日本橋
日本橋髙島屋美術画廊では6月9日(火)まで、「エサシトモコ展」が開かれています。
エサシトモコさん(1958~)はテラコッタによる、猫を題材にした彫刻で有名です。
猫の彫刻はカオデカクンと呼ばれ、いろいろな役に扮しています。
どの猫も切れ長の目をしていて、可愛いというのとは違った存在感と愛敬があります。
今回は滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」ならぬ「八猫伝」の猫たちが並んでいて、
名前も「猫塚信乃」や「猫川荘助」などを名乗っています。
他に大日如来や洋菓子風の猫や、時節柄、あまびえになった猫もいます。
「猫筥」

犬筥(いぬばこ)ならぬ猫筥(ねこばこ)です。
鶴亀や松竹梅も描かれた、目出度い置物です。
犬はお産が軽いということで、安産のお守りの縁起物として、雛飾りと一緒に
犬筥が飾られていました。
参考 犬筥

ようやく、各デパートの営業が再開され、展覧会も開かれるようになりました。
chariot
日本橋髙島屋美術画廊では6月9日(火)まで、「エサシトモコ展」が開かれています。
エサシトモコさん(1958~)はテラコッタによる、猫を題材にした彫刻で有名です。
猫の彫刻はカオデカクンと呼ばれ、いろいろな役に扮しています。
どの猫も切れ長の目をしていて、可愛いというのとは違った存在感と愛敬があります。
今回は滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」ならぬ「八猫伝」の猫たちが並んでいて、
名前も「猫塚信乃」や「猫川荘助」などを名乗っています。
他に大日如来や洋菓子風の猫や、時節柄、あまびえになった猫もいます。
「猫筥」

犬筥(いぬばこ)ならぬ猫筥(ねこばこ)です。
鶴亀や松竹梅も描かれた、目出度い置物です。
犬はお産が軽いということで、安産のお守りの縁起物として、雛飾りと一緒に
犬筥が飾られていました。
参考 犬筥

ようやく、各デパートの営業が再開され、展覧会も開かれるようになりました。
本郷・上野
今日、5月29日に、航空自衛隊のブルーインパルスが新型コロナウイルスに対応する
医療従事者などへの敬意と感謝を示すために、都心上空を飛行しました。
東京大学医学部附属病院近くで撮影しました。
入間基地を飛び立った6機のブルーインパルスは白煙を流しながら、板橋方向から
飛来しました。

左方向に旋回します。


今度は葛飾方向から都心に向かいます。
右奥に順天堂医院が見えます。

この近辺は東京大学医学部附属病院、東京医科歯科大学医学部附属病院、
順天堂医院、都立駒込病院など、新型コロナウイルスに対応している病院が
幾つもあります。
それぞれの持ち場で闘っておられる医療従事者などの皆さんには頭の下がる
思いがします。
おまけに、上野を散歩した写真を乗せます。
上野郵便局のパンダポストです。

上野で活躍するパンダたちです。
右上にはマッサージしてもらっているパンダもいます。
人気者だけにストレスもあるのでしょう。

不忍池の畔にタチアオイが咲いていました。

夕暮の不忍池には蓮の葉が広がっていました。


chariot
今日、5月29日に、航空自衛隊のブルーインパルスが新型コロナウイルスに対応する
医療従事者などへの敬意と感謝を示すために、都心上空を飛行しました。
東京大学医学部附属病院近くで撮影しました。
入間基地を飛び立った6機のブルーインパルスは白煙を流しながら、板橋方向から
飛来しました。

左方向に旋回します。


今度は葛飾方向から都心に向かいます。
右奥に順天堂医院が見えます。

この近辺は東京大学医学部附属病院、東京医科歯科大学医学部附属病院、
順天堂医院、都立駒込病院など、新型コロナウイルスに対応している病院が
幾つもあります。
それぞれの持ち場で闘っておられる医療従事者などの皆さんには頭の下がる
思いがします。
おまけに、上野を散歩した写真を乗せます。
上野郵便局のパンダポストです。

上野で活躍するパンダたちです。
右上にはマッサージしてもらっているパンダもいます。
人気者だけにストレスもあるのでしょう。

不忍池の畔にタチアオイが咲いていました。

夕暮の不忍池には蓮の葉が広がっていました。


デュフィ
私の観た、好きな画家、デュフィの作品を集めて、私の「デュフィ展」を開いてみました。
フランスの画家、ラウル・デュフィ(1877-1953)はフランス北部の港町、ル・アーヴルに
生まれています。
両親は音楽の素養がありましたが、家は貧しく14歳で働きに出ています。
23歳で奨学金を得て、パリの国立美術学校に学び、初めは印象派の影響を受けた絵を
描いています。
やがてマティスやマルケと知り合ってフォーヴィズムに関心を向けるようになります。
ラウル・デュフィ 「トゥリーヴィルのポスター」
油彩、カンヴァス 1906年 パリ国立近代美術館、ポンピドゥー・センター

フォーヴィズムの頃の作品で、画面は色の面によって構成されています。
1907年から11年までは木版画も手掛けています。
特に1908年にドイツに行き、ドイツ表現派の木版画に関心を持ち、帰国後4点の版画を
制作しています。
ラウル・デュフィ 「ダンス」 木版、紙 1910年頃 島根県立石見美術館

緊密な構成の活き活きとした画面で、竹などの植物の表現は装飾的です。
デュフィの作品にはこの装飾性が強く表れるようになります。
1920年代になると明るく透明な色彩でのびのびと描く、デュフィらしい画風が表れてきます。
南仏にも旅行し、青色を基調にした地中海沿いの光景が描かれるようになります。
ラウル・デュフィ 「信号所」 1924年頃 松岡美術館

夜の海の景色で、青い水面には船の影が長く映っています。
白く月も映り、雲も光に照らされています。
右側には赤い建物があって、緑色の陸には人の姿も見え、一人は海の方を
指しています。
活き活きとして快活な作品です。
ラウル・デュフィ 「海の祭り、ル・アーヴルへの公式訪問」
1925年頃 ル・アーヴル、アンドレ・マルロー美術館

海にちなんだ式典でしょうか、港には満艦飾の汽船や帆をふくらませたヨット、櫂を立てた
ボートが集まり、手前では馬車のパレードが歓呼の中を進んでいます。
ル・アーヴル生まれのラウル・デュフィはノルマンディー各地をよく題材にしています。
第二次世界大戦中、1944年の連合国軍によるノルマンディー上陸作戦に続く攻撃により
ル・アーヴルの市街は破壊されましたが、戦後に再建されています。
ラウル・デュフィ 「メナラ宮の内部」 1926年 大谷コレクション

水彩画で、モロッコに旅行した時の景色です。
軽やかな筆遣いで、アラベスク模様を明るく輝くように描いています。
ラウル・デュフィ 「ニースの窓辺」 油彩、カンヴァス 1928年 島根県立美術館

2つの窓の向こうに広がる海辺の景色、窓の間の鏡に映る室内という面白い構図で、
部屋の中に風が吹き込んでくるようです。
ラウル・デュフィ 「ニースのホテルの室内」 1928年 日本、個人蔵

豪華な赤い室内と青い南仏の海と空を元気よく取り合わせ、
室内の鏡にも外の青色を映しています。
ラウル・デュフィ 「馬に乗ったケスラー一家」 油彩、カンヴァス 1932年 テート

イギリスの富豪、ジャン・バティスト・オーグスト・ケスラーの注文で制作された作品で、
横2.7mの大作です。
乗馬という、イギリス人好みの場面で、色彩はまとめられ、背景に地模様のように
びっしりと樹木が描かれ、人馬も連続模様のようなリズム感をもっています。
一番左の馬は半分青色に塗られています。
ラウル・デュフィ 「サン=タドレスで水浴する女性」
1935年頃 ル・アーヴル、アンドレ・マルロー美術館

サン=タドレスはル・アーヴルの隣にある町です。
フォーヴィズムやキュビズム時代のような強い色彩と形の背景の中に女性が座っています。
デュフィはよく画面の中心に女性を置く構図で描いています。
ラウル・デュフィ 「アンフィトリテ(海の女神)」 油彩、カンヴァス 1936年 伊丹市立美術館

朝日の昇る海にボート、ヨット、帆船、外輪船、貨物船が浮かび、地引網や浜辺を
散歩する人が見えます。
中心にギリシャ神話の海の女神、アンフィトリテが座って、巻貝から聞こえる海の音を
聴いています。
海の色は自在に塗り分けられ、豊かな地中海世界が広がっています。
デュフィはクロード・ロランを「私の神である」と語っていたそうですが、まさしく
クロード・ロランへのオマージュのような作品です。
デュフィはギリシャ・ローマ神話の神々をよく描いています。
地中海世界の豊穣さを象徴しているのでしょうか。
ラウル・デュフィ 「マキシム」 水彩、グアッシュ、紙 1950年 個人蔵

1945年に第2次世界大戦が終わり、平和の戻ったパリのレストラン、マキシムの賑わいを
描いています。
デュフィはデザイン関係の作品も多く手がけています。
1909年にファッションデザイナーのポール・ポワレと出会い、1911年には共同で
テキスタイルの製作所を設立しています。
また、1912年にはリヨンの絹織物制作会社、ビアンキーニ・フェリエ社とデザイナー契約を
結んで、テキスタイル画を描いています。
ラウル・デュフィ 「たちあおい」 シルクにプリント 1918年 島根県立石見美術館

装飾性にあふれた、華やかな連続模様です。
ラウル・デュフィ 「バラとミモザのある花束」 水彩 1930年頃

黒の背景がシックで華やかな、みずみずしい感覚のデザイン画です。
ラウル・デュフィ 「ポワレの服を着たモデルたち、1923年の競馬」 1943年 アーティゾン美術館

ポール・ポワレはファッション・デザイナーで、女性のファッションからコルセットを
追放したことで有名です。
ポワレの依頼で制作した作品に基き、後年描いたものです。
デュフィのよく描いた競馬の情景を背景に、ゆったりしたドレスを着たモデルたちが
ポーズを決めています。
2019年にはパナソニック汐留美術館で、「ラウル・デュフィ展 ― 絵画とテキスタイル・
デザイン ―」が開かれ、デュフィのデザインしたテキスタイルが多数、展示されていました。
「ラウル・デュフィ展 ― 絵画とテキスタイル・デザイン ―」の記事です。
デュフィは音楽を題材にした作品も多く描いています。
オーケストラを描いた作品は音楽が響き渡るような高揚感があります。
ラウル・デュフィ 「オーケストラ」 1942年 アーティゾン美術館

湧き上がる音楽が聞こえてくるようです。
ティンパニやシンバルも鳴っていて、交響曲のクライマックスの場面でしょうか。
ラウル・デュフィ 「ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ」 油彩、カンヴァス 1952年
パリ国立近代美術館、ポンピドゥー・センター

バッハをヴァイオリンと紅色で表現しています。
描いてある壁紙はデュフィのデザインした、ビアンキーニ・フェリエ社の壁紙です。
右の壁に描かれている絵は、「花束」(フレスコ 1951年 宇都宮美術館)です。
ラウル・デュフィ 「クロード・ドビュッシーへのオマージュ」 油彩、カンヴァス 1952年
アンドレ・マルロー近代美術館

ドビュッシーはやはりピアノで表されています。
晩年には黒い貨物船の描き込まれた作品が現れます。
船は正面を向いているので、自分に向かってくる物として描いているように見えます。
何を表そうとしているのでしょうか、違和感のある存在です。
ラウル・デュフィ 「サン=タドレスの黒い貨物船」 1948-52年
パリ、国立近代美術館(カオール、アンリ・マルタン美術館へ寄託)

海岸で日光浴する人と、網を持ってエビ漁をしている漁師が一緒に描かれています。
ラウル・デュフィ 「黒い貨物船」 1948年以降
パリ、国立近代美術館(ルーべ、アンドレ・ディリジャン美術館へ寄託)

貨物船はどんどん迫ってきて、画面の中心を暗い色で覆っています。
ラウル・デュフィ 「赤い彫刻のあるアトリエ」 1949年頃
ル・アーヴル、アンドレ・マルロー美術館

デュフィらしい明るい色彩の室内画で、窓からは海の景色が見え、イーゼルには
描きかけの絵が置いてあって、貨物船も輪郭線だけが描かれています。
一見、楽天的に見えるデュフィの作品ですが、少年時代は貧しかったり、晩年は関節炎に
苦しんだり、第二次大戦中はフランスがドイツに占領されたのでスペイン国境近くに
逃れたりと、人生は平坦ではありませんでした。
しかし、それを表に出すことは無く、世界を明るく肯定的に描き続けています。
chariot
私の観た、好きな画家、デュフィの作品を集めて、私の「デュフィ展」を開いてみました。
フランスの画家、ラウル・デュフィ(1877-1953)はフランス北部の港町、ル・アーヴルに
生まれています。
両親は音楽の素養がありましたが、家は貧しく14歳で働きに出ています。
23歳で奨学金を得て、パリの国立美術学校に学び、初めは印象派の影響を受けた絵を
描いています。
やがてマティスやマルケと知り合ってフォーヴィズムに関心を向けるようになります。
ラウル・デュフィ 「トゥリーヴィルのポスター」
油彩、カンヴァス 1906年 パリ国立近代美術館、ポンピドゥー・センター

フォーヴィズムの頃の作品で、画面は色の面によって構成されています。
1907年から11年までは木版画も手掛けています。
特に1908年にドイツに行き、ドイツ表現派の木版画に関心を持ち、帰国後4点の版画を
制作しています。
ラウル・デュフィ 「ダンス」 木版、紙 1910年頃 島根県立石見美術館

緊密な構成の活き活きとした画面で、竹などの植物の表現は装飾的です。
デュフィの作品にはこの装飾性が強く表れるようになります。
1920年代になると明るく透明な色彩でのびのびと描く、デュフィらしい画風が表れてきます。
南仏にも旅行し、青色を基調にした地中海沿いの光景が描かれるようになります。
ラウル・デュフィ 「信号所」 1924年頃 松岡美術館

夜の海の景色で、青い水面には船の影が長く映っています。
白く月も映り、雲も光に照らされています。
右側には赤い建物があって、緑色の陸には人の姿も見え、一人は海の方を
指しています。
活き活きとして快活な作品です。
ラウル・デュフィ 「海の祭り、ル・アーヴルへの公式訪問」
1925年頃 ル・アーヴル、アンドレ・マルロー美術館

海にちなんだ式典でしょうか、港には満艦飾の汽船や帆をふくらませたヨット、櫂を立てた
ボートが集まり、手前では馬車のパレードが歓呼の中を進んでいます。
ル・アーヴル生まれのラウル・デュフィはノルマンディー各地をよく題材にしています。
第二次世界大戦中、1944年の連合国軍によるノルマンディー上陸作戦に続く攻撃により
ル・アーヴルの市街は破壊されましたが、戦後に再建されています。
ラウル・デュフィ 「メナラ宮の内部」 1926年 大谷コレクション

水彩画で、モロッコに旅行した時の景色です。
軽やかな筆遣いで、アラベスク模様を明るく輝くように描いています。
ラウル・デュフィ 「ニースの窓辺」 油彩、カンヴァス 1928年 島根県立美術館

2つの窓の向こうに広がる海辺の景色、窓の間の鏡に映る室内という面白い構図で、
部屋の中に風が吹き込んでくるようです。
ラウル・デュフィ 「ニースのホテルの室内」 1928年 日本、個人蔵

豪華な赤い室内と青い南仏の海と空を元気よく取り合わせ、
室内の鏡にも外の青色を映しています。
ラウル・デュフィ 「馬に乗ったケスラー一家」 油彩、カンヴァス 1932年 テート

イギリスの富豪、ジャン・バティスト・オーグスト・ケスラーの注文で制作された作品で、
横2.7mの大作です。
乗馬という、イギリス人好みの場面で、色彩はまとめられ、背景に地模様のように
びっしりと樹木が描かれ、人馬も連続模様のようなリズム感をもっています。
一番左の馬は半分青色に塗られています。
ラウル・デュフィ 「サン=タドレスで水浴する女性」
1935年頃 ル・アーヴル、アンドレ・マルロー美術館

サン=タドレスはル・アーヴルの隣にある町です。
フォーヴィズムやキュビズム時代のような強い色彩と形の背景の中に女性が座っています。
デュフィはよく画面の中心に女性を置く構図で描いています。
ラウル・デュフィ 「アンフィトリテ(海の女神)」 油彩、カンヴァス 1936年 伊丹市立美術館

朝日の昇る海にボート、ヨット、帆船、外輪船、貨物船が浮かび、地引網や浜辺を
散歩する人が見えます。
中心にギリシャ神話の海の女神、アンフィトリテが座って、巻貝から聞こえる海の音を
聴いています。
海の色は自在に塗り分けられ、豊かな地中海世界が広がっています。
デュフィはクロード・ロランを「私の神である」と語っていたそうですが、まさしく
クロード・ロランへのオマージュのような作品です。
デュフィはギリシャ・ローマ神話の神々をよく描いています。
地中海世界の豊穣さを象徴しているのでしょうか。
ラウル・デュフィ 「マキシム」 水彩、グアッシュ、紙 1950年 個人蔵

1945年に第2次世界大戦が終わり、平和の戻ったパリのレストラン、マキシムの賑わいを
描いています。
デュフィはデザイン関係の作品も多く手がけています。
1909年にファッションデザイナーのポール・ポワレと出会い、1911年には共同で
テキスタイルの製作所を設立しています。
また、1912年にはリヨンの絹織物制作会社、ビアンキーニ・フェリエ社とデザイナー契約を
結んで、テキスタイル画を描いています。
ラウル・デュフィ 「たちあおい」 シルクにプリント 1918年 島根県立石見美術館

装飾性にあふれた、華やかな連続模様です。
ラウル・デュフィ 「バラとミモザのある花束」 水彩 1930年頃

黒の背景がシックで華やかな、みずみずしい感覚のデザイン画です。
ラウル・デュフィ 「ポワレの服を着たモデルたち、1923年の競馬」 1943年 アーティゾン美術館

ポール・ポワレはファッション・デザイナーで、女性のファッションからコルセットを
追放したことで有名です。
ポワレの依頼で制作した作品に基き、後年描いたものです。
デュフィのよく描いた競馬の情景を背景に、ゆったりしたドレスを着たモデルたちが
ポーズを決めています。
2019年にはパナソニック汐留美術館で、「ラウル・デュフィ展 ― 絵画とテキスタイル・
デザイン ―」が開かれ、デュフィのデザインしたテキスタイルが多数、展示されていました。
「ラウル・デュフィ展 ― 絵画とテキスタイル・デザイン ―」の記事です。
デュフィは音楽を題材にした作品も多く描いています。
オーケストラを描いた作品は音楽が響き渡るような高揚感があります。
ラウル・デュフィ 「オーケストラ」 1942年 アーティゾン美術館

湧き上がる音楽が聞こえてくるようです。
ティンパニやシンバルも鳴っていて、交響曲のクライマックスの場面でしょうか。
ラウル・デュフィ 「ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ」 油彩、カンヴァス 1952年
パリ国立近代美術館、ポンピドゥー・センター

バッハをヴァイオリンと紅色で表現しています。
描いてある壁紙はデュフィのデザインした、ビアンキーニ・フェリエ社の壁紙です。
右の壁に描かれている絵は、「花束」(フレスコ 1951年 宇都宮美術館)です。
ラウル・デュフィ 「クロード・ドビュッシーへのオマージュ」 油彩、カンヴァス 1952年
アンドレ・マルロー近代美術館

ドビュッシーはやはりピアノで表されています。
晩年には黒い貨物船の描き込まれた作品が現れます。
船は正面を向いているので、自分に向かってくる物として描いているように見えます。
何を表そうとしているのでしょうか、違和感のある存在です。
ラウル・デュフィ 「サン=タドレスの黒い貨物船」 1948-52年
パリ、国立近代美術館(カオール、アンリ・マルタン美術館へ寄託)

海岸で日光浴する人と、網を持ってエビ漁をしている漁師が一緒に描かれています。
ラウル・デュフィ 「黒い貨物船」 1948年以降
パリ、国立近代美術館(ルーべ、アンドレ・ディリジャン美術館へ寄託)

貨物船はどんどん迫ってきて、画面の中心を暗い色で覆っています。
ラウル・デュフィ 「赤い彫刻のあるアトリエ」 1949年頃
ル・アーヴル、アンドレ・マルロー美術館

デュフィらしい明るい色彩の室内画で、窓からは海の景色が見え、イーゼルには
描きかけの絵が置いてあって、貨物船も輪郭線だけが描かれています。
一見、楽天的に見えるデュフィの作品ですが、少年時代は貧しかったり、晩年は関節炎に
苦しんだり、第二次大戦中はフランスがドイツに占領されたのでスペイン国境近くに
逃れたりと、人生は平坦ではありませんでした。
しかし、それを表に出すことは無く、世界を明るく肯定的に描き続けています。
旧約聖書
旧約聖書を題材にした作品を集めてみました。
イエス・キリスト誕生以後について記した新約聖書に対し、キリスト以前を記した書を
旧約聖書と呼びます。
古代イスラエル民族の興亡の記録、預言者の言葉、物語、詩など、さまざまな内容を
含みます。
システィーナ礼拝堂天井画、「アダムの創造」 ミケランジェロ・ブオナローティ

創世記にある、神が天地創造の6日目にアダムを創り、生命を与える瞬間で、
天井画の中で最も有名な場面です。
天使たちに担われて近づく神の動、手を差し伸ばしてそれを待つアダムの静が
見事に描き分けられています。
「アダムとイヴ」 1967-71年 靉嘔

虹色を使った初期の代表作です。
靉嘔(あい おう)さん(1931~)は茨城県出身で、虹色を使った作品により、
「虹のアーティスト」として有名です。
神はアダムの次にイヴを創り、二人はエデンの園に置かれます。
「エデンの園のエヴァ」 アンリ・ルソー 1906-1910年頃 ポーラ美術館

森の中でエヴァ(イヴ)は満月の光に包まれて、花を摘み取っています。
エヴァの周りに生い茂る植物はとても幻想的です。
「堕罪の場面のある楽園の風景」 ヤン・ブリューゲル(父)
1612-13年頃 ウィーン美術史美術館


イヴは蛇にそそのかされて、食べてはいけないとされた知恵の木の実を食べ、
アダムにも食べさせます。
これが原罪として、人類に受け継がれることになります。
ヤン・ブリューゲル(父)(1568-1625)はフランドルの画家、ピーテル・ブリューゲルの
次男で、花の絵が得意だったことから、花のブリューゲルと呼ばれています。
一つの画面にさまざまの動物を収める絵もよく描いていて、この絵でも様々な鳥や
動物が描き込まれ、アダムとイヴは奥の方に小さく見えるだけです。
「ノアの箱舟への乗船」 ヤン・ブリューゲル1世
1615年頃 油彩、板 デッサウ、アンハルト絵画館

神は地上に人が増えすぎ、悪を行なっているのを見て、すべて滅ぼすことを決めますが、
ノアだけは正しい人だったので、神はノアに箱舟を作らせ、ノアと家族、ひとつがいの
動物たちだけを乗せるように命じます。
その後、地上に大洪水が起こり、ノアたちだけが生き残ります。
ヤン・ブリューゲル(父)は一つの画面にさまざまの動物を収める絵もよく描いていて、
ノアの箱舟はそれにふさわしい画題です。
描き方は父と同じく細密です。
「バベルの塔」 ピーテル・ブリューゲル
油彩、板 1568年頃 ロッテルダム、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館


創世記によれば、人びとはレンガとアスファルトで、天にまで届く高い塔を
建てることを始めます。
そこで神は人びとの話す言葉を乱し、言葉が通じないようにしたので、
皆散り散りとなってしまいました。
「バベルの塔」はブリューゲルの代表作の一つです。
横74.6㎝の作品で、海辺の巨大な円錐の塔が描かれています。
螺旋状の構造になっていて、階によってアーチの形も違い、上の階には
雲がかかっています。
左側の白い部分は漆喰をクレーンで運び上げているところで、漆喰をかぶって
白くなった作業員も描き込まれています。
「バベルの塔」 渡辺禎雄 1965年

大勢の人たちが天まで届く塔を建てる作業にせっせといそしんでいます。
何となくとぼけた表情に味わいがあります。
渡辺禎雄(わたなべさだお:1913-1996)は型染版画家で、民藝運動の
一員の芹沢銈介に師事して型染の技法を学んでいます。
クリスチャンの渡辺禎雄は聖書や聖人を題材にした版画を数多く描いています。
民藝風の素朴さと中世キリスト教絵画の精神性さが一体となった、
優しく味わい深い作風です。
「サラ」 ジョルジュ・ルオー 油彩、紙 1956年 ジョルジュ・ルオー財団

ルオーの最晩年の作品で、アーチで囲まれ、ステンドグラスのように輝いています。
サラは旧約聖書のアブラハムの妻で、神の約束により、90歳でイサクを産んでいます。
この絵はルオーの死後、慣例的にこの名で呼ばれています。
アブラハムはユダヤ人、アラブ人の祖とされる人物です。
マンガン彩組絵タイル 「ハガルの追放」
19世紀 オランダ 常滑市、世界のタイル博物館

旧約聖書創世記の、アブラハムがハガルとイシュマエルを追放する場面です。
オランダでは18世紀からマンガン鉱による紫色の絵具が作られ、マンガン紫として
人気を呼んでいます。
ハガルはアブラハムの奴隷で、サラがイサクを産む前にイシュマエルを産んでいます。
そのため、サラはイサクの立場が危うくなるのを恐れ、アブラハムに願ってハガルと
イシュマエルを荒野に追放してしまいます。
イサクはユダヤ人の祖、イシュマエルはアラブ人の祖とされています。
「ヤコブの梯子」 マルク・シャガール 1973年 個人蔵

ヤコブはイサクの子です。
ヤコブの梯子は旧約聖書創世記でヤコブが夢に見たという、
天と地を結ぶ梯子で、天使が昇り降りしていました。
神はその地をヤコブに与え、子孫の繁栄を約束しています。
シャガールはよく聖書の世界を題材にしています。
「ラテン語聖書零葉:ヨシュア記・本文第1章
(イニシアルE/ヨシュアに語りかける父なる神)」
ロレーヌ地方(メッス?)、1310-20年頃 インク、金、彩色/獣皮紙
国立西洋美術館


ヨシュア記は旧約聖書の中の、エジプトからイスラエルの民を救い出したモーセの
後継者、ヨシュアが民を連れてヨルダン川を渡り、カナン(現在のパレスチナ)を
征服していく物語です。
丸い「E」の字の中に描かれているのは、神がヨシュアにヨルダン川を渡れと
告げているところでしょうか。
中世は絵具の数が少ないので、補色を利用して、色の効果を強めていたそうです。
「アモリびとを打ち破るヨシュア」 ニコラ・プッサン 1624-25年頃 プーシキン美術館

旧約聖書のヨシュア記の一場面で、モーセの後継者ヨシュアの軍勢が
カナンのアモリ人を打ち破っています。
ヨシュアが太陽と月に命じて一日留まらせたという記述を表すため、
太陽と月が描かれています。
ニコラ・プッサンは静かな古典主義の画家として有名ですが、この作品は
ローマで修業を始めた頃のもので、動的な歴史画になっています。
画面も古代ユダヤというより、ギリシャ・ローマ風です。
アモリ人は中東の各地域に居住していた部族です。
「ゴリアテの首を持つダヴィデ」 グエルチーノ 1650年頃 国立西洋美術館

国立西洋美術館の所蔵するグエルチーノの作品です。
旧約聖書のサムエル記にある話で、ダビデが投石器を使ってペリシテ人の巨人、
ゴリアテを倒し、ゴリアテの剣を使って首を斬っています。
ダビデは天を仰いでイスラエルの神に感謝していて、ダビデを照らす光は
神の祝福を表しています。
サムエルはイスラエルの指導者で、民が王を望むのでサウルを選び、
イスラエル最初の王とします。
ダビデはそのサウルの後継者で、後に王となります。
「サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ」 レンブラント・ファン・レイン
1630-31年頃 フランクフルト、シュテーデル美術館

サムエル記にある話で、サウル王はダビデの弾く竪琴を
よく聴いていましたが、ダビデがペリシテ人との戦いで巨人ゴリアテに
石を投げて殺し、名声が高まるとダビデを恐れ、妬み、遂には槍を
投げて殺そうとします。
豪華な衣装に身を包んだ老いたサウルが、竪琴を弾く若いダヴィデにまさに
槍を投げようとする直前の暗い怒りの瞬間を捉えています。
「バテシバ」 セバスティアーノ・リッチ 油彩、カンヴァス 1725年頃 ベルリン国立美術館

サムエル記に書かれた、ダビデ王が部下のウリヤの妻バテシバの入浴する姿を見て
横恋慕し、ウリヤを戦場に送って戦死させ、バテシバを妻としたという話を題材にしています。
レンブラントの作品にも描かれた有名な場面ですが、こちらは華やかな明るい色彩で、
画面に動きもあり、聖書というより古典古代の世界を見るようです。
セバスティアーノ・リッチ(1659-1734)はヴェネツィア出身の画家で、ヨーロッパ各地で
神話や歴史を題材にした作品を描いています。
「旧約聖書物語 挿絵」より「ソロモン王とエルサレム」 青木繁
1906年 ニューオーサカホテル

ソロモン王はダビデとバテシバとの間に生まれた子で、イスラエルの王を継いでいます。
青木繁の好んだ神話的な題材です。
「運命を悟るハマン」 レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン
1660年代前半 エルミタージュ美術館

旧約聖書のエステル記のお話で、ペルシャの権力者だったハマンが自国に居る
ユダヤ人を皆殺しにしようと画策しますが、王妃でユダヤ人のエステルの機転により
逆にハマンが死刑になってしまいます。
暗い背景の中に浮かぶハマンはトルコ風の衣装を着ていて、後ろに刑を宣告した
クセルクセス王の姿も見えます。
「スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)」 エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ
1891年 水彩、グワッシュ・紙

大きな作品で、旧約聖書の雅歌の一節を主題にしています。
雅歌は男女の愛を歌った歌集で、旧約聖書では珍しい内容です。
白百合は純潔を表し、二人の女性が象徴する北風と南風が風を起こす中を、
レバノンの花嫁が歩んでいます。
バーン=ジョーンズらしい落着いた色彩による、すらりとした姿の女性像です。
「最愛の人(花嫁)」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1865-66年 ロンドン、テート美術館

旧約聖書の「雅歌」に触発された作品で、未来の夫の前でヴェールを脱ぐ
花嫁を描いています。
花嫁の服は日本の着物を基にしています。
「エゼキエルの幻視」 ラファエロ・サンティ 1518年頃 フィレンツェ、パラティーナ美術館

1520年に37歳で亡くなったというラファエロの若い晩年の作品です。
旧約聖書のエゼキエル書にある、預言者エゼキエルの視たという神の姿を
描いています。
神は人、獅子、牛、鷲の顔をした4つの生き物ともに現れています。
左下にはエゼキエルかと思われる人物を雲間から照らす光も見えます。
小品ですが、構想が大きく、画面も緊密で、「アテネの学堂」などの
大画面を描いたラファエロの力量を示しています。
「スザンナと老人たち」 グエルチーノ 1649-50年 パルマ国立美術館

旧約聖書のダニエル書の補遺として伝わる話で、水浴をしていたスザンナが
2人の長老に覗き見され、関係を迫られるという話です。
女性の裸体を題材にしているので、ティントレット、ルーベンス、レンブラント、
シャセリオ―など多くの画家に描かれています。
グエルチーノ、本名:ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ(1591-1666)は
イタリアのチェントの出身で、バロックを代表する画家の一人です。
「トビアと天使のいる風景」 クロード・ロラン 1663年 エルミタージュ美術館

旧約聖書のトビト書の、チグリス河畔でトビアが巨大な魚に食われようとして、
大天使ラファエルによって救われ、魚の内臓を取り出している場面です。
夕陽が空や雲、野原や木々を照らし、雲は輝いています。
トビアは魚の胆汁を得て、雀の糞が目に入って盲目になっていた父のトビトの目に塗ると、
トビトの目は治ります。
トビト書はユダヤ教では外典、カトリックでは旧約聖書続編とされ、プロテスタントでは
聖書とはされていないという、特殊な書です。
「トビアスと天使」 フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス 1787年頃 プラド美術館

旧約聖書のトビト書の、チグリス河畔でトビアスが巨大な魚に食われようとして、
大天使ラファエルによって救われる場面です。
世俗を鋭く描いた画家としてのイメージの強いゴヤですが、宗教画にも
優れていたことが分かります。
「ホロフェルネスの首を持つユディト」 ルーカス・クラーナハ(父)
1530年頃 ウィーン美術史美術館

旧約聖書外典のユディト記に書かれた話で、アッシリア軍がユダヤの町に攻めてきた時に、
その将軍ホロフェルネスを誘惑し、泥酔している隙にその首を獲って町を救っています。
ボッティチェリ、カラヴァッジョ、クリムトなど、多くの画家が描いている刺激的な画題です。
豪華な衣装を着けたユディトの肌はつややかな張りがあり、瞳はきらめいています。
クラーナハはユディトやサロメなど、女性の持つ危険な魅力をよく題材に選んでいます。
「ホロフェルネスの首を持つユディト」 ルーカス・クラーナハ(父)
1530年頃 国立西洋美術館

高さ37.2㎝の小品で、板に油彩で描かれています。
人気のある画題で、クラーナハはユディトを10数点描いています。
豪華な衣装と冷ややかな微笑みが魅力です。
「ホロフェルネスの首を持つユディト」
ヴェロネーゼ 1580年頃 ウィーン美術史美術館

ユディトは獲った首を上気した誇らしげな顔で召使に見せています。
パオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)はティントレットと共に、ルネサンス後期の
ヴェネツィアを代表する画家で、特に色遣いが見事です。
「ユディトⅠ」 グスタフ・クリムト 1901年 ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館

クリムトの代表作の一つで、初めて金箔を使った装飾的な作品です。
当時は日本趣味の流行した時代で、特にクリムトは強い影響を受けています。
額縁もクリムトがデザインし、弟で金属工芸家のゲオルクが制作しています。
JVDiTH VND HOLOFERNESと書かれていて、古いラテン語風にUとVを同じ文字に
しています。
西洋画の主な画題は聖書と歴史なので、さまざまな作品が揃います。
花鳥画や風景画を好む東洋画とはかなり違います。
chariot
旧約聖書を題材にした作品を集めてみました。
イエス・キリスト誕生以後について記した新約聖書に対し、キリスト以前を記した書を
旧約聖書と呼びます。
古代イスラエル民族の興亡の記録、預言者の言葉、物語、詩など、さまざまな内容を
含みます。
システィーナ礼拝堂天井画、「アダムの創造」 ミケランジェロ・ブオナローティ

創世記にある、神が天地創造の6日目にアダムを創り、生命を与える瞬間で、
天井画の中で最も有名な場面です。
天使たちに担われて近づく神の動、手を差し伸ばしてそれを待つアダムの静が
見事に描き分けられています。
「アダムとイヴ」 1967-71年 靉嘔

虹色を使った初期の代表作です。
靉嘔(あい おう)さん(1931~)は茨城県出身で、虹色を使った作品により、
「虹のアーティスト」として有名です。
神はアダムの次にイヴを創り、二人はエデンの園に置かれます。
「エデンの園のエヴァ」 アンリ・ルソー 1906-1910年頃 ポーラ美術館

森の中でエヴァ(イヴ)は満月の光に包まれて、花を摘み取っています。
エヴァの周りに生い茂る植物はとても幻想的です。
「堕罪の場面のある楽園の風景」 ヤン・ブリューゲル(父)
1612-13年頃 ウィーン美術史美術館


イヴは蛇にそそのかされて、食べてはいけないとされた知恵の木の実を食べ、
アダムにも食べさせます。
これが原罪として、人類に受け継がれることになります。
ヤン・ブリューゲル(父)(1568-1625)はフランドルの画家、ピーテル・ブリューゲルの
次男で、花の絵が得意だったことから、花のブリューゲルと呼ばれています。
一つの画面にさまざまの動物を収める絵もよく描いていて、この絵でも様々な鳥や
動物が描き込まれ、アダムとイヴは奥の方に小さく見えるだけです。
「ノアの箱舟への乗船」 ヤン・ブリューゲル1世
1615年頃 油彩、板 デッサウ、アンハルト絵画館

神は地上に人が増えすぎ、悪を行なっているのを見て、すべて滅ぼすことを決めますが、
ノアだけは正しい人だったので、神はノアに箱舟を作らせ、ノアと家族、ひとつがいの
動物たちだけを乗せるように命じます。
その後、地上に大洪水が起こり、ノアたちだけが生き残ります。
ヤン・ブリューゲル(父)は一つの画面にさまざまの動物を収める絵もよく描いていて、
ノアの箱舟はそれにふさわしい画題です。
描き方は父と同じく細密です。
「バベルの塔」 ピーテル・ブリューゲル
油彩、板 1568年頃 ロッテルダム、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館


創世記によれば、人びとはレンガとアスファルトで、天にまで届く高い塔を
建てることを始めます。
そこで神は人びとの話す言葉を乱し、言葉が通じないようにしたので、
皆散り散りとなってしまいました。
「バベルの塔」はブリューゲルの代表作の一つです。
横74.6㎝の作品で、海辺の巨大な円錐の塔が描かれています。
螺旋状の構造になっていて、階によってアーチの形も違い、上の階には
雲がかかっています。
左側の白い部分は漆喰をクレーンで運び上げているところで、漆喰をかぶって
白くなった作業員も描き込まれています。
「バベルの塔」 渡辺禎雄 1965年

大勢の人たちが天まで届く塔を建てる作業にせっせといそしんでいます。
何となくとぼけた表情に味わいがあります。
渡辺禎雄(わたなべさだお:1913-1996)は型染版画家で、民藝運動の
一員の芹沢銈介に師事して型染の技法を学んでいます。
クリスチャンの渡辺禎雄は聖書や聖人を題材にした版画を数多く描いています。
民藝風の素朴さと中世キリスト教絵画の精神性さが一体となった、
優しく味わい深い作風です。
「サラ」 ジョルジュ・ルオー 油彩、紙 1956年 ジョルジュ・ルオー財団

ルオーの最晩年の作品で、アーチで囲まれ、ステンドグラスのように輝いています。
サラは旧約聖書のアブラハムの妻で、神の約束により、90歳でイサクを産んでいます。
この絵はルオーの死後、慣例的にこの名で呼ばれています。
アブラハムはユダヤ人、アラブ人の祖とされる人物です。
マンガン彩組絵タイル 「ハガルの追放」
19世紀 オランダ 常滑市、世界のタイル博物館

旧約聖書創世記の、アブラハムがハガルとイシュマエルを追放する場面です。
オランダでは18世紀からマンガン鉱による紫色の絵具が作られ、マンガン紫として
人気を呼んでいます。
ハガルはアブラハムの奴隷で、サラがイサクを産む前にイシュマエルを産んでいます。
そのため、サラはイサクの立場が危うくなるのを恐れ、アブラハムに願ってハガルと
イシュマエルを荒野に追放してしまいます。
イサクはユダヤ人の祖、イシュマエルはアラブ人の祖とされています。
「ヤコブの梯子」 マルク・シャガール 1973年 個人蔵

ヤコブはイサクの子です。
ヤコブの梯子は旧約聖書創世記でヤコブが夢に見たという、
天と地を結ぶ梯子で、天使が昇り降りしていました。
神はその地をヤコブに与え、子孫の繁栄を約束しています。
シャガールはよく聖書の世界を題材にしています。
「ラテン語聖書零葉:ヨシュア記・本文第1章
(イニシアルE/ヨシュアに語りかける父なる神)」
ロレーヌ地方(メッス?)、1310-20年頃 インク、金、彩色/獣皮紙
国立西洋美術館


ヨシュア記は旧約聖書の中の、エジプトからイスラエルの民を救い出したモーセの
後継者、ヨシュアが民を連れてヨルダン川を渡り、カナン(現在のパレスチナ)を
征服していく物語です。
丸い「E」の字の中に描かれているのは、神がヨシュアにヨルダン川を渡れと
告げているところでしょうか。
中世は絵具の数が少ないので、補色を利用して、色の効果を強めていたそうです。
「アモリびとを打ち破るヨシュア」 ニコラ・プッサン 1624-25年頃 プーシキン美術館

旧約聖書のヨシュア記の一場面で、モーセの後継者ヨシュアの軍勢が
カナンのアモリ人を打ち破っています。
ヨシュアが太陽と月に命じて一日留まらせたという記述を表すため、
太陽と月が描かれています。
ニコラ・プッサンは静かな古典主義の画家として有名ですが、この作品は
ローマで修業を始めた頃のもので、動的な歴史画になっています。
画面も古代ユダヤというより、ギリシャ・ローマ風です。
アモリ人は中東の各地域に居住していた部族です。
「ゴリアテの首を持つダヴィデ」 グエルチーノ 1650年頃 国立西洋美術館

国立西洋美術館の所蔵するグエルチーノの作品です。
旧約聖書のサムエル記にある話で、ダビデが投石器を使ってペリシテ人の巨人、
ゴリアテを倒し、ゴリアテの剣を使って首を斬っています。
ダビデは天を仰いでイスラエルの神に感謝していて、ダビデを照らす光は
神の祝福を表しています。
サムエルはイスラエルの指導者で、民が王を望むのでサウルを選び、
イスラエル最初の王とします。
ダビデはそのサウルの後継者で、後に王となります。
「サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ」 レンブラント・ファン・レイン
1630-31年頃 フランクフルト、シュテーデル美術館

サムエル記にある話で、サウル王はダビデの弾く竪琴を
よく聴いていましたが、ダビデがペリシテ人との戦いで巨人ゴリアテに
石を投げて殺し、名声が高まるとダビデを恐れ、妬み、遂には槍を
投げて殺そうとします。
豪華な衣装に身を包んだ老いたサウルが、竪琴を弾く若いダヴィデにまさに
槍を投げようとする直前の暗い怒りの瞬間を捉えています。
「バテシバ」 セバスティアーノ・リッチ 油彩、カンヴァス 1725年頃 ベルリン国立美術館

サムエル記に書かれた、ダビデ王が部下のウリヤの妻バテシバの入浴する姿を見て
横恋慕し、ウリヤを戦場に送って戦死させ、バテシバを妻としたという話を題材にしています。
レンブラントの作品にも描かれた有名な場面ですが、こちらは華やかな明るい色彩で、
画面に動きもあり、聖書というより古典古代の世界を見るようです。
セバスティアーノ・リッチ(1659-1734)はヴェネツィア出身の画家で、ヨーロッパ各地で
神話や歴史を題材にした作品を描いています。
「旧約聖書物語 挿絵」より「ソロモン王とエルサレム」 青木繁
1906年 ニューオーサカホテル

ソロモン王はダビデとバテシバとの間に生まれた子で、イスラエルの王を継いでいます。
青木繁の好んだ神話的な題材です。
「運命を悟るハマン」 レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン
1660年代前半 エルミタージュ美術館

旧約聖書のエステル記のお話で、ペルシャの権力者だったハマンが自国に居る
ユダヤ人を皆殺しにしようと画策しますが、王妃でユダヤ人のエステルの機転により
逆にハマンが死刑になってしまいます。
暗い背景の中に浮かぶハマンはトルコ風の衣装を着ていて、後ろに刑を宣告した
クセルクセス王の姿も見えます。
「スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)」 エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ
1891年 水彩、グワッシュ・紙

大きな作品で、旧約聖書の雅歌の一節を主題にしています。
雅歌は男女の愛を歌った歌集で、旧約聖書では珍しい内容です。
白百合は純潔を表し、二人の女性が象徴する北風と南風が風を起こす中を、
レバノンの花嫁が歩んでいます。
バーン=ジョーンズらしい落着いた色彩による、すらりとした姿の女性像です。
「最愛の人(花嫁)」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1865-66年 ロンドン、テート美術館

旧約聖書の「雅歌」に触発された作品で、未来の夫の前でヴェールを脱ぐ
花嫁を描いています。
花嫁の服は日本の着物を基にしています。
「エゼキエルの幻視」 ラファエロ・サンティ 1518年頃 フィレンツェ、パラティーナ美術館

1520年に37歳で亡くなったというラファエロの若い晩年の作品です。
旧約聖書のエゼキエル書にある、預言者エゼキエルの視たという神の姿を
描いています。
神は人、獅子、牛、鷲の顔をした4つの生き物ともに現れています。
左下にはエゼキエルかと思われる人物を雲間から照らす光も見えます。
小品ですが、構想が大きく、画面も緊密で、「アテネの学堂」などの
大画面を描いたラファエロの力量を示しています。
「スザンナと老人たち」 グエルチーノ 1649-50年 パルマ国立美術館

旧約聖書のダニエル書の補遺として伝わる話で、水浴をしていたスザンナが
2人の長老に覗き見され、関係を迫られるという話です。
女性の裸体を題材にしているので、ティントレット、ルーベンス、レンブラント、
シャセリオ―など多くの画家に描かれています。
グエルチーノ、本名:ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ(1591-1666)は
イタリアのチェントの出身で、バロックを代表する画家の一人です。
「トビアと天使のいる風景」 クロード・ロラン 1663年 エルミタージュ美術館

旧約聖書のトビト書の、チグリス河畔でトビアが巨大な魚に食われようとして、
大天使ラファエルによって救われ、魚の内臓を取り出している場面です。
夕陽が空や雲、野原や木々を照らし、雲は輝いています。
トビアは魚の胆汁を得て、雀の糞が目に入って盲目になっていた父のトビトの目に塗ると、
トビトの目は治ります。
トビト書はユダヤ教では外典、カトリックでは旧約聖書続編とされ、プロテスタントでは
聖書とはされていないという、特殊な書です。
「トビアスと天使」 フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス 1787年頃 プラド美術館

旧約聖書のトビト書の、チグリス河畔でトビアスが巨大な魚に食われようとして、
大天使ラファエルによって救われる場面です。
世俗を鋭く描いた画家としてのイメージの強いゴヤですが、宗教画にも
優れていたことが分かります。
「ホロフェルネスの首を持つユディト」 ルーカス・クラーナハ(父)
1530年頃 ウィーン美術史美術館

旧約聖書外典のユディト記に書かれた話で、アッシリア軍がユダヤの町に攻めてきた時に、
その将軍ホロフェルネスを誘惑し、泥酔している隙にその首を獲って町を救っています。
ボッティチェリ、カラヴァッジョ、クリムトなど、多くの画家が描いている刺激的な画題です。
豪華な衣装を着けたユディトの肌はつややかな張りがあり、瞳はきらめいています。
クラーナハはユディトやサロメなど、女性の持つ危険な魅力をよく題材に選んでいます。
「ホロフェルネスの首を持つユディト」 ルーカス・クラーナハ(父)
1530年頃 国立西洋美術館

高さ37.2㎝の小品で、板に油彩で描かれています。
人気のある画題で、クラーナハはユディトを10数点描いています。
豪華な衣装と冷ややかな微笑みが魅力です。
「ホロフェルネスの首を持つユディト」
ヴェロネーゼ 1580年頃 ウィーン美術史美術館

ユディトは獲った首を上気した誇らしげな顔で召使に見せています。
パオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)はティントレットと共に、ルネサンス後期の
ヴェネツィアを代表する画家で、特に色遣いが見事です。
「ユディトⅠ」 グスタフ・クリムト 1901年 ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館

クリムトの代表作の一つで、初めて金箔を使った装飾的な作品です。
当時は日本趣味の流行した時代で、特にクリムトは強い影響を受けています。
額縁もクリムトがデザインし、弟で金属工芸家のゲオルクが制作しています。
JVDiTH VND HOLOFERNESと書かれていて、古いラテン語風にUとVを同じ文字に
しています。
西洋画の主な画題は聖書と歴史なので、さまざまな作品が揃います。
花鳥画や風景画を好む東洋画とはかなり違います。
薔薇
バラの季節なので、バラの花を描いた作品を集めてみました。
ヤン・ブリューゲル1世、2世 「机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇」
1615-1620年頃 油彩、板 個人蔵

ヤン・ブリューゲル1世はピーテル・ブリューゲル (父)の子で、花の絵を得意と
していたことから「花のブリューゲル」と呼ばれています。
子の2世との共同制作で、チューリップの縞模様はウイルス性の病気なのですが、
当時はそれが分からず珍重されたそうです。
エドゥアール・マネ 「シャンパングラスのバラ」 1882年 バレル・コレクション

亡くなる前年の作品で、体調の不良のため小品を描いています。
小品ですが、明るく澄んだ色合いで、マネらしいセンスの良さがあります。
エドゥアール・マネ 「花瓶のモスローズ」 1882年 クラーク・コレクション

こちらも亡くなる前年の作品です。
シックな色調はやはりマネです。
アンリ・ル・シダネル 「離れ屋」 1927年 ひろしま美術館

アンリ・ル・シダネル 「薔薇の花に覆われた家」
1928年 ル・トゥケ=パリ=プラージュ美術館

シダネルは1901年にパリの北西にあるジェルブロワに住み始めます。
ジェルブロワはイギリスに支配されていたため百年戦争の戦場となり、
その後は見捨てられたような寒村でした。
シダネルは古い建物を買って住み、庭に薔薇を植えます。
さらに村の人にも薔薇を植えることを勧め、やがて村中が薔薇に包まれて、
今ではジェルブロワは「フランスの最も美しい村」の一つに選ばれています。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「薔薇」 1890年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

ゴッホの亡くなる年の作品です。
花瓶からこぼれるばかりに咲くバラの花です。
この絵は褪色が進んでいるとのことですが、それを感じさせない魅力があります。
活力にあふれた描きぶりで、作品からは死の影はまったく感じられません。
ポール・ゴーギャン 「バラと彫像」 1889年 油彩、カンヴァス

ブルターニュのル・ブルデュの宿屋で描いた作品で、マルティニークで制作した
丸彫り彫刻が置いてあります。
この彫刻は宿屋の主人に借金のかたとして取られてしまったそうです。
長沢芦雪 「薔薇蝶狗子図」
寛政後期頃(1794-99頃) 愛知県美術館

長沢芦雪は円山応挙の弟子で、後に独自の画風を築きます。
亡くなる少し前の作品で、師の応挙譲りの可愛い子犬たちです。
熊谷守一 「薔薇」 1963年

平面的で抽象画のように単純化された構図、輪郭線の中にきっちり塗られた絵具、
晩年の熊谷守一特有の画風です。
温かく、観ていて心が休まります。
簡単に見えますが、このような欲気の無い絵はかえって難しいことでしょう。
中川一政 「二つの壷の薔薇」 油彩 1986年

中川一政は薔薇や向日葵もよく描いています。
どの作品も大らかで伸び伸びとしています。
朝井閑右衛門 「薔薇」

横約16cmの小さな作品で、力強い厚塗りで、薔薇の花はキャンバスに
盛り上がっています。
刑部人 「ばら(マジョルカ壺)」 6号

小さな作品で、バラの赤と壺の青の対比が効いています。
野間仁根 「薔薇」 4号

小品ですが、おおらかで、色彩に温かみを感じます。
田辺三重松 「薔薇」 4号

こちらも小品で、黒い輪郭線の印象的な、フォービヴィズム風の力強い画面です。
児玉幸雄 「薔薇」 水彩・色紙

明るく力強くパリの風景を描いた作品で有名ですが、
水彩も描いています。
橋本不二子 「やさしい色調のバラを集めて・・・」

橋本不二子さんは水彩やアクリルで、おもに花の絵を優しく清潔な
雰囲気で描いていて、毎年のカレンダーにもなっています。
渡辺香奈 「 1輪を花束に」

小品で、バラのつぼみから咲き誇るまでを描いています。
渡辺さんの作品には渦のように旋回するモチーフがよく見られます。
安西大 「花の咲く風景・薔薇」

よく磨いたパネルに金箔を貼り、油彩で描いています。
日本画の装飾性と油彩画の立体性が合わさっています。
那波多目功一 「長春花」

日本画で、2010年の春の院展に出品された作品です。
金地を背景にして、赤い薔薇に光を当て、立体感を感じさせています。
「上絵金彩薔薇図カップ&ソーサー」 セーヴル 1767年

ルイ15世の時代の作品で、セーヴルはポンパドゥール夫人によって、
ヴァンセンヌから移された窯です。
リトロンとは筒型をした計量カップを言います。
薔薇の香りもただよいそうな絵柄です。
「色絵金彩薔薇に鸚哥図花瓶」 明治初期 三の丸尚蔵館

薩摩焼の大きな花瓶で、バラとインコがあざやかな色彩で描かれています。
明治2年に浜離宮内に迎賓館として建てられた延遼館にあった備品で、
延遼館の所管が外務省から宮内省に移った際に共に移っています。
chariot
バラの季節なので、バラの花を描いた作品を集めてみました。
ヤン・ブリューゲル1世、2世 「机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇」
1615-1620年頃 油彩、板 個人蔵

ヤン・ブリューゲル1世はピーテル・ブリューゲル (父)の子で、花の絵を得意と
していたことから「花のブリューゲル」と呼ばれています。
子の2世との共同制作で、チューリップの縞模様はウイルス性の病気なのですが、
当時はそれが分からず珍重されたそうです。
エドゥアール・マネ 「シャンパングラスのバラ」 1882年 バレル・コレクション

亡くなる前年の作品で、体調の不良のため小品を描いています。
小品ですが、明るく澄んだ色合いで、マネらしいセンスの良さがあります。
エドゥアール・マネ 「花瓶のモスローズ」 1882年 クラーク・コレクション

こちらも亡くなる前年の作品です。
シックな色調はやはりマネです。
アンリ・ル・シダネル 「離れ屋」 1927年 ひろしま美術館

アンリ・ル・シダネル 「薔薇の花に覆われた家」
1928年 ル・トゥケ=パリ=プラージュ美術館

シダネルは1901年にパリの北西にあるジェルブロワに住み始めます。
ジェルブロワはイギリスに支配されていたため百年戦争の戦場となり、
その後は見捨てられたような寒村でした。
シダネルは古い建物を買って住み、庭に薔薇を植えます。
さらに村の人にも薔薇を植えることを勧め、やがて村中が薔薇に包まれて、
今ではジェルブロワは「フランスの最も美しい村」の一つに選ばれています。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「薔薇」 1890年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

ゴッホの亡くなる年の作品です。
花瓶からこぼれるばかりに咲くバラの花です。
この絵は褪色が進んでいるとのことですが、それを感じさせない魅力があります。
活力にあふれた描きぶりで、作品からは死の影はまったく感じられません。
ポール・ゴーギャン 「バラと彫像」 1889年 油彩、カンヴァス

ブルターニュのル・ブルデュの宿屋で描いた作品で、マルティニークで制作した
丸彫り彫刻が置いてあります。
この彫刻は宿屋の主人に借金のかたとして取られてしまったそうです。
長沢芦雪 「薔薇蝶狗子図」
寛政後期頃(1794-99頃) 愛知県美術館

長沢芦雪は円山応挙の弟子で、後に独自の画風を築きます。
亡くなる少し前の作品で、師の応挙譲りの可愛い子犬たちです。
熊谷守一 「薔薇」 1963年

平面的で抽象画のように単純化された構図、輪郭線の中にきっちり塗られた絵具、
晩年の熊谷守一特有の画風です。
温かく、観ていて心が休まります。
簡単に見えますが、このような欲気の無い絵はかえって難しいことでしょう。
中川一政 「二つの壷の薔薇」 油彩 1986年

中川一政は薔薇や向日葵もよく描いています。
どの作品も大らかで伸び伸びとしています。
朝井閑右衛門 「薔薇」

横約16cmの小さな作品で、力強い厚塗りで、薔薇の花はキャンバスに
盛り上がっています。
刑部人 「ばら(マジョルカ壺)」 6号

小さな作品で、バラの赤と壺の青の対比が効いています。
野間仁根 「薔薇」 4号

小品ですが、おおらかで、色彩に温かみを感じます。
田辺三重松 「薔薇」 4号

こちらも小品で、黒い輪郭線の印象的な、フォービヴィズム風の力強い画面です。
児玉幸雄 「薔薇」 水彩・色紙

明るく力強くパリの風景を描いた作品で有名ですが、
水彩も描いています。
橋本不二子 「やさしい色調のバラを集めて・・・」

橋本不二子さんは水彩やアクリルで、おもに花の絵を優しく清潔な
雰囲気で描いていて、毎年のカレンダーにもなっています。
渡辺香奈 「 1輪を花束に」

小品で、バラのつぼみから咲き誇るまでを描いています。
渡辺さんの作品には渦のように旋回するモチーフがよく見られます。
安西大 「花の咲く風景・薔薇」

よく磨いたパネルに金箔を貼り、油彩で描いています。
日本画の装飾性と油彩画の立体性が合わさっています。
那波多目功一 「長春花」

日本画で、2010年の春の院展に出品された作品です。
金地を背景にして、赤い薔薇に光を当て、立体感を感じさせています。
「上絵金彩薔薇図カップ&ソーサー」 セーヴル 1767年

ルイ15世の時代の作品で、セーヴルはポンパドゥール夫人によって、
ヴァンセンヌから移された窯です。
リトロンとは筒型をした計量カップを言います。
薔薇の香りもただよいそうな絵柄です。
「色絵金彩薔薇に鸚哥図花瓶」 明治初期 三の丸尚蔵館

薩摩焼の大きな花瓶で、バラとインコがあざやかな色彩で描かれています。
明治2年に浜離宮内に迎賓館として建てられた延遼館にあった備品で、
延遼館の所管が外務省から宮内省に移った際に共に移っています。
枕草子
清少納言の「枕草子」を思い出して、関係する作品を集めてみました。
「枕草子」は平安時代の中期、一条天皇の中宮定子に仕えた清少納言の書いたと
される随筆です。
章段の数字は三巻本と呼ばれる写本に拠っています。
1 春はあけぼの
有名な第1段の書き出しです。
春夏秋冬それぞれ、どの時間に魅力があるか述べています。
「あけぼの・春の宵のうち あけぼの」 速水御舟 1934年 山種美術館

淡青色または白群青色の朝鮮色紙に描かれているそうです。
小品で、薄紅の空を背景に、真横に伸びた柳の枝が上に立ち上がり、
更に滝のように垂れ下がっています。
烏が枝に止まって、その空を見上げています。
春も浅いのでしょう、柳はまだ葉を付けていません。
夏は夜
「ほたる」 松村公嗣 2010年

左は草の上、右は水の上の蛍です。
羽根を開いたり閉じたりした蛍が一匹一匹ていねいに描き込まれています。
秋は夕暮れ
田渕俊夫 「明日香心象 橘寺夕陽」

聖徳太子建立と伝わる奈良の橘寺を飛鳥川の河原から見た景色です。
創建当初から東門が正面で、田の刈入れも終わった秋の夕暮れ、
夕陽が東門の向こうに沈んでいきます。
冬はつとめて
「雪松図屏風」 円山応挙 江戸時代 18世紀 三井記念美術館 国宝

右隻

左隻

雪の晴れ間の澄み切った空気の中に立つ松の木です。
三井記念美術館では毎年、お正月頃に展示されます。
9 上にさぶらふ御猫は
一条天皇の可愛がっていた猫を翁丸という犬が脅かしたものだから、
帝の罰を受けてしまうというお話です。
「班猫」 竹内栖鳳 1924年 山種美術館 重要文化財

竹内栖鳳の代表作で、沼津の八百屋さんの飼い猫が、宋の徽宗(きそう)皇帝の
描いた猫と同じ柄なので、貰い受けて京都に連れて帰り、描いた作品です。
「犬」 後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀
1957年、四川省成都市天迴山3号墓出土 四川博物院

墓の前に置かれていた像で、忠実な番犬といった顔をして、狛犬のようです。
翁丸もこんな感じの犬だったのでしょう。
25 すさまじきもの
験者(げんざ)の、物の怪調ずとて
がっかり興醒めするものを集めた中に、祈祷師がさかんに経を唱えても効き目が表れず、
祈祷師はとうとう止めて、何かに寄りかかって寝てしまった、というのがあります。
「御産の祷(おさんのいのり)」 安田靫彦 1914年 東京国立博物館

こちらは紫式部日記に記された、藤原彰子の敦成親王(後一条天皇)の出産場面です。
奥の不動明王像の前で僧が護摩を焚いて祈祷し、女房が憑坐(よりまし)となって
悪霊を引き出そうとしています。
いみじうねぶたしと思ふに
とても眠いのに、大して親しくも無い人が揺り起こして無理に話しかけてくるのは
とても興醒めなことだ、とあります。
「病草紙断簡 不眠の女」 平安時代・12世紀 サントリー美術館 重要文化財

板張りの床の上に敷物を敷いて、侍女たちでしょうか、女たちが眠っています。
他の人たちが寝入っている中で、一人だけ眠れずに起き上がっています。
本人にとっては辛いでしょうが、この時代にも不眠症があったのかと思うと、
観ていて面白くなります。
除目に司(つかさ)得ぬ人の家
今年の各国の国司を任命する儀式である除目(じもく)のある日に、結果を待って、
任命されそうな人の家に集まっていたのに、期待外れに終わり、皆ががっかりする
様子が詳しく書かれています。
国司に任命され、受領(ずりょう)として任地に赴けば、そこでは自分が最高位なので、
富と権勢を誇ることが出来ました。
清少納言は国司になる中流階級の貴族の出身なので、日頃から見慣れた
光景だったようです。
このあたりの描写を読むと、たしかに文才のある人だなと思います。
「北野天神縁起絵巻 巻第6(部分)」 室町時代 15世紀 重要美術品

北野天神の効験を説いた巻で、継母にいじめられていた姉妹が北野天神に詣でたところ、
播磨守有忠という国司と出会い、姉はその妻となり、妹は宮仕えが叶ったというお話です。
国司の館での豊かな暮らしの場面です。
黄金の中山に鶴と亀とは物語 仙人童の密かに立ち聞けば 殿は受領に成り給ふ
梁塵秘抄より
99 五月の御精進のほど
五月の頃、ほととぎすの声を聴こうと思い立った清少納言ら女房たちは
高階明順の屋敷に出掛けます。
帰りには咲いていた卯花の枝を折って牛車を垣根のように飾り立てます。
誰も見てくれる人がいないのは面白くないので、藤原公信の家に使いを出し、
公信が慌ててやって来るのを見て面白がります。
上「杜鵑を聴く」 村松園 1948年 山種美術館

ふと片手を上げ、聞こえてくるほととぎすの声に耳を傾けているところです。
青海波模様の着物姿で、手にした傘が雨上がりの気配を表しています。
「官女観菊図」 17世紀前半 岩佐又兵衛 山種美術館 重要文化財

乗った牛車の簾を上げ、道端に咲く菊を官女が眺めているところです。
清少納言たちもこのように卯花を眺め、折って車に飾ったのでしょう。
「志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)」 桃山時代 16-17世紀 国宝

白い釉を垣根に咲く卯の花に見立てています。
名は箱書きの片桐石州の書いた古歌に拠っています。
山里の卯の花墻のなかつ道 雪踏み分けし心地こそすれ
108 方弘はいみじう人に笑はるるものかな
源方弘(みなもとのまさひろ)という役人がいつも可笑しいことをしたり言ったり
するのを面白がっている章です。
燭台に敷いてある油気のある布を踏んだところ、足袋に布が吸い付いたのに
そのまま歩き出したものだから、燭台が倒れて大きな音を立てたこともあります。
「大地震動」したと、清少納言は漢文調で大げさに書いています。
「織部南蛮人燭台」 桃山時代・17世紀 サントリー美術館

高さ約30cmで、緑釉が上着と籠に軽く掛かり、茶人好みの剽げた味わいがあります。
足の部分に燃えさしを入れる引き出しも付いています。
異国情緒あふれる南蛮文化を偲ばせます。
119 あはれなるもの
しみじみするものとして、吉野の金峯山に参詣する若い貴人のことを書いています。
その後に、藤原宣孝と息子の隆光がその場にふさわしく無いような派手な身なりをして
参詣したと、けなしています。
藤原宣孝は紫式部の夫なので、こんなこともあってか紫式部は紫式部日記で
清少納言を激しく罵っています。
「金銅 藤原道長経筒」 平安時代・寛弘4年(1007) 金峰神社 国宝

藤原道長が金峯山に埋納した経筒です。
平安後期から近世にかけて、経巻を埋納して経塚を造営することが各地で行われています。
この経筒は高さ40㎝ほどの大きさで、鍍金がなされ、胴に511文字の願文が彫られています。
中に法華経8巻など、道長自身の書写した経巻15巻が納められていました。
金峯山への埋納のことは、道長の御堂関白記にも、寛弘4年8月11日に蔵王堂に参詣して
山上に埋納し、その上に金銅の灯篭を建てたと記述されています。
136 頭の弁の、職に参り給ひて
清少納言たちと話をしていた頭の弁の藤原行成は、所用があると言って夜更けに
帰ってしまい、翌朝手紙を寄越してきます。
「夜を明かして語り合おうと思っていたのに、鶏の声に促されて帰ることになってしまい、
心残りなことです。」と書いてあるので、
まるで孟嘗君の故事のようなことだということになって、清少納言は歌を送ります。
夜をこめてとりのそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
「詩哥写真鏡・清少納言」 葛飾北斎 江戸時代・19世紀

史記にある、秦王に捕えられそうになり逃げだした孟嘗君が夜中に函谷関に辿り着き、
夜明けまで開かない門を開けるため、物真似の名人の食客が鶏の鳴き真似をした
という故事と、清少納言の歌を題材にしています。
鳴き真似につられて鳴き出した鶏の声を聞いた関所の役人が、朝だと思って
関の門を開けようとしています。
232 月のいとあかきに川を渡れば
月のとても明るい夜に牛車で川を渡ると、牛の歩みに連れて水晶の砕けるように
水が散るのは美しい、とあります。
清少納言の美的感覚をよく表しています。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」 平安時代・12世紀 東京国立博物館 国宝


牛車の車輪の乾燥による割れを防ぐために川に浸けている風景を表しています。
水の流れと車輪を取り合わせたデザイン感覚は新鮮です。
泥の中に咲く蓮の花もイメージされているそうです。
箱の底にも鳥や蝶、木の葉などが描かれています。
299 雪のいと高く降りたるを,例ならず御格子まゐらせて
雪の多く積もった日に、皆で火鉢を囲んでいると、中宮定子が清少納言に
「香炉峰の雪はどうなっているか」と問い掛け、清少納言が簾(すだれ)を
持ち上げて庭の雪を見せたというお話です。
少納言よ香炉峰の雪はいかならむと仰せらるれば
御格子上げさせて御簾を高く上げたれば笑わせたまふ
白楽天の詩の一節、
遺愛寺の鐘は耳をそばだてて聴き、香炉峰の雪は簾を掲げて看る、を演じた訳です。
「雪月花」 上村松園 1937年 宮内庁三の丸尚蔵館

上村松園が貞明皇后(大正天皇の皇后)の用命を受けてから完成まで21年
かかった作品です。
「雪」「月」「花」を題材にした三幅対で、「雪」は、枕草子の香炉峰の雪の逸話で、
清少納言が簾を持ち上げているところです。
清少納言といえば先ずこの場面が思い浮かびます。

「枕草子」という題名の由来
枕草子の跋文には紙を献上された中宮定子にこれに何を書こうかと問われた清少納言が、
「枕にしましょう」と答えたので、その紙を下賜されたとあります。
ただ、その「枕」が何をするのか不明とのことです。
「伽羅」 鏑木清方 1936年 山種美術館

枕香炉という、髪に香りを薫きしめる枕でうたた寝をした女性が目を
覚ました姿です。
市松模様の帯が粋で、朝顔や花菖蒲の模様や色彩に初夏の雰囲気が表れています。
枕から香りを出す透かしは、香道で用いられる源氏物語にちなんだ印の源氏香を
あしらっています。
清少納言は才気煥発、言葉が弾むようで、おしゃべりするにはとても楽しい人だった
ことでしょう。
ただ、柱の陰から人を観察しているようなタイプの紫式部からすれば、出たがりの
清少納言など大嫌いだったのもうなずけます。
chariot
清少納言の「枕草子」を思い出して、関係する作品を集めてみました。
「枕草子」は平安時代の中期、一条天皇の中宮定子に仕えた清少納言の書いたと
される随筆です。
章段の数字は三巻本と呼ばれる写本に拠っています。
1 春はあけぼの
有名な第1段の書き出しです。
春夏秋冬それぞれ、どの時間に魅力があるか述べています。
「あけぼの・春の宵のうち あけぼの」 速水御舟 1934年 山種美術館

淡青色または白群青色の朝鮮色紙に描かれているそうです。
小品で、薄紅の空を背景に、真横に伸びた柳の枝が上に立ち上がり、
更に滝のように垂れ下がっています。
烏が枝に止まって、その空を見上げています。
春も浅いのでしょう、柳はまだ葉を付けていません。
夏は夜
「ほたる」 松村公嗣 2010年

左は草の上、右は水の上の蛍です。
羽根を開いたり閉じたりした蛍が一匹一匹ていねいに描き込まれています。
秋は夕暮れ
田渕俊夫 「明日香心象 橘寺夕陽」

聖徳太子建立と伝わる奈良の橘寺を飛鳥川の河原から見た景色です。
創建当初から東門が正面で、田の刈入れも終わった秋の夕暮れ、
夕陽が東門の向こうに沈んでいきます。
冬はつとめて
「雪松図屏風」 円山応挙 江戸時代 18世紀 三井記念美術館 国宝

右隻

左隻

雪の晴れ間の澄み切った空気の中に立つ松の木です。
三井記念美術館では毎年、お正月頃に展示されます。
9 上にさぶらふ御猫は
一条天皇の可愛がっていた猫を翁丸という犬が脅かしたものだから、
帝の罰を受けてしまうというお話です。
「班猫」 竹内栖鳳 1924年 山種美術館 重要文化財

竹内栖鳳の代表作で、沼津の八百屋さんの飼い猫が、宋の徽宗(きそう)皇帝の
描いた猫と同じ柄なので、貰い受けて京都に連れて帰り、描いた作品です。
「犬」 後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀
1957年、四川省成都市天迴山3号墓出土 四川博物院

墓の前に置かれていた像で、忠実な番犬といった顔をして、狛犬のようです。
翁丸もこんな感じの犬だったのでしょう。
25 すさまじきもの
験者(げんざ)の、物の怪調ずとて
がっかり興醒めするものを集めた中に、祈祷師がさかんに経を唱えても効き目が表れず、
祈祷師はとうとう止めて、何かに寄りかかって寝てしまった、というのがあります。
「御産の祷(おさんのいのり)」 安田靫彦 1914年 東京国立博物館

こちらは紫式部日記に記された、藤原彰子の敦成親王(後一条天皇)の出産場面です。
奥の不動明王像の前で僧が護摩を焚いて祈祷し、女房が憑坐(よりまし)となって
悪霊を引き出そうとしています。
いみじうねぶたしと思ふに
とても眠いのに、大して親しくも無い人が揺り起こして無理に話しかけてくるのは
とても興醒めなことだ、とあります。
「病草紙断簡 不眠の女」 平安時代・12世紀 サントリー美術館 重要文化財

板張りの床の上に敷物を敷いて、侍女たちでしょうか、女たちが眠っています。
他の人たちが寝入っている中で、一人だけ眠れずに起き上がっています。
本人にとっては辛いでしょうが、この時代にも不眠症があったのかと思うと、
観ていて面白くなります。
除目に司(つかさ)得ぬ人の家
今年の各国の国司を任命する儀式である除目(じもく)のある日に、結果を待って、
任命されそうな人の家に集まっていたのに、期待外れに終わり、皆ががっかりする
様子が詳しく書かれています。
国司に任命され、受領(ずりょう)として任地に赴けば、そこでは自分が最高位なので、
富と権勢を誇ることが出来ました。
清少納言は国司になる中流階級の貴族の出身なので、日頃から見慣れた
光景だったようです。
このあたりの描写を読むと、たしかに文才のある人だなと思います。
「北野天神縁起絵巻 巻第6(部分)」 室町時代 15世紀 重要美術品

北野天神の効験を説いた巻で、継母にいじめられていた姉妹が北野天神に詣でたところ、
播磨守有忠という国司と出会い、姉はその妻となり、妹は宮仕えが叶ったというお話です。
国司の館での豊かな暮らしの場面です。
黄金の中山に鶴と亀とは物語 仙人童の密かに立ち聞けば 殿は受領に成り給ふ
梁塵秘抄より
99 五月の御精進のほど
五月の頃、ほととぎすの声を聴こうと思い立った清少納言ら女房たちは
高階明順の屋敷に出掛けます。
帰りには咲いていた卯花の枝を折って牛車を垣根のように飾り立てます。
誰も見てくれる人がいないのは面白くないので、藤原公信の家に使いを出し、
公信が慌ててやって来るのを見て面白がります。
上「杜鵑を聴く」 村松園 1948年 山種美術館

ふと片手を上げ、聞こえてくるほととぎすの声に耳を傾けているところです。
青海波模様の着物姿で、手にした傘が雨上がりの気配を表しています。
「官女観菊図」 17世紀前半 岩佐又兵衛 山種美術館 重要文化財

乗った牛車の簾を上げ、道端に咲く菊を官女が眺めているところです。
清少納言たちもこのように卯花を眺め、折って車に飾ったのでしょう。
「志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)」 桃山時代 16-17世紀 国宝

白い釉を垣根に咲く卯の花に見立てています。
名は箱書きの片桐石州の書いた古歌に拠っています。
山里の卯の花墻のなかつ道 雪踏み分けし心地こそすれ
108 方弘はいみじう人に笑はるるものかな
源方弘(みなもとのまさひろ)という役人がいつも可笑しいことをしたり言ったり
するのを面白がっている章です。
燭台に敷いてある油気のある布を踏んだところ、足袋に布が吸い付いたのに
そのまま歩き出したものだから、燭台が倒れて大きな音を立てたこともあります。
「大地震動」したと、清少納言は漢文調で大げさに書いています。
「織部南蛮人燭台」 桃山時代・17世紀 サントリー美術館

高さ約30cmで、緑釉が上着と籠に軽く掛かり、茶人好みの剽げた味わいがあります。
足の部分に燃えさしを入れる引き出しも付いています。
異国情緒あふれる南蛮文化を偲ばせます。
119 あはれなるもの
しみじみするものとして、吉野の金峯山に参詣する若い貴人のことを書いています。
その後に、藤原宣孝と息子の隆光がその場にふさわしく無いような派手な身なりをして
参詣したと、けなしています。
藤原宣孝は紫式部の夫なので、こんなこともあってか紫式部は紫式部日記で
清少納言を激しく罵っています。
「金銅 藤原道長経筒」 平安時代・寛弘4年(1007) 金峰神社 国宝

藤原道長が金峯山に埋納した経筒です。
平安後期から近世にかけて、経巻を埋納して経塚を造営することが各地で行われています。
この経筒は高さ40㎝ほどの大きさで、鍍金がなされ、胴に511文字の願文が彫られています。
中に法華経8巻など、道長自身の書写した経巻15巻が納められていました。
金峯山への埋納のことは、道長の御堂関白記にも、寛弘4年8月11日に蔵王堂に参詣して
山上に埋納し、その上に金銅の灯篭を建てたと記述されています。
136 頭の弁の、職に参り給ひて
清少納言たちと話をしていた頭の弁の藤原行成は、所用があると言って夜更けに
帰ってしまい、翌朝手紙を寄越してきます。
「夜を明かして語り合おうと思っていたのに、鶏の声に促されて帰ることになってしまい、
心残りなことです。」と書いてあるので、
まるで孟嘗君の故事のようなことだということになって、清少納言は歌を送ります。
夜をこめてとりのそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
「詩哥写真鏡・清少納言」 葛飾北斎 江戸時代・19世紀

史記にある、秦王に捕えられそうになり逃げだした孟嘗君が夜中に函谷関に辿り着き、
夜明けまで開かない門を開けるため、物真似の名人の食客が鶏の鳴き真似をした
という故事と、清少納言の歌を題材にしています。
鳴き真似につられて鳴き出した鶏の声を聞いた関所の役人が、朝だと思って
関の門を開けようとしています。
232 月のいとあかきに川を渡れば
月のとても明るい夜に牛車で川を渡ると、牛の歩みに連れて水晶の砕けるように
水が散るのは美しい、とあります。
清少納言の美的感覚をよく表しています。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」 平安時代・12世紀 東京国立博物館 国宝


牛車の車輪の乾燥による割れを防ぐために川に浸けている風景を表しています。
水の流れと車輪を取り合わせたデザイン感覚は新鮮です。
泥の中に咲く蓮の花もイメージされているそうです。
箱の底にも鳥や蝶、木の葉などが描かれています。
299 雪のいと高く降りたるを,例ならず御格子まゐらせて
雪の多く積もった日に、皆で火鉢を囲んでいると、中宮定子が清少納言に
「香炉峰の雪はどうなっているか」と問い掛け、清少納言が簾(すだれ)を
持ち上げて庭の雪を見せたというお話です。
少納言よ香炉峰の雪はいかならむと仰せらるれば
御格子上げさせて御簾を高く上げたれば笑わせたまふ
白楽天の詩の一節、
遺愛寺の鐘は耳をそばだてて聴き、香炉峰の雪は簾を掲げて看る、を演じた訳です。
「雪月花」 上村松園 1937年 宮内庁三の丸尚蔵館

上村松園が貞明皇后(大正天皇の皇后)の用命を受けてから完成まで21年
かかった作品です。
「雪」「月」「花」を題材にした三幅対で、「雪」は、枕草子の香炉峰の雪の逸話で、
清少納言が簾を持ち上げているところです。
清少納言といえば先ずこの場面が思い浮かびます。

「枕草子」という題名の由来
枕草子の跋文には紙を献上された中宮定子にこれに何を書こうかと問われた清少納言が、
「枕にしましょう」と答えたので、その紙を下賜されたとあります。
ただ、その「枕」が何をするのか不明とのことです。
「伽羅」 鏑木清方 1936年 山種美術館

枕香炉という、髪に香りを薫きしめる枕でうたた寝をした女性が目を
覚ました姿です。
市松模様の帯が粋で、朝顔や花菖蒲の模様や色彩に初夏の雰囲気が表れています。
枕から香りを出す透かしは、香道で用いられる源氏物語にちなんだ印の源氏香を
あしらっています。
清少納言は才気煥発、言葉が弾むようで、おしゃべりするにはとても楽しい人だった
ことでしょう。
ただ、柱の陰から人を観察しているようなタイプの紫式部からすれば、出たがりの
清少納言など大嫌いだったのもうなずけます。
セザンヌ
私の「セザンヌ展」その2で、風景画を集めてみました。
ポール・セザンヌ 「首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ」
1873年 オルセー美術館

1874年の第1回印象派展に出品された作品です。
パリに出たセザンヌは印象派の人たちと交流を始め、特に長老格のピサロと
よく郊外での写生を行なっています。
作品も印象派の明るい絵柄になっています。
オーヴェール=シュル=オワーズはパリの北郊にある町で、後にゴッホは
この地で亡くなっています。
ポール・セザンヌ 「エトワール山稜とピロン・デュ・ロワ峰」
1878-79年 ケルヴィングローヴ美術博物館

印象派の技法に飽き足らなくなり、故郷の南仏、エクス=アン=プロヴァンスに
移った頃の作品です。
ピロン・デュ・ロワ峰はエクス=アン=プロヴァンスの南にある山です。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め」
1882-85年 プーシキン美術館

セザンヌと言えば思い浮かぶサント=ヴィクトワール山がテーマとして登場してきます。
サント=ヴィクトワール山は東西に長い山稜で、エクス=アン=プロヴァンスからは
西の端が見えます。
ポール・セザンヌ 「大きな松と赤い大地(ベルヴュ)」 1885年頃 個人蔵

セザンヌの生地近くの風景です。
筆触を同じ方向に揃えて、リズムと統一感を生んでいます。
揃えた筆触はセザンヌの特徴の一つです。
「サント=ヴィクトワール山」 1886-87年 フィリップス・コレクション

この作品では、画面手前にかぶさるように樹木を描くという、浮世絵の影響を受けた
構図が見られます。
画面両脇に木を置いて区切り、松の枝と山の稜線を揃え、道路や鉄道橋の直線を
入れるなど、色々工夫しています。
ポール・セザンヌ 「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」
1887年頃 コートールド美術館

この絵でも、画面手前にかぶさるように樹木を描くという、浮世絵の影響を受けた
構図で、松の枝と山の稜線を揃えるなどの工夫をしています。
この作品は大正初期に美術雑誌で日本に紹介され、若い画家たちを刺激した
ということで、日本画家の小野竹喬もこれに倣った風景画を描いています。
ポール・セザンヌ 「サント・ヴィクトワール山」 1890年 オルセー美術館

安定感のある堅牢な画面ですが、ある意味、頑固な感じもします。
物質の存在感を追求したセザンヌと、光の中の色彩を追う印象派とは、
かなり違うことが分かります。
ポール・セザンヌ 「水辺にて」 1890年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

油彩ですが、水彩画のようなやわらかな感じです。
セザンヌはこんな絵も描くのだと、改めて感心します。
「トロネの道とサント=ヴィクトワール山」 1896-98年 エルミタージュ美術館

サント=ヴィクトワール山の描き方もより自由になってきます。
セザンヌ独特の、構築的筆触と呼ばれる短い規則的な筆遣いも、
勢い良くおおらかです。
青い山と空が湧き上がっています。
「サント=ヴィクトワール山」 1902年頃 プリンストン大学付属美術館
(ヘンリーアンド・ローズ・パールマン財団より長期寄託)

色彩も水彩画のように淡く、サント=ヴィクトワール山も水色の空に溶け込んでいます。
手前の景色は思いのままに筆が走っていて、抽象画のような趣きがあります。
「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」 1904-06年頃 アーティゾン美術館

シャトー・ノワールとは黒い城という意味で、サント=ヴィクトワール山と
このシャトー・ノワールを共に描いた絵は少なく、アーティゾン美術館の
門外不出の作品になっているそうです。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山」 1904-06年頃 デトロイト美術館

サント=ヴィクトワール山を大まかなタッチで正面から捉えています。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め」
1905-06年 プーシキン美術館

1906年に亡くなったセザンヌの最晩年の作で、青、緑、オレンジの色彩が
溶け合っています。
セザンヌは印象派に加わっていましたが、色彩も形もきらきらしたところが無く、
地味で無骨です。
しかし、堅牢で揺るぎが無く、観ていて飽きが来ません。
日本でも洋画家ばかりでもなく、日本画家にも大きな影響を与えていて、
奥村土牛の作品の堅牢さを観ていると逆にセザンヌを思い出します。
chariot
私の「セザンヌ展」その2で、風景画を集めてみました。
ポール・セザンヌ 「首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ」
1873年 オルセー美術館

1874年の第1回印象派展に出品された作品です。
パリに出たセザンヌは印象派の人たちと交流を始め、特に長老格のピサロと
よく郊外での写生を行なっています。
作品も印象派の明るい絵柄になっています。
オーヴェール=シュル=オワーズはパリの北郊にある町で、後にゴッホは
この地で亡くなっています。
ポール・セザンヌ 「エトワール山稜とピロン・デュ・ロワ峰」
1878-79年 ケルヴィングローヴ美術博物館

印象派の技法に飽き足らなくなり、故郷の南仏、エクス=アン=プロヴァンスに
移った頃の作品です。
ピロン・デュ・ロワ峰はエクス=アン=プロヴァンスの南にある山です。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め」
1882-85年 プーシキン美術館

セザンヌと言えば思い浮かぶサント=ヴィクトワール山がテーマとして登場してきます。
サント=ヴィクトワール山は東西に長い山稜で、エクス=アン=プロヴァンスからは
西の端が見えます。
ポール・セザンヌ 「大きな松と赤い大地(ベルヴュ)」 1885年頃 個人蔵

セザンヌの生地近くの風景です。
筆触を同じ方向に揃えて、リズムと統一感を生んでいます。
揃えた筆触はセザンヌの特徴の一つです。
「サント=ヴィクトワール山」 1886-87年 フィリップス・コレクション

この作品では、画面手前にかぶさるように樹木を描くという、浮世絵の影響を受けた
構図が見られます。
画面両脇に木を置いて区切り、松の枝と山の稜線を揃え、道路や鉄道橋の直線を
入れるなど、色々工夫しています。
ポール・セザンヌ 「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」
1887年頃 コートールド美術館

この絵でも、画面手前にかぶさるように樹木を描くという、浮世絵の影響を受けた
構図で、松の枝と山の稜線を揃えるなどの工夫をしています。
この作品は大正初期に美術雑誌で日本に紹介され、若い画家たちを刺激した
ということで、日本画家の小野竹喬もこれに倣った風景画を描いています。
ポール・セザンヌ 「サント・ヴィクトワール山」 1890年 オルセー美術館

安定感のある堅牢な画面ですが、ある意味、頑固な感じもします。
物質の存在感を追求したセザンヌと、光の中の色彩を追う印象派とは、
かなり違うことが分かります。
ポール・セザンヌ 「水辺にて」 1890年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

油彩ですが、水彩画のようなやわらかな感じです。
セザンヌはこんな絵も描くのだと、改めて感心します。
「トロネの道とサント=ヴィクトワール山」 1896-98年 エルミタージュ美術館

サント=ヴィクトワール山の描き方もより自由になってきます。
セザンヌ独特の、構築的筆触と呼ばれる短い規則的な筆遣いも、
勢い良くおおらかです。
青い山と空が湧き上がっています。
「サント=ヴィクトワール山」 1902年頃 プリンストン大学付属美術館
(ヘンリーアンド・ローズ・パールマン財団より長期寄託)

色彩も水彩画のように淡く、サント=ヴィクトワール山も水色の空に溶け込んでいます。
手前の景色は思いのままに筆が走っていて、抽象画のような趣きがあります。
「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」 1904-06年頃 アーティゾン美術館

シャトー・ノワールとは黒い城という意味で、サント=ヴィクトワール山と
このシャトー・ノワールを共に描いた絵は少なく、アーティゾン美術館の
門外不出の作品になっているそうです。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山」 1904-06年頃 デトロイト美術館

サント=ヴィクトワール山を大まかなタッチで正面から捉えています。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め」
1905-06年 プーシキン美術館

1906年に亡くなったセザンヌの最晩年の作で、青、緑、オレンジの色彩が
溶け合っています。
セザンヌは印象派に加わっていましたが、色彩も形もきらきらしたところが無く、
地味で無骨です。
しかし、堅牢で揺るぎが無く、観ていて飽きが来ません。
日本でも洋画家ばかりでもなく、日本画家にも大きな影響を与えていて、
奥村土牛の作品の堅牢さを観ていると逆にセザンヌを思い出します。
セザンヌ
今まで観たセザンヌの作品を集めて、私の「セザンヌ展」を開いてみました。
2回に分け、1回目は人物画と静物画を集めてみました。
ポール・セザンヌ(1839-1906)は南フランスのエクス=アン=プロヴァンスで生まれ、
若い頃には絵画の勉強のためパリに滞在し、印象派に加わりますが、後に故郷に
戻ってからはサント=ヴィクトワール山の景色を繰り返し描いています。
ポール・セザンヌ 「四季」 1860-61年 パリ市立プティ・パレ美術館

縦314cmの長い画面に、四季を寓意化した人物が描かれています。
裕福な父の購入したエクス=アン=プロヴァンスの別荘の大広間を飾る作品で、
セザンヌとは分からない装飾的な画風です。
セザンヌが画家になることを喜ばなかった父に申し出て描いた絵とのことで、
実際に大広間に飾られていた時は、壁の中心に横向きで新聞を読む父の姿を
描いた絵が置かれ、その両脇に「四季」が並んでいました。
セザンヌも父にはかなり気を遣っていたようです。
ポール・セザンヌ 「自画像」 1875年頃 オルセー美術館

30歳台半ばの自画像で、髪はもじゃもじゃ、いかにも頑固そうな顔をしています。
セザンヌは1861年にパリに出て、ピサロと知り合い、後にピサロから印象派の技法を
学んでいます。
印象派の光を意識した描き方をしていますが、がっちりとした構成です。
筆の遅いセザンヌには自画像は具合の良い画題だったようです。
ポール・セザンヌ 「赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人」 1877年頃 ボストン美術館

パリ時代に、同棲していたオルタンス・フィケを描いた作品です。
青系統でまとめた夫人の姿をソファの赤いかたまりが支えています。
オルタンスはまったく動かずにモデルを務めるので、セザンヌは
「りんごのようにポーズを取る」とほめています。
ポール・セザンヌ 「3人の水浴の女たち」 1876-77年頃 パリ市立プティ・パレ美術館

水浴図は古典的な画題で、女性美を描くため神話的な場面がよく利用されています。
セザンヌも男性や女性の水浴図をよく描いていますが、物語的な雰囲気は無く、
女性も優美とは言い難く、オブジェとして描いているようです。
両側の木が中心に向かって傾いていて、安定した画面構成を意識しています。
ポール・セザンヌ 「画家の夫人」 1886年頃 デトロイト美術館

長年同棲していたオルタンスと正式に結婚した頃の作品です。
あまり色彩を使わない、、頑固な描き振りです。
セザンヌは物の存在感を重視しない印象主義に飽き足らなくなり、
構築的な画面を追求するようになります。
ポール・セザンヌ 「赤いチョッキの少年」
1888-1890年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

印象派の絵と比べると、いかにもがっちりとして構築的です。
カーテンが画面をさまざまに分割しています。
ポール・セザンヌ 「帽子をかぶった自画像」 1890-94年頃 アーティゾン美術館

55歳頃の自画像で、セザンヌは30点ほどの自画像を遺しています。
筆の遅いセザンヌにとって自画像は良い画題だったのでしょう。
ポール・セザンヌ 「カード遊びをする人々」 1892-96年頃 コートールド美術館

セザンヌは晩年、「カード遊びをする人々」を5枚描いており、これはそのうちの1点です。
2人の男性が向かい合ってカード遊びに没頭している情景ですが、物語性は無く、
静物画のような趣きです。
ポール・セザンヌ 「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」
1899年 パリ市立プティ・パレ美術館

パリで初めてセザンヌの個展を開いた画商、ヴォラールの肖像です。
水色の入ったシャツの白が映えています。
こちらを向いている手や組んだ足は顔に比べて大きく、立体的に描かれています。
ヴォラールはこの絵のために115回もポーズを取らされ、少しでも身動きすると、
「りんごが動くか!」と怒られたそうです。
セザンヌにとって静物画も肖像画も同じで、モデルはりんごのようなオブジェの一つで
あったことを良く示している逸話です。
光を追う印象派の描き方が時間をかけて描き込むタイプのセザンヌには合わなかった
のも分かります。
セザンヌに傾倒していた安井曾太郎が1939年に描いた、「F夫人像」も組んだ足を
大きく描いています。
ポール・セザンヌ 「砂糖壺、洋なし、青いカップ」 1865-70年
グラネ美術館(オルセー美術館より寄託)

銀の砂糖壷や皿とともに描かれている青いカップも高価な品だったそうで、
セザンヌの実家が裕福だったことを示しています。
パレットナイフによる荒々しい厚塗りはクールベの影響とのことですが、
後のセザンヌを思わせる存在感のある絵です。
ポール・セザンヌ 「スープ入れのある静物」 1873-74年頃 オルセー美術館

セザンヌのよく描くリンゴが籠に入っています。
後ろの風景画はピサロの作品です。
ポール・セザンヌ 「壷、カップとりんごのある静物」 1877年頃 メトロポリタン美術館

ありふれたカップや布、果物を並べただけの、セザンヌらしさの表れた静物画です。
「赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人」と同じ頃の作品で、パリの同じアパルトマンの壁紙が
背景に描かれています。
ポール・セザンヌ 「倒れた果物かご」 1877年頃 ケルヴィングローヴ美術博物館

小品で、青とオレンジ色の対比が効いています。
ポール・セザンヌ 「台所のテーブル(篭のある静物)」 1888-90年 オルセー美術館

セザンヌの特徴のよく分かる作品で、テーブルは斜め上から、果物篭は
横から見た視点で描かれています。
果物や壷などの大きさの比率も、実際とはかなり違っているようです。
一つの画面の中に異なる視点があるというのは、日本画では昔から
行なわれた技法ですが、西洋では革新的だったようです。
ポール・セザンヌ 「カーテンのある静物」 1894頃-95年 エルミタージュ美術館

しっかりと描きこまれた、安定感のある静物画です。
ポール・セザンヌ 「りんごとオレンジ」 1899年頃 オルセー美術館

セザンヌの無骨な静物画も後にはここまで複雑で豪華な域に達しています。
3種類の布を使い、りんごやオレンジを4つのかたまりにして並べ、真中に1個りんごを
置いて画面をまとめています。
ポール・セザンヌ 「調理台の上の瓶とポット」 1902-06年 オルセー美術館

水彩よる、最晩年の作品です。
次回に風景画を載せます。
chariot
今まで観たセザンヌの作品を集めて、私の「セザンヌ展」を開いてみました。
2回に分け、1回目は人物画と静物画を集めてみました。
ポール・セザンヌ(1839-1906)は南フランスのエクス=アン=プロヴァンスで生まれ、
若い頃には絵画の勉強のためパリに滞在し、印象派に加わりますが、後に故郷に
戻ってからはサント=ヴィクトワール山の景色を繰り返し描いています。
ポール・セザンヌ 「四季」 1860-61年 パリ市立プティ・パレ美術館

縦314cmの長い画面に、四季を寓意化した人物が描かれています。
裕福な父の購入したエクス=アン=プロヴァンスの別荘の大広間を飾る作品で、
セザンヌとは分からない装飾的な画風です。
セザンヌが画家になることを喜ばなかった父に申し出て描いた絵とのことで、
実際に大広間に飾られていた時は、壁の中心に横向きで新聞を読む父の姿を
描いた絵が置かれ、その両脇に「四季」が並んでいました。
セザンヌも父にはかなり気を遣っていたようです。
ポール・セザンヌ 「自画像」 1875年頃 オルセー美術館

30歳台半ばの自画像で、髪はもじゃもじゃ、いかにも頑固そうな顔をしています。
セザンヌは1861年にパリに出て、ピサロと知り合い、後にピサロから印象派の技法を
学んでいます。
印象派の光を意識した描き方をしていますが、がっちりとした構成です。
筆の遅いセザンヌには自画像は具合の良い画題だったようです。
ポール・セザンヌ 「赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人」 1877年頃 ボストン美術館

パリ時代に、同棲していたオルタンス・フィケを描いた作品です。
青系統でまとめた夫人の姿をソファの赤いかたまりが支えています。
オルタンスはまったく動かずにモデルを務めるので、セザンヌは
「りんごのようにポーズを取る」とほめています。
ポール・セザンヌ 「3人の水浴の女たち」 1876-77年頃 パリ市立プティ・パレ美術館

水浴図は古典的な画題で、女性美を描くため神話的な場面がよく利用されています。
セザンヌも男性や女性の水浴図をよく描いていますが、物語的な雰囲気は無く、
女性も優美とは言い難く、オブジェとして描いているようです。
両側の木が中心に向かって傾いていて、安定した画面構成を意識しています。
ポール・セザンヌ 「画家の夫人」 1886年頃 デトロイト美術館

長年同棲していたオルタンスと正式に結婚した頃の作品です。
あまり色彩を使わない、、頑固な描き振りです。
セザンヌは物の存在感を重視しない印象主義に飽き足らなくなり、
構築的な画面を追求するようになります。
ポール・セザンヌ 「赤いチョッキの少年」
1888-1890年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

印象派の絵と比べると、いかにもがっちりとして構築的です。
カーテンが画面をさまざまに分割しています。
ポール・セザンヌ 「帽子をかぶった自画像」 1890-94年頃 アーティゾン美術館

55歳頃の自画像で、セザンヌは30点ほどの自画像を遺しています。
筆の遅いセザンヌにとって自画像は良い画題だったのでしょう。
ポール・セザンヌ 「カード遊びをする人々」 1892-96年頃 コートールド美術館

セザンヌは晩年、「カード遊びをする人々」を5枚描いており、これはそのうちの1点です。
2人の男性が向かい合ってカード遊びに没頭している情景ですが、物語性は無く、
静物画のような趣きです。
ポール・セザンヌ 「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」
1899年 パリ市立プティ・パレ美術館

パリで初めてセザンヌの個展を開いた画商、ヴォラールの肖像です。
水色の入ったシャツの白が映えています。
こちらを向いている手や組んだ足は顔に比べて大きく、立体的に描かれています。
ヴォラールはこの絵のために115回もポーズを取らされ、少しでも身動きすると、
「りんごが動くか!」と怒られたそうです。
セザンヌにとって静物画も肖像画も同じで、モデルはりんごのようなオブジェの一つで
あったことを良く示している逸話です。
光を追う印象派の描き方が時間をかけて描き込むタイプのセザンヌには合わなかった
のも分かります。
セザンヌに傾倒していた安井曾太郎が1939年に描いた、「F夫人像」も組んだ足を
大きく描いています。
ポール・セザンヌ 「砂糖壺、洋なし、青いカップ」 1865-70年
グラネ美術館(オルセー美術館より寄託)

銀の砂糖壷や皿とともに描かれている青いカップも高価な品だったそうで、
セザンヌの実家が裕福だったことを示しています。
パレットナイフによる荒々しい厚塗りはクールベの影響とのことですが、
後のセザンヌを思わせる存在感のある絵です。
ポール・セザンヌ 「スープ入れのある静物」 1873-74年頃 オルセー美術館

セザンヌのよく描くリンゴが籠に入っています。
後ろの風景画はピサロの作品です。
ポール・セザンヌ 「壷、カップとりんごのある静物」 1877年頃 メトロポリタン美術館

ありふれたカップや布、果物を並べただけの、セザンヌらしさの表れた静物画です。
「赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人」と同じ頃の作品で、パリの同じアパルトマンの壁紙が
背景に描かれています。
ポール・セザンヌ 「倒れた果物かご」 1877年頃 ケルヴィングローヴ美術博物館

小品で、青とオレンジ色の対比が効いています。
ポール・セザンヌ 「台所のテーブル(篭のある静物)」 1888-90年 オルセー美術館

セザンヌの特徴のよく分かる作品で、テーブルは斜め上から、果物篭は
横から見た視点で描かれています。
果物や壷などの大きさの比率も、実際とはかなり違っているようです。
一つの画面の中に異なる視点があるというのは、日本画では昔から
行なわれた技法ですが、西洋では革新的だったようです。
ポール・セザンヌ 「カーテンのある静物」 1894頃-95年 エルミタージュ美術館

しっかりと描きこまれた、安定感のある静物画です。
ポール・セザンヌ 「りんごとオレンジ」 1899年頃 オルセー美術館

セザンヌの無骨な静物画も後にはここまで複雑で豪華な域に達しています。
3種類の布を使い、りんごやオレンジを4つのかたまりにして並べ、真中に1個りんごを
置いて画面をまとめています。
ポール・セザンヌ 「調理台の上の瓶とポット」 1902-06年 オルセー美術館

水彩よる、最晩年の作品です。
次回に風景画を載せます。
伊藤若冲
私の「伊藤若冲展」その2です。
「旭日鳳凰図」 伊藤若冲 宝暦5年(1755) 宮内庁三の丸尚蔵館

部分

有名な「動植綵絵」を描き始める2年前の作品で、濃密な描き振りに圧倒されます。
「動植綵絵」 伊藤若冲 30幅 宝暦7年(1757)頃 宮内庁三の丸尚蔵館
若冲が京都の相国寺に釈迦三尊像と共に寄進したもので、明治時代に
皇室に献上されています。
どの絵も細密さを極めた描き方で、若冲の代表作となっています。
「動植綵絵」全30幅は2009年に東京国立博物館で開かれた、「皇室の名宝
―日本美の華」展に展示され、大きな評判になりました。
またいつか30幅揃った展示を観たいものです。
「動植綵絵」のうち(向日葵雄鶏図)

咲き誇るヒマワリと、若冲の得意とする、逆三角形をした雄鶏の雄姿です。
裏彩色という、紙の裏側にも色を塗って表から観た色彩に変化を付ける
という技も使っているそうで、向日葵の花芯などにも見られるとのことです。
その凝りようには驚くばかりです。
「動植綵絵」のうち(老松白鳳図)

輝く白の羽毛と伸び広がった尾、その先のハート型の模様と、
想像のおもむくままに描いています。
手塚治虫の「火の鳥」は、この絵を参考にしたのでしょうか。
「動植綵絵」のうち(紅葉小禽図)

枝が斜めに画面を分割する、面白い構図です。
自然では見かけない、丸い輪になった枝が画面に変化を付けています。
「象と鯨図屏風」 伊藤若冲 寛政9年(1797) 滋賀、MIHO MUSEUM

右隻

左隻

北陸の旧家にあった屏風で、龍虎図になぞらえ、黒と白を対照にした図柄です。
多くの釈迦涅槃図には、釈迦の死を嘆き悲しむ動物たちの中に鼻を上げて
泣き叫ぶ象の姿があり、若冲はその形を借りて、耳の丸い、ちょっと夢幻的で
可愛い姿の象にしています。
鯨は潮を吹く背中だけを見せて、水に隠れた巨体を想像させています。
波の重なりもリズミカルです。
「果蔬涅槃図」 伊藤若冲 京都国立博物館

釈迦涅槃図に見立てた絵で、墨の濃淡を巧く使って、籠の上の大根と周りを囲む
野菜たちを描いています。
若冲は青物問屋の子だったので、野菜は馴染み深い素材だったのでしょう。
「寒山拾得図」 伊藤若冲 個人蔵

寒山拾得は禅画によく描かれる題材です。
寒山は花の咲いたような愛らしい微笑みを浮かべています。
「仔犬に箒図」 伊藤若冲 山種美術館

部分

可愛い仔犬は俵屋宗達や円山応挙も描いています。
「猿猴摘桃図」 伊藤若冲筆・伯珣照浩賛 個人蔵

猿が手をつないで水に映った月を取ろうとする、猿猴捉月図と同じ趣向です。
親子の猿が、食べると不老不死になるという蟠桃を取ろうとしているところで、
猿の腕と木の枝に囲まれたところに賛が書かれています。
長谷川等伯の猿猴捉月図はテナガザルですが、こちらはニホンザルです。
「付喪神図(つくもがみず)」 伊藤若冲 福岡市博物館


付喪神とは、長く使われてきた器物に精霊が宿ったものです。
燭台、琵琶、桶、茶碗などの妖怪が、黑い背景の中にネガフィルムのように
浮かんでいます。
「乗興舟(じょうきょうしゅう)」(部分) 伊藤若冲 三井文庫

版木に紙を乗せ、墨を含んだたんぽで叩いて刷り出す、拓版画という技法に
よっています。
京都の伏見から大坂まで下る淀川の風景を墨で描いた版画絵巻です。
墨の黒によって川沿いの林、家並み、橋、などの情景がゆったりと大らかに
広がっています。
大倉集古館にも別の版が所蔵されています。
「乗興舟」(部分) 伊藤若冲 明和4年(1767) 大倉集古館

「玄圃瑤華 花菖蒲・棕櫚」 伊藤若冲自画・自刻
江戸時代・明和5年(1768) 東京国立博物館

玄圃は仙人の居所、瑤華は玉のように美しい花という意味です。
版木に紙を当て、その上から墨を打つ、拓本に似た拓版画という技法に拠っており、
版木も自ら彫っています。
草花と虫などを組合わせた48図で、写実性は動植綵絵に通じるものがあります。
「伏見人形図」 伊藤若冲 寛政11年(1779) 山種美術館

伏見人形は伏見稲荷の参詣の土産に売られていた土人形です。
若冲晩年の作で、この頃は深草の石峯寺の門前に住み、伏見人形の絵を
よく描いています。
団扇を持った布袋さんが行列していて、ざらついた触感の絵具などを使って、
人形の素材感を出しているそうです。
細密な作品を手掛けたり、このようなほのぼのとした絵を描いたり、若冲は多彩です。
私の「伊藤若冲展」その1 の記事です。
chariot
私の「伊藤若冲展」その2です。
「旭日鳳凰図」 伊藤若冲 宝暦5年(1755) 宮内庁三の丸尚蔵館

部分

有名な「動植綵絵」を描き始める2年前の作品で、濃密な描き振りに圧倒されます。
「動植綵絵」 伊藤若冲 30幅 宝暦7年(1757)頃 宮内庁三の丸尚蔵館
若冲が京都の相国寺に釈迦三尊像と共に寄進したもので、明治時代に
皇室に献上されています。
どの絵も細密さを極めた描き方で、若冲の代表作となっています。
「動植綵絵」全30幅は2009年に東京国立博物館で開かれた、「皇室の名宝
―日本美の華」展に展示され、大きな評判になりました。
またいつか30幅揃った展示を観たいものです。
「動植綵絵」のうち(向日葵雄鶏図)

咲き誇るヒマワリと、若冲の得意とする、逆三角形をした雄鶏の雄姿です。
裏彩色という、紙の裏側にも色を塗って表から観た色彩に変化を付ける
という技も使っているそうで、向日葵の花芯などにも見られるとのことです。
その凝りようには驚くばかりです。
「動植綵絵」のうち(老松白鳳図)

輝く白の羽毛と伸び広がった尾、その先のハート型の模様と、
想像のおもむくままに描いています。
手塚治虫の「火の鳥」は、この絵を参考にしたのでしょうか。
「動植綵絵」のうち(紅葉小禽図)

枝が斜めに画面を分割する、面白い構図です。
自然では見かけない、丸い輪になった枝が画面に変化を付けています。
「象と鯨図屏風」 伊藤若冲 寛政9年(1797) 滋賀、MIHO MUSEUM

右隻

左隻

北陸の旧家にあった屏風で、龍虎図になぞらえ、黒と白を対照にした図柄です。
多くの釈迦涅槃図には、釈迦の死を嘆き悲しむ動物たちの中に鼻を上げて
泣き叫ぶ象の姿があり、若冲はその形を借りて、耳の丸い、ちょっと夢幻的で
可愛い姿の象にしています。
鯨は潮を吹く背中だけを見せて、水に隠れた巨体を想像させています。
波の重なりもリズミカルです。
「果蔬涅槃図」 伊藤若冲 京都国立博物館

釈迦涅槃図に見立てた絵で、墨の濃淡を巧く使って、籠の上の大根と周りを囲む
野菜たちを描いています。
若冲は青物問屋の子だったので、野菜は馴染み深い素材だったのでしょう。
「寒山拾得図」 伊藤若冲 個人蔵

寒山拾得は禅画によく描かれる題材です。
寒山は花の咲いたような愛らしい微笑みを浮かべています。
「仔犬に箒図」 伊藤若冲 山種美術館

部分

可愛い仔犬は俵屋宗達や円山応挙も描いています。
「猿猴摘桃図」 伊藤若冲筆・伯珣照浩賛 個人蔵

猿が手をつないで水に映った月を取ろうとする、猿猴捉月図と同じ趣向です。
親子の猿が、食べると不老不死になるという蟠桃を取ろうとしているところで、
猿の腕と木の枝に囲まれたところに賛が書かれています。
長谷川等伯の猿猴捉月図はテナガザルですが、こちらはニホンザルです。
「付喪神図(つくもがみず)」 伊藤若冲 福岡市博物館


付喪神とは、長く使われてきた器物に精霊が宿ったものです。
燭台、琵琶、桶、茶碗などの妖怪が、黑い背景の中にネガフィルムのように
浮かんでいます。
「乗興舟(じょうきょうしゅう)」(部分) 伊藤若冲 三井文庫

版木に紙を乗せ、墨を含んだたんぽで叩いて刷り出す、拓版画という技法に
よっています。
京都の伏見から大坂まで下る淀川の風景を墨で描いた版画絵巻です。
墨の黒によって川沿いの林、家並み、橋、などの情景がゆったりと大らかに
広がっています。
大倉集古館にも別の版が所蔵されています。
「乗興舟」(部分) 伊藤若冲 明和4年(1767) 大倉集古館

「玄圃瑤華 花菖蒲・棕櫚」 伊藤若冲自画・自刻
江戸時代・明和5年(1768) 東京国立博物館

玄圃は仙人の居所、瑤華は玉のように美しい花という意味です。
版木に紙を当て、その上から墨を打つ、拓本に似た拓版画という技法に拠っており、
版木も自ら彫っています。
草花と虫などを組合わせた48図で、写実性は動植綵絵に通じるものがあります。
「伏見人形図」 伊藤若冲 寛政11年(1779) 山種美術館

伏見人形は伏見稲荷の参詣の土産に売られていた土人形です。
若冲晩年の作で、この頃は深草の石峯寺の門前に住み、伏見人形の絵を
よく描いています。
団扇を持った布袋さんが行列していて、ざらついた触感の絵具などを使って、
人形の素材感を出しているそうです。
細密な作品を手掛けたり、このようなほのぼのとした絵を描いたり、若冲は多彩です。
私の「伊藤若冲展」その1 の記事です。
伊藤若冲
今まで私の観た伊藤若冲の作品を集めて、私の「伊藤若冲展」を開いてみました。
2回に分け、今回はその1です。
伊藤若冲(1716-1800)は京都の青物問屋の長男に生まれますが、絵を描くことを好み、
早くに隠居して画業に専念しています。
特に鶏を描くのに巧みで、多くの作品を遺しているので、先ず鶏の絵などを集めてみます。
「雪中雄鶏図」 伊藤若冲 細見美術館

伊藤若冲の最初期の作品で、雄鶏は写実的に描かれています。
竹が節ごとに折れ曲がっているところや、尾を高く上げた姿など、
すでに若冲の個性が表れています。
「梔子雄鶏図」 伊藤若冲 個人蔵

こちらも初期の作で、最近発見された作品です。
雄鶏が落ちたクチナシの花をつついています。
「雪梅雄鶏図」 伊藤若冲 建仁寺両足院

白と赤の対比が鮮やかです。
両足院は建仁寺の塔頭で、多くの書籍・美術品を所蔵しています。
「紫陽花双鶏図」 伊藤若冲 米国、エツコ&ジョー・プライスコレクション

つがいの鶏です。
紫陽花の葉や花も濃密に描かれた力作です。
「仙人掌群鶏図襖」 伊藤若冲 大阪、西福寺

金箔地の襖に、仙人掌(サボテン)と一緒に、雄や雌、ヒヨコなど、
さまざまな柄と姿の鶏がにぎやかに描かれています。
いろいろな形の取り合わせの面白さを狙っています。
「松梅群鶏図屏風」 伊藤若冲 東京国立博物館


勢いのある筆で力強く描き出しています。
石灯籠は点描で表されています。
「群鶏図」伊藤若冲 寛政7年(1795)頃 山種美術館
左隻

六曲一双の屏風、十二面に雄々しい姿の鶏を貼ってあります。
まるで旗指物を立てた鎧武者のようです。
「鶏図押絵貼屏風」 伊藤若冲 寛政9年(1797) 細見美術館
左隻

六曲一双の屏風で、尾羽を立てた元気の良い雄鶏がずらりと並び、
どれも勢いのある筆捌きで、活き活きとして、力にあふれています。
右隻(部分)

首と尾を立てた雄鶏と、足元で丸くなった雌鳥の対比が面白く描かれています。
「海棠目白図」 伊藤若冲 泉屋博古館

部分

シデコブシと海棠(カイドウ)が描かれ、海棠にはメジロが目白押しに並んでいます。
コブシは木蓮の仲間で、白木蓮は玉蘭と呼ばれ、海棠の棠は堂に通じ、
これに富貴を表す牡丹を合わせると玉堂富貴という目出度い言葉となります。
一羽だけ、背を向けて離れて止まっているメジロが微笑ましくもあります。
「松梅孤鶴図」 伊藤若冲 東京国立博物館

京都の大雲院に伝わる、陳伯冲の「松上双鶴図」を基にしているということですが、
斬新な造形はさすが若冲です。
鶏以外を題材にした作品については次回の記事にします。
chariot
今まで私の観た伊藤若冲の作品を集めて、私の「伊藤若冲展」を開いてみました。
2回に分け、今回はその1です。
伊藤若冲(1716-1800)は京都の青物問屋の長男に生まれますが、絵を描くことを好み、
早くに隠居して画業に専念しています。
特に鶏を描くのに巧みで、多くの作品を遺しているので、先ず鶏の絵などを集めてみます。
「雪中雄鶏図」 伊藤若冲 細見美術館

伊藤若冲の最初期の作品で、雄鶏は写実的に描かれています。
竹が節ごとに折れ曲がっているところや、尾を高く上げた姿など、
すでに若冲の個性が表れています。
「梔子雄鶏図」 伊藤若冲 個人蔵

こちらも初期の作で、最近発見された作品です。
雄鶏が落ちたクチナシの花をつついています。
「雪梅雄鶏図」 伊藤若冲 建仁寺両足院

白と赤の対比が鮮やかです。
両足院は建仁寺の塔頭で、多くの書籍・美術品を所蔵しています。
「紫陽花双鶏図」 伊藤若冲 米国、エツコ&ジョー・プライスコレクション

つがいの鶏です。
紫陽花の葉や花も濃密に描かれた力作です。
「仙人掌群鶏図襖」 伊藤若冲 大阪、西福寺

金箔地の襖に、仙人掌(サボテン)と一緒に、雄や雌、ヒヨコなど、
さまざまな柄と姿の鶏がにぎやかに描かれています。
いろいろな形の取り合わせの面白さを狙っています。
「松梅群鶏図屏風」 伊藤若冲 東京国立博物館


勢いのある筆で力強く描き出しています。
石灯籠は点描で表されています。
「群鶏図」伊藤若冲 寛政7年(1795)頃 山種美術館
左隻

六曲一双の屏風、十二面に雄々しい姿の鶏を貼ってあります。
まるで旗指物を立てた鎧武者のようです。
「鶏図押絵貼屏風」 伊藤若冲 寛政9年(1797) 細見美術館
左隻

六曲一双の屏風で、尾羽を立てた元気の良い雄鶏がずらりと並び、
どれも勢いのある筆捌きで、活き活きとして、力にあふれています。
右隻(部分)

首と尾を立てた雄鶏と、足元で丸くなった雌鳥の対比が面白く描かれています。
「海棠目白図」 伊藤若冲 泉屋博古館

部分

シデコブシと海棠(カイドウ)が描かれ、海棠にはメジロが目白押しに並んでいます。
コブシは木蓮の仲間で、白木蓮は玉蘭と呼ばれ、海棠の棠は堂に通じ、
これに富貴を表す牡丹を合わせると玉堂富貴という目出度い言葉となります。
一羽だけ、背を向けて離れて止まっているメジロが微笑ましくもあります。
「松梅孤鶴図」 伊藤若冲 東京国立博物館

京都の大雲院に伝わる、陳伯冲の「松上双鶴図」を基にしているということですが、
斬新な造形はさすが若冲です。
鶏以外を題材にした作品については次回の記事にします。
お茶の水
JR御茶ノ水駅から明大通りを下った明治大学の辺りに、鉄腕アトムのマンホールの蓋が
ありました。


ウランちゃんやお茶の水博士の蓋も並んでいました。


これは、今年の2月に千代田区の設置したデザインマンホール蓋で、千代田区の花の
桜もあしらってあります。
鉄腕アトムはお茶の水博士に育てられ、お茶の水小学校に通ったという設定にちなんで
設置したとのことです。
実際のお茶の水小学校は平成5年(1993)に錦華小学校、小川小学校、西神田小学校を
統合して、錦華小学校の校舎を利用して創立された小学校で、
アトムたちの活躍した昭和時代にはまだありませんでした。
なお、お茶の水小学校は現在、建て替え工事中です。


小川小学校跡地は小川広場に、西神田小学校跡地は高層住宅複合施設の
西神田コスモス館になっています。
アニメ、「鉄腕アトム」のテーマ曲はJR高田馬場駅の出発メロディーにもなっています。
これは、鉄腕アトムが高田馬場にある科学省で誕生したという設定と、手塚プロダクションが
高田馬場にあることによるものです。
また、手塚治虫や赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄らが集った豊島区南長崎の
トキワ荘は1982年に解体されましたが、豊島区によって南長崎花咲公園に、外観を復元した
「マンガの聖地としまミュージアム」が建てられ、今年中の開館を予定しています。
「鉄腕アトム」 手塚プロダクション

2019年に閉店した浅草の喫茶店、「アンヂェラス」には鉄腕アトムの作者、手塚治虫の
色紙がありました。


chariot
JR御茶ノ水駅から明大通りを下った明治大学の辺りに、鉄腕アトムのマンホールの蓋が
ありました。


ウランちゃんやお茶の水博士の蓋も並んでいました。


これは、今年の2月に千代田区の設置したデザインマンホール蓋で、千代田区の花の
桜もあしらってあります。
鉄腕アトムはお茶の水博士に育てられ、お茶の水小学校に通ったという設定にちなんで
設置したとのことです。
実際のお茶の水小学校は平成5年(1993)に錦華小学校、小川小学校、西神田小学校を
統合して、錦華小学校の校舎を利用して創立された小学校で、
アトムたちの活躍した昭和時代にはまだありませんでした。
なお、お茶の水小学校は現在、建て替え工事中です。


小川小学校跡地は小川広場に、西神田小学校跡地は高層住宅複合施設の
西神田コスモス館になっています。
アニメ、「鉄腕アトム」のテーマ曲はJR高田馬場駅の出発メロディーにもなっています。
これは、鉄腕アトムが高田馬場にある科学省で誕生したという設定と、手塚プロダクションが
高田馬場にあることによるものです。
また、手塚治虫や赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄らが集った豊島区南長崎の
トキワ荘は1982年に解体されましたが、豊島区によって南長崎花咲公園に、外観を復元した
「マンガの聖地としまミュージアム」が建てられ、今年中の開館を予定しています。
「鉄腕アトム」 手塚プロダクション

2019年に閉店した浅草の喫茶店、「アンヂェラス」には鉄腕アトムの作者、手塚治虫の
色紙がありました。

