には日本人画家として最初にフランス滞在の許可が下りて、
パリに戻っています。
藤田嗣治がパリに戻るのは荻須より遅く、1950年です。
「ヴニーズ通り」 1953年

戦後の作品も戦前と画風は変わっていません。
荻須の作品にはよく点景のような人物がさりげなく描きこまれています。
ユトリロの取って付けたような描き方と違って、風景に溶け込んでいます。
「金のかたつむり」 1978年

稲沢市荻須記念美術館設立に際して、荻須から美術館に寄贈された作品です。
「金のかたつむり」 とは何のお店なのでしょうか。
看板にも、「L'SCARGO OR」と書いてあります。
人通りの無い街角には程の良い寂寥感がただよっています。
「リオ・デ・レ・ベカリエ」 1935年
荻須はベネチアもよく描いています。
パリの絵に比べると色合いがやや明るくなり、ベネチアらしく水に映る建物の影などが
描かれています。
「サン・マルコ広場」 1935年

サン・マルコ広場といえば華やかな場所ですが、荻須らしく色調は抑え気味です。
「青い着物の美代子」 1959年
人物画も何点か展示されています。
この作品は着物その物を描こうとしたようで、帯は横の衣桁に掛けてあります。
西洋人をモデルにした作品は風景画に比べると色彩も明るく、活気があります。
荻須は肖像画も好んだそうですが、対象の人物の内面、気にかけていることを
描き出してしまい、相手の気持ちを逆なでしてしまうことがあると述べています。
「黄色い壷のリラ」 1976年

花を描いた静物画も数点、展示されています。
色彩はさらに華やかになり、豪華と言ってよいほどで、風景画とはかなり雰囲気が
異なります。
荻須高徳はパリで制作を続け、84歳でパリのアトリエで亡くなっています。
画風も佐伯祐三に似た初期以外は変わっておらず、戦後に抽象画が流行し、
周りの画家が抽象画を描き出したときも動じていません。
よほど自分の作風に早くから確信があったのでしょう。
その手堅さが今も人気のある理由の一つかも知れません。
このblogを始めて4年経ちました。
今年も多くの方にご訪問いただき、ありがとうございました。
また、非公開でコメントを下さった方々には、お返事が出来なかったのですが、
とても嬉しく読ませていただきました。
皆様もどうぞ良いお年をお迎えください。
みなとみらい
「カフェ・ド・ラ・プレス(CAFE de la PRESSE)」は日本大通りの情報文化センターの
2階にあります。
場所は横浜市中区日本大通11です。

建物は昭和4年竣工の横浜商工奨励館を利用しています。
このあたりは横浜でも景色の良いスポットの一つで、特に銀杏の黄葉の頃には
よく写真に撮られる所です。
正面の階段は太い柱が際立っています。

階段を見下ろしたところです。

お店は階段を上がったところのスペースを仕切ってあります。


50席ほどの店内は重厚な雰囲気で、全席禁煙です。



1974年からのお店で、以前は地下にあり、建物の改装の終わった2000年に
こちらに越してきたとのことです。
窓際の席から日本大通りの交差点を見下ろせます。

クロックムッシュ735円とコーヒー420円です。

クロックムッシュのパンはこんがりしています。
コーヒーはフレンチで、苦味がくっきりして美味しいです。
ゆったりとした気分で古き良き横浜を味わえるお店の一つです。
1階にある同じ系列の「アルテリ-べ」でウエディングパーティーが開かれるときの
控え室として貸切になることもあり、この前は入れなかったので、今度は事前に
確認してから行きました。
chariot
「カフェ・ド・ラ・プレス(CAFE de la PRESSE)」は日本大通りの情報文化センターの
2階にあります。
場所は横浜市中区日本大通11です。

建物は昭和4年竣工の横浜商工奨励館を利用しています。
このあたりは横浜でも景色の良いスポットの一つで、特に銀杏の黄葉の頃には
よく写真に撮られる所です。
正面の階段は太い柱が際立っています。

階段を見下ろしたところです。

お店は階段を上がったところのスペースを仕切ってあります。


50席ほどの店内は重厚な雰囲気で、全席禁煙です。



1974年からのお店で、以前は地下にあり、建物の改装の終わった2000年に
こちらに越してきたとのことです。
窓際の席から日本大通りの交差点を見下ろせます。

クロックムッシュ735円とコーヒー420円です。

クロックムッシュのパンはこんがりしています。
コーヒーはフレンチで、苦味がくっきりして美味しいです。
ゆったりとした気分で古き良き横浜を味わえるお店の一つです。
1階にある同じ系列の「アルテリ-べ」でウエディングパーティーが開かれるときの
控え室として貸切になることもあり、この前は入れなかったので、今度は事前に
確認してから行きました。
日本橋
日本橋高島屋の美術画廊では2012年1月10日(火)まで、「櫻井孝美展」が
開かれています。
櫻井孝美(さくらいたかよし)さん(1944~)は原色を使った明るい色彩と
デザイン的な画面の作品を描いています。
油彩画ですが平面的に描かれ、日本画のような感覚があります。
展覧会には30点近くが展示されていて、題材は富士山が多く、花や風景、
龍虎図もあります。
「富嶽・旺」 40号

赤、黄、青、緑を思い切り使って虹のような画面を作り、富士山を単純明快な
形に描き出しています。
山梨県側からの眺めでしょうか。
太陽の周りは雲や山頂も金色に輝いています。
年の変わり目にふさわしい、観ていて元気の出てくる絵です。
chariot
日本橋高島屋の美術画廊では2012年1月10日(火)まで、「櫻井孝美展」が
開かれています。
櫻井孝美(さくらいたかよし)さん(1944~)は原色を使った明るい色彩と
デザイン的な画面の作品を描いています。
油彩画ですが平面的に描かれ、日本画のような感覚があります。
展覧会には30点近くが展示されていて、題材は富士山が多く、花や風景、
龍虎図もあります。
「富嶽・旺」 40号

赤、黄、青、緑を思い切り使って虹のような画面を作り、富士山を単純明快な
形に描き出しています。
山梨県側からの眺めでしょうか。
太陽の周りは雲や山頂も金色に輝いています。
年の変わり目にふさわしい、観ていて元気の出てくる絵です。
表参道
「青山フラワーマーケット ティーハウス」は表参道交差点にある青山フラワーマーケット
南青山本店の中にあります。
場所は港区南青山5-1-2です。

花屋さんの奥にあるお店で、全席禁煙、30席ほどで植物に埋まっています。
BGMはジャズ風のクリスマスソングでした。


テーブルの下にもプランターが置いてあります。


フレッシュハーブティーのリフレッシュブレンド787円です。

レモングラス、ローズマリー、レモンバーム、スペアミント、アップルミントの
5種類のフレッシュハーブが入っています。
クッキーも付いています。
ポットにたっぷりお湯が入っていて、砂時計で時間を測ってからいただきます。
カップに注ぐと淡い色合いで、飲むととてもさわやかな味です。
ストレートでもとても美味しいのですが、ハチミツが付いていて、入れると
まろやかになります。
6種類のフレッシュハーブのリラックスブレンドもあります。
今年の9月に開店したばかりとのことですが、フレッシュハーブティーの美味しさを
伝えてくれるお店でした。
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「青山フラワーマーケット ティーハウス」は表参道交差点にある青山フラワーマーケット
南青山本店の中にあります。
場所は港区南青山5-1-2です。

花屋さんの奥にあるお店で、全席禁煙、30席ほどで植物に埋まっています。
BGMはジャズ風のクリスマスソングでした。


テーブルの下にもプランターが置いてあります。


フレッシュハーブティーのリフレッシュブレンド787円です。

レモングラス、ローズマリー、レモンバーム、スペアミント、アップルミントの
5種類のフレッシュハーブが入っています。
クッキーも付いています。
ポットにたっぷりお湯が入っていて、砂時計で時間を測ってからいただきます。
カップに注ぐと淡い色合いで、飲むととてもさわやかな味です。
ストレートでもとても美味しいのですが、ハチミツが付いていて、入れると
まろやかになります。
6種類のフレッシュハーブのリラックスブレンドもあります。
今年の9月に開店したばかりとのことですが、フレッシュハーブティーの美味しさを
伝えてくれるお店でした。
神谷町
虎ノ門の菊池寛実記念智美術館では「胸中の山水 細川護熙」展が開かれています。
会期は2012年1月9日(月・祝)までです。



細川護熙さん(1938~)は政界引退後は湯河原の「不東庵(ふとうあん)」で作陶や
書に親しんでいます。
2009年からは油絵も始め、今回が美術館での初めての油絵の展覧会になります。
展覧会では、茶陶、陶仏、油絵、書など約60点が展示されています。
「飲酒」 2010年

陶淵明の詩、「飲酒其五」の一節に拠っています。
采菊東籬下
悠然見南山
山気日夕佳
飛鳥相與還
細川さんが実際に見た廬山の光景を基にしているとのことで、近景には菊や人物の姿、
遠景の廬山には鳥も見えます。
山水画などの東洋画とは違う描き方ながら、夕暮れの菊園のしみじみとした雰囲気を
よく表しています。
「山水寒山」 2011年
縦120cm、横360cmの大きな画面で、銀箔の地に雲の間に浮かぶ山々を描いています。
雲は渺渺と広がり、漢詩の精神世界を存分に描き出しています。
他に唐の王維の「送別」、崔顥(さいこう)の「黄鶴楼」、北宋の蘇東坡の「赤壁賦」などに
拠った油彩画と書も展示されていて、細川さんの漢詩への思いの深さを示しています。
「陶仏」 2011年

信楽焼の陶仏や五輪塔が何点かあって、古寂びた味わいがあります。
「赤茶碗」 2007年

細川さんの茶碗はどれもかなり大振りで堂々としていて、茶席用というより作って
楽しむといった感じがします。
細川護熙さんの和漢にまたがる精神世界の広がりを十分に味わえる展覧会でした。
2010年に日本橋三越で開かれた、「細川護熙展」の記事です。
展覧会のHPです。
美術館とホテルオークラの間にある江戸見坂です。
北東方向を向いていて、昔はここから江戸の町並みを見渡せたので、
この名が付いたそうです。

25日の夜、銀座、有楽町に行きました。
クリスマスも終わりましたが、その時の写真を少し載せます。
ソニービルのDream Xmas 2011です。
4万個のLEDを使ったオブジェが色を変えて点滅していて、大勢の人が
写真を撮っていました。

交通会館前


マロニエゲート




通りにはもう正月用の門松を乗せたトラックが停まっていました。
朝にはすっかり新年を迎える街に変わるのでしょう。
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虎ノ門の菊池寛実記念智美術館では「胸中の山水 細川護熙」展が開かれています。
会期は2012年1月9日(月・祝)までです。



細川護熙さん(1938~)は政界引退後は湯河原の「不東庵(ふとうあん)」で作陶や
書に親しんでいます。
2009年からは油絵も始め、今回が美術館での初めての油絵の展覧会になります。
展覧会では、茶陶、陶仏、油絵、書など約60点が展示されています。
「飲酒」 2010年

陶淵明の詩、「飲酒其五」の一節に拠っています。
采菊東籬下
悠然見南山
山気日夕佳
飛鳥相與還
細川さんが実際に見た廬山の光景を基にしているとのことで、近景には菊や人物の姿、
遠景の廬山には鳥も見えます。
山水画などの東洋画とは違う描き方ながら、夕暮れの菊園のしみじみとした雰囲気を
よく表しています。
「山水寒山」 2011年
縦120cm、横360cmの大きな画面で、銀箔の地に雲の間に浮かぶ山々を描いています。
雲は渺渺と広がり、漢詩の精神世界を存分に描き出しています。
他に唐の王維の「送別」、崔顥(さいこう)の「黄鶴楼」、北宋の蘇東坡の「赤壁賦」などに
拠った油彩画と書も展示されていて、細川さんの漢詩への思いの深さを示しています。
「陶仏」 2011年

信楽焼の陶仏や五輪塔が何点かあって、古寂びた味わいがあります。
「赤茶碗」 2007年

細川さんの茶碗はどれもかなり大振りで堂々としていて、茶席用というより作って
楽しむといった感じがします。
細川護熙さんの和漢にまたがる精神世界の広がりを十分に味わえる展覧会でした。
2010年に日本橋三越で開かれた、「細川護熙展」の記事です。
展覧会のHPです。
美術館とホテルオークラの間にある江戸見坂です。
北東方向を向いていて、昔はここから江戸の町並みを見渡せたので、
この名が付いたそうです。

25日の夜、銀座、有楽町に行きました。
クリスマスも終わりましたが、その時の写真を少し載せます。
ソニービルのDream Xmas 2011です。
4万個のLEDを使ったオブジェが色を変えて点滅していて、大勢の人が
写真を撮っていました。

交通会館前


マロニエゲート




通りにはもう正月用の門松を乗せたトラックが停まっていました。
朝にはすっかり新年を迎える街に変わるのでしょう。
六本木
「ザ・リッツ・カールトン カフェ&デリ」は東京ミッドタウンの「ザ・リッツ・カールトン東京」の
1階にあります。
場所は港区赤坂9-7-1です。



東京ミッドタウンの広場に面した細長いお店で、明るい店内は全席禁煙です。

フードメニューはドリンク付きで1100円ほどです。

ケーキやチョコレートがいろいろ揃っています。



マロンシュークリーム500円と紅茶350円にサービス料110円が付いて960円になります。

シュークリームは巨大と言っていい大きさで、ナイフとフォークでいただきます。
皮が何層にもなっていて、甘さ控えめのクリームがたっぷり入っていて美味しいです。
他にチョコレートと抹茶があります。
ティーバッグの紅茶は何種類かありますが、ウバにしました。
ホテルのカフェですが、価格も手頃で気軽に使えるお店です。
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「ザ・リッツ・カールトン カフェ&デリ」は東京ミッドタウンの「ザ・リッツ・カールトン東京」の
1階にあります。
場所は港区赤坂9-7-1です。



東京ミッドタウンの広場に面した細長いお店で、明るい店内は全席禁煙です。

フードメニューはドリンク付きで1100円ほどです。

ケーキやチョコレートがいろいろ揃っています。



マロンシュークリーム500円と紅茶350円にサービス料110円が付いて960円になります。

シュークリームは巨大と言っていい大きさで、ナイフとフォークでいただきます。
皮が何層にもなっていて、甘さ控えめのクリームがたっぷり入っていて美味しいです。
他にチョコレートと抹茶があります。
ティーバッグの紅茶は何種類かありますが、ウバにしました。
ホテルのカフェですが、価格も手頃で気軽に使えるお店です。
渋谷
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは「フェルメールからのラブレター展」が
開かれています。
会期は2012年3月14日(水)までで、1月1日のみ休館です。

副題は「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」と
なっていて、フェルメールの手紙を題材にした作品3点を中心に、17世紀のオランダの
日常生活を描いた作品、約40点が展示されています。
展覧会は4つの章で構成されています。
・人々のやりとり―しぐさ、視線、表情
・家族の絆・家族の空間
・手紙を通したコミュニケーション
・職業上の、あるいは学術的コミュニケーション
・人々のやりとり―しぐさ、視線、表情
ヤン・ステーン 「生徒にお仕置きをする教師」 1663-65年頃
油彩、キャンヴァス アイルランド・ナショナル・ギャラリー

床に落ちている紙に汚い字が書いてあるところを見ると、この子はまじめにお習字を
しなかったようです。
横で女の子が、それ見たことかといった表情で笑っています。
こういうとき、女の子は残酷なものです。
教室は先生の自宅のようで、壁に日用品が掛けてあります。
塾の様子というのは絵の題材に向いているようで、 渡辺崋山の「一掃百態図」にも
寺子屋の腕白小僧たちが描かれています。
ヤン・ステーン(1626-1679)はライデンやハールレムで活動した画家で、猥雑な
情景の風俗画で有名です。
オランダは商業が盛んだったので識字率も高く、子供たちもこういう所で読み書きを
習ったのでしょう。
・家族の絆・家族の空間
ピーテル・デ・ホーホ 「中庭にいる女と子供」 1658-60年頃
油彩、キャンヴァス ワシントン・ナショナル・ギャラリー

中庭でのおだやかな家族のひとときです。
石段と石壁、扉、その奥にさらに石段、扉と続いて奥行きを深くし、空間に変化を
持たせています。
ピーテル・デ・ホーホ(1629-1684)はフェルメールと同じデルフトやアムステルダムで
活動した画家で、デルフト時代は透視図法を使って静謐な作品を描いています。
ピーテル・デ・ホーホ 「室内の女と子供」 1658年頃
油彩、キャンヴァス アムステルダム国立美術館

こちらも静かな室内の情景ですが、奥の部屋の二つの窓の見える複雑な構図です。
床のデルフトタイルの市松模様が透視図法の消失点が左側にあることを示しています。
ヤン・ステーン 「老人が歌えば若者は笛を吹く」 1670-75年頃
油彩、キャンヴァス フィラデルフィア美術館
家の中で老人たちが楽器を弾いて歌を歌い、若い者や子供まで一緒になって、
飲めや歌えの大騒ぎです。
ヤン・ステーンのよく描く教訓的な場面ですが、観ていて面白い情景です。
・職業上の、あるいは学術的コミュニケーション
ヤン・リーフェンス 「机に向かう簿記係」 1629年頃 油彩、板 個人蔵

光と影を強調してレンブラント風に描かれた老人は簿記係というより聖書の
登場人物のようです。
ヤン・リーフェンス(1607-1674)はオランダやイギリスなどで活動した画家で、
レンブラントと共同の工房を設けたこともあります。
コルネリス・デ・マン 「薬剤師イスブラント博士」 1667年頃
油彩、キャンヴァス 個人蔵

机の上には本、楽器、天球儀、さらには頭骸骨まで置いてあります。
博士の学識を示す一方でヴァニタス(人生のはかなさの寓意)の意味も持たせて
いますが、欲張った画面構成になっています。
博士の着ているガウンは日本との貿易でもたらされた着物かそれを元にした服で、
富裕層の間で流行していたそうです。
フェルメールの「地理学者」でも、地理学者が同じようなガウンを着ています。
・手紙を通したコミュニケーション
フランス・ファン・ミーリス(I世) 「手紙を書く女」 1680年
油彩、板 アムステルダム国立美術館

サテンの服を着た裕福そうな家庭の女性が手紙を書いています。
横にあるマンドリンのような楽器はリュートで、愛を象徴するとのことです。
犬も忠実を表すので、手紙の相手への愛と忠実を寓意化した絵ということでしょうか。
向こうに見える肖像画の人物が夫か恋人なのでしょう。
フランス・ファン・ミーリス(I世)(1635-1681)はライデンで活動した画家で、
人物画を描いています。
17世紀のオランダは東インド会社を通じて遠く日本などの東アジアにまで進出しています。
故郷を遠く離れた男たちとの間で手紙のやりとりがなされますが、届くのには2年ほども
かかったそうです。
ヘリット・ダウ 「羽根ペンを削る学者」 1628-31年頃 油彩、板 個人蔵
小品で、老学者がナイフで羽根ペンを削っているという、変わった場面を捉えています。
ヘリット・ダウ(1613-1675)はライデン生まれで、陰影を強調した細密な画風で知られています。
15歳でレンブラントの弟子になっており、この作品もその頃のものとされています。
ヨハネス・フェルメール 「手紙を書く女」 1665年頃
油彩、キャンヴァス ワシントン・ナショナル・ギャラリー

若い手紙を書く手を止めてこちらを見ています。
顔はややぼかし気味で、窓の光の照らす彼女の服、イヤリング、リボン、小物入れや
椅子の金具を強調しています。
特に白貂の縁取りの付いた金色の上着は輝いています。
ヨハネス・フェルメール 「手紙を読む青衣の女」 1663-64年頃
油彩、キャンヴァス アムステルダム国立美術館

修復後の初公開とのことです。
高価なラピスラズリを原料にしたウルトラマリンブルーが女性の服、椅子、壁の下塗り
にも使われ、全体に青みがかった静かな印象を与えています。
壁の色も窓からの距離による日の光の微妙な強弱を表し、地図のしわに当たる光も
細かく描き出しています。
壁の地図は夫や恋人の不在を暗示しているとのことです。
ヨハネス・フェルメール 「手紙を書く女と召使い」 1670年頃
油彩、キャンヴァス アイルランド・ナショナル・ギャラリー

一心に手紙を書く女性の足許には反古紙や封印の蜜蝋が散らばっていて、
女性の感情を表しているとのことです。
カメラのピントを合わせたように、女性はくっきりと描き込まれていますが、
召使いはあっさりとした筆遣いで描かれています。
女性や召使いの服、窓、タイルの床の白が印象的で、それに窓や前掛け、
椅子の青が添えられています。
背景の絵画は「モーセの発見」で、旧約聖書のファラオがエジプトで生まれた
イスラエルの男児をすべて殺すよう命じたとき、ひそかに葦舟に乗せられて
ナイル川に流されたモーセをファラオの王女が見つけて養育したという話です。
そのため、「モーセの発見」には敵対者の和解という寓意があるそうで、
この情景も劇的な意味を持った場面ということになります。
それにしては手紙の書き上がりを待っているらしい召使いは窓の外を眺めていて、
観る人の意識を外に向けているのが面白いところです。
「手紙を書く女」、「手紙を読む青衣の女」、「手紙を書く女と召使い」の3点は一緒に
展示されていますが、少し離れて眺めたとき、それぞれの作品に本当に淡い日の光が
差しているように見えました。
当時、実際に室内に飾られていたときには、観る人はもっと日の光を感じていたことでしょう。
このことを発見しただけでもこの展覧会に来た甲斐があったと思いました。
何しろフェルメール展ですので、早めに行かれることをお奨めします。
展覧会のHPです。
渋谷の「109」のあたりには昔は飲み屋などの小さなお店が軒を連ねる
「恋文横丁」がありました。
進駐軍を相手にする英語の書けない女性のために手紙を代書する商売の
お店があったので、その名が付きました。

chariot
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは「フェルメールからのラブレター展」が
開かれています。
会期は2012年3月14日(水)までで、1月1日のみ休館です。

副題は「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」と
なっていて、フェルメールの手紙を題材にした作品3点を中心に、17世紀のオランダの
日常生活を描いた作品、約40点が展示されています。
展覧会は4つの章で構成されています。
・人々のやりとり―しぐさ、視線、表情
・家族の絆・家族の空間
・手紙を通したコミュニケーション
・職業上の、あるいは学術的コミュニケーション
・人々のやりとり―しぐさ、視線、表情
ヤン・ステーン 「生徒にお仕置きをする教師」 1663-65年頃
油彩、キャンヴァス アイルランド・ナショナル・ギャラリー

床に落ちている紙に汚い字が書いてあるところを見ると、この子はまじめにお習字を
しなかったようです。
横で女の子が、それ見たことかといった表情で笑っています。
こういうとき、女の子は残酷なものです。
教室は先生の自宅のようで、壁に日用品が掛けてあります。
塾の様子というのは絵の題材に向いているようで、 渡辺崋山の「一掃百態図」にも
寺子屋の腕白小僧たちが描かれています。
ヤン・ステーン(1626-1679)はライデンやハールレムで活動した画家で、猥雑な
情景の風俗画で有名です。
オランダは商業が盛んだったので識字率も高く、子供たちもこういう所で読み書きを
習ったのでしょう。
・家族の絆・家族の空間
ピーテル・デ・ホーホ 「中庭にいる女と子供」 1658-60年頃
油彩、キャンヴァス ワシントン・ナショナル・ギャラリー

中庭でのおだやかな家族のひとときです。
石段と石壁、扉、その奥にさらに石段、扉と続いて奥行きを深くし、空間に変化を
持たせています。
ピーテル・デ・ホーホ(1629-1684)はフェルメールと同じデルフトやアムステルダムで
活動した画家で、デルフト時代は透視図法を使って静謐な作品を描いています。
ピーテル・デ・ホーホ 「室内の女と子供」 1658年頃
油彩、キャンヴァス アムステルダム国立美術館

こちらも静かな室内の情景ですが、奥の部屋の二つの窓の見える複雑な構図です。
床のデルフトタイルの市松模様が透視図法の消失点が左側にあることを示しています。
ヤン・ステーン 「老人が歌えば若者は笛を吹く」 1670-75年頃
油彩、キャンヴァス フィラデルフィア美術館
家の中で老人たちが楽器を弾いて歌を歌い、若い者や子供まで一緒になって、
飲めや歌えの大騒ぎです。
ヤン・ステーンのよく描く教訓的な場面ですが、観ていて面白い情景です。
・職業上の、あるいは学術的コミュニケーション
ヤン・リーフェンス 「机に向かう簿記係」 1629年頃 油彩、板 個人蔵

光と影を強調してレンブラント風に描かれた老人は簿記係というより聖書の
登場人物のようです。
ヤン・リーフェンス(1607-1674)はオランダやイギリスなどで活動した画家で、
レンブラントと共同の工房を設けたこともあります。
コルネリス・デ・マン 「薬剤師イスブラント博士」 1667年頃
油彩、キャンヴァス 個人蔵

机の上には本、楽器、天球儀、さらには頭骸骨まで置いてあります。
博士の学識を示す一方でヴァニタス(人生のはかなさの寓意)の意味も持たせて
いますが、欲張った画面構成になっています。
博士の着ているガウンは日本との貿易でもたらされた着物かそれを元にした服で、
富裕層の間で流行していたそうです。
フェルメールの「地理学者」でも、地理学者が同じようなガウンを着ています。
・手紙を通したコミュニケーション
フランス・ファン・ミーリス(I世) 「手紙を書く女」 1680年
油彩、板 アムステルダム国立美術館

サテンの服を着た裕福そうな家庭の女性が手紙を書いています。
横にあるマンドリンのような楽器はリュートで、愛を象徴するとのことです。
犬も忠実を表すので、手紙の相手への愛と忠実を寓意化した絵ということでしょうか。
向こうに見える肖像画の人物が夫か恋人なのでしょう。
フランス・ファン・ミーリス(I世)(1635-1681)はライデンで活動した画家で、
人物画を描いています。
17世紀のオランダは東インド会社を通じて遠く日本などの東アジアにまで進出しています。
故郷を遠く離れた男たちとの間で手紙のやりとりがなされますが、届くのには2年ほども
かかったそうです。
ヘリット・ダウ 「羽根ペンを削る学者」 1628-31年頃 油彩、板 個人蔵
小品で、老学者がナイフで羽根ペンを削っているという、変わった場面を捉えています。
ヘリット・ダウ(1613-1675)はライデン生まれで、陰影を強調した細密な画風で知られています。
15歳でレンブラントの弟子になっており、この作品もその頃のものとされています。
ヨハネス・フェルメール 「手紙を書く女」 1665年頃
油彩、キャンヴァス ワシントン・ナショナル・ギャラリー

若い手紙を書く手を止めてこちらを見ています。
顔はややぼかし気味で、窓の光の照らす彼女の服、イヤリング、リボン、小物入れや
椅子の金具を強調しています。
特に白貂の縁取りの付いた金色の上着は輝いています。
ヨハネス・フェルメール 「手紙を読む青衣の女」 1663-64年頃
油彩、キャンヴァス アムステルダム国立美術館

修復後の初公開とのことです。
高価なラピスラズリを原料にしたウルトラマリンブルーが女性の服、椅子、壁の下塗り
にも使われ、全体に青みがかった静かな印象を与えています。
壁の色も窓からの距離による日の光の微妙な強弱を表し、地図のしわに当たる光も
細かく描き出しています。
壁の地図は夫や恋人の不在を暗示しているとのことです。
ヨハネス・フェルメール 「手紙を書く女と召使い」 1670年頃
油彩、キャンヴァス アイルランド・ナショナル・ギャラリー

一心に手紙を書く女性の足許には反古紙や封印の蜜蝋が散らばっていて、
女性の感情を表しているとのことです。
カメラのピントを合わせたように、女性はくっきりと描き込まれていますが、
召使いはあっさりとした筆遣いで描かれています。
女性や召使いの服、窓、タイルの床の白が印象的で、それに窓や前掛け、
椅子の青が添えられています。
背景の絵画は「モーセの発見」で、旧約聖書のファラオがエジプトで生まれた
イスラエルの男児をすべて殺すよう命じたとき、ひそかに葦舟に乗せられて
ナイル川に流されたモーセをファラオの王女が見つけて養育したという話です。
そのため、「モーセの発見」には敵対者の和解という寓意があるそうで、
この情景も劇的な意味を持った場面ということになります。
それにしては手紙の書き上がりを待っているらしい召使いは窓の外を眺めていて、
観る人の意識を外に向けているのが面白いところです。
「手紙を書く女」、「手紙を読む青衣の女」、「手紙を書く女と召使い」の3点は一緒に
展示されていますが、少し離れて眺めたとき、それぞれの作品に本当に淡い日の光が
差しているように見えました。
当時、実際に室内に飾られていたときには、観る人はもっと日の光を感じていたことでしょう。
このことを発見しただけでもこの展覧会に来た甲斐があったと思いました。
何しろフェルメール展ですので、早めに行かれることをお奨めします。
展覧会のHPです。
渋谷の「109」のあたりには昔は飲み屋などの小さなお店が軒を連ねる
「恋文横丁」がありました。
進駐軍を相手にする英語の書けない女性のために手紙を代書する商売の
お店があったので、その名が付きました。

池袋
池袋西武別館の西武ギャラリーでは、12月28日(水)まで、「ピーターラビット展」が
開かれています。
入場料は一般・大学生500円、高校生以下は無料です。

「ピーターラビット」の日本語版出版40周年記念ということで、作者ビアトリクス・ポターの
紹介や、日本で翻訳された本や紙芝居、日本語版翻訳者の石井桃子さんのメモの展示、
アニメーションの上映などがあります。
案内板にもキャラクターが付いています。
ベンジャミンバニーです。

こちらはあひるのジマイマです。

会場にはジオラマもあって、ここでは写真撮影も出来ます。

「ピーターラビットのおはなし」の冒頭場面です。
青い服を着て立つと出来上がります。

「ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし」

「あひるのジマイマのおはなし」

ピーターラビットと3匹の姉妹、ベンジャミンバニーが揃っています。

「ジェレミー・フィッシャーどんとあひるのジマイマ」
フィッシャーどんはきれいなチョッキを着ています。

大きなパズルをはめ込むコーナーです。
場面は「ベンジャミンバニーのおはなし」です。


ピーターラビットだけあって、グッズ売場は広くて、いろいろ並んでいます。

イギリスは「ピーターラビット」の他にも、「不思議の国のアリス」「クマのプーさん」
「たのしい川べ」など児童文学の宝庫で、現在の「ハリー・ポッター」にまで続いています。
農家のマグレガーさんにとってはとんだ災難ですが、「ピーターラビット」は何度読んでも
楽しく心温まる世界です。
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池袋西武別館の西武ギャラリーでは、12月28日(水)まで、「ピーターラビット展」が
開かれています。
入場料は一般・大学生500円、高校生以下は無料です。

「ピーターラビット」の日本語版出版40周年記念ということで、作者ビアトリクス・ポターの
紹介や、日本で翻訳された本や紙芝居、日本語版翻訳者の石井桃子さんのメモの展示、
アニメーションの上映などがあります。
案内板にもキャラクターが付いています。
ベンジャミンバニーです。

こちらはあひるのジマイマです。

会場にはジオラマもあって、ここでは写真撮影も出来ます。

「ピーターラビットのおはなし」の冒頭場面です。
青い服を着て立つと出来上がります。

「ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし」

「あひるのジマイマのおはなし」

ピーターラビットと3匹の姉妹、ベンジャミンバニーが揃っています。

「ジェレミー・フィッシャーどんとあひるのジマイマ」
フィッシャーどんはきれいなチョッキを着ています。

大きなパズルをはめ込むコーナーです。
場面は「ベンジャミンバニーのおはなし」です。


ピーターラビットだけあって、グッズ売場は広くて、いろいろ並んでいます。

イギリスは「ピーターラビット」の他にも、「不思議の国のアリス」「クマのプーさん」
「たのしい川べ」など児童文学の宝庫で、現在の「ハリー・ポッター」にまで続いています。
農家のマグレガーさんにとってはとんだ災難ですが、「ピーターラビット」は何度読んでも
楽しく心温まる世界です。
六本木
六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーでは「没後150年 歌川国芳展」が
開かれています。
会期は2012年2月12日(日)までで、年末年始も休まず開館しています。

幕末の浮世絵師、歌川国芳《寛政9年(1798)~文久元年(1861)》の作品
約420点の展示です。
1月17日までの前期と1月19日からの後期で、ほとんどの作品が展示替えに
なります。
歌川国芳は歌川広重と同じ寛政9年に江戸日本橋で生まれています。
歌川豊国に弟子入りし、やがて「通俗水滸伝豪傑百八人」のシリーズが評判となります。
「通俗水滸伝豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順(ろうりはくちょうちょうじゅん)」
1828-29年頃

水泳の達人、張順が敵の水門を打ち破る場面です。
国芳は武者や豪傑の絵に特に優れており、その活躍する姿は豪快で、
江戸の人々は観て胸のすくような気分になったことでしょう。
会場でも、赤や青の濃厚な武者、豪傑のコーナーは躍動感があって、
特に活き活きとしていました。
「坂田怪童丸」 1836年頃 前期展示

坂田金時の幼少時代、つまり金太郎さんです。
熊の代わりに鯉と相撲を取っています。
金太郎の赤はいかにも強そうで、滝の水しぶきも効果的です。
鯉は滝を登ると龍になるといわれ、この絵も出世を祈る吉祥図になっています。
「宮本武蔵の鯨退治」 1847年頃 前期展示

大判3枚続きを使ってダイナミックな画面を作っていて、黒と白の対照が明快です。
盛り上がる波の構図は葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を参考に
しているのでしょうか。
「相馬の古内裏」 1845-46年頃 前期展示

大判3枚続きで、山東京伝の「善知(うとう)安方忠義伝」より、大宅太郎光圀が
妖術を使う滝夜叉姫(たきやしゃひめ)と戦う場面です。
原作では数百人の骸骨が登場するということですが、この絵では巨大な骸骨が
描かれています。
西洋の骨格図を参考にしていて描写は正確とのことです。
「忠臣蔵十一段目夜討之図」 1831-32年頃 後期展示

吉良邸討入の場面ですが、どこか変わった雰囲気の光景です。
オランダの銅版画の図柄を使っているためで、西洋式の遠近法が見られ、
人物には影もあり、建物も日本家屋にしてはおかしな形です。
国芳が西洋画に関心を持っていたことが分かります。
「絵鏡台合かゞ身 猫/しゝ・みゝづく・はんにやあめん」 1842年頃 前期展示

猫の瞬間芸です。
団扇の片面に描いてあって、裏面は影絵になっていて、獅子頭、みみずく、般若の面が
映っている仕掛けです。
大の猫好きだった国芳は猫の絵をよく描いています。
幼い頃に国芳に弟子入りしたことのある川鍋暁斎の思い出では、国芳の周りには
何匹も猫が居り、懐にも入っていて、弟子たちが騒いでいても国芳は構わなかった
ということです。
「猫の当字 ふぐ」 1842年頃 前期展示

体の柔らかい猫の姿を上手く使っていて、毛の柄も効果的です。
「ふ」の字の猫は本物のふぐのようです。
「たとゑ尽の内」 1852年 前期展示

大判3枚続きで、3枚揃っての展示は今回が初めてとのことです。
猫にまつわるたとえを絵にしています。
猫に小判、猫に鰹節、猫舌などが描いてあります。
「きん魚づくし ぼんぼん」 1842年頃 後期展示

金魚の家族の夕涼みです。
団扇の替わりに魚をすくう網を持ち、蛙の子供の手を引いたり、
柳ならぬ水草を見上げたりしています。
金魚を使って家族のほのぼのとした情景を表しています。
この作品は新発見の絵で、初公開とのことです。
「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」 1847年頃 通期展示

裸の男が寄ってたかって人の顔を作っています。
特に鼻の部分に上手く使われています。
水野忠邦の天保の改革(1841~1843)により役者絵、美人画を贅沢品として
禁止された頃に特にこのような戯画を多く描いています。
根っからの江戸っ子町人の国芳は幕府の禁令にもめげずに規制をかいくぐって
描き続けています。
国芳が機知や洒落っ気にあふれた人だったことは作品からも伝わります。
羽織を嫌い、どてらを好んでいたという国芳は自画像もどてらを着た後ろ姿で、
江戸っ子の心意気と少しシャイなところを見せています。
同年生まれの広重の叙情とは趣きが違いますが、江戸という都市の生んだ
庶民文化の代表と言えます。
chariot
六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーでは「没後150年 歌川国芳展」が
開かれています。
会期は2012年2月12日(日)までで、年末年始も休まず開館しています。

幕末の浮世絵師、歌川国芳《寛政9年(1798)~文久元年(1861)》の作品
約420点の展示です。
1月17日までの前期と1月19日からの後期で、ほとんどの作品が展示替えに
なります。
歌川国芳は歌川広重と同じ寛政9年に江戸日本橋で生まれています。
歌川豊国に弟子入りし、やがて「通俗水滸伝豪傑百八人」のシリーズが評判となります。
「通俗水滸伝豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順(ろうりはくちょうちょうじゅん)」
1828-29年頃

水泳の達人、張順が敵の水門を打ち破る場面です。
国芳は武者や豪傑の絵に特に優れており、その活躍する姿は豪快で、
江戸の人々は観て胸のすくような気分になったことでしょう。
会場でも、赤や青の濃厚な武者、豪傑のコーナーは躍動感があって、
特に活き活きとしていました。
「坂田怪童丸」 1836年頃 前期展示

坂田金時の幼少時代、つまり金太郎さんです。
熊の代わりに鯉と相撲を取っています。
金太郎の赤はいかにも強そうで、滝の水しぶきも効果的です。
鯉は滝を登ると龍になるといわれ、この絵も出世を祈る吉祥図になっています。
「宮本武蔵の鯨退治」 1847年頃 前期展示

大判3枚続きを使ってダイナミックな画面を作っていて、黒と白の対照が明快です。
盛り上がる波の構図は葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を参考に
しているのでしょうか。
「相馬の古内裏」 1845-46年頃 前期展示

大判3枚続きで、山東京伝の「善知(うとう)安方忠義伝」より、大宅太郎光圀が
妖術を使う滝夜叉姫(たきやしゃひめ)と戦う場面です。
原作では数百人の骸骨が登場するということですが、この絵では巨大な骸骨が
描かれています。
西洋の骨格図を参考にしていて描写は正確とのことです。
「忠臣蔵十一段目夜討之図」 1831-32年頃 後期展示

吉良邸討入の場面ですが、どこか変わった雰囲気の光景です。
オランダの銅版画の図柄を使っているためで、西洋式の遠近法が見られ、
人物には影もあり、建物も日本家屋にしてはおかしな形です。
国芳が西洋画に関心を持っていたことが分かります。
「絵鏡台合かゞ身 猫/しゝ・みゝづく・はんにやあめん」 1842年頃 前期展示

猫の瞬間芸です。
団扇の片面に描いてあって、裏面は影絵になっていて、獅子頭、みみずく、般若の面が
映っている仕掛けです。
大の猫好きだった国芳は猫の絵をよく描いています。
幼い頃に国芳に弟子入りしたことのある川鍋暁斎の思い出では、国芳の周りには
何匹も猫が居り、懐にも入っていて、弟子たちが騒いでいても国芳は構わなかった
ということです。
「猫の当字 ふぐ」 1842年頃 前期展示

体の柔らかい猫の姿を上手く使っていて、毛の柄も効果的です。
「ふ」の字の猫は本物のふぐのようです。
「たとゑ尽の内」 1852年 前期展示

大判3枚続きで、3枚揃っての展示は今回が初めてとのことです。
猫にまつわるたとえを絵にしています。
猫に小判、猫に鰹節、猫舌などが描いてあります。
「きん魚づくし ぼんぼん」 1842年頃 後期展示

金魚の家族の夕涼みです。
団扇の替わりに魚をすくう網を持ち、蛙の子供の手を引いたり、
柳ならぬ水草を見上げたりしています。
金魚を使って家族のほのぼのとした情景を表しています。
この作品は新発見の絵で、初公開とのことです。
「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」 1847年頃 通期展示

裸の男が寄ってたかって人の顔を作っています。
特に鼻の部分に上手く使われています。
水野忠邦の天保の改革(1841~1843)により役者絵、美人画を贅沢品として
禁止された頃に特にこのような戯画を多く描いています。
根っからの江戸っ子町人の国芳は幕府の禁令にもめげずに規制をかいくぐって
描き続けています。
国芳が機知や洒落っ気にあふれた人だったことは作品からも伝わります。
羽織を嫌い、どてらを好んでいたという国芳は自画像もどてらを着た後ろ姿で、
江戸っ子の心意気と少しシャイなところを見せています。
同年生まれの広重の叙情とは趣きが違いますが、江戸という都市の生んだ
庶民文化の代表と言えます。
銀座
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)では、「杉浦康平・マンダラ発光」展が
12月24日(土)まで開かれています。
場所は中央区銀座7-7-2で、交詢ビルの向かいです。

グラフィックデザイナーの杉浦康平さん(1932~)のデザインした豪華本3点の
展示です。
「伝真言院両界曼荼羅」 平凡社刊 1977年

掛軸、経本、写真集、解説本で構成されています。
東洋式の経本と西洋式の造本の組合せです。
経本だとお経を読むような気分で曼荼羅を観ることができます。
「天上のヴィーナス・地上のヴィーナス」 三浦印刷刊 1982年

ボッティチェルリ作の「ヴィーナスの誕生」と「春」の精巧な大判写真と解説書で
構成されています。
「西蔵曼荼羅集成」 講談社刊 1983年

チベット仏教の139枚の曼荼羅図をほぼ原寸大で再現し、五色の畳(たとう)に包み、
解説書を添えています。
黄、青、赤、緑、白の五色は教義の発展段階を表しているとのことです。
それぞれのコーナーはインスタレーションのようなレイアウトで、音楽が流れ、
映像も写されています。
本という範囲には収まらない豪華で独創的なデザインは杉浦さん特有の東洋的な
感覚に満ちていて、アート作品をブックデザインというアートを通して楽しむ
ことができます。
ギンザ・グラフィック・ギャラリーのHPです。
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ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)では、「杉浦康平・マンダラ発光」展が
12月24日(土)まで開かれています。
場所は中央区銀座7-7-2で、交詢ビルの向かいです。

グラフィックデザイナーの杉浦康平さん(1932~)のデザインした豪華本3点の
展示です。
「伝真言院両界曼荼羅」 平凡社刊 1977年

掛軸、経本、写真集、解説本で構成されています。
東洋式の経本と西洋式の造本の組合せです。
経本だとお経を読むような気分で曼荼羅を観ることができます。
「天上のヴィーナス・地上のヴィーナス」 三浦印刷刊 1982年

ボッティチェルリ作の「ヴィーナスの誕生」と「春」の精巧な大判写真と解説書で
構成されています。
「西蔵曼荼羅集成」 講談社刊 1983年

チベット仏教の139枚の曼荼羅図をほぼ原寸大で再現し、五色の畳(たとう)に包み、
解説書を添えています。
黄、青、赤、緑、白の五色は教義の発展段階を表しているとのことです。
それぞれのコーナーはインスタレーションのようなレイアウトで、音楽が流れ、
映像も写されています。
本という範囲には収まらない豪華で独創的なデザインは杉浦さん特有の東洋的な
感覚に満ちていて、アート作品をブックデザインというアートを通して楽しむ
ことができます。
ギンザ・グラフィック・ギャラリーのHPです。
みなとみらい
横浜美術館では「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」が開かれています。
会期は2011年3月18日(日)までです。
(注意: 4枚目は雀蜂の絵の拡大画像です。)


松井冬子さん(1974~)は日本画家で、この展覧会は公立美術館での初めての
大規模個展とのことで、デッサンなどを含め約110点が展示されています。
松井冬子さんは東京都文京区生まれの静岡県育ちで、9歳のときに学校で
「モナリザ」のレプリカを見て感動し、芸術家に憧れたということです。
女子美術短期大学で洋画を専攻し、しばらく勤めた後、東京藝大に入って
日本画を専攻し、2007年に日本画で博士号を取得しています。
博士論文の題は「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」です。
「世界中の子と友達になれる」 2002年


東京藝大の卒業制作です。
静岡県磐田市行興寺にある樹齢800年の熊野の長藤を題材にしていて、
通りかかった小女に懇願してモデルになってもらったとあります。
縦約182cm、横約228cmの大作ですが、藤の花の下にはびっしりと雀蜂が
群がっていて、黒い部分はすべて雀蜂です。
うつろな眼をした少女は身を屈めて前を見ていますが、その先に何があるのか
分かりません。
足の指先は血が滲んで痛々しく、手の指も赤くなっています。
後ろには空の揺り籠が置いてあります。
松井さんは子供の頃はどんどん友達が出来たそうです。
そこで、いつかは「世界中の子と友達になれる」と想像しています。
しかし成長するにつれ、それは幻想に過ぎないことを知ったということです。
展覧会の副題にこの言葉が使われているのは暗示的です。
安易な解釈をするべきではないのでしょうが、自分なりに絵を解釈すれば、
過去は戻らず、美しく見えた世界は酷く、見えない未来をこわごわ覗く、
という風にも読めます。
会場で作品を観て、藤の花の下の黒い部分は群がった雀蜂だと知ったときは
軽い衝撃を受けました。
「浄相の持続」 2004年

美女の死体が野に捨てられて朽ちていく過程を描く、九相図という仏教絵画に
想を得ています。
九相図にしては花も咲き誇っており、胎児を宿した子宮も見え、解剖図のようにも
見えます。
松井さんには解剖図のような作品が多くあります。
「モナリザ」の作者のレオナルド・ダ・ヴィンチも多くの解剖図を残していますが、
松井さんも表面の奥にある事実の探求として描いているとのことです。
骸骨を描いた作品もありますが、九相図や中世の「メメント・モリ(死を思え)」の
ように死を強調した絵画に比べると、正確な骨格図を観ているようです。
死というよりも生の本質を描いているように感じます。
「夜盲症」 2005年

夜盲症は鳥目とも言いますが、円山応挙のような幽霊が羽根をむしられた鶏を
持っています。
食用にされる鶏の姿は日本画に描かれることはなく、西洋の静物画に見られる
題材で、和洋が組み合わさっています。
墨の流れ落ちるような縦に引き伸ばされた姿が印象的です。
松井さんの作品はこの「夜盲症」など、掛け軸に仕立てたものが多く、形式としての
古典的日本画へのこだわり(あるいは挑戦)を感じます。
「盲犬図」 2005年

黄色の背景で、変わった形の赤い首輪をした白いボルゾイを描いています。
色彩は明るいのですが、揺らめいた描線により何か神経質で病的な雰囲気を
表しています。
「終極にある異体の散在」 2007年

松井さんのテーマである、「痛み」をそのまま絵画化したような作品です。
鳥や犬につつかれ、噛まれる姿はある意味、分かりやすいと言えます。
襲う者の黒と襲われる者の白を対比させています。
作品の幾つかには松井さんの詞書も添えられていますが、とても難解な内容です。
題名の付け方もダリのような趣きがあり、後から作品リストを見ても何の絵だったか
思い出せないものが多くあります。
「喪の寄り道」 2010年

縦約180cm、横約164cmの大作で、掛け軸に仕立てられています。
満月の光の中、琳派のような流水、燃えるような満開の桜、内臓を露出した女性、
鬼火が描かれています。
花鳥画の伝統を踏まえながら、異様で幻想的な光景を繰り広げています。
「陰刻された四肢の祭壇」 2007年

縦222cm、横172cmの大作です。
背景の木は上下が逆になっていて、上では鳥が、下では動物が闘っています。
左手に持っているのは子宮で、中では胎児が闘っているそうです。
髪やぼろ布、内臓をひるがえして歩く女性の顔はレオナルド・ダ・ヴィンチの
作品のようです。
右手に持つ白百合の白は印象的で、王錫のようにも見えます。
左足を少し浮かし、振り向いた姿には動きがあります。
墨絵の色調を十分に生かし、宗教画のような重厚な雰囲気があって、観ていて
強く惹かれる作品です。
松井さんの作品は女性の痛みや狂気、死を題材にしたものばかりなので、
会場を観て回るのにはかなりのエネルギーが要ります。
技輌はとても優れているので、ただのグロテスクには陥らず、質の高い作品に
なっています。
松井さんはどの団体にも属していないので、毎年その作品を観る機会の無いのは
残念ですが、これからどんな作品を描いて行かれるのかとても興味があります。
松井さんの略歴の掲示には多くの人が集まって、じっと読んでいました。
一体この人はどんな経歴なのだろうと不思議に思ったのでしょう。
「生まれる」 2011年
色紙に、さなぎから羽化するトンボが描かれています。
会場の最後に展示されていて、この1点でほっと救われる思いがします。
展覧会のHPです。
chariot
横浜美術館では「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」が開かれています。
会期は2011年3月18日(日)までです。
(注意: 4枚目は雀蜂の絵の拡大画像です。)


松井冬子さん(1974~)は日本画家で、この展覧会は公立美術館での初めての
大規模個展とのことで、デッサンなどを含め約110点が展示されています。
松井冬子さんは東京都文京区生まれの静岡県育ちで、9歳のときに学校で
「モナリザ」のレプリカを見て感動し、芸術家に憧れたということです。
女子美術短期大学で洋画を専攻し、しばらく勤めた後、東京藝大に入って
日本画を専攻し、2007年に日本画で博士号を取得しています。
博士論文の題は「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」です。
「世界中の子と友達になれる」 2002年


東京藝大の卒業制作です。
静岡県磐田市行興寺にある樹齢800年の熊野の長藤を題材にしていて、
通りかかった小女に懇願してモデルになってもらったとあります。
縦約182cm、横約228cmの大作ですが、藤の花の下にはびっしりと雀蜂が
群がっていて、黒い部分はすべて雀蜂です。
うつろな眼をした少女は身を屈めて前を見ていますが、その先に何があるのか
分かりません。
足の指先は血が滲んで痛々しく、手の指も赤くなっています。
後ろには空の揺り籠が置いてあります。
松井さんは子供の頃はどんどん友達が出来たそうです。
そこで、いつかは「世界中の子と友達になれる」と想像しています。
しかし成長するにつれ、それは幻想に過ぎないことを知ったということです。
展覧会の副題にこの言葉が使われているのは暗示的です。
安易な解釈をするべきではないのでしょうが、自分なりに絵を解釈すれば、
過去は戻らず、美しく見えた世界は酷く、見えない未来をこわごわ覗く、
という風にも読めます。
会場で作品を観て、藤の花の下の黒い部分は群がった雀蜂だと知ったときは
軽い衝撃を受けました。
「浄相の持続」 2004年

美女の死体が野に捨てられて朽ちていく過程を描く、九相図という仏教絵画に
想を得ています。
九相図にしては花も咲き誇っており、胎児を宿した子宮も見え、解剖図のようにも
見えます。
松井さんには解剖図のような作品が多くあります。
「モナリザ」の作者のレオナルド・ダ・ヴィンチも多くの解剖図を残していますが、
松井さんも表面の奥にある事実の探求として描いているとのことです。
骸骨を描いた作品もありますが、九相図や中世の「メメント・モリ(死を思え)」の
ように死を強調した絵画に比べると、正確な骨格図を観ているようです。
死というよりも生の本質を描いているように感じます。
「夜盲症」 2005年

夜盲症は鳥目とも言いますが、円山応挙のような幽霊が羽根をむしられた鶏を
持っています。
食用にされる鶏の姿は日本画に描かれることはなく、西洋の静物画に見られる
題材で、和洋が組み合わさっています。
墨の流れ落ちるような縦に引き伸ばされた姿が印象的です。
松井さんの作品はこの「夜盲症」など、掛け軸に仕立てたものが多く、形式としての
古典的日本画へのこだわり(あるいは挑戦)を感じます。
「盲犬図」 2005年

黄色の背景で、変わった形の赤い首輪をした白いボルゾイを描いています。
色彩は明るいのですが、揺らめいた描線により何か神経質で病的な雰囲気を
表しています。
「終極にある異体の散在」 2007年

松井さんのテーマである、「痛み」をそのまま絵画化したような作品です。
鳥や犬につつかれ、噛まれる姿はある意味、分かりやすいと言えます。
襲う者の黒と襲われる者の白を対比させています。
作品の幾つかには松井さんの詞書も添えられていますが、とても難解な内容です。
題名の付け方もダリのような趣きがあり、後から作品リストを見ても何の絵だったか
思い出せないものが多くあります。
「喪の寄り道」 2010年

縦約180cm、横約164cmの大作で、掛け軸に仕立てられています。
満月の光の中、琳派のような流水、燃えるような満開の桜、内臓を露出した女性、
鬼火が描かれています。
花鳥画の伝統を踏まえながら、異様で幻想的な光景を繰り広げています。
「陰刻された四肢の祭壇」 2007年

縦222cm、横172cmの大作です。
背景の木は上下が逆になっていて、上では鳥が、下では動物が闘っています。
左手に持っているのは子宮で、中では胎児が闘っているそうです。
髪やぼろ布、内臓をひるがえして歩く女性の顔はレオナルド・ダ・ヴィンチの
作品のようです。
右手に持つ白百合の白は印象的で、王錫のようにも見えます。
左足を少し浮かし、振り向いた姿には動きがあります。
墨絵の色調を十分に生かし、宗教画のような重厚な雰囲気があって、観ていて
強く惹かれる作品です。
松井さんの作品は女性の痛みや狂気、死を題材にしたものばかりなので、
会場を観て回るのにはかなりのエネルギーが要ります。
技輌はとても優れているので、ただのグロテスクには陥らず、質の高い作品に
なっています。
松井さんはどの団体にも属していないので、毎年その作品を観る機会の無いのは
残念ですが、これからどんな作品を描いて行かれるのかとても興味があります。
松井さんの略歴の掲示には多くの人が集まって、じっと読んでいました。
一体この人はどんな経歴なのだろうと不思議に思ったのでしょう。
「生まれる」 2011年
色紙に、さなぎから羽化するトンボが描かれています。
会場の最後に展示されていて、この1点でほっと救われる思いがします。
展覧会のHPです。