表参道
南青山の根津美術館では企画展、「花を愛で、月を望む」展が開かれています。
会期は8月22日(日)までです。

「名家家集切(是則集)」 伝 紀貫之筆 平安時代 11世紀

坂上是則の家集、是則集の離別部の歌です。
わするなよわかれぢにおふるくずのはの
あきかぜふかばいまかへりこむ
「吉野龍田図屏風」 江戸時代 17世紀



右隻は吉野の桜、左隻は龍田川の紅葉という和歌の名所を描いた屏風で、
桜の花弁は胡粉を厚く塗って盛り上げ、豪華に仕上げています。
枝に結ばれた短冊には、古今和歌集と玉葉和歌集に載せられた歌が数首、
書かれています。
ことしより春しりそむる桜かなちるといふことはならはざらなむ
紀貫之 古今和歌集
龍田川もみじばながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし
詠み人知らず 古今和歌集
「四季草花図屏風」 「伊年」印 江戸時代 17世紀



穏やかな色調で、植物を四季の移り変わりにつれて、右から左に描いています。
薊、蒲公英、土筆、大根、鉄線花、撫子、牡丹、立葵、百合、紫陽花、鶏頭、粟、
茄子、薄、桔梗、萩、菊、南天、水仙などです。
俵屋宗達の工房の作品を表す「伊年」の印が押してあります。
「花白河蒔絵硯箱」 室町時代 15世紀 重要文化財

足利8代将軍義政の所持とされています。
満開の桜の下に公達を描き、幹などに花・白・河の文字を葦手書き(隠し文字)で
表しています。
新古今和歌集の飛鳥井雅経の歌に拠っています。
なれなれてみしはなこりの春そとも なとしら河の花の下かけ
「秋野蜘蛛巣蒔絵硯箱」 江戸時代 19世紀


金蒔絵で菊・萩・薄・桔梗を描き、そこに張ったクモの巣に「蜘」の字を置いています。
揃いの料紙箱には「蛛」の字が置かれています。
「武蔵野図屏風」 江戸時代 17世紀



萩、薄、桔梗の茂る秋の武蔵野の広々とした景色で、右隻には沈む紅の夕日、
左隻には昇る銀の月が描かれています。
武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ 古歌
「色絵武蔵野図茶碗」 野々村仁清作 江戸時代 17世紀 重要美術品

銀を塗って夜景を、大きく丸く塗り残して満月を表し、薄を見込みにまで描き入れて
秋の風情としていて、仁清らしい華やぎがあります。
「志野秋草文水指」 美濃 桃山~江戸時代 16−17世紀 根津美術館

ふっくらと白い地に手早く薄が描かれ、素朴な味わいがあります。
志野焼は美濃焼の一種で、茶人の志野宗信が作らせたのが始まりとされています。
「酒呑童子絵巻」(部分) 伝 狩野山楽筆 江戸時代 17世紀


小ぶりな絵巻で、狩野派の作と考えられます。
勅命で酒吞童子を退治に来た源頼光の一行が屋敷に辿り着いた場面から
庭の景色の場面までが展示されています。
庭は桜、藤、萩、紅葉、雪など四季の景色を一度に見られるという
四方四季の庭ですが、その自然描写が特に丁寧です。
「北野天神縁起絵巻 巻第2(部分)」 室町時代 15世紀 重要美術品

菅原道真の生涯と、怨霊となった道真を祀る北野天神の霊験が描かれています。
太宰府に流される道真が庭に咲く梅と桜を見て、歌を詠んでいる場面です。
道真が配流されたのは旧暦1月のことです。
こちふかばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな
さくら花ぬしをわすれぬ物ならばふきこむ風にことづけをせよ
展示室5のテーマは「つわものの姿」で、甲冑、刀剣などの武具が展示されています。
「黒韋肩取威腹巻」 室町時代 16世紀

背中で引き合わせる腹巻で、大袖が付いています。
鹿革を藍で濃く染めた黒韋威の胸の上(立挙:たちあげ)と袖の上の部分を
紅糸と白糸で威しています。
金具は鍍金した唐草透彫です。
展示室6のテーマは「夏点前―涼みの茶―」です。
「礼賓三島平茶碗」 朝鮮・朝鮮時代 16世紀

茶室に置かれています。
夏向きの平茶碗で、お皿のように平らです。
礼賓は礼賓、内資寺など李朝の官庁名が刻まれた茶碗のことです。
「古染付葡萄絵水指」 景徳鎮窯 明時代 17世紀

こちらも茶室に置かれています。
直径20㎝ほどで、江戸初期に茶人の注文で明の景徳鎮で焼かれた品です。
白地に藍色の葡萄の絵にみずみずしさがあります。
展覧会のHPです。
ちょうど夕立が降ってきました。


chariot
南青山の根津美術館では企画展、「花を愛で、月を望む」展が開かれています。
会期は8月22日(日)までです。

「名家家集切(是則集)」 伝 紀貫之筆 平安時代 11世紀

坂上是則の家集、是則集の離別部の歌です。
わするなよわかれぢにおふるくずのはの
あきかぜふかばいまかへりこむ
「吉野龍田図屏風」 江戸時代 17世紀



右隻は吉野の桜、左隻は龍田川の紅葉という和歌の名所を描いた屏風で、
桜の花弁は胡粉を厚く塗って盛り上げ、豪華に仕上げています。
枝に結ばれた短冊には、古今和歌集と玉葉和歌集に載せられた歌が数首、
書かれています。
ことしより春しりそむる桜かなちるといふことはならはざらなむ
紀貫之 古今和歌集
龍田川もみじばながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし
詠み人知らず 古今和歌集
「四季草花図屏風」 「伊年」印 江戸時代 17世紀



穏やかな色調で、植物を四季の移り変わりにつれて、右から左に描いています。
薊、蒲公英、土筆、大根、鉄線花、撫子、牡丹、立葵、百合、紫陽花、鶏頭、粟、
茄子、薄、桔梗、萩、菊、南天、水仙などです。
俵屋宗達の工房の作品を表す「伊年」の印が押してあります。
「花白河蒔絵硯箱」 室町時代 15世紀 重要文化財

足利8代将軍義政の所持とされています。
満開の桜の下に公達を描き、幹などに花・白・河の文字を葦手書き(隠し文字)で
表しています。
新古今和歌集の飛鳥井雅経の歌に拠っています。
なれなれてみしはなこりの春そとも なとしら河の花の下かけ
「秋野蜘蛛巣蒔絵硯箱」 江戸時代 19世紀


金蒔絵で菊・萩・薄・桔梗を描き、そこに張ったクモの巣に「蜘」の字を置いています。
揃いの料紙箱には「蛛」の字が置かれています。
「武蔵野図屏風」 江戸時代 17世紀



萩、薄、桔梗の茂る秋の武蔵野の広々とした景色で、右隻には沈む紅の夕日、
左隻には昇る銀の月が描かれています。
武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ 古歌
「色絵武蔵野図茶碗」 野々村仁清作 江戸時代 17世紀 重要美術品

銀を塗って夜景を、大きく丸く塗り残して満月を表し、薄を見込みにまで描き入れて
秋の風情としていて、仁清らしい華やぎがあります。
「志野秋草文水指」 美濃 桃山~江戸時代 16−17世紀 根津美術館

ふっくらと白い地に手早く薄が描かれ、素朴な味わいがあります。
志野焼は美濃焼の一種で、茶人の志野宗信が作らせたのが始まりとされています。
「酒呑童子絵巻」(部分) 伝 狩野山楽筆 江戸時代 17世紀


小ぶりな絵巻で、狩野派の作と考えられます。
勅命で酒吞童子を退治に来た源頼光の一行が屋敷に辿り着いた場面から
庭の景色の場面までが展示されています。
庭は桜、藤、萩、紅葉、雪など四季の景色を一度に見られるという
四方四季の庭ですが、その自然描写が特に丁寧です。
「北野天神縁起絵巻 巻第2(部分)」 室町時代 15世紀 重要美術品

菅原道真の生涯と、怨霊となった道真を祀る北野天神の霊験が描かれています。
太宰府に流される道真が庭に咲く梅と桜を見て、歌を詠んでいる場面です。
道真が配流されたのは旧暦1月のことです。
こちふかばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな
さくら花ぬしをわすれぬ物ならばふきこむ風にことづけをせよ
展示室5のテーマは「つわものの姿」で、甲冑、刀剣などの武具が展示されています。
「黒韋肩取威腹巻」 室町時代 16世紀

背中で引き合わせる腹巻で、大袖が付いています。
鹿革を藍で濃く染めた黒韋威の胸の上(立挙:たちあげ)と袖の上の部分を
紅糸と白糸で威しています。
金具は鍍金した唐草透彫です。
展示室6のテーマは「夏点前―涼みの茶―」です。
「礼賓三島平茶碗」 朝鮮・朝鮮時代 16世紀

茶室に置かれています。
夏向きの平茶碗で、お皿のように平らです。
礼賓は礼賓、内資寺など李朝の官庁名が刻まれた茶碗のことです。
「古染付葡萄絵水指」 景徳鎮窯 明時代 17世紀

こちらも茶室に置かれています。
直径20㎝ほどで、江戸初期に茶人の注文で明の景徳鎮で焼かれた品です。
白地に藍色の葡萄の絵にみずみずしさがあります。
展覧会のHPです。
ちょうど夕立が降ってきました。


上野
東京藝術大学大学美術館では「藝大コレクション展2021 I期 雅楽特集を中心に」が
開かれています。
会期は8月22日(日)までです。

今回は雅楽にちなんだ作品を中心にした展示です。
雅楽は奈良時代にさかのぼる日本の伝統音楽で、宮内庁式部職楽部などに
保存されています。
「伎芸天」 竹内久一 明治26(1893)年

会場の最初に置かれています。
台座を含め281cmの巨大な彩色木彫で、仏像彫刻の伝統によっていますが、
天井に咲く花(天華:てんげ)を持った姿はすらりとして自然な佇まいです。
竹内久一(1857-1916)は始め、根付などの象牙彫刻(牙彫:げちょう)の
修行をしますが、奈良の仏像彫刻を観て感銘を受け、木彫に転じています。
後に岡倉天心の知遇を得て、東京藝術大学の前身、東京美術学校の彫刻の
初の教授として高村光雲とともに指導に当たっています。
「浄瑠璃寺吉祥天厨子絵 弁財天および四眷属像」(全7面のうち)
建暦2年(1212) 重要文化財

元は京都浄瑠璃寺の重要文化財、「木造吉祥天立像」(鎌倉時代)を納めた厨子の
扉および背面板です。
これは正面板で、八臂(腕が8本)の弁財天を中心に、向かって右上に正了知大将、
左上に宝賢大将と思われる神将が立ち、右下に堅牢地神が鉢を持って、
左下に訶利帝母が柘榴の実を持って坐しています。
「水鏡」 菱田春草 明治30年(1897)

22歳の時の作品です。
天女が紫陽花の枝を持ち、水鏡に自分の姿を映しています。
天女も永遠には若くなく、やがては衰えるという、天女衰相を表したとのことで、
色の移ろいやすい紫陽花を添え、水は濁って描いたそうです。
古画の模写などで得たであろう線描の技量は高く、堂々とした作品です。
「花園に遊ぶ天女」 橋本平八 昭和5年(1930)

高さ121.7cmの木彫で、全身に花模様が浅く線彫りされ、唇は赤く彩色されています。
近代的な雰囲気をたたえた作品で、モダンなアールデコ風のヘアスタイルをしています。
右足を少し上げた姿は軽やかです。
橋本平八(1897-1935)は三重県生まれで、彫塑部があった頃の院展などに
出品していましたが、38歳で早世しています。
「舞楽屏風」 模本 土佐光信 伝原作 制昨年不詳

納曽利(なそり) 崑崙八仙(ころばせ)

舞楽とは舞を伴う雅楽のことです。
さまざまな舞楽の場面が画面いっぱいに描かれています。
俵屋宗達の「舞楽図屏風」でも舞人が同じ形で舞っています。
土佐光信(1434-1525)は室町時代の土佐派の絵師で、足利8代将軍義政の
寵愛を受けています。
「萬歳楽襖絵」 小下図 小堀鞆音 制作年不詳

画面構成を考えるための小さな下絵です。
「萬歳楽」は即位の礼などで演じられる舞楽で、賢王の世に鳳凰が現れるという
伝承に基く、鳳凰の舞う様を表す舞です。
「経政詣竹生島」 小堀鞆音 明治29年(1896)
琵琶の名手、平経正が木曽義仲追討のため北陸に向かう途中、琵琶湖の竹生島に詣で、
琵琶を奏でるとその音色に感応した祭神の弁才天が白龍となって現れたという、
平家物語の一節に拠っています。
色彩もまとめられ、追討軍中にあるため、経正は鎧を着けた姿です。
小堀鞆音(こぼりともと)(1864~1931)は安田靫彦の師で、東京美術学校の教授も
努めています。
歴史画を得意とし、有職故実を学び、鎧も研究しています。
「絵因果経」 天平時代 8世紀後半 国宝


5世紀に漢訳された、釈迦の前世の善行から現世で悟りを開くまでの伝記である、
過去現在因果経を絵入りの経巻にしています。
上段に釈迦の物語が素朴な表現で描かれていて、後の絵巻物につながる形と
考えられます。
東京美術学校が最初に収集した日本画でもあります。
展覧会では天女が琵琶を奏でている場面が展示されています。
「徳川式室内装飾」 山田於菟三郎 明治26年(1893)


山田於菟三郎は東京美術学校の第1回卒業生で、小林古径の師でもあります。
卒業制作で、一点透視図法の見本のような構図で、武家御殿の内部の屏風絵、
三福対、欄間彫刻、天井画などが細密に描き込まれています。
舞楽の太鼓も置かれ、衝立には舞楽の「蘭陵王」が描かれています。
羅陵王(蘭陵王)は北斉の武人皇族、高長恭(541 - 573)の活躍を演じるもので、
武家の調度にふさわしい画題です。
夏らしい作品もあります。
「教鵡」 矢崎千代二 明治33年(1900)

和服の女性がオウムに言葉を教えているところで、オウムはオウム返しをしています。
左からの柔らかな光を上手く表しています。
矢崎千代二(1872-1947)は横須賀市出身で、黒田清輝に師事し、東京美術学校に
学んでいます。
日本のパステル画の開祖とされ、世界各地を放浪して描き続け、終戦の翌々年に
北京で亡くなっています。
「径」 小倉遊亀 昭和41年(1966)

力強く簡潔な画面の中に女性らしい優しさが感じられます。
2人と1匹の足並みも揃って、リズムがあります。
新鮮でモダンな現代日本画です。
展覧会のHPです。
*****
同じ東京藝術大学大学美術館では「SDGs×ARTs展 十七の的(まと)の素(もと)には
芸術がある」が開かれています。
会期は8月31日(火)まで、入場は無料です。

国連加盟国の定めた17の目標であるSDGs (Sustainable Development Goals
/持続可能な開発目標)になぜARTsが無いのか、ARTsをSDGsと結び付ける
ことが出来るのか考える展示で、東京藝術大学美術館の学生・卒業生・教職員が
さまざまな取組を紹介しています。
chariot
東京藝術大学大学美術館では「藝大コレクション展2021 I期 雅楽特集を中心に」が
開かれています。
会期は8月22日(日)までです。

今回は雅楽にちなんだ作品を中心にした展示です。
雅楽は奈良時代にさかのぼる日本の伝統音楽で、宮内庁式部職楽部などに
保存されています。
「伎芸天」 竹内久一 明治26(1893)年

会場の最初に置かれています。
台座を含め281cmの巨大な彩色木彫で、仏像彫刻の伝統によっていますが、
天井に咲く花(天華:てんげ)を持った姿はすらりとして自然な佇まいです。
竹内久一(1857-1916)は始め、根付などの象牙彫刻(牙彫:げちょう)の
修行をしますが、奈良の仏像彫刻を観て感銘を受け、木彫に転じています。
後に岡倉天心の知遇を得て、東京藝術大学の前身、東京美術学校の彫刻の
初の教授として高村光雲とともに指導に当たっています。
「浄瑠璃寺吉祥天厨子絵 弁財天および四眷属像」(全7面のうち)
建暦2年(1212) 重要文化財

元は京都浄瑠璃寺の重要文化財、「木造吉祥天立像」(鎌倉時代)を納めた厨子の
扉および背面板です。
これは正面板で、八臂(腕が8本)の弁財天を中心に、向かって右上に正了知大将、
左上に宝賢大将と思われる神将が立ち、右下に堅牢地神が鉢を持って、
左下に訶利帝母が柘榴の実を持って坐しています。
「水鏡」 菱田春草 明治30年(1897)

22歳の時の作品です。
天女が紫陽花の枝を持ち、水鏡に自分の姿を映しています。
天女も永遠には若くなく、やがては衰えるという、天女衰相を表したとのことで、
色の移ろいやすい紫陽花を添え、水は濁って描いたそうです。
古画の模写などで得たであろう線描の技量は高く、堂々とした作品です。
「花園に遊ぶ天女」 橋本平八 昭和5年(1930)

高さ121.7cmの木彫で、全身に花模様が浅く線彫りされ、唇は赤く彩色されています。
近代的な雰囲気をたたえた作品で、モダンなアールデコ風のヘアスタイルをしています。
右足を少し上げた姿は軽やかです。
橋本平八(1897-1935)は三重県生まれで、彫塑部があった頃の院展などに
出品していましたが、38歳で早世しています。
「舞楽屏風」 模本 土佐光信 伝原作 制昨年不詳

納曽利(なそり) 崑崙八仙(ころばせ)

舞楽とは舞を伴う雅楽のことです。
さまざまな舞楽の場面が画面いっぱいに描かれています。
俵屋宗達の「舞楽図屏風」でも舞人が同じ形で舞っています。
土佐光信(1434-1525)は室町時代の土佐派の絵師で、足利8代将軍義政の
寵愛を受けています。
「萬歳楽襖絵」 小下図 小堀鞆音 制作年不詳

画面構成を考えるための小さな下絵です。
「萬歳楽」は即位の礼などで演じられる舞楽で、賢王の世に鳳凰が現れるという
伝承に基く、鳳凰の舞う様を表す舞です。
「経政詣竹生島」 小堀鞆音 明治29年(1896)

琵琶の名手、平経正が木曽義仲追討のため北陸に向かう途中、琵琶湖の竹生島に詣で、
琵琶を奏でるとその音色に感応した祭神の弁才天が白龍となって現れたという、
平家物語の一節に拠っています。
色彩もまとめられ、追討軍中にあるため、経正は鎧を着けた姿です。
小堀鞆音(こぼりともと)(1864~1931)は安田靫彦の師で、東京美術学校の教授も
努めています。
歴史画を得意とし、有職故実を学び、鎧も研究しています。
「絵因果経」 天平時代 8世紀後半 国宝


5世紀に漢訳された、釈迦の前世の善行から現世で悟りを開くまでの伝記である、
過去現在因果経を絵入りの経巻にしています。
上段に釈迦の物語が素朴な表現で描かれていて、後の絵巻物につながる形と
考えられます。
東京美術学校が最初に収集した日本画でもあります。
展覧会では天女が琵琶を奏でている場面が展示されています。
「徳川式室内装飾」 山田於菟三郎 明治26年(1893)


山田於菟三郎は東京美術学校の第1回卒業生で、小林古径の師でもあります。
卒業制作で、一点透視図法の見本のような構図で、武家御殿の内部の屏風絵、
三福対、欄間彫刻、天井画などが細密に描き込まれています。
舞楽の太鼓も置かれ、衝立には舞楽の「蘭陵王」が描かれています。
羅陵王(蘭陵王)は北斉の武人皇族、高長恭(541 - 573)の活躍を演じるもので、
武家の調度にふさわしい画題です。
夏らしい作品もあります。
「教鵡」 矢崎千代二 明治33年(1900)

和服の女性がオウムに言葉を教えているところで、オウムはオウム返しをしています。
左からの柔らかな光を上手く表しています。
矢崎千代二(1872-1947)は横須賀市出身で、黒田清輝に師事し、東京美術学校に
学んでいます。
日本のパステル画の開祖とされ、世界各地を放浪して描き続け、終戦の翌々年に
北京で亡くなっています。
「径」 小倉遊亀 昭和41年(1966)

力強く簡潔な画面の中に女性らしい優しさが感じられます。
2人と1匹の足並みも揃って、リズムがあります。
新鮮でモダンな現代日本画です。
展覧会のHPです。
*****
同じ東京藝術大学大学美術館では「SDGs×ARTs展 十七の的(まと)の素(もと)には
芸術がある」が開かれています。
会期は8月31日(火)まで、入場は無料です。

国連加盟国の定めた17の目標であるSDGs (Sustainable Development Goals
/持続可能な開発目標)になぜARTsが無いのか、ARTsをSDGsと結び付ける
ことが出来るのか考える展示で、東京藝術大学美術館の学生・卒業生・教職員が
さまざまな取組を紹介しています。
大手町
宮内庁三の丸尚蔵館では、「近代陶磁をふりかえる―明治・大正・昭和初期」展が
開かれています。
会期は9月5日(日)まで、入館は無料です。

明治から昭和にかけて皇室に献上されたり、皇室買上げとなった日本の陶磁器の展示です。
近代日本を代表する陶磁器作家の逸品が揃っています。
初代宮川香山 「上絵金彩竹籠に葡萄虫行列図花瓶」 明治10年(1877)


竹籠の中、ブドウの葉陰で虫たちが行列しています。
花の毛槍を立て、草の葉の砲を担いで進んでいて、大名行列のようです。
初代宮川香山(1842~1916)は輸出用の陶磁器の横浜眞葛焼を開発しています。
特に独自の技法として、立体的な動物や植物を器の表面に貼り付ける高浮彫で有名です。
板谷波山 「葆光彩磁花鳥図花瓶」 昭和3年(1928)

板谷波山(1872~1963)は陶芸家として最初の文化勲章の受章者で、
葆光釉(ほこうゆう)といわれる薄いヴェールのような釉薬を掛ける技法で
有名です。
加藤土師萌 「葱文大皿」 昭和5年(1930)

葱坊主にぶっくりと厚く釉薬を掛けた、力強く生命力を感じる作品です。
秩父宮の別邸に飾られていました。
加藤土師萌(かとうはじめ、1900~1968)は愛知県瀬戸の出身で、岐阜県で
中国色絵磁器を研究しました。
展覧会のHPです。
大手堀の白鳥です。


大手門の桝形から大手町方向を見たところです。


東京駅丸の内駅前広場のオリンピックカウントダウン掲示板は私の行った
7月24日16時11分35秒を表示していました。

chariot
宮内庁三の丸尚蔵館では、「近代陶磁をふりかえる―明治・大正・昭和初期」展が
開かれています。
会期は9月5日(日)まで、入館は無料です。

明治から昭和にかけて皇室に献上されたり、皇室買上げとなった日本の陶磁器の展示です。
近代日本を代表する陶磁器作家の逸品が揃っています。
初代宮川香山 「上絵金彩竹籠に葡萄虫行列図花瓶」 明治10年(1877)


竹籠の中、ブドウの葉陰で虫たちが行列しています。
花の毛槍を立て、草の葉の砲を担いで進んでいて、大名行列のようです。
初代宮川香山(1842~1916)は輸出用の陶磁器の横浜眞葛焼を開発しています。
特に独自の技法として、立体的な動物や植物を器の表面に貼り付ける高浮彫で有名です。
板谷波山 「葆光彩磁花鳥図花瓶」 昭和3年(1928)

板谷波山(1872~1963)は陶芸家として最初の文化勲章の受章者で、
葆光釉(ほこうゆう)といわれる薄いヴェールのような釉薬を掛ける技法で
有名です。
加藤土師萌 「葱文大皿」 昭和5年(1930)

葱坊主にぶっくりと厚く釉薬を掛けた、力強く生命力を感じる作品です。
秩父宮の別邸に飾られていました。
加藤土師萌(かとうはじめ、1900~1968)は愛知県瀬戸の出身で、岐阜県で
中国色絵磁器を研究しました。
展覧会のHPです。
大手堀の白鳥です。


大手門の桝形から大手町方向を見たところです。


東京駅丸の内駅前広場のオリンピックカウントダウン掲示板は私の行った
7月24日16時11分35秒を表示していました。

新宿
「エクセルシオールカフェ 新宿損保ジャパンビル店」は新宿駅西口の損保ジャパンビルの
1階にあります。
場所は新宿区西新宿1-26 です。


SOMPO美術館で開かれている「風景画のはじまり コローから印象派へ」展を観た
帰りに寄りました。
「エクセルシオールカフェ」を使うのは久し振りです。
お店の前にテラス席が数席あって、そこでいただきました。
カプチーノS367円です。

目の前の青梅街道を眺めながらひと休みです。


先ほど観た風景画展で見た空の絵の様な空の景色です。

飛行機も飛んでいます。

「風景画のはじまり コローから印象派へ」展の記事です。
chariot
「エクセルシオールカフェ 新宿損保ジャパンビル店」は新宿駅西口の損保ジャパンビルの
1階にあります。
場所は新宿区西新宿1-26 です。


SOMPO美術館で開かれている「風景画のはじまり コローから印象派へ」展を観た
帰りに寄りました。
「エクセルシオールカフェ」を使うのは久し振りです。
お店の前にテラス席が数席あって、そこでいただきました。
カプチーノS367円です。

目の前の青梅街道を眺めながらひと休みです。


先ほど観た風景画展で見た空の絵の様な空の景色です。

飛行機も飛んでいます。

「風景画のはじまり コローから印象派へ」展の記事です。
東京
東京駅の東京ステーションギャラリーでは「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜
アイヌであればこそ」展が開かれています。
会期は9月26日(日)までです。



チラシも3種類あります。
藤戸竹喜(1934-2018)はアイヌの木彫り熊の職人の子として北海道美幌町に生まれ、
12歳の頃から旭川で熊彫りを始めています。
展覧会では木彫りの熊を始め、狼や鳥、鯨、蟹、人物などの彫刻、約80点が
展示されています。
「群熊」 イチイ 1967年 前田一歩園財団

高さ190㎝あり、一材から彫り出しています。
藤戸竹喜は下図無しで彫っていて、このような複雑な形を彫り上げるというのは、
完成形が完全に見えていて、それに沿って彫り出しているように見えます。
夏目漱石の小説、「夢十夜」で運慶が護国寺の山門で仁王を彫っているのを見た
という話を思い出します。
藤戸竹喜の熊の木彫りは写実的で、熊の毛も細密に再現されています。
「樹霊観音像」 イチイ 1967年 正徳寺
一木造の等身大の立像で、左手に蓮華を持し、右手を下げた聖観音の姿です。
端正な顔立ちの堂々とした姿で、仏師の作かと思わせます。
それまでほとんど熊しか彫ったことのない藤戸は観音像の依頼を受けて、1週間
関西を回って仏像を観察し、半年かけて制作したそうです。
熊の彫刻家と知られる藤戸ですが、等身大の人物像も制作しています。
写実的な作風で、彫刻家としての力量を見せています。
「狼と少年の物語」 2016年 個人蔵

狼の夫婦に育てられた少年の物語のシリーズの1点です。
明治時代の北海道開拓とともに減少し、現在は絶滅したエゾオオカミへの
挽歌の意味も込めた作品です。
「語り合う熊」 クス 2018年 個人蔵

84歳で亡くなった年の作品で、最後まで技量は衰えていません。
藤戸竹喜という彫刻家について私はこの展来会まで知りませんでしたが、
熊ばかりでなく狼やさまざまな動物、さらに人物や観音像まで見事な写実で
彫り上げている力量には驚きました。
木彫りの熊は、大正時代に尾張徳川家の当主、徳川義親がスイスのベルンで
購入した木彫りの熊を参考に、北海道八雲町に旧尾張藩士が入植した尾張農場で
制作が始まっています。
これとは別に旭川でもアイヌの作家による木彫りの熊の制作が始まっており、
2つの系統は互いに刺激し合って発展しています。
藤戸竹喜は旭川の系統とのことです。
展覧会のHPです。
chariot
東京駅の東京ステーションギャラリーでは「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜
アイヌであればこそ」展が開かれています。
会期は9月26日(日)までです。



チラシも3種類あります。
藤戸竹喜(1934-2018)はアイヌの木彫り熊の職人の子として北海道美幌町に生まれ、
12歳の頃から旭川で熊彫りを始めています。
展覧会では木彫りの熊を始め、狼や鳥、鯨、蟹、人物などの彫刻、約80点が
展示されています。
「群熊」 イチイ 1967年 前田一歩園財団

高さ190㎝あり、一材から彫り出しています。
藤戸竹喜は下図無しで彫っていて、このような複雑な形を彫り上げるというのは、
完成形が完全に見えていて、それに沿って彫り出しているように見えます。
夏目漱石の小説、「夢十夜」で運慶が護国寺の山門で仁王を彫っているのを見た
という話を思い出します。
藤戸竹喜の熊の木彫りは写実的で、熊の毛も細密に再現されています。
「樹霊観音像」 イチイ 1967年 正徳寺
一木造の等身大の立像で、左手に蓮華を持し、右手を下げた聖観音の姿です。
端正な顔立ちの堂々とした姿で、仏師の作かと思わせます。
それまでほとんど熊しか彫ったことのない藤戸は観音像の依頼を受けて、1週間
関西を回って仏像を観察し、半年かけて制作したそうです。
熊の彫刻家と知られる藤戸ですが、等身大の人物像も制作しています。
写実的な作風で、彫刻家としての力量を見せています。
「狼と少年の物語」 2016年 個人蔵

狼の夫婦に育てられた少年の物語のシリーズの1点です。
明治時代の北海道開拓とともに減少し、現在は絶滅したエゾオオカミへの
挽歌の意味も込めた作品です。
「語り合う熊」 クス 2018年 個人蔵

84歳で亡くなった年の作品で、最後まで技量は衰えていません。
藤戸竹喜という彫刻家について私はこの展来会まで知りませんでしたが、
熊ばかりでなく狼やさまざまな動物、さらに人物や観音像まで見事な写実で
彫り上げている力量には驚きました。
木彫りの熊は、大正時代に尾張徳川家の当主、徳川義親がスイスのベルンで
購入した木彫りの熊を参考に、北海道八雲町に旧尾張藩士が入植した尾張農場で
制作が始まっています。
これとは別に旭川でもアイヌの作家による木彫りの熊の制作が始まっており、
2つの系統は互いに刺激し合って発展しています。
藤戸竹喜は旭川の系統とのことです。
展覧会のHPです。
上野
上野の東京国立博物館では特別展、「聖徳太子と法隆寺」が開かれています。
会期は9月5日(日)までです。
8月9日までの前期と11日からの後期で一部展示替えがありますので、展覧会の
HPでご確認ください。

今年は聖徳太子1400年遠忌ということで、太子が推古天皇15年(607)に創建したと
伝えられる奈良・法隆寺の数々の寺宝が展示されています。
「聖徳太子二歳像」 鎌倉時代・徳治2年(1307)

聖徳太子(574ー622)が2歳のとき、東に向かって合唱し、南無仏と唱えると
掌から仏舎利が現れたという言い伝えに拠っています。
凛々しいお顔で、唇に紅色がかすかに残っています。
「聖徳太子孝養像」 室町時代・弘治2年(1556)

父の用明天皇の病気平癒を祈る若い聖徳太子の像です。
聖徳太子孝養像は、みずらを結い、袈裟を着け、香炉を持った姿でよく描かれます。
「聖徳太子および侍者像」 平安時代・保安2年(1121) 法隆寺 国宝
謹厳な表情で笏を手に坐す聖徳太子像に対し、類縁の人とされる4人の侍者は皆、
ユーモラスな顔をしていて、その対比が面白いところです。
「天寿国繍帳」(部分) 奈良時代・推古天皇30年(622)頃 中宮寺 国宝

前期の展示です。
聖徳太子の妃、橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子の死を悼んで
制作させた刺繡を施した帳(とばり)で、太子が阿弥陀浄土と思われる地に
居る様を表しています。
現在、断簡が中宮寺に保存されています。
飛鳥時代の服装の男女や雲、花、西方由来のパルメットなどが刺繍され、
浄土の麗しい情景が再現されています。
「菩薩立像」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺 重要文化財

小ぶりの金銅像で、飛鳥仏らしく左右対称、後の時代に比べると
お顔や立姿には硬さがあります。
お顔の鍍金がよく残っています。
「広目天像」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺 国宝

四天王像のうち、広目天と多聞天が展示されています。
クスノキの一木造で、彩色も一部残っています。
後の時代の四天王像と違って憤怒の相は見せず、動きの無い形で直立しています。
広目天に踏みつけられている邪鬼は台座にするのに丁度良い姿勢をしていて、
大きな歯を見せています。
「阿弥陀如来および両脇侍像」 奈良時代・7~8世紀 法隆寺 国宝

橘夫人念持仏と伝えられる像で、茎の上の蓮華座に阿弥陀如来と観音菩薩、
勢至菩薩が乗っています。
光背も後ろの衝立も精巧なつくりで、技術の高さを窺わせます。
大きな厨子も共に展示されています。
橘夫人とは県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)のことで、光明皇后の母です。
「天人(金堂天蓋附属)」 飛鳥時代・7世紀 国宝

高さ約50㎝の木像で、琵琶や笛、太鼓で楽を奏する天人の
一人が蓮の花に乗ってシンバルのような楽器を持っています。
金堂再建後間もない頃の作で、金堂内陣の天蓋に取り付け
られていました。
創建時の法隆寺は一度火災で焼失しており、現在の伽藍は
再建されたものとされています。
「善光寺如来御書箱」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺
聖徳太子が善光寺の阿弥陀如来に出した手紙への如来の返書が納められている
とされる箱で、筆箱ほどの大きさがあり、錦にしっかり包まれています。
かつて開けられたことが無いので、中に何が入っているのかは分からないそうです。
「孔雀明王像」 鎌倉時代・13世紀 法隆寺 重要文化財


孔雀は毒蛇を食べてしまうことから、孔雀明王は災厄や苦痛を取り除く功徳があるとされ、
また雨乞いの修法の本尊でもあります。
明王も孔雀も少し横を向いている珍しい姿で、動きを感じる図像です。
「蓮池図屏風」 鎌倉時代・13世紀 法隆寺 重要文化財

岡倉天心は明治17年(1884)にフェノロサらとともに法隆寺など
関西の古社寺を調査しています。
秘仏とされた夢殿の救世観音に巻かれていた布がはずされたのは
この時ということです。
天心は奈良古社寺調査手録を残していて、この屏風を「大作妙品」と
高く評価しています。
会場の平成館の1階では法隆寺の秘宝、救世観音像と百済観音像を
8Kの3DCGで見せています。
細部までくっきりと見える見事な映像です。
数々の寺宝によって法隆寺1400年の歴史と太子信仰の様を見せてくれる、
とても見応えのある展覧会です。
仏像などもも飛鳥時代から平安時代まであって、変化していく様が分かります。
特に「天寿国繍帳」(前期展示)を観ることの出来る貴重な機会です。
展覧会のHPです。
東京国立博物館には法隆寺宝物館が併設されています。

法隆寺に伝えられた宝物の一部が明治時代に皇室に献納され、戦後、
その一部が東京国立博物館で保管されることになったとのことです。
法隆寺宝物館は、それらの保存、展示のために建てられた施設です。
現在の建物は谷口吉生の設計で、1999年に開館しています。
「聖徳太子と法隆寺」展と一緒にご覧になるのもよいでしょう。
法隆寺宝物館の記事です。
chariot
上野の東京国立博物館では特別展、「聖徳太子と法隆寺」が開かれています。
会期は9月5日(日)までです。
8月9日までの前期と11日からの後期で一部展示替えがありますので、展覧会の
HPでご確認ください。

今年は聖徳太子1400年遠忌ということで、太子が推古天皇15年(607)に創建したと
伝えられる奈良・法隆寺の数々の寺宝が展示されています。
「聖徳太子二歳像」 鎌倉時代・徳治2年(1307)

聖徳太子(574ー622)が2歳のとき、東に向かって合唱し、南無仏と唱えると
掌から仏舎利が現れたという言い伝えに拠っています。
凛々しいお顔で、唇に紅色がかすかに残っています。
「聖徳太子孝養像」 室町時代・弘治2年(1556)

父の用明天皇の病気平癒を祈る若い聖徳太子の像です。
聖徳太子孝養像は、みずらを結い、袈裟を着け、香炉を持った姿でよく描かれます。
「聖徳太子および侍者像」 平安時代・保安2年(1121) 法隆寺 国宝
謹厳な表情で笏を手に坐す聖徳太子像に対し、類縁の人とされる4人の侍者は皆、
ユーモラスな顔をしていて、その対比が面白いところです。
「天寿国繍帳」(部分) 奈良時代・推古天皇30年(622)頃 中宮寺 国宝

前期の展示です。
聖徳太子の妃、橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子の死を悼んで
制作させた刺繡を施した帳(とばり)で、太子が阿弥陀浄土と思われる地に
居る様を表しています。
現在、断簡が中宮寺に保存されています。
飛鳥時代の服装の男女や雲、花、西方由来のパルメットなどが刺繍され、
浄土の麗しい情景が再現されています。
「菩薩立像」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺 重要文化財

小ぶりの金銅像で、飛鳥仏らしく左右対称、後の時代に比べると
お顔や立姿には硬さがあります。
お顔の鍍金がよく残っています。
「広目天像」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺 国宝

四天王像のうち、広目天と多聞天が展示されています。
クスノキの一木造で、彩色も一部残っています。
後の時代の四天王像と違って憤怒の相は見せず、動きの無い形で直立しています。
広目天に踏みつけられている邪鬼は台座にするのに丁度良い姿勢をしていて、
大きな歯を見せています。
「阿弥陀如来および両脇侍像」 奈良時代・7~8世紀 法隆寺 国宝

橘夫人念持仏と伝えられる像で、茎の上の蓮華座に阿弥陀如来と観音菩薩、
勢至菩薩が乗っています。
光背も後ろの衝立も精巧なつくりで、技術の高さを窺わせます。
大きな厨子も共に展示されています。
橘夫人とは県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)のことで、光明皇后の母です。
「天人(金堂天蓋附属)」 飛鳥時代・7世紀 国宝

高さ約50㎝の木像で、琵琶や笛、太鼓で楽を奏する天人の
一人が蓮の花に乗ってシンバルのような楽器を持っています。
金堂再建後間もない頃の作で、金堂内陣の天蓋に取り付け
られていました。
創建時の法隆寺は一度火災で焼失しており、現在の伽藍は
再建されたものとされています。
「善光寺如来御書箱」 飛鳥時代・7世紀 法隆寺
聖徳太子が善光寺の阿弥陀如来に出した手紙への如来の返書が納められている
とされる箱で、筆箱ほどの大きさがあり、錦にしっかり包まれています。
かつて開けられたことが無いので、中に何が入っているのかは分からないそうです。
「孔雀明王像」 鎌倉時代・13世紀 法隆寺 重要文化財


孔雀は毒蛇を食べてしまうことから、孔雀明王は災厄や苦痛を取り除く功徳があるとされ、
また雨乞いの修法の本尊でもあります。
明王も孔雀も少し横を向いている珍しい姿で、動きを感じる図像です。
「蓮池図屏風」 鎌倉時代・13世紀 法隆寺 重要文化財

岡倉天心は明治17年(1884)にフェノロサらとともに法隆寺など
関西の古社寺を調査しています。
秘仏とされた夢殿の救世観音に巻かれていた布がはずされたのは
この時ということです。
天心は奈良古社寺調査手録を残していて、この屏風を「大作妙品」と
高く評価しています。
会場の平成館の1階では法隆寺の秘宝、救世観音像と百済観音像を
8Kの3DCGで見せています。
細部までくっきりと見える見事な映像です。
数々の寺宝によって法隆寺1400年の歴史と太子信仰の様を見せてくれる、
とても見応えのある展覧会です。
仏像などもも飛鳥時代から平安時代まであって、変化していく様が分かります。
特に「天寿国繍帳」(前期展示)を観ることの出来る貴重な機会です。
展覧会のHPです。
東京国立博物館には法隆寺宝物館が併設されています。

法隆寺に伝えられた宝物の一部が明治時代に皇室に献納され、戦後、
その一部が東京国立博物館で保管されることになったとのことです。
法隆寺宝物館は、それらの保存、展示のために建てられた施設です。
現在の建物は谷口吉生の設計で、1999年に開館しています。
「聖徳太子と法隆寺」展と一緒にご覧になるのもよいでしょう。
法隆寺宝物館の記事です。
新宿
新宿のSOMPO美術館では「風景画のはじまり コローから印象派へ」展が
開かれています。
会期は9月12日(日)までです。

フランスのランス美術館の所蔵する19世紀の風景画を展示する展覧会です。
「沼」 テオドール・ルソー 1842–43年

かっちりとした描き振りで、水辺に座る女性の服の白と赤が目を惹きます。
テオドール・ルソー(1812-67)はバルビゾン派の画家で、バルビゾンには
1836年から長期滞在し、1847年には移住しています。
バルビゾン村はパリの郊外にあり、物価も安く景色も良いため、風景画家たちが
多く集まり、バルビゾン派と呼ばれるようになります。
「ノルマンディー、牛と羊の群れの帰り道」 コンスタン・トロワイヨン 1856年

林の間の道を牛と羊が歩み、その後を農夫が付いてきて、犬が駆け回っています。
コンスタン・トロワイヨン(1810-65)ははじめ、セーヴルの絵付職人でした。
ルノワールがリモージュの絵付職人だったのと似ています。
テオドール・ルソーらと出会って、バルビゾンで制作するようになります。
その後、オランダ、ベルギーを訪問してフランドル絵画の影響を受け、
動物を入れた作品を多く描いています。
「突風」 ジャン゠バティスト・カミーユ・コロー 1865–70年

突風に煽られて揺れる立ち木、思わず腰をかがめる人、遠くには
ぽつんと小さな赤い屋根の家が見えます。
カミーユ・コロー(1796-1875)はバルビゾン派を代表する画家で、
抒情的な風景画や人物画を描いています。
この展覧会ではコローの作品が一番多く、16点が展示されています。
チラシの絵はコローの「湖畔の木々の下のふたりの姉妹」(1865-70)です。
バルビゾン派の次の印象派になると、風景画も物語性を持たせない、
見たままの景色になってきます。
「ベルク、出航」 ウジェーヌ・ブーダン 1890年

ウジェーヌ・ブーダン(1824-98)の油彩画は7点、展示されています。
ベルクは北フランスの港で、風を受けて漁船が一斉に船出し、雲も風に流れる、
広々とした心地良い景色です。
この展覧会で一番気に入った作品です。
ウジェーヌ・ブーダンは海辺の空の景色を描く画家として知られ、少年時代のモネに
屋外で描くことを勧めています。
「ベリールの岩礁」 クロード・モネ 1886年

ベリールはブルターニュ半島の南にある島で、モネはここを訪れて多くの
作品を描いています。
興味の対象が風景というより、岩に当たる日の光と影の対比であることが
よく分かります。
「風景」 ピエール゠オーギュスト・ルノワール 1890年頃

横33㎝の小品ですが、ふわりとして細やかな筆遣いで描かれています。
「ルーヴル美術館」 カミーユ・ピサロ 1902年

亡くなる前年の作品で、セーヌ川のシテ島からポンデザール越しに
ルーヴル美術館方向を見た景色を描いています。
我慢全体が淡い紅色に包まれた穏やかな夕方の景色です。
フランス革命後の1793年にルーヴル宮殿はルーヴル美術館として
開館しています。
ピサロは晩年、シテ島からの眺めを描いたシリーズを手掛けています。
他にベルタン、クールベ、バルビゾン派のデュプレ、ラ・ペーニャ、ドービニー、
印書派のシスレーらの作品もあります。
今回は特にコロ―の作品をたっぷり味わうことが出来ました。
コロ―の詩情性豊かな風景を見ていると、川合玉堂の世界を思い出します。
展覧会のHPです。
参考
「山雨一過」 川合玉堂 1943(昭和18)年 山種美術館

chariot
新宿のSOMPO美術館では「風景画のはじまり コローから印象派へ」展が
開かれています。
会期は9月12日(日)までです。

フランスのランス美術館の所蔵する19世紀の風景画を展示する展覧会です。
「沼」 テオドール・ルソー 1842–43年

かっちりとした描き振りで、水辺に座る女性の服の白と赤が目を惹きます。
テオドール・ルソー(1812-67)はバルビゾン派の画家で、バルビゾンには
1836年から長期滞在し、1847年には移住しています。
バルビゾン村はパリの郊外にあり、物価も安く景色も良いため、風景画家たちが
多く集まり、バルビゾン派と呼ばれるようになります。
「ノルマンディー、牛と羊の群れの帰り道」 コンスタン・トロワイヨン 1856年

林の間の道を牛と羊が歩み、その後を農夫が付いてきて、犬が駆け回っています。
コンスタン・トロワイヨン(1810-65)ははじめ、セーヴルの絵付職人でした。
ルノワールがリモージュの絵付職人だったのと似ています。
テオドール・ルソーらと出会って、バルビゾンで制作するようになります。
その後、オランダ、ベルギーを訪問してフランドル絵画の影響を受け、
動物を入れた作品を多く描いています。
「突風」 ジャン゠バティスト・カミーユ・コロー 1865–70年

突風に煽られて揺れる立ち木、思わず腰をかがめる人、遠くには
ぽつんと小さな赤い屋根の家が見えます。
カミーユ・コロー(1796-1875)はバルビゾン派を代表する画家で、
抒情的な風景画や人物画を描いています。
この展覧会ではコローの作品が一番多く、16点が展示されています。
チラシの絵はコローの「湖畔の木々の下のふたりの姉妹」(1865-70)です。
バルビゾン派の次の印象派になると、風景画も物語性を持たせない、
見たままの景色になってきます。
「ベルク、出航」 ウジェーヌ・ブーダン 1890年

ウジェーヌ・ブーダン(1824-98)の油彩画は7点、展示されています。
ベルクは北フランスの港で、風を受けて漁船が一斉に船出し、雲も風に流れる、
広々とした心地良い景色です。
この展覧会で一番気に入った作品です。
ウジェーヌ・ブーダンは海辺の空の景色を描く画家として知られ、少年時代のモネに
屋外で描くことを勧めています。
「ベリールの岩礁」 クロード・モネ 1886年

ベリールはブルターニュ半島の南にある島で、モネはここを訪れて多くの
作品を描いています。
興味の対象が風景というより、岩に当たる日の光と影の対比であることが
よく分かります。
「風景」 ピエール゠オーギュスト・ルノワール 1890年頃

横33㎝の小品ですが、ふわりとして細やかな筆遣いで描かれています。
「ルーヴル美術館」 カミーユ・ピサロ 1902年

亡くなる前年の作品で、セーヌ川のシテ島からポンデザール越しに
ルーヴル美術館方向を見た景色を描いています。
我慢全体が淡い紅色に包まれた穏やかな夕方の景色です。
フランス革命後の1793年にルーヴル宮殿はルーヴル美術館として
開館しています。
ピサロは晩年、シテ島からの眺めを描いたシリーズを手掛けています。
他にベルタン、クールベ、バルビゾン派のデュプレ、ラ・ペーニャ、ドービニー、
印書派のシスレーらの作品もあります。
今回は特にコロ―の作品をたっぷり味わうことが出来ました。
コロ―の詩情性豊かな風景を見ていると、川合玉堂の世界を思い出します。
展覧会のHPです。
参考
「山雨一過」 川合玉堂 1943(昭和18)年 山種美術館

三越前
日本橋の三井記念美術館ではコレクション名品展、「自然が彩るかたちとこころ」が
開かれています。
会期は8月22日(日)までです。

山川、気象、動植物などの自然がどのように美術に表現されるかを示す展覧会です。
黒楽茶碗 銘 「雨雲」 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀 重要文化財

ざっと黒釉を掛けてあり、残った土色の地肌に深みがあります。
口縁は薄く、するどく切り立っていて、姿を引き締めています。
「志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)」 桃山時代 16~17世紀 国宝

白い釉を垣根に咲く卯の花に見立てています。
切り立った形で、歪みを持たせ、へらの跡も付け、桃山風の豪快な姿を
しています。
ぷつぷつと気泡の浮いた肌も鮮やかで力強さがあります。
名は箱書きの片桐石州の書いた古歌に拠っています。
山里の卯の花墻のなかつ道 雪踏み分けし心地こそすれ
「銹絵染付笹図蓋物」 尾形乾山作 江戸時代 18世紀

白い地に薄い染付と黒褐色の銹絵で笹の葉を全面に描き出しています。
葉の重なりを表現した、大胆で近代的な意匠です。
「日月松鶴図屏風」(左隻) 六曲一双 室町時代 16世紀 重要文化財

右隻には金の板の太陽が貼られ、クマザサ、タンポポ、スミレ、ツツジが描かれています。
左隻には銀の板の三日月が貼られ、アシ、ヤブコウジが描かれています。
右から左に季節が移り、アシは左に行くほど枯れてきて、時の経過を表しています。
室町時代の屏風絵は後の琳派に比べて、重みがあります。
「東福門院入内図屏風」(左隻) 四曲一双 江戸時代 17世紀 重要文化財

東福門院和子(1607-1678)は2代将軍徳川秀忠と江の娘で、後水尾天皇の許に
元和6年(1620)に入内しています。
その時の華やかな行列の模様を描いたもので、元は絵巻の形だったらしく、
目録も付いています。
井伊、酒井、松平などの幕臣の名前も見えます。
東福門院の乗った牛車は二頭立てで、葵の紋が付いています。

「雪松図屏風」 六曲一双 円山応挙 江戸時代 18世紀 国宝

右隻

左隻

雪の晴れ間の澄み切った空気の中に立つ松です。
穏やかな金地に雪の鮮やかな白が映えています。
立体感のある作品で、特に右隻の松の枝はこちらに向って、張り出している
ように見えます。
毎年、正月に展示される屏風ですが、来年の正月は美術館のリニューアル期間中のため、
展示されません。
「岩上群猿図屏風」 ニ曲一隻 森狙仙 江戸時代 18~19世紀

猿の絵を得意とした森狙仙(1748-1821)の作品です。
崖の上の5匹の日本猿や蔦が写実的に描かれています。
崖は墨を流して表しています。
「秋草に兎図襖」 酒井抱一 江戸時代 19世紀

一面に斜めに貼ったヘギ板の線の起こす風に、ススキ、クズ、サルトリイバラが
揺らいでいます。
空には月がかかり、月から抜け出した白兎が駆け抜けていきます。
酒井抱一らしい、繊細で詩情に満ちた作品です。

一面に斜めに貼ったヘギ板の線の起こす風に、ススキ、クズ、
サルトリイバラが揺らいでいます。
空には月がかかり、月から抜け出した白兎が駆け抜けていきます。
酒井抱一らしい、繊細で詩情に満ちた作品です。
「月宮殿蒔絵水晶台」
象彦(西村彦兵衛) 製 明治~昭和初期 三井記念美術館蔵

三井家の保有する大きな水晶球を置くための台です。
水晶を月に見立て、上の板には雲がたなびき、下の板には月にある宮殿といわれる
月宮殿と海中の岩が描かれています。
三井鉱山で採れた水晶、孔雀石、方解石、黄銅鉱などが岩として貼り付けられ、
さまざまな色に光っています。
板の側面にはツルやサギなどが描かれています。
「舟月蒔絵二重手箱」 室町時代 16世紀

蒔絵で萩・菊・桔梗・薄を描き、蓋の表に、夜・雲・遅、裏に秋・水・来の字が
葦手絵(字を絵の中に溶け込むように描く技法)で描かれています。
「和漢朗詠集」の「秋水漲来船去速 夜雲収尽月行遅」の詩に拠っています。
「染象牙果菜置物」 安藤緑山 明治〜昭和時代初期・20世紀

牙彫は象牙などを使った彫刻です。
安藤緑山は牙彫師で、野菜や果物の細工を得意とし、素材に着色するという、
当時は異端だった技法を使っており、本物と見分けが付かない精巧な細工です。
「紺繻子地雪輪松竹菊蒲公英模様縫箔」 江戸時代 18世紀

縫は刺繍で、笹、雪輪文、タンポポ、カキツバタ、浜松など、箔は金箔を貼る摺箔で、
地の全面に竹が描かれています。
「紅白萌黃段扇面秋草観世水模様唐織」 明治〜大正時代・20世紀

扇に水流と萩、桔梗、菊などの秋草が織り出されています。
展覧会のHPです。
この展覧会の終了後、三井記念美術館はリニューアル工事のため8 月23日(月)から
2022年 4 月下旬(予定)まで、休館とのことです。
chariot
日本橋の三井記念美術館ではコレクション名品展、「自然が彩るかたちとこころ」が
開かれています。
会期は8月22日(日)までです。

山川、気象、動植物などの自然がどのように美術に表現されるかを示す展覧会です。
黒楽茶碗 銘 「雨雲」 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀 重要文化財

ざっと黒釉を掛けてあり、残った土色の地肌に深みがあります。
口縁は薄く、するどく切り立っていて、姿を引き締めています。
「志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)」 桃山時代 16~17世紀 国宝

白い釉を垣根に咲く卯の花に見立てています。
切り立った形で、歪みを持たせ、へらの跡も付け、桃山風の豪快な姿を
しています。
ぷつぷつと気泡の浮いた肌も鮮やかで力強さがあります。
名は箱書きの片桐石州の書いた古歌に拠っています。
山里の卯の花墻のなかつ道 雪踏み分けし心地こそすれ
「銹絵染付笹図蓋物」 尾形乾山作 江戸時代 18世紀

白い地に薄い染付と黒褐色の銹絵で笹の葉を全面に描き出しています。
葉の重なりを表現した、大胆で近代的な意匠です。
「日月松鶴図屏風」(左隻) 六曲一双 室町時代 16世紀 重要文化財

右隻には金の板の太陽が貼られ、クマザサ、タンポポ、スミレ、ツツジが描かれています。
左隻には銀の板の三日月が貼られ、アシ、ヤブコウジが描かれています。
右から左に季節が移り、アシは左に行くほど枯れてきて、時の経過を表しています。
室町時代の屏風絵は後の琳派に比べて、重みがあります。
「東福門院入内図屏風」(左隻) 四曲一双 江戸時代 17世紀 重要文化財

東福門院和子(1607-1678)は2代将軍徳川秀忠と江の娘で、後水尾天皇の許に
元和6年(1620)に入内しています。
その時の華やかな行列の模様を描いたもので、元は絵巻の形だったらしく、
目録も付いています。
井伊、酒井、松平などの幕臣の名前も見えます。
東福門院の乗った牛車は二頭立てで、葵の紋が付いています。

「雪松図屏風」 六曲一双 円山応挙 江戸時代 18世紀 国宝

右隻

左隻

雪の晴れ間の澄み切った空気の中に立つ松です。
穏やかな金地に雪の鮮やかな白が映えています。
立体感のある作品で、特に右隻の松の枝はこちらに向って、張り出している
ように見えます。
毎年、正月に展示される屏風ですが、来年の正月は美術館のリニューアル期間中のため、
展示されません。
「岩上群猿図屏風」 ニ曲一隻 森狙仙 江戸時代 18~19世紀

猿の絵を得意とした森狙仙(1748-1821)の作品です。
崖の上の5匹の日本猿や蔦が写実的に描かれています。
崖は墨を流して表しています。
「秋草に兎図襖」 酒井抱一 江戸時代 19世紀

一面に斜めに貼ったヘギ板の線の起こす風に、ススキ、クズ、サルトリイバラが
揺らいでいます。
空には月がかかり、月から抜け出した白兎が駆け抜けていきます。
酒井抱一らしい、繊細で詩情に満ちた作品です。

一面に斜めに貼ったヘギ板の線の起こす風に、ススキ、クズ、
サルトリイバラが揺らいでいます。
空には月がかかり、月から抜け出した白兎が駆け抜けていきます。
酒井抱一らしい、繊細で詩情に満ちた作品です。
「月宮殿蒔絵水晶台」
象彦(西村彦兵衛) 製 明治~昭和初期 三井記念美術館蔵

三井家の保有する大きな水晶球を置くための台です。
水晶を月に見立て、上の板には雲がたなびき、下の板には月にある宮殿といわれる
月宮殿と海中の岩が描かれています。
三井鉱山で採れた水晶、孔雀石、方解石、黄銅鉱などが岩として貼り付けられ、
さまざまな色に光っています。
板の側面にはツルやサギなどが描かれています。
「舟月蒔絵二重手箱」 室町時代 16世紀

蒔絵で萩・菊・桔梗・薄を描き、蓋の表に、夜・雲・遅、裏に秋・水・来の字が
葦手絵(字を絵の中に溶け込むように描く技法)で描かれています。
「和漢朗詠集」の「秋水漲来船去速 夜雲収尽月行遅」の詩に拠っています。
「染象牙果菜置物」 安藤緑山 明治〜昭和時代初期・20世紀

牙彫は象牙などを使った彫刻です。
安藤緑山は牙彫師で、野菜や果物の細工を得意とし、素材に着色するという、
当時は異端だった技法を使っており、本物と見分けが付かない精巧な細工です。
「紺繻子地雪輪松竹菊蒲公英模様縫箔」 江戸時代 18世紀

縫は刺繍で、笹、雪輪文、タンポポ、カキツバタ、浜松など、箔は金箔を貼る摺箔で、
地の全面に竹が描かれています。
「紅白萌黃段扇面秋草観世水模様唐織」 明治〜大正時代・20世紀

扇に水流と萩、桔梗、菊などの秋草が織り出されています。
展覧会のHPです。
この展覧会の終了後、三井記念美術館はリニューアル工事のため8 月23日(月)から
2022年 4 月下旬(予定)まで、休館とのことです。