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「アルケオメトリア」展 東京大学総合研究博物館本館
本郷三丁目
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東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では、
「アルケオメトリア」展が開かれています。
会期は6月17日(日)までです。
入場は無料で、月曜日は休館です。

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副題は「考古遺物と美術工芸品を科学の眼で透かし見る」となっています。

アルケオメトリア(Archaeometria)とは考古年代測定法のことです。
考古学での放射性炭素年代測定法や同位体の測定、X線CT、薄片観察観察などの
成果について、測定機器と一緒に展示されています。

放射性炭素年代測定法(14C年代測定法)は炭素14の半減期を利用して
年代を測定する方法です。

縄文土器についたオコゲを同位体(アイソトープ)の測定により分析すると、
彼らの食生活も分かります。

「火焔土器」 新潟県馬高遺跡 縄文時代中期
 長岡市馬高縄文館所蔵 重要文化財

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1936年の大晦日に発見されたという、有名な土器です。

「火焔土器」とは元々この1点に付けられた愛称で、他の同型の土器は「火焔型土器」と
呼ぶそうです。
「火焔型土器」はその特異な形から祭祀に用いられたのではないかと言われていますが、
多くの土器には煮炊きした跡も付いています。

また、漆製品を測定すると、漆の原産地が日本産か大陸産かも推定出来ます。

「漆容器」 東京都下宅部遺跡 縄文時代 東村山ふるさと歴史館 所蔵
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「ミイラ」 エジプト末期王朝(BC900~600) 東京大学 医学部標本室 所蔵
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この、ミイラの入った木棺は1888年に帝国大学(現在の東京大学)が譲り受けた物で、
その時の説明書では女性神官となっていました。
その後、1975年にヒエログリフ(神聖文字)の解読によって、テーベでアメン神に仕えていた
男性神官で、ペンヘヌウトジウウという名であることが分かりました。

ミイラのX線CTによって、身長168cm、20台後半から30台前半で、骨盤を骨折している
ことも分かりました。
この骨折が死因かも知れないということです。
なぜ骨盤を骨折したのでしょうか。
落馬でもしたのでしょうか。
ミイラを作る際に脳を掻き出すため、眼窩の間の骨を壊した跡も残っています。

展覧会のHPです。


博物館の入口側の人骨の展示室に並んでいる頭骸骨の1個が無くなっていて、
「貸出中」と書いた紙が置いてありました。
頭骸骨も貸出されることがあるようです。


東京大学附属病院前の桜です。

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【2012/04/30 03:38】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
喫茶店「ゆりあぺむぺる」 吉祥寺
吉祥寺
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喫茶店「ゆりあぺむぺる」は吉祥寺駅南口を出て右に少し行った右側にあります。
場所は武蔵野市吉祥寺南町1-1-6です。

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20席ほどのお店で、アンティークに囲まれて、ほの暗く落着いた雰囲気です。
「ゆりあぺむぺる」とは、宮沢賢治の詩に出てくる名前です。

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ブレンドコーヒー600円とはちみつケーキ550円です。

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浅・中・深煎りの3種類があり、中煎りはやや酸味系の味でコクがあります。
はちみつケーキはケーキというよりプリンのようで、しっとりと甘く美味しいです。

見事な装飾のレジスターは100年以上前のアメリカ製とのことす。
まだ現役で、お店の方は撫でて褒めていました。

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しばらくは日常とは別の空間に居るような気分にさせてくれるお店です。



【2012/04/29 02:16】 お店 | トラックバック(0) | コメント(2) |
「薔薇と光の画家 アンリ・ル・シダネル展-フランス ジェルブロワの風-」展 損保ジャパン東郷青児美術館
新宿
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新宿の損保ジャパン東郷青児美術館では「薔薇と光の画家 アンリ・ル・シダネル展
-フランス ジェルブロワの風-」が開かれています。
会期は7月1日(日)までです。

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アンリ・ル・シダネル(1862-1939)はフランスの画家で、伝統的な美術教育を
受けながら、印象派などの影響を受け、しかも印象派とは少し違った、静謐な
作品を描いています。

この展覧会では油彩画を中心に約70点が展示されています。

シダネルはインド洋のモーリシャス島の生まれで、1872年に一家はダンケルクに
移住します。
その頃、父に絵の才能を見出されて絵画の勉強を始め、1880年にパリに出て、
カバネルの塾に入ります。
カバネルと言えばアカデミックな絵画の代表者ですが、シダネルは印象派の
画家たちと知り合い、影響を受けるようになります。
1885年には北フランスのエタプルに移り、光に注目した作品を描くようになります。

「帰りくる羊の群れ」 1889年 ひろしま美術館
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ミレー風の作品ですが、夕暮れの淡い光と人や羊の影を意識しています。
女性のマントの薄い紫色が印象的です。

「朝」 1896年 ダンケルク美術館
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1894にパリに戻りますが、その頃は象徴主義が興っていました。
シダネルが最初に開いた個展に出品された作品で、妹の嫁いだ先である、
ロワール地方のモントルイユ=ベレーの情景です。 
花嫁のようなヴェールを被った女性が小舟に乗っている、象徴的な雰囲気の
作品ですが、やはり朝の光が主役です。

「夕日のあたる大聖堂」 1900年 ボーヴェ、オワーズ県立美術館
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シダネルはフランスやヨーロッパ各地への取材旅行をさかんに行なっています。
北フランスのボーヴェにあるサン・ピエール大聖堂に当たる夕日です。
モネも光の中のルーアン大聖堂をシリーズで描いていますが、光の作用そのものに
興味を持っています。
シダネルは手前に暗がりの中の民家を置いて、夕暮れの雰囲気というものを
描いています。
シダネルの特徴の点描によっていますが、それは移ろう光の儚さを表わして
いるようです。

点描法で有名なジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」が
第8回印象派展に出品されたのは1886年です。

シダネルはこの頃から人の姿を描かずに、建物や調度品によってその気配だけを
感じさせるようになります。

「コンコルド広場」 1909年 トゥルコワン、ウジェーヌ・ルロワ美術館
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夜の情景で、雨の日なのか地面も光を反射しています。
街灯、噴水、馬車と一緒に自動車らしい形も見えます。

「広場」 ブリュッセル 1934年 ラーレン(オランダ)、シンガー美術館
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シダネルは1898年に、妻となるカミーユと出会ますが、両親に反対されてベルギー
のブリュ-ジュに駆け落ちしています。
そのため、ベルギーの景観は後のシダネルにとって思い出深いものとなったようです。

2009年に同じ損保ジャパン東郷青児美術館で開かれた、「ベルギー王立美術館
コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ展」で観たベルギー印象派の作品も
シダネルとよく似た雰囲気を持っていました。
この展覧会でもシダネルの作品が展示されていました。

「ベルギー近代絵画のあゆみ展」の記事はこちらです。

「離れ屋」 1927年 ひろしま美術館
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シダネルは1901年にパリの北西にあるジェルブロワに移ります。
ジェルブロワはイギリスに支配されていたため百年戦争の戦場となり、
その後は見捨てられたような寒村でした。
シダネルは古い建物を買って住み、庭に薔薇を植えます。
さらに村の人にも薔薇を植えることを勧め、やがて村中が薔薇に包まれて、
今ではジェルブロワは「フランスの最も美しい村」の一つに選ばれています。

グーグルのストリートビューで、「Gerberoy」と入力すると、本当にシダネルの
絵のような景色を見ることが出来ます。
「アンリ・ル・シダネル通り」というのもあります。

作品は夕闇の中に浮かび上がる庭の薔薇です。
家の窓の明かりが人の暮らしの気配を感じさせます。

「青いテーブル」 1923年 ラーレン(オランダ)、シンガー美術館
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1901年頃から、人のいないテーブルとイス、食器類を描くようになります。
作品はジェルブロワの自宅の情景です。 
セザンヌの、存在としての静物ではなく、情景としての静物を表わしている
ように見えます。

「夕暮の小卓」 1921年 大原美術館
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パリの南の町、ヌムールの夕暮れです。
シダネルは水辺の情景も好んで描いています。

「教会の下の家、黄昏」 1934年 トロワ美術館
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ジェルブロワの夕闇の迫る前のひとときの情景です。

「薔薇の花に覆われた家」 1928年 ル・トゥケ=パリ=プラージュ美術館
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シダネルは1909年にパリ郊外のヴェルサイユにアパルトマンを借りて、
寒い季節はそこで過ごします。
ヴェルサイユ宮殿のすぐ横にあったので、シダネルは宮殿の庭を
よく散歩しています。
夕暮れ時の家の窓には明かりが灯り、壁の薔薇は星のようです。

「ランビネ美術館」 1937年 ランビネ美術館
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シダネルが亡くなる年の1939年にシャルパンティエ画廊で開かれた、
生前最後の個展に出品された作品です。
ヴェルサイユにあるランビネ美術館の前庭と正面を描いています。
木は葉を落とし、水盤には枯れ葉が散っていますが、美術館の中には
誘うような暖かな光が灯っています。


解説には、シダネルの追求したのは印象派の真昼の光ではなく、夜から昼あるいは
昼から夜に変わる一瞬の、いわば「秘密の時間」の微妙な光、とありました。
それは目に見える光ではなく、「心に映る光」と言えます。

どの作品も静謐で、何となく寂しく、懐かしく、自分も絵の中に入っていきたい、
いつまでも観ていたい、という思いがして、会場を去り難い気持ちになりました。

展覧会のHPです。


【2012/04/28 05:16】 美術館・博物館 | トラックバック(2) | コメント(0) |
「喫茶ナガシマ」 日本橋
日本橋
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喫茶店「ナガシマ」は日本橋交差点の赤木屋証券ビルの横にあります。
場所は中央区日本橋2-7−25です。

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店内は奥に細長く、40席ほどで、新聞や雑誌が置いてあり、
ソファはゆったりしています。

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電話ボックスまであります。

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飾りのステンドラスが輝いています。

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窓からは日本橋の交差点が見えます。

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昭和48年からのお店ということで、昔からの喫茶店で見かける、
背板に十文字の入った椅子もあります。

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BGMはムードミュージックでした。
平日は朝9:30から、土曜は10:30から開いていて、日曜はお休みです。

ブレンドコーヒー430円とミックスサンド550円です。
玉子の味付けもほど良くて、美味しいです。

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ここが日本橋交差点という大都会の中心であることを忘れる、
近所の喫茶店にいるような、のんびりとした雰囲気のお店です。


追記
とても残念なことに「ナガシマ」は周辺地域の再開発の関係で、
2013年の4月末に閉店しました。


【2012/04/27 03:38】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「高原鉄男展 猫が見ていた、犬が見ていた」 丸善丸の内本店
東京
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丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーBでは5月1日(火)まで、
「高原鉄男展 猫が見ていた、犬が見ていた」が開かれています。

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高原鉄男さん(1958~)は長崎県出身で、犬や猫の絵を描き、
またそれをあしらったグッズを製作しています。
犬のモデルはボックステリアで、猫は色々います。

展覧会では大小のアクリル画約50点が展示され、
グッズや絵葉書も販売されています。

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高原さんの犬や猫は、どこにでもいそうで、あまり可愛く
描いてないところにかえって親しみやすさや可愛さがあります。


【2012/04/26 01:01】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「近代の京焼と京都ゆかりの絵画―受け継がれるみやこの美―」展 泉屋博古館分館
六本木1丁目
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六本木の泉屋博古館分館では、分館開館10周年記念展Part IIとして、
「近代の京焼と京都ゆかりの絵画―受け継がれるみやこの美―」展が開かれています。
会期は6月17日(日)までです。
5月13日(日)までの前期と5月15日(火)からの後期で、一部展示替があります。

京001


住友コレクションの中から、近代から近世にかけての京都文化を表わす、京焼などの
工芸品や絵画作品が展示されています。
4月21日には学芸員の方によるギャラリートークがあったので、行ってきました。

「二条城行幸図屏風」 江戸時代・17世紀
5月13日(日)までの展示です。
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寛永3(1626)年に上洛中の徳川秀忠、家光に招かれて、後水尾天皇と中宮和子
(後の東福門院)が二条城に行幸したときの盛儀を描いています。
中宮和子は秀忠の娘で、尾形光琳の実家の雁金屋に多額の着物の注文をしています。

上段は堀川通りを行く後水尾天皇と中宮和子の一行です。
堀川には仮説の桟敷が設けられて、大勢の見物人でひしめいています。
野点をしている人たちや、お約束の喧嘩の場面も描かれています。

下段は天皇を迎えに中立売通を御所に参内する将軍たちの一行です。
商家でも大勢の人が見物していて、子供に乳をやる母もいます。

左隻の左側には上段に天皇の御輿、下段には御所の門に到着した武家の一行が
描かれています。
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沿道では武士たちが平伏しています。
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「柳桜図」 木島櫻谷 大正6(1917)年
京003 京002

5月13日(日)までの展示です。
後期には「燕子花図」が展示されます。

木島櫻谷(このしまおうこく)(1977-1938)は京都で活躍した日本画家です。

輝く金地の左隻には覆い被さるような桜、右隻には湧き上がるような柳を配しています。
琳派風の装飾的な画面に、近代的な写実も加わり、とても明るい空間となっています。

京003

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展示室の奥正面に置いてあって、室内は華やかな雰囲気に包まれています。


「色絵龍田川水指」 仁清 江戸時代・17世紀
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赤と緑の蛇籠と水流で川を、芽吹いた柳で春を表しています。
口縁に紅葉が散らしてあって、紅葉の名所の龍田川となります。
白地に赤色が効いています。

「色絵鶏撮丸香炉」 仁清 江戸時代・17世紀
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香炉の蓋の横を向いた鶏がつまみになっています。
羽毛の描き具合が面白く、胴の唐草、蓋の牡丹模様の赤と緑が華やかです。
煙出しの部分を見ると、とても薄く作られていることが分かります。

「白鶴香合」 仁清 江戸時代・17世紀
住007

うずくまり、首を少し横に向けた鶴の姿です。
表情やたたんだ脚の具合が可愛く、釉の色合もやわらかく、温かです。
仁清は鳥や動物の姿を写した作品をよく作っています。

「唐物写十九種茶入」 仁清 江戸時代・17世紀
19種類の茶入を揃えた、茶入のサンプル集のような作品です。
「肩衝」「平肩衝」「文琳」「円座文琳」「茄子」「瓢箪」「芋の子」「瓶子」「大海」「内海」
「水滴」「樽」「丸壷」などがあります。

住友コレクションの中核になる品々を蒐集した住友家15代当主の住友春翠は
公家の徳大寺家出身で、京都文化の中で育った人です。
京焼の野々村仁清を好んだとのことで、仁清の作品を7点集めています。

近代になると、京焼も伝統に学ぶ一方でさまざの工夫を重ねます。

「依仁清意孔雀型香炉」 初代宮川香山 明治時代後期~大正時代初期
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横浜眞葛焼の創始者の初代宮川香山は輸出用の高浮き彫りで有名ですが、
京焼出身のこともあって、
仁清や乾山を写した作品も作っています。
国宝の「色絵雉香炉」に拠った作品で、孔雀の羽根を大きく広げた、大胆で面白い
デザインです。
羽根の緑や金彩には仁清らしい味わいがあります。

住友春翠は宮川香山の作品でも高浮き彫りではなく、その後の滑らかな姿で
明快な彩色の作品を好み、上京したときは横浜にある香山の眞葛焼の窯を
よく訪れたそうです。

「色絵鴛鴦置物」 五代清水六兵衛
京005

清水焼の五代清水六兵衛(1875~1959)の作です。
こちらも仁清風で、目を開けて起きている雄と眠っている雌の対比の面白い、
愛らしい作品です。

「秘色窯瑞雲文瓢形花瓶」 三代清風与平 明治時代後期
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「秘色」とは「秘色青磁」のことで、越州窯で9~10世紀に焼かれた
青磁を指すとのことです。
堂々とした瓢箪型の青磁の胴一面に雲を浮き出させています。
三代清風与平(1851~1914)は宋代の青磁、白磁の写しに巧みで、
陶芸では最初に帝室技芸員に選ばれています。

「葱翠磁彫刻転枝豆文花瓶」 初代三浦竹泉 大正時代・1910年代
緑色がかった青磁の花瓶ですが、牡丹唐草文に似せて枝豆を浮き彫りにしてあります。
重厚な牡丹唐草文に比べて、ほほえましい俳味が出ています。
中国の古陶磁を写すだけでなく、日本の趣味に合った工夫もしていることが分かります。

初代三浦竹泉(1854~1915)は西洋の彩色を取り入れるなど、京焼の改良に
努めています。

他に初代伊東陶山、七代錦光山宗兵衛などの作品も展示されていて、京焼の奥深さと
幅の広さを見せてくれます。


「葆光彩磁珍果文花瓶」 板谷波山 大正6(1917)年 重要文化財
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京焼ではありませんが、板谷波山の作品も特別出品されています。

板谷波山(1872~1963)は陶芸家として最初の文化勲章の受章者で、
葆光釉(ほこうゆう)といわれる薄いヴェールのような釉薬を掛ける技法で
有名です。
板谷波山は東京美術学校で彫刻を学んだ後、金沢の石川県工業学校で
陶芸の指導するうちに自身も本格的に陶芸を始めています。
その後、長く東京の田端で製作し、号の波山(はざん)は故郷茨城県の
筑波山に由来しています。

作品は高さ50cmほどもあり、桃、枇杷、葡萄を盛った籠がとても細密に描かれ、
絵に立体感があります。
まるで光が器の中に閉じ込められているようで、板谷波山の作風を代表する
端正で優美な作品です。

この作品は同じ年に指定された初代宮川香山の作品とともに、明治以降の
陶磁器作品としては初めて、2002年に重要文化財に指定されています。

住友春翠のコレクションを中心にしているだけあって、上品でみやびな作品の
揃った展覧会です。
主な展示作品を解説したパンフレットもあって、親切な展示になっています。

展覧会のHPです。






【2012/04/25 03:07】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
喫茶店「はまの屋パーラー」 有楽町
有楽町
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有楽町の新有楽町ビル地下の「はまの屋パーラー」でランチです。

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こちらはオーナーの高齢化を理由に去年の12月に一度閉店していたのですが、
お店を受け継ぐ人が現れて、新しいメンバーで今年3月に再開しました。

以前、「はまの屋パーラー」に行った時の記事はこちらです。

お店の中も以前のままです。

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サンドゥイッチ(と書いてあります)のメニューも以前と同じで、ハム、ツナ、玉子、
チーズ、野菜、フルーツの内から2種類を選ぶことも出来ます。

スペシャルサンドゥイッチ700円です。

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プラス250円でドリンクが付きます。
コーヒー単品は380円です。

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サンドゥイッチは小振りで食べやすいですが、結構ボリュームがあります。
以前と同じように穏やかな味で、美味しいです。

昔ながらの喫茶店は最近、閉店が続いて淋しい思いをしていましたが、
再開とは本当に嬉しいことです。


【2012/04/24 03:01】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ホノルル美術館所蔵「北斎展」 三井記念美術館
三越前
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日本橋の三井記念美術館では、葛飾北斎生誕250周年記念 ホノルル美術館所蔵
「北斎展」が開かれています。
会期は6月17日(日)までで、5月13日(日)までの前期と、5月15日(火)からの後期で
全作品が展示替えされます。

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ホノルル美術館は約10,000点の浮世絵を所蔵しており、葛飾北斎(1760~1849)の
コレクションも充実しています。
この浮世絵コレクションのうち約5,400点は、ミュージカル「南太平洋」の原作などで
知られるジェームス・A・ミッチェナー氏の寄贈によるものです。

この展覧会では2010年に生誕250年を迎えた葛飾北斎の記念事業として、約160点を
前期と後期に分けて展示しています。
昨年開かれるはずでしたが、震災の影響により、今年の開催となりました。

展示は2部で構成されています。

I.揃物の名品

「冨嶽三十六景」や「諸国名橋奇覧」「諸国瀧廻り」など、葛飾北斎の代表的な揃物
(シリーズ物)の展示です。

「冨嶽三十六景 凱風快晴」 1830-32年頃 前期展示
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葛飾北斎の代表作です。
「冨嶽三十六景」の他の場面と違って、人びとの生活は描かず、富士山という自然
そのものに向き合っています。

「諸国名橋奇覧 山城あらし山吐月橋」 横大判錦絵 1833-34年頃 前期展示
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京都嵐山の渡月橋の春景色です。
並んだ松と桜、向こう岸の形、嵐山など、リズムを感じる描き振りです。

「諸国名橋奇覧 三河の八ツ橋の古図」 横大判錦絵 1833-34年頃 前期展示
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「諸国名橋奇覧」は全国の名高い橋を集めたシリーズですが、現存していない橋や
どこにあるのか分からない橋も描かれています。
三河の八橋も伊勢物語の東下りの段に出てくる橋で、当時はありませんでした。
八橋の折れ具合は騙し絵のようなところもあります。


II.北斎の生涯と画業

若年から晩年までの作品により70年の画業を振り返ります。

「鷹」 団扇絵・錦絵 1835-36年頃 前期展示
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晩年の作品です。
飛翔する鷹を団扇の画面の中にうまく納めて、躍動感に満ちています。
プルシャンブルーの空と湧き上がる雲が夏の風情を感じさせます。

「地方測量之図」 横大々判錦絵 1848年 前期展示
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北斎の最晩年の作品で、当時の測量の様子が分かる珍しい絵です。
晩年までさまざまなことに興味を持ち続けていたことを示しています。
実物を観ると、左後方の人物の覗いている測量器具から雲母(キラ)で描いた
直線が伸びていることが分かります。

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歌川広重とともに風景浮世絵の代表者として知られる葛飾北斎ですが、
広重が叙情的な情景を描いているのに対して、北斎は構図や画面構成を
強く意識していることが分かります。
また、動植物を描いた作品では写実を追及する姿勢がはっきりしています。
そんな葛飾北斎の独創性を十分楽しめる展覧会でした。

展覧会のHPです。


【2012/04/23 05:07】 美術館・博物館 | トラックバック(1) | コメント(0) |
「カフェ ラ イスラ (Cafe La Isla)」 恵比寿
恵比寿
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「カフェ ラ イスラ (Cafe La Isla)」は恵比寿駅西口から恵比寿西一丁目の
五叉路に向かう道の右側にあります。
場所は渋谷区恵比寿西1-3-9で、中華料理店の入っているビルの2階にあります。

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こちらは2011年の11月に開店したばかりの新しいお店です。
店内は細長く、すっきりしたインテリアで、10席ほどと、こじんまりしています。
BGMはボサノバでした。

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イスラ( Isla)とはスペイン語で島、(英語のisland)という意味だそうで、
棚にはスペインの本も並んでいます。

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窓の色ガラスが古風な味を出していて、日光が入ると良い具合です。

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ブレンドコーヒー400円とシフォンケーキ500円です。

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コーヒーは味のバランスも良く、美味しいです。
シフォンケーキは甘さを抑えた味です。

お店の方の応対も温かく、のんびりくつろげるお店です。


追記
残念なことに「カフェ ラ イスラ」は2013年1月に閉店しました。


【2012/04/22 02:46】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「芸大コレクション展 春の名品選」 東京藝術大学大学美術館
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上野の東京藝術大学大学美術館では「芸大コレクション展 春の名品選」が
開かれています。
会期は6月24日(日)までです。
料金は一般が300円です。

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「絵因果経」 天平時代 8世紀後半 国宝
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5世紀に漢訳された過去現在因果経を絵入りの経巻にしています。
上段に釈迦の物語が素朴な表現で描かれています。

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東京藝術大学での修復作業を終えた、「浄瑠璃寺吉祥天厨子絵」の展示です。

「浄瑠璃寺吉祥天厨子絵 弁財天および四眷属像」(全7面のうち) 
 建暦2年(1212) 重要文化財

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5月13日までの展示です。
「浄瑠璃寺吉祥天厨子絵」はもとは京都浄瑠璃寺の重要文化財、「木造吉祥天立像」
(鎌倉時代)を納めた厨子の扉および背面板です。

明治22年に東京美術学校が入手しましたが、劣化が進んできたため、
平成19年度から3年がかりで修復作業を行ない、今回一般公開となりました。

これは正面板で、八臂(腕が8本)の弁財天を中心に、向かって右上に正了知大将、
左上に宝賢大将と思われる神将が立ち、右下に堅牢地神が鉢を持って、
左下に訶利帝母が柘榴の実を持って坐しています。
本来は厨子の中の正面にあるので、見えにくい場所なのですが、細かく入念に
描かれています。

堅牢地神は大地を司る神です。
訶利帝母は鬼子母神のことで、5人の赤子や幼児と一緒に描かれています。

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関野聖雲(1889-1947)による「木造吉祥天立像」の模造も展示されています。

狩野芳崖 「悲母観音」 明治21年(1888) 重要文化財
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5月13日までの展示です。
美術の教科書に必ず出てくる作品です。
観音菩薩は中空で水瓶を傾け、その下で童子が観音を見上げています。
芳崖の絶筆とのことで、仏画を超えた、物語を持った作品です。

浅井忠 「収穫」 明治23年(1890) 重要文化財
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こちらも美術の教科書でなじみの作品で、フランスに留学する直前に描かれています。
何気ない農村風景を黄金色の中に温かく描き出しています。

岡田三郎助 「ムードンの夕暮」 1899年
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フランスに留学していた時の作品です。
岡田三郎助は黒田清輝と同じく、外光派のラファエル・コランに師事しています。

紫がかった夕暮の景色で、遠くの空が、かすかに金色に光っています。
道を行く二人の人影が見え、かえって寂しさの増す情景です。
岡田三郎助はムードンの景色を気に入り、よく描いています。

白滝幾之助 「稽古」 明治30年(1897)
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白滝幾之助(1873-1960)は兵庫県出身で、山本芳翠、黒田清輝に師事した後、
東京美術学校に入学しています。
この作品は第2回白馬会展に出品され、翌年に卒業制作として学校買入れされています。
黒田清輝に倣った外交派の作品で、夏の下町の情景です。
やや体を傾けて自分にはまだ少し大きい三味線を弾いている子や、どっしり構えた
お師匠さんの様子がうまく描かれています。


特集陳列 2
「藝大の創成期と依嘱事業」として、東京藝術大学の前身である東京美術学校と
東京音楽学校の行なった「依嘱事業」についての資料や作品も展示されています。

才田光則 「オルガン」 明治14年(1881)
芸003

お雇い外国人のアメリカ人、L.W.メーソンの指導により西久保に住む指物師の
才田光則が製作した日本最初のオルガンです。
鍵盤の上に金文字で、「東京文部省音楽取調所 大日本 西久保才田光則」と
書かれています。
「音楽取調所」とは物々しい名前で、この頃は西洋音楽はまだ取調べの段階だった
ようです。
「大日本 西久保才田光則」とは誇らしげな書きぶりです。

展覧会のHPです。

4月28日(土)から6月24日(日)まで、「近代洋画の開拓者 高橋由一」展も
開かれます。

藝大の桜も満開でした。

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【2012/04/21 04:12】 美術館・博物館 | トラックバック(1) | コメント(0) |
「椿山荘カメリア」 本郷 東京大学
本郷三丁目
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「椿山荘カメリア」は本郷の東京大学伊藤国際学術研究センターの1階にある
レストランです。
場所は文京区本郷7-3-1で、赤門を入ってすぐ右側です。

カ0025


大正5年(1916)に建てられたという古い煉瓦造の倉庫を改造したもので、
新築された伊藤国際学術研究センターの中にあり、一般の人も利用できます。

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3月にオープンしたばかりで、4月からは隣に10席ほどのカフェ「フォレスタ(FORESTA)」、
2階に「ファカルティ クラブ(Faculty Club)」もオープンしました。

壁の煉瓦に合わせて、ブラウンでまとめた店内は落着いた雰囲気で、
小さな窓が上の方に開いています。
全席禁煙で、40席ほどの席の間は広く、椅子もゆったりしています。

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ランチのクラムチャウダースープ、サラダ、パンにメインディッシュ、
コーヒーのセット、1500円です。

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メインディッシュは子牛のカツレツとエビフライです。

量は多くありませんが、肉は柔らかく、カリッと揚がって美味しいです。

最近は大学も洒落たカフェやレストランが出来て、昔の大学のイメージとは
かなり変わってきました。


【2012/04/20 02:37】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「毛利家の至宝 大名文化の精粋」展 サントリー美術館
六本木・乃木坂
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六本木のサントリー美術館では、サントリー美術館・東京ミッドタウン5周年記念、
「毛利家の至宝 大名文化の精粋」展が開かれています。
会期は5月27日(日)までです。

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東京ミッドタウンのある場所は江戸時代は毛利家長州藩の下屋敷のあった所です。
毛利家は源頼朝に仕えた大江広元に始まり、中国地方を支配した毛利元就を経て、
江戸時代は長州藩として存続し、明治維新の中心となった長州閥を生んだ、
長い歴史を持つ家です。
長州閥は政治の世界では昭和を越えて平成の時代までその流れが続いています。

そこで、東京ミッドタウン5周年を記念して、山口県防府市の毛利博物館の所蔵品を
中心にして、毛利家ゆかりの美術品、資料など約130点が展示されています。

『木印 「日本国王之印」』 室町時代 重要文化財
足利義満は日本国王として明から冊封を受け、金印を授かっています。
後に金印は失われ、木印が作られて代用され、中国地方の守護大名、大内氏が
明との勘合貿易に利用していましたが、大内氏の滅亡により、毛利氏の手に
入っています。 

「灰吹銀」 元亀元(1570)年
毛利氏の経済を支えた石見銀山の銀の板です。
毛利氏と尼子氏は石見銀山の所有を争って戦いを繰り返しています。

「色々威腹巻 兜・大袖・喉輪付」 室町時代 重要文化財
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毛利家を有数の戦国大名に育てた毛利元就(1497-1571)の鎧です。
腹巻は背中で引き合わせる鎧で、動きやすいように草摺の数も多く、元は下級武士が
着けていました。
やがて上級の武士も着るようになり、兜や袖が付いたりします。
鉄砲に対応した当世具足より前の時代の鎧で、威糸の色が華やかです。

「毛利元就自筆書状(三子教訓状)」)」(部分) 弘治3(1557)年 重要文化財
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毛利元就が長男毛利隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景に与えた教訓状です。
筆まめだったという毛利元就が、兄弟が心を合わせて毛利家を支えるようこまごまと
書き記しています。

「毛利氏織田信長和戦対策書」 室町時代 重要文化財
織田信長の攻勢を前にして、合戦しなかった場合と合戦に及んだ場合の問題点を
列挙した文書です。
公方様(足利義昭)のこと、領内の結束への不安など、毛利家の置かれた状況が
生々しく伝わります。
和戦両方のケースで宇喜多直家の動向を気にしていることも分かります。
関ヶ原の戦いでは宇喜多直家の子の秀家が果敢に戦ったのに、毛利の軍勢は動かず、
後で毛利家の危機を招いたというのは皮肉なものです。

「豊臣秀吉自筆書状写」 慶長3(1598)年 重要文化財
豊臣秀吉が臨終に際して、秀頼の行く末を毛利輝元や徳川家康などの五大老に
頼みこんでいる書状です。
「秀よりの事 なり立ち候やうに...」とあります。

「井伊直政・本多忠勝連署起請文」 慶長5(1600)年 重要文化財
関ヶ原の戦いの直前に徳川家康の重臣の井伊直政と本多忠勝が書いた起請文で、
家康が毛利輝元の地位を保証している旨が書かれています。
実際には戦後に毛利家は取り潰されそうになり、結局は長門周防2カ国に
押し込められています。
もしこの時の毛利家の当主が元就のような人物だったら、こんな風に家康に
騙されることは無かっただろうにと思います。

「四季山水図(山水長巻)」(部分) 雪舟等楊 文明18(1486)年 国宝
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雪舟等楊(1420-1506)の代表作で、長さ約16mの巻物をすべて展示してあります。
中国風の四季の風景が描かれ、ところどころに木の緑、水の色、紅葉の赤などの
彩色がされています。
山の庵、高楼、漁村、里の賑わい、城壁、雪を被った山々などが緩急を付けた画面に
次々に描かれ、気力の充実した作品です。

雪舟は大内氏の庇護を受け、明に渡った後、主に山口で描いていました。
大内氏の滅亡後、毛利家の所有となっています。

「紅萌葱地山道菊桐文様片身替唐織」 桃山時代 重要文化財
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毛利輝元が豊臣秀吉から拝領した品とのことです。
左右で色の違う片身替で、菊文と五七の桐文をあしらい、菊文は色を変え、
桐文も一つの文の中で違う色を使っています。
とても豪華ですが、上品な色合いです。

「古萩茶碗」 江戸時代
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口のすぼまった形で、高台は高く、李朝の祭器に近い姿とのことです。
萩焼最初期の作品で、李朝の陶芸に連なることを示す数少ない遺品とされています。

「出雲茶碗 銘 山里」 伝倉崎権兵衛 江戸時代 
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倉崎権兵衛は2代藩主毛利綱広が松江藩に送った萩焼の陶工で、出雲焼の祖と
されています。
口縁は薄く、胴にろくろ目が見えます。
素朴な味わいのある作柄です。

松江藩、松平不昧公夫人の自筆の箱書があるとのことです。

  山さとはものの寂しきことにそあれ世の憂きよりは住よかりけり

「江戸麻布邸遠望図」 谷文二 江戸時代
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江戸の下屋敷から東の方を眺めた景色です。
左遠方に江戸城が見え、その右手に江戸の街が広がり、江戸湾も見えます。
火の見櫓や寺院の大屋根も描き込まれています。

屋敷の図面によれば、サントリー美術館のある場所は女中の住む長局だったようです。
長州藩下屋敷は幕末の蛤御門の変により、幕府に接収され、破却されています。


日本の歴史の中で大きな役割を果たした毛利家についての数多くの興味深い資料を
観ることの出来る展覧会でした。

展覧会のHPです。


【2012/04/19 03:39】 美術館・博物館 | トラックバック(2) | コメント(0) |
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