上野
東京国立博物館本館の総合文化展(平常展)が11月に展示替えになったので
行ってきました。
3回に分けて記事にします。
4時頃にはもう夕暮れ近くなっています。

「准胝観音像」 平安時代・12世紀 重要文化財

准胝観音は密教や禅宗、浄土宗でも信仰されています。
周囲に四天王像を配し截金も施して、細緻に描き込まれています。
三目十八臂のことが多い像ですが、この像は二目八臂という珍しい姿です。
「愛染明王像」 鎌倉時代・13世紀

愛染明王は恋愛、縁結びを司るとされ、一面六臂、忿怒相で表されます。
「五髻文殊菩薩像」 鎌倉時代・14世紀

髻(もとどり)を結った文殊菩薩は密教で用いられ、多くは少年で、
右手に剣、左手に蓮華の先に載せたお経を持つ姿で表されます。
電力王と呼ばれた実業家の松永安左エ門(耳庵)の寄贈です。
「真如法親王像」 鎌倉時代 14世紀


真如法親王(高岳親王、799~865?)は平城天皇の第3皇子で、
一度は皇太子となりますが、薬子の変に巻き込まれて、皇太子を
廃されます。
親王は仏門に入り、空海の弟子となり、その後、唐に渡ります。
唐での衰微した仏教に飽き足らず、さらに天竺(インド)を目指し、
広州を出帆しますが、その後の消息は分からなくなります。
どうも、現在のマレー半島で亡くなったらしいとされています。
虎に襲われて亡くなったという、鎌倉時代に広まった説に
基いて描かれた、珍しい絵です。
「因幡堂薬師縁起絵」 鎌倉時代・14世紀 重要文化財
京都の平等寺(因幡堂)の縁起を描いた絵巻です。
病となった橘行平が因幡国の賀留津の浜で海から薬師如来像を引揚げ、
行平が京に戻ると観音像もそれを追って飛んで来たので、御堂を建てて
祀ったのが因幡堂の始まりとなっています。
橘行平が帝の命で因幡国に下向。

病となった行平の夢に霊仏が現れ、賀留津の浜の霊木を都に安置すれば
病が治ると告げる。

厩に2頭の馬がいるのが見えます。
行平が夢のお告げに従って賀留津の浜で引き揚げたのは薬師如来像だった。

漁師らしい男たちが網を曳いています。
行平が六年もの間、薬師像を安置しなかったので、薬師如来が自ら雲に乗って
屋敷に飛んで来る。

警護の者は薙刀を持ち、腹巻を着けています。
行平は祖父の邸宅に薬師像を安置する。

薬師如来が再び行平の屋敷を訪れたので、行平は自邸を仏堂として祀る。

国司となった行平は再び因幡を訪れる。

この場面は私が子供の頃読んだ「交通の図鑑」にも載っていました。
この薬師如来は今も平等寺にあり、重要文化財に指定されています。
実際には国司の橘行平が在地の豪族因幡氏を滅ぼした時、因幡氏の氏寺にあった
薬師如来像を京都に持ち去ったのではないかとされています。
以下は絵巻の断簡です。
「山王霊験記絵巻断簡」 伝六角寂済筆 室町時代・15世紀

近江の日吉山王社の霊験譚を描いた絵巻の断簡とされていますが、
他の山王霊験記絵巻にはこれと同じ場面がありません。
作品名も作者名も箱書によるもので、別の絵巻の断簡だった可能性が
あるとのことです。
騎馬の武士や米俵を載せた馬を牽く馬借が見えます。
「北野天神縁起絵巻(建治本)断簡」 鎌倉時代・建治3年(1277)

北野天満宮の御旅所の前を仁和寺の阿闍梨が牛車に乗ったまま通り過ぎようとしたら、
牛が突然死んでしまったという場面です。
手綱を持った牛飼い童も驚いています。
祭神の菅原道真は今では学問の神様ですが、昔は恐ろしい祟り神でした。
「北野天神縁起絵巻断簡」 鎌倉時代・14世紀

自分を讒言した藤原時平を呪い殺そうとする菅原道真の亡霊を
天台座主の尊意が防ぎます。
怒った道真が口に含んだ柘榴の実を吐き出すと炎になりますが、
尊意は法力でそれを消します。
「融通念仏縁起絵巻断簡」 南北朝時代・14世紀 重要美術品

良忍の広めた融通念仏の教えが動物にも伝わったという場面で、
良忍のいる縁先に鼠と鳶がやって来て、屋根には毘沙門天が現れます。
chariot
東京国立博物館本館の総合文化展(平常展)が11月に展示替えになったので
行ってきました。
3回に分けて記事にします。
4時頃にはもう夕暮れ近くなっています。

「准胝観音像」 平安時代・12世紀 重要文化財

准胝観音は密教や禅宗、浄土宗でも信仰されています。
周囲に四天王像を配し截金も施して、細緻に描き込まれています。
三目十八臂のことが多い像ですが、この像は二目八臂という珍しい姿です。
「愛染明王像」 鎌倉時代・13世紀

愛染明王は恋愛、縁結びを司るとされ、一面六臂、忿怒相で表されます。
「五髻文殊菩薩像」 鎌倉時代・14世紀

髻(もとどり)を結った文殊菩薩は密教で用いられ、多くは少年で、
右手に剣、左手に蓮華の先に載せたお経を持つ姿で表されます。
電力王と呼ばれた実業家の松永安左エ門(耳庵)の寄贈です。
「真如法親王像」 鎌倉時代 14世紀


真如法親王(高岳親王、799~865?)は平城天皇の第3皇子で、
一度は皇太子となりますが、薬子の変に巻き込まれて、皇太子を
廃されます。
親王は仏門に入り、空海の弟子となり、その後、唐に渡ります。
唐での衰微した仏教に飽き足らず、さらに天竺(インド)を目指し、
広州を出帆しますが、その後の消息は分からなくなります。
どうも、現在のマレー半島で亡くなったらしいとされています。
虎に襲われて亡くなったという、鎌倉時代に広まった説に
基いて描かれた、珍しい絵です。
「因幡堂薬師縁起絵」 鎌倉時代・14世紀 重要文化財
京都の平等寺(因幡堂)の縁起を描いた絵巻です。
病となった橘行平が因幡国の賀留津の浜で海から薬師如来像を引揚げ、
行平が京に戻ると観音像もそれを追って飛んで来たので、御堂を建てて
祀ったのが因幡堂の始まりとなっています。
橘行平が帝の命で因幡国に下向。

病となった行平の夢に霊仏が現れ、賀留津の浜の霊木を都に安置すれば
病が治ると告げる。

厩に2頭の馬がいるのが見えます。
行平が夢のお告げに従って賀留津の浜で引き揚げたのは薬師如来像だった。

漁師らしい男たちが網を曳いています。
行平が六年もの間、薬師像を安置しなかったので、薬師如来が自ら雲に乗って
屋敷に飛んで来る。

警護の者は薙刀を持ち、腹巻を着けています。
行平は祖父の邸宅に薬師像を安置する。

薬師如来が再び行平の屋敷を訪れたので、行平は自邸を仏堂として祀る。

国司となった行平は再び因幡を訪れる。

この場面は私が子供の頃読んだ「交通の図鑑」にも載っていました。
この薬師如来は今も平等寺にあり、重要文化財に指定されています。
実際には国司の橘行平が在地の豪族因幡氏を滅ぼした時、因幡氏の氏寺にあった
薬師如来像を京都に持ち去ったのではないかとされています。
以下は絵巻の断簡です。
「山王霊験記絵巻断簡」 伝六角寂済筆 室町時代・15世紀

近江の日吉山王社の霊験譚を描いた絵巻の断簡とされていますが、
他の山王霊験記絵巻にはこれと同じ場面がありません。
作品名も作者名も箱書によるもので、別の絵巻の断簡だった可能性が
あるとのことです。
騎馬の武士や米俵を載せた馬を牽く馬借が見えます。
「北野天神縁起絵巻(建治本)断簡」 鎌倉時代・建治3年(1277)

北野天満宮の御旅所の前を仁和寺の阿闍梨が牛車に乗ったまま通り過ぎようとしたら、
牛が突然死んでしまったという場面です。
手綱を持った牛飼い童も驚いています。
祭神の菅原道真は今では学問の神様ですが、昔は恐ろしい祟り神でした。
「北野天神縁起絵巻断簡」 鎌倉時代・14世紀

自分を讒言した藤原時平を呪い殺そうとする菅原道真の亡霊を
天台座主の尊意が防ぎます。
怒った道真が口に含んだ柘榴の実を吐き出すと炎になりますが、
尊意は法力でそれを消します。
「融通念仏縁起絵巻断簡」 南北朝時代・14世紀 重要美術品

良忍の広めた融通念仏の教えが動物にも伝わったという場面で、
良忍のいる縁先に鼠と鳶がやって来て、屋根には毘沙門天が現れます。
銀座一丁目
銀座のポーラ ミュージアム アネックスではチャリティオークション
「Spring is around the corner」展が開かれています。
会期は12月4日(日)まで、会期中は無休です。

3回目の今年はウクライナの子どもたちへの支援を目的としているとのことで、
春をテーマに20名の作家の作品が展示販売されています。
3回目の今年はウクライナの子どもたちへの支援を目的としているとのことです。

イイノナホ 「母子像(人性本能)」

イイノナホさんはガラス工芸作家です。
2019年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた「時の花-イイノナホ展-」の記事です。
菊池敏正 「空間充填‐004」

舘鼻則孝 「Baby Heelless Shoes」

舘鼻則孝さんはヒールレスシューズが評判になりました。
2019年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた
「舘鼻則孝 It's always the others who die」展の記事です。
田中圭介 「Book of Happiness」

中村弘峰 「バセットハウンドとギフチョウ」

中村弘峰さんは博多人形作家でもあります。
2019年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた「中村弘峰 SUMMER SPIRITS」展の記事です。
中村萌 「sprouts of spring」

中村萌さんは彩色した木彫を制作されています。
2021年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた
中村萌 「our whereabouts 私たちの行方」展の記事です。
野口哲哉 「yellow earth and blue sky」

野口哲哉さんは現代風景の中で暮らす鎧武者の人形や絵画で有名です。
ウクライナカラ―になっています。
2022年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた
野口哲哉「this is not a samurai」展の記事です。
増田セバスチャン 「Peace Piece-Spring-」

水野里奈 「暖かな晴天の日」

水野里奈さんは細密で華やかな画面の絵を描かれています。
2019年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた「水野里奈展」の記事です。
渡辺おさむ 「春」

渡辺おさむさんは洋菓子を飾るスイーツデコの技術を基に、いろいろな物を
お菓子で飾りつけるフェイク・クリーム・アートを制作されています。
春日大社の「春日神鹿御正体」の姿に倣っています。
2014年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた渡辺おさむ「Sweets Sentiment」展の記事です。
展覧会のHPです。
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銀座のポーラ ミュージアム アネックスではチャリティオークション
「Spring is around the corner」展が開かれています。
会期は12月4日(日)まで、会期中は無休です。

3回目の今年はウクライナの子どもたちへの支援を目的としているとのことで、
春をテーマに20名の作家の作品が展示販売されています。
3回目の今年はウクライナの子どもたちへの支援を目的としているとのことです。

イイノナホ 「母子像(人性本能)」

イイノナホさんはガラス工芸作家です。
2019年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた「時の花-イイノナホ展-」の記事です。
菊池敏正 「空間充填‐004」

舘鼻則孝 「Baby Heelless Shoes」

舘鼻則孝さんはヒールレスシューズが評判になりました。
2019年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた
「舘鼻則孝 It's always the others who die」展の記事です。
田中圭介 「Book of Happiness」

中村弘峰 「バセットハウンドとギフチョウ」

中村弘峰さんは博多人形作家でもあります。
2019年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた「中村弘峰 SUMMER SPIRITS」展の記事です。
中村萌 「sprouts of spring」

中村萌さんは彩色した木彫を制作されています。
2021年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた
中村萌 「our whereabouts 私たちの行方」展の記事です。
野口哲哉 「yellow earth and blue sky」

野口哲哉さんは現代風景の中で暮らす鎧武者の人形や絵画で有名です。
ウクライナカラ―になっています。
2022年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた
野口哲哉「this is not a samurai」展の記事です。
増田セバスチャン 「Peace Piece-Spring-」

水野里奈 「暖かな晴天の日」

水野里奈さんは細密で華やかな画面の絵を描かれています。
2019年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた「水野里奈展」の記事です。
渡辺おさむ 「春」

渡辺おさむさんは洋菓子を飾るスイーツデコの技術を基に、いろいろな物を
お菓子で飾りつけるフェイク・クリーム・アートを制作されています。
春日大社の「春日神鹿御正体」の姿に倣っています。
2014年にポーラ ミュージアム アネックスで開かれた渡辺おさむ「Sweets Sentiment」展の記事です。
展覧会のHPです。
東京
丸の内仲通りの「Marunouchi Happ. Stand & Gallery」に行ってきました。
場所は千代田区丸の内2-5-1で、丸の内二丁目ビルにあります。


仲通りに面して、テラス席も数席あります。

コーヒーS396円です。

コーヒーは静岡の「IFNi ROASTING & CO」のローストした豆を使っているそうで、
すっきりとして深みがあり、美味しいです。
小さなお店で、休日は満席のことが多いですが、マスターによれば、
この日は平日の夕方なので、人通りも少なめとのことでした。
以前、「Marunouchi Happ.」に行った時の記事です。
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丸の内仲通りの「Marunouchi Happ. Stand & Gallery」に行ってきました。
場所は千代田区丸の内2-5-1で、丸の内二丁目ビルにあります。


仲通りに面して、テラス席も数席あります。

コーヒーS396円です。

コーヒーは静岡の「IFNi ROASTING & CO」のローストした豆を使っているそうで、
すっきりとして深みがあり、美味しいです。
小さなお店で、休日は満席のことが多いですが、マスターによれば、
この日は平日の夕方なので、人通りも少なめとのことでした。
以前、「Marunouchi Happ.」に行った時の記事です。
東京
日本橋の「東京長浜観音堂」は今年の2月に一旦、閉館されていましたが、5月に
再開しました。
東京駅八重洲口からさくら通りを進み、小路を左に入った八重洲セントラルビルの
4階にあります。
場所は中央区日本橋2-3-21です。
「東京長浜観音堂」では「観音の里」と呼ばれる滋賀県の長浜に残る観音像を、
約1~2か月ごとに入れ替えて展示を行なっています。
11月1日から11月30日までは長浜市高月町洞戸(ほらど)自治会の管理する
地蔵菩薩の胎内仏と鞘仏(さやぼとけ)の2体が展示されています。


胎内仏は木造地蔵菩薩立像で、ヒノキの一木造、室町時代の作です。
地元の住民が作ったかと思われる素朴な造作で、左手に宝珠を持ち、
右手は欠け、衣に墨で簡単な文様が描かれています。



鞘仏は江戸時代の作で、背中の蓋を開けて胎内仏を収めるようになっています。


伝承によれば、織田信長による兵火を避けるため、一人の老人が自分の腹を切って
中に入れ、戦禍を逃れたということです。
長浜のある北近江は戦国時代、織田信長の浅井攻めや賤ヶ岳の戦いなど戦乱の地で、
多くの仏像が被害に遭っていて、川に沈めたり、田に埋めたりしてして難を逃れています。
前回の東京長浜観音堂の記事です。
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日本橋の「東京長浜観音堂」は今年の2月に一旦、閉館されていましたが、5月に
再開しました。
東京駅八重洲口からさくら通りを進み、小路を左に入った八重洲セントラルビルの
4階にあります。
場所は中央区日本橋2-3-21です。
「東京長浜観音堂」では「観音の里」と呼ばれる滋賀県の長浜に残る観音像を、
約1~2か月ごとに入れ替えて展示を行なっています。
11月1日から11月30日までは長浜市高月町洞戸(ほらど)自治会の管理する
地蔵菩薩の胎内仏と鞘仏(さやぼとけ)の2体が展示されています。


胎内仏は木造地蔵菩薩立像で、ヒノキの一木造、室町時代の作です。
地元の住民が作ったかと思われる素朴な造作で、左手に宝珠を持ち、
右手は欠け、衣に墨で簡単な文様が描かれています。



鞘仏は江戸時代の作で、背中の蓋を開けて胎内仏を収めるようになっています。


伝承によれば、織田信長による兵火を避けるため、一人の老人が自分の腹を切って
中に入れ、戦禍を逃れたということです。
長浜のある北近江は戦国時代、織田信長の浅井攻めや賤ヶ岳の戦いなど戦乱の地で、
多くの仏像が被害に遭っていて、川に沈めたり、田に埋めたりしてして難を逃れています。
前回の東京長浜観音堂の記事です。
日比谷・有楽町
日比谷の出光美術館では「惹かれあう美と創造-陶磁の東西交流」展が開かれています。
会期は12月18日(日)までです。

陶磁器を通じての日本や中国などの東アジアと西アジアやヨーロッパのつながりを
紹介する展覧会です。
序章 交流のはじまり―東と西が出会うとき
古代のガラスや金属の品です。
金彩ガラス鉢 東地中海地域 前3~2世紀

ギリシャ風の金色の連続模様が半透明のガラスの間に挟まっています。
2つの碗を鋳型で製作し、金箔で装飾した後から加熱して一体化しています。
ゴールドサンドイッチガラスという技法で、ヘレニズム時代の完成品は世界でも
数例しかないそうです。
第1章 人々を結ぶ路 ―シルクロードの隆盛
シルクロードなどを通じて伝わった西方の文化を示す作品です。
三彩馬 唐時代

脚が長く、いかにも速そうな馬です。
鞍に掛けた毛織物や飾りの杏葉などに藍釉が掛けてあります。
胡馬依北風 越鳥巣南枝
藍色は特に好まれたようで、器の全面に藍釉を施した器も展示されています。
三彩駱駝 唐時代

中国などアジアに広く分布するフタコブラクダです。
背に敷物を広げ、鞍を置き、獣面を付けた水を容れる革袋を載せています。
脚を踏み出し、首を高く掲げて、元気そうです。
三彩貼花文壺(万年壺) 唐時代

死後も永遠に飲食できるようにとのことで、万年壺と呼ばれています。
貼花文は粘土で作った模様を器に貼り付ける技法です。
三彩貼花騎馬人物文水注 唐時代

西域の金属器やガラス器の形を採り入れた、異国風のデザインです。
胴には騎馬人物とグリフィンを貼り、把手は竜が口縁を噛んだ形をしています。
「白地刻線幾何文鉢」 イラン 10~11世紀

イスラム特有の細密な幾何学模様が施されています。
シルクロードはイランの北部を通り、中国とトルコ、ヨーロッパを結んでいました。
第2章 煌めきと青への憧れーイスラームの美と青花誕生
ラスター彩人物文鳥首水注 イラン 12~13世紀

ラスター彩とはイスラム陶器の一種で、金属のような輝きが特徴です。
胴に凹凸を付け、人物や植物文を描いています。
クチバシに穴が開いていて、ここから液体を注げるようになっています。
「青花牡丹唐草文八角燭台」 景徳鎮官窯 明・永楽時代

西アジアの金属の燭台の形を模しています。
官窯の作品らしく、模様が細密に描き込まれています。
同じく西アジアで使用された、移動用に胴が扁平になった金属の水筒を模した
扁壷も展示されています。
青花(染付)は元時代の景徳鎮窯で技法が確立されたとされています。
「青花龍濤文天球瓶」 景徳鎮官窯 明・永楽時代

白抜きで3本爪の龍を浮き出させ、体の部分には細かい線刻が施されています。
官窯の製品で、5本爪が皇帝の用いる器なのに対し、3本爪は外国などへの
贈答品だったようです。
明時代の青花はコバルトの精製が不十分なため、滲みが出ることがあるということで、
この器も滲みが見られます。
呉州赤絵帆船文字文皿 漳州窯 明時代末期

呉州赤絵はスワトウ(汕頭)とも呼ばれ、福建省の、漳州窯で
焼かれています。
粗い素地に濁りのある白化粧土を掛け、赤色や青、緑を使った伸びやかな
筆遣いで草花や人物が描かれています。
明の再興を目指して清と戦った鄭成功は、これの輸出によって軍資金を
得ていたとも言われています。
論語にある近悦遠来(近くの者が悦べば遠くの者もやって来る)の文字と
西洋帆船が描かれています。
第3章 海を渡った陶磁の交流 ―東インド会社の時代
中国から海外に渡った陶磁は、ヨーロッパの陶芸にも影響を与えています。
「唐物肩衝茶入 銘 道阿弥」 福建系 南宋時代 大名物・柳営御物

胴の中央に線が入り、釉薬の垂れた、釉なだれが見られます。
かなり使い込まれたようで、表面に手摺れの痕があります。
大名物(おおめいぶつ)とは出雲の大名、松平不昧の編集した
「雲州名物帳」で最高位に選ばれた品のことです。
柳営御物とは徳川将軍家の所蔵品のことです。
関ヶ原の戦いの功で徳川家康から山岡景友(道阿弥)に賜ったことからこの名があります。
第4章 惹かれあう陶磁 ―柿右衛門・古伊万里の美
「金襴手孔雀文共蓋仙盞瓶」 中国 明・嘉靖「冨貴佳器」銘 景徳鎮窯 重要美術品

仙盞瓶(せんさんびん)とは西アジアの金属器の形を模した陶器の水注のことです。
胴に金彩で孔雀と牡丹を描き、蓋には犬の形のつまみが付いています。
「色絵花鳥文八角共蓋壺」 柿右衛門 江戸時代前期 重要文化財

高さ61.5㎝ある、柿右衛門としては最大級の作品です。
蓋と肩の地文は唐草で、上に牡丹が、胴には白いにごし手の上に
牡丹、竹、菊、梅、小鳥が描かれています。
輸出用に作られた作品で、イギリスからの里帰り品とのことです。
「色絵七福神文酒器」 古伊万里 江戸時代中期

輸出用の品で、酒宴で盛り上がる七福神が浮彫で表されています。
蛇口はヨーロッパで付けられたのでしょう。
「色絵樽乗西洋人物酒器」 古伊万里 江戸時代中期

樽に乗った西洋人が嬉しそうに瓶と杯を持っています。
ヨーロッパに輸出された品で、樽の部分に蛇口が付いています。
粉彩桃花文天球瓶 清「大清乾隆年製」銘 景徳鎮官窯

粉彩は西洋の七宝を応用して絵画のような写実的な絵付けを行なう技法で、
清時代に開発されています。
高さ51cmの大きな瓶に桃の花や実を写実的に描いています。
葉も緑と青緑に塗り分けられ、桃の実は点描で立体感や手触りまで表しています。
細かい描線も表され、焼き物というより絵画を貼り付けたような感じです。
終章 近現代陶芸の交流―東西交流のつづき
明治以降の品で、富本健吉や板谷波山の作品もあります。
展覧会のHPです。
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日比谷の出光美術館では「惹かれあう美と創造-陶磁の東西交流」展が開かれています。
会期は12月18日(日)までです。

陶磁器を通じての日本や中国などの東アジアと西アジアやヨーロッパのつながりを
紹介する展覧会です。
序章 交流のはじまり―東と西が出会うとき
古代のガラスや金属の品です。
金彩ガラス鉢 東地中海地域 前3~2世紀

ギリシャ風の金色の連続模様が半透明のガラスの間に挟まっています。
2つの碗を鋳型で製作し、金箔で装飾した後から加熱して一体化しています。
ゴールドサンドイッチガラスという技法で、ヘレニズム時代の完成品は世界でも
数例しかないそうです。
第1章 人々を結ぶ路 ―シルクロードの隆盛
シルクロードなどを通じて伝わった西方の文化を示す作品です。
三彩馬 唐時代

脚が長く、いかにも速そうな馬です。
鞍に掛けた毛織物や飾りの杏葉などに藍釉が掛けてあります。
胡馬依北風 越鳥巣南枝
藍色は特に好まれたようで、器の全面に藍釉を施した器も展示されています。
三彩駱駝 唐時代

中国などアジアに広く分布するフタコブラクダです。
背に敷物を広げ、鞍を置き、獣面を付けた水を容れる革袋を載せています。
脚を踏み出し、首を高く掲げて、元気そうです。
三彩貼花文壺(万年壺) 唐時代

死後も永遠に飲食できるようにとのことで、万年壺と呼ばれています。
貼花文は粘土で作った模様を器に貼り付ける技法です。
三彩貼花騎馬人物文水注 唐時代

西域の金属器やガラス器の形を採り入れた、異国風のデザインです。
胴には騎馬人物とグリフィンを貼り、把手は竜が口縁を噛んだ形をしています。
「白地刻線幾何文鉢」 イラン 10~11世紀

イスラム特有の細密な幾何学模様が施されています。
シルクロードはイランの北部を通り、中国とトルコ、ヨーロッパを結んでいました。
第2章 煌めきと青への憧れーイスラームの美と青花誕生
ラスター彩人物文鳥首水注 イラン 12~13世紀

ラスター彩とはイスラム陶器の一種で、金属のような輝きが特徴です。
胴に凹凸を付け、人物や植物文を描いています。
クチバシに穴が開いていて、ここから液体を注げるようになっています。
「青花牡丹唐草文八角燭台」 景徳鎮官窯 明・永楽時代

西アジアの金属の燭台の形を模しています。
官窯の作品らしく、模様が細密に描き込まれています。
同じく西アジアで使用された、移動用に胴が扁平になった金属の水筒を模した
扁壷も展示されています。
青花(染付)は元時代の景徳鎮窯で技法が確立されたとされています。
「青花龍濤文天球瓶」 景徳鎮官窯 明・永楽時代

白抜きで3本爪の龍を浮き出させ、体の部分には細かい線刻が施されています。
官窯の製品で、5本爪が皇帝の用いる器なのに対し、3本爪は外国などへの
贈答品だったようです。
明時代の青花はコバルトの精製が不十分なため、滲みが出ることがあるということで、
この器も滲みが見られます。
呉州赤絵帆船文字文皿 漳州窯 明時代末期

呉州赤絵はスワトウ(汕頭)とも呼ばれ、福建省の、漳州窯で
焼かれています。
粗い素地に濁りのある白化粧土を掛け、赤色や青、緑を使った伸びやかな
筆遣いで草花や人物が描かれています。
明の再興を目指して清と戦った鄭成功は、これの輸出によって軍資金を
得ていたとも言われています。
論語にある近悦遠来(近くの者が悦べば遠くの者もやって来る)の文字と
西洋帆船が描かれています。
第3章 海を渡った陶磁の交流 ―東インド会社の時代
中国から海外に渡った陶磁は、ヨーロッパの陶芸にも影響を与えています。
「唐物肩衝茶入 銘 道阿弥」 福建系 南宋時代 大名物・柳営御物

胴の中央に線が入り、釉薬の垂れた、釉なだれが見られます。
かなり使い込まれたようで、表面に手摺れの痕があります。
大名物(おおめいぶつ)とは出雲の大名、松平不昧の編集した
「雲州名物帳」で最高位に選ばれた品のことです。
柳営御物とは徳川将軍家の所蔵品のことです。
関ヶ原の戦いの功で徳川家康から山岡景友(道阿弥)に賜ったことからこの名があります。
第4章 惹かれあう陶磁 ―柿右衛門・古伊万里の美
「金襴手孔雀文共蓋仙盞瓶」 中国 明・嘉靖「冨貴佳器」銘 景徳鎮窯 重要美術品

仙盞瓶(せんさんびん)とは西アジアの金属器の形を模した陶器の水注のことです。
胴に金彩で孔雀と牡丹を描き、蓋には犬の形のつまみが付いています。
「色絵花鳥文八角共蓋壺」 柿右衛門 江戸時代前期 重要文化財

高さ61.5㎝ある、柿右衛門としては最大級の作品です。
蓋と肩の地文は唐草で、上に牡丹が、胴には白いにごし手の上に
牡丹、竹、菊、梅、小鳥が描かれています。
輸出用に作られた作品で、イギリスからの里帰り品とのことです。
「色絵七福神文酒器」 古伊万里 江戸時代中期

輸出用の品で、酒宴で盛り上がる七福神が浮彫で表されています。
蛇口はヨーロッパで付けられたのでしょう。
「色絵樽乗西洋人物酒器」 古伊万里 江戸時代中期

樽に乗った西洋人が嬉しそうに瓶と杯を持っています。
ヨーロッパに輸出された品で、樽の部分に蛇口が付いています。
粉彩桃花文天球瓶 清「大清乾隆年製」銘 景徳鎮官窯

粉彩は西洋の七宝を応用して絵画のような写実的な絵付けを行なう技法で、
清時代に開発されています。
高さ51cmの大きな瓶に桃の花や実を写実的に描いています。
葉も緑と青緑に塗り分けられ、桃の実は点描で立体感や手触りまで表しています。
細かい描線も表され、焼き物というより絵画を貼り付けたような感じです。
終章 近現代陶芸の交流―東西交流のつづき
明治以降の品で、富本健吉や板谷波山の作品もあります。
展覧会のHPです。
表参道
南青山の根津美術館では特別展、「将軍家の襖絵 屏風絵でよみがえる室町の華」が
開かれています。
会期は12月4日(日)までです。
会期中、一部展示替えがありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

室町から江戸時代にかけて制作された屏風絵によって、足利将軍邸の会所を飾っていた
襖絵を再現しようという展示です。
会所は会合や宴会など、人々の集うための建物で、足利将軍家も会所を建て、各部屋を
襖絵で飾っていました。
「鶉図」 伝 李安忠 南宋時代 12-13世紀 根津美術館 国宝

11月20日までの展示でした。
ウズラの歩くところが細密に描かれています。
右脚を上げている瞬間が捉えられていて、眼は鋭く、張りのある姿です。
赤い実を付けているのはクコの木ということで、木の葉の虫食いまで
描かれています。
右上に6代将軍足利義教の所蔵を示す印が捺されています。
「倣李唐牧牛図(牧童)」 雪舟等揚 室町時代 15世紀
山口県立美術館 重要文化財

11月22日からの展示です。
李唐(生没年不詳)は宋時代の画院画家で、北宋の徽宗に仕え、後に南宋に
山水画の様式を伝えています。
雪舟は室町将軍家所蔵の画帖を基に描いたものと思われます。
「四季山水図屏風」 伝 天章周文 室町時代 15世紀 ウッドワン美術館



11月22日からの展示です。
濃淡を使い分けた雄大な山水図です。
周文(生没年不詳)は相国寺の僧で、如拙に絵を学び、雪舟の師ともなっています。
足利将軍家の絵の御用も務めていますが、真筆と特定される作品はありません。
「四季花鳥図屏風」 芸愛 室町時代 16世紀 京都国立博物館

右隻

左隻

右隻部分

左隻部分

11月20日までの展示でした。
芸愛(生没年未詳)は室町中期に京都で活躍した絵師で、足利義政の御用絵師の
小栗宗湛に関係しているとされています。
中国では宋時代に山水図が盛んになり、禅僧を通じて日本にもたらされ、
平安時代以来の四季図と融合しています。
「韃靼人狩猟図屏風」 式部輝忠 室町時代 16世紀 文化庁

右隻

左隻

右隻部分

左隻部分

式部輝忠(生没年不詳)は室町時代後期の絵師で、関東や今川氏の領域で
活躍していたと思われます。
韃靼人とはタタール人のことですが、日本ではモンゴル高原などで活動した
騎馬民族のことをいいました。
狩猟図は武家に好まれた画題です。
絵のモチーフが画面下の方に集まっているのは中国画の狩猟図を手本にして
大きな画面に移したためと思われるそうです。
式部輝忠の作品が日本で描かれた韃靼人狩猟図の最古作とのことです。
「梁楷筆耕作養蚕図巻模本」(部分) 伊沢八郎 江戸時代 天明6年(1786)
原本:室町時代 延徳元年(1489) 東京国立博物館


耕作図は為政者が農民の苦労を思いやるためとしてよく描かれていました。
牛を使っての田起こし、田植え、草取りの様子です。
梁楷は南宋宮廷画院の画家の中で、山水や人物を得意としており、
日本で最も高く評価されている一人です。
相阿弥が模写したものを伊沢八郎がさらに模写しています。
日本でよく描かれた四季耕作図は梁楷の絵作品を基にした足利将軍家の襖絵に
始まります。
「須磨・天橋立図屏風」 桃山時代 16世紀 個人蔵

右隻 天橋立

左隻 須磨

足利将軍家の襖絵には大和絵による名所も描かれていました。
画題は、京都から近く、観る人が行ったことのある場所がよく選ばれています。
展示室5のテーマは「彫漆-あこがれの唐物-」です。
漆を何重にも塗り重ねてから文様を施す、彫漆の展示です。
中国から渡来した彫漆は足利将軍家でも珍重され、座敷飾りに用いられています。
「牡丹堆朱合子」 明時代 永楽年間(1403~24)

展示室6のテーマは「茶人の正月-口切-」です。
11月は茶壷の口の封を切って、その年の新茶を点てることから茶人の正月と呼ばれます。
茶壺 「銘 四国猿」 福建省系 元時代 14世紀

四国猿の銘の由来は不明とのことですが、口縁や胴の下部の赤い壷は
「猿」の名が付くことがあるそうです。
胴の色に変化が見られるのが面白いところです。
「志野秋草文水指」 美濃 桃山~江戸時代 16−17世紀 根津美術館

口縁はざっくりとした矢筈口で、力があります。
志野焼は美濃焼の一種で、茶人の志野宗信が作らせたのが始まりとされています。
展覧会のHPです。
根津美術館の庭も紅葉していました。

chariot
南青山の根津美術館では特別展、「将軍家の襖絵 屏風絵でよみがえる室町の華」が
開かれています。
会期は12月4日(日)までです。
会期中、一部展示替えがありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

室町から江戸時代にかけて制作された屏風絵によって、足利将軍邸の会所を飾っていた
襖絵を再現しようという展示です。
会所は会合や宴会など、人々の集うための建物で、足利将軍家も会所を建て、各部屋を
襖絵で飾っていました。
「鶉図」 伝 李安忠 南宋時代 12-13世紀 根津美術館 国宝

11月20日までの展示でした。
ウズラの歩くところが細密に描かれています。
右脚を上げている瞬間が捉えられていて、眼は鋭く、張りのある姿です。
赤い実を付けているのはクコの木ということで、木の葉の虫食いまで
描かれています。
右上に6代将軍足利義教の所蔵を示す印が捺されています。
「倣李唐牧牛図(牧童)」 雪舟等揚 室町時代 15世紀
山口県立美術館 重要文化財

11月22日からの展示です。
李唐(生没年不詳)は宋時代の画院画家で、北宋の徽宗に仕え、後に南宋に
山水画の様式を伝えています。
雪舟は室町将軍家所蔵の画帖を基に描いたものと思われます。
「四季山水図屏風」 伝 天章周文 室町時代 15世紀 ウッドワン美術館



11月22日からの展示です。
濃淡を使い分けた雄大な山水図です。
周文(生没年不詳)は相国寺の僧で、如拙に絵を学び、雪舟の師ともなっています。
足利将軍家の絵の御用も務めていますが、真筆と特定される作品はありません。
「四季花鳥図屏風」 芸愛 室町時代 16世紀 京都国立博物館

右隻

左隻

右隻部分

左隻部分

11月20日までの展示でした。
芸愛(生没年未詳)は室町中期に京都で活躍した絵師で、足利義政の御用絵師の
小栗宗湛に関係しているとされています。
中国では宋時代に山水図が盛んになり、禅僧を通じて日本にもたらされ、
平安時代以来の四季図と融合しています。
「韃靼人狩猟図屏風」 式部輝忠 室町時代 16世紀 文化庁

右隻

左隻

右隻部分

左隻部分

式部輝忠(生没年不詳)は室町時代後期の絵師で、関東や今川氏の領域で
活躍していたと思われます。
韃靼人とはタタール人のことですが、日本ではモンゴル高原などで活動した
騎馬民族のことをいいました。
狩猟図は武家に好まれた画題です。
絵のモチーフが画面下の方に集まっているのは中国画の狩猟図を手本にして
大きな画面に移したためと思われるそうです。
式部輝忠の作品が日本で描かれた韃靼人狩猟図の最古作とのことです。
「梁楷筆耕作養蚕図巻模本」(部分) 伊沢八郎 江戸時代 天明6年(1786)
原本:室町時代 延徳元年(1489) 東京国立博物館


耕作図は為政者が農民の苦労を思いやるためとしてよく描かれていました。
牛を使っての田起こし、田植え、草取りの様子です。
梁楷は南宋宮廷画院の画家の中で、山水や人物を得意としており、
日本で最も高く評価されている一人です。
相阿弥が模写したものを伊沢八郎がさらに模写しています。
日本でよく描かれた四季耕作図は梁楷の絵作品を基にした足利将軍家の襖絵に
始まります。
「須磨・天橋立図屏風」 桃山時代 16世紀 個人蔵

右隻 天橋立

左隻 須磨

足利将軍家の襖絵には大和絵による名所も描かれていました。
画題は、京都から近く、観る人が行ったことのある場所がよく選ばれています。
展示室5のテーマは「彫漆-あこがれの唐物-」です。
漆を何重にも塗り重ねてから文様を施す、彫漆の展示です。
中国から渡来した彫漆は足利将軍家でも珍重され、座敷飾りに用いられています。
「牡丹堆朱合子」 明時代 永楽年間(1403~24)

展示室6のテーマは「茶人の正月-口切-」です。
11月は茶壷の口の封を切って、その年の新茶を点てることから茶人の正月と呼ばれます。
茶壺 「銘 四国猿」 福建省系 元時代 14世紀

四国猿の銘の由来は不明とのことですが、口縁や胴の下部の赤い壷は
「猿」の名が付くことがあるそうです。
胴の色に変化が見られるのが面白いところです。
「志野秋草文水指」 美濃 桃山~江戸時代 16−17世紀 根津美術館

口縁はざっくりとした矢筈口で、力があります。
志野焼は美濃焼の一種で、茶人の志野宗信が作らせたのが始まりとされています。
展覧会のHPです。
根津美術館の庭も紅葉していました。

京橋・東京
京橋のアーティゾン美術館では「パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂」展が
開かれています。
会期は2023年2月5日(日)までです。

パリ・オペラ座は1669年にルイ14世によって設立されています。
現在は1875年に完成したガルニエ宮と呼ばれる劇場を指します。
展覧会では特に19世紀から20世紀初めに盛んに上演された、ロマンティック・バレエ、
グランド・オペラ、バレエ・リュスや、多くのアーティストが参加した舞台芸術を通して、
パリ・オペラ座の歴史が紹介されています。
ジャン=バティスト=エドゥアール・ドゥタイユ
「オペラ座の落成式、1875年1月5日」 1878年 オルセー美術館
パンフレットに使われている絵です。
それまでのオペラ座に替わり、ナポレオン3世の第2帝政の記念碑的建築として
計画されました。
公募された設計の中からシャルル・ガルニエの案が採用されたことから
ガルニエ宮の名があります。
大階段での盛大な祝賀行事の様子ですが、ナポレオン3世自身は1870年の
普仏戦争の敗北により退位し、1873年に亡くなっています。
シャルル・ガルニエ 「パリ・オペラ座(ガルニエ宮)のファサード立面図 1861年8月」
1861年 フランス国立図書館

パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の内観


当時興ったネオ・バロック様式の壮麗な内部です。
鉄材の使用によって巨大な空間の確保を可能にしています。
ラウル・デュフィ 「パリ」 1937年 ポーラ美術館

展示室の最初に置かれています。
大きな作品で、薔薇を前景にエッフェル塔、オペラ座、凱旋門、マドレーヌ寺院、
サクレ・クール寺院、ノートルダム寺院、などが散りばめられています。
昼の太陽と夜の月が出て、色彩はフランス国旗と同じ赤白青の3色でまとめられた、
華やかで装飾的な画面です。
アントワーヌ・ヴァトー 「見晴らし」 1715年頃 ボストン美術館

ジャン=アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)はロココ時代の画家で、
庭園での優雅な宴などの様子を描く雅宴画(フェート・ギャラント)という
ジャンルを始めていますが、オペラにも傾倒していました。
パトロンであった、財務長官ピエール・クロザの別荘を舞台に描かれています。
フランソワ=ガブリエル・レポール 「悪魔のロベール、第5幕第3場の三重唱」
1835年 フランス国立図書館

パリ・オペラ座ではグランド・オペラと呼ばれる、舞台も衣装も豪華に仕立てられた、
壮大なオペラが上演されていました。
「悪魔のロベール」は中世ヨーロッパの伝説に基く戯曲で、作曲家ジャコモ・マイアベーア
(1791 - 1864)の代表作です。
フランソワ=ガブリエル・レポール(1804 - 1886)はフランスの画家で、特に肖像画に
秀でていました。
パリ・オペラ座ではバレエが盛んに演じられ、オペラにも取り入れられていました。
当時のバレエはロマンティック・バレエと呼ばれるロマン主義の時代に流行したバレエで、
現在踊られているバレエの中では最も古い形式とのことです。
この世ならぬ妖精や亡霊、悪魔が登場し、異国趣味もあり、まさにロマンティックな物語が
演じられます。
ドガがバレエを描いていた時期の少し前の時期が黄金期とされています。
1831年にパリ・オペラ座で公演されたオペラ、「悪魔のロベール」の中で
演じられたバレエ、「死んだ尼僧たちの踊り」を踊ったマリー・タリオーニはポワント
(爪先立ち)の技を披露しています。
「ラ・シルフィード」 マリー・タリオーニ 19世紀
兵庫県立芸術文化センター 薄井憲二バレエ・コレクション

2013年にニューオータニ美術館で開かれた、「ロマンティック・バレエの世界
妖精になったバレリーナ」展のチラシです。
「ラ・シルフィード」は1832年にパリ・オペラ座で初演されたバレエ曲です。
シルフィードはスコットランドの妖精で、演じたマリー・タリオーニは
優美なポワントで踊り、大評判となっています。
「松葉杖の悪魔」 カチュチャを踊るファニー・エルスラー 19世紀
兵庫県立芸術文化センター 薄井憲二バレエ・コレクション

ファニー・エルスラーはマリー・タリオーニと人気を二分したスターで、
異国趣味の作品を得意とし、1836年初演の「松葉杖の悪魔」の中の
スペイン舞踊をアレンジした踊りで大成功をおさめています。
スペインの衣裳風のチュチュを着て、カスタネットを持っています。
「ジゼル」 カルロッタ・グリジ 19世紀
兵庫県立芸術文化センター 薄井憲二バレエ・コレクション

「ジゼル」は結婚を前に亡くなった娘たちが妖精となる物語です。
カルロッタ・グリジは1831年にパリ・オペラ座で初演された「ジゼル」で
主役を演じています。
「バレエの授業」 1873-76年 オルセー美術館

稽古場の情景です。
踊り子の白を中心に、赤、緑、水色、黒のリボンをあしらって華やかです。
誰かの連れてきた犬も紛れ込んでいます。
ドアの向こうの窓から少し外の風景も見えます。
活き活きとした画面で臨場感があり、観ていて飽きません。
実際の光景のように見えますが、ピアノの上に座って背中を掻いている子などは
出来すぎていて、デッサンを集めて巧みに再構成した場面であるようです。
ドガはオペラ座の常連客で、バレエの舞台だけでなく、舞台裏や練習の様子を
よく画題にしています。
エドゥアール・マネ 「オペラ座の仮面舞踏会」
1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

黒色の巧みなマネならではの黒と白の対比の際立つ作品です。
シルクハットの紳士たちと仮面を着けた高級娼婦たちの入り交じる光景は
妖しい雰囲気に包まれていて、一人の仮面は床に落ちています。
画面の上には女性の足だけ見えていて、場面の猥雑さを強調しています。
後に描かれるマネの代表作、「フォリ=ベルジェールの酒場」でも画面上に
空中ブランコ乗りの足だけが見えています。
この頃はまだガルニエ宮は完成しておらず、1873年に焼失した、ペルティエ通りの
オペラ座が描かれています。
エドゥアール・マネ 「オペラ座の仮装舞踏会」 1873年 アーティゾン美術館

こちらも同じような題材で、よりざっくりと描かれています。
フランスで発達したバレエは19世紀後半には低俗化などが原因で人気が衰え、
替わってロシアで盛んになっています。
バレエ・リュス(ロシア・バレエ)はロシア人のセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)が
結成し、1909年にパリで公演を始めたロシア・バレエ団で、よくパリ・オペラ座で
公演を行なっています。
レオン・バクスト 『「シェエラザード」でのイダ・ルビンシュタインの髪飾り』
1910年頃 フランス国立図書館

レオン・サモイロヴィッチ・バクスト(1866 – 1924)はロシアの画家・舞台美術家で、
バレエ・リュスの演目の多くの舞台装置や衣装を手掛けています。
イダ・ルビンシュタイン(1885 – 1960)はロシア生まれのフランスのバレリーナで、
バレエ・リュスとも共演しています。
アンリ・マティス、デ・キリコ、ジョルジュ・ブラック、マリー・ローランサン、
アンドレ・ドランなど、多くの芸術家がバレエ・リュスの舞台美術や衣装を手掛けています。
2014年に国立新美術館で開かれたバレエ・リュス」展の記事です。
マルク・シャガール 「オペラ座の人々」 1968-1971年 ポーラ美術館

第2の故郷ともいえるパリを描いた作品の一つです。
シャガール独特の鳥や浮遊する人物と一緒にパリのオペラ座も描かれています。
シャガールは文化相のアンドレ・マルローにオペラ座の天井画の制作を依頼され、
1964年に完成させています。
その最終習作も展示されています。
会場には「シェエラザード」の曲も流れ、フランス文化の粋を垣間見ることの出来る、
とても充実した展覧会です。
展覧会のHPです。
chariot
京橋のアーティゾン美術館では「パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂」展が
開かれています。
会期は2023年2月5日(日)までです。

パリ・オペラ座は1669年にルイ14世によって設立されています。
現在は1875年に完成したガルニエ宮と呼ばれる劇場を指します。
展覧会では特に19世紀から20世紀初めに盛んに上演された、ロマンティック・バレエ、
グランド・オペラ、バレエ・リュスや、多くのアーティストが参加した舞台芸術を通して、
パリ・オペラ座の歴史が紹介されています。
ジャン=バティスト=エドゥアール・ドゥタイユ
「オペラ座の落成式、1875年1月5日」 1878年 オルセー美術館
パンフレットに使われている絵です。
それまでのオペラ座に替わり、ナポレオン3世の第2帝政の記念碑的建築として
計画されました。
公募された設計の中からシャルル・ガルニエの案が採用されたことから
ガルニエ宮の名があります。
大階段での盛大な祝賀行事の様子ですが、ナポレオン3世自身は1870年の
普仏戦争の敗北により退位し、1873年に亡くなっています。
シャルル・ガルニエ 「パリ・オペラ座(ガルニエ宮)のファサード立面図 1861年8月」
1861年 フランス国立図書館

パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の内観


当時興ったネオ・バロック様式の壮麗な内部です。
鉄材の使用によって巨大な空間の確保を可能にしています。
ラウル・デュフィ 「パリ」 1937年 ポーラ美術館

展示室の最初に置かれています。
大きな作品で、薔薇を前景にエッフェル塔、オペラ座、凱旋門、マドレーヌ寺院、
サクレ・クール寺院、ノートルダム寺院、などが散りばめられています。
昼の太陽と夜の月が出て、色彩はフランス国旗と同じ赤白青の3色でまとめられた、
華やかで装飾的な画面です。
アントワーヌ・ヴァトー 「見晴らし」 1715年頃 ボストン美術館

ジャン=アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)はロココ時代の画家で、
庭園での優雅な宴などの様子を描く雅宴画(フェート・ギャラント)という
ジャンルを始めていますが、オペラにも傾倒していました。
パトロンであった、財務長官ピエール・クロザの別荘を舞台に描かれています。
フランソワ=ガブリエル・レポール 「悪魔のロベール、第5幕第3場の三重唱」
1835年 フランス国立図書館

パリ・オペラ座ではグランド・オペラと呼ばれる、舞台も衣装も豪華に仕立てられた、
壮大なオペラが上演されていました。
「悪魔のロベール」は中世ヨーロッパの伝説に基く戯曲で、作曲家ジャコモ・マイアベーア
(1791 - 1864)の代表作です。
フランソワ=ガブリエル・レポール(1804 - 1886)はフランスの画家で、特に肖像画に
秀でていました。
パリ・オペラ座ではバレエが盛んに演じられ、オペラにも取り入れられていました。
当時のバレエはロマンティック・バレエと呼ばれるロマン主義の時代に流行したバレエで、
現在踊られているバレエの中では最も古い形式とのことです。
この世ならぬ妖精や亡霊、悪魔が登場し、異国趣味もあり、まさにロマンティックな物語が
演じられます。
ドガがバレエを描いていた時期の少し前の時期が黄金期とされています。
1831年にパリ・オペラ座で公演されたオペラ、「悪魔のロベール」の中で
演じられたバレエ、「死んだ尼僧たちの踊り」を踊ったマリー・タリオーニはポワント
(爪先立ち)の技を披露しています。
「ラ・シルフィード」 マリー・タリオーニ 19世紀
兵庫県立芸術文化センター 薄井憲二バレエ・コレクション

2013年にニューオータニ美術館で開かれた、「ロマンティック・バレエの世界
妖精になったバレリーナ」展のチラシです。
「ラ・シルフィード」は1832年にパリ・オペラ座で初演されたバレエ曲です。
シルフィードはスコットランドの妖精で、演じたマリー・タリオーニは
優美なポワントで踊り、大評判となっています。
「松葉杖の悪魔」 カチュチャを踊るファニー・エルスラー 19世紀
兵庫県立芸術文化センター 薄井憲二バレエ・コレクション

ファニー・エルスラーはマリー・タリオーニと人気を二分したスターで、
異国趣味の作品を得意とし、1836年初演の「松葉杖の悪魔」の中の
スペイン舞踊をアレンジした踊りで大成功をおさめています。
スペインの衣裳風のチュチュを着て、カスタネットを持っています。
「ジゼル」 カルロッタ・グリジ 19世紀
兵庫県立芸術文化センター 薄井憲二バレエ・コレクション

「ジゼル」は結婚を前に亡くなった娘たちが妖精となる物語です。
カルロッタ・グリジは1831年にパリ・オペラ座で初演された「ジゼル」で
主役を演じています。
「バレエの授業」 1873-76年 オルセー美術館

稽古場の情景です。
踊り子の白を中心に、赤、緑、水色、黒のリボンをあしらって華やかです。
誰かの連れてきた犬も紛れ込んでいます。
ドアの向こうの窓から少し外の風景も見えます。
活き活きとした画面で臨場感があり、観ていて飽きません。
実際の光景のように見えますが、ピアノの上に座って背中を掻いている子などは
出来すぎていて、デッサンを集めて巧みに再構成した場面であるようです。
ドガはオペラ座の常連客で、バレエの舞台だけでなく、舞台裏や練習の様子を
よく画題にしています。
エドゥアール・マネ 「オペラ座の仮面舞踏会」
1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

黒色の巧みなマネならではの黒と白の対比の際立つ作品です。
シルクハットの紳士たちと仮面を着けた高級娼婦たちの入り交じる光景は
妖しい雰囲気に包まれていて、一人の仮面は床に落ちています。
画面の上には女性の足だけ見えていて、場面の猥雑さを強調しています。
後に描かれるマネの代表作、「フォリ=ベルジェールの酒場」でも画面上に
空中ブランコ乗りの足だけが見えています。
この頃はまだガルニエ宮は完成しておらず、1873年に焼失した、ペルティエ通りの
オペラ座が描かれています。
エドゥアール・マネ 「オペラ座の仮装舞踏会」 1873年 アーティゾン美術館

こちらも同じような題材で、よりざっくりと描かれています。
フランスで発達したバレエは19世紀後半には低俗化などが原因で人気が衰え、
替わってロシアで盛んになっています。
バレエ・リュス(ロシア・バレエ)はロシア人のセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)が
結成し、1909年にパリで公演を始めたロシア・バレエ団で、よくパリ・オペラ座で
公演を行なっています。
レオン・バクスト 『「シェエラザード」でのイダ・ルビンシュタインの髪飾り』
1910年頃 フランス国立図書館

レオン・サモイロヴィッチ・バクスト(1866 – 1924)はロシアの画家・舞台美術家で、
バレエ・リュスの演目の多くの舞台装置や衣装を手掛けています。
イダ・ルビンシュタイン(1885 – 1960)はロシア生まれのフランスのバレリーナで、
バレエ・リュスとも共演しています。
アンリ・マティス、デ・キリコ、ジョルジュ・ブラック、マリー・ローランサン、
アンドレ・ドランなど、多くの芸術家がバレエ・リュスの舞台美術や衣装を手掛けています。
2014年に国立新美術館で開かれたバレエ・リュス」展の記事です。
マルク・シャガール 「オペラ座の人々」 1968-1971年 ポーラ美術館

第2の故郷ともいえるパリを描いた作品の一つです。
シャガール独特の鳥や浮遊する人物と一緒にパリのオペラ座も描かれています。
シャガールは文化相のアンドレ・マルローにオペラ座の天井画の制作を依頼され、
1964年に完成させています。
その最終習作も展示されています。
会場には「シェエラザード」の曲も流れ、フランス文化の粋を垣間見ることの出来る、
とても充実した展覧会です。
展覧会のHPです。
銀座
銀座の日動画廊では「松井ヨシアキ展 ―夢のあわいー」が
開かれています。
会期は11月21日(月)まで、日曜日はお休みです。
松井ヨシアキさん(1947~)はパリの景色や人、音楽家などを雰囲気のある画風で
描いておられます。
松井さんの作品は、パレットナイフを使っての厚塗りにナイフで切り込んだ線が
入っていたり、キャンバス地の透ける薄塗りがあったりと、活き活きとした躍動感に
あふれています。
「パリのブールバール」 80号

画面奥に連なる家並や並木にも勢いがあり、街の活気が伝わります。
展覧会のHPです。
***
東京メトロ銀座駅地下コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、
3面の展示スペースに立体作品が展示されます。
11月28日(月)までは女子美術大学博士前期課程の以下の4名の作品が
展示されています。
加藤まこ・砂坂深雪・趙子涵・山﨑千夏
「Twinkle」


犬も月の光にきらめいています。
「uncontrollable energy」


何かがどんどん湧き上がってきます。
「roots」


たしかに roots です。
chariot
銀座の日動画廊では「松井ヨシアキ展 ―夢のあわいー」が
開かれています。
会期は11月21日(月)まで、日曜日はお休みです。
松井ヨシアキさん(1947~)はパリの景色や人、音楽家などを雰囲気のある画風で
描いておられます。
松井さんの作品は、パレットナイフを使っての厚塗りにナイフで切り込んだ線が
入っていたり、キャンバス地の透ける薄塗りがあったりと、活き活きとした躍動感に
あふれています。
「パリのブールバール」 80号

画面奥に連なる家並や並木にも勢いがあり、街の活気が伝わります。
展覧会のHPです。
***
東京メトロ銀座駅地下コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、
3面の展示スペースに立体作品が展示されます。
11月28日(月)までは女子美術大学博士前期課程の以下の4名の作品が
展示されています。
加藤まこ・砂坂深雪・趙子涵・山﨑千夏
「Twinkle」


犬も月の光にきらめいています。
「uncontrollable energy」


何かがどんどん湧き上がってきます。
「roots」


たしかに roots です。
新橋・汐留
パナソニック汐留美術館では「つながる琳派スピリット 神坂雪佳展」が開かれています。
会期は12月18日(日)まで、休館日は水曜日です。
会期中、11月29日(火)までの前期と 12月1日(木)からの後期で一部展示替えが
ありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

神坂雪佳(1866-1942)は幕末の京都に生まれた日本画家・図案家で、
琳派に惹かれ、深く研究した絵画や図案を制作しています。
作品はおおらかで、デザイン化された構図が新鮮です。
展覧会では神坂雪華の作品を数多く所蔵する京都の細見美術館のコレクションを中心に、
俵屋宗達以来の琳派の作品とともに展示されています。
「忍草下絵和歌巻断簡」 本阿弥光悦・書 俵屋宗達・下絵 江戸前期 細見美術館

藤や忍草を金銀泥の版で摺ってあります。
忍草は檜などの実際の葉を版木替りに用い、藤は同じ版木を繰り返し使ってあるそうです。
山陰やさらでは庭にあともなし春ぞ来にける雪のむら消え
新古今和歌集 藤原有家
「双犬図」 俵屋宗達 江戸前期 細見美術館

子犬がじゃれ合っている図で、黒犬にはたらし込みが使われ、むくむくした感じを出し、
白犬は薄墨で輪郭線を描いています。
子犬は円山応挙や長沢芦雪もよく描いた画題です。
「柳図香包」 尾形光琳 江戸中期 細見美術館

小さな金地に、さらりと緑の柳を描いてあります。
お香を包んだ紙なので、折り目が見え、開けていくうちに絵が見えてくる仕掛けです。
「立葵図」 深江蘆舟 江戸中期 細見美術館

淡彩で立葵を描いています。
深江蘆舟(1699-1757)は銀座役人の子で、尾形光琳の晩年の弟子です。
「白梅小禽図屏風」 中村芳中 江戸後期 細見美術館


たらし込みで描いた白梅の古木に、赤いくちばしの鳥が止まって鳴いています。
梅の花は丸く大まかで、鳥の顔もユーモラスです。
中村芳中(?-1819)は大阪を中心に活躍した絵師で、尾形光琳を慕っていますが、
どこかとぼけた、おっとりとした味わいが特徴です。
「月に萩鹿図」 中村芳中 江戸後期 細見美術館

輪郭線を用いず、外隈(そとぐま)で月を、たらし込みで鹿を描いた、
やわらかな雰囲気の作品です。
「槇に秋草図屛風」 酒井抱一 江戸後期 細見美術館

槇の幹を左に据え、菊、萩、薄、桔梗、女郎花など秋の草花を揃えています。
槇は伝俵屋宗達筆「槇楓図屏風」にも描かれています。
酒井抱一(1761-1829)は尾形光琳に私淑し、洒脱で詩情のある江戸琳派を確立しています。
「鹿楓図団扇」 酒井抱一 江戸後期 細見美術館

金箔貼の団扇の表と裏に、鹿と楓が描かれています。
「藤花図」 鈴木其一 江戸後期 細見美術館


勢いよくなだれ落ちるような藤の花びら一枚一枚をみずみずしく鮮やかな色彩で、
ていねいに描いています。
鈴木其一(1795-1858)は酒井抱一の弟子で、師の洗練された洒脱な画風を更に進めて、
デザイン性の高い、近代的とも言える作品を描いています。
これより神坂雪佳の作品です。
「百々世草」 神坂雪佳 明治42~43年刊 芸艸堂
ももよ草 原画

八つ橋 原画

狗児 木版画

「百々世草」は木版画図案集で、斬新なデザイン感覚を見せています。
「若松鶴図文机・硯箱」 神坂雪佳 大正末期 細見美術館

神坂雪佳はさまざまな工芸品のデザインも手掛けています。
「鹿図蒔絵手元簞笥」 神坂雪佳 図案、神坂祐吉 作
大正末~昭和初期 京都国立近代美術館

11月29日までの展示です。
螺鈿も使った琳派特有の図柄で、鹿は輝きを抑えた鉛板です。
「金魚玉図」 神坂雪佳 明治末期 細見美術館


金魚玉の中の金魚を正面から描いた、面白い構図の絵です。
レンズの効果で金魚が大きく見える感じが出ています。
「菊慈童図」 神坂雪佳 大正末~昭和初期 細見美術館

11月29日までの展示です。
中国の周の王に仕えていた少年が罪を得て深山に流されたものの、
菊の葉から滴る水の霊力によって不老不死となったというお話で、
能の演目にもなっています。
「伊勢物語図扇面(河内越)」 神坂雪佳 大正末~昭和初期 細見美術館

伊勢物語の一節で、男が河内にいる別の女の許に通うのを、女が平然として
送り出すので、男は不審に思って、物陰に隠れて女の様子をうかがっています。
女は男を送り出してから歌を詠みます。
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとりこゆらん
それを聞いた男は愛しく思って、河内に行くのを止めてしまいました。
「十二ヶ月草花図」 神坂雪佳 大正末~昭和初期 細見美術館
神坂雪佳の特徴の大胆な構図によって各月の草花が描かれています。
三月 春草

六月 紫陽花

十一月 蔦に嫁菜

「杜若図屏風」 神坂雪佳 大正末~昭和初期 個人蔵

根津美術館蔵の尾形光琳作、「燕子花図屏風」に倣った屏風ですが、
よりすっきりした画面で、白い杜若がアクセントになっています。
「白鳳図」 神坂雪佳 昭和2年頃 細見美術館

伊藤若冲の「老松孔雀図」を思わせますが、岩にたらし込みを施して琳派風です。
展覧会のHPです。
chariot
パナソニック汐留美術館では「つながる琳派スピリット 神坂雪佳展」が開かれています。
会期は12月18日(日)まで、休館日は水曜日です。
会期中、11月29日(火)までの前期と 12月1日(木)からの後期で一部展示替えが
ありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

神坂雪佳(1866-1942)は幕末の京都に生まれた日本画家・図案家で、
琳派に惹かれ、深く研究した絵画や図案を制作しています。
作品はおおらかで、デザイン化された構図が新鮮です。
展覧会では神坂雪華の作品を数多く所蔵する京都の細見美術館のコレクションを中心に、
俵屋宗達以来の琳派の作品とともに展示されています。
「忍草下絵和歌巻断簡」 本阿弥光悦・書 俵屋宗達・下絵 江戸前期 細見美術館

藤や忍草を金銀泥の版で摺ってあります。
忍草は檜などの実際の葉を版木替りに用い、藤は同じ版木を繰り返し使ってあるそうです。
山陰やさらでは庭にあともなし春ぞ来にける雪のむら消え
新古今和歌集 藤原有家
「双犬図」 俵屋宗達 江戸前期 細見美術館

子犬がじゃれ合っている図で、黒犬にはたらし込みが使われ、むくむくした感じを出し、
白犬は薄墨で輪郭線を描いています。
子犬は円山応挙や長沢芦雪もよく描いた画題です。
「柳図香包」 尾形光琳 江戸中期 細見美術館

小さな金地に、さらりと緑の柳を描いてあります。
お香を包んだ紙なので、折り目が見え、開けていくうちに絵が見えてくる仕掛けです。
「立葵図」 深江蘆舟 江戸中期 細見美術館

淡彩で立葵を描いています。
深江蘆舟(1699-1757)は銀座役人の子で、尾形光琳の晩年の弟子です。
「白梅小禽図屏風」 中村芳中 江戸後期 細見美術館


たらし込みで描いた白梅の古木に、赤いくちばしの鳥が止まって鳴いています。
梅の花は丸く大まかで、鳥の顔もユーモラスです。
中村芳中(?-1819)は大阪を中心に活躍した絵師で、尾形光琳を慕っていますが、
どこかとぼけた、おっとりとした味わいが特徴です。
「月に萩鹿図」 中村芳中 江戸後期 細見美術館

輪郭線を用いず、外隈(そとぐま)で月を、たらし込みで鹿を描いた、
やわらかな雰囲気の作品です。
「槇に秋草図屛風」 酒井抱一 江戸後期 細見美術館

槇の幹を左に据え、菊、萩、薄、桔梗、女郎花など秋の草花を揃えています。
槇は伝俵屋宗達筆「槇楓図屏風」にも描かれています。
酒井抱一(1761-1829)は尾形光琳に私淑し、洒脱で詩情のある江戸琳派を確立しています。
「鹿楓図団扇」 酒井抱一 江戸後期 細見美術館

金箔貼の団扇の表と裏に、鹿と楓が描かれています。
「藤花図」 鈴木其一 江戸後期 細見美術館


勢いよくなだれ落ちるような藤の花びら一枚一枚をみずみずしく鮮やかな色彩で、
ていねいに描いています。
鈴木其一(1795-1858)は酒井抱一の弟子で、師の洗練された洒脱な画風を更に進めて、
デザイン性の高い、近代的とも言える作品を描いています。
これより神坂雪佳の作品です。
「百々世草」 神坂雪佳 明治42~43年刊 芸艸堂
ももよ草 原画

八つ橋 原画

狗児 木版画

「百々世草」は木版画図案集で、斬新なデザイン感覚を見せています。
「若松鶴図文机・硯箱」 神坂雪佳 大正末期 細見美術館

神坂雪佳はさまざまな工芸品のデザインも手掛けています。
「鹿図蒔絵手元簞笥」 神坂雪佳 図案、神坂祐吉 作
大正末~昭和初期 京都国立近代美術館

11月29日までの展示です。
螺鈿も使った琳派特有の図柄で、鹿は輝きを抑えた鉛板です。
「金魚玉図」 神坂雪佳 明治末期 細見美術館


金魚玉の中の金魚を正面から描いた、面白い構図の絵です。
レンズの効果で金魚が大きく見える感じが出ています。
「菊慈童図」 神坂雪佳 大正末~昭和初期 細見美術館

11月29日までの展示です。
中国の周の王に仕えていた少年が罪を得て深山に流されたものの、
菊の葉から滴る水の霊力によって不老不死となったというお話で、
能の演目にもなっています。
「伊勢物語図扇面(河内越)」 神坂雪佳 大正末~昭和初期 細見美術館

伊勢物語の一節で、男が河内にいる別の女の許に通うのを、女が平然として
送り出すので、男は不審に思って、物陰に隠れて女の様子をうかがっています。
女は男を送り出してから歌を詠みます。
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとりこゆらん
それを聞いた男は愛しく思って、河内に行くのを止めてしまいました。
「十二ヶ月草花図」 神坂雪佳 大正末~昭和初期 細見美術館
神坂雪佳の特徴の大胆な構図によって各月の草花が描かれています。
三月 春草

六月 紫陽花

十一月 蔦に嫁菜

「杜若図屏風」 神坂雪佳 大正末~昭和初期 個人蔵

根津美術館蔵の尾形光琳作、「燕子花図屏風」に倣った屏風ですが、
よりすっきりした画面で、白い杜若がアクセントになっています。
「白鳳図」 神坂雪佳 昭和2年頃 細見美術館

伊藤若冲の「老松孔雀図」を思わせますが、岩にたらし込みを施して琳派風です。
展覧会のHPです。
恵比寿
山種美術館では特別展、「没後80年記念 竹内栖鳳展」が開かれています。
会期は12月4日(木)までです。

チラシも代表作の「班猫」の猫の目に合わせて、一部が緑色になっています。


円山四条派以来の写生を基本に西洋画の技法も取り入れ、京都画壇を代表する
画家となった竹内栖鳳(1864-1942)の作品を中心とした展示です。
竹内栖鳳は京都に生まれ、四条派の幸野楳嶺に入門しています。
同門には菊池芳文などがいます。
竹内栖鳳 「松虎」 1897年頃 東京国立博物館

初期の作品です。
竹内栖鳳は特に動物の絵を得意としていました。
この後、明治33年(1900)のパリ万博の視察を機に、7ヶ月間欧州を旅行して
西洋美術を目にし、特にターナーやコローの影響を受けています。
この経験を基に、円山四条派以来の写生に加え、西洋画の技法も取り入れて
新しい作風を確立しています。
竹内栖鳳 「班猫」 1924年 重要文化財

竹内栖鳳の代表作です。
沼津の八百屋さんの飼い猫が、宋の徽宗(きそう)皇帝の描いた猫と
同じ柄なので、貰い受けて京都に連れて帰り、描いた作品です。
徽宗皇帝の猫の絵は、目を見開いて前足を舐めている姿ですが、
こちらは背中を毛繕いしながら、こちらを見上げた瞬間を捉えています。
細かい筆遣いで柔らかい毛並みの柔らかさまで表現され、瞳孔の細く
なった緑色の目が印象的です。
「班猫」は普通、「斑猫」と書くところですが、竹内栖鳳の箱書きには
「班猫」となっているそうです。
竹内栖鳳 「海幸」 昭和初期 個人蔵

竹内栖鳳はタイやカナガシラなど、魚をよく描いています。
新鮮で、今にも飛び跳ねそうに見えます。
竹内栖鳳 「潮来小暑」 1930年

水路を行く小舟に牛も乗せられています。
中国江南の楊州に似ているということで、竹内栖鳳はよく潮来を訪れています。
ヨーロッパ旅行でターナーやコローなどから強い影響を受けたということですが、
この作品も西洋画のような雰囲気があります。
竹内栖鳳 「鴨雛」 1937年頃

暖かい春の日、黄色、白、茶色のアヒルのヒナがかたまって、にぎやかな鳴き声が
聞こえてきそうです。
伝 長沢芦雪 「唐子遊び図」 18世紀 重要美術品


文人の嗜みである四芸(琴碁書画)と唐子を組合わせた絵柄です。
芭蕉と唐子の取合わせは、兵庫県の大乗寺に残る円山応挙の襖絵、
「郭子儀図」に倣ったものだろうとのことです。
こっけいな表情や目尻の垂れた黒目がちの目元は長沢芦雪のスタイルに近い
とのことですが、碁でけんかになって頬っぺたを引張られている子は
ますます垂れ目になっています。
長沢芦雪(1754-1799)は円山応挙の弟子で、奔放な画風で知られています。
竹内栖鳳は円山応挙に始まる円山四条派の画家です。
西村五雲 「白熊」 1907年

大作で、白熊がオットセイを捕まえている姿です。
西村五雲(1877-1938)は師の竹内栖鳳と同じく、動物画を得意としています。
若い時の力作で、京都市動物園で写生した白熊を元に自然の中の荒々しい姿を
写実的に描いています。
師の竹内栖鳳がアントワープの動物園でライオンを写生して、1902年に「大獅子図」を
描いたのに倣っての作品と思われます。
村上華岳 「裸婦図」 1920年 重要文化財

村上華岳(1888-1939)の初期の代表作です。
イタリア絵画風の背景で、女性の輪郭線に影を付けて立体感を出しています。
一方で、上半身は正面を向き平面的に描かれていて、西洋と東洋の融合を
図っていることが分かります。
後の、菩薩を描いた仏画シリーズの基となる、聖性と女性美とを兼ね備えた作品です。
村上華岳は京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で竹内栖鳳に学んでいます。
西山翠嶂 「狗子」 1958年

写実的で、毛並みの質感まで感じさせます。
ちらりとこちらを見ているところなど、可愛いところを見せています。
西山翠嶂(1879-1958)は竹内栖鳳に師事し、後に女婿となっています。
山種美術館のHPです。
chariot
山種美術館では特別展、「没後80年記念 竹内栖鳳展」が開かれています。
会期は12月4日(木)までです。

チラシも代表作の「班猫」の猫の目に合わせて、一部が緑色になっています。


円山四条派以来の写生を基本に西洋画の技法も取り入れ、京都画壇を代表する
画家となった竹内栖鳳(1864-1942)の作品を中心とした展示です。
竹内栖鳳は京都に生まれ、四条派の幸野楳嶺に入門しています。
同門には菊池芳文などがいます。
竹内栖鳳 「松虎」 1897年頃 東京国立博物館

初期の作品です。
竹内栖鳳は特に動物の絵を得意としていました。
この後、明治33年(1900)のパリ万博の視察を機に、7ヶ月間欧州を旅行して
西洋美術を目にし、特にターナーやコローの影響を受けています。
この経験を基に、円山四条派以来の写生に加え、西洋画の技法も取り入れて
新しい作風を確立しています。
竹内栖鳳 「班猫」 1924年 重要文化財

竹内栖鳳の代表作です。
沼津の八百屋さんの飼い猫が、宋の徽宗(きそう)皇帝の描いた猫と
同じ柄なので、貰い受けて京都に連れて帰り、描いた作品です。
徽宗皇帝の猫の絵は、目を見開いて前足を舐めている姿ですが、
こちらは背中を毛繕いしながら、こちらを見上げた瞬間を捉えています。
細かい筆遣いで柔らかい毛並みの柔らかさまで表現され、瞳孔の細く
なった緑色の目が印象的です。
「班猫」は普通、「斑猫」と書くところですが、竹内栖鳳の箱書きには
「班猫」となっているそうです。
竹内栖鳳 「海幸」 昭和初期 個人蔵

竹内栖鳳はタイやカナガシラなど、魚をよく描いています。
新鮮で、今にも飛び跳ねそうに見えます。
竹内栖鳳 「潮来小暑」 1930年

水路を行く小舟に牛も乗せられています。
中国江南の楊州に似ているということで、竹内栖鳳はよく潮来を訪れています。
ヨーロッパ旅行でターナーやコローなどから強い影響を受けたということですが、
この作品も西洋画のような雰囲気があります。
竹内栖鳳 「鴨雛」 1937年頃

暖かい春の日、黄色、白、茶色のアヒルのヒナがかたまって、にぎやかな鳴き声が
聞こえてきそうです。
伝 長沢芦雪 「唐子遊び図」 18世紀 重要美術品


文人の嗜みである四芸(琴碁書画)と唐子を組合わせた絵柄です。
芭蕉と唐子の取合わせは、兵庫県の大乗寺に残る円山応挙の襖絵、
「郭子儀図」に倣ったものだろうとのことです。
こっけいな表情や目尻の垂れた黒目がちの目元は長沢芦雪のスタイルに近い
とのことですが、碁でけんかになって頬っぺたを引張られている子は
ますます垂れ目になっています。
長沢芦雪(1754-1799)は円山応挙の弟子で、奔放な画風で知られています。
竹内栖鳳は円山応挙に始まる円山四条派の画家です。
西村五雲 「白熊」 1907年

大作で、白熊がオットセイを捕まえている姿です。
西村五雲(1877-1938)は師の竹内栖鳳と同じく、動物画を得意としています。
若い時の力作で、京都市動物園で写生した白熊を元に自然の中の荒々しい姿を
写実的に描いています。
師の竹内栖鳳がアントワープの動物園でライオンを写生して、1902年に「大獅子図」を
描いたのに倣っての作品と思われます。
村上華岳 「裸婦図」 1920年 重要文化財

村上華岳(1888-1939)の初期の代表作です。
イタリア絵画風の背景で、女性の輪郭線に影を付けて立体感を出しています。
一方で、上半身は正面を向き平面的に描かれていて、西洋と東洋の融合を
図っていることが分かります。
後の、菩薩を描いた仏画シリーズの基となる、聖性と女性美とを兼ね備えた作品です。
村上華岳は京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で竹内栖鳳に学んでいます。
西山翠嶂 「狗子」 1958年

写実的で、毛並みの質感まで感じさせます。
ちらりとこちらを見ているところなど、可愛いところを見せています。
西山翠嶂(1879-1958)は竹内栖鳳に師事し、後に女婿となっています。
山種美術館のHPです。