大手町
宮内庁三の丸尚蔵館では、「いとをかし-和みのけしき」展が開かれています。
現在は後期で、会期は12月12日(日)まで、入館は無料です。
休館日は毎週月曜日・金曜日です。

三の丸尚蔵館の所蔵する和やかな情景を題材にした作品の展示です。
「夾竹桃」 山本森之助 大正3年(1914)

山本森之助(1877~1928)は長崎県出身で、東京美術学校を卒業し、
黒田清輝らの主催する白馬会に入っています。
アトリエを持たず、すべて戸外で制作したということで、印象派を思わせるような
明るい画風です。
「満洲鉄嶺」 山本森之助 大正6年(1917)
石塔の建つ丘を中心にした、のどかな風景です。
とても明るくモダンで、ヨーロッパの景色のように見えます。
満洲国の建国される1932年よりかなり前の第1次世界大戦中の作品です。
「母子(「京都市画帖」のうち)」 上村松園 大正4年(1915)

女性の理想像を描いた上村松園(1875~1949)の作品です。
元禄勝山の髪形の母親は糸に針を通し、絞り染めの着物の女の子は
糸巻で遊んでいます。
「ボルガ河畔の乙女」 ボリス・クストージェフ 1916年

ボリス・クストージェフ(1878~1927)はロシアのカスピ海沿岸の街、アストラハン
出身の画家で、イリヤ・レーピンに師事しています。
足の麻痺のため、部屋に籠るようになってからは記憶を基に故郷アストラハンを
題材にした作品を多く描いています。
この絵もその一つで、ロココの雅宴画の趣きがあり、金髪の女性はペイズリー模様の
ショールを着けています。
背景には大聖堂の丸屋根、ボルガ川に掛かる雲や雨が見えます。
昭和3年(1928)の昭和天皇の即位の礼の際、ソビエト連邦から贈られた作品です。
展覧会のHPです。
三の丸尚蔵館はこの展覧会終了後、新施設への移行準備のため、しばらく休館します。
新施設の開館予定は令和5年秋とのことです。
大手門脇の木も紅葉していました。

大手町のサザンカです。

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宮内庁三の丸尚蔵館では、「いとをかし-和みのけしき」展が開かれています。
現在は後期で、会期は12月12日(日)まで、入館は無料です。
休館日は毎週月曜日・金曜日です。

三の丸尚蔵館の所蔵する和やかな情景を題材にした作品の展示です。
「夾竹桃」 山本森之助 大正3年(1914)

山本森之助(1877~1928)は長崎県出身で、東京美術学校を卒業し、
黒田清輝らの主催する白馬会に入っています。
アトリエを持たず、すべて戸外で制作したということで、印象派を思わせるような
明るい画風です。
「満洲鉄嶺」 山本森之助 大正6年(1917)
石塔の建つ丘を中心にした、のどかな風景です。
とても明るくモダンで、ヨーロッパの景色のように見えます。
満洲国の建国される1932年よりかなり前の第1次世界大戦中の作品です。
「母子(「京都市画帖」のうち)」 上村松園 大正4年(1915)

女性の理想像を描いた上村松園(1875~1949)の作品です。
元禄勝山の髪形の母親は糸に針を通し、絞り染めの着物の女の子は
糸巻で遊んでいます。
「ボルガ河畔の乙女」 ボリス・クストージェフ 1916年

ボリス・クストージェフ(1878~1927)はロシアのカスピ海沿岸の街、アストラハン
出身の画家で、イリヤ・レーピンに師事しています。
足の麻痺のため、部屋に籠るようになってからは記憶を基に故郷アストラハンを
題材にした作品を多く描いています。
この絵もその一つで、ロココの雅宴画の趣きがあり、金髪の女性はペイズリー模様の
ショールを着けています。
背景には大聖堂の丸屋根、ボルガ川に掛かる雲や雨が見えます。
昭和3年(1928)の昭和天皇の即位の礼の際、ソビエト連邦から贈られた作品です。
展覧会のHPです。
三の丸尚蔵館はこの展覧会終了後、新施設への移行準備のため、しばらく休館します。
新施設の開館予定は令和5年秋とのことです。
大手門脇の木も紅葉していました。

大手町のサザンカです。

銀座
東京メトロ銀座駅コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、3面の展示スペースに
なっています。
今は武蔵野美術大学による「移動する視点、通路の彫刻」展が
開かれています。
小林このみ 「なんとか健二ギター教室」


伴佳七子 「ローリングライン」


八木温生 「mani-mani」


大きな糸巻のような機械がゆっくり回転しています。
銀座の歩行者天国にも夕闇が迫っています。



「スターバックスコーヒーGINZA SIX店」の2階のテラス席でのひと休みです。


カップもクリスマス仕様になりました。

GINZA SIXのエントランスには清川あさみさんのデジタルアート、「OUR NEW WORLD」の
映像が映し出されていました。



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東京メトロ銀座駅コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、3面の展示スペースに
なっています。
今は武蔵野美術大学による「移動する視点、通路の彫刻」展が
開かれています。
小林このみ 「なんとか健二ギター教室」


伴佳七子 「ローリングライン」


八木温生 「mani-mani」


大きな糸巻のような機械がゆっくり回転しています。
銀座の歩行者天国にも夕闇が迫っています。



「スターバックスコーヒーGINZA SIX店」の2階のテラス席でのひと休みです。


カップもクリスマス仕様になりました。

GINZA SIXのエントランスには清川あさみさんのデジタルアート、「OUR NEW WORLD」の
映像が映し出されていました。



竹橋・大手町
竹橋の丸紅ギャラリーでは開館記念展Ⅰ、「日仏近代絵画の響き合い」が開かれています。
会期は2022年1月31日(月)までです。
丸紅ギャラリーは丸紅株式会社のコレクションを展示するため、今年の11月に
オープンした展示室です。
竹橋の丸紅ビルの3階にあり、日祝は休館、入館料は一般500円で、現金決済は
出来ません。


3階のギャラリーのエントランスです。

フランスと日本の近代絵画、約50点が展示されています。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ヴィル・ダヴレーのあずまや」 1847年

体調のすぐれない父親に付き添ってヴィル・ダヴレーの家に滞在した時の絵で、
母親の誕生日祝いに描かれたそうです。
中の人物はコロ―と家族とのことですが、直立している感じがちょっとシュールです。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「エスタックのオリーブ畑」 1882年

ルノワールはイタリア旅行の帰りに印象派仲間のセザンヌの住む南仏のエスタックに
滞在し、セザンヌと共に描いています。
オディロン・ルドン 「青い花瓶のキンセンカ」 1910年頃

パステル画で、明るい色彩で描くようになった後期の作品です。
ルドンは花を描く時はあまり背景を描きません。
モーリス・ド・ヴラマンク 「花」 1912年頃

ヴラマンクが描くと花も不穏な力強さを見せます。
フランスの画家は他にクールベ、ルオー、ビュッフェ、キスリング、デュフィなどが
あります。
梅原龍三郎 「桜島」 1937年

梅原龍三郎はこの頃、桜島をよく描いています。
朝日の昇る時の桜島で、桜島や町並みは濃い青に染まっていますが、空は薄紅く、
水面にも映っています。
梅原龍三郎はフランス留学時代、尊敬するルノワールの指導も受けています。
和田英作 「彦根内湖」 1943年

彦根内湖は松原内湖とも言う、彦根城の北側にあった大きな湖で、現在は干拓で
陸地になっています。
和田英作(1874-1959)はフランス留学時代、黒田清輝の師であるラファエル・コランに
師事した外光派の画家です。
印象派のような筆触分割はありませんが、草地の緑や遠山の紫が鮮やかで、
明るく気持ちの良い作品です。
丸紅と伊藤忠の創業者、伊藤忠兵衛(1842-1903)は近江の生まれで、丸紅の
コレクションにも滋賀県の風景を描いた作品が何点かあります。
小磯良平 「パリスの審判」 1956年

ギリシャ神話の「パリスの審判」はルーベンスやルノワールなど、多くの画家に
描かれています。
ルノワールなどの華やかな情景に対し、こちらは構築的です。
小磯良平はフランス留学中にヴェロネーゼの「カナの婚礼」に衝撃を受け、
群像表現を生涯のテーマとするようになったそうです。
彼末宏 「花」 1969年

彼末宏(1927-1991)は東京美術学校で梅原龍三郎に師事し、
東京藝術大学の教授ともなっています。
花を色の小さな塊として描く画風です。
展覧会のHPです。
丸紅ギャラリーの所蔵するサンドロ・ボッティチェリの「美しきシモネッタの肖像」は
2022年秋の展覧会で展示される予定です。

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竹橋の丸紅ギャラリーでは開館記念展Ⅰ、「日仏近代絵画の響き合い」が開かれています。
会期は2022年1月31日(月)までです。
丸紅ギャラリーは丸紅株式会社のコレクションを展示するため、今年の11月に
オープンした展示室です。
竹橋の丸紅ビルの3階にあり、日祝は休館、入館料は一般500円で、現金決済は
出来ません。


3階のギャラリーのエントランスです。

フランスと日本の近代絵画、約50点が展示されています。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ヴィル・ダヴレーのあずまや」 1847年

体調のすぐれない父親に付き添ってヴィル・ダヴレーの家に滞在した時の絵で、
母親の誕生日祝いに描かれたそうです。
中の人物はコロ―と家族とのことですが、直立している感じがちょっとシュールです。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「エスタックのオリーブ畑」 1882年

ルノワールはイタリア旅行の帰りに印象派仲間のセザンヌの住む南仏のエスタックに
滞在し、セザンヌと共に描いています。
オディロン・ルドン 「青い花瓶のキンセンカ」 1910年頃

パステル画で、明るい色彩で描くようになった後期の作品です。
ルドンは花を描く時はあまり背景を描きません。
モーリス・ド・ヴラマンク 「花」 1912年頃

ヴラマンクが描くと花も不穏な力強さを見せます。
フランスの画家は他にクールベ、ルオー、ビュッフェ、キスリング、デュフィなどが
あります。
梅原龍三郎 「桜島」 1937年

梅原龍三郎はこの頃、桜島をよく描いています。
朝日の昇る時の桜島で、桜島や町並みは濃い青に染まっていますが、空は薄紅く、
水面にも映っています。
梅原龍三郎はフランス留学時代、尊敬するルノワールの指導も受けています。
和田英作 「彦根内湖」 1943年

彦根内湖は松原内湖とも言う、彦根城の北側にあった大きな湖で、現在は干拓で
陸地になっています。
和田英作(1874-1959)はフランス留学時代、黒田清輝の師であるラファエル・コランに
師事した外光派の画家です。
印象派のような筆触分割はありませんが、草地の緑や遠山の紫が鮮やかで、
明るく気持ちの良い作品です。
丸紅と伊藤忠の創業者、伊藤忠兵衛(1842-1903)は近江の生まれで、丸紅の
コレクションにも滋賀県の風景を描いた作品が何点かあります。
小磯良平 「パリスの審判」 1956年

ギリシャ神話の「パリスの審判」はルーベンスやルノワールなど、多くの画家に
描かれています。
ルノワールなどの華やかな情景に対し、こちらは構築的です。
小磯良平はフランス留学中にヴェロネーゼの「カナの婚礼」に衝撃を受け、
群像表現を生涯のテーマとするようになったそうです。
彼末宏 「花」 1969年

彼末宏(1927-1991)は東京美術学校で梅原龍三郎に師事し、
東京藝術大学の教授ともなっています。
花を色の小さな塊として描く画風です。
展覧会のHPです。
丸紅ギャラリーの所蔵するサンドロ・ボッティチェリの「美しきシモネッタの肖像」は
2022年秋の展覧会で展示される予定です。

御徒町
「スターバックス・コーヒー 御徒町春日通り店」に行ってきました。
場所は台東区上野6-2-1で、JR御徒町駅を出て春日通りを東に行って
すぐの所にあります。



2階のテラス席でひと休みしました。
建物の中にあって、2面が開いています。


カプチーノSはクリスマスのデザインのカップに入っています。

上野駅の構内にもクリスマスツリーが立ち、パンダが集まってきました。

上野駅から見えた月です。

以前、「スターバックス・コーヒー 御徒町春日通り店」に行った時の記事です。
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「スターバックス・コーヒー 御徒町春日通り店」に行ってきました。
場所は台東区上野6-2-1で、JR御徒町駅を出て春日通りを東に行って
すぐの所にあります。



2階のテラス席でひと休みしました。
建物の中にあって、2面が開いています。


カプチーノSはクリスマスのデザインのカップに入っています。

上野駅の構内にもクリスマスツリーが立ち、パンダが集まってきました。

上野駅から見えた月です。

以前、「スターバックス・コーヒー 御徒町春日通り店」に行った時の記事です。
東京
丸善丸の内本店4階ギャラリーAでは、今年も「橋本不二子 作品展」が
開かれています。
会期は11月30日(火)までです。
橋本不二子さん(1935~)は明るい透明な色彩の水彩やアクリルで
花の絵を永年、描き続けておられます。
ガラス器や陶磁器などに活けられたさまざまな草花の絵や版画、
来年のカレンダーや絵葉書が展示販売されています。
「バラとブラックベリー」 水彩

バラの絵が多いですが、アケビや椿を描いた作品もあります。
橋本さんの展覧会が始まると、今年も師走が近いことを感じます。
2020年の「橋本不二子展」の記事です。
橋本不二子さんのHPです。
丸善丸の内本店のあるOAZO1階の今年のクリスマス飾りのテーマは
ハリー・ポッターです。

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丸善丸の内本店4階ギャラリーAでは、今年も「橋本不二子 作品展」が
開かれています。
会期は11月30日(火)までです。
橋本不二子さん(1935~)は明るい透明な色彩の水彩やアクリルで
花の絵を永年、描き続けておられます。
ガラス器や陶磁器などに活けられたさまざまな草花の絵や版画、
来年のカレンダーや絵葉書が展示販売されています。
「バラとブラックベリー」 水彩

バラの絵が多いですが、アケビや椿を描いた作品もあります。
橋本さんの展覧会が始まると、今年も師走が近いことを感じます。
2020年の「橋本不二子展」の記事です。
橋本不二子さんのHPです。
丸善丸の内本店のあるOAZO1階の今年のクリスマス飾りのテーマは
ハリー・ポッターです。

竹橋
東京国立近代美術館では「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」が開かれています。
会期は2022年2月13日(日)までです。

民藝運動の提唱者、柳宗悦(1889-1961)の没後60年ということで、日本民藝館の
所蔵品を中心に400点を超える作品や資料によって民藝の歴史と広がりを展示する
展覧会です。
「染付辰砂蓮花文壺」 朝鮮時代 18世紀後半 大阪市立東洋陶磁美術館

高さ44.6cmの大きな壷で、胴の裾が勢いよくすぼまって、
くっきりした形をしています。
青花で蓮を線描し、辰砂で花とつぼみを上絵付けしています。
風のそよぎも感じられる優しい絵柄です。
「染付秋草文面取壺」 朝鮮時代 18世紀前半 日本民藝館

柳はこの壺を見て朝鮮の工芸に関心を持ち、以後たびたび朝鮮を訪れています。
1926年に富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎と共に日本民藝美術館設立趣意書を発表し、
1936年に駒場に日本民藝館を設立しています。
2011年にパナソニック汐留ミュージアムで開かれた「濱田庄司スタイル展」の記事です。
2018年にパナソニック汐留ミュージアムで開かれた「没後50年 河井寬次郎展」の
記事です。
1931年には機関紙「工藝」を創刊しています。
雑誌「工藝」第1号-第3号 日本民藝館

型染・装幀は染色作家の芹沢銈介が担当しています。
2014年に日本橋高島屋で開かれた「生誕120年記念 デザイナー芹沢銈介の
世界展」の記事です。
柳は日本各地の民藝品を発見し、収集しています。
「三春人形 橘弁慶」 江戸時代 19世紀前半 三春(福島県) 日本民藝館

歌舞伎の「橋弁慶」で、片肌脱ぎに向こう鉢巻の弁慶の腕に牛若丸が乗っている
ユーモラスな人形です。
三春人形は江戸時代を中心に三春藩領で作られた郷土玩具の張子人形です。
明治以降には衰退しますが、戦後の民藝ブームによって復興したそうです。
「羽広鉄瓶」 1934年頃 羽前山形(山形県) 日本民藝館
パンフレットに載っている画像です。
裾が広がって、茶釜の富士釜のような面白い形です。
日常使いの品として、アートを狙っていないのに、モダンなアートになっています。
山形鋳物は山形市の伝統工芸です。
「緑黒釉掛分皿」 1930年代 鳥取県牛ノ戸 日本民藝館

牛ノ戸焼は幕末に始まった窯で、緑と黒の釉薬を半分ずつ掛けるという
斬新なデザインが特徴です。
一時途絶えかけましたが、柳や鳥取の民藝家の吉田璋也たちの支援により
継続しています。
「スリップウェア鶏文鉢」 イギリス 18世紀後半

スリップウェアは粘土と水を混ぜた化粧土(スリップ)で文様を描く技法です。
古来からの技法ですが、産業革命などにより廃れていたのをバーナード・リーチたちに
発見され、日本の民藝運動に影響を与えています。
民藝は昔から存在していましたが、それを発見し、「民藝」という名前を与えた
柳宗悦の功績は極めて大きなものがあります。
展覧会のHPです。
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東京国立近代美術館では「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」が開かれています。
会期は2022年2月13日(日)までです。

民藝運動の提唱者、柳宗悦(1889-1961)の没後60年ということで、日本民藝館の
所蔵品を中心に400点を超える作品や資料によって民藝の歴史と広がりを展示する
展覧会です。
「染付辰砂蓮花文壺」 朝鮮時代 18世紀後半 大阪市立東洋陶磁美術館

高さ44.6cmの大きな壷で、胴の裾が勢いよくすぼまって、
くっきりした形をしています。
青花で蓮を線描し、辰砂で花とつぼみを上絵付けしています。
風のそよぎも感じられる優しい絵柄です。
「染付秋草文面取壺」 朝鮮時代 18世紀前半 日本民藝館

柳はこの壺を見て朝鮮の工芸に関心を持ち、以後たびたび朝鮮を訪れています。
1926年に富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎と共に日本民藝美術館設立趣意書を発表し、
1936年に駒場に日本民藝館を設立しています。
2011年にパナソニック汐留ミュージアムで開かれた「濱田庄司スタイル展」の記事です。
2018年にパナソニック汐留ミュージアムで開かれた「没後50年 河井寬次郎展」の
記事です。
1931年には機関紙「工藝」を創刊しています。
雑誌「工藝」第1号-第3号 日本民藝館

型染・装幀は染色作家の芹沢銈介が担当しています。
2014年に日本橋高島屋で開かれた「生誕120年記念 デザイナー芹沢銈介の
世界展」の記事です。
柳は日本各地の民藝品を発見し、収集しています。
「三春人形 橘弁慶」 江戸時代 19世紀前半 三春(福島県) 日本民藝館

歌舞伎の「橋弁慶」で、片肌脱ぎに向こう鉢巻の弁慶の腕に牛若丸が乗っている
ユーモラスな人形です。
三春人形は江戸時代を中心に三春藩領で作られた郷土玩具の張子人形です。
明治以降には衰退しますが、戦後の民藝ブームによって復興したそうです。
「羽広鉄瓶」 1934年頃 羽前山形(山形県) 日本民藝館
パンフレットに載っている画像です。
裾が広がって、茶釜の富士釜のような面白い形です。
日常使いの品として、アートを狙っていないのに、モダンなアートになっています。
山形鋳物は山形市の伝統工芸です。
「緑黒釉掛分皿」 1930年代 鳥取県牛ノ戸 日本民藝館

牛ノ戸焼は幕末に始まった窯で、緑と黒の釉薬を半分ずつ掛けるという
斬新なデザインが特徴です。
一時途絶えかけましたが、柳や鳥取の民藝家の吉田璋也たちの支援により
継続しています。
「スリップウェア鶏文鉢」 イギリス 18世紀後半

スリップウェアは粘土と水を混ぜた化粧土(スリップ)で文様を描く技法です。
古来からの技法ですが、産業革命などにより廃れていたのをバーナード・リーチたちに
発見され、日本の民藝運動に影響を与えています。
民藝は昔から存在していましたが、それを発見し、「民藝」という名前を与えた
柳宗悦の功績は極めて大きなものがあります。
展覧会のHPです。
日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「松本陽子展」が開かれています。
会期は11月29日(月)までです。

松本陽子さん(1936~)は東京藝術大学油画科を卒業し、色彩を強調した
抽象画を描かれています。
ピンクを基調本にした作品から白、そして緑へと進んでいったそうです。
「黎明期」 2018年

「朝焼け」 2021年

「熱帯」 2021年

*****
同じ日本橋髙島屋美術画廊では「吉川かおり clay animal 展 「長い旅」」が
開かれています。
会期は11月23日(火・祝)までです。
吉川かおりさん(1966~)は武蔵野美術大学油絵学科を卒業し、人形制作会社の
吉徳にデザイナーとして就職した後、独立しています。
石粉粘土を使って、童話のような世界の小さな動物の彫刻を制作されています。
土台はパート・ド・ヴェールによるガラスです。
「旅の途中」

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日本橋髙島屋美術画廊Xでは「松本陽子展」が開かれています。
会期は11月29日(月)までです。

松本陽子さん(1936~)は東京藝術大学油画科を卒業し、色彩を強調した
抽象画を描かれています。
ピンクを基調本にした作品から白、そして緑へと進んでいったそうです。
「黎明期」 2018年

「朝焼け」 2021年

「熱帯」 2021年

*****
同じ日本橋髙島屋美術画廊では「吉川かおり clay animal 展 「長い旅」」が
開かれています。
会期は11月23日(火・祝)までです。
吉川かおりさん(1966~)は武蔵野美術大学油絵学科を卒業し、人形制作会社の
吉徳にデザイナーとして就職した後、独立しています。
石粉粘土を使って、童話のような世界の小さな動物の彫刻を制作されています。
土台はパート・ド・ヴェールによるガラスです。
「旅の途中」

六本木・乃木坂
サントリー美術館では開館60周年記念展、「聖徳太子 日出づる処の天子」が
開かれています。
会期は1月10日(月・祝)まで、休館日は火曜日です。
会期中、かなりの展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認ください。

2021年は聖徳太子(574~622)の1400年遠忌に当たるということで、聖徳太子の
建立とされ、太子信仰の中心だった大阪・四天王寺の寺宝など、太子像や
ゆかりの品々が展示されています。
第1章 聖徳太子の生涯―太子の面影を追って
「聖徳太子絵伝」 遠江法橋 鎌倉時代 元亨3年(1323) 大阪・四天王寺 重要文化財
6幅の掛軸で、12月13日までの展示です。
第二幅


飛鳥時代の587年に起きたとされる蘇我馬子と物部守屋の戦いが画面下に
描かれています。
蘇我馬子勢が劣勢となったため、馬子に味方して参戦していた聖徳太子が
四天王像を彫って拝むと、馬子勢は盛り返して、遂に物部守屋を討ち取っています。
第三幅


画面下に物部守屋邸での蘇我馬子と物部守屋の戦いが描かれています。
上の画面には献上された黒駒に乗った聖徳太子が空を飛んで富士山の頂上に
着いたという逸話が描かれています。
聖徳太子の事績を絵にした聖徳太子絵伝の成立はかなり古く、絵伝を参詣者へ
見せる建物、四天王寺絵堂は8世紀後半には存在していたそうです。
絵堂にあった絵伝は現存していませんが、その後数多く描かれた絵伝の原型に
なったと思われます。
「七星剣」 飛鳥時代 7世紀 大阪・四天王寺 国宝



聖徳太子所持とされる細身の直刀で、刀身に獣や雲、北斗七星が彫られています。
単眼鏡を使うと、はっきり見えます。
第2章 聖徳太子信仰の広がり―宗派を超えて崇敬される太子
「聖徳太子二歳像(南無仏太子像)」 鎌倉時代 13~14世紀 京都・白毫寺

二歳の時に、東に向かい合唱し、南無仏と唱えたとする逸話を像にしています。
白毫寺は太子堂白毫寺とも呼ばれ、鎌倉時代、忍性の建立と伝えられる寺院です。
「聖徳太子童形立像(孝養像)」 鎌倉時代 14世紀 茨城・善重寺 重要文化財

聖徳太子が父の用明天皇の病気平癒を願って香炉を手にしている姿で、孝養像と
呼ばれています。
右手に持っている笏は推古天皇の摂政としての姿を表しています。
善重寺は親鸞の弟子、善念を開基とする浄土真宗大谷派の寺院です。
江戸時代は水戸藩の保護を受けており、この像も2代藩主水戸光圀の寄進に
よるものです。
親鸞も聖徳太子を崇拝していたので、浄土真宗にも太子信仰は受け継がれています。
「聖徳太子童形立像( 植髪太子)」 鎌倉時代 13~14世紀 兵庫・鶴林寺
「髹漆厨子」 室町時代 永享8年(1436) 兵庫・鶴林寺 重要文化財

12月13日までの展示です。
香炉を手にした孝養像で、裸形に朱色の袴を履いた姿です。
長い人毛が植えられており、太子の遺髪が植えられていると伝えられていることから、
植髪(うえがみ)の太子と呼ばれています。
鶴林寺は寺伝では聖徳太子の建立と伝えられる寺院です。
「一遍聖絵」 鎌倉時代 正安元年(1299) 神奈川・清浄光寺(遊行寺) 国宝
11月29日までの展示です。
一遍の死の10年後に制作され、弟子の聖戒が詞書を書き、円伊が描いた絵巻で、
一遍が聖徳太子の陵に詣でる場面が展示されています。
「聖徳太子童形像・六臣像」 桃山時代 16世紀 大阪・四天王寺


善重寺の像と同じく、香炉と笏を持つ姿です。
聖徳太子に縁の深い蘇我馬子、小野妹子、百済の博士覚哿、僧日羅、百済の阿佐太子、
高句麗の僧慧慈の6人も共に描かれています。
聖徳太子は小野妹子を遣隋使として派遣しています。
隋の皇帝煬帝を怒らせたという、「日出処天子致書日没処天子無恙」の文言は有名です。
第3章 大阪・四天王寺の1400年―太子が建立した大寺のあゆみ
日本書紀によれば四天王寺は聖徳太子が建立した、日本最古の寺院の一つで、
推古天皇元年(593年)に建設が始まっています。
「四天王寺縁起(根本本)」 平安時代 11世紀 大阪・四天王寺 国宝

12月13日までの展示です。
平安時代の寛弘4年(1007)に堂内で発見され、聖徳太子の自筆と伝わる文書で、
一面に手形が捺されています。
「四天王寺縁起(後醍醐天皇宸翰本)」
南北朝時代 建武2年(1335) 大阪・四天王寺 国宝

12月15日からの展示です。
根本本を見て感激した後醍醐天皇が自ら書写し、手形を捺したものです。
建武2年は建武の新政の始まった翌年で、東国では北条高時の子、時行による
中先代の乱が起きています。
第4章 近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ─―つながる祈り
「聖徳太子童形半跏像」 松久宗琳佛所作 令和3年(2021) 大阪・四天王寺

1400年遠忌に合わせて制作された、香炉を持つ凛々しい姿の半跏像で、
彩色も鮮やかです。
「四天王寺舞楽所用具」
胡蝶 羽根 桃山~江戸時代 16~17世紀 大阪・四天王寺
胡蝶 袍 平成13年(2001) 大阪・四天王寺

12月15日からの展示です。
太子を偲び毎年開かれる精霊会で奉納される舞楽で使用されます。
徒然草にも、「田舎は下品で見苦しいが、天王寺の舞楽は都にも見劣りしない」と
あります。
徒然草には聖徳太子が生前、自分の墓を築かせた際、「ここを切れ。かしこを断て。
子孫あらせじと思ふなり」と命じたという逸話が書かれています。
他に、聖徳太子を描いた1万円札や山岸凉子さんのマンガ、「日出処の天子」の原画
なども展示されています。
四天王寺を始め、全国各地の寺院からの品が集まっていて、聖徳太子への信仰の
広がりを示してくれる展覧会です。
東京国立博物館ではこの夏、「聖徳太子と法隆寺」展が開かれていました。
「聖徳太子と法隆寺」展の記事です。
展覧会のHPです。
chariot
サントリー美術館では開館60周年記念展、「聖徳太子 日出づる処の天子」が
開かれています。
会期は1月10日(月・祝)まで、休館日は火曜日です。
会期中、かなりの展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認ください。

2021年は聖徳太子(574~622)の1400年遠忌に当たるということで、聖徳太子の
建立とされ、太子信仰の中心だった大阪・四天王寺の寺宝など、太子像や
ゆかりの品々が展示されています。
第1章 聖徳太子の生涯―太子の面影を追って
「聖徳太子絵伝」 遠江法橋 鎌倉時代 元亨3年(1323) 大阪・四天王寺 重要文化財
6幅の掛軸で、12月13日までの展示です。
第二幅


飛鳥時代の587年に起きたとされる蘇我馬子と物部守屋の戦いが画面下に
描かれています。
蘇我馬子勢が劣勢となったため、馬子に味方して参戦していた聖徳太子が
四天王像を彫って拝むと、馬子勢は盛り返して、遂に物部守屋を討ち取っています。
第三幅


画面下に物部守屋邸での蘇我馬子と物部守屋の戦いが描かれています。
上の画面には献上された黒駒に乗った聖徳太子が空を飛んで富士山の頂上に
着いたという逸話が描かれています。
聖徳太子の事績を絵にした聖徳太子絵伝の成立はかなり古く、絵伝を参詣者へ
見せる建物、四天王寺絵堂は8世紀後半には存在していたそうです。
絵堂にあった絵伝は現存していませんが、その後数多く描かれた絵伝の原型に
なったと思われます。
「七星剣」 飛鳥時代 7世紀 大阪・四天王寺 国宝



聖徳太子所持とされる細身の直刀で、刀身に獣や雲、北斗七星が彫られています。
単眼鏡を使うと、はっきり見えます。
第2章 聖徳太子信仰の広がり―宗派を超えて崇敬される太子
「聖徳太子二歳像(南無仏太子像)」 鎌倉時代 13~14世紀 京都・白毫寺

二歳の時に、東に向かい合唱し、南無仏と唱えたとする逸話を像にしています。
白毫寺は太子堂白毫寺とも呼ばれ、鎌倉時代、忍性の建立と伝えられる寺院です。
「聖徳太子童形立像(孝養像)」 鎌倉時代 14世紀 茨城・善重寺 重要文化財

聖徳太子が父の用明天皇の病気平癒を願って香炉を手にしている姿で、孝養像と
呼ばれています。
右手に持っている笏は推古天皇の摂政としての姿を表しています。
善重寺は親鸞の弟子、善念を開基とする浄土真宗大谷派の寺院です。
江戸時代は水戸藩の保護を受けており、この像も2代藩主水戸光圀の寄進に
よるものです。
親鸞も聖徳太子を崇拝していたので、浄土真宗にも太子信仰は受け継がれています。
「聖徳太子童形立像( 植髪太子)」 鎌倉時代 13~14世紀 兵庫・鶴林寺
「髹漆厨子」 室町時代 永享8年(1436) 兵庫・鶴林寺 重要文化財

12月13日までの展示です。
香炉を手にした孝養像で、裸形に朱色の袴を履いた姿です。
長い人毛が植えられており、太子の遺髪が植えられていると伝えられていることから、
植髪(うえがみ)の太子と呼ばれています。
鶴林寺は寺伝では聖徳太子の建立と伝えられる寺院です。
「一遍聖絵」 鎌倉時代 正安元年(1299) 神奈川・清浄光寺(遊行寺) 国宝
11月29日までの展示です。
一遍の死の10年後に制作され、弟子の聖戒が詞書を書き、円伊が描いた絵巻で、
一遍が聖徳太子の陵に詣でる場面が展示されています。
「聖徳太子童形像・六臣像」 桃山時代 16世紀 大阪・四天王寺


善重寺の像と同じく、香炉と笏を持つ姿です。
聖徳太子に縁の深い蘇我馬子、小野妹子、百済の博士覚哿、僧日羅、百済の阿佐太子、
高句麗の僧慧慈の6人も共に描かれています。
聖徳太子は小野妹子を遣隋使として派遣しています。
隋の皇帝煬帝を怒らせたという、「日出処天子致書日没処天子無恙」の文言は有名です。
第3章 大阪・四天王寺の1400年―太子が建立した大寺のあゆみ
日本書紀によれば四天王寺は聖徳太子が建立した、日本最古の寺院の一つで、
推古天皇元年(593年)に建設が始まっています。
「四天王寺縁起(根本本)」 平安時代 11世紀 大阪・四天王寺 国宝

12月13日までの展示です。
平安時代の寛弘4年(1007)に堂内で発見され、聖徳太子の自筆と伝わる文書で、
一面に手形が捺されています。
「四天王寺縁起(後醍醐天皇宸翰本)」
南北朝時代 建武2年(1335) 大阪・四天王寺 国宝

12月15日からの展示です。
根本本を見て感激した後醍醐天皇が自ら書写し、手形を捺したものです。
建武2年は建武の新政の始まった翌年で、東国では北条高時の子、時行による
中先代の乱が起きています。
第4章 近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ─―つながる祈り
「聖徳太子童形半跏像」 松久宗琳佛所作 令和3年(2021) 大阪・四天王寺

1400年遠忌に合わせて制作された、香炉を持つ凛々しい姿の半跏像で、
彩色も鮮やかです。
「四天王寺舞楽所用具」
胡蝶 羽根 桃山~江戸時代 16~17世紀 大阪・四天王寺
胡蝶 袍 平成13年(2001) 大阪・四天王寺

12月15日からの展示です。
太子を偲び毎年開かれる精霊会で奉納される舞楽で使用されます。
徒然草にも、「田舎は下品で見苦しいが、天王寺の舞楽は都にも見劣りしない」と
あります。
徒然草には聖徳太子が生前、自分の墓を築かせた際、「ここを切れ。かしこを断て。
子孫あらせじと思ふなり」と命じたという逸話が書かれています。
他に、聖徳太子を描いた1万円札や山岸凉子さんのマンガ、「日出処の天子」の原画
なども展示されています。
四天王寺を始め、全国各地の寺院からの品が集まっていて、聖徳太子への信仰の
広がりを示してくれる展覧会です。
東京国立博物館ではこの夏、「聖徳太子と法隆寺」展が開かれていました。
「聖徳太子と法隆寺」展の記事です。
展覧会のHPです。
乃木坂
六本木の国立新美術館の日展を観に行った時に、1階の「カフェ コキーユ」で
一休みしました。
国立新美術館は千代田線乃木坂駅の6番出口に直結しています。



テラス席に出てみました。


空に三日月が出ていました。

コーヒー430円です。

この日は風が強く、カップの蓋もペーパーも風と共に去ってしまいそうなので、
早々に館内に入りました。
床にも枯葉が吹き込んでいました。

館内には国立新美術館横にあった旧陸軍第1師団歩兵第3連隊舎の1/100模型が
置いてあります。
昭和3年(1928)の建設で、旧陸軍では最初の鉄筋コンクリート造の建物です。
建物の一部は現在も残っており、国立新美術館の別館となっています。


昭和11年(1936)の二・二六事件の時、第3連隊の一部約900名は蹶起将校に率いられて
この営門を出て、叛乱部隊となっています。

帰る頃にはすっかり暗くなっていました。

chariot
六本木の国立新美術館の日展を観に行った時に、1階の「カフェ コキーユ」で
一休みしました。
国立新美術館は千代田線乃木坂駅の6番出口に直結しています。



テラス席に出てみました。


空に三日月が出ていました。

コーヒー430円です。

この日は風が強く、カップの蓋もペーパーも風と共に去ってしまいそうなので、
早々に館内に入りました。
床にも枯葉が吹き込んでいました。

館内には国立新美術館横にあった旧陸軍第1師団歩兵第3連隊舎の1/100模型が
置いてあります。
昭和3年(1928)の建設で、旧陸軍では最初の鉄筋コンクリート造の建物です。
建物の一部は現在も残っており、国立新美術館の別館となっています。


昭和11年(1936)の二・二六事件の時、第3連隊の一部約900名は蹶起将校に率いられて
この営門を出て、叛乱部隊となっています。

帰る頃にはすっかり暗くなっていました。

恵比寿
広尾の山種美術館では特別展、「―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―
奥村土牛」展が開かれています。
会期は2022年1月23日(日)までです。

山種美術館の創立者・山﨑種二(1893-1983)は奥村土牛(1889~1990、101歳没)の
画業初期の頃から親交を深め、山種美術館は作品135点を所蔵しています。
展覧会では初期から晩年まで、約70点が展示されています。
「雨趣」 1928年

麻布谷町(今の六本木1丁目)の雨の日の眺めです。
しっとりと雨に煙る様子がよく表れていて、色数を抑えてじっくり描くという画風は、
この頃にはすでに見られます。
「枇杷と少女」 1930年

落着いた色調で、枇杷の色が引き立っています。
「雪の山」 1946年

三角形を集めた画面構成です。
奥村土牛はセザンヌの影響を受けているとのことですが、画面を図形の集合で
構成するという手法は、この作品にもはっきり観られます。
「兎」 1947年頃

奥村土牛らしい、耳を立ててきりりとした描きぶりですが、丸い姿に愛らしさがあります。
「舞妓」 1954年

奥村土牛らしい簡潔な線と構図による、美人画とは違った、端正な姿です。
黒振袖の裾模様は、金泥で俵屋宗達風の鶴、帯の模様も金泥の笹です。
口紅、かんざし、帯揚げの赤がアクセントになっています。
おちょぼ口と、やや上目遣いの目が表情を初々しく見せています。
京都の一力に通ってスケッチを繰り返し、展覧会出展の1週間前になっても
作品に納得がいかず、また京都に行ってスケッチしたそうです。
まだ、新幹線も無い時代のことですから、その努力には驚きます。
「水蓮」 1955年

蓮と魚を描いた鉢に浮かぶ水蓮という取り合わせはユーモラスです。
「城」 1955年

輪郭線を使わず、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという作風は、
姫路城を描いたこの作品に始まるといいます。
「鳴門」 1959年

遠くの島影に黄土色が少し使われている他は、緑青の緑と胡粉の白のみで
構成されています。
塗りを何十回も重ねた、近景の動と遠景の静が一体となった、量感のある、
重厚な作品です。
塗り重ねによる堅牢な画面造りは、奥村土牛の特徴です。
連絡船に乗っていて、たまたま渦潮に出会い、当時の小さな船の上から、
奥さんに帯を掴んでもらって、渦潮を覗き込んでスケッチしたということです。
「茶室」 1963年

大徳寺真珠庵の茶室で、「狭い空間に組立てられた直線の構成の美しさ」に
感嘆して描かれたとのことです。
四角形で区切った巧妙な構成で、窓の向こうの空間も見せて、
奥行きを感じさせます。
柱や壁は重ね塗りによって味わいを出し、障子に差す柔らかな光は
画面を明るくしています。
特に、右側の仕切り壁は琳派のたらし込みの技法を活かしていて、
古寂びた色合いに趣きがあります。
奥村土牛はセザンヌに傾倒していますが、この作品はモンドリアンの
影響も受けているそうです。
「鹿」 1968年

簡潔な描写で、鹿の体のしなやかさと命の張りを捉えています。
「醍醐」 1972年

奈良の薬師寺で行なわれた、小林古径の七回忌の法要の帰りに見た、
醍醐寺三宝院の枝垂桜に感激し、その後10年越しで完成させた作品です。
静かに咲いて静かに散る桜の姿と、兄弟子であり、師である、亡き小林古径の
姿を重ね合わせて描いたとのことです。
幹と支柱の縦線、土塀の横線を基本にして、幹を真中に据え、画面上を
桜で埋め尽くし、土塀の連なりで奥行きを見せています。
花弁の重なりは濃く薄く描かれて、立体感があり、塗りを重ねた幹の色は
桜の経てきた年月を感じさせます。
「吉野」 1977年

霞の中に広がる、花の吉野の風景で、手前から奥へと三角形を重ね、
桜の木も三角形にした理知的な構成の画面です。
対象を一度、抽象化して再構成するという作風がよく表れています。
奥村土牛から山﨑種二宛書簡(牛) 昭和時代

山﨑種二からお餅をもらったことへの令状で、家族ぐるみで交流のあったことを
伝えています。
絵は米俵を担いだ牛を象った、伏見人形の俵牛です。
伏見人形は伏見稲荷の参詣土産に売られていた土人形です。
翌年はうし年だったのでしょうか。
山種美術館のHPです。
chariot
広尾の山種美術館では特別展、「―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―
奥村土牛」展が開かれています。
会期は2022年1月23日(日)までです。

山種美術館の創立者・山﨑種二(1893-1983)は奥村土牛(1889~1990、101歳没)の
画業初期の頃から親交を深め、山種美術館は作品135点を所蔵しています。
展覧会では初期から晩年まで、約70点が展示されています。
「雨趣」 1928年

麻布谷町(今の六本木1丁目)の雨の日の眺めです。
しっとりと雨に煙る様子がよく表れていて、色数を抑えてじっくり描くという画風は、
この頃にはすでに見られます。
「枇杷と少女」 1930年

落着いた色調で、枇杷の色が引き立っています。
「雪の山」 1946年

三角形を集めた画面構成です。
奥村土牛はセザンヌの影響を受けているとのことですが、画面を図形の集合で
構成するという手法は、この作品にもはっきり観られます。
「兎」 1947年頃

奥村土牛らしい、耳を立ててきりりとした描きぶりですが、丸い姿に愛らしさがあります。
「舞妓」 1954年

奥村土牛らしい簡潔な線と構図による、美人画とは違った、端正な姿です。
黒振袖の裾模様は、金泥で俵屋宗達風の鶴、帯の模様も金泥の笹です。
口紅、かんざし、帯揚げの赤がアクセントになっています。
おちょぼ口と、やや上目遣いの目が表情を初々しく見せています。
京都の一力に通ってスケッチを繰り返し、展覧会出展の1週間前になっても
作品に納得がいかず、また京都に行ってスケッチしたそうです。
まだ、新幹線も無い時代のことですから、その努力には驚きます。
「水蓮」 1955年

蓮と魚を描いた鉢に浮かぶ水蓮という取り合わせはユーモラスです。
「城」 1955年

輪郭線を使わず、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという作風は、
姫路城を描いたこの作品に始まるといいます。
「鳴門」 1959年

遠くの島影に黄土色が少し使われている他は、緑青の緑と胡粉の白のみで
構成されています。
塗りを何十回も重ねた、近景の動と遠景の静が一体となった、量感のある、
重厚な作品です。
塗り重ねによる堅牢な画面造りは、奥村土牛の特徴です。
連絡船に乗っていて、たまたま渦潮に出会い、当時の小さな船の上から、
奥さんに帯を掴んでもらって、渦潮を覗き込んでスケッチしたということです。
「茶室」 1963年

大徳寺真珠庵の茶室で、「狭い空間に組立てられた直線の構成の美しさ」に
感嘆して描かれたとのことです。
四角形で区切った巧妙な構成で、窓の向こうの空間も見せて、
奥行きを感じさせます。
柱や壁は重ね塗りによって味わいを出し、障子に差す柔らかな光は
画面を明るくしています。
特に、右側の仕切り壁は琳派のたらし込みの技法を活かしていて、
古寂びた色合いに趣きがあります。
奥村土牛はセザンヌに傾倒していますが、この作品はモンドリアンの
影響も受けているそうです。
「鹿」 1968年

簡潔な描写で、鹿の体のしなやかさと命の張りを捉えています。
「醍醐」 1972年

奈良の薬師寺で行なわれた、小林古径の七回忌の法要の帰りに見た、
醍醐寺三宝院の枝垂桜に感激し、その後10年越しで完成させた作品です。
静かに咲いて静かに散る桜の姿と、兄弟子であり、師である、亡き小林古径の
姿を重ね合わせて描いたとのことです。
幹と支柱の縦線、土塀の横線を基本にして、幹を真中に据え、画面上を
桜で埋め尽くし、土塀の連なりで奥行きを見せています。
花弁の重なりは濃く薄く描かれて、立体感があり、塗りを重ねた幹の色は
桜の経てきた年月を感じさせます。
「吉野」 1977年

霞の中に広がる、花の吉野の風景で、手前から奥へと三角形を重ね、
桜の木も三角形にした理知的な構成の画面です。
対象を一度、抽象化して再構成するという作風がよく表れています。
奥村土牛から山﨑種二宛書簡(牛) 昭和時代

山﨑種二からお餅をもらったことへの令状で、家族ぐるみで交流のあったことを
伝えています。
絵は米俵を担いだ牛を象った、伏見人形の俵牛です。
伏見人形は伏見稲荷の参詣土産に売られていた土人形です。
翌年はうし年だったのでしょうか。
山種美術館のHPです。
乃木坂・六本木
六本木の国立新美術館では第8回「日展」が開かれています。
会期は11月22日(日)までです。

今日は洋画部門の作品を載せます。
会場は撮影可能です。
歳嶋洋一朗 「サン・ジャン・カップ・フェラ(南仏)」

佐藤祐治 「塔のある村」

成田禎介 「燈台の島」

高田啓介 「三陸の海」

穴畑三千昭 「白い光」

鈴木順一 「海潮音」

藤川耕太郎 「海峡の初夏」

安藤嘉一 「畦道」

髙柳惟 「光射す刻」

田中一利 「熱い日差し」

中山忠彦 「洋灯のある部屋」

福井欧夏 「約束の森」

木原和敏 「そっと思う」

宮本佳子 「穏やかな日」

西田陽二 「ローズ アンド フォックス」

國分真佐子 「錦繍」

小関修一 「時のまにまに」

中村龍介 「電車カフェ」

渡邊裕公 「浪漫紀行」

大友義博 「木もれ陽の森で」

黒木ゆり 「透明な時間」

久保博孝 「獺祭図―「IRÈNE」」

chariot
六本木の国立新美術館では第8回「日展」が開かれています。
会期は11月22日(日)までです。

今日は洋画部門の作品を載せます。
会場は撮影可能です。
歳嶋洋一朗 「サン・ジャン・カップ・フェラ(南仏)」

佐藤祐治 「塔のある村」

成田禎介 「燈台の島」

高田啓介 「三陸の海」

穴畑三千昭 「白い光」

鈴木順一 「海潮音」

藤川耕太郎 「海峡の初夏」

安藤嘉一 「畦道」

髙柳惟 「光射す刻」

田中一利 「熱い日差し」

中山忠彦 「洋灯のある部屋」

福井欧夏 「約束の森」

木原和敏 「そっと思う」

宮本佳子 「穏やかな日」

西田陽二 「ローズ アンド フォックス」

國分真佐子 「錦繍」

小関修一 「時のまにまに」

中村龍介 「電車カフェ」

渡邊裕公 「浪漫紀行」

大友義博 「木もれ陽の森で」

黒木ゆり 「透明な時間」

久保博孝 「獺祭図―「IRÈNE」」
