神保町
神保町の「ミロンガ・ヌオーバ」に行ってきました。
場所は千代田区神田神保町1-3-3です。


創業は1953年、アルゼンチンタンゴを聴かせる喫茶店として有名です。
元は横の小路にあったのですが、「ラドリオ」の半分があった場所に今年の2月に
移転してきました。
「ラドリオ」は昔は鉤型をしていたお店で、相続の都合か何かで2つに分かれ、
小路を向いた側が「ラドリオ」として残り、こちらの場所はしばらく別のお店と
なっていました。
昔の「ラドリオ」のこちら側には小さなロッキングチェアも置いてありました。
奥には大きなスピーカーが置いてあって、レコードの曲が流れて、
店内はタンゴの世界です。


「ラドリオ」や、駿河台の「穂高」、本郷の「麦」、新宿の居酒屋「どん底」の
マッチも並んでいます。

コーヒー650円です。

しっかりとした味で美味しいです。
カップはウエッジウッドです。
昔ながらの神保町らしい喫茶店がこうして続いているのはとても嬉しいことです。
以前の場所にあった「ミロンガ・ヌオーバ」に行った時の記事です。
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神保町の「ミロンガ・ヌオーバ」に行ってきました。
場所は千代田区神田神保町1-3-3です。


創業は1953年、アルゼンチンタンゴを聴かせる喫茶店として有名です。
元は横の小路にあったのですが、「ラドリオ」の半分があった場所に今年の2月に
移転してきました。
「ラドリオ」は昔は鉤型をしていたお店で、相続の都合か何かで2つに分かれ、
小路を向いた側が「ラドリオ」として残り、こちらの場所はしばらく別のお店と
なっていました。
昔の「ラドリオ」のこちら側には小さなロッキングチェアも置いてありました。
奥には大きなスピーカーが置いてあって、レコードの曲が流れて、
店内はタンゴの世界です。


「ラドリオ」や、駿河台の「穂高」、本郷の「麦」、新宿の居酒屋「どん底」の
マッチも並んでいます。

コーヒー650円です。

しっかりとした味で美味しいです。
カップはウエッジウッドです。
昔ながらの神保町らしい喫茶店がこうして続いているのはとても嬉しいことです。
以前の場所にあった「ミロンガ・ヌオーバ」に行った時の記事です。
上野
上野の東京藝術大学大学美術館では「台東区コレクション展」が開かれています。
会期は7月9日(日)までです。
観覧料は無料です。

台東区では1981年度から東京藝術大学の日本画、油画、版画の優秀な卒業作品の制作者に
台東区長賞を贈呈し、コレクションに加えています。
この展覧会は過去の受賞作品99点の内、40点を展示するものです。
日本画
手塚雄二 「迷宮I」 1981年度

第1回の受賞作品です。
椅子に女性が座っていて、テーブルの上に豚、鶏、亀などが箱から首を出して
並んでいます。
服やテーブルの緑色と動物の金茶色の対比も鮮やかで、イタリア風の雰囲気です。
詞書によれば、皆が勝手なことを言い合う、混沌とした状況を描いたとのことです。
2010年に横浜のそごう美術館で開かれた「手塚雄二展」の記事です。
井手康人 「樹樹邂逅」 1989年度

井手さんの作品には象徴性があります。
参考
「山乃神」

2021年の院展出展作です。
宮北千織 「室内」 1991年度

宮北さんは華やかでありながら静かな女性像を描き続けておられます。
参考
「光の窓」

2019年の春の院展出展作です。
大竹彩奈 「赤光」 2006年度

繊細な筆遣いで描き出した女性の姿です。
中島舞 「火星人の夢」 2022年度

ほのぼのと暖かい色彩に包まれています。
油画
酒井一彦 「無明より I」 1981年度

第1回の受賞作品です。
それぞれ、二人の人物の立ち姿を色彩を抑えた画面で描いています。
対象に真っ向勝負を挑んでいる若々しさがあります。
福田美蘭 「食事のないコース」 1984年度

大胆な筆遣いで、後の福田美蘭さんの細密な描き方とは違いますが、
物を見る時の方向感、距離感への関心は似ているように思えます。
2019年に東京都美術館で開かれた「福田美蘭展」の記事です。
土井原崇浩 「二人(崇浩と久美)」 1986年度

後の土井原夫人の下宿していた北新宿の部屋の様子を描いています。
木造家屋の部屋にあるテレビ、金魚の水槽、赤いチューリップ、黒電話、図鑑など
何でも細密に描き、文庫本の題名まで描き込んであります。
時代の雰囲気の感じられる作品です。
春田紗良 「ほしのうみ」 2016年度

あわあわとした無数の星が輝いています。
津絵太陽 「43°54’21.8”N 125°20’08.3”E~すなのうえのまち、より~ 」 2019年度

数字は北緯と東経を表していて、地図で調べると中国の長春の中の場所です。
長春は満州国の首都だった市で、満州国時代は新京という名でした。
満洲国時代に造られた街区を復元して描いたそうです。
津絵太陽さんは白日会の会員で、細密な写実画を描いておられます。
参考
「このそら、このつち。」

2019年の第95回白日会出展作です。
大町龍司 「マチルダと稀にみる近代王子」2021年度

フォーヴィスムのような迫力があります。
土屋玲 「かき」 2022年度


分厚い立体作品で、びっしりと牡蠣殻が貼り付いた岩のようです。
展覧会のHPです。
美術館の3階から向かいの東京藝術大学を見たところです。

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上野の東京藝術大学大学美術館では「台東区コレクション展」が開かれています。
会期は7月9日(日)までです。
観覧料は無料です。

台東区では1981年度から東京藝術大学の日本画、油画、版画の優秀な卒業作品の制作者に
台東区長賞を贈呈し、コレクションに加えています。
この展覧会は過去の受賞作品99点の内、40点を展示するものです。
日本画
手塚雄二 「迷宮I」 1981年度

第1回の受賞作品です。
椅子に女性が座っていて、テーブルの上に豚、鶏、亀などが箱から首を出して
並んでいます。
服やテーブルの緑色と動物の金茶色の対比も鮮やかで、イタリア風の雰囲気です。
詞書によれば、皆が勝手なことを言い合う、混沌とした状況を描いたとのことです。
2010年に横浜のそごう美術館で開かれた「手塚雄二展」の記事です。
井手康人 「樹樹邂逅」 1989年度

井手さんの作品には象徴性があります。
参考
「山乃神」

2021年の院展出展作です。
宮北千織 「室内」 1991年度

宮北さんは華やかでありながら静かな女性像を描き続けておられます。
参考
「光の窓」

2019年の春の院展出展作です。
大竹彩奈 「赤光」 2006年度

繊細な筆遣いで描き出した女性の姿です。
中島舞 「火星人の夢」 2022年度

ほのぼのと暖かい色彩に包まれています。
油画
酒井一彦 「無明より I」 1981年度

第1回の受賞作品です。
それぞれ、二人の人物の立ち姿を色彩を抑えた画面で描いています。
対象に真っ向勝負を挑んでいる若々しさがあります。
福田美蘭 「食事のないコース」 1984年度

大胆な筆遣いで、後の福田美蘭さんの細密な描き方とは違いますが、
物を見る時の方向感、距離感への関心は似ているように思えます。
2019年に東京都美術館で開かれた「福田美蘭展」の記事です。
土井原崇浩 「二人(崇浩と久美)」 1986年度

後の土井原夫人の下宿していた北新宿の部屋の様子を描いています。
木造家屋の部屋にあるテレビ、金魚の水槽、赤いチューリップ、黒電話、図鑑など
何でも細密に描き、文庫本の題名まで描き込んであります。
時代の雰囲気の感じられる作品です。
春田紗良 「ほしのうみ」 2016年度

あわあわとした無数の星が輝いています。
津絵太陽 「43°54’21.8”N 125°20’08.3”E~すなのうえのまち、より~ 」 2019年度

数字は北緯と東経を表していて、地図で調べると中国の長春の中の場所です。
長春は満州国の首都だった市で、満州国時代は新京という名でした。
満洲国時代に造られた街区を復元して描いたそうです。
津絵太陽さんは白日会の会員で、細密な写実画を描いておられます。
参考
「このそら、このつち。」

2019年の第95回白日会出展作です。
大町龍司 「マチルダと稀にみる近代王子」2021年度

フォーヴィスムのような迫力があります。
土屋玲 「かき」 2022年度


分厚い立体作品で、びっしりと牡蠣殻が貼り付いた岩のようです。
展覧会のHPです。
美術館の3階から向かいの東京藝術大学を見たところです。

銀座一丁目
銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは「木村英輝 EXHIBITION
―大人のストリートアート―」が開かれています。
会期は7月30日(日)まで、会期中は無休です。



木村英輝さん(1942~)は大阪府出身のロック音楽プロデューサーで、
2002年からはアクリル画を手掛けておられます。
展示室にはロックミュージックが流れていました。
「Carp is Dragon in Heaven」

鯉は滝昇りに成功すると龍になります。
「Live Painting Work」

壁にも絵が広がっています。
「Rotus Revives」

親交のあった樹木希林さん邸の板戸です。
「Kingfisher by the Lotus pond」

「Open your mind」

「Thanks the Summer」

日本画を基調にしていますが、きっぱりと明快な描き振りで、観ていて心地良い作品です。
展覧会のHPです。
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銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは「木村英輝 EXHIBITION
―大人のストリートアート―」が開かれています。
会期は7月30日(日)まで、会期中は無休です。



木村英輝さん(1942~)は大阪府出身のロック音楽プロデューサーで、
2002年からはアクリル画を手掛けておられます。
展示室にはロックミュージックが流れていました。
「Carp is Dragon in Heaven」

鯉は滝昇りに成功すると龍になります。
「Live Painting Work」

壁にも絵が広がっています。
「Rotus Revives」

親交のあった樹木希林さん邸の板戸です。
「Kingfisher by the Lotus pond」

「Open your mind」

「Thanks the Summer」

日本画を基調にしていますが、きっぱりと明快な描き振りで、観ていて心地良い作品です。
展覧会のHPです。
上野
東京国立博物館の総合文化展(平常展)のうち、浮世絵と衣装の展示を紹介します。
浮世絵は7月2日まで、衣装は8月6日までの展示です。
衣装は夏向きの生地や柄のものが揃っています。
「単衣 白絹縮地市松藤模様」 江戸時代 18世紀

絹縮(きぬちぢみ)は縦に細かい皺を出す織り方で、肌触りがよく、
夏に好まれました。
江戸後期の女性の単衣で、初夏の意匠の藤をあしらい、市松模様が
アクセントになっています。
「帷子 浅葱麻地山水楼閣源氏香文字散模様」 江戸時代 18世紀

源氏物語にちなんだ景色を散らし、源氏香の模様が入っています。
肩には「君が代」の文字が刺繍されています。
「帷子 白麻地芦蛇籠模様」 江戸時代 18世紀

芦と水流を和らげる蛇籠をあしらって涼し気な模様です。
「単衣 紫絽地竹鶏模様」 江戸時代 19世紀

雌雄の鶏と金糸の刺繍の竹を裾模様にした、すっきりした意匠です。
「単衣 鼠色ジョーゼット地隅田川夏の景模様」 明治時代 20世紀

ジョーゼットは撚りの強い経糸と横糸を使った平織で、細かいシボを
浮き出させています。
化学染料を使った友禅染で、夏の隅田川の景色を描いています。
浮世絵も夏の風情を描いた作品が並んでいます。
「傘差し美人図」 鳥居清信 江戸時代 18世紀

鳥居清信(1664-1729)は鳥居派の初代で、役者絵を得意としていました。
清信としては珍しい肉筆美人画です。
「夕涼み二美人図」 勝川春暁 江戸時代 18世紀


勝川春暁(1781-1844)は勝川春章の門人で、肉筆美人画を多く描いています。
「持統天皇」 鈴木春信 江戸時代 18世紀

持統天皇の歌のやつしです。
春すぎて夏きにけらし白たへの衣ほすてふあまのかく山
「蛍狩り」 鳥文斎栄之 江戸時代 18世紀

大判3枚続きですが、別の時期に刷られていて、真中の絵には夜を表す
墨のぼかしがありません。
「蛍狩り」 喜多川歌麿 江戸時代 18世紀

こちらは喜多川歌麿の作です。
「紫陽花に翡翠」 歌川広重 江戸時代 19世紀

紫陽花の傍らで水に飛び込もうとするカワセミの一瞬の姿を捉えています。
紫陽花や水に咲ねど水くさし
博物館前のカフェの横にしているのはヤナギハナガサ(柳花笠)でしょうか。

上野不忍池の蓮の葉も繁っています。

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東京国立博物館の総合文化展(平常展)のうち、浮世絵と衣装の展示を紹介します。
浮世絵は7月2日まで、衣装は8月6日までの展示です。
衣装は夏向きの生地や柄のものが揃っています。
「単衣 白絹縮地市松藤模様」 江戸時代 18世紀

絹縮(きぬちぢみ)は縦に細かい皺を出す織り方で、肌触りがよく、
夏に好まれました。
江戸後期の女性の単衣で、初夏の意匠の藤をあしらい、市松模様が
アクセントになっています。
「帷子 浅葱麻地山水楼閣源氏香文字散模様」 江戸時代 18世紀

源氏物語にちなんだ景色を散らし、源氏香の模様が入っています。
肩には「君が代」の文字が刺繍されています。
「帷子 白麻地芦蛇籠模様」 江戸時代 18世紀

芦と水流を和らげる蛇籠をあしらって涼し気な模様です。
「単衣 紫絽地竹鶏模様」 江戸時代 19世紀

雌雄の鶏と金糸の刺繍の竹を裾模様にした、すっきりした意匠です。
「単衣 鼠色ジョーゼット地隅田川夏の景模様」 明治時代 20世紀

ジョーゼットは撚りの強い経糸と横糸を使った平織で、細かいシボを
浮き出させています。
化学染料を使った友禅染で、夏の隅田川の景色を描いています。
浮世絵も夏の風情を描いた作品が並んでいます。
「傘差し美人図」 鳥居清信 江戸時代 18世紀

鳥居清信(1664-1729)は鳥居派の初代で、役者絵を得意としていました。
清信としては珍しい肉筆美人画です。
「夕涼み二美人図」 勝川春暁 江戸時代 18世紀


勝川春暁(1781-1844)は勝川春章の門人で、肉筆美人画を多く描いています。
「持統天皇」 鈴木春信 江戸時代 18世紀

持統天皇の歌のやつしです。
春すぎて夏きにけらし白たへの衣ほすてふあまのかく山
「蛍狩り」 鳥文斎栄之 江戸時代 18世紀

大判3枚続きですが、別の時期に刷られていて、真中の絵には夜を表す
墨のぼかしがありません。
「蛍狩り」 喜多川歌麿 江戸時代 18世紀

こちらは喜多川歌麿の作です。
「紫陽花に翡翠」 歌川広重 江戸時代 19世紀

紫陽花の傍らで水に飛び込もうとするカワセミの一瞬の姿を捉えています。
紫陽花や水に咲ねど水くさし
博物館前のカフェの横にしているのはヤナギハナガサ(柳花笠)でしょうか。

上野不忍池の蓮の葉も繁っています。

上野
上野の東京国立博物館では特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」が
開かれています。
会期は9月3日(日)までです。

紀元前15世紀から紀元後16世紀のスペインによる征服まで続いたメキシコの古代文明を
紹介する展覧会です。
代表的なマヤ、アステカ、テオティワカンの3つの文明を中心に展示されています。
展示室は撮影可能です。
古代文明の年表

マヤ文明が長く続いています。
地図

第1章 古代メキシコへのいざない
「マスク」 テオティワカン文明 350~550年 メキシコシティアスカポツァルコ地区出土
彩色、土製 メキシコ国立人類学博物館

鼻飾りと耳飾りを着けた、神官か戦士と思われます。
「貴人の土偶」 マヤ文明 600~95年 ハイナ出土
彩色、土製 メキシコ国立人類学博物館

大きな帽子を被っています。
鮮やかに残る青色はマヤ・ブルーと呼ばれています。
「装飾ドクロ」 アステカ文明 1469~81年 マヨール埋納石室11出土
コーパル、黄鉄鉱、貝、骨材 テンプロ・マヨール博物館

頭蓋骨の頭の穴に毛を差し込み、目に貝殻と黄鉄鉱を嵌めています。
冥府ミクトランの主、ミクトランテクトリを表しています。
第2章 テオティワカン 神々の都

テオティワカンは海抜2300mのメキシコ中央高原にあった都市で、紀元前2世紀から
紀元後6世紀まで栄えていました。
テオティワカンとは、メキシコで古代から現代まで話されているナワトル語で
「神々の座所」という意味です。
大きな広場を中心に太陽や月のピラミッド、儀式の場、官庁などが並んでいました。
「死のディスク石彫」 テオティワカン文明 300~500年
テオティワカン 太陽のピラミッド、太陽の広場出土 安山岩、赤い彩色痕
メキシコ国立人類学博物館

元の形は直径1.5mの大きな石彫で、死を表す西に沈んだ太陽かと思われます。
「鳥形土器」 テオティワカン文明 250~550年 テオティワカン、
ラ・ベンティージャ出土 土器、貝、緑色岩 メキシコ国立人類学博物館

メキシコ湾岸の貝で飾ってあり、湾岸地方と交易していた貝商人の副葬品かも
しれないとのことです。
「香炉」 テオティワカン文明 年350~550年 テオティワカン、
ラ・ベンティージャ、宮殿B出土 土器、彩色 メキシコ国立人類学博物館

胴部、蓋、煙突の各パーツを組合わせています。
矢や盾をモティーフにしていることから、戦士の魂の鎮魂を目的とした儀式に
用いられたのではないかということです。
「嵐の神の壁画」 テオティワカン文明 350~550年 テオティワカン、サクアラ出土
土漆喰 鉱物顔料 メキシコ国立人類学博物館

籠を背負い、トウモロコシを手にした神です。
トウモロコシは中南米が原産地で、コロンブスがヨーロッパにもたらしています。
建物は赤を中心にした壁画で飾られていたそうです。
第3章 マヤ 都市国家の興亡

マヤは紀元前1000年代から紀元後17世紀にスペインに滅ぼされるまで、
ユカタン半島を中心に長く栄えた文明です。
「赤の女王のマスク・冠・首飾り」 マヤ文明、7世紀後半 パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館



パカル1世の王妃の可能性のある女性の副葬品一式です。
マスクは孔雀石などで作られています。
女性は赤い辰砂に覆われて埋葬されていました。
最近話題になった吉野ケ里遺跡の石棺の内側にも辰砂を塗った痕跡がありました。
「猿の神とカカオの土器蓋」 マヤ文明 600~950年
トニナ出土 彩色、土器 トニナ遺跡博物館

猿の好物、カカオの実の装飾を着けた猿の神です。
メキシコの南部、チアパス州からグアテマラにかけての太平洋岸はカカオの主産地で、
カカオは通貨としても使われていました。
「書記とみられる女性の土偶」 マヤ文明 600~950年
ハイナ出土 土製 メキシコ国立人類学博物館

小さな像で、文書らしい物を持っていることから書記の像と思われます。
古代エジプトにも書記の像がありました。
「チャクモール像」 マヤ文明 900~1100年 チチェン・イツァ、ツォンパントリ出土
石灰岩 ユカタン地方人類学博物館カントン宮殿

お腹の皿に人身御供の心臓や供物が供えられていました。
アステカにもこの像が受け継がれています。
第4章 アステカ テノチティトランの大神殿

アステカは1428年から1521年にスペインに滅ぼされるまでメキシコ中部に栄えた国家です。
メキシコの現在の首都メキシコシティはアステカの首都テノチティトランの上に
建てられていました。
「トラロク神の壺」 アステカ文明 1440~69年
テンプロ・マヨール埋納石室56出土 土器、彩色 テンプロ・マヨール博物館

テンプロ・マヨールはテノチティトランにあった大神殿で、太陽神ウィツィロポチトリと
水と豊穣の神トラロクが高さ40m以上の2つのピラミッドに祀られていました。
トラロク神は各文明で信仰されていた神でもあります。
「鷲の戦士像」 アステカ文明 1469~86年 テンプロ・マヨール、鷲の家出土
土製 テンプロ・マヨール博物館

等身大の大きな像で、鷲の頭を被り、羽根と鉤爪を着けた戦士の像です。
戦死した戦士、あるいは太陽神の像という説もあります。
迫力のある見事な造形です。
「トラルテクトリ神のレリーフ」 アステカ文明 1325~1521年
テンプロ・マヨール出土 玄武岩 テンプロ・マヨール博物館

トラルテクトリ神は大地の神で、戦いの神でもあります。
頭髪をカールし、手足に爪を持っています。
「テスカトリポカ神とウィツィロポチトリ神の笏形飾り」 アステカ文明 1486~1502年
テンプロ・マヨール埋納石室174出土 金 テンプロ・マヨール博物館

金製品の展示もあります。
テスカトリポカ神は夜空の神です。
マヤ、アステカ、テオティワカンなど、古代メキシコの文明は日本や中国、西欧とは
まったく違った様相を持っていて、展示品を観ているとその生命力に圧倒されます。
展覧会のHPです。
chariot
上野の東京国立博物館では特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」が
開かれています。
会期は9月3日(日)までです。

紀元前15世紀から紀元後16世紀のスペインによる征服まで続いたメキシコの古代文明を
紹介する展覧会です。
代表的なマヤ、アステカ、テオティワカンの3つの文明を中心に展示されています。
展示室は撮影可能です。
古代文明の年表

マヤ文明が長く続いています。
地図

第1章 古代メキシコへのいざない
「マスク」 テオティワカン文明 350~550年 メキシコシティアスカポツァルコ地区出土
彩色、土製 メキシコ国立人類学博物館

鼻飾りと耳飾りを着けた、神官か戦士と思われます。
「貴人の土偶」 マヤ文明 600~95年 ハイナ出土
彩色、土製 メキシコ国立人類学博物館

大きな帽子を被っています。
鮮やかに残る青色はマヤ・ブルーと呼ばれています。
「装飾ドクロ」 アステカ文明 1469~81年 マヨール埋納石室11出土
コーパル、黄鉄鉱、貝、骨材 テンプロ・マヨール博物館

頭蓋骨の頭の穴に毛を差し込み、目に貝殻と黄鉄鉱を嵌めています。
冥府ミクトランの主、ミクトランテクトリを表しています。
第2章 テオティワカン 神々の都

テオティワカンは海抜2300mのメキシコ中央高原にあった都市で、紀元前2世紀から
紀元後6世紀まで栄えていました。
テオティワカンとは、メキシコで古代から現代まで話されているナワトル語で
「神々の座所」という意味です。
大きな広場を中心に太陽や月のピラミッド、儀式の場、官庁などが並んでいました。
「死のディスク石彫」 テオティワカン文明 300~500年
テオティワカン 太陽のピラミッド、太陽の広場出土 安山岩、赤い彩色痕
メキシコ国立人類学博物館

元の形は直径1.5mの大きな石彫で、死を表す西に沈んだ太陽かと思われます。
「鳥形土器」 テオティワカン文明 250~550年 テオティワカン、
ラ・ベンティージャ出土 土器、貝、緑色岩 メキシコ国立人類学博物館

メキシコ湾岸の貝で飾ってあり、湾岸地方と交易していた貝商人の副葬品かも
しれないとのことです。
「香炉」 テオティワカン文明 年350~550年 テオティワカン、
ラ・ベンティージャ、宮殿B出土 土器、彩色 メキシコ国立人類学博物館

胴部、蓋、煙突の各パーツを組合わせています。
矢や盾をモティーフにしていることから、戦士の魂の鎮魂を目的とした儀式に
用いられたのではないかということです。
「嵐の神の壁画」 テオティワカン文明 350~550年 テオティワカン、サクアラ出土
土漆喰 鉱物顔料 メキシコ国立人類学博物館

籠を背負い、トウモロコシを手にした神です。
トウモロコシは中南米が原産地で、コロンブスがヨーロッパにもたらしています。
建物は赤を中心にした壁画で飾られていたそうです。
第3章 マヤ 都市国家の興亡

マヤは紀元前1000年代から紀元後17世紀にスペインに滅ぼされるまで、
ユカタン半島を中心に長く栄えた文明です。
「赤の女王のマスク・冠・首飾り」 マヤ文明、7世紀後半 パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館



パカル1世の王妃の可能性のある女性の副葬品一式です。
マスクは孔雀石などで作られています。
女性は赤い辰砂に覆われて埋葬されていました。
最近話題になった吉野ケ里遺跡の石棺の内側にも辰砂を塗った痕跡がありました。
「猿の神とカカオの土器蓋」 マヤ文明 600~950年
トニナ出土 彩色、土器 トニナ遺跡博物館

猿の好物、カカオの実の装飾を着けた猿の神です。
メキシコの南部、チアパス州からグアテマラにかけての太平洋岸はカカオの主産地で、
カカオは通貨としても使われていました。
「書記とみられる女性の土偶」 マヤ文明 600~950年
ハイナ出土 土製 メキシコ国立人類学博物館

小さな像で、文書らしい物を持っていることから書記の像と思われます。
古代エジプトにも書記の像がありました。
「チャクモール像」 マヤ文明 900~1100年 チチェン・イツァ、ツォンパントリ出土
石灰岩 ユカタン地方人類学博物館カントン宮殿

お腹の皿に人身御供の心臓や供物が供えられていました。
アステカにもこの像が受け継がれています。
第4章 アステカ テノチティトランの大神殿

アステカは1428年から1521年にスペインに滅ぼされるまでメキシコ中部に栄えた国家です。
メキシコの現在の首都メキシコシティはアステカの首都テノチティトランの上に
建てられていました。
「トラロク神の壺」 アステカ文明 1440~69年
テンプロ・マヨール埋納石室56出土 土器、彩色 テンプロ・マヨール博物館

テンプロ・マヨールはテノチティトランにあった大神殿で、太陽神ウィツィロポチトリと
水と豊穣の神トラロクが高さ40m以上の2つのピラミッドに祀られていました。
トラロク神は各文明で信仰されていた神でもあります。
「鷲の戦士像」 アステカ文明 1469~86年 テンプロ・マヨール、鷲の家出土
土製 テンプロ・マヨール博物館

等身大の大きな像で、鷲の頭を被り、羽根と鉤爪を着けた戦士の像です。
戦死した戦士、あるいは太陽神の像という説もあります。
迫力のある見事な造形です。
「トラルテクトリ神のレリーフ」 アステカ文明 1325~1521年
テンプロ・マヨール出土 玄武岩 テンプロ・マヨール博物館

トラルテクトリ神は大地の神で、戦いの神でもあります。
頭髪をカールし、手足に爪を持っています。
「テスカトリポカ神とウィツィロポチトリ神の笏形飾り」 アステカ文明 1486~1502年
テンプロ・マヨール埋納石室174出土 金 テンプロ・マヨール博物館

金製品の展示もあります。
テスカトリポカ神は夜空の神です。
マヤ、アステカ、テオティワカンなど、古代メキシコの文明は日本や中国、西欧とは
まったく違った様相を持っていて、展示品を観ているとその生命力に圧倒されます。
展覧会のHPです。
本郷三丁目
東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では特別展示、
「東京大学・若林鉱物標本:日本の鉱山黄金時代の投影」が行なわれています。
会期は9月1日(金)まで、入場は無料、土曜日曜は休館です。


三菱合資会社の鉱山技師だった若林彌一郎の収集が収集し、1937年に東京帝国大学に
寄贈した約2,000点の鉱物標本のうち、約300点を中心にした展示です。
この若林標本は和田標本(三菱マテリアル)、高標本(九州大学)と並ぶ、日本の
三大鉱物標本の一つとされているそうです。
しかし、産出したほとんどの鉱山はすでに閉山しており、どれも現在では貴重な標本で、
昭和の鉱山黄金時代を回顧する形になっています。

床下には化学組成別に分類した標本が並んでいます。


鉱山の地図です。

黄銅鉱 秋田県荒川鉱山

荒川鉱山は江戸時代に開発された国内屈指の銅山でしたが、1940年に閉山しています。
黄銅鉱 黄鉄鉱 石川県尾小屋鉱山

尾小屋鉱山は明治時代に加賀前田藩の家老だった横山家が開発した
日本有数の銅山でしたが、1971年に閉山しました。
方解石 岐阜県神岡鉱山

神岡鉱山は亜鉛、鉛などの鉱山ですが、神通川に流れ込んだカドミウムが原因で、
イタイイタイ病を起こしています。
2001年に閉山し、ニュートリノの観測装置のカミオカンデやスーパーカミオカンデなどが
建設されています。
若林鉱 群馬県西ノ牧鉱山


1970年に発表された日本産新鉱物で、若林彌一郎の功績を称えて命名されました。
日本産新鉱物は全部で約160種類あります。
青い光で標本を照らしたコーナーもあります。

緑柱石(アクアマリン) 福島県石川町

六角柱の結晶です。
石英(日本式双晶) 山梨県乙女鉱山

2つの結晶が接合したものを双晶といいます。
乙女鉱山はタングステンや石英、水晶などを産しましたが、1981年に閉山しています。
石英(紫水晶) 秋田県荒川鉱山

トパーズ(黄玉) 岐阜県中津川市

トパーズは他に滋賀県大津市、山梨県甲府市などで産します。
日本にはこれほど多くの種類の鉱石があり、しかもその鉱山が現在では閉山している
ことには驚きます。
展覧会のHPです。
chariot
東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では特別展示、
「東京大学・若林鉱物標本:日本の鉱山黄金時代の投影」が行なわれています。
会期は9月1日(金)まで、入場は無料、土曜日曜は休館です。


三菱合資会社の鉱山技師だった若林彌一郎の収集が収集し、1937年に東京帝国大学に
寄贈した約2,000点の鉱物標本のうち、約300点を中心にした展示です。
この若林標本は和田標本(三菱マテリアル)、高標本(九州大学)と並ぶ、日本の
三大鉱物標本の一つとされているそうです。
しかし、産出したほとんどの鉱山はすでに閉山しており、どれも現在では貴重な標本で、
昭和の鉱山黄金時代を回顧する形になっています。

床下には化学組成別に分類した標本が並んでいます。


鉱山の地図です。

黄銅鉱 秋田県荒川鉱山

荒川鉱山は江戸時代に開発された国内屈指の銅山でしたが、1940年に閉山しています。
黄銅鉱 黄鉄鉱 石川県尾小屋鉱山

尾小屋鉱山は明治時代に加賀前田藩の家老だった横山家が開発した
日本有数の銅山でしたが、1971年に閉山しました。
方解石 岐阜県神岡鉱山

神岡鉱山は亜鉛、鉛などの鉱山ですが、神通川に流れ込んだカドミウムが原因で、
イタイイタイ病を起こしています。
2001年に閉山し、ニュートリノの観測装置のカミオカンデやスーパーカミオカンデなどが
建設されています。
若林鉱 群馬県西ノ牧鉱山


1970年に発表された日本産新鉱物で、若林彌一郎の功績を称えて命名されました。
日本産新鉱物は全部で約160種類あります。
青い光で標本を照らしたコーナーもあります。

緑柱石(アクアマリン) 福島県石川町

六角柱の結晶です。
石英(日本式双晶) 山梨県乙女鉱山

2つの結晶が接合したものを双晶といいます。
乙女鉱山はタングステンや石英、水晶などを産しましたが、1981年に閉山しています。
石英(紫水晶) 秋田県荒川鉱山

トパーズ(黄玉) 岐阜県中津川市

トパーズは他に滋賀県大津市、山梨県甲府市などで産します。
日本にはこれほど多くの種類の鉱石があり、しかもその鉱山が現在では閉山している
ことには驚きます。
展覧会のHPです。
日比谷・有楽町
出光美術館では、尾形乾山生誕360年「琳派のやきもの —響きあう陶画の美」展が
開かれています。
会期は7月23日(日)までです。

今年は京都の陶工で、尾形光琳の弟でもある尾形乾山(1663 - 1743)の生誕360年と
いうことで、琳派の陶磁器を特集した展示です。
第1章 詩書画の陶芸
「銹絵菊図角皿」 尾形乾山 絵 尾形光琳 江戸時代中期

兄の光琳が描き、弟の乾山が焼いた角皿で、書も乾山です。
花中真隠逸
浥露倣深秋
菊は隠逸花と呼ばれ、菊を愛した隠逸の詩人、陶淵明にちなんでいるそうです。
『銹絵楼閣山水図八角皿「寶永年製」銘』 尾形乾山 宝永年間(1704-11)

二重の囲み線の中に唐の詩人、章八元の「題慈恩寺塔」に依った絵が銹絵で描かれ、
水墨のような味わいを出しています。
十層突兀在虛空 四十門開面面風と書かれていて、描かれている絵は、ここには
書かれていない、滿城春樹雨濛濛の詩句を想像させています。
描かれた絵から書かれていない言葉を引き出す、「当てもの」の趣向になっています。
「銹絵竹図角皿」 尾形乾山 絵 尾形光琳 江戸時代中期

杜甫の詩、「厳鄭公宅同詠竹」の一節が書かれています。
雨洗娟娟淨 風吹細細香
「銹絵獅子香炉」 尾形乾山 江戸時代中期

高欄の中で鞠を持つ獅子が摘みになっています。
乾山としては珍しい手の込んだつくりで、これは京焼の伝統に則ったものと
思われるそうです。
「銹絵富士山文茶碗」 野々村仁清 江戸時代前期

ふっくらした姿でやや三角に歪められ、白釉の上に銹絵で三峰型の様式的な形の
富士山と雲を描いています。
仁清は色絵で有名ですが、それ以前は白釉や錆絵のものを制作しています。
公家の宴では白木の三宝やかわらけの食器を用い、一度使うと捨てていたことから、
食器の嗜好も白い物、清らかな物を好んだことによるものだそうです。
第2章 王朝文学の情緒
「色絵定家詠十二ヵ月和歌花鳥図角皿」 尾形乾山 江戸時代中期

裏に藤原定家の和歌が書かれてる12枚の角皿すべてが展示されています。
二、四、六、七、九、十二月を琳派風に、残りの月を狩野派風に描いています。
旧暦七月は初秋ということで、かささぎと女郎花です。
「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」 尾形乾山 江戸時代中期 重要文化財

蒔絵硯箱などの木器を元にしたと思われ、素地の上に金銀や白、染付を使って
松を描いています。
内側は白化粧に金彩と染付で波を描き、砂浜の松林を表す意匠になっています。
鳴滝に居た頃の作と思われ、乾山焼で銀彩を使うのは珍しいそうです。
鳴滝は京の乾(北西)の方向にあったことから、乾山の号を用いています。
第3章 交響をなす琳派の陶画
「鹿蒔絵硯箱」 伝 尾形光琳 江戸時代中期

平蒔絵に鉛板の鹿や草を貼ってあります。
硯箱の中には光琳波が描かれています。
「染付白彩流水文鉢」 尾形乾山 江戸時代中期

口縁を波打った形につくり、化粧土と染付で光琳波を表しています。
「色絵龍田川文透彫反鉢」 尾形乾山 江戸時代中期

鉢の外側にも内側にも紅葉と川波を描いています。
紅葉の名所、竜田川の水面を切り取って器に仕立てています。
「色絵紅葉文壺」 尾形乾山 江戸時代中期

赤青黄の紅葉が六角形をしていて、モダンなデザインです。
「色絵梅花文四方香炉」 野々村仁清 江戸時代前期

つまみは兎、取っ手は中国の青銅器の象の形をしていて、煙穴も菊の形をしています。
「色絵乙御前人形」 仁阿弥道八 江戸時代後期

乙御前とはおたふく、おかめのことで、しもぶくれの愛らしい顔が特徴です。
狂言に登場する役柄で、髪は狂言の成立した室町時代の垂髪です。
扇、七宝、梅花という目出度い模様の着物を着て、手には宝珠を持っています。
仁阿弥道八(1783-1855)は京焼の高橋道八家の2代目で、茶道具から置物、
彫塑的な作品まで幅広い領域の作品を手掛けています。
特集 重要文化財「色絵芥子文茶壺」をめぐりみる
「色絵芥子文茶壺」 野々村仁清 江戸時代前期 重要文化財

高さ43.4㎝の大きな壷で、ころりとした親しみやすい形をしています。
肩に金彩で切箔を散らしたように描き、赤い芥子の花を金の輪郭線で取り巻き、
裾に「仁清黒」と呼ばれる漆のような黒を配しています。
屏風絵と蒔絵の意匠を焼き物に融合した作品とのことです。
独立した展示ケースに置かれていて、四方から観ることが出来ます。
第4章 継承される陶画の美
「梅・撫子・萩・雪図」 尾形乾山 寛保2年(1742)
萩図

雪図

春夏秋冬の四幅対になった軸物で、金箔地に描き、和歌を添えています。
梅・撫子は7月2日まで、萩・雪図は7月4日からの展示です。
「富士図扇面」 伝 尾形光琳 薄下絵 鈴木其一

尾形光琳が描いたとされる扇面を、鈴木其一が薄を描いた台紙に貼ってあります。
其一は富士から伊勢物語の「東下り」の段を連想し、同じ伊勢物語の「武蔵野」の段を
導き出して、薄をあしらったのではないかということです。
俵屋宗達などの屏風絵も展示されていて、たっぷり琳派を味わえる展覧会です。
展覧会のHPです。
chariot
出光美術館では、尾形乾山生誕360年「琳派のやきもの —響きあう陶画の美」展が
開かれています。
会期は7月23日(日)までです。

今年は京都の陶工で、尾形光琳の弟でもある尾形乾山(1663 - 1743)の生誕360年と
いうことで、琳派の陶磁器を特集した展示です。
第1章 詩書画の陶芸
「銹絵菊図角皿」 尾形乾山 絵 尾形光琳 江戸時代中期

兄の光琳が描き、弟の乾山が焼いた角皿で、書も乾山です。
花中真隠逸
浥露倣深秋
菊は隠逸花と呼ばれ、菊を愛した隠逸の詩人、陶淵明にちなんでいるそうです。
『銹絵楼閣山水図八角皿「寶永年製」銘』 尾形乾山 宝永年間(1704-11)

二重の囲み線の中に唐の詩人、章八元の「題慈恩寺塔」に依った絵が銹絵で描かれ、
水墨のような味わいを出しています。
十層突兀在虛空 四十門開面面風と書かれていて、描かれている絵は、ここには
書かれていない、滿城春樹雨濛濛の詩句を想像させています。
描かれた絵から書かれていない言葉を引き出す、「当てもの」の趣向になっています。
「銹絵竹図角皿」 尾形乾山 絵 尾形光琳 江戸時代中期

杜甫の詩、「厳鄭公宅同詠竹」の一節が書かれています。
雨洗娟娟淨 風吹細細香
「銹絵獅子香炉」 尾形乾山 江戸時代中期

高欄の中で鞠を持つ獅子が摘みになっています。
乾山としては珍しい手の込んだつくりで、これは京焼の伝統に則ったものと
思われるそうです。
「銹絵富士山文茶碗」 野々村仁清 江戸時代前期

ふっくらした姿でやや三角に歪められ、白釉の上に銹絵で三峰型の様式的な形の
富士山と雲を描いています。
仁清は色絵で有名ですが、それ以前は白釉や錆絵のものを制作しています。
公家の宴では白木の三宝やかわらけの食器を用い、一度使うと捨てていたことから、
食器の嗜好も白い物、清らかな物を好んだことによるものだそうです。
第2章 王朝文学の情緒
「色絵定家詠十二ヵ月和歌花鳥図角皿」 尾形乾山 江戸時代中期

裏に藤原定家の和歌が書かれてる12枚の角皿すべてが展示されています。
二、四、六、七、九、十二月を琳派風に、残りの月を狩野派風に描いています。
旧暦七月は初秋ということで、かささぎと女郎花です。
「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」 尾形乾山 江戸時代中期 重要文化財

蒔絵硯箱などの木器を元にしたと思われ、素地の上に金銀や白、染付を使って
松を描いています。
内側は白化粧に金彩と染付で波を描き、砂浜の松林を表す意匠になっています。
鳴滝に居た頃の作と思われ、乾山焼で銀彩を使うのは珍しいそうです。
鳴滝は京の乾(北西)の方向にあったことから、乾山の号を用いています。
第3章 交響をなす琳派の陶画
「鹿蒔絵硯箱」 伝 尾形光琳 江戸時代中期

平蒔絵に鉛板の鹿や草を貼ってあります。
硯箱の中には光琳波が描かれています。
「染付白彩流水文鉢」 尾形乾山 江戸時代中期

口縁を波打った形につくり、化粧土と染付で光琳波を表しています。
「色絵龍田川文透彫反鉢」 尾形乾山 江戸時代中期

鉢の外側にも内側にも紅葉と川波を描いています。
紅葉の名所、竜田川の水面を切り取って器に仕立てています。
「色絵紅葉文壺」 尾形乾山 江戸時代中期

赤青黄の紅葉が六角形をしていて、モダンなデザインです。
「色絵梅花文四方香炉」 野々村仁清 江戸時代前期

つまみは兎、取っ手は中国の青銅器の象の形をしていて、煙穴も菊の形をしています。
「色絵乙御前人形」 仁阿弥道八 江戸時代後期

乙御前とはおたふく、おかめのことで、しもぶくれの愛らしい顔が特徴です。
狂言に登場する役柄で、髪は狂言の成立した室町時代の垂髪です。
扇、七宝、梅花という目出度い模様の着物を着て、手には宝珠を持っています。
仁阿弥道八(1783-1855)は京焼の高橋道八家の2代目で、茶道具から置物、
彫塑的な作品まで幅広い領域の作品を手掛けています。
特集 重要文化財「色絵芥子文茶壺」をめぐりみる
「色絵芥子文茶壺」 野々村仁清 江戸時代前期 重要文化財

高さ43.4㎝の大きな壷で、ころりとした親しみやすい形をしています。
肩に金彩で切箔を散らしたように描き、赤い芥子の花を金の輪郭線で取り巻き、
裾に「仁清黒」と呼ばれる漆のような黒を配しています。
屏風絵と蒔絵の意匠を焼き物に融合した作品とのことです。
独立した展示ケースに置かれていて、四方から観ることが出来ます。
第4章 継承される陶画の美
「梅・撫子・萩・雪図」 尾形乾山 寛保2年(1742)
萩図

雪図

春夏秋冬の四幅対になった軸物で、金箔地に描き、和歌を添えています。
梅・撫子は7月2日まで、萩・雪図は7月4日からの展示です。
「富士図扇面」 伝 尾形光琳 薄下絵 鈴木其一

尾形光琳が描いたとされる扇面を、鈴木其一が薄を描いた台紙に貼ってあります。
其一は富士から伊勢物語の「東下り」の段を連想し、同じ伊勢物語の「武蔵野」の段を
導き出して、薄をあしらったのではないかということです。
俵屋宗達などの屏風絵も展示されていて、たっぷり琳派を味わえる展覧会です。
展覧会のHPです。
六本木1丁目
六本木の泉屋博古館東京では特別展「木島櫻谷 ― 山水夢中」が開かれています。
会期は7月23日(日)までです。
会期中に展示替えがありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

木島櫻谷(このしまおうこく、1877-1938)は京都三条室町の生まれで、
四条派の今尾景年に師事しています。
文展、帝展に出品し、審査員も務めて、京都画壇の第一人者となっています。
晩年は画壇から離れ、郊外の衣笠に移り住み、漢籍に親しみながら画三昧の
生活を送っています。
泉屋博古館東京ではこれまで2回、木島櫻谷展を開いてきましたが、
今回は写生に基いた山水画を中心にした展示です。
「画三昧」 昭和6年(1931) 櫻谷文庫

晩年の自画像といえる作品で、描き始めの木炭の筆を持って
画架に向かっているところです。
読書好きを表すように、卓子の上には和綴じの本が載っています。
木島櫻谷は写生を重視し、各地に赴いて写生を続けています。
単に写すのではなく、その生命力を写すことを心がけていたようです。
各地を訪れた時の写生帖は撮影可能です。
京都洛北 明治38年

山梨八代郡下九一色 明治41年

「泊船」 ⼤正4年(1915)

掛軸で、明治45年の旅の福井県美浜町早瀬の写生を基にしています。
夕暮れの風景で、家に灯る明かりも見えます。
「南陽院本堂障壁画」 明治43年(1910) 京都・南陽院

南陽院は明治43年に創建された、南禅寺の塔頭です。
木島櫻谷が襖絵を制作しています。
古典的な山水画の風景を写生に基いて再構築し、横に大きく展開しています。
山道を行く人馬も小さく描いて、抒情性も見せています。
「万壑烟霧(ばんがくえんむ)」 明治43年(1910)株式会社千總
6曲1双のとても大きな屏風で、広々とした山水を見事に描き出しています。
34歳頃の作で、その力量には驚きます。
「寒月」 明治45年(1912) 京都市美術館

右隻

左隻

6月18日までの展示です。
雪の積もった月夜の竹藪に狐が一匹、現れています。
狐の細かい毛並み、雪折れした竹、竹の周りの雪の溶けた具合など
写実的で、狐は動物園での写生を基にしているそうです。
沈んだ色彩は月夜の冷え冷えと冴えた空気を感じさせます。
「駅路之春(うまやじのはる)」 ⼤正2年(1913) 福⽥美術館

右隻


左隻


柳の下の茶店で振袖の女性や侍がくつろぎ、馬をつないだ馬方が一休みしています。
桜は散る花弁で表し、菜の花やすみれも見えます。
馬のおだやかな表情も春のうらうらとした風情を感じさせます。
晩年は画壇を離れたためか、現在では同じ京都画壇でも竹内栖鳳ほどは
知られてはいませんが、四条派伝統の写実に近代的な感覚の加わった、
品格のある作風の画家です。
今までの展覧会で、装飾的な作品や動物画などを見てきましたが、
今回は近代性のある山水画を楽しむことが出来て、木島櫻谷が
幅の広い領域を持った画家だったことを知りました。
2014年に開かれた「木島櫻谷―京都日本画の俊英」展の記事です。
2018年に開かれた「木島櫻谷 Part I 近代動物画の冒険」展の記事です。
2018年に開かれた「木島櫻谷 Part II 木島櫻谷の「四季連作屏風」
+近代花鳥図屏風尽し」展の記事です。
展覧会のHPです。
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六本木の泉屋博古館東京では特別展「木島櫻谷 ― 山水夢中」が開かれています。
会期は7月23日(日)までです。
会期中に展示替えがありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

木島櫻谷(このしまおうこく、1877-1938)は京都三条室町の生まれで、
四条派の今尾景年に師事しています。
文展、帝展に出品し、審査員も務めて、京都画壇の第一人者となっています。
晩年は画壇から離れ、郊外の衣笠に移り住み、漢籍に親しみながら画三昧の
生活を送っています。
泉屋博古館東京ではこれまで2回、木島櫻谷展を開いてきましたが、
今回は写生に基いた山水画を中心にした展示です。
「画三昧」 昭和6年(1931) 櫻谷文庫

晩年の自画像といえる作品で、描き始めの木炭の筆を持って
画架に向かっているところです。
読書好きを表すように、卓子の上には和綴じの本が載っています。
木島櫻谷は写生を重視し、各地に赴いて写生を続けています。
単に写すのではなく、その生命力を写すことを心がけていたようです。
各地を訪れた時の写生帖は撮影可能です。
京都洛北 明治38年

山梨八代郡下九一色 明治41年

「泊船」 ⼤正4年(1915)

掛軸で、明治45年の旅の福井県美浜町早瀬の写生を基にしています。
夕暮れの風景で、家に灯る明かりも見えます。
「南陽院本堂障壁画」 明治43年(1910) 京都・南陽院

南陽院は明治43年に創建された、南禅寺の塔頭です。
木島櫻谷が襖絵を制作しています。
古典的な山水画の風景を写生に基いて再構築し、横に大きく展開しています。
山道を行く人馬も小さく描いて、抒情性も見せています。
「万壑烟霧(ばんがくえんむ)」 明治43年(1910)株式会社千總
6曲1双のとても大きな屏風で、広々とした山水を見事に描き出しています。
34歳頃の作で、その力量には驚きます。
「寒月」 明治45年(1912) 京都市美術館

右隻

左隻

6月18日までの展示です。
雪の積もった月夜の竹藪に狐が一匹、現れています。
狐の細かい毛並み、雪折れした竹、竹の周りの雪の溶けた具合など
写実的で、狐は動物園での写生を基にしているそうです。
沈んだ色彩は月夜の冷え冷えと冴えた空気を感じさせます。
「駅路之春(うまやじのはる)」 ⼤正2年(1913) 福⽥美術館

右隻


左隻


柳の下の茶店で振袖の女性や侍がくつろぎ、馬をつないだ馬方が一休みしています。
桜は散る花弁で表し、菜の花やすみれも見えます。
馬のおだやかな表情も春のうらうらとした風情を感じさせます。
晩年は画壇を離れたためか、現在では同じ京都画壇でも竹内栖鳳ほどは
知られてはいませんが、四条派伝統の写実に近代的な感覚の加わった、
品格のある作風の画家です。
今までの展覧会で、装飾的な作品や動物画などを見てきましたが、
今回は近代性のある山水画を楽しむことが出来て、木島櫻谷が
幅の広い領域を持った画家だったことを知りました。
2014年に開かれた「木島櫻谷―京都日本画の俊英」展の記事です。
2018年に開かれた「木島櫻谷 Part I 近代動物画の冒険」展の記事です。
2018年に開かれた「木島櫻谷 Part II 木島櫻谷の「四季連作屏風」
+近代花鳥図屏風尽し」展の記事です。
展覧会のHPです。
九段下
「VMG CAFÉ 九段会館テラス」は地下鉄九段下駅横の九段会館テラスの5階にあります。
場所は千代田区九段南1-6-5です。
九段会館テラスは東日本大震災で閉業した九段会館を東急不動産等が引継ぎ、
建物の外観を残して建て替え、2022年10月に開業したものです。

九段会館は元は軍人会館の名称で、軍関係の訓練、宿泊施設として、
1934年に竣工しています。
1936年に青年将校たちが兵を率いて起こした二・二六事件では戒厳司令部が
置かれています。
戦後、連合国軍に接収された後、「九段会館」として再出発しました。
前庭も整備されました。

レモンも実っています。

5階のVMG CAFÉの横は広いテラスになっています。


武道館の大屋根です。

靖国神社の鳥居も見えます。

テイクアウトでアールグレイ800円とカフェラテ700円をいただきました。

九段の夕景色を眺めながらのひと時でした。
夜の正面玄関です。

chariot
「VMG CAFÉ 九段会館テラス」は地下鉄九段下駅横の九段会館テラスの5階にあります。
場所は千代田区九段南1-6-5です。
九段会館テラスは東日本大震災で閉業した九段会館を東急不動産等が引継ぎ、
建物の外観を残して建て替え、2022年10月に開業したものです。

九段会館は元は軍人会館の名称で、軍関係の訓練、宿泊施設として、
1934年に竣工しています。
1936年に青年将校たちが兵を率いて起こした二・二六事件では戒厳司令部が
置かれています。
戦後、連合国軍に接収された後、「九段会館」として再出発しました。
前庭も整備されました。

レモンも実っています。

5階のVMG CAFÉの横は広いテラスになっています。


武道館の大屋根です。

靖国神社の鳥居も見えます。

テイクアウトでアールグレイ800円とカフェラテ700円をいただきました。

九段の夕景色を眺めながらのひと時でした。
夜の正面玄関です。

表参道
表参道の根津美術館では企画展、「救いのみほとけ」が開かれています。
会期は7月2日(日)までです。

我々になじみの深い、お地蔵様についての展覧会です。
地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、56億7千万年後の弥勒菩薩が出現するまでの間、
現世で救済を行なう仏とされています。
剃髪し袈裟をまとった僧形で、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ姿で表される
ことが多いです。
地蔵菩薩の信仰は平安時代に広まっています。
「大方広十輪経 巻第四(五月一日経)」 奈良時代 8世紀

光明皇后が亡き両親の藤原不比等と橘三千代の追福のため発願した一切経の一巻です。
「天平十二年五月一日記」と書かれているので五月一日経の名があります。
十輪経は地蔵について書かれた経です。
「地蔵菩薩立像」 平安時代 久安3年(1147) 重要文化財

等身大の大きな木造で、彩色も少し残っています。
平安時代らしい、とても優美なお顔のお地蔵様で、額の白毫(びゃくごう)は
水晶を嵌めてあります。
像内に納められた墨書銘に久安3年に源良兼らを願主として、仏師快助によって
造立されたと記されています。
「地蔵菩薩坐像」 鎌倉時代 13世紀

襟や衣文の彫りは深く写実的で、左足を前に出して座る姿は初期の慶派に多い
作例とのことです。
「地蔵菩薩立像」の穏やかな表情と比べ、こちらはきりりとした表情です。
「地蔵菩薩像 」 鎌倉時代 14世紀

阿弥陀如来でなく地蔵菩薩が衆生を浄土へ導くため雲に乗って現れています。
この姿の地蔵菩薩図は鎌倉時代以降数多く制作されたそうで、細部まで一致する像を
奈良国立博物館も所蔵していて、地蔵信仰の広がりを感じさせます。
「釈迦地蔵来迎図 」 鎌倉時代 14世紀 神奈川・寳生寺蔵

釈迦如来が地蔵菩薩を従えて、弥勒の兜率天への往生へ導くという、
かなり珍しい図様です。
衆生を救済するのは釈迦だけであり、その務めを地蔵にゆだねたとする、
興福寺出身の法相宗の僧、貞慶(1155-1213)の信仰が反映されている
可能性があるそうです。
貞慶は、保元の乱で暗躍し平治の乱で討たれた信西の孫で、弥勒を
篤く信仰していました。
鎌倉時代に浄土教が興ると、旧仏教側も地蔵による救済を盛んに説くように
なったそうです。
「地蔵十王図(秦広王図)」 室町時代 15世紀

10幅のうち2幅の展示です。
地蔵十王は地獄で亡者を裁く10人の王で、秦広王は初七日に裁きます。
背景の山水画は巧みな描き振りです。
閻魔王は35日目の王で、地蔵菩薩が本地とされ、地蔵は衆生を地獄の
責め苦から救ってくれる存在として信仰を集めます。
「矢田地蔵縁起絵巻」(部分) 室町時代 16世紀 重要美術品


毎月決まった日に奈良の金剛山寺(矢田寺)に参詣し、地蔵菩薩に祈願すると
地獄の責め苦から救われるという霊験を説く絵巻です。
生前の罪業を鏡に映されたり、熱で溶けた鉄を飲まされる亡者たちも描かれています。
矢田寺は真言宗の寺院で、地蔵信仰の中心となっています。
矢田寺の地蔵の右手は阿弥陀如来の印である、指で輪をつくる来迎印を
しているのが特徴です。
毎月24日は地蔵の縁日とされ、地蔵菩薩を祀る寺院では法要が営まれます。
初公開の作品も多く、お地蔵さまにもいろいろな姿があるのが分かり、
なかなか面白い展示です。
展示室5のテーマは「西田コレクション受贈III 阿蘭陀・安南」です。
西田宏子氏より受贈した工芸品169件の一部を3回に分けて展示しています。
第3回はオランダやベトナム、中国などの陶磁器と漆器です。
安南はベトナム中部の古い名称です。
「藍絵花鳥文茶器」 オランダ 17世紀

日本からの注文品と思われ、染付ではなく、錫釉の上にコバルトで絵付けしてあります。
展示室6のテーマは「涼一味の茶」です。
涼しさをもたらす茶道具の展示です。
「三島茶碗 銘 上田暦手」 朝鮮時代 16世紀

三島茶碗は朝鮮に注文して作られた茶碗で、線や花模様を彫った象嵌の
技法が使われています。
細かい模様が伊豆の三嶋大社の配布していた三島暦に似ていることから
この名があります。
「祥瑞瑠璃釉瓢形徳利」 景徳鎮窯 明時代 17世紀

すがすがしい青色で、底の裏に「五良大甫呉祥瑞造」とあります。
祥瑞(しょんずい)とは、日本の茶人の注文により景徳鎮で焼かれたとされる
染付のことです。
展覧会のHPです。
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表参道の根津美術館では企画展、「救いのみほとけ」が開かれています。
会期は7月2日(日)までです。

我々になじみの深い、お地蔵様についての展覧会です。
地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、56億7千万年後の弥勒菩薩が出現するまでの間、
現世で救済を行なう仏とされています。
剃髪し袈裟をまとった僧形で、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ姿で表される
ことが多いです。
地蔵菩薩の信仰は平安時代に広まっています。
「大方広十輪経 巻第四(五月一日経)」 奈良時代 8世紀

光明皇后が亡き両親の藤原不比等と橘三千代の追福のため発願した一切経の一巻です。
「天平十二年五月一日記」と書かれているので五月一日経の名があります。
十輪経は地蔵について書かれた経です。
「地蔵菩薩立像」 平安時代 久安3年(1147) 重要文化財

等身大の大きな木造で、彩色も少し残っています。
平安時代らしい、とても優美なお顔のお地蔵様で、額の白毫(びゃくごう)は
水晶を嵌めてあります。
像内に納められた墨書銘に久安3年に源良兼らを願主として、仏師快助によって
造立されたと記されています。
「地蔵菩薩坐像」 鎌倉時代 13世紀

襟や衣文の彫りは深く写実的で、左足を前に出して座る姿は初期の慶派に多い
作例とのことです。
「地蔵菩薩立像」の穏やかな表情と比べ、こちらはきりりとした表情です。
「地蔵菩薩像 」 鎌倉時代 14世紀

阿弥陀如来でなく地蔵菩薩が衆生を浄土へ導くため雲に乗って現れています。
この姿の地蔵菩薩図は鎌倉時代以降数多く制作されたそうで、細部まで一致する像を
奈良国立博物館も所蔵していて、地蔵信仰の広がりを感じさせます。
「釈迦地蔵来迎図 」 鎌倉時代 14世紀 神奈川・寳生寺蔵

釈迦如来が地蔵菩薩を従えて、弥勒の兜率天への往生へ導くという、
かなり珍しい図様です。
衆生を救済するのは釈迦だけであり、その務めを地蔵にゆだねたとする、
興福寺出身の法相宗の僧、貞慶(1155-1213)の信仰が反映されている
可能性があるそうです。
貞慶は、保元の乱で暗躍し平治の乱で討たれた信西の孫で、弥勒を
篤く信仰していました。
鎌倉時代に浄土教が興ると、旧仏教側も地蔵による救済を盛んに説くように
なったそうです。
「地蔵十王図(秦広王図)」 室町時代 15世紀

10幅のうち2幅の展示です。
地蔵十王は地獄で亡者を裁く10人の王で、秦広王は初七日に裁きます。
背景の山水画は巧みな描き振りです。
閻魔王は35日目の王で、地蔵菩薩が本地とされ、地蔵は衆生を地獄の
責め苦から救ってくれる存在として信仰を集めます。
「矢田地蔵縁起絵巻」(部分) 室町時代 16世紀 重要美術品


毎月決まった日に奈良の金剛山寺(矢田寺)に参詣し、地蔵菩薩に祈願すると
地獄の責め苦から救われるという霊験を説く絵巻です。
生前の罪業を鏡に映されたり、熱で溶けた鉄を飲まされる亡者たちも描かれています。
矢田寺は真言宗の寺院で、地蔵信仰の中心となっています。
矢田寺の地蔵の右手は阿弥陀如来の印である、指で輪をつくる来迎印を
しているのが特徴です。
毎月24日は地蔵の縁日とされ、地蔵菩薩を祀る寺院では法要が営まれます。
初公開の作品も多く、お地蔵さまにもいろいろな姿があるのが分かり、
なかなか面白い展示です。
展示室5のテーマは「西田コレクション受贈III 阿蘭陀・安南」です。
西田宏子氏より受贈した工芸品169件の一部を3回に分けて展示しています。
第3回はオランダやベトナム、中国などの陶磁器と漆器です。
安南はベトナム中部の古い名称です。
「藍絵花鳥文茶器」 オランダ 17世紀

日本からの注文品と思われ、染付ではなく、錫釉の上にコバルトで絵付けしてあります。
展示室6のテーマは「涼一味の茶」です。
涼しさをもたらす茶道具の展示です。
「三島茶碗 銘 上田暦手」 朝鮮時代 16世紀

三島茶碗は朝鮮に注文して作られた茶碗で、線や花模様を彫った象嵌の
技法が使われています。
細かい模様が伊豆の三嶋大社の配布していた三島暦に似ていることから
この名があります。
「祥瑞瑠璃釉瓢形徳利」 景徳鎮窯 明時代 17世紀

すがすがしい青色で、底の裏に「五良大甫呉祥瑞造」とあります。
祥瑞(しょんずい)とは、日本の茶人の注文により景徳鎮で焼かれたとされる
染付のことです。
展覧会のHPです。