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「鴻池朋子 ちゅうがえり」展 京橋 アーティゾン美術館
京橋・東京
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京橋のアーティゾン美術館では「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×鴻池朋子 
鴻池朋子 ちゅうがえり」が開かれています。
会期は10月25日(日)までです。

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アーティゾン美術館の開館に伴い、今後年1回の予定で、石橋財団コレクションと
現代美術家の共演(ジャム・セッション)が行なわれるとのことです。

今回は第1回ということで、鴻池朋子さんとのセッションです。

鴻池朋子さん(1960~)は秋田県出身で、東京芸術大学日本画専攻を卒業し、
絵画や立体作品などにより神話的世界を表現しています。

会場は撮影可能です。


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クールベの作品とともに展示されています。

ギュスターヴ・クールベ 「雪の中を駆ける鹿」 1856-57年頃
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ギシギシきしむ仮設のスロープを上がり、滑り台を滑り降りると、襖絵に囲まれた
空間になります。
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「物語るテーブルランナー」は各地の人に自分の物語を語ってもらい、それを鴻池さんが
下絵に描き、語った本人がランチョンマットに仕上げたものです。
それぞれの作品にはその物語を書いたカードが付されていて、読むと面白く、
全部読もうとすると、とても時間が掛かりそうです。

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羽根を広げた孔雀に驚いています。
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アルフレッド・シスレーの「森へ行く女たち」(1866年)と一緒に並んでいます。
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鴻池さんの作品には北のアイヌやマタギの文化につながるものを感じます。
出身地の秋田県の隣、岩手県の遠野物語の世界を見るようでもあり、
北方の壮大な神話の中にいる思いがします。

展覧会のHPです。


【2020/08/30 20:05】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
築地本願寺
築地
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築地本願寺に行ってきました。

本堂は関東大震災で焼失した後、1934年に完成しています。
インド寺院風の変わったデザインは伊東忠太の設計です。

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親鸞を祖とする浄土真宗のうち、親鸞の子孫の伝える本願寺は戦国時代に
蓮如の布教活動により飛躍的に信者を増やしています。
その勢力は各地の戦国大名を苦しめ、織田信長とも10年にわたって戦っています。
本願寺は江戸時代に大谷派(東本願寺)と本願寺派(西本願寺)に分かれますが、
築地本願寺は西本願寺に属しています。

佃島初代名主佃忠兵衛報恩塔
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佃島は徳川家康が関東入部の際、摂津国佃村と大和田村の漁民が江戸に移住し、
一帯を埋め立てて住み付いたことに始まります。
佃忠兵衛は摂津から移住してきた漁民たちの指導者の一人で、佃島の初代の
名主となっています。
この報恩塔は文久元年(1861)の二百回忌に建てられたものです。
元和3年(1617)に浅草で創建された築地本願寺は明暦の大火で焼失したため、
築地に移転し、万治元年(1658)に仮御堂を完成させています。
築地の用地を埋め立て、移転に協力したのも佃島の漁民たちです。

間新六供養塔
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間新六(1680-1703)は赤穂藩主浅野長矩の元家来で、元禄15年(1702)の
赤穂浪士による吉良上野介邸討入りに参加し、翌年、お預けとなった長府藩毛利家の
麻布上屋敷で切腹しています。
この時代の切腹は切腹する者が短刀に手を掛けたところで介錯する者が首を打つのですが、
間新六はやにわに短刀を掴んで実際に切腹を果たしています。
赤穂浪士は浅野長矩と同じ高輪の泉岳寺に葬られていますが、間新六だけは
義兄により築地本願寺に葬られています。

酒井抱一の墓
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酒井抱一(1761-1829)は姫路藩主の弟ですが、家を継ぐ可能性が無くなったことを
きっかけにしてか、本願寺派の僧として出家しています。
以後は絵師・俳人として活躍し、江戸琳派の祖となっています。
抱一の法名は等覚院文詮暉真です。

参考
「秋草鶉図」 酒井抱一 19世紀前半(江戸後期) 山種美術館 重要美術品
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台湾物故者の霊
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太平洋戦争敗戦後、台湾在住の日本人が引き上げたため、台湾で物故した
日本人の墓も放置されていましたが、昭和36年(1961)に墓地の整理が完了し、
約1万3千人の遺骨が納められました。
その後、全員の分骨が日本に持帰られ、築地本願寺に遺骨安置所が建てられました。


築地本願寺のインフォメーション棟には「築地本願寺カフェ Tsumugi」があります。
この時はブラインドが下りていました。

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以前、夜に行った時の写真です。

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店内は広々として、全席禁煙、ガラス壁で前庭に面しています。
BGMはジャズソングでした。

メニューは食事やドリンクがいろいろ揃っています。

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評判の朝食メニュー、「18品の朝ごはん」は浄土真宗の教義である、
阿弥陀如来の第十八願に拠っています。

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日本茶のリラックス638円とビューティー638円です。
ポットの1つは写っていません。

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【2020/08/29 19:08】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(2) |
「ART in LIFE, LIFE and BEAUTY」展 サントリー美術館
六本木・乃木坂
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六本木のサントリー美術館では、リニューアル・オープン記念展 I  
「ART in LIFE, LIFE and BEAUTY」展が開かれています。
会期は9月13日(日)まで、休館日は火曜日です。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPで確認してください。

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作品は一部を除き、撮影可能です。

「生活の中の美(Art in Life)」を基本理念にしてきたサントリー美術館のリニューアルを
記念しての所蔵作品の展示です。
現代アートの深見陶治、山口晃、若宮隆志、山本太郎、野口哲哉各氏の作品も
併せて展示され、所蔵作品との対比を見せています。
受付カウンターも、水を意識したデザインとのことで、透明なデスクや椅子になりました。

第一章 装い

「遙カノ景〈空ヘ〉」 深見陶治 平成8年(1996)
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大きな剣の形をしていて、会場の最初に置かれています。
陶土を水で溶いて、圧力をかけて型に流し込む、泥漿圧力鋳込みという技法に
よっています。

「浮線綾螺鈿蒔絵手箱」 鎌倉時代 13世紀 国宝
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一面に螺鈿の模様を施した手箱で、北条政子の所持とも伝えられています。
浮線綾文様は公家の用いた、花を象った文様で、1個の文様を作るために
13個もの貝のピースが使われています。

「舞踏図」 江戸時代 17世紀 重要美術品
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豪華な小袖姿の女性たちが扇を持って、少しずつ違うポーズで踊っています。
元は屏風絵だったようで、全部で6面の内、3面が展示されています。

「立美人図」 懐月堂度辰 江戸時代 18世紀
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美人とありますが、紫帽子を付けているので女形の役者です。
蔦模様の表着を両袖脱ぎにして笹竜胆模様の間着を見せた華やかな姿です。

「江戸桜」 鏑木清方  昭和7年(1932)
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九代目市川団十郎の30年追悼公演を機に制作されたもので、下町娘の持つ羽子板は
明治29年(1896)に団十郎が歌舞伎座で演じた、「助六所縁江戸桜」での最後の助六の
姿ということです。
娘は黄八丈の着物で、髪は島田、蛇の目傘のかんざしを差しています。

「誰が袖図屏風」 六曲一双 江戸時代 17世紀
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衣桁にかけた華やかな衣装を屏風に描いたものです。、

「熊本ものがたりの屛風 女性のハレの日金屛風」 山本太郎 三曲一隻 平成29年(2017)
結婚式のウェディングドレスや留袖などを衣桁に掛けた、現代の誰が袖図屏風です。

2014年に日本橋髙島屋で開かれた「古画降臨 山本太郎展」の記事です。

朱漆塗矢筈札紺糸素懸威具足 桃山時代 16~17世紀
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兜、胴、佩楯を朱漆、草摺を黒漆で塗った鎧です。
素懸威(すがけおどし)は上下の小札をつなぐ糸の間隔を広くしたものです。
豊臣秀次所用と伝えられていますが、北政所の養子となった豊臣利次所用だったのが
誤って伝えられたのではないかということです。
さらに実際に着用した跡があることなどから利次の父、木下利房の具足ではないかと
推定されるそうです。
利房の異母兄に木下勝俊(長嘯子)、同母弟に小早川秀秋がいます。

「WHO ARE YOU~ 木下利房と仮定~」 令和2年(2020)  野口哲哉
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木下利房が具足を着ている姿を仮定した、フィギュアのよな小さな像で、
不思議な現実感のある鎧武者です。

2018年に銀座のポーラ ミュージアム アネックスで開かれた『野口哲哉
「中世より愛を込めて」』展の記事
です。


第二章 祝祭・宴

「賀茂競馬図屏風」 六曲一双 江戸時代 17世紀
右隻
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左隻
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野口さんの鎧武者たちも観戦しています。

賀茂競馬(かもくらべうま)は平安時代の寛治7年(1073)に始まる、
上賀茂神社で行なわれている競馬です。
毎年5月5日に行なわれ、2頭の馬が直線の馬場を並走する行事で、徒然草にも
書かれています。

「日吉山王祇園祭礼図屛風」 六曲一双 土佐派 室町時代 16世紀
祇園祭礼図
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祇園祭の場面では山鉾や山車が巡行し、喧嘩も始まっています。
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「四季耕作図屛風」) 六曲一隻 狩野晴川院養信 江戸時代 文政8年(1825)
右隻
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左隻
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桜の咲く春、田楽踊りに合わせて田植えをしています。
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紅葉の秋、4人掛かりで石臼で籾摺りをしたり、唐箕(とうみ)を使って
籾殻を選り分けています。
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11代将軍徳川家斉の娘、盛姫の肥前佐賀藩10代藩主鍋島直正(閑叟)との
婚礼調度として制作されたものです。
鍋島直正(1815-1871)は幕末の佐賀藩の近代化に成功し、藩は維新勢力の
一角となっています。
狩野養信(かのうおさのぶ、1796-1846)は江戸木挽町狩野派9代目の絵師で、
最晩年の僅かな間、橋本雅邦、狩野芳崖を弟子にしています。

「邸内遊楽図屛風」) 六曲一隻 寛永年間(1624~44)
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宴会で盛り上がり、
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庭で輪になって踊り、
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蒸し風呂にも入っています。
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「今様遊楽圖」 山口晃 平成12年(2000)
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南蛮屏風や洛中洛外図屏風と現代が混じり合っています。
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温泉や宴会で賑わっています。
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2013年に横浜のそごう美術館で開かれた「山口晃展 老若男女ご覧あれ」の記事です。

「朱漆塗湯桶」 室町時代 15世紀
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湯や茶を配る大きな朱塗りの桶で、お寺で使いそうなデザインです。

「色絵葡萄鳥文瓢形酒注」 肥前・有田 江戸時代 17世紀
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上下の胴に回した紐をつなぐ紐が把手になるという趣向で、蓋は葉の形をしています。

右 「染付吹墨文大徳利」 肥前・有田 江戸時代 17世紀前半
左 「薩摩切子 藍色被栓付瓶」  江戸時代 19世紀中頃
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右は初期伊万里の作品で、霧吹きで吹付けたような文様は明時代末期の景徳鎮の古染付に
倣ったものとされています。

左は薩摩藩で作られたカットグラスで、西洋風のデカンタです。
薩摩切子は徳川家への献上品や各大名への贈答品にも使われていました。


第三章 異国趣味

「泰西王侯騎馬図屏風」 四曲一双 桃山~江戸時代初期 17世紀初期 重要文化財
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会津若松城にあった屏風で、日本人による初期洋風画の代表作とされ、旧会津藩主の
松平家の旧蔵品です。
右から、ペルシャ王、アビシニア王(エチオピア王)、フランス王アンリ4世、イギリス王
あるいはギーズ大公フランソワ・ド・ローランあるいはカール5世とされています。
異教徒のペルシャ王が中世の騎士の持つような槍を持つのに対し、キリスト教国の
3人の王は王笏を持ち、ペルシャ王の方を向いています。
アンリ4世(1553-1610)はブルボン朝最初の王で、ナントの勅令を発してカトリックと
プロテスタントの融和を図っています。

「IHS蒔絵螺鈿書見台」 桃山時代 16世紀後半~17世紀初期
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聖書などを置く書見台で、蒔絵で桜や橘、桐をあしらった、精巧で日本趣味の濃い
デザインです。
輸出用に作られた品で、「IHS」はキリスト教を日本にひろめたイエズス会の頭文字です。
「IHS」の文字から発する、光を表す螺鈿細工は輝いています。

サントリー美術館の豊富なコレクションを観ることが出来て、現代アートとのコラボも
楽しめる、とても面白い展覧会です。

展覧会のHPです。


【2020/08/28 20:52】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
築地、聖路加国際病院辺り
築地
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築地の聖路加国際病院辺りを歩いてみました。

日比谷線築地駅の地上部分の海抜は1.8mということです。
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聖ルカ通りを進みます。
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築地川を埋め立てて造った築地川公園です。
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築地の明石町には明治2年(1869)に外国人居留地が設けられています。

参考
鏑木清方 「築地明石町」 1927年
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築地明石町は外国人居留地となったことから、西洋の香りのする場所になり、
作品にも横に西洋式の柵、後ろに洋式帆船が見えます。

キリスト教の教会や外国公館などが置かれ、多くのミッションスクールの
発祥の地ともなっています。

「女子学院発祥の地」の碑です。
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現在は千代田区一番町にある女子学院は明治3年(1870)に米国長老派の宣教師、
クリストファー・カロザースの妻、ジュリア・カロザースにより築地居留地六番に
A六番女学校が設立されたことに始まります。

「立教学院発祥の地」の碑です。
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現在は西池袋にある立教学院は明治7年(1874)に米国聖公会の宣教師、チャニング・
ムーア・ウイリアムズにより築地に立教学校が設立されたことに始まります。

明石町は他に青山学院、女子聖学院、雙葉学園、明治学院の発祥の地でもあります。

聖路加国際病院は明治34年(1901)に米国聖公会の医師ルドルフ・トイスラーが
聖路加病院を設立したことに始まります。
路加は「ロカ」でなく、「ルカ」が正式な名称です。
ルカによる福音書を書いたとされる聖ルカは職業が医者だったとも伝えられています。
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聖路加国際病院は太平洋戦争の空襲でも被害を免れ、多くの負傷者を手当てし、
終戦後は米軍の病院として一時接収されています。
米軍は東京を爆撃する際、東京湾から入って、聖路加国際病院の建物をランドマークにして、
東京上空に侵入したそうです。
地下鉄サリン事件でも、被害の大きかった築地駅に近かったこともあり、多くの
被害者を受け容れています。

聖路加国際病院のシンボルマークの「ケリュケイオン」です。
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医療のシンボルは1匹の蛇が杖に巻き付く「アスクレピオスの杖」ですが、2匹の蛇と羽根の
「ケリュケイオン」もよく使われています。

聖路加ガーデンは平成6年(1994)に開業した、聖路加レジデンスと聖路加タワーの
2棟のビルにホテル・マンション・オフィス・レストランなどが入った複合施設で、
地権者は聖路加国際病院です。
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聖路加ガーデンを過ぎると明石町河岸公園に出ます。
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隅田川の対岸に大川端リバーシティ21の超高層マンションが見えます。
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水上バスが通ります。
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下手に勝鬨橋が見えます。
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築地駅のホームにも勝鬨橋のタイル画があります。
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隅田川沿いから見た聖路加ガーデンです。
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備前橋跡を通り、築地本願寺に向かいます。
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築地本願寺については別の回に書きます。


【2020/08/27 20:10】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「第7回未来展」 銀座 日動画廊
銀座
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銀座の日動画廊では9月7日(月)まで、「第7回未来展~日動画廊 美術大学学生支援
プログラム~」が開かれています。
日曜日はお休みです。

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「未来展」は2014年に始まった推薦制、コンクール形式の企画展示で、東京藝術大学・
武蔵野美術大学・多摩美術大学・女子美術大学・日本大学芸術学部・東北芸術工科大学・
金沢美術工芸大学・東京造形大学の各先生が30歳以下の学部生、院生を推薦し、
推薦者に術評論家、美術編集記者を加えた審査委員会がグランプリ、準グランプリを
選出するものです。
また、8月31日まで投票箱が置かれていて、来場者による人気投票も行われます。

会場には若くて元気の良い絵が並び、未来にどんな作品を生み出すのか楽しみにさせます。

・・・・・

日動画廊の隣の銀座ソニーパークにはガリバーの落としていった、BOTTEGA VENETAの
巨大な金の鎖が置かれ、キラキラ輝いていました。

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和光のショーウインドウは店内側も透明ガラスになりました。
ウインドウディスプレイはグランドセイコーのエンブレムをかたどって、2頭の銀の獅子が
向かい合っています。

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銀座三越の玄関前のライオンはこの日もしっかり三越特製のマスクをしていました。

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銀座三越の正面外壁がシャンデリアになりました。
「銀座シャンデリア」という名で、11月にはライトアップされる予定とのことです。

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【2020/08/25 20:03】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
東京駅のグランスタ東京新規オープン
東京
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8月3日にJR東京駅の駅ナカのグランスタ東京に新しく66店舗がオープンしました。
数軒以外は改札内にあります。

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お店の空席状況も表示されています。
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特急列車のヘッドマークも展示されています。
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「とうきょうえき」の駅名表示板です。
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オープンスぺースに置かれた時計です。
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地下1階と1階の間の吹き抜けにはねぶたが吊られていました。
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東京駅の丸の内側地下と八重洲側地下を結ぶ北自由通路にもグランスタ地下北口改札が
新設されました。
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ICカード専用改札には駅員さんもいません。
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突然、夕立になり、外は雨に煙って暗くなりました。
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  夕立を四角に逃げる丸の内   江戸川柳


【2020/08/23 17:54】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(2) |
「近代日本画の華―ローマ開催日本美術展覧会を中心に―」 大倉集古館
六本木一丁目・神谷町
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大倉集古館では企画展、「近代日本画の華―ローマ開催日本美術展覧会を中心に―」が
開かれています。
会期は9月27日(日)までです。

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1930年に大倉財閥2代目の大倉喜七郎の後援により、ローマで日本美術展覧会が
開かれました。
横山大観を団長に院展系、官展系合わせて80名の日本画家の作品が出展されました。
その開催90年を記念して、ローマ展に出展された作品を中心にした展示です。

児玉素光 「山の湯」 大正15年(1926)
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故郷の長野県山ノ内町の温泉を描いた作品です。
湯田中温泉郷の中の地獄谷温泉でしょうか。
深い緑の中に温泉宿や長い廊下、湯気を上げる浴場が埋れています。
宿の二階には手拭が干されていて、人懐かしさを感じる情景です。

川合玉堂 「高嶺の雲」 6曲1双 明治43年(1910) 
右隻
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晩年の穏やかな作風と違って、硬く鋭い筆遣いで険しい山稜を描き出しています。
様式に嵌らずに、写実を追う姿勢は晩年まで一貫しています。

横山大観 「山四趣」 4幅対 大正14年(1925)
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水墨による山の四つの表情を描いています。

鏑木清方 「七夕」 6曲1双 昭和4年(1929年)
左隻
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七夕の竹飾り、瓜、徳利、香炉、桔梗、女郎花と共に五色の糸巻き、琴、筆と柏葉の
模様の着物がお供えされています。
着物の柄は梶や柏の葉に字を書いて供える風習を表しています。
裁縫、音楽、書道の上達を願う行事です。
左上に金銀の砂子で描かれた天の川を見上げる女性の着物は秋草の裾模様です。

右隻
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8月30日までの展示です。
水葵と朝顔の模様の着物姿の洗い髪の女性が縁台に腰掛け、白い芙蓉を
眺めています。
網に笹の裾模様の着物の女性は、かがんで針に糸を通しながら水鏡に映る
織姫と彦星を視ているところです。

横山大観 「夜桜」 昭和4年(1929)
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左隻
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右隻
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9月2日からの展示です。
篝火に浮かび上がる満開の山桜と山の端にかかる満月です。
豪華極まりない装飾画で、桜の花はおしべまで描き込んであります。
周辺を暗く描いているので、桜は吹き上がるように輝いて見えます。
ローマで特に評判の高かった作品とのことです。

宇田荻邨 「淀の水車」 2曲1隻 大正15年(1926) 
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水辺の水車という、夏らしい爽やかな情景です。
緑の葉のアシや、タデが風に揺れ、水車は水しぶきを上げて回り、画面に
動きを感じます。
群青と緑青がひと際鮮やかで、水鳥のコサギの白と画面右下にいるバンの黒も
対照的です。
水車の複雑な構造をすっきりした線で描き込んで、装飾的な造型を見せています。

菱田春草 「かけす」 明治43年(1910) 個人蔵
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琳派風の没骨でホオノキに留まるカケスを描いています。

竹内栖鳳 「蹴合」 昭和4年(1929)
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竹内栖鳳の得意とする動物画で、軍鶏(シャモ)が羽根を逆立て、闘っています。

橋本関雪 「暖日」 昭和4年(1929)
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橋本関雪は動物や人物をよく題材にしており、猫を描いても鋭さがあります。

橋本関雪 「猿猴図」 昭和4年(1929)
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猿は東洋画によく描かれる題材ですが、この猿は写実的で毛の質感まで
表しています。

小林古径 「木菟図」 昭和4年(1929)
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紅梅の枝に止まるミミズクです。
薄墨色の中に紅梅が点々と浮かび、ミミズクの目もそれに染まったように紅く
なっています。

展覧会のHPです。


【2020/08/22 18:40】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
神田神保町辺り 2020/8
神保町
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神保町を歩きました。

東京オリンピック・パラリンピックのマラソンコースために準備された、
「おもてなしミスト付き緑化ベンチ」がミストを吹き出していました。
来年は無事に開かれるとよいのですが。
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祝日に行ったので、「さぼうる」と「さぼうる2」はお休みです。
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斜め向かいのホットケーキが評判の「タムタム」は開いていて、お客さんが何人も
外で待っていました。

「ギャラリー珈琲店・古瀬戸」は開いていました。
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「ラドリオ」は閉まっていました。
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向かいの「ミロンガ・ヌオーバ」は開いていて、タンゴのやるせないメロディーが
漏れていました。
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すずらん通りの餃子で有名な「スヰートポーヅ」は閉店しました。
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同じすずらん通りのカツカレーで有名な「キッチン南海」も6月に閉店しましたが、
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働いていいたコックさんがすぐ近くに新「キッチン南海」をオープンしました。
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神保町三井ビルディングの広場で一休みしました。
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虫除けスプレーが必要でした
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神田神保町2丁目のさくら通り沿いにある旧相互無尽会社本社ビルは9月に
解体工事が始まる予定で、三脚を立てて写真を撮っている人もいました。
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昭和5年竣工という、趣きのあるビルなので、解体を惜しむ声が上がっています。

専大前交差点も夕暮の景色になりました。
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【2020/08/21 20:05】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(2) |
FANTANIMA!&MISOROGI クロスオーバー展 「Fanみそ!」 丸善丸の内本店
東京
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丸善丸の内本店4階ギャラリーでは、FANTANIMA!&MISOROGI クロスオーバー展
「Fanみそ!」が開かれています。
会期は9月1日(火)までです。

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FANTANIMA(ファンタニマ)はファンタジー(幻想)とアニマ(生命)を
合わせた造語です。
国内外の作家のつくった、可愛いかったり、面白かったり、まさしくファンタジックだったりの、
さまざまなスタイルの動物や妖精などの人形があります。
今回は同じく創作人形の「MISOROGI人形展」との特別合同企画です。
ロシアやウクライナの作家の作品もあり、展示即売されています。
人気作家の作品はすぐに売約済になっているようです。

今戸焼の人形や高松張り子もあります。
今戸焼は浅草近くの今戸で焼かれた素焼きの土人形や生活雑器で、江戸から
明治にかけて盛んに生産されました。
一時は絶えかけますが、金沢春吉(1868-1944)により継承されています。
展覧会では金沢春吉の技を受け継ぐ吉田義和さんの古型今戸人形が展示されています。

(参考)
「今戸人形」 金沢春吉作 大正~昭和時代 20世紀 江戸東京博物館蔵
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高松張り子は高松に伝わる郷土玩具の張り子人形で、今戸人形に似た趣きがあります。
太田幹子さんの制作するが宮内張り子が展示されています。


【2020/08/20 19:13】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
浅草橋駅から両国橋辺り
浅草橋
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浅草橋から両国橋辺りを歩いてみました。

浅草橋は人形店の多い所で、JR浅草橋駅の構内にも人形店のガラスケースがあります。
江戸時代、浅草橋は浅草寺への参道である江戸通りの起点だったので、人形や玩具を
売る店が集まったということです。

吉徳
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プロ野球各球団のユニフォームを着たスヌーピー
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久月
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自分で作れる木目込み人形のアマビエ
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吉徳の本店
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吉徳の創業は正徳元年(1711)、6代目以降、吉野屋徳兵衛を名乗ったそうです。

久月の本店
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久月の創業は天保6年(1835)で、3代目は吉野屋で修業したこともあるそうです。

シモジマでエコバッグなどを買いました。
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銀杏岡八幡神社はシモジマの裏手にあります。
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社伝では奥州征伐の折、同地を通った源義家が勧請したとのことで、康平五年(1062)の
創建とされています。
祭神は武神の誉田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)と武内宿禰です。

狛犬はカフェインたっぷりのコーヒーを飲んだように目をらんらんと輝かせていて、
夜の番兵も勤まりそうです。

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神田川に架かる浅草橋の北側には浅草見附跡の石碑が立っています。
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神田川は江戸城の防御の役目もあったので、南側に見附(番所)が
設けられていました。

浅草橋の下手、神田川の隅田川への合流点には鋼鉄橋の柳橋が架かっています。
右側は佃煮の小松屋です。
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神田川には屋形船が集まっています。
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神田川が隅田川に合流します。
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柳橋を南に渡り、両国橋の横から隅田川の河川敷を整備した隅田川テラスに出ます。
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川風に吹かれながら、一休みしました。
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この辺は都営浅草線の東日本橋駅にも近いです。

両国橋です。
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この日は東京スカイツリーも霞んで見えました。
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総武線が隅田川橋梁を渡ります。
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水上バスが通ります。
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警視庁の警備艇「らいちょう」もやって来ました。

両国橋に戻ります。
両国橋西詰にある両国広小路跡の石碑です。
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参考:江戸東京博物館に展示されている、両国橋西詰の模型
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両国橋の西詰と東詰は江戸時代、両国橋を守るため建物を建てない火除地とされ、
両国広小路と呼ばれました。
そこに仮設の芝居小屋、見世物小屋、茶店が並び、江戸随一の繁華街となりました。

帰りは浅草橋を渡ります。
向こうに柳橋が見えます。
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【2020/08/18 21:51】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
「市民からのおくりもの2019―平成30年度 新収蔵品から―」展 江戸東京博物館
両国
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両国の江戸東京博物館では特別展、「市民からのおくりもの2019―平成30年度 
新収蔵品から―」と特別企画「『青』でみる江戸東京」が開かれています。
会期は9月27日(日)までです。
8月23日(日)までの前期と8月25日(火)からの後期で一部展示替えがあります。

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江戸東京博物館が平成30年度に収蔵した1,807点の資料の一部が展示されています。

「徳川秀忠像」 伝冷泉為恭 江戸末期
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8月23日までの展示です。
京都の知恩院の所蔵する肖像を冷泉為恭が模写したものと伝えられています。
徳川家康以外の歴代徳川将軍の肖像は極端に少なく、稀な肖像画とのことです。
冷泉為恭(1823~1864)は幕末に大和絵の復興に努めた絵師ですが、幕府との
関係を疑われ、尊皇攘夷派に殺害されています。

「赤坂喰違より水道橋まで仮御番所并〆切矢来場所絵図」
 天保10~14年(1839~1843)

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8月23日までの展示です。
赤坂の喰違見附から隅田川を経て、神田川に架かる水道橋まで、江戸城の外堀に沿って
番所などの警備場所が描かれています。

赤坂喰違
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両国橋
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柳橋
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水道橋
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高橋泥舟(1835~1903)関係の資料が展示されています。
高橋泥舟は幕臣で、最後の将軍徳川慶喜に仕え、その人格識見から勝海舟、
山岡鉄舟と並んで幕末の三舟と呼ばれています。

「高橋泥舟が幼時に書いた手紙」 天保11年(1840)
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6歳の時、四国に赴任していた養父の高橋包承に送った手紙で、
「をかしをたんともてきてくだされ候」とあります。
四国は砂糖の和三盆の産地だったので、お菓子でも知られていたのかもしれません。
包承はこれを保管し、後年に泥舟に渡したものと思われ、泥舟は終生大切に持っていた
とのことです。
後に海内無双の槍の名手と謳われた高橋泥舟もこんな可愛い子ども時代があった訳です。

「口宣案」 文久3年(1863)3月12日
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高橋泥舟が京都で浪士組の取締役だった時、朝廷から従五位下伊勢守に
任じられた時の辞令です。
通常、武士は幕府が実質的に決定した武家官位を賜りますが、高橋泥舟は
孝明天皇の勅許により賜ったようです。

「庄内紀行」 明治22年(1889)
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山形県を旅した時の紀行文で、清川村にある清河八郎の墓に詣でています。
清河八郎(1830~1863)は尊王攘夷派の志士で、浪士組を結成し、これを尊王攘夷の
組織にしようと画策しますが、暗殺されています。
浪士組の一部は後に新選組になっています。

「明治期の泥舟の画文」
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富士山、案山子、どくろが描かれています。


大正12年(1923)9月1日の関東大震災関係の資料も多数展示されています。

「大正震災図絵浅草之巻より凌雲閣」 佐藤素洲/筆 荒木重三郎/印刷兼発行
大正12年(1923)11月8日

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浅草のランドマークだった凌雲閣(浅草十二階)も倒壊しました。

「大正震災図絵浅草之巻より花屋敷」
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火に包まれた浅草花屋敷には動物園があり、子象は救出されましたが、救出できなかった
動物も多かったそうです。

「新版大震災帝都復興双六」 浦野銀次郎/著刊 大正12年(1923)12月15日
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振り出しの時計は地震の発生した11時58分を指しています。
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浅草寺はほぼ焼失を免れ、浅草花屋敷では子象を救い出しています。
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下は本所の陸軍被服廠跡の火災旋風です。
ここに逃げ込んだ人たちは火災の起こした旋風に巻き込まれ、
約38000人が亡くなっています。
現在は、太平洋戦争の空襲の被害者を共に祀った東京都慰霊堂が建っています。
左下のお茶の水のニコライ堂も内部を焼失しています。
汽車の混雑や軍隊の炊き出しも描かれています。

「東京市震災焼失地域図」 1923年9月20日付 東京市役所救護部発行
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東側(地図の下方向)が焼失し、本郷区・小石川区(今の文京区)は焼け残っています。

無料で入院できる病院・救護所の案内 1923年 東京市役所発行
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築地の聖路加病院や広尾の日本赤十字病院(今の日本赤十字社医療センター)、
三田の済生会病院(今の済生会中央病院)の名もあります。

「飲食物ニ御注意」 1923年 関東戒厳司令部発行
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災害の後の伝染病への注意喚起です。


特別企画「『青』でみる江戸東京」として、青に関係した資料も幾つか展示されています。

「紙布(しふ)の裃(鮫小紋)」 19世紀前半
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紙布は1~2㎜に切った紙を使って織った布のことで、これは縦糸に絹、
横糸に紙を使っています。
通気性、吸湿性に優れ、肌触りが良いことから、夏の衣料として好まれ、
洗濯も出来るそうです。
裃は武士の正装で、橘の家紋が入っています。

「長板中形浴衣 花丸文に小桜」 清水幸太郎/型付 昭和32年(1957)頃
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8月23日までの展示です。
花丸文と小さな桜の花を藍で型染めした浴衣です。
長板中形は型紙を使って長板に貼った木綿を藍染めする、江戸時代中期から
伝わる技法です。
清水幸太郎(1897~1988)は染色家として人間国宝の指定を受けています。

「染付芙蓉手VOC字文皿」 江戸中期
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芙蓉手は円周を等分に分割して描く技法で、開いた蓮の花を象っています。
中央のVOCはオランダ東インド会社の頭文字です。
同社の注文により有田で焼成され、ヨーロッパに輸出されたものです。

「名所江戸百景 日本橋雪晴」 歌川広重 安政3年(1856)
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8月23日までの展示です。
名所江戸百景シリーズ最初の絵で、年の始めでしょうか、雪の降った後の日本橋を
魚河岸の方から眺めています。
白雪をいただいた富士山や江戸城も見える、さわやかな景色です。
工業生産による最初の顔料であるプルシャンブルーは日本にも輸入されて、
ベロ藍と呼ばれ、広重や北斎の版画によく使われています。
この絵でも濃淡を付けて巧みに使われています。

「名所江戸百景 神田紺屋町」 歌川広重 安政4年(1857)
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8月23日までの展示です。
神田紺屋町は現在のJR神田駅の東側にあり、染物屋の町で藍染めが盛んでした。
晒した布には版元の魚屋栄吉を表す魚の字と、広重の替紋のヒロを象った菱型が
染め出されています。

8月25日からは葛飾北斎の浮世絵が展示されます。

「東京二十景 明石町の雨後」 川瀬巴水 昭和3年(1928)
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8月23日までの展示です。
築地明石町から月島方向を眺めた景色で、隅田川に汽船が浮かび、月島には工場の
煙突が見えます。
月島は明治時代に隅田川を浚渫した土で造成した埋立地で、工場が建ち並んでいました。
川瀬巴水(1883~1957)は大正から昭和にかけて活躍した風景版画家で、日本各地の
風景を叙情的に描いています。

「東京二十景 馬込の月」 川瀬巴水 昭和5年(1930)
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8月23日までの展示です。
空には煌々と輝く月が松の大木を浮かび上がらせ、地上には民家の
小さな灯が見えます。
巴水の住んでいた馬込は当時はこの絵のように畑地だったようです。

展覧会のHPです。


【2020/08/16 19:25】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
銀座蔦屋書店GINZA ATRIUM 「Input/Output」展
銀座
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GINZA SIX6階の銀座蔦屋書店のGINZA ATRIUMでは「Input/Output」展が開かれています。
会期は8月23日(日)まで、4人の現代アーティストの作品が展示されています。

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一林保久道(いちばやしほくと) 1992年石川県生まれ、京都精華大学日本画専攻卒業
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騒々しく賑わっていて、ユーモラスでもあり、ポップアートの趣きがあります。
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川内理香子 1990年東京都生まれ、多摩美術大学大学院油画専攻修了
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厚塗りの画面を深く抉ってヤシの木のような物を描き、脳や肝臓などの臓器を
描き足しています。
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菅原玄奨 1993年東京都生まれ、東京造形大学大学院美術研究科修了
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レジンを粗く練り上げて、おぼろげな男女の顔を浮かび上がらせています。
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山本捷平 1994年神奈川県生まれ、京都造形芸術大学大学院ペインティング領域修了
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同じ形を繰り返し、リズムを生んでいます。
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日の暮れた頃、GINZA SIX2階のテラスで水分補給しました。
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GINZA SIXもライトで彩られています。
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【2020/08/15 18:58】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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Author:chariot
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