六本木
「シェルズ カフェ (SHELLS CAFE) 六本木本店」は東京ミッドタウンの東横の角地にあります。
場所は港区六本木4-4-2です。

以前、「バール シチリア」のあった所で、今年の9月にオープンしたばかりです。
約20席、全席禁煙、2面が窓になっていて、明るい店内です。
BGMはハワイアンなど、のんびりした曲でした。



ランチのサラダボウル1400円にはバゲットが付きます。

サラダの野菜は新鮮です。
リゾットセット1200円にはトーストと、サラダが付きます。


リゾットはチーズがたっぷり入っていて、濃厚な味です。
トーストはクロノのパンを使っているとのことで、美味しいですが、焼き方が
少し足りなかったようです。
セットのコーヒー190円と紅茶190円です。


サントリー美術館のある東京ミッドタウンの横にあり、展覧会の行き帰りに寄って、
ゆっくり出来るお店です。
chariot
「シェルズ カフェ (SHELLS CAFE) 六本木本店」は東京ミッドタウンの東横の角地にあります。
場所は港区六本木4-4-2です。

以前、「バール シチリア」のあった所で、今年の9月にオープンしたばかりです。
約20席、全席禁煙、2面が窓になっていて、明るい店内です。
BGMはハワイアンなど、のんびりした曲でした。



ランチのサラダボウル1400円にはバゲットが付きます。

サラダの野菜は新鮮です。
リゾットセット1200円にはトーストと、サラダが付きます。


リゾットはチーズがたっぷり入っていて、濃厚な味です。
トーストはクロノのパンを使っているとのことで、美味しいですが、焼き方が
少し足りなかったようです。
セットのコーヒー190円と紅茶190円です。


サントリー美術館のある東京ミッドタウンの横にあり、展覧会の行き帰りに寄って、
ゆっくり出来るお店です。
横浜
横浜のそごう美術館では、「西田俊英展 忘るるなゆめ」が開かれています。
会期は11月13日(日)までで、会期中は無休です。

西田俊英さん(1953~)は三重県伊勢市出身の日本画家で、日本美術院同人です。
奥村土牛、塩出英雄に師事し、人物、風景、花鳥など、画題は幅広く、
インドでの取材に基く作品も数多く制作しています。
「月光」 1971年 個人蔵

西田さんは高校時代は油彩画を描いていました。
墨絵のような色調の、幻想的な作品です。
「回転木馬」 1977年 個人蔵

武蔵野美術大学の卒業制作です。
回転木馬には夢幻的な雰囲気があります。
「華鬘(けまん)」 1983年 山種美術館

インドで見た情景に想を得た作品で、沈んだ色調で天蓋のように
広がるヒマワリや様々の花を画面いっぱいに描いています。
華鬘とはお寺の装飾品で、花輪飾りから発展したものと云われています。
私が西田さんの作品に惹かれるようになったのも、この作品を観て以来です。
「プシュカールの老人」 1995年 島根・足立美術館

インドに惹かれた西田さんは1993年に文化庁派遣研修員として、
インドに1年間滞在しています。
プシュカールはインド北西部にあり、村では年に一度、数万頭の
ラクダの集まるラクダ市が開かれます。
その時はテントが並び、店が出来、移動遊園地まで開かれ、
終わるとすべて消え失せるそうです。
その村の長老を正面から描いていて、真直ぐにこちらを見ている
緑色の目が印象的で、静かな表情に老人の威厳が表れています。
「ミニアチュールの画家」 1995年 ひろしん文化財団

インド伝統の細密画を描く職人画家です。
絵筆を持ち、鋭い目でこちらを見ています。
「カルロス」 1997年 東京国立近代美術館

逆光の中で人物を正面から捉えています。
西田さんはこの時期、人物をよく描いています。
「星夜燦々」 2002年 郷さくら美術館

タージ・マハールはムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡き王妃の
ムムターズ・マハルのために建てた大理石の廟で、1653年に竣工しています。
後にシャー・ジャハーンは息子で第6代皇帝となるアウラングゼーブに
幽閉されてしまい、小窓からタージ・マハールを眺めては往時を偲んで
涙を流したということです。
月の光に照らされたドームは白く浮かび上がり、金色の星も降っています。
木の枝に寄り添うようにして止まっている二羽の鳥はシャー・ジャハーンと
王妃を表しているようです。
「キング」 2002年 今井美術館


インドで見た孔雀の印象を元に描いています。
太くたくましい脚も写実的です。
「きさらぎ」 2005年 個人蔵

桜の下で、月の光を浴びて老いた馬が佇んでいます。
のどかに過ごしている姿に、人生の後半を迎えた自分の分身を感じたそうです。
「吉備の鶴」 2006年 足立美術館

右隻

左隻


高梁川の河辺での鶴の営みです。
右隻の冬の枯れ野で鳴き交わして夫婦となり、左隻の春から初夏の
やわらかな日差しの中で、雛を育てています。
「出現」 2008年 北澤美術館

木々の間から幻のように出現して、こちらを見ている鹿です。
鹿は神の使いであることを思わせます。
「鳴々生々」 2012年 数研出版

白と黒を主にした墨絵のような画面でタンチョウを描いています。
広々とした空間の中の白が際立っています。
「サーカス」 2012年 山陽新聞社

天蓋の中で観客は夢の世界に浸り、子象は花畑の中で遊ぶ夢を見ています。
「ゼウスの世界」 2013年 個人蔵

ゼウスはボルゾイ犬の名前で、ボルゾイはロシア貴族が好んで
飼っていた犬種です。
西田さんは桜の下の犬という画題を考えていた時にこの犬と出会って、
構想が固まったそうです。
儚く咲く満開の枝垂桜の下の水辺に、高貴なボルゾイが座っています。
「月窓」 2014年 個人蔵

部分

窓の外には満月と桜、室内には男性とボルゾイのゼウス、窓辺ではイグアナが
月を見上げています。
静かな白い幻想に満ちた、荘厳とも云える情景が浮かび上がっています。
「森の住人」 2015年 個人蔵

部分

生い茂る密林では木々が岩に根を張っています。
見上げた瞬間、一匹の猿が枝から枝に跳躍しました。
奥深い空間の中で、自然の生命力があふれています。
西田さんの作品は綿密で、抒情性があり、時に夢幻的でもあります。
特に最近の作品は色彩が抑えられ、水墨画のような深みを持っています。
副題の「忘るるなゆめ」は、師の塩出英雄の言葉、「日本画の道を選べり
忘るるなゆめ 一生を励み磨きゆくべし」に拠っています。
2015年に日本橋髙島屋で開かれた「西田俊英展展」での
西田さんのギャラリートークの記事です。
展覧会のHPです。
chariot
横浜のそごう美術館では、「西田俊英展 忘るるなゆめ」が開かれています。
会期は11月13日(日)までで、会期中は無休です。

西田俊英さん(1953~)は三重県伊勢市出身の日本画家で、日本美術院同人です。
奥村土牛、塩出英雄に師事し、人物、風景、花鳥など、画題は幅広く、
インドでの取材に基く作品も数多く制作しています。
「月光」 1971年 個人蔵

西田さんは高校時代は油彩画を描いていました。
墨絵のような色調の、幻想的な作品です。
「回転木馬」 1977年 個人蔵

武蔵野美術大学の卒業制作です。
回転木馬には夢幻的な雰囲気があります。
「華鬘(けまん)」 1983年 山種美術館

インドで見た情景に想を得た作品で、沈んだ色調で天蓋のように
広がるヒマワリや様々の花を画面いっぱいに描いています。
華鬘とはお寺の装飾品で、花輪飾りから発展したものと云われています。
私が西田さんの作品に惹かれるようになったのも、この作品を観て以来です。
「プシュカールの老人」 1995年 島根・足立美術館

インドに惹かれた西田さんは1993年に文化庁派遣研修員として、
インドに1年間滞在しています。
プシュカールはインド北西部にあり、村では年に一度、数万頭の
ラクダの集まるラクダ市が開かれます。
その時はテントが並び、店が出来、移動遊園地まで開かれ、
終わるとすべて消え失せるそうです。
その村の長老を正面から描いていて、真直ぐにこちらを見ている
緑色の目が印象的で、静かな表情に老人の威厳が表れています。
「ミニアチュールの画家」 1995年 ひろしん文化財団

インド伝統の細密画を描く職人画家です。
絵筆を持ち、鋭い目でこちらを見ています。
「カルロス」 1997年 東京国立近代美術館

逆光の中で人物を正面から捉えています。
西田さんはこの時期、人物をよく描いています。
「星夜燦々」 2002年 郷さくら美術館

タージ・マハールはムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡き王妃の
ムムターズ・マハルのために建てた大理石の廟で、1653年に竣工しています。
後にシャー・ジャハーンは息子で第6代皇帝となるアウラングゼーブに
幽閉されてしまい、小窓からタージ・マハールを眺めては往時を偲んで
涙を流したということです。
月の光に照らされたドームは白く浮かび上がり、金色の星も降っています。
木の枝に寄り添うようにして止まっている二羽の鳥はシャー・ジャハーンと
王妃を表しているようです。
「キング」 2002年 今井美術館


インドで見た孔雀の印象を元に描いています。
太くたくましい脚も写実的です。
「きさらぎ」 2005年 個人蔵

桜の下で、月の光を浴びて老いた馬が佇んでいます。
のどかに過ごしている姿に、人生の後半を迎えた自分の分身を感じたそうです。
「吉備の鶴」 2006年 足立美術館

右隻

左隻


高梁川の河辺での鶴の営みです。
右隻の冬の枯れ野で鳴き交わして夫婦となり、左隻の春から初夏の
やわらかな日差しの中で、雛を育てています。
「出現」 2008年 北澤美術館

木々の間から幻のように出現して、こちらを見ている鹿です。
鹿は神の使いであることを思わせます。
「鳴々生々」 2012年 数研出版

白と黒を主にした墨絵のような画面でタンチョウを描いています。
広々とした空間の中の白が際立っています。
「サーカス」 2012年 山陽新聞社

天蓋の中で観客は夢の世界に浸り、子象は花畑の中で遊ぶ夢を見ています。
「ゼウスの世界」 2013年 個人蔵

ゼウスはボルゾイ犬の名前で、ボルゾイはロシア貴族が好んで
飼っていた犬種です。
西田さんは桜の下の犬という画題を考えていた時にこの犬と出会って、
構想が固まったそうです。
儚く咲く満開の枝垂桜の下の水辺に、高貴なボルゾイが座っています。
「月窓」 2014年 個人蔵

部分

窓の外には満月と桜、室内には男性とボルゾイのゼウス、窓辺ではイグアナが
月を見上げています。
静かな白い幻想に満ちた、荘厳とも云える情景が浮かび上がっています。
「森の住人」 2015年 個人蔵

部分

生い茂る密林では木々が岩に根を張っています。
見上げた瞬間、一匹の猿が枝から枝に跳躍しました。
奥深い空間の中で、自然の生命力があふれています。
西田さんの作品は綿密で、抒情性があり、時に夢幻的でもあります。
特に最近の作品は色彩が抑えられ、水墨画のような深みを持っています。
副題の「忘るるなゆめ」は、師の塩出英雄の言葉、「日本画の道を選べり
忘るるなゆめ 一生を励み磨きゆくべし」に拠っています。
2015年に日本橋髙島屋で開かれた「西田俊英展展」での
西田さんのギャラリートークの記事です。
展覧会のHPです。
明治神宮前
「ペルティエ 表参道本店」は東京メトロ明治神宮前駅から表参道を
少し行った右側にあります。
場所は渋谷区神宮前6-2-9です。

ペルティエはユーハイムグループのお店で、全席禁煙、ちょっと昔の
モダンといった雰囲気です。
約30席の店内は席の間も広く、ゆったりしています。
BGMはクラシックのピアノ曲でした。




ランチのクロックムッシュ1296円です。

こちらはスープセット1080円です。

セットのドリンクはアッサム紅茶194円にしました。

ランチはシンプルですが、店内にはきれいなケーキや焼き菓子が並んでいて、
帰りに焼き菓子を買いました。
なかなか美味しいお菓子でしたが、販売店舗は都内は羽田空港を含め、4か所と
神奈川の大船1か所のみです。
カフェは表参道本店のみですが、土日祝は11時から開いていて、早めの時間なら
席があるので、一休みするのにも便利なお店です。
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「ペルティエ 表参道本店」は東京メトロ明治神宮前駅から表参道を
少し行った右側にあります。
場所は渋谷区神宮前6-2-9です。

ペルティエはユーハイムグループのお店で、全席禁煙、ちょっと昔の
モダンといった雰囲気です。
約30席の店内は席の間も広く、ゆったりしています。
BGMはクラシックのピアノ曲でした。




ランチのクロックムッシュ1296円です。

こちらはスープセット1080円です。

セットのドリンクはアッサム紅茶194円にしました。

ランチはシンプルですが、店内にはきれいなケーキや焼き菓子が並んでいて、
帰りに焼き菓子を買いました。
なかなか美味しいお菓子でしたが、販売店舗は都内は羽田空港を含め、4か所と
神奈川の大船1か所のみです。
カフェは表参道本店のみですが、土日祝は11時から開いていて、早めの時間なら
席があるので、一休みするのにも便利なお店です。
両国
江戸東京博物館では、「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」展が開かれています。
会期は11月6日(日)までです。

江戸時代にオランダ商館医として長崎の出島に来航し、日本に西洋医学などを伝え、
日本の自然や文化を研究してヨーロッパにおける日本学の祖となった、
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)を紹介する展覧会です。
今年はシーボルト没後150年に当たります。
シーボルトは1823年に来日し、1828年に帰国した後、日本の開国後の1859年に
再来日して、1862年に帰国しています。
この2度の来日で膨大な資料を収集し、オランダに送っていて、今回はその一部が
展示されています。
「人物画帳(川越人足)」 河原慶賀筆
1823-1830(文政6-天保元)年 ミュンヘン五大陸博物館蔵

オランダ商館の依頼で、職人や、僧、神主、遊女など109人の姿を描いていて、
当時の風俗が手に取るように分かります。
タッチパネルの画像で全部の絵を観ることが出来ます。
「鳴滝の家屋模型」 江戸時代後期 ミュンヘン五大陸博物館蔵
長崎郊外の鳴滝でシーボルトが診療を行ない、医学を教えた塾の模型です。
指物師に作らせたのでしょうか、木造2階建て、瓦葺の町家で、当時の民家の様子が
よく分かります。
鳴滝塾では伊東玄朴、伊藤圭介、大槻俊斎、高野長英、戸塚静海、二宮敬作などが
学んでいます。
「伊能特別小図写(西日本)」 1826-1828(文政9-11)年頃
フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン家蔵
伊能忠敬の制作した日本地図の写しです。
桜島はまだ大隅半島とつながっていません。
地図は国外持ち出し禁制のため、事実を知った幕府はシーボルトを国外追放処分とし、
地図を渡した幕府天文方の高橋景保は獄死しています。
開国後、追放処分が解けてシーボルトは再び来日し、幕府の顧問も務めています。
14代将軍徳川家茂より拝領の太刀や、鳴滝塾で学んだ伊藤玄朴の贈った
手箪笥の目録もあります。
現在、上野の国立科学博物館では、12月4日(日)まで企画展、「日本の自然を
世界に開いたシーボルト」が開かれています。
シーボルト関係の資料は2014年に東京国立博物館で開かれた、「医は仁術」展にも
展示されていました。
「医は仁術」展の記事です。
展覧会のHPです。
次回の特別展は、「戦国時代展」です。
会期は11月23日(水・祝)から2017年1月29日(日)までです。

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江戸東京博物館では、「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」展が開かれています。
会期は11月6日(日)までです。


江戸時代にオランダ商館医として長崎の出島に来航し、日本に西洋医学などを伝え、
日本の自然や文化を研究してヨーロッパにおける日本学の祖となった、
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)を紹介する展覧会です。
今年はシーボルト没後150年に当たります。
シーボルトは1823年に来日し、1828年に帰国した後、日本の開国後の1859年に
再来日して、1862年に帰国しています。
この2度の来日で膨大な資料を収集し、オランダに送っていて、今回はその一部が
展示されています。
「人物画帳(川越人足)」 河原慶賀筆
1823-1830(文政6-天保元)年 ミュンヘン五大陸博物館蔵

オランダ商館の依頼で、職人や、僧、神主、遊女など109人の姿を描いていて、
当時の風俗が手に取るように分かります。
タッチパネルの画像で全部の絵を観ることが出来ます。
「鳴滝の家屋模型」 江戸時代後期 ミュンヘン五大陸博物館蔵
長崎郊外の鳴滝でシーボルトが診療を行ない、医学を教えた塾の模型です。
指物師に作らせたのでしょうか、木造2階建て、瓦葺の町家で、当時の民家の様子が
よく分かります。
鳴滝塾では伊東玄朴、伊藤圭介、大槻俊斎、高野長英、戸塚静海、二宮敬作などが
学んでいます。
「伊能特別小図写(西日本)」 1826-1828(文政9-11)年頃
フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン家蔵
伊能忠敬の制作した日本地図の写しです。
桜島はまだ大隅半島とつながっていません。
地図は国外持ち出し禁制のため、事実を知った幕府はシーボルトを国外追放処分とし、
地図を渡した幕府天文方の高橋景保は獄死しています。
開国後、追放処分が解けてシーボルトは再び来日し、幕府の顧問も務めています。
14代将軍徳川家茂より拝領の太刀や、鳴滝塾で学んだ伊藤玄朴の贈った
手箪笥の目録もあります。
現在、上野の国立科学博物館では、12月4日(日)まで企画展、「日本の自然を
世界に開いたシーボルト」が開かれています。
シーボルト関係の資料は2014年に東京国立博物館で開かれた、「医は仁術」展にも
展示されていました。
「医は仁術」展の記事です。
展覧会のHPです。
次回の特別展は、「戦国時代展」です。
会期は11月23日(水・祝)から2017年1月29日(日)までです。

東京
丸の内の三菱一号館美術館で10月20日に開かれた、青い日記帳×「拝啓ルノワール先生
―梅原龍三郎に息づく師の教え」ブロガー特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は2017年1月9日(月・祝)までです。

写真は特別の許可を得て撮影しています。
「弐代目・青い日記帳」主催のTakさんがモデレーターで、ルノワールの「横たわる浴女」
(1906年 国立西洋美術館蔵、梅原龍三郎氏より寄贈)の前で高橋明也館長(左)の
挨拶があり、安井裕雄学芸員(右)の解説を伺いました。

図録も内容が同じで表紙の違う2種類が用意されています。

梅原龍三郎(1888-1986)は1908年にフランスに渡りますが、しばらくして南仏の
カーニュに住むルノワールに会いに行き、その教えを受けるようになります。
梅原がルノワールを初めて知ったのは、実はフランス行きの船で同室だった
田中喜作の持っていた本によってとのことだったそうです。
67歳のルノワールに予約も無しに会いに行った梅原はまだ20歳そこそこで、
まず夫人のアリーヌ・シャリゴによる面接試験を受け、合格してから面会を
許されています。
左 梅原龍三郎 「少女アニーン」 1908年 豊田市美術館
右 梅原龍三郎 「横臥裸婦」 1908年 愛知県美術館

パリに着いて、まだルノワールに会う前の作品です。
アニーンは下宿先の娘さんです。
どちらも青を基調にしていて、後の梅原とはかなり雰囲気が違います。
ピカソには青の時代があり、ルノワールも印象主義から離れた時代も青を多く使い
速水御舟も初期には群青を多用していた時があったので、青の時代というのは
よくあるもののようです。
「横臥裸婦」はキース・ヴァン・ドンゲンの影響があるとのことで、都会の陰翳も感じます。
左 梅原龍三郎 「ナルシス」 1913年 国立近代美術館
右 梅原龍三郎 「黄金の首飾り」 1913年 国立近代美術館


帰国した年の作品で、ギリシャ神話のナルシスは水鏡に映った自分の姿に恋しますが、
こちらはたくましい青年が洗面器を眺めて物思いに沈んでいます。
初期とは変わり、華やかで大らかな画風になっています。
左 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「パリスの審判」 1908年 三菱一号館寄託
右 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「パリスの審判」 1913-14年 ひろしま美術館

右の作品には蛇の絡まる杖を持ったヘルメスが加えられています。
梅原龍三郎 「パリスの審判」 1978年 個人蔵

1920年に再び渡仏し、21年にルノワールの弔問に訪れた際に見た「パリスの審判」に
感銘を受け、別ヴァージョンが日本にもたらされた時に模写しています。
構図は似ていますが、晩年の梅原は自分流に気分良く描いています。
ルノワールと梅原龍三郎は師弟と言うには画風に違いが大きいということですが、
自由で明るく、豊穣なのは似ているように思います。
梅原龍三郎が会いに行った頃のルノワールは既に老大家であり、時代遅れとも
見られていたとのことで、フランスで梅原は新しい世代のピカソやルオーなどにも
関心を寄せています。
キース・ヴァン・ドンゲンなど、新しい潮流の影響も受けたという梅原が古い世代の
ルノワールに強く惹かれたというのは、深いところで自分に合うものを感じたから
なのでしょうか。
壁に並んでいる絵画はすべて、梅原龍三郎旧蔵または寄贈のルノワールの作品です。

大津絵 「長刀弁慶」「鬼の念仏」 江戸時代 個人蔵 梅原龍三郎旧蔵品

梅原は大津絵などの日本美術に関心を持っていました。
大津絵の伸びやかな雰囲気に惹かれたのでしょうか。
ルノワールと梅原龍三郎、二人の言葉もあちこちに掲げられています。


梅原によればルノワールは同時代の画家でほめていたのはドガとセザンヌということです。
陶磁器職人だったルノワールがブルジョワ出身のドガとセザンヌだけを評価していた
というのも面白いところです。
第一次世界大戦終結間近の1918年8月2日付のルノワールから梅原への手紙も
展示されていて、夫人のアリーヌ・シャリゴが亡くなったこと、長男のピエールと
次男のジャン(後の映画監督)が戦傷を負ったが生きているので、まだ自分は
幸福だと思っていることなどが書かれています。
カーニュでルノワールと梅原龍三郎が会った当時の二人と一緒にスリーショットを写せる
場所もあります。

展覧会のHPです。
次回の展覧会は「オルセーのナビ派展」です。
会期は2017年2月4日(土)から5月21日(日)までです。

chariot
丸の内の三菱一号館美術館で10月20日に開かれた、青い日記帳×「拝啓ルノワール先生
―梅原龍三郎に息づく師の教え」ブロガー特別内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は2017年1月9日(月・祝)までです。

写真は特別の許可を得て撮影しています。
「弐代目・青い日記帳」主催のTakさんがモデレーターで、ルノワールの「横たわる浴女」
(1906年 国立西洋美術館蔵、梅原龍三郎氏より寄贈)の前で高橋明也館長(左)の
挨拶があり、安井裕雄学芸員(右)の解説を伺いました。

図録も内容が同じで表紙の違う2種類が用意されています。

梅原龍三郎(1888-1986)は1908年にフランスに渡りますが、しばらくして南仏の
カーニュに住むルノワールに会いに行き、その教えを受けるようになります。
梅原がルノワールを初めて知ったのは、実はフランス行きの船で同室だった
田中喜作の持っていた本によってとのことだったそうです。
67歳のルノワールに予約も無しに会いに行った梅原はまだ20歳そこそこで、
まず夫人のアリーヌ・シャリゴによる面接試験を受け、合格してから面会を
許されています。
左 梅原龍三郎 「少女アニーン」 1908年 豊田市美術館
右 梅原龍三郎 「横臥裸婦」 1908年 愛知県美術館

パリに着いて、まだルノワールに会う前の作品です。
アニーンは下宿先の娘さんです。
どちらも青を基調にしていて、後の梅原とはかなり雰囲気が違います。
ピカソには青の時代があり、ルノワールも印象主義から離れた時代も青を多く使い
速水御舟も初期には群青を多用していた時があったので、青の時代というのは
よくあるもののようです。
「横臥裸婦」はキース・ヴァン・ドンゲンの影響があるとのことで、都会の陰翳も感じます。
左 梅原龍三郎 「ナルシス」 1913年 国立近代美術館
右 梅原龍三郎 「黄金の首飾り」 1913年 国立近代美術館


帰国した年の作品で、ギリシャ神話のナルシスは水鏡に映った自分の姿に恋しますが、
こちらはたくましい青年が洗面器を眺めて物思いに沈んでいます。
初期とは変わり、華やかで大らかな画風になっています。
左 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「パリスの審判」 1908年 三菱一号館寄託
右 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「パリスの審判」 1913-14年 ひろしま美術館

右の作品には蛇の絡まる杖を持ったヘルメスが加えられています。
梅原龍三郎 「パリスの審判」 1978年 個人蔵

1920年に再び渡仏し、21年にルノワールの弔問に訪れた際に見た「パリスの審判」に
感銘を受け、別ヴァージョンが日本にもたらされた時に模写しています。
構図は似ていますが、晩年の梅原は自分流に気分良く描いています。
ルノワールと梅原龍三郎は師弟と言うには画風に違いが大きいということですが、
自由で明るく、豊穣なのは似ているように思います。
梅原龍三郎が会いに行った頃のルノワールは既に老大家であり、時代遅れとも
見られていたとのことで、フランスで梅原は新しい世代のピカソやルオーなどにも
関心を寄せています。
キース・ヴァン・ドンゲンなど、新しい潮流の影響も受けたという梅原が古い世代の
ルノワールに強く惹かれたというのは、深いところで自分に合うものを感じたから
なのでしょうか。
壁に並んでいる絵画はすべて、梅原龍三郎旧蔵または寄贈のルノワールの作品です。

大津絵 「長刀弁慶」「鬼の念仏」 江戸時代 個人蔵 梅原龍三郎旧蔵品

梅原は大津絵などの日本美術に関心を持っていました。
大津絵の伸びやかな雰囲気に惹かれたのでしょうか。
ルノワールと梅原龍三郎、二人の言葉もあちこちに掲げられています。


梅原によればルノワールは同時代の画家でほめていたのはドガとセザンヌということです。
陶磁器職人だったルノワールがブルジョワ出身のドガとセザンヌだけを評価していた
というのも面白いところです。
第一次世界大戦終結間近の1918年8月2日付のルノワールから梅原への手紙も
展示されていて、夫人のアリーヌ・シャリゴが亡くなったこと、長男のピエールと
次男のジャン(後の映画監督)が戦傷を負ったが生きているので、まだ自分は
幸福だと思っていることなどが書かれています。
カーニュでルノワールと梅原龍三郎が会った当時の二人と一緒にスリーショットを写せる
場所もあります。

展覧会のHPです。
次回の展覧会は「オルセーのナビ派展」です。
会期は2017年2月4日(土)から5月21日(日)までです。

上野
上野の東京都美術館では、「ゴッホとゴーギャン展」が開かれています。
会期は12月18(日)までです。

ポスト印象派の画家で、関係の深かったフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)と
ポール・ゴーギャン(1848-1903)の作品約50点を中心にした展覧会です。
二人に影響を与えたり、親交のあった、ミレー、コロー、ピサロ、アドルフ・モンティセリ、
シャヴァンヌ、エミール・ベルナールなどの作品も展示されています。
ポール・ゴーギャン 「自画像」 1885年 キンベル美術館

妻の出身地のコペンハーゲンでの事業に失敗し、屋根裏部屋で首を吊ろうかと
思い詰めていた頃の作品とのことです。
我の強いゴーギャンにしては表情に強さが無く、冷たい色調です。
この後、画家として生きる決断をして、パリに向かっています。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「自画像」 1887年 クレラー=ミュラー美術館

鏡を見て描いているので、チョッキのボタンが逆になっています。
ゴッホの自画像はオランダ時代には無く、描き始めたのはパリに出て来て、
弟テオのアパルトマンに住み、適当な大きさの鏡を使えるようになってからとのことです。
生活が苦しかったので、カンヴァスでなく、厚紙に描いていて、絵具が良くないのか、
褪色しているように見えます。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「モンマルトル、 ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏」
1887年 ファン・ゴッホ美術館 (フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

オランダ時代はバルビゾン派風の暗い色調の絵を描いていたゴッホは、
パリに出て来て印象派や新印象派の影響を受けて、明るい色彩で
強いタッチの絵を描くようになります。
賑やかな社交場だったムーラン・ド・ラ・ギャレットも周りには畑が残り、
ここが新開地だったことを示しています。
ルノワールが代表作、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を描いたのは
約10年前の1876年です。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「収穫」 1888年 ファン・ゴッホ美術館

この年の2月にゴッホはパリから南仏のアルルに移り住んでいます。
麦の収穫の頃の風景で、遠くの景色までていねいに描かれており、
彼の自信作だったようです。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「ゴーギャンの椅子」 1888年 ファン・ゴッホ美術館

ゴッホの誘いに応じて10月にゴーギャンがアルルにやってきます。
ゴッホはゴーギャンのために椅子を買っています。
ろうそくと本はゴーギャンを表していて、ゴッホは思想性の強いゴーギャンを
「詩人」と呼んでいます。
ポール・ゴーギャン 「ブドウの収穫、人間の悲惨」 1888年 オードロップゴー美術館

ジュートに描いています。
アルルでゴッホと散歩している時に見たブドウ畑光景とのことですが、
作業している女性はブルターニュの風俗をしています。
座り込んでいる女性は物乞いとのことです。
対象を見ていないと描けないゴッホと違って、想像で描くことが多いゴーギャンの
特徴を表しています。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「ジョゼフ・ルーランの肖像」 1889年 クレラー=ミュラー美術館

ジョゼフ・ルーランは駅の郵便物係で、よくゴッホの作品のモデルになっています。
色彩は明るく温かく、背景に描かれた花模様が華やかです。
制服の青と目の色が合っていて、立派なヒゲにも青色が入っています。
ポール・ゴーギャン 「アルルの洗濯女」 1888年 ビルバオ美術館

写実を離れた、平面的な画面で、形も揺らめいています。
ポール・ゴーギャン 「タヒチの3人」 1899年 スコットランド国立美術館

背景は縞模様になっていて、象徴的な雰囲気を見せています。
左の女性の持っているリンゴはアダムとイヴのリンゴを暗示しているそうです。
ポール・ゴーギャン 「肘掛け椅子のひまわり」 1901年 E.G. ビュールレ・コレクション財団

ゴッホを象徴するようなひまわりが椅子に置かれています。
ゴッホの描いた、ゴーギャンをアルルに迎えるときに用意した椅子の絵を思い出します。
窓の外はゴーギャンの現在を表すタヒチの海です。
ゴッホの耳切り事件で、共同生活が破綻した二人ですが、ゴーギャンはゴッホのことを忘れず、
後年にも懐かしく思い出していたことが分かります。
パリに出て印象派の影響を受け、アルルで共同生活し、やがて分かれて、それぞれ自らの
絵画世界を造り上げていく過程を、作品を観ながらたどれる展覧会です。
ゴッホの「ゴーギャンの椅子」とゴーギャンの「肘掛け椅子のひまわり」を共に観ることが
出来たのは収穫でした。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京都美術館では、「ゴッホとゴーギャン展」が開かれています。
会期は12月18(日)までです。

ポスト印象派の画家で、関係の深かったフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)と
ポール・ゴーギャン(1848-1903)の作品約50点を中心にした展覧会です。
二人に影響を与えたり、親交のあった、ミレー、コロー、ピサロ、アドルフ・モンティセリ、
シャヴァンヌ、エミール・ベルナールなどの作品も展示されています。
ポール・ゴーギャン 「自画像」 1885年 キンベル美術館

妻の出身地のコペンハーゲンでの事業に失敗し、屋根裏部屋で首を吊ろうかと
思い詰めていた頃の作品とのことです。
我の強いゴーギャンにしては表情に強さが無く、冷たい色調です。
この後、画家として生きる決断をして、パリに向かっています。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「自画像」 1887年 クレラー=ミュラー美術館

鏡を見て描いているので、チョッキのボタンが逆になっています。
ゴッホの自画像はオランダ時代には無く、描き始めたのはパリに出て来て、
弟テオのアパルトマンに住み、適当な大きさの鏡を使えるようになってからとのことです。
生活が苦しかったので、カンヴァスでなく、厚紙に描いていて、絵具が良くないのか、
褪色しているように見えます。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「モンマルトル、 ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏」
1887年 ファン・ゴッホ美術館 (フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

オランダ時代はバルビゾン派風の暗い色調の絵を描いていたゴッホは、
パリに出て来て印象派や新印象派の影響を受けて、明るい色彩で
強いタッチの絵を描くようになります。
賑やかな社交場だったムーラン・ド・ラ・ギャレットも周りには畑が残り、
ここが新開地だったことを示しています。
ルノワールが代表作、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を描いたのは
約10年前の1876年です。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「収穫」 1888年 ファン・ゴッホ美術館

この年の2月にゴッホはパリから南仏のアルルに移り住んでいます。
麦の収穫の頃の風景で、遠くの景色までていねいに描かれており、
彼の自信作だったようです。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「ゴーギャンの椅子」 1888年 ファン・ゴッホ美術館

ゴッホの誘いに応じて10月にゴーギャンがアルルにやってきます。
ゴッホはゴーギャンのために椅子を買っています。
ろうそくと本はゴーギャンを表していて、ゴッホは思想性の強いゴーギャンを
「詩人」と呼んでいます。
ポール・ゴーギャン 「ブドウの収穫、人間の悲惨」 1888年 オードロップゴー美術館

ジュートに描いています。
アルルでゴッホと散歩している時に見たブドウ畑光景とのことですが、
作業している女性はブルターニュの風俗をしています。
座り込んでいる女性は物乞いとのことです。
対象を見ていないと描けないゴッホと違って、想像で描くことが多いゴーギャンの
特徴を表しています。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「ジョゼフ・ルーランの肖像」 1889年 クレラー=ミュラー美術館

ジョゼフ・ルーランは駅の郵便物係で、よくゴッホの作品のモデルになっています。
色彩は明るく温かく、背景に描かれた花模様が華やかです。
制服の青と目の色が合っていて、立派なヒゲにも青色が入っています。
ポール・ゴーギャン 「アルルの洗濯女」 1888年 ビルバオ美術館

写実を離れた、平面的な画面で、形も揺らめいています。
ポール・ゴーギャン 「タヒチの3人」 1899年 スコットランド国立美術館

背景は縞模様になっていて、象徴的な雰囲気を見せています。
左の女性の持っているリンゴはアダムとイヴのリンゴを暗示しているそうです。
ポール・ゴーギャン 「肘掛け椅子のひまわり」 1901年 E.G. ビュールレ・コレクション財団

ゴッホを象徴するようなひまわりが椅子に置かれています。
ゴッホの描いた、ゴーギャンをアルルに迎えるときに用意した椅子の絵を思い出します。
窓の外はゴーギャンの現在を表すタヒチの海です。
ゴッホの耳切り事件で、共同生活が破綻した二人ですが、ゴーギャンはゴッホのことを忘れず、
後年にも懐かしく思い出していたことが分かります。
パリに出て印象派の影響を受け、アルルで共同生活し、やがて分かれて、それぞれ自らの
絵画世界を造り上げていく過程を、作品を観ながらたどれる展覧会です。
ゴッホの「ゴーギャンの椅子」とゴーギャンの「肘掛け椅子のひまわり」を共に観ることが
出来たのは収穫でした。
展覧会のHPです。
白金台
「アンドマーケット(& MARKET)」は東京メトロ白金台駅から目黒通りを庭園美術館に
向かう途中の北側にあります。
場所は港区白金台5-18-8です。


2011年にオープンした、輸入食料品のお店で、店内はチョコレートやコーヒーなどが
いろいろ並んでいます。
通りに面して、禁煙のテラス席のイートインが10席ほどあります。
ブレンドコーヒーS250円とオレンジパウンドケーキ300円です。

自家焙煎のコーヒーはすっきりとして美味しく、甘いパウンドケーキとよく合います。
目の前の目黒通りを行き来する人や、足許にやって来るスズメを眺めながら、
アメリカのドラッグストアの店先に座っている気分で一息入れました。

手軽に利用出来て、近くの庭園美術館や松岡美術館に行った帰りに寄るのに
都合の良いお店です。
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「アンドマーケット(& MARKET)」は東京メトロ白金台駅から目黒通りを庭園美術館に
向かう途中の北側にあります。
場所は港区白金台5-18-8です。


2011年にオープンした、輸入食料品のお店で、店内はチョコレートやコーヒーなどが
いろいろ並んでいます。
通りに面して、禁煙のテラス席のイートインが10席ほどあります。
ブレンドコーヒーS250円とオレンジパウンドケーキ300円です。

自家焙煎のコーヒーはすっきりとして美味しく、甘いパウンドケーキとよく合います。
目の前の目黒通りを行き来する人や、足許にやって来るスズメを眺めながら、
アメリカのドラッグストアの店先に座っている気分で一息入れました。

手軽に利用出来て、近くの庭園美術館や松岡美術館に行った帰りに寄るのに
都合の良いお店です。
東京
丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、今年も
「橋本不二子 作品展」が開かれています。
会期は10月25日(火)までです。

橋本不二子さん(1935~)は明るい透明な色彩の水彩やアクリルで
花の絵を描いています。
ガラス器や陶磁器などに活けられたバラやアイリス、アジサイ、ブドウなど
さまざまな草花の絵や版画が展示販売されています。
来年のカレンダーや絵葉書も販売されています。
ブドウとナナカマド

Burgon & Ballの鳥のエサ箱に入っています。
今年もカレンダーの販売される季節になりました。
2015年の「橋本不二子展」の記事です。
橋本不二子さんのHPです。
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丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、今年も
「橋本不二子 作品展」が開かれています。
会期は10月25日(火)までです。

橋本不二子さん(1935~)は明るい透明な色彩の水彩やアクリルで
花の絵を描いています。
ガラス器や陶磁器などに活けられたバラやアイリス、アジサイ、ブドウなど
さまざまな草花の絵や版画が展示販売されています。
来年のカレンダーや絵葉書も販売されています。
ブドウとナナカマド

Burgon & Ballの鳥のエサ箱に入っています。
今年もカレンダーの販売される季節になりました。
2015年の「橋本不二子展」の記事です。
橋本不二子さんのHPです。
表参道
表参道の根津美術館ではコレクション展、「中国陶磁勉強会」が開かれています。
会期は10月23日(日)までです。

根津美術館の所蔵する中国の陶磁器約120点を展示する展覧会で、
特に日本で茶人に愛好された「唐物(からもの)」を紹介しています。
「緑釉貼花文大壺」 隋時代 6-7世紀

鈍く銀緑色に光り、型で作った天女と花の文様を貼り付けて飾りにしていて、
西域の雰囲気があります。
「三彩壺」 唐時代 8世紀

唐三彩は貴族の墓に副葬する陶器で、明るく華やかな色彩が特徴です。
菱型に塗った釉薬が滲んで流れたままになっています。
丸くふっくらとした形で、万年壺と呼ばれています。
「青磁筍花生」 龍泉窯 南宋時代 12-13世紀 重要文化財

澄んだ青色をした青磁は砧青磁と呼ばれています。
竹の節のような輪があるので、筍の名があります。
4代将軍徳川家綱から堀田正俊に下され、堀田家に伝来しています。
「曜変天目茶碗」 建窯 南宋時代 12‐13世紀 重要美術品

器の内外に細かい曜変の粒がびっしりと現れています。
日本では曜変は16世紀の初めには珍重されていますが、この碗はまだ曜変とは
認められてはおらず、江戸時代に所有していた加賀前田家が曜変に加えたそうです。
加賀前田家は、現在MIHO MUSEUM所蔵の曜変天目茶碗(重要文化財)も
所蔵していました。
「青花龍鳳文瓶」 景徳鎮窯 元時代 14世紀

青花(染付)の瓶で、何段にも区切って文様を付けるのが元時代の特徴とのことです。
肩に如意(僧の持つ、孫の手の形をした道具)の頭の形の文様、胴に龍鳳凰、
裾にラマ式蓮弁文をめぐらせています。
「絵高麗梅鉢文茶碗」 明時代 15-16世紀

高麗茶碗と呼ばれていますが、中国の明時代の品です。
元は日用品で、重ね焼きの跡があり、梅に似た模様からこの名があります。
「淡茶釉三果文碗」 景徳鎮窯 清時代 雍正年間(1723〜36)

薄茶色一色の碗に白抜きで、果物が描かれています。
三果文は桃、柘榴、仏手柑(あるいはライチ)を配する絵柄です。
清時代は均一な発色の単色釉の製品も多く作られますが、このような薄茶色は
珍しいそうです。
展示室2は牧谿の「漁村夕照図」を中心にした、中国絵画の展示です。
「漁村夕照図」 牧谿筆 南宋時代 13世紀 国宝

牧谿の描いた「瀟湘八景」の中の一つで、元は一続きの巻物を3代将軍足利義満が
座敷飾りのために切断したと考えられ、義満の「道有」印が捺されています。
水気の多い江南の風景を薄墨で淡く表していて、山々の連なりにはリズムがあります。
画面右の木立には長く夕陽が差していて、夕暮れの一ときの印象を描き出しています。
展示室5は中国の漆器の展示です。
宋時代以降の中国漆器は唐物(からもの)漆器と呼ばれ、珍重されています。
「黒漆輪花椀」 北宋時代 10-12世紀

すっきりとした、花の形の椀です。
文様の無い中国の漆器は無文漆器、あるいは素文漆器と呼ばれています。
展示室6のテーマは「名残の茶会」です。
前年の茶葉や夏の風炉をしまい、その名残を惜しむ茶会です。
「色絵武蔵野図茶碗」 野々村仁清作 江戸時代 17世紀 重要美術品

銀を塗って夜景を、大きく丸く塗り残して満月を表し、すすきをあしらって
秋の風情としています。
展覧会のHPです。
開館75周年記念特別展、「円山応挙展」です。
会期は11月3日(木・祝)から12月18日(日)までです。

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表参道の根津美術館ではコレクション展、「中国陶磁勉強会」が開かれています。
会期は10月23日(日)までです。

根津美術館の所蔵する中国の陶磁器約120点を展示する展覧会で、
特に日本で茶人に愛好された「唐物(からもの)」を紹介しています。
「緑釉貼花文大壺」 隋時代 6-7世紀

鈍く銀緑色に光り、型で作った天女と花の文様を貼り付けて飾りにしていて、
西域の雰囲気があります。
「三彩壺」 唐時代 8世紀

唐三彩は貴族の墓に副葬する陶器で、明るく華やかな色彩が特徴です。
菱型に塗った釉薬が滲んで流れたままになっています。
丸くふっくらとした形で、万年壺と呼ばれています。
「青磁筍花生」 龍泉窯 南宋時代 12-13世紀 重要文化財

澄んだ青色をした青磁は砧青磁と呼ばれています。
竹の節のような輪があるので、筍の名があります。
4代将軍徳川家綱から堀田正俊に下され、堀田家に伝来しています。
「曜変天目茶碗」 建窯 南宋時代 12‐13世紀 重要美術品

器の内外に細かい曜変の粒がびっしりと現れています。
日本では曜変は16世紀の初めには珍重されていますが、この碗はまだ曜変とは
認められてはおらず、江戸時代に所有していた加賀前田家が曜変に加えたそうです。
加賀前田家は、現在MIHO MUSEUM所蔵の曜変天目茶碗(重要文化財)も
所蔵していました。
「青花龍鳳文瓶」 景徳鎮窯 元時代 14世紀

青花(染付)の瓶で、何段にも区切って文様を付けるのが元時代の特徴とのことです。
肩に如意(僧の持つ、孫の手の形をした道具)の頭の形の文様、胴に龍鳳凰、
裾にラマ式蓮弁文をめぐらせています。
「絵高麗梅鉢文茶碗」 明時代 15-16世紀

高麗茶碗と呼ばれていますが、中国の明時代の品です。
元は日用品で、重ね焼きの跡があり、梅に似た模様からこの名があります。
「淡茶釉三果文碗」 景徳鎮窯 清時代 雍正年間(1723〜36)

薄茶色一色の碗に白抜きで、果物が描かれています。
三果文は桃、柘榴、仏手柑(あるいはライチ)を配する絵柄です。
清時代は均一な発色の単色釉の製品も多く作られますが、このような薄茶色は
珍しいそうです。
展示室2は牧谿の「漁村夕照図」を中心にした、中国絵画の展示です。
「漁村夕照図」 牧谿筆 南宋時代 13世紀 国宝

牧谿の描いた「瀟湘八景」の中の一つで、元は一続きの巻物を3代将軍足利義満が
座敷飾りのために切断したと考えられ、義満の「道有」印が捺されています。
水気の多い江南の風景を薄墨で淡く表していて、山々の連なりにはリズムがあります。
画面右の木立には長く夕陽が差していて、夕暮れの一ときの印象を描き出しています。
展示室5は中国の漆器の展示です。
宋時代以降の中国漆器は唐物(からもの)漆器と呼ばれ、珍重されています。
「黒漆輪花椀」 北宋時代 10-12世紀

すっきりとした、花の形の椀です。
文様の無い中国の漆器は無文漆器、あるいは素文漆器と呼ばれています。
展示室6のテーマは「名残の茶会」です。
前年の茶葉や夏の風炉をしまい、その名残を惜しむ茶会です。
「色絵武蔵野図茶碗」 野々村仁清作 江戸時代 17世紀 重要美術品

銀を塗って夜景を、大きく丸く塗り残して満月を表し、すすきをあしらって
秋の風情としています。
展覧会のHPです。
開館75周年記念特別展、「円山応挙展」です。
会期は11月3日(木・祝)から12月18日(日)までです。

恵比寿
広尾の山種美術館の1階にある「Cafe 椿」でのランチです。
場所は渋谷区広尾3-12-36です。
道路に面してガラス張りになっているので、とても明るい店内です。
「椿」の名前は山種美術館所蔵の速水御舟作、「名樹散椿」にちなんでいます。

季節のにゅう麺1250円です。

ジュンサイと奈良十津川の落ち鮎が入っています。
展示室の低い室温で冷えた体が温まります。
メニューにはその時の展覧会の作品の幾つかををテーマにした、青山の「菊家」特製の
和菓子もあります。
私の行った時は「浮世絵 六大絵師の競演 -春信・清長・歌麿・写楽・北斎・広重-」展でした。
現在は「速水御舟の全貌展」が開かれています。
これは鈴木春信の「梅の枝折り」にちなんだ、 「袖が香」 です。

鈴木春信 「梅の枝折り」 1767-68(明和4-5)年頃

「浮世絵 六大絵師の競演」展の記事です。
以前の「Cafe 椿」の記事です。
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広尾の山種美術館の1階にある「Cafe 椿」でのランチです。
場所は渋谷区広尾3-12-36です。
道路に面してガラス張りになっているので、とても明るい店内です。
「椿」の名前は山種美術館所蔵の速水御舟作、「名樹散椿」にちなんでいます。

季節のにゅう麺1250円です。

ジュンサイと奈良十津川の落ち鮎が入っています。
展示室の低い室温で冷えた体が温まります。
メニューにはその時の展覧会の作品の幾つかををテーマにした、青山の「菊家」特製の
和菓子もあります。
私の行った時は「浮世絵 六大絵師の競演 -春信・清長・歌麿・写楽・北斎・広重-」展でした。
現在は「速水御舟の全貌展」が開かれています。
これは鈴木春信の「梅の枝折り」にちなんだ、 「袖が香」 です。

鈴木春信 「梅の枝折り」 1767-68(明和4-5)年頃

「浮世絵 六大絵師の競演」展の記事です。
以前の「Cafe 椿」の記事です。
明治神宮前
神宮前の太田記念美術館では「国芳ヒーローズ~水滸伝豪傑勢揃」展が開かれています。
会期は10月30日(日)までです。

歌川国芳(1797-1861)の「通俗水滸伝豪傑百八人」シリーズのほぼ全点を中心に、
約200点が展示されています。
9月27日(火)までの前期と10月1日(土)からの後期で、ほとんどの作品が展示替えになります。
「通俗水滸伝豪傑百八人」は文政10年(1827)から刊行された、水滸伝の豪傑108人を
描いた錦絵で、歌川国芳の出世作となっています。
異国の衣装の豪傑たちが活躍する様を表して評判となり、「武者絵の国芳」と
呼ばれるようになります。
「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 九紋龍史進 跳澗虎陳達」

前期の展示です。
後に梁山泊に入る史進と陳達が取っ組み合っています。
「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 扈三娘 一丈青」

前期の展示です。
扈三娘(こさんじょう)はあだ名を一丈青と言い、二刀を操る女傑です。
「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 浪裡白跳張順」

後期の展示です。
水泳の達人、張順が敵の水門を打ち破る場面です。
「本朝水滸伝剛勇八百人一個」 犬村大学礼儀 幼名角太郎」

前期の展示です。
本朝水滸伝は建部綾足 (たけべあやたり)による水滸伝の翻案で、日本の豪傑たちを
集めています。
犬村角太郎は南総里見八犬伝に登場する人物で、父親を殺してそれに化けた
化け猫を退治しているところです。
誰もがみなぎる力で画面いっぱいに暴れまわり、バロック的な躍動の世界を見せています。
武者絵の国芳の魅力をたっぷり味わえる展覧会です。
ミュージアムショップには、国芳にちなんだ可愛いグッズもいろいろ揃っています。
展覧会のHPです。
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神宮前の太田記念美術館では「国芳ヒーローズ~水滸伝豪傑勢揃」展が開かれています。
会期は10月30日(日)までです。

歌川国芳(1797-1861)の「通俗水滸伝豪傑百八人」シリーズのほぼ全点を中心に、
約200点が展示されています。
9月27日(火)までの前期と10月1日(土)からの後期で、ほとんどの作品が展示替えになります。
「通俗水滸伝豪傑百八人」は文政10年(1827)から刊行された、水滸伝の豪傑108人を
描いた錦絵で、歌川国芳の出世作となっています。
異国の衣装の豪傑たちが活躍する様を表して評判となり、「武者絵の国芳」と
呼ばれるようになります。
「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 九紋龍史進 跳澗虎陳達」

前期の展示です。
後に梁山泊に入る史進と陳達が取っ組み合っています。
「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 扈三娘 一丈青」

前期の展示です。
扈三娘(こさんじょう)はあだ名を一丈青と言い、二刀を操る女傑です。
「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 浪裡白跳張順」

後期の展示です。
水泳の達人、張順が敵の水門を打ち破る場面です。
「本朝水滸伝剛勇八百人一個」 犬村大学礼儀 幼名角太郎」

前期の展示です。
本朝水滸伝は建部綾足 (たけべあやたり)による水滸伝の翻案で、日本の豪傑たちを
集めています。
犬村角太郎は南総里見八犬伝に登場する人物で、父親を殺してそれに化けた
化け猫を退治しているところです。
誰もがみなぎる力で画面いっぱいに暴れまわり、バロック的な躍動の世界を見せています。
武者絵の国芳の魅力をたっぷり味わえる展覧会です。
ミュージアムショップには、国芳にちなんだ可愛いグッズもいろいろ揃っています。
展覧会のHPです。