銀座一丁目
「マイ ガーデン ギンザ(MI Garden GINZA)」は銀座一丁目交差点の北側にあります。
場所は中央区銀座2-6-3です。
三菱自動車のショールームに併設されたカフェで、2019年9月のオープン、
店内には大きな自動車が展示されています。
電気自動車関連のイベントもいろいろ企画されています。

広々とした店内は全席禁煙、すっきりとして天井も高く、席の数も少なく、
広々としています。
2階席もあります。

お店の奥には人工芝を敷いた庭とテラス席があって、そこにも自動車が
置いてあります。

ニュージーランドのコーヒーロースター「オールプレス エスプレッソ」との
コラボとのことで、メニューにはフラットホワイトもあります。

フラットホワイト583円とブレンドコーヒー495円です。

銀座中央通りの賑やかな場所にあって、ゆっくりくつろげるお店です。
chariot
「マイ ガーデン ギンザ(MI Garden GINZA)」は銀座一丁目交差点の北側にあります。
場所は中央区銀座2-6-3です。
三菱自動車のショールームに併設されたカフェで、2019年9月のオープン、
店内には大きな自動車が展示されています。
電気自動車関連のイベントもいろいろ企画されています。

広々とした店内は全席禁煙、すっきりとして天井も高く、席の数も少なく、
広々としています。
2階席もあります。

お店の奥には人工芝を敷いた庭とテラス席があって、そこにも自動車が
置いてあります。

ニュージーランドのコーヒーロースター「オールプレス エスプレッソ」との
コラボとのことで、メニューにはフラットホワイトもあります。

フラットホワイト583円とブレンドコーヒー495円です。

銀座中央通りの賑やかな場所にあって、ゆっくりくつろげるお店です。
恵比寿
山種美術館では広尾開館10周年記念特別展、「上村松園と美人画の世界」が
開かれています。
会期は3月1日(日)までです。
美人画の名手、上村松園(1875-1949)の作品18点の他、女性を描いた作品多数が
展示されています。
上村松園 「桜可里」 1926-29年頃

肉筆浮世絵風の華やかな絵柄で、若い女性は玉結びの髪に頭巾、
雪輪と色紙模様の着物、鱗模様の帯です。
桜狩りの帰りらしく、桜の枝を持つ女性は島田髷に鹿の子絞りの着物です。
袖の作りだす線がリズミカルで、菱川師宣の「見返り美人図」を思わせます。
上村松園 「春のよそをひ」 1936年

高島田を結い、べっ甲の櫛を差した女性が笄(こうがい)に手をやっています。
かんざしは春らしく桜をあしらっています。
かんざしに手をやる姿には、浮世絵の美人画に通じる風情があります。
上村松園 「杜鵑を聴く」 1948年

ふと片手を上げ、聞こえてくるホトトギスの声に耳を傾けているところです。
青海波模様の着物姿で、手にした傘が雨上がりの気配を表しています。
上村松園 「蛍」 1913年

大正時代の作品です。
江戸時代の風俗で、浴衣姿の女性が蚊帳を吊ろうとして、足元に蛍を見つけ、
ふと手を止めている瞬間です。
帯は江戸時代特有の、ぼってりした感じですが、浴衣の模様は絞り染めの
大きな百合で、流行のアール・ヌーヴォーを取り入れているとのことです。
帯が横向きなのは就寝前の着方だそうです。
蚊帳から浴衣が透けて見えるところも、美人画家としての技です。
この女性の立ち姿は北川歌麿の「絵本四季花」のうち、「雷雨と蚊帳」から
採られています。
上村松園 「新蛍」 1927年

浮世絵風の美人画で、団扇で口元を半ば隠して趣を深くしています。
髪は丸髷、双鳥模様の帯を締め、蛍に趣向を合わせた水流の裾模様で、
団扇は茶の実紋、簾越しの姿を描くという、上村松園得意の技法を見せています。
上村松園 「盆踊り」 1934年頃

色紙に描かれ、笠を被り刀を落し差しにした男と、扇を持った女が
満月の下で踊る様を、さらっと描いています。
女の髪型は立兵庫でょうか、帯も細く、江戸時代初期の風俗です。
おっとりとした趣きは与謝蕪村の俳画のようです。
上村松園 「折鶴」(部分) 1940年頃

無心に折鶴を折っている江戸時代の少女を描いていて、一人は紅葉模様の振袖、
一人は飾り紐の付いた菊の模様の振袖を着ています。
立て膝姿は浮世絵によく見られる形です。
上村松園 「詠哥」 1942年

菊の模様の着物に鳳凰丸の帯の女性が短冊を手にして、歌を考えているところです。
葵づとつぶ髷という公家の女性の髪形をしています。
上村松園 「砧」 1938年

謡曲の「砧(きぬた)」を題材にしていて、都に上ったまま戻って来ぬ夫を
待ちわびる妻の姿です。
晩秋の風物である、布を叩いて柔らかくする道具の砧が足元に置いてあり、
燭台にろうそくが灯っています。
戦国から江戸初期の風俗で、髪は玉結び、小袖は橘の模様、打掛は枯葉を
散らしています。
肖像のような仏像のような気持ちで描いたとのことです。
上村松園 「牡丹雪」 1944年

雪の積もった傘を傾けて、二人の町娘が歩いています。
一人は、麻の葉模様の帯を締め、袂で傘の柄をくるむ様にして持ち、
前かがみになって褄を取り、雪道に難渋している風情で、もう一人は
御高祖頭巾を被っています。
清らかで、凛とした風情が、雪によって引き立ちます。
上村松園 「庭の雪」 1948年

お染髷に麻の葉模様の帯、背中に襟袈裟という布を掛けた娘が降る雪を
眺めています。
雪がちらついていて、手を袖で包み、少し寒そうにしています。
池田輝方 「夕立」 六曲一双 右隻 1916年

右隻


江戸の風俗を描いた屏風絵で、絵馬を掲げた額堂には空を見上げる若い色白のやさ男、
色黒で髭の剃り跡も青い男、濡れた袖を絞る女、立ち話をする女たちが集まっています。
女の着物は夏なのであっさりした柄です。
左隻


石の鳥居と神門、築地塀、その上には青い銀杏が被さっています。
門の下では雨宿りしている町娘が小僧さんとひそひそ話をしています。
やさ男のことを話しているのでしょうか。
江戸時代の雨宿りの一瞬の人間模様を描き出していますが、人物たちは大正時代の
甘い雰囲気の顔立ちをしています。
池田輝方(1883-1921)は京橋の生まれで、水野年方に師事し、鏑木清方と
同門で、美人画、風俗画を得意としています。
小林古径 「河風」 1915年

黒の絣の浴衣姿の女性が河原に置いた縁台に掛け、桔梗の団扇を持って
足を水にひたしています。
後ろに垂らした帯の色が鮮やかで、水の描き方にも特徴があります。
小林古径(1883-1957)の33歳頃の作品で、後の画風と違い、
絵に生々しさがあります。
川崎小虎 「伝説中将姫」 六曲一隻 1920年

中将姫は奈良時代の女性で、伝説では継母にいじめられて世の無常を悟り、
当麻寺に入って尼となり、蓮の糸で当麻曼荼羅を織り上げたとされています。
髪を切って合掌する姫の周りに侍女たちが集まり、蓮の糸束や糸を五色に
染め上げたという井戸も描かれています。
それぞれの衣装には蔦や宝相華唐草の模様が描き込まれた、淡くて繊細な作品です。
鏑木清方 「伽羅」 1936年

枕香炉という、髪に香りを薫きしめる枕でうたた寝をした女性が目を
覚ました姿です。
市松模様の帯が粋で、朝顔や花菖蒲の模様や色彩に初夏の雰囲気が表れています。
伊東深水 「吉野太夫」 1966年

吉野太夫は江戸初期の京都の廓を代表するといわれた太夫とのことです。
廓の桜を見て、「ここにさえさぞな吉野は花盛り」と読んだことからこの名が付きました。
立兵庫という、上に伸ばした独特の髪形で、吉野太夫の逸話に因んで、
満開の桜花を背景に立っています。
桐や扇面散らしの模様で埋め尽くされた打掛や小袖の輪郭線は、リズムを
持って交差しています。
手前の禿(かむろ)が茶入や香合を載せた盆を差し出しているのは、吉野太夫が
茶道など諸芸に秀でていたことを示しているのでしょう。
伊東深水(1898-1972)は深川の生まれで、鏑木清方に師事しています。
村上華岳 「裸婦図」 1920年 重要文化財

村上華岳(1888-1939)の初期の代表作です。
イタリア絵画風の背景で、女性の輪郭線に影を付けて立体感を出しています。
一方で、上半身は正面を向き平面的に描かれていて、西洋と東洋の融合を
図っていることが分かります。
後の、菩薩を描いた仏画シリーズの基となる、聖性と女性美とを兼ね備えた作品です。
1918年に京都市立絵画専門学校の同窓だった村上華岳や土田麦僊、小野竹喬たちは
新しい日本画を目指して、国画創作協会を設立しています。
その後、仲間である土田麦僊や小野竹喬たちが渡欧しているのに対し、病弱だった
村上華岳は渡欧を果たしていません。
それもあって、西洋の技法や表現をただ模倣するのではなく、西洋と東洋の精神の
在り方の違いを意識し、その融合を目指しています。
小倉遊亀 「舞う(舞妓)」 1971年

振袖姿の若い舞妓が金の扇をかざして、誇らしげに振り返った
瞬間をとらえています。
赤紫色の振袖の柄は梅、牡丹、紅葉、菊、南天など四季の草花をあしらって
賑やかです。
赤い帯は菊の模様で、襦袢の赤、足袋の白も見えます。
髪飾りも多く、金、銀、赤をあしらっています。
顔は日本画独特の、すっきりと美しい線描で表しています。
色彩を多く使い、若々しく、華やかな姿を生き生きと描いた作品です。
小倉遊亀 「舞う(芸者)」 1972年

芸者が扇を帯に差し、右袖を抱え、左手を髪に添え、
首を少しかしげて振り返っています。
「舞う(舞妓)」と対称になる姿勢です。
芸者の着物はあっさりした竹と流水の柄の黒留袖、白の帯も竹の柄です。
襟元の襦袢と帯の端に見える赤色がアクセントになっています。
眉のあたりの影、口許の形で舞妓との年齢の違いや、心意気を表し、
全体として色数を少なく、すっきりと描くことで芸者の粋な姿を描き出しています。
京都絵美 「ゆめうつつ」 2016年

「Seed 山種美術館アワード2016」展での大賞受賞作です。
更紗を着た女性が夢を見ているような表情で、漂うように浮かび上がっています。
肌の色の濃淡やペイズリーの柄によって、日本画には珍しい立体感のある作品です。
京都絵美(みやこえみ)さん(1981-)は福岡県出身で、日本美術院院友、創作と
仏教絵画の研究を行なっています。
山種美術館のHPです。
次回の展覧会は特別展、「桜 さくら SAKURA 2020-美術館でお花見!-」です。
3月14日(土)から5月10日(日)までです。
chariot
山種美術館では広尾開館10周年記念特別展、「上村松園と美人画の世界」が
開かれています。
会期は3月1日(日)までです。
美人画の名手、上村松園(1875-1949)の作品18点の他、女性を描いた作品多数が
展示されています。
上村松園 「桜可里」 1926-29年頃

肉筆浮世絵風の華やかな絵柄で、若い女性は玉結びの髪に頭巾、
雪輪と色紙模様の着物、鱗模様の帯です。
桜狩りの帰りらしく、桜の枝を持つ女性は島田髷に鹿の子絞りの着物です。
袖の作りだす線がリズミカルで、菱川師宣の「見返り美人図」を思わせます。
上村松園 「春のよそをひ」 1936年

高島田を結い、べっ甲の櫛を差した女性が笄(こうがい)に手をやっています。
かんざしは春らしく桜をあしらっています。
かんざしに手をやる姿には、浮世絵の美人画に通じる風情があります。
上村松園 「杜鵑を聴く」 1948年

ふと片手を上げ、聞こえてくるホトトギスの声に耳を傾けているところです。
青海波模様の着物姿で、手にした傘が雨上がりの気配を表しています。
上村松園 「蛍」 1913年

大正時代の作品です。
江戸時代の風俗で、浴衣姿の女性が蚊帳を吊ろうとして、足元に蛍を見つけ、
ふと手を止めている瞬間です。
帯は江戸時代特有の、ぼってりした感じですが、浴衣の模様は絞り染めの
大きな百合で、流行のアール・ヌーヴォーを取り入れているとのことです。
帯が横向きなのは就寝前の着方だそうです。
蚊帳から浴衣が透けて見えるところも、美人画家としての技です。
この女性の立ち姿は北川歌麿の「絵本四季花」のうち、「雷雨と蚊帳」から
採られています。
上村松園 「新蛍」 1927年

浮世絵風の美人画で、団扇で口元を半ば隠して趣を深くしています。
髪は丸髷、双鳥模様の帯を締め、蛍に趣向を合わせた水流の裾模様で、
団扇は茶の実紋、簾越しの姿を描くという、上村松園得意の技法を見せています。
上村松園 「盆踊り」 1934年頃

色紙に描かれ、笠を被り刀を落し差しにした男と、扇を持った女が
満月の下で踊る様を、さらっと描いています。
女の髪型は立兵庫でょうか、帯も細く、江戸時代初期の風俗です。
おっとりとした趣きは与謝蕪村の俳画のようです。
上村松園 「折鶴」(部分) 1940年頃

無心に折鶴を折っている江戸時代の少女を描いていて、一人は紅葉模様の振袖、
一人は飾り紐の付いた菊の模様の振袖を着ています。
立て膝姿は浮世絵によく見られる形です。
上村松園 「詠哥」 1942年

菊の模様の着物に鳳凰丸の帯の女性が短冊を手にして、歌を考えているところです。
葵づとつぶ髷という公家の女性の髪形をしています。
上村松園 「砧」 1938年

謡曲の「砧(きぬた)」を題材にしていて、都に上ったまま戻って来ぬ夫を
待ちわびる妻の姿です。
晩秋の風物である、布を叩いて柔らかくする道具の砧が足元に置いてあり、
燭台にろうそくが灯っています。
戦国から江戸初期の風俗で、髪は玉結び、小袖は橘の模様、打掛は枯葉を
散らしています。
肖像のような仏像のような気持ちで描いたとのことです。
上村松園 「牡丹雪」 1944年

雪の積もった傘を傾けて、二人の町娘が歩いています。
一人は、麻の葉模様の帯を締め、袂で傘の柄をくるむ様にして持ち、
前かがみになって褄を取り、雪道に難渋している風情で、もう一人は
御高祖頭巾を被っています。
清らかで、凛とした風情が、雪によって引き立ちます。
上村松園 「庭の雪」 1948年

お染髷に麻の葉模様の帯、背中に襟袈裟という布を掛けた娘が降る雪を
眺めています。
雪がちらついていて、手を袖で包み、少し寒そうにしています。
池田輝方 「夕立」 六曲一双 右隻 1916年

右隻


江戸の風俗を描いた屏風絵で、絵馬を掲げた額堂には空を見上げる若い色白のやさ男、
色黒で髭の剃り跡も青い男、濡れた袖を絞る女、立ち話をする女たちが集まっています。
女の着物は夏なのであっさりした柄です。
左隻


石の鳥居と神門、築地塀、その上には青い銀杏が被さっています。
門の下では雨宿りしている町娘が小僧さんとひそひそ話をしています。
やさ男のことを話しているのでしょうか。
江戸時代の雨宿りの一瞬の人間模様を描き出していますが、人物たちは大正時代の
甘い雰囲気の顔立ちをしています。
池田輝方(1883-1921)は京橋の生まれで、水野年方に師事し、鏑木清方と
同門で、美人画、風俗画を得意としています。
小林古径 「河風」 1915年

黒の絣の浴衣姿の女性が河原に置いた縁台に掛け、桔梗の団扇を持って
足を水にひたしています。
後ろに垂らした帯の色が鮮やかで、水の描き方にも特徴があります。
小林古径(1883-1957)の33歳頃の作品で、後の画風と違い、
絵に生々しさがあります。
川崎小虎 「伝説中将姫」 六曲一隻 1920年

中将姫は奈良時代の女性で、伝説では継母にいじめられて世の無常を悟り、
当麻寺に入って尼となり、蓮の糸で当麻曼荼羅を織り上げたとされています。
髪を切って合掌する姫の周りに侍女たちが集まり、蓮の糸束や糸を五色に
染め上げたという井戸も描かれています。
それぞれの衣装には蔦や宝相華唐草の模様が描き込まれた、淡くて繊細な作品です。
鏑木清方 「伽羅」 1936年

枕香炉という、髪に香りを薫きしめる枕でうたた寝をした女性が目を
覚ました姿です。
市松模様の帯が粋で、朝顔や花菖蒲の模様や色彩に初夏の雰囲気が表れています。
伊東深水 「吉野太夫」 1966年

吉野太夫は江戸初期の京都の廓を代表するといわれた太夫とのことです。
廓の桜を見て、「ここにさえさぞな吉野は花盛り」と読んだことからこの名が付きました。
立兵庫という、上に伸ばした独特の髪形で、吉野太夫の逸話に因んで、
満開の桜花を背景に立っています。
桐や扇面散らしの模様で埋め尽くされた打掛や小袖の輪郭線は、リズムを
持って交差しています。
手前の禿(かむろ)が茶入や香合を載せた盆を差し出しているのは、吉野太夫が
茶道など諸芸に秀でていたことを示しているのでしょう。
伊東深水(1898-1972)は深川の生まれで、鏑木清方に師事しています。
村上華岳 「裸婦図」 1920年 重要文化財

村上華岳(1888-1939)の初期の代表作です。
イタリア絵画風の背景で、女性の輪郭線に影を付けて立体感を出しています。
一方で、上半身は正面を向き平面的に描かれていて、西洋と東洋の融合を
図っていることが分かります。
後の、菩薩を描いた仏画シリーズの基となる、聖性と女性美とを兼ね備えた作品です。
1918年に京都市立絵画専門学校の同窓だった村上華岳や土田麦僊、小野竹喬たちは
新しい日本画を目指して、国画創作協会を設立しています。
その後、仲間である土田麦僊や小野竹喬たちが渡欧しているのに対し、病弱だった
村上華岳は渡欧を果たしていません。
それもあって、西洋の技法や表現をただ模倣するのではなく、西洋と東洋の精神の
在り方の違いを意識し、その融合を目指しています。
小倉遊亀 「舞う(舞妓)」 1971年

振袖姿の若い舞妓が金の扇をかざして、誇らしげに振り返った
瞬間をとらえています。
赤紫色の振袖の柄は梅、牡丹、紅葉、菊、南天など四季の草花をあしらって
賑やかです。
赤い帯は菊の模様で、襦袢の赤、足袋の白も見えます。
髪飾りも多く、金、銀、赤をあしらっています。
顔は日本画独特の、すっきりと美しい線描で表しています。
色彩を多く使い、若々しく、華やかな姿を生き生きと描いた作品です。
小倉遊亀 「舞う(芸者)」 1972年

芸者が扇を帯に差し、右袖を抱え、左手を髪に添え、
首を少しかしげて振り返っています。
「舞う(舞妓)」と対称になる姿勢です。
芸者の着物はあっさりした竹と流水の柄の黒留袖、白の帯も竹の柄です。
襟元の襦袢と帯の端に見える赤色がアクセントになっています。
眉のあたりの影、口許の形で舞妓との年齢の違いや、心意気を表し、
全体として色数を少なく、すっきりと描くことで芸者の粋な姿を描き出しています。
京都絵美 「ゆめうつつ」 2016年

「Seed 山種美術館アワード2016」展での大賞受賞作です。
更紗を着た女性が夢を見ているような表情で、漂うように浮かび上がっています。
肌の色の濃淡やペイズリーの柄によって、日本画には珍しい立体感のある作品です。
京都絵美(みやこえみ)さん(1981-)は福岡県出身で、日本美術院院友、創作と
仏教絵画の研究を行なっています。
山種美術館のHPです。
次回の展覧会は特別展、「桜 さくら SAKURA 2020-美術館でお花見!-」です。
3月14日(土)から5月10日(日)までです。
表参道
南青山の根津美術館では企画展、「〈対〉で見る絵画」が開かれています。
会期は2月11日(火・祝)までです。

複数の掛軸で構成する対幅や、右隻と左隻で1双になる屏風など、
「対」の面白さに注目した展示です。
「梟鶏図」 2幅 狩野山雪筆 江戸時代 17世紀



夜のフクロウのとぼけた目、朝のニワトリの鋭い目、上から下に向かい
大きく曲がる松、下から上に直線的に延びる屋根と竹が対照的です。
フクロウとニワトリの配置も絶妙です。
狩野山雪(1590ー1651)は京狩野の狩野山楽の婿養子で、斬新な構図や
動物の表情に特徴があります。
「龍虎図屏風」 雪村周継筆 6曲1双 室町時代 16世紀
右隻:部分

龍が唸り、雲が湧き、波が逆立っています。
左隻

虎が吼えて起こす強風で竹がなぎ倒されています。
どこかのどかな顔の虎ではあります。
通常は龍虎を左右両隻の端に寄せて描くところ、それぞれの中心に置いて、
迫力を出しているそうです。
河と海の水流と翻波が二つの空間を一つにしています。
雪村は戦国時代の絵師で、幼少時に禅寺に入り、関東地方を中心に活動しています。
雪舟を尊敬していたそうですが、画風は異なり、おおらかでとぼけています。
「吉野龍田図屏風」 6曲1双 江戸時代 17世紀

右隻

左隻

右隻は吉野の桜、左隻は龍田川の紅葉という和歌の名所を描いた屏風で、
桜の花弁は胡粉を厚く塗って盛り上げ、豪華に仕上げています。
枝に結ばれた短冊には、古今和歌集と玉葉和歌集に載せられた歌が数首、
書かれています。
ことしより春しりそむる桜かなちるといふことはならはざらなむ
紀貫之 古今和歌集
龍田川もみじばながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし
詠み人知らず 古今和歌集
「夏草図屏風」 尾形光琳筆 2曲1双 江戸時代 18世紀 根津美術館

左下から右上に向かって、30種類もの夏の草花がびっしり並んで描かれています。
琳派の屏風は左右を入れ替えても鑑賞できるそうですが、これは1隻の屏風の
ようになっています。
「太公望・花鳥図」 楊月筆 3幅 室町時代 15世紀

中に呂尚、右に柳とヒヨドリ、左に椿とジョウビタキが描かれています。
呂尚は古代中国の斉の創始者で、釣を好んだとされています。
三幅対は仏画の三尊像を踏襲したと思われるそうです。
「風俗図」 3幅 江戸時代 17世紀 重要美術品

中の遊女を挟んで、左右の刀を落とし差しにした色男が意味ありげな視線を
送っている三幅対です。
遊女は三味線を持った禿を従え、唐輪髷を結った、貫禄のある姿です。
打掛には水車を豪快に描き出し、小袖の柄とも合わせ、裏地の赤も華やかです。
水車は宇治の名物なので、伝説の宇治の橋姫を連想させます。
「寿老・四季山水図」 池大雅筆 5幅 江戸時代 宝暦11年(1761) 出光美術館蔵

中央に福禄寿、左右に四季山水を配置しています。
5幅あるので、いろいろな組合せで楽しむことができます。
福禄寿の杖は「寿」の字になっています。
展示室5は新春恒例の「百椿図」と子年にちなんだ軸物などの展示です。
「鼠短檠(ねずみたんけい)」 江戸時代 18~19世紀

鼠短檠は灯明の一種で、鼠と灯明皿はパイプでつながっており、灯明皿の油が減ると
パイプに空気が入り、その空気圧で鼠の口から体内に貯めてある油が滴り落ちる
仕掛けになっています。
「百椿図」 伝 狩野山楽筆 2巻 日本・江戸時代 17世紀
「百椿図 本之巻」

「百椿図 末之巻」

播磨明石藩藩主、松平忠国(1597~1659)の注文で狩野山楽が描いたとされる
椿の絵で、2巻併せて約24mあり、100種類以上もの椿を描き並べています。
忠国とその子の信之(1631-86)がそれぞれの花に著名人に漢詩や和歌の賛を
書いてもらっています。
大名の松平忠国、徳川光圀、加藤明友(加藤嘉明の孫)と、烏丸光広、北村季吟、
西山宗因、松花堂昭乗、林羅山など49人が賛を寄せています。
鼠も一緒に描かれています。

展示室6のテーマは「初月の茶会」です。
「小松引図」(部分) 冷泉為恭筆 江戸時代 19世紀

小松引は正月最初の子の日に野の小松を引いて長寿を願う平安時代の行事です。
みやびな行事で、よく画題にもなっています。
掛軸で、上の方には峰の松が描かれています。
冷泉為恭(1823~64)は幕末の絵師で、大和絵に優れ、王朝文化を題材にした作品を
多く描いています。
「金襴手牡丹唐草文花入」 景徳鎮窯 明時代 16世紀 重要文化財

亀甲文、龍文、寿字文で埋めた中に金彩で牡丹を描いた、正月らしい華やかな器です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は特別展、「虎屋のおひなさま」です。
会期は2月22日(土)から3月29日(日)までです。

chariot
南青山の根津美術館では企画展、「〈対〉で見る絵画」が開かれています。
会期は2月11日(火・祝)までです。

複数の掛軸で構成する対幅や、右隻と左隻で1双になる屏風など、
「対」の面白さに注目した展示です。
「梟鶏図」 2幅 狩野山雪筆 江戸時代 17世紀



夜のフクロウのとぼけた目、朝のニワトリの鋭い目、上から下に向かい
大きく曲がる松、下から上に直線的に延びる屋根と竹が対照的です。
フクロウとニワトリの配置も絶妙です。
狩野山雪(1590ー1651)は京狩野の狩野山楽の婿養子で、斬新な構図や
動物の表情に特徴があります。
「龍虎図屏風」 雪村周継筆 6曲1双 室町時代 16世紀
右隻:部分

龍が唸り、雲が湧き、波が逆立っています。
左隻

虎が吼えて起こす強風で竹がなぎ倒されています。
どこかのどかな顔の虎ではあります。
通常は龍虎を左右両隻の端に寄せて描くところ、それぞれの中心に置いて、
迫力を出しているそうです。
河と海の水流と翻波が二つの空間を一つにしています。
雪村は戦国時代の絵師で、幼少時に禅寺に入り、関東地方を中心に活動しています。
雪舟を尊敬していたそうですが、画風は異なり、おおらかでとぼけています。
「吉野龍田図屏風」 6曲1双 江戸時代 17世紀

右隻

左隻

右隻は吉野の桜、左隻は龍田川の紅葉という和歌の名所を描いた屏風で、
桜の花弁は胡粉を厚く塗って盛り上げ、豪華に仕上げています。
枝に結ばれた短冊には、古今和歌集と玉葉和歌集に載せられた歌が数首、
書かれています。
ことしより春しりそむる桜かなちるといふことはならはざらなむ
紀貫之 古今和歌集
龍田川もみじばながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし
詠み人知らず 古今和歌集
「夏草図屏風」 尾形光琳筆 2曲1双 江戸時代 18世紀 根津美術館

左下から右上に向かって、30種類もの夏の草花がびっしり並んで描かれています。
琳派の屏風は左右を入れ替えても鑑賞できるそうですが、これは1隻の屏風の
ようになっています。
「太公望・花鳥図」 楊月筆 3幅 室町時代 15世紀

中に呂尚、右に柳とヒヨドリ、左に椿とジョウビタキが描かれています。
呂尚は古代中国の斉の創始者で、釣を好んだとされています。
三幅対は仏画の三尊像を踏襲したと思われるそうです。
「風俗図」 3幅 江戸時代 17世紀 重要美術品

中の遊女を挟んで、左右の刀を落とし差しにした色男が意味ありげな視線を
送っている三幅対です。
遊女は三味線を持った禿を従え、唐輪髷を結った、貫禄のある姿です。
打掛には水車を豪快に描き出し、小袖の柄とも合わせ、裏地の赤も華やかです。
水車は宇治の名物なので、伝説の宇治の橋姫を連想させます。
「寿老・四季山水図」 池大雅筆 5幅 江戸時代 宝暦11年(1761) 出光美術館蔵

中央に福禄寿、左右に四季山水を配置しています。
5幅あるので、いろいろな組合せで楽しむことができます。
福禄寿の杖は「寿」の字になっています。
展示室5は新春恒例の「百椿図」と子年にちなんだ軸物などの展示です。
「鼠短檠(ねずみたんけい)」 江戸時代 18~19世紀

鼠短檠は灯明の一種で、鼠と灯明皿はパイプでつながっており、灯明皿の油が減ると
パイプに空気が入り、その空気圧で鼠の口から体内に貯めてある油が滴り落ちる
仕掛けになっています。
「百椿図」 伝 狩野山楽筆 2巻 日本・江戸時代 17世紀
「百椿図 本之巻」

「百椿図 末之巻」

播磨明石藩藩主、松平忠国(1597~1659)の注文で狩野山楽が描いたとされる
椿の絵で、2巻併せて約24mあり、100種類以上もの椿を描き並べています。
忠国とその子の信之(1631-86)がそれぞれの花に著名人に漢詩や和歌の賛を
書いてもらっています。
大名の松平忠国、徳川光圀、加藤明友(加藤嘉明の孫)と、烏丸光広、北村季吟、
西山宗因、松花堂昭乗、林羅山など49人が賛を寄せています。
鼠も一緒に描かれています。

展示室6のテーマは「初月の茶会」です。
「小松引図」(部分) 冷泉為恭筆 江戸時代 19世紀

小松引は正月最初の子の日に野の小松を引いて長寿を願う平安時代の行事です。
みやびな行事で、よく画題にもなっています。
掛軸で、上の方には峰の松が描かれています。
冷泉為恭(1823~64)は幕末の絵師で、大和絵に優れ、王朝文化を題材にした作品を
多く描いています。
「金襴手牡丹唐草文花入」 景徳鎮窯 明時代 16世紀 重要文化財

亀甲文、龍文、寿字文で埋めた中に金彩で牡丹を描いた、正月らしい華やかな器です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は特別展、「虎屋のおひなさま」です。
会期は2月22日(土)から3月29日(日)までです。

神保町
「ミカフェート 一ツ橋店」に行ってきました。
場所は千代田区一ツ橋2-3-1 で小学館ビルの1階です。

コーヒーハンター川島良彰さんのお店で、神保町に行った時はよく利用しています。
40席とカウンター20席ほどの店内は全席禁煙、壁はコンクリート打ちっ放しで、
すっきりとシンプルなつくりで、BGMが心地良く響いていました。


オレンジマーマレードのファーブルトン410円と本日のコーヒー620円は
セットで50円引きになります。

ファーブルトンはブルターニュ地方のお菓子で、しっかりした弾力のある
プリンといった感じです。
本日のコーヒーのアントニエタマラゴジッペはエルサルバドルのコーヒーで、
やわらかな酸味があります。
右はアントニエタマラゴジッペの、左はグアテマラのサンミゲルのカードです。

ミカフェートにほど近いお茶の水橋の改修工事に伴い、表面のアスファルトが
剥がされて、昔走っていた都電錦町線の線路跡が見えるようになりました。
都電錦町線は戦時中の1944年に廃止が決まった路線です。
なお、東京が市から都になったのは1943年で、当時は市電と
呼ばれていました。

1番右側のレール1本はすでに撤去されています。
敷石と地中に埋め込まれたレールも見えますが、これから掘り出され、
撤去される予定です。


現に夢見る君の
神田は想い出の街
今もこの胸にこの胸に
ニコライの鐘も鳴る
楽し都恋の都
夢のパラダイスよ花の東京
東京ラプソディ(1936年、作詞:門田ゆたか 作曲:古賀政男 歌:藤山一郎)より
靖国通りには1月18日、19日に開かれていた第19回神田小川町雪だるまフェアで
作られた雪だるまたちが並んでいました。
アーツ千代田3331

神田消防署

若狭家

岩瀬歯科商会

chariot
「ミカフェート 一ツ橋店」に行ってきました。
場所は千代田区一ツ橋2-3-1 で小学館ビルの1階です。

コーヒーハンター川島良彰さんのお店で、神保町に行った時はよく利用しています。
40席とカウンター20席ほどの店内は全席禁煙、壁はコンクリート打ちっ放しで、
すっきりとシンプルなつくりで、BGMが心地良く響いていました。


オレンジマーマレードのファーブルトン410円と本日のコーヒー620円は
セットで50円引きになります。

ファーブルトンはブルターニュ地方のお菓子で、しっかりした弾力のある
プリンといった感じです。
本日のコーヒーのアントニエタマラゴジッペはエルサルバドルのコーヒーで、
やわらかな酸味があります。
右はアントニエタマラゴジッペの、左はグアテマラのサンミゲルのカードです。

ミカフェートにほど近いお茶の水橋の改修工事に伴い、表面のアスファルトが
剥がされて、昔走っていた都電錦町線の線路跡が見えるようになりました。
都電錦町線は戦時中の1944年に廃止が決まった路線です。
なお、東京が市から都になったのは1943年で、当時は市電と
呼ばれていました。

1番右側のレール1本はすでに撤去されています。
敷石と地中に埋め込まれたレールも見えますが、これから掘り出され、
撤去される予定です。


現に夢見る君の
神田は想い出の街
今もこの胸にこの胸に
ニコライの鐘も鳴る
楽し都恋の都
夢のパラダイスよ花の東京
東京ラプソディ(1936年、作詞:門田ゆたか 作曲:古賀政男 歌:藤山一郎)より
靖国通りには1月18日、19日に開かれていた第19回神田小川町雪だるまフェアで
作られた雪だるまたちが並んでいました。
アーツ千代田3331

神田消防署

若狭家

岩瀬歯科商会

乃木坂
六本木の国立新美術館では「DOMANI・明日2020」展が開かれています。
会期は3月3日(日)まで、火曜日は休館日です。

「DOMANI・明日展」は文化庁が1967年度から実施している、若手芸術家を
研修のため海外に派遣する、「新進芸術家海外留学制度(芸術家在外研修)」の
成果を発表する展覧会で、毎年この時期に開かれています。
今回は22回目、「傷ついた風景の向こうに」をサブタイトルにして、海外留学制度で
派遣されたアーティスト以外の人作品も展示されています。
これは、東京オリンピック・パラリンピック年にあたり国の行なう「日本博2020」のプ
ログラムに参画する特別版としての企画です。
会場は撮影可能です。
石内都(1947~)
「Scars」 シリーズ

文字通り、人の体に付けられた傷跡の写真です。
米田知子(1965~)
「Scene」 シリーズ
かつての戦場の現在の光景です。
第一次世界大戦で激戦のあったフランスのソンムの畑

第ニ次世界大戦のノルマンディー上陸作戦でイギリス軍が上陸したソードビーチ

サイパン上陸作戦で追い詰められた在留邦人が飛び込んだ崖(バンザイクリフ)に
続く続く道

藤岡亜弥(1972~) 2007年派遣 アメリカ(ニューヨーク)
「川はゆく」
広島の原爆ドーム周辺の現在です。



森淳一(1965~) 2016年派遣 イタリア(ミラノ)
「山影」

長崎の地形を大理石で彫り出しています。
広島は扇状地で平らなため、完全に破壊されましたが、長崎は山に囲まれた
地形なので、広島に比べ被害が少なくなっています。
若林奮(1936~2003) 1973年派遣 フランス(パリ)ほか
「緑の森の一角獣座 模型」

銅板で囲った箱庭です。
栗林慧(1939~)
栗林隆(1968~) 2014年派遣 インドネシア(ジャカルタ)
「我々の宇宙」
昆虫の超拡大写真です。


カマキリがバッタを食べる動画も上映されています。
佐藤雅晴(1973~2019)
「福島行」
震災後の福島を写した動画です。


日高理恵子(1958~) 1995年派遣 ドイツ(ミュンスター、ケルン)
日高さんは黒の岩絵具で下から見上げた樹木を描いています。



宮永愛子(1974~) 2007年派遣 イギリス(エジンバラ)
「景色のはじまり」


何万枚もの金木犀の葉をつなぎ合わせた、長くて大きな布のような作品が
新美術館の高い天井から吊り下げられ、淡い金色に輝いています。
畠山直哉(1958~)
「untitled(tsunami trees)」シリーズ
東日本大震災で津波の被害を受けた地域の木です。
岩手県大船渡市

宮城県亘理町

福島県南相馬市

今回は戦災、震災をテーマにした写真や動画作品の多い展示でした。
2019年の「21th DOMANI・明日展」の記事です。
展覧会のHPです。
chariot
六本木の国立新美術館では「DOMANI・明日2020」展が開かれています。
会期は3月3日(日)まで、火曜日は休館日です。

「DOMANI・明日展」は文化庁が1967年度から実施している、若手芸術家を
研修のため海外に派遣する、「新進芸術家海外留学制度(芸術家在外研修)」の
成果を発表する展覧会で、毎年この時期に開かれています。
今回は22回目、「傷ついた風景の向こうに」をサブタイトルにして、海外留学制度で
派遣されたアーティスト以外の人作品も展示されています。
これは、東京オリンピック・パラリンピック年にあたり国の行なう「日本博2020」のプ
ログラムに参画する特別版としての企画です。
会場は撮影可能です。
石内都(1947~)
「Scars」 シリーズ

文字通り、人の体に付けられた傷跡の写真です。
米田知子(1965~)
「Scene」 シリーズ
かつての戦場の現在の光景です。
第一次世界大戦で激戦のあったフランスのソンムの畑

第ニ次世界大戦のノルマンディー上陸作戦でイギリス軍が上陸したソードビーチ

サイパン上陸作戦で追い詰められた在留邦人が飛び込んだ崖(バンザイクリフ)に
続く続く道

藤岡亜弥(1972~) 2007年派遣 アメリカ(ニューヨーク)
「川はゆく」
広島の原爆ドーム周辺の現在です。



森淳一(1965~) 2016年派遣 イタリア(ミラノ)
「山影」

長崎の地形を大理石で彫り出しています。
広島は扇状地で平らなため、完全に破壊されましたが、長崎は山に囲まれた
地形なので、広島に比べ被害が少なくなっています。
若林奮(1936~2003) 1973年派遣 フランス(パリ)ほか
「緑の森の一角獣座 模型」

銅板で囲った箱庭です。
栗林慧(1939~)
栗林隆(1968~) 2014年派遣 インドネシア(ジャカルタ)
「我々の宇宙」
昆虫の超拡大写真です。


カマキリがバッタを食べる動画も上映されています。
佐藤雅晴(1973~2019)
「福島行」
震災後の福島を写した動画です。


日高理恵子(1958~) 1995年派遣 ドイツ(ミュンスター、ケルン)
日高さんは黒の岩絵具で下から見上げた樹木を描いています。



宮永愛子(1974~) 2007年派遣 イギリス(エジンバラ)
「景色のはじまり」


何万枚もの金木犀の葉をつなぎ合わせた、長くて大きな布のような作品が
新美術館の高い天井から吊り下げられ、淡い金色に輝いています。
畠山直哉(1958~)
「untitled(tsunami trees)」シリーズ
東日本大震災で津波の被害を受けた地域の木です。
岩手県大船渡市

宮城県亘理町

福島県南相馬市

今回は戦災、震災をテーマにした写真や動画作品の多い展示でした。
2019年の「21th DOMANI・明日展」の記事です。
展覧会のHPです。
馬車道
「バニラビーンズ ザ ロースタリー」は横浜ハンマーヘッド新港ふ頭ターミナルの
2階にあります。
横浜ハンマーヘッド新港ふ頭ターミナルは2019年10月にオープンした、大型客船用
ターミナルを中心にした複合施設です。
場所は横浜市中区新港2-14-1です。
万国橋通りのチョコレート専門店、「バニラビーンズみなとみらい本店」の
支店です。
店内は70席あって広く、全席禁煙、窓からふ頭の向こうの横浜の景色や
湾内をめぐる遊覧船が見えます。


チョコレートケーキと紅茶のセット990円です。

チョコレートの専門店だけあって、チョコレートケーキは濃厚で美味しいです。
カフェラテ660円にはポルボローネが付きます。

横浜ハンマーヘッドの名前の由来となった、1914年にイギリスから輸入した
ハンマーヘッドクレーンで、カナヅチの形をしています。
現在は経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。

横浜ハンマーヘッドのオープンで、馬車道辺りの観光ポイントが増えました。
他にもいろいろなお店が入っていて、同じ2階にある「ピーターラビットカフェ」では、
ピーターラビットがマクレガーさんの畑のニンジンをかじっています。

chariot
「バニラビーンズ ザ ロースタリー」は横浜ハンマーヘッド新港ふ頭ターミナルの
2階にあります。
横浜ハンマーヘッド新港ふ頭ターミナルは2019年10月にオープンした、大型客船用
ターミナルを中心にした複合施設です。
場所は横浜市中区新港2-14-1です。
万国橋通りのチョコレート専門店、「バニラビーンズみなとみらい本店」の
支店です。
店内は70席あって広く、全席禁煙、窓からふ頭の向こうの横浜の景色や
湾内をめぐる遊覧船が見えます。


チョコレートケーキと紅茶のセット990円です。

チョコレートの専門店だけあって、チョコレートケーキは濃厚で美味しいです。
カフェラテ660円にはポルボローネが付きます。

横浜ハンマーヘッドの名前の由来となった、1914年にイギリスから輸入した
ハンマーヘッドクレーンで、カナヅチの形をしています。
現在は経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。

横浜ハンマーヘッドのオープンで、馬車道辺りの観光ポイントが増えました。
他にもいろいろなお店が入っていて、同じ2階にある「ピーターラビットカフェ」では、
ピーターラビットがマクレガーさんの畑のニンジンをかじっています。

上野
上野の東京都美術館では「ハマスホイとデンマーク絵画」展が開かれています。
会期は3月26日(木)までです。

静謐な室内画で知られるデンマークの画家、ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864–1916)と、
同時代のデンマークの画家たちの作品が展示されています。
第1章 日常礼賛─デンマーク絵画の黄金期
19世紀前半のデンマーク絵画は「黄金期」と呼ばれ、身の回りの自然や日常の生活を
題材にしていたそうです。
フランスではアカデミック絵画の時代であり、一方でバルビゾン派が活動した頃に
当たります。
クレステン・クプゲ 「カステレズ北門の眺め」
1833–34年 ヒアシュプロング・コレクション

何気ない景色を明るく、おだやかな色調で描いています。
クレステン・クプゲ(1810-1848)はパン職人の子で、コペンハーゲンの自宅付近の
風景を描いています。
クレステン・クプゲ 「海岸通りと入り江の風景、静かな夏の午後」
1837年 デンマーク国立美術館蔵

柔らかな光が表され、野原の草まで細密に描き込まれています。
第2章 スケーイン派と北欧の光
スケーインはデンマーク最北端の漁師町で、1870年代になると注目され、
画家たちが集まって「スケーイン派」が形成されます。
都市の喧騒を厭い、素朴な地方にあこがれるのはバルビゾン派に似た
ところがあります。
ミケール・アンガ(ミカエル・アンカー) 「ボートを漕ぎ出す漁師たち」
1881年 スケーイン美術館

ミケール・アンガ(1849-1927)はスケ―インを愛し、1880年に移り住んで、
生涯を過ごしています。
厳しい環境の中で生活する漁師たちを描いた作品で知られ、北の海の荒々しさと、
それに立ち向かう男たちの力強さを表す作品を描いています。
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア(ペーダー・セヴェリン・クロヤー)
「スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア」
1893年 ヒアシュプロング・コレクション蔵

P.S.クロイア(1851-1909)はスケ―イン派の中心とされる画家で、海辺の情景などを
描いています。
印象派の影響を受け、光を意識して、夕暮れ時の「青い時間」をよく描いています。
また、ハンマスホイの絵の指導も行なっています。
アンナはミケールの妻、マリーイはピーザの妻ですが、画家の関心は砂浜と
そこに付いた足跡に当たる光や影のようです。
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア 「朝食-画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン」
1893年 ヒアシュプロング・コレクション蔵

なごやかな室内情景も描いています。
2017年には国立西洋美術館で「スケ―エン デンマークの芸術家村」展が
開かれ、アンガやクロイアなどの作品が展示されていました。
「スケ―エン デンマークの芸術家村」展の記事です。
第3章 19世紀末のデンマーク絵画─国際化と室内画の隆盛
1880年代以降のコペンハーゲンでは、デンマーク人の大切にする「hygge(ヒュゲ、
くつろいだ心地良い雰囲気)」を表すものとして、画家の自宅の室内を描いた作品が
人気を得ていたそうです。
ヴィゴ・ヨハンスン 「きよしこの夜」 1891年 ヒアシュプロング・コレクション蔵

1890年のクリスマスイブのヨハンスン家の情景で、家族がクリスマスツリーを囲んで
回りながら、歌い踊っています。
ヴィゴ・ヨハンスン(1851-1935)は子沢山だったようです。
まだ豆電球の無い頃ですから、ろうそくを灯していて、木の周りを踊って回るというのは
キリスト教以前の異教の文化を感じます。
ヴィゴ・ヨハンスン 「春の草花を描く子供たち」 1894年 スケーイン美術館蔵

テーブルを囲み、思い思いに熱中していて、春の訪れを喜ぶ気持ちが表れています。
ピーダ・イルステズ 「ピアノに向かう少女」 1897年 アロス・オーフース美術館蔵

ピーダ・イルステズ(1861-1933)はハマスホイの妻、イーダの兄で、
よく自分の子を描いています。
窓からの光と家具調度の配置を意識しています。
ピーダ・イルステズ 「縫物をする少女」 1898-1902年 リーベ美術館蔵

床に足の届かない椅子に座った可愛い女の子が縫物をしています。
髪や頬には窓からの光が当たっています。
フェルメールなどのオランダ風俗画の影響も感じられます。
カール・ホルスーウ 「読書する女性のいる室内」
1913年以前 アロス・オーフース美術館蔵

カール・ホルスーウ(1863-1935)はクロイアに学び、ハマスホイと親交があった画家です。
家族の情景というより、室内の家具などの配置に関心を持った、構成的な作品を
描いています。
第4章 ヴィルヘルム・ハマスホイ−首都の静寂のなかで
ハマスホイはコペンハーゲンで生まれ、ほとんどの時期を過ごし、亡くなっています。
デルフトで生涯を過ごしたフェルメールと似ています。
デンマークの画家の日本語表記はいろいろあって、ハマスホイも他にハンマースホイ、
ハメルショイなどがあります。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「画家と妻の肖像、パリ」
1892年 デーヴィズ・コレクション蔵

ハマスホイは1892年にイーダと結婚しています。
後の作品のモデルとなったイーダはつつましやかな表情をしています。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「農場の家屋、レスネス」
1900年 デーヴィズ・コレクション蔵

室内画で有名なハマスホイですが、風景画も描いています。
レスネスはコペンハーゲンのあるシェラン島の西側にあります。
煙突から真っ直ぐ煙が上がっていて、人がいる筈ですが、その姿もなく
静まり返っています。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「ライラの風景」 1905年 スウェーデン国立美術館蔵

ライラはシェラン島の中心にあります。
小さな雲が並び、丘が波打つ、造形的な風景です。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「聖ペテロ聖堂」 1906年 デンマーク国立美術館蔵

大きな作品で、コペンハーゲンにある教会です。
Googleのストリートビューを見ると、ハマスホイの住んだ家や教会の佇まいが
今も同じ形で残っているのが分かります。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「室内」 1898年 スウェーデン国立美術館蔵

1897年から1898年にかけてロンドンに仮住まいしていた時の作品ですが、
抑えた色調で描かれた静かな室内、背中を向けた妻のイーダといった題材や
描き方は同じです。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「背を向けた若い女性のいる室内」
1903-04年 ラナス美術館蔵

1898年から1909年まで住んだ、ストランゲーゼ30番地のアパートでの作品です。
よく整えられた画面で、音もなく静かです。
ここに描かれたロイヤルコペンハーゲンのパンチボウルも展示されていますが、
蓋が割れたのを継いであるので、蓋は少し浮いています。
絵ではその浮いているところまで描き入れています。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「室内―開いた扉、ストランゲーゼ30番地」
1905年 デーヴィズ・コレクション蔵

家具のまったく無い室内で、床の染みも描かれています。
ドアの上の方がゆがんでいるのは、カンヴァスを引っ張りすぎたためだそうです。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「室内―陽光習作、ストランゲーゼ30番地」
1906年 デーヴィズ・コレクション蔵

同じ家のドアと窓だけを描いていて、光の具合を確かめているようです。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」
1910年 国立西洋美術館蔵

部屋の奥の人物、左からの光など、フェルメールを思わせますが、物語性は
全くありません。
テーブルに置かれたトレイも今回、展示されています。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「カード・テーブルと鉢植えのある室内、
ブレズゲーゼ25番地」 1910-11年 マルムー美術館蔵

ドア、窓、家具などの配置はよく考えられた、ゆるぎの無い空間です。
親密な雰囲気の室内を描くというと、フランスのドニ、ボナール、ヴュイヤールなどの
親密派(アンティミスト)を思い出します。
デンマークでは造形的に室内を描くイルステズやホルスーウなどが居て、
ハマスホイの画風につながったことが分かります。
ハマスホイやスケーイン派など、この時代のデンマーク絵画は親しみやすく、
好もしいものがあります。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京都美術館では「ハマスホイとデンマーク絵画」展が開かれています。
会期は3月26日(木)までです。

静謐な室内画で知られるデンマークの画家、ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864–1916)と、
同時代のデンマークの画家たちの作品が展示されています。
第1章 日常礼賛─デンマーク絵画の黄金期
19世紀前半のデンマーク絵画は「黄金期」と呼ばれ、身の回りの自然や日常の生活を
題材にしていたそうです。
フランスではアカデミック絵画の時代であり、一方でバルビゾン派が活動した頃に
当たります。
クレステン・クプゲ 「カステレズ北門の眺め」
1833–34年 ヒアシュプロング・コレクション

何気ない景色を明るく、おだやかな色調で描いています。
クレステン・クプゲ(1810-1848)はパン職人の子で、コペンハーゲンの自宅付近の
風景を描いています。
クレステン・クプゲ 「海岸通りと入り江の風景、静かな夏の午後」
1837年 デンマーク国立美術館蔵

柔らかな光が表され、野原の草まで細密に描き込まれています。
第2章 スケーイン派と北欧の光
スケーインはデンマーク最北端の漁師町で、1870年代になると注目され、
画家たちが集まって「スケーイン派」が形成されます。
都市の喧騒を厭い、素朴な地方にあこがれるのはバルビゾン派に似た
ところがあります。
ミケール・アンガ(ミカエル・アンカー) 「ボートを漕ぎ出す漁師たち」
1881年 スケーイン美術館

ミケール・アンガ(1849-1927)はスケ―インを愛し、1880年に移り住んで、
生涯を過ごしています。
厳しい環境の中で生活する漁師たちを描いた作品で知られ、北の海の荒々しさと、
それに立ち向かう男たちの力強さを表す作品を描いています。
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア(ペーダー・セヴェリン・クロヤー)
「スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア」
1893年 ヒアシュプロング・コレクション蔵

P.S.クロイア(1851-1909)はスケ―イン派の中心とされる画家で、海辺の情景などを
描いています。
印象派の影響を受け、光を意識して、夕暮れ時の「青い時間」をよく描いています。
また、ハンマスホイの絵の指導も行なっています。
アンナはミケールの妻、マリーイはピーザの妻ですが、画家の関心は砂浜と
そこに付いた足跡に当たる光や影のようです。
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア 「朝食-画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン」
1893年 ヒアシュプロング・コレクション蔵

なごやかな室内情景も描いています。
2017年には国立西洋美術館で「スケ―エン デンマークの芸術家村」展が
開かれ、アンガやクロイアなどの作品が展示されていました。
「スケ―エン デンマークの芸術家村」展の記事です。
第3章 19世紀末のデンマーク絵画─国際化と室内画の隆盛
1880年代以降のコペンハーゲンでは、デンマーク人の大切にする「hygge(ヒュゲ、
くつろいだ心地良い雰囲気)」を表すものとして、画家の自宅の室内を描いた作品が
人気を得ていたそうです。
ヴィゴ・ヨハンスン 「きよしこの夜」 1891年 ヒアシュプロング・コレクション蔵

1890年のクリスマスイブのヨハンスン家の情景で、家族がクリスマスツリーを囲んで
回りながら、歌い踊っています。
ヴィゴ・ヨハンスン(1851-1935)は子沢山だったようです。
まだ豆電球の無い頃ですから、ろうそくを灯していて、木の周りを踊って回るというのは
キリスト教以前の異教の文化を感じます。
ヴィゴ・ヨハンスン 「春の草花を描く子供たち」 1894年 スケーイン美術館蔵

テーブルを囲み、思い思いに熱中していて、春の訪れを喜ぶ気持ちが表れています。
ピーダ・イルステズ 「ピアノに向かう少女」 1897年 アロス・オーフース美術館蔵

ピーダ・イルステズ(1861-1933)はハマスホイの妻、イーダの兄で、
よく自分の子を描いています。
窓からの光と家具調度の配置を意識しています。
ピーダ・イルステズ 「縫物をする少女」 1898-1902年 リーベ美術館蔵

床に足の届かない椅子に座った可愛い女の子が縫物をしています。
髪や頬には窓からの光が当たっています。
フェルメールなどのオランダ風俗画の影響も感じられます。
カール・ホルスーウ 「読書する女性のいる室内」
1913年以前 アロス・オーフース美術館蔵

カール・ホルスーウ(1863-1935)はクロイアに学び、ハマスホイと親交があった画家です。
家族の情景というより、室内の家具などの配置に関心を持った、構成的な作品を
描いています。
第4章 ヴィルヘルム・ハマスホイ−首都の静寂のなかで
ハマスホイはコペンハーゲンで生まれ、ほとんどの時期を過ごし、亡くなっています。
デルフトで生涯を過ごしたフェルメールと似ています。
デンマークの画家の日本語表記はいろいろあって、ハマスホイも他にハンマースホイ、
ハメルショイなどがあります。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「画家と妻の肖像、パリ」
1892年 デーヴィズ・コレクション蔵

ハマスホイは1892年にイーダと結婚しています。
後の作品のモデルとなったイーダはつつましやかな表情をしています。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「農場の家屋、レスネス」
1900年 デーヴィズ・コレクション蔵

室内画で有名なハマスホイですが、風景画も描いています。
レスネスはコペンハーゲンのあるシェラン島の西側にあります。
煙突から真っ直ぐ煙が上がっていて、人がいる筈ですが、その姿もなく
静まり返っています。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「ライラの風景」 1905年 スウェーデン国立美術館蔵

ライラはシェラン島の中心にあります。
小さな雲が並び、丘が波打つ、造形的な風景です。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「聖ペテロ聖堂」 1906年 デンマーク国立美術館蔵

大きな作品で、コペンハーゲンにある教会です。
Googleのストリートビューを見ると、ハマスホイの住んだ家や教会の佇まいが
今も同じ形で残っているのが分かります。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「室内」 1898年 スウェーデン国立美術館蔵

1897年から1898年にかけてロンドンに仮住まいしていた時の作品ですが、
抑えた色調で描かれた静かな室内、背中を向けた妻のイーダといった題材や
描き方は同じです。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「背を向けた若い女性のいる室内」
1903-04年 ラナス美術館蔵

1898年から1909年まで住んだ、ストランゲーゼ30番地のアパートでの作品です。
よく整えられた画面で、音もなく静かです。
ここに描かれたロイヤルコペンハーゲンのパンチボウルも展示されていますが、
蓋が割れたのを継いであるので、蓋は少し浮いています。
絵ではその浮いているところまで描き入れています。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「室内―開いた扉、ストランゲーゼ30番地」
1905年 デーヴィズ・コレクション蔵

家具のまったく無い室内で、床の染みも描かれています。
ドアの上の方がゆがんでいるのは、カンヴァスを引っ張りすぎたためだそうです。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「室内―陽光習作、ストランゲーゼ30番地」
1906年 デーヴィズ・コレクション蔵

同じ家のドアと窓だけを描いていて、光の具合を確かめているようです。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」
1910年 国立西洋美術館蔵

部屋の奥の人物、左からの光など、フェルメールを思わせますが、物語性は
全くありません。
テーブルに置かれたトレイも今回、展示されています。
ヴィルヘルム・ハマスホイ 「カード・テーブルと鉢植えのある室内、
ブレズゲーゼ25番地」 1910-11年 マルムー美術館蔵

ドア、窓、家具などの配置はよく考えられた、ゆるぎの無い空間です。
親密な雰囲気の室内を描くというと、フランスのドニ、ボナール、ヴュイヤールなどの
親密派(アンティミスト)を思い出します。
デンマークでは造形的に室内を描くイルステズやホルスーウなどが居て、
ハマスホイの画風につながったことが分かります。
ハマスホイやスケーイン派など、この時代のデンマーク絵画は親しみやすく、
好もしいものがあります。
展覧会のHPです。
上野
東京国立博物館では特別展、「人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションの
名品が語る古代世界-」が開かれています。
会期は201912年2月9日(日)まで、東洋館3室での展示です。
総合文化展観覧料および開催中の特別展観覧券で観覧出来ます。


カタールの王族、シェイク・ハマド・ビン・アブドラ・アール・サーニ殿下のコレクションの
中から、世界各地の古代文化の工芸品、117件を展示する展覧会です。
展示は人、神、自然の3つのテーマに分けられ、エジプト、メソポタミア、イラン、
中央アジア、ヨーロッパ、中南米などの工芸品が展示されています。
金銀や貴石などを用い、精巧な細工を施して、人や動物などをかたどった品々は
古代の人々の想像する世界を見せてくれます。
展覧会のHPです。
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東京国立博物館では特別展、「人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションの
名品が語る古代世界-」が開かれています。
会期は201912年2月9日(日)まで、東洋館3室での展示です。
総合文化展観覧料および開催中の特別展観覧券で観覧出来ます。


カタールの王族、シェイク・ハマド・ビン・アブドラ・アール・サーニ殿下のコレクションの
中から、世界各地の古代文化の工芸品、117件を展示する展覧会です。
展示は人、神、自然の3つのテーマに分けられ、エジプト、メソポタミア、イラン、
中央アジア、ヨーロッパ、中南米などの工芸品が展示されています。
金銀や貴石などを用い、精巧な細工を施して、人や動物などをかたどった品々は
古代の人々の想像する世界を見せてくれます。
展覧会のHPです。
日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは1月27日(月)まで、「川野美華展 -Kein Zutritt-」が
開かれています。

川野美華さん(1983~)は大分県出身で、神話や聖書を題材にした幻想的な作品を
描いています。
ビーズなども散りばめた薄塗りの油彩画で描かれるのは、異形の動物や虫などが
繰り広げる妖しい世界です。
会場にはウィーンで制作された新作が展示されています。
「Kein Zutritt」はドイツ語で、「立入禁止」といった意味です。
「Verkündigung(受胎告)III」

レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告」に倣っていますが、マリアは目が細く伸びて、
聖母らしからぬ異様な顔です。
「百鬼夜行図」のような魑魅魍魎もうごめいています。
聖母マリアのアトリビュート(持物)である白百合を持つ人物というか動物は、
川野さんによれば大天使ガブリエルの代わりに堕天使(神から追放された天使)を
描いたそうで、いかにも不気味です。
「聖アグネスII」

聖アグネスはローマで殉教した女性ですが、衣服を剥ぎ取られても髪が長く伸びて、
体を隠したということです。
アトリビュートの子羊を抱いていますが、後ろにはチョウチンアンコウのような
不穏な魚が泳いでいます。
川野さんの絵には不気味さもありますが、色彩は明るく、どこかユーモラスでもあり、
読み解く面白みもあります。
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日本橋髙島屋美術画廊Xでは1月27日(月)まで、「川野美華展 -Kein Zutritt-」が
開かれています。

川野美華さん(1983~)は大分県出身で、神話や聖書を題材にした幻想的な作品を
描いています。
ビーズなども散りばめた薄塗りの油彩画で描かれるのは、異形の動物や虫などが
繰り広げる妖しい世界です。
会場にはウィーンで制作された新作が展示されています。
「Kein Zutritt」はドイツ語で、「立入禁止」といった意味です。
「Verkündigung(受胎告)III」

レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告」に倣っていますが、マリアは目が細く伸びて、
聖母らしからぬ異様な顔です。
「百鬼夜行図」のような魑魅魍魎もうごめいています。
聖母マリアのアトリビュート(持物)である白百合を持つ人物というか動物は、
川野さんによれば大天使ガブリエルの代わりに堕天使(神から追放された天使)を
描いたそうで、いかにも不気味です。
「聖アグネスII」

聖アグネスはローマで殉教した女性ですが、衣服を剥ぎ取られても髪が長く伸びて、
体を隠したということです。
アトリビュートの子羊を抱いていますが、後ろにはチョウチンアンコウのような
不穏な魚が泳いでいます。
川野さんの絵には不気味さもありますが、色彩は明るく、どこかユーモラスでもあり、
読み解く面白みもあります。
新日本橋
喫茶店「ラフレッサ」はJR新日本橋近くの小路にあります。
場所は中央区日本橋本町4-2-8です。

蔦に覆われたお店の屋根には風見鶏が立っています。
ドアを開けるのをためらってしまいますが、年期の入った黒板が出ているので、
不思議の国のアリスになった気持ちで入ることにします。


店内は30席ほど、喫煙可、昔ながらの喫茶店の風情です。
半円形の大テーブルには大きなテレビが置いてあって、画面は
NHKの「歴史秘話ヒストリア」でした。
スーツ姿の常連のお客さんがお店の人とおしゃべりしていました。
いちごとフロマージュブランのケーキセット650円です。

サイフォンで淹れたコーヒーは美味しく、これで650円というのは驚きです。
40年ほど前からのお店ということで、地域に根付いていて、これからも
続いてほしいお店です。
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喫茶店「ラフレッサ」はJR新日本橋近くの小路にあります。
場所は中央区日本橋本町4-2-8です。

蔦に覆われたお店の屋根には風見鶏が立っています。
ドアを開けるのをためらってしまいますが、年期の入った黒板が出ているので、
不思議の国のアリスになった気持ちで入ることにします。


店内は30席ほど、喫煙可、昔ながらの喫茶店の風情です。
半円形の大テーブルには大きなテレビが置いてあって、画面は
NHKの「歴史秘話ヒストリア」でした。
スーツ姿の常連のお客さんがお店の人とおしゃべりしていました。
いちごとフロマージュブランのケーキセット650円です。

サイフォンで淹れたコーヒーは美味しく、これで650円というのは驚きです。
40年ほど前からのお店ということで、地域に根付いていて、これからも
続いてほしいお店です。
上野
上野の東京国立博物館平成館では日本書紀成立1300年特別展、「出雲と大和」が
開かれています。
会期は3月8日(日)までです。
2月9日(月)までの前期と2月11日(火・祝)からの後期で一部展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認下さい。
会場は一部撮影可能です。

2020年は養老4年(720)に日本最古の正史とされる日本書紀が成立してから1300年に
なるのを記念して、神々の「幽」の世界である出雲、現実の「顕」の世界である大和を
特集した展示です。
初日に行ったので、島根県のしまねっこ、奈良県のせんとくん、東京国立博物館の
トーハクくんとユリノキちゃんがお出迎えしていました。

第1章 巨大本殿 出雲大社
古事記によれば大国主が国譲りの条件として、太い柱で千木(ちぎ)が空高くまで
届く立派な宮殿を建ててくれるよう求めたので、出雲大社が建てられたそうです。
出雲大社の本殿は平安・鎌倉時代は東大寺大仏殿より高く、高さ16丈(約48m)
あったと言われています。
しかしこれはあまりに高く、事実とは違うと思われてきましたが、1999年から
2002年にかけての境内の発掘で、束ねられた3本の太い杉柱の根元が発掘された
ことで、実在していた可能性が高くなりました。
宇豆柱(うづばしら) 出雲大社境内遺跡出土 鎌倉時代・宝治2年(1248)
出雲大社蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管 重要文化財

3本束ねると直径3mになるという柱は実際に見ると大変大きく、その存在感は
圧倒的です。
本殿の中心部分を支える心御柱(しんのみはしら)も展示されています。
出雲大社本殿復元模型 出雲市蔵

見上げるばかりの高層建築で、縄文時代以来の木の文化を感じます。
「赤糸威肩白鎧」 室町時代・15~16世紀 島根・出雲大社蔵 重要文化財

前期展示です。
草摺が4枚の、騎馬武者の大鎧です。
右の脇を守る脇盾(わいだて)を欠き、胸に付ける鳩尾板・栴檀板がありません。
8代将軍足利義政(1436-1490)の奉納で、父の6代将軍足利義教(1394-1441)の
所用とされています。
足利義教は暴君として知られ、討伐されることを恐れた赤松満祐の騙し討ちに
遭っています。
金具に足利家の家紋である二つ引両紋が打たれていますが、通常の横引両ではなく、
立引両です。
色々糸威胴丸 室町時代・16世紀 佐太神社蔵 重要文化財

後期展示です。
胴丸は胴の右側で引き合わせ、草摺が8枚の、元は徒歩の武士用の鎧です。
出雲の戦国大名、尼子経久(1458-1541)の奉納で、騎馬武者のために
大袖を付けた豪華な鎧です。
佐太神社は出雲大社に次ぐ、出雲国の二の宮です。
「彩絵檜扇」 平安時代 12世紀
島根・佐太神社蔵(島根県立古代出雲歴史博物館寄託) 重要文化財

後期展示です。
紅葉や草花の描かれた優美な扇です。
檜扇という、木の板を重ねた古い形の扇で、正式な場で用いられました。
「秋野鹿蒔絵手箱」 鎌倉時代・13世紀 島根・出雲大社蔵 国宝

後期展示です。
出雲大社の宝治2年(1248)の造営の際に奉納された可能性があるということです。
鹿の親子、風に揺れる萩、飛び交う鳥が螺鈿と蒔絵で表され、空間の表現も巧みです。
第2章 出雲 古代祭祀の源流
「銅剣・銅鐸・銅矛」 島根県出雲市 荒神谷遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀
文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管) 国宝

1984年に、並んで埋納された銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土しています。
この数はそれまでに全国で出土した銅剣の数より多く、古代出雲勢力の存在を
明らかにしました。
展覧会ではそのうち、168本が展示されています。
多くの銅剣の根元に×印が刻んであるということですが、印の意味も埋納の理由も
不明です。
1996年に荒神谷遺跡と山を隔てて反対側にある雲南市岩倉遺跡で発掘された
銅鐸39個のうちの30個も展示されています。
39個は一つの遺跡から出土した銅鐸としては最多です。
こちらも埋納の理由は不明です。
銅鐸の出土状況が復元されています。

銅鐸の中に銅鐸を入れる、入れ子状態で埋納されていました。

第3章 大和 王権誕生の地
「画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡」 奈良県天理市 黒塚古墳出土 古墳時代・3世紀
文化庁蔵(奈良県立橿原考古学研究所保管) 重要文化財

黒塚古墳は全長約130mの前方後円墳で、1997年に三角縁神獣鏡33面と
画文帯神獣鏡1面が出土しています。
画文帯神獣鏡は小さな鏡で、被葬者の頭の近くに置かれていたのに対し、
三角縁神獣鏡は木棺の外側に並べられていました。
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の皇帝から賜った銅鏡100枚のことではないか
とも言われていましたが、このような扱い方から見て、それほど貴重な品とは
されていなかったようです。
「七支刀」 古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵 国宝

全長74.8㎝、左右に6本の枝を持つ、とても珍しい形の鉄剣です。
金象嵌で61文字が刻まれていて、金文字が浮かび上がって見えます。
銘文から中国の東晋時代の太和4年(369)の制作で、百済王から倭王に
贈られたのではないかとも考えられ、日本と百済の外交関係を示す貴重な
資料となっています。
石上神宮はとても由緒の古い神社で、元は物部氏に祀られ、大和王権の
武器庫ともなっていたとされています。
「玉杖、鉄弓、鉄矢、円筒埴輪など」 奈良県桜井市メスリ山古墳出土
古墳時代・4世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵 重要文化財
円筒埴輪は高さ2.4mと日本最大、石や銅の鏃、弦まで鉄製の実用ではない弓矢など
大量の武器が副葬された、大王級の古墳です。
「ガラス碗、金製装飾品など」 奈良県橿原市新沢千塚126号墳出土
古墳時代・5世紀 東京国立博物館蔵 重要文化財
指輪やペルシャ産の小さなガラス碗など、異国の文化を感じさせる出土品で、
被葬者が誰なのか興味深いところです。
「石製合子、鍬形石、石釧、車輪石など」 奈良県川西町 島の山古墳出土
古墳時代・5世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵 重要文化財
鍬形石21、石釧32、車輪石80など、大量の石製装飾品が出土しています。
「埴輪」 奈良県御所市 宮山古墳出土
古墳時代・5世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵
矢を容れる靫(ゆぎ)、盾、家などをかたどった大きな埴輪です。
「金銅装鞍金具 後輪(しずわ)」 奈良県斑鳩町 藤ノ木古墳出土 古墳時代・6世紀
文化庁蔵(奈良県立橿原考古学研究所保管)

豪華な馬具一式が展示されています。
1988年の調査で石棺の中から2人の遺体と多数の副葬品が発見されています。
被葬者は蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と宅部皇子ではないかとされています。
「埴輪 見返りの鹿」 島根県松江市平所遺跡出土 古墳時代・5~6世紀
島根県教育委員会蔵

鹿が振返った瞬間を捉えた珍しい埴輪です。
大和の古墳から発掘された、同じような形の埴輪が展示されており、
出雲と大和の技術の交流を示しています。
第4章 仏と政(まつりごと)
仏教は古墳時代に日本に伝わり、飛鳥・奈良時代には各地に広まっています。
「浮彫伝薬師三尊像」 飛鳥~奈良時代・7~8世紀 奈良・石位寺蔵 重要文化財

高さ118㎝で、初唐の磚仏(型取りした粘土を焼成した仏像)と同じ様式です。
日本最古級の石仏で、保存状態は極めて良く、表面もきれいです。
「持国天立像」 飛鳥時代・7世紀 奈良・當麻寺蔵 重要文化財

像高2m以上の大きな脱活乾漆像で、一部に金彩が残っています。
直立した姿勢で、日本の仏像には見られない立派な髭を蓄えた異国風の顔立ちを
しており、初唐の影響が見られるそうです。
遺物からは古代の出雲と大和はそれぞれの文化を持ちながらもかなりの交流を
していたことが分かります。
他にも出雲・大和の貴重な遺物が数多く展示された、とても充実した展覧会です。
展覧会のHPです。
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上野の東京国立博物館平成館では日本書紀成立1300年特別展、「出雲と大和」が
開かれています。
会期は3月8日(日)までです。
2月9日(月)までの前期と2月11日(火・祝)からの後期で一部展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認下さい。
会場は一部撮影可能です。

2020年は養老4年(720)に日本最古の正史とされる日本書紀が成立してから1300年に
なるのを記念して、神々の「幽」の世界である出雲、現実の「顕」の世界である大和を
特集した展示です。
初日に行ったので、島根県のしまねっこ、奈良県のせんとくん、東京国立博物館の
トーハクくんとユリノキちゃんがお出迎えしていました。

第1章 巨大本殿 出雲大社
古事記によれば大国主が国譲りの条件として、太い柱で千木(ちぎ)が空高くまで
届く立派な宮殿を建ててくれるよう求めたので、出雲大社が建てられたそうです。
出雲大社の本殿は平安・鎌倉時代は東大寺大仏殿より高く、高さ16丈(約48m)
あったと言われています。
しかしこれはあまりに高く、事実とは違うと思われてきましたが、1999年から
2002年にかけての境内の発掘で、束ねられた3本の太い杉柱の根元が発掘された
ことで、実在していた可能性が高くなりました。
宇豆柱(うづばしら) 出雲大社境内遺跡出土 鎌倉時代・宝治2年(1248)
出雲大社蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管 重要文化財

3本束ねると直径3mになるという柱は実際に見ると大変大きく、その存在感は
圧倒的です。
本殿の中心部分を支える心御柱(しんのみはしら)も展示されています。
出雲大社本殿復元模型 出雲市蔵

見上げるばかりの高層建築で、縄文時代以来の木の文化を感じます。
「赤糸威肩白鎧」 室町時代・15~16世紀 島根・出雲大社蔵 重要文化財

前期展示です。
草摺が4枚の、騎馬武者の大鎧です。
右の脇を守る脇盾(わいだて)を欠き、胸に付ける鳩尾板・栴檀板がありません。
8代将軍足利義政(1436-1490)の奉納で、父の6代将軍足利義教(1394-1441)の
所用とされています。
足利義教は暴君として知られ、討伐されることを恐れた赤松満祐の騙し討ちに
遭っています。
金具に足利家の家紋である二つ引両紋が打たれていますが、通常の横引両ではなく、
立引両です。
色々糸威胴丸 室町時代・16世紀 佐太神社蔵 重要文化財

後期展示です。
胴丸は胴の右側で引き合わせ、草摺が8枚の、元は徒歩の武士用の鎧です。
出雲の戦国大名、尼子経久(1458-1541)の奉納で、騎馬武者のために
大袖を付けた豪華な鎧です。
佐太神社は出雲大社に次ぐ、出雲国の二の宮です。
「彩絵檜扇」 平安時代 12世紀
島根・佐太神社蔵(島根県立古代出雲歴史博物館寄託) 重要文化財

後期展示です。
紅葉や草花の描かれた優美な扇です。
檜扇という、木の板を重ねた古い形の扇で、正式な場で用いられました。
「秋野鹿蒔絵手箱」 鎌倉時代・13世紀 島根・出雲大社蔵 国宝

後期展示です。
出雲大社の宝治2年(1248)の造営の際に奉納された可能性があるということです。
鹿の親子、風に揺れる萩、飛び交う鳥が螺鈿と蒔絵で表され、空間の表現も巧みです。
第2章 出雲 古代祭祀の源流
「銅剣・銅鐸・銅矛」 島根県出雲市 荒神谷遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀
文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管) 国宝

1984年に、並んで埋納された銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土しています。
この数はそれまでに全国で出土した銅剣の数より多く、古代出雲勢力の存在を
明らかにしました。
展覧会ではそのうち、168本が展示されています。
多くの銅剣の根元に×印が刻んであるということですが、印の意味も埋納の理由も
不明です。
1996年に荒神谷遺跡と山を隔てて反対側にある雲南市岩倉遺跡で発掘された
銅鐸39個のうちの30個も展示されています。
39個は一つの遺跡から出土した銅鐸としては最多です。
こちらも埋納の理由は不明です。
銅鐸の出土状況が復元されています。

銅鐸の中に銅鐸を入れる、入れ子状態で埋納されていました。

第3章 大和 王権誕生の地
「画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡」 奈良県天理市 黒塚古墳出土 古墳時代・3世紀
文化庁蔵(奈良県立橿原考古学研究所保管) 重要文化財

黒塚古墳は全長約130mの前方後円墳で、1997年に三角縁神獣鏡33面と
画文帯神獣鏡1面が出土しています。
画文帯神獣鏡は小さな鏡で、被葬者の頭の近くに置かれていたのに対し、
三角縁神獣鏡は木棺の外側に並べられていました。
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の皇帝から賜った銅鏡100枚のことではないか
とも言われていましたが、このような扱い方から見て、それほど貴重な品とは
されていなかったようです。
「七支刀」 古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵 国宝

全長74.8㎝、左右に6本の枝を持つ、とても珍しい形の鉄剣です。
金象嵌で61文字が刻まれていて、金文字が浮かび上がって見えます。
銘文から中国の東晋時代の太和4年(369)の制作で、百済王から倭王に
贈られたのではないかとも考えられ、日本と百済の外交関係を示す貴重な
資料となっています。
石上神宮はとても由緒の古い神社で、元は物部氏に祀られ、大和王権の
武器庫ともなっていたとされています。
「玉杖、鉄弓、鉄矢、円筒埴輪など」 奈良県桜井市メスリ山古墳出土
古墳時代・4世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵 重要文化財
円筒埴輪は高さ2.4mと日本最大、石や銅の鏃、弦まで鉄製の実用ではない弓矢など
大量の武器が副葬された、大王級の古墳です。
「ガラス碗、金製装飾品など」 奈良県橿原市新沢千塚126号墳出土
古墳時代・5世紀 東京国立博物館蔵 重要文化財
指輪やペルシャ産の小さなガラス碗など、異国の文化を感じさせる出土品で、
被葬者が誰なのか興味深いところです。
「石製合子、鍬形石、石釧、車輪石など」 奈良県川西町 島の山古墳出土
古墳時代・5世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵 重要文化財
鍬形石21、石釧32、車輪石80など、大量の石製装飾品が出土しています。
「埴輪」 奈良県御所市 宮山古墳出土
古墳時代・5世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵
矢を容れる靫(ゆぎ)、盾、家などをかたどった大きな埴輪です。
「金銅装鞍金具 後輪(しずわ)」 奈良県斑鳩町 藤ノ木古墳出土 古墳時代・6世紀
文化庁蔵(奈良県立橿原考古学研究所保管)

豪華な馬具一式が展示されています。
1988年の調査で石棺の中から2人の遺体と多数の副葬品が発見されています。
被葬者は蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と宅部皇子ではないかとされています。
「埴輪 見返りの鹿」 島根県松江市平所遺跡出土 古墳時代・5~6世紀
島根県教育委員会蔵

鹿が振返った瞬間を捉えた珍しい埴輪です。
大和の古墳から発掘された、同じような形の埴輪が展示されており、
出雲と大和の技術の交流を示しています。
第4章 仏と政(まつりごと)
仏教は古墳時代に日本に伝わり、飛鳥・奈良時代には各地に広まっています。
「浮彫伝薬師三尊像」 飛鳥~奈良時代・7~8世紀 奈良・石位寺蔵 重要文化財

高さ118㎝で、初唐の磚仏(型取りした粘土を焼成した仏像)と同じ様式です。
日本最古級の石仏で、保存状態は極めて良く、表面もきれいです。
「持国天立像」 飛鳥時代・7世紀 奈良・當麻寺蔵 重要文化財

像高2m以上の大きな脱活乾漆像で、一部に金彩が残っています。
直立した姿勢で、日本の仏像には見られない立派な髭を蓄えた異国風の顔立ちを
しており、初唐の影響が見られるそうです。
遺物からは古代の出雲と大和はそれぞれの文化を持ちながらもかなりの交流を
していたことが分かります。
他にも出雲・大和の貴重な遺物が数多く展示された、とても充実した展覧会です。
展覧会のHPです。