上野
上野の国立科学博物館では特別展、「恐竜博2019」が開かれています。
会期は10月14日(月・祝)までです。

会場マップ

国立科学博物館では今までに何回か恐竜博が開かれていますが、今回は1969年以降
50年間の恐竜学の進化を紹介するものです。
従来の恐竜のイメージを大きく変える、いわゆる「恐竜ルネッサンス」が起きています。
デイノニクスの足のホロタイプ標本

新種の学名を決める際、基準となる標本がタイプ標本で、タイプ標本が複数ある時は
その中で最優先される標本がホロタイプ標本で、新種1種に1点しかありません。
デイノニクスとは「恐ろしい爪」という意味で、大きなカギヅメを持っています。
アメリカの古生物学者、ジョン・オストロム(1928-2005)が1969年に命名した
白亜紀前期の肉食恐竜です。
その骨格や機敏に動けたと思われることから、オストロムが鳥類の恐竜起源説や
恐竜温血説などを発表した、恐竜ルネッサンスのきっかけとなった標本です。
肘から指先まで

鳥と同じように手首を横に広げることが出来たようです。

テノントサウルスに襲い掛かるデイノニクス(複製)

協力して狩りをしていたと思われる様子の再現です。
尾椎

尻尾の骨に別のデイノニクスのカギヅメが食い込んでいます。
共食いしていた可能性があり、協力して狩りをしていたというイメージとは異なります。
ジョン・オストロムのフィールド・ノートも展示されています。

デイノケイルスの前足(複製)

1965年にモンゴルで前足と肩が発見され、デイノケイルス(怖ろしい手)と
名付けられますが、長い間、謎の恐竜とされていました。
その後、他の部位が発見され、ようやく全体像が判明しています。
頭

歯は生えていません。
すね

足首から指先

胃の内容物

胃の中で植物をすり潰す胃石や魚の骨があり、雑食だったと考えられます。
前足の力もそれほど強くは無く、どう猛な肉食獣では無かったようです。
全身(複製)


マイアサウラ


白亜紀後期に北米大陸に生息していた恐竜で、「良い母親トカゲ」という意味です。
巣と考えられる凹みの近くから幼い個体が発見されたことから、少なくとも短期間は
親が子を世話していたと推定されています。
シチパチ


白亜紀後期にモンゴルに生息していた恐竜です。
巣の中で卵を抱いている姿勢で発見された化石があることから、卵を温めて
孵化させるという、鳥類と同じ行動を取っていることが分かりました。
ティラノサウルス(複製)

おなじみのティラノサウルスです。
カナダで1991年に発見された時、スコッチウイスキーでお祝いしたことから、
スコッティ―の名が付いています。
体重は約8870kgと推定され、ティラノサウルスとしても肉食獣としても
最重量とのことです。
日本で発見された恐竜も展示されています。
むかわ竜

復元骨格

白亜紀後期の草食恐竜で、ハドロサウルス類に属し、北海道のむかわで
全身の約8割が発見されています。
モササウルスの新種?


白亜紀後期の海に棲んでいた肉食の爬虫類で、和歌山県で発見されました。
他のモササウルスに比べ、あしヒレが大きいのが特徴です。
K/Pg境界

約6600万年前のユカタン半島への巨大隕石の衝突による地球の寒冷化などで、
恐竜などの大型爬虫類が絶滅したとされ、中生代白亜紀と新生代を分ける境界と
なっています。
ティラノサウルスやトリケラトプス、モササウルスなどはこの衝突で滅んでいます。
レピソステウス

アメリカでK/Pg境界の20㎝上で発見されたガ―類の魚類です。
境界に最も近い地層で発見された脊椎動物の一つで、隕石衝突後、数千年以内の
化石と考えられています。
魚類への隕石衝突の被害は比較的に少なかったようです。
陸上では鳥類や小型哺乳類などが絶滅を免れています。
恐竜は鳥類の形で子孫を残し、人類の祖先は小型哺乳類として生き残った訳です。
約1万種の脊椎動物の中で100年間に1~2種は絶滅し、一方で新しい種が誕生すると
されています。
ところが1900年から2014年までの114年間で哺乳類35種、鳥類57種が絶滅しており、
現代は過去5回の大量絶滅期に次ぐ第6回目の大量絶滅機に入っているとも
言えるそうです。
その原因が人間の活動であることは、考えさせられる事実です。
ミュージアムショップで恐竜が合唱しているのは、「ジュラシック・パーク」の
テーマ曲でしょうか。

鳥獣戯画ならぬ恐竜戯画の絵葉書もあります。

人気のある展覧会なので、あらかじめ混雑状況を確認してから行かれることを
お勧めします。
2016年に国立科学博物館で開かれた「恐竜博2016」の記事です。
展覧会のHPです。
chariot
上野の国立科学博物館では特別展、「恐竜博2019」が開かれています。
会期は10月14日(月・祝)までです。

会場マップ

国立科学博物館では今までに何回か恐竜博が開かれていますが、今回は1969年以降
50年間の恐竜学の進化を紹介するものです。
従来の恐竜のイメージを大きく変える、いわゆる「恐竜ルネッサンス」が起きています。
デイノニクスの足のホロタイプ標本

新種の学名を決める際、基準となる標本がタイプ標本で、タイプ標本が複数ある時は
その中で最優先される標本がホロタイプ標本で、新種1種に1点しかありません。
デイノニクスとは「恐ろしい爪」という意味で、大きなカギヅメを持っています。
アメリカの古生物学者、ジョン・オストロム(1928-2005)が1969年に命名した
白亜紀前期の肉食恐竜です。
その骨格や機敏に動けたと思われることから、オストロムが鳥類の恐竜起源説や
恐竜温血説などを発表した、恐竜ルネッサンスのきっかけとなった標本です。
肘から指先まで

鳥と同じように手首を横に広げることが出来たようです。

テノントサウルスに襲い掛かるデイノニクス(複製)

協力して狩りをしていたと思われる様子の再現です。
尾椎

尻尾の骨に別のデイノニクスのカギヅメが食い込んでいます。
共食いしていた可能性があり、協力して狩りをしていたというイメージとは異なります。
ジョン・オストロムのフィールド・ノートも展示されています。

デイノケイルスの前足(複製)

1965年にモンゴルで前足と肩が発見され、デイノケイルス(怖ろしい手)と
名付けられますが、長い間、謎の恐竜とされていました。
その後、他の部位が発見され、ようやく全体像が判明しています。
頭

歯は生えていません。
すね

足首から指先

胃の内容物

胃の中で植物をすり潰す胃石や魚の骨があり、雑食だったと考えられます。
前足の力もそれほど強くは無く、どう猛な肉食獣では無かったようです。
全身(複製)


マイアサウラ


白亜紀後期に北米大陸に生息していた恐竜で、「良い母親トカゲ」という意味です。
巣と考えられる凹みの近くから幼い個体が発見されたことから、少なくとも短期間は
親が子を世話していたと推定されています。
シチパチ


白亜紀後期にモンゴルに生息していた恐竜です。
巣の中で卵を抱いている姿勢で発見された化石があることから、卵を温めて
孵化させるという、鳥類と同じ行動を取っていることが分かりました。
ティラノサウルス(複製)

おなじみのティラノサウルスです。
カナダで1991年に発見された時、スコッチウイスキーでお祝いしたことから、
スコッティ―の名が付いています。
体重は約8870kgと推定され、ティラノサウルスとしても肉食獣としても
最重量とのことです。
日本で発見された恐竜も展示されています。
むかわ竜

復元骨格

白亜紀後期の草食恐竜で、ハドロサウルス類に属し、北海道のむかわで
全身の約8割が発見されています。
モササウルスの新種?


白亜紀後期の海に棲んでいた肉食の爬虫類で、和歌山県で発見されました。
他のモササウルスに比べ、あしヒレが大きいのが特徴です。
K/Pg境界

約6600万年前のユカタン半島への巨大隕石の衝突による地球の寒冷化などで、
恐竜などの大型爬虫類が絶滅したとされ、中生代白亜紀と新生代を分ける境界と
なっています。
ティラノサウルスやトリケラトプス、モササウルスなどはこの衝突で滅んでいます。
レピソステウス

アメリカでK/Pg境界の20㎝上で発見されたガ―類の魚類です。
境界に最も近い地層で発見された脊椎動物の一つで、隕石衝突後、数千年以内の
化石と考えられています。
魚類への隕石衝突の被害は比較的に少なかったようです。
陸上では鳥類や小型哺乳類などが絶滅を免れています。
恐竜は鳥類の形で子孫を残し、人類の祖先は小型哺乳類として生き残った訳です。
約1万種の脊椎動物の中で100年間に1~2種は絶滅し、一方で新しい種が誕生すると
されています。
ところが1900年から2014年までの114年間で哺乳類35種、鳥類57種が絶滅しており、
現代は過去5回の大量絶滅期に次ぐ第6回目の大量絶滅機に入っているとも
言えるそうです。
その原因が人間の活動であることは、考えさせられる事実です。
ミュージアムショップで恐竜が合唱しているのは、「ジュラシック・パーク」の
テーマ曲でしょうか。

鳥獣戯画ならぬ恐竜戯画の絵葉書もあります。

人気のある展覧会なので、あらかじめ混雑状況を確認してから行かれることを
お勧めします。
2016年に国立科学博物館で開かれた「恐竜博2016」の記事です。
展覧会のHPです。
中目黒・池尻大橋
「スターバックス リザーブ ロースタリー 東京」は日比谷線中目黒駅から北に
15分程行った目黒川沿いにあります。
場所は目黒区青葉台2丁目19-23です。

目黒川の桜並木が見えます。

今年2月のオープンで、4階建て、国内初、世界で5番目の高級店舗ということで、
初めて国内で焙煎を行なう工場とお店が一体になっています。



外観設計は根津美術館や新国立競技場を設計した隈研吾さんです。
住宅街の中にあり、何かのついでに寄るような場所ではないのですが、
どのフロアも満席に近い賑わいです。
BGMは元気なポップスでした。
4階まで届く高さ17mの巨大な赤銅色のタワーは焙煎したコーヒー豆のキャスクです。

大きな焙煎機が据えられています。

コーヒーの生豆が積んであります。

1階にはベーカリー「プリンチ」が入りました。



2階への階段の壁にはコーヒーカップが埋められていて、スタッフの方が一つずつ
拭いていました。

2階のお茶専門のフロア、TEABANAで一休みしました。



お茶が出来るまで、席で呼び出しベルが鳴るのを待ちます。

シトラスラベンダーセージ(左)756円はパイナップルの風味が入っていて、
甘味があります。
シルバーニードル(右)972円はすっきりと優しい味わいです。
お茶はポットに入ってきます。


フォカッチャピッツァベルドゥーレグリーラ907円とフランジバーヌアプリコット756円は
1階で買って持ってきました。
フォカッチャはかなり大きいですが、切り分けてあり、食べ応えがあって美味しいです。

3階にはバーもあります。

3階のテラス席です。

店内で使う豆の焙煎機もあります。

4階から見たキャスクの天辺には手作りの銅製の花が吊り下がっています。

売店にはいろいろなグッズが売られています。


蔵前の文具店カキモリのノートやインクもあります。

この日は午前中だったこともあり、並ばずに入れましたが、混雑時には
整理券を配るそうです。
スターバックスの日本1号店は1996年にオープンした銀座松屋通り店ですが、
街の小さなカフェから華やかなコーヒーミュージアムに進化しています。
2008年に「スターバックス銀座松屋通り店」に行った時の記事です。
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「スターバックス リザーブ ロースタリー 東京」は日比谷線中目黒駅から北に
15分程行った目黒川沿いにあります。
場所は目黒区青葉台2丁目19-23です。

目黒川の桜並木が見えます。

今年2月のオープンで、4階建て、国内初、世界で5番目の高級店舗ということで、
初めて国内で焙煎を行なう工場とお店が一体になっています。



外観設計は根津美術館や新国立競技場を設計した隈研吾さんです。
住宅街の中にあり、何かのついでに寄るような場所ではないのですが、
どのフロアも満席に近い賑わいです。
BGMは元気なポップスでした。
4階まで届く高さ17mの巨大な赤銅色のタワーは焙煎したコーヒー豆のキャスクです。

大きな焙煎機が据えられています。

コーヒーの生豆が積んであります。

1階にはベーカリー「プリンチ」が入りました。



2階への階段の壁にはコーヒーカップが埋められていて、スタッフの方が一つずつ
拭いていました。

2階のお茶専門のフロア、TEABANAで一休みしました。



お茶が出来るまで、席で呼び出しベルが鳴るのを待ちます。

シトラスラベンダーセージ(左)756円はパイナップルの風味が入っていて、
甘味があります。
シルバーニードル(右)972円はすっきりと優しい味わいです。
お茶はポットに入ってきます。


フォカッチャピッツァベルドゥーレグリーラ907円とフランジバーヌアプリコット756円は
1階で買って持ってきました。
フォカッチャはかなり大きいですが、切り分けてあり、食べ応えがあって美味しいです。

3階にはバーもあります。

3階のテラス席です。

店内で使う豆の焙煎機もあります。

4階から見たキャスクの天辺には手作りの銅製の花が吊り下がっています。

売店にはいろいろなグッズが売られています。


蔵前の文具店カキモリのノートやインクもあります。

この日は午前中だったこともあり、並ばずに入れましたが、混雑時には
整理券を配るそうです。
スターバックスの日本1号店は1996年にオープンした銀座松屋通り店ですが、
街の小さなカフェから華やかなコーヒーミュージアムに進化しています。
2008年に「スターバックス銀座松屋通り店」に行った時の記事です。
大手町
大手町の宮内庁三の丸尚蔵館では「正倉院宝物を伝える―復元模造の製作事業と
保存継承」展が開かれています。
会期は9月1日(日)まで、休館日は毎週月曜日・金曜日、入館は無料です。
8月4日までの前期と8月10日からの後期でかなりの展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認下さい。

宮内庁の所管する正倉院の宝物の復元模造事業を紹介する展示です。
「螺鈿紫檀五絃琵琶」
2011~18年 木地:坂本曲齋(三代)、象嵌:新田紀雲、加飾:北村昭斎・松浦直子

前期の展示です。
頭部が真っ直ぐに伸びている、インド起源の五絃琵琶で、唐から伝来し、古代の品で
現存するのは正倉院所蔵の1品のみとのことです。
紫檀の木地に夜光貝の螺鈿や玳瑁(たいまい)で見事な装飾が施されています。
弦には上皇后陛下の飼育されている日本在来種の蚕、小石丸の糸が使われています。
木地の木材の歪みの補正などのため、制作には8年も要しているとのことです。
フタコブラクダの背に敷物を掛けて乗った人物が琵琶を奏でています。
よく見るとこちらは頭部が直角に折れた、イラン起源の四弦琵琶です。

「紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)」 1978年 吉田文之制作


前期の展示です。
長さ約30㎝、儀礼用の物差しと思われます。
象牙を紅く染め、撥鏤という技法で鳳凰、おしどり、宝相華文などがこの上なく
繊細に彫られています
「螺鈿箱」 1976~77、78年
素地:川北良造、髹漆・加飾:北村大通、嚫:高田義男

前期の展示です。
紺玉帯(こんぎょくのおび)という、ラピスラズリの板で飾った革ベルトを納める箱でした。
桧の黒漆塗りで、螺鈿や水晶で装飾されています。
内側には経錦(たてにしき)が張ってあります。
「赤地唐花文錦」 2002年 ㈱川島織物制作

前期の展示です。
唐花文(宝相華文)が織られた錦で、原品は仏堂を飾る幡(ばん)の頭部に使うため、
三角形に切ってあります。
模造に当たっては、糸は小石丸の糸を使い、皇居内に自生する日本茜で染めています。
「磁鼓」 1987年 加藤卓男制作

全期間展示です。
緑・黄・白の釉薬を施した陶製の鼓の胴で、唐三彩に似た趣きがあります。
くびれた胴の鼓は唐楽で用いる細腰鼓の一種で、インド発祥とのことです。
大阪府の交野、岐阜県の五斗蒔、信楽の土を混ぜて制作しています。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「大礼―慶祝の形」(仮称)です。
会期は9月21日(土)から12月22日(日)までです。
chariot
大手町の宮内庁三の丸尚蔵館では「正倉院宝物を伝える―復元模造の製作事業と
保存継承」展が開かれています。
会期は9月1日(日)まで、休館日は毎週月曜日・金曜日、入館は無料です。
8月4日までの前期と8月10日からの後期でかなりの展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認下さい。

宮内庁の所管する正倉院の宝物の復元模造事業を紹介する展示です。
「螺鈿紫檀五絃琵琶」
2011~18年 木地:坂本曲齋(三代)、象嵌:新田紀雲、加飾:北村昭斎・松浦直子

前期の展示です。
頭部が真っ直ぐに伸びている、インド起源の五絃琵琶で、唐から伝来し、古代の品で
現存するのは正倉院所蔵の1品のみとのことです。
紫檀の木地に夜光貝の螺鈿や玳瑁(たいまい)で見事な装飾が施されています。
弦には上皇后陛下の飼育されている日本在来種の蚕、小石丸の糸が使われています。
木地の木材の歪みの補正などのため、制作には8年も要しているとのことです。
フタコブラクダの背に敷物を掛けて乗った人物が琵琶を奏でています。
よく見るとこちらは頭部が直角に折れた、イラン起源の四弦琵琶です。

「紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)」 1978年 吉田文之制作



前期の展示です。
長さ約30㎝、儀礼用の物差しと思われます。
象牙を紅く染め、撥鏤という技法で鳳凰、おしどり、宝相華文などがこの上なく
繊細に彫られています
「螺鈿箱」 1976~77、78年
素地:川北良造、髹漆・加飾:北村大通、嚫:高田義男

前期の展示です。
紺玉帯(こんぎょくのおび)という、ラピスラズリの板で飾った革ベルトを納める箱でした。
桧の黒漆塗りで、螺鈿や水晶で装飾されています。
内側には経錦(たてにしき)が張ってあります。
「赤地唐花文錦」 2002年 ㈱川島織物制作

前期の展示です。
唐花文(宝相華文)が織られた錦で、原品は仏堂を飾る幡(ばん)の頭部に使うため、
三角形に切ってあります。
模造に当たっては、糸は小石丸の糸を使い、皇居内に自生する日本茜で染めています。
「磁鼓」 1987年 加藤卓男制作

全期間展示です。
緑・黄・白の釉薬を施した陶製の鼓の胴で、唐三彩に似た趣きがあります。
くびれた胴の鼓は唐楽で用いる細腰鼓の一種で、インド発祥とのことです。
大阪府の交野、岐阜県の五斗蒔、信楽の土を混ぜて制作しています。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「大礼―慶祝の形」(仮称)です。
会期は9月21日(土)から12月22日(日)までです。
湯島
湯島の国立近現代建築資料館資料室では、「安藤忠雄 初期建築原図展
―個の自立と対話」が開かれています。
会期は9月23日(月)まで、入館は無料です。
場所は文京区湯島4-6-15で、旧岩崎邸庭園に隣接しています。
資料館へのアクセスは少し難しいので、資料館のHPのアクセスの説明で、ご確認して下さい。

当館の名誉館長でもある安藤忠雄さんの1973年から1990年代まで、初期の建築の
設計原図と模型が展示されています。


「住吉の長屋―東邸」 1976年






初期の代表作となった作品です。
真中に中庭の空間を開けているので、雨の日は傘を差して隣の部屋に行くという、
大胆極まりない設計です。
2008年にギャラリー・間で開かれた、『安藤忠雄建築展 「挑戦-原点から」』では
「住吉の長屋」の原寸大模型が展示されていました。
「安藤忠雄展―挑戦―」の記事です。
「冨島邸」 1973年


大阪市北区にあり、安藤さんの最初の実作です。
予算を節約するため、コンクリートの打ちっ放しになっています。
中央が吹き抜けになっており、天窓から光が差し込みます。
その後、施主の家族構成が変わったため、現在は安藤さんが譲り受け、
増改築して安藤さんの設計事務所として使っています。
「領壁の家―松本邸」 1977年


芦屋の山間部にあり、長い二つの壁の内側に二つの居住空間を設けていて、
住吉の長屋を思わせる構想です。
「六甲の集合住宅 I」 1983年


安藤さんが最初に手掛けた集合住宅で、60度の斜面に貼り付くように
建てられています。
「六甲の教会」 1986年


中世の修道院をイメージしたとのことで、礼拝堂と鐘楼と長いガラスの回廊で
構成されています。
「水の教会」 1988年


北海道占冠村にある教会で、最初は架空のプロジェクトとして設計され、
展覧会を見た人から申し出があって建設されています。
水や空、林といった自然と一体化した設計です。
「光の教会」 1989年



大阪府茨木市にある茨木春日丘教会礼拝堂です。
2つの長方形が斜めに重なり、祭壇部分は十字架形に開かれ、日の光が
差し込んできます。
住宅建築を中心に、全部で24件の資料が展示され、安藤さんの初期の業績を
一覧できる展覧会です。
また、7月23日(火)に安藤さんのギャラリートークが開かれたので、行ってきました。
建築を学ぶ学生さんたちが100人以上、集まっていました。

右は司会の中谷礼仁早稲田大学創造理工学部教授、左は川向正人
国立近現代建築資料館主任建築資料調査官
以下は安藤さんのギャラリートークの簡単な内容です。
「自分が建築家を志したのは、子どもの頃、近所の大工さんの仕事を見て面白いと
思ったこと、若い時、磯崎新さんの建築を見て、素晴らしいと感じたことがきっかけ。
今は90代まで生きる時代だから、20代の人は自分がどの仕事が好きかよく考えてほしい。
建築と同じく基礎は大事、若い時に相撲の四股を踏むように、自分の基礎を
固めないといけない。
知的体力が衰えないように勉強を続けないといけない。
去年亡くなった東京大学法学部教授だった大沼さんのお別れの会で(安藤さんも
東京名誉教授)、同じ東京大学の法学部教授だった渡辺さんが弔辞を述べたが、
二人は学生時代から同期で、隣の研究室に長い間居たのに、一度も一緒に食事もお茶も
したことが無い、天国では一緒に飲みましょう、というものだった。
それくらい研究に没頭していたのかと思って驚いた。
金持ちになるのでなく、豊かな人生を送れるのが人生の成功。
大手の建設会社の現場監督は大体63歳(定年の数年後)で亡くなっている。
利益の追求ばかりでストレスが強いため。
私に住宅の設計を依頼した施主さんは建設を長谷川工務店に依頼した。
ところが長谷工は、自分たちはマンションしか手掛けておらず、住宅は不得手なので
断りたいといった。
それでもやってもらったら、実に良い建物が出来た。
やはりそこはプロ、やるとなったら挑戦する気が起きたようで、良い仕事になった。
1990年頃まではまだコンピューターで図面を書くことはなく、手で書いていた。
手書きだと、食い違いもあったりするが、そこが面白く、情報量が多い。
コンピューターは間違えないが、かえって見ていて印象が薄く、情報量が少ない。
建築家の思いを建築現場に伝えるのにコンピューター図面は適さない。
そこで、現場の人には自分の思いの込められた建築を見てもらうことで、
伝えないといけない。
現在は便利だが難しい時代に生きていることを自覚しないといけない。
今回は昔の貴重な建築原図が展示されているので、じっくり見てほしい。
東京には名建築が多い。
代々木体育館、東京カテドラル(共に丹下健三の設計)などに行って、実際に見て
触ってみるとよい。
何でも自分で見に行き、触って感じないといけない。
タイでもインドでも行って触って、自分が地球のどこで生きるかを考えること。
自分が前を向いた顔をしていると、前を向いた顔をした人との付き合いが始まる。
自分の設計した住宅はどれも残っており、よくメンテナンスされ、増改築もされている。
自分の設計事務所が施主さんと常にコミュニケーションをとっているので、
メンテナンスにつながっている。
増改築の時は、単に追加するのではなく、新築のように基本から考えて設計している。
そうでなければ面白くない。
個々の建築には良い所もあれば悪い所もある。
住み良さだけなら、3LDKのマンションで十分(安藤さんはマンション住まい)。
住吉の長屋の施主さんはあの建物の良い所を気に入って、今も住んでおられる。
(コンクリートをよく使う理由を訊かれて)
何でもコンクリートではなく、小学校や中学校などの設計では木材を使っている。
コンクリートは世界中、どこでも手に入る。
そんな材料で誰も造らないものを造ってみたいという気持ちがある。」
安藤さんの若い世代に向けた熱意の伝わるトークでした。
展覧会のHPです。
2017年には国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開かれ、原寸大で再現された
「光の教会」が展示され、安藤さんのギャラリートークもありました。
「安藤忠雄展―挑戦―」の記事です。
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湯島の国立近現代建築資料館資料室では、「安藤忠雄 初期建築原図展
―個の自立と対話」が開かれています。
会期は9月23日(月)まで、入館は無料です。
場所は文京区湯島4-6-15で、旧岩崎邸庭園に隣接しています。
資料館へのアクセスは少し難しいので、資料館のHPのアクセスの説明で、ご確認して下さい。

当館の名誉館長でもある安藤忠雄さんの1973年から1990年代まで、初期の建築の
設計原図と模型が展示されています。


「住吉の長屋―東邸」 1976年






初期の代表作となった作品です。
真中に中庭の空間を開けているので、雨の日は傘を差して隣の部屋に行くという、
大胆極まりない設計です。
2008年にギャラリー・間で開かれた、『安藤忠雄建築展 「挑戦-原点から」』では
「住吉の長屋」の原寸大模型が展示されていました。
「安藤忠雄展―挑戦―」の記事です。
「冨島邸」 1973年


大阪市北区にあり、安藤さんの最初の実作です。
予算を節約するため、コンクリートの打ちっ放しになっています。
中央が吹き抜けになっており、天窓から光が差し込みます。
その後、施主の家族構成が変わったため、現在は安藤さんが譲り受け、
増改築して安藤さんの設計事務所として使っています。
「領壁の家―松本邸」 1977年


芦屋の山間部にあり、長い二つの壁の内側に二つの居住空間を設けていて、
住吉の長屋を思わせる構想です。
「六甲の集合住宅 I」 1983年


安藤さんが最初に手掛けた集合住宅で、60度の斜面に貼り付くように
建てられています。
「六甲の教会」 1986年


中世の修道院をイメージしたとのことで、礼拝堂と鐘楼と長いガラスの回廊で
構成されています。
「水の教会」 1988年


北海道占冠村にある教会で、最初は架空のプロジェクトとして設計され、
展覧会を見た人から申し出があって建設されています。
水や空、林といった自然と一体化した設計です。
「光の教会」 1989年



大阪府茨木市にある茨木春日丘教会礼拝堂です。
2つの長方形が斜めに重なり、祭壇部分は十字架形に開かれ、日の光が
差し込んできます。
住宅建築を中心に、全部で24件の資料が展示され、安藤さんの初期の業績を
一覧できる展覧会です。
また、7月23日(火)に安藤さんのギャラリートークが開かれたので、行ってきました。
建築を学ぶ学生さんたちが100人以上、集まっていました。

右は司会の中谷礼仁早稲田大学創造理工学部教授、左は川向正人
国立近現代建築資料館主任建築資料調査官
以下は安藤さんのギャラリートークの簡単な内容です。
「自分が建築家を志したのは、子どもの頃、近所の大工さんの仕事を見て面白いと
思ったこと、若い時、磯崎新さんの建築を見て、素晴らしいと感じたことがきっかけ。
今は90代まで生きる時代だから、20代の人は自分がどの仕事が好きかよく考えてほしい。
建築と同じく基礎は大事、若い時に相撲の四股を踏むように、自分の基礎を
固めないといけない。
知的体力が衰えないように勉強を続けないといけない。
去年亡くなった東京大学法学部教授だった大沼さんのお別れの会で(安藤さんも
東京名誉教授)、同じ東京大学の法学部教授だった渡辺さんが弔辞を述べたが、
二人は学生時代から同期で、隣の研究室に長い間居たのに、一度も一緒に食事もお茶も
したことが無い、天国では一緒に飲みましょう、というものだった。
それくらい研究に没頭していたのかと思って驚いた。
金持ちになるのでなく、豊かな人生を送れるのが人生の成功。
大手の建設会社の現場監督は大体63歳(定年の数年後)で亡くなっている。
利益の追求ばかりでストレスが強いため。
私に住宅の設計を依頼した施主さんは建設を長谷川工務店に依頼した。
ところが長谷工は、自分たちはマンションしか手掛けておらず、住宅は不得手なので
断りたいといった。
それでもやってもらったら、実に良い建物が出来た。
やはりそこはプロ、やるとなったら挑戦する気が起きたようで、良い仕事になった。
1990年頃まではまだコンピューターで図面を書くことはなく、手で書いていた。
手書きだと、食い違いもあったりするが、そこが面白く、情報量が多い。
コンピューターは間違えないが、かえって見ていて印象が薄く、情報量が少ない。
建築家の思いを建築現場に伝えるのにコンピューター図面は適さない。
そこで、現場の人には自分の思いの込められた建築を見てもらうことで、
伝えないといけない。
現在は便利だが難しい時代に生きていることを自覚しないといけない。
今回は昔の貴重な建築原図が展示されているので、じっくり見てほしい。
東京には名建築が多い。
代々木体育館、東京カテドラル(共に丹下健三の設計)などに行って、実際に見て
触ってみるとよい。
何でも自分で見に行き、触って感じないといけない。
タイでもインドでも行って触って、自分が地球のどこで生きるかを考えること。
自分が前を向いた顔をしていると、前を向いた顔をした人との付き合いが始まる。
自分の設計した住宅はどれも残っており、よくメンテナンスされ、増改築もされている。
自分の設計事務所が施主さんと常にコミュニケーションをとっているので、
メンテナンスにつながっている。
増改築の時は、単に追加するのではなく、新築のように基本から考えて設計している。
そうでなければ面白くない。
個々の建築には良い所もあれば悪い所もある。
住み良さだけなら、3LDKのマンションで十分(安藤さんはマンション住まい)。
住吉の長屋の施主さんはあの建物の良い所を気に入って、今も住んでおられる。
(コンクリートをよく使う理由を訊かれて)
何でもコンクリートではなく、小学校や中学校などの設計では木材を使っている。
コンクリートは世界中、どこでも手に入る。
そんな材料で誰も造らないものを造ってみたいという気持ちがある。」
安藤さんの若い世代に向けた熱意の伝わるトークでした。
展覧会のHPです。
2017年には国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開かれ、原寸大で再現された
「光の教会」が展示され、安藤さんのギャラリートークもありました。
「安藤忠雄展―挑戦―」の記事です。
銀座一丁目
銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは「水野里奈展」が
開かれています。
会期は7月28日(日)まで、会期中は無休、入場無料です。


水野里奈さん(1989~)は愛知県出身で、細密な描写や水墨画を組合わせて、
重層的な画面を造り上げています。
「青い宮殿」 2019年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

背景の水墨の画面が左右に大きく広がって行きます。
「洞窟の入口」 2019年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

「山脈の中の御屋敷」 2019年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

「SCENT」 2016年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

「FLAVOR」 2016年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

「おいしい花」 2019年 キャンバスに油彩、ボールペン

どの作品も装飾的で、模様は厚塗りで丁寧に描き込まれ、虹のように
明るく鮮やかに輝いています。
chariot
銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは「水野里奈展」が
開かれています。
会期は7月28日(日)まで、会期中は無休、入場無料です。


水野里奈さん(1989~)は愛知県出身で、細密な描写や水墨画を組合わせて、
重層的な画面を造り上げています。
「青い宮殿」 2019年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

背景の水墨の画面が左右に大きく広がって行きます。
「洞窟の入口」 2019年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

「山脈の中の御屋敷」 2019年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

「SCENT」 2016年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

「FLAVOR」 2016年 キャンバスに油彩、ボールペン

部分

「おいしい花」 2019年 キャンバスに油彩、ボールペン

どの作品も装飾的で、模様は厚塗りで丁寧に描き込まれ、虹のように
明るく鮮やかに輝いています。
銀座
「BEER TO GO by SPRING VALLEY BREWERY」は銀座ソニーパークの地下4階にあります。
場所は中央区銀座5-3-1です。

ビアバー、デリカテッセン、カフェで、広い店内というかコンクリート打ちっ放しの
空間は全席禁煙、がらんとしています。
良いスピーカーを使っていて、BGMが心地良く聞こえます。

螺旋階段は2015年に閉店したフランス料理店、「マキシム・ド・パリ」の名残で、
銀座の歴史の一端を見せています。

フードメニューもデリなどいろいろあります。


コーヒー350円は苦味系の味です。

銀座ではカフェの席を見つけるのに苦労しますが、こちらは席数も多く、文字通り
穴場と言えるお店です。
2022年に新ソニービルが竣工すると、ソニーパークもどのような形に変わるのでしょうか。
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「BEER TO GO by SPRING VALLEY BREWERY」は銀座ソニーパークの地下4階にあります。
場所は中央区銀座5-3-1です。

ビアバー、デリカテッセン、カフェで、広い店内というかコンクリート打ちっ放しの
空間は全席禁煙、がらんとしています。
良いスピーカーを使っていて、BGMが心地良く聞こえます。

螺旋階段は2015年に閉店したフランス料理店、「マキシム・ド・パリ」の名残で、
銀座の歴史の一端を見せています。

フードメニューもデリなどいろいろあります。


コーヒー350円は苦味系の味です。

銀座ではカフェの席を見つけるのに苦労しますが、こちらは席数も多く、文字通り
穴場と言えるお店です。
2022年に新ソニービルが竣工すると、ソニーパークもどのような形に変わるのでしょうか。
銀座
銀座の日動画廊では7月25日(木)まで、「第13回夏の会展」が開かれています。
日曜日はお休みです。
夏の会は、日動画廊の主催する昭和会展の受賞作家を中心にした企画展です。
今回の出展作家は以下の20名です。
穴畑三千昭、有吉宏朗、伊藤尚尋、鵜飼義丈、小木曽誠、小野月世、柏本龍太、
坂田哲也、佐藤みちる、立石真希子、土井久幸、野津萌、橋本大輔、原太一、
町田結香、松本亮平、山本雄三、吉川龍、吉武弘樹、渡邊榮一
吉武弘樹 「風」 油彩

吉武さんは点描で童話のような景色を描いています。
一面の緑の中に、アクセントのような赤い鹿がいます。
原太一 「アンチェンジド・メロディ」 油彩

原さんは兎のいる風景を描いています。
ニューヨークの夜景を背景に犬と一緒に昔のカセットテープで聴いているのは
「アンチェインド・メロディ」でしょうか。
紅い縞模様はレコードジャケットのようにも見えます。
橋本大輔 「渚」 油彩

橋本さんは優れた写実で廃墟の光景を描いています。
こちらは透明で空気感のある海辺の景色です。
橋本さんの作品は2017年に東京都美術館で開かれた、
「現代の写実―映像を超えて」展にも展示されていました。
「現代の写実―映像を超えて」展の記事です。
動物の楽しい絵を描かれる松本亮平さん、確かなデッサンの山本雄三さん、
みずみずしい色彩の吉川龍さんの作品などもあり、力作揃いで見応えがありました。
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銀座の日動画廊では7月25日(木)まで、「第13回夏の会展」が開かれています。
日曜日はお休みです。
夏の会は、日動画廊の主催する昭和会展の受賞作家を中心にした企画展です。
今回の出展作家は以下の20名です。
穴畑三千昭、有吉宏朗、伊藤尚尋、鵜飼義丈、小木曽誠、小野月世、柏本龍太、
坂田哲也、佐藤みちる、立石真希子、土井久幸、野津萌、橋本大輔、原太一、
町田結香、松本亮平、山本雄三、吉川龍、吉武弘樹、渡邊榮一
吉武弘樹 「風」 油彩

吉武さんは点描で童話のような景色を描いています。
一面の緑の中に、アクセントのような赤い鹿がいます。
原太一 「アンチェンジド・メロディ」 油彩

原さんは兎のいる風景を描いています。
ニューヨークの夜景を背景に犬と一緒に昔のカセットテープで聴いているのは
「アンチェインド・メロディ」でしょうか。
紅い縞模様はレコードジャケットのようにも見えます。
橋本大輔 「渚」 油彩

橋本さんは優れた写実で廃墟の光景を描いています。
こちらは透明で空気感のある海辺の景色です。
橋本さんの作品は2017年に東京都美術館で開かれた、
「現代の写実―映像を超えて」展にも展示されていました。
「現代の写実―映像を超えて」展の記事です。
動物の楽しい絵を描かれる松本亮平さん、確かなデッサンの山本雄三さん、
みずみずしい色彩の吉川龍さんの作品などもあり、力作揃いで見応えがありました。
銀座
銀座に行った時に、東急プラザ銀座の6階にある「キリコラウンジ」にある
「数寄屋橋茶房」のセルフサービスのエリアで、一休みしました。
場所は中央区銀座5-2-1です。

フリースペースで、27mの吹抜けから江戸切子を模した大きなオブジェが
下がり、広くて開放感があります。
数寄屋橋の交差点も見下ろせます。
夜に行ったので、夜景が輝いていました。


エルメスの屋上の騎馬像は夜も旗をなびかせています。

「数寄屋橋茶房」でテイクアウトした、カフェオレ550円と、黒蜜と黄な粉のクッキー200円です。

静かな雰囲気で、夜の銀座の景色を楽しめる所です。
以前、「数寄屋橋茶房」に行った時の記事です。
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銀座に行った時に、東急プラザ銀座の6階にある「キリコラウンジ」にある
「数寄屋橋茶房」のセルフサービスのエリアで、一休みしました。
場所は中央区銀座5-2-1です。

フリースペースで、27mの吹抜けから江戸切子を模した大きなオブジェが
下がり、広くて開放感があります。
数寄屋橋の交差点も見下ろせます。
夜に行ったので、夜景が輝いていました。


エルメスの屋上の騎馬像は夜も旗をなびかせています。

「数寄屋橋茶房」でテイクアウトした、カフェオレ550円と、黒蜜と黄な粉のクッキー200円です。

静かな雰囲気で、夜の銀座の景色を楽しめる所です。
以前、「数寄屋橋茶房」に行った時の記事です。
みなとみらい
みなとみらいの横浜美術館では、「原三渓の美術」展が開かれています。
会期は9月1日(日)まで、休館日は木曜日です。
会期中、細かい展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認下さい。

横浜を中心に活動した実業家、原三渓の「美術品のコレクター」「茶人」「アーティスト」
「芸術家のパトロン」としての側面を紹介する展覧会です。
原三渓(1868-1939)は岐阜県の出身で、初名は青木富太郎、横浜の原家の養子となり、
絹糸の製造と貿易で財を成しています。
美術品のコレクター、芸術家のパトロンとしても知られ、また三渓園を造ってもいます。
プロローグ
「武蔵野隅田川図乱箱」 尾形乾山 寛保3年(1743) 大和文華館 重要文化財

8月7日までの展示です。
木製の箱で、外側に薄、内側に川波、蛇篭、水鳥が描かれています。
伊勢物語の中の、隅田川で遠く離れた都を懐かしむ場面を想像させます。
波は琳派風の面白い形をしています。
名にし負はばいざこと問わん都鳥わが思ふ人はありやなしやと
第1章 三溪前史――岐阜の富太郎
岐阜時代の資料です。
岐阜では母方の叔父から絵画を学んでいます。
第2章 コレクター三溪
茶人だった原三渓は始め、茶道具を集め、やがてコレクションの幅を
大きく広げていきます。
「孔雀明王像」 平安時代・12世紀 東京国立博物館 国宝


8月7日までの展示です。
孔雀は毒蛇を食べてしまうことから、孔雀明王は災厄や苦痛を取り除く
功徳があるとされています。
4本の手は孔雀の尾羽根、開敷蓮華(開いた蓮華)、ザクロ、倶縁果
(レモンなどの果実)を持ちます。
金箔を糸のように細く切って貼り付けた截金(きりかね)で飾られた羽根が
きらびやかです。
原三渓が35歳の時に、元老の井上馨から当時としては破格の1万円で
購入したことで評判になっています。
「蜀葵遊猫図」 伝毛益 南宋時代・12世紀 大和文華館 重要文化財

8月7日までの展示です。
毛益(生没年不詳)は中国の南宋画院の画家で、小鳥や小動物の描写に巧みでした。
「龍虎図屏風」 雪村周継 室町時代・16世紀 根津美術館
(左隻)

8月16日からの展示です。
虎が吼えて起こす強風で竹がなぎ倒されています。
どこか、のどかな顔の虎ではあります。
(右隻:部分)

龍が唸り、雲が湧き、波が逆立っています。
通常は龍虎を左右両隻の端に寄せて描くところ、それぞれの中心に置いて、
迫力を出しているそうです。
河と海の水流と翻波が二つの空間を一つにしています。
「伊勢物語図 武蔵野・河内越」 尾形光琳 江戸時代前期 MOA美術館

左の「武蔵野」は伊勢物語の、男が女を盗み出して武蔵野に逃げていくお話です。
男女が草むらで語り合い、手前では松明を手に追手が迫っています。
むさし野はけふはなやきそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
右の「河内越」は男が河内にいる別の女の許に通うのを、女が送り出してから歌を詠み、
物陰に隠れてそれを聞いた男は愛しく思って、河内に行くのを止めたというお話です。
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとりこゆらん
竜田山は大和と河内の間にある山で、紅葉の名所で、絵にも紅葉が描かれています。
他に、雪舟、狩野永徳、久隅守景、宮本武蔵、円山応挙、渡辺崋山、浦上玉堂、
富岡鉄斎らの作品も展示されています。
第3章 茶人三溪
茶人としての原三溪の紹介で、茶器などが展示されています。
第4章 アーティスト三溪
原三溪の描いた絵の展示です。
岐阜で絵を学んだこともあって、かなりの技量の持ち主です。
「白蓮」 原三溪 昭和6年(1931)

白蓮は原三溪の好んだ画題で、輪郭線を用いない没骨法で描いています。
第5章 パトロン三溪
原三溪は特に日本美術院の画家を支援しています。
「賢首菩薩」 菱田春草 明治40年(1907)
東京国立近代美術館 重要文化財

8月14日までの展示です。
賢首菩薩とは華厳宗第3祖の法蔵のことで、則天武后の庇護を受けて華厳宗を
大成させています。
則天武后に華厳の教えを述べた時、側にあった金の獅子像を使って説明した
という逸話から、横に金獅子が置かれています。
細かい点描を使って色彩を表現するという、斬新な技法に依っていますが、
これも斬新な分だけ当初は不評だったようです。
岡倉天心に請われ、この絵を絵を購入したものの、あまり乗り気ではなく、
後に手放したそうですが、春草の没後にはその作品を13点、入手しています。
下村観山 「白狐」 大正3年(1914) 東京国立博物館

7月24日までの展示です。
再興院展の第1回に出展された作品で、前年に亡くなった岡倉天心を偲んで、
天心の書いたオペラ台本「白狐」、1911年に亡くなった菱田春草を偲んで、
春草の代表作「落葉」「黒き猫」の木立と柏の葉を取り入れています。
稲荷神のお使いの白狐は稲穂を咥えています。
写実でありながら、装飾性に満ち、静かで心に沁みる作品です。
横山大観や下村観山らによる日本美術院庄林業再興に当たって、原三渓は
賛助会員になっています。
「弱法師(よろぼし)」 下村観山 大正4年(1915) 東京国立博物館 重要文化財



8月9日からの展示です。
能の「弱法師」を題材にした作品で、下村観山の代表作です。
讒言を信じた父によって家を逐われた俊徳丸は盲目となり、あちこち彷徨ったのち、
春の彼岸の日に四天王寺に辿り着きます。
満開の梅の傍らに立つ俊徳丸は痩せ衰えた姿で、杖を持ち、大きな赤い入り日に
向かって合掌しています。
束の間の極楽の様を表していて、能の家に生まれた下村観山ならでは作品と云えます。
「近江八景」 今村紫紅 1912年 東京国立博物館 重要文化財

8月7日までと9日からで、4幅ずつ展示替えされます。
画像の「比良」で9日からの展示です。
今村紫紅(1880-1916)は日本画の革新を目指して精力的に活動した画家です。
近江八景は中国の瀟湘八景に倣って選ばれ、広重の浮世絵でも有名な景色ですが、
今村紫紅は大胆に再構成して第6回文展に出品しています。
「極楽井」 小林古径 明治45年(1912年) 東京国立近代美術館

8月2日からの展示です。
小石川伝通院裏の宗慶寺にあった極楽井の水を汲む乙女たちです。
白木蓮は裏箔によって描かれているそうです。
イエズス会の紋章を模様にした着物やロザリオなど南蛮趣味をあしらって
いますが、清楚で気品に満ちています。
他に原三渓の支援を受けた横山大観、安田靫彦、前田青邨、速水御舟らの
作品も展示されています。
原三渓のコレクションは戦後、散逸していますが、展示されている作品を観ると、
その質の高さには驚きます。
今回、まとめて鑑賞出来たのはとても良い機会でした。
展覧会のHPです。
横浜美術館では9月1日(日)まで、コレクション展も開かれていて、
横浜美術館のコレクション約280点と、淺井裕介、今津景、菅木志雄の
3人のゲスト・アーティストの作品が一緒に展示されています。
淺井裕介さんの壁画作品、「いのちの木」が円形の展示室の壁一面に
広がっていて、目を奪われます。


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みなとみらいの横浜美術館では、「原三渓の美術」展が開かれています。
会期は9月1日(日)まで、休館日は木曜日です。
会期中、細かい展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認下さい。

横浜を中心に活動した実業家、原三渓の「美術品のコレクター」「茶人」「アーティスト」
「芸術家のパトロン」としての側面を紹介する展覧会です。
原三渓(1868-1939)は岐阜県の出身で、初名は青木富太郎、横浜の原家の養子となり、
絹糸の製造と貿易で財を成しています。
美術品のコレクター、芸術家のパトロンとしても知られ、また三渓園を造ってもいます。
プロローグ
「武蔵野隅田川図乱箱」 尾形乾山 寛保3年(1743) 大和文華館 重要文化財

8月7日までの展示です。
木製の箱で、外側に薄、内側に川波、蛇篭、水鳥が描かれています。
伊勢物語の中の、隅田川で遠く離れた都を懐かしむ場面を想像させます。
波は琳派風の面白い形をしています。
名にし負はばいざこと問わん都鳥わが思ふ人はありやなしやと
第1章 三溪前史――岐阜の富太郎
岐阜時代の資料です。
岐阜では母方の叔父から絵画を学んでいます。
第2章 コレクター三溪
茶人だった原三渓は始め、茶道具を集め、やがてコレクションの幅を
大きく広げていきます。
「孔雀明王像」 平安時代・12世紀 東京国立博物館 国宝


8月7日までの展示です。
孔雀は毒蛇を食べてしまうことから、孔雀明王は災厄や苦痛を取り除く
功徳があるとされています。
4本の手は孔雀の尾羽根、開敷蓮華(開いた蓮華)、ザクロ、倶縁果
(レモンなどの果実)を持ちます。
金箔を糸のように細く切って貼り付けた截金(きりかね)で飾られた羽根が
きらびやかです。
原三渓が35歳の時に、元老の井上馨から当時としては破格の1万円で
購入したことで評判になっています。
「蜀葵遊猫図」 伝毛益 南宋時代・12世紀 大和文華館 重要文化財

8月7日までの展示です。
毛益(生没年不詳)は中国の南宋画院の画家で、小鳥や小動物の描写に巧みでした。
「龍虎図屏風」 雪村周継 室町時代・16世紀 根津美術館
(左隻)

8月16日からの展示です。
虎が吼えて起こす強風で竹がなぎ倒されています。
どこか、のどかな顔の虎ではあります。
(右隻:部分)

龍が唸り、雲が湧き、波が逆立っています。
通常は龍虎を左右両隻の端に寄せて描くところ、それぞれの中心に置いて、
迫力を出しているそうです。
河と海の水流と翻波が二つの空間を一つにしています。
「伊勢物語図 武蔵野・河内越」 尾形光琳 江戸時代前期 MOA美術館

左の「武蔵野」は伊勢物語の、男が女を盗み出して武蔵野に逃げていくお話です。
男女が草むらで語り合い、手前では松明を手に追手が迫っています。
むさし野はけふはなやきそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
右の「河内越」は男が河内にいる別の女の許に通うのを、女が送り出してから歌を詠み、
物陰に隠れてそれを聞いた男は愛しく思って、河内に行くのを止めたというお話です。
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとりこゆらん
竜田山は大和と河内の間にある山で、紅葉の名所で、絵にも紅葉が描かれています。
他に、雪舟、狩野永徳、久隅守景、宮本武蔵、円山応挙、渡辺崋山、浦上玉堂、
富岡鉄斎らの作品も展示されています。
第3章 茶人三溪
茶人としての原三溪の紹介で、茶器などが展示されています。
第4章 アーティスト三溪
原三溪の描いた絵の展示です。
岐阜で絵を学んだこともあって、かなりの技量の持ち主です。
「白蓮」 原三溪 昭和6年(1931)

白蓮は原三溪の好んだ画題で、輪郭線を用いない没骨法で描いています。
第5章 パトロン三溪
原三溪は特に日本美術院の画家を支援しています。
「賢首菩薩」 菱田春草 明治40年(1907)
東京国立近代美術館 重要文化財

8月14日までの展示です。
賢首菩薩とは華厳宗第3祖の法蔵のことで、則天武后の庇護を受けて華厳宗を
大成させています。
則天武后に華厳の教えを述べた時、側にあった金の獅子像を使って説明した
という逸話から、横に金獅子が置かれています。
細かい点描を使って色彩を表現するという、斬新な技法に依っていますが、
これも斬新な分だけ当初は不評だったようです。
岡倉天心に請われ、この絵を絵を購入したものの、あまり乗り気ではなく、
後に手放したそうですが、春草の没後にはその作品を13点、入手しています。
下村観山 「白狐」 大正3年(1914) 東京国立博物館

7月24日までの展示です。
再興院展の第1回に出展された作品で、前年に亡くなった岡倉天心を偲んで、
天心の書いたオペラ台本「白狐」、1911年に亡くなった菱田春草を偲んで、
春草の代表作「落葉」「黒き猫」の木立と柏の葉を取り入れています。
稲荷神のお使いの白狐は稲穂を咥えています。
写実でありながら、装飾性に満ち、静かで心に沁みる作品です。
横山大観や下村観山らによる日本美術院庄林業再興に当たって、原三渓は
賛助会員になっています。
「弱法師(よろぼし)」 下村観山 大正4年(1915) 東京国立博物館 重要文化財



8月9日からの展示です。
能の「弱法師」を題材にした作品で、下村観山の代表作です。
讒言を信じた父によって家を逐われた俊徳丸は盲目となり、あちこち彷徨ったのち、
春の彼岸の日に四天王寺に辿り着きます。
満開の梅の傍らに立つ俊徳丸は痩せ衰えた姿で、杖を持ち、大きな赤い入り日に
向かって合掌しています。
束の間の極楽の様を表していて、能の家に生まれた下村観山ならでは作品と云えます。
「近江八景」 今村紫紅 1912年 東京国立博物館 重要文化財

8月7日までと9日からで、4幅ずつ展示替えされます。
画像の「比良」で9日からの展示です。
今村紫紅(1880-1916)は日本画の革新を目指して精力的に活動した画家です。
近江八景は中国の瀟湘八景に倣って選ばれ、広重の浮世絵でも有名な景色ですが、
今村紫紅は大胆に再構成して第6回文展に出品しています。
「極楽井」 小林古径 明治45年(1912年) 東京国立近代美術館

8月2日からの展示です。
小石川伝通院裏の宗慶寺にあった極楽井の水を汲む乙女たちです。
白木蓮は裏箔によって描かれているそうです。
イエズス会の紋章を模様にした着物やロザリオなど南蛮趣味をあしらって
いますが、清楚で気品に満ちています。
他に原三渓の支援を受けた横山大観、安田靫彦、前田青邨、速水御舟らの
作品も展示されています。
原三渓のコレクションは戦後、散逸していますが、展示されている作品を観ると、
その質の高さには驚きます。
今回、まとめて鑑賞出来たのはとても良い機会でした。
展覧会のHPです。
横浜美術館では9月1日(日)まで、コレクション展も開かれていて、
横浜美術館のコレクション約280点と、淺井裕介、今津景、菅木志雄の
3人のゲスト・アーティストの作品が一緒に展示されています。
淺井裕介さんの壁画作品、「いのちの木」が円形の展示室の壁一面に
広がっていて、目を奪われます。


日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「salaMandala / アイイレナイ」井上裕起展(立体)」が
開かれています。
会期は7月22日(月)までです。
井上裕起さん(1972~)は横須賀市出身で、サンショウウオを素材にした
立体作品を制作されています。
「進化」をテーマにしていて、今回はサンショウウオが軍用機など、
なかなか両立しないものと合体しています。
salamander [IREZUMI]


素材はFRPです。
salamander [HIKESHI]

鯢組(さんしょううおぐみ)のまといを持っています。
salamanDharma [世界征服]

達磨さんのような姿をしています。
salamander [SUBMARINE]

サンショウウオは水辺や水中に住む生き物です。
salamander [TANK-G]

陸に上がって、戦車に乗っています。
salamander [WARBIRD]

雲の上を飛ぶ零戦でしょうか。
salamander [SHIDEN-KAI]

防空戦闘機、紫電改です。
salamander [RAIDEN]

こちらも防空戦闘機、雷電です。
salamander [B-29]

零戦や紫電改、雷電に喰い付かれていたB-29はキノコ雲に乗っています。
salamander [OSPRAY]

今、話題のオスプレイです。
2016年に同じ日本橋髙島屋で開かれた、「井上裕起展」の記事です。
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日本橋髙島屋美術画廊Xでは「salaMandala / アイイレナイ」井上裕起展(立体)」が
開かれています。
会期は7月22日(月)までです。
井上裕起さん(1972~)は横須賀市出身で、サンショウウオを素材にした
立体作品を制作されています。
「進化」をテーマにしていて、今回はサンショウウオが軍用機など、
なかなか両立しないものと合体しています。
salamander [IREZUMI]


素材はFRPです。
salamander [HIKESHI]

鯢組(さんしょううおぐみ)のまといを持っています。
salamanDharma [世界征服]

達磨さんのような姿をしています。
salamander [SUBMARINE]

サンショウウオは水辺や水中に住む生き物です。
salamander [TANK-G]

陸に上がって、戦車に乗っています。
salamander [WARBIRD]

雲の上を飛ぶ零戦でしょうか。
salamander [SHIDEN-KAI]

防空戦闘機、紫電改です。
salamander [RAIDEN]

こちらも防空戦闘機、雷電です。
salamander [B-29]

零戦や紫電改、雷電に喰い付かれていたB-29はキノコ雲に乗っています。
salamander [OSPRAY]

今、話題のオスプレイです。
2016年に同じ日本橋髙島屋で開かれた、「井上裕起展」の記事です。