東京
丸の内の三菱一号館美術館で2月24日に開かれた、青い日記帳×「ワシントン・
ナショナル・ギャラリー展」ブロガー特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は5月24日(日)までです。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーの創設者、アンドリュー・メロンの長女、
エイルサ・メロンを中心にして収集した、印象派とポスト印象派の
コレクションから68点を紹介する展覧会です。
アンドリュー・メロン(1855-1937)は米国財務長官を務めた銀行家で、
自分の美術コレクションを寄贈してワシントン・ナショナル・ギャラリーを
創設しています。
エイルサ・メロン(1901-1969)は自らの審美眼に基き、多くの印象派や
ポスト印象派の作品を収集しています。
「弐代目・青い日記帳」主催のTakさんがモデレーターで、高橋明也館長の
挨拶があり、杉山菜穂子学芸員の解説を伺いました。
展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。

左 エドガー・ドガ 「競馬」 1871-72年
右 エドゥアール・マネ 「競馬のレース」 1872年

ドガの「競馬」はノルマンディーの競馬場で、遠景の教会はモネがよく描いた
ルーアン大聖堂だそうです。
マネの「競馬のレース」はロンシャン競馬場で、疾走する様が描かれています。
左 アルフレッド・シスレー 「牧草地」 1875年
右 アルフレッド・シスレー 「ポール=マルリーの洪水」 1872年
最初の展示は印象派の風景画です。
左 ウジェーヌ・ブーダン 「オンフルール港の祭り」 1858年
右 ウジェーヌ・ブーダン 「ブルターニュの海岸」 1870年

ブーダンは浜辺や港を描いた作品8点が展示されています。
左 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「ブドウの収穫」 1879年
右 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「花摘み」 1875年

左 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「少女の頭部」 1890年頃
中 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「猫を抱く女性」 1875年頃
右 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「髪を編む若い女性」 1876年


「少女の頭部」はピアニストのウラジミール・ホロヴィッツの寄贈、
「髪を編む若い女性」はエイルサ・メロンのコレクションです。
左 オディロン・ルドン 「ブルターニュの村」 1890年頃
右 オディロン・ルドン 「ブルターニュの海沿いの村」 1880年頃

黑の版画を制作していた時期の作品ですが、彩色画も描いていました。
小品で、色数も少なく形も単純化された、寡黙な絵です。
ルドンはこれらの絵は売らず、手許に残しておいたそうです。
左 ジョルジュ・スーラ 『「グランド・ジャット島」の習作』 1884/85年
右 ジョルジュ・スーラ 「海の風景(グラヴリーヌ)」 1890年

左は大作、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のための習作のようです。
右の絵の青い枠はスーラ自身が描いた額縁です。
スーラは派手な額縁を嫌ったようですが、アメリカでの巡回展用にアメリカ人好みの額に
入っているそうです。
グラヴリーヌはフランスの北の端にあります。
左 ベルト・モリゾ 「窓辺にいる画家の姉」 1869年
右 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「モネ夫人とその息子」 1874年

左は、姉のエドマ・モリゾを描いていて、姉妹は画家を志しますが、エドマは結婚と
出産のために絵を描くのを止めています。
扇の絵を見ている姿はエドマが画家であることを示しているそうです。
右は、モネの家の庭でくつろいでいるモネ夫人のカミーユと長男のジャンをマネが
描いているところにやってきたルノワールがその様子に刺激されて描いた絵です。
カミーユは日本の扇を持っています。
左 アンリ・ファンタン=ラトゥール 「自画像」 1861年
中 エドガー・ドガ 「白い襟の自画像」 1857年
右 エドゥアール・ヴュイヤール 「21歳の自画像」 1889年

左 ポール・セザンヌ 「3つの洋梨」 1878/1879年
右 アンリ・ファンタン=ラトゥール 「皿の上の3つの桃」 1868年

セザンヌは構築的で、ファンタン=ラトゥールは質感まで表しています。
左 エドゥアール・ヴュイヤール 「会話」 1891年
右 エドゥアール・ヴュイヤール 「コーヒーを飲む二人の女性」 1893年

小品で、アンティミスト(親密派)と名乗ったヴュイヤールの描いた室内の情景です。
左 ピエール・ボナール 「さびれた街の2匹の犬」 1894年頃
右 ピエール・ボナール 「革命記念日のパリ、パルマ街」 1890年

左は犬のいる風景をさらりと描いていて、「小さな洗濯女」と似た雰囲気です。
右は7月14日のフランス国民祭のパリの街頭です。
主役は三色旗で、手前の3人も赤白青の3色になっています。
展示の最後はボナールが並んでいます。

左 ピエール・ボナール 「画家の庭の階段」 1942/1944年
右 ピエール・ボナール 「庭のテーブルセット」 1908年頃

初期に比べると色調が明るくなり、晩年の「画家の庭の階段」になると画面は華やかな
色彩にあふれています。
ピサロ、シスレーなど印象派の風景画からヴュイヤール、ボナールの親密な味わいの作品まで、
三菱一号館の古風な展示空間に程よく調和していて、落着いた雰囲気の中でゆっくりと
鑑賞することが出来ました。
2月8日に「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」に行った時の記事もご覧ください。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、「画鬼・暁斎―KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」展です。
会期は6月27日(土)~9月6日(日)です。

chariot
丸の内の三菱一号館美術館で2月24日に開かれた、青い日記帳×「ワシントン・
ナショナル・ギャラリー展」ブロガー特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は5月24日(日)までです。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーの創設者、アンドリュー・メロンの長女、
エイルサ・メロンを中心にして収集した、印象派とポスト印象派の
コレクションから68点を紹介する展覧会です。
アンドリュー・メロン(1855-1937)は米国財務長官を務めた銀行家で、
自分の美術コレクションを寄贈してワシントン・ナショナル・ギャラリーを
創設しています。
エイルサ・メロン(1901-1969)は自らの審美眼に基き、多くの印象派や
ポスト印象派の作品を収集しています。
「弐代目・青い日記帳」主催のTakさんがモデレーターで、高橋明也館長の
挨拶があり、杉山菜穂子学芸員の解説を伺いました。
展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。

左 エドガー・ドガ 「競馬」 1871-72年
右 エドゥアール・マネ 「競馬のレース」 1872年

ドガの「競馬」はノルマンディーの競馬場で、遠景の教会はモネがよく描いた
ルーアン大聖堂だそうです。
マネの「競馬のレース」はロンシャン競馬場で、疾走する様が描かれています。
左 アルフレッド・シスレー 「牧草地」 1875年
右 アルフレッド・シスレー 「ポール=マルリーの洪水」 1872年

最初の展示は印象派の風景画です。
左 ウジェーヌ・ブーダン 「オンフルール港の祭り」 1858年
右 ウジェーヌ・ブーダン 「ブルターニュの海岸」 1870年

ブーダンは浜辺や港を描いた作品8点が展示されています。
左 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「ブドウの収穫」 1879年
右 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「花摘み」 1875年

左 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「少女の頭部」 1890年頃
中 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「猫を抱く女性」 1875年頃
右 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「髪を編む若い女性」 1876年


「少女の頭部」はピアニストのウラジミール・ホロヴィッツの寄贈、
「髪を編む若い女性」はエイルサ・メロンのコレクションです。
左 オディロン・ルドン 「ブルターニュの村」 1890年頃
右 オディロン・ルドン 「ブルターニュの海沿いの村」 1880年頃

黑の版画を制作していた時期の作品ですが、彩色画も描いていました。
小品で、色数も少なく形も単純化された、寡黙な絵です。
ルドンはこれらの絵は売らず、手許に残しておいたそうです。
左 ジョルジュ・スーラ 『「グランド・ジャット島」の習作』 1884/85年
右 ジョルジュ・スーラ 「海の風景(グラヴリーヌ)」 1890年

左は大作、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のための習作のようです。
右の絵の青い枠はスーラ自身が描いた額縁です。
スーラは派手な額縁を嫌ったようですが、アメリカでの巡回展用にアメリカ人好みの額に
入っているそうです。
グラヴリーヌはフランスの北の端にあります。
左 ベルト・モリゾ 「窓辺にいる画家の姉」 1869年
右 ピエール=オーギュスト・ルノワール 「モネ夫人とその息子」 1874年

左は、姉のエドマ・モリゾを描いていて、姉妹は画家を志しますが、エドマは結婚と
出産のために絵を描くのを止めています。
扇の絵を見ている姿はエドマが画家であることを示しているそうです。
右は、モネの家の庭でくつろいでいるモネ夫人のカミーユと長男のジャンをマネが
描いているところにやってきたルノワールがその様子に刺激されて描いた絵です。
カミーユは日本の扇を持っています。
左 アンリ・ファンタン=ラトゥール 「自画像」 1861年
中 エドガー・ドガ 「白い襟の自画像」 1857年
右 エドゥアール・ヴュイヤール 「21歳の自画像」 1889年

左 ポール・セザンヌ 「3つの洋梨」 1878/1879年
右 アンリ・ファンタン=ラトゥール 「皿の上の3つの桃」 1868年

セザンヌは構築的で、ファンタン=ラトゥールは質感まで表しています。
左 エドゥアール・ヴュイヤール 「会話」 1891年
右 エドゥアール・ヴュイヤール 「コーヒーを飲む二人の女性」 1893年

小品で、アンティミスト(親密派)と名乗ったヴュイヤールの描いた室内の情景です。
左 ピエール・ボナール 「さびれた街の2匹の犬」 1894年頃
右 ピエール・ボナール 「革命記念日のパリ、パルマ街」 1890年

左は犬のいる風景をさらりと描いていて、「小さな洗濯女」と似た雰囲気です。
右は7月14日のフランス国民祭のパリの街頭です。
主役は三色旗で、手前の3人も赤白青の3色になっています。
展示の最後はボナールが並んでいます。

左 ピエール・ボナール 「画家の庭の階段」 1942/1944年
右 ピエール・ボナール 「庭のテーブルセット」 1908年頃

初期に比べると色調が明るくなり、晩年の「画家の庭の階段」になると画面は華やかな
色彩にあふれています。
ピサロ、シスレーなど印象派の風景画からヴュイヤール、ボナールの親密な味わいの作品まで、
三菱一号館の古風な展示空間に程よく調和していて、落着いた雰囲気の中でゆっくりと
鑑賞することが出来ました。
2月8日に「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」に行った時の記事もご覧ください。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、「画鬼・暁斎―KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」展です。
会期は6月27日(土)~9月6日(日)です。

上野広小路
松坂屋上野店本館4階にある「喫茶トリコロール 松坂屋上野店」に行ってきました。

アンティーク珈琲と手作りプリンセット929円を注文しました。

プリンは地養卵を使っていて、コクと弾力があって美味しいです。
コーヒーは席でポットから注いでもらいます。
コーヒーはアンティークと言う通り、昔ながらの酸味系の味です。
ちょっとクラシックな気分を味わいました。
以前、「喫茶トリコロール 松坂屋上野店」に行った時の記事です。
chariot
松坂屋上野店本館4階にある「喫茶トリコロール 松坂屋上野店」に行ってきました。

アンティーク珈琲と手作りプリンセット929円を注文しました。

プリンは地養卵を使っていて、コクと弾力があって美味しいです。
コーヒーは席でポットから注いでもらいます。
コーヒーはアンティークと言う通り、昔ながらの酸味系の味です。
ちょっとクラシックな気分を味わいました。
以前、「喫茶トリコロール 松坂屋上野店」に行った時の記事です。
竹橋
竹橋の東京国立近代美術館では 、「高松次郎ミステリーズ」展が開かれています。
会期は2015年3月1日(日)までです。

高松次郎(1936-1998)は東京都出身で、東京藝術大学絵画科油画専攻に入学しています。
卒業後は読売アンデパンダン展に出品するなど、前衛芸術の作品を制作しています。
展覧会では、約50点のオブジェや絵画、約150点のドローイングによって高松次郎の世界を
紹介しています。
高松次郎の作品の特徴は、1次元、2次元、3次元といった空間の在り方そのものを意識し、
それが何であるか問いかけていることです。
回転する立体に光を当て、平面に影を映したり、自分に4方向から光を当て、床に4方向の
影を映すコーナーもあります。
このコーナーは撮影可能です。

「点」 1961年 広島市現代美術館

位置しか示さない「点」というものを、針金を固めて表しています。
「遠近法の椅子とテーブル」 1966-67年 東京国立近代美術館

立体を線遠近法で平面に移し、その図を元に立体を作ると、元の立体とは違った形に
なってしまうことを表した作品です。
テーブルも椅子も消失点に向かって縮んでいます。
「複合体(椅子とレンガ)」 1972年 The Estate of Jiro Takamatsu

傾いているため、人を座らせることの出来ない椅子、1個だけ置かれているため、
壁にも床にも成れないレンガの組合わせということです。
「No.273(影)」 1969年 東京国立近代美術館

2つの光源によって子どもの影が映っているように見えますが、ラッカーを塗って
描いたものです。
影という平面を見ると、自然と元の立体を想像してしまいます。
「No.1202」 1987年 国立国際美術館

高松は1970年代後半からは絵画に取組みます。
横291㎝の大きな作品で、初期の紐や針金を使った作品を思い出すような画面です。
高松次郎が一貫して空間というものを意識し、追及する作品を制作していることが
分かる展覧会でした。
展覧会のHPです。
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竹橋の東京国立近代美術館では 、「高松次郎ミステリーズ」展が開かれています。
会期は2015年3月1日(日)までです。

高松次郎(1936-1998)は東京都出身で、東京藝術大学絵画科油画専攻に入学しています。
卒業後は読売アンデパンダン展に出品するなど、前衛芸術の作品を制作しています。
展覧会では、約50点のオブジェや絵画、約150点のドローイングによって高松次郎の世界を
紹介しています。
高松次郎の作品の特徴は、1次元、2次元、3次元といった空間の在り方そのものを意識し、
それが何であるか問いかけていることです。
回転する立体に光を当て、平面に影を映したり、自分に4方向から光を当て、床に4方向の
影を映すコーナーもあります。
このコーナーは撮影可能です。

「点」 1961年 広島市現代美術館

位置しか示さない「点」というものを、針金を固めて表しています。
「遠近法の椅子とテーブル」 1966-67年 東京国立近代美術館

立体を線遠近法で平面に移し、その図を元に立体を作ると、元の立体とは違った形に
なってしまうことを表した作品です。
テーブルも椅子も消失点に向かって縮んでいます。
「複合体(椅子とレンガ)」 1972年 The Estate of Jiro Takamatsu

傾いているため、人を座らせることの出来ない椅子、1個だけ置かれているため、
壁にも床にも成れないレンガの組合わせということです。
「No.273(影)」 1969年 東京国立近代美術館

2つの光源によって子どもの影が映っているように見えますが、ラッカーを塗って
描いたものです。
影という平面を見ると、自然と元の立体を想像してしまいます。
「No.1202」 1987年 国立国際美術館

高松は1970年代後半からは絵画に取組みます。
横291㎝の大きな作品で、初期の紐や針金を使った作品を思い出すような画面です。
高松次郎が一貫して空間というものを意識し、追及する作品を制作していることが
分かる展覧会でした。
展覧会のHPです。
内幸町・霞ヶ関
「日比谷公会堂アーカイブ・カフェ」は日比谷公会堂の1階にあります。
場所は千代田区日比谷公園1‐3です。
日比谷公会堂は1929年の竣工で、現在もさまざまなイベントなどに利用されています。

お店は2009年のオープンで、一時閉店した後、再開しています。



建物の一部をそのまま使っていて、天井は高く全席禁煙、資料室の一角を
カフェにしたようなお店です。


以前行われた演奏会の資料なども置かれています。
定休日は月曜日です。
社会党委員長の浅沼稲次郎は1960年に日比谷公会堂での立会演説会で
演説中に刺殺されています。

「思い出ノート」が置かれていて、いろいろな人の書込みがあります。

日比谷公園の散歩のついでに立寄った人、昔を懐かしむ人など、さまざまです。
コーヒー520円と固パン130円にしました。

ドリップで淹れるコーヒーは軽い苦みで美味しいです。
カップはノリタケです。
手回し蓄音機もあって、若いマスターが昔のジャズのレコードなどをかけてくれました。

かすれた音の混じるジャズを聴いていると、自分も昔に戻ったような気分になります。
2016年から本格的改修工事が始まるので、残念ながらこちらもその時に閉店するとのことです。
それまでに一度訪ねられてはいかがでしょうか。
お店のHPです。
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「日比谷公会堂アーカイブ・カフェ」は日比谷公会堂の1階にあります。
場所は千代田区日比谷公園1‐3です。
日比谷公会堂は1929年の竣工で、現在もさまざまなイベントなどに利用されています。

お店は2009年のオープンで、一時閉店した後、再開しています。



建物の一部をそのまま使っていて、天井は高く全席禁煙、資料室の一角を
カフェにしたようなお店です。


以前行われた演奏会の資料なども置かれています。
定休日は月曜日です。
社会党委員長の浅沼稲次郎は1960年に日比谷公会堂での立会演説会で
演説中に刺殺されています。

「思い出ノート」が置かれていて、いろいろな人の書込みがあります。

日比谷公園の散歩のついでに立寄った人、昔を懐かしむ人など、さまざまです。
コーヒー520円と固パン130円にしました。

ドリップで淹れるコーヒーは軽い苦みで美味しいです。
カップはノリタケです。
手回し蓄音機もあって、若いマスターが昔のジャズのレコードなどをかけてくれました。

かすれた音の混じるジャズを聴いていると、自分も昔に戻ったような気分になります。
2016年から本格的改修工事が始まるので、残念ながらこちらもその時に閉店するとのことです。
それまでに一度訪ねられてはいかがでしょうか。
お店のHPです。
乃木坂
六本木の国立新美術館では、「ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみる
ヨーロッパ絵画の真髄」が開かれています。
会期は6月1日(月)まで、火曜日は休館日です。

ルーヴル美術館の所蔵品の中でも、日常生活を題材にした、「風俗画」を中心に
約80点が展示されています。
クエンティン・マセイス 「両替商とその妻」 1514年

クエンティン・マセイス(1465/66-1530)はアントワープで活躍した画家で、
宗教画や風俗画を多く描いています。
両替商の男が金貨の重さを量っているのを聖書のような本を読んでいた妻が見ています。
信仰と欲望の寓意か、正しい計量を促しているのかだろうとのことですが、
夫婦の真面目そうな雰囲気からすると、正しい計量の勧めを描いているのでは
ないでしょうか。
商業都市アントワープらしい題材ではあります。
テーブルには指輪の嵌まった筒や真珠、背後の棚には本や書類、フラスコ、オレンジなどと
一緒に銅鏡も置かれています。
扉の向うで男が二人、何かしゃべっているのが見えます。
テーブルの小さな鏡には、窓の外の景色と赤い帽子を被った男が映っています。
この男たちは何を表しているのでしょうか。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「鏡の前の女」 1515年頃

ティツィアーノが25歳頃の時の作品です。
輝く白い肌と金髪の女性が男性の差し出す合わせ鏡に自分の姿を映しています。
鏡に女性の背中が映っていて、これは彫刻がその立体性を誇るのに対し、
絵画でも同じことを表現できることを示したのだろうということです。
アンニーバレ・カラッチ 「狩り」 1585-88年頃

アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)はボローニャで活動した画家で、バロックを代表し、
マニエリスムの技巧や奇抜さを離れ、古典様式を復活させた画家とされています。
若い頃の作品で、貴族や狩人、猟犬、勢子などを一つの画面に入れ込んで賑やかです。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 「聖家族」、または「指物師の家族」 1640年

小品で、聖母子とヨセフ、マリアの母アンナの形を取って、当時のオランダの庶民生活の
情景を描いています。
窓からの光が室内を照らし、幼子イエスを輝かせています。
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 「物乞いの少年(蚤をとる少年)」 1647-48年頃

ムリーリョの初期の作品で、後期の霞がかかったような描き方ではありません。
ムリーリョの活動したセビリアは当時繁栄を誇っていましたが、取り残された人たちも
多かったようです。
カラヴァッジョ風の強い光でボロを着た少年を浮かび上がらせています。
汚れた足の裏の描写もカラヴァッジョの「ロレートの聖女」を思わせています。
貧窮者を描いていますが、どこか品の良い静けさを感じます。
ヨハネス・フェルメール 「天文学者」 1668年

評判の作品で、会場でも一番人が集まっていました。
着物に似せた服を着た学者が天球儀に手をやって、何か調べています。
壁の絵はモーセを描いてあり、モーセは知識と科学の象徴とされているそうです。
何といっても、窓から差し込み室内を柔らかく照らす光に魅せられます。
色調も統一され、机に掛けられた織物の描写が見事です。
天球儀は1600年の発表、本は1621年の刊行で、この作品の時代より古い物であるため、
同時代の情景というより、学者の理想像として描いたのだろうということです。
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー 「二人の従姉妹」 1716年頃

小品で、池や彫像のある庭園で男女が何か語らっています。
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)はロココ時代の画家で、
庭園での優雅な宴などの様子を描く雅宴画(フェート・ギャラント)という
ジャンルを始めています。
ロココを代表する画家の一人ですが、36歳で亡くなっています。
ジャン・シメオン・シャルダン 「猿の画家」 1739-40年頃

ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)もロココ時代の画家ですが、誠実な画風で
静物画や慎ましい庶民の生活を描いています。
猿を擬人化して描くのは17世紀のフランドルの流行で、18-19世紀のフランスでも
続いていたそうです。
大真面目に支え棒まで使ってキャンバスに向かっているところなど、何となくシャルダンの
自画像のようにも見えてきます。
レオナール・フジタがパリの職業人を子どもの姿で描いた、「小さな職人たち」のシリーズも
このような絵から発想したのでしょうか。
シャルダンの作品は「買い物帰りの召使い」(1739年)も展示されています。
フランソワ・ブーシェ 「オダリスク」 1745年(?)

イスラムの後宮の女奴隷を題材にした、オリエンタリズム(東方趣味)による作品です。
モデルは13歳年下の妻ということで、真っ白い肌をこれ見よがしにさらけ出して
笑みを浮かべています。
広げられた青い布地がとても明るく鮮やかで、モデルの姿を引き立て、
刺激的な絵柄でありながら優雅な雰囲気です。
フランソワ・ブーシェ(1703-1770)はロココを代表する画家で、ルイ15世や
愛妾ポンパドゥール夫人に寵愛されています。
ジャン=オノレ・フラゴナール 「嵐」、または「ぬかるみにはまった荷車」 1759年頃

重い荷を載せ、行き悩む荷車、後ろから押す人、喘ぐ牛、駆け下る羊の群れなどが
描かれています。
幌は強い風に煽られ、空には雲が湧き出していて、逆光によってさらに
劇的な情景になっています。
ジャン=オノレ・フラゴナール(1732-1806)はロココの最期を飾る画家で、
ブーシェやシャルダンに師事したことがあります。
「ぶらんこ」が特に有名ですが、フランス革命でロココ様式が廃れると、
不遇のうちに亡くなったそうです。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「コローのアトリエ」 1873年頃
この作品と同じ図柄の絵が丸の内の三菱一号館美術館で開かれている、
「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展~アメリカ合衆国が誇る印象派コレクション」に
展示されています。
「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」の記事です。
ユベール・ロベール 「ルーヴル宮グランド・ギャラリーの改修計画、1798年頃」 1798年頃

ユベール・ロベール(1733-1808)は、荒廃した古代神殿やモニュメントのある風景を描いて、
「廃墟のロベール」と呼ばれていました。
ルイ16世の絵画コレクションの管理者を務め、「国王の庭園デザイナー」の称号も得ています。
フランス革命の時は一時投獄もされていますが、革命政権によるルーヴル宮殿の美術館への
改造計画にも参加しています
ルーヴル宮殿は革命の翌年の1793年に美術館として開館し、改修工事のため一旦閉館した後、
1801年に再び開館しています。
作品ではロベールの思った理想の形が描かれていて、天井をガラス張りにしたギャラリーは
来館者で賑わい、座り込んでスケッチをしている人もいます。
2012年に上野の国立西洋美術館で開かれた、「ユベール・ロベール-時間の庭-」展の記事です。
とても人気のある展覧会で、私は初日の2月21日(土)の開館とほぼ同時に入りましたが、
すでに大勢の来館者で賑わっていました。
展覧会のHPです。
展覧会を記念して、近くの東京ミッドタウンには、「サモトラケのニケ」のレプリカが
展示してあります。

chariot
六本木の国立新美術館では、「ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみる
ヨーロッパ絵画の真髄」が開かれています。
会期は6月1日(月)まで、火曜日は休館日です。

ルーヴル美術館の所蔵品の中でも、日常生活を題材にした、「風俗画」を中心に
約80点が展示されています。
クエンティン・マセイス 「両替商とその妻」 1514年

クエンティン・マセイス(1465/66-1530)はアントワープで活躍した画家で、
宗教画や風俗画を多く描いています。
両替商の男が金貨の重さを量っているのを聖書のような本を読んでいた妻が見ています。
信仰と欲望の寓意か、正しい計量を促しているのかだろうとのことですが、
夫婦の真面目そうな雰囲気からすると、正しい計量の勧めを描いているのでは
ないでしょうか。
商業都市アントワープらしい題材ではあります。
テーブルには指輪の嵌まった筒や真珠、背後の棚には本や書類、フラスコ、オレンジなどと
一緒に銅鏡も置かれています。
扉の向うで男が二人、何かしゃべっているのが見えます。
テーブルの小さな鏡には、窓の外の景色と赤い帽子を被った男が映っています。
この男たちは何を表しているのでしょうか。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「鏡の前の女」 1515年頃

ティツィアーノが25歳頃の時の作品です。
輝く白い肌と金髪の女性が男性の差し出す合わせ鏡に自分の姿を映しています。
鏡に女性の背中が映っていて、これは彫刻がその立体性を誇るのに対し、
絵画でも同じことを表現できることを示したのだろうということです。
アンニーバレ・カラッチ 「狩り」 1585-88年頃

アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)はボローニャで活動した画家で、バロックを代表し、
マニエリスムの技巧や奇抜さを離れ、古典様式を復活させた画家とされています。
若い頃の作品で、貴族や狩人、猟犬、勢子などを一つの画面に入れ込んで賑やかです。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 「聖家族」、または「指物師の家族」 1640年

小品で、聖母子とヨセフ、マリアの母アンナの形を取って、当時のオランダの庶民生活の
情景を描いています。
窓からの光が室内を照らし、幼子イエスを輝かせています。
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 「物乞いの少年(蚤をとる少年)」 1647-48年頃

ムリーリョの初期の作品で、後期の霞がかかったような描き方ではありません。
ムリーリョの活動したセビリアは当時繁栄を誇っていましたが、取り残された人たちも
多かったようです。
カラヴァッジョ風の強い光でボロを着た少年を浮かび上がらせています。
汚れた足の裏の描写もカラヴァッジョの「ロレートの聖女」を思わせています。
貧窮者を描いていますが、どこか品の良い静けさを感じます。
ヨハネス・フェルメール 「天文学者」 1668年

評判の作品で、会場でも一番人が集まっていました。
着物に似せた服を着た学者が天球儀に手をやって、何か調べています。
壁の絵はモーセを描いてあり、モーセは知識と科学の象徴とされているそうです。
何といっても、窓から差し込み室内を柔らかく照らす光に魅せられます。
色調も統一され、机に掛けられた織物の描写が見事です。
天球儀は1600年の発表、本は1621年の刊行で、この作品の時代より古い物であるため、
同時代の情景というより、学者の理想像として描いたのだろうということです。
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー 「二人の従姉妹」 1716年頃

小品で、池や彫像のある庭園で男女が何か語らっています。
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)はロココ時代の画家で、
庭園での優雅な宴などの様子を描く雅宴画(フェート・ギャラント)という
ジャンルを始めています。
ロココを代表する画家の一人ですが、36歳で亡くなっています。
ジャン・シメオン・シャルダン 「猿の画家」 1739-40年頃

ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)もロココ時代の画家ですが、誠実な画風で
静物画や慎ましい庶民の生活を描いています。
猿を擬人化して描くのは17世紀のフランドルの流行で、18-19世紀のフランスでも
続いていたそうです。
大真面目に支え棒まで使ってキャンバスに向かっているところなど、何となくシャルダンの
自画像のようにも見えてきます。
レオナール・フジタがパリの職業人を子どもの姿で描いた、「小さな職人たち」のシリーズも
このような絵から発想したのでしょうか。
シャルダンの作品は「買い物帰りの召使い」(1739年)も展示されています。
フランソワ・ブーシェ 「オダリスク」 1745年(?)

イスラムの後宮の女奴隷を題材にした、オリエンタリズム(東方趣味)による作品です。
モデルは13歳年下の妻ということで、真っ白い肌をこれ見よがしにさらけ出して
笑みを浮かべています。
広げられた青い布地がとても明るく鮮やかで、モデルの姿を引き立て、
刺激的な絵柄でありながら優雅な雰囲気です。
フランソワ・ブーシェ(1703-1770)はロココを代表する画家で、ルイ15世や
愛妾ポンパドゥール夫人に寵愛されています。
ジャン=オノレ・フラゴナール 「嵐」、または「ぬかるみにはまった荷車」 1759年頃

重い荷を載せ、行き悩む荷車、後ろから押す人、喘ぐ牛、駆け下る羊の群れなどが
描かれています。
幌は強い風に煽られ、空には雲が湧き出していて、逆光によってさらに
劇的な情景になっています。
ジャン=オノレ・フラゴナール(1732-1806)はロココの最期を飾る画家で、
ブーシェやシャルダンに師事したことがあります。
「ぶらんこ」が特に有名ですが、フランス革命でロココ様式が廃れると、
不遇のうちに亡くなったそうです。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「コローのアトリエ」 1873年頃
この作品と同じ図柄の絵が丸の内の三菱一号館美術館で開かれている、
「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展~アメリカ合衆国が誇る印象派コレクション」に
展示されています。
「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」の記事です。
ユベール・ロベール 「ルーヴル宮グランド・ギャラリーの改修計画、1798年頃」 1798年頃

ユベール・ロベール(1733-1808)は、荒廃した古代神殿やモニュメントのある風景を描いて、
「廃墟のロベール」と呼ばれていました。
ルイ16世の絵画コレクションの管理者を務め、「国王の庭園デザイナー」の称号も得ています。
フランス革命の時は一時投獄もされていますが、革命政権によるルーヴル宮殿の美術館への
改造計画にも参加しています
ルーヴル宮殿は革命の翌年の1793年に美術館として開館し、改修工事のため一旦閉館した後、
1801年に再び開館しています。
作品ではロベールの思った理想の形が描かれていて、天井をガラス張りにしたギャラリーは
来館者で賑わい、座り込んでスケッチをしている人もいます。
2012年に上野の国立西洋美術館で開かれた、「ユベール・ロベール-時間の庭-」展の記事です。
とても人気のある展覧会で、私は初日の2月21日(土)の開館とほぼ同時に入りましたが、
すでに大勢の来館者で賑わっていました。
展覧会のHPです。
展覧会を記念して、近くの東京ミッドタウンには、「サモトラケのニケ」のレプリカが
展示してあります。

虎ノ門
「ザ サード カフェ バイ スタンダードコーヒー(THE 3RD CAFE by Standard Coffee)」は
虎ノ門ヒルズ森タワーの3階にあります。
場所は港区虎ノ門1-23-3 です。



ファミリーマートに併設していて、セルフ式の全席禁煙、50席ほどで、
窓際のカウンター席、ゆったりしたソファー席もあります。
天井は高く、木材を多く使い、スタイリッシュで開放的な雰囲気です。
コーヒーはドリップとエスプレッソがあり、ドリップコーヒー360円はブラジル、
グアテマラ、コスタリカ、タンザニアから選ぶので、タンザニアにしました。

都度淹れるコーヒーはマグカップにたっぷりあって、すっきりして軽い酸味があり、
美味しいです。
オフィスビルのお店らしく朝7時から開いていて、モーニングセットもあり、
使い勝手の良さそうなお店です。
こちらの姉妹店、「スタンダードコーヒー 山王店」は山王パークタワーの地下1階にあります。
場所は千代田区永田町2-11-1です。
「スタンダードコーヒー 山王店」の記事です。
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「ザ サード カフェ バイ スタンダードコーヒー(THE 3RD CAFE by Standard Coffee)」は
虎ノ門ヒルズ森タワーの3階にあります。
場所は港区虎ノ門1-23-3 です。



ファミリーマートに併設していて、セルフ式の全席禁煙、50席ほどで、
窓際のカウンター席、ゆったりしたソファー席もあります。
天井は高く、木材を多く使い、スタイリッシュで開放的な雰囲気です。
コーヒーはドリップとエスプレッソがあり、ドリップコーヒー360円はブラジル、
グアテマラ、コスタリカ、タンザニアから選ぶので、タンザニアにしました。

都度淹れるコーヒーはマグカップにたっぷりあって、すっきりして軽い酸味があり、
美味しいです。
オフィスビルのお店らしく朝7時から開いていて、モーニングセットもあり、
使い勝手の良さそうなお店です。
こちらの姉妹店、「スタンダードコーヒー 山王店」は山王パークタワーの地下1階にあります。
場所は千代田区永田町2-11-1です。
「スタンダードコーヒー 山王店」の記事です。
渋谷
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは『キャプテン・クック探検航海と「バンクス花譜集」』展が
開かれています。
会期は3月1日(日)まで、会期中は無休です。

ジェームズ・クック(1728-1779)はタヒチ島での金星の太陽面通過を観測するため、
1768年8月26日にイギリスのプリマス港から約90人の乗組員と共にエンデヴァー号に
乗って大西洋経由で南太平洋に向かっています。
観測に成功し、喜望峰回りで1771年7月12日に帰国を果たしています。
「バンクス花譜集」はこの探検に同行した科学班のリーダーのジョゼフ・バンクス
(1743-1820)が、植物学者のダニエル・ソランダー(1733-1782)と共にタヒチや
ニュージーランド・オーストラリア東海岸・ジャワなどで採集した植物標本を743点の
彩色銅版画にしたものです。
植物画を描いたのはシドニー・パーキンソン(1745頃-1771)ですが、自身は航海中に
亡くなっています。
バンクスは帰国後、私財を投じて花譜集の作成に取り掛かりましたが、協力者の
ソランダーの死亡や財源不足のため、事業は中断してしまいます。
再開されたのは1980年代で、完成に10年掛かり、限定100部が出版されています。
展覧会ではそのうち120点が展示され、タヒチなど太平洋地域の民族資料も併せて
展示されています。
バンクシア・セラータ

オーストラリアの固有種で、バンクスにちなんだ学名が付けられています。
ジェームス・クックの探検隊はオーストラリア東海岸に到達した最初の
ヨーロッパ人となっています。
デプランケア・テトラピュラ

オーストラリアで採集されています。
クレロデンドルム・パニクラートゥム

ジャワで採集された植物です。
船はオランダ東インド会社の拠点のあったジャワのバタヴィア(現在のジャカルタ)に
寄港しますが、バタヴィアの衛生状態が悪く、マラリアなどの疫病で滞在中やその後の
航海中に30人以上が亡くなっています。
画家のシドニー・パーキンソンもその中の一人です。
クックの探検隊はイギリスをはじめとするヨーロッパが世界各地に進出して、文物を収集、
調査した動きの一環です。
それはヨーロッパによる植民地獲得につながる活動でもあり、タヒチはフランス、
オーストラリアはイギリス、インドネシアはオランダの植民地になっています。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展です。
会期は3月21日(土・祝)から6月28日(日)までです。

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渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは『キャプテン・クック探検航海と「バンクス花譜集」』展が
開かれています。
会期は3月1日(日)まで、会期中は無休です。

ジェームズ・クック(1728-1779)はタヒチ島での金星の太陽面通過を観測するため、
1768年8月26日にイギリスのプリマス港から約90人の乗組員と共にエンデヴァー号に
乗って大西洋経由で南太平洋に向かっています。
観測に成功し、喜望峰回りで1771年7月12日に帰国を果たしています。
「バンクス花譜集」はこの探検に同行した科学班のリーダーのジョゼフ・バンクス
(1743-1820)が、植物学者のダニエル・ソランダー(1733-1782)と共にタヒチや
ニュージーランド・オーストラリア東海岸・ジャワなどで採集した植物標本を743点の
彩色銅版画にしたものです。
植物画を描いたのはシドニー・パーキンソン(1745頃-1771)ですが、自身は航海中に
亡くなっています。
バンクスは帰国後、私財を投じて花譜集の作成に取り掛かりましたが、協力者の
ソランダーの死亡や財源不足のため、事業は中断してしまいます。
再開されたのは1980年代で、完成に10年掛かり、限定100部が出版されています。
展覧会ではそのうち120点が展示され、タヒチなど太平洋地域の民族資料も併せて
展示されています。
バンクシア・セラータ

オーストラリアの固有種で、バンクスにちなんだ学名が付けられています。
ジェームス・クックの探検隊はオーストラリア東海岸に到達した最初の
ヨーロッパ人となっています。
デプランケア・テトラピュラ

オーストラリアで採集されています。
クレロデンドルム・パニクラートゥム

ジャワで採集された植物です。
船はオランダ東インド会社の拠点のあったジャワのバタヴィア(現在のジャカルタ)に
寄港しますが、バタヴィアの衛生状態が悪く、マラリアなどの疫病で滞在中やその後の
航海中に30人以上が亡くなっています。
画家のシドニー・パーキンソンもその中の一人です。
クックの探検隊はイギリスをはじめとするヨーロッパが世界各地に進出して、文物を収集、
調査した動きの一環です。
それはヨーロッパによる植民地獲得につながる活動でもあり、タヒチはフランス、
オーストラリアはイギリス、インドネシアはオランダの植民地になっています。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展です。
会期は3月21日(土・祝)から6月28日(日)までです。

三越前
日本橋の三井記念美術館では、「デミタス コスモス―宝石のきらめき
★カップ&ソーサー」展が開かれています。
会期は4月5日(日)までです。

デミタスは食後に濃いコーヒーを飲むための小さな器です。
鈴木康裕・登美子夫妻が40年にわたって収集してきたデミタスのうち、
約300点が展示されています。
「上絵金彩薔薇図カップ&ソーサー」 セーヴル 1767年

ルイ15世の時代の作品で、セーヴルはポンパドゥール夫人によって、
ヴァンセンヌから移された窯です。
リトロンとは筒型をした計量カップを言います。
薔薇の香りもただよいそうな絵柄です。
「上絵金彩ジュール透彫カップ&ソーサー」 ロイヤルウースター 1880年代

ウースター窯はイギリスの現存最古の窯で、1751年に創業し1789年に
「ロイヤル」の称号を得て、1958年にロイヤル・ウースターと改称しています。
カップもソーサーも細かく規則正しく透かし彫りがされていて、高度な技術と
大変な手間を要したことが分かります。
一緒にセットの透彫ポットも展示されています。
実用ではなく、観賞用のセットでしょう。
「上絵金彩貼花鳥蓋付カップ&ソーサー」 マイセン 1880-1900年

ザクセン選帝候フリードリッヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)の命で、
1710年にヨーロッパ最初の硬質磁器窯として設立されています。
スノーボールはセイヨウカンボク、テマリカンボクと呼ばれ、白い小さな花を
たくさん咲かせます。
とても豪華ですが、カップの縁の口当りを考えていないので、観賞用でしょう。
「上絵金彩女性図カップ&ソーサー」 カールリヒャルトクレム工房 1900年頃

カールリヒャルトクレム工房はドレスデンにあった絵付の工房です。
当時評判の美人の肖像を描いています。
小さな器面に写実的な絵を描くのですから、かなりの技量が必要です。
「上絵金彩ジュール果実図カップ&ソーサー」 コールポート 1891-1910年

コールポートはイギリスの工房で、現在はブランド名だけが残っています。
ジュールは釉薬の上にエナメルを粒状に塗ったものです。
ジュールが規則的に並んでいて、底の方に行くほど粒が小さくなっています。
カップの内側も金色に塗られ、緑色との対比が華やかです。
「上絵金彩花のガーランド図カップ&ソーサー」 ロイヤルクラウンダービー 1909年

クラウンダービーはイギリスの磁器メーカーで、ジョージ3世によって
王冠の刻印を許されています。
カップの内側にも花綱(ガーランド)模様が入っています。
「上絵金彩花図カップ&ソーサー」 KPMベルリン 1901-30年

KPMベルリン(ベルリン王立磁器製陶所)は1763年にプロイセンの
フリードリヒ大王によって設立された製陶所です。
ソーサーの外側にも花綱がめぐっていて、ジュールで描かれた
赤い花が可憐です。
「上絵金彩パツィオパットギリシャ人物図カップ&ソーサー」 ミントン 1910-20年

ミントン社は1793年に創業し、ボーンチャイナを開発しています。
パツィオパットは、青や緑の地の上に白いスリップ(泥漿)を塗り重ねて
カメオのようなレリーフを作る技法です。
普仏戦争で被害を受けたセーヴルの職人がミントンに伝えています。
白、青、金でシックにまとめた作品です。
「花文カップ&ソーサー」 エミール・ガレ 1890年頃

アール・ヌーヴォーのグラスでジャポニズムが入っています。
ガラス製のデミタスではドーム兄弟の作品やヴェネツィアン・グラスなどもあります。
「釉下彩蝶に花図カップ&ソーサー」 ロイヤル・コペンハーゲン 1902-22年

ロイヤル・コペンハーゲンはデンマークの陶磁器メーカーで、1775年に王室御用達窯として
設立され、1868年に民営化されています。
マーガレット・サービスと呼ばれるシリーズで、マーガレットを彫り出してあります。
とても薄手で、いろいろな花柄をあしらい、1900年のパリ万博でグランプリを獲ています。
絵付の上に透明の釉薬を掛ける技法で、宮川香山の横浜真葛焼に似た趣きがあります。
横浜真葛焼はヨーロッパに盛んに輸出されていました。
日本製では、九谷焼、有田焼、象彦の蒔絵、ノリタケの前身会社の製品もあります。
様々な技法を凝らした数々の優美、繊細な作品が並んでいて、デミタスという小さな世界を
たっぷり楽しめる展覧会です。
次回の展覧会は特別展、「三井の文化と歴史」です。
会期は4月11日(土)から6月10日(水)までです。
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日本橋の三井記念美術館では、「デミタス コスモス―宝石のきらめき
★カップ&ソーサー」展が開かれています。
会期は4月5日(日)までです。

デミタスは食後に濃いコーヒーを飲むための小さな器です。
鈴木康裕・登美子夫妻が40年にわたって収集してきたデミタスのうち、
約300点が展示されています。
「上絵金彩薔薇図カップ&ソーサー」 セーヴル 1767年

ルイ15世の時代の作品で、セーヴルはポンパドゥール夫人によって、
ヴァンセンヌから移された窯です。
リトロンとは筒型をした計量カップを言います。
薔薇の香りもただよいそうな絵柄です。
「上絵金彩ジュール透彫カップ&ソーサー」 ロイヤルウースター 1880年代

ウースター窯はイギリスの現存最古の窯で、1751年に創業し1789年に
「ロイヤル」の称号を得て、1958年にロイヤル・ウースターと改称しています。
カップもソーサーも細かく規則正しく透かし彫りがされていて、高度な技術と
大変な手間を要したことが分かります。
一緒にセットの透彫ポットも展示されています。
実用ではなく、観賞用のセットでしょう。
「上絵金彩貼花鳥蓋付カップ&ソーサー」 マイセン 1880-1900年

ザクセン選帝候フリードリッヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)の命で、
1710年にヨーロッパ最初の硬質磁器窯として設立されています。
スノーボールはセイヨウカンボク、テマリカンボクと呼ばれ、白い小さな花を
たくさん咲かせます。
とても豪華ですが、カップの縁の口当りを考えていないので、観賞用でしょう。
「上絵金彩女性図カップ&ソーサー」 カールリヒャルトクレム工房 1900年頃

カールリヒャルトクレム工房はドレスデンにあった絵付の工房です。
当時評判の美人の肖像を描いています。
小さな器面に写実的な絵を描くのですから、かなりの技量が必要です。
「上絵金彩ジュール果実図カップ&ソーサー」 コールポート 1891-1910年

コールポートはイギリスの工房で、現在はブランド名だけが残っています。
ジュールは釉薬の上にエナメルを粒状に塗ったものです。
ジュールが規則的に並んでいて、底の方に行くほど粒が小さくなっています。
カップの内側も金色に塗られ、緑色との対比が華やかです。
「上絵金彩花のガーランド図カップ&ソーサー」 ロイヤルクラウンダービー 1909年

クラウンダービーはイギリスの磁器メーカーで、ジョージ3世によって
王冠の刻印を許されています。
カップの内側にも花綱(ガーランド)模様が入っています。
「上絵金彩花図カップ&ソーサー」 KPMベルリン 1901-30年

KPMベルリン(ベルリン王立磁器製陶所)は1763年にプロイセンの
フリードリヒ大王によって設立された製陶所です。
ソーサーの外側にも花綱がめぐっていて、ジュールで描かれた
赤い花が可憐です。
「上絵金彩パツィオパットギリシャ人物図カップ&ソーサー」 ミントン 1910-20年

ミントン社は1793年に創業し、ボーンチャイナを開発しています。
パツィオパットは、青や緑の地の上に白いスリップ(泥漿)を塗り重ねて
カメオのようなレリーフを作る技法です。
普仏戦争で被害を受けたセーヴルの職人がミントンに伝えています。
白、青、金でシックにまとめた作品です。
「花文カップ&ソーサー」 エミール・ガレ 1890年頃

アール・ヌーヴォーのグラスでジャポニズムが入っています。
ガラス製のデミタスではドーム兄弟の作品やヴェネツィアン・グラスなどもあります。
「釉下彩蝶に花図カップ&ソーサー」 ロイヤル・コペンハーゲン 1902-22年

ロイヤル・コペンハーゲンはデンマークの陶磁器メーカーで、1775年に王室御用達窯として
設立され、1868年に民営化されています。
マーガレット・サービスと呼ばれるシリーズで、マーガレットを彫り出してあります。
とても薄手で、いろいろな花柄をあしらい、1900年のパリ万博でグランプリを獲ています。
絵付の上に透明の釉薬を掛ける技法で、宮川香山の横浜真葛焼に似た趣きがあります。
横浜真葛焼はヨーロッパに盛んに輸出されていました。
日本製では、九谷焼、有田焼、象彦の蒔絵、ノリタケの前身会社の製品もあります。
様々な技法を凝らした数々の優美、繊細な作品が並んでいて、デミタスという小さな世界を
たっぷり楽しめる展覧会です。
次回の展覧会は特別展、「三井の文化と歴史」です。
会期は4月11日(土)から6月10日(水)までです。
三越前
「ワイアードカフェ ニュース 日本橋三井タワー店」は日本橋三井タワーの2階にあります。
場所は中央区日本橋室町2-1-1です。
日本橋三井タワーの2階です。

お店は左奥にあります。

80席ほどのお店で、分煙式、天井が高く広々としています。
窓の外は隣のビルで、あまり景色は良くありません。



電光掲示板があって、平日には為替や株価が表示されるそうですが、
休日だったので花粉のニュースが流れていました。

豆乳と白胡麻のブランマンジュとコーヒーのセット799円です。

ほの甘く、胡麻の味もして、黒砂糖や蜜をかけなくても美味しいです。
この日は、同じビルのホテルでの結婚式の時間待ちのお客さんがお茶を飲んでいて、
のんびりした雰囲気でしたが、平日は近所のオフィスの人たちで賑わって、
違った雰囲気になっていることでしょう。
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「ワイアードカフェ ニュース 日本橋三井タワー店」は日本橋三井タワーの2階にあります。
場所は中央区日本橋室町2-1-1です。
日本橋三井タワーの2階です。

お店は左奥にあります。

80席ほどのお店で、分煙式、天井が高く広々としています。
窓の外は隣のビルで、あまり景色は良くありません。



電光掲示板があって、平日には為替や株価が表示されるそうですが、
休日だったので花粉のニュースが流れていました。

豆乳と白胡麻のブランマンジュとコーヒーのセット799円です。

ほの甘く、胡麻の味もして、黒砂糖や蜜をかけなくても美味しいです。
この日は、同じビルのホテルでの結婚式の時間待ちのお客さんがお茶を飲んでいて、
のんびりした雰囲気でしたが、平日は近所のオフィスの人たちで賑わって、
違った雰囲気になっていることでしょう。
湯島
「茶房松緒」は湯島天神の表鳥居を出た右側にあります。
場所は文京区湯島2-33-11です。

2014年にオープンした小さなお店で、全席禁煙、カウンター席含めて10席ほどと
座敷があります。
甘味処で、日本茶や甘味が揃っています。
BGMは古いポピュラーソングでした。
丸窓越しに湯島天神の塀が見えます。

松緒昼膳1080円です。

この日の主菜は豆腐の入ったハンバーグです。
全体に穏やかな味付けでした。
湯島天神にお参りした折に寄るのにちょうど良さそうなお店です。
お店のHPです。
湯島天神では3月8日まで梅まつりが開かれているところです。
期間中は境内でいろいろなイベントがあります。
湯島天神のHPです。



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「茶房松緒」は湯島天神の表鳥居を出た右側にあります。
場所は文京区湯島2-33-11です。

2014年にオープンした小さなお店で、全席禁煙、カウンター席含めて10席ほどと
座敷があります。
甘味処で、日本茶や甘味が揃っています。
BGMは古いポピュラーソングでした。
丸窓越しに湯島天神の塀が見えます。

松緒昼膳1080円です。

この日の主菜は豆腐の入ったハンバーグです。
全体に穏やかな味付けでした。
湯島天神にお参りした折に寄るのにちょうど良さそうなお店です。
お店のHPです。
湯島天神では3月8日まで梅まつりが開かれているところです。
期間中は境内でいろいろなイベントがあります。
湯島天神のHPです。



京橋
京橋のLIXIL:GINZA2階のLIXILギャラリーでは2月21日(土)まで、
「宮田亮平展-海へ-」が開かれています。
場所は中央区京橋 3-6-18 です。
水曜日は休館日です。

宮田亮平さん(1945~)は新潟県佐渡の出身の金属工芸家で、現在、東京藝術大学学長です。
東京駅八重洲地下街の銀の鈴(4代目)は宮田さんの作品です。

ここ20年ほどはイルカを題材にしたシュプリンゲン(Springen)シリーズを制作しています。
宮田さんは1990年に文部省在外研究員としてドイツに留学し、そこで日本の金属工芸の
伝統技法の素晴らしさを再認識しています。
その後、日本らしさとは何かを考えていたら、18歳の時、藝大を受験するため佐渡を出る
連絡船から見た、跳ぶように泳ぐイルカの群れを思い出し、作品の題材としたそうです。
会場は撮影可能です。
「翔」 2011年


子どものころ、台風が来て大波に家がさらわれるのではないかと身のすくむ思いが
したことを元にしています。
メタリックで装飾的な作品です。
「生と静」 2012年

「跳」 2013年

カリブ海のバハマ諸島の海に潜って、イルカたちと一緒に泳いだ体験から生まれた作品です。
一匹一匹が巧く支え合って、大きな動きを生み出しています。
駿河台の明治大学グローバルフロントの入り口には、「飛翔の時」が置かれています。

日本橋三越新館の玄関にあるのは、「未来へのかけ橋」です。

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京橋のLIXIL:GINZA2階のLIXILギャラリーでは2月21日(土)まで、
「宮田亮平展-海へ-」が開かれています。
場所は中央区京橋 3-6-18 です。
水曜日は休館日です。

宮田亮平さん(1945~)は新潟県佐渡の出身の金属工芸家で、現在、東京藝術大学学長です。
東京駅八重洲地下街の銀の鈴(4代目)は宮田さんの作品です。

ここ20年ほどはイルカを題材にしたシュプリンゲン(Springen)シリーズを制作しています。
宮田さんは1990年に文部省在外研究員としてドイツに留学し、そこで日本の金属工芸の
伝統技法の素晴らしさを再認識しています。
その後、日本らしさとは何かを考えていたら、18歳の時、藝大を受験するため佐渡を出る
連絡船から見た、跳ぶように泳ぐイルカの群れを思い出し、作品の題材としたそうです。
会場は撮影可能です。
「翔」 2011年


子どものころ、台風が来て大波に家がさらわれるのではないかと身のすくむ思いが
したことを元にしています。
メタリックで装飾的な作品です。
「生と静」 2012年

「跳」 2013年

カリブ海のバハマ諸島の海に潜って、イルカたちと一緒に泳いだ体験から生まれた作品です。
一匹一匹が巧く支え合って、大きな動きを生み出しています。
駿河台の明治大学グローバルフロントの入り口には、「飛翔の時」が置かれています。

日本橋三越新館の玄関にあるのは、「未来へのかけ橋」です。
