上野広小路・湯島
「池の端藪蕎麦」は上野池之端の不忍通りと春日通りの間にあります。
場所は文京区湯島3-44-7です。
上野の国立科学博物館で開かれている、「ヒカリ」展に行った時に寄りました。



注文を調理場へ通す声が心地良く響きます。
「通しま~す。(注文の品)。お一人さま~。上の四の奥~。」
上の四の奥とは、小上がりの4つあるテーブルのうちの奥、つまり私の居る場所のことです。
天ざる1600円です。

海老の掻き揚げにはきれいな天かすが雪のように盛り付けられています。
藪蕎麦直系の、上に盛り上がった笊に蕎麦は載っています。
あまり量はありません。
海老はぷりぷりとして、蕎麦は喉越しも良く、おいしいです。
蕎麦湯を足して天つゆも全部飲んでしまいました。
藪蕎麦らしい風格のある、気持ちの良いお店です。
評判のお店なので、時間帯によっては混んでいるときがあります。
chariot
「池の端藪蕎麦」は上野池之端の不忍通りと春日通りの間にあります。
場所は文京区湯島3-44-7です。
上野の国立科学博物館で開かれている、「ヒカリ」展に行った時に寄りました。



注文を調理場へ通す声が心地良く響きます。
「通しま~す。(注文の品)。お一人さま~。上の四の奥~。」
上の四の奥とは、小上がりの4つあるテーブルのうちの奥、つまり私の居る場所のことです。
天ざる1600円です。

海老の掻き揚げにはきれいな天かすが雪のように盛り付けられています。
藪蕎麦直系の、上に盛り上がった笊に蕎麦は載っています。
あまり量はありません。
海老はぷりぷりとして、蕎麦は喉越しも良く、おいしいです。
蕎麦湯を足して天つゆも全部飲んでしまいました。
藪蕎麦らしい風格のある、気持ちの良いお店です。
評判のお店なので、時間帯によっては混んでいるときがあります。
新宿三丁目
中村屋サロン美術館では、「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」が
開かれています。
会期は2015年2月15日(日)までです。
入館料は一般300円です。

中村屋サロン美術館は2014年10月にオープンした「新宿中村屋ビル」の3階にあり、
この展覧会が開館記念特別展になります。
新宿中村屋は明治34年(1901年)に相馬愛蔵・黒光夫妻が本郷に開店した
パン屋に始まり、明治42年(1909年)に現在の場所を本店として、現在に至っています。
相馬夫妻は文化・芸術活動への支援活動も盛んに行なっていて、それは「中村屋サロン」と
呼ばれるようになります。
今回の新宿中村屋の本店ビルの建て替えにあたって、その歴史を記念するため、
中村屋サロン美術館が開館しています。
展覧会には中村屋サロンに関係した作家の作品、約50点が展示されています。
会期中、一部展示替えがあります。
中村彝 「麦藁帽子の自画像」 1911年

相馬家の援助を受け出した頃の作品で、カンカン帽を被っていて、中村彝の自画像としては
明るい感じです。
中村彝(なかむらつね、1887~1924)は茨城県出身で、「エロシェンコ像」などで
知られていますが、結核のため37歳で亡くなっています。
中村彝 「少女」 1914年

相馬夫妻の長女、俊子がモデルで、血色の良い溌剌とした姿を描いています。
中村彝は俊子をモデルにした裸婦像も描いていて、俊子との結婚を望んでいましたが
相馬夫妻に反対され、実現しませんでした。
結核を患っていた中村彝にとって、若く健康な俊子に惹かれるものがあったのでしょうか。
俊子は後にインド独立運動家で、中村屋に本格的インドカレーを伝えた人物でもある、
ラース・ビハーリー・ボースと結婚しますが、28歳で亡くなっています。
鶴田吾郎 「盲目のエロシェンコ」 1920年

鶴田吾郎(1890~1969)は中村彝の親友で、相馬家の援助を受けていたロシア生まれの
ウクライナ人作家、エロシェンコを描いています。
荻原守衛(碌山) 「女」 ブロンズ 1910年 碌山美術館

荻原碌山(本名:守衛、1879-1910)は相馬愛蔵の同郷の長野県安曇野出身です。
相馬夫妻と親しく付き合いますが、相馬黒光への恋愛感情に悩むことになります。
「女」は相馬黒光への想いを造形した作品といわれています。
背中の部分が未完成で、割れたようになっていて、痛々しさを感じる作品です。
荻原守衛は中村屋の居間で喀血し、急逝しています。
荻原守衛(碌山) 「坑夫」 ブロンズ 1907年 碌山美術館

荻原守衛は当初は画家を目指していましたが、ロダンの彫刻に感動して、
フランスで彫刻を学んでいます。
ロダンに傾倒した作品で、人間の内面を表現しようとしています。
高村光太郎 「自画像」 1913年

高村光太郎(1883~1956)は彫刻家の高村光雲の子として生まれ、ロダンに傾倒し、
荻原守衛と親交を結んでいます。
斎藤与里 「法々華経」 1909年 碌山美術館

斎藤与里(1885~1959)は埼玉県出身で、パリ留学時代に荻原守衛と親交を結んでいます。
女性が首を傾けて夢心地の顔でウグイスの声を聴いていて、障子にはウグイスの
止まっている木の影が映っています。
のどかでちょっととぼけた雰囲気のある絵です。
中原悌二郎 「若きカフカス人」 1919年 碌山美術館

中原悌二郎(1888~1921)は釧路市出身で、鶴田吾郎、荻原守衛、中村彝らと親しく
、相馬家の世話にもなっています。
「若きカフカス人」は中村屋に滞在していたロシア人ニンツァをモデルにした作品で、
途中でニンツァが作品に不満を持ち始めたので、後頭部は未完成になっています。
院展に多く出品し、将来を期待されましたが、結核のため32歳で亡くなっています。
會津八一 「林下十年夢 湖邊一笑新」 1949年

禅語で、修行の十年は夢のように過ぎ、悟りを得て笑った、というような意味です。
林下と湖邊、十年と一笑が照応しています。
會津八一((1881~1956)は新潟県出身で、中村屋サロンの一員です。
元々左利きだったこともあって、独特の書体をしています。
本社ビルの建て替えを機会に中村屋にゆかりのある芸術家たちの作品を
こうしてまとめて観られる場所の出来たのは嬉しいことです。
展覧会のHPです。
chariot
中村屋サロン美術館では、「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」が
開かれています。
会期は2015年2月15日(日)までです。
入館料は一般300円です。

中村屋サロン美術館は2014年10月にオープンした「新宿中村屋ビル」の3階にあり、
この展覧会が開館記念特別展になります。
新宿中村屋は明治34年(1901年)に相馬愛蔵・黒光夫妻が本郷に開店した
パン屋に始まり、明治42年(1909年)に現在の場所を本店として、現在に至っています。
相馬夫妻は文化・芸術活動への支援活動も盛んに行なっていて、それは「中村屋サロン」と
呼ばれるようになります。
今回の新宿中村屋の本店ビルの建て替えにあたって、その歴史を記念するため、
中村屋サロン美術館が開館しています。
展覧会には中村屋サロンに関係した作家の作品、約50点が展示されています。
会期中、一部展示替えがあります。
中村彝 「麦藁帽子の自画像」 1911年

相馬家の援助を受け出した頃の作品で、カンカン帽を被っていて、中村彝の自画像としては
明るい感じです。
中村彝(なかむらつね、1887~1924)は茨城県出身で、「エロシェンコ像」などで
知られていますが、結核のため37歳で亡くなっています。
中村彝 「少女」 1914年

相馬夫妻の長女、俊子がモデルで、血色の良い溌剌とした姿を描いています。
中村彝は俊子をモデルにした裸婦像も描いていて、俊子との結婚を望んでいましたが
相馬夫妻に反対され、実現しませんでした。
結核を患っていた中村彝にとって、若く健康な俊子に惹かれるものがあったのでしょうか。
俊子は後にインド独立運動家で、中村屋に本格的インドカレーを伝えた人物でもある、
ラース・ビハーリー・ボースと結婚しますが、28歳で亡くなっています。
鶴田吾郎 「盲目のエロシェンコ」 1920年

鶴田吾郎(1890~1969)は中村彝の親友で、相馬家の援助を受けていたロシア生まれの
ウクライナ人作家、エロシェンコを描いています。
荻原守衛(碌山) 「女」 ブロンズ 1910年 碌山美術館

荻原碌山(本名:守衛、1879-1910)は相馬愛蔵の同郷の長野県安曇野出身です。
相馬夫妻と親しく付き合いますが、相馬黒光への恋愛感情に悩むことになります。
「女」は相馬黒光への想いを造形した作品といわれています。
背中の部分が未完成で、割れたようになっていて、痛々しさを感じる作品です。
荻原守衛は中村屋の居間で喀血し、急逝しています。
荻原守衛(碌山) 「坑夫」 ブロンズ 1907年 碌山美術館

荻原守衛は当初は画家を目指していましたが、ロダンの彫刻に感動して、
フランスで彫刻を学んでいます。
ロダンに傾倒した作品で、人間の内面を表現しようとしています。
高村光太郎 「自画像」 1913年

高村光太郎(1883~1956)は彫刻家の高村光雲の子として生まれ、ロダンに傾倒し、
荻原守衛と親交を結んでいます。
斎藤与里 「法々華経」 1909年 碌山美術館

斎藤与里(1885~1959)は埼玉県出身で、パリ留学時代に荻原守衛と親交を結んでいます。
女性が首を傾けて夢心地の顔でウグイスの声を聴いていて、障子にはウグイスの
止まっている木の影が映っています。
のどかでちょっととぼけた雰囲気のある絵です。
中原悌二郎 「若きカフカス人」 1919年 碌山美術館

中原悌二郎(1888~1921)は釧路市出身で、鶴田吾郎、荻原守衛、中村彝らと親しく
、相馬家の世話にもなっています。
「若きカフカス人」は中村屋に滞在していたロシア人ニンツァをモデルにした作品で、
途中でニンツァが作品に不満を持ち始めたので、後頭部は未完成になっています。
院展に多く出品し、将来を期待されましたが、結核のため32歳で亡くなっています。
會津八一 「林下十年夢 湖邊一笑新」 1949年

禅語で、修行の十年は夢のように過ぎ、悟りを得て笑った、というような意味です。
林下と湖邊、十年と一笑が照応しています。
會津八一((1881~1956)は新潟県出身で、中村屋サロンの一員です。
元々左利きだったこともあって、独特の書体をしています。
本社ビルの建て替えを機会に中村屋にゆかりのある芸術家たちの作品を
こうしてまとめて観られる場所の出来たのは嬉しいことです。
展覧会のHPです。
有楽町
「スターバックスコーヒー 有楽町ビル1階店」は有楽町ビルの1階にあります。
場所は千代田区有楽町1-10-1 です。
地下1階には「スターバックスコーヒー有楽町ビル店」があります。

2014年の9月にオープンしたお店で、ブラックエプロンのバリスタがいて、
リザーブコーヒーを淹れてくれます。
リザーブコーヒーは数か月ごとに種類が変わり、扱っているお店は
都内で15店舗ほどだそうです。
注文の都度挽いて、クローバーという抽出器で淹れるので、
その間、専用のカウンター席で待ちます。

豆は2種類あり、ペルーチョンティというのを選びました。
ショートサイズ529円です。


「ほのかなレモンの酸味を伴い、ヘーゼルナッツとベーキングチョコレートの
風味をもつコーヒー」とのことで、ほど良い酸味で、コクもあって美味しいです。
今度はリザーブコーヒーを出す他のお店にも行ってみようと思います。
chariot
「スターバックスコーヒー 有楽町ビル1階店」は有楽町ビルの1階にあります。
場所は千代田区有楽町1-10-1 です。
地下1階には「スターバックスコーヒー有楽町ビル店」があります。

2014年の9月にオープンしたお店で、ブラックエプロンのバリスタがいて、
リザーブコーヒーを淹れてくれます。
リザーブコーヒーは数か月ごとに種類が変わり、扱っているお店は
都内で15店舗ほどだそうです。
注文の都度挽いて、クローバーという抽出器で淹れるので、
その間、専用のカウンター席で待ちます。

豆は2種類あり、ペルーチョンティというのを選びました。
ショートサイズ529円です。


「ほのかなレモンの酸味を伴い、ヘーゼルナッツとベーキングチョコレートの
風味をもつコーヒー」とのことで、ほど良い酸味で、コクもあって美味しいです。
今度はリザーブコーヒーを出す他のお店にも行ってみようと思います。
表参道
表参道の根津美術館ではコレクション展、「誰が袖図-描かれたきもの-」が開かれています。
会期は2月23日(火・祝)までです。

根津美術館の所蔵する、衣桁や屏風に衣装を掛け並べた様を描いた、「誰が袖図
(たがそでず)屏風」3点を中心にした展示です。
「誰が袖図」は近世初期によく描かれた画題で、豪華な衣装を眺め、薫きしめられた香や
着ていた人を想像させるという、風雅で遊び心のある仕掛けです。
「誰が袖」の言葉は、古歌の
色よりも香こそあわれと思ほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも
に依っています。
「誰が袖図屏風」 六曲一双 江戸時代・17世紀

金地の画面の背景に、朝顔の描かれた腰障子を置いてあります。
右隻の衣桁には亀甲つなぎ、桐竹唐草、鹿の子絞り、扇散らしなどの衣装が掛かり、
印籠や帯も下がり、畳には双六盤が置いてあります。


左隻には雪輪文、桜花文などの衣装や、男物の袴、紐のついた子ども用の振袖が掛かり、
手拭い掛けもあります。
冊子と硯箱の載った文机も置いてあって、主が教養人であることを示しています。

「誰が袖美人図屏風」 六曲一双 江戸時代 17世紀

右隻には大きく桜や松が描かれ、屋外と室内が一体化しています。

左隻では扇面散らしの屏風の前に立つ三つ巴文の小袖に唐輪髷の遊女が
鹿の子絞りに木の葉文の小袖を着て三味線を持つ禿(かむろ)から何かを
受け取るように手を差し出しています。
刀掛けには大小が、衣桁には武士好みの菖蒲柄の袴が掛かっています。


衣装そのものを賞でる美意識については小野皇太后藤原歓子の逸話を思い出します。
小野の山荘で余生を送っていたとき、白河上皇が急に雪見を思い立って訪れ、
知らせを聞いた歓子は屋形の御簾の下に出衣(いだしぎぬ)を並べて上皇を迎えます。
出衣とは寝殿や牛車の簾の下に装束の袖や裾を少し出してその色合いを見せるもので、
上皇は歓子の雅なもてなしに感心して、荘園を贈ったというお話です。
「風俗図」 三幅対 江戸時代 17世紀 重要美術品

中央の遊女を挟んで、左右の色男が意味ありげな視線を送っている三幅対です。
遊女は三味線を持った禿を従え、唐輪髷を結った、貫禄のある姿です。
打掛には水車を豪快に描き出し、小袖の柄とも合わせ、裏地の赤も華やかです。
水車は宇治の名物なので、伝説の宇治の橋姫を連想させます。
「桜下蹴鞠図屏風」 江戸時代 17世紀 重要美術品

お公家さんや僧侶が満開の桜の下で蹴鞠に興じています。
鞠が画面上で半分だけ飛び出しています。
六曲一双の屏風の右隻で、今回は展示されていませんが、左隻では塀の外で
従者たちが退屈そうに主人の帰りを待っています。
大らかな雰囲気で、俵屋宗達の工房による製作と考えられています。
「洛中洛外図屏風」 八曲一双 江戸時代 17世紀
右隻

左隻

右隻には、東山の清水寺、八坂の塔、方広寺大仏殿、内裏、祇園祭の山鉾巡行
などが見えます。

方広寺は豊臣秀吉の建てた寺で、東大寺大仏殿より大きな大仏殿は
1798年に焼失するまで京の名所だったということです。
右側の赤い柱の大きな建物です。

左隻には、祇園祭の神輿行列、金閣寺、北野神社、二条城、東寺、嵐山などが
見えます。
二条城には1750年に焼失した天守閣も描き込まれています。

天皇、足利、豊臣、徳川といった、時々の権力者の象徴を一つの画面に
納めているのが、洛中洛外図の面白さです。
展示室2は婚礼衣装の展示で、1934年(昭和9年)に竹田宮恒徳王と結婚した三條光子の
着用した、俗に十二単と呼ばれる五衣唐衣裳(うつつぎぬからぎぬも)の一揃いや
江戸から明治の婚礼衣装が展示されています。

展示室5は館蔵の名碗20撰の展示です。
根津美術館らしく天目、青磁、祥瑞、井戸、粉引、唐津、志野、織部、信楽、色絵などが
揃っています。
「青井戸茶碗 銘 柴田」 朝鮮時代 16世紀 重要文化財

青井戸茶碗は釉が青色がかったものを云いますが、実際には青色に限らず、
色に変化があります。
織田信長から柴田勝家が拝領したとされることから、この名があります。
胴が真直ぐにすぼまり、強くろくろ目の出ている、くっきりした姿で、
上の方がやや青みがかっていて、全体に明るい印象の茶碗です。
「小井戸茶碗 銘 忘水(わすれみず)」 朝鮮時代 16世紀

小井戸茶碗は小振りの井戸茶碗のことを云います。
小堀遠州の所持していた茶碗で、忘水とは野を人知れず細々と流れる
水のことです。
文字通り小さく、可愛い姿をしています。
鼠志野茶碗 銘 山端 桃山時代 16~17世紀 重要文化財

五月雨ははれんとやする山端にかかれる雲のうすくなりゆく
花園天皇(1297-1348)の歌にちなんだ銘です。
花園天皇は実感に基いた歌風を旨とする京極派の歌人で、
この歌にもその姿勢がうかがえます。
「安南染付蜻蛉茶碗」 ベトナム 16~17世紀

トンボを描いた黒味がかった染付が滲んでいるのが味わいになっています。
安南とはベトナム中部北部を指し、ベトナム焼きも安南と呼ばれています。
「祥瑞水玉文茶碗」 明時代 17世紀

祥瑞(しょんずい)とは日本の茶人の注文により景徳鎮で焼かれた
染付磁器のことです。
小振りの茶碗で、鮮やかな青色の中に浮かんだ白い水玉が際立っています。
「色絵鉄仙花文茶碗」 野々村仁清 江戸時代 17世紀

高麗茶碗のような地ですが、のびのびとした筆が入っています。
「堅手茶碗 銘 長崎」 高麗茶碗 朝鮮時代 16−17世紀 重要文化財

堅手茶碗とは磁器のように堅く焼き締まった高麗茶碗のことです。
口縁の形にゆがみがあり、釉の掛け残しがあって姿に変化を付けています。
展示室6のテーマは「霜月の茶会」です。
夜咄の茶事や歳暮の茶会にふさわしい茶道具の展示です。
「大海茶入銘 節季」 室町時代 16世紀

幅の広い形の茶入を大海と言います。
「村雲蒔絵棗」 小島漆壺斎作 木胎漆塗 江戸時代 19世紀

松平不昧が作らせた棗で、木目を残した黒漆塗りの地に金蒔絵で和歌が書かれています。
村雲の跡なきかたも時雨るゝは 風を便りの木葉なりけり
次回の展覧会は特別展、「動物礼賛」です。
会期は2015年1月10日(土)から2月22日(日)までです。

chariot
表参道の根津美術館ではコレクション展、「誰が袖図-描かれたきもの-」が開かれています。
会期は2月23日(火・祝)までです。

根津美術館の所蔵する、衣桁や屏風に衣装を掛け並べた様を描いた、「誰が袖図
(たがそでず)屏風」3点を中心にした展示です。
「誰が袖図」は近世初期によく描かれた画題で、豪華な衣装を眺め、薫きしめられた香や
着ていた人を想像させるという、風雅で遊び心のある仕掛けです。
「誰が袖」の言葉は、古歌の
色よりも香こそあわれと思ほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも
に依っています。
「誰が袖図屏風」 六曲一双 江戸時代・17世紀

金地の画面の背景に、朝顔の描かれた腰障子を置いてあります。
右隻の衣桁には亀甲つなぎ、桐竹唐草、鹿の子絞り、扇散らしなどの衣装が掛かり、
印籠や帯も下がり、畳には双六盤が置いてあります。


左隻には雪輪文、桜花文などの衣装や、男物の袴、紐のついた子ども用の振袖が掛かり、
手拭い掛けもあります。
冊子と硯箱の載った文机も置いてあって、主が教養人であることを示しています。

「誰が袖美人図屏風」 六曲一双 江戸時代 17世紀

右隻には大きく桜や松が描かれ、屋外と室内が一体化しています。

左隻では扇面散らしの屏風の前に立つ三つ巴文の小袖に唐輪髷の遊女が
鹿の子絞りに木の葉文の小袖を着て三味線を持つ禿(かむろ)から何かを
受け取るように手を差し出しています。
刀掛けには大小が、衣桁には武士好みの菖蒲柄の袴が掛かっています。


衣装そのものを賞でる美意識については小野皇太后藤原歓子の逸話を思い出します。
小野の山荘で余生を送っていたとき、白河上皇が急に雪見を思い立って訪れ、
知らせを聞いた歓子は屋形の御簾の下に出衣(いだしぎぬ)を並べて上皇を迎えます。
出衣とは寝殿や牛車の簾の下に装束の袖や裾を少し出してその色合いを見せるもので、
上皇は歓子の雅なもてなしに感心して、荘園を贈ったというお話です。
「風俗図」 三幅対 江戸時代 17世紀 重要美術品

中央の遊女を挟んで、左右の色男が意味ありげな視線を送っている三幅対です。
遊女は三味線を持った禿を従え、唐輪髷を結った、貫禄のある姿です。
打掛には水車を豪快に描き出し、小袖の柄とも合わせ、裏地の赤も華やかです。
水車は宇治の名物なので、伝説の宇治の橋姫を連想させます。
「桜下蹴鞠図屏風」 江戸時代 17世紀 重要美術品

お公家さんや僧侶が満開の桜の下で蹴鞠に興じています。
鞠が画面上で半分だけ飛び出しています。
六曲一双の屏風の右隻で、今回は展示されていませんが、左隻では塀の外で
従者たちが退屈そうに主人の帰りを待っています。
大らかな雰囲気で、俵屋宗達の工房による製作と考えられています。
「洛中洛外図屏風」 八曲一双 江戸時代 17世紀
右隻

左隻

右隻には、東山の清水寺、八坂の塔、方広寺大仏殿、内裏、祇園祭の山鉾巡行
などが見えます。

方広寺は豊臣秀吉の建てた寺で、東大寺大仏殿より大きな大仏殿は
1798年に焼失するまで京の名所だったということです。
右側の赤い柱の大きな建物です。

左隻には、祇園祭の神輿行列、金閣寺、北野神社、二条城、東寺、嵐山などが
見えます。
二条城には1750年に焼失した天守閣も描き込まれています。

天皇、足利、豊臣、徳川といった、時々の権力者の象徴を一つの画面に
納めているのが、洛中洛外図の面白さです。
展示室2は婚礼衣装の展示で、1934年(昭和9年)に竹田宮恒徳王と結婚した三條光子の
着用した、俗に十二単と呼ばれる五衣唐衣裳(うつつぎぬからぎぬも)の一揃いや
江戸から明治の婚礼衣装が展示されています。

展示室5は館蔵の名碗20撰の展示です。
根津美術館らしく天目、青磁、祥瑞、井戸、粉引、唐津、志野、織部、信楽、色絵などが
揃っています。
「青井戸茶碗 銘 柴田」 朝鮮時代 16世紀 重要文化財

青井戸茶碗は釉が青色がかったものを云いますが、実際には青色に限らず、
色に変化があります。
織田信長から柴田勝家が拝領したとされることから、この名があります。
胴が真直ぐにすぼまり、強くろくろ目の出ている、くっきりした姿で、
上の方がやや青みがかっていて、全体に明るい印象の茶碗です。
「小井戸茶碗 銘 忘水(わすれみず)」 朝鮮時代 16世紀

小井戸茶碗は小振りの井戸茶碗のことを云います。
小堀遠州の所持していた茶碗で、忘水とは野を人知れず細々と流れる
水のことです。
文字通り小さく、可愛い姿をしています。
鼠志野茶碗 銘 山端 桃山時代 16~17世紀 重要文化財

五月雨ははれんとやする山端にかかれる雲のうすくなりゆく
花園天皇(1297-1348)の歌にちなんだ銘です。
花園天皇は実感に基いた歌風を旨とする京極派の歌人で、
この歌にもその姿勢がうかがえます。
「安南染付蜻蛉茶碗」 ベトナム 16~17世紀

トンボを描いた黒味がかった染付が滲んでいるのが味わいになっています。
安南とはベトナム中部北部を指し、ベトナム焼きも安南と呼ばれています。
「祥瑞水玉文茶碗」 明時代 17世紀

祥瑞(しょんずい)とは日本の茶人の注文により景徳鎮で焼かれた
染付磁器のことです。
小振りの茶碗で、鮮やかな青色の中に浮かんだ白い水玉が際立っています。
「色絵鉄仙花文茶碗」 野々村仁清 江戸時代 17世紀

高麗茶碗のような地ですが、のびのびとした筆が入っています。
「堅手茶碗 銘 長崎」 高麗茶碗 朝鮮時代 16−17世紀 重要文化財

堅手茶碗とは磁器のように堅く焼き締まった高麗茶碗のことです。
口縁の形にゆがみがあり、釉の掛け残しがあって姿に変化を付けています。
展示室6のテーマは「霜月の茶会」です。
夜咄の茶事や歳暮の茶会にふさわしい茶道具の展示です。
「大海茶入銘 節季」 室町時代 16世紀

幅の広い形の茶入を大海と言います。
「村雲蒔絵棗」 小島漆壺斎作 木胎漆塗 江戸時代 19世紀

松平不昧が作らせた棗で、木目を残した黒漆塗りの地に金蒔絵で和歌が書かれています。
村雲の跡なきかたも時雨るゝは 風を便りの木葉なりけり
次回の展覧会は特別展、「動物礼賛」です。
会期は2015年1月10日(土)から2月22日(日)までです。

銀座一丁目
ギャラリーダイニング「銀座の金沢」は2014年の10月にオープンした「キラリトギンザ」の
6階にあります。
場所は中央区銀座1-8-19です。
「キラリトギンザ」の正面です。


各階にいろいろなお店が入っています。

「銀座の金沢」は金沢の文化を紹介するお店で、ギャラリーにはさまざまな
金沢の工芸品が展示されてます。
金沢は加賀友禅、加賀象嵌、加賀水引、金沢箔、金沢仏壇など伝統工芸の
盛んな町として知られています。
大樋焼

加賀水引

ダイニングは50席ほどで、全席禁煙、窓からの光で明るい店内です。
BGMは静かなジャズでした。



ランチの加賀野菜ハヤシです。
2500円にサービス料と消費税が付いて、2970円でした。
先附の壬生菜と蟹の白和え

壬生菜は京野菜です。
サラダ

ハヤシライスと加賀野菜と赤だし

ライスは柔らか目で、野菜は焼いてあります。
デザートの黒蜜のアイスクリームと香り高い加賀棒茶

さっぱりとした味で、金沢らしく金箔が載っています。
ゆったりした雰囲気のお店で、ちょっとした金沢気分を味わいました。
お店のHPです。
chariot
ギャラリーダイニング「銀座の金沢」は2014年の10月にオープンした「キラリトギンザ」の
6階にあります。
場所は中央区銀座1-8-19です。
「キラリトギンザ」の正面です。


各階にいろいろなお店が入っています。

「銀座の金沢」は金沢の文化を紹介するお店で、ギャラリーにはさまざまな
金沢の工芸品が展示されてます。
金沢は加賀友禅、加賀象嵌、加賀水引、金沢箔、金沢仏壇など伝統工芸の
盛んな町として知られています。
大樋焼

加賀水引

ダイニングは50席ほどで、全席禁煙、窓からの光で明るい店内です。
BGMは静かなジャズでした。



ランチの加賀野菜ハヤシです。
2500円にサービス料と消費税が付いて、2970円でした。
先附の壬生菜と蟹の白和え

壬生菜は京野菜です。
サラダ

ハヤシライスと加賀野菜と赤だし

ライスは柔らか目で、野菜は焼いてあります。
デザートの黒蜜のアイスクリームと香り高い加賀棒茶

さっぱりとした味で、金沢らしく金箔が載っています。
ゆったりした雰囲気のお店で、ちょっとした金沢気分を味わいました。
お店のHPです。
乃木坂・六本木
六本木の国立新美術館では第1回改組 新「日展」が開かれています。
会期は12月7日(日)までです。

日展は不正審査問題があったので組織改正を行ない、今年が改組第1回展になります。
(洋画)
木原和敏 「moment」

カーテンを通しての淡い光に包まれています。
谷俊緒 「初夏」

電線の燕が季節を表しています。
歳嶋洋一朗 「マヘレのはね橋」

マヘレのはね橋はアムステルダムのアムステル川に架かる跳ね橋です。
藤川耕太郎 「明石海峡」

生活感のある風景です。
(日本画)
諏訪智美 「機織る里-夕風-」

夏の夕暮れでしょうか、朝顔の葉が茂り、空には鱗をきらめかせて魚が泳いでいます。
懐旧的な気持ちになる作品です。
諏訪智美さんは2014年に筑波大学大学院博士後期課程を修了しています。
曲子明良 「秋思」

水墨を思わせる落着いた色調です。
間瀬静江 「白象来迎図、及び奏楽童子図」

仏画の伝統に則った作品で、普賢菩薩を乗せる白象が真中に描かれています。
2013年の日展の記事です。
日展のHPです。
chariot
六本木の国立新美術館では第1回改組 新「日展」が開かれています。
会期は12月7日(日)までです。

日展は不正審査問題があったので組織改正を行ない、今年が改組第1回展になります。
(洋画)
木原和敏 「moment」

カーテンを通しての淡い光に包まれています。
谷俊緒 「初夏」

電線の燕が季節を表しています。
歳嶋洋一朗 「マヘレのはね橋」

マヘレのはね橋はアムステルダムのアムステル川に架かる跳ね橋です。
藤川耕太郎 「明石海峡」

生活感のある風景です。
(日本画)
諏訪智美 「機織る里-夕風-」

夏の夕暮れでしょうか、朝顔の葉が茂り、空には鱗をきらめかせて魚が泳いでいます。
懐旧的な気持ちになる作品です。
諏訪智美さんは2014年に筑波大学大学院博士後期課程を修了しています。
曲子明良 「秋思」

水墨を思わせる落着いた色調です。
間瀬静江 「白象来迎図、及び奏楽童子図」

仏画の伝統に則った作品で、普賢菩薩を乗せる白象が真中に描かれています。
2013年の日展の記事です。
日展のHPです。
神谷町
「3206(サンニイゼロロク)本店」は東京メトロ神谷町駅から御成門方向に少し行った左にあります。
場所は港区虎ノ門3-20-4です。

3軒隣から越してきたばかりで、3206は以前の場所の住所の数字とのことです。
ベーカリーカフェで、イートインスペースのカウンター席は細長い大テーブルです。


壁には地中海風の絵が飾ってあります。
BGMはFM放送のようで、桑田の曲が流れていました。

ランチのサンドイッチセットはサンドイッチを2つ選び、ドリンクが付いて950円です。

ベーコンと玉子とトマトは単品で389円です。
パンプキンとクリームチーズは単品で389円です。
とても美味しいサンドイッチで、あっという間に平らげてしまいました。
近くにあったら、ちょくちょく利用したいお店です。
秋空に立つ東京タワーです。

夕方になるとランプが灯ります。

chariot
「3206(サンニイゼロロク)本店」は東京メトロ神谷町駅から御成門方向に少し行った左にあります。
場所は港区虎ノ門3-20-4です。

3軒隣から越してきたばかりで、3206は以前の場所の住所の数字とのことです。
ベーカリーカフェで、イートインスペースのカウンター席は細長い大テーブルです。


壁には地中海風の絵が飾ってあります。
BGMはFM放送のようで、桑田の曲が流れていました。

ランチのサンドイッチセットはサンドイッチを2つ選び、ドリンクが付いて950円です。

ベーコンと玉子とトマトは単品で389円です。
パンプキンとクリームチーズは単品で389円です。
とても美味しいサンドイッチで、あっという間に平らげてしまいました。
近くにあったら、ちょくちょく利用したいお店です。
秋空に立つ東京タワーです。

夕方になるとランプが灯ります。

渋谷
渋谷区立松涛美術館ではリニューアル記念特別展、「御法(みのり)に守られし醍醐寺展」が
開かれています。
会期は11月24日(月・祝)までで、11月3日(月・祝)までの前期と、11月5日(水)からの
後期で一部展示替えがあります。

醍醐寺は貞観16年(874)に理源大師聖宝(しょうぼう:832-909)が京都山科に創建した
とされる真言宗寺院で、醍醐天皇(885-930)の御願寺として手厚い庇護を受けています。
「過去現在絵因果経」 奈良時代・8世紀 国宝


5世紀に漢訳された過去現在因果経を絵入りの経巻にしたもので、釈迦の前世の善行と
現世の事績が素朴な表現で描かれています。
展示室では各場面の説明も添えられていて、10月28日から11月3日までと、
11月18日から24日までは15mある全場面が展示されます。
「大日経開題」 空海筆 平安時代・9世紀
大日経疏20巻を抜書きしたもので、伸びやかな筆遣いです。
「閻魔天像」 平安~鎌倉時代・12世紀 国宝

前期の展示です。
左手に人頭杖を持ち、水牛に乗った姿で、おだやかな表情を見せています。
中国の官人の服を着た閻魔様とは違った姿です。
「不動明王像」 平安時代・10世紀 重要文化財

剣と羂索を持ち、火炎を背負っています。
「織田信長黒印状」 桃山時代
醍醐寺三宝院での戦勝祈願の修法への礼状で、「天下布武」の印が捺されています。
礼状を出すところなど信長も律儀です。
「金天目・天目台」 桃山時代・16世紀

醍醐寺第80代座主の義演が秀吉の病気平癒を祈願した褒美の品と言われています。
天目は木の椀に金の薄板を延ばして被せ、天目台には金鍍金がされていています。
金の薄板は釉薬が途中までかかったようになっていて、芸の細かいところを見せています。
醍醐寺は豊臣秀吉の醍醐の花見でも有名です。
「豊臣秀吉像」 江戸時代・19世紀

勾欄のある御殿の中で、御簾を巻き上げ、山水画の衝立を背に繧繝縁
(うんげんべり)の畳に座していて、神像として描かれています。
「豊国大明神 神号」 江戸時代初期

神として祀られた豊臣秀吉の神号です。
秀頼八才と書かれており、下の方がやや詰まっていますが立派な筆遣いです。
「舞楽図屏風」 俵屋宗達筆 江戸時代・17世紀 重要文化財

後期の展示です。
規模は大きくありませんが、醍醐寺の歴史を辿れる興味深い展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は特別展、「天神万華鏡」です。
会期は12月9日(日)から2015年1月25日(日)までです。

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渋谷区立松涛美術館ではリニューアル記念特別展、「御法(みのり)に守られし醍醐寺展」が
開かれています。
会期は11月24日(月・祝)までで、11月3日(月・祝)までの前期と、11月5日(水)からの
後期で一部展示替えがあります。

醍醐寺は貞観16年(874)に理源大師聖宝(しょうぼう:832-909)が京都山科に創建した
とされる真言宗寺院で、醍醐天皇(885-930)の御願寺として手厚い庇護を受けています。
「過去現在絵因果経」 奈良時代・8世紀 国宝


5世紀に漢訳された過去現在因果経を絵入りの経巻にしたもので、釈迦の前世の善行と
現世の事績が素朴な表現で描かれています。
展示室では各場面の説明も添えられていて、10月28日から11月3日までと、
11月18日から24日までは15mある全場面が展示されます。
「大日経開題」 空海筆 平安時代・9世紀
大日経疏20巻を抜書きしたもので、伸びやかな筆遣いです。
「閻魔天像」 平安~鎌倉時代・12世紀 国宝

前期の展示です。
左手に人頭杖を持ち、水牛に乗った姿で、おだやかな表情を見せています。
中国の官人の服を着た閻魔様とは違った姿です。
「不動明王像」 平安時代・10世紀 重要文化財

剣と羂索を持ち、火炎を背負っています。
「織田信長黒印状」 桃山時代
醍醐寺三宝院での戦勝祈願の修法への礼状で、「天下布武」の印が捺されています。
礼状を出すところなど信長も律儀です。
「金天目・天目台」 桃山時代・16世紀

醍醐寺第80代座主の義演が秀吉の病気平癒を祈願した褒美の品と言われています。
天目は木の椀に金の薄板を延ばして被せ、天目台には金鍍金がされていています。
金の薄板は釉薬が途中までかかったようになっていて、芸の細かいところを見せています。
醍醐寺は豊臣秀吉の醍醐の花見でも有名です。
「豊臣秀吉像」 江戸時代・19世紀

勾欄のある御殿の中で、御簾を巻き上げ、山水画の衝立を背に繧繝縁
(うんげんべり)の畳に座していて、神像として描かれています。
「豊国大明神 神号」 江戸時代初期

神として祀られた豊臣秀吉の神号です。
秀頼八才と書かれており、下の方がやや詰まっていますが立派な筆遣いです。
「舞楽図屏風」 俵屋宗達筆 江戸時代・17世紀 重要文化財

後期の展示です。
規模は大きくありませんが、醍醐寺の歴史を辿れる興味深い展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は特別展、「天神万華鏡」です。
会期は12月9日(日)から2015年1月25日(日)までです。

新橋・汐留
新橋のパナソニック汐留ミュージアムで開かれている、「ジョルジョ・デ・キリコ―変遷と回帰」展の
Web特別内覧会に行ってきました。
会期は12月26日(金)までで、休館日は水曜日ですが、12月の水曜日は開館します。

シュルレアリスムに大きな影響を与えた、イタリアの画家、ジョルジョ・デ・キリコ
(1888-1978)の初期から最晩年までの作品、約100点が展示されています。
パリ市立近代美術館に寄贈された未亡人イザベッラの旧蔵品が中心で、
約80%が日本初公開とのことです。
デ・キリコは画風を大きく変えたり、後に元の画風に戻ったりしているので、
副題も「変遷と回帰」となっています。
会場では萩原敦子学芸員のていねいな解説を伺いました。
I 序章:形而上絵画(メタフィジカ)の発見
ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)はギリシャ生まれのイタリア人で、父の死後、
ドイツのミュンヘンに移り、1907年にミュンヘンの美術学校に入学しています。
ここでニーチェを熱心に読んでいます。
その頃のミュンヘンはカンディンスキーが活動していましたが、キリコは一時代前の
ベックリンなどに惹かれたそうです。
たしかにキリコの作品にはベックリンに通じるものがあります。
ただ、ベックリンの北方の冷たい静寂に対して、キリコは南の日差しを浴びた空虚です。
1910年代は形而上絵画という、キリコ独特の世界を描き、シュルレアリスムの
先駆けとなっています。
現実の物を超えた本質を描くのが形而上絵画であるとんことで、個別の物は
写実的でありながら、全体としては不思議な画面になっています。
この時期の作品は4点、展示されています。
「謎めいた憂愁」 1919年 パリ市立近代美術館
室内のようですが、遠近感にまとまりの無い不安定な画面で、彫像はヘルメスです。
ヘルメスは冥界の使者でもあり、1919年にスペインかぜで亡くなった友人の
アポリネールの死を悼んでの作品とも言われています。
箱のような物に貼り付いているのはビスケットで、ユダヤ人街で見かけた大きな
ビスケットが元になっているそうです。
II 古典主義への回帰
第1次世界大戦後の1919年頃からキリコは古典的な画風の作品を描くようになります。
ローマに移住して、美術館で観た古典絵画に感銘を受け、その技法を取り入れています。
「林檎と葡萄のある静物」 1931年 パリ市立近代美術館
綿密な、マチエールを意識した作品で、ルノワールの絵だろうかと思ってしまいます。
第一次世界大戦の戦禍を目の当たりにした芸術家たちが、現代というものに疑惑を持って、
前衛美術から離れ、秩序のある古典の世界に関心を寄せる動きがありました。
ピカソやマティス、ドランなどがその例です。
しかし、シュルレアリスムの先駆けと思われていたキリコの作風の変化は、
アンドレ・ブルトンなど、それまでの支持者たちから非難を受けることになります。
III ネオ・バロックの時代 - 「最良の画家」としてのデ・キリコ
1940年代初頭からは更に進んで、バロック調の作品や、ロマン主義的な作品を
描くようになります。
遠くにギリシャ神殿の見える海岸で、飾りを付けた馬が跳ねていたりします。
「赤と黄色の布をつけた座る裸婦」 パリ市立近代美術館
2番目の妻のイザベッラ・ファーをモデルにした、ルーベンスのような量感のある裸婦像です。
イザベッラはキリコの良き理解者で、多くのキリコの作品をパリ市立近代美術館に
寄贈しています。
「ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレ」 1957年
ガレリア・ダルテ・マッジョーレ、ボローニャ
ドゥカーレ宮殿を描いた、とても写実的で巧みな作品で、キリコの絵には見えません。
刺激的な作品を描く画家は基礎もしっかりしていることを表しているといえます。
IV 再生 - 新形而上絵画(ネオ・メタフィジカ)
キリコは古典主義的な作品を描くようになってからも形而上絵画はずっと描き続けています。
過去の自分の作品を複製したような作品も描き、しかも実際の制作年とは違う制作年を
書き入れることもあります。
空間だけでなく、時間も不安定なものにしています。
「古代的な純愛の詩」 1970年頃 パリ市立近代美術館
初期のモティーフが使われた作品で、実際の制作年とは違う、1942という数字を
書き入れて混乱させています。
列柱の並んだような建物がよく登場しますが、これはトリノに行った時に見た、
アーケードを組み込んだ建物群の印象が元になっているそうです。
「不安を与えるミューズたち」 パリ市立近代美術館
1974年制作の平面作品、「不安を与えるミューズたち」に描かれた人物をブロンズにして
銀メッキを施した作品です。
キリコは彫刻も手掛けています。
この作品の展示には、パナソニック社の技術による工夫がしてあって、しばらく観ていると
その面白い仕掛けが分かります。
この章の壁にはギリシャをよく題材にしたキリコにちなんで、ギリシャ神殿を模した
飾りが付いています。
V 永劫回帰 - アポリネールとジャン・コクトーの思い出
あちこちに移り住んでいたキリコはパリにも長く住んでいました。
アポリネールの詩集、「カリグラム」(1918年)やジャン・コクトーの詩集、「神話」(1934年)の
挿絵を描いており、晩年にはそれを元にした作品も描いています。
「燃えつきた太陽のあるイタリア広場、神秘的な広場」 1971年 パリ市立近代美術館
2つの太陽のモティーフはアポリネールの「カリグラム」の挿絵に描かれていたものです。
晩年の作品にになると、色彩が明るくなっています。
キリコは形而上絵画でデビューし、古典に移り、ふたたび形而上絵画に回帰するという、
複雑な道を辿っています。
キリコは父の死によりギリシャを出てからミュンヘンで学んでいますが、もしイタリアに戻って、
まずイタリアの古典芸術を学んでいたら、画家として違った歩みを見せていたかもしれません。
キリコの自画像を観ると、自信ありげな顔をしています。
キリコは「自分の形而上絵画を理解できる人間は世界に2.3人しかいない」と述べていますが、
たしかに「君たち、僕の絵が分かるかね」と言っているようにも見えます。
しかし、世界に2.3人しか理解できる者がいないということは、私たちのキリコの理解は
まだまだ足りないということになりそうです。
キリコの、特に古典主義時代以降の作品をまとめて観られて、画業の変遷を辿ることの出来る、
興味深い展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「ジュール・パスキン展」です。
会期は2015年1月17日(土)から3月29日(日)までです。

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新橋のパナソニック汐留ミュージアムで開かれている、「ジョルジョ・デ・キリコ―変遷と回帰」展の
Web特別内覧会に行ってきました。
会期は12月26日(金)までで、休館日は水曜日ですが、12月の水曜日は開館します。

シュルレアリスムに大きな影響を与えた、イタリアの画家、ジョルジョ・デ・キリコ
(1888-1978)の初期から最晩年までの作品、約100点が展示されています。
パリ市立近代美術館に寄贈された未亡人イザベッラの旧蔵品が中心で、
約80%が日本初公開とのことです。
デ・キリコは画風を大きく変えたり、後に元の画風に戻ったりしているので、
副題も「変遷と回帰」となっています。
会場では萩原敦子学芸員のていねいな解説を伺いました。
I 序章:形而上絵画(メタフィジカ)の発見
ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)はギリシャ生まれのイタリア人で、父の死後、
ドイツのミュンヘンに移り、1907年にミュンヘンの美術学校に入学しています。
ここでニーチェを熱心に読んでいます。
その頃のミュンヘンはカンディンスキーが活動していましたが、キリコは一時代前の
ベックリンなどに惹かれたそうです。
たしかにキリコの作品にはベックリンに通じるものがあります。
ただ、ベックリンの北方の冷たい静寂に対して、キリコは南の日差しを浴びた空虚です。
1910年代は形而上絵画という、キリコ独特の世界を描き、シュルレアリスムの
先駆けとなっています。
現実の物を超えた本質を描くのが形而上絵画であるとんことで、個別の物は
写実的でありながら、全体としては不思議な画面になっています。
この時期の作品は4点、展示されています。
「謎めいた憂愁」 1919年 パリ市立近代美術館
室内のようですが、遠近感にまとまりの無い不安定な画面で、彫像はヘルメスです。
ヘルメスは冥界の使者でもあり、1919年にスペインかぜで亡くなった友人の
アポリネールの死を悼んでの作品とも言われています。
箱のような物に貼り付いているのはビスケットで、ユダヤ人街で見かけた大きな
ビスケットが元になっているそうです。
II 古典主義への回帰
第1次世界大戦後の1919年頃からキリコは古典的な画風の作品を描くようになります。
ローマに移住して、美術館で観た古典絵画に感銘を受け、その技法を取り入れています。
「林檎と葡萄のある静物」 1931年 パリ市立近代美術館
綿密な、マチエールを意識した作品で、ルノワールの絵だろうかと思ってしまいます。
第一次世界大戦の戦禍を目の当たりにした芸術家たちが、現代というものに疑惑を持って、
前衛美術から離れ、秩序のある古典の世界に関心を寄せる動きがありました。
ピカソやマティス、ドランなどがその例です。
しかし、シュルレアリスムの先駆けと思われていたキリコの作風の変化は、
アンドレ・ブルトンなど、それまでの支持者たちから非難を受けることになります。
III ネオ・バロックの時代 - 「最良の画家」としてのデ・キリコ
1940年代初頭からは更に進んで、バロック調の作品や、ロマン主義的な作品を
描くようになります。
遠くにギリシャ神殿の見える海岸で、飾りを付けた馬が跳ねていたりします。
「赤と黄色の布をつけた座る裸婦」 パリ市立近代美術館
2番目の妻のイザベッラ・ファーをモデルにした、ルーベンスのような量感のある裸婦像です。
イザベッラはキリコの良き理解者で、多くのキリコの作品をパリ市立近代美術館に
寄贈しています。
「ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレ」 1957年
ガレリア・ダルテ・マッジョーレ、ボローニャ
ドゥカーレ宮殿を描いた、とても写実的で巧みな作品で、キリコの絵には見えません。
刺激的な作品を描く画家は基礎もしっかりしていることを表しているといえます。
IV 再生 - 新形而上絵画(ネオ・メタフィジカ)
キリコは古典主義的な作品を描くようになってからも形而上絵画はずっと描き続けています。
過去の自分の作品を複製したような作品も描き、しかも実際の制作年とは違う制作年を
書き入れることもあります。
空間だけでなく、時間も不安定なものにしています。
「古代的な純愛の詩」 1970年頃 パリ市立近代美術館
初期のモティーフが使われた作品で、実際の制作年とは違う、1942という数字を
書き入れて混乱させています。
列柱の並んだような建物がよく登場しますが、これはトリノに行った時に見た、
アーケードを組み込んだ建物群の印象が元になっているそうです。
「不安を与えるミューズたち」 パリ市立近代美術館
1974年制作の平面作品、「不安を与えるミューズたち」に描かれた人物をブロンズにして
銀メッキを施した作品です。
キリコは彫刻も手掛けています。
この作品の展示には、パナソニック社の技術による工夫がしてあって、しばらく観ていると
その面白い仕掛けが分かります。
この章の壁にはギリシャをよく題材にしたキリコにちなんで、ギリシャ神殿を模した
飾りが付いています。
V 永劫回帰 - アポリネールとジャン・コクトーの思い出
あちこちに移り住んでいたキリコはパリにも長く住んでいました。
アポリネールの詩集、「カリグラム」(1918年)やジャン・コクトーの詩集、「神話」(1934年)の
挿絵を描いており、晩年にはそれを元にした作品も描いています。
「燃えつきた太陽のあるイタリア広場、神秘的な広場」 1971年 パリ市立近代美術館
2つの太陽のモティーフはアポリネールの「カリグラム」の挿絵に描かれていたものです。
晩年の作品にになると、色彩が明るくなっています。
キリコは形而上絵画でデビューし、古典に移り、ふたたび形而上絵画に回帰するという、
複雑な道を辿っています。
キリコは父の死によりギリシャを出てからミュンヘンで学んでいますが、もしイタリアに戻って、
まずイタリアの古典芸術を学んでいたら、画家として違った歩みを見せていたかもしれません。
キリコの自画像を観ると、自信ありげな顔をしています。
キリコは「自分の形而上絵画を理解できる人間は世界に2.3人しかいない」と述べていますが、
たしかに「君たち、僕の絵が分かるかね」と言っているようにも見えます。
しかし、世界に2.3人しか理解できる者がいないということは、私たちのキリコの理解は
まだまだ足りないということになりそうです。
キリコの、特に古典主義時代以降の作品をまとめて観られて、画業の変遷を辿ることの出来る、
興味深い展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「ジュール・パスキン展」です。
会期は2015年1月17日(土)から3月29日(日)までです。

新宿三丁目
「新宿中村屋本店」は建て替えられ、2014年10月29日に商業ビル「新宿中村屋ビル」として
オープンしました。
場所は新宿区新宿三丁目26-13です。

レストランが何軒か入りましたが、「レストラン&カフェ Manna/マンナ」は
昭和2年発売の伝統のインドカリーを提供するお店として、地下2階に入りました。
オープン後最初の日曜日に行ったのですが、開店時間の11時には順番待ちの長い列が
出来ていました。
江戸っ子は初物好き、と思って並んでいたら、関西弁も聞こえてきました。
店内は110席と大きく、全席禁煙、ちょっとクラシックな雰囲気で、店員さんの制服も
昔ながらのデザインです。


デザートも揃っています。

伝統の中村屋純印度式カリー1620円です。

骨付き鶏肉が入っていて、ライスは柔らか目、カレーは程良い辛さで、美味しいです。
小皿にラッキョウ、キュウリとタマネギのピクルスが添えられていて、キュウリはやや辛めです。
ポットはチャツネが2種類と粉チーズです。
チーズをカレーにかけると、味がマイルドになります。
応対もていねいで、席数が多いのですぐ座れましたが、開店と同時に満席状態なので、
料理が運ばれるのに少し時間がかかります。
私は席に着くと同時に注文したおかげで、すぐ運ばれてきました。
歴史のある、新宿を代表する中村屋がこうして新装オープンするのは嬉しいことです。
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「新宿中村屋本店」は建て替えられ、2014年10月29日に商業ビル「新宿中村屋ビル」として
オープンしました。
場所は新宿区新宿三丁目26-13です。

レストランが何軒か入りましたが、「レストラン&カフェ Manna/マンナ」は
昭和2年発売の伝統のインドカリーを提供するお店として、地下2階に入りました。
オープン後最初の日曜日に行ったのですが、開店時間の11時には順番待ちの長い列が
出来ていました。
江戸っ子は初物好き、と思って並んでいたら、関西弁も聞こえてきました。
店内は110席と大きく、全席禁煙、ちょっとクラシックな雰囲気で、店員さんの制服も
昔ながらのデザインです。


デザートも揃っています。

伝統の中村屋純印度式カリー1620円です。

骨付き鶏肉が入っていて、ライスは柔らか目、カレーは程良い辛さで、美味しいです。
小皿にラッキョウ、キュウリとタマネギのピクルスが添えられていて、キュウリはやや辛めです。
ポットはチャツネが2種類と粉チーズです。
チーズをカレーにかけると、味がマイルドになります。
応対もていねいで、席数が多いのですぐ座れましたが、開店と同時に満席状態なので、
料理が運ばれるのに少し時間がかかります。
私は席に着くと同時に注文したおかげで、すぐ運ばれてきました。
歴史のある、新宿を代表する中村屋がこうして新装オープンするのは嬉しいことです。
日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「北川健次展 Stresaの組鐘
―偏角31度の見えない螺旋に沿って」が開かれています。
会期は11月10日(月)までです。

北川健次さん(1952~)は福井県出身で、駒井哲郎に銅版画を学び、
棟方志功や池田満寿夫に推されて作家活動を始めています。
現在は銅版画やオブジェ、写真、美術評論などさまざまな分野を手掛けています。
展覧会ではコラージュや小さなオブジェが展示されています。
「Stresaの組鐘」 2014年

イタリアで撮影した写真を素材にしています。
「書簡―Veneziaの夢の綴り」 2014年

「分光器―カンピドーリオの記憶(部分)」 2014年

オブジェの一部です。
「Rome―サンピエトロの浮遊する幻視」 2014年

北川さんの詩が添えられています。
会場におられた北川さんによれば、コラージュの額縁はフィレンツェから
木材を取り寄せ、古びた感じに金泥を塗って自作したとのことです。
ファンの方も多く、気に入った作品を買って行かれるそうです。
北川さんの作品は日本と文化基盤の違うヨーロッパを素材にしているのに、
なぜかノスタルジーを感じます。
私は日本生まれなのに、観ていて何か心を騒がすものがあります。
そのとりとめの無さは夢にも似ています。
アングルの作品の一部を使ったコラージュもありましたが、北川さんも、アングルの作品
そのものを観てもノスタルジーは湧かないのに、欠片となって再構成されたときに
それを感じるのは不思議だと言われていました。
それは記憶というものの不確かさから来るのかもしれません。
ノスタルジーは不確かな記憶から生まれるので、ヨーロッパの過去の事物であっても、
欠片となったものを不確かな記憶として認識すると、そこにノスタルジーを感じるのでしょうか。
一体、ノスタルジーとは何なのかも考えさせてくれる展覧会です。
2013年の「北川健次展」の記事です。
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日本橋髙島屋美術画廊Xでは「北川健次展 Stresaの組鐘
―偏角31度の見えない螺旋に沿って」が開かれています。
会期は11月10日(月)までです。

北川健次さん(1952~)は福井県出身で、駒井哲郎に銅版画を学び、
棟方志功や池田満寿夫に推されて作家活動を始めています。
現在は銅版画やオブジェ、写真、美術評論などさまざまな分野を手掛けています。
展覧会ではコラージュや小さなオブジェが展示されています。
「Stresaの組鐘」 2014年

イタリアで撮影した写真を素材にしています。
「書簡―Veneziaの夢の綴り」 2014年

「分光器―カンピドーリオの記憶(部分)」 2014年

オブジェの一部です。
「Rome―サンピエトロの浮遊する幻視」 2014年

北川さんの詩が添えられています。
会場におられた北川さんによれば、コラージュの額縁はフィレンツェから
木材を取り寄せ、古びた感じに金泥を塗って自作したとのことです。
ファンの方も多く、気に入った作品を買って行かれるそうです。
北川さんの作品は日本と文化基盤の違うヨーロッパを素材にしているのに、
なぜかノスタルジーを感じます。
私は日本生まれなのに、観ていて何か心を騒がすものがあります。
そのとりとめの無さは夢にも似ています。
アングルの作品の一部を使ったコラージュもありましたが、北川さんも、アングルの作品
そのものを観てもノスタルジーは湧かないのに、欠片となって再構成されたときに
それを感じるのは不思議だと言われていました。
それは記憶というものの不確かさから来るのかもしれません。
ノスタルジーは不確かな記憶から生まれるので、ヨーロッパの過去の事物であっても、
欠片となったものを不確かな記憶として認識すると、そこにノスタルジーを感じるのでしょうか。
一体、ノスタルジーとは何なのかも考えさせてくれる展覧会です。
2013年の「北川健次展」の記事です。