上野
上野の東京国立博物館では特別展、「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」が
開かれています。
会期は12月9日(日)までです。

大報恩寺は、現在は真言宗智山派の寺院で、上京区の北野天満宮に近く、
千本釈迦堂とも呼ばれています。
釈迦の教えに立ち返るべく、鎌倉時代初期に義空(1172~1241)によって創建され、
安貞元年(1227年)に上棟した本堂は応仁の乱などの戦乱の被害も受けず、
洛中で最も古い建物となっています。

展覧会では本尊の釈迦如来坐像をはじめ、鎌倉時代の慶派の仏像などの名品が
展示されています。
「千手観音菩薩立像」 平安時代・10世紀 重要文化財
会場の最初に置かれています。
像高1.76mの堂々とした像で、頭上の面と脇の手以外は一木造、お顔はやや角張り、
衣文は翻波式です。
お寺の創建時より古い平安時代の作ですが、来歴は不明とのことです。
「釈迦如来坐像」 行快作 鎌倉時代・13世紀 重要文化財

写真:小野祐次

年に数回しか公開されない秘仏で、快慶の弟子、行快の作です。
台座も光背も当初のもので、丸みの強い顔や目尻の上がったところが行快の特徴との
ことで、きっぱりとしたお顔立ちです。
「十大弟子立像」 快慶作 鎌倉時代・13世紀

写真:小野祐次


快慶晩年の作品で、像高約1m、写実的で、人間としての個性が強く表されています。
玉眼が会場の照明を映し、生きているような表情を見せます。
現在は釈迦如来坐像とは別の場所に置かれていますが、会場では当初の配置に倣って、
釈迦如来坐像と一緒に展示されています。
「六観音菩薩像の内、右より如意輪観音、准胝観音、十一面観音」
肥後定慶作 鎌倉時代・貞応3年(1224)

写真:小野祐次


六観音は地獄、餓鬼、畜生など六道に堕ちた衆生を救う観音です。
人間を救うのは准胝観音(じゅんでいかんのん)です。
肥後定慶も慶派の仏師で、造作は緻密、顔の表現は生身のようです。
立像は像高約1.8m、これだけ大きな観音像が六体揃っているのは珍しく、
並んで立つ姿は壮観です。
台座も光背も当初のもので、10月30日からは光背を外し、背中側を観ることが出来ます。
聖観音菩薩立像は撮影可能です。


応仁の乱、天文法華の乱、信長の上京焼討ち、禁門の変など京都には幾つもの
戦乱があり、大火も発生しています。
その災禍にも遭わず現在まで伝えられてきた貴重な諸仏・諸像を間近に観ることのできる、
とても見応えのある展覧会です。
展覧会のHPです。
展覧会の後、平成館1階ラウンジにある、「鶴屋吉信」のイートインで一休みしました。


光悦満雲寿(こうえつまんじゅう)594円と紅茶324円です。

甘納豆の載った大きな薯蕷饅頭です。
上品な甘さで何とも美味しく、良い疲れ休めになります。
chariot
上野の東京国立博物館では特別展、「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」が
開かれています。
会期は12月9日(日)までです。

大報恩寺は、現在は真言宗智山派の寺院で、上京区の北野天満宮に近く、
千本釈迦堂とも呼ばれています。
釈迦の教えに立ち返るべく、鎌倉時代初期に義空(1172~1241)によって創建され、
安貞元年(1227年)に上棟した本堂は応仁の乱などの戦乱の被害も受けず、
洛中で最も古い建物となっています。

展覧会では本尊の釈迦如来坐像をはじめ、鎌倉時代の慶派の仏像などの名品が
展示されています。
「千手観音菩薩立像」 平安時代・10世紀 重要文化財
会場の最初に置かれています。
像高1.76mの堂々とした像で、頭上の面と脇の手以外は一木造、お顔はやや角張り、
衣文は翻波式です。
お寺の創建時より古い平安時代の作ですが、来歴は不明とのことです。
「釈迦如来坐像」 行快作 鎌倉時代・13世紀 重要文化財

写真:小野祐次

年に数回しか公開されない秘仏で、快慶の弟子、行快の作です。
台座も光背も当初のもので、丸みの強い顔や目尻の上がったところが行快の特徴との
ことで、きっぱりとしたお顔立ちです。
「十大弟子立像」 快慶作 鎌倉時代・13世紀

写真:小野祐次


快慶晩年の作品で、像高約1m、写実的で、人間としての個性が強く表されています。
玉眼が会場の照明を映し、生きているような表情を見せます。
現在は釈迦如来坐像とは別の場所に置かれていますが、会場では当初の配置に倣って、
釈迦如来坐像と一緒に展示されています。
「六観音菩薩像の内、右より如意輪観音、准胝観音、十一面観音」
肥後定慶作 鎌倉時代・貞応3年(1224)

写真:小野祐次


六観音は地獄、餓鬼、畜生など六道に堕ちた衆生を救う観音です。
人間を救うのは准胝観音(じゅんでいかんのん)です。
肥後定慶も慶派の仏師で、造作は緻密、顔の表現は生身のようです。
立像は像高約1.8m、これだけ大きな観音像が六体揃っているのは珍しく、
並んで立つ姿は壮観です。
台座も光背も当初のもので、10月30日からは光背を外し、背中側を観ることが出来ます。
聖観音菩薩立像は撮影可能です。


応仁の乱、天文法華の乱、信長の上京焼討ち、禁門の変など京都には幾つもの
戦乱があり、大火も発生しています。
その災禍にも遭わず現在まで伝えられてきた貴重な諸仏・諸像を間近に観ることのできる、
とても見応えのある展覧会です。
展覧会のHPです。
展覧会の後、平成館1階ラウンジにある、「鶴屋吉信」のイートインで一休みしました。


光悦満雲寿(こうえつまんじゅう)594円と紅茶324円です。

甘納豆の載った大きな薯蕷饅頭です。
上品な甘さで何とも美味しく、良い疲れ休めになります。
東京
丸の内のKITTEの1階にある「Mary's Cafe( メリーズカフェ)」でのランチです。
場所は千代田区丸の内2-7-2です。

メリーズチョコレートのお店で、全席禁煙のセルフ式、店内は明るく開放的です。
以前行った時の後リニューアルして、椅子も変わったようです。
以前は朝7時から開いていましたが、今は10時からになりました。
いろいろなチョコレートが揃っています。



デザートタイムは午後2時です。


ジャンボン、モッツアレラチーズ、生ハムの3種類をまとめたサンドイッチトリオ780円です。
コーヒー380円はセットで50円引きになります。

小さなチョコレートも付いています。
サンドイッチのパンは以前より厚くなり、価格も少し高くなりました。
はとバスの営業所が外の広場の向こう側にあるので、キャリーバッグを転がした
観光客が行き交っていました。
以前、「Mary's Cafe」に行った時の記事です。
chariot
丸の内のKITTEの1階にある「Mary's Cafe( メリーズカフェ)」でのランチです。
場所は千代田区丸の内2-7-2です。

メリーズチョコレートのお店で、全席禁煙のセルフ式、店内は明るく開放的です。
以前行った時の後リニューアルして、椅子も変わったようです。
以前は朝7時から開いていましたが、今は10時からになりました。
いろいろなチョコレートが揃っています。



デザートタイムは午後2時です。


ジャンボン、モッツアレラチーズ、生ハムの3種類をまとめたサンドイッチトリオ780円です。
コーヒー380円はセットで50円引きになります。

小さなチョコレートも付いています。
サンドイッチのパンは以前より厚くなり、価格も少し高くなりました。
はとバスの営業所が外の広場の向こう側にあるので、キャリーバッグを転がした
観光客が行き交っていました。
以前、「Mary's Cafe」に行った時の記事です。
日本橋
「DEAN & DELUCA日本橋高島屋S.C.店」は髙島屋新館の1階にあります。
場所は中央区日本橋2-5-1です。
新館は9月25日にオープンしました。

お店は本館との間の小路に面しています。
以前、喫茶店「ボナール」のあった所の並びです。
「ボナール」は上野広小路に移転しました。

40席ほどの店内はすっきりしたつくりで、小路に面してテラス席もあります。
平日は朝7時30分から開いています。
BGMはジャズでした。



チキンジェノバキッシュ500円とカフェラテ360円です。

キッシュはふんわり柔らかく、美味しいです。
髙島屋の周辺には朝早くから開いているお店があまり無いので、
新館1階の食品関係のお店は朝7時30分から開くようにしています。
朝早くのお店というのも、雰囲気が変わって面白そうです。
chariot
「DEAN & DELUCA日本橋高島屋S.C.店」は髙島屋新館の1階にあります。
場所は中央区日本橋2-5-1です。
新館は9月25日にオープンしました。

お店は本館との間の小路に面しています。
以前、喫茶店「ボナール」のあった所の並びです。
「ボナール」は上野広小路に移転しました。

40席ほどの店内はすっきりしたつくりで、小路に面してテラス席もあります。
平日は朝7時30分から開いています。
BGMはジャズでした。



チキンジェノバキッシュ500円とカフェラテ360円です。

キッシュはふんわり柔らかく、美味しいです。
髙島屋の周辺には朝早くから開いているお店があまり無いので、
新館1階の食品関係のお店は朝7時30分から開くようにしています。
朝早くのお店というのも、雰囲気が変わって面白そうです。
東京
丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、今年も「橋本不二子 作品展」が
開かれています。
会期は10月30日(火)までです。

橋本不二子さん(1935~)は明るい透明な色彩の水彩やアクリルで
花の絵を描いています。
ガラス器や陶磁器などに活けられたバラなど、さまざまな草花の絵や版画、
来年のカレンダーや絵葉書が展示販売されています。



この季節になると、書店、文具店には来年のカレンダーや手帳、日記が並び始めます。
2017年の「橋本不二子展」の記事です。
橋本不二子さんのHPです。
chariot
丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、今年も「橋本不二子 作品展」が
開かれています。
会期は10月30日(火)までです。

橋本不二子さん(1935~)は明るい透明な色彩の水彩やアクリルで
花の絵を描いています。
ガラス器や陶磁器などに活けられたバラなど、さまざまな草花の絵や版画、
来年のカレンダーや絵葉書が展示販売されています。



この季節になると、書店、文具店には来年のカレンダーや手帳、日記が並び始めます。
2017年の「橋本不二子展」の記事です。
橋本不二子さんのHPです。
上野
上野の国立西洋美術館では、「ルーベンス展―バロックの誕生」が開かれています。
会期は2019年1月20日(日)までです。

バロック絵画の大家、ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)について、
イタリアとの関係に焦点を当てた展覧会です。
ルーベンス 「眠るふたりの子供たち」 1612-1613年頃
日本、国立西洋美術館

兄フィリプスの子を描いたものとされていて、西洋美術館の平常展示で
よく観ることが出来ます。
頬っぺたも赤く丸々と可愛い子供たちです。
「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」 1615-16年
ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

5歳の長女の肖像です。
愛らしく利発な表情を見事に描き出しています。
ルーベンスはアントワープで育ち、画家となっていますが、1600年から1608にかけて
イタリア各地で過ごし、古代とルネサンスの芸術に接しています。
帰国後はスペイン・ハプスブルク家に外交官としても重用され、マドリードに滞在し、
外交使節としてイギリスを訪れてもいます。
スペインでは宮廷画家だったディエゴ・ベラスケス(1599-1660)と親交を結んでいます。
「毛皮を着た若い女性像」 1629-30年頃
ブリスベン、クィーンズランド美術館

ティツィアーノの作品の模写で、ルーベンスがスペインの外交使節として
イギリスに滞在中に描いたものです。
ルーベンスは古典古代の芸術やティツィアーノなどのルネサンス芸術に傾倒し、
その影響を深く受けています。
またカラヴァッジョなど同時代の芸術も学んでいます。
「パエトンの墜落」 1604-05 年頃、おそらく1606-08 年頃に再制作
ワシントン、ナショナル・ギャラリー

パエトンはギリシャ神話の登場人物で、父の太陽神アポロンの馬車を駆りますが、
暴走させてしまい、世界中が大火災となります。
そこで、最高神ユピテルに雷を落とされ、死んでしまいます。
パエトンは跳ね狂った4頭立ての馬車から振り落とされ、蝶の羽を着けた女神たちは
恐れおののいています。
斜めに差す光が動きを誘う、ルーベンスらしいダイナミックな作品です。
「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」 1615-16 年
ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

ギリシャ神話のお話で、女神アテナ(あるいは地母神ガイア)は後にアテナイ王となる
赤ん坊のエリクトニオスを箱に入れて、アテナイ王ケクロプスの娘たちに預けます。
しかし、娘たちはアテナの言い付けを破って箱の中を見たため、死んでしまいます。
幼年、成年、老年の3者が一つの画面に描かれ、右上には地母神をかたどった
噴水もあります。
「マルスとレア・シルウィア」 1616-17年
ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

軍神マルスが女神ウェスタに仕える巫女のレア・シルウィアに迫る場面です。
二人の間の子がローマを建国したとされる双子の兄弟、ロムルスとレムスです。
マルスが兜を脱いでいるのは戦いの停止、すなわち平和の到来も意味するそうです。
ネーデルランドの独立戦争で、スペインとの一時的停戦条約が結ばれていた時期の
作品で、平和への強い思いもあったのでしょう。
この作品もエリクトニオスの絵も、ギリシャ・ローマというヨーロッパの始まりにまつわる
伝説を題材にしています。
「聖アンデレの殉教」 1638-39年 マドリード、ルロス・デ・アンベレス財団

ルーベンスが晩年、最後に制作したとされる宗教画の大作で、展覧会で一番印象に
残った作品です。
聖アンデレはイエスの十二使徒のひとりで、ギリシャのアカイアで殉教したと
伝えられています。
ローマ総督アイケアデスによってX字型の十字架に掛けられたアンデレは2日の間、
集まった2万人の人びとに教えを説きます。
人びとの怒りを恐れたアイケアデスはアンデレを十字架から降ろそうとしますが、
アンデレは生きたままでは降りないとして、それを拒みます。
すると天から光が差して、アンデレの霊は天に召されます。
両腕を上に伸ばしたアンドレイ、馬上の総督、キリスト教に改宗した総督の妻、
月桂冠と棕櫚の葉を持って舞い降りる天使が描かれています。
光と影を強調し、十字架のX字を巧みに使った、躍動的で見事な画面で、精神性も
感じられ、バロックを象徴する作品といえます。
バロック絵画はプロテスタントの興隆に対する、カトリック側の対抗宗教改革の
一環として始まったとされています。
ルーベンスが育ち、工房を構えたネーデルランドに独立戦争が起きたのも
この宗教対立がきっかけです。
会場にはルーベンスが影響を受け、制作の参考にしたとされる古代彫刻も
展示され、ルーベンスがどれほど古典古代やルネサンスに傾倒し、影響を受けたか
解説されています。
ルーベンスというと、歴史画・宗教画が中心で、その表現には大げさと感じることも
ありますが、やはりその力量は圧倒的で、感心してしまいます。
展覧会のHPです。
chariot
上野の国立西洋美術館では、「ルーベンス展―バロックの誕生」が開かれています。
会期は2019年1月20日(日)までです。

バロック絵画の大家、ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)について、
イタリアとの関係に焦点を当てた展覧会です。
ルーベンス 「眠るふたりの子供たち」 1612-1613年頃
日本、国立西洋美術館

兄フィリプスの子を描いたものとされていて、西洋美術館の平常展示で
よく観ることが出来ます。
頬っぺたも赤く丸々と可愛い子供たちです。
「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」 1615-16年
ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

5歳の長女の肖像です。
愛らしく利発な表情を見事に描き出しています。
ルーベンスはアントワープで育ち、画家となっていますが、1600年から1608にかけて
イタリア各地で過ごし、古代とルネサンスの芸術に接しています。
帰国後はスペイン・ハプスブルク家に外交官としても重用され、マドリードに滞在し、
外交使節としてイギリスを訪れてもいます。
スペインでは宮廷画家だったディエゴ・ベラスケス(1599-1660)と親交を結んでいます。
「毛皮を着た若い女性像」 1629-30年頃
ブリスベン、クィーンズランド美術館

ティツィアーノの作品の模写で、ルーベンスがスペインの外交使節として
イギリスに滞在中に描いたものです。
ルーベンスは古典古代の芸術やティツィアーノなどのルネサンス芸術に傾倒し、
その影響を深く受けています。
またカラヴァッジョなど同時代の芸術も学んでいます。
「パエトンの墜落」 1604-05 年頃、おそらく1606-08 年頃に再制作
ワシントン、ナショナル・ギャラリー

パエトンはギリシャ神話の登場人物で、父の太陽神アポロンの馬車を駆りますが、
暴走させてしまい、世界中が大火災となります。
そこで、最高神ユピテルに雷を落とされ、死んでしまいます。
パエトンは跳ね狂った4頭立ての馬車から振り落とされ、蝶の羽を着けた女神たちは
恐れおののいています。
斜めに差す光が動きを誘う、ルーベンスらしいダイナミックな作品です。
「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」 1615-16 年
ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

ギリシャ神話のお話で、女神アテナ(あるいは地母神ガイア)は後にアテナイ王となる
赤ん坊のエリクトニオスを箱に入れて、アテナイ王ケクロプスの娘たちに預けます。
しかし、娘たちはアテナの言い付けを破って箱の中を見たため、死んでしまいます。
幼年、成年、老年の3者が一つの画面に描かれ、右上には地母神をかたどった
噴水もあります。
「マルスとレア・シルウィア」 1616-17年
ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

軍神マルスが女神ウェスタに仕える巫女のレア・シルウィアに迫る場面です。
二人の間の子がローマを建国したとされる双子の兄弟、ロムルスとレムスです。
マルスが兜を脱いでいるのは戦いの停止、すなわち平和の到来も意味するそうです。
ネーデルランドの独立戦争で、スペインとの一時的停戦条約が結ばれていた時期の
作品で、平和への強い思いもあったのでしょう。
この作品もエリクトニオスの絵も、ギリシャ・ローマというヨーロッパの始まりにまつわる
伝説を題材にしています。
「聖アンデレの殉教」 1638-39年 マドリード、ルロス・デ・アンベレス財団

ルーベンスが晩年、最後に制作したとされる宗教画の大作で、展覧会で一番印象に
残った作品です。
聖アンデレはイエスの十二使徒のひとりで、ギリシャのアカイアで殉教したと
伝えられています。
ローマ総督アイケアデスによってX字型の十字架に掛けられたアンデレは2日の間、
集まった2万人の人びとに教えを説きます。
人びとの怒りを恐れたアイケアデスはアンデレを十字架から降ろそうとしますが、
アンデレは生きたままでは降りないとして、それを拒みます。
すると天から光が差して、アンデレの霊は天に召されます。
両腕を上に伸ばしたアンドレイ、馬上の総督、キリスト教に改宗した総督の妻、
月桂冠と棕櫚の葉を持って舞い降りる天使が描かれています。
光と影を強調し、十字架のX字を巧みに使った、躍動的で見事な画面で、精神性も
感じられ、バロックを象徴する作品といえます。
バロック絵画はプロテスタントの興隆に対する、カトリック側の対抗宗教改革の
一環として始まったとされています。
ルーベンスが育ち、工房を構えたネーデルランドに独立戦争が起きたのも
この宗教対立がきっかけです。
会場にはルーベンスが影響を受け、制作の参考にしたとされる古代彫刻も
展示され、ルーベンスがどれほど古典古代やルネサンスに傾倒し、影響を受けたか
解説されています。
ルーベンスというと、歴史画・宗教画が中心で、その表現には大げさと感じることも
ありますが、やはりその力量は圧倒的で、感心してしまいます。
展覧会のHPです。
恵比寿
山種美術館では企画展、「日本美術院創立120年記念 日本画の挑戦者たち
―大観・春草・古径・御舟―」が開かれています。
会期は11月11日(日)までです。

岡倉天心が新しい日本画を目指して明治31年(1898)に日本美術院を設立して
120年を記念して、日本美術院を代表する画家の作品の展示です。
日本美術院は東京美術学校を辞職した岡倉天心が中心となって
明治31年(1898)に設立され、一旦活動を停止した後、横山大観たちが
大正3年(1914)に再興しています。
横山大観 「喜撰山」 1919年

百人一首に載っている、喜撰法師の歌に拠っています。
喜撰法師は宇治に住んでいたとされます。
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
金箋紙(裏に金箔を押した鳥の子紙の表面を薄く剥いだもの)に描いた
最初の作品で、明るく温かい地色が映えています。
京都の土の赤さを表現するために使ったと考えられるそうです。
横山大観は菱田春草とともに朦朧体などさまざまな新しい技法を考え、
また、一時衰えていた日本美術院を再興しています。
速水御舟 「名樹散椿」 1929年 重要文化財

京都の地蔵院の五色八重散り椿を描いたものです。
花びらが一枚づつ散るという、珍しい椿です。
椿の枝はねじれながら伸び広がり、紅、白、斑の花を付けた枝は重みで傾き、
地面には花びらが散っています。
奥の葉、手前の葉を一枚一枚描き分け、量感と立体感があります。
背景は「撒きつぶし」という、金砂子を竹筒に入れて撒いていく方法で、
同じ調子の金地がびっしりと広がっています。
しんと静まった画面で、有無を言わせぬ迫力と緊迫感があります。
速水御舟 「牡丹花(墨牡丹)」 1934年

描線を使わず、墨のにじみによって花弁を描き出しています。
墨色でありながら、華やかです。
小林古径 「清姫」 8枚連作のうち「日高川」(部分) 1930年

紀州の安珍清姫伝説を絵巻物風に8枚続きの絵に仕立てたもので、
全8点が展示されています。
安珍を追う清姫が日高川に阻まれています。
同じ場面を描いた作品に東京国立近代美術館所蔵の村上華岳作、
「日高河清姫図」(1919年、重要文化財)があります。
小林古径 「清姫」 8枚連作のうち「入相桜」 1930年

鐘の中で焼き殺された安珍と、日高川に身を投げた清姫の亡骸は共に
比翼塚に葬られ、桜が植えられ、入相桜と呼ばれます。
「清姫」の連作が展示されていた、2013年の「古径と土牛」展の記事です。
「城」 1955年

輪郭線を使わず、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという作風は、
姫路城を描いたこの作品に始まるといいます。
天守閣を下から見上げた構図ですが、画面の下側に大きく白壁の面を取り、
その上に屋根の構造物の重なりを黒く太い線で積み上げて描いています。
セザンヌの影響を受けた作品で、奥村土牛は小林古径が買ってくれたセザンヌの
画集によりセザンヌ好きになり、模写もしています。
安田靫彦 「出陣の舞」 1970年

永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに先立ち、幸若舞の「敦盛」を舞う信長の姿です。
信長は州浜に千鳥の片身替りの小袖を着て、織田家の家紋の木瓜(もっこう)紋の入った
長袴を履いています。
鎧櫃には桶狭間の戦いで着用したとされる紺糸縅具足が載っています。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
前田青邨 「腑分」 1970年

江戸時代の腑分(解剖)の場面です。
腑分をする者を中心に、蘭書を手に見入る者、おそるおそる覗く者、
合掌する者など、さまざまな様子が描かれています。
抑えた色彩によって、静かな興奮を表しています。
西田俊英 「華鬘(けまん)」 1983年

初期の作品で、インドで見た情景に想を得ています。
天蓋のように広がるヒマワリや様々の花を沈んだ色調で画面いっぱいに
描いています。
華鬘とはお寺の装飾品で、花輪飾りから発展したものと云われています。
宮廻正明 「水花火(螺)」 2012年

四国の四万十川の投網漁を題材にしていて、真昼に一瞬咲いた花火を捉えています。
幾何学的な構図で、水面を点描で描き、網の目も細かく一本一本描き込んでいます。
山種美術館のHPです。
次回の展覧会はご即位記念特別展、「皇室ゆかりの美術―宮殿を彩った日本画―」です。
会期は11月17日(土)から2019年1月20日(日)までです。
chariot
山種美術館では企画展、「日本美術院創立120年記念 日本画の挑戦者たち
―大観・春草・古径・御舟―」が開かれています。
会期は11月11日(日)までです。

岡倉天心が新しい日本画を目指して明治31年(1898)に日本美術院を設立して
120年を記念して、日本美術院を代表する画家の作品の展示です。
日本美術院は東京美術学校を辞職した岡倉天心が中心となって
明治31年(1898)に設立され、一旦活動を停止した後、横山大観たちが
大正3年(1914)に再興しています。
横山大観 「喜撰山」 1919年

百人一首に載っている、喜撰法師の歌に拠っています。
喜撰法師は宇治に住んでいたとされます。
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
金箋紙(裏に金箔を押した鳥の子紙の表面を薄く剥いだもの)に描いた
最初の作品で、明るく温かい地色が映えています。
京都の土の赤さを表現するために使ったと考えられるそうです。
横山大観は菱田春草とともに朦朧体などさまざまな新しい技法を考え、
また、一時衰えていた日本美術院を再興しています。
速水御舟 「名樹散椿」 1929年 重要文化財

京都の地蔵院の五色八重散り椿を描いたものです。
花びらが一枚づつ散るという、珍しい椿です。
椿の枝はねじれながら伸び広がり、紅、白、斑の花を付けた枝は重みで傾き、
地面には花びらが散っています。
奥の葉、手前の葉を一枚一枚描き分け、量感と立体感があります。
背景は「撒きつぶし」という、金砂子を竹筒に入れて撒いていく方法で、
同じ調子の金地がびっしりと広がっています。
しんと静まった画面で、有無を言わせぬ迫力と緊迫感があります。
速水御舟 「牡丹花(墨牡丹)」 1934年

描線を使わず、墨のにじみによって花弁を描き出しています。
墨色でありながら、華やかです。
小林古径 「清姫」 8枚連作のうち「日高川」(部分) 1930年

紀州の安珍清姫伝説を絵巻物風に8枚続きの絵に仕立てたもので、
全8点が展示されています。
安珍を追う清姫が日高川に阻まれています。
同じ場面を描いた作品に東京国立近代美術館所蔵の村上華岳作、
「日高河清姫図」(1919年、重要文化財)があります。
小林古径 「清姫」 8枚連作のうち「入相桜」 1930年

鐘の中で焼き殺された安珍と、日高川に身を投げた清姫の亡骸は共に
比翼塚に葬られ、桜が植えられ、入相桜と呼ばれます。
「清姫」の連作が展示されていた、2013年の「古径と土牛」展の記事です。
「城」 1955年

輪郭線を使わず、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという作風は、
姫路城を描いたこの作品に始まるといいます。
天守閣を下から見上げた構図ですが、画面の下側に大きく白壁の面を取り、
その上に屋根の構造物の重なりを黒く太い線で積み上げて描いています。
セザンヌの影響を受けた作品で、奥村土牛は小林古径が買ってくれたセザンヌの
画集によりセザンヌ好きになり、模写もしています。
安田靫彦 「出陣の舞」 1970年

永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに先立ち、幸若舞の「敦盛」を舞う信長の姿です。
信長は州浜に千鳥の片身替りの小袖を着て、織田家の家紋の木瓜(もっこう)紋の入った
長袴を履いています。
鎧櫃には桶狭間の戦いで着用したとされる紺糸縅具足が載っています。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
前田青邨 「腑分」 1970年

江戸時代の腑分(解剖)の場面です。
腑分をする者を中心に、蘭書を手に見入る者、おそるおそる覗く者、
合掌する者など、さまざまな様子が描かれています。
抑えた色彩によって、静かな興奮を表しています。
西田俊英 「華鬘(けまん)」 1983年

初期の作品で、インドで見た情景に想を得ています。
天蓋のように広がるヒマワリや様々の花を沈んだ色調で画面いっぱいに
描いています。
華鬘とはお寺の装飾品で、花輪飾りから発展したものと云われています。
宮廻正明 「水花火(螺)」 2012年

四国の四万十川の投網漁を題材にしていて、真昼に一瞬咲いた花火を捉えています。
幾何学的な構図で、水面を点描で描き、網の目も細かく一本一本描き込んでいます。
山種美術館のHPです。
次回の展覧会はご即位記念特別展、「皇室ゆかりの美術―宮殿を彩った日本画―」です。
会期は11月17日(土)から2019年1月20日(日)までです。
御茶ノ水
「レストラン ヒルトップ」はお茶の水の順天堂医院一号館の1階にあります。
場所は文京区本郷3-1-3です。

順天堂医院(病院でなく医院です)の正面から入ってエスカレーターを上がった所が
1階で、お店はその右側にあります。
店内は広く明るく、全席禁煙、窓から神田川を見渡せます。
同じお茶の水の「山の上ホテル」の運営するお店で、店員さんの制服もクラシックです。
メニューは和洋中華が揃っており、スイーツもあります。
オムライス1620円です。

丁寧に作られ、ケチャップが添えられていて、玉子はふわりとして美味しく、
ボリュームもあります。
隣にはカフェ「ブーランジェリー セ・シ・ボン」があり、こちらでも一休みできます。


プリンアラモード486円と紅茶268円です。

病院1階のホールには「順天堂」の額が置かれています。

天保14年(1843)、佐藤泰然(1804-1872)が佐倉に順天堂を開いた時に、
「順天堂」と命名した姫路藩医山田安朴の揮毫したものです。
「病院旗」もあります。

戊辰戦争で、新政府軍の奥羽追討出張病院(野戦治療所)に掲げられた旗です。
赤い旗は順天堂第3代堂主佐藤進(1845-1921)が頭取を務めた白河口の治療所の旗です。
白河口の戦いは新政府軍と奥羽越列藩同盟軍による白河小峰城の争奪戦です。
白い旗は順天堂で佐藤泰然に学んだ関寛斎(1830-1912)が頭取を務めた平潟口の
治療所の旗です。
平潟口の戦いは新政府軍の常陸国平潟への上陸に続く戦いです。
戊辰戦争での旧幕府軍の病院を指揮したのは順天堂の創設者、佐藤泰然の子、
松本良順です。
幕末維新期の医療については司馬遼太郎の「胡蝶の夢」に書かれています。
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「レストラン ヒルトップ」はお茶の水の順天堂医院一号館の1階にあります。
場所は文京区本郷3-1-3です。

順天堂医院(病院でなく医院です)の正面から入ってエスカレーターを上がった所が
1階で、お店はその右側にあります。
店内は広く明るく、全席禁煙、窓から神田川を見渡せます。
同じお茶の水の「山の上ホテル」の運営するお店で、店員さんの制服もクラシックです。
メニューは和洋中華が揃っており、スイーツもあります。
オムライス1620円です。

丁寧に作られ、ケチャップが添えられていて、玉子はふわりとして美味しく、
ボリュームもあります。
隣にはカフェ「ブーランジェリー セ・シ・ボン」があり、こちらでも一休みできます。


プリンアラモード486円と紅茶268円です。

病院1階のホールには「順天堂」の額が置かれています。

天保14年(1843)、佐藤泰然(1804-1872)が佐倉に順天堂を開いた時に、
「順天堂」と命名した姫路藩医山田安朴の揮毫したものです。
「病院旗」もあります。

戊辰戦争で、新政府軍の奥羽追討出張病院(野戦治療所)に掲げられた旗です。
赤い旗は順天堂第3代堂主佐藤進(1845-1921)が頭取を務めた白河口の治療所の旗です。
白河口の戦いは新政府軍と奥羽越列藩同盟軍による白河小峰城の争奪戦です。
白い旗は順天堂で佐藤泰然に学んだ関寛斎(1830-1912)が頭取を務めた平潟口の
治療所の旗です。
平潟口の戦いは新政府軍の常陸国平潟への上陸に続く戦いです。
戊辰戦争での旧幕府軍の病院を指揮したのは順天堂の創設者、佐藤泰然の子、
松本良順です。
幕末維新期の医療については司馬遼太郎の「胡蝶の夢」に書かれています。
東京
丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、「あべとしゆき水彩画展」が
開かれています。
初めての水彩詩画集の出版を記念しての展覧会で、会期は10月23日(火)までです。

あべとしゆきさん(1959~)は山形県出身で、四季の自然の風景をさらりとした水彩で
描いています。
野原や水辺など、ありふれた景色ですが、力みの無い、心安らぐおだやかな作品です。
2014年に同じ丸善丸の内本店で開かれた、「あべとしゆき水彩画展」の記事です。
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丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、「あべとしゆき水彩画展」が
開かれています。
初めての水彩詩画集の出版を記念しての展覧会で、会期は10月23日(火)までです。

あべとしゆきさん(1959~)は山形県出身で、四季の自然の風景をさらりとした水彩で
描いています。
野原や水辺など、ありふれた景色ですが、力みの無い、心安らぐおだやかな作品です。
2014年に同じ丸善丸の内本店で開かれた、「あべとしゆき水彩画展」の記事です。
上野
上野の森美術館では、「フェルメール展」が開かれています。
会期は2019年2月3日(日)まで、日時指定入場制です。
当日券の発売も若干あるようです。

確認されている作品が30数点という、オランダの画家、ヨハネス・フェルメール
(1632-1675)の作品が9点(1点は1月9日から)展示されるという展覧会です。
私は平日の朝9時30分から10時30分の入館を予約しました。
音声ガイドが無料で貸し出されます。
まず2階のオランダ絵画の展示に進みます。
特にピーテル・デ・ホーホの「人の居る裏庭」(1663-1665年頃
アムステルダム国立美術館)が印象に残りました。
次に1階に降りるとフェルメールの作品が展示されています。
展示されている作品は以下の通りです。
「マルタとマリアの家のキリスト」 1654-1655年頃 スコットランド・ナショナル・ギャラリー

「牛乳を注ぐ女」 1658-1660年頃 アムステルダム国立美術館

「ワイングラス」 1661‐1662年頃 ベルリン国立美術館 (日本初公開)

「リュートを調弦する女」 1662-1663年頃 メトロポリタン美術館
「真珠の首飾りの女」 1662-1665年頃 ベルリン国立美術館

「手紙を書く女」 1665年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

「赤い帽子の娘」 1665-1666年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー (日本初公開)
「手紙を書く婦人と召使い」 1670-1671年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー

「取り持ち女」 1656年 ドレスデン国立古典絵画館 (日本初公開、1月9日から展示)
初期の宗教画、風俗画もあり、モデルが同じ金色の上着を着た、「リュートを調弦する女」
「真珠の首飾りの女」「手紙を書く女」の3点も並んでいます。
手紙を題材にしたフェルメールの作品3点が展示された、2011年にBunkamura
ザ・ミュージアムで開かれた、「フェルメールからのラブレター展」の記事です。
小さな美術館でのフェルメール展というのは、大変な混雑になるのではないかと
心配しましたが、日時指定入場制のおかげで、思ったほどの混雑なしで鑑賞できました。
これが日時指定入場制でなかったら、とんでもないことになっていたでしょう。
展覧会のHPです。
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上野の森美術館では、「フェルメール展」が開かれています。
会期は2019年2月3日(日)まで、日時指定入場制です。
当日券の発売も若干あるようです。

確認されている作品が30数点という、オランダの画家、ヨハネス・フェルメール
(1632-1675)の作品が9点(1点は1月9日から)展示されるという展覧会です。
私は平日の朝9時30分から10時30分の入館を予約しました。
音声ガイドが無料で貸し出されます。
まず2階のオランダ絵画の展示に進みます。
特にピーテル・デ・ホーホの「人の居る裏庭」(1663-1665年頃
アムステルダム国立美術館)が印象に残りました。
次に1階に降りるとフェルメールの作品が展示されています。
展示されている作品は以下の通りです。
「マルタとマリアの家のキリスト」 1654-1655年頃 スコットランド・ナショナル・ギャラリー

「牛乳を注ぐ女」 1658-1660年頃 アムステルダム国立美術館

「ワイングラス」 1661‐1662年頃 ベルリン国立美術館 (日本初公開)

「リュートを調弦する女」 1662-1663年頃 メトロポリタン美術館
「真珠の首飾りの女」 1662-1665年頃 ベルリン国立美術館

「手紙を書く女」 1665年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

「赤い帽子の娘」 1665-1666年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー (日本初公開)
「手紙を書く婦人と召使い」 1670-1671年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー

「取り持ち女」 1656年 ドレスデン国立古典絵画館 (日本初公開、1月9日から展示)
初期の宗教画、風俗画もあり、モデルが同じ金色の上着を着た、「リュートを調弦する女」
「真珠の首飾りの女」「手紙を書く女」の3点も並んでいます。
手紙を題材にしたフェルメールの作品3点が展示された、2011年にBunkamura
ザ・ミュージアムで開かれた、「フェルメールからのラブレター展」の記事です。
小さな美術館でのフェルメール展というのは、大変な混雑になるのではないかと
心配しましたが、日時指定入場制のおかげで、思ったほどの混雑なしで鑑賞できました。
これが日時指定入場制でなかったら、とんでもないことになっていたでしょう。
展覧会のHPです。
上野
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」は京成上野駅と不忍池の間にあります。
場所は台東区上野2-14-27の上野ファーストビル1階です。

観音の里として知られる滋賀県長浜市には130体を超える観音像があります。
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」は「観音」をテーマとして2016年に上野に
オープンした情報発信拠点で、長浜市の観音像を2~3か月に1体ずつこちらで
展示しています。
隣の不忍池は寛永寺の開祖・天海が琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえて
中之島を築かせたとされており、長浜市の拠点としてふさわしい場所といえます。
開館時間は午前10時から午後6時、入館は無料、休館日は月曜日です。
毎週金曜日は17時から30分間、館内の照明を消灯し、観音堂の明かりだけを灯した
スペシャルライティングが行なわれます。
8月28日からは10月21日まで、竹生島宝厳寺の聖観音立像が展示されています。
2016年のオープン時に最初にお越しになった観音像で、今回はリクエストに応えての
再訪です。



平安時代後期、12世紀の作で、像高67.5㎝、蓮華を持ち、優しいお顔立ちをしておられ、
定朝様式の典型的な作例とのことです。
10月23日からは保延寺の千手観音立像がお越しになります。
前回のびわ湖長浜KANNON HOUSEの記事です。
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」のHPです。
上野広小路の証券会社のパンダはコスモスの咲く野で遊んでいます。


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「びわ湖長浜KANNON HOUSE」は京成上野駅と不忍池の間にあります。
場所は台東区上野2-14-27の上野ファーストビル1階です。

観音の里として知られる滋賀県長浜市には130体を超える観音像があります。
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」は「観音」をテーマとして2016年に上野に
オープンした情報発信拠点で、長浜市の観音像を2~3か月に1体ずつこちらで
展示しています。
隣の不忍池は寛永寺の開祖・天海が琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえて
中之島を築かせたとされており、長浜市の拠点としてふさわしい場所といえます。
開館時間は午前10時から午後6時、入館は無料、休館日は月曜日です。
毎週金曜日は17時から30分間、館内の照明を消灯し、観音堂の明かりだけを灯した
スペシャルライティングが行なわれます。
8月28日からは10月21日まで、竹生島宝厳寺の聖観音立像が展示されています。
2016年のオープン時に最初にお越しになった観音像で、今回はリクエストに応えての
再訪です。



平安時代後期、12世紀の作で、像高67.5㎝、蓮華を持ち、優しいお顔立ちをしておられ、
定朝様式の典型的な作例とのことです。
10月23日からは保延寺の千手観音立像がお越しになります。
前回のびわ湖長浜KANNON HOUSEの記事です。
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」のHPです。
上野広小路の証券会社のパンダはコスモスの咲く野で遊んでいます。


神保町・小川町
駿河台下交差点近くの「古瀬戸珈琲店 駿河台下店」でのランチです。
場所は千代田区神田小川町3-10です。

壁一面に絵の描かれた、狭くて急な階段を手すりにつかまってよじ登ります。

不思議の国のアリスの陶板が落ちてきています。

1980年の創業で、木調の店内は広く、席もゆったり作ってあって、カウンター含め
30席ほどです。
古瀬戸という名前通り、窓やテーブルにはさまざまの花瓶が並んでいます。
不思議の国のアリスをあしらった陶板が壁に貼ってあり、棚にはずらりと
カップが並んでいます。
BGMはクラシックのピアノ曲でした。

窓の外は明大通りです。


駿河台下ブレンドとハムレタスホットサンド1135円です。

駿河台下ブレンドは苦味が少なく、美味しいです。
向こうのテーブルからは客さんたちの、幕府がどうの薩長がどうのという
言葉が聞こえてきます。
「西郷どん」の影響でしょうか、幕末論議で盛り上がっているようです。
いかにも神田らしい、のどかな話題です。
花のお江戸の駿河台
彦三や南畝の居た処
ここは名題の喫茶店
一服至福の珈琲碗
2008年に「古瀬戸珈琲店」に行った時の記事です。
chariot
駿河台下交差点近くの「古瀬戸珈琲店 駿河台下店」でのランチです。
場所は千代田区神田小川町3-10です。

壁一面に絵の描かれた、狭くて急な階段を手すりにつかまってよじ登ります。

不思議の国のアリスの陶板が落ちてきています。

1980年の創業で、木調の店内は広く、席もゆったり作ってあって、カウンター含め
30席ほどです。
古瀬戸という名前通り、窓やテーブルにはさまざまの花瓶が並んでいます。
不思議の国のアリスをあしらった陶板が壁に貼ってあり、棚にはずらりと
カップが並んでいます。
BGMはクラシックのピアノ曲でした。

窓の外は明大通りです。


駿河台下ブレンドとハムレタスホットサンド1135円です。

駿河台下ブレンドは苦味が少なく、美味しいです。
向こうのテーブルからは客さんたちの、幕府がどうの薩長がどうのという
言葉が聞こえてきます。
「西郷どん」の影響でしょうか、幕末論議で盛り上がっているようです。
いかにも神田らしい、のどかな話題です。
花のお江戸の駿河台
彦三や南畝の居た処
ここは名題の喫茶店
一服至福の珈琲碗
2008年に「古瀬戸珈琲店」に行った時の記事です。