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「ナプレ 池袋東武百貨店」
池袋
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「ナプレ 池袋東武百貨店」は池袋東武百貨店の11階にあるイタリアンのお店です。

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約50席の店内は全席禁煙、明るく南国風です。
2時30分から5時まではティータイムです。

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黒糖のクレマコッタ800円とコーヒー500円はセットで1200円になります。

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こちらはカモミールティーとセットにしました。

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カラメルエスプレッソソースが掛けてあり、濃厚で美味しいです。

他にもカンノーロやティラミス、パンナコッタなど、イタリアのスイーツが揃っています。


【2019/06/30 19:20】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」 野瀬町大吉寺 聖観音立像
上野
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「びわ湖長浜KANNON HOUSE」は京成上野駅と不忍池の間にあります。
場所は台東区上野2-14-27の上野ファーストビル1階です。

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観音の里として知られる滋賀県長浜市には130体を超える観音像があります。
「びわ湖長浜KANNON HOUSE」は「観音」をテーマとして2016年に上野に
オープンした情報発信拠点で、長浜市の観音像を2~3か月に1体ずつこちらで
展示しています。
隣の不忍池は寛永寺の開祖・天海が琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえて
中之島を築かせたとされており、長浜市の拠点としてふさわしい場所といえます。
開館時間は午前10時から午後6時、入館は無料、休館日は月曜日です。
毎週金曜日は17時から30分間、館内の照明を消灯し、観音堂の明かりだけを灯した
スペシャルライティングが行なわれます。

5月28日からは野瀬町大吉寺の聖観音立像が展示されています。

大吉寺はかつて天吉寺山の山頂にあった山岳寺院で、鎌倉時代や室町時代には
栄えましたが、戦国時代に六角定頼の兵火を受け、さらに織田信長の浅井攻めにより
50程あった堂舎は焼討ちに遭っています。
現在の大吉寺はその子院だった所です。
本尊は厳重な秘仏で、開帳は60年に一度、次回の開帳は2049年とのことです。

今回展示されている聖観音立像はその御前立です。
平安時代末期から鎌倉時代初期の作で、像高67.4㎝、木造の彫眼、漆を塗り、
金箔を貼っています。

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しっかりしたお顔立ちです。
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かなり前に傾いた立ち姿です。
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前回のびわ湖長浜KANNON HOUSEの記事です。

「びわ湖長浜KANNON HOUSE」のHPです。


不忍池のほとりにタチアオイが咲いていました。

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【2019/06/29 17:44】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「ラグビーワールドカップ 2019日本大会」応援プロジェクト
東京
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アート・プログラム「ART SCRUM」は9月20日から11月2日まで全国各地で開かれる、
ラグビーワールドカップ 2019日本大会の応援プログラムです。

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大会のオフィシャルスポンサーである三菱地所株式会社の企画で、ラグビー経験のある
アーティスト15名によるラグビーボールをテーマにした作品が展示されています。
現在は丸ビル1階のマルキューブに展示され、その後、横浜、大阪、大分、箱根と
巡回します。

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小澤征爾 「大好きな革のラグビーボール」 成城学園中学校 プロップ 背番号3
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O JUN 「秩父宮北側スタンドから19,364日目」 
 東京藝術大学ラグビー部 左ロック 背番号4
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河北秀也 「ガンバレ! JAPAN RUGBY」 
 東京藝術大学ラグビー部 フッカー 背番号2
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日の丸色のラグビーボールです。

小林孝亘 「静物としてのラグビーボール」 
 愛知県立芸術大学ラグビー部 スタンドオフ 背番号10
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小林さんらしく、静かなたたずまいのラグビーボールです。

坂茂 「木造ラグビー“ボール”パーク」 
 成蹊学園ラグビー部 ナンバーエイト 背番号8
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永山裕子 「やかん」 東京藝術大学ラグビー部 マネージャー
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試合には欠かせない、魔法の水の入ったやかんです。

名和晃平「Flesh Ball」 京都市立芸術大学ラグビー部 スタンドオフ 背番号10
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橋本夕紀夫 「CRAFT SCRUM」 愛知県立芸術大学ラグビー部 右ロック 背番号5
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舟越桂 「あの頃のボールをうら返した。」 
 和光学園、東京造形大学、東京藝術大学ラグビー部  右センター 背番号13
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舟越さんは東京造形大学時代に自分でラグビー部を創立しています。

三沢厚彦 「animal2019-01-c(シロクマ、ラグビー)」 
 東京藝術大学ラグビー部 フルバック 背番号15
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丸ビルの外にも巨大なラグビーボールが据えられています。

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丸の内仲通りでもベンチアートで大会を盛り上げています。

スケートの羽生弓弦選手とラグビーボール
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ラグビーボールを持つ栃ノ心関
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ボールを持ったら突破力はすごそうです。

ニュージーランド出身のリーチマイケル選手
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開催地の一つが熊本県なので、熊本県職員のくまモンも広報活動を行なっています。
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チコちゃんは大人気で、たくさんの人が一緒に記念写真を撮っていました。
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ベンチに置いてある傘は、ボーっと生きている人が忘れて行ったようです。


【2019/06/28 20:29】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
「唐三彩―シルクロードの至宝」展 丸の内 出光美術館
有楽町・日比谷
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丸の内の出光美術館では「唐三彩―シルクロードの至宝」展が開かれています。
会期は8月25日(日)までです。

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唐三彩は唐時代(618~907)の彩釉陶器で、緑、褐色、白色を中心に様々な色の
釉薬で彩られています。
人物、動物、器などをかたどっていますが、多くは日用品ではなく、お墓の副葬品
(明器)として作られています。


三彩騎駝人物
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唐時代は西域との交流の盛んな時代で、ラクダを連れた胡人(ソグド人)の
隊商が行き来していました。
ソグド人はイラン系で商業に長け、シルクロードの交易を担っていました。
玄宗皇帝時代に反乱を起こした安禄山もソグド系の人物です。
筒袖にズボン、ブーツを履き、独特の帽子を被った胡人が乗っていて、
鞍の敷物の緑が映えます。
顔も異国風で、口ひげを生やし、鼻も高いワシ鼻です。

フタコブラクダは中国北西部に生息し、シルクロードの輸送手段として
利用されました。
ラクダの隊商は唐の人たちにとって、日本の戦国時代の南蛮船のように、
心ときめく情景だったのでしょう。

緑釉駱駝人物 隋時代
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唐に先立つ隋時代の作です。
隊商のリーダーがまさに出発しようとして、ラクダが立ち上がる瞬間を捉えています。
ラクダの背には大きなブーツや水筒にする偏壷などが載っています。

三彩胡人
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水鳥形の容器を持ち、片足を上げて座っています。
深目高鼻と呼ばれる、大きな目、高い鼻をしていて、髪も巻き毛です。

三彩馬
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脚が長く、いかにも速そうな馬です。
鞍に掛けた毛織物や飾りの杏葉などに藍釉が掛けてあります。

  胡馬依北風 越鳥巣南枝

藍色は特に好まれたようで、器の全面に藍釉を施した器も展示されています。

三彩騎馬人物
女性の騎馬像も何点か展示されています。
唐時代には女性も馬に乗っていて、楊貴妃の姉たちも騎馬で参内していたそうです。
唐は北方民族の王朝なので、女性も騎馬に慣れていたのでしょうか。

三彩女子
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蓮の花を手にした女性が腰掛けています。
初唐の細身の女性が好まれた頃の作で、ほっそりした姿です。

盛唐時代になると、ふっくらとした女性が美人とされていて、豊かな頬の女性を
かたどった女子像も展示されています。
玄宗皇帝も楊貴妃に、お前は風が吹いても飛ばされないだろうと言って、
からかっています。
その昔、楚の霊王は細腰の女性を好んだので、宮中では食事をせず
餓死する者が多かったそうです。

三彩貼花文壺(万年壺)
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死後も永遠に飲食できるようにとのことで、万年壺と呼ばれています。
貼花文は粘土で作った模様を器に貼り付ける技法です。

三彩蓮花瑞鳥文三足盤
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型作りの器で、見込みに蓮花文と瑞鳥文があり、周りをろう抜技法による
白斑文が囲んでいます。

三彩貼花騎馬人物文水注
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西域の金属器やガラス器の形を採り入れた、異国風のデザインです。
胴には騎馬人物とグリフィンを貼り、把手は竜が口縁を噛んだ形をしています。

三彩印花牡丹文稜花長盤 遼時代
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北方の契丹族の国、遼でも唐三彩を採り入れた遼三彩を作っています。
型作りで、牡丹と蝶をあしらっています。
また、西方でもペルシャ三彩と呼ばれる、三彩風の陶器が作られています。
ただ、遼三彩もペルシャ三彩も唐三彩より時期はかなり遅れるため、
その関係ははっきりしないそうです。

展覧会のHPです。

次回の展覧会は「奥の細道330年 芭蕉」展です。
会期は8月31日(土)から9月29日(日)です。

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美術館に入った途端、夕立になり、ロビーから見える皇居の景色も雨にくもりましたが、
見終わる頃には止んでいました。

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  夏の日の俄かにくもる夕立のおもひもかけぬ世にもあるかな   古今和歌六帖


【2019/06/27 19:43】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」展 国立新美術館
乃木坂
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六本木の国立新美術館では「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」展が
開かれています。
会期は9月2日(月)まで、毎週火曜日は休館日です。

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会場の一部は撮影可能です。

クリスチャン・ボルタンスキー(1944~)はフランスの現代アーティストです。
過去の作品を集めて再構成した展示です。

「モニュメント」 1986年
子どもたちの写真が電球に照らされ、教会の祭壇のようです。

「保存室(カナダ)」 1988年
パンフレットに載っている作品で、最初にカナダで制作されています
古着がびっしりと壁一面に吊り下げられています。

「発言する」 2005年
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黒いコートに近づくと話声が聞こえます。

「黄昏」 2015年
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パンフレットの画像です。
サンパウロで発表された作品で、この展覧会の会期中、電球は毎日3個ずつ
消えていき、最終日にはすべての電球が消えるそうです。

「ぼた山」 2015年
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ベルギーの炭鉱で展示されるために製作された作品で、天井まで届く円錐形の
全面を黒い衣服が覆っています。

「アニミタス(白)」 2017年
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たくさんの棒の先に風鈴が下げられ、風に揺れて音を立てているビデオで、
墓標や卒塔婆のようです。

「ミステリオス」 2017年
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南米のパタゴニアで撮影されたビデオが3つの画面で放映されています。


作品は常に記憶や人の存在・不存在をテーマとしているそうですが、どれも死、
そしてホロコーストのイメージが重なって見えます。
ボルタンスキーさんの父はユダヤ人で、パリがナチスドイツに占領されている間、
家の床下に隠れて住んでいたそうです。
パリ解放の年に生まれたボルタンスキーさんは、伝え聞くホロコーストの悲劇には
強烈な印象を受けたことでしょう。
それぞれの人生を歩むはずだった多くの人たちの命と記憶が一斉に根こそぎ
失われてしまったということを受け止めて、この形の表現になったのでしょうか。

展覧会のHPです。


【2019/06/25 16:52】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「喫茶 穂高」 お茶の水  2019/6
御茶ノ水
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駿河台の「喫茶 穂高」に行ってきました。
場所は千代田区神田駿河台4-5-3です。

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この季節は風が通るように、入口のドアを開けてあります。
2年ほど前に全席禁煙になりました。

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このお店の特徴が一番現れる季節で、フェンスの蔦が伸びて、
テーブルにも緑が映っています。
蔦の向こうは神田川です。

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朝10時まではトースト250円、コーヒー450円です。

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現在工事中のJR御茶ノ水駅ビルが完成すると、残念ながら窓からの眺めは
ビルに隠れてしまいます。

最初に「喫茶 穂高」に行ったときの記事です。


【2019/06/23 19:36】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「家畜 ―愛で、育て、屠る―」展、東京大学総合研究博物館本館と「麹町珈琲東大店」
本郷三丁目
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東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では特別展示、
「家畜 ―愛で、育て、屠る―」が行なわれています。
会期は6月30日(土)まで、入場は無料で、休館日は月曜日です。

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人間に育てられた「家畜」についての展示です。

イノシシ(左手前)は飼育され、ブタ(右手前)になりました。
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キアニーナ
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牛の世界最大の品種で、イタリアのトスカーナ産です。
成長には時間がかかり、経済合理性から考えると有利ではありませんが、
トスカーナ地方で古くから飼育された、地域に根付いた品種です。

ホルスタイン
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乳牛として有名な品種の雄で、種牛として独立行政法人家畜改良センターで
飼育されていました、

日本輓系種
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北海道で行われている、馬が重いそりを引いて競争する、ばんえい競馬で
使われる馬です。
体重は1トン前後になるということで、馬とは思えない迫力です。

馬も牛も優れた剥製の技術で再現されています。

小馬のファラベラ種 左:愛称ファルーチョ 右:愛称ガルーチョ
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馬が家畜化されたのはユーラシア大陸で、ファラベラは南米に運ばれた馬が
アルゼンチンの草原、パンパで再野生化した馬と他の品種を交配させて
生み出し小型の品種です。
ファラベラ家の人たちが100年かけて交配を続け、体高70㎝になっています。
ァルーチョとガルーチョは昭和54年(1979)に当時のアルゼンチン大統領から
皇太子殿下(現天皇)に贈られた2頭です。
横浜の「こどもの国」で飼育され、ともに40歳以上の長寿を保ったそうです。

さまざまな鶏の品種です。

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セキショクヤケイ
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南アジアに広く分布し、飛ぶことが出来ます。
家禽となった鶏の祖先と考えられています。

大軍鶏
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シャモは江戸時代にシャム(現在のタイ)から輸入されたと言われる品種で、
闘鶏用に品種改良され、大中小の種類があります。

インディオ・ギガンテ
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ブラジル産で、世界最大となることを目指して品種改良されています。

ドンタオ
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ベトナム産で、異様に太い脚が特徴です。

家畜についていろいろ考えることの出来る、なかなか面白い展示です。

東京大学総合研究博物館本館の月報、「Ouroboros(ウロボロス)」も
読み応えがあります。

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展覧会のHPです。

***

「麹町珈琲東大店」は東京大学病院の南研究棟の1階にあります。
場所は文京区本郷7-3-1です。

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セブン&アイの系列のお店で、病院の隣にある南研究棟のリニューアルオープンした
4月1日にオープンしています。
朝8時から夜8時まで開いていて、祝祭日はお休みです。
店内は10席程度、全席禁煙、席の間もゆったりしています。

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南研究棟の中庭もきれいに整備され、テラス席も出来ました。

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東京大学病院の隣ということで、病院会計と近くの薬局の掲示板があって便利です。

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コーヒー320円とフィナンシェ127円です。

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コーヒーはたっぷりあって、しっかりとして美味しいです。


【2019/06/22 17:52】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「ブルーボトルコーヒー青山カフェ」 2019/6
表参道
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表参道交差点近くの「ブルーボトルコーヒー青山カフェ」に行ってきました。
場所は港区南青山3-13-14で、ビルの2階です。

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人気の高いお店で、青山の根津美術館に行った時に、時々寄ります。
混んでいることも多いのですが、この日は夕方で席が少し空いていました。

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ドリップブレンド486円とチキンタルティーヌ756円です。

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タルティーヌは小ぶりですが、味付けも良く、美味しいです。

窓の外の心地良い緑を眺めながら一休みしました。

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以前、「ブルーボトルコーヒー青山カフェ」に行った時の記事です。


【2019/06/21 19:51】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「森本計一展」 と「小澤摩純絵画展」 丸善丸の内本店
東京
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丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーAでは
「森本計一展 ―パリの街角を描くー」が6月25日(火)まで
開かれています。

森本計一さん(1940~)は倉敷市出身で、早稲田大学を卒業し、作品には人びとの
生活するパリの何気ない風景が確かな筆遣いで描き留められています。
展覧会では新作約50点が展示されています。

「長い会議」
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犬は飼い主の熱中している議題には関心が無いようです。

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同じ丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーBでは、
「ファンタジーワールド 小澤摩純絵画展」が6月25日(火)まで
開かれています。

小澤摩純さん(1962~)は東京都出身で、作品は可愛い図柄と明るい色彩による、
絵本の挿絵やデザイン画などです。
今回は原画や版画、約70点の展示です。
聖書や物語、音楽などのさまざまな題材を描いていて、「ベリー公のいとも
豪華なる時祷書」やクリュニー中世美術館の「貴婦人と一角獣」なども取り入れ、
可愛い中世といった趣きです。

「旅するモーツァルト」
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モーツァルトは子ども時代に、演奏家としてお披露目のため、父に連れられて、
ヨーロッパ各地を旅行しています。
モーツァルトと共にオーストリア大公マリア・テレジアや娘のマリー・アントワネットの
姿も見えます。
モーツァルトは6歳の時、ウィーンのシェーンブルン宮殿で、マリア・テレジアや
マリー・アントワネットに会っています。

2016年に丸善丸の内本店で開かれた「小澤摩純展」の記事です。

2010年に丸善丸の内本店で開かれた「小澤摩純展」の記事です。


【2019/06/20 21:12】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「松方コレクション展」 国立西洋美術館
上野
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上野の国立西洋美術館では国立西洋美術館60周年記念、「松方コレクション展」が
開かれています。
会期は9月23日(月・祝)までです。

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松方コレクションは実業家の松方幸次郎(1866-1950)が1916-1927年頃に
ヨーロッパで収集した多数の美術品のことです。

松方幸次郎は内閣総理大臣を務めた松方正義の子で、神戸の川崎造船所
(現・川崎重工業)の初代社長などを務め、第一次大戦に伴う造船需要により
事業を拡大しています。
その間、フランスやイギリスの近代絵画、中世の絵画、約8000点の浮世絵など、
約1万点を収集しています。
また、フランス滞在中はジヴェルニーに住む晩年のモネを訪問し、睡蓮を描いた作品など
何点かを購入しています。
しかし、大戦終了後に続いた不況により、川崎造船所は経営破綻してしまいます。
そのため、日本に着いていたコレクションのうち、西洋美術約1000点は売却されて散逸し、
ロンドンに留まっていた約900点は1937年に倉庫の火災で焼失しています。
パリにあった約400点のうち、一部は売却されますが、第2次世界大戦後に375点は日本に
送られています。
国立西洋美術館はこれらの作品の展示を目的として建設されたものです。

展覧会では約160点が展示されています。

プロローグ

フランク・ブラングィン 「松方幸次郎の肖像」 1916年 国立西洋美術館
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フランク・ブラングィン(1867-1956)はベルギー生まれの、イギリスで
活躍した画家、版画家、デザイナーで、松方幸次郎がコレクションを
収集する際にも協力しています。
松方コレクションを日本で展示する予定だった「共楽美術館」の
建築デザインも行なっていますが、「共楽美術館」は実現しませんでした。
松方が収集を始めた頃の作品で、1時間で描き上げたそうですが、
本人の雰囲気を上手く表しています。

2010年に西洋美術館で開かれた「フランク・ブラングィン展」の記事です。

クロード・モネ 「睡蓮」 1916年 国立西洋美術館
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会場の最初に展示されています。
縦横それぞれ約2mの大作です。
筆遣いは力強く自由で、水面には柳が映り、色彩と光があふれています。
ジヴェルニーの家の睡蓮の池の連作を始めたのは1899年で、1926年に
亡くなるまでに200点以上を制作しています。


I ロンドン 1916-1918

松方は第一次世界大戦中にロンドンに滞在し、貨物船の売り込みや鋼材の購入を
行なっています。
この時期に美術品の収集を始めており、イギリスの作品が多いようです。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「愛の杯」 1867年 国立西洋美術館
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ラファエル前派を代表する画家、ロセッティの作品です。
この時期のロセッティは唯美主義的な作品を描くようになっています。
愛の杯は恋人同士が酌み交わす杯のことで、杯にもハートの模様が彫られ、
背景の蔦は誠実な愛を表しています。

ジョン・エヴァリット・ミレイ 「あひるの子」 1889年 国立西洋美術館
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ジョン・エヴァリット・ミレイ(1829-1896)はラファエル前派の画家で、高い技量の
持ち主ですが、後にラファエル前派を離れ、感傷的な作品で名声を得ています。
この絵の描かれた1889年はポスト印象派のゴッホが亡くなる前年で、盛んに
制作していた年でもあります。
同じ時期でもかなり異なる画風の作家たちが活動していたことが分かります。
松方コレクションに入った後、散逸した作品の一つですが、1975年に国立西洋美術館が
収蔵しています。

レオン・オーギュスタン・レルミット 「牧草を刈る人々」 1900年 国立西洋美術館
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レオン・オーギュスタン・レルミット(1844-1925)はフランスの写実主義の画家で、
バルビゾン派のミレーに傾倒し、農民の生活をよく描いています。
知り合いのドガから印象派展への参加を求められたこともあるそうですが、
出展はしていません。
画風は物語的で、印象派とは異なります。


II 第一次世界大戦

松方はこの時期、第一次世界大戦を題材にした絵画も収集しています。

III 海と船

造船業者の松方は初期には海や船を題材にした作品を収集しています。


IV ベネディットとロダン

松方は後にロダン美術館の館長となるレオンス・ベネディットの仲介で、50点以上の
ロダンの作品を購入しています。
また、ベネディットはコレクションの収集に協力し、パリを中心に収集された美術品、
約400点も第二次世界大戦まで、ロダン美術館の旧礼拝堂に保管されています。

オーギュスト・ロダン 「考える人」 1881-82年 ブロンス 国立西洋美術館
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オーギュスト・ロダン 「地獄の門」 1880-90年頃、1917年(原型)、1930-33年(鋳造)
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西洋美術館の前庭に展示されている「地獄門」も松方コレクションの一部です。
ロダンは建設予定の装飾美術館の門の注文を受け、ダンテの「神曲」の中の
「地獄篇」を主題に選びます。
200人以上の人物像で構成され、扉の上には「考える人」が置かれています。
結局、装飾美術館の計画は中止され、石膏像を残してロダンは亡くなります。
ロダンの生前は鋳造されることの無かった「地獄の門」を最初に発注したのは
松方幸次郎です。

V パリ 1921-1922

松方は1921年から1922年までパリに滞在し、大量の作品を購入し、当時評判にも
なっています。
西洋美術館所蔵の松方コレクションの中心となる作品群です。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「帽子の女」 1891年 国立西洋美術館
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色彩豊かな作品で、背景の青や黄色が白い帽子の中で混じり合い、
輝いています。

クロード・モネ 「雪のアルジャントゥイユ」 1875年 国立西洋美術館
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西洋美術館の平常展でよく展示されている、なじみのある作品です。
淡い藤色の入った雪の色に味わいがあります。

クロード・モネ 「芍薬の花園」 1887年 国立西洋美術館
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モネはジヴェルニーの家に庭を作り、池を掘って川の水を引き、日本庭園を
模しています。
丹精こめて育てた紅い芍薬が輝いています。

クロード・モネ 「舟遊び」 1887年 国立西洋美術館
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ジヴェルニーでセーヌ川に合流するエプト川での舟遊びです。
モデルは二度目の妻、アリス・オシュデの娘たちです。
水面に映る2人の影が描かれています。
1880年代後半から1890年代初期は「風景のように戸外の人物を描く」という、
年来の夢に取組んでいた時期とのことです。

クロード・モネ 「陽を浴びるポプラ並木」 1891年 国立西洋美術館
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1891年の春から秋にエプト川の岸辺で制作した連作の1つで、
アトリエ舟から見た景色と思われます。
並木が面白い形をつくっています。

クロード・モネ 「ウォータールー橋、ロンドン」 1902年 国立西洋美術館
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モネは1898年から1901年にかけては毎年ロンドンを訪れて、国会議事堂や
ウォータールー橋などを描いています。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの寝室」 1889年 オルセー美術館
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「アルルの寝室」はゴッホが気に入っていた画題で、オルセー美術館の他にゴッホ美術館と
シカゴ美術館所蔵の作品があります。
ゴッホがアルルで暮らしていた部屋が、影も無い明快な色彩で力強く描かれています。
パリに集められていた約400点の中にありましたが、第二次世界大戦後にフランス政府に
接収され、その後の日本への返還交渉の際に送付を拒否され、フランスに留まった作品の
一つです。
ゴッホの絵は生前ほとんど売れませんでしたが、その死後60年後にはフランス政府が
自国に留め置くことを決めるほど、評価が高まっていた訳です。

ポール・ゴーガン 「扇のある静物」 1889年頃 オルセー美術館
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ジャポニスムも入った絵です。
松方はゴーガンの絵を気に入っていて、幾つも購入しています。
これもフランス政府が自国に留め置くことにしています。

ポール・セザンヌ 「調理台の上の瓶とポット」 1902-06年 オルセー美術館
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水彩作品で、これもフランス政府が自国に留め置いています。 

ポール・シニャック 「漁船」 20世紀初頭 国立西洋美術館
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点描法で有名なシニャックの水彩の小品です。
色彩が明るく透明感があり、このような瑞々しい感覚を基に点描を追求していた
ことには改めて感心させられます。


VI ハンセン・コレクションの獲得

1922年から1923年にかけて松方は実業家ウィルヘルム・ハンセンのコレクションのうち、
34点を入手しています。
それらの多くは不況期に売却され、散逸しています。

エドゥアール・マネ 「自画像」 1878-79年 
 石橋財団ブリヂストン美術館/石橋財団アーティゾン美術館

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晩年の自画像ですが、鏡を見て描いているので、上着のボタンが左右逆に
なっています。
また、マネはこの頃から左足を悪くしているので、この絵のように左足に
重心を置くことは出来なかったそうで、鏡を見て描いたことが分かります。
両腕は未完成のようで、少し形が不自然です。
自信ありげな姿勢と顔付きをしていて、画家としての地位を確立したマネの
気持ちが出ています。

エドガー・ドガ 「マネとマネ夫人像」 1868-69年頃 北九州市立美術館
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マネ夫人がピアノを弾き、マネがソファに座って聴いているところです。
ブルジョア家庭の一コマですが、マネはソファに片足を上げ、半分寝そべっています。
画面の右側が切り取られているのは、ドガからこの絵を贈られたマネが、夫人の顔の
出来が気に食わないということで切り取ってしまったためです。
ドガという人は、辛らつで容赦の無いところがあったようで、この絵もそれが影響した
のかもしれません。
それにしてもどんな風に描いてあったのか気になります。
マネの顔も自画像に比べるとかなり勇猛そうです。
マネの自己認識とドガの冷徹な観察眼の違いでしょう。

クロード・モネ 「積みわら」 1885年 大原美術館
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「積みわら」の連作はジヴェルニーで1890年から翌年にかけて描かれていますが、
モネはそれ以前から積みわらに関心を持っていたことが分かります。
遠くの積みわらと並木に日が当たって明るく光り、近くの積みわらは日影になって、
妻と子どもが座っているのも見えます。

アルフレッド・シスレー 「サン=マメス六月の朝」 
 1884年 石橋財団ブリヂストン美術館/石橋財団アーティゾン美術館

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サン=マメスはロワン川のセーヌ川との合流点にあります。
ロワン川には小舟が浮かび、川沿いの道を歩く人の中には親子連れも見えます。
日影と日向の対比も強調されています。


VII 北方への旅

松方は1921年にドイツやスイスを訪れ、ムンクやベックリンなど、北方の画家の作品も
購入しています。


VIII 第二次世界大戦と松方コレクション

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」 
 1872年 国立西洋美術館

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初期の作品で、ドラクロワの「アルジェの女たち」に倣っており、1972年のサロンに
出品していますが、落選しています。
真中の女性のモデルは当時、恋人だったリーズ・トレオです。
日本への返還の際にフランス政府は自国への留め置きを主張しますが、交渉の結果、
返還が決まった作品です。

アンリ・マティス 「長椅子に座る女」 1920-21年 バーゼル美術館
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ニースのホテルで描かれた作品で、窓からは外の景色も見え、色彩もまとまり、
マティスらしい心地よい良い画面構成です。
モデルはアンリエット・ダリカレールです。
コレクションが大戦中にフランスで保管されている際、保管資金捻出のために
売却された作品です。


エピローグ

クロード・モネ 「睡蓮、柳の反映」 1916年  国立西洋美術館
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横4.25mの大作で、2016年にルーヴル美術館でロールに巻かれた状態で発見され、
日本に返還された作品です。
損傷が激しく、かなりの部分が欠けた痛々しい姿ですが、睡蓮が描かれており、
今回修復を終え、展示されています。
また、会場入口には、損傷前のモノクロ写真を参考に、AIを使い、筆触も含めて復元した
参考作品も展示されています。


松方コレクションの内、日本に到着した西洋美術品は第一次大戦後の不況による
松方の事業失敗のため売却されて散逸し、ロンドンにあった作品は火災で焼失しています。
フランスにあった作品は散逸を免れていますが、これも第二次大戦後にすんなり日本に
届いた訳ではなく、返還交渉の末、一部を残してようやく日本への寄贈という形で
返還されています。
そのたどって来た歴史を思うと感慨深いものがあります。

展覧会のHPです。


【2019/06/18 19:57】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「PAUL(ポール)京王新宿店」 2019/6
新宿
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「PAUL(ポール)京王新宿店」でのランチです。
場所は京王百貨店新宿店の地下1階です。

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売店の奥のイート・インは30席ほど、全席禁煙です。

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キッシュランチセット1296円にはパンが付きます。

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こちらはサンドイッチセット1080円です。

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セットドリンクにはコーヒー、紅茶(アールグレイ)、オレンジジュースがあります。

PAULはベーカリーだけあってパンは美味しく、時々利用しますが、
お昼は早めに行かないとすぐに満席になってしまいます。

以前、「PAUL(ポール)京王新宿店」に行った時の記事です。


【2019/06/16 20:33】 お店 | トラックバック(0) | コメント(2) |
「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展 六本木の国立新美術館
乃木坂
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六本木の国立新美術館では「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展が
開かれています。
会期は8月5日(月)までです。

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19世紀末から20世紀初めまでのウィーンの世紀末の文化をウィーンミュージアムの
所蔵する資料や絵画で紹介する展覧会です。

第1章 啓蒙主義時代のウィーン

啓蒙専制君主、ヨーゼフ2世(1741- 1790)の時代のウィーンです。

第2章 ビーダーマイアー時代のウィーン

ビーダーマイアー時代とはフランス革命とナポレオン戦争の時代を過ぎ、自由の
制限された旧体制(アンシャン・レジーム)の時代に戻った19世紀前半のヨーロッパで、
理想主義を追わず、日常生活に価値を見出すようになった時代のことです。

メッテルニヒのアタッシュケース
オーストリアの外相として、ナポレオン失脚後のウィーン会議を主宰し、ウィーン体制を
造り上げたメッテルニヒ(1773 - 1859)のアタッシュケースです。
紅色に金の縁取りの入った大きな鞄で、使い込まれた手擦れがあります。
各国の利害・思惑を整理する書類の入っていた、文字通りアタッシュ(外交職員)の鞄です。


第3章 リンク通りとウィーン

ウィーンを外敵から守り、オスマン帝国による攻撃にも耐えたウィーンの市壁は
1858年から取り壊しが始まります。
跡地はリンク通り(リングシュトラーセ)となり、道沿いに帝国議会、市庁舎、博物館、
劇場など、様々な公共建築が建てられていきます。

第4章 1900年世紀末のウィーン

世紀末文化の花咲いたウィーンの紹介です。

グスタフ・クリムト 「パラス・アテナ」 1898年
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古代ギリシャのアテナイの守護神、アテナの像です。
軍神なので、黄金の甲冑を着け、槍を持っています。

グスタフ・クリムト 「第1回ウィーン分離派ポスター」(検閲後) 1898年
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ウィーン分離派は当時のウィーンの保守的な美術界に対抗して、1897年に
クリムトたちが結成したグループです。
アテナイの王、テセウスが牛の頭をした怪物、ミノタウルスを斃しているところで、
保守派への戦いを表しています。
戦いのシンボルとして、パラス・アテナも描かれています。
原画に検閲を受けた後の図柄です。

グスタフ・クリムト 「エミーリェ・フレーゲの肖像」 1902年 
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この作品は撮影可能です。
クリムトの生涯の伴侶だった女性で、クリムト特有の写実的な顔と装飾的な衣装の
組合せで描かれています。

エゴン・シーレ 「自画像」 1911年
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エゴン・シーレ(1890 - 1918)はウィーン工芸学校で学んだ後、1906年にウィーン美術
アカデミーに入学しますが、古典的なアカデミズムに失望し、工芸学校の先輩である
クリムトに弟子入りし、その援助を受けています。

エゴン・シーレ 「美術批評家アルトゥール・レスラーの肖像」 1910年
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アルトゥール・レスラーはエゴン・シーレの支援者です。
エゴン・シーレの描く肖像画はデフォルメが効いて、凄味があります。

エゴン・シーレ 「ひまわり」 1909-10年
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枯れたひまわりをこのように力強く描き出す表現力には驚いてしまいます。

エゴン・シーレもクリムトも1918年に、当時大流行したスペイン風邪が元で亡くなっています。

マクシミリアン・クルツヴァイル 「黄色のドレスの女性(画家の妻)」 1899年
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マクシミリアン・クルツヴァイル(1867-1916)はチェコ出身の画家で、ウィーン分離派の
設立にも加わっています。
写実的な描き方ですが、大きく腕を広げたポーズは斬新で、時代を感じます。

右:ヨーゼフ・ホフマン、ウィーン工房 「バスケット」 1910年
左:ダゴベルト・ペヒェ、ウィーン工房 「ティーセット」 1920年頃

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ウィーン工房はウィーン分離派に参加していた建築家のヨーゼフ・ホフマンとデザイナーの
コロマン・モーザーが結成した工房で、家具、装飾品、日用品を手掛けていました。
直線的な装飾が特徴です。

ウィーン分離派の建築家、オットー・ヴァーグナー(1841-1918)についての資料もあります。

オットー・ヴァーグナー 「カール・ルエーガー市長のための椅子」 1904年
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ウィーン市長、カール・ルエーガー(1844-1910)の60歳の誕生日に記念に、市庁舎の
市長の部屋に置くために作られた椅子です。
ローズウッドの材に真珠母貝を貼った、豪華な拵えです。
ルエーガーは市長に当選するまでは反ユダヤ主義を掲げて支持を集めた人物で、
ヒトラーもルエーガーを尊敬していました。
オーストリア生まれのヒトラーは1907年にウィーンに出てきて、挫折を味わいます。
エゴン・シーレが1906年に入学したウィーン美術アカデミーを翌年と翌々年に受験
しますが、不合格となり、美術家への道を絶たれています。
ウィーンでは日雇い仕事で小遣い稼ぎをしたこともあります。
後の1938年、オーストリアを併合したヒトラーは、ウィーンに入城した時、リンク通り沿いの
ホテル・インペリアルに泊まりますが、その昔、このホテルで雪掻きの手伝いをした時、
コーヒー一杯も出してくれなかったことを思い出していたそうです。

ナポレオン戦争後のウィーン体制、第1次世界大戦後のヴェルサイユ体制はヨーロッパに
安定をもたらしましたが、永続は出来ませんでした。
第2次大戦後のEU体制も揺れ始めており、原因の一つはオーストリアなどに広がる
反移民の動きです。

歴史についていろいろ考えさせられる展覧会です。


ホールには屋根にクリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像II」が描かれた、
ベーゼンドルファーのグランドピアノが置かれています。

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展覧会のHPです。


新美術館の前には吉岡徳仁さんの「ガラスの茶室 - 光庵」が置かれています。
光の変化によって様子が変わります。
2021年の5月10日までの展示です。

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【2019/06/15 15:17】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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