銀座一丁目
銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは「PICNIC×KOGEI展」が開かれています。
会期は7月5日(日)まで、会期中は無休、入場無料です。

ポーラの伝統工芸コーディネート事業から生まれたプロジェクト、SERENDOUCE CRAFTS
による展覧会です。
「SERENDOUCE(セレンドゥース)」とは、「意外な新しい発見(Serendipity)」と
「心地よさ(Douce)」を組み合わせた造語とのことで、ピクニックの場面と
組合わせて展示して、日本の工芸品の魅力を紹介しています。

ピクニックの場面を想定して、床にはウッドチップが敷き詰められています。

切株の上に載っています。

棚一杯に工芸品が並び、販売されています。

自然色のマフラーなど

グラスやフラスコ

小さな木の桶

銅製のコーヒー豆容れとドリッパー

暮らしの中で使えば、生活にちょっとしたゆとりと潤いが生まれそうです。
chariot
銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは「PICNIC×KOGEI展」が開かれています。
会期は7月5日(日)まで、会期中は無休、入場無料です。

ポーラの伝統工芸コーディネート事業から生まれたプロジェクト、SERENDOUCE CRAFTS
による展覧会です。
「SERENDOUCE(セレンドゥース)」とは、「意外な新しい発見(Serendipity)」と
「心地よさ(Douce)」を組み合わせた造語とのことで、ピクニックの場面と
組合わせて展示して、日本の工芸品の魅力を紹介しています。

ピクニックの場面を想定して、床にはウッドチップが敷き詰められています。

切株の上に載っています。

棚一杯に工芸品が並び、販売されています。

自然色のマフラーなど

グラスやフラスコ

小さな木の桶

銅製のコーヒー豆容れとドリッパー

暮らしの中で使えば、生活にちょっとしたゆとりと潤いが生まれそうです。
ギリシャ・ローマ神話
私の観た、ギリシャ・ローマ神話を題材にした作品を集めてみました。
今回は2回に分けた、その2です。
「アルテミス像」 前100年頃 デロス島、「ディアドゥメノスの家」より出土
アテネ国立考古学博物館蔵

アルテミスはギリシャ神話の狩猟の神で、本来は猛々しいのですが、トゥニカ(単衣)を着た
この像はどこか優し気です。
アレクサンドロス大王以後のヘレニズム文化の作品は優美で繊細になっているそうです。
このような像を観ていると、西洋文明は古代ギリシャに始まるのだということをあらためて
実感します。
『アルテミス:信奉者たちから贈られたマントを留める狩の女神、
通称「ギャビーのディアナ」』
ギャビー(現オステリア・デル・オーザ)、イタリア 100年頃 ルーヴル美術館

18世紀にローマ近郊で発見された像で、ギリシャ彫刻のローマでの模刻と思われます。
アルテミスはギリシャ神話の狩と月の女神、ローマではディアナとして
信仰されています。
ほぼ等身大に近い像で、トゥニカを着てマントを羽織っている姿はとても清楚で、
サンダルの飾り紐まで彫り出されています。
テオドール・シャセリオー 「アクタイオンに驚くディアナ」 1840年 国立西洋美術館

ディアナはローマ神話の狩の女神で、月の女神ともされています。
ギリシャ神話のアルテミスのことです。
水浴中の姿を見た漁師のアクタイオンは鹿の姿に変えられ、連れていた猟犬たちに
噛み殺されてしまいます。
頭に三日月を付けたディアナは背中を見せ、ニンフたちは驚き、アクタイオンは
遠くで鹿の姿になって、犬に襲われています。
夕暮れの光の中で、ニンフたちはただならぬ表情を見せ、異様な雰囲気を持っています。
「フローラ」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1515年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

バラ、スミレ、ジャスミンを手にした、ローマ神話の春の女神です。
右手に指輪をしていることから、結婚や花嫁の寓意ではないかということです。
ティツィアーノ(1488/1490頃-1576)の初期の作品で、きっちりとした
豊麗な描き方をしていて、つややかな肌が際立ちます。
「フローラ」 エドワード・バーン=ジョーンズ 1868-84年 郡山市立美術館

花の女神フローラが春風の中で花の種を撒き、その足元ではチューリップが花開いて
います。
体の線を風を受けた衣装が包んでいて、風は西風の神ゼピュロスを暗示しています。
フローラとゼピュロスはボッティチェッリの「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」などにも
描かれています。
指輪「女神ニケ」 紀元前4世紀後期、古典期ギリシャ
金、ガラス 橋本コレクション、国立西洋美術館

ニケはギリシャ神話の勝利の女神です。
有翼の姿で表され、ルーヴル美術館の所蔵する「サモトラケのニケ像」で有名です。
青いガラスの上に金箔で描かれ、小さなロゼット文が囲んでいます。
かつては透明ガラスにおおわれていたそうです。
「ニケ小像」 ブロンズ 紀元前500年頃 大英博物館

ニケは勝利を司る有翼の女神です。
アーティゾン美術館にあるラウホ作の大理石彫刻「勝利の女神」も
ニケを表しています。
こちらは高さ15cmの小さな像で、元はブロンズの容器の一部だったらしい
とのことです。
南イタリアの工房の作とのことですが、広げた翼はエジプト風の様式美があります。
「アンフィトリテ(海の女神)」 ラウル・デュフィ 1936年 伊丹市立美術館

朝日の昇る海にボート、ヨット、帆船、外輪船、貨物船が浮かび、地引網や浜辺を
散歩する人が見えます。
中心にギリシャ神話の海の女神、アンフィトリテが座って、巻貝から聞こえる海の音を
聴いています。
海の色は自在に塗り分けられ、豊かな地中海世界が広がっています。
デュフィはギリシャ・ローマ神話の神々をよく描いています。
地中海世界の豊穣さを象徴しているのでしょうか。
「シレーヌ」 藤田嗣治 1958年 ポーラ美術館

2013年に新たに発見され、ポーラ美術館が収蔵した作品です。
シレーヌはギリシャ神話の海の怪物、セイレーンのことで、美しい歌声で船人を
惑わし難破させます。
英語のサイレンの語源にもなっています。
フジタ特有の面相筆を活かした筆遣いで、乱れて海藻のように漂う髪も不気味な
妖怪を表しています。
魚の描写がとても巧みで、鱗は光って見えます。
「ムネーモシューネー(記憶の女神)」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
1876-81年 デラウェア美術館

ムネーモシューネーは記憶を司るギリシャ神話の女神です。
右手の容器に入っている水を飲むと、過去の記憶を完全に思い出すそうです。
額縁にはロセッティ自身により詩が書き込まれています。
「バッカス」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
1597-98年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

ローマ神話のワインの神、バッカスに扮したカラヴァッジョがブドウの冠を被り、
ちょっと酔ったような無防備な顔でこちらを見ています。
片肌脱ぎをした右腕の手先だけ日焼けしているところまで描かれています。
ワイングラスを左手に持っているのは鏡を見て自分を描いたためだろうということです。
まだ絵の売れない初期の頃はモデルを雇う金が無いので、よく自分自身を
モデルにして描いています。
「バッカス祭」 モーリス・ドニ 1920年 アーティゾン美術館

バッカスはローマ神話のワインの神です。
バッカス祭は豊穣を祝うお祭りで、ブドウの木の下で、にぎやかに祝い、
虎や黒豹、象も集まって、盛り上がっています。
ティツイアーノに倣った作品で、ドニ特有の藤色がかった色彩による祝祭的な情景です。
ジュネーヴの毛皮店、「ベンガル虎」の注文で描かれた作品の下絵なので、
虎が大きく描かれています。
「ヘラクレス」 紀元前4世紀後半 フィレンツェ国立考古学博物館蔵

ギリシャ神話の英雄、ヘラクレスがライオンと闘った棍棒を持った姿で表されています。
高さ約50㎝の小像で、堂々とした体格をしています。
ヘラクレスは仏教の守護神の形で日本に伝わり、仁王様になっています。
「ナルキッソス」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
1599年頃 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館

ナルキッソスはギリシャ神話に出てくる美少年で、水に映った自分の姿に恋をしてしまいます。
ナルシズムの語源になったお話で、接吻しようとして水に左手を入れたところを描いています。
明暗の対比が強くなり、劇的な効果が出ています。
「エコーとナルキッソス」 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
1903年 油彩・カンヴァス

ギリシャ神話の中の不毛な愛を象徴するお話で、美少年ナルキッソスは水に映る
自分の姿に恋をして、やがて死んでしまい、水仙に姿を変えます。
エコーはナルキッソスに恋しますが、木霊のように相手の言葉を繰り返すだけで、
自分から話しかけることは出来ません。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849-1917)はイギリスの古典主義の
画家ですが、ラファエル前派にも近い雰囲気を持っています。
ピエール=ナルシス・ゲラン 「モルフェウスとイリス」 1811年 エルミタージュ美術館

ギリシャ神話の夢の神、モルフェウスが虹の神のイリスに起こされているところで、
クピドは夜を表すカーテンを開けています。
モルフェウスはモルヒネの語源とされています。
磁器のような硬質で艶やかな肌の神々による、ロマンティックな情景です。
ピエール=ナルシス・ゲラン(1774-1833)は「ナポレオンの戴冠式を描いた、
ジャック=ルイ・ダヴィッドに続く新古典派の画家ですが、感傷的な作風が特徴との
ことです。
「ペルセウスとアンドロメダ」 ペーテル・パウル・ルーベンスと工房
1622年以降 リヒテンシュタイン侯爵家

ギリシャ神話の、英雄ペルセウスが海の怪獣を退治して、生贄にされそうになった
アンドロメダを救う話で、討たれた怪獣は海に落ちています。
ペルセウスの乗っていた、翼のある天馬、ペガサスも描かれています。
ルーベンスらしい、バロックの躍動的な画面で、ペルセウスのマントの赤と
アンドロメダの白い肌が際立っています。
「メドゥーサの死 II」 -連作「ペルセウス」より
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ
1882年 グワッシュ、紙 サウサンプトン市立美術館

イギリスの政治家、アーサー・バルフォアの邸宅の装飾を依頼されて描いた、
縦約150cmの大きな下絵です。
バルフォアはパレスチナでのユダヤ人国家の設立を支持した、「バルフォア宣言」で
有名です。
作品は、ギリシャ神話の英雄のペルセウスが切り取った怪物メドゥーサの首を
袋に入れて飛び去ろうとしているところです。
ペルセウスはヘルメスから与えられた、翼のあるサンダルを履いています。
黒い翼の二人はメドゥーサの死を知って駆け付けた姉たちです。
放射状に広がる三人の動きには迫力があります。
「アポロンの戦車」 オディロン・ルドン 油彩、パステル、厚紙 1909年 ボルドー美術館

アポロンはギリシャ神話の太陽神で、戦車を駆って空を飛びます。
アポロンの戦車のモチーフは、ドラクロワの描いたルーブル宮のアポロンの間の
天井画を基にしているということです。
深い青色の天空に駆け上がる馬たちは自身が太陽のように輝いています。
「パエトンの墜落」 ペーテル・パウル・ルーベンス
1604-05 年頃、おそらく1606-08 年頃に再制作 ワシントン、ナショナル・ギャラリー

パエトンはギリシャ神話の登場人物で、父の太陽神アポロンの戦車を駆りますが、
暴走させてしまい、世界中が大火災となります。
そこで、最高神ユピテルに雷を落とされ、死んでしまいます。
パエトンは跳ね狂った4頭立ての馬車から振り落とされ、蝶の羽を着けた女神たちは
恐れおののいています。
斜めに差す光が動きを誘う、ルーベンスらしいダイナミックな作品です。
「イカルスの墜落」 マルク・シャガール 1974~77年 パリ、ポンピドー・センター

90歳近い晩年の作品です。
ダイダロスと息子のイカルスはミノス王のために幽閉されますが、鳥の羽根を集めて
蝋で固めた翼を作り、空を飛んで逃げ出します。
ところがイカルスは調子に乗って、太陽神アポロンに近付いたため、熱で蝋が溶け、
イカルスは海に墜ちて死んでしまいます。
故郷ヴィテブスクの人々の上に墜ちて行くのは、シャガール自身にも見えます。
ヴィテブスクはユダヤ人を中心にした町でしたが、独ソ戦の戦場ともなっていて、
人々の運命は過酷だったはずです。
これほど多くの人々を描き入れたのは、鎮魂の意味を込めたのでしょうか。
たとえ墜落ではあっても、帰るべき故郷への思いの強さを見せています。
「マルシュアスの皮をはぐアポロ」 グエルチーノ
1618年 フィレンツェ、パラティーナ美術館

ギリシャ神話のお話で、笛の名手のマルシュアスは竪琴の名手のアポロと
技量を争って敗れ、生きたまま皮を剥がれてしまいます。
この作品ではアポロの楽器は竪琴ではなく、バイオリンに似た楽器が
右上に描かれています。
アポロは光を浴びて白く輝き、勝者と敗者の差を見せています。
「マルスとレア・シルウィア」 ペーテル・パウル・ルーベンス
1616-17年 ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

ローマ神話の軍神マルスが女神ウェスタに仕える巫女のレア・シルウィアに迫る場面です。
二人の間の子がローマを建国したとされる双子の兄弟、ロムルスとレムスです。
マルスが兜を脱いでいるのは戦いの停止、すなわち平和の到来も意味するそうです。
ネーデルランドの独立戦争で、スペインとの一時的停戦条約が結ばれていた時期の
作品で、平和への強い思いもあったのでしょう。
「スフィンクス像(おそらくテーブル脚部)」 大理石 紀元後120-140年頃 大英博物館

ギリシャ神話のスフィンクスは若い女性の顔、ライオンの体、鷲の羽根を持っています。
高さ84cmで、大きく広げた鷲の羽根は羽毛まで細かく彫られています。
体の部分はライオンにしては細身で優雅です。
ギリシャ神話ではスフィンクスはオイディプスに謎かけを挑んで答えを解かれてしまい、
海に身を投げています。
アングルやモローの作品で有名な場面です。
「オルフェウス」 ギュスターヴ・モロー 1865年 オルセー美術館

モローの代表作で、ギリシャ神話に出てくる詩人のオルフェウスが八つ裂きにされ、
竪琴とともにレスボス島に流れ着いた様子を描いています。
一昔前の絵のように見えますが、印象派と同時代の作品です。
ルーラント・サーフェリー 「動物に音楽を奏でるオルフェウス」
1625年 油彩・キャンヴァス プラハ国立美術館


ルーラント・サーフェリー(1576/78-1639)はオランダの画家で、神聖ローマ皇帝
ルドルフ2世の招きでプラハに行き、宮廷画家となっています。
風景画と動物画に優れ、数多くの動物たちを風景の中に取り込んだ動物画で
知られています。
この絵はオランダに帰ってからの作品で、ギリシャ神話の詩人オルフェウスは塔の下、
白馬の右側で竪琴を持って座っています。
ルドルフ2世は生きた動物たちを集め、動物園も作っています。
連作 「ピグマリオンと彫像」 エドワード・バーン=ジョーンズ
1878年 バーミンガム美術館
ギリシャ神話のお話で、キプロスのピグマリオンは自分の彫った理想の女性
ガラテアの彫刻に恋してしまいます。
それを憐れんだ愛の女神アフロディテは彫刻に生命を与え、ピグマリオンは
ガラテアと結ばれます。
ミュージカルや映画の「マイ・フェア・レディ」はこのお話を元にしています。
1.「恋心」

物思いに沈むピグマリオンです。
向こうに三美神の彫刻が見えます。
2.「心抑えて」

ノミと金槌を持ち、出来上がった像を前に、恋心を抑えているところです。
家の外には点景として風俗画のような人物が描かれています。
3.「女神のはからい」

美と愛の女神、アフロディテが鳩や薔薇とともに現れ、ガラテアに生命を与えます。
灰色だったガラテアも人肌色に変わっています。
海で産まれた女神なので足元には水が描かれています。
4.「成就」

喜んでひざまずくピグマリオンと、人になったばかりのガラテアです。
どの絵も背景に工夫があって、場面に奥行きと変化を見せています。
「赦しの樹」 エドワード・バーン=ジョーンズ 1881-82年
油彩、カンヴァス リヴァプール国立美術館、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー

ギリシャ神話の人物、デーモポーンはトラキアの王女ピュリスと結婚しますが、妻を残して
故郷に帰ったまま戻らず、ピュリスは嘆いて死んでしまいます。
それを憐れんだ神々によりアーモンドの木に変えられ、後悔したデーモポーンが戻って
木を抱きしめるとピュリスが現れ、赦しを与えます。
満開のアーモンドの花を後ろに、抱きつくピュリスと驚くデーモポーンは渦のように
からみ合っています。
1870年に描かれたものの酷評され、7年間も公的展示から身を引いた作品の再制作と
いうことですが、何が不評だったのでしょう。
「ベートーヴェン・フリーズ 正面の壁「敵意に満ちた力」」 グスタフ・クリムト
1901-1902年 ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館

1984年の原寸大複製です。
ベートーヴェンを主題にした、1901年の第14回ウィーン分離派展示会のために
描かれた壁画です。
縦約2m、横約34mの大作で、第9交響曲に基いて描かれ、3面に分かれており、
左は「幸福への憧れ」、正面は「敵対する勢力」、右は「歓喜の歌」となっています。
ゴリラのような動物はギリシャ神話に出てくるテュフォンという怪物で、神々の王
ゼウスとも壮絶に戦っています。
左側の3人はギリシャ神話の怪物、ゴルゴン姉妹で、髪の毛は生きた蛇です。
何ともおどろおどろしい画面で、第9の中にこんな情景はあっただろうかと思います。
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私の観た、ギリシャ・ローマ神話を題材にした作品を集めてみました。
今回は2回に分けた、その2です。
「アルテミス像」 前100年頃 デロス島、「ディアドゥメノスの家」より出土
アテネ国立考古学博物館蔵

アルテミスはギリシャ神話の狩猟の神で、本来は猛々しいのですが、トゥニカ(単衣)を着た
この像はどこか優し気です。
アレクサンドロス大王以後のヘレニズム文化の作品は優美で繊細になっているそうです。
このような像を観ていると、西洋文明は古代ギリシャに始まるのだということをあらためて
実感します。
『アルテミス:信奉者たちから贈られたマントを留める狩の女神、
通称「ギャビーのディアナ」』
ギャビー(現オステリア・デル・オーザ)、イタリア 100年頃 ルーヴル美術館

18世紀にローマ近郊で発見された像で、ギリシャ彫刻のローマでの模刻と思われます。
アルテミスはギリシャ神話の狩と月の女神、ローマではディアナとして
信仰されています。
ほぼ等身大に近い像で、トゥニカを着てマントを羽織っている姿はとても清楚で、
サンダルの飾り紐まで彫り出されています。
テオドール・シャセリオー 「アクタイオンに驚くディアナ」 1840年 国立西洋美術館

ディアナはローマ神話の狩の女神で、月の女神ともされています。
ギリシャ神話のアルテミスのことです。
水浴中の姿を見た漁師のアクタイオンは鹿の姿に変えられ、連れていた猟犬たちに
噛み殺されてしまいます。
頭に三日月を付けたディアナは背中を見せ、ニンフたちは驚き、アクタイオンは
遠くで鹿の姿になって、犬に襲われています。
夕暮れの光の中で、ニンフたちはただならぬ表情を見せ、異様な雰囲気を持っています。
「フローラ」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1515年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

バラ、スミレ、ジャスミンを手にした、ローマ神話の春の女神です。
右手に指輪をしていることから、結婚や花嫁の寓意ではないかということです。
ティツィアーノ(1488/1490頃-1576)の初期の作品で、きっちりとした
豊麗な描き方をしていて、つややかな肌が際立ちます。
「フローラ」 エドワード・バーン=ジョーンズ 1868-84年 郡山市立美術館

花の女神フローラが春風の中で花の種を撒き、その足元ではチューリップが花開いて
います。
体の線を風を受けた衣装が包んでいて、風は西風の神ゼピュロスを暗示しています。
フローラとゼピュロスはボッティチェッリの「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」などにも
描かれています。
指輪「女神ニケ」 紀元前4世紀後期、古典期ギリシャ
金、ガラス 橋本コレクション、国立西洋美術館

ニケはギリシャ神話の勝利の女神です。
有翼の姿で表され、ルーヴル美術館の所蔵する「サモトラケのニケ像」で有名です。
青いガラスの上に金箔で描かれ、小さなロゼット文が囲んでいます。
かつては透明ガラスにおおわれていたそうです。
「ニケ小像」 ブロンズ 紀元前500年頃 大英博物館

ニケは勝利を司る有翼の女神です。
アーティゾン美術館にあるラウホ作の大理石彫刻「勝利の女神」も
ニケを表しています。
こちらは高さ15cmの小さな像で、元はブロンズの容器の一部だったらしい
とのことです。
南イタリアの工房の作とのことですが、広げた翼はエジプト風の様式美があります。
「アンフィトリテ(海の女神)」 ラウル・デュフィ 1936年 伊丹市立美術館

朝日の昇る海にボート、ヨット、帆船、外輪船、貨物船が浮かび、地引網や浜辺を
散歩する人が見えます。
中心にギリシャ神話の海の女神、アンフィトリテが座って、巻貝から聞こえる海の音を
聴いています。
海の色は自在に塗り分けられ、豊かな地中海世界が広がっています。
デュフィはギリシャ・ローマ神話の神々をよく描いています。
地中海世界の豊穣さを象徴しているのでしょうか。
「シレーヌ」 藤田嗣治 1958年 ポーラ美術館

2013年に新たに発見され、ポーラ美術館が収蔵した作品です。
シレーヌはギリシャ神話の海の怪物、セイレーンのことで、美しい歌声で船人を
惑わし難破させます。
英語のサイレンの語源にもなっています。
フジタ特有の面相筆を活かした筆遣いで、乱れて海藻のように漂う髪も不気味な
妖怪を表しています。
魚の描写がとても巧みで、鱗は光って見えます。
「ムネーモシューネー(記憶の女神)」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
1876-81年 デラウェア美術館

ムネーモシューネーは記憶を司るギリシャ神話の女神です。
右手の容器に入っている水を飲むと、過去の記憶を完全に思い出すそうです。
額縁にはロセッティ自身により詩が書き込まれています。
「バッカス」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
1597-98年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

ローマ神話のワインの神、バッカスに扮したカラヴァッジョがブドウの冠を被り、
ちょっと酔ったような無防備な顔でこちらを見ています。
片肌脱ぎをした右腕の手先だけ日焼けしているところまで描かれています。
ワイングラスを左手に持っているのは鏡を見て自分を描いたためだろうということです。
まだ絵の売れない初期の頃はモデルを雇う金が無いので、よく自分自身を
モデルにして描いています。
「バッカス祭」 モーリス・ドニ 1920年 アーティゾン美術館

バッカスはローマ神話のワインの神です。
バッカス祭は豊穣を祝うお祭りで、ブドウの木の下で、にぎやかに祝い、
虎や黒豹、象も集まって、盛り上がっています。
ティツイアーノに倣った作品で、ドニ特有の藤色がかった色彩による祝祭的な情景です。
ジュネーヴの毛皮店、「ベンガル虎」の注文で描かれた作品の下絵なので、
虎が大きく描かれています。
「ヘラクレス」 紀元前4世紀後半 フィレンツェ国立考古学博物館蔵

ギリシャ神話の英雄、ヘラクレスがライオンと闘った棍棒を持った姿で表されています。
高さ約50㎝の小像で、堂々とした体格をしています。
ヘラクレスは仏教の守護神の形で日本に伝わり、仁王様になっています。
「ナルキッソス」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
1599年頃 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館

ナルキッソスはギリシャ神話に出てくる美少年で、水に映った自分の姿に恋をしてしまいます。
ナルシズムの語源になったお話で、接吻しようとして水に左手を入れたところを描いています。
明暗の対比が強くなり、劇的な効果が出ています。
「エコーとナルキッソス」 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
1903年 油彩・カンヴァス

ギリシャ神話の中の不毛な愛を象徴するお話で、美少年ナルキッソスは水に映る
自分の姿に恋をして、やがて死んでしまい、水仙に姿を変えます。
エコーはナルキッソスに恋しますが、木霊のように相手の言葉を繰り返すだけで、
自分から話しかけることは出来ません。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849-1917)はイギリスの古典主義の
画家ですが、ラファエル前派にも近い雰囲気を持っています。
ピエール=ナルシス・ゲラン 「モルフェウスとイリス」 1811年 エルミタージュ美術館

ギリシャ神話の夢の神、モルフェウスが虹の神のイリスに起こされているところで、
クピドは夜を表すカーテンを開けています。
モルフェウスはモルヒネの語源とされています。
磁器のような硬質で艶やかな肌の神々による、ロマンティックな情景です。
ピエール=ナルシス・ゲラン(1774-1833)は「ナポレオンの戴冠式を描いた、
ジャック=ルイ・ダヴィッドに続く新古典派の画家ですが、感傷的な作風が特徴との
ことです。
「ペルセウスとアンドロメダ」 ペーテル・パウル・ルーベンスと工房
1622年以降 リヒテンシュタイン侯爵家

ギリシャ神話の、英雄ペルセウスが海の怪獣を退治して、生贄にされそうになった
アンドロメダを救う話で、討たれた怪獣は海に落ちています。
ペルセウスの乗っていた、翼のある天馬、ペガサスも描かれています。
ルーベンスらしい、バロックの躍動的な画面で、ペルセウスのマントの赤と
アンドロメダの白い肌が際立っています。
「メドゥーサの死 II」 -連作「ペルセウス」より
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ
1882年 グワッシュ、紙 サウサンプトン市立美術館

イギリスの政治家、アーサー・バルフォアの邸宅の装飾を依頼されて描いた、
縦約150cmの大きな下絵です。
バルフォアはパレスチナでのユダヤ人国家の設立を支持した、「バルフォア宣言」で
有名です。
作品は、ギリシャ神話の英雄のペルセウスが切り取った怪物メドゥーサの首を
袋に入れて飛び去ろうとしているところです。
ペルセウスはヘルメスから与えられた、翼のあるサンダルを履いています。
黒い翼の二人はメドゥーサの死を知って駆け付けた姉たちです。
放射状に広がる三人の動きには迫力があります。
「アポロンの戦車」 オディロン・ルドン 油彩、パステル、厚紙 1909年 ボルドー美術館

アポロンはギリシャ神話の太陽神で、戦車を駆って空を飛びます。
アポロンの戦車のモチーフは、ドラクロワの描いたルーブル宮のアポロンの間の
天井画を基にしているということです。
深い青色の天空に駆け上がる馬たちは自身が太陽のように輝いています。
「パエトンの墜落」 ペーテル・パウル・ルーベンス
1604-05 年頃、おそらく1606-08 年頃に再制作 ワシントン、ナショナル・ギャラリー

パエトンはギリシャ神話の登場人物で、父の太陽神アポロンの戦車を駆りますが、
暴走させてしまい、世界中が大火災となります。
そこで、最高神ユピテルに雷を落とされ、死んでしまいます。
パエトンは跳ね狂った4頭立ての馬車から振り落とされ、蝶の羽を着けた女神たちは
恐れおののいています。
斜めに差す光が動きを誘う、ルーベンスらしいダイナミックな作品です。
「イカルスの墜落」 マルク・シャガール 1974~77年 パリ、ポンピドー・センター

90歳近い晩年の作品です。
ダイダロスと息子のイカルスはミノス王のために幽閉されますが、鳥の羽根を集めて
蝋で固めた翼を作り、空を飛んで逃げ出します。
ところがイカルスは調子に乗って、太陽神アポロンに近付いたため、熱で蝋が溶け、
イカルスは海に墜ちて死んでしまいます。
故郷ヴィテブスクの人々の上に墜ちて行くのは、シャガール自身にも見えます。
ヴィテブスクはユダヤ人を中心にした町でしたが、独ソ戦の戦場ともなっていて、
人々の運命は過酷だったはずです。
これほど多くの人々を描き入れたのは、鎮魂の意味を込めたのでしょうか。
たとえ墜落ではあっても、帰るべき故郷への思いの強さを見せています。
「マルシュアスの皮をはぐアポロ」 グエルチーノ
1618年 フィレンツェ、パラティーナ美術館

ギリシャ神話のお話で、笛の名手のマルシュアスは竪琴の名手のアポロと
技量を争って敗れ、生きたまま皮を剥がれてしまいます。
この作品ではアポロの楽器は竪琴ではなく、バイオリンに似た楽器が
右上に描かれています。
アポロは光を浴びて白く輝き、勝者と敗者の差を見せています。
「マルスとレア・シルウィア」 ペーテル・パウル・ルーベンス
1616-17年 ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

ローマ神話の軍神マルスが女神ウェスタに仕える巫女のレア・シルウィアに迫る場面です。
二人の間の子がローマを建国したとされる双子の兄弟、ロムルスとレムスです。
マルスが兜を脱いでいるのは戦いの停止、すなわち平和の到来も意味するそうです。
ネーデルランドの独立戦争で、スペインとの一時的停戦条約が結ばれていた時期の
作品で、平和への強い思いもあったのでしょう。
「スフィンクス像(おそらくテーブル脚部)」 大理石 紀元後120-140年頃 大英博物館

ギリシャ神話のスフィンクスは若い女性の顔、ライオンの体、鷲の羽根を持っています。
高さ84cmで、大きく広げた鷲の羽根は羽毛まで細かく彫られています。
体の部分はライオンにしては細身で優雅です。
ギリシャ神話ではスフィンクスはオイディプスに謎かけを挑んで答えを解かれてしまい、
海に身を投げています。
アングルやモローの作品で有名な場面です。
「オルフェウス」 ギュスターヴ・モロー 1865年 オルセー美術館

モローの代表作で、ギリシャ神話に出てくる詩人のオルフェウスが八つ裂きにされ、
竪琴とともにレスボス島に流れ着いた様子を描いています。
一昔前の絵のように見えますが、印象派と同時代の作品です。
ルーラント・サーフェリー 「動物に音楽を奏でるオルフェウス」
1625年 油彩・キャンヴァス プラハ国立美術館


ルーラント・サーフェリー(1576/78-1639)はオランダの画家で、神聖ローマ皇帝
ルドルフ2世の招きでプラハに行き、宮廷画家となっています。
風景画と動物画に優れ、数多くの動物たちを風景の中に取り込んだ動物画で
知られています。
この絵はオランダに帰ってからの作品で、ギリシャ神話の詩人オルフェウスは塔の下、
白馬の右側で竪琴を持って座っています。
ルドルフ2世は生きた動物たちを集め、動物園も作っています。
連作 「ピグマリオンと彫像」 エドワード・バーン=ジョーンズ
1878年 バーミンガム美術館
ギリシャ神話のお話で、キプロスのピグマリオンは自分の彫った理想の女性
ガラテアの彫刻に恋してしまいます。
それを憐れんだ愛の女神アフロディテは彫刻に生命を与え、ピグマリオンは
ガラテアと結ばれます。
ミュージカルや映画の「マイ・フェア・レディ」はこのお話を元にしています。
1.「恋心」

物思いに沈むピグマリオンです。
向こうに三美神の彫刻が見えます。
2.「心抑えて」

ノミと金槌を持ち、出来上がった像を前に、恋心を抑えているところです。
家の外には点景として風俗画のような人物が描かれています。
3.「女神のはからい」

美と愛の女神、アフロディテが鳩や薔薇とともに現れ、ガラテアに生命を与えます。
灰色だったガラテアも人肌色に変わっています。
海で産まれた女神なので足元には水が描かれています。
4.「成就」

喜んでひざまずくピグマリオンと、人になったばかりのガラテアです。
どの絵も背景に工夫があって、場面に奥行きと変化を見せています。
「赦しの樹」 エドワード・バーン=ジョーンズ 1881-82年
油彩、カンヴァス リヴァプール国立美術館、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー

ギリシャ神話の人物、デーモポーンはトラキアの王女ピュリスと結婚しますが、妻を残して
故郷に帰ったまま戻らず、ピュリスは嘆いて死んでしまいます。
それを憐れんだ神々によりアーモンドの木に変えられ、後悔したデーモポーンが戻って
木を抱きしめるとピュリスが現れ、赦しを与えます。
満開のアーモンドの花を後ろに、抱きつくピュリスと驚くデーモポーンは渦のように
からみ合っています。
1870年に描かれたものの酷評され、7年間も公的展示から身を引いた作品の再制作と
いうことですが、何が不評だったのでしょう。
「ベートーヴェン・フリーズ 正面の壁「敵意に満ちた力」」 グスタフ・クリムト
1901-1902年 ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館

1984年の原寸大複製です。
ベートーヴェンを主題にした、1901年の第14回ウィーン分離派展示会のために
描かれた壁画です。
縦約2m、横約34mの大作で、第9交響曲に基いて描かれ、3面に分かれており、
左は「幸福への憧れ」、正面は「敵対する勢力」、右は「歓喜の歌」となっています。
ゴリラのような動物はギリシャ神話に出てくるテュフォンという怪物で、神々の王
ゼウスとも壮絶に戦っています。
左側の3人はギリシャ神話の怪物、ゴルゴン姉妹で、髪の毛は生きた蛇です。
何ともおどろおどろしい画面で、第9の中にこんな情景はあっただろうかと思います。
ギリシャ・ローマ神話
私の観た、ギリシャ・ローマ神話を題材にした作品を集めてみました。
西洋美術では神話の世界は中心テーマの一つなので作品も多く、その上、神話の中で
それぞれ好き勝手なことをされているので、まとめるのが大変でした。
記事は2回に分け、今回はその1で、ゼウス(ローマ神話のユピテル)、アフロディテ
(ローマ神話のヴィーナス)を中心に載せます。
「ゼウス小像」 ブロンズ 紀元後1-2世紀 大英博物館

伝ハンガリー出土で、高さ24cmほどの小像ですが、ギリシャ神話の最高神らしい
威厳に満ちています。
最初の近代オリンピックである1896年アテネオリンピックの優勝メダルの
デザインにも使われています。
「エウロペの掠奪」 クロード・ロラン 1655年 プーシキン美術館

エウロペはギリシャ神話に登場する女性で、白い雄牛に変身したゼウスに
誘拐されています。
まだ風景画が絵画のジャンルとして確立していなかった時代なので、
神話をテーマにしていますが、描きたかったのは海辺の風景で、
海は波立ち、遠くの山や海の向こうの島は淡く霞んでいます。
「エウロペの誘拐」 ギュスターヴ・モロー 1868年 パリ、ギュスターヴ・モロー美術館

大きな作品で、ゼウスは神の顔を顕し、エウロペは身を預けています。
筆遣いも細かく、精緻な描き方です。
「ダナエ」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1544-46年頃 ナポリ、カポディモンテ美術館

ギリシャ神話のお話で、美しいダナエに近付くため、ゼウスが黄金の雨となって
降り注いでいます。
雨は金貨の形で表され、ダナエとエロス(ローマ神話のキューピッド)が
それを見上げています。
同じ構図の作品は4点残っていて、ヴァザーリの「芸術家列伝」によれば、
ミケランジェロはティツィアーノに会い、現在プラド美術館所蔵の作品を見ています。
その時は称賛したものの、後でヴァザーリに、ティツィアーノの色彩は優れているが、
デッサンと画面構成に難があると批評しています。
ティツィアーノは色彩に優れた画家として有名ですが、本当にデッサンに問題が
あるのでしょうか。
「レダと白鳥」 レオナルド周辺の画家 16世紀 ロマ、ボルゲーゼ美術館

ギリシャ神話の、ゼウスが美しいレダを誘惑しようと、白鳥に身を変えて近付いた
という話で、今は失われたレオナルドのオリジナル作品に依っているとされています。
レオナルドらしく、レダの表情はどこか謎めいています。
『「レダ」の頭部習作』 ミケランジェロ・ブオナローティ
赤石墨、紙 1530年頃 フィレンツェ、カーサ・ブオナローティ

ギリシャ神話の、ゼウスが白鳥に姿を変えてレダと通じたという逸話を描いた、
「レダと白鳥」のための習作です。
モデルは男性の弟子とのことで、当時は女性像でも男性をモデルにすることが
多かったそうです。
肌の明暗も細密に描かれていて、まつ毛を長くして女性らしくした部分も
描き添えられています。
「レダと白鳥」 ヤコポ・ティントレット 1551-55年頃 ウフィツィ美術館

ギリシャ神話の、ゼウスが美しいレダを誘惑しようと、白鳥に身を変えて近づいたという
お話を題材にしています。
思い切った斜めの構図で勢いがあり、後のバロック絵画を思わせます。
ヤコポ・ティントレット(1518-94)はティツィアーノの弟子で、ほとんどヴェネツィアを
出ることもなく、ルネサンス後期のヴェネツィアを代表する画家となっています。
同じヴェネツィアのルネッサンスでも、初期のベッリーニの頃とはかなり違ってきています。
「ユピテルとセメレ」 ギュスターヴ・モロー ギュスターヴ・モロー美術館

ユピテル(ローマ神話の主神、ギリシャ神話ではゼウス)はセメレと通じますが、
セメレはユピテルに真の姿を見せるように迫ります。
断り切れなくなったユピテルが雷を伴った姿を現すと、セメレは雷に焼かれて
死んでしまいます。
ユピテルは稲妻を発し、セメレは驚いてのけぞり、足元にはユピテルの象徴である
鷲が描かれています。
モローの好んだ神秘的な世界を描いた作品で、ギュスターヴ・モロー美術館には
同じテーマの大作があります。
「ユピテルとカリスト」 フランソワ・ブーシェ 1744年

ローマ神話のユピテルは月の女神ディアナ(ギリシャ神話のアルテミス)に
従っていたカリストに恋をして、ディアナの姿に変身してカリストに
近付いています。
ディアナは三日月を額にいただき、狩の神でもあるので、足元には獲物の
兎や鳥、矢筒があります。
背後の鷲はディアナが実はユピテルであることを表しています。
ユピテルはレダに恋して白鳥になったり、ダナエに近づくため黄金の雨に
なったりと、マメな神様です。
いかにもロココといった、甘く、この上なく優美な作品です。
「アレッツォのミネルウァ」 前3世紀

ギリシャ時代の、軍神アテナの青銅の立像です。
アテナはローマではミネルウァと呼ばれ、アレッツォで発見されたので、
「アレッツォのミネルウァ」と名がついたそうです。
150cmの細身の像ですが、ギリシャ風の兜を頭に載せ、胸当てを
着けています。
力を抜いて、やや腰を前に出した、自然な姿勢です。
「パラスとケンタウロス」 サンドロ・ボッティチェリ
1480-85年頃 テンペラ、カンヴァス ウフィツィ美術館

パラスはギリシャのアテナ神の別名で、学問・芸術の神です。
ケンタウロスはギリシャ神話に出てくる半人半馬の怪獣で、弓矢などの武器を持ち、
野蛮で暴力的とされています。
パラスがケンタウロスの髪を掴んでいるのは理性の勝利を表しているそうです。
パラスは軍神でもあるので、大きな槍を持っています。
衣装の模様はダイヤモンドの指輪を組合わせたもので、フィレンツェの支配者、
メディチ家の紋章の一つです。
この絵は同じボッティチェリの「春(プリマヴェーラ)」と一緒にメディチ家一族の邸に
飾られていたそうです。
波打つ髪にダイヤモンドの飾りとオリーブの冠を着けたパラスはボッティチェリらしい
優美な顔立ちで、やや憂いを含んだ表情を浮かべています。
「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」 ペーテル・パウル・ルーベンス
1615-16年 ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

ギリシャ神話のお話で、女神アテナ(あるいは地母神ガイア)は後にアテナイ王となる
赤ん坊のエリクトニオスを箱に入れて、アテナイ王ケクロプスの娘たちに預けます。
しかし、娘たちはアテナの言い付けを破って箱の中を見たため、死んでしまいます。
幼年、成年、老年の3者が一つの画面に描かれ、右上には地母神をかたどった
噴水もあります。
「アフロディテ像」 大理石 ローマ時代(紀元前4世紀のギリシャの
オリジナルに 基づくヴァリアント) 大英博物館

高さ107cmで、ギリシャのパロス島の大理石を使っています。
ミロのヴィーナス(アフロディテに対応するローマ神)もパロス島の大理石とのことです。
均整の取れた姿で、サンダルを履いています。
ギリシャの彫刻家、プラクシテレスの作品のヴァリアント(変形版)とのことで、ローマの
外港だったオスティアで出土しています。
「アフロディーテ飾板」 金、トルコ石 1世紀第2四半期
ティリヤ・テペ遺跡出土 アフガニスタン国立博物館

ギリシャ神話の美の女神で、ローマ神話のヴィーナスに相当します。
姿はギリシャ風ですが、翼を持ち、腕輪をして、顔立ちもインド風で、額には
インド風の印もあります。
ガンダーラ仏の顔立ちがギリシャ風なのと逆の形です。
アフロディーテ飾板は2人の女性の墓から発見され、胸元に置かれていました。
「ヴィーナス」 ボッティチェリの工房 1482年頃 テンペラ、油彩・キャンバス
トリノ、サバウダ美術館


代表作、「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスだけを描いてあります。
裸体ではなく、薄物を付けていて、明るく晴れやかな「ヴィーナスの誕生」に比べると
かなり雰囲気が違い、妖艶なヴィーナスです。
「ヴィーナス」 ルーカス・クラーナハ(父) 1532年 フランクフルト、シュテーデル美術館

クラーナハは裸体画の作者としても有名です。
クラーナハの描く古代の女神や女性たちは、長身で細身の独特のプロポーションを
していて、完全な裸体ではなく、薄物を身に着け、蠱惑的な表情を浮かべています。
「音楽にくつろぐヴィーナス」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1550年頃 プラド美術館

16世紀ルネッサンスの巨匠、ティツィアーノの作品です。
忠誠を表す犬が描かれていることなどから、誰かの結婚に関係した作品ではないか
ということです。
ティツィアーノは同じ題材の作品を何点か描いています。
「ヴィーナスとキューピッド」 レンブラント・ファン・レイン 1657年頃 ルーヴル美術館

明暗の対比を強調した、レンブラントらしい作品で、ギリシャローマ神話を
題材にしていますが、モデルは妻のヘンドリッキエと娘のコルネリアです。
当時のオランダ風俗を写した、母子像になっています。
「ウェヌスの帯を解くクピド」 ジョシュア・レノルズ 1788年 エルミタージュ美術館

ウェヌス(ヴィーナス)と、その子のクピド(キューピッド)です。
モデルはネルソン提督の愛人だったエンマ・ハミルトンとされています。
ネルソン提督は1805年のトラファルガーの海戦でナポレオンのフランス艦隊を
破りますが、自身も戦死しています。
ジョシュア・レノルズ(1723-1792)はイギリスのロイヤル・アカデミーの初代会長に
なった人で、特に肖像画に優れていました。
この絵は保存状態に問題があったのでしょうか、かなりヒビが入っていて、一部が
剥落しているほどです。
「風景の中のクピド」 バルトロメオ・スケドーニ
16世紀末-17世紀初め エルミタージュ美術館

クピド(キューピッド)が、商売道具の矢を入れたえびらを木に掛け、今度は誰に
矢を射ようかとこちらを見ています。
ちょっと考えているような表情に特徴があります。
バルトロメオ・スケドーニ(1578-1615)はモデナ出身で、パルマに住んだ画家ですが、
夭折しています。
「羊飼い姿のヴィーナス」 ジャン=バティスト・ユエ 山寺後藤美術館

ジャン=バティスト・ユエ(1745-1811)は1768年にフランス王立アカデミーに
入会するなど、早くから人気のあった画家で、特に動物画を得意としていますが、
さまざまな題材の作品を描いています。
「ヴィーナスの誕生」 アレクサンドル・カバネル 1863年 オルセー美術館

アレクサンドル・カバネル(1823-1889)は新古典主義を継承するアカデミズムの
代表的な画家で、この作品もナポレオン3世の買上げになっています。
印象派の画家からは守旧派として非難されていますが、絵の上手さはさすがです。
波の上に横たわっている姿は何となく不自然ですが、空や海の青色はとても
やわらかく優美です。
「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1863-68年頃 ラッセル=コーツ美術館

ギリシャ神話の「パリスの審判」で、三美神の中で最も美しい神に選ばれ、
林檎を受け取ったウェヌス(ヴィーナス、ギリシャ神話ではアフロディテ)です。
ウェヌスは審判を行なう、トロイアの王子パリスに、自分を選んだら自分とそっくり同じ
美人の妻を与えると約束していました。
この申し出で、パリスを心変わり(ウェルティコルディア)させた、魔性のヴィーナスです。
手には林檎と、人を心変わりさせるクピドの矢を持っています。
「パリスの審判」 サンドロ・ボッティチェリと工房
1485-88年頃 テンペラ ヴェネツィア、チーニ邸美術館

ギリシャ神話のパリスの審判を海辺の景色の中で描いています。
パリスや三美神は風景の中に貼り付けたような感じです。
パリスはアフロディテを勝たせた結果、スパルタ王の妃、ヘレネ―を手に入れますが、
これが元で神々をも二分するトロイア戦争が起こります。
「パリスの審判」 ピエール=オーギュスト・ルノワール 1908年 三菱一号館美術館寄託

ギリシャ神話の一場面の、パリスがアフロディテに黄金の林檎を与えているところです。
ルノワール晩年の作品で、三美神は豊麗な姿で描かれています。
「ヘクトルを打ち倒すアキレス」 ペーテル・パウル・ルーベンス 1630-1635年頃
フランス、ポー美術館

タピスリーの下絵で、ギリシャ神話のトロイア戦争の一場面、トロイア側の
総大将ヘクトルがアカイア側のアキレスに槍で喉を突かれて斃されるところです。
額縁のような石柱や花綱に囲まれていて、マントや羽飾りの赤が鎧兜の銀色に映え、
ルーベンスらしい躍動感のある作品です。
タピスリーの下絵は完成品と左右反転して描くためか、ヘクトルもアキレスも
武器を左手に持っています。
「アキレウスとケイロン」 65-79年 ナポリ国立考古学博物館蔵

フレスコ画で、ギリシャ神話の英雄アキレウスに、ケンタウロスの賢者ケイロンが
竪琴を教えているところです。
ポンペイ郊外のエルコラーノの邸宅にあった壁画で、エルコラーノは紀元79年の
ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没しています。
「ラオコーン」 ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ
1584年頃 ローマ、個人蔵、ガッレリア・デル・ラオコーンテ寄託


古代ギリシャの彫刻、「ラオコーン」は1506年にローマで発掘され、ルネッサンス芸術に
大きな影響を与えています。
ギリシャ神話にある話で、トロイア戦争において、トロイアの神官、ラオコーンは
アカイア側の計略による木馬を市内に入れることに反対したため、アテナの怒りを買い、
目をつぶされ、2人の息子と共に海蛇に取り付かれ、殺されます。
苦しむラオコーンの肉体には力がみなぎり、劇的な場面となっています。
コピーもいくつか造られていて、これもその一つです。
「トロイアの城壁に立つヘレネ」 ギュスターヴ・モロー
1868年 パリ、ギュスターヴ・モロー美術館

ギリシャ神話の「パリスの審判」の結果、トロイアに奪い去られたヘレネを
取り返そうとして起こされたのがトロイア戦争です。
犠牲者の横たわる城壁に赤い花を持って立つヘレネは観音像のようにも見えます。
トロイアは現在のトルコのエーゲ海沿いにあり、ハインリヒ・シュリーマン
(1822-1890)による発掘によって有名ですが、シュリーマンの時代は考古学が
未発達だったこともあり、かなり乱暴な発掘だったようです。
実際にトロイア戦争があったのは紀元前1200年頃の事だったようですが、
どのような勢力が攻撃したのかは不明だそうです。
chariot
私の観た、ギリシャ・ローマ神話を題材にした作品を集めてみました。
西洋美術では神話の世界は中心テーマの一つなので作品も多く、その上、神話の中で
それぞれ好き勝手なことをされているので、まとめるのが大変でした。
記事は2回に分け、今回はその1で、ゼウス(ローマ神話のユピテル)、アフロディテ
(ローマ神話のヴィーナス)を中心に載せます。
「ゼウス小像」 ブロンズ 紀元後1-2世紀 大英博物館

伝ハンガリー出土で、高さ24cmほどの小像ですが、ギリシャ神話の最高神らしい
威厳に満ちています。
最初の近代オリンピックである1896年アテネオリンピックの優勝メダルの
デザインにも使われています。
「エウロペの掠奪」 クロード・ロラン 1655年 プーシキン美術館

エウロペはギリシャ神話に登場する女性で、白い雄牛に変身したゼウスに
誘拐されています。
まだ風景画が絵画のジャンルとして確立していなかった時代なので、
神話をテーマにしていますが、描きたかったのは海辺の風景で、
海は波立ち、遠くの山や海の向こうの島は淡く霞んでいます。
「エウロペの誘拐」 ギュスターヴ・モロー 1868年 パリ、ギュスターヴ・モロー美術館

大きな作品で、ゼウスは神の顔を顕し、エウロペは身を預けています。
筆遣いも細かく、精緻な描き方です。
「ダナエ」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1544-46年頃 ナポリ、カポディモンテ美術館

ギリシャ神話のお話で、美しいダナエに近付くため、ゼウスが黄金の雨となって
降り注いでいます。
雨は金貨の形で表され、ダナエとエロス(ローマ神話のキューピッド)が
それを見上げています。
同じ構図の作品は4点残っていて、ヴァザーリの「芸術家列伝」によれば、
ミケランジェロはティツィアーノに会い、現在プラド美術館所蔵の作品を見ています。
その時は称賛したものの、後でヴァザーリに、ティツィアーノの色彩は優れているが、
デッサンと画面構成に難があると批評しています。
ティツィアーノは色彩に優れた画家として有名ですが、本当にデッサンに問題が
あるのでしょうか。
「レダと白鳥」 レオナルド周辺の画家 16世紀 ロマ、ボルゲーゼ美術館

ギリシャ神話の、ゼウスが美しいレダを誘惑しようと、白鳥に身を変えて近付いた
という話で、今は失われたレオナルドのオリジナル作品に依っているとされています。
レオナルドらしく、レダの表情はどこか謎めいています。
『「レダ」の頭部習作』 ミケランジェロ・ブオナローティ
赤石墨、紙 1530年頃 フィレンツェ、カーサ・ブオナローティ

ギリシャ神話の、ゼウスが白鳥に姿を変えてレダと通じたという逸話を描いた、
「レダと白鳥」のための習作です。
モデルは男性の弟子とのことで、当時は女性像でも男性をモデルにすることが
多かったそうです。
肌の明暗も細密に描かれていて、まつ毛を長くして女性らしくした部分も
描き添えられています。
「レダと白鳥」 ヤコポ・ティントレット 1551-55年頃 ウフィツィ美術館

ギリシャ神話の、ゼウスが美しいレダを誘惑しようと、白鳥に身を変えて近づいたという
お話を題材にしています。
思い切った斜めの構図で勢いがあり、後のバロック絵画を思わせます。
ヤコポ・ティントレット(1518-94)はティツィアーノの弟子で、ほとんどヴェネツィアを
出ることもなく、ルネサンス後期のヴェネツィアを代表する画家となっています。
同じヴェネツィアのルネッサンスでも、初期のベッリーニの頃とはかなり違ってきています。
「ユピテルとセメレ」 ギュスターヴ・モロー ギュスターヴ・モロー美術館

ユピテル(ローマ神話の主神、ギリシャ神話ではゼウス)はセメレと通じますが、
セメレはユピテルに真の姿を見せるように迫ります。
断り切れなくなったユピテルが雷を伴った姿を現すと、セメレは雷に焼かれて
死んでしまいます。
ユピテルは稲妻を発し、セメレは驚いてのけぞり、足元にはユピテルの象徴である
鷲が描かれています。
モローの好んだ神秘的な世界を描いた作品で、ギュスターヴ・モロー美術館には
同じテーマの大作があります。
「ユピテルとカリスト」 フランソワ・ブーシェ 1744年

ローマ神話のユピテルは月の女神ディアナ(ギリシャ神話のアルテミス)に
従っていたカリストに恋をして、ディアナの姿に変身してカリストに
近付いています。
ディアナは三日月を額にいただき、狩の神でもあるので、足元には獲物の
兎や鳥、矢筒があります。
背後の鷲はディアナが実はユピテルであることを表しています。
ユピテルはレダに恋して白鳥になったり、ダナエに近づくため黄金の雨に
なったりと、マメな神様です。
いかにもロココといった、甘く、この上なく優美な作品です。
「アレッツォのミネルウァ」 前3世紀

ギリシャ時代の、軍神アテナの青銅の立像です。
アテナはローマではミネルウァと呼ばれ、アレッツォで発見されたので、
「アレッツォのミネルウァ」と名がついたそうです。
150cmの細身の像ですが、ギリシャ風の兜を頭に載せ、胸当てを
着けています。
力を抜いて、やや腰を前に出した、自然な姿勢です。
「パラスとケンタウロス」 サンドロ・ボッティチェリ
1480-85年頃 テンペラ、カンヴァス ウフィツィ美術館

パラスはギリシャのアテナ神の別名で、学問・芸術の神です。
ケンタウロスはギリシャ神話に出てくる半人半馬の怪獣で、弓矢などの武器を持ち、
野蛮で暴力的とされています。
パラスがケンタウロスの髪を掴んでいるのは理性の勝利を表しているそうです。
パラスは軍神でもあるので、大きな槍を持っています。
衣装の模様はダイヤモンドの指輪を組合わせたもので、フィレンツェの支配者、
メディチ家の紋章の一つです。
この絵は同じボッティチェリの「春(プリマヴェーラ)」と一緒にメディチ家一族の邸に
飾られていたそうです。
波打つ髪にダイヤモンドの飾りとオリーブの冠を着けたパラスはボッティチェリらしい
優美な顔立ちで、やや憂いを含んだ表情を浮かべています。
「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」 ペーテル・パウル・ルーベンス
1615-16年 ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

ギリシャ神話のお話で、女神アテナ(あるいは地母神ガイア)は後にアテナイ王となる
赤ん坊のエリクトニオスを箱に入れて、アテナイ王ケクロプスの娘たちに預けます。
しかし、娘たちはアテナの言い付けを破って箱の中を見たため、死んでしまいます。
幼年、成年、老年の3者が一つの画面に描かれ、右上には地母神をかたどった
噴水もあります。
「アフロディテ像」 大理石 ローマ時代(紀元前4世紀のギリシャの
オリジナルに 基づくヴァリアント) 大英博物館

高さ107cmで、ギリシャのパロス島の大理石を使っています。
ミロのヴィーナス(アフロディテに対応するローマ神)もパロス島の大理石とのことです。
均整の取れた姿で、サンダルを履いています。
ギリシャの彫刻家、プラクシテレスの作品のヴァリアント(変形版)とのことで、ローマの
外港だったオスティアで出土しています。
「アフロディーテ飾板」 金、トルコ石 1世紀第2四半期
ティリヤ・テペ遺跡出土 アフガニスタン国立博物館

ギリシャ神話の美の女神で、ローマ神話のヴィーナスに相当します。
姿はギリシャ風ですが、翼を持ち、腕輪をして、顔立ちもインド風で、額には
インド風の印もあります。
ガンダーラ仏の顔立ちがギリシャ風なのと逆の形です。
アフロディーテ飾板は2人の女性の墓から発見され、胸元に置かれていました。
「ヴィーナス」 ボッティチェリの工房 1482年頃 テンペラ、油彩・キャンバス
トリノ、サバウダ美術館


代表作、「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスだけを描いてあります。
裸体ではなく、薄物を付けていて、明るく晴れやかな「ヴィーナスの誕生」に比べると
かなり雰囲気が違い、妖艶なヴィーナスです。
「ヴィーナス」 ルーカス・クラーナハ(父) 1532年 フランクフルト、シュテーデル美術館

クラーナハは裸体画の作者としても有名です。
クラーナハの描く古代の女神や女性たちは、長身で細身の独特のプロポーションを
していて、完全な裸体ではなく、薄物を身に着け、蠱惑的な表情を浮かべています。
「音楽にくつろぐヴィーナス」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1550年頃 プラド美術館

16世紀ルネッサンスの巨匠、ティツィアーノの作品です。
忠誠を表す犬が描かれていることなどから、誰かの結婚に関係した作品ではないか
ということです。
ティツィアーノは同じ題材の作品を何点か描いています。
「ヴィーナスとキューピッド」 レンブラント・ファン・レイン 1657年頃 ルーヴル美術館

明暗の対比を強調した、レンブラントらしい作品で、ギリシャローマ神話を
題材にしていますが、モデルは妻のヘンドリッキエと娘のコルネリアです。
当時のオランダ風俗を写した、母子像になっています。
「ウェヌスの帯を解くクピド」 ジョシュア・レノルズ 1788年 エルミタージュ美術館

ウェヌス(ヴィーナス)と、その子のクピド(キューピッド)です。
モデルはネルソン提督の愛人だったエンマ・ハミルトンとされています。
ネルソン提督は1805年のトラファルガーの海戦でナポレオンのフランス艦隊を
破りますが、自身も戦死しています。
ジョシュア・レノルズ(1723-1792)はイギリスのロイヤル・アカデミーの初代会長に
なった人で、特に肖像画に優れていました。
この絵は保存状態に問題があったのでしょうか、かなりヒビが入っていて、一部が
剥落しているほどです。
「風景の中のクピド」 バルトロメオ・スケドーニ
16世紀末-17世紀初め エルミタージュ美術館

クピド(キューピッド)が、商売道具の矢を入れたえびらを木に掛け、今度は誰に
矢を射ようかとこちらを見ています。
ちょっと考えているような表情に特徴があります。
バルトロメオ・スケドーニ(1578-1615)はモデナ出身で、パルマに住んだ画家ですが、
夭折しています。
「羊飼い姿のヴィーナス」 ジャン=バティスト・ユエ 山寺後藤美術館

ジャン=バティスト・ユエ(1745-1811)は1768年にフランス王立アカデミーに
入会するなど、早くから人気のあった画家で、特に動物画を得意としていますが、
さまざまな題材の作品を描いています。
「ヴィーナスの誕生」 アレクサンドル・カバネル 1863年 オルセー美術館

アレクサンドル・カバネル(1823-1889)は新古典主義を継承するアカデミズムの
代表的な画家で、この作品もナポレオン3世の買上げになっています。
印象派の画家からは守旧派として非難されていますが、絵の上手さはさすがです。
波の上に横たわっている姿は何となく不自然ですが、空や海の青色はとても
やわらかく優美です。
「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1863-68年頃 ラッセル=コーツ美術館

ギリシャ神話の「パリスの審判」で、三美神の中で最も美しい神に選ばれ、
林檎を受け取ったウェヌス(ヴィーナス、ギリシャ神話ではアフロディテ)です。
ウェヌスは審判を行なう、トロイアの王子パリスに、自分を選んだら自分とそっくり同じ
美人の妻を与えると約束していました。
この申し出で、パリスを心変わり(ウェルティコルディア)させた、魔性のヴィーナスです。
手には林檎と、人を心変わりさせるクピドの矢を持っています。
「パリスの審判」 サンドロ・ボッティチェリと工房
1485-88年頃 テンペラ ヴェネツィア、チーニ邸美術館

ギリシャ神話のパリスの審判を海辺の景色の中で描いています。
パリスや三美神は風景の中に貼り付けたような感じです。
パリスはアフロディテを勝たせた結果、スパルタ王の妃、ヘレネ―を手に入れますが、
これが元で神々をも二分するトロイア戦争が起こります。
「パリスの審判」 ピエール=オーギュスト・ルノワール 1908年 三菱一号館美術館寄託

ギリシャ神話の一場面の、パリスがアフロディテに黄金の林檎を与えているところです。
ルノワール晩年の作品で、三美神は豊麗な姿で描かれています。
「ヘクトルを打ち倒すアキレス」 ペーテル・パウル・ルーベンス 1630-1635年頃
フランス、ポー美術館

タピスリーの下絵で、ギリシャ神話のトロイア戦争の一場面、トロイア側の
総大将ヘクトルがアカイア側のアキレスに槍で喉を突かれて斃されるところです。
額縁のような石柱や花綱に囲まれていて、マントや羽飾りの赤が鎧兜の銀色に映え、
ルーベンスらしい躍動感のある作品です。
タピスリーの下絵は完成品と左右反転して描くためか、ヘクトルもアキレスも
武器を左手に持っています。
「アキレウスとケイロン」 65-79年 ナポリ国立考古学博物館蔵

フレスコ画で、ギリシャ神話の英雄アキレウスに、ケンタウロスの賢者ケイロンが
竪琴を教えているところです。
ポンペイ郊外のエルコラーノの邸宅にあった壁画で、エルコラーノは紀元79年の
ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没しています。
「ラオコーン」 ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ
1584年頃 ローマ、個人蔵、ガッレリア・デル・ラオコーンテ寄託


古代ギリシャの彫刻、「ラオコーン」は1506年にローマで発掘され、ルネッサンス芸術に
大きな影響を与えています。
ギリシャ神話にある話で、トロイア戦争において、トロイアの神官、ラオコーンは
アカイア側の計略による木馬を市内に入れることに反対したため、アテナの怒りを買い、
目をつぶされ、2人の息子と共に海蛇に取り付かれ、殺されます。
苦しむラオコーンの肉体には力がみなぎり、劇的な場面となっています。
コピーもいくつか造られていて、これもその一つです。
「トロイアの城壁に立つヘレネ」 ギュスターヴ・モロー
1868年 パリ、ギュスターヴ・モロー美術館

ギリシャ神話の「パリスの審判」の結果、トロイアに奪い去られたヘレネを
取り返そうとして起こされたのがトロイア戦争です。
犠牲者の横たわる城壁に赤い花を持って立つヘレネは観音像のようにも見えます。
トロイアは現在のトルコのエーゲ海沿いにあり、ハインリヒ・シュリーマン
(1822-1890)による発掘によって有名ですが、シュリーマンの時代は考古学が
未発達だったこともあり、かなり乱暴な発掘だったようです。
実際にトロイア戦争があったのは紀元前1200年頃の事だったようですが、
どのような勢力が攻撃したのかは不明だそうです。
日本橋
日本橋髙島屋のショーウインドウに、高島屋のマスコット、ローズちゃんが並んでいました。


千利休のローズちゃんと、南蛮人のローズちゃん

(参考)
「織部南蛮人燭台」 桃山時代・17世紀初期 サントリー美術館

高さ約30cmで、織部の緑釉が軽くかかり、茶人好みの剽げた味わいがあります。
足の部分に燃えさしを入れる引き出しも付いています。
「アレ夕立に」のローズちゃんと、与謝野晶子のローズちゃん

竹内栖鳳の代表作、「アレ夕立に」は髙島屋史料館の所蔵です。
与謝野晶子は千利休と同じ堺の生まれなので、お茶碗を持っています。
(参考)
竹内栖鳳 「アレ夕立に」 1909年 髙島屋史料館

舞妓の舞の場面で、金と朱の舞扇を掲げ、小腰をかがめています。
顔は舞扇で隠され、白粉を塗ったうなじだけが見えています。
振袖は夏らしく芙蓉の模様で、帯は網代模様の地に流水を水墨でさらりと
描いています。
濃密な彩色と水墨を組合わせた、竹内栖鳳の代表作です。
ウンガロを着たローズちゃん

和装のローズちゃんと、洋装のローズちゃん

お仕事中のローズちゃん

chariot
日本橋髙島屋のショーウインドウに、高島屋のマスコット、ローズちゃんが並んでいました。


千利休のローズちゃんと、南蛮人のローズちゃん

(参考)
「織部南蛮人燭台」 桃山時代・17世紀初期 サントリー美術館

高さ約30cmで、織部の緑釉が軽くかかり、茶人好みの剽げた味わいがあります。
足の部分に燃えさしを入れる引き出しも付いています。
「アレ夕立に」のローズちゃんと、与謝野晶子のローズちゃん

竹内栖鳳の代表作、「アレ夕立に」は髙島屋史料館の所蔵です。
与謝野晶子は千利休と同じ堺の生まれなので、お茶碗を持っています。
(参考)
竹内栖鳳 「アレ夕立に」 1909年 髙島屋史料館

舞妓の舞の場面で、金と朱の舞扇を掲げ、小腰をかがめています。
顔は舞扇で隠され、白粉を塗ったうなじだけが見えています。
振袖は夏らしく芙蓉の模様で、帯は網代模様の地に流水を水墨でさらりと
描いています。
濃密な彩色と水墨を組合わせた、竹内栖鳳の代表作です。
ウンガロを着たローズちゃん

和装のローズちゃんと、洋装のローズちゃん

お仕事中のローズちゃん

日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは7月13日(月)まで、「高畑一彰 joint」展が
開かれています。
高畑一彰さん(1967-)は神奈川県出身で、木や樹脂、セメントなどを素材にして
人物像を制作しています。
題の「joint」の通り、手をつないで立つ男女はポリエステル樹脂製で、アクリルで着色し、
台座は無く、ふわりと立っています。
裸体の作品はイヴが蛇に会う前の姿をしています。



「1979ボブキャップに乗って」

右から「笑うケトリル」、「消しゴムのしあわせ」、「満月まであと少し」

高畑さんの人物は肩の力の抜けた、どこかとぼけた味わいがあり、
ちょっと寂しげで、人間という存在の儚さを感じます。
「飛ぶためのメゾット」

モデルはお子さんとのことで、腕より長い袖の上着を着ています。
chariot
日本橋髙島屋美術画廊Xでは7月13日(月)まで、「高畑一彰 joint」展が
開かれています。
高畑一彰さん(1967-)は神奈川県出身で、木や樹脂、セメントなどを素材にして
人物像を制作しています。
題の「joint」の通り、手をつないで立つ男女はポリエステル樹脂製で、アクリルで着色し、
台座は無く、ふわりと立っています。
裸体の作品はイヴが蛇に会う前の姿をしています。



「1979ボブキャップに乗って」

右から「笑うケトリル」、「消しゴムのしあわせ」、「満月まであと少し」

高畑さんの人物は肩の力の抜けた、どこかとぼけた味わいがあり、
ちょっと寂しげで、人間という存在の儚さを感じます。
「飛ぶためのメゾット」

モデルはお子さんとのことで、腕より長い袖の上着を着ています。
エコール・ド・パリ
展覧会で観たエコール・ド・パリの画家の作品を集めてみました。
エコール・ド・パリ(パリ派)とは20世紀初頭にパリのモンマルトルやモンパルナスに
集まった芸術家たちのことです。
エコール(派、学校)と呼ばれていますが、同じ作風の人たちが集まっている訳ではなく、
外国人、特にユダヤ系の人たちがが多いのが特徴です。
アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)
アメデオ・モディリアーニはイタリア出身で、ユダヤ系の家に生まれ、早くから芸術家を志し、
1906年にパリに出てきています。
彫刻も手掛けますが、すでに罹っていた結核のため体力が続かず、絵画に専念する
ことになります。
35歳の若さで結核性髄膜炎のため亡くなっており、制作期間はごく短く、死後に高く評価
される画家になっています。
アメデオ・モディリアーニ 「小さなルイーズ」 1915年 個人蔵

健康の悪化で彫刻を断念し、絵画に専念するようになった頃の作品で、
たくましい腕などに彫刻のような量感があり、顔はアフリカ彫刻のようです。
アメデオ・モディリアーニ 「裸婦」 1916年頃 コートールド美術館

モディリアーニの裸婦はざっくりと大胆な描きぶりが魅力で、この作品も
下描きせずに描いています。
顔は丁寧に描かれていますが、身体の部分は勢いよく塗り、髪は絵具の
乾かないうちに引っ掻いて髪の毛の感じを出しています。
ジュール・パスキン(1885-1930)
ジュール・パスキン(本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス)はブルガリアの
ユダヤ系の裕福な穀物商の家に生まれています。
ローマ由来のユリウスと、ユダヤ由来のモルデカイやピンカという両方が入った名前です。
ウィーンやミュンヘンなどで絵を学んだ後、1905年にパリに出ています。
繊細で揺らめくような描法と、真珠母色と呼ばれる淡く輝く色彩の画風で有名で、
最初から人気が高く、下積み時代の無かった画家と言われていますが、
アルコール依存症やうつ病に苦しみ、45歳で亡くなっています。
ジュール・パスキン 「少女たち」
油彩、パステル、カンヴァス 1923年 ポーラ美術館

2015年にはパナソニック汐留ミュージアムで「パスキン展」が開かれました。
「パスキン展」の記事です。
右 「テーブルのリュシーの肖像」 1928年 油彩、カンヴァス 個人蔵
左 「ジメットとミレイユ」 1927年 油彩、カンヴァス パリ市立近代美術館

右は恋人のリュシーの肖像です。
憂いを含んだ顔をしていて、テーブルの花が彩りを添えています。
パスキンは1910年にリュシーに会い、10年後に再会して二人は恋に落ちますが、
その時は双方とも結婚していて、結局、不毛な恋に終わってしまいます。
マルク・シャガール(1887-1985)
シャガールはロシア(現在のベラルーシ)のヴィテブスクで、ユダヤ系の家に生まれています。
1911年にパリに出て、1912年にモンパルナス近くのラ・リュッシュ(蜂の巣)という名の
集合アトリエ兼住居に住みます。
ここはスーティン、モディリアーニ、キスリングらの集まる、エコール・ド・パリの拠点と
なる所です。
1914年にヴィテブスクに戻った時、第一次世界大戦が起き、1917年にロシア革命が起きると
革命政府の文化運動に参加しますが、1923年に再びパリに戻ります。
第二次世界大戦が始まるとアメリカに亡命し、アメリカで妻のベラ・ローゼンフェルトを喪い、
戦後にパリに戻っています。
「日曜日」 1952~54年 ポンピドー・センター

シャガールは1952年、65歳の時にヴァランティーナ・ブロドスキーと結婚します。
輝く朝日に照らされるノートルダム寺院、エッフェル塔とともに、
妻のヴァランティーナとシャガール、雪のヴィテブスクを描いています。
昇る朝日の赤、サーチライトのように伸びる赤、空の強い黄色の中に浮かぶ
二人の顔は、ハート型の中に溶け込んでいて、シャガールの素直な喜びを
表しています。
自分の愛するものを全部描きこむ、子供のような心があります。
「ふたつの頭部と手」 1964年 個人蔵

シャガールは彫刻や陶器などの立体作品も手掛けています。
2010年に東京藝術大学大学美術館で開かれた「シャガール展」の記事です。
2017年に東京ステーションギャラリーで開かれた「シャガール三次元の世界」展の記事です
モイーズ・キスリング(1891-1953)
モイーズ・キスリングはクラクフ大公国(現在のポーランド)のクラクフ出身の
ユダヤ人で、地元の美術学校で学んだ後、1910年に19歳でパリに出てきます。
そしてエコール・ド・パリの一人として活躍し、「モンパルナスの帝王」とも
呼ばれています。
男気のある人で、1920年にモディリアーニが貧窮のうちに亡くなった時は
葬儀の全費用を負担しています。
モイーズ・キスリング 「水玉の服の少女」 1934年頃

淡い藤色の影を付けて、少女を浮き上がらせています。
水玉の服は平面的に描かれ、観る人の意識は愁いを帯びた表情の顔に集まります。
モイーズ・キスリング 「赤い長椅子の裸婦」 1937年 パリ市立近代美術館

ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」やティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」に
倣った作品ですが、画面は単純化されています。
裸婦がこちらを見ているのは「ウルビーノのヴィーナス」と同じです。
長椅子の紅色が強調され、裸婦の肌にも反映しています。
ユダヤ人には東欧系(アシュケナージ)と南欧系(セファルディム)とがありますが、
アシュケナージの画家にはシャガールやキスリング、ス―ティン、セファルディムには
パスキン、モディリアーニなどがいます。
ユダヤ教では偶像崇拝を禁じていますが、多くのユダヤ系の画家は人物を描いています。
キスリングがユダヤ系のモイーズという名を嫌い、フランスに同化しようとしていたのに対し、
シャガールが故郷と旧約聖書の世界に親しみを感じていたのは対照的です。
キスリングは成功した画家ですが、パスキン、モディリアーニ、ユトリロはアルコール依存症、
パスキンとモディリアーニは自殺し、スーティンは貧窮のうちに病死しています。
モーリス・ユトリロ(1883-1955)
外国人の多いエコール・ド・パリですが、モーリス・ユトリロはパリ生まれで、
画家のシュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)の子です。
シュザンヌ・ヴァラドンはパリでシャヴァンヌやルノワール、ドガ、ロートレックなどの絵の
モデルもしていました。
「ラパン・アジル、モンマルトル」 1914年

サクレ=クール寺院の北側の、狭い坂道の脇にある酒場のラパン・アジルは、
ピカソやブラックが集ったということで、ユトリロの作品によく描かれています。
隣のサン・ヴァンサン墓地にはユトリロの墓もあります。
『「小さな聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)』
1912年頃 八木コレクション

教会の白壁が灰青色の空に半ば溶け込んで、しみじみとした景色になっています。
googleのストリートビューで見ると、この教会は現在は玄関部分や塀を失っていますが、
ほぼ同じ姿で残っているようです。
ユトリロは絵葉書を見て描くことも多かったので、パリ以外の景色もよく描いています。
マリー・ローランサン(1883-1956)
マリー・ローランサンはパリに生まれ、画家を目指している時にジョルジュ・ブラックと知り合い、
キュビズムの影響を受けています。
マリー・ローランサン 「優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踏」
1913年 マリー・ローランサン美術館

キュビズム風のきっぱりした画面構成ですが、少ない色数の淡いパステルカラーで
まとめ、甘美な雰囲気を持たせているところは、ローランサンの特徴が表れています。
やがて、キュビズムから離れ始め、ローランサン独特の甘く優しい女性像を
描くようになります。
マリー・ローランサン 「三人の若い女」
1953年頃 マリー・ローランサン美術館

60歳前後から描き始め、10年近くかけて死の数年前に完成した作品とのことです。
ギリシャ神話のミューズを思わせる3人の女性は首飾りや月桂冠やスカーフを
着けています。
顔を寄せ合った緊密な画面構成で、体の線が放射状に延びています。
その簡潔さにはキュビズムの面影を感じます。
藤田嗣治(1886-1968)
藤田嗣治は軍医の子として東京に生まれ、早くから画家を志し、東京美術学校を卒業後、
1913年にフランスに渡ります。
モンパルナスに住み着き、モディリアーニ、パスキン、スーティンなど、エコール・ド・パリの
画家たちと親交を結びます。
日本画の技法を採り入れた藤田の絵は大評判となり、藤田はパリの寵児となっています。
ところが第二次世界大戦が勃発し、日本に戻った藤田は以後、多くの戦争画を描くことに
なります。
戦後、率先して戦争画を描いたことで日本に居辛くなった藤田は再びフランンスに渡り、
1955年にフランス国籍を取得し、1959年にランス大聖堂でカトリックの洗礼を受け、
レオナール・フジタとなっています。
藤田嗣治 「猫のいる自画像」 1926年

リトグラフによる作品です。
お馴染みのおかっぱ頭にロイド眼鏡で、藤田嗣治のよく用いた面相筆を持って、
猫と一緒におさまっています。
藤田嗣治 「舞踏会の前」 1925年 大原美術館

「乳白色の肌」の技法を生み出し、エコール・ド・パリの画家として絶頂期
だった頃の作品です。
仮面舞踏会を表す仮面と、さまざまの姿の7人の女性が描かれています。
藤田嗣治は人気が高く、何度も展覧会が開かれています。
2018年に東京都美術館で開かれた「没後50年 藤田嗣治展」の記事です。
2013年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれた「レオナール・フジタ展」の記事です。
第二次世界大戦はエコール・ド・パリの画家たちの運命を大きく変えています。
ユダヤ人のシャガールとキスリングはアメリカに亡命し、同じくユダヤ人のスーティンは
隠れ住んでいるうちに持病を悪化させて亡くなり、
ローランサンはパリを占領したドイツ軍に自宅を接収されています。
戦後にフランスに戻った藤田は、「日本に捨てられた」と語っていました。
chariot
展覧会で観たエコール・ド・パリの画家の作品を集めてみました。
エコール・ド・パリ(パリ派)とは20世紀初頭にパリのモンマルトルやモンパルナスに
集まった芸術家たちのことです。
エコール(派、学校)と呼ばれていますが、同じ作風の人たちが集まっている訳ではなく、
外国人、特にユダヤ系の人たちがが多いのが特徴です。
アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)
アメデオ・モディリアーニはイタリア出身で、ユダヤ系の家に生まれ、早くから芸術家を志し、
1906年にパリに出てきています。
彫刻も手掛けますが、すでに罹っていた結核のため体力が続かず、絵画に専念する
ことになります。
35歳の若さで結核性髄膜炎のため亡くなっており、制作期間はごく短く、死後に高く評価
される画家になっています。
アメデオ・モディリアーニ 「小さなルイーズ」 1915年 個人蔵

健康の悪化で彫刻を断念し、絵画に専念するようになった頃の作品で、
たくましい腕などに彫刻のような量感があり、顔はアフリカ彫刻のようです。
アメデオ・モディリアーニ 「裸婦」 1916年頃 コートールド美術館

モディリアーニの裸婦はざっくりと大胆な描きぶりが魅力で、この作品も
下描きせずに描いています。
顔は丁寧に描かれていますが、身体の部分は勢いよく塗り、髪は絵具の
乾かないうちに引っ掻いて髪の毛の感じを出しています。
ジュール・パスキン(1885-1930)
ジュール・パスキン(本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス)はブルガリアの
ユダヤ系の裕福な穀物商の家に生まれています。
ローマ由来のユリウスと、ユダヤ由来のモルデカイやピンカという両方が入った名前です。
ウィーンやミュンヘンなどで絵を学んだ後、1905年にパリに出ています。
繊細で揺らめくような描法と、真珠母色と呼ばれる淡く輝く色彩の画風で有名で、
最初から人気が高く、下積み時代の無かった画家と言われていますが、
アルコール依存症やうつ病に苦しみ、45歳で亡くなっています。
ジュール・パスキン 「少女たち」
油彩、パステル、カンヴァス 1923年 ポーラ美術館

2015年にはパナソニック汐留ミュージアムで「パスキン展」が開かれました。
「パスキン展」の記事です。
右 「テーブルのリュシーの肖像」 1928年 油彩、カンヴァス 個人蔵
左 「ジメットとミレイユ」 1927年 油彩、カンヴァス パリ市立近代美術館

右は恋人のリュシーの肖像です。
憂いを含んだ顔をしていて、テーブルの花が彩りを添えています。
パスキンは1910年にリュシーに会い、10年後に再会して二人は恋に落ちますが、
その時は双方とも結婚していて、結局、不毛な恋に終わってしまいます。
マルク・シャガール(1887-1985)
シャガールはロシア(現在のベラルーシ)のヴィテブスクで、ユダヤ系の家に生まれています。
1911年にパリに出て、1912年にモンパルナス近くのラ・リュッシュ(蜂の巣)という名の
集合アトリエ兼住居に住みます。
ここはスーティン、モディリアーニ、キスリングらの集まる、エコール・ド・パリの拠点と
なる所です。
1914年にヴィテブスクに戻った時、第一次世界大戦が起き、1917年にロシア革命が起きると
革命政府の文化運動に参加しますが、1923年に再びパリに戻ります。
第二次世界大戦が始まるとアメリカに亡命し、アメリカで妻のベラ・ローゼンフェルトを喪い、
戦後にパリに戻っています。
「日曜日」 1952~54年 ポンピドー・センター

シャガールは1952年、65歳の時にヴァランティーナ・ブロドスキーと結婚します。
輝く朝日に照らされるノートルダム寺院、エッフェル塔とともに、
妻のヴァランティーナとシャガール、雪のヴィテブスクを描いています。
昇る朝日の赤、サーチライトのように伸びる赤、空の強い黄色の中に浮かぶ
二人の顔は、ハート型の中に溶け込んでいて、シャガールの素直な喜びを
表しています。
自分の愛するものを全部描きこむ、子供のような心があります。
「ふたつの頭部と手」 1964年 個人蔵

シャガールは彫刻や陶器などの立体作品も手掛けています。
2010年に東京藝術大学大学美術館で開かれた「シャガール展」の記事です。
2017年に東京ステーションギャラリーで開かれた「シャガール三次元の世界」展の記事です
モイーズ・キスリング(1891-1953)
モイーズ・キスリングはクラクフ大公国(現在のポーランド)のクラクフ出身の
ユダヤ人で、地元の美術学校で学んだ後、1910年に19歳でパリに出てきます。
そしてエコール・ド・パリの一人として活躍し、「モンパルナスの帝王」とも
呼ばれています。
男気のある人で、1920年にモディリアーニが貧窮のうちに亡くなった時は
葬儀の全費用を負担しています。
モイーズ・キスリング 「水玉の服の少女」 1934年頃

淡い藤色の影を付けて、少女を浮き上がらせています。
水玉の服は平面的に描かれ、観る人の意識は愁いを帯びた表情の顔に集まります。
モイーズ・キスリング 「赤い長椅子の裸婦」 1937年 パリ市立近代美術館

ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」やティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」に
倣った作品ですが、画面は単純化されています。
裸婦がこちらを見ているのは「ウルビーノのヴィーナス」と同じです。
長椅子の紅色が強調され、裸婦の肌にも反映しています。
ユダヤ人には東欧系(アシュケナージ)と南欧系(セファルディム)とがありますが、
アシュケナージの画家にはシャガールやキスリング、ス―ティン、セファルディムには
パスキン、モディリアーニなどがいます。
ユダヤ教では偶像崇拝を禁じていますが、多くのユダヤ系の画家は人物を描いています。
キスリングがユダヤ系のモイーズという名を嫌い、フランスに同化しようとしていたのに対し、
シャガールが故郷と旧約聖書の世界に親しみを感じていたのは対照的です。
キスリングは成功した画家ですが、パスキン、モディリアーニ、ユトリロはアルコール依存症、
パスキンとモディリアーニは自殺し、スーティンは貧窮のうちに病死しています。
モーリス・ユトリロ(1883-1955)
外国人の多いエコール・ド・パリですが、モーリス・ユトリロはパリ生まれで、
画家のシュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)の子です。
シュザンヌ・ヴァラドンはパリでシャヴァンヌやルノワール、ドガ、ロートレックなどの絵の
モデルもしていました。
「ラパン・アジル、モンマルトル」 1914年

サクレ=クール寺院の北側の、狭い坂道の脇にある酒場のラパン・アジルは、
ピカソやブラックが集ったということで、ユトリロの作品によく描かれています。
隣のサン・ヴァンサン墓地にはユトリロの墓もあります。
『「小さな聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)』
1912年頃 八木コレクション

教会の白壁が灰青色の空に半ば溶け込んで、しみじみとした景色になっています。
googleのストリートビューで見ると、この教会は現在は玄関部分や塀を失っていますが、
ほぼ同じ姿で残っているようです。
ユトリロは絵葉書を見て描くことも多かったので、パリ以外の景色もよく描いています。
マリー・ローランサン(1883-1956)
マリー・ローランサンはパリに生まれ、画家を目指している時にジョルジュ・ブラックと知り合い、
キュビズムの影響を受けています。
マリー・ローランサン 「優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踏」
1913年 マリー・ローランサン美術館

キュビズム風のきっぱりした画面構成ですが、少ない色数の淡いパステルカラーで
まとめ、甘美な雰囲気を持たせているところは、ローランサンの特徴が表れています。
やがて、キュビズムから離れ始め、ローランサン独特の甘く優しい女性像を
描くようになります。
マリー・ローランサン 「三人の若い女」
1953年頃 マリー・ローランサン美術館

60歳前後から描き始め、10年近くかけて死の数年前に完成した作品とのことです。
ギリシャ神話のミューズを思わせる3人の女性は首飾りや月桂冠やスカーフを
着けています。
顔を寄せ合った緊密な画面構成で、体の線が放射状に延びています。
その簡潔さにはキュビズムの面影を感じます。
藤田嗣治(1886-1968)
藤田嗣治は軍医の子として東京に生まれ、早くから画家を志し、東京美術学校を卒業後、
1913年にフランスに渡ります。
モンパルナスに住み着き、モディリアーニ、パスキン、スーティンなど、エコール・ド・パリの
画家たちと親交を結びます。
日本画の技法を採り入れた藤田の絵は大評判となり、藤田はパリの寵児となっています。
ところが第二次世界大戦が勃発し、日本に戻った藤田は以後、多くの戦争画を描くことに
なります。
戦後、率先して戦争画を描いたことで日本に居辛くなった藤田は再びフランンスに渡り、
1955年にフランス国籍を取得し、1959年にランス大聖堂でカトリックの洗礼を受け、
レオナール・フジタとなっています。
藤田嗣治 「猫のいる自画像」 1926年

リトグラフによる作品です。
お馴染みのおかっぱ頭にロイド眼鏡で、藤田嗣治のよく用いた面相筆を持って、
猫と一緒におさまっています。
藤田嗣治 「舞踏会の前」 1925年 大原美術館

「乳白色の肌」の技法を生み出し、エコール・ド・パリの画家として絶頂期
だった頃の作品です。
仮面舞踏会を表す仮面と、さまざまの姿の7人の女性が描かれています。
藤田嗣治は人気が高く、何度も展覧会が開かれています。
2018年に東京都美術館で開かれた「没後50年 藤田嗣治展」の記事です。
2013年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれた「レオナール・フジタ展」の記事です。
第二次世界大戦はエコール・ド・パリの画家たちの運命を大きく変えています。
ユダヤ人のシャガールとキスリングはアメリカに亡命し、同じくユダヤ人のスーティンは
隠れ住んでいるうちに持病を悪化させて亡くなり、
ローランサンはパリを占領したドイツ軍に自宅を接収されています。
戦後にフランスに戻った藤田は、「日本に捨てられた」と語っていました。
九段下
「スターバックス・コーヒー九段下店」は俎板橋そばの靖国通り沿いにあります。
場所は千代田区九段北1-2-1です。

1・2階に客席があり、座席にはソーシャルディスタンスを保つ紙が貼ってあります。


カフェミストS374円とナッツ&フルーツバー209円です。

近くの神保町を通ったら、カツカレーで有名な神保町の「キッチン南海」が建物の
老朽化により6月26日に閉店するというので、駆け付けたお客さんたちが
すずらん通りの端まで、ずらりと並んでいました。

お店の創業者の甥で料理人の方が近所に暖簾分けの形で「キッチン南海」を
7月にオープンする予定とのことで、同じ味のメニューは継承されるようです。
2014年に「キッチン南海」に行った時の記事です。
同じすずらん通りの餃子で有名な「スヰートポーヅ」も先日、閉店しました。
元は、戦前の満州で経営していたお店で、メニューの裏にはお店の歴史と
餃子の作り方が、簡潔な文章で書かれていました。
近くの九段会館は帝冠様式の外観を残したまま、17階建ての複合ビルに
建て替わる予定で、2022年の完成を予定しています。


元は在郷軍人会の運営する軍人会館で、1936年の二・二六事件では戒厳司令部の
置かれた所です。
戦後は国有となり、進駐軍宿舎として使用された後、国から日本遺族会に
貸与されました。
しかし、東日本大震災で天井板崩落事故を起こしたため、日本遺族会は運営を止め、
施設を国に返還し、国はその後、土地建物を東急不動産に売却しています。
2010年の九段会館の写真です。

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「スターバックス・コーヒー九段下店」は俎板橋そばの靖国通り沿いにあります。
場所は千代田区九段北1-2-1です。

1・2階に客席があり、座席にはソーシャルディスタンスを保つ紙が貼ってあります。


カフェミストS374円とナッツ&フルーツバー209円です。

近くの神保町を通ったら、カツカレーで有名な神保町の「キッチン南海」が建物の
老朽化により6月26日に閉店するというので、駆け付けたお客さんたちが
すずらん通りの端まで、ずらりと並んでいました。

お店の創業者の甥で料理人の方が近所に暖簾分けの形で「キッチン南海」を
7月にオープンする予定とのことで、同じ味のメニューは継承されるようです。
2014年に「キッチン南海」に行った時の記事です。
同じすずらん通りの餃子で有名な「スヰートポーヅ」も先日、閉店しました。
元は、戦前の満州で経営していたお店で、メニューの裏にはお店の歴史と
餃子の作り方が、簡潔な文章で書かれていました。
近くの九段会館は帝冠様式の外観を残したまま、17階建ての複合ビルに
建て替わる予定で、2022年の完成を予定しています。


元は在郷軍人会の運営する軍人会館で、1936年の二・二六事件では戒厳司令部の
置かれた所です。
戦後は国有となり、進駐軍宿舎として使用された後、国から日本遺族会に
貸与されました。
しかし、東日本大震災で天井板崩落事故を起こしたため、日本遺族会は運営を止め、
施設を国に返還し、国はその後、土地建物を東急不動産に売却しています。
2010年の九段会館の写真です。

渋谷
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは、特別展「超写実絵画の襲来」が開かれています。
会期は6月29日(月)までです。

写実画を集めた、千葉県のホキ美術館のコレクションの展示で、いったん中止
されていましたが、期間を延長して再開したものです。
入口で検温と連絡先の記入があります。
森本草介 「未来」 2011年

この作品を描いている時に東日本大震災が起こり、作品がパレットに
倒れかかったものの、何とか事無きを得たそうです。
未来への希望を込めて名付けたタイトルとのことです。
2014年に日本橋三越本店で開かれた「ホキ美術館所蔵 森本草介展」です。
青木敏郎 「レモンのコンフィチュール、芍薬、染付と白地の焼物」 2013年

磁器、金属、ガラス、紙、布の質感を上手く表し、全体でハーモ二―を奏でています。
2010年に日本橋高島屋で開かれた「青木敏郎展」と青木さんのギャラリートークの記事です。
日本の写実絵画についての興味深いお話でした。
野田弘志 「聖なるもの THE-Ⅳ」 2013年

野鳥の巣と卵という小さな素材を縦横2mの大きな画面に描いています。
洞爺湖の畔のアトリエの庭で見付けた巣で、やがて卵は5つに増え、
孵化もしたのに、ある日、巣も卵も跡形もなく消えてしまったそうです。
生島浩 「5:55」 2007-2010年
パンフレットに使われている作品です。
6時までの約束のモデルさんが5時55分になってちょっとソワソワした瞬間を
捉えた作品だと覚えていましたが、それはひとり歩きしたお話とのことです。
生島浩さん(1958-)は長くフェルメールを研究しています。
磯江毅 「地の音」 2000年

モロッコの民族楽器などが鉛筆・水彩・アクリル・墨で紙に描かれています。
磯江毅さん(1954-2007)は1974年にスペインに渡り、マドリードに定住して写実画を
研究し、スペインで高い評価を受け、神戸にもアトリエを構えて活躍しますが、
惜しくも53歳で亡くなっています。
作品にはどこか乾いた鋭さがあります。
スペインは写実絵画が盛んですが、これはフランコ政権時代、文化的鎖国状態になって、
外国の新しい芸術の流れから取り残されたため、写実主義が進化した面もあるそうです。
2011年に練馬区立美術館で開かれた「磯江毅展]の記事です。
石黒賢一郎 「存在の在処(ありか)」 2001-2011年

定年を迎えた、石黒さんの父を描いています。
何気ない情景を徹底的に描き込んでいて、黒板の字など、本当にチョークで
書いてあるように見えます。
五味文彦 「いにしえの王は語る」 2018年

五味文彦さん(1954-)は少年時代、八ヶ岳の麓の縄文時代の大集落の跡で
土器を拾っていた思い出があり、古木の幹に縄文土器に似たものを見たそうです。
背景を灰色一色にして、ゴツゴツした幹を際立たせています。
島村信之 「幻想ロブスター」 2013年

横2m以上の大きな作品で、はさみを付き出したロブスターの姿を描いています。
どう猛そうな姿を描いていく内に、人間に食べられてしまう運命の悲愁を感じたそうです。
小尾修 「Kay」 2012年

パリで友人の画家を彼のアトリエで描いています。
小尾修さん(1965-)の絵には抒情性を消した強さがあります。
原雅幸 「ドイル家のメールボックス」 2012年

イギリスの湖水地方の9月頃の情景で、「Oak」と書かれた木札が幹に掛かっています。
エディンバラの友人のドイル家とイメージが重なったそうです。
湖水地方はピーターラビットの故郷でもあります。
藤原秀一 「萩と猫」 2009年

庭の萩を描こうとしていたら、飼い猫のクッキーがやって来たので、一緒に描いたそうです。
明るい陽射しを受けて、クッキーの瞳も細くなっています。
三重野慶 「信じてる」 2016年

背景との間の取り方がちょうど良く、人物に実在感があります。
瞳に映っているのは画家の姿でしょうか。
小木曽誠 「森へ還る」 2017年


この作品のみ撮影可能です。
小木曽さんはよく自然の中の人物を描いています。
急遽再開された展覧会で、会期も短いですが、約70点の力作が揃った、魅力のある
展覧会です。
展覧会のHPです。
chariot
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは、特別展「超写実絵画の襲来」が開かれています。
会期は6月29日(月)までです。

写実画を集めた、千葉県のホキ美術館のコレクションの展示で、いったん中止
されていましたが、期間を延長して再開したものです。
入口で検温と連絡先の記入があります。
森本草介 「未来」 2011年

この作品を描いている時に東日本大震災が起こり、作品がパレットに
倒れかかったものの、何とか事無きを得たそうです。
未来への希望を込めて名付けたタイトルとのことです。
2014年に日本橋三越本店で開かれた「ホキ美術館所蔵 森本草介展」です。
青木敏郎 「レモンのコンフィチュール、芍薬、染付と白地の焼物」 2013年

磁器、金属、ガラス、紙、布の質感を上手く表し、全体でハーモ二―を奏でています。
2010年に日本橋高島屋で開かれた「青木敏郎展」と青木さんのギャラリートークの記事です。
日本の写実絵画についての興味深いお話でした。
野田弘志 「聖なるもの THE-Ⅳ」 2013年

野鳥の巣と卵という小さな素材を縦横2mの大きな画面に描いています。
洞爺湖の畔のアトリエの庭で見付けた巣で、やがて卵は5つに増え、
孵化もしたのに、ある日、巣も卵も跡形もなく消えてしまったそうです。
生島浩 「5:55」 2007-2010年
パンフレットに使われている作品です。
6時までの約束のモデルさんが5時55分になってちょっとソワソワした瞬間を
捉えた作品だと覚えていましたが、それはひとり歩きしたお話とのことです。
生島浩さん(1958-)は長くフェルメールを研究しています。
磯江毅 「地の音」 2000年

モロッコの民族楽器などが鉛筆・水彩・アクリル・墨で紙に描かれています。
磯江毅さん(1954-2007)は1974年にスペインに渡り、マドリードに定住して写実画を
研究し、スペインで高い評価を受け、神戸にもアトリエを構えて活躍しますが、
惜しくも53歳で亡くなっています。
作品にはどこか乾いた鋭さがあります。
スペインは写実絵画が盛んですが、これはフランコ政権時代、文化的鎖国状態になって、
外国の新しい芸術の流れから取り残されたため、写実主義が進化した面もあるそうです。
2011年に練馬区立美術館で開かれた「磯江毅展]の記事です。
石黒賢一郎 「存在の在処(ありか)」 2001-2011年

定年を迎えた、石黒さんの父を描いています。
何気ない情景を徹底的に描き込んでいて、黒板の字など、本当にチョークで
書いてあるように見えます。
五味文彦 「いにしえの王は語る」 2018年

五味文彦さん(1954-)は少年時代、八ヶ岳の麓の縄文時代の大集落の跡で
土器を拾っていた思い出があり、古木の幹に縄文土器に似たものを見たそうです。
背景を灰色一色にして、ゴツゴツした幹を際立たせています。
島村信之 「幻想ロブスター」 2013年

横2m以上の大きな作品で、はさみを付き出したロブスターの姿を描いています。
どう猛そうな姿を描いていく内に、人間に食べられてしまう運命の悲愁を感じたそうです。
小尾修 「Kay」 2012年

パリで友人の画家を彼のアトリエで描いています。
小尾修さん(1965-)の絵には抒情性を消した強さがあります。
原雅幸 「ドイル家のメールボックス」 2012年

イギリスの湖水地方の9月頃の情景で、「Oak」と書かれた木札が幹に掛かっています。
エディンバラの友人のドイル家とイメージが重なったそうです。
湖水地方はピーターラビットの故郷でもあります。
藤原秀一 「萩と猫」 2009年

庭の萩を描こうとしていたら、飼い猫のクッキーがやって来たので、一緒に描いたそうです。
明るい陽射しを受けて、クッキーの瞳も細くなっています。
三重野慶 「信じてる」 2016年

背景との間の取り方がちょうど良く、人物に実在感があります。
瞳に映っているのは画家の姿でしょうか。
小木曽誠 「森へ還る」 2017年


この作品のみ撮影可能です。
小木曽さんはよく自然の中の人物を描いています。
急遽再開された展覧会で、会期も短いですが、約70点の力作が揃った、魅力のある
展覧会です。
展覧会のHPです。
清澄白河
東京都現代美術館では、「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」展が開かれています。
会期は9月27日(日)までです。
新型コロナウイルスによる規制が緩和されてきたので、現代美術館でもいろいろな
展覧会が始まっています。

会期が延長され、9月27日(日)までになりました。

オラファー・エリアソンさん(1967~)はアイスランド系デンマーク人で、写真や
インスタレーションなどによる表現活動を行なっています。
気候変動や再生可能エネルギーへの関心が強いということで、「ときに川は橋となる」という
タイトルは、まだ明確でないものも確かに目に見えるようになる、という意味だそうです。
「グリーン・リバー」 1998年

無害の蛍光染料を北欧やアメリカ、日本の川に流して撮影しています。
「ベルリンの流木」 2009年

シベリアからアイスランドに流れ着いた50本の流木をベルリンの街角に置いています。
まるで流木がベルリンにまで流れ着いたようです。
「アイス・ウオッチ」 2014年

地質学者との共同プロジェクトで、グリーンランドの氷河から海に落ちた氷の塊を
コペンハーゲン、パリ、ロンドンの街角に置いています。
温暖化の影響で、北極圏の氷河の氷はかなり海に流れ出しているようです。
「溶ける氷河のシリーズ 1999/2019」 2019年

20年間の氷河の後退を写したシリーズです。
左の写真に比べ右は氷河が後退しているのが分かります。

ヨーロッパでは氷河の後退は地球温暖化の象徴の一つでしょう。
「おそれてる?」 2004年


色の違う丸いフィルターが吊るしてあって、それらがゆっくり回ると壁に映る光も動きます。
違う光が重なると色も変わります。
「太陽の中心への探査」 2017年



吊るした透明な物体からの光が壁や床に映り、色も変化していきます。
「人間を超えたレゾネーター」 2019年

ランプからの光が同心円状の違う色の輪になって、映っています。
「あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること」 2020年



ライトの前を人が通ると、その影が幾つも重なるようにして壁に映ります。
「ときに川は橋となる」 2020年


大きな円形のインスタレーションで、水面に当たる光が反射して中空の壁に当たり、
さまざまな形をつくっています。
光、水、氷などを素材としている作品が多いのが特徴です。
オラファー・エリアソンさんは環境問題に関心の強いアーティストということですが、
作品はそれ自体、新鮮で面白く、見応えのある展覧会です。
展覧会のHPです。
chariot
東京都現代美術館では、「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」展が開かれています。
会期は9月27日(日)までです。
新型コロナウイルスによる規制が緩和されてきたので、現代美術館でもいろいろな
展覧会が始まっています。

会期が延長され、9月27日(日)までになりました。

オラファー・エリアソンさん(1967~)はアイスランド系デンマーク人で、写真や
インスタレーションなどによる表現活動を行なっています。
気候変動や再生可能エネルギーへの関心が強いということで、「ときに川は橋となる」という
タイトルは、まだ明確でないものも確かに目に見えるようになる、という意味だそうです。
「グリーン・リバー」 1998年

無害の蛍光染料を北欧やアメリカ、日本の川に流して撮影しています。
「ベルリンの流木」 2009年

シベリアからアイスランドに流れ着いた50本の流木をベルリンの街角に置いています。
まるで流木がベルリンにまで流れ着いたようです。
「アイス・ウオッチ」 2014年

地質学者との共同プロジェクトで、グリーンランドの氷河から海に落ちた氷の塊を
コペンハーゲン、パリ、ロンドンの街角に置いています。
温暖化の影響で、北極圏の氷河の氷はかなり海に流れ出しているようです。
「溶ける氷河のシリーズ 1999/2019」 2019年

20年間の氷河の後退を写したシリーズです。
左の写真に比べ右は氷河が後退しているのが分かります。

ヨーロッパでは氷河の後退は地球温暖化の象徴の一つでしょう。
「おそれてる?」 2004年


色の違う丸いフィルターが吊るしてあって、それらがゆっくり回ると壁に映る光も動きます。
違う光が重なると色も変わります。
「太陽の中心への探査」 2017年



吊るした透明な物体からの光が壁や床に映り、色も変化していきます。
「人間を超えたレゾネーター」 2019年

ランプからの光が同心円状の違う色の輪になって、映っています。
「あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること」 2020年



ライトの前を人が通ると、その影が幾つも重なるようにして壁に映ります。
「ときに川は橋となる」 2020年


大きな円形のインスタレーションで、水面に当たる光が反射して中空の壁に当たり、
さまざまな形をつくっています。
光、水、氷などを素材としている作品が多いのが特徴です。
オラファー・エリアソンさんは環境問題に関心の強いアーティストということですが、
作品はそれ自体、新鮮で面白く、見応えのある展覧会です。
展覧会のHPです。
銀座
銀座のザ・ギンザスペースでは「幻想の銀河 山本基×土屋仁応」展が開かれています。
会期は8月2日(日)まで、場所は中央区銀座5-9-5、銀座清月堂ビル地下2階です。
新型コロナ対策のため、入口で名前と連絡先を記入します。

山本基(やまもともとい)さん(1966~)は尾道市出身で、金沢美術工芸大学絵画専攻を
卒業し、「塩」を素材にしたインスタレーションを制作しています。
土屋仁応(つちやよしまさ)さん(1977~)は横須賀市出身で、東京藝術大学
美術学部彫刻科を卒業し、大学院文化財保存学専攻博士課程を修了し、
仏教美術を応用してさまざまの動物の像を制作しています。
二人のコラボによる展示で、銀河をイメージした塩の渦の中を木彫の鹿が渡っています。


見晴台から眺めたところです。

中空に木彫の月が浮かんだ、幻想的な空間です。

床と天井は鏡になっているので、映っている像が繰り返されています。

土屋さんの鹿は仏像彫刻のような水晶の玉眼が入り、姿も奇麗で、可愛い表情をしています。


2013年に日本橋高島屋美術画廊Xで開かれた「彩色木彫 土屋仁応展」の記事です。
展覧会のHPです。
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銀座のザ・ギンザスペースでは「幻想の銀河 山本基×土屋仁応」展が開かれています。
会期は8月2日(日)まで、場所は中央区銀座5-9-5、銀座清月堂ビル地下2階です。
新型コロナ対策のため、入口で名前と連絡先を記入します。

山本基(やまもともとい)さん(1966~)は尾道市出身で、金沢美術工芸大学絵画専攻を
卒業し、「塩」を素材にしたインスタレーションを制作しています。
土屋仁応(つちやよしまさ)さん(1977~)は横須賀市出身で、東京藝術大学
美術学部彫刻科を卒業し、大学院文化財保存学専攻博士課程を修了し、
仏教美術を応用してさまざまの動物の像を制作しています。
二人のコラボによる展示で、銀河をイメージした塩の渦の中を木彫の鹿が渡っています。


見晴台から眺めたところです。

中空に木彫の月が浮かんだ、幻想的な空間です。

床と天井は鏡になっているので、映っている像が繰り返されています。

土屋さんの鹿は仏像彫刻のような水晶の玉眼が入り、姿も奇麗で、可愛い表情をしています。


2013年に日本橋高島屋美術画廊Xで開かれた「彩色木彫 土屋仁応展」の記事です。
展覧会のHPです。
池袋
西武池袋本店書籍館の1階にある「神保町いちのいちノおふくわけ」に
行ってきました。

三省堂書店の運営する雑貨店で、一部がカフェになってます。
各デパートも営業を再開したので、行ってきました。
久しぶりに行ってみると、席の間も広く空けてありました。
棚には北見ハッカのハッカ油や飴などがたくさん並んでいました。


おふくわけブレンド380円とサーモンとトマトのタルティーヌ418円、
もちもちチーズパン308円です。

この日は馬場FLATのパンがありました。
BGMのセントルイスブルースを聴きながら味わうコーヒーも良いものです。
以前、「神保町いちのいちノおふくわけ」に行った時の記事です。
chariot
西武池袋本店書籍館の1階にある「神保町いちのいちノおふくわけ」に
行ってきました。

三省堂書店の運営する雑貨店で、一部がカフェになってます。
各デパートも営業を再開したので、行ってきました。
久しぶりに行ってみると、席の間も広く空けてありました。
棚には北見ハッカのハッカ油や飴などがたくさん並んでいました。


おふくわけブレンド380円とサーモンとトマトのタルティーヌ418円、
もちもちチーズパン308円です。

この日は馬場FLATのパンがありました。
BGMのセントルイスブルースを聴きながら味わうコーヒーも良いものです。
以前、「神保町いちのいちノおふくわけ」に行った時の記事です。