竹橋
東京国立近代美術館では「所蔵作品展 MOMATコレクション」が開かれています。
今回の会期は2月5日(日)までです。
今回は富岡鉄斎、山本丘人などの作品と戦争画を載せます。
富岡鉄斎 「花桜人武士図(はなはさくらひとはぶしず)」 1920年

桜の木の下で扇で顔を隠した武士が寝ています。
花見の宴で寄っていい気持ちになったのでしょうか。
墨による幹の描き方が秀逸です。
「花は桜木、人は武士」は一休の言葉とされています。
枕草子の「春は曙」につながる表現です。
富岡鉄斎 「思邈僊窠図(しばくせんかず)」 1923 年

思邈は隋から唐にかけての医学者、薬学者で、薬王とも呼ばれ、100歳を超える
長寿を保ったとされています。
喉に骨が刺さって苦しむ虎を助けたことから、虎は思邈を守り、思邈が薬草を
採りに行くときは背中に乗せていったそうです。
聖ヒエロニムスがライオンの足に刺さった棘を抜いてあげた話とよく似ています。
僊窠は茶などを入れて運ぶつづらのことです。
富岡鉄斎 「蓬莱仙境図」 1924年

蓬莱山は不老長寿の薬草の生える島とされ、竹取物語にも書かれています。
清の始皇帝の命で徐福が蓬莱山を目指して出航し、向かった先が日本だとも
伝えられています。
山本丘人(1900~1986)は日本画の革新を目指して奮闘した画家です。
展示室にはその革新運動を起こす前の初期の作品、3点が展示されています。
山本丘人 「廣小路夕景」 1932年

上野の山から上野広小路を見下ろした光景です。
西郷像は左手にあります。
山本丘人 「はつなつ」 1932年

フランス人形のような女の子を描いた、ハイカラな絵柄です。
山本丘人 「福原愛子像」 1933年

資生堂創業者の孫で社長だった福原義春氏の母親の肖像です。
初夏でしょうか、とても爽やかな作品です。
以上の3点は福原義春氏の寄贈です。
後の荒々しいまでの作風と比べると、どれも穏やかで優しい作品揃いです。
2010年に日本橋髙島屋で開かれた「山本丘人展」の記事です。
岸田劉生 「冬瓜茄子図」 1926年

岸田劉生(1891~1929)は洋画家ですが、日本画も描いています。
小川芋銭 「金太郎」 1928年

小川芋銭(1868~1938)は生涯、牛久沼の近くに住み、河童などの妖精を
よく描いた画家です。
この金太郎も河童に似た趣きがあります。
以下は戦争画の展示です。
藤田嗣治 「哈爾哈河畔之戦闘」 1941年



1939年にモンゴルと中国の国境付近を流れる哈爾哈(ハルハ)河で
日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件を題材にしています。
平原でソ連軍戦車を攻撃する日本軍の歩兵を描いていますが、
この時期は後に描いた戦争画に比べて、」まだ色彩も明るく、
どこかのどかな雰囲気があります。
実際のノモンハン事件は日ソ両軍とも大きな損害を受けた苛烈な戦闘でした。
宮本三郎 「本間、ウエンライト会見図」 1944年

太平洋戦争で1941年から日本軍はフィリピンを攻略し、駐留していたアメリカ軍は
1942年5月に降伏しています。
日本軍司令官、本間雅晴中将とアメリカ軍司令官、ウエンライト中将の会見の模様を
描いていますが、会見する両将を左に寄せ、撮影する報道班員を中心にした
珍しい構図です。
小磯良平 「カンパル攻略(倉田中尉の奮戦)」 1944年

太平洋戦争開戦当日の1941年12月8日に日本軍はマレー半島のコタバルに上陸し、
シンガポールを目指して南下します。
途中のカンパルでのイギリス軍との交戦を描いていますが、逃げるイギリス兵も
追う日本兵も草に隠れて、まるで風景画のようです。
ヨーロッパの初期の風景画家が人物を点景のように描き加えて、歴史画や宗教画ですと
言っていたのと似ています。
chariot
東京国立近代美術館では「所蔵作品展 MOMATコレクション」が開かれています。
今回の会期は2月5日(日)までです。
今回は富岡鉄斎、山本丘人などの作品と戦争画を載せます。
富岡鉄斎 「花桜人武士図(はなはさくらひとはぶしず)」 1920年

桜の木の下で扇で顔を隠した武士が寝ています。
花見の宴で寄っていい気持ちになったのでしょうか。
墨による幹の描き方が秀逸です。
「花は桜木、人は武士」は一休の言葉とされています。
枕草子の「春は曙」につながる表現です。
富岡鉄斎 「思邈僊窠図(しばくせんかず)」 1923 年

思邈は隋から唐にかけての医学者、薬学者で、薬王とも呼ばれ、100歳を超える
長寿を保ったとされています。
喉に骨が刺さって苦しむ虎を助けたことから、虎は思邈を守り、思邈が薬草を
採りに行くときは背中に乗せていったそうです。
聖ヒエロニムスがライオンの足に刺さった棘を抜いてあげた話とよく似ています。
僊窠は茶などを入れて運ぶつづらのことです。
富岡鉄斎 「蓬莱仙境図」 1924年

蓬莱山は不老長寿の薬草の生える島とされ、竹取物語にも書かれています。
清の始皇帝の命で徐福が蓬莱山を目指して出航し、向かった先が日本だとも
伝えられています。
山本丘人(1900~1986)は日本画の革新を目指して奮闘した画家です。
展示室にはその革新運動を起こす前の初期の作品、3点が展示されています。
山本丘人 「廣小路夕景」 1932年

上野の山から上野広小路を見下ろした光景です。
西郷像は左手にあります。
山本丘人 「はつなつ」 1932年

フランス人形のような女の子を描いた、ハイカラな絵柄です。
山本丘人 「福原愛子像」 1933年

資生堂創業者の孫で社長だった福原義春氏の母親の肖像です。
初夏でしょうか、とても爽やかな作品です。
以上の3点は福原義春氏の寄贈です。
後の荒々しいまでの作風と比べると、どれも穏やかで優しい作品揃いです。
2010年に日本橋髙島屋で開かれた「山本丘人展」の記事です。
岸田劉生 「冬瓜茄子図」 1926年

岸田劉生(1891~1929)は洋画家ですが、日本画も描いています。
小川芋銭 「金太郎」 1928年

小川芋銭(1868~1938)は生涯、牛久沼の近くに住み、河童などの妖精を
よく描いた画家です。
この金太郎も河童に似た趣きがあります。
以下は戦争画の展示です。
藤田嗣治 「哈爾哈河畔之戦闘」 1941年



1939年にモンゴルと中国の国境付近を流れる哈爾哈(ハルハ)河で
日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件を題材にしています。
平原でソ連軍戦車を攻撃する日本軍の歩兵を描いていますが、
この時期は後に描いた戦争画に比べて、」まだ色彩も明るく、
どこかのどかな雰囲気があります。
実際のノモンハン事件は日ソ両軍とも大きな損害を受けた苛烈な戦闘でした。
宮本三郎 「本間、ウエンライト会見図」 1944年

太平洋戦争で1941年から日本軍はフィリピンを攻略し、駐留していたアメリカ軍は
1942年5月に降伏しています。
日本軍司令官、本間雅晴中将とアメリカ軍司令官、ウエンライト中将の会見の模様を
描いていますが、会見する両将を左に寄せ、撮影する報道班員を中心にした
珍しい構図です。
小磯良平 「カンパル攻略(倉田中尉の奮戦)」 1944年

太平洋戦争開戦当日の1941年12月8日に日本軍はマレー半島のコタバルに上陸し、
シンガポールを目指して南下します。
途中のカンパルでのイギリス軍との交戦を描いていますが、逃げるイギリス兵も
追う日本兵も草に隠れて、まるで風景画のようです。
ヨーロッパの初期の風景画家が人物を点景のように描き加えて、歴史画や宗教画ですと
言っていたのと似ています。
上野
上野の東京都美術館では「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」が開かれています。
会期は4月9日(日)までです。

エゴン・シーレ(1890-1918)の作品約50点を中心にして、ウィーンのレオポルド美術館の
所蔵する同時代の作家の作品を展示する展覧会です。
レオポルド美術館は世界最大のエゴン・シーレのコレクションで知られています。
エゴン・シーレはオーストリアのウィーン近郊に生まれ、幼い頃から芸術の才能に恵まれ、
ウィーン工芸学校で学んだ後、1906年にウィーン美術アカデミーに入学しています。
アドルフ・ヒトラーも翌年と翌々年に受験しますが不合格で、芸術家への道を諦めています。
しかし、シーレはアカデミーの古典主義的な教育方針に不満を持ち、工芸学校の
先輩であるグスタフ・クリムト(1862-1918)に近付き、援助も受けています。
「ほおずきのある自画像」 1912年

自負心の強そうな顔つきをしていて、ほおずきの赤い実や細い茎が緊張感を
生み出しています。
ゴッホを尊敬していて、筆遣いもぐいぐいとして、力強さがあります。
「自分を見つめる人II(死と男)」 1911年

影のように後ろに貼り付いている男は死神に見え、突き出された腕には不安、
不条理を感じます。
シーレの作品の多くには表現主義的な荒々しさが見られます。
「母と子」 1912年

母は子をしっかりと抱きしめていますが、子どもは驚いたように目を見開き、
こちらを見ています。
人に安心感を与えない、不穏な雰囲気があります。
「悲しみの女」 1912年

絵のモデルになり、同棲もしていたヴァリ・ノイツィルを描いています。
後ろで半分顔を覗かせているのはシーレ自身とのことで、意味ありげな絵です。
「縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ」 1915年

シーレは1914年に、通りの向かいに住んでいたハルムス家のエーディトと結婚します。
シーレはヴァリとの関係もそのまま続けたかったのですが、そんな身勝手なことが
出来る筈もなく、二人は別れてしまいます。
作品は鉛筆とグワッシュを使い、色彩も穏やかで、縞模様もていねいに描かれ、
エーディトもつつましやかな表情をしています。
「カール・グリュンヴァルドの肖像」1917年
豊田市美術館の所蔵です。
暗い背景の中で、椅子に掛けている白い服の人物の姿が強調されています。
荒々しいタッチの画面ですが、組んだ手やシャツの描線は確かで、
力にあふれています。
若い晩年の作品は作風が穏やかになり、その分デッサン力の高さが
際立っています。
カール・グリュンヴァルドは第1次世界大戦で兵役に就いていたシーレの上官で、
後援者ともなっています。
エゴン・シーレは大戦中も絵の才能を認められて、前線勤務を免れ、絵品を描く
ことも出来て、評判も得ますが、大戦の終わった1918年にスペイン風邪に掛かり、
妊娠中のエーディトとほぼ同時に亡くなっています。
ヴァリも従軍看護婦として勤務中の1917年に猩紅熱で亡くなっています。
また、クリムトも1918年にインフルエンザで亡くなっています。
風景画のコーナーは撮影可能です。
「吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)」 1912年

幹や枝は大きく曲がり、ひびのように広がっています。
風景画というより抽象画のようです。
「ドナウ河畔の街シュタインII」 1913年

ドナウ川クルーズの起点、オーストリアのクレムス近くの景色のようです。
縦横の構図で、上半分にドナウ河を大きく取り、下には横から見た建物を
並べています。
「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街IV)」 1914年

シーレは母の故郷、チェコのクルマウ(現チェスキー・クルムロフ)をたびたび訪れ、
その風景を描いています。
建物の配置や色彩は記憶や空想に拠っているところもあるそうです。
エゴン・シーレは早くに才能を開花させた画家ですが、もしもっと生きていたら、
後にどんな作品を描いたろうかと思わせます。
展覧会にはクリムト、オスカー・ココシュカなどの作品も数点ずつ展示されています。
「シェーンブルン庭園風景」 グスタフ・クリムト 1916年

大きな作品で、筆遣いは均一で装飾性があり、色調も整っていて、穏やかな空間が
広がっています。
展覧会のHPです。
人気の高い展覧会で、私の行った28日(土)はグッズ売り場に長い行列が出来ていました。
chariot
上野の東京都美術館では「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」が開かれています。
会期は4月9日(日)までです。

エゴン・シーレ(1890-1918)の作品約50点を中心にして、ウィーンのレオポルド美術館の
所蔵する同時代の作家の作品を展示する展覧会です。
レオポルド美術館は世界最大のエゴン・シーレのコレクションで知られています。
エゴン・シーレはオーストリアのウィーン近郊に生まれ、幼い頃から芸術の才能に恵まれ、
ウィーン工芸学校で学んだ後、1906年にウィーン美術アカデミーに入学しています。
アドルフ・ヒトラーも翌年と翌々年に受験しますが不合格で、芸術家への道を諦めています。
しかし、シーレはアカデミーの古典主義的な教育方針に不満を持ち、工芸学校の
先輩であるグスタフ・クリムト(1862-1918)に近付き、援助も受けています。
「ほおずきのある自画像」 1912年

自負心の強そうな顔つきをしていて、ほおずきの赤い実や細い茎が緊張感を
生み出しています。
ゴッホを尊敬していて、筆遣いもぐいぐいとして、力強さがあります。
「自分を見つめる人II(死と男)」 1911年

影のように後ろに貼り付いている男は死神に見え、突き出された腕には不安、
不条理を感じます。
シーレの作品の多くには表現主義的な荒々しさが見られます。
「母と子」 1912年

母は子をしっかりと抱きしめていますが、子どもは驚いたように目を見開き、
こちらを見ています。
人に安心感を与えない、不穏な雰囲気があります。
「悲しみの女」 1912年

絵のモデルになり、同棲もしていたヴァリ・ノイツィルを描いています。
後ろで半分顔を覗かせているのはシーレ自身とのことで、意味ありげな絵です。
「縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ」 1915年

シーレは1914年に、通りの向かいに住んでいたハルムス家のエーディトと結婚します。
シーレはヴァリとの関係もそのまま続けたかったのですが、そんな身勝手なことが
出来る筈もなく、二人は別れてしまいます。
作品は鉛筆とグワッシュを使い、色彩も穏やかで、縞模様もていねいに描かれ、
エーディトもつつましやかな表情をしています。
「カール・グリュンヴァルドの肖像」1917年
豊田市美術館の所蔵です。
暗い背景の中で、椅子に掛けている白い服の人物の姿が強調されています。
荒々しいタッチの画面ですが、組んだ手やシャツの描線は確かで、
力にあふれています。
若い晩年の作品は作風が穏やかになり、その分デッサン力の高さが
際立っています。
カール・グリュンヴァルドは第1次世界大戦で兵役に就いていたシーレの上官で、
後援者ともなっています。
エゴン・シーレは大戦中も絵の才能を認められて、前線勤務を免れ、絵品を描く
ことも出来て、評判も得ますが、大戦の終わった1918年にスペイン風邪に掛かり、
妊娠中のエーディトとほぼ同時に亡くなっています。
ヴァリも従軍看護婦として勤務中の1917年に猩紅熱で亡くなっています。
また、クリムトも1918年にインフルエンザで亡くなっています。
風景画のコーナーは撮影可能です。
「吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)」 1912年

幹や枝は大きく曲がり、ひびのように広がっています。
風景画というより抽象画のようです。
「ドナウ河畔の街シュタインII」 1913年

ドナウ川クルーズの起点、オーストリアのクレムス近くの景色のようです。
縦横の構図で、上半分にドナウ河を大きく取り、下には横から見た建物を
並べています。
「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街IV)」 1914年

シーレは母の故郷、チェコのクルマウ(現チェスキー・クルムロフ)をたびたび訪れ、
その風景を描いています。
建物の配置や色彩は記憶や空想に拠っているところもあるそうです。
エゴン・シーレは早くに才能を開花させた画家ですが、もしもっと生きていたら、
後にどんな作品を描いたろうかと思わせます。
展覧会にはクリムト、オスカー・ココシュカなどの作品も数点ずつ展示されています。
「シェーンブルン庭園風景」 グスタフ・クリムト 1916年

大きな作品で、筆遣いは均一で装飾性があり、色調も整っていて、穏やかな空間が
広がっています。
展覧会のHPです。
人気の高い展覧会で、私の行った28日(土)はグッズ売り場に長い行列が出来ていました。
竹橋
東京国立近代美術館では「大竹伸朗展」が開かれています。
会期は2月5日(日)までです。

現代芸術家の大竹伸朗さん(1955-)の最初期の作品から最近作まで約500点を
展示する、本格的な回顧展です。
作品は撮影可能です。
「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「層」「音」などに分けて
展示されています。
小学生時代に制作した「黒い」「紫電改」と1973年制作の「自画像」です。

自/他
「モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像」 2012年



小屋とトレーラーがセットになっています。
記憶
「サンティアーゴ」 1985年 富山県美術館

時間
「時憶/フィードバック」 2015年


ターンテーブルの回転につれて、針金で出来た人間が引きずり回されています。
スクラップブック
「スクラップブック #66/ 宇和島」 2010–12年

「スクラップブック #22 /東京」 1981.7.3–7.31

薬のカプセルも貼ってあります。
層
「網膜 (ワイヤー・ホライズン、タンジェ)」 1990-93年 東京国立近代美術館

音
「ダブ平&ニューシャネル」 1999 年 公益財団法人 福武財団

作者の記憶、情感などを一気に噴出させたような、エネルギーにあふれた作品群で、
観ていて圧倒されます。
展覧会のHPです。
chariot
東京国立近代美術館では「大竹伸朗展」が開かれています。
会期は2月5日(日)までです。

現代芸術家の大竹伸朗さん(1955-)の最初期の作品から最近作まで約500点を
展示する、本格的な回顧展です。
作品は撮影可能です。
「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「層」「音」などに分けて
展示されています。
小学生時代に制作した「黒い」「紫電改」と1973年制作の「自画像」です。

自/他
「モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像」 2012年



小屋とトレーラーがセットになっています。
記憶
「サンティアーゴ」 1985年 富山県美術館

時間
「時憶/フィードバック」 2015年


ターンテーブルの回転につれて、針金で出来た人間が引きずり回されています。
スクラップブック
「スクラップブック #66/ 宇和島」 2010–12年

「スクラップブック #22 /東京」 1981.7.3–7.31

薬のカプセルも貼ってあります。
層
「網膜 (ワイヤー・ホライズン、タンジェ)」 1990-93年 東京国立近代美術館

音
「ダブ平&ニューシャネル」 1999 年 公益財団法人 福武財団

作者の記憶、情感などを一気に噴出させたような、エネルギーにあふれた作品群で、
観ていて圧倒されます。
展覧会のHPです。
新御茶ノ水
「Donato(ドナート)」は神田駿河台にあるジャズ喫茶です。
場所は千代田区神田駿河台3-3で、駿河台から神保町に下る途中から入った
小路にあります。


2021年のオープン、若いマスターのお店で、以前も喫茶店だった所なので、
内装はジャズ喫茶風ではありません。
月火はお休み、平日は1時、土日祝は12時オープンです。


店内は全席禁煙、会話も控える決まりで、ジャズのレコードが大音量で掛けられています。
マスターの好みは70年代のジャズとのことです。
Don Pullenの「Jazz A Confronto 21」(1975)です。
ラテンの風味が入っていました。

メニューにはアルコールもあります。


コーヒー600円と紅茶600円です。

サイフォンのコーヒーは元の喫茶店のマスターに淹れ方を教えてもらったそうで、
すっきりとしています。
かなりの大音量ですが、ジャズ好きではなくても独りを楽しむことの出来るお店です。
お店のTwitterは毎日upされています。
***
神保町の三省堂書店本店は建替工事のため、小川町の仮店舗で営業中です。
場所は神田小川町2-5、靖国通りに面していて、スターバックス神田小川町2丁目店の
隣です。



屋上に大きな看板が上がっています。

chariot
「Donato(ドナート)」は神田駿河台にあるジャズ喫茶です。
場所は千代田区神田駿河台3-3で、駿河台から神保町に下る途中から入った
小路にあります。


2021年のオープン、若いマスターのお店で、以前も喫茶店だった所なので、
内装はジャズ喫茶風ではありません。
月火はお休み、平日は1時、土日祝は12時オープンです。


店内は全席禁煙、会話も控える決まりで、ジャズのレコードが大音量で掛けられています。
マスターの好みは70年代のジャズとのことです。
Don Pullenの「Jazz A Confronto 21」(1975)です。
ラテンの風味が入っていました。

メニューにはアルコールもあります。


コーヒー600円と紅茶600円です。

サイフォンのコーヒーは元の喫茶店のマスターに淹れ方を教えてもらったそうで、
すっきりとしています。
かなりの大音量ですが、ジャズ好きではなくても独りを楽しむことの出来るお店です。
お店のTwitterは毎日upされています。
***
神保町の三省堂書店本店は建替工事のため、小川町の仮店舗で営業中です。
場所は神田小川町2-5、靖国通りに面していて、スターバックス神田小川町2丁目店の
隣です。



屋上に大きな看板が上がっています。

日本橋
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「國川裕美展-paradiso-」が
開かれています。
会期は1月30日(月)までです。

國川裕美さん(1988~)は東京芸術大学彫刻家を卒業、大学院彫刻科修士課程を
修了し、イタリアで研修されています。
イタリア北部のヴィチェンツァの石灰岩による作品が展示されています。
Paradisoはイタリア語で天国、楽園という意味です。
「ろばの子」

「porta」

門という意味です。
ほのぼのとした味わいがあります。
「ciello stellato」

星空という意味です。
「piccione (verde)」

鳩(緑)という意味で、ムラーノガラスが嵌め込まれています。
「羊のモルタイオ」

モルタイオは小さなすり鉢のことです。
「羊とふくろう」

作品はどれも素朴で柔らかく温かみがあり、イタリアの風も感じます。
chariot
日本橋髙島屋美術画廊Xでは「國川裕美展-paradiso-」が
開かれています。
会期は1月30日(月)までです。

國川裕美さん(1988~)は東京芸術大学彫刻家を卒業、大学院彫刻科修士課程を
修了し、イタリアで研修されています。
イタリア北部のヴィチェンツァの石灰岩による作品が展示されています。
Paradisoはイタリア語で天国、楽園という意味です。
「ろばの子」

「porta」

門という意味です。
ほのぼのとした味わいがあります。
「ciello stellato」

星空という意味です。
「piccione (verde)」

鳩(緑)という意味で、ムラーノガラスが嵌め込まれています。
「羊のモルタイオ」

モルタイオは小さなすり鉢のことです。
「羊とふくろう」

作品はどれも素朴で柔らかく温かみがあり、イタリアの風も感じます。
東京
東京駅の東京ステーションギャラリーでは「佐伯祐三 自画像としての風景」展が
開かれています。
会期は4月2日(日)までです。

大阪中之島美術館の所蔵する佐伯祐三コレクションを中心に、約100点を展示する
展覧会です。
佐伯祐三(1898-1928)は大阪に生まれ、東京美術学校では藤島武二に師事しています。
「自画像」 1923年 東京藝術大学

東京藝術大学は東京美術学校時代から西洋画科の生徒は卒業時に自画像を
遺していくことになっています。
印象派風の明るい色彩ですが、力強い筆触に特徴があります。
佐伯祐三の住んでいた下落合にアトリエを構えていた中村彝(なかむらつね、
1887‐1924)の「エロシェンコ氏の像」に影響を受けた作品ですが、佐伯と中村が
直接会ったことは無かったそうです。
参考
中村彝 「エロシェンコ氏の像」 1920年 東京国立近代美術館 重要文化財

佐伯は卒業の翌年の1924年にフランスに渡っています。
そこでヴラマンクに会い、自分の作品を見せたところ、「このアカデミック!」と
一蹴されてしまい、大きな衝撃を受け、それ以後画風も変わります。
同じ頃、パリで人気画家として活躍していた藤田嗣治(レオナール・フジタ)も、
最初にパリに来た時は東京美術学校で身に付けた画風がもう古くなっている
ことに気付かされ、新しい画風の確立に苦闘しています。
「立てる自画像」 1924年 大阪中之島美術館

ヴラマンクに会って画風は大きく変わっています。
本人はこの絵に満足していなかったようで、裏に別の絵が描かれています。
「オーヴェールの教会」 1924年 鳥取県立博物館

佐伯はオーヴェル=シュル=オワーズに住むヴラマンクを訪ねた翌日に同地にある
ゴッホの墓に詣でています。
ゴッホが描いたのと同じ教会を描いていて、ヴラマンク風の荒々しさが見えます。
ヴラマンク自身、ゴッホの強い影響を受けた画家です。
「コルドヌリ(靴屋)」 1925年 アーティゾン美術館

やがて佐伯はヴラマンクの荒々しさから離れ、ユトリロの影響を受けるようになります。
主題もパリとその建物の壁が中心になります。
佐伯は気に入った場所を何度も描いていて、ここを描いた作品も2点、展示されています。
「広告と蝋燭立」 油彩、キャンバス 1925年 和歌山県立近代美術館

佐伯は雨の日は室内で静物画を描いていました。
視点の置き方など、セザンヌの影響も受けていることが分かります。
同じ頃にパリに滞在していた前田寛治が所蔵していた作品です。
パリで健康を害した佐伯は周囲の説得で、1926年に帰国します。
「下落合風景」 1926年頃 和歌山県立近代美術館

日本では住んでいた下落合の風景を多く描いています。
電柱の縦の線が画面を大きくしています。
フランスのような堅牢で背の高い構造物の少ない日本では題材選びに
苦労していたそうです。
「汽船」 1926年頃 大阪中之島美術館

故郷の大阪では波止場に係留してある船をよく描いています。
広い灰色の空の下、船体の白と赤が際立ちます。
船を描いた他の作品では、何隻もの船の並ぶマストとロープのつくる形に
興味を持っています。
佐伯は日本の風景が自分の画風に会わないことに悩み、無理をして27年に
再びパリに渡っています。
「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」 1927年 大阪中之島美術館

佐伯は壁のポスターなどの字に関心を寄せ、絵の中に取り込んでいきます。
このデザインの椅子は現在も使われ、丸の内仲通りなどで見掛けることがあります。
「テラスの広告」 1927年 アーティゾン美術館

同じオテル・デュ・マルシェを題材にした作品です。
「広告貼り」 1927年 アーティゾン美術館

佐伯は壁のポスターをよく題材にしていますが、それを貼る人も一緒に描いた作品です。
レオナール・フジタにもポスター貼りを描いた絵があります。
フジタは職人を中心にしていますが、こちらの主題はポスターそのものです。
1948年のイタリア映画、「自転車泥棒」の主人公もポスター貼りをしていました。
「ガス灯と広告」 1927年 アーティゾン美術館

アーティゾン美術館のコレクション展の時の写真です。
大きな作品で、壁一面に貼られたポスターの字は紙をはみ出すほどで、
右上の佐伯のサインもポスターと一体化しています。
レビューのポスターも貼ってあるのが分かります。
「リュクサンブール公園」 1927年 田辺市立美術館

建物を題材にした佐伯祐三にしては珍しく、遠近法を効かして並木道を描いています。
翌年にパリで客死した佐伯は、描き急ぐかのように筆を走らせています。
「新聞屋」 1927年 朝日新聞東京本社

店に置かれた新聞や雑誌の文字が細かく描き込まれています。
この作品を描いた翌年の1928年に佐伯はフランスで亡くなり、遺作として二科展の
第15回展に出展されています。
「モランの寺」 1928年 東京国立近代美術館

結核の悪化していた佐伯は2月にパリ近郊のモランに写生旅行に行っています。
モランの教会を何点か描いていますが、文字を強調したパリの絵とは異なり、
どれも太い輪郭線による構築的な作品です。
「煉瓦焼」 1928年 大阪中之島美術館

モランで見かけた煉瓦工場に興味を持って描いています。
左右対称、太い輪郭線、鮮烈な朱色、絵具を搔き取って表した煉瓦の線など、
強烈な印象を与えます。
佐伯祐三を最初に評価し、多くの作品を収集した山本發次郎(1887-1951)が
佐伯を最初に知るきっかけとなった作品とのことです。
大阪中之島美術館は山本發次郎の遺族が大阪市に寄贈した佐伯祐三の
コレクションなどを中核として発足しています。
「ロシアの少女」 1928年 大阪中之島美術館

パリに戻った佐伯は衰えた体力を振り絞って描き続けています。
1917年のロシア革命から逃れてきたロシア貴族の娘をモデルにしています。
手早く勢いよく描き上げた絵で、色彩も明るく、高い鼻や大きな目が強調され、
民族衣装らしい服も面白く描かれています。
しかし、一緒に来た母親は出来上がった絵を見て、「悪い時には悪いことが重なる
ものだ」と嘆いたそうです。
「郵便配達夫」 1928年 大阪中之島美術館

偶然訪れた郵便配達夫をモデルにしています。
体をやや傾けた動きのある姿勢を直線でまとめ、服の藍色に赤と白を加えています。
階段状の直線による構成は佐伯の形への関心を示しています。
この配達夫はいつもの人ではなかったのですが、頼んで後日来てもらって描いたそうです。
この時しか現れなかった配達夫について、佐伯の看病をしていた妻の米子はあとで、
「あの人は神様だったのではないか」と述べています。
結核の悪化した佐伯は精神も病み、最後は精神病院に入院して、8月16日に
30歳で亡くなっています。
佐伯祐三のフランス滞在期間は短いものでしたが、その間に大きく作風を変え、
佐伯独自の世界をつくり上げています。
展覧会のHPです。
chariot
東京駅の東京ステーションギャラリーでは「佐伯祐三 自画像としての風景」展が
開かれています。
会期は4月2日(日)までです。

大阪中之島美術館の所蔵する佐伯祐三コレクションを中心に、約100点を展示する
展覧会です。
佐伯祐三(1898-1928)は大阪に生まれ、東京美術学校では藤島武二に師事しています。
「自画像」 1923年 東京藝術大学

東京藝術大学は東京美術学校時代から西洋画科の生徒は卒業時に自画像を
遺していくことになっています。
印象派風の明るい色彩ですが、力強い筆触に特徴があります。
佐伯祐三の住んでいた下落合にアトリエを構えていた中村彝(なかむらつね、
1887‐1924)の「エロシェンコ氏の像」に影響を受けた作品ですが、佐伯と中村が
直接会ったことは無かったそうです。
参考
中村彝 「エロシェンコ氏の像」 1920年 東京国立近代美術館 重要文化財

佐伯は卒業の翌年の1924年にフランスに渡っています。
そこでヴラマンクに会い、自分の作品を見せたところ、「このアカデミック!」と
一蹴されてしまい、大きな衝撃を受け、それ以後画風も変わります。
同じ頃、パリで人気画家として活躍していた藤田嗣治(レオナール・フジタ)も、
最初にパリに来た時は東京美術学校で身に付けた画風がもう古くなっている
ことに気付かされ、新しい画風の確立に苦闘しています。
「立てる自画像」 1924年 大阪中之島美術館

ヴラマンクに会って画風は大きく変わっています。
本人はこの絵に満足していなかったようで、裏に別の絵が描かれています。
「オーヴェールの教会」 1924年 鳥取県立博物館

佐伯はオーヴェル=シュル=オワーズに住むヴラマンクを訪ねた翌日に同地にある
ゴッホの墓に詣でています。
ゴッホが描いたのと同じ教会を描いていて、ヴラマンク風の荒々しさが見えます。
ヴラマンク自身、ゴッホの強い影響を受けた画家です。
「コルドヌリ(靴屋)」 1925年 アーティゾン美術館

やがて佐伯はヴラマンクの荒々しさから離れ、ユトリロの影響を受けるようになります。
主題もパリとその建物の壁が中心になります。
佐伯は気に入った場所を何度も描いていて、ここを描いた作品も2点、展示されています。
「広告と蝋燭立」 油彩、キャンバス 1925年 和歌山県立近代美術館

佐伯は雨の日は室内で静物画を描いていました。
視点の置き方など、セザンヌの影響も受けていることが分かります。
同じ頃にパリに滞在していた前田寛治が所蔵していた作品です。
パリで健康を害した佐伯は周囲の説得で、1926年に帰国します。
「下落合風景」 1926年頃 和歌山県立近代美術館

日本では住んでいた下落合の風景を多く描いています。
電柱の縦の線が画面を大きくしています。
フランスのような堅牢で背の高い構造物の少ない日本では題材選びに
苦労していたそうです。
「汽船」 1926年頃 大阪中之島美術館

故郷の大阪では波止場に係留してある船をよく描いています。
広い灰色の空の下、船体の白と赤が際立ちます。
船を描いた他の作品では、何隻もの船の並ぶマストとロープのつくる形に
興味を持っています。
佐伯は日本の風景が自分の画風に会わないことに悩み、無理をして27年に
再びパリに渡っています。
「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」 1927年 大阪中之島美術館

佐伯は壁のポスターなどの字に関心を寄せ、絵の中に取り込んでいきます。
このデザインの椅子は現在も使われ、丸の内仲通りなどで見掛けることがあります。
「テラスの広告」 1927年 アーティゾン美術館

同じオテル・デュ・マルシェを題材にした作品です。
「広告貼り」 1927年 アーティゾン美術館

佐伯は壁のポスターをよく題材にしていますが、それを貼る人も一緒に描いた作品です。
レオナール・フジタにもポスター貼りを描いた絵があります。
フジタは職人を中心にしていますが、こちらの主題はポスターそのものです。
1948年のイタリア映画、「自転車泥棒」の主人公もポスター貼りをしていました。
「ガス灯と広告」 1927年 アーティゾン美術館

アーティゾン美術館のコレクション展の時の写真です。
大きな作品で、壁一面に貼られたポスターの字は紙をはみ出すほどで、
右上の佐伯のサインもポスターと一体化しています。
レビューのポスターも貼ってあるのが分かります。
「リュクサンブール公園」 1927年 田辺市立美術館

建物を題材にした佐伯祐三にしては珍しく、遠近法を効かして並木道を描いています。
翌年にパリで客死した佐伯は、描き急ぐかのように筆を走らせています。
「新聞屋」 1927年 朝日新聞東京本社

店に置かれた新聞や雑誌の文字が細かく描き込まれています。
この作品を描いた翌年の1928年に佐伯はフランスで亡くなり、遺作として二科展の
第15回展に出展されています。
「モランの寺」 1928年 東京国立近代美術館

結核の悪化していた佐伯は2月にパリ近郊のモランに写生旅行に行っています。
モランの教会を何点か描いていますが、文字を強調したパリの絵とは異なり、
どれも太い輪郭線による構築的な作品です。
「煉瓦焼」 1928年 大阪中之島美術館

モランで見かけた煉瓦工場に興味を持って描いています。
左右対称、太い輪郭線、鮮烈な朱色、絵具を搔き取って表した煉瓦の線など、
強烈な印象を与えます。
佐伯祐三を最初に評価し、多くの作品を収集した山本發次郎(1887-1951)が
佐伯を最初に知るきっかけとなった作品とのことです。
大阪中之島美術館は山本發次郎の遺族が大阪市に寄贈した佐伯祐三の
コレクションなどを中核として発足しています。
「ロシアの少女」 1928年 大阪中之島美術館

パリに戻った佐伯は衰えた体力を振り絞って描き続けています。
1917年のロシア革命から逃れてきたロシア貴族の娘をモデルにしています。
手早く勢いよく描き上げた絵で、色彩も明るく、高い鼻や大きな目が強調され、
民族衣装らしい服も面白く描かれています。
しかし、一緒に来た母親は出来上がった絵を見て、「悪い時には悪いことが重なる
ものだ」と嘆いたそうです。
「郵便配達夫」 1928年 大阪中之島美術館

偶然訪れた郵便配達夫をモデルにしています。
体をやや傾けた動きのある姿勢を直線でまとめ、服の藍色に赤と白を加えています。
階段状の直線による構成は佐伯の形への関心を示しています。
この配達夫はいつもの人ではなかったのですが、頼んで後日来てもらって描いたそうです。
この時しか現れなかった配達夫について、佐伯の看病をしていた妻の米子はあとで、
「あの人は神様だったのではないか」と述べています。
結核の悪化した佐伯は精神も病み、最後は精神病院に入院して、8月16日に
30歳で亡くなっています。
佐伯祐三のフランス滞在期間は短いものでしたが、その間に大きく作風を変え、
佐伯独自の世界をつくり上げています。
展覧会のHPです。
池袋
西武池袋本店7階催事場では「第77回春の院展」が開かれています。
会期は1月29日(日)まで、入場料は一般・大学生600円です。
春の院展の作品は秋の院展に比べ、一回り小さいサイズです。

「春の雪」 那波多目功一

二上山近く、中将姫伝説で知られる、奈良の石光寺の寒牡丹です。
「喝采」 岸野香

木々の葉の影が地に映って、喝采を浴びているように賑やかです。
「花守」 手塚雄二

烏でしょうか、満開の桜の枝を掴んで飛んでいきます。
「無窮」 西田俊英

大きな竹の民具に牡丹を活けてあります。
背景は金箔地に、周文に倣った水墨画で、古格の趣きがあります。
「幻想響」 村上裕二

マンガやアニメ風で、馬の駆ける響きも描かれています。
「倣春草菊慈童之図」 高橋天山


稚児髷の子供が紅葉の下、菊の咲く水辺に佇んでいます。
能の「菊慈童」や日本美術院の創始者の一人、菱田春草の作品に倣っています。
参考
「菊慈童」 明治33年(1900) 飯田市美術博物館

周の王に仕えていた少年が罪を得て深山に流されたものの、菊の葉から滴る
水の霊力によって不老不死となったという話で、能の演目にもなっています。
木々の紅葉した山中で、少年が水辺に佇んでいます。
以下は受賞者の作品です。
「マリーナの午後」 荒木恵信 外務大臣賞

コンクリートの照り返しが眩しく光っています。
「虎落笛(もがりぶえ)」 須田健文 春季展賞

雪の積もった冷たい雪景色で、吹く風が虎落笛を鳴らします。
「冬の心臓」 守みどり 春季展賞「郁夫賞」

草花に囲まれた女性像です。
chariot
西武池袋本店7階催事場では「第77回春の院展」が開かれています。
会期は1月29日(日)まで、入場料は一般・大学生600円です。
春の院展の作品は秋の院展に比べ、一回り小さいサイズです。

「春の雪」 那波多目功一

二上山近く、中将姫伝説で知られる、奈良の石光寺の寒牡丹です。
「喝采」 岸野香

木々の葉の影が地に映って、喝采を浴びているように賑やかです。
「花守」 手塚雄二

烏でしょうか、満開の桜の枝を掴んで飛んでいきます。
「無窮」 西田俊英

大きな竹の民具に牡丹を活けてあります。
背景は金箔地に、周文に倣った水墨画で、古格の趣きがあります。
「幻想響」 村上裕二

マンガやアニメ風で、馬の駆ける響きも描かれています。
「倣春草菊慈童之図」 高橋天山


稚児髷の子供が紅葉の下、菊の咲く水辺に佇んでいます。
能の「菊慈童」や日本美術院の創始者の一人、菱田春草の作品に倣っています。
参考
「菊慈童」 明治33年(1900) 飯田市美術博物館

周の王に仕えていた少年が罪を得て深山に流されたものの、菊の葉から滴る
水の霊力によって不老不死となったという話で、能の演目にもなっています。
木々の紅葉した山中で、少年が水辺に佇んでいます。
以下は受賞者の作品です。
「マリーナの午後」 荒木恵信 外務大臣賞

コンクリートの照り返しが眩しく光っています。
「虎落笛(もがりぶえ)」 須田健文 春季展賞

雪の積もった冷たい雪景色で、吹く風が虎落笛を鳴らします。
「冬の心臓」 守みどり 春季展賞「郁夫賞」

草花に囲まれた女性像です。
銀座
銀座の日動画廊では1月25日(水)まで、「富嶽・日本の富士 絹谷幸二展」が
開かれています。
日曜日は休廊です。
日動画廊100周年記念事業・文化勲章受章記念ということで、富士山を題材にした
作品が展示されています。
大学院時代にイタリア留学で習得したアフレスコ(フレスコ)の技法に拠っており、
どれも力強く豪奢で、向かい合う龍虎も共に描かれた絵もあります。
「朝暘雄大富士山」

北側からの景色で、東に朝日が昇り、西の空には月が浮かんでいます。
金銀の雲がたなびき、薄紅の雲は桜を見るようです。
2010年に東京藝術大学大学美術館で開かれた「絹谷幸二 生命の軌跡」展の記事です。
***
東京メトロ銀座駅コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、
3面の展示スペースに立体作品が展示されています。
4月15日までは「METORO ART PASSAGE」展が開かれ、
9名のアーティストの作品が順次、展示されます。
2月25日までは以下の3名の作品の展示です。
相澤久徳

「時の向かう行方」

「結びとられた時の風 I」

「風の中の陽だまり」

長谷川登

「光焔」

「光焔」

「籾」

浜田修子 「包む」



chariot
銀座の日動画廊では1月25日(水)まで、「富嶽・日本の富士 絹谷幸二展」が
開かれています。
日曜日は休廊です。
日動画廊100周年記念事業・文化勲章受章記念ということで、富士山を題材にした
作品が展示されています。
大学院時代にイタリア留学で習得したアフレスコ(フレスコ)の技法に拠っており、
どれも力強く豪奢で、向かい合う龍虎も共に描かれた絵もあります。
「朝暘雄大富士山」

北側からの景色で、東に朝日が昇り、西の空には月が浮かんでいます。
金銀の雲がたなびき、薄紅の雲は桜を見るようです。
2010年に東京藝術大学大学美術館で開かれた「絹谷幸二 生命の軌跡」展の記事です。
***
東京メトロ銀座駅コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、
3面の展示スペースに立体作品が展示されています。
4月15日までは「METORO ART PASSAGE」展が開かれ、
9名のアーティストの作品が順次、展示されます。
2月25日までは以下の3名の作品の展示です。
相澤久徳

「時の向かう行方」

「結びとられた時の風 I」

「風の中の陽だまり」

長谷川登

「光焔」

「光焔」

「籾」

浜田修子 「包む」



表参道
南青山の根津美術館では企画展、「遊びの美学」が開かれています。
会期は2月5日(日)までです。

雅な遊び
「上東門院彰子菊合残巻(十巻本歌合) 伝 宗尊親王筆 1巻 平安時代 11世紀

上東門院彰子(988-1074)は一条天皇の皇后で、紫式部、和泉式部、赤染衛門、
伊勢大輔などの揃ったサロンの主催者でもあります。
菊の花を題材にした10番20種の歌を集めた歌合せの記録で、伊勢大輔の名も見えます。
宗尊親王(1242-1274)は後嵯峨天皇の長子で、名筆家として知られています。
鎌倉幕府の要請で、征夷大将軍として鎌倉に住んだこともあります。
残巻は平安時代の作と思われるので、宗尊親王の筆ではないようです。
左 伊勢大輔
ながきよのためしにそふるきくのはなゆくすゑとほくきみのみぞみむ
「源氏物語画帖」 第十七帖 「絵合」(部分) 伝 土佐光起筆 江戸時代 17世紀

藤壺中宮が女房たちを梅壺女御側と弘徽殿女御側に分け、持ち寄った絵を競わせた、
絵合せの場面です。
この勝負、冷泉帝の御前でも行われ、光源氏の須磨の絵によって梅壺女御側の
勝ちとなります。
「桜下蹴鞠図屏風」 江戸時代 17世紀 重要美術品
(右隻)

お公家さんや僧侶が蹴鞠に興じています。
蹴鞠は4本の木の間で行なわれますが、この絵では満開の桜になっています。
鞠が画面上で半分だけ飛び出しています。
左隻では、塀の外で従者たちが退屈そうに主人の帰りを待っています。
大きく伸びをして、あくびする者もいて、のどかな風景です。
右隻の人物が様々の衣装を着て、動きのあるのに対し、左隻の従者たちは
黒烏帽子に白の水干姿で、静かに座っています。
左隻の、水辺を表す線も大胆で、モダンです。
右隻と左隻を、枝を伸ばした桜がつないでいます。
大らかな雰囲気で、俵屋宗達の工房による製作と考えられています。
「百椿図」 2巻 伝 狩野山楽 江戸時代 17世紀
丹波国篠山藩、後に播磨国明石藩7万石の藩主となった松平忠国(1597-1659)の
注文により狩野山楽が描いたとされ、忠国とその子で老中にもなった信之(1631-86)の
2代にわたって、それぞれの花に著名人に漢詩や和歌の賛を書いてもらっています。
本之巻と末之巻の長い絵巻ですが、今回展示されているのは短い部分です。
末之巻の巻末には「大白玉」という品種に松平忠国が和歌を寄せています。

名にしほふ しらたま椿 さくころを 待えてみのの 山ののどけさ
白玉椿は美濃の椿として知られていました。
武芸を磨く
「玉藻前物語絵巻」 2巻のうち下巻 室町時代 16世紀

玉藻前となって鳥羽上皇に取り憑いた九尾の狐を陰陽師の安倍泰成に調伏され、
那須野に逃げますが、遂には三浦介義明、千葉介常胤らに討たれます。
三浦介義明は三浦義村の祖父で、高齢ながら源頼朝の挙兵にいち早く加わり、
討ち死にしています。
「曽我物語図屏風」 江戸時代 17世紀
源頼朝の催した富士の巻狩りにおいて父の仇である工藤祐経を討った
曾我十郎と五郎の兄弟の物語です。
右隻
富士の裾野で繰り広げられた壮大な巻狩りの場面です。

猪にまたがって仕留める新田(仁田)忠常と、狩りを観覧する源頼朝です。
新田忠常は兄の十郎を討ち取っています。

左隻
曽我兄弟が工藤祐経を討ち、五郎が処刑されるまでを描いています。

工藤祐経の寝所に押し入る兄弟(下)と、頼朝の前に引出される五郎(右上)です。

市井の楽しみ
「洛中洛外図屏風」 江戸時代 17世紀
右隻

左隻

八曲一双の屛風で、右隻には、東山の清水寺、八坂の塔、方広寺大仏殿、内裏、
祇園祭の山鉾巡行などが見えます。


方広寺は豊臣秀吉の建てた寺で、東大寺大仏殿より大きな大仏殿は1798年に
焼失するまで京の名所だったということです。
右側の赤い柱の大きな建物です。

天皇、足利、豊臣、徳川といった、時々の権力者の象徴を一つの画面に
納めているのが、洛中洛外図の面白さです。
左隻には、祇園祭の神輿行列、金閣寺、北野神社、二条城、東寺、嵐山などが
見えます。
二条城には1750年に焼失した天守閣も描き込まれています。

「邸内遊楽図屏風」(部分) 江戸時代 17世紀


若い男が客をもてなす若衆茶屋の遊びを描いたもので、この題材の屏風は7点、
現存しているそうです。
諸肌脱ぎの男が腕に子供を乗せる芸を披露し、鼓が囃しています。
碁盤や煙草盆も見え、手前では男と女が腕相撲をしています。
平曲を語る琵琶法師、双六をする男の首に手を掛け引っ張る女、茶屋の外で
居眠りをしながら主を待つ駕籠舁の従者などが描かれた面白い屏風です。
「風俗図」 三幅対 江戸時代 17世紀 重要美術品

中央の遊女を挟んで、左右の色男が意味ありげな視線を送っている三幅対です。
遊女は三味線を持った禿(かむろ)を従え、唐輪髷という髪型を結った、
貫禄のある姿です。
打掛には水車と水流を豪快に描き出し、小袖の柄とも合わせ、裏地の赤も華やかです。
裾には何か字が書いてあるように見えます。
水車は宇治の名物なので、伝説の宇治の橋姫を連想させます。
男は二人とも小腰を屈めて、刀は落し差し、若衆の大刀はお洒落な朱鞘です。
展示室5のテーマは「山水」です。
「夕陽山水図」 馬麟筆・理宗賛
絹本墨画淡彩 南宋時代 宝祐2年(1254) 重要文化財

遠山と夕焼け空、四羽のつばめが描かれ、詩が添えられています。
馬麟は馬遠の子で、南宋画院の画家、理宗(1205-1264)は南宋第5代皇帝です。
「潑墨山水図」 拙宗等揚筆 室町時代 15世紀

拙宗等揚は後の雪舟です。
潑墨は墨を散らし、ぼかすようにして描く技法です。
「八角尾垂釜(はっかくおだれがま)」 芦屋 桃山時代 16世紀

8つの面には瀟湘八景が鋳出してあります。
損傷した釜の下の部分を打ち割って底を継ぎ足したので、こんな形をしています。
芦屋釜は筑前芦屋津で南北朝時代から盛んに制作され、京の茶人に好まれましたが、
庇護者である大内氏の滅亡や京釜の台頭で、江戸時代初期に一度絶えています。
展示室6のテーマは「除夜釜―新年を迎えるー」です。
除夜釜は大晦日に設ける茶席です。
「茶杓 銘 大晦日」 江岑宗左作 江戸時代 17世紀

江岑宗左(1613-1672)は表千家4代家元です。
「大海茶入 銘 節季」 室町時代 16世紀

幅の広い形の茶入を大海と言います。
「志野暦文茶碗 銘 年男」 美濃 施釉陶器 江戸時代 17世紀

胴に架空の年号の暦が書かれていて、贈答品として使われていたそうです。
「大津馬図(部分)」 松花堂昭乗筆 沢庵宗彭賛 江戸時代 17世紀

沢庵和尚の賛を書いた色紙が貼ってあります。
なそもかく
おもに(重荷)大津の
馬(生)れきて
なれもうき世に
我もうきよに
大津馬は大津で荷役に使われていた馬のことで、琵琶湖を舟で運ばれてきた米を
京都まで運んだりしていました。
展覧会のHPです。
chariot
南青山の根津美術館では企画展、「遊びの美学」が開かれています。
会期は2月5日(日)までです。

雅な遊び
「上東門院彰子菊合残巻(十巻本歌合) 伝 宗尊親王筆 1巻 平安時代 11世紀

上東門院彰子(988-1074)は一条天皇の皇后で、紫式部、和泉式部、赤染衛門、
伊勢大輔などの揃ったサロンの主催者でもあります。
菊の花を題材にした10番20種の歌を集めた歌合せの記録で、伊勢大輔の名も見えます。
宗尊親王(1242-1274)は後嵯峨天皇の長子で、名筆家として知られています。
鎌倉幕府の要請で、征夷大将軍として鎌倉に住んだこともあります。
残巻は平安時代の作と思われるので、宗尊親王の筆ではないようです。
左 伊勢大輔
ながきよのためしにそふるきくのはなゆくすゑとほくきみのみぞみむ
「源氏物語画帖」 第十七帖 「絵合」(部分) 伝 土佐光起筆 江戸時代 17世紀

藤壺中宮が女房たちを梅壺女御側と弘徽殿女御側に分け、持ち寄った絵を競わせた、
絵合せの場面です。
この勝負、冷泉帝の御前でも行われ、光源氏の須磨の絵によって梅壺女御側の
勝ちとなります。
「桜下蹴鞠図屏風」 江戸時代 17世紀 重要美術品
(右隻)

お公家さんや僧侶が蹴鞠に興じています。
蹴鞠は4本の木の間で行なわれますが、この絵では満開の桜になっています。
鞠が画面上で半分だけ飛び出しています。
左隻では、塀の外で従者たちが退屈そうに主人の帰りを待っています。
大きく伸びをして、あくびする者もいて、のどかな風景です。
右隻の人物が様々の衣装を着て、動きのあるのに対し、左隻の従者たちは
黒烏帽子に白の水干姿で、静かに座っています。
左隻の、水辺を表す線も大胆で、モダンです。
右隻と左隻を、枝を伸ばした桜がつないでいます。
大らかな雰囲気で、俵屋宗達の工房による製作と考えられています。
「百椿図」 2巻 伝 狩野山楽 江戸時代 17世紀
丹波国篠山藩、後に播磨国明石藩7万石の藩主となった松平忠国(1597-1659)の
注文により狩野山楽が描いたとされ、忠国とその子で老中にもなった信之(1631-86)の
2代にわたって、それぞれの花に著名人に漢詩や和歌の賛を書いてもらっています。
本之巻と末之巻の長い絵巻ですが、今回展示されているのは短い部分です。
末之巻の巻末には「大白玉」という品種に松平忠国が和歌を寄せています。

名にしほふ しらたま椿 さくころを 待えてみのの 山ののどけさ
白玉椿は美濃の椿として知られていました。
武芸を磨く
「玉藻前物語絵巻」 2巻のうち下巻 室町時代 16世紀

玉藻前となって鳥羽上皇に取り憑いた九尾の狐を陰陽師の安倍泰成に調伏され、
那須野に逃げますが、遂には三浦介義明、千葉介常胤らに討たれます。
三浦介義明は三浦義村の祖父で、高齢ながら源頼朝の挙兵にいち早く加わり、
討ち死にしています。
「曽我物語図屏風」 江戸時代 17世紀
源頼朝の催した富士の巻狩りにおいて父の仇である工藤祐経を討った
曾我十郎と五郎の兄弟の物語です。
右隻
富士の裾野で繰り広げられた壮大な巻狩りの場面です。

猪にまたがって仕留める新田(仁田)忠常と、狩りを観覧する源頼朝です。
新田忠常は兄の十郎を討ち取っています。


左隻
曽我兄弟が工藤祐経を討ち、五郎が処刑されるまでを描いています。

工藤祐経の寝所に押し入る兄弟(下)と、頼朝の前に引出される五郎(右上)です。

市井の楽しみ
「洛中洛外図屏風」 江戸時代 17世紀
右隻

左隻

八曲一双の屛風で、右隻には、東山の清水寺、八坂の塔、方広寺大仏殿、内裏、
祇園祭の山鉾巡行などが見えます。


方広寺は豊臣秀吉の建てた寺で、東大寺大仏殿より大きな大仏殿は1798年に
焼失するまで京の名所だったということです。
右側の赤い柱の大きな建物です。

天皇、足利、豊臣、徳川といった、時々の権力者の象徴を一つの画面に
納めているのが、洛中洛外図の面白さです。
左隻には、祇園祭の神輿行列、金閣寺、北野神社、二条城、東寺、嵐山などが
見えます。
二条城には1750年に焼失した天守閣も描き込まれています。

「邸内遊楽図屏風」(部分) 江戸時代 17世紀


若い男が客をもてなす若衆茶屋の遊びを描いたもので、この題材の屏風は7点、
現存しているそうです。
諸肌脱ぎの男が腕に子供を乗せる芸を披露し、鼓が囃しています。
碁盤や煙草盆も見え、手前では男と女が腕相撲をしています。
平曲を語る琵琶法師、双六をする男の首に手を掛け引っ張る女、茶屋の外で
居眠りをしながら主を待つ駕籠舁の従者などが描かれた面白い屏風です。
「風俗図」 三幅対 江戸時代 17世紀 重要美術品

中央の遊女を挟んで、左右の色男が意味ありげな視線を送っている三幅対です。
遊女は三味線を持った禿(かむろ)を従え、唐輪髷という髪型を結った、
貫禄のある姿です。
打掛には水車と水流を豪快に描き出し、小袖の柄とも合わせ、裏地の赤も華やかです。
裾には何か字が書いてあるように見えます。
水車は宇治の名物なので、伝説の宇治の橋姫を連想させます。
男は二人とも小腰を屈めて、刀は落し差し、若衆の大刀はお洒落な朱鞘です。
展示室5のテーマは「山水」です。
「夕陽山水図」 馬麟筆・理宗賛
絹本墨画淡彩 南宋時代 宝祐2年(1254) 重要文化財

遠山と夕焼け空、四羽のつばめが描かれ、詩が添えられています。
馬麟は馬遠の子で、南宋画院の画家、理宗(1205-1264)は南宋第5代皇帝です。
「潑墨山水図」 拙宗等揚筆 室町時代 15世紀

拙宗等揚は後の雪舟です。
潑墨は墨を散らし、ぼかすようにして描く技法です。
「八角尾垂釜(はっかくおだれがま)」 芦屋 桃山時代 16世紀

8つの面には瀟湘八景が鋳出してあります。
損傷した釜の下の部分を打ち割って底を継ぎ足したので、こんな形をしています。
芦屋釜は筑前芦屋津で南北朝時代から盛んに制作され、京の茶人に好まれましたが、
庇護者である大内氏の滅亡や京釜の台頭で、江戸時代初期に一度絶えています。
展示室6のテーマは「除夜釜―新年を迎えるー」です。
除夜釜は大晦日に設ける茶席です。
「茶杓 銘 大晦日」 江岑宗左作 江戸時代 17世紀

江岑宗左(1613-1672)は表千家4代家元です。
「大海茶入 銘 節季」 室町時代 16世紀

幅の広い形の茶入を大海と言います。
「志野暦文茶碗 銘 年男」 美濃 施釉陶器 江戸時代 17世紀

胴に架空の年号の暦が書かれていて、贈答品として使われていたそうです。
「大津馬図(部分)」 松花堂昭乗筆 沢庵宗彭賛 江戸時代 17世紀

沢庵和尚の賛を書いた色紙が貼ってあります。
なそもかく
おもに(重荷)大津の
馬(生)れきて
なれもうき世に
我もうきよに
大津馬は大津で荷役に使われていた馬のことで、琵琶湖を舟で運ばれてきた米を
京都まで運んだりしていました。
展覧会のHPです。
銀座
銀座和光本館6階のセイコーハウス銀座ホールでは、「伊東久重御所人形展」が
開かれています。
会期は1月22日(日)まで、入場は無料です。

伊東久重さん(1944~)は京都で御所人形を制作する有職御人形司の
伊東家に生まれ、十二世伊東久重を襲名しています。
御所人形は江戸時代、幕府の役人や参勤交代の大名が朝廷に挨拶に
伺った時に朝廷からお土産として贈られていて、明治になってから
御所人形と呼ばれるようになっています。
「宮参り」
パンフレットの写真です。
打ち出の小槌、隠れ笠、分銅などの宝尽くしの模様を刺繡した一つ身の
着物を着ています。
「蓮の御子」

みずらを結い、古代の衣装を着ています。
蓮の花の上に立っているところはちょっと仏像を思わせます。
「御立」

大名行列の先頭に立つ奴さんが毛槍を振って出立するところです。
「好日」

何か嬉しいことがあったのでしょうか、鹿の子絞りの着物を着て喜んでいます。
「祝舞」

金の烏帽子を被り、括り袴を着けて舞っています。
「一番」

駆けっこで、一番でゴールインしたところのようです。
ホームランを打ったり、ラグビーボールを持ったりする人形もあります。
「梅」

鞠のような球に紅白の小さな梅花を貼っています。
小さな花弁を器の全面に貼り付けた、マイセンのスノーボールを思い出します。
2020年に同じセイコーハウス銀座ホールで開かれた「伊東久重御所人形展」の記事です。
和光本館のショーウィンドウでは今年の干支の兎が跳ねています。



chariot
銀座和光本館6階のセイコーハウス銀座ホールでは、「伊東久重御所人形展」が
開かれています。
会期は1月22日(日)まで、入場は無料です。

伊東久重さん(1944~)は京都で御所人形を制作する有職御人形司の
伊東家に生まれ、十二世伊東久重を襲名しています。
御所人形は江戸時代、幕府の役人や参勤交代の大名が朝廷に挨拶に
伺った時に朝廷からお土産として贈られていて、明治になってから
御所人形と呼ばれるようになっています。
「宮参り」
パンフレットの写真です。
打ち出の小槌、隠れ笠、分銅などの宝尽くしの模様を刺繡した一つ身の
着物を着ています。
「蓮の御子」

みずらを結い、古代の衣装を着ています。
蓮の花の上に立っているところはちょっと仏像を思わせます。
「御立」

大名行列の先頭に立つ奴さんが毛槍を振って出立するところです。
「好日」

何か嬉しいことがあったのでしょうか、鹿の子絞りの着物を着て喜んでいます。
「祝舞」

金の烏帽子を被り、括り袴を着けて舞っています。
「一番」

駆けっこで、一番でゴールインしたところのようです。
ホームランを打ったり、ラグビーボールを持ったりする人形もあります。
「梅」

鞠のような球に紅白の小さな梅花を貼っています。
小さな花弁を器の全面に貼り付けた、マイセンのスノーボールを思い出します。
2020年に同じセイコーハウス銀座ホールで開かれた「伊東久重御所人形展」の記事です。
和光本館のショーウィンドウでは今年の干支の兎が跳ねています。



日比谷・有楽町
日比谷の出光美術館では「江戸絵画の華」展が開かれています。

会期は以下の通りです。
第1部:2023年1月7日(土)~2月12日(日)
第2部:2023年2月21日(火)~3月26日(日)
アメリカのエツコ&ジョー・プライス夫妻のコレクションの一部が2019年に
出光美術館のコレクションに加わって初めて公開される展覧会です。
第1部は「若冲と江戸絵画」で、伊藤若冲の作品約10点や、肉筆浮世絵を中心にした
展示です。
「鳥獣花木図屏風」 伊藤若冲 江戸時代

右隻

左隻

画面を方眼紙のような細かい桝目で埋め、一部は一桝ずつ色を塗る「桝目描」という
技法を使っています。
一種の点描法で、伊藤若冲の独創ということです。
とても賑やかな画面はタイル画のように見えて、お風呂屋さんの壁を思い出します。
同じ技法を用いた「樹花鳥獣図屏風」を静岡県立美術館が所蔵しています。
「鶴図押絵貼屏風」 左隻 伊藤若冲 江戸時代





鶴のさまざまな姿を上手く捉え、楕円形を基本にして勢いよく一気に描いています。
描いた墨と墨が混ざらない、筋目描きという技法も使っています。
「竹梅双鶴図」 伊藤若冲 江戸時代

竹に梅に鶴と、目出度い図柄です。
「群鶴図」 伊藤若冲 江戸時代

4羽の丹頂をが縦長の画面に収まり、首の向きが面白い形をしています。
「二美人図」 勝川春章 江戸時代

手紙を書く遊女とそれを眺める遊女です。
春の頃で、窓の向こうには桜の木と、客を乗せた駕籠が吉原田んぼを
帰って行くのが見えます。
立っている遊女の着物の柄は夕顔と扇子で、源氏物語の夕顔の帖を
暗示しているとのことです。
勝川春章(1726?-93)は役者絵と肉筆美人画で有名です。
2016年に同じ出光美術館で開かれた「勝川春章と肉筆美人画」展の記事です。
「雪中美人図」 礒田湖龍斎 江戸時代

竹や生垣に積もる雪の白に合わせた白の着物で、紅い襦袢が引き締めている、
清冽な作品です。
一部には裏彩色も用いているそうです。
礒田湖龍斎(1735‐90?)は浮世絵師で、肉筆美人画もよく描いています。
「妓楼酒宴図」 河鍋暁斎 明治時代



おどけた幇間(太鼓持ち)が松竹梅の扇子を持って踊り、客が大喜びしています。
その横ではもう一人の客にやり手婆が何か耳打ちし、客は財布に手を入れています。
衝立に達磨の絵が描いてあるのも皮肉が効いています。
落款の如空は暁斎が晩年に授かった法号です。
屏風は他に「瀬田風俗図屏風」「春日若宮御祭図屏風」「酒呑童子図屏風」
「義経記図屏風」「源氏物語 車争図屏風」という面白い作品が揃っています。
どれも初めて観る作品ばかりのとても興味深い展覧会で、第2部の
「京都画壇と江戸琳派」も楽しみです。
展覧会のHPです。
chariot
日比谷の出光美術館では「江戸絵画の華」展が開かれています。

会期は以下の通りです。
第1部:2023年1月7日(土)~2月12日(日)
第2部:2023年2月21日(火)~3月26日(日)
アメリカのエツコ&ジョー・プライス夫妻のコレクションの一部が2019年に
出光美術館のコレクションに加わって初めて公開される展覧会です。
第1部は「若冲と江戸絵画」で、伊藤若冲の作品約10点や、肉筆浮世絵を中心にした
展示です。
「鳥獣花木図屏風」 伊藤若冲 江戸時代

右隻

左隻

画面を方眼紙のような細かい桝目で埋め、一部は一桝ずつ色を塗る「桝目描」という
技法を使っています。
一種の点描法で、伊藤若冲の独創ということです。
とても賑やかな画面はタイル画のように見えて、お風呂屋さんの壁を思い出します。
同じ技法を用いた「樹花鳥獣図屏風」を静岡県立美術館が所蔵しています。
「鶴図押絵貼屏風」 左隻 伊藤若冲 江戸時代





鶴のさまざまな姿を上手く捉え、楕円形を基本にして勢いよく一気に描いています。
描いた墨と墨が混ざらない、筋目描きという技法も使っています。
「竹梅双鶴図」 伊藤若冲 江戸時代

竹に梅に鶴と、目出度い図柄です。
「群鶴図」 伊藤若冲 江戸時代

4羽の丹頂をが縦長の画面に収まり、首の向きが面白い形をしています。
「二美人図」 勝川春章 江戸時代

手紙を書く遊女とそれを眺める遊女です。
春の頃で、窓の向こうには桜の木と、客を乗せた駕籠が吉原田んぼを
帰って行くのが見えます。
立っている遊女の着物の柄は夕顔と扇子で、源氏物語の夕顔の帖を
暗示しているとのことです。
勝川春章(1726?-93)は役者絵と肉筆美人画で有名です。
2016年に同じ出光美術館で開かれた「勝川春章と肉筆美人画」展の記事です。
「雪中美人図」 礒田湖龍斎 江戸時代

竹や生垣に積もる雪の白に合わせた白の着物で、紅い襦袢が引き締めている、
清冽な作品です。
一部には裏彩色も用いているそうです。
礒田湖龍斎(1735‐90?)は浮世絵師で、肉筆美人画もよく描いています。
「妓楼酒宴図」 河鍋暁斎 明治時代



おどけた幇間(太鼓持ち)が松竹梅の扇子を持って踊り、客が大喜びしています。
その横ではもう一人の客にやり手婆が何か耳打ちし、客は財布に手を入れています。
衝立に達磨の絵が描いてあるのも皮肉が効いています。
落款の如空は暁斎が晩年に授かった法号です。
屏風は他に「瀬田風俗図屏風」「春日若宮御祭図屏風」「酒呑童子図屏風」
「義経記図屏風」「源氏物語 車争図屏風」という面白い作品が揃っています。
どれも初めて観る作品ばかりのとても興味深い展覧会で、第2部の
「京都画壇と江戸琳派」も楽しみです。
展覧会のHPです。