表参道
表参道の根津美術館では特別展、「燕子花図屏風の茶会」が開かれています。
会期は5月15日(日)までです。

根津美術館の創設者、初代根津嘉一郎が昭和12年(1937)5月に開いた茶会で
用いられた茶道具の紹介で、その茶席に置かれた順序通りに展示されています。
1.待合席
伝片桐石州の書の軸などです。
2.本席
「藤原兼輔像」 紙本墨画淡彩 鎌倉時代 13世紀 重要美術品
掛軸で、兼輔の歌も書かれています。
みじかよのふけゆくまゝにたかさごの みねのまつかぜふくかとぞきく
藤原兼輔(877 -933)は平安時代の公家で、歌人としても知られています
茶席では季節にふさわしいと喜ばれました。
「阿蘭陀花鳥文向付」 オランダ 17世紀

江戸時代、オランダに注文して作らせた染付です。
鱚・蓮根・椎茸・ボウフウの胡麻合が盛り付けられました。
「一重切竹花入 銘 藤浪」 小堀遠州作 江戸時代 17世紀

竹を切って上下逆にした花入で、下の方がすぼまった形を藤の花房に
見立てて名付けました。
ちはやふるかもの社のふじ浪はかけてわするるときのなきかな
「膳所耳付茶入 銘 大江」 膳所 江戸時代 17世紀

膳所焼は近江大津で焼かれた陶器で、小堀遠州に好まれました。
銘の大江は瀬田の大江で焼かれたことから、遠州が名付けたものです。
「藤波」と「大江」の取り合わせは松平不昧が文化11年(1814)の茶席以来
とのことで、話題になっています。
「鼠志野茶碗 銘 山の端」 美濃
桃山時代 16~17世紀 重要文化財

五月雨ははれんとやする山端にかかれる雲のうすくなりゆく
花園天皇(1297-1348)の歌にちなんだ銘で、
白釉を夏山にかかる雲が薄れる様に見立てています。
花園天皇は実感に基いた歌風を旨とする京極派の歌人で、
この歌にもその姿勢がうかがえます。
五月に合わせた茶碗で、濃茶席に用いられました。
3,薄茶席
「山水図」 賢江祥啓筆 室町時代 15世紀 重要文化財

賢江祥啓は鎌倉の建長寺の書記を勤めた画僧で、京都で絵を修業し、
関東で活躍しています。
「砂張釣舟花生 銘 艜(ひらた)」 東南アジア 15~16世紀

細長い銅製の器で、縁を廻って細かい模様が入っています。
元は食器か盛り器として使われていた品です。
器を底の平らな川舟のひらた舟に見立てていて、武野紹鴎が所持していた
ところから紹鴎艜と呼ばれています。
砂張(さはり)は響銅とも書き、銅に錫、鉛を加えた合金です。
茶会では鉄線と姫百合が入れられていました。
「銹絵茄子文細水指」 尾形乾山作 江戸時代 18世紀

細身の水指で、絵柄や色合いがひなびた味を出しています。
「雨漏茶碗 銘 蓑虫」 朝鮮時代 16世紀 重要美術品

雨漏茶碗は高麗茶碗の中で表面にしみの浮き出たもので、
景色を雨漏に例えています。
蓑虫の銘は藤原良経(1169-1206)の歌に拠っています。
ふるさとの板間にかかる蓑虫のもりける雨をしらせ顔なる
藤原良経は九条兼実の次男で、書家、歌人として知られています。
「祥瑞水玉文茶碗」 明時代 17世紀

祥瑞(しょんずい)とは日本の茶人の注文により景徳鎮で焼かれたと
思われる染付磁器のことです。
小振りの茶碗で、鮮やかな青色の中に浮かんだ白い水玉が際立っています。
4,浅酌席
「燕子花図屏風」 尾形光琳 江戸時代 18世紀 国宝

(右隻)

(左隻)

毎年この季節恒例の展示で、今年も観ることが出来ました。
「藤花図屏風」 円山応挙 安永5年(1776) 重要文化財

右隻

左隻

一筆で描く「付立て」という技法で幹や枝を一気に描いていますが、
枝の重なり具合など予め計算された筆の運びです。
葉も墨で付立てで描いた上に緑色の絵具を塗っているらしいとのことです。
花弁は白、青、紫を重ねて華やかな色彩の響きを見せています。

「吉野龍田図屏風」 右隻 江戸時代 17世紀

右隻は吉野の桜、左隻は龍田川の紅葉という和歌の名所を描いた屏風で、
桜の花弁は胡粉を厚く塗って盛り上げ、豪華に仕上げています。
枝に結ばれた短冊には、古今和歌集と玉葉和歌集に載せられた歌が数首、
書かれています。
ことしより春しりそむる桜かなちるといふことはならはざらなむ
紀貫之 古今和歌集
季節は春なので、茶会では右隻の吉野図屏風が飾られ、右に燕子花図屏風、
左に藤花図屏風が配されていました。
5,番茶席
「瓜虫図」 呂敬甫筆 明時代 14-15世紀 重要文化財

瓜の花と実、チョウ、トンボ、クツワムシなどが描かれています。
草と虫を取り合わせた草虫図はよく描かれた画題です。
「業平蒔絵硯箱」 伝尾形光琳 江戸時代 18世紀

黒漆塗の硯箱で、扇の形の中に烏帽子に狩衣の公達が描かれています。
扇の骨と狩衣の線をつなげた、面白いつくりになっています。
在原業平ということで、燕子花図屏風と響き合い、茶会の最後を締める
調度として喜ばれました。
趣向を凝らした、盛大なお茶会だったことが偲ばれる展示です。
展覧会のHPです。
2階の展示室については次回に書きます。
庭のカキツバタはちょうど満開でした。



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表参道の根津美術館では特別展、「燕子花図屏風の茶会」が開かれています。
会期は5月15日(日)までです。

根津美術館の創設者、初代根津嘉一郎が昭和12年(1937)5月に開いた茶会で
用いられた茶道具の紹介で、その茶席に置かれた順序通りに展示されています。
1.待合席
伝片桐石州の書の軸などです。
2.本席
「藤原兼輔像」 紙本墨画淡彩 鎌倉時代 13世紀 重要美術品
掛軸で、兼輔の歌も書かれています。
みじかよのふけゆくまゝにたかさごの みねのまつかぜふくかとぞきく
藤原兼輔(877 -933)は平安時代の公家で、歌人としても知られています
茶席では季節にふさわしいと喜ばれました。
「阿蘭陀花鳥文向付」 オランダ 17世紀

江戸時代、オランダに注文して作らせた染付です。
鱚・蓮根・椎茸・ボウフウの胡麻合が盛り付けられました。
「一重切竹花入 銘 藤浪」 小堀遠州作 江戸時代 17世紀

竹を切って上下逆にした花入で、下の方がすぼまった形を藤の花房に
見立てて名付けました。
ちはやふるかもの社のふじ浪はかけてわするるときのなきかな
「膳所耳付茶入 銘 大江」 膳所 江戸時代 17世紀

膳所焼は近江大津で焼かれた陶器で、小堀遠州に好まれました。
銘の大江は瀬田の大江で焼かれたことから、遠州が名付けたものです。
「藤波」と「大江」の取り合わせは松平不昧が文化11年(1814)の茶席以来
とのことで、話題になっています。
「鼠志野茶碗 銘 山の端」 美濃
桃山時代 16~17世紀 重要文化財

五月雨ははれんとやする山端にかかれる雲のうすくなりゆく
花園天皇(1297-1348)の歌にちなんだ銘で、
白釉を夏山にかかる雲が薄れる様に見立てています。
花園天皇は実感に基いた歌風を旨とする京極派の歌人で、
この歌にもその姿勢がうかがえます。
五月に合わせた茶碗で、濃茶席に用いられました。
3,薄茶席
「山水図」 賢江祥啓筆 室町時代 15世紀 重要文化財

賢江祥啓は鎌倉の建長寺の書記を勤めた画僧で、京都で絵を修業し、
関東で活躍しています。
「砂張釣舟花生 銘 艜(ひらた)」 東南アジア 15~16世紀

細長い銅製の器で、縁を廻って細かい模様が入っています。
元は食器か盛り器として使われていた品です。
器を底の平らな川舟のひらた舟に見立てていて、武野紹鴎が所持していた
ところから紹鴎艜と呼ばれています。
砂張(さはり)は響銅とも書き、銅に錫、鉛を加えた合金です。
茶会では鉄線と姫百合が入れられていました。
「銹絵茄子文細水指」 尾形乾山作 江戸時代 18世紀

細身の水指で、絵柄や色合いがひなびた味を出しています。
「雨漏茶碗 銘 蓑虫」 朝鮮時代 16世紀 重要美術品

雨漏茶碗は高麗茶碗の中で表面にしみの浮き出たもので、
景色を雨漏に例えています。
蓑虫の銘は藤原良経(1169-1206)の歌に拠っています。
ふるさとの板間にかかる蓑虫のもりける雨をしらせ顔なる
藤原良経は九条兼実の次男で、書家、歌人として知られています。
「祥瑞水玉文茶碗」 明時代 17世紀

祥瑞(しょんずい)とは日本の茶人の注文により景徳鎮で焼かれたと
思われる染付磁器のことです。
小振りの茶碗で、鮮やかな青色の中に浮かんだ白い水玉が際立っています。
4,浅酌席
「燕子花図屏風」 尾形光琳 江戸時代 18世紀 国宝

(右隻)

(左隻)

毎年この季節恒例の展示で、今年も観ることが出来ました。
「藤花図屏風」 円山応挙 安永5年(1776) 重要文化財

右隻

左隻

一筆で描く「付立て」という技法で幹や枝を一気に描いていますが、
枝の重なり具合など予め計算された筆の運びです。
葉も墨で付立てで描いた上に緑色の絵具を塗っているらしいとのことです。
花弁は白、青、紫を重ねて華やかな色彩の響きを見せています。

「吉野龍田図屏風」 右隻 江戸時代 17世紀

右隻は吉野の桜、左隻は龍田川の紅葉という和歌の名所を描いた屏風で、
桜の花弁は胡粉を厚く塗って盛り上げ、豪華に仕上げています。
枝に結ばれた短冊には、古今和歌集と玉葉和歌集に載せられた歌が数首、
書かれています。
ことしより春しりそむる桜かなちるといふことはならはざらなむ
紀貫之 古今和歌集
季節は春なので、茶会では右隻の吉野図屏風が飾られ、右に燕子花図屏風、
左に藤花図屏風が配されていました。
5,番茶席
「瓜虫図」 呂敬甫筆 明時代 14-15世紀 重要文化財

瓜の花と実、チョウ、トンボ、クツワムシなどが描かれています。
草と虫を取り合わせた草虫図はよく描かれた画題です。
「業平蒔絵硯箱」 伝尾形光琳 江戸時代 18世紀

黒漆塗の硯箱で、扇の形の中に烏帽子に狩衣の公達が描かれています。
扇の骨と狩衣の線をつなげた、面白いつくりになっています。
在原業平ということで、燕子花図屏風と響き合い、茶会の最後を締める
調度として喜ばれました。
趣向を凝らした、盛大なお茶会だったことが偲ばれる展示です。
展覧会のHPです。
2階の展示室については次回に書きます。
庭のカキツバタはちょうど満開でした。



六本木・乃木坂
「アンティコカフェ アルアビス 東京ミッドタウン店」は東京ミッドタウンの
ガレリアの地下1階にあります。

イタリア風のお店で、店内は30席ほど、通路に面して2面が開いているので、
風通しは良く、あまり狭さは感じません。



シチリアのお菓子、カンノーロもあります。

カプチーノ500円です。

水のグラスもしっかりしています。

最近値上げしたようですが、たっぷりあって美味しいです。
「アンティコカフェ アルアビス」は都内に5店あり、コーヒーもフードも美味しいお店です。
サントリー美術館の「北斎展」の帰りに寄りました。
「北斎展」の記事です。
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「アンティコカフェ アルアビス 東京ミッドタウン店」は東京ミッドタウンの
ガレリアの地下1階にあります。

イタリア風のお店で、店内は30席ほど、通路に面して2面が開いているので、
風通しは良く、あまり狭さは感じません。



シチリアのお菓子、カンノーロもあります。

カプチーノ500円です。

水のグラスもしっかりしています。

最近値上げしたようですが、たっぷりあって美味しいです。
「アンティコカフェ アルアビス」は都内に5店あり、コーヒーもフードも美味しいお店です。
サントリー美術館の「北斎展」の帰りに寄りました。
「北斎展」の記事です。
日比谷・有楽町
丸の内の出光美術館の『国宝手鑑「見努世友」と古筆の美』展には茶道具の名品も
展示されています。
会期は6月5日(日)までです。
「山市晴嵐図」 玉澗 南宋末~元初期 重要文化財

玉澗(ぎょくかん)は禅僧の画家で、簡潔で勢いのある筆遣いを特徴にしていて、
日本では牧谿より好まれていたそうです。
東山御物の「瀟湘八景図巻」の中の一つで、余白の空間が生きています。
「瀟湘八景図巻」は他に「遠浦帰帆」(徳川美術館蔵)、「洞庭秋月」(個人蔵)が
現存しています。
「青磁浮牡丹不遊環耳瓶」 龍泉窯 南宋時代

古代青銅器の形を模していますが、耳に付けた環は釉薬によって器に
貼り付いて動かないので、「不遊環」の名が付いています。
龍泉窯は浙江省龍泉市周辺にあった窯で、南宋から元代に青磁を生産していました。
澄んだ青色の、貫入(釉薬のヒビ)のほとんど無い器体が特徴です。
宋代の中国では牡丹が熱狂的に愛好されていたそうです。
「唐物茶壷 銘 羽衣」 広東系 明時代 出光美術館

高さ32cmの大きな壷で、大らかな姿をしています。
飴色の釉薬には薄く雲のような黒色が浮かんでいます。
生活雑器だった物ですが輸入され、茶壷として使われました。
堺の高石屋道勺、加賀前田家の伝来です。
「珠光青磁茶碗」 同安窯系 南宋時代

室町時代の茶人、村田珠光がこの系統の器を抹茶茶碗に採用した
ことによる命名です。
青磁といっても、龍泉窯のような格式の高い青磁ではなく、龍泉窯を模して
福建省周辺で焼かれた粗製の青磁です。
薄緑色で、作りは浅く、外側には櫛目模様、見込みにも丸く猫掻き文
と呼ばれる引っ掻き模様が入り、底には緑色の釉薬が溜まっています。
村田珠光はこのようなくだけた物を好んだとのことです。
「呉州染付草花文茶碗 銘 橘」 漳州窯 明時代末期 中興名物

質の劣る染付茶碗ですが、その稚拙さが茶人に好まれました。
中興名物とは出雲の大名、松平不昧の編集した「雲州名物帳」で
小堀遠州好みの茶道具として選ばれた品のことです。
「唐物肩衝茶入 銘 道阿弥」 福建系 南宋時代 大名物・柳営御物

胴の中央に線が入り、釉薬の垂れた、釉なだれが見られます。
かなり使い込まれたようで、表面に手摺れの痕があります。
柳営御物とは徳川将軍家の所蔵品のことです。
関ヶ原の戦いの功で徳川家康から山岡景友(道阿弥)に賜ったことから
この名があります。
「古染付葡萄棚文水指」 景徳鎮窯 明時代末期

八角形の水指で、吉祥文様のブドウが描かれていて、蔓の渦巻きが楽しい
リズムを生んでいます。
古染付とは明の天啓年間(1621-27)に焼かれた染付雑器の日本での呼び名で、
素朴で庶民的な味わいが茶の世界で好まれています。
材料も粗悪なため、釉薬が剥がれて地の土が見えていますが、茶人はこれを
「虫喰い」と呼んで景色の一つとして楽しんでいます。
「奥高麗茶碗 銘 秋夜」 桃山時代

奥高麗とは古唐津の一種です。
古唐津は桃山時代に北九州各地で朝鮮の陶工によって始められた陶器で、
唐津の港から出荷されたので、この名があります。
かなり大振りの堂々とした姿の茶碗で、唐津特有の素朴な味わいがあります。
出雲松平家の伝来です。
「絵唐津葦文壷」 桃山時代 重要文化財

朝鮮陶磁の特徴である、腰がふくらんだ算盤玉型をしていて、安定感があります。
片面に風に揺れる葦、反対側に唐草文がさらりと描かれていて、このような片面ずつで
絵柄を替える片身替りは桃山時代の流行です。
「黒楽茶碗 銘 黒面翁」 長次郎 桃山時代

楽茶碗とは楽焼の祖、長次郎(?-1589)が千利休の侘び茶の好みに応じて
作り始めた手捏ねの茶碗です。
京都の町屋の小規模な窯によって低温で焼かれ、土も特別な物は使われておらず、
聚楽第の造成で出た土を使ったとも云われています。
黒楽茶碗は素焼きの上に鉄釉を何度もかけてから焼成しています。
楽茶碗は天正14年(1586)に利休の催した茶会に「宗易型ノ茶碗」として登場し、
当時は「今焼茶碗」と呼ばれたそうです。
展覧会のHPです。
丸の内仲通りの新緑が鮮やかです。

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丸の内の出光美術館の『国宝手鑑「見努世友」と古筆の美』展には茶道具の名品も
展示されています。
会期は6月5日(日)までです。
「山市晴嵐図」 玉澗 南宋末~元初期 重要文化財

玉澗(ぎょくかん)は禅僧の画家で、簡潔で勢いのある筆遣いを特徴にしていて、
日本では牧谿より好まれていたそうです。
東山御物の「瀟湘八景図巻」の中の一つで、余白の空間が生きています。
「瀟湘八景図巻」は他に「遠浦帰帆」(徳川美術館蔵)、「洞庭秋月」(個人蔵)が
現存しています。
「青磁浮牡丹不遊環耳瓶」 龍泉窯 南宋時代

古代青銅器の形を模していますが、耳に付けた環は釉薬によって器に
貼り付いて動かないので、「不遊環」の名が付いています。
龍泉窯は浙江省龍泉市周辺にあった窯で、南宋から元代に青磁を生産していました。
澄んだ青色の、貫入(釉薬のヒビ)のほとんど無い器体が特徴です。
宋代の中国では牡丹が熱狂的に愛好されていたそうです。
「唐物茶壷 銘 羽衣」 広東系 明時代 出光美術館

高さ32cmの大きな壷で、大らかな姿をしています。
飴色の釉薬には薄く雲のような黒色が浮かんでいます。
生活雑器だった物ですが輸入され、茶壷として使われました。
堺の高石屋道勺、加賀前田家の伝来です。
「珠光青磁茶碗」 同安窯系 南宋時代

室町時代の茶人、村田珠光がこの系統の器を抹茶茶碗に採用した
ことによる命名です。
青磁といっても、龍泉窯のような格式の高い青磁ではなく、龍泉窯を模して
福建省周辺で焼かれた粗製の青磁です。
薄緑色で、作りは浅く、外側には櫛目模様、見込みにも丸く猫掻き文
と呼ばれる引っ掻き模様が入り、底には緑色の釉薬が溜まっています。
村田珠光はこのようなくだけた物を好んだとのことです。
「呉州染付草花文茶碗 銘 橘」 漳州窯 明時代末期 中興名物

質の劣る染付茶碗ですが、その稚拙さが茶人に好まれました。
中興名物とは出雲の大名、松平不昧の編集した「雲州名物帳」で
小堀遠州好みの茶道具として選ばれた品のことです。
「唐物肩衝茶入 銘 道阿弥」 福建系 南宋時代 大名物・柳営御物

胴の中央に線が入り、釉薬の垂れた、釉なだれが見られます。
かなり使い込まれたようで、表面に手摺れの痕があります。
柳営御物とは徳川将軍家の所蔵品のことです。
関ヶ原の戦いの功で徳川家康から山岡景友(道阿弥)に賜ったことから
この名があります。
「古染付葡萄棚文水指」 景徳鎮窯 明時代末期

八角形の水指で、吉祥文様のブドウが描かれていて、蔓の渦巻きが楽しい
リズムを生んでいます。
古染付とは明の天啓年間(1621-27)に焼かれた染付雑器の日本での呼び名で、
素朴で庶民的な味わいが茶の世界で好まれています。
材料も粗悪なため、釉薬が剥がれて地の土が見えていますが、茶人はこれを
「虫喰い」と呼んで景色の一つとして楽しんでいます。
「奥高麗茶碗 銘 秋夜」 桃山時代

奥高麗とは古唐津の一種です。
古唐津は桃山時代に北九州各地で朝鮮の陶工によって始められた陶器で、
唐津の港から出荷されたので、この名があります。
かなり大振りの堂々とした姿の茶碗で、唐津特有の素朴な味わいがあります。
出雲松平家の伝来です。
「絵唐津葦文壷」 桃山時代 重要文化財

朝鮮陶磁の特徴である、腰がふくらんだ算盤玉型をしていて、安定感があります。
片面に風に揺れる葦、反対側に唐草文がさらりと描かれていて、このような片面ずつで
絵柄を替える片身替りは桃山時代の流行です。
「黒楽茶碗 銘 黒面翁」 長次郎 桃山時代

楽茶碗とは楽焼の祖、長次郎(?-1589)が千利休の侘び茶の好みに応じて
作り始めた手捏ねの茶碗です。
京都の町屋の小規模な窯によって低温で焼かれ、土も特別な物は使われておらず、
聚楽第の造成で出た土を使ったとも云われています。
黒楽茶碗は素焼きの上に鉄釉を何度もかけてから焼成しています。
楽茶碗は天正14年(1586)に利休の催した茶会に「宗易型ノ茶碗」として登場し、
当時は「今焼茶碗」と呼ばれたそうです。
展覧会のHPです。
丸の内仲通りの新緑が鮮やかです。

日比谷・有楽町
丸の内の出光美術館では『「国宝手鑑「見努世友」と古筆の美』展が開かれています。
会期は6月5日(日)までです。
久し振りの開館ですが、しばらくは開館時間は午前11時~午後4時です。

古筆とは近世までに書写された写本類のことで、大部分は歌集などの仮名書きの
写本です。
古筆は近世になると珍重され、分割されて古筆切という断簡の形で流布します。
この古筆切を集めたアルバムが古筆手鑑(こひつてかがみ)で、江戸時代に発達します。
古筆手鑑の制作には専門の鑑定家が当たり、筆者を特定し、配列を決めています。
古筆手鑑 「見努世友」 奈良時代~室町時代 国宝

全部で229葉、聖徳太子、聖武天皇に始まり、光明皇后、後鳥羽天皇、後醍醐天皇、
藤原俊成・定家、平清盛・忠度、源頼朝・実朝、新田義貞など歴史上の著名人の
オンパレードです。
当時の古筆鑑定は、書風から書かれた時代を推測し、その時代の代表的人物の筆と
特定するという方法なので、このような華麗な構成になるようです。
藤原定家は定家様という特徴のある書風をしているので、すぐ見分けられます。
写真の右側は後宇多天皇(1267~1324)、その左は伏見天皇(1265~1317)の筆です。
小浜酒井家に伝来した品で、「見努世友(みぬよのとも)」は兼好法師の徒然草の一文、
「ひとり燈のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とするぞこよなう慰むわざなる。」に
拠っています。
元は折帖装の形で表と裏に貼られていましたが、保存と鑑賞のため、二帖に分割し、
それぞれ片面に貼った形に改めて、今回公開されました。
さまざまな古筆も展示されています。
「絵因果経」(部分) 奈良時代 重要文化財

5世紀に漢訳された過去現在因果経を絵入りの経巻にしています。
上段に釈迦の物語が素朴な表現で描かれています。
「大般若経 巻第九十四(薬師寺経)」 伝朝野魚養 奈良時代 重要美術品

大般若経は唐の玄奘三蔵が大乗仏教の教義を説いた経典を集大成した経典で、
全600巻あります。
薬師寺に伝来した大般若経は朝野魚養(あさののなかい)の書写と伝えられ、
魚養経(ぎょようきょう)とも呼ばれています。
現在、薬師寺に一部が残り、藤田美術館が387巻を所蔵しているそうです。
「扇面法華経冊子断簡」 平安時代 重要文化財

扇面に貴族や庶民の様子を描いた上に法華経を写し、冊子の形にしています。
宮廷周辺の女性の発願で制作されたと考えられるとのことで、大阪の四天王寺に
伝来しました。
この面には女性と童が描かれていて、扇面の形に合わせて、字も下に行く程、
小さくなっています。
「継色紙」 伝小野道風 平安時代 重要文化財

「継色紙」は平安時代の名筆の一つで、「寸松庵色紙」、「升色紙」とともに
「三色紙」と呼ばれています。
元は万葉集、古今和歌集などの和歌を集めた冊子本で、優美な仮名の散らし書きで
書かれています。
大聖寺藩前田家の旧蔵で、近代に切断され、軸装されています。
むめのかの ふりおく ゆきにうつり せは
たれかは ゝなを わきて をらまし
「高野切第一種」 伝紀貫之 平安時代 重要文化財

「高野切」は現存する古今和歌集最古の歌集で、一部が高野山に伝来したので
この名が付いています。
寛平のおほんときのきさいのみやの
うたあわせのうた
よみひとしら須
むめのかをそてにうつしてととめては
はるはすくともかたみならまし
寛平御時后宮歌合は寛平年間(889~893)に宇多天皇の母后班子の催した
歌合せです。
歌を寄せた紀貫之、紀友則、壬生忠岑らは三十六歌仙に選ばれています。
「石山切 伊勢集」 伝藤原公任 平安時代

雅な切継の料紙に書かれていて、王朝美を極めています。
「石山切」は白河天皇の六十の賀を祝って制作された、「西本願寺本三十六人家集」の
うち、「貫之集下」と「伊勢集」のことです。
西本願寺の所蔵でしたが、昭和4年(1929)に2つの集が分割され、断簡になった時に
付けられた名です。
昔は本願寺が石山(後の大阪城)にあったことにちなんでいます。
あひみてもつつむおもひのわひしきは
人まにのみそねはなかりける
「石山切 貫之集下」 藤原定信 平安時代

伊勢集のきっちりした書風に比べ、貫之集はのびやかな書き振りです。
「久松切倭漢朗詠抄」 巻下 伝藤原行成 平安時代 重要文化財

和漢朗詠集の断簡で元は伊予松山の久松家伝来の品です。
上下2巻ありましたが、戦後に巻上が分割されて断簡になり、各所に分蔵され、
巻下は出光美術館に所蔵されています。
小さな飛び雲文様が漉き込まれ、金銀の砂子が撒かれています。
伝藤原行成筆ですが、書風から12世紀前半と考えられています。
藤原行成(972-1028)は能書家として知られています。
「中務集」 伝西行 平安時代 12世紀 重要文化財

中務(なかつかさ、912頃-991頃)は女流歌人伊勢の子の女流歌人で、
宇多天皇の孫に当たります。
中務の家集の平安後期の写本で、加賀前田家の旧蔵でした。
強弱を付けない、均一な書き振りです。
「和歌色紙」 後陽成天皇 桃山時代 重要美術品

金泥で雲と水流、燕子花、水草を描いた色紙に平安時代の歌人、源師時
(1017-1136)の歌を書いています。
絵柄を考えて、歌を選んでいます。
むらさきの いろにそみゆる かきつはた いけのぬなはの はひかゝりつつ
茶道具の展示は次回に書きます。
展覧会のHPです。
ロビーは模様替えされ、密を避けるため、ソファの代わりにベンチが間を置いて
並んでいます。

chariot
丸の内の出光美術館では『「国宝手鑑「見努世友」と古筆の美』展が開かれています。
会期は6月5日(日)までです。
久し振りの開館ですが、しばらくは開館時間は午前11時~午後4時です。

古筆とは近世までに書写された写本類のことで、大部分は歌集などの仮名書きの
写本です。
古筆は近世になると珍重され、分割されて古筆切という断簡の形で流布します。
この古筆切を集めたアルバムが古筆手鑑(こひつてかがみ)で、江戸時代に発達します。
古筆手鑑の制作には専門の鑑定家が当たり、筆者を特定し、配列を決めています。
古筆手鑑 「見努世友」 奈良時代~室町時代 国宝

全部で229葉、聖徳太子、聖武天皇に始まり、光明皇后、後鳥羽天皇、後醍醐天皇、
藤原俊成・定家、平清盛・忠度、源頼朝・実朝、新田義貞など歴史上の著名人の
オンパレードです。
当時の古筆鑑定は、書風から書かれた時代を推測し、その時代の代表的人物の筆と
特定するという方法なので、このような華麗な構成になるようです。
藤原定家は定家様という特徴のある書風をしているので、すぐ見分けられます。
写真の右側は後宇多天皇(1267~1324)、その左は伏見天皇(1265~1317)の筆です。
小浜酒井家に伝来した品で、「見努世友(みぬよのとも)」は兼好法師の徒然草の一文、
「ひとり燈のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とするぞこよなう慰むわざなる。」に
拠っています。
元は折帖装の形で表と裏に貼られていましたが、保存と鑑賞のため、二帖に分割し、
それぞれ片面に貼った形に改めて、今回公開されました。
さまざまな古筆も展示されています。
「絵因果経」(部分) 奈良時代 重要文化財

5世紀に漢訳された過去現在因果経を絵入りの経巻にしています。
上段に釈迦の物語が素朴な表現で描かれています。
「大般若経 巻第九十四(薬師寺経)」 伝朝野魚養 奈良時代 重要美術品

大般若経は唐の玄奘三蔵が大乗仏教の教義を説いた経典を集大成した経典で、
全600巻あります。
薬師寺に伝来した大般若経は朝野魚養(あさののなかい)の書写と伝えられ、
魚養経(ぎょようきょう)とも呼ばれています。
現在、薬師寺に一部が残り、藤田美術館が387巻を所蔵しているそうです。
「扇面法華経冊子断簡」 平安時代 重要文化財

扇面に貴族や庶民の様子を描いた上に法華経を写し、冊子の形にしています。
宮廷周辺の女性の発願で制作されたと考えられるとのことで、大阪の四天王寺に
伝来しました。
この面には女性と童が描かれていて、扇面の形に合わせて、字も下に行く程、
小さくなっています。
「継色紙」 伝小野道風 平安時代 重要文化財

「継色紙」は平安時代の名筆の一つで、「寸松庵色紙」、「升色紙」とともに
「三色紙」と呼ばれています。
元は万葉集、古今和歌集などの和歌を集めた冊子本で、優美な仮名の散らし書きで
書かれています。
大聖寺藩前田家の旧蔵で、近代に切断され、軸装されています。
むめのかの ふりおく ゆきにうつり せは
たれかは ゝなを わきて をらまし
「高野切第一種」 伝紀貫之 平安時代 重要文化財

「高野切」は現存する古今和歌集最古の歌集で、一部が高野山に伝来したので
この名が付いています。
寛平のおほんときのきさいのみやの
うたあわせのうた
よみひとしら須
むめのかをそてにうつしてととめては
はるはすくともかたみならまし
寛平御時后宮歌合は寛平年間(889~893)に宇多天皇の母后班子の催した
歌合せです。
歌を寄せた紀貫之、紀友則、壬生忠岑らは三十六歌仙に選ばれています。
「石山切 伊勢集」 伝藤原公任 平安時代

雅な切継の料紙に書かれていて、王朝美を極めています。
「石山切」は白河天皇の六十の賀を祝って制作された、「西本願寺本三十六人家集」の
うち、「貫之集下」と「伊勢集」のことです。
西本願寺の所蔵でしたが、昭和4年(1929)に2つの集が分割され、断簡になった時に
付けられた名です。
昔は本願寺が石山(後の大阪城)にあったことにちなんでいます。
あひみてもつつむおもひのわひしきは
人まにのみそねはなかりける
「石山切 貫之集下」 藤原定信 平安時代

伊勢集のきっちりした書風に比べ、貫之集はのびやかな書き振りです。
「久松切倭漢朗詠抄」 巻下 伝藤原行成 平安時代 重要文化財

和漢朗詠集の断簡で元は伊予松山の久松家伝来の品です。
上下2巻ありましたが、戦後に巻上が分割されて断簡になり、各所に分蔵され、
巻下は出光美術館に所蔵されています。
小さな飛び雲文様が漉き込まれ、金銀の砂子が撒かれています。
伝藤原行成筆ですが、書風から12世紀前半と考えられています。
藤原行成(972-1028)は能書家として知られています。
「中務集」 伝西行 平安時代 12世紀 重要文化財

中務(なかつかさ、912頃-991頃)は女流歌人伊勢の子の女流歌人で、
宇多天皇の孫に当たります。
中務の家集の平安後期の写本で、加賀前田家の旧蔵でした。
強弱を付けない、均一な書き振りです。
「和歌色紙」 後陽成天皇 桃山時代 重要美術品

金泥で雲と水流、燕子花、水草を描いた色紙に平安時代の歌人、源師時
(1017-1136)の歌を書いています。
絵柄を考えて、歌を選んでいます。
むらさきの いろにそみゆる かきつはた いけのぬなはの はひかゝりつつ
茶道具の展示は次回に書きます。
展覧会のHPです。
ロビーは模様替えされ、密を避けるため、ソファの代わりにベンチが間を置いて
並んでいます。

六本木・乃木坂
サントリー美術館では「大英博物館 北斎―国内の肉筆画の名品とともに―」が
開かれています。
会期は6月12日(日)まで、休館日は火曜日です。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認ください。

大英博物館の所蔵する葛飾北斎(1760~1849)の作品を中心にして、北斎の60歳から
亡くなる90歳までの30年間に焦点を当てた展覧会です。
「市川鰕蔵の山賤実は文覚上人」 細判錦絵
寛政3年(1791) 大英博物館

初期の作品です。
北斎は若い頃、芝居絵を得意とした勝川春章に弟子入りし、勝川春朗を
名乗っています。
文覚上人は伊豆に配流中の源頼朝に平家打倒の挙兵を勧めた怪僧です。
市川鰕蔵は五代目市川団十郎の後の名で、市川家では代々海老蔵を
名乗っていましたが、
自分は雑魚のエビだとして蝦蔵を名乗っています。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 横大判錦絵
天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館

浮世絵の中でも海外で最も有名な作品です。
輸入された合成顔料のプルシアンブルー(ベロ藍)を使い、動的で迫力のある
画面をつくっています。
並んでいる冨嶽三十六景を見ると、どの絵もプルシアンブルーがふんだんに
使われているのが分かります。
「冨嶽三十六景 凱風快晴」 横大判錦絵
天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館

動的な「神奈川沖浪裏」に対して、こちらは晴れ晴れと雄大で静かです。
「諸國瀧廻り 和州吉野義経馬洗滝」 大判錦絵 天保4年(1833)頃 大英博物館

「諸國瀧廻り」は全国8か所の滝を題材にしたシリーズで、岐阜県の養老の滝や
今は無くなった東京の赤坂溜池から落ちる東都東都葵ヶ岡の滝などがあります。
源義経が馬を洗ったと伝えられる滝で馬を洗っているところです。
「諸國名橋奇覧 飛越の堺つりはし」 横大判錦絵 天保5年(1834)頃 大英博物館

「諸國名橋奇覧」は全国の名高い橋を集めた11点のシリーズですが、
現存していない橋やどこにあるのか分からない橋も描かれています。
飛越の堺つりはしは飛騨(岐阜県)と越中(富山)の間にある橋のことですが、
場所は特定されていません。
「百物語 こはだ小平二」 中判錦絵 天保4年(1833)頃 大英博物館

幽霊の役を得意としていた歌舞伎役者の小幡小平治が女房とその愛人に殺されて
幽霊になり、二人に祟ったというお話です。
百物語なので全部で100点の話を描く予定だったようですが、現在は5点しか
確認されていないそうです。
以下は肉筆画です。
「為朝図」 文化8年(1811) 大英博物館

源為朝は源為義の子で、保元の乱では父と共に崇徳上皇側に付いて奮戦し、
敗れて伊豆大島に流されますが、そこでも反乱を起こして最後は自害しています。
強弓の使い手として知られ、保元の乱では射た矢が敵の武者の鎧を貫いた上、
隣の武者の鎧の袖に突き刺さったと言われています。
島の住人たちと力比べをしているところで、金箔も使った豪華な画面です。
源為朝を主人公として曲亭馬琴作で北斎が絵を描いた読本、「椿説弓張月」の
完成を祝って、版元の平林庄五郎が注文した作品で、馬琴も詩を添えています。
「鯉亀図」 文化10年(1813) 埼玉県立歴史と民俗の博物館

5月16日までの展示です。
詞書から門人に与えた作品と思われます。
鯉と亀の泳ぐ様をリアルに描き出していて、鯉と亀の目や水草に藍色を使って
変化を付けています。
「白拍子図」 文政3年(1820)頃 北斎館

5月16日までの展示です。
白拍子は平安末期から鎌倉時代にかけて行われた芸能で、おもに男装した
女性や子供が舞います。
平清盛の愛妾の祇王、仏御前、源義経の愛妾の静御前などが有名です。
金の立烏帽子に白の水干、紅の長袴を着け、柄巻を鞘にも施した太刀を佩き、
扇を手にした姿です。
「若衆図」 天保11年(1840) 大英博物館

前髪を残した若集髷で、桜の模様の着物に仙台平の袴を着け、白柄の脇差を差し、
草履を脱いだ片足を膝に乗せています。
「弘法大師修法図」 弘化年間(1844-47) 西新井大師總持寺

5月18日からの展示です。
横2m以上の大きな掛軸で、近辺に疫病が流行っていた時、弘法大師空海が訪れ、
法力により疫病を鎮めたという逸話を描いています。
弘法大師が疫病神を調伏しているところで、疫病神は棒に手を巻き付けて持ち、
犬は茸の生えた古木に巻き付き、吠えて対峙しています。
黒い背景の中で三者が浮かび上がり、画面も右に傾き、バロック的な躍動感のある
力作です。
「流水に鴨図」 弘化4年(1847) 大英博物館

亡くなる2年前、数え年88歳の時の作品で、鴨や紅葉の水中と水上の部分を
巧みに描き分けています。
「渡船山水図」 弘化4年(1847) 北斎館

5月18日からの展示です。
近景の柴舟と田舎家、中景の山、遠景の岩山を描き分けて遠近感を出す、
中国山水画の画法に拠っています。
大英博物館の北斎コレクションを支えた6人の人物も紹介されています。
各種のシリーズ物や肉筆画など多彩な展示で、大英博物館のコレクションの
充実ぶりには驚きます。
それだけイギリスでも葛飾北斎が愛好されてきた訳です。
展覧会のHPです。
chariot
サントリー美術館では「大英博物館 北斎―国内の肉筆画の名品とともに―」が
開かれています。
会期は6月12日(日)まで、休館日は火曜日です。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認ください。

大英博物館の所蔵する葛飾北斎(1760~1849)の作品を中心にして、北斎の60歳から
亡くなる90歳までの30年間に焦点を当てた展覧会です。
「市川鰕蔵の山賤実は文覚上人」 細判錦絵
寛政3年(1791) 大英博物館

初期の作品です。
北斎は若い頃、芝居絵を得意とした勝川春章に弟子入りし、勝川春朗を
名乗っています。
文覚上人は伊豆に配流中の源頼朝に平家打倒の挙兵を勧めた怪僧です。
市川鰕蔵は五代目市川団十郎の後の名で、市川家では代々海老蔵を
名乗っていましたが、
自分は雑魚のエビだとして蝦蔵を名乗っています。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 横大判錦絵
天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館

浮世絵の中でも海外で最も有名な作品です。
輸入された合成顔料のプルシアンブルー(ベロ藍)を使い、動的で迫力のある
画面をつくっています。
並んでいる冨嶽三十六景を見ると、どの絵もプルシアンブルーがふんだんに
使われているのが分かります。
「冨嶽三十六景 凱風快晴」 横大判錦絵
天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館

動的な「神奈川沖浪裏」に対して、こちらは晴れ晴れと雄大で静かです。
「諸國瀧廻り 和州吉野義経馬洗滝」 大判錦絵 天保4年(1833)頃 大英博物館

「諸國瀧廻り」は全国8か所の滝を題材にしたシリーズで、岐阜県の養老の滝や
今は無くなった東京の赤坂溜池から落ちる東都東都葵ヶ岡の滝などがあります。
源義経が馬を洗ったと伝えられる滝で馬を洗っているところです。
「諸國名橋奇覧 飛越の堺つりはし」 横大判錦絵 天保5年(1834)頃 大英博物館

「諸國名橋奇覧」は全国の名高い橋を集めた11点のシリーズですが、
現存していない橋やどこにあるのか分からない橋も描かれています。
飛越の堺つりはしは飛騨(岐阜県)と越中(富山)の間にある橋のことですが、
場所は特定されていません。
「百物語 こはだ小平二」 中判錦絵 天保4年(1833)頃 大英博物館

幽霊の役を得意としていた歌舞伎役者の小幡小平治が女房とその愛人に殺されて
幽霊になり、二人に祟ったというお話です。
百物語なので全部で100点の話を描く予定だったようですが、現在は5点しか
確認されていないそうです。
以下は肉筆画です。
「為朝図」 文化8年(1811) 大英博物館

源為朝は源為義の子で、保元の乱では父と共に崇徳上皇側に付いて奮戦し、
敗れて伊豆大島に流されますが、そこでも反乱を起こして最後は自害しています。
強弓の使い手として知られ、保元の乱では射た矢が敵の武者の鎧を貫いた上、
隣の武者の鎧の袖に突き刺さったと言われています。
島の住人たちと力比べをしているところで、金箔も使った豪華な画面です。
源為朝を主人公として曲亭馬琴作で北斎が絵を描いた読本、「椿説弓張月」の
完成を祝って、版元の平林庄五郎が注文した作品で、馬琴も詩を添えています。
「鯉亀図」 文化10年(1813) 埼玉県立歴史と民俗の博物館

5月16日までの展示です。
詞書から門人に与えた作品と思われます。
鯉と亀の泳ぐ様をリアルに描き出していて、鯉と亀の目や水草に藍色を使って
変化を付けています。
「白拍子図」 文政3年(1820)頃 北斎館

5月16日までの展示です。
白拍子は平安末期から鎌倉時代にかけて行われた芸能で、おもに男装した
女性や子供が舞います。
平清盛の愛妾の祇王、仏御前、源義経の愛妾の静御前などが有名です。
金の立烏帽子に白の水干、紅の長袴を着け、柄巻を鞘にも施した太刀を佩き、
扇を手にした姿です。
「若衆図」 天保11年(1840) 大英博物館

前髪を残した若集髷で、桜の模様の着物に仙台平の袴を着け、白柄の脇差を差し、
草履を脱いだ片足を膝に乗せています。
「弘法大師修法図」 弘化年間(1844-47) 西新井大師總持寺

5月18日からの展示です。
横2m以上の大きな掛軸で、近辺に疫病が流行っていた時、弘法大師空海が訪れ、
法力により疫病を鎮めたという逸話を描いています。
弘法大師が疫病神を調伏しているところで、疫病神は棒に手を巻き付けて持ち、
犬は茸の生えた古木に巻き付き、吠えて対峙しています。
黒い背景の中で三者が浮かび上がり、画面も右に傾き、バロック的な躍動感のある
力作です。
「流水に鴨図」 弘化4年(1847) 大英博物館

亡くなる2年前、数え年88歳の時の作品で、鴨や紅葉の水中と水上の部分を
巧みに描き分けています。
「渡船山水図」 弘化4年(1847) 北斎館

5月18日からの展示です。
近景の柴舟と田舎家、中景の山、遠景の岩山を描き分けて遠近感を出す、
中国山水画の画法に拠っています。
大英博物館の北斎コレクションを支えた6人の人物も紹介されています。
各種のシリーズ物や肉筆画など多彩な展示で、大英博物館のコレクションの
充実ぶりには驚きます。
それだけイギリスでも葛飾北斎が愛好されてきた訳です。
展覧会のHPです。
上野
4月9日にリニューアルオープンした国立西洋美術館の常設展の記事、3回目です。
新館2階の版画素描展示室では「新収蔵版画コレクション展」が開かれています。
会期は5月22日(日)までです。

ポスターはアルブレヒト・デューラーの『「黙示録」より「書物をむさぼり喰う聖ヨハネ」
1498年頃 木版』です。
アルブレヒト・デューラー 「岐路に立つヘラクレス(嫉妬)」
1498年頃 エングレーヴィング

ヘラクレスが「美徳」と「快楽」のどちらを選ぶか迫られている場面で、
棒を振り上げているのが誠実な「美徳」、裸体が挑発性を持つ「快楽」です。
「快楽」の左側には半獣半人のサテュロスがいて、ヘラクレスは得物の棍棒で
「美徳」を押し留めようとしています。
ヘラクレスの筋肉など、人体表現をよく研究していることが分かります。
エングレーヴィングは銅版に線を彫る版画の技法で、細かい表現が出来ます。
レンブラント・ファン・レイン 「説教をするキリスト」
1657年頃 エッチング、ドライポイント

レンブラントは銅版画も300点あまり制作しています。
明暗の対比を活かして、劇的な場面をつくり出しています。
アンリ・リヴィエール 「エッフェル塔三十六景]」のための初期の木版画
「オーステルリッツ橋」 1891年 カラーリトグラフ

アンリ・リヴィエール(1864―1951)はフランスの画家で、ジャポニスムに傾倒し、
葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に倣って、エッフェル塔の見える景色を題材にした、
「エッフェル塔三十六景」(1902年刊行)を描いています。
葛飾北斎と比べると、北斎が画面構成に工夫を凝らし、斬新な絵柄としているのに対し、
リヴィエールは透視図法などによって客観的な風景として描いていて、おだやかな
抒情性に特徴があります。
メアリー・カサット 「アヒルの餌やり」
1895年頃 ドライポイント、エッチング、アクアティント

メアリー・カサット(1844-1926)は印象派のアメリカ人画家で、浮世絵版画に
関心を持ち、自分でも日常生活を題材にした版画を制作しています。
ジェイムズ・アンソール 「キリストのブリュッセル入城」
1898年 エッチング、ドライポイント

仮面や骸骨の登場する作品で有名なベルギーの画家、ジェームズ・アンソール
(1860-1949)の代表作を版画にしたものです。
仮面を付けた群衆と共にキリストがブリュッセルに入城するという、熱狂的な情景です。
ピエール・ボナール 「パリの生活情景より「上から見た街角」
1899年 カラーリトグラフ

12点のリトグラフで構成された画集で、パリに暮らす人々が描かれています。
***
新館1階の第1展示室では「調和にむかって:ル・コルビュジエ芸術の第二次マシン・エイジ
― 大成建設コレクションより」が開かれています。
会期は9月19日(月・祝)までです。

国立西洋美術館の設計者である建築家、ル・コルビュジエ(1887-1965)の画家としての
側面を紹介する企画で、大成建設株式会社より寄託された、晩年の絵画作品と素描を
中心にした展示です。
機械万能主義の第一次マシン・エイジ(機械時代)を脱して、人間と機械、感情と合理性、
芸術と科学の調和を目指す第二次マシン・エイジになった時期の作品とのことです。

「レア」 1931年

「二人の浴女と漁網」 1936年

「アコーディオンに合わせて踊る女性」 1949年

「静物」 1953年

コルビュジエの作品は色彩が豊富で、親密な感じがします。
chariot
4月9日にリニューアルオープンした国立西洋美術館の常設展の記事、3回目です。
新館2階の版画素描展示室では「新収蔵版画コレクション展」が開かれています。
会期は5月22日(日)までです。

ポスターはアルブレヒト・デューラーの『「黙示録」より「書物をむさぼり喰う聖ヨハネ」
1498年頃 木版』です。
アルブレヒト・デューラー 「岐路に立つヘラクレス(嫉妬)」
1498年頃 エングレーヴィング

ヘラクレスが「美徳」と「快楽」のどちらを選ぶか迫られている場面で、
棒を振り上げているのが誠実な「美徳」、裸体が挑発性を持つ「快楽」です。
「快楽」の左側には半獣半人のサテュロスがいて、ヘラクレスは得物の棍棒で
「美徳」を押し留めようとしています。
ヘラクレスの筋肉など、人体表現をよく研究していることが分かります。
エングレーヴィングは銅版に線を彫る版画の技法で、細かい表現が出来ます。
レンブラント・ファン・レイン 「説教をするキリスト」
1657年頃 エッチング、ドライポイント

レンブラントは銅版画も300点あまり制作しています。
明暗の対比を活かして、劇的な場面をつくり出しています。
アンリ・リヴィエール 「エッフェル塔三十六景]」のための初期の木版画
「オーステルリッツ橋」 1891年 カラーリトグラフ

アンリ・リヴィエール(1864―1951)はフランスの画家で、ジャポニスムに傾倒し、
葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に倣って、エッフェル塔の見える景色を題材にした、
「エッフェル塔三十六景」(1902年刊行)を描いています。
葛飾北斎と比べると、北斎が画面構成に工夫を凝らし、斬新な絵柄としているのに対し、
リヴィエールは透視図法などによって客観的な風景として描いていて、おだやかな
抒情性に特徴があります。
メアリー・カサット 「アヒルの餌やり」
1895年頃 ドライポイント、エッチング、アクアティント

メアリー・カサット(1844-1926)は印象派のアメリカ人画家で、浮世絵版画に
関心を持ち、自分でも日常生活を題材にした版画を制作しています。
ジェイムズ・アンソール 「キリストのブリュッセル入城」
1898年 エッチング、ドライポイント

仮面や骸骨の登場する作品で有名なベルギーの画家、ジェームズ・アンソール
(1860-1949)の代表作を版画にしたものです。
仮面を付けた群衆と共にキリストがブリュッセルに入城するという、熱狂的な情景です。
ピエール・ボナール 「パリの生活情景より「上から見た街角」
1899年 カラーリトグラフ

12点のリトグラフで構成された画集で、パリに暮らす人々が描かれています。
***
新館1階の第1展示室では「調和にむかって:ル・コルビュジエ芸術の第二次マシン・エイジ
― 大成建設コレクションより」が開かれています。
会期は9月19日(月・祝)までです。

国立西洋美術館の設計者である建築家、ル・コルビュジエ(1887-1965)の画家としての
側面を紹介する企画で、大成建設株式会社より寄託された、晩年の絵画作品と素描を
中心にした展示です。
機械万能主義の第一次マシン・エイジ(機械時代)を脱して、人間と機械、感情と合理性、
芸術と科学の調和を目指す第二次マシン・エイジになった時期の作品とのことです。

「レア」 1931年

「二人の浴女と漁網」 1936年

「アコーディオンに合わせて踊る女性」 1949年

「静物」 1953年

コルビュジエの作品は色彩が豊富で、親密な感じがします。
上野
4月9日にリニューアルオープンした国立西洋美術館の常設展の記事、2回目です。
今日は新館の松方コレクションを中心に書きます。
アドルフ・ピエール・ルルー 「鵞鳥を連れた子供たち」 1855年


新収蔵の作品です。
子どもたちが騒がしく歩くガチョウを追っています。
アドルフ・ピエール・ルルー(1812 – 1891)はフランスの画家で、ブルターニュに移住し、
よくブルターニュの風物を描いています。
ジョン・エヴァリット・ミレイ 「狼の巣穴」 1863年

新収蔵の作品です。
ミレイの4人の子どもたちがピアノの下を狼の巣穴に見立てて遊んでいるところです。
ジョン・エヴァリット・ミレイ(1829 -1896年)はイギリスのラファエル前派の画家でしたが、
後に画風を親しみやすいものに変え、人気を得ています。
愛らしい子どもを物語的に描く、「ファンシー・ピクチャー」と呼ばれる技法はイギリスで
評判となっています。
ギュスターヴ・クールベ 「狩猟者のいる風景」 1873年

クールベが普仏戦争後のパリ・コミューンに関わったため、スイスに亡命する直前に
故郷のオルナンで描いた作品です。
水辺にやってきた鹿と岩陰で狙う狩猟者の緊迫した情景です。
ポール・セザンヌ 「ポントワーズの橋と堰」 1881年

オワーズ川沿いのポントワーズはピサロが住み、セザンヌやカイユボット、ゴッホなどが
訪れています。
川に架かる鉄道橋や丘の見える情景で、セザンヌらしい筆遣いが表れています。
ベルト・モリゾ 「黒いドレスの女性(観劇の前)」 1875年

ベルト・モリゾ(1841-1895)は印象派の画家で、コロ―に師事した後、マネに学び、
マネの絵のモデルにもなっています。
白い花をあしらった、シックな黒いドレスを着た女性です。
マネも黒い服を着たベルト・モリゾを描いています。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「横たわる浴女」 1906年

古典主義的な作風から晩年の豊麗な女性像に変わり始めた頃の作品です。
梅原龍三郎の寄贈です。
クロード・モネ 「セーヌ河の朝」 1898年

ジヴェルニー近くを描いたシリーズの1点で、夏の朝の情景です。
水面に柳の枝の垂れかかる様を勢いよく描き出しています。
クロード・モネ 「睡蓮」 1916年


縦横約2mの大きな作品です。
ジヴェルニーの睡蓮の池を題材に、移ろう光と色を捉えています。
ジョヴァンニ・セガンティーニ 「風笛を吹くブリアンツァの男たち」 1883-85年頃

イタリア北部ブリアンツァの農家の情景で、糸繰りをしながら男性の吹く風笛を
聴いている女性、籠の中の赤ちゃん、歩き回る鶏やヒヨコ、奥にいる牛を
、光の効果を活かし、厚みのある色彩で描いています。
初期の写実的な作品ですが、セガンティーニの力量の高さを示しています。
2017年に旧損保ジャパン東郷青児美術館で開かれた「セガンティーニ展」の記事です。
フランク・ブラングィン 「木陰」

初展示作品です。
フランク・ブラングィン(1867~1956)はベルギー生まれで、イギリスで
活躍した画家、版画家、デザイナーで、松方幸次郎が松方コレクションを
収集する際にも協力したとのことです。
力強い色彩が特徴で、国立西洋美術館はブラングィンの作品を26点所蔵
しています。
2017年に同じ国立西洋美術館で開かれた「フランク・ブラングィン展」の記事です。
ヨゼフ・イスラエルス 「煙草を吸う老人」

初展示作品です。
ヨゼフ・イスラエルス(1824-1911)はオランダのハーグ派の画家で、
落着いた色調と精神性の高さが特徴です。
第2のレンブラントと呼ばれていたそうで、ゴッホも高く評価しています。
アンリ=ジャン=ギヨーム・マルタン 「花と泉水」

アンリ・マルタン(1860-1943)は点描も取り入れた明るい色彩で象徴性のある
作品を描いていましたが、やがて象徴主義を離れています。
南仏の地所を購入し、絵画の題材となるよう造成した庭園を描いた作品です。
新宿のSOMPO美術館では6月26日まで、「シダネルとマルタン展」が開かれている
ところです。
「シダネルとマルタン展」の記事です。
藤田嗣治 「坐る女」 1929年

藤田がエコール・ド・パリの寵児だった頃の作品で、雉の描かれた金箔地の背景は
日本趣味を思わせる、装飾的な作品です。
アンドレ・ボーシャン 「アルクマールの運河、オランダ」 1940年

横190㎝の大きな作品で、晴れた日の運河の景色が細密に描き込まれています。
第2次世界大戦でドイツ軍がオランダに侵攻したのは1940年5月なので、この絵は
それ以前に描かれたのでしょうか。
アンドレ・ボーシャン(1873-1958)はフランスの素朴派の画家と言われる人です。
素朴派とは、正式な絵画教育を受けず、自己流で絵を描いた人たちを総称した
呼び名ということで、フランスのアンリ・ルソーやアメリカのグランマ・モーゼス
(モーゼスお婆さん)が有名です。
東京ステーションギャラリーでは7月10日まで「アンドレ・ボーシャン+藤田龍児」展が
開かれているところです。
chariot
4月9日にリニューアルオープンした国立西洋美術館の常設展の記事、2回目です。
今日は新館の松方コレクションを中心に書きます。
アドルフ・ピエール・ルルー 「鵞鳥を連れた子供たち」 1855年


新収蔵の作品です。
子どもたちが騒がしく歩くガチョウを追っています。
アドルフ・ピエール・ルルー(1812 – 1891)はフランスの画家で、ブルターニュに移住し、
よくブルターニュの風物を描いています。
ジョン・エヴァリット・ミレイ 「狼の巣穴」 1863年

新収蔵の作品です。
ミレイの4人の子どもたちがピアノの下を狼の巣穴に見立てて遊んでいるところです。
ジョン・エヴァリット・ミレイ(1829 -1896年)はイギリスのラファエル前派の画家でしたが、
後に画風を親しみやすいものに変え、人気を得ています。
愛らしい子どもを物語的に描く、「ファンシー・ピクチャー」と呼ばれる技法はイギリスで
評判となっています。
ギュスターヴ・クールベ 「狩猟者のいる風景」 1873年

クールベが普仏戦争後のパリ・コミューンに関わったため、スイスに亡命する直前に
故郷のオルナンで描いた作品です。
水辺にやってきた鹿と岩陰で狙う狩猟者の緊迫した情景です。
ポール・セザンヌ 「ポントワーズの橋と堰」 1881年

オワーズ川沿いのポントワーズはピサロが住み、セザンヌやカイユボット、ゴッホなどが
訪れています。
川に架かる鉄道橋や丘の見える情景で、セザンヌらしい筆遣いが表れています。
ベルト・モリゾ 「黒いドレスの女性(観劇の前)」 1875年

ベルト・モリゾ(1841-1895)は印象派の画家で、コロ―に師事した後、マネに学び、
マネの絵のモデルにもなっています。
白い花をあしらった、シックな黒いドレスを着た女性です。
マネも黒い服を着たベルト・モリゾを描いています。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「横たわる浴女」 1906年

古典主義的な作風から晩年の豊麗な女性像に変わり始めた頃の作品です。
梅原龍三郎の寄贈です。
クロード・モネ 「セーヌ河の朝」 1898年

ジヴェルニー近くを描いたシリーズの1点で、夏の朝の情景です。
水面に柳の枝の垂れかかる様を勢いよく描き出しています。
クロード・モネ 「睡蓮」 1916年


縦横約2mの大きな作品です。
ジヴェルニーの睡蓮の池を題材に、移ろう光と色を捉えています。
ジョヴァンニ・セガンティーニ 「風笛を吹くブリアンツァの男たち」 1883-85年頃

イタリア北部ブリアンツァの農家の情景で、糸繰りをしながら男性の吹く風笛を
聴いている女性、籠の中の赤ちゃん、歩き回る鶏やヒヨコ、奥にいる牛を
、光の効果を活かし、厚みのある色彩で描いています。
初期の写実的な作品ですが、セガンティーニの力量の高さを示しています。
2017年に旧損保ジャパン東郷青児美術館で開かれた「セガンティーニ展」の記事です。
フランク・ブラングィン 「木陰」

初展示作品です。
フランク・ブラングィン(1867~1956)はベルギー生まれで、イギリスで
活躍した画家、版画家、デザイナーで、松方幸次郎が松方コレクションを
収集する際にも協力したとのことです。
力強い色彩が特徴で、国立西洋美術館はブラングィンの作品を26点所蔵
しています。
2017年に同じ国立西洋美術館で開かれた「フランク・ブラングィン展」の記事です。
ヨゼフ・イスラエルス 「煙草を吸う老人」

初展示作品です。
ヨゼフ・イスラエルス(1824-1911)はオランダのハーグ派の画家で、
落着いた色調と精神性の高さが特徴です。
第2のレンブラントと呼ばれていたそうで、ゴッホも高く評価しています。
アンリ=ジャン=ギヨーム・マルタン 「花と泉水」

アンリ・マルタン(1860-1943)は点描も取り入れた明るい色彩で象徴性のある
作品を描いていましたが、やがて象徴主義を離れています。
南仏の地所を購入し、絵画の題材となるよう造成した庭園を描いた作品です。
新宿のSOMPO美術館では6月26日まで、「シダネルとマルタン展」が開かれている
ところです。
「シダネルとマルタン展」の記事です。
藤田嗣治 「坐る女」 1929年

藤田がエコール・ド・パリの寵児だった頃の作品で、雉の描かれた金箔地の背景は
日本趣味を思わせる、装飾的な作品です。
アンドレ・ボーシャン 「アルクマールの運河、オランダ」 1940年

横190㎝の大きな作品で、晴れた日の運河の景色が細密に描き込まれています。
第2次世界大戦でドイツ軍がオランダに侵攻したのは1940年5月なので、この絵は
それ以前に描かれたのでしょうか。
アンドレ・ボーシャン(1873-1958)はフランスの素朴派の画家と言われる人です。
素朴派とは、正式な絵画教育を受けず、自己流で絵を描いた人たちを総称した
呼び名ということで、フランスのアンリ・ルソーやアメリカのグランマ・モーゼス
(モーゼスお婆さん)が有名です。
東京ステーションギャラリーでは7月10日まで「アンドレ・ボーシャン+藤田龍児」展が
開かれているところです。
上野
4月9日にリニューアルオープンした上野の国立西洋美術館に行ってきました。
現在、常設展が開かれています。
記事は3回に分け、今日は本館2階の展示について書きます。

美術館前の広場が大きくリニューアルされ、ロダンの彫刻が引き立つようになりました。
オーギュスト・ロダン 「カレーの市民」

オーギュスト・ロダン 「考える人」


オーギュスト・ロダン 「地獄の門」

扉の上の方にも「考える人」がいます。

オーギュスト・ロダン 「アダム」

オーギュスト・ロダン 「エヴァ」

アントワーヌ・ブールデル 「弓をひくヘラクレス」

常設展は撮影可能です。
ルカス・クラーナハ(父) 「ゲッセマネの祈り」 1518年頃

福音書によれば最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山のゲッセマネの園で神に祈り、
十字架の苦難を表す杯を天使から受け取っています。
弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネは眠り込んでしまっています。
遠くにはイエスを裏切ったユダとローマ兵が見えます。
ルーカス・クラーナハ(父)(1472-1553)はドイツのザクセン選帝侯の宮廷画家で、
ヴィッテンべルクに工房を置いて活躍していました。
友人のマルティン・ルターの肖像画をよく描いたことでも知られています。
2016年に同じ国立西洋美術館で開かれた「クラーナハ展」の記事です。
パオロ・ヴェロネーゼ 「聖女カタリナの神秘の結婚」 1547年頃

キリスト教を信仰した聖女カタリナがイエスと結婚する幻を見たという物語です。
ヴェロネーゼらしい上品な色遣いが見られます。
左上にはヴェロネーゼ(1528 -15 88)の生まれ故郷、ヴェローナの2つの貴族の
紋章を合わせた紋章が描かれていて、両家の結婚を記念した作品のようです。
ヤン・ブリューゲル(父) 「アブラハムとイサクのいる森林風景」 1599年

アブラハムと息子のイサクの旅する姿を描き入れた風景画です。
ヤン・ブリューゲル(父)(1568 – 1625)はピーテル・ブリューゲルの子で、花の絵や
風景画を得意としています。
ダフィット・テニールス(子) 「聖アントニウスの誘惑」

廃墟で思索する聖アントニウスの前に怪物どもが現れているところです。
美女に化けた悪魔は愛欲の象徴の杯を勧めて誘惑しています。
ダフィット・テニールス(子)(1610-1690)はフランドルの画家で、
農民の風俗などを描いて、人気を得ています。
ベルナルド・ストロッツィ 「聖家族と幼児洗礼者聖ヨハネ」 1640年代前半

新収蔵作品です。
ベルナルド・ストロッツィ(1581 – 1644)はジェノヴァ出身のバロックの画家で、
人物画を得意としています。
ナチスがユダヤ人から奪った絵で、戦後に所有者の遺族に返還され、
後に西洋美術館が購入しています。
ウジェーヌ・ドラクロワ 「墓に運ばれるキリスト」 1859年

ロマン主義の画家、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)な晩年の作品です。
磔にされたイエスの遺骸が暗い洞窟の中に運ばれていく悲劇的な場面です。
エヴァリスト・バスケニス 「楽器のある静物」 1660年代後半

楽器や本が積み重なり、リュートには埃まで溜まっています。
乱雑ですが、どこか静かな雰囲気があります。
エヴァリスト・バスケニス([1617 - 1677)はイタリアのベルガモで活躍した画家で、
静物画を得意としています。
クロード・ロラン 「踊るサテュロスとニンフのいる風景」 1646年

クロード・ロラン(1604/05-1682)はフランスのロレーヌ地方出身の画家です。
静かで抒情的な理想化された古代の風景画を得意として、その人気は高く、
古典主義の画家とされ、自身、「自分は風景を売っているのであり、人物はおまけだ」
とも言っています。
ジャン=オノレ・フラゴナール 「丘を下る羊の群」 1763-65年頃

イタリア留学から帰った若い頃の作品で、空は明るく、雪崩れるように
丘を下る羊の情景には動きがあります。
ジャン=オノレ・フラゴナール(1732-1806)はロココを代表する画家の一人で、
「ぶらんこ」が特に有名ですが、フランス革命でロココ様式が廃れると、
不遇のうちに亡くなったそうです。
ジャン=ヴィクトール・ベルタン 「ギリシアの風景」 1812年

神殿も見える静かな夕方の景色で、理想郷としての古代ギリシャを描いています。
ジャン=ヴィクトール・ベルタン(1767 – 1842)はフランスの風景画家で、
カミーユ・コロ―の師でもあります。
「モンテ・カヴァッロの巨像と大聖堂の見える空想のローマ景観」
ユベール・ロベール 1786年


高さ161cmの大きな作品で、ローマの別々の場所にある建築やモニュメントを
並べています。
左にコンセルヴァトーリ宮、右にクイリナーレ広場の巨像、奥にはパンテオンと
聖ピエトロ大聖堂です。
像の足元では母子が見上げたり、花売りが商売に励んだり、男が休んでいたりします。
ロベールは母子の姿を好んで描いています。
ユベール・ロベール(1733-1808)はフランスの風景画家で、荒廃した古代神殿や
モニュメントのある風景を描いて、「廃墟のロベール」と呼ばれました。
「マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える
空想のローマ景観」 ユベール・ロベール 1786年


こちらはトラヤヌス帝記念柱、マルクス・アウレリウス帝騎馬像、オベリスク、
古代ローマ神殿などを組み合わせています。
母子を乗せた馬に水を飲ませる男、兵士、鍋を火にかけている男は現在の人びとの
生活を表していますが、古代の衣装を着た男も見えます。
吼えている犬や炊事の煙は今を実感させ、朽ちた古代神殿の壮麗さとの対比を
際立たせています。

2つの作品は対になっていて、ロシアの注文で描かれたものらしく、現在は
本館から新館への通路の入口脇によく展示されています。
このノスタルジーにあふれた情景を眺めるのが私が西洋美術館に行く
楽しみの一つです。
2012年に同じ国立西洋美術館で開かれた「ユベール・ロベール展」の記事です。
chariot
4月9日にリニューアルオープンした上野の国立西洋美術館に行ってきました。
現在、常設展が開かれています。
記事は3回に分け、今日は本館2階の展示について書きます。

美術館前の広場が大きくリニューアルされ、ロダンの彫刻が引き立つようになりました。
オーギュスト・ロダン 「カレーの市民」

オーギュスト・ロダン 「考える人」


オーギュスト・ロダン 「地獄の門」

扉の上の方にも「考える人」がいます。

オーギュスト・ロダン 「アダム」

オーギュスト・ロダン 「エヴァ」

アントワーヌ・ブールデル 「弓をひくヘラクレス」

常設展は撮影可能です。
ルカス・クラーナハ(父) 「ゲッセマネの祈り」 1518年頃

福音書によれば最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山のゲッセマネの園で神に祈り、
十字架の苦難を表す杯を天使から受け取っています。
弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネは眠り込んでしまっています。
遠くにはイエスを裏切ったユダとローマ兵が見えます。
ルーカス・クラーナハ(父)(1472-1553)はドイツのザクセン選帝侯の宮廷画家で、
ヴィッテンべルクに工房を置いて活躍していました。
友人のマルティン・ルターの肖像画をよく描いたことでも知られています。
2016年に同じ国立西洋美術館で開かれた「クラーナハ展」の記事です。
パオロ・ヴェロネーゼ 「聖女カタリナの神秘の結婚」 1547年頃

キリスト教を信仰した聖女カタリナがイエスと結婚する幻を見たという物語です。
ヴェロネーゼらしい上品な色遣いが見られます。
左上にはヴェロネーゼ(1528 -15 88)の生まれ故郷、ヴェローナの2つの貴族の
紋章を合わせた紋章が描かれていて、両家の結婚を記念した作品のようです。
ヤン・ブリューゲル(父) 「アブラハムとイサクのいる森林風景」 1599年

アブラハムと息子のイサクの旅する姿を描き入れた風景画です。
ヤン・ブリューゲル(父)(1568 – 1625)はピーテル・ブリューゲルの子で、花の絵や
風景画を得意としています。
ダフィット・テニールス(子) 「聖アントニウスの誘惑」

廃墟で思索する聖アントニウスの前に怪物どもが現れているところです。
美女に化けた悪魔は愛欲の象徴の杯を勧めて誘惑しています。
ダフィット・テニールス(子)(1610-1690)はフランドルの画家で、
農民の風俗などを描いて、人気を得ています。
ベルナルド・ストロッツィ 「聖家族と幼児洗礼者聖ヨハネ」 1640年代前半

新収蔵作品です。
ベルナルド・ストロッツィ(1581 – 1644)はジェノヴァ出身のバロックの画家で、
人物画を得意としています。
ナチスがユダヤ人から奪った絵で、戦後に所有者の遺族に返還され、
後に西洋美術館が購入しています。
ウジェーヌ・ドラクロワ 「墓に運ばれるキリスト」 1859年

ロマン主義の画家、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)な晩年の作品です。
磔にされたイエスの遺骸が暗い洞窟の中に運ばれていく悲劇的な場面です。
エヴァリスト・バスケニス 「楽器のある静物」 1660年代後半

楽器や本が積み重なり、リュートには埃まで溜まっています。
乱雑ですが、どこか静かな雰囲気があります。
エヴァリスト・バスケニス([1617 - 1677)はイタリアのベルガモで活躍した画家で、
静物画を得意としています。
クロード・ロラン 「踊るサテュロスとニンフのいる風景」 1646年

クロード・ロラン(1604/05-1682)はフランスのロレーヌ地方出身の画家です。
静かで抒情的な理想化された古代の風景画を得意として、その人気は高く、
古典主義の画家とされ、自身、「自分は風景を売っているのであり、人物はおまけだ」
とも言っています。
ジャン=オノレ・フラゴナール 「丘を下る羊の群」 1763-65年頃

イタリア留学から帰った若い頃の作品で、空は明るく、雪崩れるように
丘を下る羊の情景には動きがあります。
ジャン=オノレ・フラゴナール(1732-1806)はロココを代表する画家の一人で、
「ぶらんこ」が特に有名ですが、フランス革命でロココ様式が廃れると、
不遇のうちに亡くなったそうです。
ジャン=ヴィクトール・ベルタン 「ギリシアの風景」 1812年

神殿も見える静かな夕方の景色で、理想郷としての古代ギリシャを描いています。
ジャン=ヴィクトール・ベルタン(1767 – 1842)はフランスの風景画家で、
カミーユ・コロ―の師でもあります。
「モンテ・カヴァッロの巨像と大聖堂の見える空想のローマ景観」
ユベール・ロベール 1786年


高さ161cmの大きな作品で、ローマの別々の場所にある建築やモニュメントを
並べています。
左にコンセルヴァトーリ宮、右にクイリナーレ広場の巨像、奥にはパンテオンと
聖ピエトロ大聖堂です。
像の足元では母子が見上げたり、花売りが商売に励んだり、男が休んでいたりします。
ロベールは母子の姿を好んで描いています。
ユベール・ロベール(1733-1808)はフランスの風景画家で、荒廃した古代神殿や
モニュメントのある風景を描いて、「廃墟のロベール」と呼ばれました。
「マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える
空想のローマ景観」 ユベール・ロベール 1786年


こちらはトラヤヌス帝記念柱、マルクス・アウレリウス帝騎馬像、オベリスク、
古代ローマ神殿などを組み合わせています。
母子を乗せた馬に水を飲ませる男、兵士、鍋を火にかけている男は現在の人びとの
生活を表していますが、古代の衣装を着た男も見えます。
吼えている犬や炊事の煙は今を実感させ、朽ちた古代神殿の壮麗さとの対比を
際立たせています。

2つの作品は対になっていて、ロシアの注文で描かれたものらしく、現在は
本館から新館への通路の入口脇によく展示されています。
このノスタルジーにあふれた情景を眺めるのが私が西洋美術館に行く
楽しみの一つです。
2012年に同じ国立西洋美術館で開かれた「ユベール・ロベール展」の記事です。
駒込・千石
駒込の東洋文庫ミュージアムでは「シルクロード展」が開かれています。
会期は5月15日(日)までです。

シルクロードに関する資料のうち、特に仏教の伝来に焦点を当てた展示です。
シルクロードのネットワークの概念図です。

オアシスの道、草原の道、海の道があり、それぞれが緊密に結ばれ、商人たちが
リレー方式で交易を行なっていました。
「仏国記」 法顕 4世紀前半成立


「法顕伝」とも呼ばれる、東晋の僧、法顕(337-422)は仏典を求めてシルクロードを
経由してインドに渡り、旅行記を残しています。、
タクラマカン砂漠については「飛ぶ鳥も走る獣もおらず、行路も分からず、
死人の枯骨を目印とするだけ」とあります。
鄯善国(旧楼蘭)では中国の大乗仏教とは違い、上座部仏教を学んでいると
書かれています。
「大唐三蔵聖教序」 褚遂良 653年成立

唐の時代、玄奘(602-664)は中央アジアを通ってインドに入り、16年後に
長安に仏典を持ち帰って、漢訳に取り掛かります。
大慈恩寺に建てられた仏典を納める塔の入口に置かれた、玄奘の功績を
讃えた碑文の拓本です。
「大般若波羅蜜多経」 奈良時代中期(8世紀)書写

玄奘がインドから持ち帰り、サンスクリット語から漢訳した仏典です。
薬師寺伝来の奈良時代の写本です。
「古代コータン」 スタイン 1907年

イギリスの東洋学者、オーレル・スタインが1900年から1901年に掛けて行なった
中央アジア探検の報告書です。
仏教王国であった古代コ―タン(ホータン)は西域南道にあって東西貿易の
中継地として栄え、インドやイランの影響を受けた板絵や壁画などが残っています。
「中国で発見されたマニ教に関する概論」 シャバンヌ、ペリオ共著 1913年

マニ教は3世紀にササン朝ペルシャでマニがゾロアスター教を基にキリスト教や
仏教などを取り入れて始まった宗教です。
中央アジアを経由して7世紀後半には中国にも伝わっています。
敦煌で発見された漢訳マニ教経典の写真のページです。
「大秦景教流行中国碑」 唐時代 伊斯建立 景浄撰 建中2年(781)

431年のエフェソス公会議で異端と認定されたキリスト教ネストリウス派の教義と
中国での布教の状況を記した石碑の拓本です。
西方で禁じられたネストリウス派は東方に広がり、中国には635年に伝来して、
景教と呼ばれています。
大秦寺は景教の寺院です。
「歴史」 ヘロドトス 紀元前5世紀成立

古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスの書いた歴史書で、ウクライナに住む
騎馬遊牧民のスキタイについて詳しく書かれています。
「スキタイの芸術」 セルゲイ・I・ルデンコ

アルタイ地方のパジリク古墳群などの発掘成果を発表した研究書です。
紀元前3世紀頃の墳墓と思われ、遺物には西方の影響が見られるそうです。
17世紀末から18世紀前半にかけてロシアの農民が移住したことにつれ、
多数の金製品が出土しました。
「史記」 司馬遷 紀元前90年頃成立


史記は匈奴について最初に記した書です。
秦本紀の秦恵文王更元7年(紀元前318)の条に韓、趙、魏、燕、斉と匈奴が
ともに秦を攻めたとあります。
「中国の写本と楼蘭で発見したその他の遺物」 スヴェン・ヘディン 1920年


スウェーデンの探検家、スヴェン・ヘディン(1865-1952)は1899年から1902年にかけて
中央アジアを探検し、タリム盆地東端にあった楼蘭遺跡と干上がったロプノール塩湖を
発見しています。
「極奥アジア」 スタイン 1928年

イギリスの東洋学者、オーレル・スタイン(1862 - 1943)の第3次中央アジア探検の
調査報告書です。
アスターナ(トルファン)の墓地で発見された絹の棺掛けで、中国の伝説の
伏羲と女媧が描かれています。
「モンゴル遺跡地図」 ヴィルヘルム・ラドロフ 1892年


オルホン河畔にある碑で、突厥の君主の弟、キョル・テギン(731年没)を讃える碑文が
突厥文字テュルク語で、東ウイグル帝国の君主、保義可汗(在位808-821)を讃える
碑文が突厥文字ウイグル語、ソグド文字ソグド語、漢字漢文で書かれています。
「大英博物館のソグド文書」 ハンス・ライヒェルト編 1928-1931年

敦煌の西にあった狼煙台のごみ溜まりに未開封のまま放置されていたものが
スタインによって発見されています。
西晋末期の313年にサマルカンドに宛てた手紙で、中国の政情や中国内での
ソグド人の商業活動について書かれ、「匈奴(=フン)にやられて洛陽はもうだめだ」と
あります。
洛陽は316年に匈奴に攻められ、陥落しています。
「中央アジア ソグドの芸術」 ベレニツキ 1980年

ペンジケント遺跡の壁画集で、ソグド人がソグド本土で描いた絵として貴重です。
商人たちが宴会を開いているところです。
ソグド人はイラン系の民族で、シルクロード沿いに広く交易活動を行なっていました。
唐の玄宗の時に安史の乱を起こした安禄山と史思明はともにソグド人と突厥人の
混血で、唐の朝廷に仕えていました。
「資治通鑑」 司馬光編 1084年成立

唐の第2代皇帝太宗(598-649)が降伏した東突厥人10万人の措置を臣下に問うたところ、
移住させて農民にすればよいとの答えだったので、その案が採用されたとあります。
「旧唐書」 劉昫ら編 945年成立

唐の正史で、開元年間(713-741以来、唐に胡服、胡楽、胡食が現れたとあります。
胡とは西域や北方の異民族の総称です。
「唐人雑鈔(敦煌文書)」 唐末9世紀末頃書写

敦煌莫高窟で発見された文書で、荘子や孟子などの古典の一節が抜書きされています。
現在伝わっている書物には出てこない文もあるそうです。
班固字孟堅とあって、班固は字(あざな)を孟堅と言い、後漢の歴史家で、漢書の
編纂者として知られています。
「ウイグル木活字」 13~14世紀

元時代に作られた木製活字で4片あり、ウイグル文字が彫られており、仏教経典の
印刷に使われています。
敦煌莫高窟で発見されました。
「元朝秘史」 成立年不明

チンギス・ハーンの生涯と後継者の治世について記された書です。
モンゴル部族の始祖は蒼き狼と青白き鹿であるとしています。
「マルコ・ポーロ卿の書(東方見聞録)」

ヴェネツィアの商人、マルコ・ポーロたちはタクラマカン砂漠を越え、1270年代の前半に
元の大都(北京)を訪問しています。
展覧会のHPです。
2階のモリソン文庫には「吾妻鏡」も展示されています。

「吾妻鏡」 編者未詳 14世紀初頭成立

源頼朝の挙兵から鎌倉時代半ばまでについて書かれた歴史書で、大河ドラマの
「鎌倉殿の13人」の元になった資料でもあります。
鎌倉の鶴岡八幡宮で2代将軍源頼家の子、公暁が3代将軍源実朝を討った
事件について書かれた部分です。
chariot
駒込の東洋文庫ミュージアムでは「シルクロード展」が開かれています。
会期は5月15日(日)までです。

シルクロードに関する資料のうち、特に仏教の伝来に焦点を当てた展示です。
シルクロードのネットワークの概念図です。

オアシスの道、草原の道、海の道があり、それぞれが緊密に結ばれ、商人たちが
リレー方式で交易を行なっていました。
「仏国記」 法顕 4世紀前半成立


「法顕伝」とも呼ばれる、東晋の僧、法顕(337-422)は仏典を求めてシルクロードを
経由してインドに渡り、旅行記を残しています。、
タクラマカン砂漠については「飛ぶ鳥も走る獣もおらず、行路も分からず、
死人の枯骨を目印とするだけ」とあります。
鄯善国(旧楼蘭)では中国の大乗仏教とは違い、上座部仏教を学んでいると
書かれています。
「大唐三蔵聖教序」 褚遂良 653年成立

唐の時代、玄奘(602-664)は中央アジアを通ってインドに入り、16年後に
長安に仏典を持ち帰って、漢訳に取り掛かります。
大慈恩寺に建てられた仏典を納める塔の入口に置かれた、玄奘の功績を
讃えた碑文の拓本です。
「大般若波羅蜜多経」 奈良時代中期(8世紀)書写

玄奘がインドから持ち帰り、サンスクリット語から漢訳した仏典です。
薬師寺伝来の奈良時代の写本です。
「古代コータン」 スタイン 1907年

イギリスの東洋学者、オーレル・スタインが1900年から1901年に掛けて行なった
中央アジア探検の報告書です。
仏教王国であった古代コ―タン(ホータン)は西域南道にあって東西貿易の
中継地として栄え、インドやイランの影響を受けた板絵や壁画などが残っています。
「中国で発見されたマニ教に関する概論」 シャバンヌ、ペリオ共著 1913年

マニ教は3世紀にササン朝ペルシャでマニがゾロアスター教を基にキリスト教や
仏教などを取り入れて始まった宗教です。
中央アジアを経由して7世紀後半には中国にも伝わっています。
敦煌で発見された漢訳マニ教経典の写真のページです。
「大秦景教流行中国碑」 唐時代 伊斯建立 景浄撰 建中2年(781)

431年のエフェソス公会議で異端と認定されたキリスト教ネストリウス派の教義と
中国での布教の状況を記した石碑の拓本です。
西方で禁じられたネストリウス派は東方に広がり、中国には635年に伝来して、
景教と呼ばれています。
大秦寺は景教の寺院です。
「歴史」 ヘロドトス 紀元前5世紀成立

古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスの書いた歴史書で、ウクライナに住む
騎馬遊牧民のスキタイについて詳しく書かれています。
「スキタイの芸術」 セルゲイ・I・ルデンコ

アルタイ地方のパジリク古墳群などの発掘成果を発表した研究書です。
紀元前3世紀頃の墳墓と思われ、遺物には西方の影響が見られるそうです。
17世紀末から18世紀前半にかけてロシアの農民が移住したことにつれ、
多数の金製品が出土しました。
「史記」 司馬遷 紀元前90年頃成立


史記は匈奴について最初に記した書です。
秦本紀の秦恵文王更元7年(紀元前318)の条に韓、趙、魏、燕、斉と匈奴が
ともに秦を攻めたとあります。
「中国の写本と楼蘭で発見したその他の遺物」 スヴェン・ヘディン 1920年


スウェーデンの探検家、スヴェン・ヘディン(1865-1952)は1899年から1902年にかけて
中央アジアを探検し、タリム盆地東端にあった楼蘭遺跡と干上がったロプノール塩湖を
発見しています。
「極奥アジア」 スタイン 1928年

イギリスの東洋学者、オーレル・スタイン(1862 - 1943)の第3次中央アジア探検の
調査報告書です。
アスターナ(トルファン)の墓地で発見された絹の棺掛けで、中国の伝説の
伏羲と女媧が描かれています。
「モンゴル遺跡地図」 ヴィルヘルム・ラドロフ 1892年


オルホン河畔にある碑で、突厥の君主の弟、キョル・テギン(731年没)を讃える碑文が
突厥文字テュルク語で、東ウイグル帝国の君主、保義可汗(在位808-821)を讃える
碑文が突厥文字ウイグル語、ソグド文字ソグド語、漢字漢文で書かれています。
「大英博物館のソグド文書」 ハンス・ライヒェルト編 1928-1931年

敦煌の西にあった狼煙台のごみ溜まりに未開封のまま放置されていたものが
スタインによって発見されています。
西晋末期の313年にサマルカンドに宛てた手紙で、中国の政情や中国内での
ソグド人の商業活動について書かれ、「匈奴(=フン)にやられて洛陽はもうだめだ」と
あります。
洛陽は316年に匈奴に攻められ、陥落しています。
「中央アジア ソグドの芸術」 ベレニツキ 1980年

ペンジケント遺跡の壁画集で、ソグド人がソグド本土で描いた絵として貴重です。
商人たちが宴会を開いているところです。
ソグド人はイラン系の民族で、シルクロード沿いに広く交易活動を行なっていました。
唐の玄宗の時に安史の乱を起こした安禄山と史思明はともにソグド人と突厥人の
混血で、唐の朝廷に仕えていました。
「資治通鑑」 司馬光編 1084年成立

唐の第2代皇帝太宗(598-649)が降伏した東突厥人10万人の措置を臣下に問うたところ、
移住させて農民にすればよいとの答えだったので、その案が採用されたとあります。
「旧唐書」 劉昫ら編 945年成立

唐の正史で、開元年間(713-741以来、唐に胡服、胡楽、胡食が現れたとあります。
胡とは西域や北方の異民族の総称です。
「唐人雑鈔(敦煌文書)」 唐末9世紀末頃書写

敦煌莫高窟で発見された文書で、荘子や孟子などの古典の一節が抜書きされています。
現在伝わっている書物には出てこない文もあるそうです。
班固字孟堅とあって、班固は字(あざな)を孟堅と言い、後漢の歴史家で、漢書の
編纂者として知られています。
「ウイグル木活字」 13~14世紀

元時代に作られた木製活字で4片あり、ウイグル文字が彫られており、仏教経典の
印刷に使われています。
敦煌莫高窟で発見されました。
「元朝秘史」 成立年不明

チンギス・ハーンの生涯と後継者の治世について記された書です。
モンゴル部族の始祖は蒼き狼と青白き鹿であるとしています。
「マルコ・ポーロ卿の書(東方見聞録)」

ヴェネツィアの商人、マルコ・ポーロたちはタクラマカン砂漠を越え、1270年代の前半に
元の大都(北京)を訪問しています。
展覧会のHPです。
2階のモリソン文庫には「吾妻鏡」も展示されています。

「吾妻鏡」 編者未詳 14世紀初頭成立

源頼朝の挙兵から鎌倉時代半ばまでについて書かれた歴史書で、大河ドラマの
「鎌倉殿の13人」の元になった資料でもあります。
鎌倉の鶴岡八幡宮で2代将軍源頼家の子、公暁が3代将軍源実朝を討った
事件について書かれた部分です。
上野
上野の国立科学博物館で開かれている特別展、「宝石 地球がうみだすキセキ」の
記事の2/2です。
会期は6月19日(日)までです。
いろいろな宝飾品

左:ターコイズ(トルコ石) 右:アクアマリン


国立西洋美術館に寄贈された橋本貫志氏の指輪コレクションの一部も展示されています。

「スカラベ」 紀元前1991-1650年頃、エジプト アメシスト、金

古代エジプトではスカラベ(フンコロガシ類)は糞を転がす様が太陽を運ぶのに
似ているとして、復活や再生の象徴とされています。
この指輪も護符の役割を持っていました。
アメシストはエジプト中王国時代(紀元前20055-1752)に普及したそうです。
「女神ニケ」 紀元前4世紀後期、古典期ギリシャ 金、ガラス

ニケはギリシャ神話の勝利の女神です。
有翼の姿で表され、ルーヴル美術館の所蔵する「サモトラケのニケ像」で有名です。
青いガラスの上に金箔で描かれ、小さなロゼット文が囲んでいます。
かつては透明ガラスにおおわれていたそうです。
2014年に国立西洋美術館で開かれた「橋本コレクション」展の記事です。
ギメルのデザインによる日本の四季をあしらった宝飾品
春


夏

秋

冬

第5章ではアルビオンアートの所蔵する、紀元前3300年から20世紀にかけての
豪華な宝飾品が展示されています。
こちらは撮影不可です。
以下は第2会場の展示です。
日本産の宝石

ヒスイ、水晶、ジャスパー、トパーズ、サファイア、ルビー、アクアマリンなど、
多くの種類があります。
サファイア、トパーズ

ルビー、ヒスイ

アクアマリン

日本ジュエリー協会(JAA)の主催するJAAジュエリーデザインアワードの2021年
入賞作品の上位3点も展示されています。
グランプリのネックレス ダイヤモンド・金・プラチナ

準グランプリのバングル ダイヤモンド・プラチナ

準グランプリのネックレス・イヤリングセット ダイヤモンド・白チョウ貝・金

宝石を鉱物として解説する企画で、宝石の魅力の伝わる、とても興味深い展覧会です。
「宝石 地球がうみだすキセキ」展の記事1/2です。
展覧会のHPです。
不忍池の蓮もかなり刈り取られました。

chariot
上野の国立科学博物館で開かれている特別展、「宝石 地球がうみだすキセキ」の
記事の2/2です。
会期は6月19日(日)までです。
いろいろな宝飾品

左:ターコイズ(トルコ石) 右:アクアマリン


国立西洋美術館に寄贈された橋本貫志氏の指輪コレクションの一部も展示されています。

「スカラベ」 紀元前1991-1650年頃、エジプト アメシスト、金

古代エジプトではスカラベ(フンコロガシ類)は糞を転がす様が太陽を運ぶのに
似ているとして、復活や再生の象徴とされています。
この指輪も護符の役割を持っていました。
アメシストはエジプト中王国時代(紀元前20055-1752)に普及したそうです。
「女神ニケ」 紀元前4世紀後期、古典期ギリシャ 金、ガラス

ニケはギリシャ神話の勝利の女神です。
有翼の姿で表され、ルーヴル美術館の所蔵する「サモトラケのニケ像」で有名です。
青いガラスの上に金箔で描かれ、小さなロゼット文が囲んでいます。
かつては透明ガラスにおおわれていたそうです。
2014年に国立西洋美術館で開かれた「橋本コレクション」展の記事です。
ギメルのデザインによる日本の四季をあしらった宝飾品
春


夏

秋

冬

第5章ではアルビオンアートの所蔵する、紀元前3300年から20世紀にかけての
豪華な宝飾品が展示されています。
こちらは撮影不可です。
以下は第2会場の展示です。
日本産の宝石

ヒスイ、水晶、ジャスパー、トパーズ、サファイア、ルビー、アクアマリンなど、
多くの種類があります。
サファイア、トパーズ

ルビー、ヒスイ

アクアマリン

日本ジュエリー協会(JAA)の主催するJAAジュエリーデザインアワードの2021年
入賞作品の上位3点も展示されています。
グランプリのネックレス ダイヤモンド・金・プラチナ

準グランプリのバングル ダイヤモンド・プラチナ

準グランプリのネックレス・イヤリングセット ダイヤモンド・白チョウ貝・金

宝石を鉱物として解説する企画で、宝石の魅力の伝わる、とても興味深い展覧会です。
「宝石 地球がうみだすキセキ」展の記事1/2です。
展覧会のHPです。
不忍池の蓮もかなり刈り取られました。

六本木1丁目
六本木の泉屋博古館分館はリニューアルして泉屋博古館東京になり、
カフェも併設されました。
「ハリオカフェ(HARIO CAFE)泉屋博古館東京店」です。
場所は東京都港区六本木1-5-1です。

耐熱ガラスメーカーのHARIOの経営するお店で、目の前の泉ガーデンの景色を
活かした全面ガラス張りです。
手作りのガラスアクセサリーショップにもなっています。




ガラスの器具のドリップで淹れるコーヒーは800円、テイクアウトは500円、
泉屋博古館東京の半券があれば更に1割引きです。
テイクアウトにして、お店の前のベンチで満開の桜を眺めながらいただきました。

たっぷりあって、活きの良い酸味で美味しいです。
泉ガーデンの桜です。




「ハリオカフェ」は日本橋にもあります。
日本橋の「ハリオカフェ(HARIO CAFE)」の記事です。
泉屋博古館東京で開かれている「日本画トライアングル 画家たちの
大阪・京都・東京」展に行った時に寄りました。
「日本画トライアングル」展の記事です。
chariot
六本木の泉屋博古館分館はリニューアルして泉屋博古館東京になり、
カフェも併設されました。
「ハリオカフェ(HARIO CAFE)泉屋博古館東京店」です。
場所は東京都港区六本木1-5-1です。

耐熱ガラスメーカーのHARIOの経営するお店で、目の前の泉ガーデンの景色を
活かした全面ガラス張りです。
手作りのガラスアクセサリーショップにもなっています。




ガラスの器具のドリップで淹れるコーヒーは800円、テイクアウトは500円、
泉屋博古館東京の半券があれば更に1割引きです。
テイクアウトにして、お店の前のベンチで満開の桜を眺めながらいただきました。

たっぷりあって、活きの良い酸味で美味しいです。
泉ガーデンの桜です。




「ハリオカフェ」は日本橋にもあります。
日本橋の「ハリオカフェ(HARIO CAFE)」の記事です。
泉屋博古館東京で開かれている「日本画トライアングル 画家たちの
大阪・京都・東京」展に行った時に寄りました。
「日本画トライアングル」展の記事です。