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「イスラーム王朝とムスリムの世界」展 東京国立博物館東洋館
上野
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東京国立博物館東洋館地下1階ではマレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画
「イスラーム王朝とムスリムの世界」展が開かれています。
会期は2022年2月20日(日)までです。

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イスラーム王朝は7世紀に始まるウマイヤ朝からアッバース朝、ファーティマ朝、
オスマン朝、ムガル朝などさまざまな王朝の興亡があります。
各王朝の文化をクアラルンプールにあるマレーシア・イスラーム美術館の所蔵する
美術品によって紹介する展示です。

右「エナメル彩騎馬鷹狩人物文鉢」 イラン 12世紀末~13世紀初
左「ラスター彩騎馬人物文鉢」 イラン、カーシャーン 12世紀

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ラスター彩は金属酸化物で絵付けを行なった陶器で、金属色の輝きがあります。

「エナメル彩人物文鉢」 イラン 13世紀
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「釉下彩花鳥文皿」 トルコ オスマン朝 1580年頃
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イスタンブール対岸のオスマン朝時代の陶器産地イズニクで生産された陶器です。
オスマン朝は13世紀末から20世紀にかけて、トルコを中心に中東、地中海沿岸、
東欧の一部を支配した王朝で、コンスタンティノープルを攻略して東ローマ帝国を滅ぼし、
コンスタンティノープルをイスタンブールと改名しています。
オスマン朝は第一次世界大戦の敗北に伴い滅亡し、現在のトルコ共和国となっています。

「釉下彩人物文天板(卓部分)」 イラン カージャール朝 19世紀半ば
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カージャール朝は18世紀末から20世紀初頭にかけてイランを中心に支配した王朝です。
1925年に軍人によるクーデターで滅亡し、パーレビ朝に替わっています。

「饗宴図皿」 イラン カージャール朝 19世紀
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「粉彩カップ」 清 広州 1875年
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輸出用に製作された品のようで、薔薇の間にアラビア文字も書かれています。

「ラスター彩アルハンブラ壺」 スペイン 19世紀
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イスパノ・モレスクといわれる陶器で、イスラム勢力のスペイン支配に伴い、
スペインに移り住んだアラビア人の作ったものです。
スペイン最後のイスラム王朝、ナスル朝の滅亡後も製作は続いています。

「ラスター彩水差」 スペイン、バレンシア 20世紀初
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「クルアーン」 エジプトまたはシリア マムルーク朝 14世紀または15世紀
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クルアーン(コーラン)はアラビア語のみがクルアーンで、多国語に訳されたものは
解説書という扱いになっています。
マムルーク朝は13世紀から16世紀にかけてエジプトやシリアなどを支配した王朝です。

「クルアーン」 マレー半島東海岸 19世紀
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「宝飾ヘッドドレス」「儀礼用イヤリング」 モロッコ 1800年頃
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「宝飾品」 インド 18~19世紀
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「木画キャビネット」 ポルトガル 1800年頃
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細密画「シャー・ジャハーンと息子アウラングゼーブ」 インド ムガール朝 1750年
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ムガール朝は16~19世紀にインドなどを支配した王朝ですが、イギリスによる
インドの植民地化により滅亡しています。
シャー・ジャハーン(1592 – 1666)は亡き王妃のために壮麗なタージ・マハルを
建設した王です。
アウラングゼーブ(1618 – 1707)は三男で、王位を継承しますが、父王を幽閉し、
他の3兄弟は非業の死を遂げています。
私がシャー・ジャハーンの悲劇を知ったのは、ラジオの「JET STREAM」での
城達也さんの紹介によってでした。

「「シャーナーメ」の挿絵」 イラン カージャール朝 18~19世紀
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「シャーナーメ」は古代ペルシアの神話や伝説、歴史を集大成した民族叙事詩で、
1010年に完成しています。

「皇太子アッバース・ミールザーの肖像」 イラン カージャール朝 1818~1820年頃
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アッバース・ミールザー(1789‐1833)はカージャール朝2代目ファトフ・アリー・シャー
(1772 – 1834)の皇太子で、ロシアやトルコと戦いますが、父に先立って亡くなっています。

「マフムト1世の花押入り勅令」 トルコ オスマン朝 1733年
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マフムト1世(1696 – 1754)はオスマン帝国の第24代皇帝で、イランのサファヴィー朝や
ロシア、オーストリアと戦っています。

武器類
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18~19世紀のイラン、インド、トルコなどの武器類です。

現代アートもあります。

「ラッバイク」 アズラ・アグハイ・バグシェイヒ 2011年
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イスラムでは肖像は忌避されることが多く、作品も文字を使っていて、抽象画のようです。

アジアからアフリカにかけてさまざまなイスラーム王朝が興亡を繰り返していますが、
陶器、金属器、絵画など、その美術品はどれも細密で装飾性にあふれ、魅力的です。

2018年に千住の石洞美術館で開かれた「イスラーム陶器展」の記事です。

2013年に出光美術館で開かれた「オリエントの美術展」の記事です。

展覧会のHPです。


【2021/10/31 19:59】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「木組 分解してみました」展 上野 国立科学博物館
上野
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上野の国立科学博物館では国立科学博物館・竹中大工道具館共同企画展
「木組 分解してみました」が開かれています。
会期は11月24日(水)までです。

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「法隆寺五重塔模型」 本田真松 縮尺1/25 ケヤキ材 1970年代
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日本最古の木造建築の模型で、建具師による制作です。

「薬師寺東塔模型」 本田真松 縮尺1/25 サクラ材 1970年代
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三重塔ですが、裳階を付けていて六重に見えます。
屋根を支える組物も法隆寺とは違っています。

部材を同じ方向に延長する接合方法を継手、角度を付けて接合するのを
仕口といいます。

四方から接合する四方差しです。
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丸太を縄で縛っていたことに始まる捻子組です。
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込栓(こみせん)は栓を打ち込んで接合部を固定する技法です。
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「錦帯橋部分模型」 海老崎組 縮尺1/2.5 ケヤキ材 2019年
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山口県岩国市の錦帯橋は江戸時代の1673年に岩国藩によって架けられた
5連のアーチ橋です。
洪水に耐えるよう、アーチという日本では珍しい木組を採用しています。
外国には石造のアーチは多くありますが、木造というのはとても珍しい例です。

「組子屏風」 栄建具工芸 2019年
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組子は建具に使われる組み木細工です。
さまざまな細かい組子によって山の景色を表現しています。

指物は板を組合わせて作る家具や箱です。
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木組が角材や丸太を組合わせるのに対し、指物は板と板を合わせるので
細工が異なります。

森林大国の日本では木造建築や木工技術が高度に進歩してきたことを
教えてくれる展覧会です。

展覧会のHPです。


日本館ホールのステンドグラスに日が差していました。
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良く晴れた日で、日本館の日の丸がはためいていました。
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【2021/10/30 18:02】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「TOFFEE tokyo(トーフィー トーキョー)」 大手町
東京
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「TOFFEE tokyo(トーフィー トーキョー)」は大手町の常磐橋タワーの1階にあります。
場所は千代田区大手町2-6-3です。

常磐橋タワーは三菱地所による「TOKYO TORCH」と呼ばれる再開発プロジェクトに
よって建てられた超高層ビルで、6月に竣工しています。

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前の広場には船や錦鯉の形をした大きな遊具が置いてありました。

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「TOFFEE tokyo」は7月にオープンしたカフェで、佐賀県鹿島市の豆腐店がルーツと
いうことです。

全席禁煙、広いテラス席があります。
店内のBGMはモダンジャズでした。

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豆乳を使ったメニューが中心で、ソイラテが何種類かあり、豆腐チョコもあります。
ストレートのコーヒーやエスプレッソもあります。

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先ずはコーヒーを飲んでみたくて、テラス席でのアメリカンコーヒー500円にしました。

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アメリカンということですが、しっかりした苦味系で美味しいです。



【2021/10/29 19:20】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「東京長浜観音堂 いも観音」
東京
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「東京長浜観音堂」は東京駅八重洲口からさくら通りを進み、小路を左に入った
八重洲セントラルビルの4階にあります。
場所は中央区日本橋2-3-21です。

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滋賀県長浜市は2016年に上野不忍池畔に「東京にある、長浜の観音堂」を
コンセプトに「びわ湖長浜KANNON HOUSE」を開設し、長浜市にある観音像
約20体が入れ替わりで展示されていました。

「KANNON HOUSE」2020年10月に閉館しましたが、長浜の観音文化の
保存伝承のための支援者を得るため、2021年7月から長浜の観音像を
出張展示する「東京長浜観音堂」を開設しています。
約2か月ごとに観音像を入れ替えて展示を行う予定で、私は2回目の展示に
行ってきました。

11月14日(日)までは安念寺いも観音が展示されています。

木之本町黒田 安念寺 天部形立像・如来形立像(いも観音)
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向かって右 如来形立像 平安時代 木造 彫眼 像高93.0cm
左 天部形立像 平安時代 木造 彫眼 像高95.5cm

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ヒノキの一木造りで、平安後期、11世紀の作と推定されるそうです。
当初の尊名は不明ですが、左の像は脚を広げた動的な形をしており、
天部衆と思われます。
賤ケ岳の麓にある安念寺は奈良時代、神亀3年(726)の草創とされ、
元は天台宗の寺院でしたが、現在は無住です。
元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ちの際に堂宇は焼失しますが、
諸仏は田に埋めて隠しています。
後に江戸時代の文政年間に掘り出されますが、長い間土に埋まっていたため、
かなり朽ちて痛ましい姿となってしまいました。
疱瘡や皮膚病に効験のある「身代わり観音」として信仰され、昭和の初めまでは
夏に子どもたちがこの仏様を余呉川に浮かべて水遊びをしていたそうです。
17体ありましたが、盗難のため現在は10体が残り、いも観音と呼ばれ、
集落の人たちによって守られています。

かつて天然痘に罹って出来たかさぶたを「いも」と言っていました。
いも観音の名の由来は、荒れた表面の像を「いも観音さん」と呼んで、皮膚病に
効験があるとして信仰していたことによるものです。

以前、「びわ湖長浜KANNON HOUSE」にお越しになった観音様の写真です。

「東京長浜観音堂」のHPです。


【2021/10/28 22:18】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
江戸川橋散歩  2/2 バラがきれいな鳩山会館 
江戸川橋
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江戸川散歩の続き、音羽の鳩山会館に行ってきました。
場所は文京区音羽1-7-1です。

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鳩山会館は戦後に総理大臣を勤めた鳩山一郎(1883-1959)を記念館として
開放したもので、音羽御殿とも呼ばれています。
音羽通りに面した正面入口から入ります。
入館料は大人600円です。

明治生命館や東京国立博物館の黒田記念館を設計した岡田信一郎の設計で、
関東大震災の翌年の1924年の建設です。

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邸内はイギリス風のデザインです。
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2階は改造されて、ホールが作られています。
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小川三知の制作したステンドグラスです。
小川三知は慶應義塾図書館のステンドグラスなどを手掛けています。
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庭園には多くのバラが植えられていて、ちょうど花の季節でした。

鳩山一郎の特に好んだ「ピース(平和)」です。
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「芳純」は香りの高さが特徴で、よく香っていました。
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「ジョン・F・ケネディ」
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「ブラックティ」
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「友愛」
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「ローズ ユミ」はブライダルファッションデザイナーの桂由美さんにちなんでいます。
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「ローズ・ヨコハマ」
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「ブルームーン」
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「シャルル・ド・ゴール」
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「アイスバーグ」
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「白秋」は希少な品種です。
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大きな錦鯉も泳いでいます。
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【2021/10/26 18:26】 街歩き | トラックバック(0) | コメント(0) |
「イスラエル博物館蔵 印象派・光の系譜」展 三菱一号館美術館 ブロガー内覧会 2/2
東京
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三菱一号館美術館で開かれている、「イスラエル博物館蔵 印象派・光の系譜」展の
ブロガー内覧会の記事、2/2です。
展覧会の会期は2022年1月16日(日)までです。


III 都市の情景

フィンセント・ファン・ゴッホ
 「アニエールのヴォワイエ=ダルジャンソン公園の入り口」 1887年
 
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オランダからパリに出て、弟のテオの部屋に居候していた頃の作品です。
ゴッホはパリで初めて画塾に通い、ロートレックやサラ・ベルナール、シニャックと
知り合いになっています。
色彩が明るくなり、印象派風の筆触が始まっています。

カミーユ・ピサロ 「ポントワーズの工場」 1873年
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ポントワーズはパリの北西の、オアーズ川沿いの町です。
工場が進出して、煙突が立ち並んでいます。

カミーユ・ピサロ 「テュイルリー宮庭園、午後の陽光」 1900年
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秋の頃でしょうか、柔らかな陽の光を描き出しています。
晩年のピサロはよくパリの風景を描いています。

アルマン・ギヨマン 「セーヌ川の情景」 1882年頃
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濃い色彩で、煙を吐くはしけのクレーンや働く人馬を力強く描いています。

エドガー・ドガ 「《障害競走》のあるアトリエ」 1880–1881年
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下絵なのか、《障害競走》という題の絵の掛かったアトリエと絵を眺める人物の
後ろ姿を手早くスケッチしています。

レッサー・ユリィ 「夜のポツダム広場」 1920年代半ば
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ポツダム広場はベルリンの中心にある広場で、鉄道や地下鉄の駅が出来て
賑わうようになりました。
レッサー・ユリィ(1861-1931)はドイツ出身のユダヤ系画家で、夜の景色を
多く描いています。

レッサー・ユリィ 「冬のベルリン」 1920年代半ば
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冬らしく、寒々とした景色です。
ユリィの絵はどこか冷えた色彩の作品が多いようです。


IV 人物と静物 

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「レストランゲの肖像」 1878年
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ウジェーヌ=ピエール・レストランゲは内務省の役人ですが、ルノワールの親友で、
ルノワールの結婚の証人にもなっています。
顔はきっちり描かれていますが、他の部分は粗い筆捌きで済ませています。
「旧友レストランゲへ」と書かれていて、ルノワールからの贈り物と考えられます。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「マダム・ポーランの肖像」 1880年代後半
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友人の妻の肖像で、艶やかな肌の顔は柔らかな表情を浮かべています。
イタリア旅行を機に、古典的な写実に回帰した頃の作で、デッサンを重視しています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「花で飾られた帽子の女」 1889年
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華やかな白と赤の飾りの付いた帽子を被った女性はほんのり頬を染めています。
暗くした背景の前で顔や帽子が際立っています。

エミール・ベルナール 「マリー・ルマッソンの肖像」 1892年
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エミール・ベルナール(1868‐1941)はゴーガンと出会い、二人は客観的な観察と
主観的・象徴的な意識を総合して描くという総合主義を生み出します。
技法として、太い輪郭線と平坦な色面による平面的表現を用いるクロワニズムに
拠っています。
ただ、二人は後に喧嘩別れしています。

カミーユ・ピサロ 「ジャンヌの肖像」 1893年頃
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ピサロはあまり人物を描いていませんが、家族の肖像は描いています。
娘のジャンヌ・マルグリット・エヴァ、12歳です。
憂いのある表情を浮かべ、黒い髪が印象的です。
一時取組んでいた点描から離れた頃ですが、点描の面影が残っています。

ポール・セリュジエ 「子供たちの食事」 1907年
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民族衣装を着たブルターニュの子供たちです。
実際の情景ではなく、一種の懐古趣味によるものだそうです。

エドゥアール・ヴュイヤール 「窓辺の女」 1895–1900年
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ヴュイヤールはナビ派の画家で、平面的、装飾的な画風が特徴です。
室内や身の回りを好んで描き、自らアンティミスト(親密派)と名乗っています。
モデルは親しい友人のミシア・ナタンソンで、ヴュイヤールはよく描いています。

ピエール・ボナール 「食堂」 1923年
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モデルは妻のマルトで、ボナール特有の暖かい色彩に包まれ、テーブルクロスや
壁の縦横の線が画面をまとめています。

レッサー・ユリィ 「赤い絨毯」 1889年
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赤、黒、白の色彩でまとめられ、観る人の視線は女性から窓の外へと向かいます。

ギュスターヴ・クールベ 「リンゴの静物」 1871–1872年頃
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空を背景にしてどっしりとしたリンゴです。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「静物」 制作年不詳
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丸々として暖かな色彩の果物です。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「リンゴとキジ」 制作年不詳
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リンゴを中心にしてテーブルクロスや壁の色で色面分割をしています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「花瓶にいけられた薔薇」 1880年頃
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顧客のポール・ベラールの持つヴァルジュモン城を飾るために描かれたそうです。
ルノワールはこの頃、ベラールの許で過ごして描いています。

ポール・ゴーガン 「静物」 1899年
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オレンジ色が際立ち、ポットや果物に当たる光も描かれています。


印象派からポスト印象派まで、21人の画家の作品が揃い、その多くが日本初公開という、
とても見応えのある展覧会です。
水、自然と人、都市、人物静物の4つにグループ分けされ、同じ画家がそれぞれの
題材でどんな描き方をしているか見比べることが出来るのも面白いところです。

「イスラエル博物館蔵 印象派・光の系譜」展の記事1/2です。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は「上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」です。
会期は2022年2月18日(金)から5月15日(日)までです。

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【2021/10/24 20:13】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「イスラエル博物館蔵 印象派・光の系譜」展 三菱一号館美術館 ブロガー内覧会 1/2
東京
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三菱一号館美術館で開かれている、「イスラエル博物館蔵 印象派・光の系譜」展の
ブロガー内覧会に行ってきました。
展覧会の会期は2022年1月16日(日)までです。

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記事が長いので、2回に分け、今日は1/2です。

「弐代目・青い日記帳」主催のTakさんがモデレーターで、安井裕雄学芸員の解説を
伺いました。

イスラエル博物館はエルサレムにある博物館で、約50万点の美術品や史料を保存し、
死海文書の所蔵でも知られています。

展覧会では印象派を中心に、コロ―に始まりボナールに至る画家たちの作品、
69点が展示されていて、そのうち59点は初来日ということです。

写真は許可を得て撮影したものです。

I 水の風景と反映

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「川沿いの町、ヴィル=ダヴレー」
 1855–1856年頃

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先ず、印象派に影響を与えたコロ―の作品から始まります。
コロ―らしい、おだやかな景色で、点景に人物が見えます。

シャルル=フランソワ・ドービニー 「川の風景、バ=ムードン」 1859年
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ドービニーは小舟でセーヌ川を上り下りして、風景を描いていて、後にモネも
同じことをしています。
 
ギュスターヴ・クールベ 「海景色」 1869年
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クールベは海の景色を好み、生涯に100点あまりを描いています。

ウジェーヌ・ブーダン 「ベルクの浜辺」 1882年
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浜辺に行楽に来た都会の上流階級の人を手前に、地元の人たちをその向こうに
描いています。
ブーダンは気象もよく描き込んでいて、沖の海では帆船の帆が風に傾いています。

ウジェーヌ・ブーダン 「港に近づくフリゲート艦」 1894年
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海と雲をよく描いたブーダンですが、特にこの絵は晴れ晴れと明るく、私の気に入った
作品です。
この絵の描かれた1894年は初代の三菱一号館が建設された年に当たるそうです。

アルフレッド・シスレー 「ロワン川のほとり、秋の効果」 1881年
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シスレーらしく、地平線を低くし、空を広く描いています。

アルフレッド・シスレー 「サン=マメス、ロワン川のはしけ」 1885年
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空や建物が水面に映っています。

クロード・モネ 「エトルタ、アヴァルの崖」 1885年
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モネはノルマンディー海岸のエトルタを何度も訪れています。

ポール・セザンヌ 「川のそばのカントリーハウス」 1890年頃
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キュビズムを予感させる造形です。 

アルマン・ギヨマン 「川の景色」 1890年頃
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のどかな川と工業化の進むフランスの景色が一緒に描かれています。

チャイルド・ハッサム 「夏の陽光( ショールズ諸島)」 1892年
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ショールズ諸島はアメリカの東海岸、ポーツマスの冲にある島です。
まばゆいばかりの白で、降り注ぐ日の光を表しています。
チャイルド・ハッサム(1859-1935)はアメリカ人で、フランスのアカデミーで
学んでいますが、印象派に傾倒し、後にはアメリカ印象派を代表する画家に
なっています。

レッサー・ユリィ 「風景」 1900年頃
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レッサー・ユリィ(1861-1931)はドイツ出身のユダヤ系画家で、ウィーン分離派や
ベルリン分離派に参加しています。
夜の景色が多いことで知られていて、印象派として位置付けされていますが、
色調は暗めで、特にこの作品では印象派風の筆触分割もされていません。

ポール・シニャック 「サモワの運河、曳舟」 1901年
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大粒の点描が活き活きとしています。

テオ・ファン・レイセルベルヘ 「地中海、ル・ラヴァンドゥー」 1904年
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テオ・ファン・レイセルベルヘ(1862-1926)はベルギー出身で、初期は印象主義の影響を
受けていましたが、1886年にスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を見て以来、
点描主義の画家となっています。

クロード・モネ 「睡蓮の池」 1907年
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ジヴェルニーの家の庭で描き続けた「睡蓮の池」シリーズの一作です。
この年は「睡蓮の池」の当たり年ということで、同じ題材の作品が数多く描かれています。

会場の最後の特別展示にはこの作品とよく似た構図のDIC川村記念美術館、
和泉市久保惣記念美術館、東京富士美術館の所蔵する3作品も展示されて
いるのも見所です。
また、アーティゾン美術館もよく似た作品を所蔵していて、東京富士美術館所蔵
(1908年)以外は同じ1907年の制作です。


II 自然と人のいる風景

カミーユ・ピサロ 「豊作」 1893年
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明るい陽光の下で働く農民を描いています。
ピサロはスーラに刺激されて点描を始めていますが、この頃には止めています。

カミーユ・ピサロ 「朝、陽光の効果、エラニー」 1899年
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ピサロは1884年にエラニーに移り住み、晩年を過ごしています。
川を下るとモネの住んでいたジヴェルニーです。

カミーユ・ピサロ 「エラニーの日没」 1890年
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日没前の一瞬の日の輝きを手早く捉えています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「マントノン郊外」 1888年
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マントノンはパリの南西にある町です。
手前の日影を大きく描き、家並みが奥行きを見せています。


ポール・セザンヌ 「湾曲した道にある樹」 1881–1882年
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斜めに並んだ筆遣いにリズムを感じます。

ポール・セザンヌ 「陽光を浴びたエスタックの朝の眺め」 1882–1883年
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横に延びる枝振りがいかにもセザンヌです。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「麦畑とポピー」 1888年
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ゴッホはこの年の2月にパリから南仏のアルルに移り、盛んに制作を始めます。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「プロヴァンスの収穫期」 1888年
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アルルの「黄色い家」に居たゴッホがゴーガンを迎えることになり、
意気揚々としていた頃の作品です。
輝く黄色が高揚した気持ちを表しています。

クロード・モネ 「ジヴェルニーの娘たち、陽光を浴びて」 1894年
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積み藁を娘さんに見立てた題名です。
モネのよく描いた積み藁ですが、厚塗りの割には色調が平板です。
いろいろ作画を試していた頃なのだろうとのことです。

ポール・セリュジエ 「風景」 制作年不詳
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ポール・セリュジエはナビ派のメンバーで、ゴーガンの居たブルターニュの
ポン・タヴェンに通い、ゴーガンから刺激を受けています。

ポール・ゴーガン 「ヴォージラールの家」 1880年
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ヴォージラールはパリ郊外の町で、1877年にゴーガンが移り住んでいます。
一瞬、セザンヌかと思う、風景を図形化した描き振りです。

ポール・ゴーガン 「ウパウパ(炎の踊り)」 1891年
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ウパウパはタヒチの踊りです。
海に向かって斜めに立っているヤシの木が真ん中にあって、南国的で
幻想的な光景です。

ポール・ゴーガン 「犬のいる風景」 1903年
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亡くなった年にヒヴァ・オアで描かれた作品で、黒犬と雌鶏が闘っています。
黒犬は自分の野蛮な分身、雌鶏はカトリック教会や美術評論家、社会規範など
ではないかということですが、犬の方が大きく描かれているのが面白いところです。
しっかり色面分割されていて、ナビ派などへのつながりを思わせます。

「イスラエル博物館蔵 印象派・光の系譜」展の記事2/2です。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は「上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」です。
会期は2022年2月18日(金)から5月15日(日)までです。

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【2021/10/23 20:05】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
江戸川橋散歩 1 「関口フランスパン目白坂本店」
江戸川橋
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文京区関口の「関口フランスパン目白坂本店」に行ってきました。
場所は文京区関口2-3-3で、東京メトロ有楽町線江戸川橋駅を出て、
目白坂下から目白通りを上っていく坂の途中の左側にあります。

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人気のあるパン屋さんで、お店の中はパンを選ぶ人、イートインでくつろぐ人で
賑わっていました。

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奥のテラス席でひと休みしました。
テラス席はテーブルが4つあります。

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フィグとナッツのデニッシュ308円、スイートパンプキン220円、コーヒー360円、
紅茶360円です。

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スイートパンプキンにはハロウィンのシールが付いています。

お店のHPによれば、こちらのお店は坂を上がった所にある今の関口教会
(東京カテドラル聖マリア大聖堂)の製パン部として1888年に創業し、
今年で120周年とのことです。
教会の経営する孤児院の子供たちに技術を身に付けさせようと、パン製造を始め、
そのうちの一人を仏領インドシナ(今のベトナム・ラオス・カンボジア)に派遣して、
フランスパンの製造を学ばせたとのことです。

お店の前の目白新坂にはナマズを描いた掲示板が掲げられていました。

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以前、「関口フランスパン目白坂本店」に行った時の記事です。

お店のHPです。


坂の上にある、丹下健三の設計した東京カテドラル聖マリア大聖堂です。
歩道橋の上から撮りました。
晴れた日には屋根が銀色に輝きます。

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以前、晴れた日に撮った写真です。

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隣は獨協中学校・高等学校です。

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獨協学園はドイツ文化の移植のため設立された獨逸学協会学校に由来する学校で、
長州藩出身の明治の軍人、政治家、品川弥次郎が中心となって設立されています。
フランス系のカテドラルと並んでドイツ系の学校が並んでいる訳です。

通りの向かいは椿山荘です。

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こちらも長州藩出身の明治の軍人、政治家、山県有朋の邸宅のあった所です。

カテドラルと獨協学園の間の道を行くと鳥尾坂になります。
坂を下りてから見上げたところで、かなり急な坂です。

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鳥尾坂は、これも長州藩出身の明治の軍人、政治家、鳥尾小弥太が近くに住んでいて、
住民が目白台への昇り降りに難渋しているのを見て、私財を投じて切り開いた坂という
ことです。
鳥尾小弥太は政治的には山県有朋と対立していました。


【2021/10/22 20:09】 お店 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「縄文2021―東京に生きた縄文人―」 両国 江戸東京博物館
両国
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両国の江戸東京博物館では特別展、「縄文2021―東京に生きた縄文人―」で
開かれています。
会期は12月5日(日)までです。

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縄文時代は現在よりも温暖だった時期が長かったので、海水面は高く、関東平野の
内陸まで海が入ってきていました(縄文海進)。

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大森貝塚
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品川区から大田区にまたがる、縄文後期から晩期の貝塚で、明治10年に来日した
エドワード・モースによって日本最初に発見された貝塚です。
明治5年に開業した、新橋から横浜に向かう鉄道に乗っていた時、大森駅近くの崖に
貝殻の厚い堆積層があるのが見えたことに始まります。

貝製品など
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日暮里延命院貝塚
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縄文後期の貝塚で、東京では大森貝塚の次に発見されています。
諏訪台の西、ゆうやけだんだんを上がった所あたりです。
縄文後期は少し寒冷化してきており、今の日暮里駅の東は干潟、その先は海になっていて、
そこの魚や貝を獲っていたようです。

深鉢
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注口土器
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貝製品や骨角器
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雪ヶ谷貝塚
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大田区南雪谷の久が原台の先端にある、縄文前期の貝塚です。
台地の東側の入江が干潟になっていて、貝の採取がし易かったようです。
一時期に数軒程度が生活していたと思われます。

深鉢
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忠生(ただお)遺跡
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町田市根岸・木曽町にある旧石器・縄文中期・古墳・平安・中世と続く遺跡です。
中央に墓のある環状集落が発見されています。

深鉢と石棒
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住居跡から発見された石棒は184㎝もあり、国内最大級です。

落合遺跡
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新宿区中落合・中井にある旧石器・縄文中期・弥生・古代の遺跡で、目白学園と
その南側あたりです。

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下野原遺跡
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奥多摩町梅沢の梅沢川の河岸段丘にある縄文中期から後期の遺跡です。
近くで採れる硬い堆積岩であるチャートから石器を制作し、周辺に供給していました。

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駒木野遺跡
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青梅市駒木町の釜の淵の段丘にある縄文中期の遺跡です。

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丸木舟 北区中里遺跡出土 縄文時代中期
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長さは5.8mあり、直径80㎝の深くムクノキを火で少しずつ焦がしてくり抜いてあって、
極く薄くなるまで削ってあります。
当時、一帯は飛鳥山の下の海辺の砂州で、舟も渚に置かれていました。


石槍 あきる野市前田耕地出土 縄文時代草創期 重要文化財
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周辺で採れる石材のチャートを加工して大量の石槍などを作っていたようです。

翡翠製大珠 多摩ニュータウンNo.72遺跡出土 縄文時代中期
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日本海側の糸魚川で採れる翡翠や諏訪湖周辺の黒曜石が関東に運ばれ、
逆に海産物や貝製品、銚子で採れる琥珀などが内陸に運ばれています。


土偶
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遮光器土偶を模した遮光器「系」土偶もあります。
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多摩ニュータウンNo.72遺跡出土 縄文時代中期
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小さな人型土偶です。

10月19日から11月14日まで、国宝の「縄文のビーナス」が展示されています。

土偶 縄文のビーナス 長野県茅野市棚畑遺跡 
 縄文時代中期)前3000~前2000年   国宝
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また、11月16日から12月5日まで、同じく国宝の「仮面の女神」が展示予定です。

土偶 仮面の女神 長野県茅野市中ッ原遺跡 
 縄文時代(後期)・前2000~前1000年 国宝
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縄文時代の集落の模型です。
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水を得られる川の近くに広場を囲む形で住居が建てられています。
広場では祭祀が行われていたようで、死者も埋葬されています。


東京にこれだけ多くの縄文時代の遺跡があり、大量の出土品もあることに驚きました。
海に近く、台地があり、暮らしやすい場所だったのでしょう。
縄文時代は1万年以上続いており、土器や土偶などを見ると、文化もかなり変化
しているようです。

展覧会のHPです。

江戸東京博物館は来年4月1日から令和7年度中まで大規模改修工事のため、
全館休館するとのことです。


【2021/10/20 17:52】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「浅草寺のみほとけ」展 東京国立博物館
上野
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東京国立博物館本館14室では総合文化展の一部として「浅草寺のみほとけ」の
コーナーが設けられています。
会期は12月19日(日)までです。

特別展「最澄と天台宗のすべて」に合わせての企画で、浅草寺の所蔵する
13件、17体が展示されています。
浅草寺は1950年に聖観音宗として単立寺院になるまでは天台宗の寺院でした。

「僧形坐像」 唐~五代十国時代・9~10世紀
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尊名は不明ですが、江南地方で制作されたと思われます。

「仏頭」 平安時代・12世紀
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頭髪の形から如来の頭部と考えられますが、尊名は不明です。

「不動明王立像」 平安時代・12世紀
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丸い肉付きなどから平安後期の作と思われ、浅草寺で最も古い仏像の一つです。

「大威徳明王騎牛像」 鎌倉時代・13世紀
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大威徳明王は五大明王のうちの一尊で、水牛に乗った姿で表されます。

「四天王立像」 鎌倉時代・13世紀
鎌倉時代に再興された東大寺大仏殿の像に倣う形とされています。
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多聞天
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持国天
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増長天
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広目天
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「愛染明王坐像」 鎌倉~南北朝時代・14世紀
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愛染明王は煩悩即菩提を表し、恋愛、縁結びを司るとされます。
一面六臂の赤身で、日輪を背負い、紅蓮の上に座します。

「風神・雷神立像」 鎌倉~南北朝時代・13~14世紀
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風神・雷神は浅草寺雷門にも置かれています。
雷門の正式名称も風雷神門です。

「五髻文殊菩薩坐像」 鎌倉時代・13~14世紀
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左脚を立膝にし、髻(もとどり)を五つ結った菩薩像です。
厨子の扉には来歴が書かれ、高村光雲や大槻如電、今泉雄作の名も見えます。

「菩薩坐像」 宗清作 南北朝時代・暦応2年(1339)
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墨書銘から作者と製作年の分かる菩薩像です。
宗清は運慶系統の仏師のようです。

「阿弥陀如来坐像」 室町時代・16世紀
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説法印を結んだ姿です。
鎌倉時代末期に奈良で始まった椿井造仏所の椿井次郎の作と思われるということです。

「聖天坐像」 江戸時代・17~18世紀
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歓喜天とも呼ばれ、福徳、男女和合の利益があるとされています。
通常は象頭人身の姿で表されますが、このような童子の例もあります。
手は4本で、二股大根と巾着袋を持っています。

「慈恵大師坐像」 江戸時代・18世紀
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慈恵大師良源(912-985)は元三大師とも呼ばれ、第18代天台座主で、
比叡山中興の祖として知られています。
正月(元月)三日に亡くなったことから元三大師の名があります。
数珠と独鈷杵を持ち、眉を吊り上げた姿で表されることが多いです。、

「角大師坐像」 江戸~明治時代・19世紀
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角大師(つのだいし)は良源が疫病神を退けた際に鏡に映った姿とされます。
伝法院祖師堂に慈恵大師坐像と共に置かれていました。

「最澄と天台宗のすべて」展の記事です。


湯島天神男坂下の天台宗心城院は湯島聖天(ゆしましょうでん)とも呼ばれています。

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心城院では元三大師の御札を配っていて、角大師の姿も描かれています。

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【2021/10/19 18:38】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「速水御舟と吉田善彦―師弟による超絶技巧の競演―」 山種美術館
恵比寿
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広尾の山種美術館では開館55周年記念特別展、「速水御舟と吉田善彦―師弟による
超絶技巧の競演―」が開かれています。
会期は11月7日(日)までです。

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速水御舟(1894-1935)とその弟子、吉田善彦(1912-2001)の作品を紹介する展覧会です。

以下は速水御舟の作品です。

「錦木」 1913年
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初期の作品で、能などで知られる、秋田の錦木伝説を題材にしています。
若者が求婚の印である錦木(5種の木の枝)を恋する人の家の門に立てているところです。

  錦木はたてなからこそ朽にけれけふの細布むねあはしとや  能因法師

「春昼」 1924年
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埼玉県片山村(現・新座市)に住んだ頃の作品です。
農家の廂に拵えた鳩の巣に鳩が集まり、あわあわとした春の日の風情に満ちています。

「百舌巣」 1925年
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モズの雛を描いていて、宋画の雰囲気があり、緊張感と一種の凄味を感じます。

「桃花」 1923年
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長女の初節句のために描かれた作品です。
宋時代の院体画風の描き方で、落款も痩金体という、徽宗の作り出した
細くて硬い書体になっています。

「紅梅・白梅」 1929年
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まだ早春の冷気の残る夜に咲く梅の花です。

  春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる 凡河内躬恒

「牡丹花(墨牡丹)」 1934年 
御舟2

描線を使わず、墨のにじみによって花弁を描き出しています。
墨色でありながら、華やかです。

「あけぼの・春の宵のうち あけぼの」 1934年
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淡青色または白群青色の朝鮮色紙に描かれているそうです。
小品で、薄紅の空を背景に、真横に伸びた柳の枝が上に立ち上がり、
更に滝のように垂れ下がっています。
烏が枝に止まって、その空を見上げています。
春も浅いのでしょう、柳はまだ葉を付けていません。

「あけぼの・春の宵のうち 春の宵」 1934年
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淡紅色の朝鮮色紙に描かれているそうです。
薄墨色の夜のなかで、斜めに伸びた満開の桜の枝から、はらはらと
花が散っています。
三日月に照らされた桜は、盛りの最後の時の妖しさを湛え、
白く浮かんでいます。

「埃乃土人ノ灌漑」 1931年 
前田002

小品で、欧州旅行の船旅の途中で見かけた、エジプトの情景です。
2つの跳ね釣瓶を使った水汲みの様子を描いています。
人物の姿は古代のエジプト絵画風で、1人は赤い腰巻に白い鉢巻、
1人は白い腰巻に赤白の鉢巻です。
左右対称の面白い構図で、烏が1羽、のんびり止まっています。

「炎舞」 1925年 重要文化財
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夜の焚き火に集まる蛾の群れです。
やがて炎に焼かれてしまう蛾の舞う、一瞬の時を捉えています。
揺らぎながら燃える炎は仏画の不動の火炎に倣っていますが、暗い背景との
境はぼかされています。
煙が渦を巻いて昇り、集まった蛾は円を描いて飛び、円の中心を飛ぶ蛾は
小さく、周りの蛾は大きく描かれています。
立体感と動きのある画面です。
御舟は、背景の色について、「もう一度描けといわれても二度とは出せない色」と
述べているそうです。

「翠苔緑苔」 1928年
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四曲一双の金箔地の屏風で、右隻に枇杷と青桐、つつじです。
枇杷の木には、まだ青い実から熟れた実まで付いていて、木の下では
黒猫が振り向いています。
左隻には紫陽花と2匹の白兎です。
紫陽花は咲き始めから満開まで様々に咲いています。
白兎は、向こうに黒猫がいるのも知らずに、呑気に草をかじったり、
寝ころがったりしています。

全体に、右奥から左手前に広がり、右上から左下に下がっていく構図です。
琳派風の装飾性を極め、きっちりとまとまった、近代的な作品です。
御舟の言葉、「もし無名の作家が残ったとして、この絵だけは面白い絵だと
後世言ってくれるだろう」。

「名樹散椿」 1929年 重要文化財
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京都の地蔵院の五色八重散り椿を描いたものです。
花びらが一枚づつ散るという、珍しい椿です。
「翠苔緑芝」と同じく、琳派の装飾的な画面ですが、印象はやや違います。
右から左に下る構図で、椿の枝はねじれながら伸び広がっています。
紅、白、斑の花を付けた枝は重みで傾き、地面には花びらが散っています。
奥にある葉、手前の葉を一枚一枚描き分け、量感と立体感があります。
背景は「撒きつぶし」という、金砂子を竹筒に入れて撒いていく方法です。
金箔のような縦横の線が無く、同じ調子の金地がびっしりと広がっています。
しんと静まった画面で、有無を言わせぬ迫力と緊迫感があります。

「阿蘭陀菊図」 1931年
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オランダギクはシュンギクの別名です。
近年の調査の結果、画面の裏から彩色する裏彩色(うらざいしき)の技法が
用いられていること、日本画の顔料とは違う、油絵で使うコバルト紫なども
使っていることが分かったそうです。


吉田善彦は東京出身で、17歳の時に親戚の速水御舟に弟子入りし、御舟から
日本画は心から入るという理念と、古典から学ぶという姿勢を学んでいます。
御舟がチフスで6年後に亡くなったため、小林古径、安田靫彦に師事しています。
1942年から法隆寺金堂壁画の模写事業にも参加し、戦時中の兵役期間を挟んで
戦後も参加し、失火による壁画焼失後の再現壁画制作にも安田靫彦班の一員として
参加しています。

作品は30点近く展示されています。
壁画復元事業に長く参加したことから奈良に愛着を深め、奈良を題材にした作品を
多く描いています。

吉田善彦 「大仏殿春雪」 1969年
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院展に出品された大作です。
東大寺大仏殿は淡い春雪に覆われ、屋根の鴟尾(しび)の金色が映えます。

吉田善彦は彩色した和紙に金箔を貼り、無数の細かい線を引いた後、軽く掻き取って
下地として淡く柔らかな画面をつくり出す、「吉田様式」を考案しています。
私も「大仏殿春雪」を初めて観た時、壮大でありながら暖かく優しさのある画面に
深い印象を受けました。
作品に近付いて観ると、画面に細かい金線が無数に見え、これが画面を淡く
柔らかなものにする「吉田様式」の効果であることが分かります。

吉田善彦 「春雪妙義」 1978年
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独特の稜線で知られる妙義山の景色です。
淡い色調でありながら、奥行きのある画面になっています。

山種美術館のHPです。


次回の展覧会は開館55周年記念特別展、「奥村土牛―山﨑種二が愛した
日本画の巨匠 第2弾」です。
会期は11月13日(土)から2022年1月23日(日)までです。

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【2021/10/17 20:58】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「能 Noh―秋色モード」展 虎ノ門 大倉集古館
六本木一丁目・神谷町
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虎ノ門の大倉集古館では企画展、「能 Noh―秋色モード」展が
開かれています。
会期は10月24日(日)までです。

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大倉集古館所蔵の鳥取藩池田家旧蔵の能面と岡山藩池田家旧蔵の能装束を
中心にした、秋にちなんだ美術工芸品の展示です。

能面 「小面」 江戸時代・18世紀
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若い女性の面です。
秋の演目の「井筒」「砧」「松風」などに用いられます。

能面 「童子」 江戸時代・18世紀
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少年の面で、「菊慈童」などに用いられます。

能装束 「白地銀縦縞萩蜘蛛巣模様縫箔」 江戸時代・18世紀
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秋の花、萩をあしらっています。
縫箔とは、摺箔(布に漆で金箔を貼ったもの)に刺繍を加えたものです。

能装束 「紫地棕櫚模様長絹」 江戸時代・19世紀
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棕櫚の下には銀杏、紅葉、松葉などの落ち葉が見えます。
長絹は能では絽の地に刺繍を施し、直垂の形にしたものです。

「秋草図」(左隻) 住吉如慶 江戸時代・17世紀
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部分
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六曲一双の腰屏風で、金砂子を撒いた地に、キキョウ、ノギク、ハギ、
サンキライ、ツユクサなどが描かれています。
右隻は静かな佇まいですが、左隻には秋風が吹いて、ハギやススキが
揺れているという、動きのある構図です。
住吉如慶(1599~1670)は江戸初期の絵師で、大和絵を江戸に
伝えたとのことです。

「雜画帖」 英一蝶 左「柿栗図」 右「葡萄図」 江戸時代・17世紀
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36図あるうちの2つです。
柿栗は丸い器に入っています。

「菊桐蒔絵手箱」 安土桃山時代・16 世紀
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菊と五七の桐という、皇室や豊臣秀吉の用いた高貴な文様を全面に散らしています。
蓋の方が少し大きい形をしています。

展覧会のHPです。


【2021/10/16 17:36】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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