六本木・乃木坂
サントリー美術館ではリニューアル・オープン記念展 III、「美を結ぶ。美をひらく。
美の交流が生んだ6つの物語」展が開かれています。
会期は2021年2月28日(日)まで、休館日は火曜日です。
日時指定制はありません。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認ください。

サントリー美術館の所蔵する、江戸時代から1900年のパリ万博にかけての
約300年間の美術工芸品を古伊万里、鍋島、和ガラス、紅型、江戸・明治の
浮世絵、エミール・ガレの6つのテーマで展示しています。
展示室は撮影可能です。
右「色絵花鳥文六角壺」 江戸時代 17世紀
左「藍色ちろり」 江戸時代 18世紀

展示室の最初に置かれています。
(古伊万里)


伊万里は佐賀県の有田を中心に焼かれ、伊万里港から出荷された磁器のことで、
柿右衛門も鍋島焼も伊万里の一部です。
古伊万里とは伊万里のうち、江戸時代に作られた品のことで、ヨーロッパに
盛んに輸出されました。
オランダ東インド会社は元々、中国から景徳鎮の磁器を輸出していましたが、
明末清初の動乱や清の海禁政策により生産が激減したため、これに代わる
ものとして日本の有田の磁器を選んでいます。
右「色絵花鳥文八角大壺」 江戸時代 重要文化財
左「色絵獅子鈕波鷹文大壺」 江戸時代 18世紀
「色絵花鳥文八角大壺」 江戸時代 17~18世紀 重要文化財

金彩の入った中国風の壺の窓に柿右衛門様式の絵が描いてあります。
「色絵花鳥文六角壺」 江戸時代 17世紀

中国風の形で、白地に柿右衛門の赤を効かせた図柄です。
ろくろ成形した後、面取りしています。
「色絵五艘船文独楽形大鉢」 江戸時代 18世紀 重要文化財

こちらは国内向けの製品で、金襴手といわれる豪華な絵付けがされ、
中国風の模様にオランダ船やオランダ人を描き込んでいます。
縁が垂直になっていて、横から見ると独楽のような形をしています。
オランダ船には宝船のイメージがあり、吉祥文様と考えられるそうです。
(鍋島)
鍋島焼は佐賀鍋島藩の直営窯で製作された品で、将軍家や大名への贈答用に
使われ、デザインがすっきりとモダンで、スキがありません。
「染付雲雷文大皿」 江戸時代 17~18世紀


墨はじきという、白く残す部分を墨で描くとその部分は染付の絵具をはじき、
焼成すると墨も焼き飛んで白く残るという技法を使っています。
大皿の中心を大きく空け、そこから周辺に向かって雷文という鍵型の重なった
模様を初めは細かく薄く、段々と大きく濃く、延々とびっしり埋めています。
気の遠くなるような作業によって、皿の中に独特の空間感覚が生まれます。
「色絵椿文皿」 江戸時代 18世紀

器の形を上手く使って描かれた椿は外にまで広がり、絵画的な大きな景色と
なっています。
(紅型)

紅型(びんがた)は琉球王朝時代は王族や貴族の着る高級な衣装で、
紺屋は保護され、士族の資格を持っていて、庶民は祭事や長寿の祝いなど
特別の時だけ、絣の着物などの裏地に小紋を染めた物を着ることを
許されていたそうです。
「遠山霞に網干桜橘松笹模様白地型紙」 琉球王国 19世紀

1月18日までの展示です。
こうぞ紙に柿渋を塗って固めた型紙を使うが、こうぞは沖縄には無いので、
紙は日本から輸入したそうです。
「黄色地牡丹蝶鳥に桐桜模様裂地」 琉球王国 19世紀

1月18日までの展示です。
「染分地桜波連山模様裂地」 琉球王国 19世紀

1月18日までの展示です。
赤や緑が鮮やかで、波の間の山々に桜や松をあしらっています。
(江戸・明治の浮世絵)
「東海道五拾三次之内 沼津 黄昏圖」 歌川広重 江戸時代 天保4年(1833)頃

1月18日までの展示です。
月の出の頃、狩野川沿いの街道を旅人が行く、抒情的な雰囲気の景色です。
讃岐の金毘羅大権現に納める天狗の面を担いだ参詣者も見えます。
「横浜港崎廓岩亀楼異人遊興之図」 歌川芳員・員重 江戸時代 文久元年(1861)


日米修好通商条約により横浜港が安政6年(1859)に開港し、外国人の滞在が
始まります。
しかし、これに反発した攘夷派の志士たちにより文久元年に高輪の東禅寺にあった
イギリス公使館が襲撃され、死傷者を出しています。
「高輪牛町朧月景」 小林清親 明治12年(1879)

新橋横浜間の鉄道が明治5年(1872)に開通し、蒸気機関車(陸蒸気)が走りました。
高輪の辺りは浅瀬に盛り土をして鉄道を通していて、機関車の煙突は火を吐き、
客車の窓の明かりが海面に映っています。
文明開化の象徴、電信柱も描き込まれています。
「隅田川夜」 小林清親 明治14年(1881)

川辺にたたずむ男女のシルエットが浮かび、川面には人家の明かりが映っています。
小林清親(1847 -1915〉は下級幕臣の出身で、鳥羽伏見の戦いや上野戦争にも
参加しています。
後に河鍋暁斎や柴田是真に絵を学び、明治の東京を叙情的な浮世絵に描いて、
最後の浮世絵師と呼ばれるようになります。
特に、西洋画を取入れた、光と影を強調した「光線画」と呼ばれる絵によって、
人気を得ています。
(和ガラス)

南蛮貿易で栄えた長崎に西洋のガラスの技術が伝わり、長崎ビードロなど
ガラス作りが始まります。
「藍色ちろり」 江戸時代 18世紀

取っ手をねじらせた面白いデザインの酒器です。
「緑色葡萄唐草文鉢」 江戸時代 18世紀
「紫色菊唐草文鉢」 江戸時代 18世紀
「青色菊形向付」 江戸時代 18世紀

柔らかな趣きのガラス器です。
薩摩切子 「藍色被船形鉢」 江戸時代 19世紀中頃

薩摩切子は幕末の一時期に島津藩によって興されたガラス製品です。
透明ガラスに色ガラスを貼り付ける被せ(きせ)ガラスの技法を発達させています。
輸出用や幕府や大名への贈答用に製作されました。
(エミール・ガレ)
エミール・ガレ(1846-1904)はフランス、ナンシーの陶磁器・ガラス器の製造販売会社の
経営者の子に生まれ、1877年に経営を任されています。
1878年のパリ万国博覧会に月光色ガラスと呼ばれる淡青色のガラス器を出展し、
評判を得ています。
花器「バッタ」 1878年頃


涼やかに青味がかった、透明な器です。
植物や虫を題材にするガレの特徴がすでに表れています。
昼顔型花器「蛾」 1900年

1900年のパリ万博の出品作です。
昼顔の花にムラサキシタバ(左」)とホウジャク(右)という蛾を留まらせています。
花器「木立」 1900年

木々を重ねて奥行きを見せ、化合物を入れてさび色を出すパチネという技法で、
幹の色を出しています。
ランプ「ひとよ茸」 1902年頃

成熟すると一晩で溶けてしまうという、ひとよ茸をデザインしています。
高さ1m近い大きなランプですが、妖しい命の揺らめきを見せています。
脚付杯 「蜻蛉」 1903-04年

白血病で死期の迫ったガレが親戚や友人たちに贈った品です。
大きくうねって器に貼り付いたトンボはガレ自身の姿のようにも見えます。
動植物のモチーフが写実を超えて、ガレの内面まで表現していることが
よく分かります。
サントリー美術館の所蔵する名品の揃った、見応えのある展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」です。
会期は2021年4月14日(水)から6月27日(日)までです。
blogを始めて14年経ちました。
今年は展覧会の多くが中止や延期になってしまいました。
それでもblogを読んでくださった方、コメントや拍手、いいねなどを
していただいた方、励みになりました。
どうも有難うございます。
来年も今の緊張感を保ちながら、少しずつblogを書いていきたいと
思いますので、よろしくお願いいたします。
1日も早く状況が改善され、皆様にとって良い年になるよう願っています。
chariot
サントリー美術館ではリニューアル・オープン記念展 III、「美を結ぶ。美をひらく。
美の交流が生んだ6つの物語」展が開かれています。
会期は2021年2月28日(日)まで、休館日は火曜日です。
日時指定制はありません。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認ください。

サントリー美術館の所蔵する、江戸時代から1900年のパリ万博にかけての
約300年間の美術工芸品を古伊万里、鍋島、和ガラス、紅型、江戸・明治の
浮世絵、エミール・ガレの6つのテーマで展示しています。
展示室は撮影可能です。
右「色絵花鳥文六角壺」 江戸時代 17世紀
左「藍色ちろり」 江戸時代 18世紀

展示室の最初に置かれています。
(古伊万里)


伊万里は佐賀県の有田を中心に焼かれ、伊万里港から出荷された磁器のことで、
柿右衛門も鍋島焼も伊万里の一部です。
古伊万里とは伊万里のうち、江戸時代に作られた品のことで、ヨーロッパに
盛んに輸出されました。
オランダ東インド会社は元々、中国から景徳鎮の磁器を輸出していましたが、
明末清初の動乱や清の海禁政策により生産が激減したため、これに代わる
ものとして日本の有田の磁器を選んでいます。
右「色絵花鳥文八角大壺」 江戸時代 重要文化財
左「色絵獅子鈕波鷹文大壺」 江戸時代 18世紀
「色絵花鳥文八角大壺」 江戸時代 17~18世紀 重要文化財

金彩の入った中国風の壺の窓に柿右衛門様式の絵が描いてあります。
「色絵花鳥文六角壺」 江戸時代 17世紀

中国風の形で、白地に柿右衛門の赤を効かせた図柄です。
ろくろ成形した後、面取りしています。
「色絵五艘船文独楽形大鉢」 江戸時代 18世紀 重要文化財

こちらは国内向けの製品で、金襴手といわれる豪華な絵付けがされ、
中国風の模様にオランダ船やオランダ人を描き込んでいます。
縁が垂直になっていて、横から見ると独楽のような形をしています。
オランダ船には宝船のイメージがあり、吉祥文様と考えられるそうです。
(鍋島)
鍋島焼は佐賀鍋島藩の直営窯で製作された品で、将軍家や大名への贈答用に
使われ、デザインがすっきりとモダンで、スキがありません。
「染付雲雷文大皿」 江戸時代 17~18世紀


墨はじきという、白く残す部分を墨で描くとその部分は染付の絵具をはじき、
焼成すると墨も焼き飛んで白く残るという技法を使っています。
大皿の中心を大きく空け、そこから周辺に向かって雷文という鍵型の重なった
模様を初めは細かく薄く、段々と大きく濃く、延々とびっしり埋めています。
気の遠くなるような作業によって、皿の中に独特の空間感覚が生まれます。
「色絵椿文皿」 江戸時代 18世紀

器の形を上手く使って描かれた椿は外にまで広がり、絵画的な大きな景色と
なっています。
(紅型)

紅型(びんがた)は琉球王朝時代は王族や貴族の着る高級な衣装で、
紺屋は保護され、士族の資格を持っていて、庶民は祭事や長寿の祝いなど
特別の時だけ、絣の着物などの裏地に小紋を染めた物を着ることを
許されていたそうです。
「遠山霞に網干桜橘松笹模様白地型紙」 琉球王国 19世紀

1月18日までの展示です。
こうぞ紙に柿渋を塗って固めた型紙を使うが、こうぞは沖縄には無いので、
紙は日本から輸入したそうです。
「黄色地牡丹蝶鳥に桐桜模様裂地」 琉球王国 19世紀

1月18日までの展示です。
「染分地桜波連山模様裂地」 琉球王国 19世紀

1月18日までの展示です。
赤や緑が鮮やかで、波の間の山々に桜や松をあしらっています。
(江戸・明治の浮世絵)
「東海道五拾三次之内 沼津 黄昏圖」 歌川広重 江戸時代 天保4年(1833)頃

1月18日までの展示です。
月の出の頃、狩野川沿いの街道を旅人が行く、抒情的な雰囲気の景色です。
讃岐の金毘羅大権現に納める天狗の面を担いだ参詣者も見えます。
「横浜港崎廓岩亀楼異人遊興之図」 歌川芳員・員重 江戸時代 文久元年(1861)


日米修好通商条約により横浜港が安政6年(1859)に開港し、外国人の滞在が
始まります。
しかし、これに反発した攘夷派の志士たちにより文久元年に高輪の東禅寺にあった
イギリス公使館が襲撃され、死傷者を出しています。
「高輪牛町朧月景」 小林清親 明治12年(1879)

新橋横浜間の鉄道が明治5年(1872)に開通し、蒸気機関車(陸蒸気)が走りました。
高輪の辺りは浅瀬に盛り土をして鉄道を通していて、機関車の煙突は火を吐き、
客車の窓の明かりが海面に映っています。
文明開化の象徴、電信柱も描き込まれています。
「隅田川夜」 小林清親 明治14年(1881)

川辺にたたずむ男女のシルエットが浮かび、川面には人家の明かりが映っています。
小林清親(1847 -1915〉は下級幕臣の出身で、鳥羽伏見の戦いや上野戦争にも
参加しています。
後に河鍋暁斎や柴田是真に絵を学び、明治の東京を叙情的な浮世絵に描いて、
最後の浮世絵師と呼ばれるようになります。
特に、西洋画を取入れた、光と影を強調した「光線画」と呼ばれる絵によって、
人気を得ています。
(和ガラス)

南蛮貿易で栄えた長崎に西洋のガラスの技術が伝わり、長崎ビードロなど
ガラス作りが始まります。
「藍色ちろり」 江戸時代 18世紀

取っ手をねじらせた面白いデザインの酒器です。
「緑色葡萄唐草文鉢」 江戸時代 18世紀
「紫色菊唐草文鉢」 江戸時代 18世紀
「青色菊形向付」 江戸時代 18世紀

柔らかな趣きのガラス器です。
薩摩切子 「藍色被船形鉢」 江戸時代 19世紀中頃

薩摩切子は幕末の一時期に島津藩によって興されたガラス製品です。
透明ガラスに色ガラスを貼り付ける被せ(きせ)ガラスの技法を発達させています。
輸出用や幕府や大名への贈答用に製作されました。
(エミール・ガレ)
エミール・ガレ(1846-1904)はフランス、ナンシーの陶磁器・ガラス器の製造販売会社の
経営者の子に生まれ、1877年に経営を任されています。
1878年のパリ万国博覧会に月光色ガラスと呼ばれる淡青色のガラス器を出展し、
評判を得ています。
花器「バッタ」 1878年頃


涼やかに青味がかった、透明な器です。
植物や虫を題材にするガレの特徴がすでに表れています。
昼顔型花器「蛾」 1900年

1900年のパリ万博の出品作です。
昼顔の花にムラサキシタバ(左」)とホウジャク(右)という蛾を留まらせています。
花器「木立」 1900年

木々を重ねて奥行きを見せ、化合物を入れてさび色を出すパチネという技法で、
幹の色を出しています。
ランプ「ひとよ茸」 1902年頃

成熟すると一晩で溶けてしまうという、ひとよ茸をデザインしています。
高さ1m近い大きなランプですが、妖しい命の揺らめきを見せています。
脚付杯 「蜻蛉」 1903-04年

白血病で死期の迫ったガレが親戚や友人たちに贈った品です。
大きくうねって器に貼り付いたトンボはガレ自身の姿のようにも見えます。
動植物のモチーフが写実を超えて、ガレの内面まで表現していることが
よく分かります。
サントリー美術館の所蔵する名品の揃った、見応えのある展覧会です。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」です。
会期は2021年4月14日(水)から6月27日(日)までです。
blogを始めて14年経ちました。
今年は展覧会の多くが中止や延期になってしまいました。
それでもblogを読んでくださった方、コメントや拍手、いいねなどを
していただいた方、励みになりました。
どうも有難うございます。
来年も今の緊張感を保ちながら、少しずつblogを書いていきたいと
思いますので、よろしくお願いいたします。
1日も早く状況が改善され、皆様にとって良い年になるよう願っています。
有楽町・日比谷
有楽町のDNタワー21にある第一生命保険本社1階ロビーでは、「TOKYO☆VOCA」展が
開かれています。
会期は12月30日(水)まで、入場は無料です。
場所は千代田区有楽町1-13-1 です。

VOCA展は全国の学芸員、ジャーナリスト、研究者などに、40歳以下の
若手作家を推薦してもらい、その作家が平面作品の新作を出品する
というもので、VOCAとは、"THE VISION OF CONTEMPORARY ART"のことです。
毎年春に上野の森美術館で展覧会を開いており、第一生命は1994年の創設以来、
支援を続けています。
ロビーには今までの受賞者の中から、21名の受賞作や近作が展示されています。
青木恵美子(2017 VOCA佳作賞・大原美術館賞) 「密やかなお願い」 2010年

色彩の持つ力で訴えています。
(参考)
青木恵美子 「見知らぬ果ての」 2017 VOCA佳作賞・大原美術館賞

石田徹也 上「捜索」 下「前線」 2001VOCA奨励賞


人物はどれも諦めたような虚ろな目をしていて、観ていて痛々しいほどの疎外感に
あふれています。
作者は2005年に31歳で亡くなっています。
大小島真木(2014VOCA奨励賞) 上 「木と石の発芽、火を運ぶ鳥と渡り蝶」 2018年
下 「海の血」 2018年


太平洋を旅した時に見た、鯨の亡骸を鳥や魚、鮫が食べている様から想を得ています。
(参考)
大小島真木 「遺伝子 / Gene」 2014VOCA奨励賞


幸田千依(2017 VOCA賞) 「たよりの灯り」 2018年

渋谷の夕景色が淡く輝いています。
(参考)
幸田千依 「二つの眼を主語にして」 2017VOCA賞

鈴木星亜(2012 VOCA賞) 「絵は私の身体を通して世界を見る19_13」 2019年

風景が再構成されています。
(参考)
鈴木星亜 「絵が見る世界11_03」 2012VOCA賞

平子雄一 「Lost in Thought」 2013VOCA奨励賞

人間と植物が葛藤を繰り広げています。
「VOCA展2020」の記事です。
展覧会の開かれている第一生命保険本社ビルは日比谷濠沿いにあり、日本の敗戦後、
連合国最高司令官総司令部(GHQ)も使用し、マッカーサー元帥と昭和天皇が最初に
会見した場所でもあります。
現在は隣接する農林中央金庫有楽町ビルとともに一部が取り壊され、DNタワー21に
なっています。
出光美術館の隣でもあります。

chariot
有楽町のDNタワー21にある第一生命保険本社1階ロビーでは、「TOKYO☆VOCA」展が
開かれています。
会期は12月30日(水)まで、入場は無料です。
場所は千代田区有楽町1-13-1 です。

VOCA展は全国の学芸員、ジャーナリスト、研究者などに、40歳以下の
若手作家を推薦してもらい、その作家が平面作品の新作を出品する
というもので、VOCAとは、"THE VISION OF CONTEMPORARY ART"のことです。
毎年春に上野の森美術館で展覧会を開いており、第一生命は1994年の創設以来、
支援を続けています。
ロビーには今までの受賞者の中から、21名の受賞作や近作が展示されています。
青木恵美子(2017 VOCA佳作賞・大原美術館賞) 「密やかなお願い」 2010年

色彩の持つ力で訴えています。
(参考)
青木恵美子 「見知らぬ果ての」 2017 VOCA佳作賞・大原美術館賞

石田徹也 上「捜索」 下「前線」 2001VOCA奨励賞


人物はどれも諦めたような虚ろな目をしていて、観ていて痛々しいほどの疎外感に
あふれています。
作者は2005年に31歳で亡くなっています。
大小島真木(2014VOCA奨励賞) 上 「木と石の発芽、火を運ぶ鳥と渡り蝶」 2018年
下 「海の血」 2018年


太平洋を旅した時に見た、鯨の亡骸を鳥や魚、鮫が食べている様から想を得ています。
(参考)
大小島真木 「遺伝子 / Gene」 2014VOCA奨励賞


幸田千依(2017 VOCA賞) 「たよりの灯り」 2018年

渋谷の夕景色が淡く輝いています。
(参考)
幸田千依 「二つの眼を主語にして」 2017VOCA賞

鈴木星亜(2012 VOCA賞) 「絵は私の身体を通して世界を見る19_13」 2019年

風景が再構成されています。
(参考)
鈴木星亜 「絵が見る世界11_03」 2012VOCA賞

平子雄一 「Lost in Thought」 2013VOCA奨励賞

人間と植物が葛藤を繰り広げています。
「VOCA展2020」の記事です。
展覧会の開かれている第一生命保険本社ビルは日比谷濠沿いにあり、日本の敗戦後、
連合国最高司令官総司令部(GHQ)も使用し、マッカーサー元帥と昭和天皇が最初に
会見した場所でもあります。
現在は隣接する農林中央金庫有楽町ビルとともに一部が取り壊され、DNタワー21に
なっています。
出光美術館の隣でもあります。

三越前
日本橋三越本店本館6階美術特選画廊では12月28日(月)まで、
「英英紅緑 第45回 白日会会員選抜展」が開かれています。
約60名の作家の作品が展示即売されています。
山本大貴さんと伊勢田理沙さんの作品は抽選になっています。
伊勢田理沙 「ひだまり」 6号

伊勢田さん得意の猫の絵で、窓の外の景色を眺めています。
山本大貴 「湖畔」 6号
クラシックな雰囲気の女性の横顔です。
手嶌かよ 「Hope」 6号

手嶌さんの作品はちょっと濃厚でレトロな趣きがありますが、この絵は細密な写実です。
中谷晃 「桃と百合」 10号

中谷さんの絵は明るく透明感のある色彩で、装飾的です。
原太一 「ドライブ」 4号

原さんの題材はニューヨークなどの街の中に兎のいる状景です。
chariot
日本橋三越本店本館6階美術特選画廊では12月28日(月)まで、
「英英紅緑 第45回 白日会会員選抜展」が開かれています。
約60名の作家の作品が展示即売されています。
山本大貴さんと伊勢田理沙さんの作品は抽選になっています。
伊勢田理沙 「ひだまり」 6号

伊勢田さん得意の猫の絵で、窓の外の景色を眺めています。
山本大貴 「湖畔」 6号
クラシックな雰囲気の女性の横顔です。
手嶌かよ 「Hope」 6号

手嶌さんの作品はちょっと濃厚でレトロな趣きがありますが、この絵は細密な写実です。
中谷晃 「桃と百合」 10号

中谷さんの絵は明るく透明感のある色彩で、装飾的です。
原太一 「ドライブ」 4号

原さんの題材はニューヨークなどの街の中に兎のいる状景です。
イエスの生涯
イエスの生涯を描いた絵画を集めてみました。
「受胎告知」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1472年 - 1475年頃 ウフィツィ美術館


東京造形大学によるヴァーチャル復元です。
レオナルドの実質的なデビュー作とされています。
横217㎝の大作で、その後、壁画を除いてはこれ以上大きな作品を描いていません。
レオナルドの好んだ三角形(この絵の場合は台形)を基本にした、安定した画面です。
レオナルドが研究した空気遠近法がもう使われています。
「受胎告知」 サンドロ・ボッティチェリ 1481年 フレスコ ウフィツィ美術館


横555cmの大作で、フレスコ画特有の淡い色調で、大天使ガブリエルがマリアに
受胎告知する場面が描かれています。
大きな画面を遠近法を効かせて4つに区切り、手前左のガブリエルは白い百合を持って
宙に浮き、右のマリアに呼びかけ、マリアは胸に手を当て、その言葉を聴いています。
目を伏せたマリアの表情は、運命を受け入れる敬虔な心を表しています。
「受胎告知」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1563-65年頃 サン・サルヴァドール聖堂蔵

新約聖書のルカによる福音書に書かれた、受胎告知の場面です。
縦410㎝の巨大な画面で、重厚な色彩で、マリアと受胎を告げる大天使ガブリエル、
空には天使たちと精霊を表す鳩が描かれています。
ガブリエルは画面手前にあって、マリアに迫る勢いで、マリアは奥にあって
身を引いて驚いています。
天からの光の中で、天使たちは湧き上がるように現れ、音楽が聞こえて来そうです。
ヴァザーリの「芸術家列伝」によれば、ミケランジェロはティツィアーノに会い、
その作品を見た時は称賛したものの、後でヴァザーリに、ティツィアーノの
色彩は優れているが、デッサンと画面構成に難があると批評しています。
しかし、このバロックを思わせる、躍動的な作品を観ると、その批評が
当たっているようには思えません。
「プリウレの窓辺の受胎告知」 モーリス・ドニ 1916年

プリウレとは修道院という意味で、ドニが購入し、生涯住んだ建物に付けた名です。
聖母は長女ノエル、2人の少年は長男ジャン=ドミニクがモデルです。
大天使が司祭の姿をしているのは、ドニがカトリックを現代に生きるものと考えていた
表れとのことです。
壁紙はバラの模様、窓の外の木も花を付けた春の情景です。
窓の外の景色も薔薇色に華やいでいます。
「東方三博士の礼拝」 タペストリー 1894年(原画1888年)
マンチェスター・メトロポリタン大学

縦258cmの大きく豪華なタペストリーで、制作はモリスの設立したモリス商会です。
マタイによる福音書の一場面で、人物の姿は彫像彫刻のように威厳があり、
ゴシックのステンドグラスを観るようです。
天使の掲げているのは、イエスの誕生を知らせるベツレヘムの星です。
マリアを象徴する白百合などの草花はとても華やかです。
地面と花のデザインはジョン・ヘンリー・ダールです。
「ラーマ家の東方三博士の礼拝」 サンドロ・ボッティチェリ
1475-76年頃 テンペラ ウフィツィ美術館


大きな作品で、マリアを頂点にした三角形の奥行きのある構図です。
幼子イエスを礼拝している人物が、メディチ家のフィレンツェ支配を確立した
コジモ・デ・メディチで、画面にはメディチ家の人物が何人も描き込まれています。
右端に描かれているのはボッティチェリの若い自画像で、自信ありげな顔をしています。
若さと勢いの感じられる作品です。
ラーマ家はフィレンツェの支配者、メディチ家と関係の深かった家です。
「東方三博士の礼拝」 ディエゴ・ベラスケス 1619年 プラド美術館

ベラスケスがフェリペ4世の宮廷付きの画家となる前の作品で、カラヴァッジョの
影響を受けて、光を強調しています。
左下から右上に向かう構図で、ひざまずいている博士はベラスケス自身、
イエスは生まれたばかりの長女フランシスカ、聖母は妻のファナ、ひげの博士は
岳父のフランシスコ・パチェーコがモデルと言われています。
テオドール・シャセリオー 「東方三博士の礼拝」 1856年 プティ・パレ美術館

シャセリオーの亡くなった年の作品で、聖母には最後の恋人だったモルダヴィア公国の
マリー・カンタキュゼーヌ公女の面影があるともいわれています。
年齢の違う三博士には動きがあり、暗い背景の中の衣服やターバン、白馬の白が
際立っています。
「エジプト逃避」 渡辺禎雄 型染版画 1962年

マタイによる福音書に書かれた、ヘロデ王が幼子イエスを探し出して
殺そうとしているのでエジプトに逃げよと天使から伝えられて、
聖家族がエジプトに逃れている場面です。
伝統的な描き方に従ってロバに乗った姿のマリアは不安げな面持ちです。
「両親の家のキリスト(大工の仕事場)」
ジョン・エヴァレット・ミレー 1849-50年

ジョン・エヴァレット・ミレーはラファエル前派の画家です。
大工のヨセフの家のキリストを描いていますが、まったくの俗世界の出来事の
ように描かれているとして、強い非難を受けています。
子供のイエスは手から血を流し、足にも血が垂れていて、磔を暗示しています。
マリアは嘆き、毛皮を着けたヨハネは洗礼を象徴する水を持ってきています。
「マルタとマリアの家のキリスト」 ヨハネス・フェルメール
1654-1655年頃 スコットランド・ナショナル・ギャラリー

ルカによる福音書にある話で、マルタとマリアの姉妹はイエスを家に迎え入れますが、
もてなしのため忙しく立ち働くマルタに対して、マリアはイエスの足許で、
イエスの語る言葉に聴き入ります。
マルタはそれを咎めますが、イエスはマリアの行ないが正しいとします。
「マグダラのマリア」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1567年

福音書では、マグダラのマリアは香油の壷を持ってイエスの墓を訪れ、
中にイエスの遺体の無いことを発見した女性として書かれています。
その後、カトリックでは福音書に出てくる他のマリアや女性たちと
マグダラのマリアを同一人物としています。
そのため、絵画では、罪深い女で、涙を流して改悛し、イエスに高価な
香油を塗って髪で拭った女として描かれています。
この絵でもマリアは、長い巻き毛、涙、香油壷、瞑想や改悛を表す頭蓋骨や
本と一緒に描かれるという賑やかさです。
衣装の縞柄は被差別者を表しているとのことです。
「聖言に守られし者」 渡辺禎雄 1971年

ヨハネによる福音書によれば、死んで4日経ったラザロはイエスの言葉により
墓から現れ、復活しています。
覆っていた布を左右で切りほどいているのはラザロの姉妹のマリアとマルタです。
後ろに十字架が描かれていて、ラザロ個人だけでなく、人類の事件として
表されています。
「サマリヤの井戸」 渡辺禎雄 1979年

ヨハネによる福音書に書かれた出来事で、井戸から水を汲んでいるサマリヤ人の女に
イエスは声を掛け、水を飲ませてくれるように頼んでいます。
ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪かったので、声を掛けられた女は驚いています。
イエスの教えがユダヤの民族宗教を超えて、世界宗教であるキリスト教に
なっていくことを表すお話しの一つです。
「放蕩息子の帰還(部分)」 グエルチーノ
1627-28年頃 ローマ、ボルゲーゼ美術館

ルカによる福音書にある、家を出て放浪していた息子が帰ってきたのを
父親が優しく迎えるという話です。
新しい服を与えられ、着替えているところで、青、赤、白の服の色が鮮やかです。
ご主人の帰還を喜んで、飼い犬が飛び付いています。
「よき羊飼い」 渡辺禎雄 1977年

羊飼いがひざまずいて羊を抱き抱えている絵です。
よき羊飼いの譬えはヨハネによる福音書に、99匹の羊を置いて
1匹の羊を探した羊飼いの話はルカによる福音書に載っています。
「子どもたちを祝福するキリスト」 ルーカス・クラーナハ(父または子?)
1540年頃 台北、奇美博物館

マルコ福音書にある話で、子どもたちを祝福してもらおうとイエスのいる所にやって来た
母親たちを弟子たちが叱りつけたところ、イエスは子どもたちを自分の許に来させるよう、
弟子たちを諭しています。、
ルーカス・クラーナハ(父または子?)の作品で、わらわらと子どもや赤ちゃんが集まり、
イエスの髪を掴んでいる子までいます。
当時、再洗礼派が幼児洗礼を無効としていたのに対し、ルターは真の信仰心の模範としての
子どもの役割を認め、幼児洗礼を擁護していたため、この作品もルター派のプロパガンダの
一つとして描かれたと思われるということです。
「嵐の中で眠るキリスト」 ウジェーヌ・ドラクロワ 1853年 メトロポリタン美術館

マルコ、ルカ福音書の中の、イエスの一行がガリラヤ湖を渡っている時に嵐が起こり、
弟子たちが慌てふためく中でイエスは平然としていて、やがて嵐を鎮めた
という話です。
ドラクロワの師だったジェリコーの「メデューズ号の筏」を思わせる場面で、
荒れる水面の描写が活きています。
「病人たちを癒すキリスト」 レンブラント・ファン・レイン 1643-49年頃

百グルデン版画といわれるもので、当時百グルデンあれば油絵の小品が買えた
とのことなので、かなり高価な商品であることが分かります。
マタイによる福音書19章にある、病人を癒す、子供を祝福する、パリサイ人と
議論するの、3つの話を同時に描いているとのことです。
イエスを中心にした、光の中の劇的な群像表現です。
「聖晩餐」 渡辺禎雄 1990年

最後の晩餐の情景ですが、皆が床に座り、食卓には大きな鯛の尾頭付きが
置いてあって、日本の宴会風景のようです。
日本化されたキリストの物語といったところです。
「オリーブ園の祈り」 サンドロ・ボッティチェリ
1495-1500年頃 テンペラ グラナダ、王室礼拝堂

マタイ、マルコ、ルカ福音書によれば、最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山の
ゲッセマネの園で神に祈り、十字架の苦難を表す杯を天使から受け取っています。
弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネは眠り込んでしまっています。
象徴的に描かれた園が柵で仕切られているのは、神の領域を表しているのでしょうか。
1495年に印刷されたサヴォナローラの説教集の挿絵木版画の忠実な引用とのことです。
「聖ペテロの悔恨」 フランシスコ・デ・ゴヤ 1820-24年頃 フィリップス・コレクション

各福音書に記された、捕えられたイエスの弟子ではないかととがめられたペテロが、
三度もそれを否定し(ペテロの否認)、それを後悔している場面です。
三角形の構図で、ペテロは天を仰ぎ、手許にはペテロの象徴である、天国の鍵が
置かれています。
「エッケ・ホモ」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
1605年頃 ジェノヴァ、ストラーダ・ヌォヴァ美術館ビアンコ宮

ヨハネ福音書にある一場面で、裁判にかけられるイエスをローマ総督ポンテオ・ピラトが
「エッケ・ホモ(この人を見よ)」と言って群衆に指し示しています。
ピラトの顔は生々しく描かれ、ローマ総督というより、長老のような風貌です。
「聖衣剥奪」 エル・グレコ 1605年頃 オルガス、サント・トメ教区聖堂

マルコによる福音書に書かれた、磔刑を前に衣を剥ぎ取られるイエスです。
マリアたちや十字架の準備をする男も描かれています。
依頼主の聖堂とは、聖書には書かれていない3人のマリアや、イエスより
人びとの頭が高い位置にあることで揉めたそうです。
林立する槍は、後のベラスケスの「ブレダの開城」を思わせます。
「聖顔」 ジョルジュ・ルオー 1933年 ポンピドゥーセンター・パリ国立近代美術館

ゴルゴダの丘に曳き立てられて行くイエスに聖ヴェロニカがヴェールを差し出し、
イエスが顔を拭ったところ、そのヴェールにイエスの顔が映ったという逸話に
基いています。
額縁の様な枠の中に描かれた茨冠を被ったイエスは、棘の傷のため顔は血で赤く
染まり、大きく眼を見開いてこちらを見ています。
「ヴェロニカ」 ジョルジュ・ルオー 1945年頃 ポンピドゥーセンター・パリ国立近代美術館

青色に囲まれ、十字を付けた布を被り、静かで優しい表情を浮かべています。
「アハシュエロス(永遠のユダヤ人)」 1886年
ヴィンタートゥール、オスカー・ラインハルト美術館アム・シュタットガルテン

初期の作品で、あるユダヤ人が十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうイエスに
休息の場を求められたのを拒絶したため、最後の審判の日まで世界を放浪する
罰を受けた、という中世の伝説が題材です。
彷徨える放浪者というよりは、巡礼している求道者か哲学者のように見えます。
しばしば旅をしていたオーストリア皇后エリザベートは「世界中を旅したい。
アハシュエロスも私に比べれば出不精のようなもの。」という言葉を遺しています。
「磔刑のキリストと画家」 フランシスコ・デ・スルバラン 1650年頃 プラド美術館

フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)はセビリアを中心に活躍した画家で、
カラヴァッジョに倣った明暗を強調した作風で知られ、画面はくっきりとして、
冷たいほどに静的です。
画面には十字架に掛けられたイエスと、パレットを手に見上げる自画像と思われる
画家のみが描かれ、深い精神性を感じさせます。
「キリスト復活 のための習作」 マルク・シャガール 油彩 1948年 岐阜県美術館

「レジスタンス」「復活」「解放」の3部作のうち、「復活」の習作です。
キリスト教の物語を描いていますが、イエスが腰に巻いているのはユダヤ教の礼拝用の
肩掛けで、左下の男はトーラー(ユダヤ教の律法の書)を持ち、ユダヤ教の燭台も
描かれています。
「キリスト降架」 リュカス・フォルステルマン
1620年 エングレーヴィング アントワープ王立美術館

ルーベンスの原画による銅版画で、原作と左右反転しています。
ルーベンスは版画製作にも熱心で、優れた版画家を監督して自作を
版画にしています。
原画はアントワープ大聖堂の祭壇画で、「フランダースの犬」のネロが
観たかった絵です。
対角線の構図によって、崩れ落ちようとするイエスの肉体を人々が
支えている劇的な光景にしています。
「死せるキリストへの哀悼」 サンドロ・ボッティチェッリ
テンペラ・板 1500年頃 ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館

十字架から下ろされたイエスを抱いて失神する聖母マリア、それを支える
福音書記者ヨセフ、茨の冠と釘を持つアリマタヤのヨセフ、髪を垂らして
イエスの足を抱くマグダラのマリアなどが描かれています。
人々が S字状にうねるようにつらなった激情的な場面ですが、
「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ」の華やいだ世界とは
かなり違った、硬く冷え冷えとした印象です。
「彼は蘇る・最初の復活祭」 アーサー・ヒューズ 1896年

マタイによる福音書の一場面です。
磔から3日目の日曜日に、マグダラのマリアともう一人のマリアが香油の壷を
持ってイエスを葬った墓に行くと、地震が起き、入り口の石はどかされ、
番兵たちは倒れます。
そこには雪のように白い衣を着た天使が居て、イエスはすでに復活したと
告げます。
目を惹くのは咲き乱れている花で、復活祭の行なわれる春を表しています。
明と暗の対照も際立ち、甘美な雰囲気の作品です。
「キリストと二人のマリア」 ウィリアム・ホルマン・ハント 1847年

キリストの磔刑の3日目にマグダラのマリアともう一人のマリアの前に
復活したイエスが現れたという、マタイによる福音書の一場面です。
丸い虹は光背のように輝き、青い空に紅く染まった雲が広がっています。
なぜかイエスの手と足の釘の傷は隠され、胸の槍の傷だけが見えています。
「エマオの晩餐」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
1606年 ミラノ、ブレラ絵画館

ルカによる福音書にある話で、復活したイエスがエマオへの道で2人の弟子の前に
現れますが、弟子たちはそれに気付かず、エマオに着いてから食事に招き、
そこでイエスがパンを裂いた時に初めてイエスだと分かります。
その瞬間を描いていますが、光に浮かび上がる人物は当時の庶民で、
その姿には汗と埃まで感じます。
極めて写実的な描写は光の効果とともに劇的な場面を造り上げています。
左上の空間には元は窓のような物と外の景色が描かれてあったのが、
後で塗りつぶされているそうです。
「聖母のもとに現れる復活したキリスト」 グエルチーノ 1628-30年 チェント市立絵画館

磔にされた後、復活したイエスが聖母マリアの前に現れたところを描いています。
聖書には書かれていない場面です。
イエスは復活による勝利を示す旗を持ち、マリアに体を寄せています。
chariot
イエスの生涯を描いた絵画を集めてみました。
「受胎告知」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1472年 - 1475年頃 ウフィツィ美術館


東京造形大学によるヴァーチャル復元です。
レオナルドの実質的なデビュー作とされています。
横217㎝の大作で、その後、壁画を除いてはこれ以上大きな作品を描いていません。
レオナルドの好んだ三角形(この絵の場合は台形)を基本にした、安定した画面です。
レオナルドが研究した空気遠近法がもう使われています。
「受胎告知」 サンドロ・ボッティチェリ 1481年 フレスコ ウフィツィ美術館


横555cmの大作で、フレスコ画特有の淡い色調で、大天使ガブリエルがマリアに
受胎告知する場面が描かれています。
大きな画面を遠近法を効かせて4つに区切り、手前左のガブリエルは白い百合を持って
宙に浮き、右のマリアに呼びかけ、マリアは胸に手を当て、その言葉を聴いています。
目を伏せたマリアの表情は、運命を受け入れる敬虔な心を表しています。
「受胎告知」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1563-65年頃 サン・サルヴァドール聖堂蔵

新約聖書のルカによる福音書に書かれた、受胎告知の場面です。
縦410㎝の巨大な画面で、重厚な色彩で、マリアと受胎を告げる大天使ガブリエル、
空には天使たちと精霊を表す鳩が描かれています。
ガブリエルは画面手前にあって、マリアに迫る勢いで、マリアは奥にあって
身を引いて驚いています。
天からの光の中で、天使たちは湧き上がるように現れ、音楽が聞こえて来そうです。
ヴァザーリの「芸術家列伝」によれば、ミケランジェロはティツィアーノに会い、
その作品を見た時は称賛したものの、後でヴァザーリに、ティツィアーノの
色彩は優れているが、デッサンと画面構成に難があると批評しています。
しかし、このバロックを思わせる、躍動的な作品を観ると、その批評が
当たっているようには思えません。
「プリウレの窓辺の受胎告知」 モーリス・ドニ 1916年

プリウレとは修道院という意味で、ドニが購入し、生涯住んだ建物に付けた名です。
聖母は長女ノエル、2人の少年は長男ジャン=ドミニクがモデルです。
大天使が司祭の姿をしているのは、ドニがカトリックを現代に生きるものと考えていた
表れとのことです。
壁紙はバラの模様、窓の外の木も花を付けた春の情景です。
窓の外の景色も薔薇色に華やいでいます。
「東方三博士の礼拝」 タペストリー 1894年(原画1888年)
マンチェスター・メトロポリタン大学

縦258cmの大きく豪華なタペストリーで、制作はモリスの設立したモリス商会です。
マタイによる福音書の一場面で、人物の姿は彫像彫刻のように威厳があり、
ゴシックのステンドグラスを観るようです。
天使の掲げているのは、イエスの誕生を知らせるベツレヘムの星です。
マリアを象徴する白百合などの草花はとても華やかです。
地面と花のデザインはジョン・ヘンリー・ダールです。
「ラーマ家の東方三博士の礼拝」 サンドロ・ボッティチェリ
1475-76年頃 テンペラ ウフィツィ美術館


大きな作品で、マリアを頂点にした三角形の奥行きのある構図です。
幼子イエスを礼拝している人物が、メディチ家のフィレンツェ支配を確立した
コジモ・デ・メディチで、画面にはメディチ家の人物が何人も描き込まれています。
右端に描かれているのはボッティチェリの若い自画像で、自信ありげな顔をしています。
若さと勢いの感じられる作品です。
ラーマ家はフィレンツェの支配者、メディチ家と関係の深かった家です。
「東方三博士の礼拝」 ディエゴ・ベラスケス 1619年 プラド美術館

ベラスケスがフェリペ4世の宮廷付きの画家となる前の作品で、カラヴァッジョの
影響を受けて、光を強調しています。
左下から右上に向かう構図で、ひざまずいている博士はベラスケス自身、
イエスは生まれたばかりの長女フランシスカ、聖母は妻のファナ、ひげの博士は
岳父のフランシスコ・パチェーコがモデルと言われています。
テオドール・シャセリオー 「東方三博士の礼拝」 1856年 プティ・パレ美術館

シャセリオーの亡くなった年の作品で、聖母には最後の恋人だったモルダヴィア公国の
マリー・カンタキュゼーヌ公女の面影があるともいわれています。
年齢の違う三博士には動きがあり、暗い背景の中の衣服やターバン、白馬の白が
際立っています。
「エジプト逃避」 渡辺禎雄 型染版画 1962年

マタイによる福音書に書かれた、ヘロデ王が幼子イエスを探し出して
殺そうとしているのでエジプトに逃げよと天使から伝えられて、
聖家族がエジプトに逃れている場面です。
伝統的な描き方に従ってロバに乗った姿のマリアは不安げな面持ちです。
「両親の家のキリスト(大工の仕事場)」
ジョン・エヴァレット・ミレー 1849-50年

ジョン・エヴァレット・ミレーはラファエル前派の画家です。
大工のヨセフの家のキリストを描いていますが、まったくの俗世界の出来事の
ように描かれているとして、強い非難を受けています。
子供のイエスは手から血を流し、足にも血が垂れていて、磔を暗示しています。
マリアは嘆き、毛皮を着けたヨハネは洗礼を象徴する水を持ってきています。
「マルタとマリアの家のキリスト」 ヨハネス・フェルメール
1654-1655年頃 スコットランド・ナショナル・ギャラリー

ルカによる福音書にある話で、マルタとマリアの姉妹はイエスを家に迎え入れますが、
もてなしのため忙しく立ち働くマルタに対して、マリアはイエスの足許で、
イエスの語る言葉に聴き入ります。
マルタはそれを咎めますが、イエスはマリアの行ないが正しいとします。
「マグダラのマリア」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1567年

福音書では、マグダラのマリアは香油の壷を持ってイエスの墓を訪れ、
中にイエスの遺体の無いことを発見した女性として書かれています。
その後、カトリックでは福音書に出てくる他のマリアや女性たちと
マグダラのマリアを同一人物としています。
そのため、絵画では、罪深い女で、涙を流して改悛し、イエスに高価な
香油を塗って髪で拭った女として描かれています。
この絵でもマリアは、長い巻き毛、涙、香油壷、瞑想や改悛を表す頭蓋骨や
本と一緒に描かれるという賑やかさです。
衣装の縞柄は被差別者を表しているとのことです。
「聖言に守られし者」 渡辺禎雄 1971年

ヨハネによる福音書によれば、死んで4日経ったラザロはイエスの言葉により
墓から現れ、復活しています。
覆っていた布を左右で切りほどいているのはラザロの姉妹のマリアとマルタです。
後ろに十字架が描かれていて、ラザロ個人だけでなく、人類の事件として
表されています。
「サマリヤの井戸」 渡辺禎雄 1979年

ヨハネによる福音書に書かれた出来事で、井戸から水を汲んでいるサマリヤ人の女に
イエスは声を掛け、水を飲ませてくれるように頼んでいます。
ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪かったので、声を掛けられた女は驚いています。
イエスの教えがユダヤの民族宗教を超えて、世界宗教であるキリスト教に
なっていくことを表すお話しの一つです。
「放蕩息子の帰還(部分)」 グエルチーノ
1627-28年頃 ローマ、ボルゲーゼ美術館

ルカによる福音書にある、家を出て放浪していた息子が帰ってきたのを
父親が優しく迎えるという話です。
新しい服を与えられ、着替えているところで、青、赤、白の服の色が鮮やかです。
ご主人の帰還を喜んで、飼い犬が飛び付いています。
「よき羊飼い」 渡辺禎雄 1977年

羊飼いがひざまずいて羊を抱き抱えている絵です。
よき羊飼いの譬えはヨハネによる福音書に、99匹の羊を置いて
1匹の羊を探した羊飼いの話はルカによる福音書に載っています。
「子どもたちを祝福するキリスト」 ルーカス・クラーナハ(父または子?)
1540年頃 台北、奇美博物館

マルコ福音書にある話で、子どもたちを祝福してもらおうとイエスのいる所にやって来た
母親たちを弟子たちが叱りつけたところ、イエスは子どもたちを自分の許に来させるよう、
弟子たちを諭しています。、
ルーカス・クラーナハ(父または子?)の作品で、わらわらと子どもや赤ちゃんが集まり、
イエスの髪を掴んでいる子までいます。
当時、再洗礼派が幼児洗礼を無効としていたのに対し、ルターは真の信仰心の模範としての
子どもの役割を認め、幼児洗礼を擁護していたため、この作品もルター派のプロパガンダの
一つとして描かれたと思われるということです。
「嵐の中で眠るキリスト」 ウジェーヌ・ドラクロワ 1853年 メトロポリタン美術館

マルコ、ルカ福音書の中の、イエスの一行がガリラヤ湖を渡っている時に嵐が起こり、
弟子たちが慌てふためく中でイエスは平然としていて、やがて嵐を鎮めた
という話です。
ドラクロワの師だったジェリコーの「メデューズ号の筏」を思わせる場面で、
荒れる水面の描写が活きています。
「病人たちを癒すキリスト」 レンブラント・ファン・レイン 1643-49年頃

百グルデン版画といわれるもので、当時百グルデンあれば油絵の小品が買えた
とのことなので、かなり高価な商品であることが分かります。
マタイによる福音書19章にある、病人を癒す、子供を祝福する、パリサイ人と
議論するの、3つの話を同時に描いているとのことです。
イエスを中心にした、光の中の劇的な群像表現です。
「聖晩餐」 渡辺禎雄 1990年

最後の晩餐の情景ですが、皆が床に座り、食卓には大きな鯛の尾頭付きが
置いてあって、日本の宴会風景のようです。
日本化されたキリストの物語といったところです。
「オリーブ園の祈り」 サンドロ・ボッティチェリ
1495-1500年頃 テンペラ グラナダ、王室礼拝堂

マタイ、マルコ、ルカ福音書によれば、最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山の
ゲッセマネの園で神に祈り、十字架の苦難を表す杯を天使から受け取っています。
弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネは眠り込んでしまっています。
象徴的に描かれた園が柵で仕切られているのは、神の領域を表しているのでしょうか。
1495年に印刷されたサヴォナローラの説教集の挿絵木版画の忠実な引用とのことです。
「聖ペテロの悔恨」 フランシスコ・デ・ゴヤ 1820-24年頃 フィリップス・コレクション

各福音書に記された、捕えられたイエスの弟子ではないかととがめられたペテロが、
三度もそれを否定し(ペテロの否認)、それを後悔している場面です。
三角形の構図で、ペテロは天を仰ぎ、手許にはペテロの象徴である、天国の鍵が
置かれています。
「エッケ・ホモ」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
1605年頃 ジェノヴァ、ストラーダ・ヌォヴァ美術館ビアンコ宮

ヨハネ福音書にある一場面で、裁判にかけられるイエスをローマ総督ポンテオ・ピラトが
「エッケ・ホモ(この人を見よ)」と言って群衆に指し示しています。
ピラトの顔は生々しく描かれ、ローマ総督というより、長老のような風貌です。
「聖衣剥奪」 エル・グレコ 1605年頃 オルガス、サント・トメ教区聖堂

マルコによる福音書に書かれた、磔刑を前に衣を剥ぎ取られるイエスです。
マリアたちや十字架の準備をする男も描かれています。
依頼主の聖堂とは、聖書には書かれていない3人のマリアや、イエスより
人びとの頭が高い位置にあることで揉めたそうです。
林立する槍は、後のベラスケスの「ブレダの開城」を思わせます。
「聖顔」 ジョルジュ・ルオー 1933年 ポンピドゥーセンター・パリ国立近代美術館

ゴルゴダの丘に曳き立てられて行くイエスに聖ヴェロニカがヴェールを差し出し、
イエスが顔を拭ったところ、そのヴェールにイエスの顔が映ったという逸話に
基いています。
額縁の様な枠の中に描かれた茨冠を被ったイエスは、棘の傷のため顔は血で赤く
染まり、大きく眼を見開いてこちらを見ています。
「ヴェロニカ」 ジョルジュ・ルオー 1945年頃 ポンピドゥーセンター・パリ国立近代美術館

青色に囲まれ、十字を付けた布を被り、静かで優しい表情を浮かべています。
「アハシュエロス(永遠のユダヤ人)」 1886年
ヴィンタートゥール、オスカー・ラインハルト美術館アム・シュタットガルテン

初期の作品で、あるユダヤ人が十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうイエスに
休息の場を求められたのを拒絶したため、最後の審判の日まで世界を放浪する
罰を受けた、という中世の伝説が題材です。
彷徨える放浪者というよりは、巡礼している求道者か哲学者のように見えます。
しばしば旅をしていたオーストリア皇后エリザベートは「世界中を旅したい。
アハシュエロスも私に比べれば出不精のようなもの。」という言葉を遺しています。
「磔刑のキリストと画家」 フランシスコ・デ・スルバラン 1650年頃 プラド美術館

フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)はセビリアを中心に活躍した画家で、
カラヴァッジョに倣った明暗を強調した作風で知られ、画面はくっきりとして、
冷たいほどに静的です。
画面には十字架に掛けられたイエスと、パレットを手に見上げる自画像と思われる
画家のみが描かれ、深い精神性を感じさせます。
「キリスト復活 のための習作」 マルク・シャガール 油彩 1948年 岐阜県美術館

「レジスタンス」「復活」「解放」の3部作のうち、「復活」の習作です。
キリスト教の物語を描いていますが、イエスが腰に巻いているのはユダヤ教の礼拝用の
肩掛けで、左下の男はトーラー(ユダヤ教の律法の書)を持ち、ユダヤ教の燭台も
描かれています。
「キリスト降架」 リュカス・フォルステルマン
1620年 エングレーヴィング アントワープ王立美術館

ルーベンスの原画による銅版画で、原作と左右反転しています。
ルーベンスは版画製作にも熱心で、優れた版画家を監督して自作を
版画にしています。
原画はアントワープ大聖堂の祭壇画で、「フランダースの犬」のネロが
観たかった絵です。
対角線の構図によって、崩れ落ちようとするイエスの肉体を人々が
支えている劇的な光景にしています。
「死せるキリストへの哀悼」 サンドロ・ボッティチェッリ
テンペラ・板 1500年頃 ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館

十字架から下ろされたイエスを抱いて失神する聖母マリア、それを支える
福音書記者ヨセフ、茨の冠と釘を持つアリマタヤのヨセフ、髪を垂らして
イエスの足を抱くマグダラのマリアなどが描かれています。
人々が S字状にうねるようにつらなった激情的な場面ですが、
「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ」の華やいだ世界とは
かなり違った、硬く冷え冷えとした印象です。
「彼は蘇る・最初の復活祭」 アーサー・ヒューズ 1896年

マタイによる福音書の一場面です。
磔から3日目の日曜日に、マグダラのマリアともう一人のマリアが香油の壷を
持ってイエスを葬った墓に行くと、地震が起き、入り口の石はどかされ、
番兵たちは倒れます。
そこには雪のように白い衣を着た天使が居て、イエスはすでに復活したと
告げます。
目を惹くのは咲き乱れている花で、復活祭の行なわれる春を表しています。
明と暗の対照も際立ち、甘美な雰囲気の作品です。
「キリストと二人のマリア」 ウィリアム・ホルマン・ハント 1847年

キリストの磔刑の3日目にマグダラのマリアともう一人のマリアの前に
復活したイエスが現れたという、マタイによる福音書の一場面です。
丸い虹は光背のように輝き、青い空に紅く染まった雲が広がっています。
なぜかイエスの手と足の釘の傷は隠され、胸の槍の傷だけが見えています。
「エマオの晩餐」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
1606年 ミラノ、ブレラ絵画館

ルカによる福音書にある話で、復活したイエスがエマオへの道で2人の弟子の前に
現れますが、弟子たちはそれに気付かず、エマオに着いてから食事に招き、
そこでイエスがパンを裂いた時に初めてイエスだと分かります。
その瞬間を描いていますが、光に浮かび上がる人物は当時の庶民で、
その姿には汗と埃まで感じます。
極めて写実的な描写は光の効果とともに劇的な場面を造り上げています。
左上の空間には元は窓のような物と外の景色が描かれてあったのが、
後で塗りつぶされているそうです。
「聖母のもとに現れる復活したキリスト」 グエルチーノ 1628-30年 チェント市立絵画館

磔にされた後、復活したイエスが聖母マリアの前に現れたところを描いています。
聖書には書かれていない場面です。
イエスは復活による勝利を示す旗を持ち、マリアに体を寄せています。
聖母子・聖家族
宗教画の中でも特に多い、聖母子・聖家族を描いた作品を集めてみました。
「聖母子(フリッツォーニの聖母)」 ジョヴァンニ・ベッリーニ
テンペラ、カンヴァス 1470年頃 ヴェネツィア、コッレ―ル美術館

テンペラ画で、やや固めの、くっきりとした描線を使って明快に描かれています。
色彩は透明で、青と赤にまとめられていて、ルネサンスの明晰さを感じる作品です。
手すりの向こうに人物を置く構図はベッリーニが広めたそうです。
ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430頃-1516)は初期のヴェネツィア派の代表的な画家です。
「聖母子(赤い智天使の聖母)」 ジョヴァンニ・ベッリーニ
1485-90年 ヴェネツィア、アカデミア美術館

風景を背にした聖母子を明るい色彩で優しく描き出しています。
マリアの顔に差す光や影の表現も巧みです。
智天使(ケルヴィム)は旧約聖書によれば4つの顔と4つの顔を持つ天使ですが、
ルネサンス期には赤子の顔と翼で表されているそうです。
「聖母子と二人の天使、洗礼者聖ヨハネ」 サンドロ・ボッティチェリ 1468年頃
テンペラ・板 フィレンツェ、アカデミア美術館

ヴェロッキオの聖母子像とよく似ています。
ボッティチェリはフィリッポ・リッピに弟子入りした後、ヴェロッキオの工房でも
学んでいます。
天使たちや洗礼者聖ヨハネは初々しく、マリアの着ている青いマントは
フリルが付いてお洒落です。
「聖母子と二人の天使」 サンドロ・ボッティチェリ 1468-1469年頃
テンペラ、油彩・板 ストラスブール美術館

こちらは屋外の情景で、花瓶や木、マリアの純潔を表す
白百合なども描かれています。
「ケルビムを伴う聖母子」 サンドロ・ボッティチェリ 1470年頃
テンペラ・板 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

ケルビムは4つの顔と翼を持つ天使とされています。
イエスの顔は大きく、正面からこちらを見ています。
額には金貨を表す金色の丸が並べられていて、両替商組合の本部のための
作品と考えられています。
額の下の部分には AVE MARIA GRATIA PLENA と、ラテン語の祈祷文が
書かれています。
ボッティチェリの描く幼子イエスは、同時代のピントリッキオ(1454-1513)の
描く聖母子像のイエスがまことに可愛らしいのとは、少し趣きが違います。
「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」サンドロ・ボッティチェリ 1477-1480年頃
テンペラ・板 ピアチェンツァ市立博物館

のどかな景色の中のバラ園でマリアと洗礼者ヨハネが幼子イエスを礼拝しています。
イエスは目を見開いてマリアを見上げ、ヨハネは優しくイエスを見下ろしています。
色彩も明るく、のびやかな情景です。
「聖母子(書物の聖母)」 サンドロ・ボッティチェリ
1482-83年頃 テンペラ ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館

とてもていねいに描かれた作品で、幼子イエスを見る聖母マリアの表情は優しく、
聖母子の肌はつややかに耀き、マリアの外衣の青色は深く澄んでいます。
本の開かれたページに書かれているのは、旧約聖書のイザヤ書の一節です。
イザヤ書はイエス・キリストを予言した書とも言われています。
後ろの陶器はマヨルカ焼で、盛ってあるのはサクランボ、プラム、イチジクです。
金箔やラピスラズリなど高価な材料を使っていることから、特別な注文によるものと
考えられるそうです。
「聖母子、洗礼者ヨハネと天使」 サンドロ・ボッティチェルリとその弟子たち
1488年頃 テンペラ ボルゲーゼ美術館

聖母マリアや天使たちの衣装には金襴が施され、天使たちはそれぞれ豪華な
衣装を着け、花飾りを被ったりして、少女漫画のような甘美さがあります。
後ろに飾ってある、聖母マリアを象徴するバラは、「ヴィーナスの誕生」で
撒かれているバラを思わせます。
「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」 サンドロ・ボッティチェリ
1505年頃 油彩 パラティーナ美術館

聖母マリアから幼子イエスをヨハネが受け取ろうとしていますが、マリアもイエスも
目をつむって憂いを含み、イエスの十字架降架やピエタを暗示しています。
ボッティチェリの後期の作品からは明るさが消え、憂愁に満ちたものになっています。
「聖母子」 フィリッポ・リッピ
1436年頃 テンペラ ヴィツェンツァ市民銀行

貝殻のような装飾の付いた壁龕を背景にして、荘厳さを表しています。
「幼児キリストを礼拝する聖母」 フィリッピーノ・リッピ
1478年頃 テンペラ ウフィツィ美術館

フィリッピーノ・リッピ(1457-1504)はフィリッポ・リッピの子で、ボッティチェリの弟子です。
ボッティチェリの工房に入った数年後の作品で、ボッティチェリの聖母子像と
よく似ています。
背景が綿密に描かれていて、北方フランドル絵画の影響があるとのことです。
「階段の聖母」 ミケランジェロ・ブオナローティ
大理石 1490年頃 カーサ・ブオナローティ

15歳前後の作とされる浮彫りで、階段のような物を彫り込むことで
奥行きを感じさせています。
聖母の憂いを含んだ繊細な表情が彫り出され、衣服の表現も立体的で、
ミケランジェロが早くからすぐれた彫刻の才能の持ち主だったことが
わかります。
「幼児洗礼者ヨハネと聖母子」 バルトロメオ・ピントリッキオ
1490年代 シエナ国立絵画館

とても優しい雰囲気の作品で、イエスはクッションの上に座って、受難の象徴である
ザクロを持っています。
ピントリッキオ(1454-1513)はペルージャ出身で、繊細優美な作風が特徴です。
初期のラファエロはピントリッキオの工房とも協力していたと考えられています。
「聖母子と聖ヒエロニムス」 バルトロメオ・ピントリッキオ
テンペラ、板 1500年頃 ベルリン美術館

聖ヒエロニムスはラテン語訳聖書のヴルガータ聖書の翻訳者とされていて、
聖母子もヒエロニムスも聖書を持ち、イエスは何か書き入れています。
ヒエロニムスは、粗末な衣を着て、荒野でライオンを従えて瞑想している姿で
描かれることが多いのですが、ここではカトリックの枢機卿の豪華な衣装を着ています。
イエスもお洒落なボンネットを被っています。
聖母子はつつましやかな表情で、静かな雰囲気の作品です。
「聖母子と幼い洗礼者ヨハネ」 ピントリッキオの工房
テンペラ・板 1490-1510年 ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館

截金のような細かい金の装飾を施した、ピントリッキオらしい繊細で
優美な作品で、幼子イエスは可愛い赤いサンダルを履いています。
右側の背景には「エジプトへの逃避」の場面が描かれています。
「糸巻きの聖母」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
1501年頃 バクルー・リビング・ヘリテージ・トラスト

幼子イエスは地層の現れた岩に座り、糸を巻き付ける道具である、かせとり棒を
手にして、それを見つめています。
かせとり棒は十字架を暗示しています。
イエスは体をひねって、旋回しながら上に向かう動きを見せ、マリアの右手は
「岩窟の聖母」の左手と同じく、こちらを向く形で描かれています。
二人の肌は、レオナルドが開発したとされる、スフマートの技法によって、
柔らかくぼかして表現されています。
左奥には元々、イエスを歩行器に入れようとしているヨセフたちが描かれていたのが、
後で塗りつぶされています。
手の動き、表情など、「モナ・リザ」や「岩窟の聖母」と同じく、何か謎めいた雰囲気の
ある作品です。
「聖家族と仔羊」 ラファエロ・サンツィオ 1507年 マドリード、プラド美術館

小品で、ヨセフ、マリア、幼子イエス、仔羊を描いています。
聖母子と仔羊をともに描くことはレオナルドが始めたそうです。
たしかに、左右反転させると、レオナルドの「聖アンナと聖母子」に
よく似た構図になります。
ラファエロはいろいろとレオナルドから吸収したようです。
「大公の聖母」 ラファエロ・サンツィオ 1505-1506年頃 フィレンツェ、パラティーナ美術館

ラファエロといえば聖母子像ですが、その中の一点です。
トスカーナ大公、フェルディナンド3世(1769-1824)の愛蔵品であった
ことからこの名が付いています。
フェルディナンド3世はイタリアに侵攻したナポレオン軍から逃れる時も
この絵を携えて行ったそうです。
最近の調査で背景の黒は後に塗られたもので、当初は風景や建物が
描かれていたことが分かっています。
背景の部分の傷みが激しくなってきたために黒く塗ったようです。
しかし、背景を黒くすることで色調もまとまり、聖母子の姿がくっきりと
浮かび上がって、魅力のある作品になっています。
「玉座の聖母子と聖ヒエロニムス、聖アウグスティヌス」
ピエトロ・ヴァンヌッチ、通称ペルジーノ/ジョヴァンニ・バティスタ・カポラーリ、
通称ピッティ(工房)/エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョ
1500‒1510 年頃 ボルドー美術館

横217㎝の大きな作品で、左の赤い服はラテン語訳聖書のヴルガータ聖書の
翻訳者とされる聖ヒエロニムスです。
右は古代キリスト教の神学者、聖アウグスティヌスです。
ボルドー美術館は、フランス革命戦争で各国から集めた美術品をフランス各地に
分配するために1801年に設立された美術館です。
この絵も1797年のナポレオンのイタリア遠征による戦利品です。
「聖家族と洗礼者聖ヨハネ」 ベルナルディーノ・ルイーニ
油彩、ポプラの板 1526-30年頃 ミラノ、アンブロジアーナ図書館・絵画館

ベルナルディーノ・ルイーニ(1480/82頃-1532)はレオナルドの影響を強く
受けた画家で、ともに仕事をしたこともあるとのことです。
この作品ではレオナルドの「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」をそのまま借りて、
右側に聖ヨセフを加えています。
「エジプト逃避途上の休息と聖ユスティナ」 ロレンツォ・ロット 1529-30年 エルミタージュ美術館

ベネツィア派のロレンツォ・ロットの作品で、エジプトに逃避する聖家族に、
剣で刺されて殉教した聖ユスティナを組み合わせています。
色彩は明るく、普通は脇役的な聖ヨセフは赤い衣服の動きのある姿です。
聖ユスティナが剣を胸に刺したまま礼拝しているという、大らかな描きぶりです。
「林檎の木の下の聖母子」 ルーカス・クラーナハ 1530年頃 エルミタージュ美術館

イエスの持つ林檎は人間の原罪とキリストによる救済、パンはキリストの体を象徴しています。
たわわに実ったリンゴの下で長い金髪を波打たせた聖母マリアは、地母神のようにも見えます。
「聖母子と聖パウロ」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1540年頃 ブダペスト国立西洋美術館

ティツィアーノらしい、なめらかな筆遣いと色彩です。
パウロは新約聖書の執筆者の一人であり、斬首されて殉教したと伝えられているので、
持ち物(アトリビュート)は書物や剣です。
ローマの軍装をして描かれていますが、実際のパウロはユダヤ人のテント職人と
されています。
パウロの顔には個性があるので、この絵の注文主がモデルではないかとのことです。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「聖母子(アルベルティーニの聖母)」
1560年頃 ヴェネツィア、アカデミア美術館

ヴェネツィア・ルネサンスを代表する画家、ティツィアーノの晩年の作品で、
霞のようなぼかした画面が特徴です。
見つめ合う聖母子の間には自然な情愛が感じられます。
「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」 パオロ・ヴェロネーゼ
1562-65年 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

聖バルバラは3世紀に小アジアのニコメディアで殉教したとされる女性で、
棕櫚はバルバラの持ち物の一つです。
衣装やバルバラの髪は金色に輝き、全体の色調も統一され、気品に満ちた
作品になっています。
パオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)は色遣いが抜群で、ティントレットと共に
ルネサンス後期のヴェネツィアを代表する画家です。
「聖家族と聖フランチェスコ、寄進者たち」 ルドヴィコ・カラッチ
1591年 チェント市立絵画館

チェントの教会の祭壇画です。
大きな作品で、見上げるような高い位置に光を浴びた聖母子が居ます。
画面下の人物は絵の寄進者と親族です。
聖フランチェスコ(1182?-1226)はフランシスコ会の創始者で、ジヨットの
「小鳥への説教」でも有名な聖者です。
聖母子は体を傾けてフランチェスコを見下ろしていて、動きのある、
崇高さの感じられる作品です。
「聖母子と雀」 グエルチーノ 1615-16年頃 ボローニャ国立絵画館

イエスの受難の象徴としてヒワがよく描かれますが、こちらは雀ということです。
聖母子はルドヴィコ・カラッチの「聖家族と聖フランチェスコ、寄進者たち」とよく似ています。
カラバッジョ風の、明暗の対照の強い作品ですが、聖母子には後光が描かれて
いないので、宗教画ではない、おだやかな母子像に見えます。
「東方三博士の礼拝」 ディエゴ・ベラスケス 1619年 プラド美術館

ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)はセビリアの出身で、フェリペ4世の宮廷付きの
画家となっています。
宮廷入りする前の作品で、カラヴァッジョの影響を受けて、光を強調しています。
左下から右上に向かう構図で、ひざまずいている博士はベラスケス自身、
イエスは生まれたばかりの長女フランシスカ、聖母は妻のファナ、ひげの博士は
岳父のフランシスコ・パチェーコがモデルと言われています。
「聖アンナのいる聖家族」 ペーテル・パウル・ルーベンス 1630年頃 プラド美術館

ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1660)はフランドルを中心に活動していましたが、
ベラスケスと同じくスペイン王室に重用され、ベラスケスとも親交がありました。
ほぼ同世代のカラヴァッジョに倣った、明暗を強調した画面で、聖母子を明るく
浮き上がらせ、バロック絵画の特徴を見せています。
「聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ」 ルーベンス(工房)
1615-1618年頃 フィレンツェ、パラティーナ美術館

聖エリサベツは洗礼者ヨハネの母で、年老いてから神によってヨハネを
授かったので、老女として描かれています。
ルーベンスらしく、マリアの姿もとてもふくよかです。
「聖家族」、または「指物師の家族」 レンブラント・ファン・レイン 1640年 ルーヴル美術館

小品で、聖母子とヨセフ、マリアの母アンナの形を取って、当時のオランダの庶民生活の
情景を描いています。
窓からの光が室内を照らし、幼子イエスを輝かせています。
「ロザリオの聖母」 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 1650-55年 プラド美術館

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682)はセビリアで活躍した画家で、
聖母像や可愛い幼子を描いた作品で有名です。
まだ、もやのかかったような柔らかな描き方をする前の時期の作品で、
聖母マリアがドメニコ修道会の創始者聖ドメニコにロザリオを与えたという伝承に
基いています。
縦166㎝の大きな作品で、ロザリオを手にこちらを見つめる聖母子のみを描いています。
端正な佇まいで、赤の衣服と青のマントの色合いにも品があり、気高さを感じます。
「小鳥のいる聖家族」 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 1650年頃 プラド美術館

受難の象徴である小鳥をつかんで遊ぶ幼子イエスと、支えるヨセフ、
それを見つめるマリアです。
初期の作品で、後期のもやがかかったような描き方ではありません。
イエスの顔を中心に十字の線で巧みに構成されています。
ヨセフは従来の宗教画だと、老人の姿で聖母子の添え物のように描かれて
いたのですが、こちらのヨセフは存在感のある父親となっています。
これは、対抗宗教改革の時代、父親としてのヨセフへの信仰が高まった
ことによるものだそうです。
ヨセフを若く表すことで、より家庭的な雰囲気が生まれています。
「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 1668-70年頃

聖ヨセフと聖母マリア、幼子イエスと幼い洗礼者聖ヨハネを描いています。
幼い二人が小さな十字架を作って遊んでいますが、これはイエスの運命を
暗示しています。
実際には、大工仕事に忙しい父、遊びに夢中の子供たち、縫い物をしながら
見守る母という、庶民の家庭風景に見えます。
おぼろげなタッチで、子供たちはとても可愛く、見守るマリアの顔は優しく、
愛らしい光景です。
「聖ガエタヌスに現れる聖家族」 ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ
1735- 1736 ヴェネツィア・アッカデミア美術館蔵

ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696- 1770)はヴェネツィア派の画家です。
ヨセフが幼子イエスを支えている、珍しい図柄です。
「聖家族」 ポンペオ・ジローラモ・バトーニ 1777年 エルミタージュ美術館

ポンペオ・ジローラモ・バトーニ(1708-1787)はローマの画家です。
すっきりした描き方で、白くかがやく聖母子を中心に、ヨセフ、マリアの母アンナ、
洗礼者ヨハネに羊、それに天使まで安定した一つの画面にまとめられています。
「母と子どもたち」 アルベルト・ヌウハウス ハーグ市立美術館

赤ちゃんをあやす母親と後ろから覗き込んでいる姉です。
オランダ絵画は宗教改革の後は世俗画中心になりますが、この絵からは
聖母子と洗礼者ヨハネを思い出します。
「家族」 メアリー・カサット 1893年 クライスラー美術館

聖母子と聖ヨハネ像に倣ったような構成で、女の子は聖ヨハネの持つ
十字架の杖の代わりにカーネーションを手にしています。
メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカ人で、ヨーロッパで古典絵画の模写を
続けた後、ドガの勧めで印象派に加わっており、古典の素養を身に付けています。
メアリー・カサットの作品は人物の視線が活きているのが特徴です。
「朝食、フィリッポ・リッピ風に」 モーリス・ドニ 1898年

ルネサンスの画家、フィリッポ・リッピの優美で静かな聖母子像に倣った作品です。
色彩もフレスコ画風にあっさりとしています。
ドニは若い頃は古典絵画をしっかり学んでいます。
「聖母月」 モーリス・ドニ 1907年 ヤマザキマザック美術館

聖母月とは5月のことで、ヨーロッパ古代のお祭りのメイポールとカトリックの
聖母子への信仰が習合した行事とのことです。
白い花の咲く木の下に座す聖母子の許へ白いヴェールの女性たちが集まっています。
みずみずしい色彩の象徴的な情景です。
女の子たちの着けている青いリボンはフランス風でおしゃれです。
レオナール・フジタ 「授乳の聖母」 1964年 ランス美術館

「授乳の聖母」はキリスト教絵画の画題ですが、聖母子と一緒に、ライオン、狼、
それに珍奇な動物のカンガルーやコアラの親子が描かれています。
マリアが手にしているのはゴシキヒワの巣で、膝元のアザミとともにキリストの受難の
象徴とされています。
聖母子も動物も母子ということでは同じというのは、西洋とは異なる発想のように思います。
聖母子像はルネッサンス期と、プロテスタントに対する対抗宗教改革の盛んだった
バロック期のものが多いことが分かります。
chariot
宗教画の中でも特に多い、聖母子・聖家族を描いた作品を集めてみました。
「聖母子(フリッツォーニの聖母)」 ジョヴァンニ・ベッリーニ
テンペラ、カンヴァス 1470年頃 ヴェネツィア、コッレ―ル美術館

テンペラ画で、やや固めの、くっきりとした描線を使って明快に描かれています。
色彩は透明で、青と赤にまとめられていて、ルネサンスの明晰さを感じる作品です。
手すりの向こうに人物を置く構図はベッリーニが広めたそうです。
ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430頃-1516)は初期のヴェネツィア派の代表的な画家です。
「聖母子(赤い智天使の聖母)」 ジョヴァンニ・ベッリーニ
1485-90年 ヴェネツィア、アカデミア美術館

風景を背にした聖母子を明るい色彩で優しく描き出しています。
マリアの顔に差す光や影の表現も巧みです。
智天使(ケルヴィム)は旧約聖書によれば4つの顔と4つの顔を持つ天使ですが、
ルネサンス期には赤子の顔と翼で表されているそうです。
「聖母子と二人の天使、洗礼者聖ヨハネ」 サンドロ・ボッティチェリ 1468年頃
テンペラ・板 フィレンツェ、アカデミア美術館

ヴェロッキオの聖母子像とよく似ています。
ボッティチェリはフィリッポ・リッピに弟子入りした後、ヴェロッキオの工房でも
学んでいます。
天使たちや洗礼者聖ヨハネは初々しく、マリアの着ている青いマントは
フリルが付いてお洒落です。
「聖母子と二人の天使」 サンドロ・ボッティチェリ 1468-1469年頃
テンペラ、油彩・板 ストラスブール美術館

こちらは屋外の情景で、花瓶や木、マリアの純潔を表す
白百合なども描かれています。
「ケルビムを伴う聖母子」 サンドロ・ボッティチェリ 1470年頃
テンペラ・板 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

ケルビムは4つの顔と翼を持つ天使とされています。
イエスの顔は大きく、正面からこちらを見ています。
額には金貨を表す金色の丸が並べられていて、両替商組合の本部のための
作品と考えられています。
額の下の部分には AVE MARIA GRATIA PLENA と、ラテン語の祈祷文が
書かれています。
ボッティチェリの描く幼子イエスは、同時代のピントリッキオ(1454-1513)の
描く聖母子像のイエスがまことに可愛らしいのとは、少し趣きが違います。
「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」サンドロ・ボッティチェリ 1477-1480年頃
テンペラ・板 ピアチェンツァ市立博物館

のどかな景色の中のバラ園でマリアと洗礼者ヨハネが幼子イエスを礼拝しています。
イエスは目を見開いてマリアを見上げ、ヨハネは優しくイエスを見下ろしています。
色彩も明るく、のびやかな情景です。
「聖母子(書物の聖母)」 サンドロ・ボッティチェリ
1482-83年頃 テンペラ ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館

とてもていねいに描かれた作品で、幼子イエスを見る聖母マリアの表情は優しく、
聖母子の肌はつややかに耀き、マリアの外衣の青色は深く澄んでいます。
本の開かれたページに書かれているのは、旧約聖書のイザヤ書の一節です。
イザヤ書はイエス・キリストを予言した書とも言われています。
後ろの陶器はマヨルカ焼で、盛ってあるのはサクランボ、プラム、イチジクです。
金箔やラピスラズリなど高価な材料を使っていることから、特別な注文によるものと
考えられるそうです。
「聖母子、洗礼者ヨハネと天使」 サンドロ・ボッティチェルリとその弟子たち
1488年頃 テンペラ ボルゲーゼ美術館

聖母マリアや天使たちの衣装には金襴が施され、天使たちはそれぞれ豪華な
衣装を着け、花飾りを被ったりして、少女漫画のような甘美さがあります。
後ろに飾ってある、聖母マリアを象徴するバラは、「ヴィーナスの誕生」で
撒かれているバラを思わせます。
「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」 サンドロ・ボッティチェリ
1505年頃 油彩 パラティーナ美術館

聖母マリアから幼子イエスをヨハネが受け取ろうとしていますが、マリアもイエスも
目をつむって憂いを含み、イエスの十字架降架やピエタを暗示しています。
ボッティチェリの後期の作品からは明るさが消え、憂愁に満ちたものになっています。
「聖母子」 フィリッポ・リッピ
1436年頃 テンペラ ヴィツェンツァ市民銀行

貝殻のような装飾の付いた壁龕を背景にして、荘厳さを表しています。
「幼児キリストを礼拝する聖母」 フィリッピーノ・リッピ
1478年頃 テンペラ ウフィツィ美術館

フィリッピーノ・リッピ(1457-1504)はフィリッポ・リッピの子で、ボッティチェリの弟子です。
ボッティチェリの工房に入った数年後の作品で、ボッティチェリの聖母子像と
よく似ています。
背景が綿密に描かれていて、北方フランドル絵画の影響があるとのことです。
「階段の聖母」 ミケランジェロ・ブオナローティ
大理石 1490年頃 カーサ・ブオナローティ

15歳前後の作とされる浮彫りで、階段のような物を彫り込むことで
奥行きを感じさせています。
聖母の憂いを含んだ繊細な表情が彫り出され、衣服の表現も立体的で、
ミケランジェロが早くからすぐれた彫刻の才能の持ち主だったことが
わかります。
「幼児洗礼者ヨハネと聖母子」 バルトロメオ・ピントリッキオ
1490年代 シエナ国立絵画館

とても優しい雰囲気の作品で、イエスはクッションの上に座って、受難の象徴である
ザクロを持っています。
ピントリッキオ(1454-1513)はペルージャ出身で、繊細優美な作風が特徴です。
初期のラファエロはピントリッキオの工房とも協力していたと考えられています。
「聖母子と聖ヒエロニムス」 バルトロメオ・ピントリッキオ
テンペラ、板 1500年頃 ベルリン美術館

聖ヒエロニムスはラテン語訳聖書のヴルガータ聖書の翻訳者とされていて、
聖母子もヒエロニムスも聖書を持ち、イエスは何か書き入れています。
ヒエロニムスは、粗末な衣を着て、荒野でライオンを従えて瞑想している姿で
描かれることが多いのですが、ここではカトリックの枢機卿の豪華な衣装を着ています。
イエスもお洒落なボンネットを被っています。
聖母子はつつましやかな表情で、静かな雰囲気の作品です。
「聖母子と幼い洗礼者ヨハネ」 ピントリッキオの工房
テンペラ・板 1490-1510年 ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館

截金のような細かい金の装飾を施した、ピントリッキオらしい繊細で
優美な作品で、幼子イエスは可愛い赤いサンダルを履いています。
右側の背景には「エジプトへの逃避」の場面が描かれています。
「糸巻きの聖母」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
1501年頃 バクルー・リビング・ヘリテージ・トラスト

幼子イエスは地層の現れた岩に座り、糸を巻き付ける道具である、かせとり棒を
手にして、それを見つめています。
かせとり棒は十字架を暗示しています。
イエスは体をひねって、旋回しながら上に向かう動きを見せ、マリアの右手は
「岩窟の聖母」の左手と同じく、こちらを向く形で描かれています。
二人の肌は、レオナルドが開発したとされる、スフマートの技法によって、
柔らかくぼかして表現されています。
左奥には元々、イエスを歩行器に入れようとしているヨセフたちが描かれていたのが、
後で塗りつぶされています。
手の動き、表情など、「モナ・リザ」や「岩窟の聖母」と同じく、何か謎めいた雰囲気の
ある作品です。
「聖家族と仔羊」 ラファエロ・サンツィオ 1507年 マドリード、プラド美術館

小品で、ヨセフ、マリア、幼子イエス、仔羊を描いています。
聖母子と仔羊をともに描くことはレオナルドが始めたそうです。
たしかに、左右反転させると、レオナルドの「聖アンナと聖母子」に
よく似た構図になります。
ラファエロはいろいろとレオナルドから吸収したようです。
「大公の聖母」 ラファエロ・サンツィオ 1505-1506年頃 フィレンツェ、パラティーナ美術館

ラファエロといえば聖母子像ですが、その中の一点です。
トスカーナ大公、フェルディナンド3世(1769-1824)の愛蔵品であった
ことからこの名が付いています。
フェルディナンド3世はイタリアに侵攻したナポレオン軍から逃れる時も
この絵を携えて行ったそうです。
最近の調査で背景の黒は後に塗られたもので、当初は風景や建物が
描かれていたことが分かっています。
背景の部分の傷みが激しくなってきたために黒く塗ったようです。
しかし、背景を黒くすることで色調もまとまり、聖母子の姿がくっきりと
浮かび上がって、魅力のある作品になっています。
「玉座の聖母子と聖ヒエロニムス、聖アウグスティヌス」
ピエトロ・ヴァンヌッチ、通称ペルジーノ/ジョヴァンニ・バティスタ・カポラーリ、
通称ピッティ(工房)/エウセビオ・ダ・サン・ジョルジョ
1500‒1510 年頃 ボルドー美術館

横217㎝の大きな作品で、左の赤い服はラテン語訳聖書のヴルガータ聖書の
翻訳者とされる聖ヒエロニムスです。
右は古代キリスト教の神学者、聖アウグスティヌスです。
ボルドー美術館は、フランス革命戦争で各国から集めた美術品をフランス各地に
分配するために1801年に設立された美術館です。
この絵も1797年のナポレオンのイタリア遠征による戦利品です。
「聖家族と洗礼者聖ヨハネ」 ベルナルディーノ・ルイーニ
油彩、ポプラの板 1526-30年頃 ミラノ、アンブロジアーナ図書館・絵画館

ベルナルディーノ・ルイーニ(1480/82頃-1532)はレオナルドの影響を強く
受けた画家で、ともに仕事をしたこともあるとのことです。
この作品ではレオナルドの「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」をそのまま借りて、
右側に聖ヨセフを加えています。
「エジプト逃避途上の休息と聖ユスティナ」 ロレンツォ・ロット 1529-30年 エルミタージュ美術館

ベネツィア派のロレンツォ・ロットの作品で、エジプトに逃避する聖家族に、
剣で刺されて殉教した聖ユスティナを組み合わせています。
色彩は明るく、普通は脇役的な聖ヨセフは赤い衣服の動きのある姿です。
聖ユスティナが剣を胸に刺したまま礼拝しているという、大らかな描きぶりです。
「林檎の木の下の聖母子」 ルーカス・クラーナハ 1530年頃 エルミタージュ美術館

イエスの持つ林檎は人間の原罪とキリストによる救済、パンはキリストの体を象徴しています。
たわわに実ったリンゴの下で長い金髪を波打たせた聖母マリアは、地母神のようにも見えます。
「聖母子と聖パウロ」 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1540年頃 ブダペスト国立西洋美術館

ティツィアーノらしい、なめらかな筆遣いと色彩です。
パウロは新約聖書の執筆者の一人であり、斬首されて殉教したと伝えられているので、
持ち物(アトリビュート)は書物や剣です。
ローマの軍装をして描かれていますが、実際のパウロはユダヤ人のテント職人と
されています。
パウロの顔には個性があるので、この絵の注文主がモデルではないかとのことです。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「聖母子(アルベルティーニの聖母)」
1560年頃 ヴェネツィア、アカデミア美術館

ヴェネツィア・ルネサンスを代表する画家、ティツィアーノの晩年の作品で、
霞のようなぼかした画面が特徴です。
見つめ合う聖母子の間には自然な情愛が感じられます。
「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」 パオロ・ヴェロネーゼ
1562-65年 フィレンツェ、ウフィツィ美術館

聖バルバラは3世紀に小アジアのニコメディアで殉教したとされる女性で、
棕櫚はバルバラの持ち物の一つです。
衣装やバルバラの髪は金色に輝き、全体の色調も統一され、気品に満ちた
作品になっています。
パオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)は色遣いが抜群で、ティントレットと共に
ルネサンス後期のヴェネツィアを代表する画家です。
「聖家族と聖フランチェスコ、寄進者たち」 ルドヴィコ・カラッチ
1591年 チェント市立絵画館

チェントの教会の祭壇画です。
大きな作品で、見上げるような高い位置に光を浴びた聖母子が居ます。
画面下の人物は絵の寄進者と親族です。
聖フランチェスコ(1182?-1226)はフランシスコ会の創始者で、ジヨットの
「小鳥への説教」でも有名な聖者です。
聖母子は体を傾けてフランチェスコを見下ろしていて、動きのある、
崇高さの感じられる作品です。
「聖母子と雀」 グエルチーノ 1615-16年頃 ボローニャ国立絵画館

イエスの受難の象徴としてヒワがよく描かれますが、こちらは雀ということです。
聖母子はルドヴィコ・カラッチの「聖家族と聖フランチェスコ、寄進者たち」とよく似ています。
カラバッジョ風の、明暗の対照の強い作品ですが、聖母子には後光が描かれて
いないので、宗教画ではない、おだやかな母子像に見えます。
「東方三博士の礼拝」 ディエゴ・ベラスケス 1619年 プラド美術館

ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)はセビリアの出身で、フェリペ4世の宮廷付きの
画家となっています。
宮廷入りする前の作品で、カラヴァッジョの影響を受けて、光を強調しています。
左下から右上に向かう構図で、ひざまずいている博士はベラスケス自身、
イエスは生まれたばかりの長女フランシスカ、聖母は妻のファナ、ひげの博士は
岳父のフランシスコ・パチェーコがモデルと言われています。
「聖アンナのいる聖家族」 ペーテル・パウル・ルーベンス 1630年頃 プラド美術館

ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1660)はフランドルを中心に活動していましたが、
ベラスケスと同じくスペイン王室に重用され、ベラスケスとも親交がありました。
ほぼ同世代のカラヴァッジョに倣った、明暗を強調した画面で、聖母子を明るく
浮き上がらせ、バロック絵画の特徴を見せています。
「聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ」 ルーベンス(工房)
1615-1618年頃 フィレンツェ、パラティーナ美術館

聖エリサベツは洗礼者ヨハネの母で、年老いてから神によってヨハネを
授かったので、老女として描かれています。
ルーベンスらしく、マリアの姿もとてもふくよかです。
「聖家族」、または「指物師の家族」 レンブラント・ファン・レイン 1640年 ルーヴル美術館

小品で、聖母子とヨセフ、マリアの母アンナの形を取って、当時のオランダの庶民生活の
情景を描いています。
窓からの光が室内を照らし、幼子イエスを輝かせています。
「ロザリオの聖母」 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 1650-55年 プラド美術館

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682)はセビリアで活躍した画家で、
聖母像や可愛い幼子を描いた作品で有名です。
まだ、もやのかかったような柔らかな描き方をする前の時期の作品で、
聖母マリアがドメニコ修道会の創始者聖ドメニコにロザリオを与えたという伝承に
基いています。
縦166㎝の大きな作品で、ロザリオを手にこちらを見つめる聖母子のみを描いています。
端正な佇まいで、赤の衣服と青のマントの色合いにも品があり、気高さを感じます。
「小鳥のいる聖家族」 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 1650年頃 プラド美術館

受難の象徴である小鳥をつかんで遊ぶ幼子イエスと、支えるヨセフ、
それを見つめるマリアです。
初期の作品で、後期のもやがかかったような描き方ではありません。
イエスの顔を中心に十字の線で巧みに構成されています。
ヨセフは従来の宗教画だと、老人の姿で聖母子の添え物のように描かれて
いたのですが、こちらのヨセフは存在感のある父親となっています。
これは、対抗宗教改革の時代、父親としてのヨセフへの信仰が高まった
ことによるものだそうです。
ヨセフを若く表すことで、より家庭的な雰囲気が生まれています。
「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 1668-70年頃

聖ヨセフと聖母マリア、幼子イエスと幼い洗礼者聖ヨハネを描いています。
幼い二人が小さな十字架を作って遊んでいますが、これはイエスの運命を
暗示しています。
実際には、大工仕事に忙しい父、遊びに夢中の子供たち、縫い物をしながら
見守る母という、庶民の家庭風景に見えます。
おぼろげなタッチで、子供たちはとても可愛く、見守るマリアの顔は優しく、
愛らしい光景です。
「聖ガエタヌスに現れる聖家族」 ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ
1735- 1736 ヴェネツィア・アッカデミア美術館蔵

ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696- 1770)はヴェネツィア派の画家です。
ヨセフが幼子イエスを支えている、珍しい図柄です。
「聖家族」 ポンペオ・ジローラモ・バトーニ 1777年 エルミタージュ美術館

ポンペオ・ジローラモ・バトーニ(1708-1787)はローマの画家です。
すっきりした描き方で、白くかがやく聖母子を中心に、ヨセフ、マリアの母アンナ、
洗礼者ヨハネに羊、それに天使まで安定した一つの画面にまとめられています。
「母と子どもたち」 アルベルト・ヌウハウス ハーグ市立美術館

赤ちゃんをあやす母親と後ろから覗き込んでいる姉です。
オランダ絵画は宗教改革の後は世俗画中心になりますが、この絵からは
聖母子と洗礼者ヨハネを思い出します。
「家族」 メアリー・カサット 1893年 クライスラー美術館

聖母子と聖ヨハネ像に倣ったような構成で、女の子は聖ヨハネの持つ
十字架の杖の代わりにカーネーションを手にしています。
メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカ人で、ヨーロッパで古典絵画の模写を
続けた後、ドガの勧めで印象派に加わっており、古典の素養を身に付けています。
メアリー・カサットの作品は人物の視線が活きているのが特徴です。
「朝食、フィリッポ・リッピ風に」 モーリス・ドニ 1898年

ルネサンスの画家、フィリッポ・リッピの優美で静かな聖母子像に倣った作品です。
色彩もフレスコ画風にあっさりとしています。
ドニは若い頃は古典絵画をしっかり学んでいます。
「聖母月」 モーリス・ドニ 1907年 ヤマザキマザック美術館

聖母月とは5月のことで、ヨーロッパ古代のお祭りのメイポールとカトリックの
聖母子への信仰が習合した行事とのことです。
白い花の咲く木の下に座す聖母子の許へ白いヴェールの女性たちが集まっています。
みずみずしい色彩の象徴的な情景です。
女の子たちの着けている青いリボンはフランス風でおしゃれです。
レオナール・フジタ 「授乳の聖母」 1964年 ランス美術館

「授乳の聖母」はキリスト教絵画の画題ですが、聖母子と一緒に、ライオン、狼、
それに珍奇な動物のカンガルーやコアラの親子が描かれています。
マリアが手にしているのはゴシキヒワの巣で、膝元のアザミとともにキリストの受難の
象徴とされています。
聖母子も動物も母子ということでは同じというのは、西洋とは異なる発想のように思います。
聖母子像はルネッサンス期と、プロテスタントに対する対抗宗教改革の盛んだった
バロック期のものが多いことが分かります。
銀座一丁目
銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは「HAPPY HOLIDAY WISHES展 produced by
SERENDOUCE CRAFTS」が開かれています。
会期は12月27日(日)まで、会期中は無休、入場無料です。

ポーラの伝統工芸コーディネート事業から生まれたプロジェクト、SERENDOUCE CRAFTS
による展覧会で、6月に続いて2回目です。
「SERENDOUCE(セレンドゥース)」とは、「意外な新しい発見(Serendipity)」と
「心地よさ(Douce)」を組合わせた造語とのことで、日本の工芸品の魅力を
紹介しています。
有田焼、九谷焼、美濃焼、清水焼、益子焼、砥部焼、常滑焼、信楽焼、珠洲焼、
やちむんなどの焼物の他、江戸切子、津軽塗、高岡銅器など、数多くの工芸品が
展示販売されています。


有田焼

九谷焼

珠洲焼

江戸切子

生活の場を豊かにしてくれる、楽しい品々が揃った展示です。
展覧会のHPです。
chariot
銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは「HAPPY HOLIDAY WISHES展 produced by
SERENDOUCE CRAFTS」が開かれています。
会期は12月27日(日)まで、会期中は無休、入場無料です。

ポーラの伝統工芸コーディネート事業から生まれたプロジェクト、SERENDOUCE CRAFTS
による展覧会で、6月に続いて2回目です。
「SERENDOUCE(セレンドゥース)」とは、「意外な新しい発見(Serendipity)」と
「心地よさ(Douce)」を組合わせた造語とのことで、日本の工芸品の魅力を
紹介しています。
有田焼、九谷焼、美濃焼、清水焼、益子焼、砥部焼、常滑焼、信楽焼、珠洲焼、
やちむんなどの焼物の他、江戸切子、津軽塗、高岡銅器など、数多くの工芸品が
展示販売されています。


有田焼

九谷焼

珠洲焼

江戸切子

生活の場を豊かにしてくれる、楽しい品々が揃った展示です。
展覧会のHPです。
銀座
銀座和光本館6階の和光ホールでは、「アートで綴る 和光歳時記」展が開かれています。
会期は12月27日(日)まで、入場は無料です。

陶芸、漆芸、金工、ガラス、絵画、染色、木彫の12人の作家による季節や干支にちなんだ
作品が展示されています。
緒方洪章(絵画)

水彩画や細密なペン画、色鉛筆画などです。
緒方さんは蘭学者の尾形洪庵の5代目の孫に当たります。
小黒アリサ(木彫)

来年の干支の丑です。
小さくて丸っこく可愛い動物たちです。
小西潮(ガラス)

ヴェネチア独特の技術の繊細なレースグラスです。
鈴木祥太(金工)

精緻な細工で、本物の植物のようです。
かぐや姫が求婚者に持ってこさせた「蓬莱の玉の枝」もこんなだったでしょうか。
参考
「綿毛蒲公英」

2017年に三井記念美術館で開かれた「驚異の超絶技巧展」での展示です。
真鍮の細い線を束ねてタンポポの綿毛を作り出していて、金属で風を表現しています。
滝口和男(陶芸)

器や器物・動物など、楽しい造形です。
蓋物に唐草模様が入っています。
田村星都(陶芸)

九谷焼に極細の毛筆で和歌などが書かれています。
わたつみの浜の真砂をかぞへつつ君がちとせのありかずにせむ
春日野にわかなつみつつ萬代をいはふこころは神ぞしるらむ
共に古今集の賀歌です。
土居恭司(陶芸)

面象嵌という、色の違う土を線でなく面で象嵌する技法による温かみのある作品です。
冨川秋子(陶芸)

氷をモチーフにしているとのことで、すっきりと絞り込んだ造形です。
松崎森平(漆芸)

蒔絵や螺鈿を施した自然の景色です。
松崎さんは漆による絵画も制作されています。
参考
「東京」 蒔絵・漆パネル

現損保美術館で開かれた「FACE2019展」で入賞した時の展示です。
山崎葉(ガラス)

山梨県に工房があり、吹きガラスの技法で造られ、上絵付がされています。
吉岡更紗(染色)

植物由来の染料を使った植物染により、古来の自然な色が再現されています。
吉田るみこ(陶芸)

形も色彩も華やかで、アートな九谷焼です。
どの作品も品の良さと好ましさのある、和光らしい展示です。
展覧会のHPです。
【Read More】
chariot
銀座和光本館6階の和光ホールでは、「アートで綴る 和光歳時記」展が開かれています。
会期は12月27日(日)まで、入場は無料です。

陶芸、漆芸、金工、ガラス、絵画、染色、木彫の12人の作家による季節や干支にちなんだ
作品が展示されています。
緒方洪章(絵画)

水彩画や細密なペン画、色鉛筆画などです。
緒方さんは蘭学者の尾形洪庵の5代目の孫に当たります。
小黒アリサ(木彫)

来年の干支の丑です。
小さくて丸っこく可愛い動物たちです。
小西潮(ガラス)

ヴェネチア独特の技術の繊細なレースグラスです。
鈴木祥太(金工)

精緻な細工で、本物の植物のようです。
かぐや姫が求婚者に持ってこさせた「蓬莱の玉の枝」もこんなだったでしょうか。
参考
「綿毛蒲公英」

2017年に三井記念美術館で開かれた「驚異の超絶技巧展」での展示です。
真鍮の細い線を束ねてタンポポの綿毛を作り出していて、金属で風を表現しています。
滝口和男(陶芸)

器や器物・動物など、楽しい造形です。
蓋物に唐草模様が入っています。
田村星都(陶芸)

九谷焼に極細の毛筆で和歌などが書かれています。
わたつみの浜の真砂をかぞへつつ君がちとせのありかずにせむ
春日野にわかなつみつつ萬代をいはふこころは神ぞしるらむ
共に古今集の賀歌です。
土居恭司(陶芸)

面象嵌という、色の違う土を線でなく面で象嵌する技法による温かみのある作品です。
冨川秋子(陶芸)

氷をモチーフにしているとのことで、すっきりと絞り込んだ造形です。
松崎森平(漆芸)

蒔絵や螺鈿を施した自然の景色です。
松崎さんは漆による絵画も制作されています。
参考
「東京」 蒔絵・漆パネル

現損保美術館で開かれた「FACE2019展」で入賞した時の展示です。
山崎葉(ガラス)

山梨県に工房があり、吹きガラスの技法で造られ、上絵付がされています。
吉岡更紗(染色)

植物由来の染料を使った植物染により、古来の自然な色が再現されています。
吉田るみこ(陶芸)

形も色彩も華やかで、アートな九谷焼です。
どの作品も品の良さと好ましさのある、和光らしい展示です。
展覧会のHPです。
渋谷
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは「ベルナール・ビュフェ回顧展
私が生きた時代」が開かれています。
会期は2021年1月24日(日)までです。

静岡県にあるベルナール・ビュフェ美術館の所蔵するベルナール・ビュフェ
(1928~1999)の作品、約80点が展示されています。
ベルナール・ビュフェ美術館は1973年に個人により設立された美術館で、
世界一のビュフェコレクションで知られています。
ベルナール・ビュフェはパリ生まれで、事業家の父からは疎まれ、小学校では
勉強も運動も苦手で、孤立していたそうです。
「父と息子」 1945年
灰色の画面で、父親と小さな息子はうつろな目をしていて、寒々とした情景です。
「キリストの十字架からの降架」 1948年

大きな作品で、伝統的なキリスト教絵画の一場面ですが、人物は現代の服装を
しています。
釘抜と3本の釘に生々しさがあります。
水差しとボウルは、聖書の記述にある、この処刑に自分は関知しないと言って、
群衆の前で手を洗ったローマ総督ポンテオ・ピラトを表しているのでしょうか。
劇的な表現は無く、淡々とした描写なだけに、場面の悲劇性が強く伝わります。
ビュフェの特徴の輪郭線を使う描法が見られます。
「肉屋の男」 1949年

吊るされた牛の肉といえば、レンブラントも光に照らされた肉塊の存在感を
描いています。
こちらは、冷え冷えとした物として存在しています。
その虚しさのようなものが、隣に立つ人物にも映っています。
「風景」 1951年

人影も無い、荒涼とした風景です。
画像では明るく観えますが、実際には灰色がかって、寒々としています。
初期の作品からは、風景画に限らず、明るい太陽の光を感じることはありません。
構図は堅牢で、寒々しい景色にかえって魅力があります。
「ニューヨーク:ブロードウェイ」 1958年

アメリカを訪れ、ニューヨークの摩天楼に感銘を受けています。
ビュフェは縦の線をよく使いますが、高層ビルはそんな嗜好に合っていたのかも
しれません。
初期に比べ作風が変わり、描線が太く力強くなってきます。
「夜会服のアナベル」 1959年

1958年に結婚したアナベルの肖像です。
ビュフェの良き伴侶だったというアナベルは細長い手足をして、すっくとした姿で
立っています。
「カルメン」 1962年

アナベルをモデルにしたカルメンです。
「ピエロの顔」 1961年

ビュフェはサーカスやピエロをよく題材にしています。
ルオーもよく描いていますが、ルオーには寂しさがあったのに対して、ビュフェには
ふてぶてしさもあります。
色彩も強くなってきています。
「小さいミミズク」 1963年

小学校で孤独だったビュフェも絵は得意で、博物学の本に出ている動物を
よく描いたそうです。
「ガマ」 1964年
ギョロりとした目の巨大なガマがでんと座っていて、存在感一杯です。
「赤い花」 1964年

花はチューブから絵具を絞り出して盛り付けています。
「ベルネイ」 1975年
水辺の風景を古典的な写実の画風で描いています。
巧みな筆遣いですが、ビュフェと分からないような描き振りです。
「ペロス=ギレック」 1973年

こちらもやや写実的な描き振りです。
ペロス=ギレックはブルターニュ半島の海岸にある町で、絵の通り青い屋根に
白い壁の家が多い所です。
「ドン・キホーテ 鳥と洞穴」 1988年
大作のドン・キホーテシリーズの一つで、剣を振りかざすドン・キホーテの周りを
鳥たちが飛び交い、サンチョ・パンサも両手を広げて驚いています。
ちょっと大げさで、ダリのような雰囲気もあります。
ビュフェは早くから高い評価を受けた画家ですが、晩年はアルコール依存症と
パーキンソン病に苦しみ、最後は自殺を遂げています。
初期の冷え冷えとした作品から後期の太い輪郭線と強い色彩の作品まで揃って、
ビュフェの作風の変化を確認できる展覧会です。
展覧会のHPです。
chariot
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは「ベルナール・ビュフェ回顧展
私が生きた時代」が開かれています。
会期は2021年1月24日(日)までです。

静岡県にあるベルナール・ビュフェ美術館の所蔵するベルナール・ビュフェ
(1928~1999)の作品、約80点が展示されています。
ベルナール・ビュフェ美術館は1973年に個人により設立された美術館で、
世界一のビュフェコレクションで知られています。
ベルナール・ビュフェはパリ生まれで、事業家の父からは疎まれ、小学校では
勉強も運動も苦手で、孤立していたそうです。
「父と息子」 1945年
灰色の画面で、父親と小さな息子はうつろな目をしていて、寒々とした情景です。
「キリストの十字架からの降架」 1948年

大きな作品で、伝統的なキリスト教絵画の一場面ですが、人物は現代の服装を
しています。
釘抜と3本の釘に生々しさがあります。
水差しとボウルは、聖書の記述にある、この処刑に自分は関知しないと言って、
群衆の前で手を洗ったローマ総督ポンテオ・ピラトを表しているのでしょうか。
劇的な表現は無く、淡々とした描写なだけに、場面の悲劇性が強く伝わります。
ビュフェの特徴の輪郭線を使う描法が見られます。
「肉屋の男」 1949年

吊るされた牛の肉といえば、レンブラントも光に照らされた肉塊の存在感を
描いています。
こちらは、冷え冷えとした物として存在しています。
その虚しさのようなものが、隣に立つ人物にも映っています。
「風景」 1951年

人影も無い、荒涼とした風景です。
画像では明るく観えますが、実際には灰色がかって、寒々としています。
初期の作品からは、風景画に限らず、明るい太陽の光を感じることはありません。
構図は堅牢で、寒々しい景色にかえって魅力があります。
「ニューヨーク:ブロードウェイ」 1958年

アメリカを訪れ、ニューヨークの摩天楼に感銘を受けています。
ビュフェは縦の線をよく使いますが、高層ビルはそんな嗜好に合っていたのかも
しれません。
初期に比べ作風が変わり、描線が太く力強くなってきます。
「夜会服のアナベル」 1959年

1958年に結婚したアナベルの肖像です。
ビュフェの良き伴侶だったというアナベルは細長い手足をして、すっくとした姿で
立っています。
「カルメン」 1962年

アナベルをモデルにしたカルメンです。
「ピエロの顔」 1961年

ビュフェはサーカスやピエロをよく題材にしています。
ルオーもよく描いていますが、ルオーには寂しさがあったのに対して、ビュフェには
ふてぶてしさもあります。
色彩も強くなってきています。
「小さいミミズク」 1963年

小学校で孤独だったビュフェも絵は得意で、博物学の本に出ている動物を
よく描いたそうです。
「ガマ」 1964年
ギョロりとした目の巨大なガマがでんと座っていて、存在感一杯です。
「赤い花」 1964年

花はチューブから絵具を絞り出して盛り付けています。
「ベルネイ」 1975年
水辺の風景を古典的な写実の画風で描いています。
巧みな筆遣いですが、ビュフェと分からないような描き振りです。
「ペロス=ギレック」 1973年

こちらもやや写実的な描き振りです。
ペロス=ギレックはブルターニュ半島の海岸にある町で、絵の通り青い屋根に
白い壁の家が多い所です。
「ドン・キホーテ 鳥と洞穴」 1988年
大作のドン・キホーテシリーズの一つで、剣を振りかざすドン・キホーテの周りを
鳥たちが飛び交い、サンチョ・パンサも両手を広げて驚いています。
ちょっと大げさで、ダリのような雰囲気もあります。
ビュフェは早くから高い評価を受けた画家ですが、晩年はアルコール依存症と
パーキンソン病に苦しみ、最後は自殺を遂げています。
初期の冷え冷えとした作品から後期の太い輪郭線と強い色彩の作品まで揃って、
ビュフェの作風の変化を確認できる展覧会です。
展覧会のHPです。
日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「水―伊勢﨑淳・巖谷國士・桑原弘明・福田淳子―」展が
開かれています。
会期は12月28日(月)までです。
「水」を主題にした4人の作家の作品の展示です。
伊勢﨑淳
備前焼のオブジェが数点、展示されています。
「出口はこちら」 2019年

ずっしりとした質感があります。
巖谷國士
水の表面や水に映る景色の写真の展示です。
「新宿にて」

水のある場所の景色を切り取って、印象的な場面をつくっています。
桑原弘明
小さな箱を覗くと、水にちなんだ景色が見えます。
Scope「星ほどの近さで」 2020年


桑原さんの作品は2018年に同じ美術画廊Xで開かれた「メタルフェティッシュ
[金属造形]」展にも出展されていました。
「メタルフェティッシュ[金属造形]」展の記事です。
福田淳子
水中で鉱物の粒子を動かして現れる形を紙に写しています。
「Stardust」 2019年

ゆるやかな動きを感じます。
chariot
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「水―伊勢﨑淳・巖谷國士・桑原弘明・福田淳子―」展が
開かれています。
会期は12月28日(月)までです。
「水」を主題にした4人の作家の作品の展示です。
伊勢﨑淳
備前焼のオブジェが数点、展示されています。
「出口はこちら」 2019年

ずっしりとした質感があります。
巖谷國士
水の表面や水に映る景色の写真の展示です。
「新宿にて」

水のある場所の景色を切り取って、印象的な場面をつくっています。
桑原弘明
小さな箱を覗くと、水にちなんだ景色が見えます。
Scope「星ほどの近さで」 2020年


桑原さんの作品は2018年に同じ美術画廊Xで開かれた「メタルフェティッシュ
[金属造形]」展にも出展されていました。
「メタルフェティッシュ[金属造形]」展の記事です。
福田淳子
水中で鉱物の粒子を動かして現れる形を紙に写しています。
「Stardust」 2019年

ゆるやかな動きを感じます。