恵比寿
広尾の山種美術館では特別展、「生誕130年記念 奥村土牛」展が
開かれています。
会期は3月31日(日)までです。

奥村土牛(1889~1990、101歳没)の作品135点を所蔵する山種美術館がその初期から
晩年にかけての長い画業をたどる展覧会で、院展の出品作品35点を含め、約60点が
展示されています。
この展覧会の作品の多くは2016年に同じ山種美術館で開かれた、「奥村土牛-
画業ひとすじ100年のあゆみ-」展にも展示されていました。
その時の感想は「奥村土牛-画業ひとすじ100年のあゆみ-」展の記事に書きました。
「雨趣」 1928年

麻布谷町(今の六本木1丁目)の雨の日の眺めです。
しっとりと雨に煙る様子がよく表れていて、色数を抑えてじっくり描くという画風は、
この頃にはすでに見られます。
「枇杷と少女」 1930年

落着いた色調で、枇杷の色が引き立っています。
「兎」 1947年頃

奥村土牛らしい、耳を立ててきりりとした描きぶりですが、丸い姿に愛らしさがあります。
「舞妓」 1954年

奥村土牛らしい簡潔な線と構図による、美人画とは違った、端正な姿です。
黒振袖の裾模様は、金泥で俵屋宗達風の鶴、帯の模様も金泥の笹です。
口紅、かんざし、帯揚げの赤がアクセントになっています。
おちょぼ口と、やや上目遣いの目が表情を初々しく見せています。
京都の一力に通ってスケッチを繰り返し、展覧会出展の1週間前になっても
作品に納得がいかず、また京都に行ってスケッチしたそうです。
まだ、新幹線も無い時代のことですから、その努力には驚きます。
「水蓮」 1955年

蓮と魚を描いた鉢に浮かぶ水蓮という取り合わせはユーモラスです。
「城」 1955年

輪郭線を使わず、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという作風は、
姫路城を描いたこの作品に始まるといいます。
「鳴門」 1959年

遠くの島影に黄土色が少し使われている他は、緑青の緑と胡粉の白のみで
構成されています。
塗りを何十回も重ねた、近景の動と遠景の静が一体となった、量感のある、
重厚な作品です。
塗り重ねによる堅牢な画面造りは、奥村土牛の特徴です。
連絡船に乗っていて、たまたま渦潮に出会い、当時の小さな船の上から、
奥さんに帯を掴んでもらって、渦潮を覗き込んでスケッチしたということです。
「茶室」 1963年

大徳寺真珠庵の茶室で、「狭い空間に組立てられた直線の構成の美しさ」に
感嘆して描かれたとのことです。
四角形で区切った巧妙な構成で、窓の向こうの空間も見せて、
奥行きを感じさせます。
柱や壁は重ね塗りによって味わいを出し、障子に差す柔らかな光は
画面を明るくしています。
特に、右側の仕切り壁は琳派のたらし込みの技法を活かしていて、
古寂びた色合いに趣きがあります。
奥村土牛はセザンヌに傾倒していますが、この作品はモンドリアンの
影響も受けているそうです。
「鹿」 1968年

簡潔な描写で、鹿の体のしなやかさと命の張りを捉えています。
「醍醐」 1972年

奈良の薬師寺で行なわれた、小林古径の七回忌の法要の帰りに見た、
醍醐寺三宝院の枝垂桜に感激し、その後10年越しで完成させた作品です。
静かに咲いて静かに散る桜の姿と、兄弟子であり、師である、亡き小林古径の
姿を重ね合わせて描いたとのことです。
幹と支柱の縦線、土塀の横線を基本にして、幹を真中に据え、画面上を
桜で埋め尽くし、土塀の連なりで奥行きを見せています。
花弁の重なりは濃く薄く描かれて、立体感があり、塗りを重ねた幹の色は
桜の経てきた年月を感じさせます。
「吉野」 1977年

霞の中に広がる、花の吉野の風景で、手前から奥へと三角形を重ね、
桜の木も三角形にした理知的な構成の画面です。
対象を一度、抽象化して再構成するという作風がよく表れています。
最後の弟子とされる西田俊英さんによれば、奥村土牛は弟子を叱ることは
一度もなく、作品を見てもらっても一言も批評しなかったそうです。
それは、絵の良し悪しは自分でしっかり考えろ、という意味だったと
思われるということです。
他の人の作品を観る時は、たとえ出来の悪い絵であってもていねいに
時間を掛けて観ていて、悪いとすればどこが悪いのかを考えていたそうです。
その人柄の伝わるお話です。
奥村土牛のゆるぎの無い堅牢な画風を改めて存分に味わえる展覧会です。
山種美術館のHPです。
次回の展覧会はご広尾開館10周年記念特別展、「花・Flower・華―四季を彩るー」展です。
会期は4月6日(土)から2019年6月2日(日)までです。
chariot
広尾の山種美術館では特別展、「生誕130年記念 奥村土牛」展が
開かれています。
会期は3月31日(日)までです。

奥村土牛(1889~1990、101歳没)の作品135点を所蔵する山種美術館がその初期から
晩年にかけての長い画業をたどる展覧会で、院展の出品作品35点を含め、約60点が
展示されています。
この展覧会の作品の多くは2016年に同じ山種美術館で開かれた、「奥村土牛-
画業ひとすじ100年のあゆみ-」展にも展示されていました。
その時の感想は「奥村土牛-画業ひとすじ100年のあゆみ-」展の記事に書きました。
「雨趣」 1928年

麻布谷町(今の六本木1丁目)の雨の日の眺めです。
しっとりと雨に煙る様子がよく表れていて、色数を抑えてじっくり描くという画風は、
この頃にはすでに見られます。
「枇杷と少女」 1930年

落着いた色調で、枇杷の色が引き立っています。
「兎」 1947年頃

奥村土牛らしい、耳を立ててきりりとした描きぶりですが、丸い姿に愛らしさがあります。
「舞妓」 1954年

奥村土牛らしい簡潔な線と構図による、美人画とは違った、端正な姿です。
黒振袖の裾模様は、金泥で俵屋宗達風の鶴、帯の模様も金泥の笹です。
口紅、かんざし、帯揚げの赤がアクセントになっています。
おちょぼ口と、やや上目遣いの目が表情を初々しく見せています。
京都の一力に通ってスケッチを繰り返し、展覧会出展の1週間前になっても
作品に納得がいかず、また京都に行ってスケッチしたそうです。
まだ、新幹線も無い時代のことですから、その努力には驚きます。
「水蓮」 1955年

蓮と魚を描いた鉢に浮かぶ水蓮という取り合わせはユーモラスです。
「城」 1955年

輪郭線を使わず、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという作風は、
姫路城を描いたこの作品に始まるといいます。
「鳴門」 1959年

遠くの島影に黄土色が少し使われている他は、緑青の緑と胡粉の白のみで
構成されています。
塗りを何十回も重ねた、近景の動と遠景の静が一体となった、量感のある、
重厚な作品です。
塗り重ねによる堅牢な画面造りは、奥村土牛の特徴です。
連絡船に乗っていて、たまたま渦潮に出会い、当時の小さな船の上から、
奥さんに帯を掴んでもらって、渦潮を覗き込んでスケッチしたということです。
「茶室」 1963年

大徳寺真珠庵の茶室で、「狭い空間に組立てられた直線の構成の美しさ」に
感嘆して描かれたとのことです。
四角形で区切った巧妙な構成で、窓の向こうの空間も見せて、
奥行きを感じさせます。
柱や壁は重ね塗りによって味わいを出し、障子に差す柔らかな光は
画面を明るくしています。
特に、右側の仕切り壁は琳派のたらし込みの技法を活かしていて、
古寂びた色合いに趣きがあります。
奥村土牛はセザンヌに傾倒していますが、この作品はモンドリアンの
影響も受けているそうです。
「鹿」 1968年

簡潔な描写で、鹿の体のしなやかさと命の張りを捉えています。
「醍醐」 1972年

奈良の薬師寺で行なわれた、小林古径の七回忌の法要の帰りに見た、
醍醐寺三宝院の枝垂桜に感激し、その後10年越しで完成させた作品です。
静かに咲いて静かに散る桜の姿と、兄弟子であり、師である、亡き小林古径の
姿を重ね合わせて描いたとのことです。
幹と支柱の縦線、土塀の横線を基本にして、幹を真中に据え、画面上を
桜で埋め尽くし、土塀の連なりで奥行きを見せています。
花弁の重なりは濃く薄く描かれて、立体感があり、塗りを重ねた幹の色は
桜の経てきた年月を感じさせます。
「吉野」 1977年

霞の中に広がる、花の吉野の風景で、手前から奥へと三角形を重ね、
桜の木も三角形にした理知的な構成の画面です。
対象を一度、抽象化して再構成するという作風がよく表れています。
最後の弟子とされる西田俊英さんによれば、奥村土牛は弟子を叱ることは
一度もなく、作品を見てもらっても一言も批評しなかったそうです。
それは、絵の良し悪しは自分でしっかり考えろ、という意味だったと
思われるということです。
他の人の作品を観る時は、たとえ出来の悪い絵であってもていねいに
時間を掛けて観ていて、悪いとすればどこが悪いのかを考えていたそうです。
その人柄の伝わるお話です。
奥村土牛のゆるぎの無い堅牢な画風を改めて存分に味わえる展覧会です。
山種美術館のHPです。
次回の展覧会はご広尾開館10周年記念特別展、「花・Flower・華―四季を彩るー」展です。
会期は4月6日(土)から2019年6月2日(日)までです。
三越前
日本橋の三井記念美術館では「三井家のおひなさま」展が開かれています。
会期は4月7日(日)までです。

「立雛」 文化12年(1815)
三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵

災厄を託して海や川に流す人形(ひとがた)から発展した形です。
松は男、藤は女、撫子は子どもを表しています。
金地に緑と赤の華やかで上品な色彩です。
「雛人形・雛道具段飾り」 五世大木平藏 昭和9年(1934)
展示室の正面には赤い毛氈に人形、諸道具の段飾りがずらりと飾られています。
浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)の寄贈品です。
三人官女ならぬ五人官女という豪華さです。
「紫宸殿雛人形」 五世大木平藏 昭和9年(1934)

浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)の寄贈品です。
久子氏の初節句に祖父の三井高棟より贈られた品です。
「内裏雛」 三世大木平藏製 明治28 年(1895)

三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵
内裏雛は江戸の人形師、原舟月の考案した写実的なお雛様で、
瞳にガラスや水晶が入っています。
私たちが見慣れている現代のお雛様はこの内裏雛の系統です。
「次郎左衛門雛」 二代永徳齋 明治~大正時代
三井鋹子(北三井家十一代・高公夫人)旧蔵

次郎左衛門雛は丸顔の引目鉤鼻が特徴で、幕府御用も勤めた京の人形師の
雛屋次郎左衛門が創めたとされています。
江戸後期に江戸で流行し、公家や諸大名家では雛人形の本流とされたそうです。
特別展示は「人間国宝・平田郷陽の市松人形」です。
二代平田郷陽(1903~1981)は人形を芸術として認めてもらうため努力を重ね、
帝展への出品も果たしています。
昭和30年(1955)には重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されています。
「市松人形 銘つぼみ」 五世大木平藏製・二代平田郷陽作 昭和7年(1932)

市松人形は着せ替え人形で、東人形、京人形とも呼ばれていました。
振袖の模様は御所車に牡丹、桜、菊など、帯は鳳凰や桜です。
振り返っているしぐさが自然で可愛く、平田郷陽の工夫が表れています。
「丸平好み 市松人形 上巳」 平田郷陽作 昭和時代初期・20世紀 丸平文庫蔵

3月3日の桃の節句です。
丸平とは京都の丸平大木人形店のことで、当主は代々、大木平藏を名乗っています。
平田郷陽は若い頃、丸平大木人形店に人形を納め、丸平が衣装を着せていました。
「丸平好み 市松人形 重陽」 平田郷陽作 昭和時代初期・20世紀 丸平文庫蔵

9月9日の菊の節句です。
「丸平好み 市松人形 雪月花の謡」 平田郷陽作 昭和時代初期・20世紀 丸平文庫蔵

雪月花は白居易の詩に由来する言葉です。
三井記念美術館のおひなさまの展覧会が始まると、いよいよ春の始まりです。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「円覚寺の至宝」展です。
会期は4月20日(土)から6月23日(日)までです。

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日本橋の三井記念美術館では「三井家のおひなさま」展が開かれています。
会期は4月7日(日)までです。

「立雛」 文化12年(1815)
三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵

災厄を託して海や川に流す人形(ひとがた)から発展した形です。
松は男、藤は女、撫子は子どもを表しています。
金地に緑と赤の華やかで上品な色彩です。
「雛人形・雛道具段飾り」 五世大木平藏 昭和9年(1934)
展示室の正面には赤い毛氈に人形、諸道具の段飾りがずらりと飾られています。
浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)の寄贈品です。
三人官女ならぬ五人官女という豪華さです。
「紫宸殿雛人形」 五世大木平藏 昭和9年(1934)

浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)の寄贈品です。
久子氏の初節句に祖父の三井高棟より贈られた品です。
「内裏雛」 三世大木平藏製 明治28 年(1895)

三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵
内裏雛は江戸の人形師、原舟月の考案した写実的なお雛様で、
瞳にガラスや水晶が入っています。
私たちが見慣れている現代のお雛様はこの内裏雛の系統です。
「次郎左衛門雛」 二代永徳齋 明治~大正時代
三井鋹子(北三井家十一代・高公夫人)旧蔵

次郎左衛門雛は丸顔の引目鉤鼻が特徴で、幕府御用も勤めた京の人形師の
雛屋次郎左衛門が創めたとされています。
江戸後期に江戸で流行し、公家や諸大名家では雛人形の本流とされたそうです。
特別展示は「人間国宝・平田郷陽の市松人形」です。
二代平田郷陽(1903~1981)は人形を芸術として認めてもらうため努力を重ね、
帝展への出品も果たしています。
昭和30年(1955)には重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されています。
「市松人形 銘つぼみ」 五世大木平藏製・二代平田郷陽作 昭和7年(1932)

市松人形は着せ替え人形で、東人形、京人形とも呼ばれていました。
振袖の模様は御所車に牡丹、桜、菊など、帯は鳳凰や桜です。
振り返っているしぐさが自然で可愛く、平田郷陽の工夫が表れています。
「丸平好み 市松人形 上巳」 平田郷陽作 昭和時代初期・20世紀 丸平文庫蔵

3月3日の桃の節句です。
丸平とは京都の丸平大木人形店のことで、当主は代々、大木平藏を名乗っています。
平田郷陽は若い頃、丸平大木人形店に人形を納め、丸平が衣装を着せていました。
「丸平好み 市松人形 重陽」 平田郷陽作 昭和時代初期・20世紀 丸平文庫蔵

9月9日の菊の節句です。
「丸平好み 市松人形 雪月花の謡」 平田郷陽作 昭和時代初期・20世紀 丸平文庫蔵

雪月花は白居易の詩に由来する言葉です。
三井記念美術館のおひなさまの展覧会が始まると、いよいよ春の始まりです。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「円覚寺の至宝」展です。
会期は4月20日(土)から6月23日(日)までです。

東京
丸の内のKITTEの1階にある「SAZA COFFEE(サザコーヒー) KITTE 丸の内店」に
行ってきました。
場所は千代田区丸の内2-7-2です。


先日行った時に飲んだコーヒーが美味しかったので、また訪問しました。
気になっていた、徳川将軍珈琲600円と自家製のマドレーヌ220円です。

コーヒーはサイフォンで淹れます。
爽やかな苦味で後味が良く、大変美味しいコーヒーです。
最近、TVの「カンブリア宮殿」で紹介されたので、お客さんが急増していますが、
平日の開店時間のすぐ後に行ったので、座れました。
美味しいコーヒーに惹かれて、また行きたくなるお店です。
先日、「 SAZA COFFEE KITTE 丸の内店」に行った時の記事です。
丸ビルや新丸ビルの地下には明るい春の花が飾られていました。

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丸の内のKITTEの1階にある「SAZA COFFEE(サザコーヒー) KITTE 丸の内店」に
行ってきました。
場所は千代田区丸の内2-7-2です。


先日行った時に飲んだコーヒーが美味しかったので、また訪問しました。
気になっていた、徳川将軍珈琲600円と自家製のマドレーヌ220円です。

コーヒーはサイフォンで淹れます。
爽やかな苦味で後味が良く、大変美味しいコーヒーです。
最近、TVの「カンブリア宮殿」で紹介されたので、お客さんが急増していますが、
平日の開店時間のすぐ後に行ったので、座れました。
美味しいコーヒーに惹かれて、また行きたくなるお店です。
先日、「 SAZA COFFEE KITTE 丸の内店」に行った時の記事です。
丸ビルや新丸ビルの地下には明るい春の花が飾られていました。

上野
京成上野駅近くの「びわ湖長浜KANNON HOUSE」に行ってきました。
場所は台東区上野2-14-27で、京成上野駅と不忍池の間にあります。

観音の里として知られる滋賀県長浜市が、「観音」をテーマとして
2016年の3月にオープンした情報発信拠点で、開館時間は午前10時から午後6時、
入館は無料、休館日は月曜日です。
その長浜市には130体を超える観音像があり、約2か月に1体ずつこちらで
展示しています。
1月22日からは約2か月の予定で、長浜市木之本町黒田の安念寺の
天部形立像・如来形立像(いも観音)が展示されています。
賤ケ岳の麓にある安念寺は奈良時代、神亀3年(726)の草創とされ、
元は天台宗の寺院でしたが、現在は無住です。
元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ちの際に堂宇は焼失しますが、
諸仏は田に埋めて隠しています。
後に江戸時代の文政年間に掘り出されますが、長い間土に埋まっていたため、
かなり朽ちて痛ましい姿となってしまいました。
疱瘡や皮膚病に効験のある「身代わり観音」として信仰され、昭和の初めまでは
夏に子どもたちがこの仏様を余呉川に浮かべて水遊びをしていたそうです。
17体ありましたが、盗難のため現在は10体が残り、いも観音と呼ばれ、
集落の人たちによって守られています。
向かって右 如来形立像 平安時代 木造 彫眼 像高93.0cm
左 天部形立像 平安時代 木造 彫眼 像高95.5cm


ヒノキの一木造りで、平安後期、11世紀の作と推定されるそうです。
当初の尊名は不明ですが、左の像は脚を広げた動的な形をしており、
天部衆と思われます。
高月町唐川の日吉神社(赤後寺)に伝わる重要文化財の千手観音立像も
羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦い(1583年)の兵火を免れるため、
川に沈めて守ったこともあるそうです。
戦国時代の近江は幾度も激しい戦いのあった所であり、仏様も受難の時代
だったようです。
高月町唐川の千手観音立像は安念寺のいも観音像と共に、2014年に
東京藝術大学大学美術館で開かれた、「観音の里の祈りとくらし展
-びわ湖・長浜のホトケたち-」に展示されていました。
「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」の記事です。
前回のlびわ湖長浜KANNON HOUSEの記事です。
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」のHPです。
3月19日からは日吉神社の十一面観音坐像が展示される予定です。
不忍池の蓮は枯れ、刈り取りが始まりました。


ユリカモメが止まっています。

chariot
京成上野駅近くの「びわ湖長浜KANNON HOUSE」に行ってきました。
場所は台東区上野2-14-27で、京成上野駅と不忍池の間にあります。

観音の里として知られる滋賀県長浜市が、「観音」をテーマとして
2016年の3月にオープンした情報発信拠点で、開館時間は午前10時から午後6時、
入館は無料、休館日は月曜日です。
その長浜市には130体を超える観音像があり、約2か月に1体ずつこちらで
展示しています。
1月22日からは約2か月の予定で、長浜市木之本町黒田の安念寺の
天部形立像・如来形立像(いも観音)が展示されています。
賤ケ岳の麓にある安念寺は奈良時代、神亀3年(726)の草創とされ、
元は天台宗の寺院でしたが、現在は無住です。
元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ちの際に堂宇は焼失しますが、
諸仏は田に埋めて隠しています。
後に江戸時代の文政年間に掘り出されますが、長い間土に埋まっていたため、
かなり朽ちて痛ましい姿となってしまいました。
疱瘡や皮膚病に効験のある「身代わり観音」として信仰され、昭和の初めまでは
夏に子どもたちがこの仏様を余呉川に浮かべて水遊びをしていたそうです。
17体ありましたが、盗難のため現在は10体が残り、いも観音と呼ばれ、
集落の人たちによって守られています。
向かって右 如来形立像 平安時代 木造 彫眼 像高93.0cm
左 天部形立像 平安時代 木造 彫眼 像高95.5cm


ヒノキの一木造りで、平安後期、11世紀の作と推定されるそうです。
当初の尊名は不明ですが、左の像は脚を広げた動的な形をしており、
天部衆と思われます。
高月町唐川の日吉神社(赤後寺)に伝わる重要文化財の千手観音立像も
羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦い(1583年)の兵火を免れるため、
川に沈めて守ったこともあるそうです。
戦国時代の近江は幾度も激しい戦いのあった所であり、仏様も受難の時代
だったようです。
高月町唐川の千手観音立像は安念寺のいも観音像と共に、2014年に
東京藝術大学大学美術館で開かれた、「観音の里の祈りとくらし展
-びわ湖・長浜のホトケたち-」に展示されていました。
「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」の記事です。
前回のlびわ湖長浜KANNON HOUSEの記事です。
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」のHPです。
3月19日からは日吉神社の十一面観音坐像が展示される予定です。
不忍池の蓮は枯れ、刈り取りが始まりました。


ユリカモメが止まっています。

上野
上野の国立西洋美術館では国立西洋美術館開館60周年記念、「ル・コルビュジエ
絵画から建築へーピュリスムの時代」展が開かれています。
会期は2019年5月19日(日)までです。

2016年にユネスコの世界文化遺産に登録された国立西洋美術館を設計した建築家、
ル・コルビュジエ(1887-1965)の若い時代の活動を紹介する展覧会で絵画・建築模型
・出版物や映像などの資料が展示されています。
ル・コルビュジエは本名をシャルル=エドゥアール・ジャンヌレといい、スイス生まれで
フランスで活躍しています。
1918年に画家としてのジャンヌレはアメデ・オザンファンと共にピュリスム(純粋主義)の
運動を始めます。
ピュリスムとは、ピカソやブラックのキュビズムが主観的、衝動的になったとして批判し、
理論性を強調した運動とのことです。
ル・コルビュジエという名は2人が創刊した雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」に建築論を載せた
時に用いたペンネームです。
会場にはジャンヌレやアメデ・オザンファンの作品の他、ピカソ、ブラック、フアン・グリス、
フェルナン・レジェなどの作品が展示されています。
ただ、後にジャンヌレたちはキュビズムを見直し、親和性を深めたそうです。
ジャンヌレの作品を見ていると、始めは立体感のある画面ですが、後期になると
平面的になっているのが分かります。
シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ 「多数のオブジェのある静物」
1923年 パリ、ル・コルビュジエ財団

後期の作品です。
アメデ・オザンファン 「和音」 1922年 ホノルル美術館

パブロ・ピカソ 「静物」 1922年 パリ国立近代美術館

ジョルジュ・ブラック 「食卓」 1920年 ウィーン、アルベルティーナ美術館

フェルナン・レジェ 「サイフォン」 1924年 バッファロー、オルブライト=ノックス美術館

1階ホールには建築家、ル・コルビュジエの設計した建築の模型も展示されています。
画家オザンファンのアトリエ+住宅


アトリエの採光のため、窓は大きく、天井もガラス張りになっています。
階段のデザインなど、西洋美術館に似ています。
スタイン=ド・モンドィ邸

ヴォワザン計画の模型

コルビュジエが1925年に発表した、21世紀のパリの都市計画案です。
超高層化により広い緑地や道路を確保しようというもので、19世紀の
オスマン男爵による大改造以来の計画ですが、実現はしませんでした。
美術館の1階は撮影可能なので、皆さん、館内の写真を撮っていました。

画家としてのジャンヌレと建築家としてのコルビュジエを見比べることの出来る、
面白い展覧会です。
ピュリスムの画面が立体化すると国立西洋美術館などの建築になるのかと思いながら、
作品を鑑賞しました。
展覧会のHPです。
常設展会場には新収蔵作品としてシャセリオーの作品が展示されていました。
テオドール・シャセリオー 「アクタイオンに驚くディアナ」 1840年

テオドール・シャセリオー(1819~1856)は11歳で新古典主義の画家、アングルに入門し、
将来を期待されますが、やがて新古典主義と対立するロマン主義に傾倒します。
そして、独自の作風によって活躍しますが、惜しくも37歳で亡くなっています。
ディアナはローマ神話の狩の女神で、月の女神ともされています。
ギリシャ神話のアルテミスのことです。
水浴中の姿を見た漁師のアクタイオンは鹿の姿に変えられ、連れていた猟犬たちに
噛み殺されてしまいます。
頭に三日月を付けたディアナは背中を見せ、ニンフたちは驚き、アクタイオンは
遠くで鹿の姿になって、犬に襲われています。
夕暮れの光の中で、ニンフたちはただならぬ表情を見せ、異様な雰囲気を持っています。
魅力的な作品で、西洋美術館が購入したのは嬉しいことです。
2017年に国立西洋美術館で開かれた「シャセリオー展」の記事です。
次回の展覧会は国立西洋美術館開館60周年記念、「松方コレクション展」です。
会期は6月11日(火)から9月23日(月・祝)までです。

chariot
上野の国立西洋美術館では国立西洋美術館開館60周年記念、「ル・コルビュジエ
絵画から建築へーピュリスムの時代」展が開かれています。
会期は2019年5月19日(日)までです。

2016年にユネスコの世界文化遺産に登録された国立西洋美術館を設計した建築家、
ル・コルビュジエ(1887-1965)の若い時代の活動を紹介する展覧会で絵画・建築模型
・出版物や映像などの資料が展示されています。
ル・コルビュジエは本名をシャルル=エドゥアール・ジャンヌレといい、スイス生まれで
フランスで活躍しています。
1918年に画家としてのジャンヌレはアメデ・オザンファンと共にピュリスム(純粋主義)の
運動を始めます。
ピュリスムとは、ピカソやブラックのキュビズムが主観的、衝動的になったとして批判し、
理論性を強調した運動とのことです。
ル・コルビュジエという名は2人が創刊した雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」に建築論を載せた
時に用いたペンネームです。
会場にはジャンヌレやアメデ・オザンファンの作品の他、ピカソ、ブラック、フアン・グリス、
フェルナン・レジェなどの作品が展示されています。
ただ、後にジャンヌレたちはキュビズムを見直し、親和性を深めたそうです。
ジャンヌレの作品を見ていると、始めは立体感のある画面ですが、後期になると
平面的になっているのが分かります。
シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ 「多数のオブジェのある静物」
1923年 パリ、ル・コルビュジエ財団

後期の作品です。
アメデ・オザンファン 「和音」 1922年 ホノルル美術館

パブロ・ピカソ 「静物」 1922年 パリ国立近代美術館

ジョルジュ・ブラック 「食卓」 1920年 ウィーン、アルベルティーナ美術館

フェルナン・レジェ 「サイフォン」 1924年 バッファロー、オルブライト=ノックス美術館

1階ホールには建築家、ル・コルビュジエの設計した建築の模型も展示されています。
画家オザンファンのアトリエ+住宅


アトリエの採光のため、窓は大きく、天井もガラス張りになっています。
階段のデザインなど、西洋美術館に似ています。
スタイン=ド・モンドィ邸

ヴォワザン計画の模型

コルビュジエが1925年に発表した、21世紀のパリの都市計画案です。
超高層化により広い緑地や道路を確保しようというもので、19世紀の
オスマン男爵による大改造以来の計画ですが、実現はしませんでした。
美術館の1階は撮影可能なので、皆さん、館内の写真を撮っていました。

画家としてのジャンヌレと建築家としてのコルビュジエを見比べることの出来る、
面白い展覧会です。
ピュリスムの画面が立体化すると国立西洋美術館などの建築になるのかと思いながら、
作品を鑑賞しました。
展覧会のHPです。
常設展会場には新収蔵作品としてシャセリオーの作品が展示されていました。
テオドール・シャセリオー 「アクタイオンに驚くディアナ」 1840年

テオドール・シャセリオー(1819~1856)は11歳で新古典主義の画家、アングルに入門し、
将来を期待されますが、やがて新古典主義と対立するロマン主義に傾倒します。
そして、独自の作風によって活躍しますが、惜しくも37歳で亡くなっています。
ディアナはローマ神話の狩の女神で、月の女神ともされています。
ギリシャ神話のアルテミスのことです。
水浴中の姿を見た漁師のアクタイオンは鹿の姿に変えられ、連れていた猟犬たちに
噛み殺されてしまいます。
頭に三日月を付けたディアナは背中を見せ、ニンフたちは驚き、アクタイオンは
遠くで鹿の姿になって、犬に襲われています。
夕暮れの光の中で、ニンフたちはただならぬ表情を見せ、異様な雰囲気を持っています。
魅力的な作品で、西洋美術館が購入したのは嬉しいことです。
2017年に国立西洋美術館で開かれた「シャセリオー展」の記事です。
次回の展覧会は国立西洋美術館開館60周年記念、「松方コレクション展」です。
会期は6月11日(火)から9月23日(月・祝)までです。

上野
上野の東京都美術館で開かれてる、「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」の記事、
その2です。
会期は4月7日(日)まで、3月10日までの前期と12日からの後期で、かなりの展示替えが
あります。

岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧鶴、鈴木其一、歌川国芳の5名について書きます。
岩佐又兵衛(1578-1650)
岩佐又兵衛は織田信長に仕えた戦国武将の荒木村重の子とされ、村重が信長に謀反を
起こしたため、一族のほとんどが処刑されています。
岩佐又兵衛 「山中常盤物語絵巻 第四巻」(部分)
静岡・MOA美術館 重要文化財


前期の展示で、後期は第五巻が展示されます。
「山中常盤物語」は牛若丸(後の源義経)の母、常盤御前が牛若丸を追って
奥州に向かう途中、盗賊たちに殺されますが、牛若丸がその仇を討つというお話です。
活き活きとした描写で、戦国時代から間もない時代であり、殺害や戦闘の場面では、
人が真っ二つに唐竹割りにされるなど、生々しく描かれています。
岩佐又兵衛 「洛中洛外図屏風 舟木本」 東京国立博物館 国宝
右隻

左隻

2月26日から3月10日までの展示です。
滋賀県の舟木家に伝わったことから、この名があります。
上京と下京を別の視点から見る従来の方式と違って、東寺の五重塔の上からの
視点で、右隻の右端に豊臣家の象徴の方広寺大仏殿、左隻の左端に徳川家の象徴、
二条城を置いた形です。
右隻には喧嘩の場面、左隻にはお裁きの場面が描かれているのも象徴的です。
2728人もの人物が描かれているということで、どれも活き活きとした姿です。
「洛中洛外図屏風 舟木本」については、2013年に東京国立博物館で開かれた
「京都 洛中洛外図と障壁画の美」展の記事に詳しく書きました。
「京都 洛中洛外図と障壁画の美」展の記事です。
岩佐又兵衛 「豊国祭礼図屏風」 愛知・徳川美術館 重要文化財
2月24日までの展示です。
豊国祭は豊臣秀吉を祀る京都の豊国神社の祭礼で、慶長9年(1604)の秀吉7回忌に
催された豊国祭は盛大で、幾つかの屏風絵に描かれています。
六曲一双の金屏風で、「洛中洛外図屏風」と同じく、膨大な数の人びとのうねりが
描き込まれ、その熱気が伝わります。
喧嘩の場面があって、半裸の若者の持つ大刀の朱鞘には、「いきすぎたりや廿三
八まんひけはとるまい」と書かれています。
廿三は豊臣秀頼の享年であり、描かれた人物は秀頼ではないかという説もあります。
岩佐又兵衛 「官女観菊図」 東京・山種美術館 重要文化財

後期の展示です。
乗った牛車の簾を上げ、道端に咲く菊を官女が眺めているところです。
料紙に金泥を薄く塗る、雲霞という下塗りを施した上に描かれていて、深みのある
画面になっています。
岩佐又兵衛の特徴とされる、豊頬長頤といわれる下ぶくれの顔で、墨一色の中に
唇と頬にわずかに紅を差しています。
又兵衛風といわれた人物画の最初の作品とのことですが、端正な中にも戦国の
名残の力強さを見せています。
元は福井の豪商、金屋家の所蔵の「金谷屏風」と呼ばれた屏風で、六曲一双だったものが、
明治時代になって別々に剥がされた、そのうちの1枚です。
岩佐又兵衛 「羅浮仙図」 個人蔵 重要美術品

3月26日からの展示です。
羅浮仙は美女の姿をした梅の精です。
岩佐又兵衛特有の下ぶくれの顔立ちで、すっくと立っています。
2017年に出光美術館で「岩佐又兵衛と源氏絵」展が開かれていました。
「岩佐又兵衛と源氏絵」展の記事です。
狩野山雪(1590-1651)
狩野山雪 「梅花遊禽図襖」 寛永8年(1631) 京都・天球院 重要文化財

狩野山雪は京狩野の狩野山楽の婿養子で、幾何学的で斬新な構図や
動物のユーモラスな表情に特徴のある絵師です。
右下から左上に向かう構図で、白梅の咲く幹に紅葉した蔦が絡まる、
季節を超えた景色です。
大きくうねりながら襖の全面に広がる梅の幹が目を惹き、こちらに向かっ
て延びる枝が立体感を出しています。
狩野山雪 「龍虎図屏風」 個人蔵

右隻

左隻

部分

部分

瀧が川となり、海に続き、波が大きくうねる中から龍が姿を現しています。
龍は上目遣いで、それを岸から眺める虎はすらりと脚を揃え、まったく戦闘意欲が
見られません。
白隠慧鶴(1685-1768)
白隠慧鶴は江戸時代中頃の臨済宗の僧で、臨済宗中興の祖とされています。
教化の手段として、数多くの書画を描いた僧としても有名で、1万点あまりが
現存しています
白隠慧鶴 「達磨図」 明和4年(1767) 永青文庫

白隠の禅画は、人物の目がぎょろりとして大きいのが特徴です。
超俗的でありながら、ユーモラスで親しみやすさがあります。
白隠慧鶴 「達磨図」 大分・萬壽寺

最晩年の作とのことで、縦2m近くの大画面の背景を黒々と塗り、極端な
大目玉の達磨を一気に描いています。
衣の線や朱の色が力強く、特にアイラインがポイントです。
80歳を越えてこれだけの大作を描ききる気力体力には感心してしまいます。
白隠慧鶴 「すたすた坊主」 早稲田大学會津八一記念博物館

前期の展示です。
すたすた坊主は、真冬でも裸で注連縄を着けただけの姿ですたすた歩き、
大道芸を披露する乞食坊主です。
神仏への代参も請け負うすたすた坊主に白隠は自分を重ねています。
白隠慧鶴 「鍾馗鬼味噌」 島根・海禅寺蔵

後期の展示です。
唐の玄宗皇帝の夢枕に現れ、小鬼を退治したという鍾馗様が鬼を擂鉢で
擂り潰して、鬼味噌を作っています。
唐辛子味の鬼味噌と鬼を材料にした鬼味噌を掛けています。
左は鍾馗様の息子で、「とと(父)さ鬼みそをちとなめて見度い」と
言っています。
鬼は煩悩、邪念の象徴とのことです。
白隠慧鶴 「隻手」 岐阜・久松真一記念館

白隠は、片手で拍手したらどんな音がするかという公案(禅問答の問題)を
考えています。
禅の問題なので、理屈では答えが出ません。
鈴木其一(1796-1858)
鈴木其一は酒井抱一の弟子で、モダンで濃密なな作風で知られています。
鈴木其一 「百鳥百獣図」 天保14年(1843年) 米
国・キャサリン&トーマス・エドソンコレクション
百鳥図

部分

桐の木に止まる鳳凰です。
百獣図

部分

麒麟や牡丹の横の獅子も見えます。
初の里帰り展示で、びっしりと描き込まれた様子は若冲を思わせます。
鈴木其一 「牡丹図」 1851(嘉永4)年 山種美術館

後期の展示です。
白、薄紅、赤と色を変え、蕾から盛り、しおれ始めまでを
一つの絵の中に収めています。
この作品は中国画風の細密な写実で、琳派とは少し雰囲気が異なっています。
鈴木其一 「四季花鳥図」 山種美術館
右隻

左隻

後期の展示です。
右隻は春夏の図で、向日葵、朝顔、燕子花、オモダカ、菜の花、立葵などと一緒に
鶏のつがいと雛が描かれています。
左隻は秋冬の図で、薄、菊、女郎花、竜胆、ナナカマド、ワレモコウなどの下に
つがいのオシドリが居ます。
さまざまの草花を活け花のように手際よくまとめ、濃密に描き出した画面は
とても豪華です。
鈴木其一 「藤花図」 細見美術館

部分

前期の展示です。
掛軸で、勢いよくなだれ落ちるような藤の花です。
花びら一枚一枚もみずみずしく鮮やかな色彩で、ていねいに描かれています。
鈴木其一 「夏秋渓流図屏風」

右隻

左隻

前期の展示です。
右隻は夏で山百合、左隻は秋で桜葉の紅葉を写実的に描きこんでいます。
一方で、笹の葉は単純で様式的な形にまとめてあるので、観る人の注意は
山百合と桜葉に向きます。
檜は葉の緑が盛り上がるように厚く塗られ、右隻の檜には蝉が一匹止まっています。
全体に濃密な画面で、こちらに向って流れ込んでくる鮮やかな青色の水流の
表現は劇画のようです。
土手や奥の樹木は、芝居の書割のように重ねられていて、平面的な構成です。
圧迫するような力と、近代的なデザイン感覚にあふれています。
歌川国芳(1797-1861)
歌川国芳は歌川広重と同じ年に江戸日本橋で生まれた浮世絵師で、
豪快な武者絵や、江戸っ子らしい風刺画で有名です。
歌川国芳 「宮本武蔵の鯨退治」 弘化4年(1847)頃

大判3枚続きを使ってダイナミックな画面を作っていて、黒と白の対照が明快です。
盛り上がる波の構図は葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を参考に
しているのでしょうか。
歌川国芳 「相馬の古内裏」 弘化2~3年(1845~46)頃

大判3枚続きで、山東京伝の「善知(うとう)安方忠義伝」より、大宅太郎光圀が
妖術を使う滝夜叉姫(たきやしゃひめ)と戦う場面です。
原作では数百人の骸骨が登場するということですが、この絵では巨大な骸骨が
描かれています。
西洋の骨格図を参考にしていて描写は正確とのことです。
歌川国芳 「近江の国の勇婦於兼」 天保2~3年(1831-32)頃

前期の展示です。
近江国海津宿の怪力の遊女お兼が暴れ馬の引き綱を下駄で踏み付けて
取り押さえている場面です。
国芳は輸入された銅版画などを通じて西洋画を研究していて、
馬の陰影の付け方などに西洋画の影響が見られます。
歌川国芳 「猫の当字 ふぐ」 天保13年(1842)頃

猫好きの国芳はよく猫を題材にしています。
体の柔らかい猫の姿を上手く使っていて、「ふ」の字の猫は本物の
ふぐのようです。
歌川国芳 「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」 弘化4年(1847)頃

裸の男が寄ってたかって人の顔を作っています。
特に鼻の部分に上手く使われています。
2011年に森アーツセンターギャラリーで開かれた、「没後150年 歌川国芳展」の記事です。
これだけ個性的な画家たちの力作が揃うことは滅多に無く、ぜひ前期後期ともに
観に行かれる行かれることをお勧めします。
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」の記事その1です。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京都美術館で開かれてる、「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」の記事、
その2です。
会期は4月7日(日)まで、3月10日までの前期と12日からの後期で、かなりの展示替えが
あります。

岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧鶴、鈴木其一、歌川国芳の5名について書きます。
岩佐又兵衛(1578-1650)
岩佐又兵衛は織田信長に仕えた戦国武将の荒木村重の子とされ、村重が信長に謀反を
起こしたため、一族のほとんどが処刑されています。
岩佐又兵衛 「山中常盤物語絵巻 第四巻」(部分)
静岡・MOA美術館 重要文化財


前期の展示で、後期は第五巻が展示されます。
「山中常盤物語」は牛若丸(後の源義経)の母、常盤御前が牛若丸を追って
奥州に向かう途中、盗賊たちに殺されますが、牛若丸がその仇を討つというお話です。
活き活きとした描写で、戦国時代から間もない時代であり、殺害や戦闘の場面では、
人が真っ二つに唐竹割りにされるなど、生々しく描かれています。
岩佐又兵衛 「洛中洛外図屏風 舟木本」 東京国立博物館 国宝
右隻

左隻

2月26日から3月10日までの展示です。
滋賀県の舟木家に伝わったことから、この名があります。
上京と下京を別の視点から見る従来の方式と違って、東寺の五重塔の上からの
視点で、右隻の右端に豊臣家の象徴の方広寺大仏殿、左隻の左端に徳川家の象徴、
二条城を置いた形です。
右隻には喧嘩の場面、左隻にはお裁きの場面が描かれているのも象徴的です。
2728人もの人物が描かれているということで、どれも活き活きとした姿です。
「洛中洛外図屏風 舟木本」については、2013年に東京国立博物館で開かれた
「京都 洛中洛外図と障壁画の美」展の記事に詳しく書きました。
「京都 洛中洛外図と障壁画の美」展の記事です。
岩佐又兵衛 「豊国祭礼図屏風」 愛知・徳川美術館 重要文化財
2月24日までの展示です。
豊国祭は豊臣秀吉を祀る京都の豊国神社の祭礼で、慶長9年(1604)の秀吉7回忌に
催された豊国祭は盛大で、幾つかの屏風絵に描かれています。
六曲一双の金屏風で、「洛中洛外図屏風」と同じく、膨大な数の人びとのうねりが
描き込まれ、その熱気が伝わります。
喧嘩の場面があって、半裸の若者の持つ大刀の朱鞘には、「いきすぎたりや廿三
八まんひけはとるまい」と書かれています。
廿三は豊臣秀頼の享年であり、描かれた人物は秀頼ではないかという説もあります。
岩佐又兵衛 「官女観菊図」 東京・山種美術館 重要文化財

後期の展示です。
乗った牛車の簾を上げ、道端に咲く菊を官女が眺めているところです。
料紙に金泥を薄く塗る、雲霞という下塗りを施した上に描かれていて、深みのある
画面になっています。
岩佐又兵衛の特徴とされる、豊頬長頤といわれる下ぶくれの顔で、墨一色の中に
唇と頬にわずかに紅を差しています。
又兵衛風といわれた人物画の最初の作品とのことですが、端正な中にも戦国の
名残の力強さを見せています。
元は福井の豪商、金屋家の所蔵の「金谷屏風」と呼ばれた屏風で、六曲一双だったものが、
明治時代になって別々に剥がされた、そのうちの1枚です。
岩佐又兵衛 「羅浮仙図」 個人蔵 重要美術品

3月26日からの展示です。
羅浮仙は美女の姿をした梅の精です。
岩佐又兵衛特有の下ぶくれの顔立ちで、すっくと立っています。
2017年に出光美術館で「岩佐又兵衛と源氏絵」展が開かれていました。
「岩佐又兵衛と源氏絵」展の記事です。
狩野山雪(1590-1651)
狩野山雪 「梅花遊禽図襖」 寛永8年(1631) 京都・天球院 重要文化財

狩野山雪は京狩野の狩野山楽の婿養子で、幾何学的で斬新な構図や
動物のユーモラスな表情に特徴のある絵師です。
右下から左上に向かう構図で、白梅の咲く幹に紅葉した蔦が絡まる、
季節を超えた景色です。
大きくうねりながら襖の全面に広がる梅の幹が目を惹き、こちらに向かっ
て延びる枝が立体感を出しています。
狩野山雪 「龍虎図屏風」 個人蔵

右隻

左隻

部分

部分

瀧が川となり、海に続き、波が大きくうねる中から龍が姿を現しています。
龍は上目遣いで、それを岸から眺める虎はすらりと脚を揃え、まったく戦闘意欲が
見られません。
白隠慧鶴(1685-1768)
白隠慧鶴は江戸時代中頃の臨済宗の僧で、臨済宗中興の祖とされています。
教化の手段として、数多くの書画を描いた僧としても有名で、1万点あまりが
現存しています
白隠慧鶴 「達磨図」 明和4年(1767) 永青文庫

白隠の禅画は、人物の目がぎょろりとして大きいのが特徴です。
超俗的でありながら、ユーモラスで親しみやすさがあります。
白隠慧鶴 「達磨図」 大分・萬壽寺

最晩年の作とのことで、縦2m近くの大画面の背景を黒々と塗り、極端な
大目玉の達磨を一気に描いています。
衣の線や朱の色が力強く、特にアイラインがポイントです。
80歳を越えてこれだけの大作を描ききる気力体力には感心してしまいます。
白隠慧鶴 「すたすた坊主」 早稲田大学會津八一記念博物館

前期の展示です。
すたすた坊主は、真冬でも裸で注連縄を着けただけの姿ですたすた歩き、
大道芸を披露する乞食坊主です。
神仏への代参も請け負うすたすた坊主に白隠は自分を重ねています。
白隠慧鶴 「鍾馗鬼味噌」 島根・海禅寺蔵

後期の展示です。
唐の玄宗皇帝の夢枕に現れ、小鬼を退治したという鍾馗様が鬼を擂鉢で
擂り潰して、鬼味噌を作っています。
唐辛子味の鬼味噌と鬼を材料にした鬼味噌を掛けています。
左は鍾馗様の息子で、「とと(父)さ鬼みそをちとなめて見度い」と
言っています。
鬼は煩悩、邪念の象徴とのことです。
白隠慧鶴 「隻手」 岐阜・久松真一記念館

白隠は、片手で拍手したらどんな音がするかという公案(禅問答の問題)を
考えています。
禅の問題なので、理屈では答えが出ません。
鈴木其一(1796-1858)
鈴木其一は酒井抱一の弟子で、モダンで濃密なな作風で知られています。
鈴木其一 「百鳥百獣図」 天保14年(1843年) 米
国・キャサリン&トーマス・エドソンコレクション
百鳥図

部分

桐の木に止まる鳳凰です。
百獣図

部分

麒麟や牡丹の横の獅子も見えます。
初の里帰り展示で、びっしりと描き込まれた様子は若冲を思わせます。
鈴木其一 「牡丹図」 1851(嘉永4)年 山種美術館

後期の展示です。
白、薄紅、赤と色を変え、蕾から盛り、しおれ始めまでを
一つの絵の中に収めています。
この作品は中国画風の細密な写実で、琳派とは少し雰囲気が異なっています。
鈴木其一 「四季花鳥図」 山種美術館
右隻

左隻

後期の展示です。
右隻は春夏の図で、向日葵、朝顔、燕子花、オモダカ、菜の花、立葵などと一緒に
鶏のつがいと雛が描かれています。
左隻は秋冬の図で、薄、菊、女郎花、竜胆、ナナカマド、ワレモコウなどの下に
つがいのオシドリが居ます。
さまざまの草花を活け花のように手際よくまとめ、濃密に描き出した画面は
とても豪華です。
鈴木其一 「藤花図」 細見美術館

部分

前期の展示です。
掛軸で、勢いよくなだれ落ちるような藤の花です。
花びら一枚一枚もみずみずしく鮮やかな色彩で、ていねいに描かれています。
鈴木其一 「夏秋渓流図屏風」

右隻

左隻

前期の展示です。
右隻は夏で山百合、左隻は秋で桜葉の紅葉を写実的に描きこんでいます。
一方で、笹の葉は単純で様式的な形にまとめてあるので、観る人の注意は
山百合と桜葉に向きます。
檜は葉の緑が盛り上がるように厚く塗られ、右隻の檜には蝉が一匹止まっています。
全体に濃密な画面で、こちらに向って流れ込んでくる鮮やかな青色の水流の
表現は劇画のようです。
土手や奥の樹木は、芝居の書割のように重ねられていて、平面的な構成です。
圧迫するような力と、近代的なデザイン感覚にあふれています。
歌川国芳(1797-1861)
歌川国芳は歌川広重と同じ年に江戸日本橋で生まれた浮世絵師で、
豪快な武者絵や、江戸っ子らしい風刺画で有名です。
歌川国芳 「宮本武蔵の鯨退治」 弘化4年(1847)頃

大判3枚続きを使ってダイナミックな画面を作っていて、黒と白の対照が明快です。
盛り上がる波の構図は葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を参考に
しているのでしょうか。
歌川国芳 「相馬の古内裏」 弘化2~3年(1845~46)頃

大判3枚続きで、山東京伝の「善知(うとう)安方忠義伝」より、大宅太郎光圀が
妖術を使う滝夜叉姫(たきやしゃひめ)と戦う場面です。
原作では数百人の骸骨が登場するということですが、この絵では巨大な骸骨が
描かれています。
西洋の骨格図を参考にしていて描写は正確とのことです。
歌川国芳 「近江の国の勇婦於兼」 天保2~3年(1831-32)頃

前期の展示です。
近江国海津宿の怪力の遊女お兼が暴れ馬の引き綱を下駄で踏み付けて
取り押さえている場面です。
国芳は輸入された銅版画などを通じて西洋画を研究していて、
馬の陰影の付け方などに西洋画の影響が見られます。
歌川国芳 「猫の当字 ふぐ」 天保13年(1842)頃

猫好きの国芳はよく猫を題材にしています。
体の柔らかい猫の姿を上手く使っていて、「ふ」の字の猫は本物の
ふぐのようです。
歌川国芳 「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」 弘化4年(1847)頃

裸の男が寄ってたかって人の顔を作っています。
特に鼻の部分に上手く使われています。
2011年に森アーツセンターギャラリーで開かれた、「没後150年 歌川国芳展」の記事です。
これだけ個性的な画家たちの力作が揃うことは滅多に無く、ぜひ前期後期ともに
観に行かれる行かれることをお勧めします。
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」の記事その1です。
展覧会のHPです。
表参道
表参道駅近くの「サロン ド テ ジャンナッツ(JANAT)」に行ってきました。
場所は渋谷区神宮前5-46-10です。

フランスの紅茶ブランド、「ジャンナッツ(JANAT)」の日本でのカフェです。
店内は明るいブラウンを基調にしていて、全席禁煙、席の間も広く、
ゆったりとしています。



テデアルプス840円です。

ダージリンをベースに蜂蜜とレモングラスが入っています。
ほの甘く、爽やかで、疲れを癒してくれます。
ポットはランプで温めるようになっていて、最後まで美味しく味わえます。
久しぶりに訪ねて、たまたまお客さんが途切れて静かなったお店で
ゆっくりと時間を過ごしました。
以前、「サロン ド テ ジャンナッツ」に行った時の記事です。
chariot
表参道駅近くの「サロン ド テ ジャンナッツ(JANAT)」に行ってきました。
場所は渋谷区神宮前5-46-10です。

フランスの紅茶ブランド、「ジャンナッツ(JANAT)」の日本でのカフェです。
店内は明るいブラウンを基調にしていて、全席禁煙、席の間も広く、
ゆったりとしています。



テデアルプス840円です。

ダージリンをベースに蜂蜜とレモングラスが入っています。
ほの甘く、爽やかで、疲れを癒してくれます。
ポットはランプで温めるようになっていて、最後まで美味しく味わえます。
久しぶりに訪ねて、たまたまお客さんが途切れて静かなったお店で
ゆっくりと時間を過ごしました。
以前、「サロン ド テ ジャンナッツ」に行った時の記事です。
上野
上野の東京都美術館では「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」が開かれています。
会期は4月7日(日)までです。
3月10日までの前期と12日からの後期で、かなりの展示替えがあります。

江戸時代の奇想の画家とされる伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪を始め、
岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧鶴、鈴木其一、歌川国芳という個性的な
画家の作品が勢揃いした、豪華な展覧会です。
作品の点数も多いので、2回に分けて、記事にします。
1回目は代表的な奇想の画家とされる、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪の
3人について書きます。
伊藤若冲(1716-1800)
伊藤若冲は卓越した技巧と多彩な作風により、近年極めて人気の高い画家です。
伊藤若冲 「雪中雄鶏図」 京都・細見美術館

前期の展示です。
伊藤若冲の最初期の作品で、雄鶏は写実的に描かれています。
竹が節ごとに折れ曲がっているところや、尾を高く上げた姿など、
すでに若冲の個性が表れています。
伊藤若冲 「梔子雄鶏図」 個人蔵

こちらも初期の作で、最近発見された作品です。
伊藤若冲 「海棠目白図」 京都・泉屋博古館

部分

前期の展示です。
シデコブシと海棠(カイドウ)が描かれ、海棠にはメジロが目白押しに並んでいます。
コブシは木蓮の仲間で、白木蓮は玉蘭と呼ばれ、海棠の棠は堂に通じ、
これに富貴を表す牡丹を合わせると玉堂富貴という目出度い言葉となります。
一羽だけ、背を向けて離れて止まっているメジロが微笑ましくもあります。
伊藤若冲 「紫陽花双鶏図」 米国・エツコ&ジョー・プライスコレクション

紫陽花の葉や花も濃密に描かれた力作です。
伊藤若冲 「旭日鳳凰図」 宝暦5年(1755) 宮内庁三の丸尚蔵館

部分

前期の展示です。
有名な「動植綵絵」を描き始める2年前の作品で、濃密な描き振りに圧倒されます。
伊藤若冲 「象と鯨図屏風」 寛政9年(1797) 滋賀・MIHO MUSEUM

右隻

左隻

北陸の旧家にあった屏風で、龍虎図になぞらえ、黒と白を対照にした図柄です。
多くの釈迦涅槃図には、釈迦の死を嘆き悲しむ動物たちの中に鼻を上げて
泣き叫ぶ象の姿があり、若冲はその形を借りて、耳の丸い、ちょっと夢幻的で
可愛い姿の象にしています。
鯨は潮を吹く背中だけを見せて、水に隠れた巨体を想像させています。
波の重なりもリズミカルです。
伊藤若冲 「乗興舟」(部分) 明和4年(1767) 京都国立博物館

会期中、場面替えがあります。
京都から大坂まで下る淀川の風景を墨で描いた版画絵巻です。
拓版画という、版木に紙を乗せ、たんぽに墨を含んで叩いて刷り出す、
拓本と同じ技法によっています。
墨の黒によって川沿いの林、家並み、橋、などの情景がゆったりと
大らかに広がっています。
画像は大倉集古館所蔵の作品です。
曽我蕭白(1730-1781)
曽我蕭白は独創的な画面構成や鮮やかな色彩で、奇想の画家として
近年人気の高い画家です。
曽我蕭白 「雪山童子図」 明和元年(1764)頃 三重・継松寺

釈迦の前世の物語で、雪山で修行している時、帝釈天が姿を変えた鬼が唱える
無常偈の前半を聞き、鬼に喰われれば後半を教わることが出来るというので、
身を投げ出そうとしているところです。
赤と白の対比が鮮やかで、鬼の下半身の青は濃く、腕輪や足輪は金色に輝いています。
雪山童子の周りには細かい雪が降り、枝に掛けた衣には蓮の模様が描かれています。
曽我蕭白 「群仙図屏風」 明和元年(1764) 文化庁 重要文化財
右隻

左隻

後期の展示です。
個性の強そうな仙人たちが集まって、ちょっと不気味な雰囲気です。
ガマを担いだ蝦蟇仙人や杖を突いた鉄拐仙人などが見えます。
団扇を持った女性は西王母のようです。
曽我蕭白 「群仙図屏風」 東京藝術大学

後期の展示です。
水墨による群仙図で、着彩より穏やかな雰囲気です。
円形に曲げた腕は蕭白の作品に見られる形です。
曽我蕭白 「富士・三保松原図屏風」 宝暦12年(1762)頃 滋賀・MIHO MUSEUM
前期の展示です。
六曲一双の屏風で、富士山は様式的な三峰型でも写実的でも無く、
勢いのある斬新な描き振りです。
曽我蕭白については今まで、ちょっとどぎつい画家という印象を持っていましたが、
この展覧会で蕭白の画力に改めて感心しました。
長沢芦雪(1754-1799)
長沢芦雪は円山応挙の弟子で、師の応挙の謹直な画風に対し、
奔放なところが対照的です。
長沢芦雪 「群猿図襖絵」(部分) 4面
寛政7年(1795) 兵庫・大乗寺 重要文化財

部分

大乗寺の住職が若い頃の応挙を支援したお礼に、応挙は弟子たちを率いて
大乗寺に赴き、襖絵や屏風絵を描いており、その内、165面は重要文化財に
指定されています。
空間を活かした画面で、猿たちが思い思いに集っていて、人間に似た表情を
しているのが微笑ましいところです。
長沢芦雪 「龍図襖」(部分) 8面 島根・西光寺

勢いのある筆遣いで、雲から現れる龍を描き出しています。
長沢芦雪 「白象黒牛図屏風」 米国・エツコ&ジョー・プライスコレクション
右隻

左隻

部分

白い象と黒い牛の対比で、象には黒いカラスが止まり、牛の横には白い子犬が
座っています。
象と牛は画面に一杯に広がって、迫力とユーモアがあります。
可愛い子犬は師の応挙譲りです。
同じ図柄の屏風は2018年に三井記念美術館で開かれた「国宝 雪松図と
動物アート」展でも展示されていました。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京都美術館では「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」が開かれています。
会期は4月7日(日)までです。
3月10日までの前期と12日からの後期で、かなりの展示替えがあります。

江戸時代の奇想の画家とされる伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪を始め、
岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧鶴、鈴木其一、歌川国芳という個性的な
画家の作品が勢揃いした、豪華な展覧会です。
作品の点数も多いので、2回に分けて、記事にします。
1回目は代表的な奇想の画家とされる、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪の
3人について書きます。
伊藤若冲(1716-1800)
伊藤若冲は卓越した技巧と多彩な作風により、近年極めて人気の高い画家です。
伊藤若冲 「雪中雄鶏図」 京都・細見美術館

前期の展示です。
伊藤若冲の最初期の作品で、雄鶏は写実的に描かれています。
竹が節ごとに折れ曲がっているところや、尾を高く上げた姿など、
すでに若冲の個性が表れています。
伊藤若冲 「梔子雄鶏図」 個人蔵

こちらも初期の作で、最近発見された作品です。
伊藤若冲 「海棠目白図」 京都・泉屋博古館

部分

前期の展示です。
シデコブシと海棠(カイドウ)が描かれ、海棠にはメジロが目白押しに並んでいます。
コブシは木蓮の仲間で、白木蓮は玉蘭と呼ばれ、海棠の棠は堂に通じ、
これに富貴を表す牡丹を合わせると玉堂富貴という目出度い言葉となります。
一羽だけ、背を向けて離れて止まっているメジロが微笑ましくもあります。
伊藤若冲 「紫陽花双鶏図」 米国・エツコ&ジョー・プライスコレクション

紫陽花の葉や花も濃密に描かれた力作です。
伊藤若冲 「旭日鳳凰図」 宝暦5年(1755) 宮内庁三の丸尚蔵館

部分

前期の展示です。
有名な「動植綵絵」を描き始める2年前の作品で、濃密な描き振りに圧倒されます。
伊藤若冲 「象と鯨図屏風」 寛政9年(1797) 滋賀・MIHO MUSEUM

右隻

左隻

北陸の旧家にあった屏風で、龍虎図になぞらえ、黒と白を対照にした図柄です。
多くの釈迦涅槃図には、釈迦の死を嘆き悲しむ動物たちの中に鼻を上げて
泣き叫ぶ象の姿があり、若冲はその形を借りて、耳の丸い、ちょっと夢幻的で
可愛い姿の象にしています。
鯨は潮を吹く背中だけを見せて、水に隠れた巨体を想像させています。
波の重なりもリズミカルです。
伊藤若冲 「乗興舟」(部分) 明和4年(1767) 京都国立博物館

会期中、場面替えがあります。
京都から大坂まで下る淀川の風景を墨で描いた版画絵巻です。
拓版画という、版木に紙を乗せ、たんぽに墨を含んで叩いて刷り出す、
拓本と同じ技法によっています。
墨の黒によって川沿いの林、家並み、橋、などの情景がゆったりと
大らかに広がっています。
画像は大倉集古館所蔵の作品です。
曽我蕭白(1730-1781)
曽我蕭白は独創的な画面構成や鮮やかな色彩で、奇想の画家として
近年人気の高い画家です。
曽我蕭白 「雪山童子図」 明和元年(1764)頃 三重・継松寺

釈迦の前世の物語で、雪山で修行している時、帝釈天が姿を変えた鬼が唱える
無常偈の前半を聞き、鬼に喰われれば後半を教わることが出来るというので、
身を投げ出そうとしているところです。
赤と白の対比が鮮やかで、鬼の下半身の青は濃く、腕輪や足輪は金色に輝いています。
雪山童子の周りには細かい雪が降り、枝に掛けた衣には蓮の模様が描かれています。
曽我蕭白 「群仙図屏風」 明和元年(1764) 文化庁 重要文化財
右隻

左隻

後期の展示です。
個性の強そうな仙人たちが集まって、ちょっと不気味な雰囲気です。
ガマを担いだ蝦蟇仙人や杖を突いた鉄拐仙人などが見えます。
団扇を持った女性は西王母のようです。
曽我蕭白 「群仙図屏風」 東京藝術大学

後期の展示です。
水墨による群仙図で、着彩より穏やかな雰囲気です。
円形に曲げた腕は蕭白の作品に見られる形です。
曽我蕭白 「富士・三保松原図屏風」 宝暦12年(1762)頃 滋賀・MIHO MUSEUM
前期の展示です。
六曲一双の屏風で、富士山は様式的な三峰型でも写実的でも無く、
勢いのある斬新な描き振りです。
曽我蕭白については今まで、ちょっとどぎつい画家という印象を持っていましたが、
この展覧会で蕭白の画力に改めて感心しました。
長沢芦雪(1754-1799)
長沢芦雪は円山応挙の弟子で、師の応挙の謹直な画風に対し、
奔放なところが対照的です。
長沢芦雪 「群猿図襖絵」(部分) 4面
寛政7年(1795) 兵庫・大乗寺 重要文化財

部分

大乗寺の住職が若い頃の応挙を支援したお礼に、応挙は弟子たちを率いて
大乗寺に赴き、襖絵や屏風絵を描いており、その内、165面は重要文化財に
指定されています。
空間を活かした画面で、猿たちが思い思いに集っていて、人間に似た表情を
しているのが微笑ましいところです。
長沢芦雪 「龍図襖」(部分) 8面 島根・西光寺

勢いのある筆遣いで、雲から現れる龍を描き出しています。
長沢芦雪 「白象黒牛図屏風」 米国・エツコ&ジョー・プライスコレクション
右隻

左隻

部分

白い象と黒い牛の対比で、象には黒いカラスが止まり、牛の横には白い子犬が
座っています。
象と牛は画面に一杯に広がって、迫力とユーモアがあります。
可愛い子犬は師の応挙譲りです。
同じ図柄の屏風は2018年に三井記念美術館で開かれた「国宝 雪松図と
動物アート」展でも展示されていました。
展覧会のHPです。
上野広小路・御徒町
「みはし パルコヤ上野店」は松坂屋上野店隣のパルコヤ上野の3階にあります。
場所は台東区上野3-24-6です。

上野山下にある甘味処、「みはし 上野本店」の支店で、席数は約30席、全席禁煙、
明るい店内です。
6階のレストラン街は11時開店ですが、こちらは10時に開店しています。
開店したすぐ後に入ったので、まだ他にお客さんはいません。


上野らしいサービスもあります。

おぞうに660円です。

お椀の蓋を開けると、みつばの香りが広がります。
お餅は関東風の角餅です。
上品な味で美味しく、体も温まります。
上野本店は満席のことが多いので、パルコヤにもお店があるのは便利です。
「みはし 上野本店」の記事です。
chariot
「みはし パルコヤ上野店」は松坂屋上野店隣のパルコヤ上野の3階にあります。
場所は台東区上野3-24-6です。

上野山下にある甘味処、「みはし 上野本店」の支店で、席数は約30席、全席禁煙、
明るい店内です。
6階のレストラン街は11時開店ですが、こちらは10時に開店しています。
開店したすぐ後に入ったので、まだ他にお客さんはいません。


上野らしいサービスもあります。

おぞうに660円です。

お椀の蓋を開けると、みつばの香りが広がります。
お餅は関東風の角餅です。
上品な味で美味しく、体も温まります。
上野本店は満席のことが多いので、パルコヤにもお店があるのは便利です。
「みはし 上野本店」の記事です。
三越前
日本橋三越本店本館7階催物会場では「画業40年 千住博展―荘厳と格調・
21世紀の日本画」が開かれています。
会期は2月19日(火)まで、入場料は一般800円です。

ニューヨークを拠点に制作活動を続けている、千住博さん(1958~)の
画業40年を記念しての展覧会です。
「ウォーターフォール」や「断崖図」のシリーズを中心にした展示で、
「四季屏風・春、夏、秋、冬」4面も展示されています。
「ウォーターフォール」 2004年 軽井沢千住博美術館

絵具を上から下へ流すという、斬新な技法で有名です。
「ウォーターフォール」 2011年 軽井沢千住博美術館

「断崖図 #11」 2012年 軽井沢千住博美術館

崖の岩や樹木をほぼ一色で細密に描いています。
「四季屏風・春」(部分) 2010年 個人蔵

福島県の三春桜に取材しています。
覆いかぶさる夜桜を、下から見上げた視線で捉えています。
黒々とした夜空の中紅く細かい点をびっしり重ねた桜は
伝統的な日本画とは異なる凄みがあります。
「夏」は奥入瀬渓流を取材して描いたところ、東日本大震災が起こり、
その濁流を想起してしまうため、完成作を廃棄して描き直したそうです。
-------
本館1階では2月19日(火)まで、日本画家の西嶋豊彦さん(1966~)が
自ら漉いた和紙で制作した、「白孔雀」が展示されています。

時々、大きな羽根をゆるやかに開いたり閉じたりします。


chariot
日本橋三越本店本館7階催物会場では「画業40年 千住博展―荘厳と格調・
21世紀の日本画」が開かれています。
会期は2月19日(火)まで、入場料は一般800円です。

ニューヨークを拠点に制作活動を続けている、千住博さん(1958~)の
画業40年を記念しての展覧会です。
「ウォーターフォール」や「断崖図」のシリーズを中心にした展示で、
「四季屏風・春、夏、秋、冬」4面も展示されています。
「ウォーターフォール」 2004年 軽井沢千住博美術館

絵具を上から下へ流すという、斬新な技法で有名です。
「ウォーターフォール」 2011年 軽井沢千住博美術館

「断崖図 #11」 2012年 軽井沢千住博美術館

崖の岩や樹木をほぼ一色で細密に描いています。
「四季屏風・春」(部分) 2010年 個人蔵

福島県の三春桜に取材しています。
覆いかぶさる夜桜を、下から見上げた視線で捉えています。
黒々とした夜空の中紅く細かい点をびっしり重ねた桜は
伝統的な日本画とは異なる凄みがあります。
「夏」は奥入瀬渓流を取材して描いたところ、東日本大震災が起こり、
その濁流を想起してしまうため、完成作を廃棄して描き直したそうです。
-------
本館1階では2月19日(火)まで、日本画家の西嶋豊彦さん(1966~)が
自ら漉いた和紙で制作した、「白孔雀」が展示されています。

時々、大きな羽根をゆるやかに開いたり閉じたりします。


東京
丸善丸の内本店では2月26日(火)まで「丸猫展」が開かれています。


4階ギャラリーAでは「招き猫傑作展」が開かれています。
会期は2月19日(火)までです。


12名の作家による招き猫たちの展示販売で、伝統的な招き猫から
猫パンチを繰り出しているような猫まで、さまざまなスタイルの猫が
お客さんを呼んでいます。
出展作家は以下の通りです。
天野千恵美、岡村洋子、岡山富男、小澤康麿、櫻井魔己子、蝉丸、
西岡良和、東早苗、東直生、水谷満、もりわじん、渡辺志野
ギャラリーBでは「ダヤンアートフェア&版画」が開かれています。
会期は同じく2月19日(火)までです。

池田あきこさんの創作ファンタジー「わちふぃーるど」の主人公、
猫のダヤンの版画やグッズが展示販売されています。
2月16日(土)午後1時からは池田あきこさんのサイン会が開かれます。
4階ギャラリーでは2月20日(水)から26日(火)が「Catアートフェスタ」が開かれます。
18名の猫アーティストの作品が展示されます。

猫の絵や人形、猫グッズでいっぱいの展示室です。
chariot
丸善丸の内本店では2月26日(火)まで「丸猫展」が開かれています。


4階ギャラリーAでは「招き猫傑作展」が開かれています。
会期は2月19日(火)までです。


12名の作家による招き猫たちの展示販売で、伝統的な招き猫から
猫パンチを繰り出しているような猫まで、さまざまなスタイルの猫が
お客さんを呼んでいます。
出展作家は以下の通りです。
天野千恵美、岡村洋子、岡山富男、小澤康麿、櫻井魔己子、蝉丸、
西岡良和、東早苗、東直生、水谷満、もりわじん、渡辺志野
ギャラリーBでは「ダヤンアートフェア&版画」が開かれています。
会期は同じく2月19日(火)までです。

池田あきこさんの創作ファンタジー「わちふぃーるど」の主人公、
猫のダヤンの版画やグッズが展示販売されています。
2月16日(土)午後1時からは池田あきこさんのサイン会が開かれます。
4階ギャラリーでは2月20日(水)から26日(火)が「Catアートフェスタ」が開かれます。
18名の猫アーティストの作品が展示されます。

猫の絵や人形、猫グッズでいっぱいの展示室です。