東京
東京駅の東京ステーションギャラリーでは「東北へのまなざし1930-1945」展が
開かれています。
会期は9月25日(日)までです。


1930年代以降、芸術家や研究者に注目され、その眼を通して認識された東北地方の
文化に焦点を当てた展覧会です。
ブルーノ・タウト、柳宗悦、シャルロット・ペリアン、今和次郎、今純三、吉井忠たちに
ついての資料が展示されています。
1933年に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880–1938)は桂離宮の建築美を
称賛していますが、日本に居た3年半は仙台や高崎で工芸の指導を行ない、自らも
制作しています。
東北地方への旅行では秋田のカマクラに感動し、女性の伝統的な服装に注目して
いますが、男性の服装はロシア風でつまらないと書いています。
2020年にパナソニック汐留美術館で開かれた「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展では
ブルーノ・タウトの日本での活動も紹介されていました。
「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展の記事です。
民藝運動の提唱者、柳宗悦(1889-1961)は1944年までに20回以上、東北を訪れ、
そこが「民藝の宝庫」であることを発見しています。
芹沢銈介 「日本民藝地図(現在之日本民藝)」(部分) 1941年 日本民藝館

六曲一双の屏風の右隻で、東北など東日本の民藝の分布を描き込んでいます。
「三春人形 橘弁慶」 江戸時代 19世紀前半 三春(福島県) 日本民藝館

歌舞伎の「橋弁慶」で、片肌脱ぎに向こう鉢巻の弁慶の腕に牛若丸が乗っている
ユーモラスな人形です。
三春人形は江戸時代を中心に三春藩領で作られた郷土玩具の張子人形です。
明治以降には衰退しますが、戦後の民藝ブームによって復興したそうです。
今和次郎(1888-1973)は、建築家、デザイナー、民俗学研究家で、「考現学」の
創始者であり、その命名者でもあります。
青森県出身で、東京美術学校の図案課を卒業し、後に早稲田大学建築学科の教授に
就任しています。
1933年に農林省が山形県の新庄に設置した「積雪地方農村経済調査所(雪調)」に
参加し、屋根に雪の積もりにくい急角度の三角屋根の試験農家家屋を設計しています。
今和次郎 「岩手県御用神村の農衣」(部分) 1938年工学院大学図書館

弟の今純三(1893-1944)も郷里で考現学を引き継ぎ、「青森県画譜」を著しています。
2012年にパナソニック汐留ミュージアムでは今和次郎の業績を紹介する、
「今和次郎 採集講義展」が開かれていました。
「今和次郎 採集講義展」の記事です。
フランスのデザイナー、シャルロット・ペリアン(1903-1999)は1940年に商工省
(経済産業省の前身)の招聘で来日し、柳宗悦と同道して雪調を訪れ、山形の
素材を使った家具などのアイデアを提供しています。
吉井忠(1908-1999)は福島市出身で、上京して太平洋美術学校に入り、
靉光、麻生三郎、寺田政明、松本竣介らと知り合います。
始め、シュルレアリスムを志向していましたが、1941年から3年間、東北各地を歩き、
スケッチやメモをまとめた「東北記」を遺しています。
夏の東方地方は祭の盛んな季節、改めて東北の力強さを思い出す展覧会です。
展覧会のHPです。
東京駅のグランスタには2020年にねぶたが吊られました。

chariot
東京駅の東京ステーションギャラリーでは「東北へのまなざし1930-1945」展が
開かれています。
会期は9月25日(日)までです。


1930年代以降、芸術家や研究者に注目され、その眼を通して認識された東北地方の
文化に焦点を当てた展覧会です。
ブルーノ・タウト、柳宗悦、シャルロット・ペリアン、今和次郎、今純三、吉井忠たちに
ついての資料が展示されています。
1933年に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880–1938)は桂離宮の建築美を
称賛していますが、日本に居た3年半は仙台や高崎で工芸の指導を行ない、自らも
制作しています。
東北地方への旅行では秋田のカマクラに感動し、女性の伝統的な服装に注目して
いますが、男性の服装はロシア風でつまらないと書いています。
2020年にパナソニック汐留美術館で開かれた「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展では
ブルーノ・タウトの日本での活動も紹介されていました。
「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展の記事です。
民藝運動の提唱者、柳宗悦(1889-1961)は1944年までに20回以上、東北を訪れ、
そこが「民藝の宝庫」であることを発見しています。
芹沢銈介 「日本民藝地図(現在之日本民藝)」(部分) 1941年 日本民藝館

六曲一双の屏風の右隻で、東北など東日本の民藝の分布を描き込んでいます。
「三春人形 橘弁慶」 江戸時代 19世紀前半 三春(福島県) 日本民藝館

歌舞伎の「橋弁慶」で、片肌脱ぎに向こう鉢巻の弁慶の腕に牛若丸が乗っている
ユーモラスな人形です。
三春人形は江戸時代を中心に三春藩領で作られた郷土玩具の張子人形です。
明治以降には衰退しますが、戦後の民藝ブームによって復興したそうです。
今和次郎(1888-1973)は、建築家、デザイナー、民俗学研究家で、「考現学」の
創始者であり、その命名者でもあります。
青森県出身で、東京美術学校の図案課を卒業し、後に早稲田大学建築学科の教授に
就任しています。
1933年に農林省が山形県の新庄に設置した「積雪地方農村経済調査所(雪調)」に
参加し、屋根に雪の積もりにくい急角度の三角屋根の試験農家家屋を設計しています。
今和次郎 「岩手県御用神村の農衣」(部分) 1938年工学院大学図書館

弟の今純三(1893-1944)も郷里で考現学を引き継ぎ、「青森県画譜」を著しています。
2012年にパナソニック汐留ミュージアムでは今和次郎の業績を紹介する、
「今和次郎 採集講義展」が開かれていました。
「今和次郎 採集講義展」の記事です。
フランスのデザイナー、シャルロット・ペリアン(1903-1999)は1940年に商工省
(経済産業省の前身)の招聘で来日し、柳宗悦と同道して雪調を訪れ、山形の
素材を使った家具などのアイデアを提供しています。
吉井忠(1908-1999)は福島市出身で、上京して太平洋美術学校に入り、
靉光、麻生三郎、寺田政明、松本竣介らと知り合います。
始め、シュルレアリスムを志向していましたが、1941年から3年間、東北各地を歩き、
スケッチやメモをまとめた「東北記」を遺しています。
夏の東方地方は祭の盛んな季節、改めて東北の力強さを思い出す展覧会です。
展覧会のHPです。
東京駅のグランスタには2020年にねぶたが吊られました。

六本木
「DEAN & DELUCA CAFES 六本木」に行ってきました。
場所は港区赤坂9-7-3で、東京ミッドタウン PLAZAの地下1階です。


カフェは約30席です。
サントリー美術館で開かれている「歌枕展」を観た帰りに寄りました。
アイスティー418円です。

デリやスイーツ、パン、その他の食品が沢山並んでいて、眺めているだけで
楽しくなります。


以前、「DEAN & DELUCA CAFES 六本木」に行った時の記事です。
chariot
「DEAN & DELUCA CAFES 六本木」に行ってきました。
場所は港区赤坂9-7-3で、東京ミッドタウン PLAZAの地下1階です。


カフェは約30席です。
サントリー美術館で開かれている「歌枕展」を観た帰りに寄りました。
アイスティー418円です。

デリやスイーツ、パン、その他の食品が沢山並んでいて、眺めているだけで
楽しくなります。


以前、「DEAN & DELUCA CAFES 六本木」に行った時の記事です。
日本橋
日本橋髙島屋美術画廊では「喜寿記念 第20回 黒木国昭 ガラス作品展」が
開かれています。
会期は8月1日(月)までです。
黒木国昭さん(1945~)は宮崎県出身のガラス工芸家で、国の卓越技能者
「現代の名工」にも指定されています。
宮崎県綾町の工房で、被せガラスによる切子や、周辺の照葉樹林の環境に
触発された、多彩な作品を制作されています。
ランプ 金彩象嵌 「鳳凰」

エミール・ガレを思わせる造形に吉祥文の鳳凰をあしらっています。
衝立 金・プラチナ彩 「華麗牡丹図」

吉祥文の牡丹と蝶です。
花器 金・プラチナ彩 「春宵孔雀」

円山応挙風の孔雀に桜と月が添えられています。
コードレスミニランプ 金・プラチナ彩 「風雅」~かざぐるま~

白いクレマチスがランプを囲んで咲いています。
綾切子 三層二色 飾壺

色被せ(いろきせ)ガラスは通常2層ですが、これは3層になっていて、
緑色の表層の下の金色の層がカットで現れて、華やかに輝いています。
綾切子 四層三色 花器

色被せガラス更が4層になっています。
照葉樹林を表す木の葉が彫り出されています。
照葉樹とは冬も温暖なため葉を落とさない常緑広葉樹のことで、
多くはツバキのように葉が厚く光沢があります。
工房のある綾町は日本では数少なくなった照葉樹林の残る地域として
知られています。
展示室2つとロビー部分も使った大規模な個展で、さまざまな技法を駆使した
涼やかな作品を楽しめます。
chariot
日本橋髙島屋美術画廊では「喜寿記念 第20回 黒木国昭 ガラス作品展」が
開かれています。
会期は8月1日(月)までです。
黒木国昭さん(1945~)は宮崎県出身のガラス工芸家で、国の卓越技能者
「現代の名工」にも指定されています。
宮崎県綾町の工房で、被せガラスによる切子や、周辺の照葉樹林の環境に
触発された、多彩な作品を制作されています。
ランプ 金彩象嵌 「鳳凰」

エミール・ガレを思わせる造形に吉祥文の鳳凰をあしらっています。
衝立 金・プラチナ彩 「華麗牡丹図」

吉祥文の牡丹と蝶です。
花器 金・プラチナ彩 「春宵孔雀」

円山応挙風の孔雀に桜と月が添えられています。
コードレスミニランプ 金・プラチナ彩 「風雅」~かざぐるま~

白いクレマチスがランプを囲んで咲いています。
綾切子 三層二色 飾壺

色被せ(いろきせ)ガラスは通常2層ですが、これは3層になっていて、
緑色の表層の下の金色の層がカットで現れて、華やかに輝いています。
綾切子 四層三色 花器

色被せガラス更が4層になっています。
照葉樹林を表す木の葉が彫り出されています。
照葉樹とは冬も温暖なため葉を落とさない常緑広葉樹のことで、
多くはツバキのように葉が厚く光沢があります。
工房のある綾町は日本では数少なくなった照葉樹林の残る地域として
知られています。
展示室2つとロビー部分も使った大規模な個展で、さまざまな技法を駆使した
涼やかな作品を楽しめます。
三越前
日本橋の三井記念美術館ではリニューアルオープン II 「茶の湯の陶磁器
”景色“を愛でる」展が開かれています。
会期は9月19日(月・祝)までです。
この展覧会は予約無しで入館できます。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認下さい。

三井家の収集した茶道具の中で、釉薬の変化や器の姿などに「景色」を感じて
銘が付けられた作品の展示です。
「志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)」 桃山時代 16~17世紀 国宝

8月7日までの展示です。
白い釉を垣根に咲く卯の花に見立てています。
切り立った形で、歪みを持たせ、へらの跡も付け、桃山風の豪快な姿を
しています。
ぷつぷつと気泡の浮いた肌も鮮やかで力強さがあります。
名は箱書きの片桐石州の書いた古歌に拠っています。
山里の卯の花墻のなかつ道 雪踏み分けし心地こそすれ
「玳皮盞 鸞天目」 南宋時代 13世紀 重要文化財

8月9日からの展示です。
玳皮盞(たいひさん)とは天目茶碗の一種で、外側にタイマイの甲羅(べっ甲)のような
模様の出ている物を言います。
この茶碗は見込に二羽の尾長鳥と蝶、底に梅花が描かれ、鸞天目(らんてんもく)
とも呼ばれています。
見込の細かい地模様の華やかな茶碗です。
君台観左右帳記にも玳皮盞についての記載があります。
小堀遠州の所持していた品で、堀田相模守、朽木家、赤星家、益田栄作、室町三井家
と続いています。
「ととや茶碗 銘 かすみ」 朝鮮時代 16世紀

素朴ですが、すっきりした色と形をした茶碗です。
ととや茶碗は高麗茶碗の一種で、薄手でろくろ目が付き、薄く釉が
掛かっているのが特徴です。
淡い青色になった釉を春霞に見立てた銘です。
「ととや」の意味は、境の豪商斗々屋が所持していたからとも、
千利休が魚屋で見付けたからとも言われています。
青井戸茶碗 「升屋井戸」 朝鮮時代 16世紀

井戸茶碗は16世紀に朝鮮半島で生活雑器として焼かれた器が日本に渡来し、
茶人に愛好された高麗茶碗の一つで、素朴な姿が好まれたということです。
青井戸茶碗は釉が青色がかったものを云いますが、実際には青色に限らず、
色に変化があります。
小振りで浅く、とても素朴な姿をしていて、元は日常雑器だったことを示しています。
「粉引茶碗 三好粉引」 朝鮮時代 16世紀 重要文化財

8月7日までの展示です。
粉引茶碗は生地に白化粧をした上に釉をかけていて、粉を吹いたような肌をしています。
大振りの茶碗で、釉の掛け残しの火間(ひま)がくっきりと付いています。
戦国時代の武将、三好長慶(1522-1564)が所持していたので、この名があります。
後に豊臣秀吉、金森宗和、北三井家と伝わっています。
粉引茶碗は作例が少なく、「三好粉引」「松平粉引」「津田粉引」が代表例とのことです。
黒楽茶碗 銘 「雨雲」 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀 重要文化財

8月9日からの展示です。
ざっと黒釉を掛けてあり、残った土色の地肌に深みがあります。
口縁は薄く、するどく切り立っていて、姿を引き締めています。
縦に入った釉の線を雨雲に見立てた銘です。
「三島茶碗 二徳三島」 朝鮮時代 16世紀

三島茶碗は細かい模様が伊豆の三嶋大社の配布していた三島暦に似ている茶碗です。
千利休が所持し、後に二徳という袋師が所持したことからこの名があります。
見込みには模様が入っていますが、胴の外側には横線が一本入っているだけです。
御所丸茶碗 朝鮮時代 17世紀

御所丸とは桃山時代から江戸時代初期に掛けての朝鮮との御用貿易船のことで、
対馬藩宗氏が仲介しています。
日本の茶人の注文により朝鮮で焼かれ、朝鮮貿易船で運ばれた品と思われます。
楕円形で白釉と黒釉の掛かった片身替りと呼ばれる色合いになっています。
えぐるようなへらの削り跡も付いていて、個性の強い姿をしています。
「黒楽茶碗 銘 俊寛」 長次郎 安土桃山時代 16世紀 重要文化財

8月7日までの展示です。
楽茶碗としては薄手に作られ、見込みには枯れた味わいがあります。
千利休が薩摩の門人の求めで送った三つの茶碗のうち、これだけが
送り返されなかったので、この名が付けられました。
俊寛ら三人が平家への謀反の罪で薩摩の鬼界ヶ島に流され時、
他の者は赦免されて都に帰れたのに俊寛だけ島に残された故事による
ものです。
「赤楽茶碗 銘 鵺」 樂道入作 江戸時代 17世紀 重要文化財

8月9日からの展示です。
見込みはむらむらと赤く、胴に雲のような黒い塊が見えます。
平家物語に出てくる、夜な夜な御所の上に現れて近衛天皇を悩ませ、
源頼政に退治された鵺(ぬえ)になぞらえた名です。
赤楽茶碗は赤土で作って素焼きし、透明釉をかけたものです。
「赤楽茶碗 ひがきの絵」 左入二百之内 楽左入作 享保18年(1733)

背が高く口縁が少し開いて、チューリップのような形をしています。
赤色は柔らかく、胴に白釉で軽く垣根の絵が描かれています。
左入(1685-1739)は楽家6代目で、享保18年(1733)に赤黒200種の楽茶碗、
左入二百を作っています。
「唐物肩衝茶入 銘 遅桜」 南宋時代 12~13世紀

8月9日からの展示です。
高さ9cm弱で、肩衝茶入の特徴のきりっとした端正な姿をしています。
肩衝とは肩の部分が水平に張っていることをいいます。
足利義政の所蔵で、同じく義政の所蔵の「初花」より遅れて日本に渡来し、
義政によって命名されています。
伝来は、義政、篠原宗久、藤堂高虎、蒲生忠郷、徳川将軍家、松平忠明、
徳川将軍家、松平徳松、徳川将軍家、徳川宗家と、武家に伝来し、
室町三井家を経て三井記念美術館にたどり着いています。
「薩摩甫十瓢箪茶入 銘 十寸鏡 江戸時代 17世紀

小堀遠州が焼かせた薩摩焼の十個の瓢箪茶入の一つで、遠州の号の宗甫にちなんで
甫十瓢箪と呼ばれています。
十寸鏡(真澄鏡、ますかがみ)とはよく澄んだ鏡のことで、胴の釉の丸い掛け残しを
鏡に見立てています。
「備前火襷水指」 桃山時代 16~17世紀

焼成時に他の器と癒着しないよう巻いた藁の跡が襷のように見えるので、
火襷と呼ばれています。
「伊賀耳付花入 銘 業平」 桃山時代 17世紀

飄然とした姿を世を捨てた風のある在原業平になぞらえています。
「伊賀耳付水指 銘 閑居」 桃山時代 17世紀

大きく歪ませた形で、その佇まいから閑居と名付けています。
「竹図風炉先屏風」 円山応挙筆 江戸時代 18世紀

巧みな筆捌きで、竹の葉に濃淡があり、奥行きを見せ、揺らいで倒れ掛かる様には
動きがあります。
「雲紙和漢朗詠集切」 伝千利休所持 伝藤原行成筆 平安~鎌倉時代 12~13世紀

和漢朗詠集の雲の段で、雲形を漉き込んだ雲紙に書かれています。
よそにのみみてややみなんかつらぎのたかまのやまのみねのしらくも
展示室入口には香合が三つ、展示されています。
左から
「赤楽独楽香合」 紀州御庭焼 文政2年(1819)
紀州徳川家で焼かれた御庭焼です。
御庭焼とは大名が邸内で陶工に茶器などを焼かせたものです。
「青交趾写鴨香合」 偕楽園焼 江戸時代・19世紀
偕楽園焼は紀州御庭焼のうち、10代藩主治宝(はるとみ)が、
その隠居所西浜御殿の庭で焼かせたものです。
「紫交趾写雀香合」 偕楽園焼 江戸時代・19世紀

三井家伝世の茶碗、茶入など茶道具が一堂に揃った、見応えのある展覧会です。
展覧会のHPです。
chariot
日本橋の三井記念美術館ではリニューアルオープン II 「茶の湯の陶磁器
”景色“を愛でる」展が開かれています。
会期は9月19日(月・祝)までです。
この展覧会は予約無しで入館できます。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認下さい。

三井家の収集した茶道具の中で、釉薬の変化や器の姿などに「景色」を感じて
銘が付けられた作品の展示です。
「志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)」 桃山時代 16~17世紀 国宝

8月7日までの展示です。
白い釉を垣根に咲く卯の花に見立てています。
切り立った形で、歪みを持たせ、へらの跡も付け、桃山風の豪快な姿を
しています。
ぷつぷつと気泡の浮いた肌も鮮やかで力強さがあります。
名は箱書きの片桐石州の書いた古歌に拠っています。
山里の卯の花墻のなかつ道 雪踏み分けし心地こそすれ
「玳皮盞 鸞天目」 南宋時代 13世紀 重要文化財

8月9日からの展示です。
玳皮盞(たいひさん)とは天目茶碗の一種で、外側にタイマイの甲羅(べっ甲)のような
模様の出ている物を言います。
この茶碗は見込に二羽の尾長鳥と蝶、底に梅花が描かれ、鸞天目(らんてんもく)
とも呼ばれています。
見込の細かい地模様の華やかな茶碗です。
君台観左右帳記にも玳皮盞についての記載があります。
小堀遠州の所持していた品で、堀田相模守、朽木家、赤星家、益田栄作、室町三井家
と続いています。
「ととや茶碗 銘 かすみ」 朝鮮時代 16世紀

素朴ですが、すっきりした色と形をした茶碗です。
ととや茶碗は高麗茶碗の一種で、薄手でろくろ目が付き、薄く釉が
掛かっているのが特徴です。
淡い青色になった釉を春霞に見立てた銘です。
「ととや」の意味は、境の豪商斗々屋が所持していたからとも、
千利休が魚屋で見付けたからとも言われています。
青井戸茶碗 「升屋井戸」 朝鮮時代 16世紀

井戸茶碗は16世紀に朝鮮半島で生活雑器として焼かれた器が日本に渡来し、
茶人に愛好された高麗茶碗の一つで、素朴な姿が好まれたということです。
青井戸茶碗は釉が青色がかったものを云いますが、実際には青色に限らず、
色に変化があります。
小振りで浅く、とても素朴な姿をしていて、元は日常雑器だったことを示しています。
「粉引茶碗 三好粉引」 朝鮮時代 16世紀 重要文化財

8月7日までの展示です。
粉引茶碗は生地に白化粧をした上に釉をかけていて、粉を吹いたような肌をしています。
大振りの茶碗で、釉の掛け残しの火間(ひま)がくっきりと付いています。
戦国時代の武将、三好長慶(1522-1564)が所持していたので、この名があります。
後に豊臣秀吉、金森宗和、北三井家と伝わっています。
粉引茶碗は作例が少なく、「三好粉引」「松平粉引」「津田粉引」が代表例とのことです。
黒楽茶碗 銘 「雨雲」 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀 重要文化財

8月9日からの展示です。
ざっと黒釉を掛けてあり、残った土色の地肌に深みがあります。
口縁は薄く、するどく切り立っていて、姿を引き締めています。
縦に入った釉の線を雨雲に見立てた銘です。
「三島茶碗 二徳三島」 朝鮮時代 16世紀

三島茶碗は細かい模様が伊豆の三嶋大社の配布していた三島暦に似ている茶碗です。
千利休が所持し、後に二徳という袋師が所持したことからこの名があります。
見込みには模様が入っていますが、胴の外側には横線が一本入っているだけです。
御所丸茶碗 朝鮮時代 17世紀

御所丸とは桃山時代から江戸時代初期に掛けての朝鮮との御用貿易船のことで、
対馬藩宗氏が仲介しています。
日本の茶人の注文により朝鮮で焼かれ、朝鮮貿易船で運ばれた品と思われます。
楕円形で白釉と黒釉の掛かった片身替りと呼ばれる色合いになっています。
えぐるようなへらの削り跡も付いていて、個性の強い姿をしています。
「黒楽茶碗 銘 俊寛」 長次郎 安土桃山時代 16世紀 重要文化財

8月7日までの展示です。
楽茶碗としては薄手に作られ、見込みには枯れた味わいがあります。
千利休が薩摩の門人の求めで送った三つの茶碗のうち、これだけが
送り返されなかったので、この名が付けられました。
俊寛ら三人が平家への謀反の罪で薩摩の鬼界ヶ島に流され時、
他の者は赦免されて都に帰れたのに俊寛だけ島に残された故事による
ものです。
「赤楽茶碗 銘 鵺」 樂道入作 江戸時代 17世紀 重要文化財

8月9日からの展示です。
見込みはむらむらと赤く、胴に雲のような黒い塊が見えます。
平家物語に出てくる、夜な夜な御所の上に現れて近衛天皇を悩ませ、
源頼政に退治された鵺(ぬえ)になぞらえた名です。
赤楽茶碗は赤土で作って素焼きし、透明釉をかけたものです。
「赤楽茶碗 ひがきの絵」 左入二百之内 楽左入作 享保18年(1733)

背が高く口縁が少し開いて、チューリップのような形をしています。
赤色は柔らかく、胴に白釉で軽く垣根の絵が描かれています。
左入(1685-1739)は楽家6代目で、享保18年(1733)に赤黒200種の楽茶碗、
左入二百を作っています。
「唐物肩衝茶入 銘 遅桜」 南宋時代 12~13世紀

8月9日からの展示です。
高さ9cm弱で、肩衝茶入の特徴のきりっとした端正な姿をしています。
肩衝とは肩の部分が水平に張っていることをいいます。
足利義政の所蔵で、同じく義政の所蔵の「初花」より遅れて日本に渡来し、
義政によって命名されています。
伝来は、義政、篠原宗久、藤堂高虎、蒲生忠郷、徳川将軍家、松平忠明、
徳川将軍家、松平徳松、徳川将軍家、徳川宗家と、武家に伝来し、
室町三井家を経て三井記念美術館にたどり着いています。
「薩摩甫十瓢箪茶入 銘 十寸鏡 江戸時代 17世紀

小堀遠州が焼かせた薩摩焼の十個の瓢箪茶入の一つで、遠州の号の宗甫にちなんで
甫十瓢箪と呼ばれています。
十寸鏡(真澄鏡、ますかがみ)とはよく澄んだ鏡のことで、胴の釉の丸い掛け残しを
鏡に見立てています。
「備前火襷水指」 桃山時代 16~17世紀

焼成時に他の器と癒着しないよう巻いた藁の跡が襷のように見えるので、
火襷と呼ばれています。
「伊賀耳付花入 銘 業平」 桃山時代 17世紀

飄然とした姿を世を捨てた風のある在原業平になぞらえています。
「伊賀耳付水指 銘 閑居」 桃山時代 17世紀

大きく歪ませた形で、その佇まいから閑居と名付けています。
「竹図風炉先屏風」 円山応挙筆 江戸時代 18世紀

巧みな筆捌きで、竹の葉に濃淡があり、奥行きを見せ、揺らいで倒れ掛かる様には
動きがあります。
「雲紙和漢朗詠集切」 伝千利休所持 伝藤原行成筆 平安~鎌倉時代 12~13世紀

和漢朗詠集の雲の段で、雲形を漉き込んだ雲紙に書かれています。
よそにのみみてややみなんかつらぎのたかまのやまのみねのしらくも
展示室入口には香合が三つ、展示されています。
左から
「赤楽独楽香合」 紀州御庭焼 文政2年(1819)
紀州徳川家で焼かれた御庭焼です。
御庭焼とは大名が邸内で陶工に茶器などを焼かせたものです。
「青交趾写鴨香合」 偕楽園焼 江戸時代・19世紀
偕楽園焼は紀州御庭焼のうち、10代藩主治宝(はるとみ)が、
その隠居所西浜御殿の庭で焼かせたものです。
「紫交趾写雀香合」 偕楽園焼 江戸時代・19世紀

三井家伝世の茶碗、茶入など茶道具が一堂に揃った、見応えのある展覧会です。
展覧会のHPです。
表参道
表参道の根津美術館では企画展「よめないけど、いいね! 根津美術館の書の名品」が
開かれています。
会期は8月21日(日)までです。

「大聖武」 伝 聖武天皇筆 奈良時代 8世紀

荼毘紙(だびし)という、檀(まゆみ)の木の表皮の皮の粉末を胡粉と混ぜて、
紙に塗ったものに書かれています。
荼毘紙の名は粉末を釈迦の骨に見立てたことによります。
大聖武(おおじょうむ)とは奈良時代に書写された賢愚経で、大らかな書風から
聖武天皇に仮託されています。
東大寺戒壇院に伝来していましたが、流出し切断されています。
2行目の「如是我聞」はよく経文の冒頭に書かれる言葉で、「私はお釈迦様の教えを
このように聞いた」という意味です。
「根本百一羯磨巻第六」 奈良時代 8世紀 国宝

教団の議事運営や宗教行事に関する作法、すなわち羯磨(こんま)を101件
集めたもので、全10巻あり、巻第五は白鶴美術館、その他8巻は
正倉院聖語蔵が所蔵しています。
「無量義経・観普賢経」 平安時代 11世紀 国宝

無量義経と観普賢経は法華経とともに法華三部経と呼ばれています。
染めた紙を交互に継ぎ、金砂子を散らし、罫線を引いた、豪華な経典です。
細字で書風も優雅です。
絵具や染料を刷毛で紙の全面に引いて染めています。
この品では裏から染めて、柔らか味を出しています。
細かく切った金箔を散らし、金泥で仕切りの線を引いています。
「広弘明集 巻第十四・第十五本・第十五末(中尊寺経/清衡願経)」
平安時代 12世紀

広弘明集(こうぐみょうしゅう)は唐の律宗の僧、道宣の編纂した、仏教守護のために
書かれた書物を集めたものです。
中尊寺経は平泉の中尊寺に伝わる多くの経巻の一つで、奥州藤原氏により献納されて
います。
紺紙に金泥と銀泥を1行ごとに使い分けて書いてあります。
「春日若宮大般若経」 浄阿筆 鎌倉時代・寛喜元年(1229)−仁治3年(1242)

尼浄阿が14年かけて書写して春日大社に奉納した大般若経600巻です。
所縁の人々の菩提を弔うための奉納で、巻末には自分が仕えたと思われる、
八条女院(鳥羽天皇皇女:1137-1211)、宜秋門院(後鳥羽天皇中宮:1173-1239)、
春華門院(後鳥羽天皇皇女:1195-1211)など、80名以上の名前が記されています。
尼浄阿は東寺への田地寄進状にもその名の見える女性です。
「春日厨子」 鎌倉時代・寛元元年(1243)および3年(1245)の銘

春日若宮大般若経を収めた、とても大きく立派な厨子で、扉にも由緒が彫られていて、
最後に「願主比丘尼浄阿」とあります。
このような厨子を調えたり、田地を寄進するなど、浄阿という女性はかなり裕福だった
ようです。
またその信仰心の篤さが偲ばれます。
「無学祖元墨蹟 附衣偈断簡」 弘安3年(1280) 重要文化財

当初の冒頭5行と小字部分の1行目が切り詰められています。
茶席の掛物にするため、読むことを放棄して作り直しています。
無学祖元(1226-1286)は宋の末期の禅僧で、弘安2年(1279)に
北条時宗の招きで日本に渡り、建長寺の住持となります。
元軍が2度目に来襲した弘安の役では時宗を励ましています。
時宗は元寇の戦没者のため、弘安3年に円覚寺を創建し、無学祖元を
開山としています。
「石山切(貫之集下断簡)」 藤原定信筆 平安時代・12世紀

金銀の絵具で装飾された豪華な料紙に書かれています。
「石山切」は白河天皇の六十の賀を祝って制作された、「西本願寺本三十六人家集」の
うち、「貫之集下」と「伊勢集」のことです。
西本願寺の所蔵でしたが、昭和4年(1929)に2つの集が分割され、断簡になった時に
付けられた名です。
昔は本願寺が石山(後の大阪城)にあったことにちなんでいます。
藤原定信(1088-1156)は能書家として有名で、後に23年掛けて一切経全5048巻を
独力で書写してもいます。
「難波切(部分)」 伝源順筆 平安時代・11世紀

万葉仮名と平仮名で並記した万葉集です。
元は万葉仮名で書かれていた万葉集は平安時代の10世紀には
一般の貴族にも読みづらくなっています。
つくばねにゆきかもゆらるいなおかもいとしきころがにのほさるかも
「書状(部分)」 本阿弥光悦筆 慶長5年(1605)

親しい人への手紙で、左端まで書き進んだ後、右の余白に書き、まだ足りなくて
行の間にも書いています。
「天地二大字」 良寛筆 江戸時代 19世紀

「天地」と書かれています。
近所の農民が、家が貧しく仏壇も神棚も無いと嘆くので、
これを毎日拝むようにと書いて渡したそうです。
展示室5のテーマは「歌人のおもかげ」です。
能で歌人を登場人物とした演目に使われる能面と装束の展示です。
「増女」 焼印「出目洞白」 享保16年(1731)

増女(ぞうおんな)は「定家蔓」の式子内親王など、高貴な女性や神性を帯びた女性の
役に用いられます。
田楽師の増阿弥久次が考案したことから増女と呼ばれています。
出目洞白(でめとうはく:1633-1715)は能面師で、大野出目家4代目を継いでいます。
展示室6のテーマは「暑中の涼」です。
真夏に涼しさを演出する茶道具の展示です。
「絵高麗梅鉢文茶碗」 磁州窯系 明時代・16~17世紀

高麗茶碗と呼ばれていますが、中国の明時代の品です。
元は日用品で、重ね焼きの跡があり、梅に似た模様からこの名があります。
平茶碗は夏茶碗として用いられます。
展覧会のHPです。
chariot
表参道の根津美術館では企画展「よめないけど、いいね! 根津美術館の書の名品」が
開かれています。
会期は8月21日(日)までです。

「大聖武」 伝 聖武天皇筆 奈良時代 8世紀

荼毘紙(だびし)という、檀(まゆみ)の木の表皮の皮の粉末を胡粉と混ぜて、
紙に塗ったものに書かれています。
荼毘紙の名は粉末を釈迦の骨に見立てたことによります。
大聖武(おおじょうむ)とは奈良時代に書写された賢愚経で、大らかな書風から
聖武天皇に仮託されています。
東大寺戒壇院に伝来していましたが、流出し切断されています。
2行目の「如是我聞」はよく経文の冒頭に書かれる言葉で、「私はお釈迦様の教えを
このように聞いた」という意味です。
「根本百一羯磨巻第六」 奈良時代 8世紀 国宝

教団の議事運営や宗教行事に関する作法、すなわち羯磨(こんま)を101件
集めたもので、全10巻あり、巻第五は白鶴美術館、その他8巻は
正倉院聖語蔵が所蔵しています。
「無量義経・観普賢経」 平安時代 11世紀 国宝

無量義経と観普賢経は法華経とともに法華三部経と呼ばれています。
染めた紙を交互に継ぎ、金砂子を散らし、罫線を引いた、豪華な経典です。
細字で書風も優雅です。
絵具や染料を刷毛で紙の全面に引いて染めています。
この品では裏から染めて、柔らか味を出しています。
細かく切った金箔を散らし、金泥で仕切りの線を引いています。
「広弘明集 巻第十四・第十五本・第十五末(中尊寺経/清衡願経)」
平安時代 12世紀

広弘明集(こうぐみょうしゅう)は唐の律宗の僧、道宣の編纂した、仏教守護のために
書かれた書物を集めたものです。
中尊寺経は平泉の中尊寺に伝わる多くの経巻の一つで、奥州藤原氏により献納されて
います。
紺紙に金泥と銀泥を1行ごとに使い分けて書いてあります。
「春日若宮大般若経」 浄阿筆 鎌倉時代・寛喜元年(1229)−仁治3年(1242)

尼浄阿が14年かけて書写して春日大社に奉納した大般若経600巻です。
所縁の人々の菩提を弔うための奉納で、巻末には自分が仕えたと思われる、
八条女院(鳥羽天皇皇女:1137-1211)、宜秋門院(後鳥羽天皇中宮:1173-1239)、
春華門院(後鳥羽天皇皇女:1195-1211)など、80名以上の名前が記されています。
尼浄阿は東寺への田地寄進状にもその名の見える女性です。
「春日厨子」 鎌倉時代・寛元元年(1243)および3年(1245)の銘

春日若宮大般若経を収めた、とても大きく立派な厨子で、扉にも由緒が彫られていて、
最後に「願主比丘尼浄阿」とあります。
このような厨子を調えたり、田地を寄進するなど、浄阿という女性はかなり裕福だった
ようです。
またその信仰心の篤さが偲ばれます。
「無学祖元墨蹟 附衣偈断簡」 弘安3年(1280) 重要文化財

当初の冒頭5行と小字部分の1行目が切り詰められています。
茶席の掛物にするため、読むことを放棄して作り直しています。
無学祖元(1226-1286)は宋の末期の禅僧で、弘安2年(1279)に
北条時宗の招きで日本に渡り、建長寺の住持となります。
元軍が2度目に来襲した弘安の役では時宗を励ましています。
時宗は元寇の戦没者のため、弘安3年に円覚寺を創建し、無学祖元を
開山としています。
「石山切(貫之集下断簡)」 藤原定信筆 平安時代・12世紀

金銀の絵具で装飾された豪華な料紙に書かれています。
「石山切」は白河天皇の六十の賀を祝って制作された、「西本願寺本三十六人家集」の
うち、「貫之集下」と「伊勢集」のことです。
西本願寺の所蔵でしたが、昭和4年(1929)に2つの集が分割され、断簡になった時に
付けられた名です。
昔は本願寺が石山(後の大阪城)にあったことにちなんでいます。
藤原定信(1088-1156)は能書家として有名で、後に23年掛けて一切経全5048巻を
独力で書写してもいます。
「難波切(部分)」 伝源順筆 平安時代・11世紀

万葉仮名と平仮名で並記した万葉集です。
元は万葉仮名で書かれていた万葉集は平安時代の10世紀には
一般の貴族にも読みづらくなっています。
つくばねにゆきかもゆらるいなおかもいとしきころがにのほさるかも
「書状(部分)」 本阿弥光悦筆 慶長5年(1605)

親しい人への手紙で、左端まで書き進んだ後、右の余白に書き、まだ足りなくて
行の間にも書いています。
「天地二大字」 良寛筆 江戸時代 19世紀

「天地」と書かれています。
近所の農民が、家が貧しく仏壇も神棚も無いと嘆くので、
これを毎日拝むようにと書いて渡したそうです。
展示室5のテーマは「歌人のおもかげ」です。
能で歌人を登場人物とした演目に使われる能面と装束の展示です。
「増女」 焼印「出目洞白」 享保16年(1731)

増女(ぞうおんな)は「定家蔓」の式子内親王など、高貴な女性や神性を帯びた女性の
役に用いられます。
田楽師の増阿弥久次が考案したことから増女と呼ばれています。
出目洞白(でめとうはく:1633-1715)は能面師で、大野出目家4代目を継いでいます。
展示室6のテーマは「暑中の涼」です。
真夏に涼しさを演出する茶道具の展示です。
「絵高麗梅鉢文茶碗」 磁州窯系 明時代・16~17世紀

高麗茶碗と呼ばれていますが、中国の明時代の品です。
元は日用品で、重ね焼きの跡があり、梅に似た模様からこの名があります。
平茶碗は夏茶碗として用いられます。
展覧会のHPです。
銀座
東京メトロ銀座駅コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、3面の展示スペースに
なっています。
現在は2021年度の東京藝術大学卒業・修了作品の中から選抜された作品を展示する
「藝大 Art Journey」展が3期に分かれて開かれています。
3期目は7月28日(木)までで、以下の4名の作品が展示されています。
小林茉莉、小林このみ、小島有加里、杉山あるく
小林このみ 螺鈿蒔絵165㎝水槽「憧憬」 大学院美術研究科工芸専攻漆芸分野


見守ってくれた父への感謝を込めて、父の理想のアクアリウムを制作されたとのことで、
カージナルテトラの背中には螺鈿が貼られています。
小林茉莉 「Traces of Individuality」 大学院美術研究科工芸専攻彫金分野


ひとつひとつの流木の個性の痕跡を見付け、それを装飾したそうです。
小島有加里 「あなたの家に、庭になる」 大学院美術研究科絵画専攻油画分野


身の回りにある物には作った人の面影があるので、自分の作った物を
誰かを想った証として置いてあるそうです。
杉山あるく 「TRAUMA」 美術学部デザイン科


幼少期の記憶や体験の持つ、トラウマのような強力なエネルギーを魅力的なものに
変換したとのことで、真っ赤なものたちに昇華されています。
chariot
東京メトロ銀座駅コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、3面の展示スペースに
なっています。
現在は2021年度の東京藝術大学卒業・修了作品の中から選抜された作品を展示する
「藝大 Art Journey」展が3期に分かれて開かれています。
3期目は7月28日(木)までで、以下の4名の作品が展示されています。
小林茉莉、小林このみ、小島有加里、杉山あるく
小林このみ 螺鈿蒔絵165㎝水槽「憧憬」 大学院美術研究科工芸専攻漆芸分野


見守ってくれた父への感謝を込めて、父の理想のアクアリウムを制作されたとのことで、
カージナルテトラの背中には螺鈿が貼られています。
小林茉莉 「Traces of Individuality」 大学院美術研究科工芸専攻彫金分野


ひとつひとつの流木の個性の痕跡を見付け、それを装飾したそうです。
小島有加里 「あなたの家に、庭になる」 大学院美術研究科絵画専攻油画分野


身の回りにある物には作った人の面影があるので、自分の作った物を
誰かを想った証として置いてあるそうです。
杉山あるく 「TRAUMA」 美術学部デザイン科


幼少期の記憶や体験の持つ、トラウマのような強力なエネルギーを魅力的なものに
変換したとのことで、真っ赤なものたちに昇華されています。
上野
上野マルイの地下2階の無印良品マルイシティ上野店にある「Café & Meal MUJ
I上野マルイ」に行ってきました。
場所は台東区上野6-15-1です。
壁も床もテーブルも白木を使っていて、広い店内は席の間も開いています。


デリやスイーツ、ドリンクがありますが、エスプレッソ系のコーヒーはありません。
カフェオレ350円とコーヒー280円です。

すっきりと美味しいコーヒーです。
MUJIのお店らしいシンプルな雰囲気が心地良いお店です。
以前、「Café & Meal MUJI上野マルイ」に行った時の記事です。
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上野マルイの地下2階の無印良品マルイシティ上野店にある「Café & Meal MUJ
I上野マルイ」に行ってきました。
場所は台東区上野6-15-1です。
壁も床もテーブルも白木を使っていて、広い店内は席の間も開いています。


デリやスイーツ、ドリンクがありますが、エスプレッソ系のコーヒーはありません。
カフェオレ350円とコーヒー280円です。

すっきりと美味しいコーヒーです。
MUJIのお店らしいシンプルな雰囲気が心地良いお店です。
以前、「Café & Meal MUJI上野マルイ」に行った時の記事です。
新宿
SOMPO美術館では「スイス プチ・パレ美術館展 印象派からエコール・ド・パリへ」が
開かれています。
会期は10月10日(月・祝)までです。

スイスのジュネーヴにあるプチ・パレ美術館は実業家オスカー・ゲーズ氏(1905-1998)が
1968年に設立した、19世紀後半から20世紀前半のフランス近代絵画を収蔵しています。
1998年から休館中ですが、展覧会ではコレクションのうち、印象派、新印象派、ナビ派、
フォーヴィスム、キュビスム、エコール・ド・パリなど、38名の画家の65点の作品が展示
されています。
第1章 印象派
ピエール・オーギュスト・ルノワール
「詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像」 1913年

晩年のルノワールは、表現上の制約を受けるということで個人の肖像画の注文を
受けなかったのが、モデルを気に入って描いたようです。
白のドレスも輝いて、華やかな作品です。
第2章 新印象派
新印象派はジョルジュ・スーラが始めた、点描により色彩や形を明確に表現しようとした
グループです。
アンリ=エドモン・クロス 「糸杉のノクチューン」 1896年

点描法で夜の入江を描いていて、糸杉や船の並びにリズムがあります。
白い服の女性たちには象徴主義の雰囲気があります。
アンリ=エドモン・クロス(1856-1910)はシニャックと親しく、シニャックが新印象主義を
取り入れると、自分も新印象主義の絵を描くようになっています。
マクシミリアン・リュスやテオ・ファン・レイセルベルヘの作品も展示されています。
第3章 ナビ派とポン=タヴァン派
モーリス・ドニ 「休暇中の宿題」 1906年

モデルはドニの最初の妻、マルトと長女ノエル、二女ベルナデット、三女アンヌマリーです。
9人の子持ちだったドニはよく家族の情景を描いていて、ドニ特有の明るく温かな色彩に
あふれています。
モーリス・ドニ 「ペロス=ギレックの海水浴場」 1924年

ペロス=ギレックはブルターニュ半島の北岸にあり、ドニは1908年に別荘を
購入しています。
ドニはイタリア美術を取り入れ、古典古代風の理想郷として描いています。
第4章 新印象派からフォーヴィスムまで
アンリ・マンギャン 「室内の裸婦」 1905年

アンリ・マンギャン(1874-1949)はギュスターヴ・モローの画塾に学び、マティスと親交を
結んでいます。
フォーヴィスムの色彩ですが、装飾性はマティスと共通しています。
モーリス・ド・ヴラマンク 「7月14日 踏切、パリ祭」 1925年

ヴラマンクはマティスやドランと共にフォーヴィスムの画家としてスタートしますが、
やがて独自の画風に変わります。
それでも、陰鬱な色彩や荒々しい筆遣いにはォーヴィスムを感じます。
第5章 フォーヴィスムからキュビスムまで
ジャン・メッツァンジェ 「スフィンクス」 1920年

ジャン・メッツァンジェ(1883 – 1956)はキュビスムの画家で、パリに居たピカソや
ブラックに対し、郊外のピュトーに集まったピュトー派に属しています。
第1次世界大戦後の古典回帰の風潮のあった時代の作品ですが、アール・デコの
雰囲気を感じるところがあります。
キュビスムの作品は理屈っぽいところがあって、フォーヴィスムと違いが際立っています。
第6章 ポスト印象派とエコール・ド・パリ
テオフィル=アレクサンドル・スタンラン 「猫と一緒の母と子」 1885年

紅茶とチョコレートを販売する会社のポスターの下絵です。
女の子がホットチョコレートのカップを猫から守っているようで、モデルは妻のエミリーと
娘のコレットです。
テオフィル・アレクサンドル・スタンラン(1859-1923)は画家、版画家で、
キャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」のポスターなど、特に猫を題材にした
作品で有名です。
(参考)
右:テオフィル・アレクサンドル・スタンラン 「シャ・ノワール巡業公演のためのポスター」
1896年 多色刷りリトグラフ ファン・ゴッホ美術館
左:アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 「ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ」
1891年 多色刷りリトグラフ 三菱一号館美術館

フェリックス・ヴァロットン 「身繕い」 1911年
若い女性がテーブルに肘をついて手鏡を眺めています。
的確な描き振りで、緑色など色彩も鮮やかなのですが、ヴァロットンの特徴の醒めた
感じがあります。
ヴァロットンはナビ派に参加していますが、作風は独自で、冷ややかなものがあります。
モーリス・ユトリロ 「ヴィルフランシュの通り」 1921年

ヴィルフランシュ=シュル=メールは南仏コート・ダジュールにある保養地です。
白の時代が終り、色彩の時代になった頃の作品です。
ユトリロはパリを離れず、旅行をしなかったので、絵葉書か何かを元に描いたのでしょう。
母親のシュザンヌ・ヴァラドンの絵も2点、展示されています。
モイーズ・キスリング 「サン=トロペのシエスタ」 1916年

エコール・ド・パリの画家、キスリングは1914年に第1次世界大戦が始まると
外人部隊に志願して負傷し、その功績でフランス国籍を取得しています。
南仏のサン=トロペで療養している時の絵で、この頃はキュビスムやフォーヴィスムを
取り入れています。
奥さんのルネがテーブルに突っ伏しているという面白い画面で、木洩れ日には
印象派の風もあります。
キスリングは4点、展示されています。
各流派の作品がまとまって展示され、よく知らない画家の作品も多くあって、
面白い展覧会です。
パンフレットにも出品作家のリストが載っています。


展覧会のHPです。
chariot
SOMPO美術館では「スイス プチ・パレ美術館展 印象派からエコール・ド・パリへ」が
開かれています。
会期は10月10日(月・祝)までです。

スイスのジュネーヴにあるプチ・パレ美術館は実業家オスカー・ゲーズ氏(1905-1998)が
1968年に設立した、19世紀後半から20世紀前半のフランス近代絵画を収蔵しています。
1998年から休館中ですが、展覧会ではコレクションのうち、印象派、新印象派、ナビ派、
フォーヴィスム、キュビスム、エコール・ド・パリなど、38名の画家の65点の作品が展示
されています。
第1章 印象派
ピエール・オーギュスト・ルノワール
「詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像」 1913年

晩年のルノワールは、表現上の制約を受けるということで個人の肖像画の注文を
受けなかったのが、モデルを気に入って描いたようです。
白のドレスも輝いて、華やかな作品です。
第2章 新印象派
新印象派はジョルジュ・スーラが始めた、点描により色彩や形を明確に表現しようとした
グループです。
アンリ=エドモン・クロス 「糸杉のノクチューン」 1896年

点描法で夜の入江を描いていて、糸杉や船の並びにリズムがあります。
白い服の女性たちには象徴主義の雰囲気があります。
アンリ=エドモン・クロス(1856-1910)はシニャックと親しく、シニャックが新印象主義を
取り入れると、自分も新印象主義の絵を描くようになっています。
マクシミリアン・リュスやテオ・ファン・レイセルベルヘの作品も展示されています。
第3章 ナビ派とポン=タヴァン派
モーリス・ドニ 「休暇中の宿題」 1906年

モデルはドニの最初の妻、マルトと長女ノエル、二女ベルナデット、三女アンヌマリーです。
9人の子持ちだったドニはよく家族の情景を描いていて、ドニ特有の明るく温かな色彩に
あふれています。
モーリス・ドニ 「ペロス=ギレックの海水浴場」 1924年

ペロス=ギレックはブルターニュ半島の北岸にあり、ドニは1908年に別荘を
購入しています。
ドニはイタリア美術を取り入れ、古典古代風の理想郷として描いています。
第4章 新印象派からフォーヴィスムまで
アンリ・マンギャン 「室内の裸婦」 1905年

アンリ・マンギャン(1874-1949)はギュスターヴ・モローの画塾に学び、マティスと親交を
結んでいます。
フォーヴィスムの色彩ですが、装飾性はマティスと共通しています。
モーリス・ド・ヴラマンク 「7月14日 踏切、パリ祭」 1925年

ヴラマンクはマティスやドランと共にフォーヴィスムの画家としてスタートしますが、
やがて独自の画風に変わります。
それでも、陰鬱な色彩や荒々しい筆遣いにはォーヴィスムを感じます。
第5章 フォーヴィスムからキュビスムまで
ジャン・メッツァンジェ 「スフィンクス」 1920年

ジャン・メッツァンジェ(1883 – 1956)はキュビスムの画家で、パリに居たピカソや
ブラックに対し、郊外のピュトーに集まったピュトー派に属しています。
第1次世界大戦後の古典回帰の風潮のあった時代の作品ですが、アール・デコの
雰囲気を感じるところがあります。
キュビスムの作品は理屈っぽいところがあって、フォーヴィスムと違いが際立っています。
第6章 ポスト印象派とエコール・ド・パリ
テオフィル=アレクサンドル・スタンラン 「猫と一緒の母と子」 1885年

紅茶とチョコレートを販売する会社のポスターの下絵です。
女の子がホットチョコレートのカップを猫から守っているようで、モデルは妻のエミリーと
娘のコレットです。
テオフィル・アレクサンドル・スタンラン(1859-1923)は画家、版画家で、
キャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」のポスターなど、特に猫を題材にした
作品で有名です。
(参考)
右:テオフィル・アレクサンドル・スタンラン 「シャ・ノワール巡業公演のためのポスター」
1896年 多色刷りリトグラフ ファン・ゴッホ美術館
左:アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 「ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ」
1891年 多色刷りリトグラフ 三菱一号館美術館

フェリックス・ヴァロットン 「身繕い」 1911年
若い女性がテーブルに肘をついて手鏡を眺めています。
的確な描き振りで、緑色など色彩も鮮やかなのですが、ヴァロットンの特徴の醒めた
感じがあります。
ヴァロットンはナビ派に参加していますが、作風は独自で、冷ややかなものがあります。
モーリス・ユトリロ 「ヴィルフランシュの通り」 1921年

ヴィルフランシュ=シュル=メールは南仏コート・ダジュールにある保養地です。
白の時代が終り、色彩の時代になった頃の作品です。
ユトリロはパリを離れず、旅行をしなかったので、絵葉書か何かを元に描いたのでしょう。
母親のシュザンヌ・ヴァラドンの絵も2点、展示されています。
モイーズ・キスリング 「サン=トロペのシエスタ」 1916年

エコール・ド・パリの画家、キスリングは1914年に第1次世界大戦が始まると
外人部隊に志願して負傷し、その功績でフランス国籍を取得しています。
南仏のサン=トロペで療養している時の絵で、この頃はキュビスムやフォーヴィスムを
取り入れています。
奥さんのルネがテーブルに突っ伏しているという面白い画面で、木洩れ日には
印象派の風もあります。
キスリングは4点、展示されています。
各流派の作品がまとまって展示され、よく知らない画家の作品も多くあって、
面白い展覧会です。
パンフレットにも出品作家のリストが載っています。


展覧会のHPです。
日比谷・有楽町
丸の内の出光美術館では「生誕150年 板谷波山展」が開かれています。
会期は8月21日(日)まで、開館時間は午後4時までです。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認下さい。

日本の近代陶芸の代表者で、陶芸家として最初の文化勲章の受章者である
板谷波山(1872-1963)の作品、約140点を展示する、本格的な回顧展です。
出光美術館の創設者、出光佐三は板谷波山と親交があり、その作品を多く
所蔵しています。
板谷波山は茨城県の出身で、号の波山(はざん)は故郷の筑波山に
由来しています。
東京美術学校彫刻科を卒業し、石川県工業学校の彫刻科の教諭として赴任し、
そこで陶芸も教えたことから自身も陶芸に打ち込むようになります。
「棕櫚葉彫文花瓶」 大正3年(1914)

高さ46.2cmの大きな花瓶で、一面にびっしりと棕櫚の葉を彫り出しています。
葉と葉が重なって立体感があり、隙間には細かく雷文が彫られています。
東京美術学校の彫刻科の出身ということで、板谷波山は彫刻を施した作品を多く
制作しています。
東京美術学校では基礎科目として、絵画、漆芸、彫金、染色、織物などを学んでおり、
これが波山の作風の多彩さの元になっています。
「彩磁八ツ手文手焙」 明治時代末期~大正時代初期

大胆に八ツ手の葉を配した、アール・ヌーヴォー調の火鉢です。
板谷波山は19世紀の末に始まったアール・ヌーヴォーの時代に陶芸家に
なっているので、これを取入れた作品を多く作っています。
「葆光彩磁禽果文花瓶」 大正3年(1914)

板谷波山は葆光釉(ほこうゆう)といわれる、薄いヴェールのような釉薬を
掛けた技法で有名です。
器の中に光を閉じ込めているようなので、この名があります。
「葆光彩磁草花文花瓶」 大正6年(1917)

ゆらりと立ち上がった姿のチューリップを描いています。
「彩磁六方香爐」 昭和時代前期

口径6.5㎝の六角形の小さな器で、松竹梅が描かれています。
「彩磁延壽文花瓶」 昭和11年(1936)

青海波の地に吉祥文の桃の蕾、花、実を描いています。
波山は釉の色彩にも工夫を凝らしていて、白磁だけでも氷華磁・葆光白磁・
蛋殻磁・凝霜磁などさまざまなものがあります。
「天目茶碗 銘 命乞い」 昭和19年(1944)

波山は大正初め頃から茶陶の制作も始めています。
完全主義者で、焼き上がった作品に少しでも瑕があると容赦なく毀しています。
出光佐三は波山に頼み込んで、そのうちの幾つかを毀されないうちに
引き取ったそうです。
この茶碗もその一つで、おかげで命拾いしています。
「彩磁美男蔓水差」 昭和20年代

ビナンカズラを装飾的に面白く描いています。
波山は戦後も意欲的に制作を続けています。
「青磁下蕪花瓶」 昭和32年(1957)

龍泉窯に倣った伝統的な下蕪型の青磁で、植物模様を加えています。
葆光彩磁で有名な波山ですが、中国の青磁や白磁など幅広く研究しています。
「椿文茶碗」 昭和38年(1963)

91歳で亡くなった年の絶作で、大きな茶碗に大輪の椿と小さな蕾が
描かれています。
細密な描写の技はまったく衰えていません。
板谷波山の人柄を示す、故郷の町の戦死者の遺族に贈った小さな観音像や、
80歳になった老人に贈った白磁の鳩杖頭なども展示されています。
展覧会のHPです。
chariot
丸の内の出光美術館では「生誕150年 板谷波山展」が開かれています。
会期は8月21日(日)まで、開館時間は午後4時までです。
会期中、一部展示替えがあるので、展覧会のHPでご確認下さい。

日本の近代陶芸の代表者で、陶芸家として最初の文化勲章の受章者である
板谷波山(1872-1963)の作品、約140点を展示する、本格的な回顧展です。
出光美術館の創設者、出光佐三は板谷波山と親交があり、その作品を多く
所蔵しています。
板谷波山は茨城県の出身で、号の波山(はざん)は故郷の筑波山に
由来しています。
東京美術学校彫刻科を卒業し、石川県工業学校の彫刻科の教諭として赴任し、
そこで陶芸も教えたことから自身も陶芸に打ち込むようになります。
「棕櫚葉彫文花瓶」 大正3年(1914)

高さ46.2cmの大きな花瓶で、一面にびっしりと棕櫚の葉を彫り出しています。
葉と葉が重なって立体感があり、隙間には細かく雷文が彫られています。
東京美術学校の彫刻科の出身ということで、板谷波山は彫刻を施した作品を多く
制作しています。
東京美術学校では基礎科目として、絵画、漆芸、彫金、染色、織物などを学んでおり、
これが波山の作風の多彩さの元になっています。
「彩磁八ツ手文手焙」 明治時代末期~大正時代初期

大胆に八ツ手の葉を配した、アール・ヌーヴォー調の火鉢です。
板谷波山は19世紀の末に始まったアール・ヌーヴォーの時代に陶芸家に
なっているので、これを取入れた作品を多く作っています。
「葆光彩磁禽果文花瓶」 大正3年(1914)

板谷波山は葆光釉(ほこうゆう)といわれる、薄いヴェールのような釉薬を
掛けた技法で有名です。
器の中に光を閉じ込めているようなので、この名があります。
「葆光彩磁草花文花瓶」 大正6年(1917)

ゆらりと立ち上がった姿のチューリップを描いています。
「彩磁六方香爐」 昭和時代前期

口径6.5㎝の六角形の小さな器で、松竹梅が描かれています。
「彩磁延壽文花瓶」 昭和11年(1936)

青海波の地に吉祥文の桃の蕾、花、実を描いています。
波山は釉の色彩にも工夫を凝らしていて、白磁だけでも氷華磁・葆光白磁・
蛋殻磁・凝霜磁などさまざまなものがあります。
「天目茶碗 銘 命乞い」 昭和19年(1944)

波山は大正初め頃から茶陶の制作も始めています。
完全主義者で、焼き上がった作品に少しでも瑕があると容赦なく毀しています。
出光佐三は波山に頼み込んで、そのうちの幾つかを毀されないうちに
引き取ったそうです。
この茶碗もその一つで、おかげで命拾いしています。
「彩磁美男蔓水差」 昭和20年代

ビナンカズラを装飾的に面白く描いています。
波山は戦後も意欲的に制作を続けています。
「青磁下蕪花瓶」 昭和32年(1957)

龍泉窯に倣った伝統的な下蕪型の青磁で、植物模様を加えています。
葆光彩磁で有名な波山ですが、中国の青磁や白磁など幅広く研究しています。
「椿文茶碗」 昭和38年(1963)

91歳で亡くなった年の絶作で、大きな茶碗に大輪の椿と小さな蕾が
描かれています。
細密な描写の技はまったく衰えていません。
板谷波山の人柄を示す、故郷の町の戦死者の遺族に贈った小さな観音像や、
80歳になった老人に贈った白磁の鳩杖頭なども展示されています。
展覧会のHPです。
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ガラス工芸家の青木美歌さんが6月に逝去されました。
青木さんは1981年生まれで東京都出身、バーナーでガラスを熔かす、バーナーワークと
いう技法により制作されました。
透明なガラスを使い、バクテリア、ウイルス、細胞など、「生命」がテーマです。
ガラスという硬い素材を使いながら、さまざまな形で繊細で柔軟な生命を表現されて
います。
以下はこれまでの展覧会の記事です。
2017年のポーラ ミュージアム アネックスでの青木美歌「あなたに続く森」展

2019年の日本橋髙島屋美術画廊Xでの青木美歌「前触れの石」展

2020年のポーラ ミュージアム アネックスでの
「ポーラ ミュージアム アネックス展2020-透過と抵抗―」

2020年の東京都庭園美術館での「生命の庭―8人の現代作家が見つけた小宇宙」展

どれも印象に残る作品の数々です。
ご冥福をお祈りいたします。