六本木
東京ミッドタウンイーストにある「スターバックス・コーヒー 東京ミッドタウン店」に
行ってきました。
場所は港区赤坂9-7-2です。

2階の広々としたリザーブバーから見た眺めです。

秋になり、スターバックスのフードメニューも新しくなりました。
Hitoshi Sugiura×石窯フィローネローストポーク497円と
ツナメルトwithトマト イングリッシュマフィン410円です。

石窯フィローネは薩摩芋や茄子などが入り、甘い味付けがしてあります。
マフィンにはツナやドライトマト、チーズなどが入っています。
「スターバックスコーヒーお茶の水村田ビル店」でも秋のメニューの
キャラメルクランブルバー259円をいただきました。



軽い苦みがアクセントになっています。
青森県のリンゴ生産者とのコラボの、紅玉を使ったアップルクランブルパイもあります。
10月からはフジに変わります。

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chariot
東京ミッドタウンイーストにある「スターバックス・コーヒー 東京ミッドタウン店」に
行ってきました。
場所は港区赤坂9-7-2です。

2階の広々としたリザーブバーから見た眺めです。

秋になり、スターバックスのフードメニューも新しくなりました。
Hitoshi Sugiura×石窯フィローネローストポーク497円と
ツナメルトwithトマト イングリッシュマフィン410円です。

石窯フィローネは薩摩芋や茄子などが入り、甘い味付けがしてあります。
マフィンにはツナやドライトマト、チーズなどが入っています。
「スターバックスコーヒーお茶の水村田ビル店」でも秋のメニューの
キャラメルクランブルバー259円をいただきました。



軽い苦みがアクセントになっています。
青森県のリンゴ生産者とのコラボの、紅玉を使ったアップルクランブルパイもあります。
10月からはフジに変わります。

日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「佐藤忠展」が開かれています。
会期は10月14日(月・祝)までです。

佐藤忠さん(1966~)は神奈川県出身の金属工芸家です。
2008年には文化庁新進芸術家海外留学制度研修員としてドイツに留学しています。
今回は、錆に覆われた鋼板による造形の展示です。
「Untitled #87 磁力」 耐候性鋼板

耐候性鋼板は表面に一様に発生する錆によって、腐食を防ぐことの出来る鋼板です。
鋼板を溶接し、継ぎ目を削ってあるそうです。
「Untitled #88 Inside」 耐候性鋼板

ラグビーボールのような形の内側にギザギザが並んでいます。
NosideならぬInsideです。
「Untitled #89 Hole」 耐候性鋼板

機械の部品のような形です。
「Untitled #95 Lily」 耐候性鋼板

鉄が咲かせた百合の花です。
鉄はユーモラスな形を造っていて、錆が味わいのある赤茶色をしているのも見所です。
2016年に同じ日本橋髙島屋で開かれた「佐藤忠展」の記事です。
この時の作品はステンレスのリングを溶接でつなぎ合わせた造形でした。
chariot
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「佐藤忠展」が開かれています。
会期は10月14日(月・祝)までです。

佐藤忠さん(1966~)は神奈川県出身の金属工芸家です。
2008年には文化庁新進芸術家海外留学制度研修員としてドイツに留学しています。
今回は、錆に覆われた鋼板による造形の展示です。
「Untitled #87 磁力」 耐候性鋼板

耐候性鋼板は表面に一様に発生する錆によって、腐食を防ぐことの出来る鋼板です。
鋼板を溶接し、継ぎ目を削ってあるそうです。
「Untitled #88 Inside」 耐候性鋼板

ラグビーボールのような形の内側にギザギザが並んでいます。
NosideならぬInsideです。
「Untitled #89 Hole」 耐候性鋼板

機械の部品のような形です。
「Untitled #95 Lily」 耐候性鋼板

鉄が咲かせた百合の花です。
鉄はユーモラスな形を造っていて、錆が味わいのある赤茶色をしているのも見所です。
2016年に同じ日本橋髙島屋で開かれた「佐藤忠展」の記事です。
この時の作品はステンレスのリングを溶接でつなぎ合わせた造形でした。
六本木
東京ミッドタウン4階のサントリー美術館に併設されたカフェ、「shop×cafe
(ショップ・バイ・カフェ)」に行ってきました。
場所は港区赤坂9-7-4 で、美術館に入館しなくても利用できます。

加賀麩の不室屋(ふむろや)のプロデュースするお店で、麩を使ったメニューが
いろいろあります。
サントリー美術館で開かれている「美濃の茶陶」展に行った時に寄りました。
豆乳きなこマフィンとお茶724円です。

マフィンはほんのり甘く美味しいです。
お茶は加賀棒茶です。
こちらはコーヒー616円です。

コーヒーには甘い揚げ麩も付いています。
「美濃の茶陶」展の記事です。
東京ミッドタウンの1階にはブドウの大きな植木鉢が飾ってありました。

chariot
東京ミッドタウン4階のサントリー美術館に併設されたカフェ、「shop×cafe
(ショップ・バイ・カフェ)」に行ってきました。
場所は港区赤坂9-7-4 で、美術館に入館しなくても利用できます。

加賀麩の不室屋(ふむろや)のプロデュースするお店で、麩を使ったメニューが
いろいろあります。
サントリー美術館で開かれている「美濃の茶陶」展に行った時に寄りました。
豆乳きなこマフィンとお茶724円です。

マフィンはほんのり甘く美味しいです。
お茶は加賀棒茶です。
こちらはコーヒー616円です。

コーヒーには甘い揚げ麩も付いています。
「美濃の茶陶」展の記事です。
東京ミッドタウンの1階にはブドウの大きな植木鉢が飾ってありました。

両国
両国の江戸東京博物館では特別展、「士 サムライー天下太平を支えた人びとー」が
開かれています。
改修工事終了後初めての特別展で、会期は11月4日(月・祝)までです。
10月6日までの前期と10月8日からの後期で、一部展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認ください。

パンフレットの写真は薩摩藩の侍です。
寒い季節なのでしょうか、重ね着しています。
江戸時代の侍についての展示です。
展示品の一部は撮影可能です。
武士は平安時代に発生していますが、「武士」の字は「もののふ」とも読み、
武力の保持者という意味です。
「侍」は「さむらい」と読み、貴人に仕える者という意味です。
「士」も「さむらい」と読み、学問や知識のある者という意味を持ち、
行政官としての役割を想定しています。
全部合わせると、貴人に仕え、武力を持ち、行政の役割を担う者となります。
江戸時代のさむらいは武力担当は番方、行政担当は役方と呼ばれ、
泰平の世が続くにつれ、役方の立場が強くなります。
これが面白くなかったのが戦国時代の生き残りの大久保彦左衛門で、
武を軽んじる風潮を嘆いています。
「関ヶ原合戦図屏風」 6曲1隻 翫月亭峩山模写
嘉永7年(1854) 関ヶ原歴史民俗資料館
画面右下に家康の陣や井伊、本多隊、中央上側に石田三成の陣が見えます。
合戦序盤の宇喜多隊と福島隊の衝突と一緒に終盤の島津隊の突撃が描かれ、
島左近、可児歳三、本多忠朝など武勇の士の名前も見えます。
この合戦により日本中の侍の運命が定まり、江戸時代中続くことになります。
「雑兵物語」(部分) 江戸時代・18世紀 東京国立博物館

雑兵物語(ぞうひょうものがたり)は戦国時代の足軽たちの経験談や教訓を
まとめたものです。
足軽たちのリアルな姿を描いた絵が付いています。
鉄砲足軽小頭の朝日出右衛門と鉄砲足軽夕日入右衛門とあり、小頭は腕に
火縄を何本も巻き付けています。
「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」 (部分) 三谷勝波筆、戸田熊次郎序
明治時代 江戸東京博物館

前期の展示で、後期は複製が展示されます。
参勤交代で殿様に従って江戸に出てきて勤務する侍を勤番侍といいます。
単身赴任で、藩邸の中の長屋住まいとなり、殿様の帰国とともに故郷に帰ります。
この絵巻は三田にあった久留米有馬藩の上屋敷での生活を描いていて
、明治時代に昔を懐かしんで記録に残したものです。
大小を脇に置いて車座になって酒宴を開いたり、夕涼みしたり、のんびり過ごしています。
中には殿様の有馬頼徳が芝増上寺の火の番を命じられたため、帰国が延期となり、
ブチ切れた侍たちが長屋で大騒ぎする場面もあります。
「高原乙次郎の部屋にて暴飲の図」とあり、やけ飲みをする、戸板を倒す、
銚子を投げる、書付を破る、ふて寝するなど、荒れ放題です。
壁に貼ってある紙から、天保10年4月5日のことと分かります。
「江戸城年始登城風景図屏風」 佐竹永湖 明治31年(1898)頃
諸大名が江戸城に登城する時、家来たちのほとんどはお城に入れません。
各大名家の家来、駕籠、鑓など大勢が大手門などの外で待っています。
暑い日、寒い日、雨風の日に殿様の帰ってくるのを待つのは大変だったでしょう。
エー 奴さん どちら行く ハアコリャコリャ
旦那お迎えに さっても 寒いのに 供ぞろい
雪の降る夜も 風の夜も お供は 辛いね
いつも 奴さんは 高端折
アリャセ ヨイサ それも そうかいなー
端唄 「奴さん」
「出羽米沢藩上杉家大名火消行装図巻」 江戸時代後期 江戸東京博物館


各大名は江戸藩邸に家臣と雇いの町人で編成される火消組を持っていました。
上杉家の火消の出動の場面で、騎馬の士は馬上提灯を腰に差し、火消たちは鳶口や
大きなまさかりを担いでいます。
加賀鳶は加賀藩前田家の大名火消です。
「火事図巻」 長谷川雪堤模写 文政9年(1826) 江戸東京博物館



明和9年(1772)の目黒行人坂の火事を描いた絵巻の模写です。
大名火消と町人で編成される町火消が消火活動を行なっています。
ろ組、は組、も組、百組などが出動しているのが分かります。
町火消いろは四八組の編成は江戸南町奉行だった時の大岡忠相によるものです。
「毛抜き」 3挺 江戸時代中期
大岡越前守忠相所用の毛抜きです。
大岡忠相は心を静めるため、よく毛抜きでひげを抜いていたといわれています。
歌舞伎の「毛抜」ほどではありませんが、とても大きな毛抜きで、虎のひげでも
抜けそうです。
「遠山景元起請文」 文政9年(1826)9月
遠山の金さんと呼ばれ、大岡忠相と並んで名奉行とされた遠山景元が
幕府に提出した起請文です。
遠山景元は痔のため、騎馬での登城が難しくなったので、遠山の身分では
許されない駕籠の利用を願い出ています。
治ったら必ず騎馬に戻ることを約束し、破ったら神罰を受けてもよいという、
大層な起請文です。
「文久遣欧使節団肖像写真」 イポリット・ロビヤール撮影 文久2年(1862)
正使の竹内下野守保徳はじめ、24枚の使節の写真で、ロシアで撮影されています。
通詞の森山多吉郎や明治時代に活躍した福沢諭吉、福地源一郎、箕作秋坪などの
写真もあります。
「午砲」 幕末 江戸東京たてもの園

青銅製24ポンド砲です。
幕末に海岸防備などに使用され、長州藩士や薩摩藩士はこのような大砲で
外国船を攻撃していました。
明治4年(1871)からは皇居内旧本丸跡に置かれ、毎日正午に空砲を撃って時を告げ、
「ドン」と呼ばれて親しまれていましたが、昭和4年(1929)に廃止されました。
「四斤山砲砲弾」 幕末 江戸東京たてもの園

四斤山砲はフランスで開発された青銅砲で、移動が容易なことなどから幕末から
西南戦争まで盛んに使用されました。
上野戦争で使用され、上野公園から出土したとされる砲弾で、付いている突起が
砲身のライフルに当たることで、回転力が付く仕組みになっています。
「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」
川村清雄 明治18年(1885) 江戸東京博物館

勝海舟は幕臣として幕府の終焉を導き、武士の時代の終りを見届けています。
イギリスの外交官、アーネスト・サトウの撮った写真を元に、江戸開城を果たした時の
姿として描いています。
向こうには、洋装に陣笠を被った旧幕臣が抜き身を持って斬りかかろうとしているのが
見えます。
展覧会のHPです。
chariot
両国の江戸東京博物館では特別展、「士 サムライー天下太平を支えた人びとー」が
開かれています。
改修工事終了後初めての特別展で、会期は11月4日(月・祝)までです。
10月6日までの前期と10月8日からの後期で、一部展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認ください。

パンフレットの写真は薩摩藩の侍です。
寒い季節なのでしょうか、重ね着しています。
江戸時代の侍についての展示です。
展示品の一部は撮影可能です。
武士は平安時代に発生していますが、「武士」の字は「もののふ」とも読み、
武力の保持者という意味です。
「侍」は「さむらい」と読み、貴人に仕える者という意味です。
「士」も「さむらい」と読み、学問や知識のある者という意味を持ち、
行政官としての役割を想定しています。
全部合わせると、貴人に仕え、武力を持ち、行政の役割を担う者となります。
江戸時代のさむらいは武力担当は番方、行政担当は役方と呼ばれ、
泰平の世が続くにつれ、役方の立場が強くなります。
これが面白くなかったのが戦国時代の生き残りの大久保彦左衛門で、
武を軽んじる風潮を嘆いています。
「関ヶ原合戦図屏風」 6曲1隻 翫月亭峩山模写
嘉永7年(1854) 関ヶ原歴史民俗資料館
画面右下に家康の陣や井伊、本多隊、中央上側に石田三成の陣が見えます。
合戦序盤の宇喜多隊と福島隊の衝突と一緒に終盤の島津隊の突撃が描かれ、
島左近、可児歳三、本多忠朝など武勇の士の名前も見えます。
この合戦により日本中の侍の運命が定まり、江戸時代中続くことになります。
「雑兵物語」(部分) 江戸時代・18世紀 東京国立博物館

雑兵物語(ぞうひょうものがたり)は戦国時代の足軽たちの経験談や教訓を
まとめたものです。
足軽たちのリアルな姿を描いた絵が付いています。
鉄砲足軽小頭の朝日出右衛門と鉄砲足軽夕日入右衛門とあり、小頭は腕に
火縄を何本も巻き付けています。
「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」 (部分) 三谷勝波筆、戸田熊次郎序
明治時代 江戸東京博物館

前期の展示で、後期は複製が展示されます。
参勤交代で殿様に従って江戸に出てきて勤務する侍を勤番侍といいます。
単身赴任で、藩邸の中の長屋住まいとなり、殿様の帰国とともに故郷に帰ります。
この絵巻は三田にあった久留米有馬藩の上屋敷での生活を描いていて
、明治時代に昔を懐かしんで記録に残したものです。
大小を脇に置いて車座になって酒宴を開いたり、夕涼みしたり、のんびり過ごしています。
中には殿様の有馬頼徳が芝増上寺の火の番を命じられたため、帰国が延期となり、
ブチ切れた侍たちが長屋で大騒ぎする場面もあります。
「高原乙次郎の部屋にて暴飲の図」とあり、やけ飲みをする、戸板を倒す、
銚子を投げる、書付を破る、ふて寝するなど、荒れ放題です。
壁に貼ってある紙から、天保10年4月5日のことと分かります。
「江戸城年始登城風景図屏風」 佐竹永湖 明治31年(1898)頃
諸大名が江戸城に登城する時、家来たちのほとんどはお城に入れません。
各大名家の家来、駕籠、鑓など大勢が大手門などの外で待っています。
暑い日、寒い日、雨風の日に殿様の帰ってくるのを待つのは大変だったでしょう。
エー 奴さん どちら行く ハアコリャコリャ
旦那お迎えに さっても 寒いのに 供ぞろい
雪の降る夜も 風の夜も お供は 辛いね
いつも 奴さんは 高端折
アリャセ ヨイサ それも そうかいなー
端唄 「奴さん」
「出羽米沢藩上杉家大名火消行装図巻」 江戸時代後期 江戸東京博物館


各大名は江戸藩邸に家臣と雇いの町人で編成される火消組を持っていました。
上杉家の火消の出動の場面で、騎馬の士は馬上提灯を腰に差し、火消たちは鳶口や
大きなまさかりを担いでいます。
加賀鳶は加賀藩前田家の大名火消です。
「火事図巻」 長谷川雪堤模写 文政9年(1826) 江戸東京博物館



明和9年(1772)の目黒行人坂の火事を描いた絵巻の模写です。
大名火消と町人で編成される町火消が消火活動を行なっています。
ろ組、は組、も組、百組などが出動しているのが分かります。
町火消いろは四八組の編成は江戸南町奉行だった時の大岡忠相によるものです。
「毛抜き」 3挺 江戸時代中期
大岡越前守忠相所用の毛抜きです。
大岡忠相は心を静めるため、よく毛抜きでひげを抜いていたといわれています。
歌舞伎の「毛抜」ほどではありませんが、とても大きな毛抜きで、虎のひげでも
抜けそうです。
「遠山景元起請文」 文政9年(1826)9月
遠山の金さんと呼ばれ、大岡忠相と並んで名奉行とされた遠山景元が
幕府に提出した起請文です。
遠山景元は痔のため、騎馬での登城が難しくなったので、遠山の身分では
許されない駕籠の利用を願い出ています。
治ったら必ず騎馬に戻ることを約束し、破ったら神罰を受けてもよいという、
大層な起請文です。
「文久遣欧使節団肖像写真」 イポリット・ロビヤール撮影 文久2年(1862)
正使の竹内下野守保徳はじめ、24枚の使節の写真で、ロシアで撮影されています。
通詞の森山多吉郎や明治時代に活躍した福沢諭吉、福地源一郎、箕作秋坪などの
写真もあります。
「午砲」 幕末 江戸東京たてもの園

青銅製24ポンド砲です。
幕末に海岸防備などに使用され、長州藩士や薩摩藩士はこのような大砲で
外国船を攻撃していました。
明治4年(1871)からは皇居内旧本丸跡に置かれ、毎日正午に空砲を撃って時を告げ、
「ドン」と呼ばれて親しまれていましたが、昭和4年(1929)に廃止されました。
「四斤山砲砲弾」 幕末 江戸東京たてもの園

四斤山砲はフランスで開発された青銅砲で、移動が容易なことなどから幕末から
西南戦争まで盛んに使用されました。
上野戦争で使用され、上野公園から出土したとされる砲弾で、付いている突起が
砲身のライフルに当たることで、回転力が付く仕組みになっています。
「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」
川村清雄 明治18年(1885) 江戸東京博物館

勝海舟は幕臣として幕府の終焉を導き、武士の時代の終りを見届けています。
イギリスの外交官、アーネスト・サトウの撮った写真を元に、江戸開城を果たした時の
姿として描いています。
向こうには、洋装に陣笠を被った旧幕臣が抜き身を持って斬りかかろうとしているのが
見えます。
展覧会のHPです。
上野
上野の東京都美術館では「コートールド美術館展 魅惑の印象派」が開かれています。
会期は12月15日(日)までです。

ロンドンのコートールド美術館の所蔵する印象派・ポスト印象派などのの絵画・彫刻、
約60点が展示されています。
コートールド美術館はイギリスの実業家、サミュエル・コートールド(1876-1947)の
コレクションを中心に設立された美術館で、印象派の作品を多数所蔵しています。
サミュエル・コートールドはイギリスで印象派・ポスト印象派の評価がまだ低い時に、
10年弱の期間で集中的に収集しています。
エドゥアール・マネ 「アルジャントゥイユのセーヌ河岸」 1874年

アルジャントゥイユはモネも住んだことがあり、この絵のモデルもモネの妻カミーユと
息子のジャンです。
印象派の影響を受けた、光を意識した作品ですが、黒色をあしらうところに
マネらしさが見えます。
エドゥアール・マネ 「フォリー=ベルジェールのバー」 1882年

代表作で、亡くなる前年に描かれています。
フォリー=ベルジェールはパリのミュージック・ホールで、シャンソンや
アクロバットの上演で賑わっていました。
バーの後ろの鏡を使い、巧みにホールのざわめきを表していて、
左上には空中ブランコ乗りの足が見えます。
鏡の利用はマネの敬服するベラスケスの「ラス・メニ―ナス」を思わせます。
バーの売り子はマネ特有の黒い服、黒のチョーカー姿で描かれています。
表情にはホールの喧騒をどこかよそ事のように見ているようなところがあります。
右側に売り子の後ろ姿と男性の顔が映っていて、ちょっと変わった構図です。
テーブルに置かれたグラスや瓶はしっかりと描かれ、静物画を見るようです。
コートールドが画廊からこの絵を購入した時の領収証も展示されていました。
110,000ドルで購入しています。
クロード・モネ 「花瓶」 1881年着手

描きかけだった絵に後年、手を加えて完成させたそうです。
さすがモネ、しっかりした量感と華やぎがあります。
クロード・モネ 「アンティーブ」 1888年

アンティーブは南仏のカンヌとニースの間にあり、要塞跡が残っています。
シニャック、ボナールなども訪れて描き、ピカソも要塞跡の建物をアトリエとして
利用しています。
モネはアンティーブにしばらく滞在し、30点ほどを制作しています。
正面に立ち木を配した大胆な構図です。
モネはアンティーブの風景を讃える手紙を後に妻となるアリス・オシュデに
書き送っています。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「桟敷席」 1874年

1874年の第1回印象派展に出品された作品の一つです。
ドレスの白と黒のコントラストが目を惹き、ピンクの花が唇の紅と合って、
彩りを添えています。
黒を使うのはマネに似たところがあります。
近くで観ると、ネックレスは輝き、青色も効果的に使われていていて、ルノワールの
色遣いのうまさを見せています。
モデルはニニ・ロペスという女性と弟のエドモンで、ニニ・ロペスは「猫を抱く女性」
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)などのモデルにもなっています。
劇場では観客が他の観客をオペラグラスなどで観察するのも楽しみだったようで、
メアリー・カサットの「桟敷席にて」(ボストン美術館蔵)にも描かれています。
エドガー・ドガ 「舞台上の二人の踊子」 1874年

舞台の照明に人工光が使われ始めた時代の作品で、ドガはその光を巧みに
表現しています。
舞台の踊子が下からの光を受けて、浮かび上がっている様子を桟敷席から
見下ろした構図です。
踊子の衣装に、一人は紅、一人は緑をあしらっています。
これと似た構図の代表作、「エトワール」(オルセー美術館蔵)はパステル画ですが、
こちらは油彩です。
ポール・セザンヌ 「カード遊びをする人々」 1892-96年頃

セザンヌは晩年、「カード遊びをする人々」を5枚描いており、これはそのうちの1点です。
2人の男性が向かい合ってカード遊びに没頭している情景ですが、物語性は無く、
堅牢な静物画のような趣きです。
ポール・セザンヌ 「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」 1887年頃

セザンヌと言えば思い浮かぶ、故郷の南仏エクス=アン=プロヴァンスの
サント=ヴィクトワール山をテーマにした作品の一つです。
この絵では、画面手前にかぶさるように樹木を描くという、浮世絵の影響を受けた
構図で、松の枝と山の稜線を揃えるなどの工夫をしています。
この作品は大正初期に美術雑誌で日本に紹介され、若い画家たちを刺激した
ということで、日本画家の小野竹喬もこれに倣った風景画を描いています。
コートールドのコレクションの中ではセザンヌがもっと多いそうで、展覧会でも
10点が展示されています。
最初に購入したのが展示されている、「キューピッドの石膏像のある静物」
(1894年頃)ということで、ちょっと難しそうなこの絵から始めたとは、かなりの
目利きだったようです。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「花咲く桃の木々」 1889年

ゴッホはパリから南仏のアルルに移った翌年、ゴーガンと仲違いして
耳切り事件を起こし、サン=レミの療養院に入れられています。
アルルで最後に描いた風景画で、明るく広々として、桃と雲の点描による
筆遣いが響き合い、療養院に入る前とは思えない充実した作品です。
ゴッホは、アルルの風景を浮世絵で憧れている日本の景色のようだと、
シニャックへの手紙で書いています。
ポール・ゴーガン 「テ・レリオア」 1897年

テ・レリオアとはタヒチ語で夢という意味とのことです。
壁に描かれた絵も含めて、何か謎めいた雰囲気があります。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
「ジャヌ・アヴリル、ムーラン・ルージュの入口にて」 1892年頃

ジャヌ・アヴリルは売れっ子のダンサーで、ロートレックのポスターでも
有名になっています。
この時20歳台前半ということで、華やかな舞台の雰囲気と違った、
楽屋入りの地味な姿を逆に誇張して描き出しています。
(参考)
「ジャヌ・アヴリル(ジャルダン・ド・パリ)」 1893年 リトグラフ、ポスター

アメデオ・モディリアーニ 「裸婦」 1916年頃

コートールド美術館はエコール・ド・パリの画家の作品も所蔵しています。
モディリアーニの裸婦はざっくりと大胆な描きぶりが魅力で、この作品も
下描きせずに描いています。
顔は丁寧に描かれていますが、身体の部分は勢いよく塗り、髪は絵具の
乾かないうちに引っ掻いて髪の毛の感じを出しています。
他に、ホイッスラー、ドーミエ、ブーダン、ピサロ、シスレー、スーラ、シニャック、
ルソー、スーティン、ボナール、ヴュイヤールの作品やドガとロダンの彫刻作品も
展示されています。
やはり、ルノワールの「桟敷席」とマネの「フォリー=ベルジェールのバー」は格別、
見応えがありました。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京都美術館では「コートールド美術館展 魅惑の印象派」が開かれています。
会期は12月15日(日)までです。

ロンドンのコートールド美術館の所蔵する印象派・ポスト印象派などのの絵画・彫刻、
約60点が展示されています。
コートールド美術館はイギリスの実業家、サミュエル・コートールド(1876-1947)の
コレクションを中心に設立された美術館で、印象派の作品を多数所蔵しています。
サミュエル・コートールドはイギリスで印象派・ポスト印象派の評価がまだ低い時に、
10年弱の期間で集中的に収集しています。
エドゥアール・マネ 「アルジャントゥイユのセーヌ河岸」 1874年

アルジャントゥイユはモネも住んだことがあり、この絵のモデルもモネの妻カミーユと
息子のジャンです。
印象派の影響を受けた、光を意識した作品ですが、黒色をあしらうところに
マネらしさが見えます。
エドゥアール・マネ 「フォリー=ベルジェールのバー」 1882年

代表作で、亡くなる前年に描かれています。
フォリー=ベルジェールはパリのミュージック・ホールで、シャンソンや
アクロバットの上演で賑わっていました。
バーの後ろの鏡を使い、巧みにホールのざわめきを表していて、
左上には空中ブランコ乗りの足が見えます。
鏡の利用はマネの敬服するベラスケスの「ラス・メニ―ナス」を思わせます。
バーの売り子はマネ特有の黒い服、黒のチョーカー姿で描かれています。
表情にはホールの喧騒をどこかよそ事のように見ているようなところがあります。
右側に売り子の後ろ姿と男性の顔が映っていて、ちょっと変わった構図です。
テーブルに置かれたグラスや瓶はしっかりと描かれ、静物画を見るようです。
コートールドが画廊からこの絵を購入した時の領収証も展示されていました。
110,000ドルで購入しています。
クロード・モネ 「花瓶」 1881年着手

描きかけだった絵に後年、手を加えて完成させたそうです。
さすがモネ、しっかりした量感と華やぎがあります。
クロード・モネ 「アンティーブ」 1888年

アンティーブは南仏のカンヌとニースの間にあり、要塞跡が残っています。
シニャック、ボナールなども訪れて描き、ピカソも要塞跡の建物をアトリエとして
利用しています。
モネはアンティーブにしばらく滞在し、30点ほどを制作しています。
正面に立ち木を配した大胆な構図です。
モネはアンティーブの風景を讃える手紙を後に妻となるアリス・オシュデに
書き送っています。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「桟敷席」 1874年

1874年の第1回印象派展に出品された作品の一つです。
ドレスの白と黒のコントラストが目を惹き、ピンクの花が唇の紅と合って、
彩りを添えています。
黒を使うのはマネに似たところがあります。
近くで観ると、ネックレスは輝き、青色も効果的に使われていていて、ルノワールの
色遣いのうまさを見せています。
モデルはニニ・ロペスという女性と弟のエドモンで、ニニ・ロペスは「猫を抱く女性」
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)などのモデルにもなっています。
劇場では観客が他の観客をオペラグラスなどで観察するのも楽しみだったようで、
メアリー・カサットの「桟敷席にて」(ボストン美術館蔵)にも描かれています。
エドガー・ドガ 「舞台上の二人の踊子」 1874年

舞台の照明に人工光が使われ始めた時代の作品で、ドガはその光を巧みに
表現しています。
舞台の踊子が下からの光を受けて、浮かび上がっている様子を桟敷席から
見下ろした構図です。
踊子の衣装に、一人は紅、一人は緑をあしらっています。
これと似た構図の代表作、「エトワール」(オルセー美術館蔵)はパステル画ですが、
こちらは油彩です。
ポール・セザンヌ 「カード遊びをする人々」 1892-96年頃

セザンヌは晩年、「カード遊びをする人々」を5枚描いており、これはそのうちの1点です。
2人の男性が向かい合ってカード遊びに没頭している情景ですが、物語性は無く、
堅牢な静物画のような趣きです。
ポール・セザンヌ 「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」 1887年頃

セザンヌと言えば思い浮かぶ、故郷の南仏エクス=アン=プロヴァンスの
サント=ヴィクトワール山をテーマにした作品の一つです。
この絵では、画面手前にかぶさるように樹木を描くという、浮世絵の影響を受けた
構図で、松の枝と山の稜線を揃えるなどの工夫をしています。
この作品は大正初期に美術雑誌で日本に紹介され、若い画家たちを刺激した
ということで、日本画家の小野竹喬もこれに倣った風景画を描いています。
コートールドのコレクションの中ではセザンヌがもっと多いそうで、展覧会でも
10点が展示されています。
最初に購入したのが展示されている、「キューピッドの石膏像のある静物」
(1894年頃)ということで、ちょっと難しそうなこの絵から始めたとは、かなりの
目利きだったようです。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「花咲く桃の木々」 1889年

ゴッホはパリから南仏のアルルに移った翌年、ゴーガンと仲違いして
耳切り事件を起こし、サン=レミの療養院に入れられています。
アルルで最後に描いた風景画で、明るく広々として、桃と雲の点描による
筆遣いが響き合い、療養院に入る前とは思えない充実した作品です。
ゴッホは、アルルの風景を浮世絵で憧れている日本の景色のようだと、
シニャックへの手紙で書いています。
ポール・ゴーガン 「テ・レリオア」 1897年

テ・レリオアとはタヒチ語で夢という意味とのことです。
壁に描かれた絵も含めて、何か謎めいた雰囲気があります。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
「ジャヌ・アヴリル、ムーラン・ルージュの入口にて」 1892年頃

ジャヌ・アヴリルは売れっ子のダンサーで、ロートレックのポスターでも
有名になっています。
この時20歳台前半ということで、華やかな舞台の雰囲気と違った、
楽屋入りの地味な姿を逆に誇張して描き出しています。
(参考)
「ジャヌ・アヴリル(ジャルダン・ド・パリ)」 1893年 リトグラフ、ポスター

アメデオ・モディリアーニ 「裸婦」 1916年頃

コートールド美術館はエコール・ド・パリの画家の作品も所蔵しています。
モディリアーニの裸婦はざっくりと大胆な描きぶりが魅力で、この作品も
下描きせずに描いています。
顔は丁寧に描かれていますが、身体の部分は勢いよく塗り、髪は絵具の
乾かないうちに引っ掻いて髪の毛の感じを出しています。
他に、ホイッスラー、ドーミエ、ブーダン、ピサロ、シスレー、スーラ、シニャック、
ルソー、スーティン、ボナール、ヴュイヤールの作品やドガとロダンの彫刻作品も
展示されています。
やはり、ルノワールの「桟敷席」とマネの「フォリー=ベルジェールのバー」は格別、
見応えがありました。
展覧会のHPです。
乃木坂
六本木の国立新美術館では、「第83回 新制作展」が開かれています。
会期は9月30日(月)までで、火曜日は休館日です。
新制作協会は1936年設立の美術団体で、現在は絵画部、彫刻部、
スペースデザイン部があります。
会場は撮影可能です。
石川由子 「市場のある日」

石川さんの懐かしい風景、今年は市場です。
一居孝明 「gold sight(雨上がり)」


メタルの鈍い輝きの中に雀も見えます。
右馬野恒子 「ある日シチリアII」

惹き込まれるような深い青です。
大下かる 「山フキ」

淡く柔らかな色彩です。
奥田善章 「白い太陽とヘチマ影」


ボールペンを使った、丸々とした作品です。
小野仁良 「オトノキオク・トオクノキテキ I」

木の家の床に日の光が映っています。
片山裕之 「ある風景」

かつて空を飛んでいたゴミ置き場。
金森宰司 「ライフ「悠々自適」」

砂時計がおだやかな時間を表しています。
小島隆三 「アダムとイヴ」

蛇の巻き付いた知恵の樹が真ん中に居ます。
近藤オリガ 「蝶々さん」

絹のような筆触でソフトフォーカス気味に描いています。
近藤オリガ 「イヴ(EVE)」

リンゴがあるので、イヴと分かります。
佐藤泰生 「二つの肖像(巡る時)」

華やかで迫力のある色彩の肖像です。
下倉剛史 「青い夜」 新作家賞

街の輝きと手前の暗闇の対比が際立ちます。
鈴木幸子 「向」

日本画風の装飾性を存分に見せています。
高堀正俊 「梅の木の下で」

高堀さんの写実には凄味がります。
田村研一 「流浪亭日乗 風の中の惑星にて」

真昼の幻想が爆発しています。
中井英夫 「賀茂川幻視行」

おもちゃが川向うを行進しています。
仲田道子 「フリーダム」 絵画部賞

浮遊感と陶器のような質感があります。
鍋島正一 「揺れるヴェネチア」


正面から見るとよく分かりませんが、立体作品です。
能勢まゆ子 「幻影―朔日」 絵画部賞

光の当たる岩に存在感があります。
原田夏樹 「名犬六兵衛の居る世界③」

犬が居ると風景に趣きが増します。
藤野ミナ子 「幸せな時」

色彩も画面構成も楽しげです。
松木義三 「子供の時間」

さまざまな姿勢の子供たちです。
丸尾宏一 「Rurikei」

るり渓は京都府南丹市にあります。
森弘江 「斜光II」

光が溶けています。
山本正紀 「暖かい日」

画面の奥まで空間が続いています。
和田和子 「散策風景(冬)-1-」

上から公園を眺める、面白い画面構成です。
渡辺久子 「収穫(harvest)」

爽やかな風が流れています。
2018年の「第82回 新制作展」の記事です。
chariot
六本木の国立新美術館では、「第83回 新制作展」が開かれています。
会期は9月30日(月)までで、火曜日は休館日です。
新制作協会は1936年設立の美術団体で、現在は絵画部、彫刻部、
スペースデザイン部があります。
会場は撮影可能です。
石川由子 「市場のある日」

石川さんの懐かしい風景、今年は市場です。
一居孝明 「gold sight(雨上がり)」


メタルの鈍い輝きの中に雀も見えます。
右馬野恒子 「ある日シチリアII」

惹き込まれるような深い青です。
大下かる 「山フキ」

淡く柔らかな色彩です。
奥田善章 「白い太陽とヘチマ影」


ボールペンを使った、丸々とした作品です。
小野仁良 「オトノキオク・トオクノキテキ I」

木の家の床に日の光が映っています。
片山裕之 「ある風景」

かつて空を飛んでいたゴミ置き場。
金森宰司 「ライフ「悠々自適」」

砂時計がおだやかな時間を表しています。
小島隆三 「アダムとイヴ」

蛇の巻き付いた知恵の樹が真ん中に居ます。
近藤オリガ 「蝶々さん」

絹のような筆触でソフトフォーカス気味に描いています。
近藤オリガ 「イヴ(EVE)」

リンゴがあるので、イヴと分かります。
佐藤泰生 「二つの肖像(巡る時)」

華やかで迫力のある色彩の肖像です。
下倉剛史 「青い夜」 新作家賞

街の輝きと手前の暗闇の対比が際立ちます。
鈴木幸子 「向」

日本画風の装飾性を存分に見せています。
高堀正俊 「梅の木の下で」

高堀さんの写実には凄味がります。
田村研一 「流浪亭日乗 風の中の惑星にて」

真昼の幻想が爆発しています。
中井英夫 「賀茂川幻視行」

おもちゃが川向うを行進しています。
仲田道子 「フリーダム」 絵画部賞

浮遊感と陶器のような質感があります。
鍋島正一 「揺れるヴェネチア」


正面から見るとよく分かりませんが、立体作品です。
能勢まゆ子 「幻影―朔日」 絵画部賞

光の当たる岩に存在感があります。
原田夏樹 「名犬六兵衛の居る世界③」

犬が居ると風景に趣きが増します。
藤野ミナ子 「幸せな時」

色彩も画面構成も楽しげです。
松木義三 「子供の時間」

さまざまな姿勢の子供たちです。
丸尾宏一 「Rurikei」

るり渓は京都府南丹市にあります。
森弘江 「斜光II」

光が溶けています。
山本正紀 「暖かい日」

画面の奥まで空間が続いています。
和田和子 「散策風景(冬)-1-」

上から公園を眺める、面白い画面構成です。
渡辺久子 「収穫(harvest)」

爽やかな風が流れています。
2018年の「第82回 新制作展」の記事です。
池袋
「ESPRESSO D WORKS(EDW)池袋」はキュープラザ池袋の2階にあります。
場所は豊島区東池袋1-30-3です。

7月にオープンした商業施設、キュープラザ池袋の中のお店で、
広い店内は約100席、全席禁煙です。

天井では大きな扇風機が回っていました。

小麦をテーマにしたカフェ&バルということで、食パンが1日4回焼き上がります。



海老と五穀豆とフムスのキヌアサラダとセットのコーヒー1300円です。

新鮮な野菜のサラダです。
トリュフオムレツセット1500円にはサラダが付きます。


オムレツは濃い目の味付けです。
ランチにはパンとソフトバターが付き、店員さんがパンを持って回ります。

セットのコーヒーはやや薄めで、酸味があり、すっきりしています。

ランチはどれも美味しく、活気のあるお店です。
chariot
「ESPRESSO D WORKS(EDW)池袋」はキュープラザ池袋の2階にあります。
場所は豊島区東池袋1-30-3です。

7月にオープンした商業施設、キュープラザ池袋の中のお店で、
広い店内は約100席、全席禁煙です。

天井では大きな扇風機が回っていました。

小麦をテーマにしたカフェ&バルということで、食パンが1日4回焼き上がります。



海老と五穀豆とフムスのキヌアサラダとセットのコーヒー1300円です。

新鮮な野菜のサラダです。
トリュフオムレツセット1500円にはサラダが付きます。


オムレツは濃い目の味付けです。
ランチにはパンとソフトバターが付き、店員さんがパンを持って回ります。

セットのコーヒーはやや薄めで、酸味があり、すっきりしています。

ランチはどれも美味しく、活気のあるお店です。
上野
上野の国立西洋美術館では日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念
「モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」展が開かれています。
会期は9月23日(月・祝)までです。
常設展の観覧券、または「松方コレクション展」の観覧券でご覧いただけます。

1848年に設立されたフィンランドで最初の美術学校であるフィンランド芸術協会の
素描学校では、創立当初から男女平等の教育が行われ、多くの女性芸術家を
育てたということです。
1917年のロシアからの独立も女性の立場や役割に大きな変化を与えています。
展覧会ではフィンランド国立アテネウム美術館の所蔵する、フィンランドの
女性芸術家たちの作品、約90点が展示されています。
会場は撮影可能です。
ヘレン・シャルフベック(1862-1946)はフィンランドを代表する画家の一人です。
当時ロシア領だったヘルシンキに生まれ、フィンランド芸術協会の素描学校に学び、
1880年には奨学金を得てパリに留学しています。
パリの国立美術学校はまだ女性の入学を認めていない時代だったので、
女性を受け入れているアカデミーで学んでいます。
ヘレン・シャルフベック 「コサック(美しきコサック)」 1878年 油彩、カンヴァス

初期の作品は伝統に従い、写実的です。
ヘレン・シャルフベック 「母と子」 1886年 油彩、カンヴァス

パリ留学の成果を披露していて、写実的ですが、外光を意識した作品です。
この1886年のパリでは、最後の印象派展となる第8回展が開かれ、スーラの
「グランド・ジャット島の日曜日の午後」やシニャック、ゴーギャンの作品が
展示されています。
ヘレン・シャルフベック 「フィエーゾレの風景」 1894年 油彩、カンヴァス

フィエーゾレはイタリアのフィレンツェ近くの町です。
ヘレン・シャルフベック 「祖母」 1907年 油彩、カンヴァス

やがて形態を単純化した、平面的な画面の作風に変化しています。
ヘレン・シャルフベック 「木こりⅠ」 1910-11年 油彩・カラークレヨン、カンヴァス

太い描線も使っています。
ヘレン・シャルフベック 「占い師(黄色いドレスの女性)」
1926年 油彩・カラークレヨン、カンヴァス

小気味よく単純化されています。
シャルフベックはファッションにも強い関心を持っていました。
2015年に東京藝術大学大学美術館で開かれた「ヘレン・シャルフベック展」の記事です。
マリア・ヴィーク(1853-1928)はヘルシンキに生まれ、1875年にパリに留学し、
サロンにも出品しています。
マリア・ヴィーク 「教会にて」 1884年 油彩、カンヴァス

1883年にシャルフベックとともにフランスのブルターニュを訪れています。
伝統衣装の女性を正面から捉えて描いています。
ゴーギャンは1886年からブルターニュのポン=タヴァンに住んでいます。
マリア・ヴィーク 「ボートをこぐ女性、スケッチ」 1892年頃 油彩、カンヴァス

ボートをこぐ姉のヒルダを明るい夏の光の中で描いています。
エレン・テスレフ(1869-1954)はヘルシンキに生まれ、フィンランド芸術協会の
素描学校に学び、1891年にパリに留学しています。
カンディンスキーの影響を強く受け、明るい色彩とパレットナイフによる
力強い筆遣いを特徴にしています。
エレン・テスレフ 「トスカーナの風景」 1908年 油彩、カンヴァス

オリーブ畑を描いていて、うねるような激しい筆遣いを見せています。
エレン・テスレフ 「装飾的風景」 1910年 油彩、カンヴァス

大きな作品で、夏の日を浴びた巨木のかたわらに小さく人が見えます。
エレン・テスレフ 「自画像」 1916年 油彩、カンヴァス

淡い青色でまとめた自画像です。
テスレフの作品は色彩が印象的です。
シーグリッド・ショーマン(1877-1979)はウクライナ生まれで、1899年から
フィンランド芸術協会の素描学校でシャルフベックらに師事しています。
1909-10年にはフィレンツェでエレン・テスレフと共同制作も行なっています。
シーグリッド・ショーマン 「イタリアの風景、ヴォルテッラ」 1909年 油彩、カンヴァス

ヴォルテッラはトスカーナ地方の町です。
明るい色彩と単純化された形によって描いています。
エルガ・セーセマン(1922-2007)は現在はロシア領のヴィボルグに生まれ、
フィンランド美術アカデミー(フィンランド芸術協会の素描学校の後進)に学んでいます。
第2次世界大戦後に活躍した画家で、孤独感のある作品を描いています。
エルガ・セーセマン 「通り」 1945年 油彩、カンヴァス

明るい昼間なのに寂寥感の漂う絵で、人物も孤独そうです。
エルガ・セーセマン 「自画像」 1946年 油彩、厚紙

目の辺りが暗く、表情が見えないのは、内面の重さ、暗さを表しているようです。
ヘレン・シャルフベック以外は初めて観る作家ばかりでしたが、それぞれに個性があり、
興味深い展覧会です。
・・・・・
上野ABAB横の通りでは、東京芸術大学学園祭で制作された各学科の法被が
展示されていました。

日本画・邦楽

油画・打楽器・オルガン・古楽・指揮

工芸・学理

建築・声楽

chariot
上野の国立西洋美術館では日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念
「モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」展が開かれています。
会期は9月23日(月・祝)までです。
常設展の観覧券、または「松方コレクション展」の観覧券でご覧いただけます。

1848年に設立されたフィンランドで最初の美術学校であるフィンランド芸術協会の
素描学校では、創立当初から男女平等の教育が行われ、多くの女性芸術家を
育てたということです。
1917年のロシアからの独立も女性の立場や役割に大きな変化を与えています。
展覧会ではフィンランド国立アテネウム美術館の所蔵する、フィンランドの
女性芸術家たちの作品、約90点が展示されています。
会場は撮影可能です。
ヘレン・シャルフベック(1862-1946)はフィンランドを代表する画家の一人です。
当時ロシア領だったヘルシンキに生まれ、フィンランド芸術協会の素描学校に学び、
1880年には奨学金を得てパリに留学しています。
パリの国立美術学校はまだ女性の入学を認めていない時代だったので、
女性を受け入れているアカデミーで学んでいます。
ヘレン・シャルフベック 「コサック(美しきコサック)」 1878年 油彩、カンヴァス

初期の作品は伝統に従い、写実的です。
ヘレン・シャルフベック 「母と子」 1886年 油彩、カンヴァス

パリ留学の成果を披露していて、写実的ですが、外光を意識した作品です。
この1886年のパリでは、最後の印象派展となる第8回展が開かれ、スーラの
「グランド・ジャット島の日曜日の午後」やシニャック、ゴーギャンの作品が
展示されています。
ヘレン・シャルフベック 「フィエーゾレの風景」 1894年 油彩、カンヴァス

フィエーゾレはイタリアのフィレンツェ近くの町です。
ヘレン・シャルフベック 「祖母」 1907年 油彩、カンヴァス

やがて形態を単純化した、平面的な画面の作風に変化しています。
ヘレン・シャルフベック 「木こりⅠ」 1910-11年 油彩・カラークレヨン、カンヴァス

太い描線も使っています。
ヘレン・シャルフベック 「占い師(黄色いドレスの女性)」
1926年 油彩・カラークレヨン、カンヴァス

小気味よく単純化されています。
シャルフベックはファッションにも強い関心を持っていました。
2015年に東京藝術大学大学美術館で開かれた「ヘレン・シャルフベック展」の記事です。
マリア・ヴィーク(1853-1928)はヘルシンキに生まれ、1875年にパリに留学し、
サロンにも出品しています。
マリア・ヴィーク 「教会にて」 1884年 油彩、カンヴァス

1883年にシャルフベックとともにフランスのブルターニュを訪れています。
伝統衣装の女性を正面から捉えて描いています。
ゴーギャンは1886年からブルターニュのポン=タヴァンに住んでいます。
マリア・ヴィーク 「ボートをこぐ女性、スケッチ」 1892年頃 油彩、カンヴァス

ボートをこぐ姉のヒルダを明るい夏の光の中で描いています。
エレン・テスレフ(1869-1954)はヘルシンキに生まれ、フィンランド芸術協会の
素描学校に学び、1891年にパリに留学しています。
カンディンスキーの影響を強く受け、明るい色彩とパレットナイフによる
力強い筆遣いを特徴にしています。
エレン・テスレフ 「トスカーナの風景」 1908年 油彩、カンヴァス

オリーブ畑を描いていて、うねるような激しい筆遣いを見せています。
エレン・テスレフ 「装飾的風景」 1910年 油彩、カンヴァス

大きな作品で、夏の日を浴びた巨木のかたわらに小さく人が見えます。
エレン・テスレフ 「自画像」 1916年 油彩、カンヴァス

淡い青色でまとめた自画像です。
テスレフの作品は色彩が印象的です。
シーグリッド・ショーマン(1877-1979)はウクライナ生まれで、1899年から
フィンランド芸術協会の素描学校でシャルフベックらに師事しています。
1909-10年にはフィレンツェでエレン・テスレフと共同制作も行なっています。
シーグリッド・ショーマン 「イタリアの風景、ヴォルテッラ」 1909年 油彩、カンヴァス

ヴォルテッラはトスカーナ地方の町です。
明るい色彩と単純化された形によって描いています。
エルガ・セーセマン(1922-2007)は現在はロシア領のヴィボルグに生まれ、
フィンランド美術アカデミー(フィンランド芸術協会の素描学校の後進)に学んでいます。
第2次世界大戦後に活躍した画家で、孤独感のある作品を描いています。
エルガ・セーセマン 「通り」 1945年 油彩、カンヴァス

明るい昼間なのに寂寥感の漂う絵で、人物も孤独そうです。
エルガ・セーセマン 「自画像」 1946年 油彩、厚紙

目の辺りが暗く、表情が見えないのは、内面の重さ、暗さを表しているようです。
ヘレン・シャルフベック以外は初めて観る作家ばかりでしたが、それぞれに個性があり、
興味深い展覧会です。
・・・・・
上野ABAB横の通りでは、東京芸術大学学園祭で制作された各学科の法被が
展示されていました。

日本画・邦楽

油画・打楽器・オルガン・古楽・指揮

工芸・学理

建築・声楽

六本木1丁目
六本木の泉屋博古館分館では住友財団修復助成30年記念 、「文化財よ、永遠に」展が
開かれています。
会期は10月27日(日)までです。

国内外の1000件を超える文化財修復事業に助成を行なってきた公益財団法人
住友財団の設立30周年を記念して、助成によって修復された文化財の一部を
東京国立博物館、九州国立博物館、泉屋博古館(京都)、泉屋博古館分館
(東京)で同時期に展示する企画です。
泉屋博古館分館では仏画や美術工芸品、約50点が展示されています。
9月29日までの前期と10月1日からの後期で、ほとんどの作品が展示替え
されますので、展覧会のHPでご確認下さい。
9月13日にブロガー内覧会が開かれたので行ってきました。
野地耕一郎分館長と泉屋博古館竹嶋康平学芸員の解説を伺いました。
写真は特別の許可を得て撮影したものです。
文化財は必ず経年劣化するので、2~300年に一度、日本画などの場合は100年に
一度は修復が必要だそうです。
絵画の修復は装潢師(そうこうし)という表装(表具)の技術者が行ないます。
「立花図」 伝 王淵 絹本着色 中国・元~明時代14~15世紀 滋賀・聖衆来迎寺

前期の展示です。
修復してみると、修復前は黒ずんで見えた花瓶は実は透明で、挿してある花の茎も見え、
ガラス器を描いたものだったことが分かりました。
以前の修復の時、絵の裏に貼る台紙のうち、すぐ裏に貼る肌裏紙を暗い色のものに
したため、絵の表面も暗くなってしまったものです。
昔の修復では、いわゆるボロ隠しのため、暗い色の裏紙を使うことがよくあったそうです。
現在の修復では、どの部分をどう直したかの記録を残し、後世に伝えるようにしている
とのことです。
「比叡山真景図」 池大雅 紙本墨画淡彩 宝暦12年(1762) 練馬区立美術館

池大雅は実際に比叡山に登った後にこれを描いています。
小説家の五味康祐の旧蔵品でしたが、床の間に掛けていた時の雨漏りによる汚れや
皺などがあり、汚れ落としなどに時間がかかって、修復に2年を要したそうです。
「淀川両岸図巻」 円山応挙
絹本着色 明和2年(1765) 東京・アルカンシェール美術財団

京都の伏見から大阪までの淀川の両岸の景色を描いた絵巻です。
落語の「三十石」の舞台にもなった所で、上り下りの川舟も見えます。
川の色の青も鮮やかで、ゆったりと穏やかな眺めです。
伏見から暫くは普通の俯瞰図なのですが、途中から川の両岸ともに
川の中心に視点を置いた図になっていて、そのため南岸は上下が逆になっています。
全長16mの長い図巻で、絹と裏紙では収縮率が異なるため、調節が難しいそうです。
「西洋人樽造図」 司馬江漢 絹本油彩 江戸時代・18世紀末 東京国立博物館

9月23日までの展示です。
西洋の銅版画に倣って、透視図法を取り入れ、光と影を表し、油絵具に似た絵具を
工夫するなどしています。
修復によって、多くあった皺が直され、表装も新しくなっています。
最近の修復の場合、表装に使った材料などから、どの装潢師の仕事かも分かるそうです。
「五百羅漢図」 右より鬼趣、畜生、人 狩野一信
絹本着色 嘉永7年~文久3年 (1854~63) 東京・増上寺

前期の展示です。
「五百羅漢図」のうち、前期には5点が展示され、後期には別の5点が展示されます。
幕末の絵師、狩野一信(1816-1863)の作で、全100幅で五百羅漢が揃うという大作です。
前期に5点、後期に5点が展示されます。
西洋絵画の影響による極めて濃い彩色で、絹の裏からも色を塗る裏彩色がされています。
修復時に調べると、画面全体に裏彩色されている珍しい例であることが分かったそうです。
2011年に江戸東京博物館で開かれた「五百羅漢―増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師
狩野一信」展の記事です。
「葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」 木製漆塗、蒔絵
桃山時代・16世紀末~17世紀前半 神奈川・東慶寺

カトリックのミサで聖餅(聖なるパン)を入れる容器です。
イエズス会の印であるIHSの文字も蒔絵で描かれ、葡萄はキリストの血であるワインを
表しています。
宣教師が京都で注文し、ヨーロッパに送られたもので、日本には僅かしか残っていません。
修復時の調査で、容器は正円形であり、ロクロで成形していたことが分かったそうです。
美術品の修復にはさまざまな技術が必要ですが、現在はその継承が難しくなっています。
掛軸などの絵の裏に貼る紙の種類によっては、吉野で一組の老夫婦が漉いているだけ
という厳しい状況にあるそうです。
伝統は何もしなくても伝わる訳ではなく、絶えず労力をかけ続けていかなければならない
ものであることを痛感します。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「金文―中国古代の文字」展です。
会期は11月9日(土)から12月20日(金)までです。
泉屋博古館分館は2020年1月から改修工事のため閉館し、2021年12月の完成を予定
しているそうです。
改修により、展示室を増築し、講堂も備えるとのことです。
chariot
六本木の泉屋博古館分館では住友財団修復助成30年記念 、「文化財よ、永遠に」展が
開かれています。
会期は10月27日(日)までです。

国内外の1000件を超える文化財修復事業に助成を行なってきた公益財団法人
住友財団の設立30周年を記念して、助成によって修復された文化財の一部を
東京国立博物館、九州国立博物館、泉屋博古館(京都)、泉屋博古館分館
(東京)で同時期に展示する企画です。
泉屋博古館分館では仏画や美術工芸品、約50点が展示されています。
9月29日までの前期と10月1日からの後期で、ほとんどの作品が展示替え
されますので、展覧会のHPでご確認下さい。
9月13日にブロガー内覧会が開かれたので行ってきました。
野地耕一郎分館長と泉屋博古館竹嶋康平学芸員の解説を伺いました。
写真は特別の許可を得て撮影したものです。
文化財は必ず経年劣化するので、2~300年に一度、日本画などの場合は100年に
一度は修復が必要だそうです。
絵画の修復は装潢師(そうこうし)という表装(表具)の技術者が行ないます。
「立花図」 伝 王淵 絹本着色 中国・元~明時代14~15世紀 滋賀・聖衆来迎寺

前期の展示です。
修復してみると、修復前は黒ずんで見えた花瓶は実は透明で、挿してある花の茎も見え、
ガラス器を描いたものだったことが分かりました。
以前の修復の時、絵の裏に貼る台紙のうち、すぐ裏に貼る肌裏紙を暗い色のものに
したため、絵の表面も暗くなってしまったものです。
昔の修復では、いわゆるボロ隠しのため、暗い色の裏紙を使うことがよくあったそうです。
現在の修復では、どの部分をどう直したかの記録を残し、後世に伝えるようにしている
とのことです。
「比叡山真景図」 池大雅 紙本墨画淡彩 宝暦12年(1762) 練馬区立美術館

池大雅は実際に比叡山に登った後にこれを描いています。
小説家の五味康祐の旧蔵品でしたが、床の間に掛けていた時の雨漏りによる汚れや
皺などがあり、汚れ落としなどに時間がかかって、修復に2年を要したそうです。
「淀川両岸図巻」 円山応挙
絹本着色 明和2年(1765) 東京・アルカンシェール美術財団

京都の伏見から大阪までの淀川の両岸の景色を描いた絵巻です。
落語の「三十石」の舞台にもなった所で、上り下りの川舟も見えます。
川の色の青も鮮やかで、ゆったりと穏やかな眺めです。
伏見から暫くは普通の俯瞰図なのですが、途中から川の両岸ともに
川の中心に視点を置いた図になっていて、そのため南岸は上下が逆になっています。
全長16mの長い図巻で、絹と裏紙では収縮率が異なるため、調節が難しいそうです。
「西洋人樽造図」 司馬江漢 絹本油彩 江戸時代・18世紀末 東京国立博物館

9月23日までの展示です。
西洋の銅版画に倣って、透視図法を取り入れ、光と影を表し、油絵具に似た絵具を
工夫するなどしています。
修復によって、多くあった皺が直され、表装も新しくなっています。
最近の修復の場合、表装に使った材料などから、どの装潢師の仕事かも分かるそうです。
「五百羅漢図」 右より鬼趣、畜生、人 狩野一信
絹本着色 嘉永7年~文久3年 (1854~63) 東京・増上寺

前期の展示です。
「五百羅漢図」のうち、前期には5点が展示され、後期には別の5点が展示されます。
幕末の絵師、狩野一信(1816-1863)の作で、全100幅で五百羅漢が揃うという大作です。
前期に5点、後期に5点が展示されます。
西洋絵画の影響による極めて濃い彩色で、絹の裏からも色を塗る裏彩色がされています。
修復時に調べると、画面全体に裏彩色されている珍しい例であることが分かったそうです。
2011年に江戸東京博物館で開かれた「五百羅漢―増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師
狩野一信」展の記事です。
「葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」 木製漆塗、蒔絵
桃山時代・16世紀末~17世紀前半 神奈川・東慶寺

カトリックのミサで聖餅(聖なるパン)を入れる容器です。
イエズス会の印であるIHSの文字も蒔絵で描かれ、葡萄はキリストの血であるワインを
表しています。
宣教師が京都で注文し、ヨーロッパに送られたもので、日本には僅かしか残っていません。
修復時の調査で、容器は正円形であり、ロクロで成形していたことが分かったそうです。
美術品の修復にはさまざまな技術が必要ですが、現在はその継承が難しくなっています。
掛軸などの絵の裏に貼る紙の種類によっては、吉野で一組の老夫婦が漉いているだけ
という厳しい状況にあるそうです。
伝統は何もしなくても伝わる訳ではなく、絶えず労力をかけ続けていかなければならない
ものであることを痛感します。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「金文―中国古代の文字」展です。
会期は11月9日(土)から12月20日(金)までです。
泉屋博古館分館は2020年1月から改修工事のため閉館し、2021年12月の完成を予定
しているそうです。
改修により、展示室を増築し、講堂も備えるとのことです。
日比谷・二重橋前
「タリーズコーヒー 東京商工会議所ビル店」は皇居馬場先門前の
東京商工会議所ビルの1階にあります。
場所は千代田区丸の内3-2-2です。

2018年のオープンで、日祝は閉店、全席禁煙、カウンター席も含め
50席ほど、2面がガラス壁の店内は明るく、広々した感じです。


日比谷通りに面していて、ガラス越しに皇居の緑や行き交う2階建バスが見えます。


タピオカほうじ茶ラテ550円です。

皆も食すなるタピオカというものを我も食してみんとて注文するなり。
BGMに流れるラグタイムの「The Entertainer」を聞きながらいただきました。
丸ビルの横には9月20日に開幕するラグビーワールドカップ2019日本大会の
成功を祈念して、丸の内ラグビー神社が建立されていました。

東京駅丸の内口には2020年東京オリンピックまでのカウントダウン時計が
置かれていました。

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「タリーズコーヒー 東京商工会議所ビル店」は皇居馬場先門前の
東京商工会議所ビルの1階にあります。
場所は千代田区丸の内3-2-2です。

2018年のオープンで、日祝は閉店、全席禁煙、カウンター席も含め
50席ほど、2面がガラス壁の店内は明るく、広々した感じです。


日比谷通りに面していて、ガラス越しに皇居の緑や行き交う2階建バスが見えます。


タピオカほうじ茶ラテ550円です。

皆も食すなるタピオカというものを我も食してみんとて注文するなり。
BGMに流れるラグタイムの「The Entertainer」を聞きながらいただきました。
丸ビルの横には9月20日に開幕するラグビーワールドカップ2019日本大会の
成功を祈念して、丸の内ラグビー神社が建立されていました。

東京駅丸の内口には2020年東京オリンピックまでのカウントダウン時計が
置かれていました。
