日比谷・有楽町
日比谷の出光美術館では、「仁清・乾山と京の工芸―風雅のうつわ」展が開かれています。
会期は12月21日(日)までです。

野々村仁清と尾形乾山によって確立した京焼を展示する展覧会です。
まず、唐津焼や高取焼などに倣った、初期の京焼が展示されています。
初期の仁清は白釉を使った、清雅な趣きのものです。
初期の乾山は長崎貿易を通じて流入したヨーロッパの食器のデザインを模した、
「阿蘭陀写」の食器などを制作しています。
「銹絵富士山文茶碗」 野々村仁清 江戸時代前期

ふっくらした姿でやや三角に歪められ、白釉の上に銹絵で三峰型の様式的な形の
富士山と雲を描いています。
仁清は色絵で有名ですが、それ以前は白釉や錆絵のものを制作しています。
公家の宴では白木の三宝やかわらけの食器を用い、一度使うと捨てていたことから、
食器の嗜好も白い物、清らかな物を好んだことによるものだそうです。
「色絵鳳凰文共蓋壷」 野々村仁清 江戸時代前期 重要文化財

高さ45・4㎝の大きな壷で、蓋の付いた中国風の形をしています。
菊唐草の地模様の中に窓を4つ作り、それぞれ鳳凰が描かれています。
肩や蓋には牡丹をあしらい、全体に金襴をふんだんに施しています。
丸亀京極家の伝来品とのことです。
京焼では華麗な色絵は大名に好まれたので、その需要に合わせて、
ブランドとしての京焼を作り上げたそうです。
「色絵牡丹図水指」 野々村仁清 江戸時代前期 東京国立博物館

金彩もふんだんに用いて、何とも色鮮やかな、いかにも京焼らしい作品です。
絵柄が永平寺伝来の狩野探幽筆、四季花鳥図に似ているそうで、狩野探幽や
弟の安信は仁清の陶器に絵付けをしたという記録もあるそうです。
「色絵鶉図香合」 野々村仁清 江戸時代前期

金彩の華やかな、振り向いた姿の可愛い香合です。
「色絵芥子文茶壷」 野々村仁清 江戸時代前期 重要文化財

高さ43.4㎝の大きな壷で、ころりとした親しみやすい形をしています。
肩に金彩で切箔を散らしたように描き、赤い芥子の花を金の輪郭線で取り巻き、
裾に「仁清黒」と呼ばれる漆のような黒を配しています。
屏風絵と蒔絵の意匠を焼き物に融合した作品とのことです。
「麦・芥子図屏風」 六曲一双 狩野重信 江戸時代前期
11月16日までの展示です。
左隻には画面いっぱいに赤と白の芥子が、右隻には青い麦が描かれています。
芥子図屏風は芥子文茶壷の後ろに立てられていて、屏風の絵が壺に映っているような
見事な景色です。
「色絵椿松竹梅文透入重蓋物」古清水 江戸時代中期 東京国立博物館

京焼には透かしを入れた作品も多くあります。
蓋には椿の花と葉を彫り出し、外側には松と竹を、各段には松竹梅を描いています。
「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」 尾形乾山 江戸時代中期 重要文化財

蒔絵硯箱などの木器を元にしたと思われ、素地の上に金銀や白、染付を使って
松を描いています。
内側は白化粧に金彩と染付で波を描き、砂浜の松林を表す意匠になっています。
『銹絵楼閣山水図八角皿「寶永年製」銘』 尾形乾山 1704-1711年

唐の詩人、章八元の「題慈恩寺塔」に依った絵柄で、銹絵で水墨のような
味わいを出しています。
十層突兀在虛空 四十門開面面風と書かれていて、描かれている絵はここには
書かれていない、滿城春樹雨濛濛の詩句を想像させています。
描かれた絵から書かれていない言葉を引き出す、「当てもの」の趣向になっています。
乾山は当てものを多く手掛けていますが、これを楽しむには古典の知識が必要で、
かなりハードルの高い趣味ではあります。
仁清や乾山に代表される京焼について、その位置付けの分かる、興味深い展覧会で、
華やかな色絵とは違った京焼の世界も知ることが出来ました。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「物語絵 ―〈ことば〉と〈かたち〉―」です。
会期は2015年1月10日(土)から2月15日(日)までです。

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日比谷の出光美術館では、「仁清・乾山と京の工芸―風雅のうつわ」展が開かれています。
会期は12月21日(日)までです。

野々村仁清と尾形乾山によって確立した京焼を展示する展覧会です。
まず、唐津焼や高取焼などに倣った、初期の京焼が展示されています。
初期の仁清は白釉を使った、清雅な趣きのものです。
初期の乾山は長崎貿易を通じて流入したヨーロッパの食器のデザインを模した、
「阿蘭陀写」の食器などを制作しています。
「銹絵富士山文茶碗」 野々村仁清 江戸時代前期

ふっくらした姿でやや三角に歪められ、白釉の上に銹絵で三峰型の様式的な形の
富士山と雲を描いています。
仁清は色絵で有名ですが、それ以前は白釉や錆絵のものを制作しています。
公家の宴では白木の三宝やかわらけの食器を用い、一度使うと捨てていたことから、
食器の嗜好も白い物、清らかな物を好んだことによるものだそうです。
「色絵鳳凰文共蓋壷」 野々村仁清 江戸時代前期 重要文化財

高さ45・4㎝の大きな壷で、蓋の付いた中国風の形をしています。
菊唐草の地模様の中に窓を4つ作り、それぞれ鳳凰が描かれています。
肩や蓋には牡丹をあしらい、全体に金襴をふんだんに施しています。
丸亀京極家の伝来品とのことです。
京焼では華麗な色絵は大名に好まれたので、その需要に合わせて、
ブランドとしての京焼を作り上げたそうです。
「色絵牡丹図水指」 野々村仁清 江戸時代前期 東京国立博物館

金彩もふんだんに用いて、何とも色鮮やかな、いかにも京焼らしい作品です。
絵柄が永平寺伝来の狩野探幽筆、四季花鳥図に似ているそうで、狩野探幽や
弟の安信は仁清の陶器に絵付けをしたという記録もあるそうです。
「色絵鶉図香合」 野々村仁清 江戸時代前期

金彩の華やかな、振り向いた姿の可愛い香合です。
「色絵芥子文茶壷」 野々村仁清 江戸時代前期 重要文化財

高さ43.4㎝の大きな壷で、ころりとした親しみやすい形をしています。
肩に金彩で切箔を散らしたように描き、赤い芥子の花を金の輪郭線で取り巻き、
裾に「仁清黒」と呼ばれる漆のような黒を配しています。
屏風絵と蒔絵の意匠を焼き物に融合した作品とのことです。
「麦・芥子図屏風」 六曲一双 狩野重信 江戸時代前期
11月16日までの展示です。
左隻には画面いっぱいに赤と白の芥子が、右隻には青い麦が描かれています。
芥子図屏風は芥子文茶壷の後ろに立てられていて、屏風の絵が壺に映っているような
見事な景色です。
「色絵椿松竹梅文透入重蓋物」古清水 江戸時代中期 東京国立博物館

京焼には透かしを入れた作品も多くあります。
蓋には椿の花と葉を彫り出し、外側には松と竹を、各段には松竹梅を描いています。
「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」 尾形乾山 江戸時代中期 重要文化財

蒔絵硯箱などの木器を元にしたと思われ、素地の上に金銀や白、染付を使って
松を描いています。
内側は白化粧に金彩と染付で波を描き、砂浜の松林を表す意匠になっています。
『銹絵楼閣山水図八角皿「寶永年製」銘』 尾形乾山 1704-1711年

唐の詩人、章八元の「題慈恩寺塔」に依った絵柄で、銹絵で水墨のような
味わいを出しています。
十層突兀在虛空 四十門開面面風と書かれていて、描かれている絵はここには
書かれていない、滿城春樹雨濛濛の詩句を想像させています。
描かれた絵から書かれていない言葉を引き出す、「当てもの」の趣向になっています。
乾山は当てものを多く手掛けていますが、これを楽しむには古典の知識が必要で、
かなりハードルの高い趣味ではあります。
仁清や乾山に代表される京焼について、その位置付けの分かる、興味深い展覧会で、
華やかな色絵とは違った京焼の世界も知ることが出来ました。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「物語絵 ―〈ことば〉と〈かたち〉―」です。
会期は2015年1月10日(土)から2月15日(日)までです。

神楽坂
「la kagu(ラ カグ)」は地下鉄神楽坂駅の矢来町出口を出た向かいにあります。
場所は新宿区矢来町67です。
こちらは隈研吾建築都市設計事務所の設計で、新潮社の倉庫の外観を活かして
2014年の10月にオープンした商業施設です。
神楽坂はアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)が近くにあって、
フランス人の多く住む所ですが、フランス人は神楽坂を発音するのが難しく、
ラ カグと呼びならわしていたことから付けた名とのことです。
道路から広いウッドデッキが続いていて、2階へは外階段からも上がれます。


1階テラスから見下ろしたところです。

倉庫の空間を使った広々としたスペースで、本、雑貨、家具、ファッションなどの
販売をしています。

1階にカフェがあります。

カウンター席からは外が見えます。

ピッツァケーゼサンド630円とセットのコーヒー320円です。

セルフ式ですが、フードは席に持ってきてくれます。
パンは軽く焼いてあり、温かくて美味しいですが、分厚いので少し食べにくいです。
コーヒーは軽い苦み系で、すっきりとして美味しいです。
雰囲気の良い空間で、マルシェが開かれることもあるそうなので、また行って
みようかと思います。
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「la kagu(ラ カグ)」は地下鉄神楽坂駅の矢来町出口を出た向かいにあります。
場所は新宿区矢来町67です。
こちらは隈研吾建築都市設計事務所の設計で、新潮社の倉庫の外観を活かして
2014年の10月にオープンした商業施設です。
神楽坂はアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)が近くにあって、
フランス人の多く住む所ですが、フランス人は神楽坂を発音するのが難しく、
ラ カグと呼びならわしていたことから付けた名とのことです。
道路から広いウッドデッキが続いていて、2階へは外階段からも上がれます。


1階テラスから見下ろしたところです。

倉庫の空間を使った広々としたスペースで、本、雑貨、家具、ファッションなどの
販売をしています。

1階にカフェがあります。

カウンター席からは外が見えます。

ピッツァケーゼサンド630円とセットのコーヒー320円です。

セルフ式ですが、フードは席に持ってきてくれます。
パンは軽く焼いてあり、温かくて美味しいですが、分厚いので少し食べにくいです。
コーヒーは軽い苦み系で、すっきりとして美味しいです。
雰囲気の良い空間で、マルシェが開かれることもあるそうなので、また行って
みようかと思います。
東京
丸の内の三菱一号館美術館で開かれた、青い日記帳×「ボストン美術館 ミレー展
-傑作の数々と画家の真実」展ブロガー特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は2015年1月12日(月・祝)までです。

展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
「弐代目・青い日記帳」主催のTakさんがモデレーターで、高橋明也館長の
挨拶があり、安井裕雄主任学芸員の解説を伺いました。
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-75)の生誕200年を記念する展覧会で、
ボストン美術館の所蔵するミレーの作品25点を中心に、バルビゾン派の
画家などの作品64点が展示されています。
ボストン美術館よりも照明の具合が良く、作品がはっきり見えるそうです。
ミレーはノルマンディーの農家の生まれで、19歳で絵の修業を始め、1837年にパリに出て
活動します。
1849年に画家の多く集まっているバルビゾン村に移住し、以後は農村と農民の生活を
描いています。
そのバルビゾンにボストン出身の画家、ウィリアム・モリス・ハントが滞在して、ミレーの作品を
持ち帰ったことからボストン市民の間でミレーの人気が高まっています。
そして1876年にボストン美術館が開館すると、多くのミレーの作品が寄贈されるように
なったということです。
I 巨匠ミレー序論
最初はミレー自身についての3点の展示です。

右 ジャン=フランソワ・ミレー 「自画像」 1840-41年頃
ミレーの自画像は4点しかなく、その中の最も古い作品で、パリに出て間も無い頃の作品です。
前途に不安を感じてか、眉にしわを寄せて厳しそうな顔をしています。
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「グリュシーのミレーの生家」 1854年

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「J.-F.ミレー夫人(ポリーヌ=ヴィルジニー・オノ)」 1841年
ミレーの最初の妻ですが、結核で1844年に亡くなっています。
II フォンテーヌブローの森
バルビゾン村はパリの郊外にあり、物価も安く景色も良いため、風景画家たちが
多く集まり、バルビゾン派と呼ばれるようになります。
フォンテーヌブローの森に隣接していて、バルビゾン派の画家たちはよくこの森を
題材にしています。
会場には23点が並んでいて、森の中を通って行くような感じにしてあるそうです。

右 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「フォンテーヌブローの森」 1846年
コローはバルビゾンでもよく絵を描いていました。

右 ギュスターヴ・クールベ 「森の小川」 1862年頃
左 カール・ボドメル 「オークとイノシシ」 1865年頃

右 フランソワ・ルイ・フランセ 「プロンビエール近くの小川」 1870年代
フランソワ・ルイ・フランセはコローやテオドール・ルソーから学んでいますが、
アカデミーの会員にもなっています。
フランソワ・ルイ・フランセの作品は2010年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれていた、
「ストラスブール美術館所蔵 語りかける風景」展にも展示されていました。
「ストラスブール美術館所蔵 語りかける風景」展の記事です。
左 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ブリュノワの牧草地の思い出」 1855-65年頃
コローは懐旧の情の籠った題名の作品をよく描いています。

テオドール・ルソー 「フォンテーヌブローの森の薪拾い」 1850-60年頃
テオドール・ルソー(1812-67)はバルビゾン派を代表する画家で、バルビゾンには
1836年から長期滞在し、1847年には移住しています。


右 クロード・モネ 「森のはずれの薪拾い」 1863年頃
モネの作品も1点あります。
23歳の頃、フォンテーヌブローの森のはずれの村を訪れた時の作品です。
左 シャルル=フランソワ・ドービニー 「森の中の道」
シャルル=フランソワ・ドービニー(1817-78)はコローに学んだバルビゾン派の画家で
、サロンの審査員としてモネやピサロなどの若い画家を評価しています。
会場でもモネと並んで展示されています。

右 ナルシス・ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ 「祭りに向かうボヘミアンたち」 1844年頃
森に差し込む光の下の群像で、色彩にアクセントがあります。
友人でもあり師でもあるテオドール・ルソーの作品の構図を参考にしているそうです。
ディアズ・ド・ラ・ペーニャは早くから成功した画家で、他のバルビゾン派の画家を
援助しています。
左 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「森の空き地で水浴する人々」 1870-75年頃
III バルビゾン村
広い展示室に出ると、ミレーの代表作が並んでいます。


右 ジャン=フランソワ・ミレー 「刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」 1850-53年
旧約聖書の「ルツ記」を元にした作品で、畑で落穂拾いで暮らしを立てるルツを
畑の所有者のボアズが人々に紹介するところです。
農民たちの動きがボアズを介して、左端におずおずと立っているルツに向かっています。
ウイリアム・モリス・ハントが勧めてボストン美術館が購入した作品です。
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「種をまく人」 1850年
斜面の具合から場所はノルマンディーで、まいているのはソバの種だろうということです。
ノルマンディーはソバの産地で、ソバの粉を焼いたガレットは日本で人気がありますが、
ソバは元々痩せ地の作物であり、農民の厳しい生活を暗示してもいます。
農民の手には種が握られており、上の方では牛に鋤を牽かせる農民が見えます。
種を握る手には力が籠り、足も大きく踏み出しています。
縦長の画面に大きく一人の農民を、それもシルエットにして顔の表情を見せずに描いている
ことから、単なる農村風景ではなく、農民の営みに焦点を当てた作品であることが分かります。


右 ジャン=フランソワ・ミレー 「馬鈴薯植え」 1861年頃
ジャガイモは格の落ちる作物で、絵画の主題としてふさわしくないという時代に、
それを正面から描いていて論議を呼んでいます。
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「羊飼いの娘」 1870 -73年頃
休みながら羊毛の糸繰りをしている羊飼いの娘を描いています。
背景に広々とした平野を描いていて、ミレーは1850年代後半から空間表現に
力を入れるようになったそうです。
中間に動物を置いて空間に奥行きを感じさせています。
この絵の下に「バビロンの捕囚」が描かれていることが分かったそうで、普仏戦争のため
物資が不足していたので、あまり評判の良くなかった作品の上に描いたようです。
ミレーも初めは絵画の主流である歴史画に挑んでいたのですが、農村を描いた作品ほどの
評価は得られませんでした。

右 コンスタン・トロワイヨン 「身構える猟犬」 1860年
左 コンスタン・トロワイヨン 「罠にかかったキツネ」 1855-65年
コンスタン・トロワイヨン(1810-1865)はテオドール・ルソーらと出会って、
バルビゾンで制作するようになります。
その後、オランダ、ベルギーを訪問してフランドル絵画の影響を受け、
動物を入れた作品を多く描いています。
ノルマンディーではブーダンと共に海岸風景を描いていて、戸外での観察に基いた
風景描写を心がけていたそうです。
ブーダンはモネに戸外での制作を奨めた人物であり、バルビゾン派と
印象派の一つの接点が見られます。
コンスタン・トロワイヨンの作品は2013年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれていた
「バルビゾンへの道 山寺 後藤美術館コレクション展」にも展示されていました。
「バルビゾンへの道 山寺 後藤美術館コレクション展」の記事です。
IV 家庭の情景

右 ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」 1860年頃
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」 1854年頃
よく似た画題ですが、右の方の子が少し年嵩で、左の子の編み棒は2本、
右の子は3本と、難易度が高くなっていることも表されているそうです。
子沢山だったミレーなので、家族をモデルにしているのでしょう。
右の絵では奥で猫がお皿を舐めています。

右 黒田清輝 「摘草」 1891年 三菱一号館寄託
ミレー風の画題を外交派の技法で描いています。
黒田清輝はバルビゾンを訪れた最初の日本人です。
左 浅井忠 「花畠」 1904年 三菱地所株式会社

右 ジャン=フランソワ・ミレー 「糸紡ぎ、座像(エメリー・ミレー)」 1854年
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「バターをかき回す若い女」 1848-51年頃

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「糸紡ぎ、立像」 1850-55年頃
いずれも農家の女性の仕事です。
ミレー自身も農家の出身であり、見慣れた情景を描いたと思われます。

右 ヨーゼフ・イスラエルス 「病みあがりの母と子ども」 1871年頃
椅子に座り込んでいる母親のために子どもが運んでいるのはアンカでしょうか。
左 ヨーゼフ・イスラエルス 「別離の前日」 1862年頃
亡くなった父親の棺が奥にあり、母親は聖書を手に顔を覆っています。
オランダの家らしく壁にタイルが貼ってあります。
ヨーゼフ・イスラエルス(1824-1911)はオランダの画家で、バルビゾンを
訪れたこともあり、その影響を受けています。
その落着いた色調と精神性の高さから第2のレンブラントと呼ばれていたそうです。
ヨーゼフ・イスラエルスの作品は今年、損保ジャパン東郷青児美術館で開かれていた、
「オランダ・ハーグ派展」にも展示されていました。
「オランダ・ハーグ派展」の記事です。
V ミレーの遺産
ミレー以後の作品が中心です。


右 ジュリアン・デュプレ 「牛に水を飲ませる娘」 おそらく1880年代
左 ジュリアン・デュプレ 「ガチョウに餌をやる子どもたち」 1881年
ジュリアン・デュプレ(1851-1910)はミレーやクールベの影響を受け、田園生活を
印象派の影響を受けた明るい色彩で描いています。
デュプレの作品はそれ以前に比べ、かなり明るく透明な色彩になっているのが分かります。

右 ジャン=フランソワ・ミレー 「縫物のお稽古」 1874年
明るい窓の外の景色を背景に母子の姿が浮き上がっています。
最晩年の作品で、未完成作なので輪郭線が残っています。
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「木陰に座る羊飼いの娘」 1872年
木漏れ日も描いていて、印象派に通じるものがあります。

ジャン=フランソワ・ミレー 「ソバの収穫」 1868-74年
会場の最後に展示されています。
晩年の作品で、未完成作ですが、刈り入れ、唐さおを使っての脱穀、藁の焼却などの
作業が活き活きと臨場感を持って描かれています。
ミレーは懐旧の念を持ってこの情景に描いたのでしょう。
ミレーの深い思い入れの感じられる作品です。
ミレーは特にアメリカと日本で人気が高く、フランスでは作品の思想性から1848年に始まる
第二共和政と1870年に始まる第三共和政の時代に高い評価を受けていたという、
面白い話も伺いました。
ミレー以外のバルビゾン派の絵もそれぞれ個性があって楽しめました。
魅力のある作品の揃った、とても充実した展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 私の印象派」です。
会期は2015年2月7日(金)~5月24日(日)です。

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丸の内の三菱一号館美術館で開かれた、青い日記帳×「ボストン美術館 ミレー展
-傑作の数々と画家の真実」展ブロガー特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は2015年1月12日(月・祝)までです。

展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
「弐代目・青い日記帳」主催のTakさんがモデレーターで、高橋明也館長の
挨拶があり、安井裕雄主任学芸員の解説を伺いました。
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-75)の生誕200年を記念する展覧会で、
ボストン美術館の所蔵するミレーの作品25点を中心に、バルビゾン派の
画家などの作品64点が展示されています。
ボストン美術館よりも照明の具合が良く、作品がはっきり見えるそうです。
ミレーはノルマンディーの農家の生まれで、19歳で絵の修業を始め、1837年にパリに出て
活動します。
1849年に画家の多く集まっているバルビゾン村に移住し、以後は農村と農民の生活を
描いています。
そのバルビゾンにボストン出身の画家、ウィリアム・モリス・ハントが滞在して、ミレーの作品を
持ち帰ったことからボストン市民の間でミレーの人気が高まっています。
そして1876年にボストン美術館が開館すると、多くのミレーの作品が寄贈されるように
なったということです。
I 巨匠ミレー序論
最初はミレー自身についての3点の展示です。

右 ジャン=フランソワ・ミレー 「自画像」 1840-41年頃
ミレーの自画像は4点しかなく、その中の最も古い作品で、パリに出て間も無い頃の作品です。
前途に不安を感じてか、眉にしわを寄せて厳しそうな顔をしています。
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「グリュシーのミレーの生家」 1854年

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「J.-F.ミレー夫人(ポリーヌ=ヴィルジニー・オノ)」 1841年
ミレーの最初の妻ですが、結核で1844年に亡くなっています。
II フォンテーヌブローの森
バルビゾン村はパリの郊外にあり、物価も安く景色も良いため、風景画家たちが
多く集まり、バルビゾン派と呼ばれるようになります。
フォンテーヌブローの森に隣接していて、バルビゾン派の画家たちはよくこの森を
題材にしています。
会場には23点が並んでいて、森の中を通って行くような感じにしてあるそうです。

右 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「フォンテーヌブローの森」 1846年
コローはバルビゾンでもよく絵を描いていました。

右 ギュスターヴ・クールベ 「森の小川」 1862年頃
左 カール・ボドメル 「オークとイノシシ」 1865年頃

右 フランソワ・ルイ・フランセ 「プロンビエール近くの小川」 1870年代
フランソワ・ルイ・フランセはコローやテオドール・ルソーから学んでいますが、
アカデミーの会員にもなっています。
フランソワ・ルイ・フランセの作品は2010年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれていた、
「ストラスブール美術館所蔵 語りかける風景」展にも展示されていました。
「ストラスブール美術館所蔵 語りかける風景」展の記事です。
左 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ブリュノワの牧草地の思い出」 1855-65年頃
コローは懐旧の情の籠った題名の作品をよく描いています。

テオドール・ルソー 「フォンテーヌブローの森の薪拾い」 1850-60年頃
テオドール・ルソー(1812-67)はバルビゾン派を代表する画家で、バルビゾンには
1836年から長期滞在し、1847年には移住しています。


右 クロード・モネ 「森のはずれの薪拾い」 1863年頃
モネの作品も1点あります。
23歳の頃、フォンテーヌブローの森のはずれの村を訪れた時の作品です。
左 シャルル=フランソワ・ドービニー 「森の中の道」
シャルル=フランソワ・ドービニー(1817-78)はコローに学んだバルビゾン派の画家で
、サロンの審査員としてモネやピサロなどの若い画家を評価しています。
会場でもモネと並んで展示されています。

右 ナルシス・ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ 「祭りに向かうボヘミアンたち」 1844年頃
森に差し込む光の下の群像で、色彩にアクセントがあります。
友人でもあり師でもあるテオドール・ルソーの作品の構図を参考にしているそうです。
ディアズ・ド・ラ・ペーニャは早くから成功した画家で、他のバルビゾン派の画家を
援助しています。
左 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「森の空き地で水浴する人々」 1870-75年頃
III バルビゾン村
広い展示室に出ると、ミレーの代表作が並んでいます。


右 ジャン=フランソワ・ミレー 「刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」 1850-53年
旧約聖書の「ルツ記」を元にした作品で、畑で落穂拾いで暮らしを立てるルツを
畑の所有者のボアズが人々に紹介するところです。
農民たちの動きがボアズを介して、左端におずおずと立っているルツに向かっています。
ウイリアム・モリス・ハントが勧めてボストン美術館が購入した作品です。
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「種をまく人」 1850年
斜面の具合から場所はノルマンディーで、まいているのはソバの種だろうということです。
ノルマンディーはソバの産地で、ソバの粉を焼いたガレットは日本で人気がありますが、
ソバは元々痩せ地の作物であり、農民の厳しい生活を暗示してもいます。
農民の手には種が握られており、上の方では牛に鋤を牽かせる農民が見えます。
種を握る手には力が籠り、足も大きく踏み出しています。
縦長の画面に大きく一人の農民を、それもシルエットにして顔の表情を見せずに描いている
ことから、単なる農村風景ではなく、農民の営みに焦点を当てた作品であることが分かります。


右 ジャン=フランソワ・ミレー 「馬鈴薯植え」 1861年頃
ジャガイモは格の落ちる作物で、絵画の主題としてふさわしくないという時代に、
それを正面から描いていて論議を呼んでいます。
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「羊飼いの娘」 1870 -73年頃
休みながら羊毛の糸繰りをしている羊飼いの娘を描いています。
背景に広々とした平野を描いていて、ミレーは1850年代後半から空間表現に
力を入れるようになったそうです。
中間に動物を置いて空間に奥行きを感じさせています。
この絵の下に「バビロンの捕囚」が描かれていることが分かったそうで、普仏戦争のため
物資が不足していたので、あまり評判の良くなかった作品の上に描いたようです。
ミレーも初めは絵画の主流である歴史画に挑んでいたのですが、農村を描いた作品ほどの
評価は得られませんでした。

右 コンスタン・トロワイヨン 「身構える猟犬」 1860年
左 コンスタン・トロワイヨン 「罠にかかったキツネ」 1855-65年
コンスタン・トロワイヨン(1810-1865)はテオドール・ルソーらと出会って、
バルビゾンで制作するようになります。
その後、オランダ、ベルギーを訪問してフランドル絵画の影響を受け、
動物を入れた作品を多く描いています。
ノルマンディーではブーダンと共に海岸風景を描いていて、戸外での観察に基いた
風景描写を心がけていたそうです。
ブーダンはモネに戸外での制作を奨めた人物であり、バルビゾン派と
印象派の一つの接点が見られます。
コンスタン・トロワイヨンの作品は2013年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれていた
「バルビゾンへの道 山寺 後藤美術館コレクション展」にも展示されていました。
「バルビゾンへの道 山寺 後藤美術館コレクション展」の記事です。
IV 家庭の情景

右 ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」 1860年頃
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」 1854年頃
よく似た画題ですが、右の方の子が少し年嵩で、左の子の編み棒は2本、
右の子は3本と、難易度が高くなっていることも表されているそうです。
子沢山だったミレーなので、家族をモデルにしているのでしょう。
右の絵では奥で猫がお皿を舐めています。

右 黒田清輝 「摘草」 1891年 三菱一号館寄託
ミレー風の画題を外交派の技法で描いています。
黒田清輝はバルビゾンを訪れた最初の日本人です。
左 浅井忠 「花畠」 1904年 三菱地所株式会社

右 ジャン=フランソワ・ミレー 「糸紡ぎ、座像(エメリー・ミレー)」 1854年
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「バターをかき回す若い女」 1848-51年頃

左 ジャン=フランソワ・ミレー 「糸紡ぎ、立像」 1850-55年頃
いずれも農家の女性の仕事です。
ミレー自身も農家の出身であり、見慣れた情景を描いたと思われます。

右 ヨーゼフ・イスラエルス 「病みあがりの母と子ども」 1871年頃
椅子に座り込んでいる母親のために子どもが運んでいるのはアンカでしょうか。
左 ヨーゼフ・イスラエルス 「別離の前日」 1862年頃
亡くなった父親の棺が奥にあり、母親は聖書を手に顔を覆っています。
オランダの家らしく壁にタイルが貼ってあります。
ヨーゼフ・イスラエルス(1824-1911)はオランダの画家で、バルビゾンを
訪れたこともあり、その影響を受けています。
その落着いた色調と精神性の高さから第2のレンブラントと呼ばれていたそうです。
ヨーゼフ・イスラエルスの作品は今年、損保ジャパン東郷青児美術館で開かれていた、
「オランダ・ハーグ派展」にも展示されていました。
「オランダ・ハーグ派展」の記事です。
V ミレーの遺産
ミレー以後の作品が中心です。


右 ジュリアン・デュプレ 「牛に水を飲ませる娘」 おそらく1880年代
左 ジュリアン・デュプレ 「ガチョウに餌をやる子どもたち」 1881年
ジュリアン・デュプレ(1851-1910)はミレーやクールベの影響を受け、田園生活を
印象派の影響を受けた明るい色彩で描いています。
デュプレの作品はそれ以前に比べ、かなり明るく透明な色彩になっているのが分かります。

右 ジャン=フランソワ・ミレー 「縫物のお稽古」 1874年
明るい窓の外の景色を背景に母子の姿が浮き上がっています。
最晩年の作品で、未完成作なので輪郭線が残っています。
左 ジャン=フランソワ・ミレー 「木陰に座る羊飼いの娘」 1872年
木漏れ日も描いていて、印象派に通じるものがあります。

ジャン=フランソワ・ミレー 「ソバの収穫」 1868-74年
会場の最後に展示されています。
晩年の作品で、未完成作ですが、刈り入れ、唐さおを使っての脱穀、藁の焼却などの
作業が活き活きと臨場感を持って描かれています。
ミレーは懐旧の念を持ってこの情景に描いたのでしょう。
ミレーの深い思い入れの感じられる作品です。
ミレーは特にアメリカと日本で人気が高く、フランスでは作品の思想性から1848年に始まる
第二共和政と1870年に始まる第三共和政の時代に高い評価を受けていたという、
面白い話も伺いました。
ミレー以外のバルビゾン派の絵もそれぞれ個性があって楽しめました。
魅力のある作品の揃った、とても充実した展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 私の印象派」です。
会期は2015年2月7日(金)~5月24日(日)です。

恵比寿
「ロジェ カフェ (loger cafe)」は恵比寿駅から駒沢通りを広尾に向かって少し行き、
小路を右に入ったところにあります。
場所は渋谷区恵比寿1-7-3です。
古いビルの2階に外階段から上がります。

看板が無いと気が付きません。

リノベーションカフェで、店内は40席ほど、半分近くはソファー席です。
店内は照明を落としてほの暗く、落着いた雰囲気です。
BGMは軽いポップスでした。


ランチの豚肉西京焼セット1000円です。
肉は量もあって美味しいです。


コーヒーはさらっとして飲みやすい味です。
カップはd'ANCAPです。
休日に行きましたが、12時のオープンで1時前にはほぼ満席になるほど
人気のあるお店です。
chariot
「ロジェ カフェ (loger cafe)」は恵比寿駅から駒沢通りを広尾に向かって少し行き、
小路を右に入ったところにあります。
場所は渋谷区恵比寿1-7-3です。
古いビルの2階に外階段から上がります。

看板が無いと気が付きません。

リノベーションカフェで、店内は40席ほど、半分近くはソファー席です。
店内は照明を落としてほの暗く、落着いた雰囲気です。
BGMは軽いポップスでした。


ランチの豚肉西京焼セット1000円です。
肉は量もあって美味しいです。


コーヒーはさらっとして飲みやすい味です。
カップはd'ANCAPです。
休日に行きましたが、12時のオープンで1時前にはほぼ満席になるほど
人気のあるお店です。
東京
丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、今年も
「橋本不二子 作品展」が開かれています。
会期は10月28日(火)までです。

橋本不二子さん(1935~)は明るい透明な色彩の水彩やアクリルで
花の絵を描いています。
ガラス器などに入った薔薇や向日葵、葡萄などさまざまな草花の絵や
版画が展示販売されています。
来年のカレンダーや絵葉書も販売されています。
今年のテーマは「Holding My Ground」となっていて、自分の立ち位置を
しっかり守るという気持ちを表しているそうです。
「ピエール・ド・ロンサールとジューンベリー」

ピエール・ド・ロンサールはフランスのルネサンス期の詩人に因んで
付けられた名です。
2013年の「橋本不二子展」の記事です。
橋本不二子さんのHPです。
chariot
丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、今年も
「橋本不二子 作品展」が開かれています。
会期は10月28日(火)までです。

橋本不二子さん(1935~)は明るい透明な色彩の水彩やアクリルで
花の絵を描いています。
ガラス器などに入った薔薇や向日葵、葡萄などさまざまな草花の絵や
版画が展示販売されています。
来年のカレンダーや絵葉書も販売されています。
今年のテーマは「Holding My Ground」となっていて、自分の立ち位置を
しっかり守るという気持ちを表しているそうです。
「ピエール・ド・ロンサールとジューンベリー」

ピエール・ド・ロンサールはフランスのルネサンス期の詩人に因んで
付けられた名です。
2013年の「橋本不二子展」の記事です。
橋本不二子さんのHPです。
上野
上野の東京国立博物館では、「日本国宝展 祈り、信じる力」が開かれています。
会期は12月7日(日)までです。

日本の国宝の中で、特に信仰心に関係した品を中心に、約120件が展示されています。
会期中、かなりの展示替えがありますので、展覧会のHPで確認してください。
特別出品 正倉院宝物
特別出品として、正倉院宝物が11件、11月3日まで展示されます。
「鳥毛立女屏風」 第3扇 奈良時代・8世紀


福々しい顔で、唇の赤色が鮮やかです。
「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶」 奈良時代・8世紀

カエデ材で、裏面にはアワビと琥珀を使って唐花模様が描かれています。
第1章 仏を信じる
「玉虫厨子」 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺

高さ2m以上の大きな厨子で、会場の入口近くに置かれています。
厨子の側面には釈迦の前世物語などが描かれています。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」 平安時代・12世紀 東京国立博物館

牛車の車輪の乾燥による割れを防ぐために川に浸けている風景を表しています。
水の流れと車輪を取り合わせたデザイン感覚は新鮮です。
泥の中に咲く蓮の花もイメージされているそうです。
「仏涅槃図」 平安時代・応徳3年(1086) 和歌山・金剛峯寺



11月9日までの展示です。
縦267.6㎝の大きな涅槃図で、応徳3年は白河上皇が院政を始めた年に当ります。
悟りを得た諸菩薩は静かな表情ですが、弟子たちは悲嘆にくれ、獅子はひっくり返って
嘆いています。
「孔雀明王像」 平安時代・12世紀 東京国立博物館

11月9日までの展示です。
孔雀は毒蛇を食べてしまうことから、孔雀明王は災厄や苦痛を取り除く
功徳があるとされています。
金箔を糸のように細く切って貼り付けた截金(きりかね)で飾られた羽根が
きらびやかです。
サントリー美術館で12月7日まで開かれている、「高野山の名宝展」では、
快慶の作とされる、彫刻の孔雀明王像が展示されています。
「高野山の名宝展」の記事です。
「普賢菩薩像」 平安時代・12世紀 東京国立博物館


11月9日までの展示です。
普賢菩薩は女人往生を説く法華経に登場するので、特に女性の信仰を集めています。
白象に乗った、この上なく優美な姿で、天蓋には花が飾られています。
第2章 神を信じる
11月20日までは2体の展示で、21日からは国宝に指定されている土偶5体すべてが揃います。
「縄文のビーナス」 長野県茅野市棚畑遺跡 縄文時代中期(前3000~前2000年)
長野・茅野市(尖石縄文考古館保管)

乳房があり、お腹が張り出し、大きな腰をした姿は、まさに豊穣、多産の
シンボルであることが分かります。
目や口は、他の土偶に多く見られるように付け足すのではなく、埴輪のように
穴を開けて作っています。
ライトを受けて、土に含まれている石英が光っています。
「合掌土偶」 青森県八戸市風張1遺跡 縄文時代後期(前2000~前1000年)
青森・八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

小さな土偶ですが、立てた膝の上で両手を組んだ姿をしています。
お祈りをしているとも、お産の姿とも言われています。
多くの土偶は故意に壊されていることが多いのに、これはアスファルトで
補修がなされ、大事にされていたことが分かるそうです。
「金銅製龍頭」 東魏時代・6世紀 福岡・宗像大社

10月26日までの展示です。
宗像市沖ノ島祭祀出土で、社殿を建てて神を祀る以前の、
巨岩や巨木を祀っていた時代の祭祀の形を示しています。
竿の先に付けて天蓋や幡を吊り下げた、中国の東魏時代の金具で、
金色に輝いています。
沖ノ島からは大量の祭祀遺物が発見され、国宝に指定されていて、
沖ノ島は海の正倉院と呼ばれています。
「小桜黄返威鎧」 平安時代 厳島神社蔵 国宝

11月9日までの展示です。
源為朝が着ていたとされる大鎧で、左胸の鳩尾の板と右脇を守る脇盾(わいだて)を
欠いています。
現存する鎧の中では一番大きな小札を威してあるそうで、堂々とした風格のある姿です。
小桜韋黄返威(こざくらきがえしおどし)は黄色に染めた縅糸に小さく桜花を染め出したものです。
源為朝は源為義の八男で、九州で活動していたことから鎮西八郎と名乗ります。
弓の名手で、保元物語には保元の乱では敵の武者の鎧を射抜いた矢は隣の武者の
鎧の袖に当たったとあります。
第3章 文学、記録にみる信仰
11月18日から30日までは志賀島の金印が展示されます。
「寝覚物語絵巻」 平安時代・12世紀 奈良・大和文華館

11月9日までの展示です。
11世紀に書かれたと思われる物語、「夜半の寝覚」の絵巻です。
金銀を散らした画面に満開の桜や吹抜屋台の屋敷が描かれた、
雅な王朝絵巻です。
第4章 多様化する信仰と美
「一遍上人伝絵巻 巻第七」 法眼円伊筆 鎌倉時代・正安元年(1299) 東京国立博物館


画像は2009年に東京国立博物館で開かれた「博物館に初もうで」に
出展されていた時に撮った写真です。
一遍たちの踊念仏の興行の場面が描かれています。
一遍上人の伝記絵巻という性質上、鎌倉時代の実相が貴賤を問わず、
忠実に描かれています。
「松に秋草図」 長谷川等伯筆 2曲1双
安土桃山時代・文禄元年(1592)頃 京都・智積院

豊臣秀吉が息子鶴松の菩提を弔うため建てた祥雲寺の襖絵だったもので、
屏風に仕立て直されています。
松の木の下に菊、芙蓉、薄が並び、桃山障壁画の豪華さの中に
も静かな統一感があります。
「慶長遣欧使節関係資料 支倉常長像」 17世紀 仙台市博物館

伊達政宗の命でローマに赴いた支倉常長の姿で、ロザリオを手にして
十字架に祈っています。
ヨーロッパで描かれたと思われ、日本人を描いた油絵としては
最古のものとされています。
慶長遣欧使節関係資料は2001年に国宝に指定されています。
「飛青磁花生」 龍泉窯 元時代・14世紀 大阪市立東洋陶磁美術館

飛青磁花生(とびせいじはないけ)は鉄斑という模様を器の上に散らした後、
青磁の釉薬を掛けて焼成してあります。
ふっくらとした、のびやかな姿で、空の上に点々と雲が浮かんでいるようです。
龍泉窯は浙江省にあった窯で、青磁を生産していました。
「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」 朝鮮時代・16世紀 大徳寺孤篷庵

16世紀に朝鮮半島で生活雑器として焼かれた器が日本に渡来して、高麗茶碗として
茶人に愛好された中の一つが井戸茶碗で、井戸のように深い茶碗という意味のようです。
大井戸茶碗は井戸茶碗の中でも大振りのものを云います。
井戸茶碗として唯一、国宝に指定されており、元は大坂の町人、竹田喜左衛門の所持で、
後に本多忠義に渡ったので、本多井戸とも呼ばれています。
高台の力強さが眼を惹きます。
「志野茶碗 銘 卯花墻」 美濃 桃山時代・16~17世紀 三井記念美術館

白い釉と縦横の線をを垣根に咲く卯の花に見立てています。
切り立った形で、歪みを持たせ、へらの跡も付け、桃山風の豪快な姿を
しています。
日本で焼かれた茶碗で国宝に指定されているのは、これと本阿弥光悦作の
「白楽茶碗 銘 不二山」の二つだけです。
第5章 仏のすがた
「広目天立像(四天王のうち、金堂所在)」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺

筆と紙を持っているので広目天と分かりますが、動きの無い真っ直ぐな姿勢で立っています。
面白い顔をした邪鬼も左右対称の形で踏み付けられています。
「普賢菩薩騎象像」 平安時代・12世紀 大倉文化財団

優しい顔立ちの菩薩で、袖には截金(きりかね)模様が見えます。
乗っている象は仏師も実物を観たことが無いためでしょう、象にしては
体が長いのがユーモラスです。
「勢至菩薩坐像(阿弥陀如来および両脇侍のうち)」
平安時代・久安4年(1148) 京都・三千院

観音菩薩坐像とともに展示されています。
大きな像で、阿弥陀来迎図そのままに体をやや前に傾けて、往生者を迎えています。
大和座りという、正座に似た腰を少し浮かした珍しい姿勢の像です。
平安末期の院政期で、この2年後に保元の乱が起きています。
「善財童子立像(文殊菩薩および眷属のうち)」 快慶作
鎌倉時代・建仁3年(1203)~承久2年(1220) 奈良・安倍文殊院

2013年に指定された、最も新しい国宝の彫刻です。
海を渡る文殊菩薩とその一行を表した文殊五尊像の1体です。
合掌して歩みながら振り返る様子が自然で愛らしく、快慶の技量を見せており、
嵌め込まれた玉眼が光っています。
善財童子は華厳経に登場し、文殊菩薩の勧めでさまざまの善知識を訪ねて
仏道を修行しています
ともかく貴重な品、有名な品ばかりで、観終わるとさすがに疲れます。
大変人気のある展覧会で、かなりの混雑が予想されるので、早めに行かれることをお勧めします。
展示品リストです。
chariot
上野の東京国立博物館では、「日本国宝展 祈り、信じる力」が開かれています。
会期は12月7日(日)までです。

日本の国宝の中で、特に信仰心に関係した品を中心に、約120件が展示されています。
会期中、かなりの展示替えがありますので、展覧会のHPで確認してください。
特別出品 正倉院宝物
特別出品として、正倉院宝物が11件、11月3日まで展示されます。
「鳥毛立女屏風」 第3扇 奈良時代・8世紀


福々しい顔で、唇の赤色が鮮やかです。
「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶」 奈良時代・8世紀

カエデ材で、裏面にはアワビと琥珀を使って唐花模様が描かれています。
第1章 仏を信じる
「玉虫厨子」 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺

高さ2m以上の大きな厨子で、会場の入口近くに置かれています。
厨子の側面には釈迦の前世物語などが描かれています。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」 平安時代・12世紀 東京国立博物館

牛車の車輪の乾燥による割れを防ぐために川に浸けている風景を表しています。
水の流れと車輪を取り合わせたデザイン感覚は新鮮です。
泥の中に咲く蓮の花もイメージされているそうです。
「仏涅槃図」 平安時代・応徳3年(1086) 和歌山・金剛峯寺



11月9日までの展示です。
縦267.6㎝の大きな涅槃図で、応徳3年は白河上皇が院政を始めた年に当ります。
悟りを得た諸菩薩は静かな表情ですが、弟子たちは悲嘆にくれ、獅子はひっくり返って
嘆いています。
「孔雀明王像」 平安時代・12世紀 東京国立博物館

11月9日までの展示です。
孔雀は毒蛇を食べてしまうことから、孔雀明王は災厄や苦痛を取り除く
功徳があるとされています。
金箔を糸のように細く切って貼り付けた截金(きりかね)で飾られた羽根が
きらびやかです。
サントリー美術館で12月7日まで開かれている、「高野山の名宝展」では、
快慶の作とされる、彫刻の孔雀明王像が展示されています。
「高野山の名宝展」の記事です。
「普賢菩薩像」 平安時代・12世紀 東京国立博物館


11月9日までの展示です。
普賢菩薩は女人往生を説く法華経に登場するので、特に女性の信仰を集めています。
白象に乗った、この上なく優美な姿で、天蓋には花が飾られています。
第2章 神を信じる
11月20日までは2体の展示で、21日からは国宝に指定されている土偶5体すべてが揃います。
「縄文のビーナス」 長野県茅野市棚畑遺跡 縄文時代中期(前3000~前2000年)
長野・茅野市(尖石縄文考古館保管)

乳房があり、お腹が張り出し、大きな腰をした姿は、まさに豊穣、多産の
シンボルであることが分かります。
目や口は、他の土偶に多く見られるように付け足すのではなく、埴輪のように
穴を開けて作っています。
ライトを受けて、土に含まれている石英が光っています。
「合掌土偶」 青森県八戸市風張1遺跡 縄文時代後期(前2000~前1000年)
青森・八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

小さな土偶ですが、立てた膝の上で両手を組んだ姿をしています。
お祈りをしているとも、お産の姿とも言われています。
多くの土偶は故意に壊されていることが多いのに、これはアスファルトで
補修がなされ、大事にされていたことが分かるそうです。
「金銅製龍頭」 東魏時代・6世紀 福岡・宗像大社

10月26日までの展示です。
宗像市沖ノ島祭祀出土で、社殿を建てて神を祀る以前の、
巨岩や巨木を祀っていた時代の祭祀の形を示しています。
竿の先に付けて天蓋や幡を吊り下げた、中国の東魏時代の金具で、
金色に輝いています。
沖ノ島からは大量の祭祀遺物が発見され、国宝に指定されていて、
沖ノ島は海の正倉院と呼ばれています。
「小桜黄返威鎧」 平安時代 厳島神社蔵 国宝

11月9日までの展示です。
源為朝が着ていたとされる大鎧で、左胸の鳩尾の板と右脇を守る脇盾(わいだて)を
欠いています。
現存する鎧の中では一番大きな小札を威してあるそうで、堂々とした風格のある姿です。
小桜韋黄返威(こざくらきがえしおどし)は黄色に染めた縅糸に小さく桜花を染め出したものです。
源為朝は源為義の八男で、九州で活動していたことから鎮西八郎と名乗ります。
弓の名手で、保元物語には保元の乱では敵の武者の鎧を射抜いた矢は隣の武者の
鎧の袖に当たったとあります。
第3章 文学、記録にみる信仰
11月18日から30日までは志賀島の金印が展示されます。
「寝覚物語絵巻」 平安時代・12世紀 奈良・大和文華館

11月9日までの展示です。
11世紀に書かれたと思われる物語、「夜半の寝覚」の絵巻です。
金銀を散らした画面に満開の桜や吹抜屋台の屋敷が描かれた、
雅な王朝絵巻です。
第4章 多様化する信仰と美
「一遍上人伝絵巻 巻第七」 法眼円伊筆 鎌倉時代・正安元年(1299) 東京国立博物館


画像は2009年に東京国立博物館で開かれた「博物館に初もうで」に
出展されていた時に撮った写真です。
一遍たちの踊念仏の興行の場面が描かれています。
一遍上人の伝記絵巻という性質上、鎌倉時代の実相が貴賤を問わず、
忠実に描かれています。
「松に秋草図」 長谷川等伯筆 2曲1双
安土桃山時代・文禄元年(1592)頃 京都・智積院

豊臣秀吉が息子鶴松の菩提を弔うため建てた祥雲寺の襖絵だったもので、
屏風に仕立て直されています。
松の木の下に菊、芙蓉、薄が並び、桃山障壁画の豪華さの中に
も静かな統一感があります。
「慶長遣欧使節関係資料 支倉常長像」 17世紀 仙台市博物館

伊達政宗の命でローマに赴いた支倉常長の姿で、ロザリオを手にして
十字架に祈っています。
ヨーロッパで描かれたと思われ、日本人を描いた油絵としては
最古のものとされています。
慶長遣欧使節関係資料は2001年に国宝に指定されています。
「飛青磁花生」 龍泉窯 元時代・14世紀 大阪市立東洋陶磁美術館

飛青磁花生(とびせいじはないけ)は鉄斑という模様を器の上に散らした後、
青磁の釉薬を掛けて焼成してあります。
ふっくらとした、のびやかな姿で、空の上に点々と雲が浮かんでいるようです。
龍泉窯は浙江省にあった窯で、青磁を生産していました。
「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」 朝鮮時代・16世紀 大徳寺孤篷庵

16世紀に朝鮮半島で生活雑器として焼かれた器が日本に渡来して、高麗茶碗として
茶人に愛好された中の一つが井戸茶碗で、井戸のように深い茶碗という意味のようです。
大井戸茶碗は井戸茶碗の中でも大振りのものを云います。
井戸茶碗として唯一、国宝に指定されており、元は大坂の町人、竹田喜左衛門の所持で、
後に本多忠義に渡ったので、本多井戸とも呼ばれています。
高台の力強さが眼を惹きます。
「志野茶碗 銘 卯花墻」 美濃 桃山時代・16~17世紀 三井記念美術館

白い釉と縦横の線をを垣根に咲く卯の花に見立てています。
切り立った形で、歪みを持たせ、へらの跡も付け、桃山風の豪快な姿を
しています。
日本で焼かれた茶碗で国宝に指定されているのは、これと本阿弥光悦作の
「白楽茶碗 銘 不二山」の二つだけです。
第5章 仏のすがた
「広目天立像(四天王のうち、金堂所在)」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺

筆と紙を持っているので広目天と分かりますが、動きの無い真っ直ぐな姿勢で立っています。
面白い顔をした邪鬼も左右対称の形で踏み付けられています。
「普賢菩薩騎象像」 平安時代・12世紀 大倉文化財団

優しい顔立ちの菩薩で、袖には截金(きりかね)模様が見えます。
乗っている象は仏師も実物を観たことが無いためでしょう、象にしては
体が長いのがユーモラスです。
「勢至菩薩坐像(阿弥陀如来および両脇侍のうち)」
平安時代・久安4年(1148) 京都・三千院

観音菩薩坐像とともに展示されています。
大きな像で、阿弥陀来迎図そのままに体をやや前に傾けて、往生者を迎えています。
大和座りという、正座に似た腰を少し浮かした珍しい姿勢の像です。
平安末期の院政期で、この2年後に保元の乱が起きています。
「善財童子立像(文殊菩薩および眷属のうち)」 快慶作
鎌倉時代・建仁3年(1203)~承久2年(1220) 奈良・安倍文殊院

2013年に指定された、最も新しい国宝の彫刻です。
海を渡る文殊菩薩とその一行を表した文殊五尊像の1体です。
合掌して歩みながら振り返る様子が自然で愛らしく、快慶の技量を見せており、
嵌め込まれた玉眼が光っています。
善財童子は華厳経に登場し、文殊菩薩の勧めでさまざまの善知識を訪ねて
仏道を修行しています
ともかく貴重な品、有名な品ばかりで、観終わるとさすがに疲れます。
大変人気のある展覧会で、かなりの混雑が予想されるので、早めに行かれることをお勧めします。
展示品リストです。
東京
ジャズ喫茶、「ジャズ オリンパス」は靖国通りの駿河台下交差点から北に入った
ところにあります。
場所は千代田区神田小川町3-24です。


すっきりと落着いた店内は24席とカウンター席があり、ランチタイムは禁煙です。
大きなスピーカーが据えてあり、レコード盤のジャズが流れていました。
話好きのマスターによれば、オリンパスはJBL社のスピーカーの名前で、
ジャズに向いているそうです。

壁にはマイルス・デイビス、フランク・シナトラ、サミー・デービス・Jrなどの
ジャケットが飾ってあります。

ランチタイムはカレーライスとハヤシライスがあります。
赤いチキンカレーセット1050円です。

鶏肉はやわらかく、快い辛味のスープカレーです。
たっぷりのコーヒーはやや薄めで、すっきりとして美味しいです。
カップはノリタケです。

聴き慣れた曲が流れてきましたが、しばらく曲名を思い出せず、
やっと「Summertime」だと気付きました。
粋なスタイルの演奏だったので、すぐには分かりませんでした。
お店のHPです。
ここでのんびり、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」でも
聴いていたいなと思いながらお店を後にして靖国通りに出たら、なんと
こちらのスポーツ用品店のBGMで流れていました。

chariot
ジャズ喫茶、「ジャズ オリンパス」は靖国通りの駿河台下交差点から北に入った
ところにあります。
場所は千代田区神田小川町3-24です。


すっきりと落着いた店内は24席とカウンター席があり、ランチタイムは禁煙です。
大きなスピーカーが据えてあり、レコード盤のジャズが流れていました。
話好きのマスターによれば、オリンパスはJBL社のスピーカーの名前で、
ジャズに向いているそうです。

壁にはマイルス・デイビス、フランク・シナトラ、サミー・デービス・Jrなどの
ジャケットが飾ってあります。

ランチタイムはカレーライスとハヤシライスがあります。
赤いチキンカレーセット1050円です。

鶏肉はやわらかく、快い辛味のスープカレーです。
たっぷりのコーヒーはやや薄めで、すっきりとして美味しいです。
カップはノリタケです。

聴き慣れた曲が流れてきましたが、しばらく曲名を思い出せず、
やっと「Summertime」だと気付きました。
粋なスタイルの演奏だったので、すぐには分かりませんでした。
お店のHPです。
ここでのんびり、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」でも
聴いていたいなと思いながらお店を後にして靖国通りに出たら、なんと
こちらのスポーツ用品店のBGMで流れていました。

東京
丸ビルでは「藝大アーツイン 東京丸の内 2014」が開かれています。

上野の東京藝術大学の学生さんにより、ピアノ演奏、邦楽ライブ、
立体アート作品の展示など、いろいろのイベントが開かれます。
会期は10月21日(火)から26日(日)の6日間です。
三菱地所賞は2008年から始まった賞で、音楽部門と美術部門があります。
マルキューブ1階フロアーでは美術部門受賞作品展が開かれています。
卒業・修了作品展に出品された作品の中から、優秀立体作品を展示するものです。

浅井拓馬 「UNDERDOG」

火炎がまつわりついているようです。
塩見亮介 「贖罪と覚悟の甲冑」

アニメに出て来そうです。
長谷川寛示 「汗をかく、声になる」

アートな革ジャンです。
山中未有 「母」

実物大の豚の親子を丸々と彫っています。
3階吹き抜け回廊にも現役藝大生による作品が展示されています。
岡村貴正 「Second swimmer」

魚は泳いでいます。
小松美穂

クラゲが発光しています。
島原遥 「PEACE EDUCATION」

蝶のような鶴の標本です。
鈴木英怜那 「消えた仮名」

戦前のいろは歌で、変体仮名と今の仮名が重なっていて、
透明な立方体を置くと字が浮き上がります。
2013年の「藝大アーツイン 」の記事です。
2013年の「藝大アーツイン 」のHPです。
chariot
丸ビルでは「藝大アーツイン 東京丸の内 2014」が開かれています。

上野の東京藝術大学の学生さんにより、ピアノ演奏、邦楽ライブ、
立体アート作品の展示など、いろいろのイベントが開かれます。
会期は10月21日(火)から26日(日)の6日間です。
三菱地所賞は2008年から始まった賞で、音楽部門と美術部門があります。
マルキューブ1階フロアーでは美術部門受賞作品展が開かれています。
卒業・修了作品展に出品された作品の中から、優秀立体作品を展示するものです。

浅井拓馬 「UNDERDOG」

火炎がまつわりついているようです。
塩見亮介 「贖罪と覚悟の甲冑」

アニメに出て来そうです。
長谷川寛示 「汗をかく、声になる」

アートな革ジャンです。
山中未有 「母」

実物大の豚の親子を丸々と彫っています。
3階吹き抜け回廊にも現役藝大生による作品が展示されています。
岡村貴正 「Second swimmer」

魚は泳いでいます。
小松美穂

クラゲが発光しています。
島原遥 「PEACE EDUCATION」

蝶のような鶴の標本です。
鈴木英怜那 「消えた仮名」

戦前のいろは歌で、変体仮名と今の仮名が重なっていて、
透明な立方体を置くと字が浮き上がります。
2013年の「藝大アーツイン 」の記事です。
2013年の「藝大アーツイン 」のHPです。
表参道
「CAFE ICHO」は地下鉄表参道駅から根津美術館に向かう道を右に入ったところにあります。
場所は港区南青山5-5-25です。
根津美術館の帰りに寄りました。


路地を入った右側にあり、ブティックとの併設のとても小さなお店で、店内は禁煙です。

武者人形が二人、控えています。

ステンレスのコースターがグラスに映ってとても綺麗です。
Mの字が彫ってあって、マイセンのクリスタルグラスで、今では生産されていないそうです。

ストレートコーヒーはグアテマラ800円で、セットのチーズケーキは300円です。

ドリップで淹れるコーヒーはすっきりとして、ほのかな甘みもあり、美味しいです。
チーズケーキは甘さ控えめで、しっとりとして美味しいです。
カップはフランス製で、深い赤色をしています。

単品のコーヒーに付いてくるクッキーのお皿には花模様が彫ってあります。

調度や食器にもセンス良く気を配ってあり、お店の方の応対も丁寧で、
とても心地の良いお店です。
(追記)
大変残念なことに、「CAFE ICHO」は2016年10月30日に閉店しました。
移転先は未定とのことです。
chariot
「CAFE ICHO」は地下鉄表参道駅から根津美術館に向かう道を右に入ったところにあります。
場所は港区南青山5-5-25です。
根津美術館の帰りに寄りました。


路地を入った右側にあり、ブティックとの併設のとても小さなお店で、店内は禁煙です。

武者人形が二人、控えています。

ステンレスのコースターがグラスに映ってとても綺麗です。
Mの字が彫ってあって、マイセンのクリスタルグラスで、今では生産されていないそうです。

ストレートコーヒーはグアテマラ800円で、セットのチーズケーキは300円です。

ドリップで淹れるコーヒーはすっきりとして、ほのかな甘みもあり、美味しいです。
チーズケーキは甘さ控えめで、しっとりとして美味しいです。
カップはフランス製で、深い赤色をしています。

単品のコーヒーに付いてくるクッキーのお皿には花模様が彫ってあります。

調度や食器にもセンス良く気を配ってあり、お店の方の応対も丁寧で、
とても心地の良いお店です。
(追記)
大変残念なことに、「CAFE ICHO」は2016年10月30日に閉店しました。
移転先は未定とのことです。