大手町
「メゾンカイザーカフェ 丸の内店」でお茶にしました。
場所は千代田区丸の内1-4-1です。

3月にオープンした丸の内永楽ビルディングの中の商業施設「iiyo!!」の
お店の1つです。
以前、「メゾンカイザーカフェ 丸の内店」に行った時の記事はこちらです。
近くの東京駅丸の内駅舎が復元開業したこともあって、
休日の夕方は満員に近い賑わいでした。

壁にはパンやベーカリーの写真と絵が飾ってあります。

タルトセット850円です。
コーヒーにプチカステラも付いています。

ベリーがたっぷり載っていて、しっかりした酸味と甘味で
歩き回った後の疲れも取れます。
chariot
「メゾンカイザーカフェ 丸の内店」でお茶にしました。
場所は千代田区丸の内1-4-1です。

3月にオープンした丸の内永楽ビルディングの中の商業施設「iiyo!!」の
お店の1つです。
以前、「メゾンカイザーカフェ 丸の内店」に行った時の記事はこちらです。
近くの東京駅丸の内駅舎が復元開業したこともあって、
休日の夕方は満員に近い賑わいでした。

壁にはパンやベーカリーの写真と絵が飾ってあります。

タルトセット850円です。
コーヒーにプチカステラも付いています。

ベリーがたっぷり載っていて、しっかりした酸味と甘味で
歩き回った後の疲れも取れます。
上野
東京国立博物館の本館11室では総合文化展 (平常展)として東京国立博物館
140周年特集陳列、「館蔵仏像名品選」が行われています。
会期は12月2日(日)までです。
館蔵の仏像のうちの名品13件(19躯)による展示で、撮影可能です。
重要文化財 「菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀


衣に切金が入り、瓔珞で飾った、とてもあでやかな仏像です。
目には水晶の玉眼が入っていますが、唇に水晶の板を当てる玉唇という
珍しい技法も使われているそうです。
重要文化財 「日光菩薩坐像」 奈良時代・8世紀


乾漆像で、元は京都の高山寺にあり、現在は京都国立博物館にある薬師如来、
東京藝術大学にある月光菩薩と組になっていたそうです。
月光菩薩も同じく半跏像ですが、お腹の部分が失われています。
豊満な顔、切れ長な目に唐時代の仏像の影響が見られるとのことです。
重要文化財 「毘沙門天立像」 平安時代・応保2年(1162)頃

奈良市にあって今は廃絶した旧中川寺十輪院持仏堂所在の像で、日本画家の
川端龍子より寄贈されています。
平安後期の代表作で、当時としては新しい技法の玉眼が使われているそうです。
「文殊菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀


像高43.3cmの小像で、奈良を中心に活動した善円の初期の作とされています。
髪を幾つも結い上げた、きりりとしたお顔立ちです。
重要文化財 「阿弥陀如来および両脇侍立像」 鎌倉時代・建長6年(1254)

銘文には、善光寺如来の形である一光三尊(一つの光背に三尊が収まる)の像で、
下野国那須の僧、西忍によって勧進されたとあります。
両脇侍の印は左手の上に右手を乗せる珍しい形ですが、
元は宝珠を持っていたのが
簡略化されたようです。
重要文化財 「不動明王立像」 平安時代・11世紀

右肩を上げ、目を怒らし、火炎光背を背にしていますが、
何となく大らかな作風です。
「薬師如来坐像」 奈良時代・8世紀


木芯乾漆像で、上半身はクスノキ、脚部はヒノキで作って接合した後、
漆におがくずを混ぜた木屎(こくそ)漆を盛り上げてあります。
奈良時代の端正なお顔立ちをしておられます。
重要文化財 「十二神将立像」 鎌倉時代・13世紀


手前:戌神 奥:辰神

巳神

京都の浄瑠璃寺にあったと伝えられる像です。
運慶の系統の作とされ、光に浮かぶ姿にはとても躍動感があります。
「阿弥陀如来立像」 鎌倉時代・13世紀

京都の泉涌寺に伝わった像です。
表面に蒔絵を施してあるという珍しい像で、光沢に厚みがあります。
重要文化財 「大日如来坐像」 平安時代・11世紀
金剛界大日如来で、おだやかな平安後期の作風を表しています。
「地蔵菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀

和服のように襟を合わせる内衣(ないえ)を着た姿は、現実の姿をした
生身(しょうじん)地蔵を表しています。
春日信仰と結び付いて奈良で流行した形で、奈良で活動した善円の系統の
作とされています。
「千手観音菩薩坐像」 南北朝時代・14世紀


千手の持ち物は無くなっていますが、光背や台座を含め、当初の物が
ほとんど残っています。
光背の彫りがとても繊細です。
お顔がやや角張っていて、中国風を取り入れた院派の仏師の作とされています。
重要文化財 「愛染明王坐像」 鎌倉時代・13-14世紀



奈良にあって今は廃絶した内山永久寺に伝来した像です。
密教の明王像の一つで、神秘的な雰囲気を持っています。
厨子からガラスの装飾品まで当初の品が残っており、赤々と燃え立つような
彩色も鮮やかです。

厨子の内扉には八菩薩と二明王が描かれ、本像と合わせて愛染曼荼羅を
構成しています。
後壁には閻魔天を中心にした閻魔天曼荼羅が描かれ、天蓋には銅板の梵字を
貼って仏眼曼荼羅を表しています。
どれも名品揃いで、とても充実した見応えのある展示です。
展覧会のHPです。
展示されている仏像のうち12組を対象にして、ネットによる
「トーハク仏像選手権」も開かれています。
現在のところ、「日光菩薩坐像」と「愛染明王坐像」がトップを
争っています。
「トーハク仏像選手権」のページです。
国宝室の展示はこの季節に合わせ、狩野秀頼の「観楓図屏風」(16世紀)です。



本館前のユリノキも黄葉の盛りです。

chariot
東京国立博物館の本館11室では総合文化展 (平常展)として東京国立博物館
140周年特集陳列、「館蔵仏像名品選」が行われています。
会期は12月2日(日)までです。
館蔵の仏像のうちの名品13件(19躯)による展示で、撮影可能です。
重要文化財 「菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀


衣に切金が入り、瓔珞で飾った、とてもあでやかな仏像です。
目には水晶の玉眼が入っていますが、唇に水晶の板を当てる玉唇という
珍しい技法も使われているそうです。
重要文化財 「日光菩薩坐像」 奈良時代・8世紀


乾漆像で、元は京都の高山寺にあり、現在は京都国立博物館にある薬師如来、
東京藝術大学にある月光菩薩と組になっていたそうです。
月光菩薩も同じく半跏像ですが、お腹の部分が失われています。
豊満な顔、切れ長な目に唐時代の仏像の影響が見られるとのことです。
重要文化財 「毘沙門天立像」 平安時代・応保2年(1162)頃

奈良市にあって今は廃絶した旧中川寺十輪院持仏堂所在の像で、日本画家の
川端龍子より寄贈されています。
平安後期の代表作で、当時としては新しい技法の玉眼が使われているそうです。
「文殊菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀


像高43.3cmの小像で、奈良を中心に活動した善円の初期の作とされています。
髪を幾つも結い上げた、きりりとしたお顔立ちです。
重要文化財 「阿弥陀如来および両脇侍立像」 鎌倉時代・建長6年(1254)

銘文には、善光寺如来の形である一光三尊(一つの光背に三尊が収まる)の像で、
下野国那須の僧、西忍によって勧進されたとあります。
両脇侍の印は左手の上に右手を乗せる珍しい形ですが、
元は宝珠を持っていたのが
簡略化されたようです。
重要文化財 「不動明王立像」 平安時代・11世紀

右肩を上げ、目を怒らし、火炎光背を背にしていますが、
何となく大らかな作風です。
「薬師如来坐像」 奈良時代・8世紀


木芯乾漆像で、上半身はクスノキ、脚部はヒノキで作って接合した後、
漆におがくずを混ぜた木屎(こくそ)漆を盛り上げてあります。
奈良時代の端正なお顔立ちをしておられます。
重要文化財 「十二神将立像」 鎌倉時代・13世紀


手前:戌神 奥:辰神

巳神

京都の浄瑠璃寺にあったと伝えられる像です。
運慶の系統の作とされ、光に浮かぶ姿にはとても躍動感があります。
「阿弥陀如来立像」 鎌倉時代・13世紀

京都の泉涌寺に伝わった像です。
表面に蒔絵を施してあるという珍しい像で、光沢に厚みがあります。
重要文化財 「大日如来坐像」 平安時代・11世紀
金剛界大日如来で、おだやかな平安後期の作風を表しています。
「地蔵菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀

和服のように襟を合わせる内衣(ないえ)を着た姿は、現実の姿をした
生身(しょうじん)地蔵を表しています。
春日信仰と結び付いて奈良で流行した形で、奈良で活動した善円の系統の
作とされています。
「千手観音菩薩坐像」 南北朝時代・14世紀


千手の持ち物は無くなっていますが、光背や台座を含め、当初の物が
ほとんど残っています。
光背の彫りがとても繊細です。
お顔がやや角張っていて、中国風を取り入れた院派の仏師の作とされています。
重要文化財 「愛染明王坐像」 鎌倉時代・13-14世紀



奈良にあって今は廃絶した内山永久寺に伝来した像です。
密教の明王像の一つで、神秘的な雰囲気を持っています。
厨子からガラスの装飾品まで当初の品が残っており、赤々と燃え立つような
彩色も鮮やかです。

厨子の内扉には八菩薩と二明王が描かれ、本像と合わせて愛染曼荼羅を
構成しています。
後壁には閻魔天を中心にした閻魔天曼荼羅が描かれ、天蓋には銅板の梵字を
貼って仏眼曼荼羅を表しています。
どれも名品揃いで、とても充実した見応えのある展示です。
展覧会のHPです。
展示されている仏像のうち12組を対象にして、ネットによる
「トーハク仏像選手権」も開かれています。
現在のところ、「日光菩薩坐像」と「愛染明王坐像」がトップを
争っています。
「トーハク仏像選手権」のページです。
国宝室の展示はこの季節に合わせ、狩野秀頼の「観楓図屏風」(16世紀)です。



本館前のユリノキも黄葉の盛りです。

御徒町
「珈琲喫茶 二木」は上野アメ横の「二木の菓子」の隣にあります。
広い階段を下りた地下にあって、向かい側は「二木ゴルフ」です。


L字型の店内はかなり大きく、落着いた雰囲気で、分煙になっていて、
ソファ席はゆったりとしています。
壁にはビートルズの写真も飾ってあり、BGMにビートルズの
「イエロー サブマリン」が流れていました。

ランチセットは午後3時まであって、カレーが4種類あり、900円です。

野菜たっぷり赤カレーにしました。

トマト味で、軽い辛さです。
コーヒーはたっぷりあって、すっきりした味です。
ヨーグルトのデザートも付きます。
カップはMIYAZAKIのM-styleです。

お客さんもゆっくりおしゃべりしていて、アメ横の賑わいを
忘れさせてくれる、文字通り穴場のようなお店です。
隣には摩利支天の徳大寺があります。
建物の屋上にあるという珍しいお寺で、山手線からも見えます。
毎日、鐘を撞いていて、大晦日には除夜の鐘も撞きます。

徳大寺の向かいも「二木の菓子」です。

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「珈琲喫茶 二木」は上野アメ横の「二木の菓子」の隣にあります。
広い階段を下りた地下にあって、向かい側は「二木ゴルフ」です。


L字型の店内はかなり大きく、落着いた雰囲気で、分煙になっていて、
ソファ席はゆったりとしています。
壁にはビートルズの写真も飾ってあり、BGMにビートルズの
「イエロー サブマリン」が流れていました。

ランチセットは午後3時まであって、カレーが4種類あり、900円です。

野菜たっぷり赤カレーにしました。

トマト味で、軽い辛さです。
コーヒーはたっぷりあって、すっきりした味です。
ヨーグルトのデザートも付きます。
カップはMIYAZAKIのM-styleです。

お客さんもゆっくりおしゃべりしていて、アメ横の賑わいを
忘れさせてくれる、文字通り穴場のようなお店です。
隣には摩利支天の徳大寺があります。
建物の屋上にあるという珍しいお寺で、山手線からも見えます。
毎日、鐘を撞いていて、大晦日には除夜の鐘も撞きます。

徳大寺の向かいも「二木の菓子」です。

上野
上野の東京藝術大学大学美術館では「退任記念展 中島千波 人物図鑑」が
開かれています。
会期は12月2日(日)まで、入場は無料です。
11月25日には中島さんのギャラリートークがあったので、行ってきました。
会場は大勢の人で賑わっていました。
12月2日(日)の2時からも開かれる予定です。

中島千波さん(1945~)は疎開先の長野県小布施で生まれ、1965年に
東京藝術大学に入学、1994年に東京藝術大学デザイン科の助教授に就任、
2000年に教授に就任しています。
長く院展に出品していましたが、現在は退会しています。
この展覧会は2013年3月の退任を前にしての記念展で、大作約50点が
展示されています。
中島さんは受付でニコニコとして座っておられました。
中島さんは桜などの花の絵で有名ですが、この展覧会ではほとんどが
女性の人物像で、花を主題にした作品はありません。
これは「藝大で教鞭を執ってきた証」とのことです。
「青」 1969年 神奈川県立近代美術館

「欲望」 1970年 長野県信濃美術館

初期の作品はシュルレアリスムで、マグリットに似ています。
大学時代の血気盛んな、権力に対して憤りを持っていた時代の作品とのことです。
「草の主」 1972年 長野県信濃美術館
ポスターに使われている作品です。
(トーク)
為政者が戦争に駆り立てるのを理不尽と考えていた時の作品で、
赤い縞は星条旗を表している。
モデルは父(日本画家の中島清之)に頼んだ。
草の主(クサノアルジ)はキクの別名。
若い頃は正直なもの。
ただ、このような絵は売れないから食っていけない。
食っていけなくないと絵がひもじくなってくる。
学生に対しては、ひもじい絵を描かず、自分の考えを出せと言っている。
「衆生・女・阿吽」 1977年 神奈川県立近代美術館

やがて、人物が画題となってきます。
阿形と吽形、丸と四角の対比になっています。
禅画の寒山拾得のような雰囲気があります。
(トーク)
次に、現象の元は人間と考え、人間をテーマにする、「衆生」シリーズを
描き始めた。
モデルは結婚したばかりの家内。
「衆生・視」1979年 山種美術館
蓮の花の上に座った女性が顔を覆った手の隙間から覗いています。
(トーク)
見ざる、言わざる、聞かざるがモチーフで、やはりモデルは家内。
この作品が山種美術館賞を受賞し、この頃に院展でも賞をもらった。
「形態*'82-8」 1982年 国立国際美術館

銀箔地ですが背景は抽象画風です。
(トーク)
受賞をきっかけに、次は精神性をあまり出さない線と形で構成する作品を
描くようになった。
この絵は下地を塗ってから銀箔を貼り、それを削って下の色が透けて見える
ようにしている。
銀は時間が経つと空気に触れて黒くなるので、表面に処理をして空気に
当たらないようにしている。
100年も経てば黒くなるかもしれないが、それはそれで面白いし、その頃には
自分はもういない。
「identity*'09-8-1」 2009年

白描画を思わせる女性像に囲まれた池のような所に自画像が浮いています。
中島さんの描く女性は骨太で、がっしりしています。
(トーク)
「identity」シリーズでは、自画像が踏まれたり、ブラックホールのような物に
吸い込まれたりしている。
「existence」シリーズでは、「存」「在」「生」「死」といった字を画面に
組み込んでいる。
「空」シリーズでは、ちょっと見ただけでは分からないが、赤や黒一色の中に
線描で裸体の女性を描き入れている。
自分は絵を気分で描いている。
絵を観るときは、深く考える必要は無く、パッと見た感じで良い。
桜の絵の注文はどんどん来るので、沢山描いたおかげで上手くなった。
絵はデッサンが基本だから、練習すれば上手くなる。
しかし上手い絵が良い絵かどうかは別。
自分は伝統的な日本画を意識している訳ではなく、岩絵具という画材を
使って描いていると言って良い。
中島さんのトークはユーモアも交えた、興味深いものでした。
小さなお子さんの質問にもていねいに答えておられました。
2010年に日本橋三越で「中島千波の花鳥画の世界展-平成花菖蒲-」が
開かれていました。
その時の中島さんのギャラリートークの記事はこちらです。
花を描くことについていろいろ話されています。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京藝術大学大学美術館では「退任記念展 中島千波 人物図鑑」が
開かれています。
会期は12月2日(日)まで、入場は無料です。
11月25日には中島さんのギャラリートークがあったので、行ってきました。
会場は大勢の人で賑わっていました。
12月2日(日)の2時からも開かれる予定です。

中島千波さん(1945~)は疎開先の長野県小布施で生まれ、1965年に
東京藝術大学に入学、1994年に東京藝術大学デザイン科の助教授に就任、
2000年に教授に就任しています。
長く院展に出品していましたが、現在は退会しています。
この展覧会は2013年3月の退任を前にしての記念展で、大作約50点が
展示されています。
中島さんは受付でニコニコとして座っておられました。
中島さんは桜などの花の絵で有名ですが、この展覧会ではほとんどが
女性の人物像で、花を主題にした作品はありません。
これは「藝大で教鞭を執ってきた証」とのことです。
「青」 1969年 神奈川県立近代美術館

「欲望」 1970年 長野県信濃美術館

初期の作品はシュルレアリスムで、マグリットに似ています。
大学時代の血気盛んな、権力に対して憤りを持っていた時代の作品とのことです。
「草の主」 1972年 長野県信濃美術館
ポスターに使われている作品です。
(トーク)
為政者が戦争に駆り立てるのを理不尽と考えていた時の作品で、
赤い縞は星条旗を表している。
モデルは父(日本画家の中島清之)に頼んだ。
草の主(クサノアルジ)はキクの別名。
若い頃は正直なもの。
ただ、このような絵は売れないから食っていけない。
食っていけなくないと絵がひもじくなってくる。
学生に対しては、ひもじい絵を描かず、自分の考えを出せと言っている。
「衆生・女・阿吽」 1977年 神奈川県立近代美術館

やがて、人物が画題となってきます。
阿形と吽形、丸と四角の対比になっています。
禅画の寒山拾得のような雰囲気があります。
(トーク)
次に、現象の元は人間と考え、人間をテーマにする、「衆生」シリーズを
描き始めた。
モデルは結婚したばかりの家内。
「衆生・視」1979年 山種美術館
蓮の花の上に座った女性が顔を覆った手の隙間から覗いています。
(トーク)
見ざる、言わざる、聞かざるがモチーフで、やはりモデルは家内。
この作品が山種美術館賞を受賞し、この頃に院展でも賞をもらった。
「形態*'82-8」 1982年 国立国際美術館

銀箔地ですが背景は抽象画風です。
(トーク)
受賞をきっかけに、次は精神性をあまり出さない線と形で構成する作品を
描くようになった。
この絵は下地を塗ってから銀箔を貼り、それを削って下の色が透けて見える
ようにしている。
銀は時間が経つと空気に触れて黒くなるので、表面に処理をして空気に
当たらないようにしている。
100年も経てば黒くなるかもしれないが、それはそれで面白いし、その頃には
自分はもういない。
「identity*'09-8-1」 2009年

白描画を思わせる女性像に囲まれた池のような所に自画像が浮いています。
中島さんの描く女性は骨太で、がっしりしています。
(トーク)
「identity」シリーズでは、自画像が踏まれたり、ブラックホールのような物に
吸い込まれたりしている。
「existence」シリーズでは、「存」「在」「生」「死」といった字を画面に
組み込んでいる。
「空」シリーズでは、ちょっと見ただけでは分からないが、赤や黒一色の中に
線描で裸体の女性を描き入れている。
自分は絵を気分で描いている。
絵を観るときは、深く考える必要は無く、パッと見た感じで良い。
桜の絵の注文はどんどん来るので、沢山描いたおかげで上手くなった。
絵はデッサンが基本だから、練習すれば上手くなる。
しかし上手い絵が良い絵かどうかは別。
自分は伝統的な日本画を意識している訳ではなく、岩絵具という画材を
使って描いていると言って良い。
中島さんのトークはユーモアも交えた、興味深いものでした。
小さなお子さんの質問にもていねいに答えておられました。
2010年に日本橋三越で「中島千波の花鳥画の世界展-平成花菖蒲-」が
開かれていました。
その時の中島さんのギャラリートークの記事はこちらです。
花を描くことについていろいろ話されています。
展覧会のHPです。
元町中華街
「カフェ・ネクストドア」は横浜元町通りの裏の道にあります。
場所は横浜市中区元町2-96です。


有名なレストランの「霧笛楼」の経営しているお店で、「霧笛楼」の
隣にあるので、名前も「ネクストドア」になっています。
50席ほどのお店は全席禁煙、重厚なつくりで窓から柔らかな光が入り、
とても落着いた雰囲気です。
こなれた応対の店員さんもクラシックなチョッキのユニフォーム姿です。
BGMはスローなジャズソングでした。
休日の午後は満員になるお店ですが、11時の開店のすぐ後に入ったので、
まだ他のお客さんはほとんどいません。



いろいろなケーキが揃っていて、目移りします。
ケーキセット700円です。

ネオティラミスにしました。
ていねいに作られていて、いろいろな味や食感を楽しめて美味しいです。
ドリンクはユーロピアンブレンドか元町ブレンドティーを選びます。
コーヒーは心地良く軽い苦味です。
カップはTAKARADAです。
元町の陶磁器店で、霧笛楼の食器はすべてTAKARADAで揃えてあるそうです。
まだあまりお客さんもいないひとときの間、お店を独占したような
ぜい沢な時間を楽しみました。
「霧笛楼」のHPの「ネクストドア」のページです。
お菓子の説明も載っています。
元町通りを歩いてみました。




chariot
「カフェ・ネクストドア」は横浜元町通りの裏の道にあります。
場所は横浜市中区元町2-96です。


有名なレストランの「霧笛楼」の経営しているお店で、「霧笛楼」の
隣にあるので、名前も「ネクストドア」になっています。
50席ほどのお店は全席禁煙、重厚なつくりで窓から柔らかな光が入り、
とても落着いた雰囲気です。
こなれた応対の店員さんもクラシックなチョッキのユニフォーム姿です。
BGMはスローなジャズソングでした。
休日の午後は満員になるお店ですが、11時の開店のすぐ後に入ったので、
まだ他のお客さんはほとんどいません。



いろいろなケーキが揃っていて、目移りします。
ケーキセット700円です。

ネオティラミスにしました。
ていねいに作られていて、いろいろな味や食感を楽しめて美味しいです。
ドリンクはユーロピアンブレンドか元町ブレンドティーを選びます。
コーヒーは心地良く軽い苦味です。
カップはTAKARADAです。
元町の陶磁器店で、霧笛楼の食器はすべてTAKARADAで揃えてあるそうです。
まだあまりお客さんもいないひとときの間、お店を独占したような
ぜい沢な時間を楽しみました。
「霧笛楼」のHPの「ネクストドア」のページです。
お菓子の説明も載っています。
元町通りを歩いてみました。




六本木・乃木坂
六本木のサントリー美術館では「森と湖の国 フィンランド・デザイン」展が
開かれています。
会期は2013年1月20日(日)までです。

フィンランド国立ガラス美術館の所蔵品を中心にしたガラス製品
約150点の展示で、今回は展示替えはありません。
プロローグ: 18世紀後半~1920年代 黎明期
18世紀から1920年代までのガラス器です。
ガラス生産はスウェーデン領時代の17世紀に始まっていますが、
スウェーデンは自国の森林資源保護のため、燃料を使うガラス工房を
フィンランドに置いています。
作品にオリジナル性はまだあまり出ていません。
第I章: 1930年代 躍進期
1917年の独立後の1930年代になると、実用的で美しいデザインのガラスの
日用品が生まれます。
アールト夫妻はその代表者です。
アイノ・マルシオ=アールト 「プレスガラス」
1932年 フィンランド国立ガラス美術館蔵
輪を積み重ねたようにした形のカップや皿で、水面に石を投げて出来る
水紋を意味する「Bolgeblick」の名で親しまれ、現在も使われている
デザインです。
アルヴァル・アールト 「アールトの花瓶 9750」 1937年 個人蔵

フィンランドの湖をイメージした作品です。
ヘルシンキのレストラン、「サヴォイ」で使われたことから、サヴォイの名で
親しまれている、有名なシリーズの一つです。
第II章: 1950年代 黄金期
企業デザイナーの活躍の時期です。
アルツ・ブルマー 「フィンランディア」
1945年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

木の肌を模したごつごつした表面です。
滑らかな表面が特徴のフィンランド・デザインとしては珍しい形です。
タピオ・ヴィルッカラ 「カンタレッリ(アンズタケ)」 1947年 個人蔵

ラッパの形をしたアンズタケをモチーフにしています。
キノコ狩りはフィンランド人の秋のレジャーとのことです。
カイ・フランク 「ヤマシギ」 1953年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

シンプルなデザインですが、クチバシも付いていて、鳥の可愛い姿を
うまく捉えています。
ティモ・サルヴァネヴァ 「i ガラス」 1956年
フィンランド国立ガラス美術館蔵

シンプルなデザインの薄手のガラス食器シリーズで、「i」はデザイン会社の
イッタラ社のロゴを表します。
ティモ・サルヴァネヴァはiittala(イッタラ)のロゴをデザインしています。
第III章: 1960・70年代 転換期
70年代になると製品のためのデザイン作りでなく、個人のデザイナーとして
活動する人が多くなってきます。
さらにオイルショックが重なって、ガラス業界は転換を迫られ、質を保ちながら
安価な製品を作り出すことに腐心します。
アイモ・オッコリン 「ウォーター・リリー(睡蓮)」 1960年

睡蓮をかたどった、鋭角的なデザインです。
タピオ・ヴィルッカラ 「ウルティマ・テューレ」
1968年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

「ウルティマ・テューレ」は「最北」という意味で、ラップランドの
氷の解ける様子に触発されて生まれたデザインとのことです。
氷の半透明な感じをよく表しています。
現在もフィンランド航空の食器として使われています。
第IV章: フィンランド・ガラスの今 Art&Life
現在に至るフィンランド・ガラスの作品の展示です。
オイヴァ・トイッカ 「オアシス」
1988年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

50cmほどの大きさの作品で、さまざまなガラスのパーツを組み立てた
ような形をしています。
賑やかでありながらすっきりとしていて、どこから観ても楽しい造形です。
会場の一部は撮影可能です。
入口のインスタレーションはオーロラをモチーフにしていて、幻想的な映像が
流されています。


オイヴァ・トイッカ 「トナカイの集会」
1972年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

フィンランドの森の情景です。
ハッリ・コスキネン 「きわみの森」 2012年

森のようにランプが整然と並んでいます。
イッタラ社の「バード」のシリーズで、鳥たちが群れています。
「バード」の原型は1971年に出来上がり、翌年から製造を始めています。







フィンランド・デザインはモダンな一方で、自然を取り入れて、ガラスで
ありながら柔らかく温かです。
生活にもなじみやすい優しいかたちであることを見せてくれる展覧会です。
展覧会のHPです。
ミッドタウンの吹き抜けにはフィンランドの伝統工芸のわら細工、
「ヒンメリ」を模した飾りが下がっています。

ミッドタウン恒例の、ミニサンタクロースの集合したクリスマスツリーです。
サンタクロースはフィンランドに住んでいます。


外のクリスマスツリーにも、「ヒンメリ」が飾ってあります。


スノウマンが4人登場しました。
こちらが「白ヒゲのリーダー」です。

「ハットのロマンチスト」です。

「ハイヒールのおしゃれさん」はハイヒールのブーツを履いています。

「丸メガネの芸術家」です。

chariot
六本木のサントリー美術館では「森と湖の国 フィンランド・デザイン」展が
開かれています。
会期は2013年1月20日(日)までです。

フィンランド国立ガラス美術館の所蔵品を中心にしたガラス製品
約150点の展示で、今回は展示替えはありません。
プロローグ: 18世紀後半~1920年代 黎明期
18世紀から1920年代までのガラス器です。
ガラス生産はスウェーデン領時代の17世紀に始まっていますが、
スウェーデンは自国の森林資源保護のため、燃料を使うガラス工房を
フィンランドに置いています。
作品にオリジナル性はまだあまり出ていません。
第I章: 1930年代 躍進期
1917年の独立後の1930年代になると、実用的で美しいデザインのガラスの
日用品が生まれます。
アールト夫妻はその代表者です。
アイノ・マルシオ=アールト 「プレスガラス」
1932年 フィンランド国立ガラス美術館蔵
輪を積み重ねたようにした形のカップや皿で、水面に石を投げて出来る
水紋を意味する「Bolgeblick」の名で親しまれ、現在も使われている
デザインです。
アルヴァル・アールト 「アールトの花瓶 9750」 1937年 個人蔵

フィンランドの湖をイメージした作品です。
ヘルシンキのレストラン、「サヴォイ」で使われたことから、サヴォイの名で
親しまれている、有名なシリーズの一つです。
第II章: 1950年代 黄金期
企業デザイナーの活躍の時期です。
アルツ・ブルマー 「フィンランディア」
1945年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

木の肌を模したごつごつした表面です。
滑らかな表面が特徴のフィンランド・デザインとしては珍しい形です。
タピオ・ヴィルッカラ 「カンタレッリ(アンズタケ)」 1947年 個人蔵

ラッパの形をしたアンズタケをモチーフにしています。
キノコ狩りはフィンランド人の秋のレジャーとのことです。
カイ・フランク 「ヤマシギ」 1953年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

シンプルなデザインですが、クチバシも付いていて、鳥の可愛い姿を
うまく捉えています。
ティモ・サルヴァネヴァ 「i ガラス」 1956年
フィンランド国立ガラス美術館蔵

シンプルなデザインの薄手のガラス食器シリーズで、「i」はデザイン会社の
イッタラ社のロゴを表します。
ティモ・サルヴァネヴァはiittala(イッタラ)のロゴをデザインしています。
第III章: 1960・70年代 転換期
70年代になると製品のためのデザイン作りでなく、個人のデザイナーとして
活動する人が多くなってきます。
さらにオイルショックが重なって、ガラス業界は転換を迫られ、質を保ちながら
安価な製品を作り出すことに腐心します。
アイモ・オッコリン 「ウォーター・リリー(睡蓮)」 1960年

睡蓮をかたどった、鋭角的なデザインです。
タピオ・ヴィルッカラ 「ウルティマ・テューレ」
1968年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

「ウルティマ・テューレ」は「最北」という意味で、ラップランドの
氷の解ける様子に触発されて生まれたデザインとのことです。
氷の半透明な感じをよく表しています。
現在もフィンランド航空の食器として使われています。
第IV章: フィンランド・ガラスの今 Art&Life
現在に至るフィンランド・ガラスの作品の展示です。
オイヴァ・トイッカ 「オアシス」
1988年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

50cmほどの大きさの作品で、さまざまなガラスのパーツを組み立てた
ような形をしています。
賑やかでありながらすっきりとしていて、どこから観ても楽しい造形です。
会場の一部は撮影可能です。
入口のインスタレーションはオーロラをモチーフにしていて、幻想的な映像が
流されています。


オイヴァ・トイッカ 「トナカイの集会」
1972年 フィンランド国立ガラス美術館蔵

フィンランドの森の情景です。
ハッリ・コスキネン 「きわみの森」 2012年

森のようにランプが整然と並んでいます。
イッタラ社の「バード」のシリーズで、鳥たちが群れています。
「バード」の原型は1971年に出来上がり、翌年から製造を始めています。







フィンランド・デザインはモダンな一方で、自然を取り入れて、ガラスで
ありながら柔らかく温かです。
生活にもなじみやすい優しいかたちであることを見せてくれる展覧会です。
展覧会のHPです。
ミッドタウンの吹き抜けにはフィンランドの伝統工芸のわら細工、
「ヒンメリ」を模した飾りが下がっています。

ミッドタウン恒例の、ミニサンタクロースの集合したクリスマスツリーです。
サンタクロースはフィンランドに住んでいます。


外のクリスマスツリーにも、「ヒンメリ」が飾ってあります。


スノウマンが4人登場しました。
こちらが「白ヒゲのリーダー」です。

「ハットのロマンチスト」です。

「ハイヒールのおしゃれさん」はハイヒールのブーツを履いています。

「丸メガネの芸術家」です。

錦糸町
喫茶店「ニット」は錦糸町駅南の江東橋四丁目交差点近くにあります。
場所は墨田区江東橋4-26-12です。

昔ながらのインテリアのお店はソファ席が50席ほど、ライトが鏡に反射して
きらめいています。
BGMは懐かしいムードミュージックでした。



モーニングセット520円です。

トースト、サラダ、殻付きゆで卵にコーヒーが一つのお皿に載っています。
卵はちょうど良いゆで具合で、コーヒーは薄めです。
ほかにハムトーストやツナサンドのセットもあります。
愛想の良いお店の方によれば、こちらは以前はメリヤスの工場で、
そこで喫茶店になる時に「ニット」という名前にしたということです。
昔はこのあたりは繊維街で、両国から亀戸まで繊維関係のお店や工場が多く、
こちらで織った製品は横山町の問屋に納めていたそうです。
今では繊維街の面影は無く、さらに喫茶店もカフェに変わるという時代の
変わりようですが、ソファに座って壁のランプを眺めていると昔の時が
戻ってきたような気持ちになります。
chariot
喫茶店「ニット」は錦糸町駅南の江東橋四丁目交差点近くにあります。
場所は墨田区江東橋4-26-12です。

昔ながらのインテリアのお店はソファ席が50席ほど、ライトが鏡に反射して
きらめいています。
BGMは懐かしいムードミュージックでした。



モーニングセット520円です。

トースト、サラダ、殻付きゆで卵にコーヒーが一つのお皿に載っています。
卵はちょうど良いゆで具合で、コーヒーは薄めです。
ほかにハムトーストやツナサンドのセットもあります。
愛想の良いお店の方によれば、こちらは以前はメリヤスの工場で、
そこで喫茶店になる時に「ニット」という名前にしたということです。
昔はこのあたりは繊維街で、両国から亀戸まで繊維関係のお店や工場が多く、
こちらで織った製品は横山町の問屋に納めていたそうです。
今では繊維街の面影は無く、さらに喫茶店もカフェに変わるという時代の
変わりようですが、ソファに座って壁のランプを眺めていると昔の時が
戻ってきたような気持ちになります。
乃木坂・六本木
六本木の国立新美術館では第44回「日展」が開かれています。
期間は12月9日(日)までです。

(洋画)
「白い函館」 樋口洋 内閣総理大臣賞

雪の函館ハリストス正教会です。
日を浴びて雪の積もった教会は白く輝き、深い青の海の向こうには
暗い雲の下の街並みが続いています。
冷たく澄んだ空気も感じられる、引き締まった風景です。
「祈りの丘」 佐藤祐治

丘の上のロマネスク建築の教会です。
佐藤さんは細密な技法でスペインの風景を描き続けています。
「Garden」 山本容梓子

庭のベンチで心地良さそうにしている猫たちです。
(日本画)
「視る」 長谷部貞子

猫は動く物の映像を飽きずに観ているといいます。
温かいのでテレビの上に乗って、尻尾を画面に垂らすこともあります。
赤、白、青、黒でまとめています。
「貌」 内海泰

大きな嘴が特徴のハシビロコウの姿を描いています。
上野動物園で見たハシビロコウはじっと立ったまま微動だに
しませんでした。
「誘惑」 長谷川喜久

椿の花の蜜を吸いに集まって目白押しになっているメジロです。
暗い背景の中の緑と赤の補色が効果的です。
「憧憬」 鈴木晴美

窓の外のケヤキがカフェらしいお店のテーブルに映っています。
切り取ったような鮮明な画面が印象的です。
2011年の日展の記事です。
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六本木の国立新美術館では第44回「日展」が開かれています。
期間は12月9日(日)までです。

(洋画)
「白い函館」 樋口洋 内閣総理大臣賞

雪の函館ハリストス正教会です。
日を浴びて雪の積もった教会は白く輝き、深い青の海の向こうには
暗い雲の下の街並みが続いています。
冷たく澄んだ空気も感じられる、引き締まった風景です。
「祈りの丘」 佐藤祐治

丘の上のロマネスク建築の教会です。
佐藤さんは細密な技法でスペインの風景を描き続けています。
「Garden」 山本容梓子

庭のベンチで心地良さそうにしている猫たちです。
(日本画)
「視る」 長谷部貞子

猫は動く物の映像を飽きずに観ているといいます。
温かいのでテレビの上に乗って、尻尾を画面に垂らすこともあります。
赤、白、青、黒でまとめています。
「貌」 内海泰

大きな嘴が特徴のハシビロコウの姿を描いています。
上野動物園で見たハシビロコウはじっと立ったまま微動だに
しませんでした。
「誘惑」 長谷川喜久

椿の花の蜜を吸いに集まって目白押しになっているメジロです。
暗い背景の中の緑と赤の補色が効果的です。
「憧憬」 鈴木晴美

窓の外のケヤキがカフェらしいお店のテーブルに映っています。
切り取ったような鮮明な画面が印象的です。
2011年の日展の記事です。
上野
上野の東京藝術大学大学美術館では、東京藝術大学とNHKの主催で、
「The Art of Gaman 尊厳の芸術展」が開かれています。
会期は12月9日(日)までで、入場無料です。
その後、福島、仙台、沖縄、広島を巡回します。


1941年の太平洋戦争の開始により、アメリカ西海岸に住んでいた日系アメリカ人と
日本人移民約120,000人は1942年に各地に建てられた14ヶ所の強制収容所に送られ、
戦争の終わる1945年までそこでの生活を強いられています。
強制収容の開始から今年で70年になります。
展覧会では収容されていた人たちが廃材などを使って作り出した日用品や芸術品の
数々が展示されています。
これらの作品の多くは収容所の辛い生活を思い出させる物として、解放の後の
やり直しの生活の中で顧みられることもなく、屋根裏やガレージの隅にしまわれた
ままだったそうです。
作品は撮影可能です。
「収容所の風景」 作者不詳 木、ペンキ

強制収容所として最も有名なカリフォルニア州マンザナー強制収容所を描いています。
遠くの山はウィリアムソン山です。
「マンザナー強制収容所の砂嵐」
The U.S. National Archives and Records Administration

砂嵐の時はバラックの床下から砂が吹き上がってきたそうです。
第1章―生活に必要なもの
「杖」 ヘイキチ・エザキほか 様々な木

収容所内で歯科医として働いていたチョウトク・ニシは患者から感謝の
気持ちとして19本もの杖を贈られています。
「喫煙道具」 作者不詳 くずの木材、サボテン

収容所ではテーブル、椅子、小引出、はさみ、そろばんなども手作りしています。
第2章―生活を彩るもの
「ピンブローチとコサージュ」
グレース・アヤコ・イトウ、イワ・ミウラ、ブンゾウ・フジモト、タニグチほか
豆、ひまわりの種、貝殻、木、紙、針金

「おもちゃの汽車」 エドワード・ジツエ・クルシマ
くず鉄、くずの木材、絵の具

「チェスセット」 ミノル・フランクリン・カワノ 木

「蛇」 タキゾウ・オバタ メスキートの木、硬質木材、針金

タキゾウ・オバタは成功した農場主でしたが、すべてを失った収容所生活の中で、
蛇によって不屈の精神を表現しようとしています。
第3章―生活の記録
「表札」 カネイチ・ヤマイチ くずの木材、絵の具

収容者は収容所当局から名前ではなく、番号で呼ばれていました。
カネイチ ヤマイチは自分の住居の入口に表札を掲げることで、
自己の尊厳を主張しました。
「住宅模型」 トシマ くずの木材、爪楊枝、絵の具、糸、針

「冬のトパーズ収容所」 ジョージ・マツサブロウ・ヒビ
カンヴァス・油絵の具

ユタ州にあった収容所です。
見るからに寒々とした光景です。
「憲兵に撃たれたワカサ・ハツキ(タンフォーアン集合センター)」
チウラ・オバタ 紙、インク

収容所や集合センター(予備的収容所)は有刺鉄線で囲まれ、不用意にフェンスに
近づくと警備兵に撃たれています。
チウラ・オバタはカリフォルニア大学バークレー校の美術専攻の教授でした。
収容所でも児童の美術教育に尽くし、また収容所の生活を絵画記録として
残しています。
「ジェローム収容所での母(1943)」 ヘンリー・スギモト
米袋、布、絵の具、糸

逆境の中での強い意志を持った顔です。
母親の息子・ラルフは日系人で編成された第442連隊戦闘団に入隊しています。
この部隊はイタリアなど欧州戦線に投入され、延べ死傷者約1万人、死傷率約30%
という敢闘ぶりを示し、米国史上最も多くの勲章を受けた部隊となっています。
ミュンヘン近くにあったナチスのダッハウ強制収容所を解放したのもこの部隊です。
第4章―故国の文化
「仏壇」 シンタロウ・オオニシ 薪の丸太、くずの木材、金属

丸太をくり抜き、扉も付けています。
中に阿弥陀像が入っています。
「硯」 ホウメイ・イセヤマ 石

「木製の刀と拵」 トミタロウ・サノ 木、糸、絵の具


トミタロウ・サノは武家の出身で食料品店を営んでいました。
2人の息子のために儀礼用に作ったものです。
右上 「日本人形」 サチコ・カワサキ
古い着物、糸、モール、紙、インク、くずの木材
手前 「日本人形」 タニ・フルハタ
着物の布、クレープペーパー、針金、刺繍糸、インク、木

「感謝状」 作者不詳 紙

収容所の建設に膨大な人員が必要になったため、志願者を収容者から募って
参加させています。
ワイオミング州のハート・マウンテン収容所の閉鎖を前にして建設協力者に
出された感謝状で、縁取りが有刺鉄線になっています。
「サンタ・アニタの地図のある飾り板 タメイチ オキモト 木・板


新墨州惨多不意(ニューメキシコ州サンタフェ)収容記念 為中川氏、とあります。
漢字表記に収容者の思いが表れています。
「俳画」 作者不詳 紙、インク、水彩絵の具

背景にマンザナー収容所が描かれています。
血の誇しかと抱いて待つ明日
まさにGamanと尊厳を五七五に込めています。
突然、暮らしを奪われ、異常な環境に押し込められながら、誇りと希望を
失わなかった人々の思いを伝える品々には心を打たれます。
展示品のリストを添付します。




chariot
上野の東京藝術大学大学美術館では、東京藝術大学とNHKの主催で、
「The Art of Gaman 尊厳の芸術展」が開かれています。
会期は12月9日(日)までで、入場無料です。
その後、福島、仙台、沖縄、広島を巡回します。


1941年の太平洋戦争の開始により、アメリカ西海岸に住んでいた日系アメリカ人と
日本人移民約120,000人は1942年に各地に建てられた14ヶ所の強制収容所に送られ、
戦争の終わる1945年までそこでの生活を強いられています。
強制収容の開始から今年で70年になります。
展覧会では収容されていた人たちが廃材などを使って作り出した日用品や芸術品の
数々が展示されています。
これらの作品の多くは収容所の辛い生活を思い出させる物として、解放の後の
やり直しの生活の中で顧みられることもなく、屋根裏やガレージの隅にしまわれた
ままだったそうです。
作品は撮影可能です。
「収容所の風景」 作者不詳 木、ペンキ

強制収容所として最も有名なカリフォルニア州マンザナー強制収容所を描いています。
遠くの山はウィリアムソン山です。
「マンザナー強制収容所の砂嵐」
The U.S. National Archives and Records Administration

砂嵐の時はバラックの床下から砂が吹き上がってきたそうです。
第1章―生活に必要なもの
「杖」 ヘイキチ・エザキほか 様々な木

収容所内で歯科医として働いていたチョウトク・ニシは患者から感謝の
気持ちとして19本もの杖を贈られています。
「喫煙道具」 作者不詳 くずの木材、サボテン

収容所ではテーブル、椅子、小引出、はさみ、そろばんなども手作りしています。
第2章―生活を彩るもの
「ピンブローチとコサージュ」
グレース・アヤコ・イトウ、イワ・ミウラ、ブンゾウ・フジモト、タニグチほか
豆、ひまわりの種、貝殻、木、紙、針金

「おもちゃの汽車」 エドワード・ジツエ・クルシマ
くず鉄、くずの木材、絵の具

「チェスセット」 ミノル・フランクリン・カワノ 木

「蛇」 タキゾウ・オバタ メスキートの木、硬質木材、針金

タキゾウ・オバタは成功した農場主でしたが、すべてを失った収容所生活の中で、
蛇によって不屈の精神を表現しようとしています。
第3章―生活の記録
「表札」 カネイチ・ヤマイチ くずの木材、絵の具

収容者は収容所当局から名前ではなく、番号で呼ばれていました。
カネイチ ヤマイチは自分の住居の入口に表札を掲げることで、
自己の尊厳を主張しました。
「住宅模型」 トシマ くずの木材、爪楊枝、絵の具、糸、針

「冬のトパーズ収容所」 ジョージ・マツサブロウ・ヒビ
カンヴァス・油絵の具

ユタ州にあった収容所です。
見るからに寒々とした光景です。
「憲兵に撃たれたワカサ・ハツキ(タンフォーアン集合センター)」
チウラ・オバタ 紙、インク

収容所や集合センター(予備的収容所)は有刺鉄線で囲まれ、不用意にフェンスに
近づくと警備兵に撃たれています。
チウラ・オバタはカリフォルニア大学バークレー校の美術専攻の教授でした。
収容所でも児童の美術教育に尽くし、また収容所の生活を絵画記録として
残しています。
「ジェローム収容所での母(1943)」 ヘンリー・スギモト
米袋、布、絵の具、糸

逆境の中での強い意志を持った顔です。
母親の息子・ラルフは日系人で編成された第442連隊戦闘団に入隊しています。
この部隊はイタリアなど欧州戦線に投入され、延べ死傷者約1万人、死傷率約30%
という敢闘ぶりを示し、米国史上最も多くの勲章を受けた部隊となっています。
ミュンヘン近くにあったナチスのダッハウ強制収容所を解放したのもこの部隊です。
第4章―故国の文化
「仏壇」 シンタロウ・オオニシ 薪の丸太、くずの木材、金属

丸太をくり抜き、扉も付けています。
中に阿弥陀像が入っています。
「硯」 ホウメイ・イセヤマ 石

「木製の刀と拵」 トミタロウ・サノ 木、糸、絵の具


トミタロウ・サノは武家の出身で食料品店を営んでいました。
2人の息子のために儀礼用に作ったものです。
右上 「日本人形」 サチコ・カワサキ
古い着物、糸、モール、紙、インク、くずの木材
手前 「日本人形」 タニ・フルハタ
着物の布、クレープペーパー、針金、刺繍糸、インク、木

「感謝状」 作者不詳 紙

収容所の建設に膨大な人員が必要になったため、志願者を収容者から募って
参加させています。
ワイオミング州のハート・マウンテン収容所の閉鎖を前にして建設協力者に
出された感謝状で、縁取りが有刺鉄線になっています。
「サンタ・アニタの地図のある飾り板 タメイチ オキモト 木・板


新墨州惨多不意(ニューメキシコ州サンタフェ)収容記念 為中川氏、とあります。
漢字表記に収容者の思いが表れています。
「俳画」 作者不詳 紙、インク、水彩絵の具

背景にマンザナー収容所が描かれています。
血の誇しかと抱いて待つ明日
まさにGamanと尊厳を五七五に込めています。
突然、暮らしを奪われ、異常な環境に押し込められながら、誇りと希望を
失わなかった人々の思いを伝える品々には心を打たれます。
展示品のリストを添付します。




上野
「パークサイドカフェ」は上野公園に今年の4月にオープンしたお店です。
場所は台東区上野公園8-4です。


公園広場のリニューアルにともなって、向かいの「スターバックスコーヒー
上野恩賜公園店」と同時にオープンしました。
両方とも平屋のウッディなつくりです。
店内86席、テラス席80席はすべて禁煙です。
店内は明るく、窓から公園広場を眺め渡すことで出来て、とても開放的な
気分になります。


平日は朝10時から、土日は9時から開いています。
日曜日の9時に入ったときはまだ誰もいませんでしたが、その後次々
お客さんが入ってきました。
休日の昼間はいつも満員で、順番待ちになります。
BGMは洒落たヴォーカルでした。
ケーキセットは幾つかあって、ケーキが2個付きます。
パウンドケーキと季節のタルトのセットのドリンク付き1090円です。

紅茶はダージリンでポットにたっぷり入っています。
パウンドケーキはしっとりして、入っているフルーツが効いており、
タルトもほど良い甘さで美味しいです。
フレッシュハーブティー740円もあるので、こんど試してみようと思います。
こちらは向かいの「スターバックス」です。
「スターバックスコーヒー 上野恩賜公園店」の記事です。

上野公園の桜も紅葉しています。




不忍池にもそろそろユリカモメが帰ってきています。

chariot
「パークサイドカフェ」は上野公園に今年の4月にオープンしたお店です。
場所は台東区上野公園8-4です。


公園広場のリニューアルにともなって、向かいの「スターバックスコーヒー
上野恩賜公園店」と同時にオープンしました。
両方とも平屋のウッディなつくりです。
店内86席、テラス席80席はすべて禁煙です。
店内は明るく、窓から公園広場を眺め渡すことで出来て、とても開放的な
気分になります。


平日は朝10時から、土日は9時から開いています。
日曜日の9時に入ったときはまだ誰もいませんでしたが、その後次々
お客さんが入ってきました。
休日の昼間はいつも満員で、順番待ちになります。
BGMは洒落たヴォーカルでした。
ケーキセットは幾つかあって、ケーキが2個付きます。
パウンドケーキと季節のタルトのセットのドリンク付き1090円です。

紅茶はダージリンでポットにたっぷり入っています。
パウンドケーキはしっとりして、入っているフルーツが効いており、
タルトもほど良い甘さで美味しいです。
フレッシュハーブティー740円もあるので、こんど試してみようと思います。
こちらは向かいの「スターバックス」です。
「スターバックスコーヒー 上野恩賜公園店」の記事です。

上野公園の桜も紅葉しています。




不忍池にもそろそろユリカモメが帰ってきています。
