上野
東京国立博物館の平成館では日中国交正常化50周年記念特別デジタル展
「故宮の世界」が開かれています。
会期は9月19日(月・祝)までです。

記事は3回に分け、今日は1/3を載せます。
会場は撮影可能です。
北京の故宮博物院は、かつては明・清の宮殿である紫禁城でした。
展覧会ではバーチャル・リアリティでこの壮大な紫禁城が再現されています。
中国の皇帝は世界の中心であり、その頭上には北極星が輝くという思想を表した
バーチャル・リアリティ画像が会場の最初に置かれています。


続いて、清時代の紫禁城を再現した「バーチャル紫禁城」が上映されています。

壮麗な宮殿が並んでいます。


保和殿には玉座が設けられ、「皇建有極」と書かれた清の乾隆帝の額が
掲げられてています。

中和殿には同じく乾隆帝の「充執厥中」の額が掲げられてています。

故宮博物院の所蔵する名品のうち約30点がデジタル多宝閣として、デジタル展示
されています。


「千里江山図巻」は宋時代末期の画家、王希孟が18歳の時に描いたとされる
全長12mの図巻です。
高さ約3mの画面に映し出すデジタル映像がゆっくりと流れ、故宮博物院でも滅多に
展示されないという貴重な作品をソファに座ってゆっくり鑑賞できます。


乾隆帝が「江山千里、望みて垠(はて)無し」と称賛した七言律詩を書入れています。

山の連なり

滝を眺める人

漁師たち

楼閣

旗を掲げた酒家

唐の詩人、杜牧の詩を思い出します。
千里鶯啼いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗の風
併せて何点か展示されている、東京国立博物館の所蔵する清の美術工芸については
次回に書きます。
展覧会のHPです。
同じ東京国立博物館の東洋館では「故宮 VR 紫禁城・天使の宮殿」が上映されています。
会期は10月16日(日)まで、観覧料は高校生以上600円です。

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東京国立博物館の平成館では日中国交正常化50周年記念特別デジタル展
「故宮の世界」が開かれています。
会期は9月19日(月・祝)までです。

記事は3回に分け、今日は1/3を載せます。
会場は撮影可能です。
北京の故宮博物院は、かつては明・清の宮殿である紫禁城でした。
展覧会ではバーチャル・リアリティでこの壮大な紫禁城が再現されています。
中国の皇帝は世界の中心であり、その頭上には北極星が輝くという思想を表した
バーチャル・リアリティ画像が会場の最初に置かれています。


続いて、清時代の紫禁城を再現した「バーチャル紫禁城」が上映されています。

壮麗な宮殿が並んでいます。


保和殿には玉座が設けられ、「皇建有極」と書かれた清の乾隆帝の額が
掲げられてています。

中和殿には同じく乾隆帝の「充執厥中」の額が掲げられてています。

故宮博物院の所蔵する名品のうち約30点がデジタル多宝閣として、デジタル展示
されています。


「千里江山図巻」は宋時代末期の画家、王希孟が18歳の時に描いたとされる
全長12mの図巻です。
高さ約3mの画面に映し出すデジタル映像がゆっくりと流れ、故宮博物院でも滅多に
展示されないという貴重な作品をソファに座ってゆっくり鑑賞できます。


乾隆帝が「江山千里、望みて垠(はて)無し」と称賛した七言律詩を書入れています。

山の連なり

滝を眺める人

漁師たち

楼閣

旗を掲げた酒家

唐の詩人、杜牧の詩を思い出します。
千里鶯啼いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗の風
併せて何点か展示されている、東京国立博物館の所蔵する清の美術工芸については
次回に書きます。
展覧会のHPです。
同じ東京国立博物館の東洋館では「故宮 VR 紫禁城・天使の宮殿」が上映されています。
会期は10月16日(日)まで、観覧料は高校生以上600円です。

日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「浅野井春奈展 Le Penseul」が開かれています。
会期は9月5日(月)までです。

浅野井春奈さん(1990-)は東京出身で、東京藝術大学を卒業、同大学院を修了し、
木彫による人物像を制作されています。
「Le Penseul」はフランス語で、考える人という意味です。
クスノキ材にアクリル絵具で着色した人物像で、七宝の目が入っています。
「le penseul-ロール2」

「le penseul-おさげ」

「le penseul-ショート」

左「starlight 1」 右「starlight 2」

「turquoise」

「watermelon」

「リボンタイ」

「gold sweater」

「singer」

可愛い姿の女性像ですが、クスノキの温かな質感は人物に生命感を与えています。
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日本橋髙島屋美術画廊Xでは「浅野井春奈展 Le Penseul」が開かれています。
会期は9月5日(月)までです。

浅野井春奈さん(1990-)は東京出身で、東京藝術大学を卒業、同大学院を修了し、
木彫による人物像を制作されています。
「Le Penseul」はフランス語で、考える人という意味です。
クスノキ材にアクリル絵具で着色した人物像で、七宝の目が入っています。
「le penseul-ロール2」

「le penseul-おさげ」

「le penseul-ショート」

左「starlight 1」 右「starlight 2」

「turquoise」

「watermelon」

「リボンタイ」

「gold sweater」

「singer」

可愛い姿の女性像ですが、クスノキの温かな質感は人物に生命感を与えています。
東京
丸善丸の内本店4階ギャラリーでは『葉っぱ切り絵絵本 素敵な空が見えるよ、明日もきっと』
刊行記念 リト@葉っぱ切り絵展が開かれています。
会期は8月30日(火)までです。

リト@葉っぱ切り絵さん(1986~)は自身のADHDによる偏った集中力やこだわりを
前向きに生かすために2020年から独学で葉っぱによる切り絵を制作されています。
会場には約80点の作品が展示されています。


「ほら、これでもう寒くないよ」


「大丈夫、クマちゃんきっとなおりますよ」


「いっぱい降ってきたよ、急いで急いで」


「いいかい、今度は食べちゃダメだよ」


葉っぱの切り絵という珍しい技法ですが、どれも優しく微笑ましい情景で、
見ていて心が和みます。
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丸善丸の内本店4階ギャラリーでは『葉っぱ切り絵絵本 素敵な空が見えるよ、明日もきっと』
刊行記念 リト@葉っぱ切り絵展が開かれています。
会期は8月30日(火)までです。

リト@葉っぱ切り絵さん(1986~)は自身のADHDによる偏った集中力やこだわりを
前向きに生かすために2020年から独学で葉っぱによる切り絵を制作されています。
会場には約80点の作品が展示されています。


「ほら、これでもう寒くないよ」


「大丈夫、クマちゃんきっとなおりますよ」


「いっぱい降ってきたよ、急いで急いで」


「いいかい、今度は食べちゃダメだよ」


葉っぱの切り絵という珍しい技法ですが、どれも優しく微笑ましい情景で、
見ていて心が和みます。
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湯島の文京区教育センターでは「蝶 -魅惑の昆虫-」の展示があります。
会期は10月31日(月)まで、日曜祝日はお休みです。
場所は文京区湯島4丁目7番10号です。



元文部大臣の鳩山邦夫氏(1948―2016)により採集・飼育され、東京大学総合研究
博物館に寄贈された蝶の標本などを基に、鳥類研究を紹介する展示です。
幼少時から蝶が好きだったが、衆議院として2期目となる1979年の総選挙で落選した時、
庭に出て将来について考えていたら、アカタテハが頭の上を飛んで去って行ったのを
天啓として捉え、以後生涯にわたって蝶の研究を続けることになったそうです。
鳩山氏が蝶になった夢を見たのか、蝶が鳩山氏になった夢を見たのか、
荘子の胡蝶の夢を思い出す話です。
この下に蝶の標本の写真が並びます。
蝶と蛾の違い

蝶は蛾のグループの中のごく一部で、蝶と蛾の区別は胴が細いか太いかとか、
羽根を閉じて止まるか広げて止まるかといった簡単なものではないそうです。
蝶の隠蔽擬態

日本産ギフチョウ属の分布と地理的変異

渡りをする蝶

地球温暖化と食樹の植栽で北上する蝶

環境省「種の保存法」の国内希少動植物種に指定されている蝶

鳩山氏が飼育技術を開発した絶滅危惧蝶類

蝶の世界の奥深さ、研究者としての鳩山郁夫氏の業績など、あれこれ知ることが出来て、
なかなか面白い展示です。
展示のHPです。
京橋・東京
京橋のアーティゾン美術館では「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展が
開かれています。
会期は10月16日(日)までです。
9月11日までの前期と13日からの後期で一部展示替えがありますので、展覧会の
HPでご確認下さい。

青木繁(1882-1912)と坂本繁二郎(1882-1969)は同じ年に共に久留米藩士の子として
久留米に生まれています。
同じ久留米が発祥の地で、二人と関係の深いアーティゾン美術館による、生誕140年を
記念しての展覧会です。
坂本繁二郎は幼い頃から絵の才能を認められていました。
小学校の同級で東京美術学校に学んでいた青木繁が1902年に一時帰郷していた時に、
その絵を見て画技の上達に驚き、青木と共に上京して、青木も学んだことのある
小山正太郎(1875-1916)の不同舎に入塾しています。
青木繁 「坂本繁二郎像」 1902年 個人蔵

坂本繁二郎 「帽子を持てる女」 1923年 アーティゾン美術館

1921年に小出楢重(1887-1931)と同じ船でフランスに渡り、1924年に帰国しています。
フランスでは印象派に魅せられ、明るく柔らかな色彩の作品を描いています。
坂本繁二郎 「放牧三馬」 1932年 アーティゾン美術館

1924年にフランス留学から帰ると郷里の久留米に戻り、以後は九州で制作を続けました。
阿蘇や雲仙で放牧されている馬をよく描いています。
色数は抑えられ、それぞれの色が溶け合って、柔らかな色調になっています。
坂本繁二郎 「能面と鼓の胴」 1962年 アーティゾン美術館

謡曲本の上に能面と鼓の胴が置かれているという、洋画には珍しい画題です。
青木繁もよく水彩で能面や舞楽面を描いています。
坂本繁二郎 「牛」 1919-65年 個人蔵

牛の背中に当たる日の光が影をつくり、面白い形になっています。
坂本繁二郎 「月」 1966年 無量寿院(福岡県立美術館寄託)

海の上の空に月と星が浮かぶ、幻想的な情景です。
坂本繁二郎は八女にアトリエを構え、墓所も八女の無量寿院にあります。
坂本繁二郎 「幽光」 1969年 アーティゾン美術館

坂本繁二郎の絶筆です。
親友であり、ライヴァルであった青木繁が短い生涯の間に劇的な作品を遺したのに対し、
坂本繫二郎は安定した作風で87歳まで描き続けています。
青木繁の作品については2011年にアーティゾン美術館の前身のブリヂストン美術館で
開かれた「没後100年 青木繁展-よみがえる神話と芸術」の記事に書きました。
なお、青木繁の「ランプ」と「谷ちか夫人像」は今回、展示されていません。
青木繁 「海の幸」 1904年 アーティゾン美術館 重要文化財

青木繁 「わだつみのいろこの宮」 1907年 アーティゾン美術館 重要文化財

「没後100年 青木繁展-よみがえる神話と芸術」の記事です。
展覧会のHPです。
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京橋のアーティゾン美術館では「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展が
開かれています。
会期は10月16日(日)までです。
9月11日までの前期と13日からの後期で一部展示替えがありますので、展覧会の
HPでご確認下さい。

青木繁(1882-1912)と坂本繁二郎(1882-1969)は同じ年に共に久留米藩士の子として
久留米に生まれています。
同じ久留米が発祥の地で、二人と関係の深いアーティゾン美術館による、生誕140年を
記念しての展覧会です。
坂本繁二郎は幼い頃から絵の才能を認められていました。
小学校の同級で東京美術学校に学んでいた青木繁が1902年に一時帰郷していた時に、
その絵を見て画技の上達に驚き、青木と共に上京して、青木も学んだことのある
小山正太郎(1875-1916)の不同舎に入塾しています。
青木繁 「坂本繁二郎像」 1902年 個人蔵

坂本繁二郎 「帽子を持てる女」 1923年 アーティゾン美術館

1921年に小出楢重(1887-1931)と同じ船でフランスに渡り、1924年に帰国しています。
フランスでは印象派に魅せられ、明るく柔らかな色彩の作品を描いています。
坂本繁二郎 「放牧三馬」 1932年 アーティゾン美術館

1924年にフランス留学から帰ると郷里の久留米に戻り、以後は九州で制作を続けました。
阿蘇や雲仙で放牧されている馬をよく描いています。
色数は抑えられ、それぞれの色が溶け合って、柔らかな色調になっています。
坂本繁二郎 「能面と鼓の胴」 1962年 アーティゾン美術館

謡曲本の上に能面と鼓の胴が置かれているという、洋画には珍しい画題です。
青木繁もよく水彩で能面や舞楽面を描いています。
坂本繁二郎 「牛」 1919-65年 個人蔵

牛の背中に当たる日の光が影をつくり、面白い形になっています。
坂本繁二郎 「月」 1966年 無量寿院(福岡県立美術館寄託)

海の上の空に月と星が浮かぶ、幻想的な情景です。
坂本繁二郎は八女にアトリエを構え、墓所も八女の無量寿院にあります。
坂本繁二郎 「幽光」 1969年 アーティゾン美術館

坂本繁二郎の絶筆です。
親友であり、ライヴァルであった青木繁が短い生涯の間に劇的な作品を遺したのに対し、
坂本繫二郎は安定した作風で87歳まで描き続けています。
青木繁の作品については2011年にアーティゾン美術館の前身のブリヂストン美術館で
開かれた「没後100年 青木繁展-よみがえる神話と芸術」の記事に書きました。
なお、青木繁の「ランプ」と「谷ちか夫人像」は今回、展示されていません。
青木繁 「海の幸」 1904年 アーティゾン美術館 重要文化財

青木繁 「わだつみのいろこの宮」 1907年 アーティゾン美術館 重要文化財

「没後100年 青木繁展-よみがえる神話と芸術」の記事です。
展覧会のHPです。
東京
日本橋の「東京長浜観音堂」は今年の2月に一旦、閉館されていましたが、5月に
再開しました。
東京駅八重洲口からさくら通りを進み、小路を左に入った八重洲セントラルビルの
4階にあります。
場所は中央区日本橋2-3-21です。
8月3日から8月31日までは高月町井口の日吉神社の十一面観音坐像をはじめ
5体が展示されています。

円満寺(日吉神社)には中世、神仏習合期の像、19体が伝えられています。
日吉山王二十一社」の本地仏と垂迹神で、21体あったものが2体失われています。

他の4体は以下の通りです。
右前 男神形立像(猿田彦大神:さるたひこおおかみ)
左前 童子形立像(神素盞戔嗚尊:かむすさのおのみこと)
右奥 天女形立像(大山祇尊:おおやまつみのみこと)
左奥 千手観音坐像(国狹槌尊:くにさつちのみこと)
中心の十一面観音坐像は伊弉冉尊(いざなみのみこと)の本地仏で、鎌倉時代の作、
金箔と彩色が施され、玉眼が入っています。

像の台座と背中には社名と神名が書かれています。

二十一社の中で本来第5位の十一面観音坐像が一番大きいのは当地の独自の
信仰によるものではないかということで、湖北地方に観音像が多く残されているのは、
かつて己高山(こだかみやま)で盛んだった山岳信仰の影響と思われるとのことです。
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日本橋の「東京長浜観音堂」は今年の2月に一旦、閉館されていましたが、5月に
再開しました。
東京駅八重洲口からさくら通りを進み、小路を左に入った八重洲セントラルビルの
4階にあります。
場所は中央区日本橋2-3-21です。
8月3日から8月31日までは高月町井口の日吉神社の十一面観音坐像をはじめ
5体が展示されています。

円満寺(日吉神社)には中世、神仏習合期の像、19体が伝えられています。
日吉山王二十一社」の本地仏と垂迹神で、21体あったものが2体失われています。

他の4体は以下の通りです。
右前 男神形立像(猿田彦大神:さるたひこおおかみ)
左前 童子形立像(神素盞戔嗚尊:かむすさのおのみこと)
右奥 天女形立像(大山祇尊:おおやまつみのみこと)
左奥 千手観音坐像(国狹槌尊:くにさつちのみこと)
中心の十一面観音坐像は伊弉冉尊(いざなみのみこと)の本地仏で、鎌倉時代の作、
金箔と彩色が施され、玉眼が入っています。

像の台座と背中には社名と神名が書かれています。

二十一社の中で本来第5位の十一面観音坐像が一番大きいのは当地の独自の
信仰によるものではないかということで、湖北地方に観音像が多く残されているのは、
かつて己高山(こだかみやま)で盛んだった山岳信仰の影響と思われるとのことです。
湯島
湯島の国立近現代建築資料館では、『「こどもの国」のデザイン』展が開かれています。
会期は8月28日(日)まで、入館は無料です。
場所は文京区湯島4-6-15で、旧岩崎邸庭園に隣接しています。
資料館へのアクセスは少し難しいので、資料館のHPで、ご確認下さい。


1965年に開園した児童厚生施設「こどもの国」(横浜市青葉区)の建築についての
展覧会です。
「こどもの国」は当時の皇太子殿下(現上皇陛下)のご成婚に際し全国から集まった
お祝い金や国費を基に、殿下の要望で子供のための施設として建設されています。
多摩丘陵にあった旧日本陸軍弾薬庫の土地を再開発して、約100ヘクタールの施設と
しています。
メタボリズム(新陳代謝)という建築思想を持った若い建築家たちによる開園当時の
施設の設計図などが展示されています。
メタボリズムとは建築も増築などにより生物のように成長するという思想です。
全体図

浅田孝 「皇太子記念館」



イサム・ノグチ 遊具「ピラミッド」

菊竹清訓 「林間学校」



菊竹清訓は江戸東京博物館を設計しています。
黒川紀章 「セントラルロッジ」


黒川紀章 「アンデルセン記念の家」

黒川紀章 「フラワーシェルター」

私のよく行く国立新美術館を設計した黒川紀章の若い時期の作品が
幾つもありました。
***
資料館が近年収蔵した資料を紹介展示するコーナーを設けてあります。
ブルーノ・タウトから岸田日出刀に宛てた書簡

岸田日出刀は東京大学安田講堂を設計しています。
岸田日出刀 本願寺津村別院立面図 1960年頃

吉田鉄郎 城端郵便局各階平面図及建築断面図 1920年

吉田鉄郎は東京中央郵便局を設計しています。
2019年に同じ国立近現代建築資料館で開かれた「吉田鉄郎の近代
モダニズムと伝統の架け橋」展の記事です。
展覧会のHPです。
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湯島の国立近現代建築資料館では、『「こどもの国」のデザイン』展が開かれています。
会期は8月28日(日)まで、入館は無料です。
場所は文京区湯島4-6-15で、旧岩崎邸庭園に隣接しています。
資料館へのアクセスは少し難しいので、資料館のHPで、ご確認下さい。


1965年に開園した児童厚生施設「こどもの国」(横浜市青葉区)の建築についての
展覧会です。
「こどもの国」は当時の皇太子殿下(現上皇陛下)のご成婚に際し全国から集まった
お祝い金や国費を基に、殿下の要望で子供のための施設として建設されています。
多摩丘陵にあった旧日本陸軍弾薬庫の土地を再開発して、約100ヘクタールの施設と
しています。
メタボリズム(新陳代謝)という建築思想を持った若い建築家たちによる開園当時の
施設の設計図などが展示されています。
メタボリズムとは建築も増築などにより生物のように成長するという思想です。
全体図

浅田孝 「皇太子記念館」



イサム・ノグチ 遊具「ピラミッド」

菊竹清訓 「林間学校」



菊竹清訓は江戸東京博物館を設計しています。
黒川紀章 「セントラルロッジ」


黒川紀章 「アンデルセン記念の家」

黒川紀章 「フラワーシェルター」

私のよく行く国立新美術館を設計した黒川紀章の若い時期の作品が
幾つもありました。
***
資料館が近年収蔵した資料を紹介展示するコーナーを設けてあります。
ブルーノ・タウトから岸田日出刀に宛てた書簡

岸田日出刀は東京大学安田講堂を設計しています。
岸田日出刀 本願寺津村別院立面図 1960年頃

吉田鉄郎 城端郵便局各階平面図及建築断面図 1920年

吉田鉄郎は東京中央郵便局を設計しています。
2019年に同じ国立近現代建築資料館で開かれた「吉田鉄郎の近代
モダニズムと伝統の架け橋」展の記事です。
展覧会のHPです。
新橋・汐留
パナソニック汐留美術館では「キース・ヴァン・ドンゲン展―フォーヴィスムから
レザネフォル」が開かれています。
会期は9月25日(日)まで、休館日は水曜日です。

キース・ヴァン・ドンゲン(1877 – 1968)はオランダ生まれの画家で、エコール・ド・パリの
画家の一人とされ、都会的な作風で知られています。
レザネフォル(狂騒の時代)とはヴァン・ドンゲンの活躍した、第1次世界大戦が終り、
ヨーロッパが平和と繁栄を謳歌し、それが世界大恐慌で終わる1920年代のことです。
「突風」(『ル・ジュルナル・プール・トゥス』挿絵) 1901年 ギャラリーバイイー

パリに出て新聞や雑誌に挿絵を描いていた頃の作品で、都会の風俗を手早く
描き上げています。
「ムーラン・ルージュ または 遊歩回廊」 1904年頃 マダム・プロシュ・コレクション

色調が明快で、関心は都会というものに向いています。
「パリジェンヌ または 美の小径」 1907-09年頃
デヴィッド & エズラ・ナーマッド・コレクション

強い色彩でフォーヴィスム的ですが、テーマは女性とファッションになっています。
「羽飾り帽の婦人」 1910年 大谷コレクション

靴を脱ぎ、派手な帽子を被った裸婦という、変わった図柄です。
退廃めいた妖しさがあります。
「楽しみ」 1914年 グルノーブル美術館

大きな作品で、女性が筆とパレットを持ってキャンバスに向かっています。
画面を左右に分けるようにして立つ女性はとても足が長く、肩から腕の線も
流れるようです。
斬新な画面構成で、配色も面白く、壁の絵や象の置物がエキゾチックな
雰囲気を醸し出しています。
「ラ・ぺ通り または パリのラ・ぺ通り」 1918年頃
デヴィッド & エズラ・ナーマッド・コレクション

ラ・ぺ通りは宝飾品店などの並ぶ商店街です。
1918年は第1次世界大戦の終わった年で、着飾った人たちが犬を連れて
賑やかに往来しています。
「女曲馬師(または エドメ・デイヴィス嬢)」 1920-25年 ディエップ城美術館

大きな作品で、緑色を効果的に使って、ステージ衣装のモデルを力強くぐいぐいと
描き出しています。
大胆な構図で、顔を小さく、手足を長くデフォルメして描くところがヴァン・ドンゲンの
魅力です。
「ピンク色のドレスの女性」 1925年頃 パリ市立近代美術館

ヴァン・ドンゲンはこのようなさらりとした作品も描いています。
「ドゥルイイー指揮官夫人の肖像」 1926年 プチ・パレ美術館友の会

売れっ子だったヴァン・ドンゲンは注文を受けた作品も描いています。
大きな作品で、毛皮のコートを椅子に掛けた上流の女性ですが、意思の強そうな
きりりとした表情を見せています。
キース・ヴァン・ドンゲンのセンスあふれる作品とと共に、当時の時代の雰囲気を
味わえる展覧会です。
展覧会のHPです。
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パナソニック汐留美術館では「キース・ヴァン・ドンゲン展―フォーヴィスムから
レザネフォル」が開かれています。
会期は9月25日(日)まで、休館日は水曜日です。

キース・ヴァン・ドンゲン(1877 – 1968)はオランダ生まれの画家で、エコール・ド・パリの
画家の一人とされ、都会的な作風で知られています。
レザネフォル(狂騒の時代)とはヴァン・ドンゲンの活躍した、第1次世界大戦が終り、
ヨーロッパが平和と繁栄を謳歌し、それが世界大恐慌で終わる1920年代のことです。
「突風」(『ル・ジュルナル・プール・トゥス』挿絵) 1901年 ギャラリーバイイー

パリに出て新聞や雑誌に挿絵を描いていた頃の作品で、都会の風俗を手早く
描き上げています。
「ムーラン・ルージュ または 遊歩回廊」 1904年頃 マダム・プロシュ・コレクション

色調が明快で、関心は都会というものに向いています。
「パリジェンヌ または 美の小径」 1907-09年頃
デヴィッド & エズラ・ナーマッド・コレクション

強い色彩でフォーヴィスム的ですが、テーマは女性とファッションになっています。
「羽飾り帽の婦人」 1910年 大谷コレクション

靴を脱ぎ、派手な帽子を被った裸婦という、変わった図柄です。
退廃めいた妖しさがあります。
「楽しみ」 1914年 グルノーブル美術館

大きな作品で、女性が筆とパレットを持ってキャンバスに向かっています。
画面を左右に分けるようにして立つ女性はとても足が長く、肩から腕の線も
流れるようです。
斬新な画面構成で、配色も面白く、壁の絵や象の置物がエキゾチックな
雰囲気を醸し出しています。
「ラ・ぺ通り または パリのラ・ぺ通り」 1918年頃
デヴィッド & エズラ・ナーマッド・コレクション

ラ・ぺ通りは宝飾品店などの並ぶ商店街です。
1918年は第1次世界大戦の終わった年で、着飾った人たちが犬を連れて
賑やかに往来しています。
「女曲馬師(または エドメ・デイヴィス嬢)」 1920-25年 ディエップ城美術館

大きな作品で、緑色を効果的に使って、ステージ衣装のモデルを力強くぐいぐいと
描き出しています。
大胆な構図で、顔を小さく、手足を長くデフォルメして描くところがヴァン・ドンゲンの
魅力です。
「ピンク色のドレスの女性」 1925年頃 パリ市立近代美術館

ヴァン・ドンゲンはこのようなさらりとした作品も描いています。
「ドゥルイイー指揮官夫人の肖像」 1926年 プチ・パレ美術館友の会

売れっ子だったヴァン・ドンゲンは注文を受けた作品も描いています。
大きな作品で、毛皮のコートを椅子に掛けた上流の女性ですが、意思の強そうな
きりりとした表情を見せています。
キース・ヴァン・ドンゲンのセンスあふれる作品とと共に、当時の時代の雰囲気を
味わえる展覧会です。
展覧会のHPです。
竹橋
東京国立近代美術館では太平洋戦争の戦争画を何点かずつ展示されていますが、
日本画が展示されることもあります。
その画家が同じ時期に描いた穏やかな作品も一緒に展示されていました。
山口蓬春 「香港島最後の総攻撃図」 昭和17年(1942)

昭和16年12月のイギリス領香港への攻撃が題材で、陥落3日前の状況とのことです。
迫真性を求められる戦争画には不向きと言われる日本画で何とか描こうとする努力が
見て取れます。
山上の要塞の燃える様はヒエロニムス・ボスを思わせます。
山口蓬春 「残寒」 昭和17年(1942)

吉岡堅二 「カリジャティ西方の爆撃」 昭和17年(1942)

カリジャティはインドネシアのバンドンの北にあり、オランダ軍の飛行場がありました。
昭和17年に日本軍は蘭印(オランダ領東インド)を攻略し、オランダ軍は3月に
カリジャティで降伏を受け容れています。
この時の模様は小磯良平の「カリジャティ会見図」として残っています。
吉岡堅二 「雉子」 昭和17年(1942)

福田豊四郎 「英領ボルネオを衝く」 昭和17年(1942)頃

昭和16年12月のイギリス領ボルネオへの上陸作戦を描いています。
福田豊四郎は吉岡堅二と共に従軍画家として中国にも行っています。
福田豊四郎 「黄蜀葵(とろろあおい)」 昭和17年(1942)

小堀安雄 「イサベル島沖海戦」 昭和18年(1943)

イサベル島沖海戦は昭和18年の日本軍のガダルカナル島からの撤退作戦の一部で、
海軍航空隊がアメリカ軍の駆逐艦1隻を撃沈し、1隻に損傷を与えたものです。
川端龍子 「輸送船団海南島出発」 昭和19年(1944)頃

海南島から鉄鉱石を積んだ船団が出発するところです。
空には日月が浮かび、前面には南十字星が描かれています。
戦争末期になると日本の輸送船はアメリカ軍の潜水艦などにより次々沈められ、
輸送も決死の覚悟が必要になりました。
川端龍子の息子は戦地で亡くなり、同じ日本画家の小野竹喬の息子は戦死しています。
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東京国立近代美術館では太平洋戦争の戦争画を何点かずつ展示されていますが、
日本画が展示されることもあります。
その画家が同じ時期に描いた穏やかな作品も一緒に展示されていました。
山口蓬春 「香港島最後の総攻撃図」 昭和17年(1942)

昭和16年12月のイギリス領香港への攻撃が題材で、陥落3日前の状況とのことです。
迫真性を求められる戦争画には不向きと言われる日本画で何とか描こうとする努力が
見て取れます。
山上の要塞の燃える様はヒエロニムス・ボスを思わせます。
山口蓬春 「残寒」 昭和17年(1942)

吉岡堅二 「カリジャティ西方の爆撃」 昭和17年(1942)

カリジャティはインドネシアのバンドンの北にあり、オランダ軍の飛行場がありました。
昭和17年に日本軍は蘭印(オランダ領東インド)を攻略し、オランダ軍は3月に
カリジャティで降伏を受け容れています。
この時の模様は小磯良平の「カリジャティ会見図」として残っています。
吉岡堅二 「雉子」 昭和17年(1942)

福田豊四郎 「英領ボルネオを衝く」 昭和17年(1942)頃

昭和16年12月のイギリス領ボルネオへの上陸作戦を描いています。
福田豊四郎は吉岡堅二と共に従軍画家として中国にも行っています。
福田豊四郎 「黄蜀葵(とろろあおい)」 昭和17年(1942)

小堀安雄 「イサベル島沖海戦」 昭和18年(1943)

イサベル島沖海戦は昭和18年の日本軍のガダルカナル島からの撤退作戦の一部で、
海軍航空隊がアメリカ軍の駆逐艦1隻を撃沈し、1隻に損傷を与えたものです。
川端龍子 「輸送船団海南島出発」 昭和19年(1944)頃

海南島から鉄鉱石を積んだ船団が出発するところです。
空には日月が浮かび、前面には南十字星が描かれています。
戦争末期になると日本の輸送船はアメリカ軍の潜水艦などにより次々沈められ、
輸送も決死の覚悟が必要になりました。
川端龍子の息子は戦地で亡くなり、同じ日本画家の小野竹喬の息子は戦死しています。