雪月花
今日の東京は時ならぬ雪となり、桜の花にも雪が積もりました。
そこで、日本画の題材としてよく描かれる「雪月花」にちなんだ作品を集めてみました。
雪月花の句は唐の詩人、白居易の「寄殷協律」の中の「雪月花の時 最も君を憶ふ」に
拠っています。
「雪月花」 上村松園 1937年 宮内庁三の丸尚蔵館

貞明皇后(大正天皇の皇后)の用命を受けてから完成まで21年かかった作品です。
「雪」「月」「花」を題材にした三幅対です。
「雪」は、枕草子の、香炉峰の雪の逸話で、清少納言が簾を持ち上げて
いるところです。

少納言よ香炉峰の雪はいかならむと仰せらるれば
御格子上げさせて御簾を高く上げたれば笑わせたまふ
清少納言 「枕草子」
「月」は、源氏物語に因んでいるとのことですが、紫式部が石山寺の月を
眺めて、源氏物語の着想を得たという場面でしょうか。

めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がれにし夜半の月かな
紫式部
「花」は、伊勢物語の「筒井筒井筒にかけしまろがたけ」に因んで、
幼馴染の遊ぶ、あどけない情景です。

筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれか上ぐべき
「伊勢物語」
「雪月花」 高橋天山 2015年 再興第100回院展出品

部分

王朝絵巻の世界で、左から雪、月、花を表しています。
「雪月花時最憶君-花泥棒」 岩田荘平 2014年

横10mの大きな作品です。
ポピー、ダリア、パンジー、チューリップ、バラ、クンシラン、アマリリス、
ハナショウブ、ツバキ、ラッパスイセン、ベゴニア、キクが描かれています。
「雪月花蒔絵硯箱」 植松包美 大正時代 20世紀 根津美術館

蓋には満月を背景にした満開の桜が描かれています。
箱の中に雪華紋を散らして雪を表しています。
雪月花を題名にした展覧会も開かれました。
2014年に三井記念美術館で開かれた『雪と月と花~国宝「雪松図」と
季節の草花~』展の記事です。
chariot
今日の東京は時ならぬ雪となり、桜の花にも雪が積もりました。
そこで、日本画の題材としてよく描かれる「雪月花」にちなんだ作品を集めてみました。
雪月花の句は唐の詩人、白居易の「寄殷協律」の中の「雪月花の時 最も君を憶ふ」に
拠っています。
「雪月花」 上村松園 1937年 宮内庁三の丸尚蔵館

貞明皇后(大正天皇の皇后)の用命を受けてから完成まで21年かかった作品です。
「雪」「月」「花」を題材にした三幅対です。
「雪」は、枕草子の、香炉峰の雪の逸話で、清少納言が簾を持ち上げて
いるところです。

少納言よ香炉峰の雪はいかならむと仰せらるれば
御格子上げさせて御簾を高く上げたれば笑わせたまふ
清少納言 「枕草子」
「月」は、源氏物語に因んでいるとのことですが、紫式部が石山寺の月を
眺めて、源氏物語の着想を得たという場面でしょうか。

めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がれにし夜半の月かな
紫式部
「花」は、伊勢物語の「筒井筒井筒にかけしまろがたけ」に因んで、
幼馴染の遊ぶ、あどけない情景です。

筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれか上ぐべき
「伊勢物語」
「雪月花」 高橋天山 2015年 再興第100回院展出品

部分

王朝絵巻の世界で、左から雪、月、花を表しています。
「雪月花時最憶君-花泥棒」 岩田荘平 2014年

横10mの大きな作品です。
ポピー、ダリア、パンジー、チューリップ、バラ、クンシラン、アマリリス、
ハナショウブ、ツバキ、ラッパスイセン、ベゴニア、キクが描かれています。
「雪月花蒔絵硯箱」 植松包美 大正時代 20世紀 根津美術館

蓋には満月を背景にした満開の桜が描かれています。
箱の中に雪華紋を散らして雪を表しています。
雪月花を題名にした展覧会も開かれました。
2014年に三井記念美術館で開かれた『雪と月と花~国宝「雪松図」と
季節の草花~』展の記事です。
東京
丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーAでは、「―新版画の美
「巴水」命名110年ー川瀬巴水木版画展」が開かれています。
会期は3月31日(火)までです。
川瀬巴水(1883~1957)は大正から昭和にかけて活躍した風景版画家で、
日本各地の風景を叙情的に描いています。
新版画とは、江戸の浮世絵の技法を受け継ぎながら新しい芸術を目指して、
大正から昭和にかけて制作された版画のことです。
「上州法師温泉」 1933年

群馬県の法師温泉の木造の大浴場で、窓からの光が差し込み、窓の外の緑が
浴槽に映っています。
窓のアーチには洋風の趣きがあります。
お湯にのんびり浸かって四肢を伸ばしているのは巴水の自画像とされています。
私は青森県の蔦温泉に行ったことがありますが、やはり木造の大きな浴場で、、
自然に包まれた感じでした。
2015年に日本橋髙島屋で開かれた「川瀬巴水展」の記事です。
chariot
丸の内オアゾ内の丸善丸の内本店4階ギャラリーAでは、「―新版画の美
「巴水」命名110年ー川瀬巴水木版画展」が開かれています。
会期は3月31日(火)までです。
川瀬巴水(1883~1957)は大正から昭和にかけて活躍した風景版画家で、
日本各地の風景を叙情的に描いています。
新版画とは、江戸の浮世絵の技法を受け継ぎながら新しい芸術を目指して、
大正から昭和にかけて制作された版画のことです。
「上州法師温泉」 1933年

群馬県の法師温泉の木造の大浴場で、窓からの光が差し込み、窓の外の緑が
浴槽に映っています。
窓のアーチには洋風の趣きがあります。
お湯にのんびり浸かって四肢を伸ばしているのは巴水の自画像とされています。
私は青森県の蔦温泉に行ったことがありますが、やはり木造の大きな浴場で、、
自然に包まれた感じでした。
2015年に日本橋髙島屋で開かれた「川瀬巴水展」の記事です。
上野広小路・本郷三丁目・後楽園
上野から本郷にかけて、春日通りの歴史散歩です。
新旧の写真を取り混ぜています。
上野広小路にある上野松坂屋です。

新選組副長だった土方歳三(1835-1869)が少年時代、奉公していたと言われています。
土方歳三と丁稚小僧のイメージはなかなか結び付きません。
上野彰義隊戦争(1868)では新政府軍がこの辺りから現在の中央通りを上野の山に
向かって攻め上がっています。
現在の上野の山には薩摩軍の司令官だった西郷隆盛の銅像が立ち、彰義隊士の
墓もあります。


新選組隊士だった原田左之助(1840-1868)は彰義隊に参加し、戦傷が元で
亡くなったとされています。
上野松坂屋から西に春日通りが延びています。

本郷台に上がる坂の南側に湯島天神の夫婦門があります。

湯島天神の向かい側は越後高田藩中屋敷のあった所で、明治維新後には
西郷隆盛の腹心だった桐野利秋(1839-1877)が住んでいました。
桐野が西郷に従って薩摩に戻った後は三菱を興した岩崎家が買い取り、
現在は旧岩崎邸庭園となっています。
桐野利秋は西南戦争最後の城山の戦いで、西郷隆盛と共に戦死しています。

坂を上がると北側に春日局(1579-1643)の墓のある麟祥院があります。

門前の広場には春日局の銅像が立っています。

春日局は3代将軍徳川家光の乳母で、家光の将軍就任に大きな功があり、
権勢を振るっています。
春日局は明智光秀の重臣、斎藤利三(1534-1582)の娘でもあります。
春日通りの名はこの春日局が家光から拝領した後楽園の北側の一帯が
春日殿町と呼ばれたことに由来しています。
麟祥院の隣は加賀前田藩の上屋敷だった所で、現在は東京大学本郷
キャンパスとなっています。
東大と加賀前田藩の記事です。
本郷キャンパスの南端、春日通り沿いにある本富士警察署です。

新選組隊士だった斎藤一(1844-1915)は維新後の一時期、警察官として
ここに勤めていました。
斎藤一は新選組で撃剣師範を務めた剣豪で、戊辰戦争では会津まで転戦し、
後に西南戦争では警視庁部隊の隊員として従軍しています。
警視庁を退職後は湯島にあった東京高等師範学校附属東京教育博物館
(現在の国立科学博物館)や東京女子高等師範学校(現在のお茶の水
女子大学)に勤めています。
東京高等師範学校では撃剣師範を努めていました。
通りの向かいの壺屋総本店は寛永年間から続く和菓子店で、店内には
勝海舟の書が飾ってあります。

江戸幕府の瓦解に伴い、江戸の商店の多くが閉店していく中で、勝海舟に
激励されて店を続けることにしたそうです。
勝海舟は西郷隆盛と会見して、江戸無血開城を果たしています。
春日通りと本郷通りの交わる本郷三丁目交差点のかねやすビルです。


かねやすは享保年間から続く雑貨店ですが、現在は閉店しています。
本郷もかねやすまでは江戸の内
江戸の中心からかねやすの辺りまでは防火のための瓦屋根が続いていたので、
この川柳があります。
春日通りをさらに西に進んだ北側が旧本郷真砂町です。
真砂坂に差しかかった北側の辺りに明治時代、斎藤一が住んでいました。

ここから南に少し行くと、東京高等師範学校や東京女子高等師範学校のあった
湯島お茶の水なので、通勤に便利だったことでしょう。
少し北の白山、小石川には同じ新選組隊士の剣豪だった永倉新八(1839-1915)も
住んでいました。
それにしても寺田屋事件、鳥羽伏見の戦い、会津戦争、さらに西南戦争を戦い抜いた
剣豪が学校の剣術の先生や女子校の事務員を勤めていたというのですから、
時代の変化はすさまじいものです。
真砂坂を下り、今度は富坂を上がると南側は小石川後楽園で、水戸藩上屋敷の
あった所です。

小石川後楽園の記事です。
幕末の動乱は水戸藩脱藩浪士たちが大老井伊直弼を暗殺した桜田門外の変で
始まっています。
しかし、薩摩藩、長州藩などが歴史の主役として舞台に躍り出したのに、水戸藩は
壮絶な内部抗争を繰り返して人材をすり潰し、時代に取り残されてしまいます。
加賀前田藩は百万石の大藩だけに機敏さに欠け、藩内の尊皇派を粛清し、
幕府軍に加わるべく京都に向かって軍勢を繰り出したところ、鳥羽伏見での
幕府軍の敗北を聞き、慌てて新政府側に付いています。
その後、8000名近くの兵力を動員し、長岡戦争では奮戦し、戦役が終わるまでに
約100名の戦死者を出しています。
しかし、それだけの犠牲を払いながら、加賀藩は新政府にさほど優遇されていません。
春日通りを歩くと、幕末維新の激動について、あれこれ思いを馳せることができます。
東京大学本郷キャンパスの桜です。

上野不忍池の桜です。

上野彰義隊戦争では本郷台地の前田藩邸から強力なアームストロング砲を
不忍池越しに彰義隊の籠る上野の山の寛永寺に打ち込み、彰義隊を
壊乱させています。
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上野から本郷にかけて、春日通りの歴史散歩です。
新旧の写真を取り混ぜています。
上野広小路にある上野松坂屋です。

新選組副長だった土方歳三(1835-1869)が少年時代、奉公していたと言われています。
土方歳三と丁稚小僧のイメージはなかなか結び付きません。
上野彰義隊戦争(1868)では新政府軍がこの辺りから現在の中央通りを上野の山に
向かって攻め上がっています。
現在の上野の山には薩摩軍の司令官だった西郷隆盛の銅像が立ち、彰義隊士の
墓もあります。


新選組隊士だった原田左之助(1840-1868)は彰義隊に参加し、戦傷が元で
亡くなったとされています。
上野松坂屋から西に春日通りが延びています。

本郷台に上がる坂の南側に湯島天神の夫婦門があります。

湯島天神の向かい側は越後高田藩中屋敷のあった所で、明治維新後には
西郷隆盛の腹心だった桐野利秋(1839-1877)が住んでいました。
桐野が西郷に従って薩摩に戻った後は三菱を興した岩崎家が買い取り、
現在は旧岩崎邸庭園となっています。
桐野利秋は西南戦争最後の城山の戦いで、西郷隆盛と共に戦死しています。

坂を上がると北側に春日局(1579-1643)の墓のある麟祥院があります。

門前の広場には春日局の銅像が立っています。

春日局は3代将軍徳川家光の乳母で、家光の将軍就任に大きな功があり、
権勢を振るっています。
春日局は明智光秀の重臣、斎藤利三(1534-1582)の娘でもあります。
春日通りの名はこの春日局が家光から拝領した後楽園の北側の一帯が
春日殿町と呼ばれたことに由来しています。
麟祥院の隣は加賀前田藩の上屋敷だった所で、現在は東京大学本郷
キャンパスとなっています。
東大と加賀前田藩の記事です。
本郷キャンパスの南端、春日通り沿いにある本富士警察署です。

新選組隊士だった斎藤一(1844-1915)は維新後の一時期、警察官として
ここに勤めていました。
斎藤一は新選組で撃剣師範を務めた剣豪で、戊辰戦争では会津まで転戦し、
後に西南戦争では警視庁部隊の隊員として従軍しています。
警視庁を退職後は湯島にあった東京高等師範学校附属東京教育博物館
(現在の国立科学博物館)や東京女子高等師範学校(現在のお茶の水
女子大学)に勤めています。
東京高等師範学校では撃剣師範を努めていました。
通りの向かいの壺屋総本店は寛永年間から続く和菓子店で、店内には
勝海舟の書が飾ってあります。

江戸幕府の瓦解に伴い、江戸の商店の多くが閉店していく中で、勝海舟に
激励されて店を続けることにしたそうです。
勝海舟は西郷隆盛と会見して、江戸無血開城を果たしています。
春日通りと本郷通りの交わる本郷三丁目交差点のかねやすビルです。


かねやすは享保年間から続く雑貨店ですが、現在は閉店しています。
本郷もかねやすまでは江戸の内
江戸の中心からかねやすの辺りまでは防火のための瓦屋根が続いていたので、
この川柳があります。
春日通りをさらに西に進んだ北側が旧本郷真砂町です。
真砂坂に差しかかった北側の辺りに明治時代、斎藤一が住んでいました。

ここから南に少し行くと、東京高等師範学校や東京女子高等師範学校のあった
湯島お茶の水なので、通勤に便利だったことでしょう。
少し北の白山、小石川には同じ新選組隊士の剣豪だった永倉新八(1839-1915)も
住んでいました。
それにしても寺田屋事件、鳥羽伏見の戦い、会津戦争、さらに西南戦争を戦い抜いた
剣豪が学校の剣術の先生や女子校の事務員を勤めていたというのですから、
時代の変化はすさまじいものです。
真砂坂を下り、今度は富坂を上がると南側は小石川後楽園で、水戸藩上屋敷の
あった所です。

小石川後楽園の記事です。
幕末の動乱は水戸藩脱藩浪士たちが大老井伊直弼を暗殺した桜田門外の変で
始まっています。
しかし、薩摩藩、長州藩などが歴史の主役として舞台に躍り出したのに、水戸藩は
壮絶な内部抗争を繰り返して人材をすり潰し、時代に取り残されてしまいます。
加賀前田藩は百万石の大藩だけに機敏さに欠け、藩内の尊皇派を粛清し、
幕府軍に加わるべく京都に向かって軍勢を繰り出したところ、鳥羽伏見での
幕府軍の敗北を聞き、慌てて新政府側に付いています。
その後、8000名近くの兵力を動員し、長岡戦争では奮戦し、戦役が終わるまでに
約100名の戦死者を出しています。
しかし、それだけの犠牲を払いながら、加賀藩は新政府にさほど優遇されていません。
春日通りを歩くと、幕末維新の激動について、あれこれ思いを馳せることができます。
東京大学本郷キャンパスの桜です。

上野不忍池の桜です。

上野彰義隊戦争では本郷台地の前田藩邸から強力なアームストロング砲を
不忍池越しに彰義隊の籠る上野の山の寛永寺に打ち込み、彰義隊を
壊乱させています。
日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは3月30日(月)まで、「山口英紀「往来」」展が
開かれています。
山口英紀さん(1976~)は千葉県出身の日本画家で、中国にも留学し、
「臨模」という模写の技法を学んでいます。
写真を元にした細密な写実画で、写真を横に置き、水墨を使って
和紙に模写しています。
「往来~セーヌ川とエッフェル塔、パリ~」

「往来~ブルックリン橋、ニューヨーク~」

「往来~丸の内~」

「往来~渋谷~」

スクランブル交差点で信号待ちをしている人たちです。
「往来~富山~」

2両連結の市電が走っています。
「動物画譜―象―」

原稿用紙に大きな落款が捺してあります。
「次は赤」

お子さんのスナップ写真のような趣きです。
現代の風景を水墨画で表した作品は昔のセピア色の写真をみるようで、
何か懐かしいものがあります。
2015年に同じ日本橋髙島屋で開かれた「山口英紀展」の記事です。
日本橋にある新潟県のアンテナショップ、「ブリッジにいがた」に村上市のお雛様が
飾られていました。
春の遅い東北や北陸では4月3日に雛祭を祝います。


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日本橋髙島屋美術画廊Xでは3月30日(月)まで、「山口英紀「往来」」展が
開かれています。
山口英紀さん(1976~)は千葉県出身の日本画家で、中国にも留学し、
「臨模」という模写の技法を学んでいます。
写真を元にした細密な写実画で、写真を横に置き、水墨を使って
和紙に模写しています。
「往来~セーヌ川とエッフェル塔、パリ~」

「往来~ブルックリン橋、ニューヨーク~」

「往来~丸の内~」

「往来~渋谷~」

スクランブル交差点で信号待ちをしている人たちです。
「往来~富山~」

2両連結の市電が走っています。
「動物画譜―象―」

原稿用紙に大きな落款が捺してあります。
「次は赤」

お子さんのスナップ写真のような趣きです。
現代の風景を水墨画で表した作品は昔のセピア色の写真をみるようで、
何か懐かしいものがあります。
2015年に同じ日本橋髙島屋で開かれた「山口英紀展」の記事です。
日本橋にある新潟県のアンテナショップ、「ブリッジにいがた」に村上市のお雛様が
飾られていました。
春の遅い東北や北陸では4月3日に雛祭を祝います。


根津・東大前
文京区の弥生美術館では「もうひとつの歌川派?! 国芳・芳年・年英・英朋・朋世
~浮世絵から挿絵へ……歌川派を継承した誇り高き絵師たち」展が開かれています。
会期は3月29日(日)までです。

歌川豊春に始まる歌川派は豊国、国芳、そして明治の月岡芳年(1839-1892)と続き、
その流れは水野年方、鏑木清方、伊東深水、岩田専太郎と受け継がれています。
一方、芳年から右田年英(1863-1925)、鰭崎英朋(1880-1968)、神保朋世
(1902-1994)と続く流れがあります。
展覧会はこちらの系統の画家たちを紹介するものです。
月岡芳年は国芳の弟子で、特に残虐な場面を描いた浮世絵で有名となり、
血まみれ芳年とも呼ばれています。
文字通り血まみれの浮世絵が何点か展示されています。
右田年英は芳年に入門し、美人画の他、日清・日露戦争を題材にした戦争絵なども
描いています。
時代はいよいよ江戸の名残を弱め、明治の新時代に入っています。
鰭崎英朋は年英の弟子で、美人画や挿絵を得意とし、鏑木清方と双璧と称されました。
特に二人は泉鏡花の小説の挿絵で知られています。
また、戦前の国定教科書の挿絵や講談社の絵本も手掛けています。
初公開の英朋の肉筆画、「焼けあと」(明治38年)も展示されています。
火事の焼け跡の状景で、残骸が重なり、遠くには焼け残った土蔵が見えます。
火事見舞いの菓子折りらしい風呂敷包みを手にしてに訪れた和服の女性が
住人の消息を書いてある立札を見詰めています。
その驚いたような表情を巧みに表しており、英朋が美人画の名手であることを
示しています。
神保朋世は鰭崎英朋に学び、野村胡堂の小説、「銭形平次捕物控」の挿絵を
戦前戦後にわたり長く手掛けています。
鏑木清方と鰭崎英朋は月岡芳年の孫弟子にあたり、美人画を得意とした英朋は
清方と双璧と称されましたが、現在はあまり知られていません。
私も泉鏡花の挿絵画家という程度の認識でした。
これは、清方が日本画家への道を進み、「三遊亭円朝像」(重要文化財)や
「讃春」(宮内庁所蔵)などの名品を生み出したのに対し、英朋が挿絵画家の位置に
留まったためだろうとのことです。
展覧会のHPです。
***
併設されている竹久夢二美術館では、「はいからモダン袴スタイル ―「女袴」の近代、
そして現代 ―展が開かれています。
会期は3月29日(日)までです。

卒業式シーズンとなり、女子学生の袴姿をよく見かけますが、女性の袴スタイルについて
紹介する展覧会です。
女性の袴は宮中の装束に由来し、明治になり、女学生の通学服として普及したそうです。
東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)の服装の変遷は興味深いものがあります。
明治初期の開校時には生徒は学校支給の、襠(まち、股の中仕切り)が低いだけで
腰板のある男袴を穿いていました。
明治12年(1879)の卒業写真では、袴の着用が禁止されていたので、ただの和装に
なっています。
明治19年(1886)の卒業写真では、鹿鳴館時代で洋服の着用が義務付けられて
いたので、全員洋装です。
明治33年(1900)になると、襠の無い女袴を着用しています。
新選組の剣豪だった斎藤一も後年、明治32年から東京女子高等師範学校の
事務員として勤めていますが、その頃だと生徒は女袴だったことになります。
実践女学校(現実践女子学園)の制服も展示されています。
ワンピース型で、生徒が自分で縫っていたそうです。
袴が一般に普及し、電話交換手、看護婦、女工などの職業女性も穿くようになると、
各女学校では区別するため、徽章を着けるようになります。
現在のお茶の水女子大学校の附属中学校の生徒がセーラー服の上に着けている、
バックルのような徽章もこれが始めです。
2018年の宝塚歌劇団卒業生、天真みちるさんの制服も展示されています。
黒紋付に緑の袴で、袴の裾は短く、天真さんのような男組は袴の帯を腰の低めの
位置で締めるそうです。
宝塚音楽学校の合格時に採寸し、家紋を提出するとのことで、天真さんは梅鉢です。
袴の緑色は大正9~10年頃に定まったもので、創設者の小林一三が一人の生徒の
緑色の袴を気に入って採用したそうです。
(緑色の袴の由来については諸説あります。)
展覧会のHPです。
隣の東京大学構内の桜も咲きました。

さくら さくら やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざや いざや 見にゆかん
日本古謡
chariot
文京区の弥生美術館では「もうひとつの歌川派?! 国芳・芳年・年英・英朋・朋世
~浮世絵から挿絵へ……歌川派を継承した誇り高き絵師たち」展が開かれています。
会期は3月29日(日)までです。

歌川豊春に始まる歌川派は豊国、国芳、そして明治の月岡芳年(1839-1892)と続き、
その流れは水野年方、鏑木清方、伊東深水、岩田専太郎と受け継がれています。
一方、芳年から右田年英(1863-1925)、鰭崎英朋(1880-1968)、神保朋世
(1902-1994)と続く流れがあります。
展覧会はこちらの系統の画家たちを紹介するものです。
月岡芳年は国芳の弟子で、特に残虐な場面を描いた浮世絵で有名となり、
血まみれ芳年とも呼ばれています。
文字通り血まみれの浮世絵が何点か展示されています。
右田年英は芳年に入門し、美人画の他、日清・日露戦争を題材にした戦争絵なども
描いています。
時代はいよいよ江戸の名残を弱め、明治の新時代に入っています。
鰭崎英朋は年英の弟子で、美人画や挿絵を得意とし、鏑木清方と双璧と称されました。
特に二人は泉鏡花の小説の挿絵で知られています。
また、戦前の国定教科書の挿絵や講談社の絵本も手掛けています。
初公開の英朋の肉筆画、「焼けあと」(明治38年)も展示されています。
火事の焼け跡の状景で、残骸が重なり、遠くには焼け残った土蔵が見えます。
火事見舞いの菓子折りらしい風呂敷包みを手にしてに訪れた和服の女性が
住人の消息を書いてある立札を見詰めています。
その驚いたような表情を巧みに表しており、英朋が美人画の名手であることを
示しています。
神保朋世は鰭崎英朋に学び、野村胡堂の小説、「銭形平次捕物控」の挿絵を
戦前戦後にわたり長く手掛けています。
鏑木清方と鰭崎英朋は月岡芳年の孫弟子にあたり、美人画を得意とした英朋は
清方と双璧と称されましたが、現在はあまり知られていません。
私も泉鏡花の挿絵画家という程度の認識でした。
これは、清方が日本画家への道を進み、「三遊亭円朝像」(重要文化財)や
「讃春」(宮内庁所蔵)などの名品を生み出したのに対し、英朋が挿絵画家の位置に
留まったためだろうとのことです。
展覧会のHPです。
***
併設されている竹久夢二美術館では、「はいからモダン袴スタイル ―「女袴」の近代、
そして現代 ―展が開かれています。
会期は3月29日(日)までです。

卒業式シーズンとなり、女子学生の袴姿をよく見かけますが、女性の袴スタイルについて
紹介する展覧会です。
女性の袴は宮中の装束に由来し、明治になり、女学生の通学服として普及したそうです。
東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)の服装の変遷は興味深いものがあります。
明治初期の開校時には生徒は学校支給の、襠(まち、股の中仕切り)が低いだけで
腰板のある男袴を穿いていました。
明治12年(1879)の卒業写真では、袴の着用が禁止されていたので、ただの和装に
なっています。
明治19年(1886)の卒業写真では、鹿鳴館時代で洋服の着用が義務付けられて
いたので、全員洋装です。
明治33年(1900)になると、襠の無い女袴を着用しています。
新選組の剣豪だった斎藤一も後年、明治32年から東京女子高等師範学校の
事務員として勤めていますが、その頃だと生徒は女袴だったことになります。
実践女学校(現実践女子学園)の制服も展示されています。
ワンピース型で、生徒が自分で縫っていたそうです。
袴が一般に普及し、電話交換手、看護婦、女工などの職業女性も穿くようになると、
各女学校では区別するため、徽章を着けるようになります。
現在のお茶の水女子大学校の附属中学校の生徒がセーラー服の上に着けている、
バックルのような徽章もこれが始めです。
2018年の宝塚歌劇団卒業生、天真みちるさんの制服も展示されています。
黒紋付に緑の袴で、袴の裾は短く、天真さんのような男組は袴の帯を腰の低めの
位置で締めるそうです。
宝塚音楽学校の合格時に採寸し、家紋を提出するとのことで、天真さんは梅鉢です。
袴の緑色は大正9~10年頃に定まったもので、創設者の小林一三が一人の生徒の
緑色の袴を気に入って採用したそうです。
(緑色の袴の由来については諸説あります。)
展覧会のHPです。
隣の東京大学構内の桜も咲きました。

さくら さくら やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざや いざや 見にゆかん
日本古謡
東京
丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、「第3回 人形と絵の「春」展」が
開かれています。
会期は3月24日(火)までです。

出展した作家は以下の通りです。
青の羊 秋山まほこ 足立絵美 亜由美 Uncreerアンクレール 今井亜樹
今井キラ 植田茉莉子 ウエノミホコ En 小川香織 小畑すみれ gaju
桐原ユウ くるはらきみ 黒木こずゑ 小暮千尋 柘榴 サユリンゴ
篠塚はるみ 珠子 鈴木ゆきよ せいこ 青扇 田中早苗 ちゃお
戸井田しづこ 朋トモヱ 鳥居椿 永見由子 西村勇魚 Noe 野村直子
坂東可菜 banbi78 日香里 日野まき maiko マキシム&まきしまくん
真木環 松田珠江 松本潮里 マツモトヒラコ まな 水樹尚子 美月
美夜花りり 宮本香那 むらいゆうこ 森下ことり 山崎明咲 山田ミンカ
山吉由利子 横瀬和江 よこやまけいこ 吉水たか代 吉村眸 りのん RUBY
可愛い人形、妖しい人形、さらに怪しい人形など、約60名の作家のさまざまな
人形と絵が会場いっぱいに並んでいます。
球体関節人形が中心で、ハンプティ・ダンプティの球体関節人形もありました。
chariot
丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、「第3回 人形と絵の「春」展」が
開かれています。
会期は3月24日(火)までです。

出展した作家は以下の通りです。
青の羊 秋山まほこ 足立絵美 亜由美 Uncreerアンクレール 今井亜樹
今井キラ 植田茉莉子 ウエノミホコ En 小川香織 小畑すみれ gaju
桐原ユウ くるはらきみ 黒木こずゑ 小暮千尋 柘榴 サユリンゴ
篠塚はるみ 珠子 鈴木ゆきよ せいこ 青扇 田中早苗 ちゃお
戸井田しづこ 朋トモヱ 鳥居椿 永見由子 西村勇魚 Noe 野村直子
坂東可菜 banbi78 日香里 日野まき maiko マキシム&まきしまくん
真木環 松田珠江 松本潮里 マツモトヒラコ まな 水樹尚子 美月
美夜花りり 宮本香那 むらいゆうこ 森下ことり 山崎明咲 山田ミンカ
山吉由利子 横瀬和江 よこやまけいこ 吉水たか代 吉村眸 りのん RUBY
可愛い人形、妖しい人形、さらに怪しい人形など、約60名の作家のさまざまな
人形と絵が会場いっぱいに並んでいます。
球体関節人形が中心で、ハンプティ・ダンプティの球体関節人形もありました。
東京・二重橋前
丸ノ内の三菱一号館美術館のミュージアムカフェ、「CAFE 1894」に行ってきました。
場所は千代田区丸の内2-6-2です。

元々の三菱一号館が竣工した、1894年(明治27年)に因んだ命名です。
三菱一号館は1968年に解体された後、レプリカ建築として再建され、2009年に
竣工しています。
三菱一号館美術館は新型コロナウイルス対策のため3月31日(火)まで休館中ですが、
ミュージアムカフェは開いています。
本来の営業時間は11時から23時ですが、18時までとなっています。
40席ほどの店内は、元は銀行のカウンターの内側の事務スペースだった場所で、
2階部分がすべて吹き抜けなので、とても広々としています。



カプチーノ720円です。

三角形のロゴマークは三菱のスリーダイヤをイメージしています。
カップはNIKKOです。
久しぶりに明治のクラシックな雰囲気の中で、コーヒーを味わいました。
以前、「CAFE 1894」に行った時の記事です。
chariot
丸ノ内の三菱一号館美術館のミュージアムカフェ、「CAFE 1894」に行ってきました。
場所は千代田区丸の内2-6-2です。

元々の三菱一号館が竣工した、1894年(明治27年)に因んだ命名です。
三菱一号館は1968年に解体された後、レプリカ建築として再建され、2009年に
竣工しています。
三菱一号館美術館は新型コロナウイルス対策のため3月31日(火)まで休館中ですが、
ミュージアムカフェは開いています。
本来の営業時間は11時から23時ですが、18時までとなっています。
40席ほどの店内は、元は銀行のカウンターの内側の事務スペースだった場所で、
2階部分がすべて吹き抜けなので、とても広々としています。



カプチーノ720円です。

三角形のロゴマークは三菱のスリーダイヤをイメージしています。
カップはNIKKOです。
久しぶりに明治のクラシックな雰囲気の中で、コーヒーを味わいました。
以前、「CAFE 1894」に行った時の記事です。
三越前
日本橋三越本店本館7階催物会場では「数寄景/NEW VIEW—日本を継ぐ,
現代アートのいま—」展が開かれています。
会期は3月23日(月)まで、入場料は一般800円です。
日本文化のキーワードの「あやし」「なぞらえ」「かさね」「ゆらぎ」「奇想」「うつろひ」「今様」
「見立て」の8つのセクションごとに、それぞれ2組のアーティストの作品を展示しています。
「あやし」
岡本瑛里「通りものの路」 2010-2011年 パネルに綿布、アクリル、油彩

岡本瑛里さんは強い色彩と渦巻くような激しい動きで、原初的な民俗の世界を
描き出しています。
金子富之 「黄光飛龍」 2018年

金子富之さん(1978~)は埼玉県出身の日本画家で、山形で世界各地の
神仏精霊や妖怪を描き続けています。
2015年に日本橋髙島屋美術画廊Xで開かれた「―精霊・神仏奇譚―金子富之展」の記事です。
「なぞらえ」
水野里奈「入れ子状に渦巻く」 2018年 油彩、ボールペン

水野里奈さん(1989~)は細密な描写や水墨画を組合わせて、華麗で重層的
な画面を造り上げています。
2019年に銀座 ポーラ ミュージアム アネックスで開かれた「水野里奈展」の記事です。
山本竜基 「天地図」 2014年 アクリル


白衣観音や来迎図も描き込まれた、にぎやかな曼荼羅世界です。
「かさね」
青山悟 「News From Nowhere (labour day)」
2018年 シルクスクリーンプリントに刺繍、ドローイング

8時間労働を要求する旗やLGBT、EU、ゲバラ、雨傘運動など、新旧のデモが
入り混じっています。
川人綾 「Title CUO)」 2019年 アクリル
織物のように見えますが、細密に描かれたアートです。
「ゆらぎ」
赤松音呂 「チョウズマキ」
2018年 水、ガラス容器、磁石、プラスチック、デバイス、コントローラー


ガラスの器の中の水が磁石によって渦巻になり、その音がホーンから響くという、
形もアイデアも面白い作品です。
宮永愛子 「suitcase -key-」 2014年 ナフタリン、樹脂、ミクストメディア

鍵の入った透明なスーツケースが蜜蝋で封印されています。
宮永さんの作品は今年の1月に国立新美術館で開かれた「DOMANI・明日2020」展に
展示されていました。
「DOMANI・明日2020」展の記事です。
「奇想」
池田学 「動物画シリーズ」 右:インドサイ 左:カワセミ 2005年~ インク


池田学さんはペンとカラーインクで細密、壮大な作品を描いています。
teamLab 「世界は、統合されつつ、分割もされ、繰り返しつつ、いつも違う」 2013年
(Interactive Digital Work, 8 Channels, Sound: Hideaki Takahashi



伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」を元に、光るドットの色を変え、絵を動かしています。
「うつろひ」
萩野夕奈 「p-030120_1,2,3」 2020年 油彩

紅色の花と藍色の背景の対比が効いています。
宮本佳美 「Surge of shadow」 2018年 水彩、アクリル

つややかな筆触の静物画です。
「今様」
木村了子 「魔都の海―龍宮楽園図屏風」 2016年 紙本着彩、金箔

海の生物と人が一体となった生き物が自由に遊び回っています。
木村了子 右「普賢菩薩像」 左「文殊菩薩像」 2018年 絹本着色金彩、裏純金箔

妖艶な趣きの菩薩像です。
橋爪彩 右「Toilette des filles 2」 左 「La pette scurse」 油彩

秘密めいた生々しさがあります。
「見立て」
岩崎貴宏 「リフレクション・モデル(サスケハナ)」
2019年 墨汁、檜、シナベニヤ、糸、ワイヤー

サスケハナは1853年に浦賀に来航した、ペリー率いるアメリカの4隻の艦隊
(黒船)の旗艦です。
水に映る形を立体的に表しています。
2014年に国立新美術館で開かれた「17th DOMANI・明日展」にも岩崎貴宏さんの
作品が展示されていました。
「17th DOMANI・明日展」の記事です。
淀川テクニック 「クルマサカオウム No1」 2015年 ゴミ、ミクストメディア

アルチンボルドは野菜や花を集めて肖像画に仕立てましたが、こちらはゴミで
オウムを作っています。
中北紘子さんの作品は写真を撮り忘れてしまいました。
魅力的な作品の揃った、展示期間の短いのがもったいない、面白い展覧会です。
chariot
日本橋三越本店本館7階催物会場では「数寄景/NEW VIEW—日本を継ぐ,
現代アートのいま—」展が開かれています。
会期は3月23日(月)まで、入場料は一般800円です。
日本文化のキーワードの「あやし」「なぞらえ」「かさね」「ゆらぎ」「奇想」「うつろひ」「今様」
「見立て」の8つのセクションごとに、それぞれ2組のアーティストの作品を展示しています。
「あやし」
岡本瑛里「通りものの路」 2010-2011年 パネルに綿布、アクリル、油彩

岡本瑛里さんは強い色彩と渦巻くような激しい動きで、原初的な民俗の世界を
描き出しています。
金子富之 「黄光飛龍」 2018年

金子富之さん(1978~)は埼玉県出身の日本画家で、山形で世界各地の
神仏精霊や妖怪を描き続けています。
2015年に日本橋髙島屋美術画廊Xで開かれた「―精霊・神仏奇譚―金子富之展」の記事です。
「なぞらえ」
水野里奈「入れ子状に渦巻く」 2018年 油彩、ボールペン

水野里奈さん(1989~)は細密な描写や水墨画を組合わせて、華麗で重層的
な画面を造り上げています。
2019年に銀座 ポーラ ミュージアム アネックスで開かれた「水野里奈展」の記事です。
山本竜基 「天地図」 2014年 アクリル


白衣観音や来迎図も描き込まれた、にぎやかな曼荼羅世界です。
「かさね」
青山悟 「News From Nowhere (labour day)」
2018年 シルクスクリーンプリントに刺繍、ドローイング

8時間労働を要求する旗やLGBT、EU、ゲバラ、雨傘運動など、新旧のデモが
入り混じっています。
川人綾 「Title CUO)」 2019年 アクリル
織物のように見えますが、細密に描かれたアートです。
「ゆらぎ」
赤松音呂 「チョウズマキ」
2018年 水、ガラス容器、磁石、プラスチック、デバイス、コントローラー


ガラスの器の中の水が磁石によって渦巻になり、その音がホーンから響くという、
形もアイデアも面白い作品です。
宮永愛子 「suitcase -key-」 2014年 ナフタリン、樹脂、ミクストメディア

鍵の入った透明なスーツケースが蜜蝋で封印されています。
宮永さんの作品は今年の1月に国立新美術館で開かれた「DOMANI・明日2020」展に
展示されていました。
「DOMANI・明日2020」展の記事です。
「奇想」
池田学 「動物画シリーズ」 右:インドサイ 左:カワセミ 2005年~ インク


池田学さんはペンとカラーインクで細密、壮大な作品を描いています。
teamLab 「世界は、統合されつつ、分割もされ、繰り返しつつ、いつも違う」 2013年
(Interactive Digital Work, 8 Channels, Sound: Hideaki Takahashi



伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」を元に、光るドットの色を変え、絵を動かしています。
「うつろひ」
萩野夕奈 「p-030120_1,2,3」 2020年 油彩

紅色の花と藍色の背景の対比が効いています。
宮本佳美 「Surge of shadow」 2018年 水彩、アクリル

つややかな筆触の静物画です。
「今様」
木村了子 「魔都の海―龍宮楽園図屏風」 2016年 紙本着彩、金箔

海の生物と人が一体となった生き物が自由に遊び回っています。
木村了子 右「普賢菩薩像」 左「文殊菩薩像」 2018年 絹本着色金彩、裏純金箔

妖艶な趣きの菩薩像です。
橋爪彩 右「Toilette des filles 2」 左 「La pette scurse」 油彩

秘密めいた生々しさがあります。
「見立て」
岩崎貴宏 「リフレクション・モデル(サスケハナ)」
2019年 墨汁、檜、シナベニヤ、糸、ワイヤー

サスケハナは1853年に浦賀に来航した、ペリー率いるアメリカの4隻の艦隊
(黒船)の旗艦です。
水に映る形を立体的に表しています。
2014年に国立新美術館で開かれた「17th DOMANI・明日展」にも岩崎貴宏さんの
作品が展示されていました。
「17th DOMANI・明日展」の記事です。
淀川テクニック 「クルマサカオウム No1」 2015年 ゴミ、ミクストメディア

アルチンボルドは野菜や花を集めて肖像画に仕立てましたが、こちらはゴミで
オウムを作っています。
中北紘子さんの作品は写真を撮り忘れてしまいました。
魅力的な作品の揃った、展示期間の短いのがもったいない、面白い展覧会です。
上野
上野の森美術館では、「VOCA展2020 現代美術の展望―新しい平面の作家たち」が
開かれています。
会期は3月30日(土)までで、休館日はありません。

VOCA展は全国の学芸員、ジャーナリスト、研究者などに40歳以下の
若手作家を推薦してもらい、その作家が平面作品の新作を出品する
というもので、今年で27回目になります。
VOCAとは、"THE VISION OF CONTEMPORARY ART"のことで、
33組の作家の作品が展示されています。

会場は撮影可能です。
VOCA賞 Nerhol 「Remove」 インクジェットプリント


1969年のアメリカの宇宙飛行士のテストプログラムの連続写真を重ね、
一部を彫り込んでいます。
現実の場面なのに非現実めいて見えます。
VOCA奨励賞 菅実花 「A Happy Birthday, selfiewithme」
インクジェットプリント、iPad

本人と精巧に作られた人形が並んで、記念写真に納まっていて、どちらが人形か
区別が付きません。
人形は3次元の、写真は2次元のコピーともいえます。
大原美術館賞 浅野友理子 「くちあけ」
油彩・水干絵具・岩絵具、木製パネル・和紙


東北の山岳地域と韓国北部の江原道のトチの実やドングリを集める様を描いており、
くちあけとは採取の解禁という意味だそうです。
トチの実、ドングリは古来、貴重な食料でした。
高山夏希 「World of entanglement」 アクリル・油彩・糸・木製パネル


祖父母の家周辺の風景ということで、糸で重層的に造り上げてています。
多田さやか 「網膜剥離」 アクリル・金属・和紙・プラスチック・シナベニヤ

観音座像やトンボ、恐竜、鹿の角など、普段は別々に見ているさまざまな生き物が
重なりあっています。
雲上観音菩薩を見るようでもあります。
立原真理子 左「いつく島」 中央「香山の道すがら」 右「御嶽のある風景」
刺繍糸、網戸


網戸がキャンバスになる、面白い絵です。
網戸が雨に濡れると模様が出来るのを見て着想したのでしょうか。
「平面の作家と」いうことですが、いろいろな素材、発想による立体めいた作品もあり、
興味深い展覧会です。
2019年の「VOCA展2019」展の記事です。
展覧会のHPです。
chariot
上野の森美術館では、「VOCA展2020 現代美術の展望―新しい平面の作家たち」が
開かれています。
会期は3月30日(土)までで、休館日はありません。

VOCA展は全国の学芸員、ジャーナリスト、研究者などに40歳以下の
若手作家を推薦してもらい、その作家が平面作品の新作を出品する
というもので、今年で27回目になります。
VOCAとは、"THE VISION OF CONTEMPORARY ART"のことで、
33組の作家の作品が展示されています。

会場は撮影可能です。
VOCA賞 Nerhol 「Remove」 インクジェットプリント


1969年のアメリカの宇宙飛行士のテストプログラムの連続写真を重ね、
一部を彫り込んでいます。
現実の場面なのに非現実めいて見えます。
VOCA奨励賞 菅実花 「A Happy Birthday, selfiewithme」
インクジェットプリント、iPad

本人と精巧に作られた人形が並んで、記念写真に納まっていて、どちらが人形か
区別が付きません。
人形は3次元の、写真は2次元のコピーともいえます。
大原美術館賞 浅野友理子 「くちあけ」
油彩・水干絵具・岩絵具、木製パネル・和紙


東北の山岳地域と韓国北部の江原道のトチの実やドングリを集める様を描いており、
くちあけとは採取の解禁という意味だそうです。
トチの実、ドングリは古来、貴重な食料でした。
高山夏希 「World of entanglement」 アクリル・油彩・糸・木製パネル


祖父母の家周辺の風景ということで、糸で重層的に造り上げてています。
多田さやか 「網膜剥離」 アクリル・金属・和紙・プラスチック・シナベニヤ

観音座像やトンボ、恐竜、鹿の角など、普段は別々に見ているさまざまな生き物が
重なりあっています。
雲上観音菩薩を見るようでもあります。
立原真理子 左「いつく島」 中央「香山の道すがら」 右「御嶽のある風景」
刺繍糸、網戸


網戸がキャンバスになる、面白い絵です。
網戸が雨に濡れると模様が出来るのを見て着想したのでしょうか。
「平面の作家と」いうことですが、いろいろな素材、発想による立体めいた作品もあり、
興味深い展覧会です。
2019年の「VOCA展2019」展の記事です。
展覧会のHPです。
新宿三丁目
新宿中村屋ビル地下2階の「レストラン&カフェ Manna(マンナ)」に行ってきました。
場所は新宿区新宿三丁目26-13です。

店内は120席あり、全席禁煙、ちょっとクラシックな雰囲気で、店員さんの制服も
昔ながらのデザインです。
BGMはジャズピアノでした。


昭和2年以来の伝統のインドカリーを提供するお店ですが、この日はスイーツにしました。

チーズケーキセット968円です。

常連さんらしいお客さんも多く、元気の良いお店です。
以前、「レストラン&カフェ Manna(マンナ)」に行った時の記事です。
この時はカレーにしました。
新宿中村屋ビルの3階には中村屋サロン美術館があり、中村屋ゆかりの作家たちの
作品などが展示されていますが、現在は3月31日まで休館しています。
chariot
新宿中村屋ビル地下2階の「レストラン&カフェ Manna(マンナ)」に行ってきました。
場所は新宿区新宿三丁目26-13です。

店内は120席あり、全席禁煙、ちょっとクラシックな雰囲気で、店員さんの制服も
昔ながらのデザインです。
BGMはジャズピアノでした。


昭和2年以来の伝統のインドカリーを提供するお店ですが、この日はスイーツにしました。

チーズケーキセット968円です。

常連さんらしいお客さんも多く、元気の良いお店です。
以前、「レストラン&カフェ Manna(マンナ)」に行った時の記事です。
この時はカレーにしました。
新宿中村屋ビルの3階には中村屋サロン美術館があり、中村屋ゆかりの作家たちの
作品などが展示されていますが、現在は3月31日まで休館しています。