六本木一丁目
六本木のアークヒルズサウスタワーの地下1階にある、
「ビー ア グッド ネイバー コーヒーキオスク 六本木
(BE A GOOD NEIGHBOR COFFEE KIOSK ROPPONGI)」に
行ってきました。
場所は港区六本木1-4-5です。


地下通路と向かいにあるスーパーの福島屋に併設されたお店で、
2014年の1月のオープンです。
泉屋博古館分館に行った帰りに寄りました。
カプチーノS360円とパウンドケーキ269円です。
これに消費税50円が付きます。

きれいなラテアートが出来ています。
こちらのコーヒーはくっきりとして美味しく、気軽に利用できるお店です。
以前、「ビー ア グッド ネイバー コーヒーキオスク 六本木」に行ったときの記事です。
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六本木のアークヒルズサウスタワーの地下1階にある、
「ビー ア グッド ネイバー コーヒーキオスク 六本木
(BE A GOOD NEIGHBOR COFFEE KIOSK ROPPONGI)」に
行ってきました。
場所は港区六本木1-4-5です。


地下通路と向かいにあるスーパーの福島屋に併設されたお店で、
2014年の1月のオープンです。
泉屋博古館分館に行った帰りに寄りました。
カプチーノS360円とパウンドケーキ269円です。
これに消費税50円が付きます。

きれいなラテアートが出来ています。
こちらのコーヒーはくっきりとして美味しく、気軽に利用できるお店です。
以前、「ビー ア グッド ネイバー コーヒーキオスク 六本木」に行ったときの記事です。
表参道
表参道の根津美術館では尾形光琳300年忌記念特別展、「燕子花と紅白梅
光琳デザインの秘密」展が開かれています。
会期は5月17日(日)までです。
5月3日(日)までと5月4日(月)からで、一部展示替えがあります。

今年は1716年(享保元年)に亡くなった尾形光琳の300年忌に当たるということで、
光琳の作品のうち、根津美術館所蔵の「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」と
熱海のMOA美術館所蔵の「紅白梅図屏風」を並べて展示するという、とても豪華な企画です。
展示室1は屏風の展示です。
「燕子花図屏風」 尾形光琳筆 6曲1双 江戸時代 18世紀 根津美術館 国宝

左隻

右隻

時を経た金箔地の中に並び咲く燕子花を観ていると、この季節になったのだなという
感慨があります。
「紅白梅図屏風」 尾形光琳筆 2曲1双 江戸時代 18世紀 MOA美術館 国宝

大きく横に広がる流水と、上下に伸びる梅の枝が対照的で、画面に勢いがあります。
最晩年の作とは思えない、力強い生命力を感じる作品です。
「蔦の細道図屏風」 伝俵屋宗達筆・烏丸光広賛
6曲1双 江戸時代 17世紀 相国寺 重要文化財

左隻

右隻

伊勢物語の駿河の宇津ノ谷峠の場面です。
蔦の茂る細道で在原業平が知り合いの修行者に出会い、都に残した女への手紙を
言づてます。
駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢わぬなりけり
人物は描かず、金箔地を緑色の土坡で区切り、濃淡を付けた蔦の葉をあしらっています。
デザイン感覚にあふれた画面構成です。
「四季草花図屏風」 「伊年」印 6曲1双 江戸時代 17世紀 根津美術館
左隻

穏やかな色調で、右から左に草花を四季の移り変わりにしたがって並べています。
俵屋宗達の工房の作品であることを表す、「伊年」の印が押してあります。
「槇楓図屏風」 伝俵屋宗達筆 6曲1双 江戸時代 17世紀 山種美術館

5月3日までの展示です。
右側に大きく曲がった幹と直立した幹の槙を置き、槙と楓の葉が左上に力強く
伸びていく、躍動感のある画面です。
下に女郎花と桔梗も見えます。
「槇楓図屏風」 尾形光琳筆 6曲1双 江戸時代 18世紀
東京藝術大学美術館 重要文化財
5月3日までの展示です。
俵屋宗達筆とされる「槇楓図屏風」を光琳が模写したものです。
構図は同じですが、色彩は明るく、軽やかな雰囲気になっています。
「夏草図屏風」 尾形光琳筆 2曲1双 江戸時代 18世紀 根津美術館
左下から右上に向かって、30種類もの夏の草花がびっしり並んで描かれています。
展示室には、これらの屏風に囲まれた豪奢な空間が現出しています。
花を賞でる時のように、まだ来館者の少ない朝のうちに行かれるのも良いでしょう。
展示室2.5には尾形光琳の小品や下絵、弟の乾山の作品などが展示されています。
光琳の息子、寿市郎の養子先である小西家に伝えられた、光琳の描いた下絵、図案なども
展示されていて、光琳のデザインの源を窺うことができます。
「扇面貼交手筥」 尾形光琳筆 江戸時代 18世紀 大和文華館 重要文化財

5月10日までの展示です。
金箔地の木箱に扇面と団扇を貼ってあります。
内側や蓋の裏にも貼ってあって、とても華やかです。
「銹絵梅図角皿」 尾形乾山作・尾形光琳画 江戸時代 18世紀 根津美術館

光琳と乾山の合作で、紅白梅図屏風に似た梅が描かれています。
「雁金屋衣装図案帳(小西家文書)」 江戸時代 17世紀
大阪市立美術館 重要文化財

光琳の実家の呉服商、雁金屋の図案帳です。
展示室6のテーマは「燕子花図屏風の茶」です。
根津嘉一郎が昭和6年5月14日に「燕子花図屏風賞翫会」を開き、茶席を設けたときの
茶道具の展示です。
「青磁袴腰香炉」 龍泉窯 中国・南宋時代 13世紀 重要美術品

展覧会のHPです。
私の行った4月25日は、庭園のカキツバタは咲き始めたところでした。


次回の展覧会はコレクション展、「江戸のダンディズム 刀から印籠まで」です。
会期は5月30日(土)から7月20日(月・祝)です。

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表参道の根津美術館では尾形光琳300年忌記念特別展、「燕子花と紅白梅
光琳デザインの秘密」展が開かれています。
会期は5月17日(日)までです。
5月3日(日)までと5月4日(月)からで、一部展示替えがあります。

今年は1716年(享保元年)に亡くなった尾形光琳の300年忌に当たるということで、
光琳の作品のうち、根津美術館所蔵の「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」と
熱海のMOA美術館所蔵の「紅白梅図屏風」を並べて展示するという、とても豪華な企画です。
展示室1は屏風の展示です。
「燕子花図屏風」 尾形光琳筆 6曲1双 江戸時代 18世紀 根津美術館 国宝

左隻

右隻

時を経た金箔地の中に並び咲く燕子花を観ていると、この季節になったのだなという
感慨があります。
「紅白梅図屏風」 尾形光琳筆 2曲1双 江戸時代 18世紀 MOA美術館 国宝

大きく横に広がる流水と、上下に伸びる梅の枝が対照的で、画面に勢いがあります。
最晩年の作とは思えない、力強い生命力を感じる作品です。
「蔦の細道図屏風」 伝俵屋宗達筆・烏丸光広賛
6曲1双 江戸時代 17世紀 相国寺 重要文化財

左隻

右隻

伊勢物語の駿河の宇津ノ谷峠の場面です。
蔦の茂る細道で在原業平が知り合いの修行者に出会い、都に残した女への手紙を
言づてます。
駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢わぬなりけり
人物は描かず、金箔地を緑色の土坡で区切り、濃淡を付けた蔦の葉をあしらっています。
デザイン感覚にあふれた画面構成です。
「四季草花図屏風」 「伊年」印 6曲1双 江戸時代 17世紀 根津美術館
左隻

穏やかな色調で、右から左に草花を四季の移り変わりにしたがって並べています。
俵屋宗達の工房の作品であることを表す、「伊年」の印が押してあります。
「槇楓図屏風」 伝俵屋宗達筆 6曲1双 江戸時代 17世紀 山種美術館

5月3日までの展示です。
右側に大きく曲がった幹と直立した幹の槙を置き、槙と楓の葉が左上に力強く
伸びていく、躍動感のある画面です。
下に女郎花と桔梗も見えます。
「槇楓図屏風」 尾形光琳筆 6曲1双 江戸時代 18世紀
東京藝術大学美術館 重要文化財
5月3日までの展示です。
俵屋宗達筆とされる「槇楓図屏風」を光琳が模写したものです。
構図は同じですが、色彩は明るく、軽やかな雰囲気になっています。
「夏草図屏風」 尾形光琳筆 2曲1双 江戸時代 18世紀 根津美術館
左下から右上に向かって、30種類もの夏の草花がびっしり並んで描かれています。
展示室には、これらの屏風に囲まれた豪奢な空間が現出しています。
花を賞でる時のように、まだ来館者の少ない朝のうちに行かれるのも良いでしょう。
展示室2.5には尾形光琳の小品や下絵、弟の乾山の作品などが展示されています。
光琳の息子、寿市郎の養子先である小西家に伝えられた、光琳の描いた下絵、図案なども
展示されていて、光琳のデザインの源を窺うことができます。
「扇面貼交手筥」 尾形光琳筆 江戸時代 18世紀 大和文華館 重要文化財

5月10日までの展示です。
金箔地の木箱に扇面と団扇を貼ってあります。
内側や蓋の裏にも貼ってあって、とても華やかです。
「銹絵梅図角皿」 尾形乾山作・尾形光琳画 江戸時代 18世紀 根津美術館

光琳と乾山の合作で、紅白梅図屏風に似た梅が描かれています。
「雁金屋衣装図案帳(小西家文書)」 江戸時代 17世紀
大阪市立美術館 重要文化財

光琳の実家の呉服商、雁金屋の図案帳です。
展示室6のテーマは「燕子花図屏風の茶」です。
根津嘉一郎が昭和6年5月14日に「燕子花図屏風賞翫会」を開き、茶席を設けたときの
茶道具の展示です。
「青磁袴腰香炉」 龍泉窯 中国・南宋時代 13世紀 重要美術品

展覧会のHPです。
私の行った4月25日は、庭園のカキツバタは咲き始めたところでした。


次回の展覧会はコレクション展、「江戸のダンディズム 刀から印籠まで」です。
会期は5月30日(土)から7月20日(月・祝)です。

渋谷
渋谷の東急百貨店本店地下1階の「キャピタルコーヒー 東急百貨店本店」に行ってきました。

コーヒー販売店のイートインで24席ほど、すっきり明るい店内です。


松涛ブレンド516円です。

松涛ブレンドはブルーマウンテンがベースとのことで、味に深みがあり、とても美味しいです。
Bunkamuraで6月28日(日)まで開かれている、「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの
富と美」展の半券サービスで ソフトクリームが付きます。
Bunkamuraの展覧会では、東急百貨店内のいろいろなお店で使える半券サービスがあります。
「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展の記事です。
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渋谷の東急百貨店本店地下1階の「キャピタルコーヒー 東急百貨店本店」に行ってきました。

コーヒー販売店のイートインで24席ほど、すっきり明るい店内です。


松涛ブレンド516円です。

松涛ブレンドはブルーマウンテンがベースとのことで、味に深みがあり、とても美味しいです。
Bunkamuraで6月28日(日)まで開かれている、「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの
富と美」展の半券サービスで ソフトクリームが付きます。
Bunkamuraの展覧会では、東急百貨店内のいろいろなお店で使える半券サービスがあります。
「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展の記事です。
新橋・汐留
新橋のパナソニック汐留ミュージアムで開かれている、「ルオーとフォーヴの陶磁器展」の
web特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は6月21日(日)までです。
休館日は水曜日ですが、4月29日と5月6日は開館しています。

20世紀初頭、ルオー、マティス、ドランなどフォーヴィズムの画家たちが制作した陶磁器を
紹介する展覧会です。
学芸員の萩原敦子さんのお話しを伺いながら作品を鑑賞しました。
ルオーたちは画商のアンブロワーズ・ヴォラール(1866-1939)に誘われて、パリ近郊の陶芸家、
アンドレ・メテ(1871-1920)の工房を訪れ、陶器の絵付けを行なっています。
ヴォラールは印象派やポスト印象派の画家を援助し、世に送り出した画商として知られています。
アンドレ・メテは独学で陶芸を学び、従来の職人的な陶磁器に対し、個性を出して作家性を
持たせようとした陶芸家です。
19世紀には低かった工芸の地位が芸術に接近してきた時代にあたります。
メテは初期の炻器からファイアンス、後期の施釉陶器まで、さまざまな作品を生み出しています。
ファイアンスは素地に錫釉を掛けて表面を白くした陶器で、効果的な絵付けが出来ます。
ルオーとは同い年ですが、49歳で亡くなっています。
展示作品は色を違えた3つの展示室に展示されています。
写真は許可を得て撮影したものです。
第1章 陶芸家アンドレ・メテ―その作品と生涯
メテの施釉陶器の時代の作品と下絵が展示されています。
ジャン・ブリュメ 「アンドレ・メテの肖像」 1912年 個人蔵

1909‐1912年頃の彩釉陶器のカップ&ソーサー ブロ・コレクション

きらびやかな金彩を施した鑑賞用の大きなカップで、実用ではありません。
右: 「花瓶 植物と鳥」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館
左: 「花瓶 植物とメダイヨンに鳥」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館

右: 「大皿 アダムとイヴ」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館
中: 「皿 五人の裸婦」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館
左: 「皿 人物と動物」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館

皿に丸いくぼみを入れています。
メテの作品は意匠もさまざまで、変化に富んでいます。
第2章 フォーヴの陶磁器―火の絵画
メテの工房で絵付けされた作家たちの陶芸作品です。
メテは自分では思うような絵付けが出来なかったので、若手の画家たちに絵付けを依頼しており、
その中にマティス、ヴラマンク、ドランなどフォーヴィズムの画家が含まれています。
陶磁器は絵の形の単純化が要求されるので、それが画家たちの興味を惹いたようです。
日本でも、尾形乾山の陶器に兄の尾形光琳が絵付けをしたりしています。
アンリ・マティス/アンドレ・メテ 「花瓶 装飾的な花」
1907年 ファイアンス ラロック=グラノフ・コレクション

手早い筆さばきで、白地に赤と緑だけを使って花が描かれています。
この作品を使って、制作の過程を解説した動画もあります。



アンドレ・ドラン/アンドレ・メテ 「花瓶 幾何学模様」
1907年 ファイアンス パリ市立近代美術館

装飾性とフォーヴィズムの持つ勢いとが一緒になった、華やかな絵付けがされています。
ドランは1908年まで、20点ほど制作しています。
モーリス・ド・ヴラマンク/アンドレ・メテ 「花瓶 薄紅と黄の花、青と緑の葉」
1907-09年 ファイアンス パリ市立近代美術館

全面にびっしりと隙間なく描かれていて、花瓶が花に包まれているようです。
花瓶の形はマティスのと同じです。
ヴラマンクは1910までと、長く絵付けをしていて、太い描線と装飾性が特徴です。
ジャン・ピュイ/アンドレ・メテ 「皿 金魚」
1907-09年 ファイアンス パリ市立プティ・パレ美術館

白地を活かした、あっさりとして洒落た絵付けです。
ジャン・ピュイは1910年まで、50点近く制作しています。
ルイ・ヴァルタ/アンドレ・メテ 「花瓶 レダ」
1908年頃 ファイアンス パリ市立プティ・パレ美術館

ギリシャ神話に出て来るレダが手慣れた筆遣いで描かれていて、立体感を出す
ハッチングもされています。
下の方には模様も描き入れてあって、装飾性もあります。
第3章 ルオーと陶芸―色彩とマティエール
ジョルジュ・ルオー(1871-1958)は他の作家たちが早めに陶磁器から離れて行ったのに対し、
1913年まで長く続けています。
展示品の中でもルオーは数多くの作品が展示されています。
展覧会自体がパナソニック汐留ミュージアムの続けている、ルオーの展覧会として
企画されていて、準備に2年半かかったそうです。
ジョルジュ・ルオー 「花瓶 水浴の女たち」
1909年 ファイアンス パナソニック汐留ミュージアム

装飾性を見せず、塗りを重ねて深みのある器面にしています。
ルオーが陶芸を手掛けた時期は、芸人や貧しい人びとへの共感、権力への反感といった、
ルオーの追求したテーマの出揃った時期にあたります。
ルオーは芸術の順位を1位が陶芸、2位が絵画としていて、陶芸を重視しています。
陶芸はマティエールの表現にすぐれていると考えていて、ルオー独特の、厚塗りによる
マティエールは陶芸によって取得したものと思われます。
ルオーの父はピアノのニス塗り職人で、ルオーも初めはステンドグラス職人だったので、
工芸への親近感もあったのでしょう。
フォーヴィズムと装飾性には以外に親近性があるのを面白く思いました。
メテやフォーヴィズムの画家の陶磁器は日本ではほとんど所蔵されていません。
それらをまとめて観ることの出来る今度の展覧会はとても貴重な機会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、「アール・ヌーヴォーのガラス展」です。
会期は7月4日(土)から9月6日(日)までです。

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新橋のパナソニック汐留ミュージアムで開かれている、「ルオーとフォーヴの陶磁器展」の
web特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は6月21日(日)までです。
休館日は水曜日ですが、4月29日と5月6日は開館しています。

20世紀初頭、ルオー、マティス、ドランなどフォーヴィズムの画家たちが制作した陶磁器を
紹介する展覧会です。
学芸員の萩原敦子さんのお話しを伺いながら作品を鑑賞しました。
ルオーたちは画商のアンブロワーズ・ヴォラール(1866-1939)に誘われて、パリ近郊の陶芸家、
アンドレ・メテ(1871-1920)の工房を訪れ、陶器の絵付けを行なっています。
ヴォラールは印象派やポスト印象派の画家を援助し、世に送り出した画商として知られています。
アンドレ・メテは独学で陶芸を学び、従来の職人的な陶磁器に対し、個性を出して作家性を
持たせようとした陶芸家です。
19世紀には低かった工芸の地位が芸術に接近してきた時代にあたります。
メテは初期の炻器からファイアンス、後期の施釉陶器まで、さまざまな作品を生み出しています。
ファイアンスは素地に錫釉を掛けて表面を白くした陶器で、効果的な絵付けが出来ます。
ルオーとは同い年ですが、49歳で亡くなっています。
展示作品は色を違えた3つの展示室に展示されています。
写真は許可を得て撮影したものです。
第1章 陶芸家アンドレ・メテ―その作品と生涯
メテの施釉陶器の時代の作品と下絵が展示されています。
ジャン・ブリュメ 「アンドレ・メテの肖像」 1912年 個人蔵

1909‐1912年頃の彩釉陶器のカップ&ソーサー ブロ・コレクション

きらびやかな金彩を施した鑑賞用の大きなカップで、実用ではありません。
右: 「花瓶 植物と鳥」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館
左: 「花瓶 植物とメダイヨンに鳥」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館

右: 「大皿 アダムとイヴ」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館
中: 「皿 五人の裸婦」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館
左: 「皿 人物と動物」 1909-1920年 彩釉陶器 パリ市立プティ・パレ美術館

皿に丸いくぼみを入れています。
メテの作品は意匠もさまざまで、変化に富んでいます。
第2章 フォーヴの陶磁器―火の絵画
メテの工房で絵付けされた作家たちの陶芸作品です。
メテは自分では思うような絵付けが出来なかったので、若手の画家たちに絵付けを依頼しており、
その中にマティス、ヴラマンク、ドランなどフォーヴィズムの画家が含まれています。
陶磁器は絵の形の単純化が要求されるので、それが画家たちの興味を惹いたようです。
日本でも、尾形乾山の陶器に兄の尾形光琳が絵付けをしたりしています。
アンリ・マティス/アンドレ・メテ 「花瓶 装飾的な花」
1907年 ファイアンス ラロック=グラノフ・コレクション

手早い筆さばきで、白地に赤と緑だけを使って花が描かれています。
この作品を使って、制作の過程を解説した動画もあります。



アンドレ・ドラン/アンドレ・メテ 「花瓶 幾何学模様」
1907年 ファイアンス パリ市立近代美術館

装飾性とフォーヴィズムの持つ勢いとが一緒になった、華やかな絵付けがされています。
ドランは1908年まで、20点ほど制作しています。
モーリス・ド・ヴラマンク/アンドレ・メテ 「花瓶 薄紅と黄の花、青と緑の葉」
1907-09年 ファイアンス パリ市立近代美術館

全面にびっしりと隙間なく描かれていて、花瓶が花に包まれているようです。
花瓶の形はマティスのと同じです。
ヴラマンクは1910までと、長く絵付けをしていて、太い描線と装飾性が特徴です。
ジャン・ピュイ/アンドレ・メテ 「皿 金魚」
1907-09年 ファイアンス パリ市立プティ・パレ美術館

白地を活かした、あっさりとして洒落た絵付けです。
ジャン・ピュイは1910年まで、50点近く制作しています。
ルイ・ヴァルタ/アンドレ・メテ 「花瓶 レダ」
1908年頃 ファイアンス パリ市立プティ・パレ美術館

ギリシャ神話に出て来るレダが手慣れた筆遣いで描かれていて、立体感を出す
ハッチングもされています。
下の方には模様も描き入れてあって、装飾性もあります。
第3章 ルオーと陶芸―色彩とマティエール
ジョルジュ・ルオー(1871-1958)は他の作家たちが早めに陶磁器から離れて行ったのに対し、
1913年まで長く続けています。
展示品の中でもルオーは数多くの作品が展示されています。
展覧会自体がパナソニック汐留ミュージアムの続けている、ルオーの展覧会として
企画されていて、準備に2年半かかったそうです。
ジョルジュ・ルオー 「花瓶 水浴の女たち」
1909年 ファイアンス パナソニック汐留ミュージアム

装飾性を見せず、塗りを重ねて深みのある器面にしています。
ルオーが陶芸を手掛けた時期は、芸人や貧しい人びとへの共感、権力への反感といった、
ルオーの追求したテーマの出揃った時期にあたります。
ルオーは芸術の順位を1位が陶芸、2位が絵画としていて、陶芸を重視しています。
陶芸はマティエールの表現にすぐれていると考えていて、ルオー独特の、厚塗りによる
マティエールは陶芸によって取得したものと思われます。
ルオーの父はピアノのニス塗り職人で、ルオーも初めはステンドグラス職人だったので、
工芸への親近感もあったのでしょう。
フォーヴィズムと装飾性には以外に親近性があるのを面白く思いました。
メテやフォーヴィズムの画家の陶磁器は日本ではほとんど所蔵されていません。
それらをまとめて観ることの出来る今度の展覧会はとても貴重な機会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は、「アール・ヌーヴォーのガラス展」です。
会期は7月4日(土)から9月6日(日)までです。

両国
「両国テラス」は両国国技館の北側、旧安田庭園の裏にあります。
場所は墨田区横網1-12-21です。

今年の3月のオープンで、「両国テラスカフェ」と、スポーツ栄養学に基づくバランス健康食を
提供する「鹿屋(かのや)アスリート食堂」が合体したお店です。
隣には隅田川ランをする人のためのランニングステーションが設けられています。
店内は全席禁煙、ビニールカーテンで囲われたテラス席もあり、周りの緑に囲まれています。




セルフのお店ですが、休日は席まで持ってきてくれます。
アスリート食堂定食970円は3品選んだ主菜にご飯とお汁が付きます。

ごはんは白米かアス米を選ぶので、アス米にしました。
アス米は胚芽米に押麦、黒米などをブレンドしたものです。
根菜のラタトゥイユ、かぼちゃのオムレツ、豚の生姜焼きにしました。
自然な味で美味しいです。
コーヒーは両国テラスのメニューで、セット価格で160円です。

すっきりと飲みやすい味です。
レシートには選んだメニューのカロリーや各栄養素の数値と摂取目安が表示されていて、
参考になります。

私のメニューは782kcalでした。
両国の江戸東京博物館に行った時は適当なカフェが無くて不便でしたが、
こちらがオープンしたのは嬉しいことです。
新緑の季節には特に気持ち良さそうなお店です。
神田にある「鹿屋アスリート食堂 本店」の記事です。
chariot
「両国テラス」は両国国技館の北側、旧安田庭園の裏にあります。
場所は墨田区横網1-12-21です。

今年の3月のオープンで、「両国テラスカフェ」と、スポーツ栄養学に基づくバランス健康食を
提供する「鹿屋(かのや)アスリート食堂」が合体したお店です。
隣には隅田川ランをする人のためのランニングステーションが設けられています。
店内は全席禁煙、ビニールカーテンで囲われたテラス席もあり、周りの緑に囲まれています。




セルフのお店ですが、休日は席まで持ってきてくれます。
アスリート食堂定食970円は3品選んだ主菜にご飯とお汁が付きます。

ごはんは白米かアス米を選ぶので、アス米にしました。
アス米は胚芽米に押麦、黒米などをブレンドしたものです。
根菜のラタトゥイユ、かぼちゃのオムレツ、豚の生姜焼きにしました。
自然な味で美味しいです。
コーヒーは両国テラスのメニューで、セット価格で160円です。

すっきりと飲みやすい味です。
レシートには選んだメニューのカロリーや各栄養素の数値と摂取目安が表示されていて、
参考になります。

私のメニューは782kcalでした。
両国の江戸東京博物館に行った時は適当なカフェが無くて不便でしたが、
こちらがオープンしたのは嬉しいことです。
新緑の季節には特に気持ち良さそうなお店です。
神田にある「鹿屋アスリート食堂 本店」の記事です。
上野
上野の東京都美術館では、「100のモノが語る世界の歴史 大英博物館展」が
開かれています。
会期は6月28日(日)までです。
7月14日から9月6日までは九州国立博物館、9月20日から2016年1月11日までは
神戸市立博物館で開かれます。

副題は、『人類200万年の「傑作」たち』となっていて、大英博物館の所蔵する
膨大なコレクションの中から100点を選び、人類の歴史を辿る展覧会です。
プロローグ
「古代エジプトの棺」 紀元前600年頃 エジプト 木、彩色

女性楽師の棺と書かれているのに、中に入っていたミイラは男性だそうです。
「棺桶(ライオン)」 2003年 ガーナ 木、布、塗料
国立民族学博物館の所蔵のライオンの形をした棺桶も置かれています。
明るいオレンジ色をしていて、ヒゲも生えています。
現代でもこんな棺桶があるのかと驚きました。
第1章 創造の芽生え
「オルドヴァイ渓谷の礫石器」 200万-180万年前 タンザニア、オルドヴァイ渓谷 石

人類が使い始めた最初の道具です。
オルドヴァイ渓谷では多くの礫石器が発見され、オルドヴァイ文化とも呼ばれています。
第2章 都市の誕生
「ウルのスタンダード」 紀元前2500年頃 イラク 貝、ラピスラズリ、赤色石灰岩、歴青

ウルはシュメールの都市で、旧約聖書によればウルはアブラハムの出身地です。
高さ21.6㎝で、片面は平和、もう片面は戦争を表しています。
用途は不明で、軍旗(スタンダード)のように掲げていたのではないかとの説もあって、
この名が付いているそうです。
宴会のテーブルセンターになりそうです。
第3章 古代帝国の出現
「リディア王クロイソスの金貨」 紀元前550年頃 トルコ 金

リディアはトルコ西部にあった王国で、世界最初に硬貨を発行した国とされています。
とても小さな金貨で、ライオンと牛が彫られています。
リディアの金貨は池袋のオリエント博物館でも展示されていました。
「アレクサンドロス大王を表した硬貨」 紀元前305-前281年 トルコ 銀

アレクサンドロス大王のディアドコイ(後継者)の一人、リュシマコスの発行した銀貨で、
表には羊の角を付けた鉢巻を締めたアレクサンドロス大王の横顔が彫られています。
羊の角はエジプトのアメン神の象徴で、大王のエジプト征服を表しています。
リュシマコスは自らの権威付けに大王を利用している訳です。
「ロゼッタ・ストーン(レプリカ)」 紀元前196年エジプト、エル・ラシード(ロゼッタ) 石
同じ文章が古代エジプトの神聖文字、民衆文字、ギリシャ文字で書かれた有名な石です。
日本でもオリエント博物館などにレプリカが展示されています。
第4章 儀式と信仰
「ミトラス神像」 100-200年 イタリア、ローマ 大理石

ミトラス教は古代ローマで一時盛んだった宗教で、太陽神ミトラスを信仰しています。
高さ1mほどの大きな像で、マントをひるがえしたミトラスが雄牛を殺し、犬とヘビが
血を舐め、サソリが陰嚢に取り付いています。
被っているのはフリギア帽といって、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」やフランスの
シンボル、マリアンヌも被っています。
ミトラス教はローマでの同じ新興宗教のキリスト教のライバルでしたが、やがてキリスト教に
押されて衰退し、消滅しています。
第5章 広がる世界
「ホクスンの銀製胡椒入れ」 350-400年 イギリス、ホクスン 銀

古代ローマの、高さ10㎝ほどの小さな銀製の容器で、裏側の穴には出て来る胡椒の量を
調節できる蓋が付いています。
胡椒は当時、インドから輸入された貴重品でした。
他の多くの財宝と一緒にサフォーク州ホクスンの地中に埋められていたのが、1992年に
発見されています。
407年にローマ軍団がイギリスから撤退した時に埋められたのではないかと考えられています。
第6章 技術と芸術の革新
「聖エウスタキウスの聖遺物容器」 銀器、金鍍金、水晶、玉髄、アメジスト、
力ーネリアン、真珠、ガラス、黒曜石 スイス・バーゼル 1210年頃

聖エウスタキウスは2世紀頃のローマの将軍で、狩の最中に輝く磔刑像を付けた
白い牡鹿に出合い、キリスト教に改宗したと言われています。
ハドリアヌス帝の時、棄教を拒んだため焼き殺され、聖人となっています。
高さは35cmで、中には布に包まれた骨片が入っていました。
デューラーの描いた版画の中に聖エウスタキウスを題材にした作品があります。
2010年に国立西洋美術館で開かれた、「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」の記事です。
「ルイス島のチェス駒」 1150‐1200年
イギリス、ルイス島 おそらくノルウェーで制作 セイウチの牙、クジラの歯

映画の「ハリー・ポッター」にも登場したチェス駒で、キング、クイーン、ビショップ、ナイトなどが
揃っています。
駒の背中には北方的な渦巻き植物模様が彫られています。
インド生まれのチェスはヨーロッパに入った時にクイーンとビショップ(司教)が加わっています。
ルイス島はスコットランド西部の島ですが、ノルウェーの工房で作られたと思われるチェス駒が
なぜここにあったのかは不明です。
デューラー作 「犀」 1515年 ドイツ、ニュルンベルク 木版

インドのグジャラート国王がポルトガル国王に贈ったインドサイが描かれています。
デューラーは実物を見ておらず、説明書きとスケッチを頼りに描いていて、
彼の存命中に4-5000枚も売れた人気作になっています。
想像で描いた分、かえって迫力のある姿です。
第7章 大航海時代と新たな出会い
「初めての世界通貨(ピースオブエイト)」 1573-1598年 ボリビアとメキシコ 銀

スペインがメキシコやボリビアで採掘した銀で作った銀貨で、ヨーロッパやアジアでも流通し、
世界通貨となっています。
8レアルの価値があったので、ピースオブエイトとも呼ばれ、アメリカ合衆国では
1ドル銀貨として通用したので、メキシコドルとも呼ばれています。
「ベニン王国の飾り板」 1500‐1600年 ナイジェリア 真鍮

ベニン王国は12世紀から1897年までナイジェリア南部にあった王国で、
ヨーロッパとの象牙、胡椒、奴隷などの貿易で栄えました。
飾り板は「オバ(支配者)とヨーロッパ人」「クロスボウを持つヨーロッパ人」
「火縄銃を持つヨーロッパ人」の3枚があって、ポルトガルとの接触の様子を伝えています。
第8章 工業化と大量生産が変えた世界
「自在置物(ヘビ)」 1800-1900年 日本 鉄、金鍍金(部分)
形を自由に変えられる自在置物は外国でも珍しがられたようです。
上野の東京藝術大学大学美術館で5月17日(日)まで開かれている、「ボストン美術館×
東京藝術大学 ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」展でも、ボストン美術館の所蔵する
大きな自在置物が展示されていました。
「ダブル・インパクト展」の記事です。
「アフガニスタンの戦争柄絨毯」 1980-1989年 アフガニスタン 毛織物
1979年に始まるソ連のアフガニスタン侵攻を絵柄にしていて、戦車やヘリコプター、
頭に角を生やしたソ連兵と戦うアフガン義勇兵が織り出されています。
ソ連兵は悪魔の手先という意味でしょう。
古代にはアレクサンドロス大王がアフガニスタンに侵攻し、カイバル峠を越えて、
インドに向かっています。
『銃器で作られた「母」像』 2011年 モザンビーク 金属、プラスチック

モザンビーク内戦で廃棄された銃を回収して物資と交換する、1995年から始まった、
「銃を鍬へ」プロジェクトで集められた武器で作られています。
ハンドバッグはカラシニコフの弾倉、肩は拳銃の銃把など、銃の部品で作られた像です。
「母」は再生を象徴しています。
「クレジットカード」 2009年 アラブ首長国連邦 プラスチック

現代は金銀ではなく、プラスチックが貨幣の役割を果たしています。
ICチップを埋め込んだカードはシリコンという石を使っているので、
現代は新・石器時代とも言えます。
人類の歴史という巨大なテーマを、世界各地の太古から現在までの貴重な品々によって
解説する、とても興味深い展覧会です。
会場入り口にはルイス島のチェス駒があって、記念撮影が出来ます。
中央がキング、左がクイーン、右がナイトです。

私はオープンの初日に行きましたが、来館者が多い上に展示物は小さい物が多いので、
会場はかなり混んでいました。
人気のある展覧会なので、早めに行かれることをお勧めします。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京都美術館では、「100のモノが語る世界の歴史 大英博物館展」が
開かれています。
会期は6月28日(日)までです。
7月14日から9月6日までは九州国立博物館、9月20日から2016年1月11日までは
神戸市立博物館で開かれます。

副題は、『人類200万年の「傑作」たち』となっていて、大英博物館の所蔵する
膨大なコレクションの中から100点を選び、人類の歴史を辿る展覧会です。
プロローグ
「古代エジプトの棺」 紀元前600年頃 エジプト 木、彩色

女性楽師の棺と書かれているのに、中に入っていたミイラは男性だそうです。
「棺桶(ライオン)」 2003年 ガーナ 木、布、塗料
国立民族学博物館の所蔵のライオンの形をした棺桶も置かれています。
明るいオレンジ色をしていて、ヒゲも生えています。
現代でもこんな棺桶があるのかと驚きました。
第1章 創造の芽生え
「オルドヴァイ渓谷の礫石器」 200万-180万年前 タンザニア、オルドヴァイ渓谷 石

人類が使い始めた最初の道具です。
オルドヴァイ渓谷では多くの礫石器が発見され、オルドヴァイ文化とも呼ばれています。
第2章 都市の誕生
「ウルのスタンダード」 紀元前2500年頃 イラク 貝、ラピスラズリ、赤色石灰岩、歴青

ウルはシュメールの都市で、旧約聖書によればウルはアブラハムの出身地です。
高さ21.6㎝で、片面は平和、もう片面は戦争を表しています。
用途は不明で、軍旗(スタンダード)のように掲げていたのではないかとの説もあって、
この名が付いているそうです。
宴会のテーブルセンターになりそうです。
第3章 古代帝国の出現
「リディア王クロイソスの金貨」 紀元前550年頃 トルコ 金

リディアはトルコ西部にあった王国で、世界最初に硬貨を発行した国とされています。
とても小さな金貨で、ライオンと牛が彫られています。
リディアの金貨は池袋のオリエント博物館でも展示されていました。
「アレクサンドロス大王を表した硬貨」 紀元前305-前281年 トルコ 銀

アレクサンドロス大王のディアドコイ(後継者)の一人、リュシマコスの発行した銀貨で、
表には羊の角を付けた鉢巻を締めたアレクサンドロス大王の横顔が彫られています。
羊の角はエジプトのアメン神の象徴で、大王のエジプト征服を表しています。
リュシマコスは自らの権威付けに大王を利用している訳です。
「ロゼッタ・ストーン(レプリカ)」 紀元前196年エジプト、エル・ラシード(ロゼッタ) 石
同じ文章が古代エジプトの神聖文字、民衆文字、ギリシャ文字で書かれた有名な石です。
日本でもオリエント博物館などにレプリカが展示されています。
第4章 儀式と信仰
「ミトラス神像」 100-200年 イタリア、ローマ 大理石

ミトラス教は古代ローマで一時盛んだった宗教で、太陽神ミトラスを信仰しています。
高さ1mほどの大きな像で、マントをひるがえしたミトラスが雄牛を殺し、犬とヘビが
血を舐め、サソリが陰嚢に取り付いています。
被っているのはフリギア帽といって、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」やフランスの
シンボル、マリアンヌも被っています。
ミトラス教はローマでの同じ新興宗教のキリスト教のライバルでしたが、やがてキリスト教に
押されて衰退し、消滅しています。
第5章 広がる世界
「ホクスンの銀製胡椒入れ」 350-400年 イギリス、ホクスン 銀

古代ローマの、高さ10㎝ほどの小さな銀製の容器で、裏側の穴には出て来る胡椒の量を
調節できる蓋が付いています。
胡椒は当時、インドから輸入された貴重品でした。
他の多くの財宝と一緒にサフォーク州ホクスンの地中に埋められていたのが、1992年に
発見されています。
407年にローマ軍団がイギリスから撤退した時に埋められたのではないかと考えられています。
第6章 技術と芸術の革新
「聖エウスタキウスの聖遺物容器」 銀器、金鍍金、水晶、玉髄、アメジスト、
力ーネリアン、真珠、ガラス、黒曜石 スイス・バーゼル 1210年頃

聖エウスタキウスは2世紀頃のローマの将軍で、狩の最中に輝く磔刑像を付けた
白い牡鹿に出合い、キリスト教に改宗したと言われています。
ハドリアヌス帝の時、棄教を拒んだため焼き殺され、聖人となっています。
高さは35cmで、中には布に包まれた骨片が入っていました。
デューラーの描いた版画の中に聖エウスタキウスを題材にした作品があります。
2010年に国立西洋美術館で開かれた、「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」の記事です。
「ルイス島のチェス駒」 1150‐1200年
イギリス、ルイス島 おそらくノルウェーで制作 セイウチの牙、クジラの歯

映画の「ハリー・ポッター」にも登場したチェス駒で、キング、クイーン、ビショップ、ナイトなどが
揃っています。
駒の背中には北方的な渦巻き植物模様が彫られています。
インド生まれのチェスはヨーロッパに入った時にクイーンとビショップ(司教)が加わっています。
ルイス島はスコットランド西部の島ですが、ノルウェーの工房で作られたと思われるチェス駒が
なぜここにあったのかは不明です。
デューラー作 「犀」 1515年 ドイツ、ニュルンベルク 木版

インドのグジャラート国王がポルトガル国王に贈ったインドサイが描かれています。
デューラーは実物を見ておらず、説明書きとスケッチを頼りに描いていて、
彼の存命中に4-5000枚も売れた人気作になっています。
想像で描いた分、かえって迫力のある姿です。
第7章 大航海時代と新たな出会い
「初めての世界通貨(ピースオブエイト)」 1573-1598年 ボリビアとメキシコ 銀

スペインがメキシコやボリビアで採掘した銀で作った銀貨で、ヨーロッパやアジアでも流通し、
世界通貨となっています。
8レアルの価値があったので、ピースオブエイトとも呼ばれ、アメリカ合衆国では
1ドル銀貨として通用したので、メキシコドルとも呼ばれています。
「ベニン王国の飾り板」 1500‐1600年 ナイジェリア 真鍮

ベニン王国は12世紀から1897年までナイジェリア南部にあった王国で、
ヨーロッパとの象牙、胡椒、奴隷などの貿易で栄えました。
飾り板は「オバ(支配者)とヨーロッパ人」「クロスボウを持つヨーロッパ人」
「火縄銃を持つヨーロッパ人」の3枚があって、ポルトガルとの接触の様子を伝えています。
第8章 工業化と大量生産が変えた世界
「自在置物(ヘビ)」 1800-1900年 日本 鉄、金鍍金(部分)
形を自由に変えられる自在置物は外国でも珍しがられたようです。
上野の東京藝術大学大学美術館で5月17日(日)まで開かれている、「ボストン美術館×
東京藝術大学 ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」展でも、ボストン美術館の所蔵する
大きな自在置物が展示されていました。
「ダブル・インパクト展」の記事です。
「アフガニスタンの戦争柄絨毯」 1980-1989年 アフガニスタン 毛織物
1979年に始まるソ連のアフガニスタン侵攻を絵柄にしていて、戦車やヘリコプター、
頭に角を生やしたソ連兵と戦うアフガン義勇兵が織り出されています。
ソ連兵は悪魔の手先という意味でしょう。
古代にはアレクサンドロス大王がアフガニスタンに侵攻し、カイバル峠を越えて、
インドに向かっています。
『銃器で作られた「母」像』 2011年 モザンビーク 金属、プラスチック

モザンビーク内戦で廃棄された銃を回収して物資と交換する、1995年から始まった、
「銃を鍬へ」プロジェクトで集められた武器で作られています。
ハンドバッグはカラシニコフの弾倉、肩は拳銃の銃把など、銃の部品で作られた像です。
「母」は再生を象徴しています。
「クレジットカード」 2009年 アラブ首長国連邦 プラスチック

現代は金銀ではなく、プラスチックが貨幣の役割を果たしています。
ICチップを埋め込んだカードはシリコンという石を使っているので、
現代は新・石器時代とも言えます。
人類の歴史という巨大なテーマを、世界各地の太古から現在までの貴重な品々によって
解説する、とても興味深い展覧会です。
会場入り口にはルイス島のチェス駒があって、記念撮影が出来ます。
中央がキング、左がクイーン、右がナイトです。

私はオープンの初日に行きましたが、来館者が多い上に展示物は小さい物が多いので、
会場はかなり混んでいました。
人気のある展覧会なので、早めに行かれることをお勧めします。
展覧会のHPです。
東京
「スターバックスコーヒー丸の内ビル店」は丸ビルの地下1階にあります。

3月にリニューアルオープンしたお店で、今までの3倍くらい広くなりました。
丸の内という場所に合わせて、クラシックで落着いた雰囲気になっていて、
大きな木のテーブルもあります。
朝は6時50分に開店しますが、すでに順番待ちのお客さんが並んでいるそうです。
BGMはジャズでした。



シャンデリアはアメリカからの輸入です。

こちらはリニューアルを機に、リザーブコーヒーもメニューに加わったので、注文しました。
スマトラピーベリーレイクトバ626円と、ベーグルサンドサーモン&クリームチーズ432円です。

軽い酸味で、苦味はあまり無く、飲みやすい味です。
広々として、居心地が良く、スターバックスの中でも特徴のあるお店です。
chariot
「スターバックスコーヒー丸の内ビル店」は丸ビルの地下1階にあります。

3月にリニューアルオープンしたお店で、今までの3倍くらい広くなりました。
丸の内という場所に合わせて、クラシックで落着いた雰囲気になっていて、
大きな木のテーブルもあります。
朝は6時50分に開店しますが、すでに順番待ちのお客さんが並んでいるそうです。
BGMはジャズでした。



シャンデリアはアメリカからの輸入です。

こちらはリニューアルを機に、リザーブコーヒーもメニューに加わったので、注文しました。
スマトラピーベリーレイクトバ626円と、ベーグルサンドサーモン&クリームチーズ432円です。

軽い酸味で、苦味はあまり無く、飲みやすい味です。
広々として、居心地が良く、スターバックスの中でも特徴のあるお店です。
六本木1丁目
六本木の泉屋博古館分館では特別展、没後50年回顧展、「小川千甕 縦横無尽に生きる」が
開かれています。
会期は5月10日(日)までです。

小川千甕(おがわ・せんよう 1882~1971)は京都の生まれで、仏画・洋画・漫画・日本画
など、多彩な作品を描いた画家です。
千甕の号は、近眼(ちかめ)だったことに掛けています。
初期から晩年まで、約150点の作品を展示する、初めての回顧展です。
小川千甕は仏教書を扱う版元に生まれ、少年時代は仏画を描いていました。
明治35年(1902)に、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の教授だった
浅井忠の塾に入り、梅原龍三郎や安井曾太郎と知り合っています。
「河畔」 水彩画 佐倉市立美術館蔵

浅井塾時代の作品です。
明治43年(1910)に上京し、挿絵画家として活動します。
「浅草寺の図」 日本画 1911年

着物にエプロンという、早稲田大学のキャラクターになっている、
フクちゃんのような子もいます。
大正2年(1913)にはヨーロッパに留学していて、ジョット、フラ・アンジェリコ、
クリムトなどに感銘を受けています。ます。
パリで、安井曾太郎や小杉未醒、柚木久太ら共に写った写真がありました。
「清水寺の春」 日本画 1916年

後ろの山が点描になっています。
「押絵貼風俗図屏風」 日本画 六曲一隻 1920年
酉の市、歳の市、救世軍、満員電車、乗合自動車女車掌(バスガールのこと)など、
大正時代の東京の情景、16枚が屏風に貼られています。
三越食堂女ボーイというのもあって、和服にエプロン姿の女給さんが描かれています。
挿絵画家でもあった千甕らしい、愉快な作品です。
「釣人」 日本画 1921年 鉄斎堂
チラシに使われている作品です。
小川千甕の自画像と言えます。
「花寺春色」 日本画

小川千甕の作品には人が多く描かれていて、ほのぼのとした雰囲気があります。
やがて、「洋画の悪い分子」を振り払うために、白隠・仙厓・鉄斎らに浸り、
南画的表現を模索するようになります。
小杉未醒(放菴)もフランスで逆に東洋画に目覚め、日本画を描くようになっていて、
二人の軌跡は似ています。
「炬火乱舞」 日本画 1930年 鞍馬寺蔵

17回院展への出品作で、南画的表現に光明を見出した作品とのことです。
鞍馬の火祭りを題材にしていて、深い水墨の中に朱色の際立つ、風格のある作品です。
「蜜柑山」 日本画 1933年
20回院展への出品作で、蜜柑畑が高々と勢いよく積み上がり、生命力に満ちています。
「蘭亭曲水(部分)」 日本画 1948年

353年に王羲之の催した曲水の宴の模様を描いています。
詩作を競う文人たちの如何にも楽しそうな様子が伝わってきます。
小川千甕の作品は、「縦横無尽に生きる」の副題通り、のびのびとして自由です。
まさしく文人画の境地と言えます。
今までよく知らなかった小川千甕という画家の作品を十分に味わうことが出来ました。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は特別展、「住友グループの企業文化力 Ⅲ フランス絵画の贈物
―とっておいた名画」です。
会期は5月30日(土)から8月2日(日)までです。
今日、4月23日は上村松園の誕生日で、生誕140周年になります。
明治8年(1875)に京都で生まれています。
「序の舞」 昭和11年(1936)

2010年に東京国立近代美術館で開かれた、「上村松園展」の記事です。
chariot
六本木の泉屋博古館分館では特別展、没後50年回顧展、「小川千甕 縦横無尽に生きる」が
開かれています。
会期は5月10日(日)までです。

小川千甕(おがわ・せんよう 1882~1971)は京都の生まれで、仏画・洋画・漫画・日本画
など、多彩な作品を描いた画家です。
千甕の号は、近眼(ちかめ)だったことに掛けています。
初期から晩年まで、約150点の作品を展示する、初めての回顧展です。
小川千甕は仏教書を扱う版元に生まれ、少年時代は仏画を描いていました。
明治35年(1902)に、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の教授だった
浅井忠の塾に入り、梅原龍三郎や安井曾太郎と知り合っています。
「河畔」 水彩画 佐倉市立美術館蔵

浅井塾時代の作品です。
明治43年(1910)に上京し、挿絵画家として活動します。
「浅草寺の図」 日本画 1911年

着物にエプロンという、早稲田大学のキャラクターになっている、
フクちゃんのような子もいます。
大正2年(1913)にはヨーロッパに留学していて、ジョット、フラ・アンジェリコ、
クリムトなどに感銘を受けています。ます。
パリで、安井曾太郎や小杉未醒、柚木久太ら共に写った写真がありました。
「清水寺の春」 日本画 1916年

後ろの山が点描になっています。
「押絵貼風俗図屏風」 日本画 六曲一隻 1920年
酉の市、歳の市、救世軍、満員電車、乗合自動車女車掌(バスガールのこと)など、
大正時代の東京の情景、16枚が屏風に貼られています。
三越食堂女ボーイというのもあって、和服にエプロン姿の女給さんが描かれています。
挿絵画家でもあった千甕らしい、愉快な作品です。
「釣人」 日本画 1921年 鉄斎堂
チラシに使われている作品です。
小川千甕の自画像と言えます。
「花寺春色」 日本画

小川千甕の作品には人が多く描かれていて、ほのぼのとした雰囲気があります。
やがて、「洋画の悪い分子」を振り払うために、白隠・仙厓・鉄斎らに浸り、
南画的表現を模索するようになります。
小杉未醒(放菴)もフランスで逆に東洋画に目覚め、日本画を描くようになっていて、
二人の軌跡は似ています。
「炬火乱舞」 日本画 1930年 鞍馬寺蔵

17回院展への出品作で、南画的表現に光明を見出した作品とのことです。
鞍馬の火祭りを題材にしていて、深い水墨の中に朱色の際立つ、風格のある作品です。
「蜜柑山」 日本画 1933年
20回院展への出品作で、蜜柑畑が高々と勢いよく積み上がり、生命力に満ちています。
「蘭亭曲水(部分)」 日本画 1948年

353年に王羲之の催した曲水の宴の模様を描いています。
詩作を競う文人たちの如何にも楽しそうな様子が伝わってきます。
小川千甕の作品は、「縦横無尽に生きる」の副題通り、のびのびとして自由です。
まさしく文人画の境地と言えます。
今までよく知らなかった小川千甕という画家の作品を十分に味わうことが出来ました。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は特別展、「住友グループの企業文化力 Ⅲ フランス絵画の贈物
―とっておいた名画」です。
会期は5月30日(土)から8月2日(日)までです。
今日、4月23日は上村松園の誕生日で、生誕140周年になります。
明治8年(1875)に京都で生まれています。
「序の舞」 昭和11年(1936)

2010年に東京国立近代美術館で開かれた、「上村松園展」の記事です。
日比谷・有楽町
日比谷の出光美術館では、「東洋の美―中国・朝鮮・東南アジアの名品」展が開かれています。
会期は6月14日(日)までです。
会期中、一部展示替えがあります。

出光美術館の所蔵品のうち、中国古代の土器や朝鮮・ベトナム・タイなどの陶磁器を中心に、
アジアの国々の工芸品を紹介する展覧会です。
「青磁神亭壺」 中国 西晋時代 3~4世紀

中国南部の墓の副葬品で、上方を向いた鳥から霊魂昇天時の仮の宿りではないかと
考えられています。
壷の周りには亀、鯰、蟹、猿、鶏、猪などさまざまな生き物が貼り付いていて、
いかにも水の多い南部らしい習俗を感じます。
「粉青沙器線刻双魚文扁壷」 朝鮮 朝鮮王朝時代 15世紀

粉青沙器は素地に白化粧を施し、灰青色の透明釉薬を掛けるもので、
李氏朝鮮前期の15~6世紀を中心に作られています。
線刻された魚がのどかです。
「青花透彫獅子虎文筆筒」 朝鮮 朝鮮王朝時代 16世紀

染付の筆立てで、円筒に白い虎と青い獅子が透かし彫りされています。
毛並みも彫られていて、虎は猫のような愛嬌のある顔をしています。
「褐彩草花文瓢形瓶」 タイ 15世紀

花柄が褐彩と鉄絵で描かれ、胴の鉄絵の中で一つだけ天女が描き込まれています。
天保15年(1844)には日本に伝来した品です。
スコータイ近郊のシーサチャナライ窯の製品で、川港のスワンカロークから積み出されたので、
スワンカローク焼きと呼ばれ、日本では宋胡録(スンコロク)と呼ばれています。
他に漢時代の青銅器、唐・明・清時代の工芸品なども展示されていて、普段は目にする機会の
少ない作品を数多く観ることの出来る、興味深い展覧会です。
次回の展覧会は「没後180年 田能村竹田」展です。
会期は6月20日(土)~8月2日(日)です。

chariot
日比谷の出光美術館では、「東洋の美―中国・朝鮮・東南アジアの名品」展が開かれています。
会期は6月14日(日)までです。
会期中、一部展示替えがあります。

出光美術館の所蔵品のうち、中国古代の土器や朝鮮・ベトナム・タイなどの陶磁器を中心に、
アジアの国々の工芸品を紹介する展覧会です。
「青磁神亭壺」 中国 西晋時代 3~4世紀

中国南部の墓の副葬品で、上方を向いた鳥から霊魂昇天時の仮の宿りではないかと
考えられています。
壷の周りには亀、鯰、蟹、猿、鶏、猪などさまざまな生き物が貼り付いていて、
いかにも水の多い南部らしい習俗を感じます。
「粉青沙器線刻双魚文扁壷」 朝鮮 朝鮮王朝時代 15世紀

粉青沙器は素地に白化粧を施し、灰青色の透明釉薬を掛けるもので、
李氏朝鮮前期の15~6世紀を中心に作られています。
線刻された魚がのどかです。
「青花透彫獅子虎文筆筒」 朝鮮 朝鮮王朝時代 16世紀

染付の筆立てで、円筒に白い虎と青い獅子が透かし彫りされています。
毛並みも彫られていて、虎は猫のような愛嬌のある顔をしています。
「褐彩草花文瓢形瓶」 タイ 15世紀

花柄が褐彩と鉄絵で描かれ、胴の鉄絵の中で一つだけ天女が描き込まれています。
天保15年(1844)には日本に伝来した品です。
スコータイ近郊のシーサチャナライ窯の製品で、川港のスワンカロークから積み出されたので、
スワンカローク焼きと呼ばれ、日本では宋胡録(スンコロク)と呼ばれています。
他に漢時代の青銅器、唐・明・清時代の工芸品なども展示されていて、普段は目にする機会の
少ない作品を数多く観ることの出来る、興味深い展覧会です。
次回の展覧会は「没後180年 田能村竹田」展です。
会期は6月20日(土)~8月2日(日)です。

神田
「かんだデザート」はJR東口を出て、北に少し行った所にあります。
場所は千代田区鍛冶町2-11-20です。


北欧紅茶の販売店で、店内はカウンター席が4席ほどの可愛いお店です。

セーデルブレンド350円をいただきました。

ポットにたっぷり入っています。
オレンジピール・ローズ・コーンフラワー・マリーゴールドなどがブレンドしてあって、
とても華やかな香りのする紅茶です。
北欧紅茶は初めて知りましたが、ノーベル賞受賞式の晩餐会でも供される紅茶とのことです。
話好きのマスターに紅茶についていろいろ伺いました。
マスターは神保町の「Tea House TAKANO」や青山の「青山ティーファクトリー」のマスターとも
交流があるそうです。
サービスにアールグレイスペシャルもいただきました。
ベルガモット・ジャスミン・レモンピール・レモングラスなどが入っています。
紅茶談義を楽しめるお店で、紅茶でお腹がいっぱいになりました。
「Tea House TAKANO」の記事です。
「青山ティーファクトリー」の記事です。
お店のHPです。
お店に行ったのは3月で、近くの神田須田町の「神田まつや」の前には桜が咲いていました。

chariot
「かんだデザート」はJR東口を出て、北に少し行った所にあります。
場所は千代田区鍛冶町2-11-20です。


北欧紅茶の販売店で、店内はカウンター席が4席ほどの可愛いお店です。

セーデルブレンド350円をいただきました。

ポットにたっぷり入っています。
オレンジピール・ローズ・コーンフラワー・マリーゴールドなどがブレンドしてあって、
とても華やかな香りのする紅茶です。
北欧紅茶は初めて知りましたが、ノーベル賞受賞式の晩餐会でも供される紅茶とのことです。
話好きのマスターに紅茶についていろいろ伺いました。
マスターは神保町の「Tea House TAKANO」や青山の「青山ティーファクトリー」のマスターとも
交流があるそうです。
サービスにアールグレイスペシャルもいただきました。
ベルガモット・ジャスミン・レモンピール・レモングラスなどが入っています。
紅茶談義を楽しめるお店で、紅茶でお腹がいっぱいになりました。
「Tea House TAKANO」の記事です。
「青山ティーファクトリー」の記事です。
お店のHPです。
お店に行ったのは3月で、近くの神田須田町の「神田まつや」の前には桜が咲いていました。

上野
上野の東京藝術大学大学美術館では、「ボストン美術館×東京藝術大学 ダブル・インパクト
明治ニッポンの美」が開かれています。
会期は5月17日(日)までで、4月26日までの前期と28日からの後期で一部展示替えがあります。

明治維新により西洋文化が流入し、日本人に大きな衝撃を与えますが、来日した西洋人も
日本の暮らしや芸術に驚きます。
展覧会ではボストン美術館の蒐集した日本美術の品と、東京藝術大学の所蔵品を
合わせて展示し、日本と西洋の受けた「ダブル・インパクト」を再現しています。
ボストン美術館はエドワード・モース、アーネスト・フェノロサ、ウィリアム・ビゲローなどを
通じての日本美術のコレクションでも有名です。
プロローグ 黒船が来た!
外国船や異人館、ホテルなどを描いた浮世絵、西洋人の撮影した明治の元勲たちの
写真の展示です。
高橋由一 「花魁」 明治5年(1872) 東京藝術大学 重要文化財

日本最初の洋画家として、西洋画の普及に尽くした高橋由一(1828-94)の油彩画で、
モデルは新吉原の評判の名妓、稲本楼の小稲(こいな)です。
その頃、23・4歳だったという小稲は豪華な衣装に身を包み、髪を後ろに垂らす
下げ髪という髪型を結い、べっ甲のかんざしを差せるだけ差した晴れ姿で臨んでいます。
しかし描かれた顔は、目は細く、頬骨は高く、あごは尖り、唇の端は吊り上がり、
髪に張りがありません。
美化などせず、写実を徹底しようとした結果ですが、妙に生々しい絵になっています。
小稲自身もこの絵を見て、「私はこんな顔じゃありません」と、泣いて怒ったそうです。
第1章 不思議の国JAPAN
日本の工芸作品や河鍋暁斎や柴田是真などの作品が展示されています。
高石重義 「竜自在」 18-19世紀 江戸時代後期 ボストン美術館

形を自由に変えられる自在置物で、戦国の世が終り、仕事の減った甲冑師が
考え出した工芸品です。
伸ばすと2mはありそうで、自在置物としては最大級です。
旭玉山 「人体骨格」 明治時代 東京藝術大学

こちらは鹿の角製の小さな人体骨格で、身長33.7cmです。
自由に動かせるようになっていて、吊り下げる環が頭に付いています。
会期中ずっと立っているのは疲れるので、ヴィクトリア朝の椅子に座っています。
旭玉山(1843-1923)は牙彫(げちょう)作家で、東京美術学校の教授も勤め、
人体骨格について初代陸軍軍医総監を勤めた松本良順(1832-1907)に学んでいます。
明治時代の彫刻といえば象牙などに彫刻する牙彫が中心だったそうです。
河鍋暁斎 「地獄太夫」 19世紀後半 明治時代 ボストン美術館

地獄太夫は室町時代の遊女で、山賊にかどわかされて堺に遊女として
売られますが、現世の不幸は前世の行ないの故であるとして、
着物には地獄変相図を刺繍していたそうです。
一休宗純とも親交があったということで、三味線を鳴らす骸骨の上で一休が踊っています。
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)(1831-1889)は幕末から明治にかけての絵師で、
狩野派系の漢画や浮世絵など多才な画業で知られています。
河鍋暁斎 「風神・雷神」 19世紀後半 明治時代 ボストン美術館

二幅対の掛軸で、左右から中心に向かって、稲妻が走り、風が吹き下ろしています。
第2章 文明、開化せよ
小林清親や楊州周延などの明治の浮世絵の展示です。
小林清親 「猫と提灯と鼠」 明治10年(1877) ボストン美術館

鼠が提灯に逃げ込んでいますが、猫に尻尾を掴まれてしまいました。
小林清親(1847 -1915〉は幕臣出身で鳥羽伏見の戦いや上野戦争にも参加しています。
後に河鍋暁斎や柴田是真に絵を学び、明治の東京を叙情的な浮世絵に描いて、
最後の浮世絵師と呼ばれるようになります。
楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ、1838 -1912〉は越後高田藩士出身で、
戊辰戦争では上野の彰義隊に参加し、函館まで転戦しています。
明治維新後は浮世絵師として明治末期まで主に美人画を描いて評判を取っています。
井上安治(探景) 「東京名所従吾妻橋水雷火遠望之図」 明治21年(1888) ボストン美術館

隅田川での水雷事件の情景で明治20年(1887)に架けられた、隅田川最初の鉄橋の
吾妻橋を中心に描かれています。
右側に爆発の水柱が上がっているところで、遠くに浅草寺が見えます。
井上安治(1864 -1889〉は小林清親の弟子で、師に倣った光線画に秀でていましたが、
夭折しています。
第3章 西洋美術の手習い
イギリスの新聞記者として来日したワーグマンや、明治政府に招かれ、
御雇外国人として来日した、ラグーザ、フォンタネージなどの作品の展示です。
チャールズ・ワーグマン( 1832-1891)はイギリス人で、文久元年(1861)に
新聞記者兼挿絵画家として来日し、居留外国人向けの雑誌を創刊し、
高橋由一や五姓田義松に油彩画を教えています。
アントニオ・フォンタネージ( 1818-1882)はイタリア北部のレッジョ・エミリア生まれで、
工部大学校のお雇い外国人として明治9年(1876)に来日し、明治11年までの
短い期間、日本人に洋画を教えています。
指導を受けた画家には浅井忠、五姓田義松、小山正太郎、山本芳翠などがいます。
ヴィンチェンツォ・ラグーザ 「日本婦人」 明治13-14年(1880-81) 東京藝術大学

たすき掛けをした当時の日本女性の姿を写実的に表しています。
左胸が見えるのは、石膏像を造った後、着物の部分の石膏が壊れてしまったためです。
ヴィンチェンツォ・ラグーザ (1841-1927)はイタリアのシチリア出身の彫刻家で、
1876年(明治9年)に開設した工部美術学校の教師として招かれ、日本人に初めて
西洋彫刻を教えています。
第4章 日本美術の創造
東京美術学校の開校によって始まる近代日本美術の作品の展示です。
小林永濯 「菅原道真天拝山祈祷の図」 明治時代 1860-90年頃 ボストン美術館

藤原時平の讒言で大宰府に流された菅原道真が自分の無実を訴えるため、
天拝山に上り七日七夜の間爪先立ちで祈ったところ、天より天満在自在天神の
神号が下されたという伝説を描いています。
雷鳴がとどろき、衣服は風に煽られ、冠も吹き飛んで、劇画のような激しさで、
道真が雷神となったことも表しています。
小林永濯(1828-1888)は狩野派に学んだ画家で、浮世絵や挿絵も描いています。
狩野芳崖 「悲母観音」 明治21年(1888) 東京藝術大学 重要文化財

観音菩薩は中空で水瓶を傾け、その下で童子が観音を見上げています。
仏画を基本にしていますが、西洋風の空間表現も取り入れ、近代日本画の
先駆となった作品です。
狩野芳崖の絶筆で、未完のままで芳崖が亡くなったので、盟友の橋本雅邦が
仕上げています。
狩野芳崖(1828-1888)は幕末に狩野派を学び、明治には東京美術学校の
設立にも関わったフェノロサに見出されていますが、東京美術学校の
教官就任を前に亡くなっています。
横山大観 「村童観猿翁」 明治26年(1893) 東京藝術大学

横山大観は東京美術学校の第1回の卒業生で、1896年の図案科の新設時には
教官となっています。
この作品は美術学校の卒業制作で、猿使いの男は教官の橋本雅邦、子供たちは
大観ら同級生とされています。
第5章 近代国家として
ヨーロッパに留学して描かれた作品や近代国家としての国威発揚を表す作品の展示です。
竹内久一 「神武天皇立像」 明治23年(1890) 東京藝術大学
高さ3Ⅿはある巨大な木像で、顔は明治天皇になぞらえていて、
明治国家の力を示そうとするかのような造形です。
竹内久一(1857-1916)は始め、牙彫の修行をしますが、奈良の仏像彫刻を観て感銘を受け、
木彫に転じています。
後に岡倉天心の知遇を得て、東京美術学校の彫刻の初の教授として高村光雲とともに
指導に当たっています。
幕末から明治に至る激動期にあって、日本美術の発揮したエネルギーを感じることの出来る、
とても興味深い展覧会です。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京藝術大学大学美術館では、「ボストン美術館×東京藝術大学 ダブル・インパクト
明治ニッポンの美」が開かれています。
会期は5月17日(日)までで、4月26日までの前期と28日からの後期で一部展示替えがあります。

明治維新により西洋文化が流入し、日本人に大きな衝撃を与えますが、来日した西洋人も
日本の暮らしや芸術に驚きます。
展覧会ではボストン美術館の蒐集した日本美術の品と、東京藝術大学の所蔵品を
合わせて展示し、日本と西洋の受けた「ダブル・インパクト」を再現しています。
ボストン美術館はエドワード・モース、アーネスト・フェノロサ、ウィリアム・ビゲローなどを
通じての日本美術のコレクションでも有名です。
プロローグ 黒船が来た!
外国船や異人館、ホテルなどを描いた浮世絵、西洋人の撮影した明治の元勲たちの
写真の展示です。
高橋由一 「花魁」 明治5年(1872) 東京藝術大学 重要文化財

日本最初の洋画家として、西洋画の普及に尽くした高橋由一(1828-94)の油彩画で、
モデルは新吉原の評判の名妓、稲本楼の小稲(こいな)です。
その頃、23・4歳だったという小稲は豪華な衣装に身を包み、髪を後ろに垂らす
下げ髪という髪型を結い、べっ甲のかんざしを差せるだけ差した晴れ姿で臨んでいます。
しかし描かれた顔は、目は細く、頬骨は高く、あごは尖り、唇の端は吊り上がり、
髪に張りがありません。
美化などせず、写実を徹底しようとした結果ですが、妙に生々しい絵になっています。
小稲自身もこの絵を見て、「私はこんな顔じゃありません」と、泣いて怒ったそうです。
第1章 不思議の国JAPAN
日本の工芸作品や河鍋暁斎や柴田是真などの作品が展示されています。
高石重義 「竜自在」 18-19世紀 江戸時代後期 ボストン美術館

形を自由に変えられる自在置物で、戦国の世が終り、仕事の減った甲冑師が
考え出した工芸品です。
伸ばすと2mはありそうで、自在置物としては最大級です。
旭玉山 「人体骨格」 明治時代 東京藝術大学

こちらは鹿の角製の小さな人体骨格で、身長33.7cmです。
自由に動かせるようになっていて、吊り下げる環が頭に付いています。
会期中ずっと立っているのは疲れるので、ヴィクトリア朝の椅子に座っています。
旭玉山(1843-1923)は牙彫(げちょう)作家で、東京美術学校の教授も勤め、
人体骨格について初代陸軍軍医総監を勤めた松本良順(1832-1907)に学んでいます。
明治時代の彫刻といえば象牙などに彫刻する牙彫が中心だったそうです。
河鍋暁斎 「地獄太夫」 19世紀後半 明治時代 ボストン美術館

地獄太夫は室町時代の遊女で、山賊にかどわかされて堺に遊女として
売られますが、現世の不幸は前世の行ないの故であるとして、
着物には地獄変相図を刺繍していたそうです。
一休宗純とも親交があったということで、三味線を鳴らす骸骨の上で一休が踊っています。
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)(1831-1889)は幕末から明治にかけての絵師で、
狩野派系の漢画や浮世絵など多才な画業で知られています。
河鍋暁斎 「風神・雷神」 19世紀後半 明治時代 ボストン美術館

二幅対の掛軸で、左右から中心に向かって、稲妻が走り、風が吹き下ろしています。
第2章 文明、開化せよ
小林清親や楊州周延などの明治の浮世絵の展示です。
小林清親 「猫と提灯と鼠」 明治10年(1877) ボストン美術館

鼠が提灯に逃げ込んでいますが、猫に尻尾を掴まれてしまいました。
小林清親(1847 -1915〉は幕臣出身で鳥羽伏見の戦いや上野戦争にも参加しています。
後に河鍋暁斎や柴田是真に絵を学び、明治の東京を叙情的な浮世絵に描いて、
最後の浮世絵師と呼ばれるようになります。
楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ、1838 -1912〉は越後高田藩士出身で、
戊辰戦争では上野の彰義隊に参加し、函館まで転戦しています。
明治維新後は浮世絵師として明治末期まで主に美人画を描いて評判を取っています。
井上安治(探景) 「東京名所従吾妻橋水雷火遠望之図」 明治21年(1888) ボストン美術館

隅田川での水雷事件の情景で明治20年(1887)に架けられた、隅田川最初の鉄橋の
吾妻橋を中心に描かれています。
右側に爆発の水柱が上がっているところで、遠くに浅草寺が見えます。
井上安治(1864 -1889〉は小林清親の弟子で、師に倣った光線画に秀でていましたが、
夭折しています。
第3章 西洋美術の手習い
イギリスの新聞記者として来日したワーグマンや、明治政府に招かれ、
御雇外国人として来日した、ラグーザ、フォンタネージなどの作品の展示です。
チャールズ・ワーグマン( 1832-1891)はイギリス人で、文久元年(1861)に
新聞記者兼挿絵画家として来日し、居留外国人向けの雑誌を創刊し、
高橋由一や五姓田義松に油彩画を教えています。
アントニオ・フォンタネージ( 1818-1882)はイタリア北部のレッジョ・エミリア生まれで、
工部大学校のお雇い外国人として明治9年(1876)に来日し、明治11年までの
短い期間、日本人に洋画を教えています。
指導を受けた画家には浅井忠、五姓田義松、小山正太郎、山本芳翠などがいます。
ヴィンチェンツォ・ラグーザ 「日本婦人」 明治13-14年(1880-81) 東京藝術大学

たすき掛けをした当時の日本女性の姿を写実的に表しています。
左胸が見えるのは、石膏像を造った後、着物の部分の石膏が壊れてしまったためです。
ヴィンチェンツォ・ラグーザ (1841-1927)はイタリアのシチリア出身の彫刻家で、
1876年(明治9年)に開設した工部美術学校の教師として招かれ、日本人に初めて
西洋彫刻を教えています。
第4章 日本美術の創造
東京美術学校の開校によって始まる近代日本美術の作品の展示です。
小林永濯 「菅原道真天拝山祈祷の図」 明治時代 1860-90年頃 ボストン美術館

藤原時平の讒言で大宰府に流された菅原道真が自分の無実を訴えるため、
天拝山に上り七日七夜の間爪先立ちで祈ったところ、天より天満在自在天神の
神号が下されたという伝説を描いています。
雷鳴がとどろき、衣服は風に煽られ、冠も吹き飛んで、劇画のような激しさで、
道真が雷神となったことも表しています。
小林永濯(1828-1888)は狩野派に学んだ画家で、浮世絵や挿絵も描いています。
狩野芳崖 「悲母観音」 明治21年(1888) 東京藝術大学 重要文化財

観音菩薩は中空で水瓶を傾け、その下で童子が観音を見上げています。
仏画を基本にしていますが、西洋風の空間表現も取り入れ、近代日本画の
先駆となった作品です。
狩野芳崖の絶筆で、未完のままで芳崖が亡くなったので、盟友の橋本雅邦が
仕上げています。
狩野芳崖(1828-1888)は幕末に狩野派を学び、明治には東京美術学校の
設立にも関わったフェノロサに見出されていますが、東京美術学校の
教官就任を前に亡くなっています。
横山大観 「村童観猿翁」 明治26年(1893) 東京藝術大学

横山大観は東京美術学校の第1回の卒業生で、1896年の図案科の新設時には
教官となっています。
この作品は美術学校の卒業制作で、猿使いの男は教官の橋本雅邦、子供たちは
大観ら同級生とされています。
第5章 近代国家として
ヨーロッパに留学して描かれた作品や近代国家としての国威発揚を表す作品の展示です。
竹内久一 「神武天皇立像」 明治23年(1890) 東京藝術大学
高さ3Ⅿはある巨大な木像で、顔は明治天皇になぞらえていて、
明治国家の力を示そうとするかのような造形です。
竹内久一(1857-1916)は始め、牙彫の修行をしますが、奈良の仏像彫刻を観て感銘を受け、
木彫に転じています。
後に岡倉天心の知遇を得て、東京美術学校の彫刻の初の教授として高村光雲とともに
指導に当たっています。
幕末から明治に至る激動期にあって、日本美術の発揮したエネルギーを感じることの出来る、
とても興味深い展覧会です。
展覧会のHPです。
六本木
宗胡(ソウゴ)は六本木交差点の裏にある精進料理のお店です。
場所は港区六本木6-1-8で、ビルの3階です。

六本木の国立新美術館で開かれている、「マグリット展」に行った時に寄りました。
「マグリット展」の記事です。
今年の2月にオープンしたばかりで、お祝いの花が並んでいます。

席はゆったりとしていて、全席禁煙、個室や半個室もあります。
ランチ御前1500円です。



小鉢が6品に、きのこ雑炊か冷やしきつねそばが付きます。
湯葉、揚げ出し胡麻豆腐、ひろうず、雷こんにゃく、サラダなどで、上品な味で
とても美味しいです。
雑炊の器はルーシー・リー風です。
午後2時からティータイム、午後10時からバータイムもあり、いろいろな使い方の
出来そうなお店です。
お店のHPです。
chariot
宗胡(ソウゴ)は六本木交差点の裏にある精進料理のお店です。
場所は港区六本木6-1-8で、ビルの3階です。

六本木の国立新美術館で開かれている、「マグリット展」に行った時に寄りました。
「マグリット展」の記事です。
今年の2月にオープンしたばかりで、お祝いの花が並んでいます。

席はゆったりとしていて、全席禁煙、個室や半個室もあります。
ランチ御前1500円です。



小鉢が6品に、きのこ雑炊か冷やしきつねそばが付きます。
湯葉、揚げ出し胡麻豆腐、ひろうず、雷こんにゃく、サラダなどで、上品な味で
とても美味しいです。
雑炊の器はルーシー・リー風です。
午後2時からティータイム、午後10時からバータイムもあり、いろいろな使い方の
出来そうなお店です。
お店のHPです。