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ピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーン、フランス・ハルスの絵
オランダ風俗画
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先日、試験や勉強をテーマにした回にオランダの風俗画家、ヤン・ステーンの
「生徒にお仕置きをする教師」を載せました。
そこで今度は私の観た17世紀の3人のオランダの画家、ヤン・ステーン、
ピーテル・デ・ホーホ、フランス・ハルスの絵を集めてみました。

ヤン・ステーン 「生徒にお仕置きをする教師」 1663-65年頃 
 アイルランド、ナショナル・ギャラリー

フェ005

床に落ちている紙に汚い字が書いてあるところを見ると、この子はまじめにお習字を
しなかったようです。
横で女の子が、それ見たことかといった表情で笑っています。
オランダは商業が盛んだったので識字率も高く、子供たちもこういう所で読み書きを
習ったのでしょう。
ヤン・ステーン(1626-1679)はライデンやハールレムで活動した画家で、猥雑な
情景の風俗画で有名です。

ヤン・ステーン 「恋の病」 1660年頃 ニューヨーク、メトロポリタン美術館
フェルメール006

具合の悪そうな若い女性がアンカに片足を乗せ、医者が脈を診ています。
医者の服装は時代遅れの物だそうで、下卑た顔とともに藪医者であることを
表しています。

ヤン・ステーン 「親に倣って子も歌う」 1668-70年頃
 オランダ、マウリッツハイス美術館

マ013

大きな作品で、赤ん坊の洗礼式のお祝いの場面ということですが、質素で勤勉な
オランダ人とは思えない、飲めや歌えの大騒ぎになっています。
オウムは物真似、バグパイプは怠惰や放蕩の寓意で、日本の「親の背を見て子は育つ」と
同じ意味の格言を絵にしたものです。
子供にパイプを吸わせている男はステーンの自画像とのことで、これでは子供の将来が
思いやられます。
ワインのグラスを中心にした、登場人物の多い、猥雑でその分活気のある絵です。


ピーテル・デ・ホーホ 「中庭にいる女と子供」 1658-60年頃 
 ワシントン、ナショナル・ギャラリー

フェ010

中庭でのおだやかな家族のひとときです。
石段と石壁、扉、その奥にさらに石段、扉と続いて奥行きを深くし、空間に変化を
持たせています。
ピーテル・デ・ホーホ(1629-1684)はフェルメールと同じデルフトやアムステルダムで
活動した画家で、デルフト時代は透視図法を使って静謐な作品を描いています。
同じ風俗画でも、ヤン・ステーンと違って、静かな雰囲気に包まれています。

ピーテル・デ・ホーホ 「室内の女と子供」 1658年頃 アムステルダム国立美術館
フェ009

こちらも静かな室内の情景ですが、奥の部屋の二つの窓の見える複雑な構図です。
床のデルフトタイルの市松模様が透視図法の消失点が左側にあることを示しています。

ピーテル・デ・ホーホ 「デルフトの中庭」
 1658-1660年頃 オランダ、マウリッツハイス美術館

マ012

しんとしたおだやかな情景が特徴で、母子の姿もよく描いています。
煉瓦の床、石段、扉と続いて奥行きを深くしています。

ピーテル・デ・ホーホ 「女性と召使いのいる中庭」 
 1660-61年頃 ロンドン、ナショナル・ギャラリー

フェルメール005

中庭で召使いが大きな魚を料理していて、女主人が何か指示しています。
右の壁に取り付けられているのは井戸のポンプでしょうか。


フランス・ハルス 「笑う少年」 1625年頃 オランダ、マウリッツハイス美術館
マ006

フランス・ハルス(1581年/1585頃―1666)はオランダのハーレムで活動した画家で、
特に笑い顔の肖像画で有名です。
服の襟やもじゃもじゃの髪を勢いの良い筆捌きで描いていて、少年の活き活きとした
笑顔とよく合っています。
このような自由でのびのびした対象の捉え方はマネや印象派に影響を与えたようです。

フランス・ハルス 「ひだ襟をつけた男の肖像」 
 1625年 ニューヨーク、メトロポリタン美術館、

フェルメール013

画面に立体感があり、人物は活き活きとしています。


【2021/01/31 19:58】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「重野克明 新作銅版画展 ダダダ、」展 日本橋高島屋
日本橋
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日本橋高島屋美術画廊Xでは「重野克明 新作銅版画展 ダダダ、」展が
開かれています。
会期は2月8日(月)までです。

重野img554 (1)


重野克明さん(1975~)は千葉市出身で東京藝術大学を卒業し、
さまざまな技法を使って、銅版画を制作しています。

「行方」 エッチング、ドライポイント、エングレービング 2020年
パンフレットの表紙に載っている作品です。
猫を抱えた女の子が道に立っています。
雲も浮かんでいて、ルソーや松本竣介の自画像を思わせます。

「おみまい」 ドライポイント 2020年
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点滴をしている女の子の部屋にお見舞いに来たのは猫です。

「書き初め」 エッチング、ドライポイント、エングレービング 2020年
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書き初めは「喝」という、迫力のある字を選んでいます。

「40才」 メゾチント、エングレービング 2020年
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誕生日のケーキのロウソクの火を消していますが、ケーキを抱えています。

「歯痛」 ドライポイント 2020年
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よくある日常の出来事です。

重野さんの作品は何気ない日常のように見えて、何か不思議な感覚に捉われます。

2013年に同じ日本橋高島屋で開かれた「重野克明 版画の鬼と化す」展」には
「滝川クリステルとドライブ 2013」という、面白い題の作品もありました。

「重野克明 版画の鬼と化す」展の記事です。


【2021/01/30 19:22】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
神田、お茶の水の喫茶店の今
お茶の水
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駿河台のJR御茶ノ水駅の向かいにあるお城のようなビルです。

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むかし、名曲喫茶の「ウィーン」のあった所で、閉店後はいくつかのお店が
入っていました。
そのビルも閉鎖されて、今は白い板壁で囲われています。
お茶の水名物のビルですが、取り壊されるのでしょうか。

昼の写真で、天馬を駆る太陽神のステンドグラスです。

ウIMG_0570

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隣のビルの「画廊喫茶 ミロ」も最近、明りが付いていません。
休業しているのかもしれません。

おIMG_0275

「画廊喫茶 ミロ」の記事です。


御茶ノ水駅横の「喫茶 穂高」は営業しています。

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「喫茶 穂高」の記事です。


お茶の水ビルの「サロン ド いしい」です。

いIMG_0189 - コピー

「サロン ド いしい」の記事です。


駿河台下交差点近くの「古瀬戸珈琲店」です。

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「古瀬戸珈琲店」の記事です。


神田須田町の「かんだやぶそば」の向かいの喫茶店「ショパン」です。

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喫茶店「ショパン」の記事です。

これらの喫茶店は以前は喫煙可でしたが、禁煙に変わりました。


「かんだやぶそば」です。

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「かんだやぶそば」の記事です。


【2021/01/29 20:27】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「―風わたる山荘にて―伊藤みさと日本画展」 日本橋三越本店
三越前
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日本橋三越本店本館6階美術サロンでは1月1日(月)まで、
「―風わたる山荘にて―伊藤みさと日本画展」が開かれています。

日本美術院特待の伊藤みさとさんによる、山荘の窓からの景色などを題材にした
作品が展示されています。
淡く明るい色彩で、爽やかな空気を感じます。

「山荘―宵」 4号S
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窓の外に夜の青が広がり、ランプの光で白樺の木が浮かび上っています。


【2021/01/28 19:38】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
私の「牛島憲之展」
牛島憲之
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私の好きな画家、牛島憲之の作品を集めて、私の「牛島憲之展」を開いてみました。

牛島憲之(1900-1997)は熊本市出身で、坂本繁ニ郎(1882-1969)の絵を見て
画家を志します。
東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学し、後には東京藝術大学の教授も勤め、
文化勲章も受賞しています。

「貝焼場の風景」 1933年
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貝焼場とは貝殻を焼いて石灰を作る所で、以前は貝の多く採れる海岸にあったそうです。
のびのびとした風景で、色彩も明るく、景色そのものの形に面白さがあります。
遠景に見えるのは雲仙岳です。
まだ、特有の柔らかな色彩の点描にはなっていませんが、牛島憲之らしいスタイルが
出てきています。

「五月」 1938年 府中市美術館
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明るい五月の空に貝を焼く釜の煙と鯉のぼりが上がっています。
風が無いので煙は真っ直ぐ上がり、鯉のぼりは垂れています。
形への関心を見せていて、後の牛島憲之らしさが表れています。
シュルレアリスムの気配も感じます。

「炎昼」 1946年
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カボチャの葉の隙間から景色を眺める構図です。
葉や茎の緑色に魅力があり、少しふくらんだカボチャの実も可愛らしいです。
戦後の第2回日展で特選を受賞した作品で、これにより自分のスタイルが
確立したとのことです。
牛島憲之は坂本繁ニ郎に触発されて絵の道に進んだとのことですが、
色彩の柔らかさは坂本繁ニ郎によく似ています。

「樹木」 1949年
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枝に留まっているのは羽化した蝶の抜け殻でしょうか。
抽象画のような単純化された作品ですが、季節や時間も感じます。

「煙突」 1951年
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変わった形の煙突を中心に据えています。

牛島憲之 「タンクの道」 1955年 アーティゾン美術館
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タンクという人工物を点描による細かい色の使い分けで描き出しています。
淡くやわらかな雰囲気があります。

「かま場」 1958年 府中市美術館
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1938年の「五月」の50年後の作品で、同じ題材を牛島独特のスタイルで描いています。
情景は単純化され、色調もまとめられ、貝を焼く窯の形の面白さが強調されています。

「倉庫」 1958年
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タンクの形の面白さを描いた作品ですが、柔らかな叙情性があります。

「並木路」 1975年
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よく考えられた画面で、木や影の形をうまく描いています。
牛島憲之は画塾に通っていた頃は石膏デッサンが大嫌いだったそうですが、
どの作品もしっかりと構築的で、乱れがありません。
点描のような細かい筆触なのでスーラや岡鹿之助を思い出しますが、
どの作品も構築的で安定しています。
筆触の勢いで見せない分だけ、画面が構築的になるのでしょうか。

「うらら」 1983年
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満開の桜です。
桜が好きだったとのことですが、心象風景のように見えます。
人物は牛島憲之自身でしょうか。

「灯台のある島」 1984年 府中市美術館
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実際の風景がデフォルメされ、水面に映って、明るい光の中に浮かび上がっています。

何気ない風景を単純化、抽象化し、柔らかな筆触と淡い色調によって、心象風景のような
夢幻的な情景を描き出すのが牛島憲之の魅力です。

牛島憲之は世田谷区に住み、よく府中にスケッチに行った縁で、遺族が府中市美術館に
約100点の作品を寄贈しており、美術館では常設展示され、アトリエも再現されています。


【2021/01/26 20:07】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(3) |
馬にまつわる作品 その2

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馬にまつわる作品その2です。
外国の馬を集めました。

「馬」 サウジアラビア・マカル 新石器時代・前6500年頃 
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マカルはアラビア半島南西部の内陸にある遺跡です。
穀物をすりつぶすための石皿も出土していて、農業を行ない、馬を家畜として
飼育していたことが分かります。

「2号銅車馬」 秦時代・前3世紀 
 西安市臨潼区秦始皇帝陵銅車馬坑出土 秦始皇帝陵博物院蔵

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実物の1/2の大きさに作られた、銅製の精巧な模型で、始皇帝陵に副葬されていました。
窓も付いていますが、中は空で、始皇帝の霊を運ぶ馬車ではないかとも考えられています。
1号銅車馬も4頭立てで、御者が立って手綱を持っています。
実際に4頭立ての馬車を走らせていたとすると、かなり広い道幅の道路が必要です。

「儀仗俑」 10軀 後漢時代・2~3世紀 
1969年、甘粛省武威市雷台墓出土 甘粛省博物館

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涼州の張将軍という人物の墓から出土しています。
後漢末期の混乱に乗じて台頭した、涼州出身の軍閥の董卓(とうたく、?-192)と
ゆかりがあるかもしれないそうです。

三彩馬 唐時代 出光美術館
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脚が長く、いかにも速そうな馬です。
鞍に掛けた毛織物や飾りの杏葉などに藍釉が掛けてあります。

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藍色は特に好まれたようで、器の全面に藍釉を施した器も展示されています。

「三彩 騎馬人物」 唐時代 8世紀 松岡美術館
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乗り手に合わせて、馬も大人しそうな表情をしています。
唐時代には女性も馬に乗っていて、楊貴妃の姉たちも騎馬で参内していたそうです。

「龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス」 ティルマン・リーメンシュナイダー  
 菩提樹 1490-95年頃 ベルリン国立美術館

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聖ゲオルギウスは4世紀に殉教した聖人で、町に災いを為す悪竜を退治した
という伝説があります。
高さ50cmほどの像で、鎧兜姿の聖ゲオルギウスは馬上で剣を振りかざした姿ですが、
垂れ目で優しげな顔をしています。
馬に踏まれている悪龍は四天王像に踏まれている邪鬼のようです。
ティルマン・リーメンシュナイダー(1460頃 - 1531)は中世ドイツを代表する彫刻家です。

「2頭の馬と馬丁たち」 ルーラント・サーフェリー  
 1628年頃 ベルギー、コルトレイク市美術館 

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神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世(1552-1612)は芸術を庇護し、また珍奇な物品の
収集家として知られています。
馬好きだったルドルフ2世の集めた名馬を描いていて、左の白馬は長いたてがみを
しています。
左右対称の構図で、白馬には赤い鳥、黒馬には白い鳥が添えられています。

「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」 ディエゴ・ベラスケス 1635年頃
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スペインのフェリペ4世の長男、バルタサール・カルロス(1529-1646)の
颯爽とした乗馬姿です。
左上に向かう対角線の構図で、馬の胴が太くて丸いのは、宮殿の扉の上に
飾られるため、下から見上げた時の効果を考えたものだそうです。
背景はマドリードの北のグアダラーマ山脈で、山頂は雪をかぶっています。
肖像画と風景画が一体となった、躍動的な力作です。
バルタサール・カルロスは次代の国王として期待されていましたが、16歳で
急逝しています。

女性像「四大陸の寓意〈ヨーロッパ〉」 
 ヨハン・フリードリッヒ・エバーライン 1820 - 1920年頃 個人蔵

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マイセン磁器で、4点セットの1点です。
ヨーロッパは4大陸の王ということで、王冠を被り、王笏と宝珠を持ち、
白馬を従えています。

「いにしえの夢─浅瀬を渡るイサンブラス卿」 ジョン・エヴァレット・ミレイ  
 1856-57年 油彩・カンヴァス

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大きな作品で、子どもを乗せて川を渡る甲冑姿の老騎士を描いていて、夕暮れの雰囲気も
表れています。
ただ、3人を乗せていることもあって、馬体が大きくなったのが大変不評だったそうです。
作品を見ると、馬を小さく描き直した跡も残っています。

「聖杯を探すガラハッド卿」 アーサー・ヒューズ 1870年に最初の出品
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ガラハッドはアーサー王に仕えた円卓の騎士の一人で、聖杯を探し当てています。
白馬にまたがり、槍を立て、石橋を渡ろうとしているところで、空から天使たちが
激励しています。
アーサー・ヒューズ(1831-1915)はジョン・エヴァレット・ミレイなど、ラファエル前派の
影響を強く受けた画家です。

「出走前」 エドガー・ドガ 1878-80年頃
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思い思いの様子で、レースの出走を待っている騎手たちと馬です。
遠くの方で駆けている馬も見えます。
ドガは競馬の情景をよく描いていて、馬も色々の姿をしています。

「パルクと死の天使」 ギュスターヴ・モロー
 1890年頃 ギュスターヴ・モロー美術館

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パルクはローマ神話の運命の女神でギリシャ神話のモイラに相当します。
その中の運命の糸を断ち切る女神のアトロポスが死の天使の乗る馬の手綱を
取っています。
パルクも馬もうなだれて葬送の行列のようです。
冷たく凍る藍色の空に浮かぶ天使たちは分厚い絵具のかたまりで描かれ、
形のデッサンよりも色彩と幻想を重視したモローの資質が強く表れています。

「アポロンの戦車」オディロン・ルドン 油彩、パステル、厚紙 1909年 ボルドー美術館
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アポロンの戦車のモチーフは、ドラクロワの描いたルーブル宮のアポロンの間の
天井画を基にしているということです。
ルドンらしい明るい色彩で、深い青色の天空に駆け上がる馬たちは自身が
太陽のように輝いています。

「馬に乗ったケスラー一家」 ラウル・デュフィ 1932年 テート
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イギリスの富豪、ジャン・バティスト・オーグスト・ケスラーの注文で制作された作品で、
横2.7mの大作です。
乗馬という、イギリス人好みの場面で、色彩はまとめられ、背景に地模様のように
びっしりと樹木が描かれ、人馬も連続模様のようなリズム感をもっています。
一番左の馬は半分青色に塗られています。

「赤い馬」 マルク・シャガール 1938~44年 パリ、ポンピドー・センター
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シャガールは第1次世界大戦後しばらくロシアに滞在していましたが、
1923年に以前居たパリに戻ってからは、夢想的な独自の画風を深めます。
新郎新婦、浮遊する人物、月、燭台、故郷の風景と、シャガールの世界が
揃っています。

「白紙委任状」 ルネ・マグリット 1965年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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ちょっと見ると森の中を行く騎馬の婦人ですが、よく視ると
木と人馬の前後関係がおかしくなっています。
駆け抜けて行く馬を見た場合、こんな錯覚を起こしそうです。

「馬」 ヘンリー・ムーア 1984年 松岡美術館
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平たい造形で、可愛い姿をしています。


【2021/01/24 19:49】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
馬にまつわる作品 その1

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先日、干支の牛を描いた作品を載せたので、今度は馬にまつわる作品を集めてみました。
集めてみるとやはり馬は牛に比べて動的で、劇的な存在であることが分かります。
数も多いので、2回に分け、今回は日本の作品を載せます。

「馬頭観音立像」 平安~鎌倉時代 滋賀県 高月町横山神社 
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上野の「びわ湖長浜KANNON HOUSE」に展示されていました。
像高99.6㎝、頭上に馬頭をいただき、三面八臂で憤怒の相を表しています。
ヒノキの一木造りで、内刳りされ、脇の手や持物は後補されています。
観音像で憤怒の相を見せるのは馬頭観音だけで、その名から馬や動物の
守護仏としても信仰されています。
動きの無い姿勢、憤怒相でありながら穏やかな表情、左右対称の衣文などから、
平安時代末期、12世紀頃の作風とみられています。

「馬頭観音菩薩坐像」 鎌倉時代 13世紀 福井県 中山寺 重要文化財
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三面八臂の像で、頭に馬の頭を戴いています。
慶派の作と思われ、光背も台座が当初のものです。
33年に一度しか開帳されない秘仏なので、彩色も良く残っています。
中山寺は若狭湾を臨む山麓にある寺院です。
若狭国は織田信長の越前攻略の経路から外れていたため、多くの寺院建築や
仏像が焼失せずに残っています。

「平治物語絵巻断簡(六波羅合戦巻)」 鎌倉時代 13世紀中頃 
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平治物語では平清盛の嫡男、重盛は源義朝の長男、義平と御所の前庭で馬を
馳せ違えて戦ったとあります。
この戦いに勝った平氏はその後繁栄を極めることになります。
絵巻では徒歩の武者は袴を着けない下帯姿です。
歴史に勝ち名乗りを挙げようとする武者たちの雄叫びが聞こえてきます。

「蒙古襲来絵詞」 鎌倉時代 13世紀 宮内庁
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日本史の教科書には必ず出てくる有名な絵巻です。
肥後の御家人、竹崎季長が文永弘安の役での自分の活躍を記録に
残すために描かせたと云われています。
矢が当たり、血を流して暴れる馬を、季長は鎧の袖を翻して必死に御しています。
「肥後国竹崎五郎兵衛季長 生年二十九」と誇らしげに記されています。

「厩図屏風」(左隻) 室町時代
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6曲1双の屏風で、たくましく足掻きする馬が並んでいます。
馬をつないだ厩を描いた屏風は武家に好まれました。

「宇治川合戦図屏風」 曾我蕭白 江戸時代 18世紀 ファインバーグコレクション
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平家物語の中の宇治川の先陣争いの場面です。
木曽義仲の陣に攻めかかろうと、橋を壊された宇治川を渡ろうとする、
磨墨(するすみ)に乗った梶原景季と生食(いけずき)に乗った佐々木高綱
が争っています。
生食は頼朝に乞うて賜った名馬で、生き物を食うほど気性が荒く、
磨墨は墨を磨ったように黒い馬です。
馬を宇治川に乗り入れようとする梶原景季を佐々木高綱が馬の腹帯が
緩んでいると言って呼び止め、あわてた景季が直している間に高綱は
先に進んで一番乗りを果たします。
勇猛だが単純そうな景季、ずるそうな高綱が濃厚な色彩と派手な動きで
描き分けられていて、景季の馬の腹帯も見えます。

「一ノ谷・須磨・明石図(中幅・部分)」 高嵩谷筆 江戸時代 18世紀 個人蔵
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三幅対で、中幅は平家の一ノ谷の陣に鵯越(ひよどりごえ)の逆落としをかける
源義経と武蔵坊弁慶です。
源平盛衰記には畠山重忠は愛馬三日月を損なうことを怖れ、三日月を担いで崖を下ったとあります。

「一の谷合戦図屏風」 六曲一双 海北友雪 
 江戸時代 17世紀 埼玉県立歴史と民俗の博物館

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扇面画に見えますが、実際は大きな屏風です。
平家物語、一の谷の戦いの一場面で、右隻は沖の船に逃げようとする平敦盛を
熊谷直実が扇をかざして呼び戻しているところです。
左隻は逆に金地に紺色の扇面になっていて、萌黄威の鎧を着け、連銭葦毛の馬に乗った
敦盛が海の中で振り向いています。
熊谷直実の馬は権田栗毛という名です。

「小栗判官絵巻」 巻第15 岩佐又兵衛 江戸時代
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人を秣(まぐさ)として喰う鬼鹿毛という荒馬を乗りこなした小栗判官が、
鬼鹿毛との約束通り、死後にその体を漆で固め、馬頭観音として
祀っている場面です。
岩佐又兵衛らしい、濃い色彩と、躍動的な人物たちにあふれた絵巻です。

「佐野渡図」(部分) 江戸時代 17世紀 クリーブランド美術館
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  駒とめて袖うち払うかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮れ

俵屋宗達の工房の作と思われる絵で、藤原定家の歌に拠っています。
降る雪に行き悩む人馬の様子が情感を持って描かれています。
たらし込みを用いて連銭芦毛を思わせる馬の毛色を巧みに表しています。

「大津馬図(部分)」 松花堂昭乗筆 沢庵宗彭賛
江戸時代 17世紀 根津美術館

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沢庵和尚の賛があります。

なそもかく
おもに(重荷)大津の
馬(生)れきて
なれもうき世に
我もうきよに

大津馬は大津で荷役に使われていた馬のことで、琵琶湖を舟で運ばれてきた米を
京都まで運んだりしていました。

「徒然草絵巻」第4巻 第41段(部分) 海北友雪 
江戸時代 17世紀後半 サントリー美術館

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賀茂の競馬の場面で、木に登って見物していた法師が居眠りをして木から落ちそうに
なっています。
それを見て人々が笑っているので、兼好は「われわれも明日がどうなるかは分からない
というのにそれに気付かず競馬を見て喜んでいるのは、あの法師と同じことだ」と語ると、
皆がその通りだと感心して、見物しやすい場所を空けてくれたという話です。
結局、兼好も競馬見物を楽しんでいる訳ですが、無常観の強かった時代の雰囲気を
表しています。

「山邨千馬図」 池大雅 江戸時代 18世紀 出光美術館
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酔っ払った友達に千頭の馬の絵を描いてくれとせがまれて、仕方なく描いた絵
とのことです。
村の馬市の様子で、画面いっぱいに馬がひしめき合い、建物の中にも馬が居ます。
文人画の好む閑寂な世界とはほど遠いですが、湧き立つような楽しさがあります。

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「朝暾曳馬図(ちょうとんえいばず)」 英一蝶 江戸時代
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朝日の昇る中を、馬を曳いて橋を渡る人がいます。
馬は蹄の音を響かせ、水面にはその影が映って、さわやかな風景です。

「近江の国の勇婦於兼」 歌川国芳 江戸時代 1831-32年頃
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近江国海津宿の怪力の遊女お兼が暴れ馬の引き綱を下駄で踏み付けて
取り押さえている場面です。
国芳は輸入された銅版画などを通じて西洋画を研究していて、
馬の陰影の付け方などに西洋画の影響が見られます。

「意馬心猿図」 柴田是真 明治時代 19世紀 東京国立博物館
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意馬心猿とは、煩悩が馬や猿のように抑えがたいことを云います。
猿は馬を守るとされ、厩で飼われるなど、馬とつながりの深い動物です。
神の使いの猿が烏帽子を被り、御幣を担いで、馬の背に乗っています。
軽妙な筆遣いで、馬の尻は一筆描きになっています。

「東京十二題 こま形河岸」 川瀬巴水 大正8年(1919) 横浜美術館
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川瀬巴水(1883~1957)は大正から昭和にかけて活躍した風景版画家です。
新版画という、江戸の浮世絵の技法を受け継ぎながら新しい芸術を目指した
版画を制作し、日本各地の風景を叙情的に描いています。
大川端の竹屋の景色で、立て並べた竹の隙間から隅田川や夏の雲が
のぞいています。
馬は動かず、荷車の男も眠っていて、時が止まっているようです。

坂本繁二郎 「放牧三馬」 1932年 アーティゾン美術館
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坂本繁二郎は1924年にフランス留学から帰ると郷里の久留米に戻り、
以後は九州で制作を続けました。
阿蘇や雲仙で放牧されている馬をよく描いています。
色数は抑えられ、それぞれの色が溶け合って、柔らかな色調になっています。

「追憶新京(八路軍入城)」 小山硬 2010年
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院展の同人で旧満州出身の小山硬さんによる少年時代の追憶を描いたシリーズです。
ソ連軍に替わって八路軍(中国共産党の軍)が新京(現在の長春)に入場した時の
状景です。
柵に寄りかかってそれを眺めているのが小山少年です。
兵馬俑にも似た肥馬が砲を曳いています。

2017年12月11日に行われたペナン共和国大使の信任状捧呈式の馬車列です。
東京駅丸の内駅前広場の整備完了に伴い、これまで明治生命館から
出発していたのが、東京駅丸の内口からの出発が再開しました。

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東京駅で大使の乗車を待ちます。

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【2021/01/23 21:16】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
私の「ヴァロットン展」
ヴァロットン
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最近注目されているフェリックス・ヴァロットンの絵を集めて、私の「ヴァロットン展」を開いてみました。


フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)はスイスのローザンヌ生まれで、
フランスで活動し、ドニたちのナビ派にも参加しています。
しかし、ドニ、ボナール、ヴュイヤールのような親密さは無く、そっけなく
冷やりとした画風です。
この冷やりとした感じが魅力でもある、不思議で興味深い画家です。


フェリックス・ヴァロットン 
「ボール(ボールで遊ぶ子供のいる公園)」 1899年 オルセー美術館

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女の子が赤いボールを追いかけて、日なたに飛び出してきた一瞬を捉えています。
向こう側では、二人の女性が静かに立ち話をしています。
光と影、動と静の対照が鮮やかで、女の子の帽子と白い服、影が目を惹きます。
私はこの作品で、ヴァロットンという画家を知り、強い印象を受けました。

フェリックス・ヴァロットン 「オンフルールとセーヌ河口」 1901年 
 オンフルール、ウジェーヌ・ブーダン美術館

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男女がオンフルールの町を眺めやっていますが、どこか意味ありげで、
ひょろりとした2本の木も不思議な感じを与えます。
ヴァロットンはよくオンフルールに滞在しています。

フェリックス・ヴァロットン 「アルク=ラ=バタイユ風景」 1903年 エルミタージュ美術館
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アルク=ラ=バタイユはノルマンディーの田舎町です。
明暗の対比を強調していますが、描き方は平面的で、アンリ・ルソーのような雰囲気です。
波打つ水流を真中に置いた画面は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」に似ています。

フェリックス・ヴァロットン 「オンフルールの眺め、夏の朝」 
 1912年 ボーヴェ、オワーズ美術館

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夏の明るい日射しが道に影を映し、遠くにはオンフルールの町と教会が見えます。
高々とした木立の緑も鮮やかですが、どこか不思議な印象を受ける木々の姿です。

フェリックス・ヴァロットン 「浴女のいる風景」 1913年 ヴィンタートゥール美術館
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暗い近景と明るい遠景にはっきりと分かれた構図です。
湖の傍らの裸婦という絵柄にしてはあまり叙情性が無く、冷やりとしています。

フェリックス・ヴァロットン 「アルプス高地、氷河、冠雪の峰々」 1919年 チューリヒ美術館
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色彩がまとめられ、氷河の薄緑色が印象的で、山の峰の連なりにはリズム感があります。

フェリックス・ヴァロットン 「息づく街パリ」の口絵 1894年
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パリの人々の生活を描いた木版画集です。
いわくありげな人物たちが街角に並び、真ん中の子は見る者の視線を拒否
するような、表情の無い白目をしています。

フェリックス・ヴァロットン 「可愛い天使たち(「息づく街パリ」)より」
 1894年 三菱一号館美術館

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木版画で、警官に連れられていく男の周りで、まるで可愛くない子どもたちが
囃し立てています。
こういうとき、大人より残酷な子どもをヴァロットンはシニカルな目で見ています。

2014年には三菱一号館美術館で「ヴァロットン-冷たい炎の画家」展が開かれました。

開かれた「ヴァロットン-冷たい炎の画家」展の記事です。


【2021/01/22 19:40】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鬼についての作品

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節分ということで、鬼についての作品を集めてみました。

鬼は元々、幽鬼といわれるような死者の亡魂のことでしたが、やがて地獄の閻魔様の
下で亡者を痛めつける鬼や昔話に出てくる青鬼赤鬼へと変化しています。

追儺の鬼面 「赤鬼」 室町~江戸時代 神戸・長田神社
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追儺(ついな)は大晦日に宮中で行われた鬼払いの行事で、
現在の節分の元になっています。
徒然草にも追儺の記述があります。

鍍金魁星像 明時代 泉屋博古館
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高さ29.1cmの、風神に似た姿の小像です。
魁の字は北斗七星の中の斗形をした四星を指すとのことです。
鬼が斗を持っていて、魁の字体を表しています。
持っている筆は文房の神を象徴しています。

魁(さきがけ)の意味から科挙試験を目指す者はその像を祀って、
一番の合格を祈願したそうです。
たしかに3本爪の足で雲の上を駆けています。

「十二因縁絵巻」(部分) 鎌倉時代 13世紀 根津美術館 重要文化財
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羅刹(鬼)の姿をした、人間の苦悩の原因である12の因縁を折叱王が次々と退治して行き、
最後に苦悩の根本である無明羅刹を捕えているところです。
動物たちが並んでその様子を眺めています。

「百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)」(部分) 
 室町時代・16世紀 伝土佐光信 京都・真珠庵 重要文化財

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仏事の道具や生活の道具が妖怪となって深夜の京都の町を練り歩いている図です。
「百鬼夜行」を描いた作品の中で最古とされる有名な絵巻で、「付喪神絵巻」と
関連があるようです。
日本の妖怪たちにはどこか微笑ましいところがあり、観ていて楽しくなってしまう
絵巻です。

「百鬼夜行図」 河鍋暁斎 1871-89年
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右隻
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左隻
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妖怪たちが夜中に行列して歩く「百鬼夜行」は古くから絵巻物などによく描かれています。
右隻では意気揚々と行進し、左隻では昇る朝日に慌てふためいています。

「広目天立像(四天王のうち、金堂所在)」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺
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広目天は仏教の守護神である四天王の一尊です。
筆と紙を持っているので広目天と分かりますが、動きの無い真っ直ぐな姿勢で立っていて、
面白い顔をした邪鬼も左右対称の形で踏み付けられています。
邪鬼は飛鳥時代以来、ずっと踏まれ続けています。

「天部立像」 平安時代 個人蔵
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松山市の黄檗宗長隆寺に伝来の四天王像の1体です。
一木造で、兜を被り、憤怒の形相を見せ、胸と両膝に獣面を付けています。

「毘沙門天像」 鎌倉時代 14世紀
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毘沙門天は仏教の守護神である四天王の一尊である多聞天の別名です。
甲冑を着け、棒や宝塔を持ち、邪鬼を踏みつける姿で表されます。
上杉謙信が信仰し、「毘」の字を旗印に用いたことで知られています。

「毘沙門天立像」 運慶作 
 鎌倉時代・文治2年(1186) 静岡・願成就院 国宝

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像内に納められた札から北条時政の発願で運慶が制作したことが分かります。
堂々とした姿ですが、顔には誇張が少なく、写実的です。
願成就院は真言宗の寺院で、北条氏の氏寺でした。
運慶の力強く写実的な作風は鎌倉武士たちに好まれていました。

「天燈鬼立像」「龍燈鬼立像」 
 康弁作(龍燈鬼) 鎌倉時代・建保3年(1215) 奈良・興福寺 国宝

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像高約78㎝、邪鬼が灯篭を掲げているユーモラスな像です。
龍燈鬼の顔は俵屋宗達の風神雷神図に似ていて、体に巻き付けた龍も玉眼を
光らせています。
龍燈鬼の像内に入っていた紙から、この像が康弁作とが分かります。
康弁は運慶の三男ですが、康弁作と分かっている作品はこの1点のみです。

「地蔵十王図」  紙本着色 13幅のうち4幅 江戸時代 東京・東覚寺
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部分
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地獄で人は閻魔王はじめ秦広王・初江王など10人の王(十王)の裁きを受けることに
なっています。
秦広王は初七日、閻魔王は35日目に裁きを行ないます。
諸王にはそれぞれ、本地仏があり、閻魔王の本地仏は地蔵菩薩とされています。
稚拙な、ちょっと笑える表現の十王で、左上にはそれぞれの本地仏も描かれています。
左橋の絵では鬼が亡者を針山に追い立てています。
右端の絵では亡者が天秤で罪の重さを量られたり、火の車に乗せられたりしていますが、
真中にキリシタンのような衣装の女性が描かれているのが不思議ということです。

「熊野観心十界曼荼羅」 紙本着色 江戸時代 個人蔵
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部分
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熊野観心十界曼荼羅は大きな絵解き図で、画面上に人の一生を坂道にたとえた
「老いの坂」、その下に六道と声聞・縁覚・菩薩・仏の10の世界に分類した十界が
描かれています。
特に地獄図はさまざまな地獄が詳細に描かれています。
鬼の曳く火の車に乗せられた亡者もいます。
閻魔大王の前の浄玻璃鏡を見ると、僧を斬り殺そうとする男が映っていて、
裁かれる亡者の罪深さを示しています。
絵解きは熊野比丘尼と呼ばれる女性芸人が行なっていました。
熊野観心十界曼荼羅は60点ほどが現存しているそうです。

「酒呑童子絵巻」 亀岡規礼 江戸時代・19世紀 三井記念美術館
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源頼光と四天王に藤原保昌の6人が八幡、住吉、熊野三神の導きにより、
大江山の酒呑童子を討ち取る物語です。

神の化身の案内で山に分け入る場面、目的を隠して酒呑童子の屋敷に入る場面、
神より授かった神便鬼毒酒を酒盛りで鬼たちに勧める場面、寝入った酒呑童子の
手足を柱に縛りつけ斬りかかる場面、討たれた酒呑童子の首が源頼光の頭に
喰らい付くが神より授かった兜で守られる場面、鬼たちを討って凱旋する場面へと
続きます。
画像は源頼光の一行が、そうとは知らない酒呑童子たちに歓待される場面です。

「辟邪絵 神虫(へきじゃえ しんちゅう)」(部分) 
 平安~鎌倉時代・12世紀 奈良国立博物館 国宝

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辟邪絵は邪を避ける効力のある物を集めた絵のことです。
神虫は南方の山中にあって、もろもろの虎鬼を食すとあり、人に害を為す鬼を
食べてくれる、ありがたい虫です。
鬼を捕まえ、赤い血にまみれながら、むさぼり食っています。
後白河法皇周辺で制作され、元は蓮華王院(三十三間堂)に保管されていたという
伝承があります。

「鍾馗鬼味噌」 白隠 江戸時代・18世紀 海禅寺蔵(島根県)
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唐の玄宗皇帝の夢枕に現れ、小鬼を退治したという鍾馗様が鬼を擂鉢で
擂り潰して、鬼味噌を作っています。
唐辛子味の鬼味噌と鬼を材料にした鬼味噌を掛けています。
左は鍾馗様の息子で、「とと(父)さ鬼みそをちとなめて見度い」と
言っています。
鬼は煩悩、邪念の象徴とのことです。

「鐘馗図」 葛飾北斎 寛政5~6年(1793~94) 島根県立美術館(永田コレクション)
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初期の名である春朗の落款のある現存唯一の作品です。
赤い鐘馗が鬼を掴んで退治していて、上から覆いかぶさってくる姿に迫力があります。

「鍾馗と鬼」 河鍋暁斎 1882年
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「鬼を蹴り上げる鍾馗」 河鍋暁斎 1871-89年
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河鍋暁斎は厄除けの神、鍾馗(しょうき)もよく描いています。
縁起物として注文が多かったのでしょう。
狩野派などの伝統的な技法を身に付けていることが分かります。

「武士と鬼の首引 武士と天狗の相撲」 菱川師宣 元禄前期・1695頃 斎藤文夫氏蔵
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「雪山童子図」 曽我蕭白 明和元年(1764)頃 三重・継松寺
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釈迦の前世の物語で、雪山で修行している時、帝釈天が姿を変えた鬼が唱える
無常偈の前半を聞き、鬼に喰われれば後半を教わることが出来るというので、
身を投げ出そうとしているところです。
赤と白の対比が鮮やかで、鬼の下半身の青は濃く、腕輪や足輪は金色に輝いています。
雪山童子の周りには細かい雪が降り、枝に掛けた衣には蓮の模様が描かれています。

「鬼笑画賛」 仙厓 江戸時代
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鬼が腹を抱えて大笑いし、傍で弟子の鬼がびっくりして目をむいています。
何か変なことを言ったのかと戸惑っているようです。
詞書に、

  来年の事云た こたへむ こたへむ
  おや方何に笑ふかい

「鬼の念仏」 大津絵 笠間日動美術館蔵
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角の折れた怖ろしい鬼が撞木、鉦と奉加帳を持ち、寄付を募る勧進をしています。
邪悪な心の人が善人のふりをしています。
人気のある画題で、井伊の赤鬼と恐れられた井伊直弼もこの絵を描いています。
鬼の柄にもない殊勝な姿は微笑ましく、大津絵の中で一番好きな絵です。

「赤い鬼」 菅井汲 1954年 アーティゾン美術館
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真っ赤な色で土俗的な力を表わしています。
菅井汲(1919-1996)は神戸生まれで1952年にフランスに渡っています。
菅井汲は後には整然とした幾何学的な抽象画を描くようになります。

「眼小鬼」 金理有 2009年 高さ25㎝
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金理有さん(1980~)は金属器のような肌合いの陶作品を制作しています。
青銅器を思わせる形で、呪術性を感じます。

「桃太郎図ノ伍百陸拾 なにがでるかな。」 瀧下和之 
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桃太郎の誕生を待ち構えている鬼たちです。
中島千波に師事とのことで、モダンな絵巻物風です。
瀧下和之さん(1975~)は日本画風の雰囲気で鬼ヶ島の鬼などをユーモラスに
描いています。

「桃太郎図ノ七百四拾二 鬼に金棒。」 瀧下和之
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鬼らしい鬼の姿をしています。

「あれぇ?」 村上豊 2018年
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ニ本角の大鬼と一本角の小鬼が何かに驚いて、目を剥いて見詰めています。
背景は一面真っ赤で、活力一杯の画面です。


【2021/01/21 18:18】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
上野公園の彫刻
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上野公園の中の、旧東京音楽学校奏楽堂前の「芸術の散歩道」には毎年、
東京藝術大学卒業生による彫刻の修了制作が置かれています。
現在は2020年の終了制作が並んでいます。

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白井雪音 「Blink」
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竹野優美 「道祖神の如く」
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永井遼太朗 「うっすらと」
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水野千尋 「虚勢」
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山﨑良太 「木が揺れるとき」 
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以前の写真ですが、JR上野駅公園口は改修され、外観も大きく変わり、
改札口が公園から見て左側の端に移動しました。
写真は夏頃のものです。
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こちらは右側です。
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新しい駅舎には店舗も入っています。
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昨年、この辺りを舞台にした、柳美里さんの「JR上野駅公園口」が全米図書賞
(翻訳文学部門)を受賞しています。


【2021/01/19 19:53】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
「日本のたてもの 自然素材を活かす伝統の味と知恵」 湯島 国立近現代建築資料館
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湯島の国立近現代建築資料館では、「日本のたてもの 工匠と近代化
大工技術の継承と展開」展が開かれています。
会期は2020年2月21日(日)まで、入館は無料です。
場所は文京区湯島4-6-15で、旧岩崎邸庭園に隣接しています。

新型コロナウイルス対策のため、土日祝日の多くは休館になりますので、
展覧会のHPでご確認ください。

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東京国立博物館、国立科学博物館との共同企画で、近現代建築資料館のテーマは
「工匠と近代化 大工技術の継承と展開」です。

江戸から近代の明治大正にかけて、伝統の木造建築の技術により近代化を進めた
多くの工匠や建築家の事績を紹介する展示です。

幕府の作事方(建設部門)には近江出身の甲良家と紀伊出身の平内
(へいのうち)家があり、それぞれ建仁寺派、天王寺派と呼ばれ、建仁寺派は
加賀藩、天王寺派は仙台藩にも仕えたそうです。

元治元年(1864)の禁門の変で焼失した東本願寺御影堂の再建では名古屋の工匠、
伊藤平左衛門9世(1829-1913)が中心となり、全国から各流派の工匠が集まって、
技術交流の場ともなったそうです。
東本願寺御影堂の五十分の一側面図には「棟梁 伊藤平左衛門」と署名がありました。
寺社ばかりでなく、静岡県磐田市の旧見付学校や旧三重県庁舎などの洋風建築も
手掛けています。

「大谷派本願寺函館別院本堂正面図」 伊藤平左衛門9世 大谷派本願寺函館別院蔵
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富山県滑川出身の岩城庄之丈(1843-1928)の事績も紹介されています。
城庄之丈は大工の家系に生まれ、東本願寺や築地本願寺の建築にも参加しています。


国立科学博物館での「日本のたてもの」展の記事です。

東京国立博物館での「日本のたてもの」展の記事です。

展覧会のHPです。

資料館の隣はジョサイア・コンドルの設計した旧岩崎家住宅(1896年竣工)です。

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【2021/01/17 21:24】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
試験や勉強について
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今年も受験のシーズンが始まり、今日は大学共通テストの初日だったので、
試験や勉強についての作品などを集めてみました。

「科挙の答案(殿試策)」 金榜 清時代 1772年 東洋文庫
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官吏の登用試験である科挙の最終試験で首席(状元)となった金榜
(きんぼう、1735 - 1801)の答案です。
立派な筆跡で、筆跡の良し悪しは選考に影響することもあったようです。
金榜は後に学者となっています。
科挙は隋に始まり、門閥に依らない優秀な人材の登用を目的としていましたが、
結局は勉学の機会と費用に恵まれた階層の子弟に有利になってしまいます。
現在の受験制度も同じ問題を抱えています。
太平天国の乱を起こし、清を脅かした洪秀全も田舎の出身で、科挙に失敗し、
挫折を味わっていますが、太平天国も科挙を実施しているというのも興味深い
ところです。

鍍金魁星像 明時代 泉屋博古館
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高さ29.1cmの、風神に似た姿の小像です。
魁の字は北斗七星の中の斗形をした四星を指すとのことです。
鬼が斗を持っていて、魁の字体を表しています。
持っている筆は文房の神を象徴しています。
魁(さきがけ)の意味から科挙試験を目指す者はその像を祀って、
一番の合格を祈願したそうです。
たしかに3本爪の足で雲の上を駆けています。

「月百姿 菅原道真」 月岡芳年筆 明治19年(1886)
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11歳の菅原道真が父の是善の言い付けで、月明かりの梅の花を題材にした漢詩を
つくっているところです。
学問の神様とされる菅原道真の子供の頃からの才人ぶりを示す逸話です。

何年か前の写真ですが、菅原道真を祀る湯島天神も合格祈願の絵馬でいっぱいです。

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「近世職人尽絵詞」より「寺子屋」 鍬形蕙斎 
 1806年(文化3年) 東京国立博物館

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寺子屋で子どもたちが習字の練習中ですが、いたずらが過ぎてお仕置きを
受けている子も居ます。

「文机」 文化9年(1812) 
「庭訓往来(ていきんおうらい)」 文政12年(1829)
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文机は寺子屋に子どもが持参するものでした。
文化2年(1805)の日本橋の賑わいを長さ約12mにわたって描いた絵巻、
「熈代勝覧(きだいしょうらん)」の複製が東京メトロ三越前駅の地下コンコースに
常時展示されていますが、そこにも文机を担いだ父親に手を引かれていやいやながら
初めて寺子屋に行く子どもの姿があります。

庭訓往来は寺子屋の教科書で、手紙のサンプル集です。

「熈代勝覧(きだいしょうらん)」の複製(部分)
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「閙学童図(学習中に騒ぐ学童)」 清 北京、首都博物館
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先生が休んでいるすきに、子どもたちは好き勝手なことをしています。
先生の頭にサソリを置こうとする子までいます。

ヤン・ステーン 「生徒にお仕置きをする教師」 1663-65年頃 
 油彩、キャンヴァス アイルランド・ナショナル・ギャラリー

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床に落ちている紙に汚い字が書いてあるところを見ると、この子はまじめにお習字を
しなかったようです。
横で女の子が、それ見たことかといった表情で笑っています。
こういうとき、女の子は残酷なものです。


【2021/01/16 19:19】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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