fc2ブログ
次のページ
佐藤誠高個展「Reality -Dancing on the Edge-」 銀座蔦屋書店
銀座
chariot

GINZA SIXの6階にある銀座蔦屋書店のイベントスペースGINZA ATRIUMでは
2月14日(水)まで、佐藤誠高個展「Reality -Dancing on the Edge-」が開かれています。

さDSC01530


佐藤誠高さん(1980~)は細密な鉛筆画と力強い筆遣いの油彩を組合わせた
人物画などを制作されています。
鉛筆画の部分は写真のように実に細かく描き込まれています。

さDSC01541

さDSC01543

さDSC01545

さDSC01547

さDSC01534

さDSC01532

さDSC01537


精緻と大胆がぶつかり合った、とても印象的な画面です。


【2024/01/30 19:44】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「陶の仏 ―近代常滑における陶彫」展 日本橋髙島屋
日本橋
chariot

日本橋髙島屋4階の髙島屋史料館TOKYOでは「陶の仏 ―近代常滑における陶彫」展が
開かれています。
会期は2024年2月25日(日)まで、月・火曜日はお休みです。

img149.jpg


愛知県の常滑焼は西洋の彫刻技法を取り入れて、陶彫という新しい技法を開発しています。
作品の種類は仏像、人物、動物などさまざまです。

展示室は一部撮影可能です。

とDSC00426

とDSC00424


柴山清風 「普賢菩薩坐像」 昭和10年(1935) 宗興寺蔵
パンフレットの写真です。
柴山清風(1901-1969)は巨大な興亜観音像など、観音像の制作で有名です。
鳥羽にある一葉観音は一体造りで、高さ2.4mもあります。

手前:冨本梅月 「瀧観世音菩薩立像香炉」 大正14年(1925) とこなめ陶の森資料館蔵
とDSC00408

冨本梅月(1861-1939)は陶彫については独学だったとされています。
現在、梅月冨本人形園は全国の80%の招き猫を製作しているそうです。

冨本梅月 「文殊菩薩像」 大正時代 とこなめ陶の森資料館蔵
と2DSC00413

彫刻の文殊菩薩像は蓮華座に座して獅子に乗る姿が多く、直接獅子に乗る姿が増えるのは
近代以降とのことです。
一方、禅宗の水墨画では文殊菩薩像は直接乗る姿で描かれることが多く、この像も禅宗の
水墨画を参考にしている可能性が高いそうです。

(参考)
「釈迦三尊図」 雲渓永怡 室町時代・16世紀 常盤山文庫蔵
he07a5jv.png

花を持つ釈迦如来と獅子に乗った文殊菩薩(右)、象に乗った普賢菩薩(左)の三幅対です。

制作:水上水玉 メッキ:田中錦二 「白衣観音立像」 昭和6年(1931) 大善院蔵
とDSC00419

陶製の観音像に金属釉を塗り、メッキを施してあります。
水上水玉(1884-1957)は常滑工業補習学校に学び、人形・玩具・置物などを制作しています。
田中錦二(1871-1934)は丸善の陶製インク壺の制作でも知られています。


【2024/01/28 20:13】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「骨が語る人の「生と死」 日本列島一万年の記録より」 東京大学総合研究博物館
本郷三丁目
chariot

東京大学本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館本館では特別展示、
「骨が語る人の「生と死」 日本列島一万年の記録より」が行なわれています。
会期は2024年2月22日(木)まで、入場は無料、日祝および12月30日以降の
土曜が休館になりますので、開館カレンダーでご確認ください。
11月18日(土)には本展企画者の海部陽介教授によるギャラリートークが行われました。

骨img113 (1)

DSC07088_20231003185906226.jpg


東京大学総合研究博物館が保管する、日本各地で収集された数千体の古人骨を基に、
祖先の生、死、病との闘いについて紹介する展示です。
展示室は撮影可能です。

現代人男性の骨格標本と比べた保美貝塚の男性の上腕骨です。
骨img113 (4)

保美貝塚は愛知県の渥美半島の突端にある縄文時代後期から晩期にかけての遺跡です。
一般的に海浜の縄文人の上腕骨は内陸の縄文人より逞しく、これは漁労に従事していた
ためと考えられます。
その中でも保美貝塚の縄文人の骨は太く、この骨の主は日本史上最高のマッチョマンと
されています。
この人たちは漁労の他、二上山のサヌカイトの石器が多数出土していることから、石材の
運搬も行なっていたようです。
サヌカイトは奈良と大阪の境の二上山で採れる、大変緻密な安山岩で、黒曜石と並んで
石器として各地で使われていました。

縄文人の歯は歯並びが良く、現代人のように上下の切歯がハサミのように重なるのではなく、
先端同士がかみ合い、かなり摩耗しているのが特徴です。
硬い物を食べていたので、あごの骨が発達していたためです。

骨img117 (4)

鎌倉時代になると出っ歯が増えてきます。
箸を使うようになり、前歯で嚙み切ることが減ったことで、擦り減らなくなったのが原因と
考えられるそうです。

京都の大徳寺三玄院に埋葬されていた戦国時代の石田三成の頭骨もかなりの出っ歯
だったのを思い出しました。

江戸時代は柔らかい物を食べていたので、あごが発達せず、歯並びも悪くなっています。

骨img117 (6)

その代わり、房楊枝などで徹底的に歯を磨く人が増えて、歯が驚くほどピカピカの人も
現れます。

近くの春日通りと本郷通りの交わる本郷三丁目交差点のかねやすビルです。
江戸時代に「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と川柳に詠まれたお店です。
先祖は歯科医で、元禄時代に歯磨き粉を売り出して有名になりました。
その後、洋服や雑貨を売るお店になりましたが、現在は休業しています。

かIMG_0307

かIMG_0308


縄文時代には後の弥生時代のような集団間の戦いの跡は見付かっていません。
しかし個別の骨を見ると、頭を鹿の角か何かで強く殴られたような穴のある骨や
鼻柱の折れた骨もあるそうです。
骨img117 (2)


鎌倉の由比ガ浜で発見された鎌倉時代の集団墓地では、頭に切傷のある骨が幾つも
出土しています。
新田義貞の鎌倉攻めの戦いの犠牲者ではないかと考えられています。

骨img113 (2)

眉間に傷のある成人女性や、死後に野晒しで白骨化してから埋葬されたらしく墨で経文の
書かれた頭蓋骨もあって、戦いの激しさを物語っています。


墓制も時代によってかなり変わっています。

マッチョマンの出土した保美貝塚では14人以上の骨を五角形に並べてありました。
一度仮埋葬した後、再埋葬する習慣があったようです。

骨img113 (3)


古代や中世の庶民の遺体は山野に野晒しにされることが多く、遺骨もあまり
残っていないそうです。
鎌倉時代の親鸞は「自分が死んだら体は鴨川に流して魚に食わせろ」と言い残して
いますが、この頃の葬送の習慣も反映しているのでしょう。
誰もが墓地に葬られるようになったのは檀家制度が整って、寺院の境内に墓地が
設けらたからだそうです。
以前、国立科学博物館で開かれた展覧会で、試し斬りで胴体を何度も切断された
骨の展示もありました。
近くの湯島4丁目の寺院の墓地跡地で発見されていて、丁寧に埋葬された刑死人も
あったようです。

結核や梅毒の跡のある人骨もあります。
結核が日本に入ってきたのは弥生時代、梅毒は室町時代とみられています。
梅毒は江戸時代に大流行しています。
徳川家康の次男、結城秀康や家康の重臣、本多正信の死因も梅毒とされています。

縄文時代から江戸時代まで、頭骨の形の変化の分かる展示もあります。
弥生時代の女性の頭骨があって、弥生人にしてはやや角ばった顔だなと思っていたら、
解説にも縄文人に近いところがあると書いてあったので、面白く思いました。

いろいろ珍しく、貴重な資料の揃った、興味深い展示です。

展覧会のHPです。


【2024/01/27 18:58】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「中尊寺金色堂」展 東京国立博物館
上野
chariot

上野の東京国立博物館本館特別5室では建立900年 特別展「中尊寺金色堂」が
開かれています。
会期は4月14日(日)までです。
3月3日(日)までの前期と3月5日(火)からの後期で一部展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認下さい。

中尊寺img187 (1)


平泉の中尊寺金色堂の上棟された天治元年(1124)を建立年として、建立900年を記念して
開かれた展覧会です。

8KCGで再現した原寸大の中尊寺金色堂
中尊寺img187 (7)

縮尺1/5の金色堂模型 中尊寺蔵
こDSC01226

こDSC01232

こDSC01223

こDSC01231

この模型は撮影可能です。
正面、側面ともに3間の宝形造りの阿弥陀堂建築で、屋根瓦以外の全面に金箔が貼られ、
螺鈿や漆などで細緻な装飾が施されています。
螺鈿で装飾されて煌びやかな円柱や須弥壇の様子がよく分かります。
金色堂は現在、保護のための覆堂に覆われています。

中尊寺金色堂は奥州藤原氏の初代、藤原清衡(1056-1128)が建立しています。
須弥壇の下には清衡・基衡・秀衡の藤原3代のミイラと4代泰衡の首級のミイラが
安置されています。
泰衡は源頼朝の奥州征伐で追い詰められ、家来に裏切られ、首を討たれています。
首は八寸釘で柱に打ち付けられて晒されたという伝承の通り、首級には大きな釘孔が
開いています。

3つの須弥壇にはそれぞれ阿弥陀如来を中心とする群像が安置されていますが、
展覧会では中央壇の11体すべてが展示されています。

中尊寺img187 (9)


「阿弥陀如来坐像」 平安時代 12世紀 中尊寺金色院蔵 国宝
「観音菩薩立像」 平安時代 12世紀 中尊寺金色院蔵 国宝
「勢至菩薩立像」 平安時代 12世紀 中尊寺金色院蔵 国宝
「地蔵菩薩立像」 6体 平安時代 12世紀 中尊寺金色院蔵 国宝
中尊寺img187 (2)

中尊寺img212 (2)

諸像は3つの須弥壇に入れ替わって置かれている可能性がありますが、阿弥陀三尊像は
清衡の建立時に現在と同じ中央の須弥壇に置かれたと考えられています。
阿弥陀像は像高約60cm、平安貴族に好まれた、定朝様式の撫で肩の穏やかな姿で、
まことに麗しいお顔をしておられます。
地蔵菩薩は顔のプロポーションが小さいこと、腹帯をしていることなどから、
阿弥陀三尊より1世代後の像と考えられるそうです。

「金箔押木棺」 平安時代 12世紀 中尊寺金色院蔵 重要文化財
清衡のミイラを納めていた木棺で、前面に金箔が貼られていますが、形は簡素です。

「持国天立像」 平安時代 12世紀 中尊寺金色院蔵 国宝
中尊寺img187 (4)

踏み付けられた邪鬼は2本爪です。

「増長天立像」 平安時代 12世紀 中尊寺金色院蔵 国宝
中尊寺img187 (5)


「金銅迦陵頻伽文華鬘」 平安時代 12世紀 中尊寺金色院蔵 国宝
中尊寺img187 (8)

迦陵頻伽(かりょうびんが)は上半身は人、下半身は鳥の姿をした、想像上の生物で、
浄土に住むとされています。
華鬘(けまん)は仏堂の装飾品で、金属などで作られています。

「優婆塞戒経」 巻第七(紺紙金銀字一切経のうち)
 平安時代 12世紀 中尊寺大長寿院蔵 国宝

中尊寺img187 (6)

中尊寺img212 (1)

前期の展示です。
金泥と銀泥で1行ずつ交互に経文が書かれ、見返しには釈迦説法図などが描かれています。
藤原清衡の命で、8年掛けて約5400巻が書写され、中尊寺に献納されたことから、
中尊寺経と呼ばれています。

奥州に産出する金を背景にした奥州藤原氏の栄華と、平安の王朝文化の粋を目の当たりに
すると、陸奥によくこれだけの文物が残ったものだと驚きます。

人気の高い展覧会で、かなりの来館者で賑わっていました。

(参考)
「平泉金色堂」 川瀬巴水 昭和32年(1957)
川瀬001

川瀬巴水(1883-1957)の亡くなった年の絶筆で、中尊寺金色堂の雪景色です。
金色堂に向かう一人の雲水が描かれています。
失われようとする日本の風物を描き留めた川瀬巴水の後姿にも見えます。

展覧会のHPです。


【2024/01/26 19:46】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「日本の近現代建築家たち」展 第2部:飛躍と挑戦 湯島 国立近現代建築資料館
湯島
chariot

湯島の国立近現代建築資料館では10周年記念アーカイブズ特別展
「日本の近現代建築家たち」の第2部:飛躍と挑戦が開かれています。
会期は2024年2月4日(日)までです。

けDSC09497


場所は文京区湯島4-6-15で、旧岩崎邸庭園に隣接しています。
入館料は無料ですが、土・日・祝日は、旧岩崎邸庭園のみからの入場
(有料:400円)となります。
月曜日は休館です。

資料館の所蔵する、日本の近現代の建築家12名についての資料が展示されています。
館内は撮影可能です。

建築家たちの挑戦の紹介として、代表的な作品や未完の作品、コンペへの応募案を
加えた展示がされています。

けDSC09664


国立京都国際会館はコンペの結果、大谷幸夫案が採用されましたが、
各建築家が応募しています。

採用された大谷幸夫案
けDSC09511


菊竹清訓案
けDSC09501

井桁架構で大空間を出現させるというものでしたが、大会議室が最上階にあって
動線を混乱させるということで、採用されませんでした。

八王子の大学セミナーハウス
けDSC09524

吉阪隆正設計で、逆ピラミッド形の建物など、斬新なデザインの建築が集まっています。

けDSC09527


沖縄国際海洋博覧会で日本政府の出展した海上実験都市、アクアポリスは
菊竹清訓の設計です。
けDSC09557

けDSC09560


安藤忠雄の水の教会
けDSC09579

けDSC09581


坂倉準三の新宿駅西口広場
けDSC09592


吉田鉄郎の東京中央郵便局
けDSC09596

大時計も見えます。
けDSC09599


高橋靗一の群馬県立館林美術館 
けDSC09604


安藤忠雄氏から隈研吾氏に宛てた、国立近現代建築資料館のオープンに際しての
内覧会のお誘いです。
けDSC09643

手紙にも書いてある、隣の旧岩崎邸です。
けDSC09670
                                                                                        

「第1部:覚醒と出発」の記事です。

展覧会のHPです。


【2024/01/25 19:49】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「佐藤忠展 見えないもの、つかめないもの」 日本橋髙島屋
日本橋
chariot

日本橋髙島屋美術画廊Xでは「佐藤忠展 見えないもの、つかめないもの」が開かれています。
会期は1月29日(月)までです。

佐藤忠さん(1966~)は神奈川県出身の金属工芸家です。
今回はステンレススチールの大小のリングを溶接でつなぎ合わせた造形の展示です。

「垂直の雨」
さDSC01166

上半身は人物を造形し、下半身は垂直の棒で構成されていて、浮かび上がるような
幻想味があります。

さDSC01169

両手を合わせると宗教的なイメージになるので、すこし手を離してあるそうです。

「水平の風」
さDSC01183

風に揺らいでいます。

「We know」
さDSC01186

「ふたつの感情」
さDSC01174


2019年に同じ日本橋髙島屋美術画廊Xで開かれた 「佐藤忠展」の記事です。

2016年に同じ日本橋髙島屋美術画廊Xで開かれた 「佐藤忠展」の記事です。


【2024/01/23 20:09】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」展 パナソニック汐留美術館
新橋・汐留
chariot

パナソニック汐留美術館では開館20周年記念/帝国ホテル二代目本館100周年
「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」展が開かれています。
会期は3月10日(日)まで、休館日は水曜日です。

ライトimg196 (1)


アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライト(1867–1959)の初期から後期まで、多数の資料で
その業績を紹介する展覧会です。
日本では日比谷の「帝国ホテル二代目本館」や西池袋の「自由学園明日館」の設計で
知られています。

「ウィンズロー邸、透視図」 
ライトimg196 (2)

ライトが勤めていたアドラー=サリヴァン事務所を辞め、独立した最初の1894年の作品です。
広い敷地を利用したプレイリースタイル(草原洋式)で、高さを抑え、軒を深くしています。
自然と調和したプレイリースタイルはライトを代表する様式となります。
手前に木の枝が描かれているのは、ライトが傾倒していた広重の浮世絵に倣った
もののようです。

「帝国ホテル二代目本館 第2案 1915年 断面図」
ライトimg196 (5)

(参考)
「帝国ホテル二代目本館模型」 竣工:大正12年(1923) 
けIMG_0496

けIMG_0497

展覧会ではこれとは別の模型が展示されています。
展示されている模型を見ると、左右対称で建物を渡り廊下でつなぎ、前庭に池を設けていて、
寝殿造りによく似ているのがよく分かります。
1893年のシカゴ万博では、平等院鳳凰堂を模した、日本館「鳳凰殿」が建設され、ライトは
これを見ています。
また、中米マヤ文明の影響も受けているとのことで、古代の神殿のような趣きもあります。
竣工直後に関東大震災に襲われましたが、埋め立て地という軟弱な地盤にもかかわらず、
ほとんど被害を受けませんでした。
現在は玄関部分が犬山の明治村に保存されています。

「帝国ホテル二代目本館 ピーコック・チェア」
 デザイン1913年頃 製作1930年頃 豊田市美術館

ライトimg196 (4)

アール・デコ様式の椅子で、自由学園明日館にも通じる六角形のデザインです。

「クーンリープレイハウス幼稚園の窓ガラス」 1912年頃 豊田市美術館
ライトimg196 (3)

ライトは教育にも関心を寄せていました。
風船や星条旗をモチーフにした、可愛い絵柄です。

「ユーソニアン住宅の原寸モデル展示」
ラDSC01219

ラDSC01209

この部分は撮影可能です。
ユーソニアン住宅は1930年代のプランで、畳のように一定の規格のパーツを組合わせる
方法により、住宅を安価で大量に供給できるようになっています。


プレイリースタイルで有名なライトですが、高層ビルも手掛けていることを知りました。
人気の高い展覧会で、かなりの来館者で賑わっていました。

展覧会のHPです。


【2024/01/21 19:11】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「メトロ銀座ギャラリー」  2024年1月
銀座
chariot

東京メトロ銀座駅コンコースには「メトロ銀座ギャラリー」があって、
3面の展示スペースに立体作品が展示されています。

3月2日(土)までは、「ART PASSAGE TOKYO METRO」展が開かれています。

作者:雨宮弥太郎・澤田志功・浜田修子・山口奉宏
4名の作品が並んでいます。
メDSC01084

雨宮弥太郎 「時の香」
メDSC01096

澤田志功 「暦」
メDSC01093

右: 山口奉宏 「minamo II」  左: 浜田修子 「マスク」
メDSC01086


作者:雨宮弥太郎 「― はじまりのとき ―」
メDSC01076

メDSC01078

メDSC01081

メDSC01080


作者:浜田修子 「花と」
メDSC01100

メDSC01103

メDSC01107

メDSC01113


銀座駅コンコースでは1月31日まで、熊本の食材、「くまもとモン」を食べてもらう
キャンペーンが行われていて、くまモンが宣伝を務めています。
メDSC01074

日動画廊の隣の銀座熊本館です。
メDSC01118

【2024/01/20 19:04】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「藤原由葵 個展」 日本橋三越本店
三越前
chariot

日本橋三越本店本館6階の美術特選画廊では1月22日(月)まで、「藤原由葵 個展」が
開かれています。

藤原由葵さん(1978~)は細密な油彩で人物や動物、植物などを描いておられます。
猫の毛のフワフワした感触も再現した、緻密な描き振りですが、鳥の頭が花になっていたり、
ちょっとシュルレアリスム風の味わいもあって、面白い作品です。

「YURIMIX」
img186.jpg

漆黒の背景の前にユリやチューリップ、スイセンの花が浮かび上がっています。


***

三越は創業350年ということで、ショーウインドウや1階で企画展示を行なっています。

みDSC01158 (1)


PR誌「みつこしタイムス」の表紙は杉浦非水が手掛けました。

みDSC01158 (2)


三越の始まり、「越後屋」の看板(レプリカ)です。

みDSC01135

現銀 駿河町
呉服物品々
無掛直 越後屋

初代、三井高利の始めた「現金掛け値なし(掛け売り、値引きはせず、正札で販売)」の
販売戦略が看板にも書かれています。

越後屋の貸傘(レプリカ)です。

みDSC01138

  江戸中を越後屋にして虹が吹き

2023年に三井記念美術館で開かれた「三井高利と越後屋展」の記事です。


【2024/01/19 20:42】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「本阿弥光悦の大宇宙」展 東京国立博物館
上野
chariot

上野の東京国立博物館平成館では特別展、「本阿弥光悦の大宇宙」が開かれています。
会期は3月10日(日)までです。

本阿弥img175 (1)


江戸時代初期、多彩な芸術家として活躍した本阿弥光悦(1558〜1637)の事績を
辿る展覧会です。


第1章 本阿弥家の家職と法華信仰―光悦芸術の源泉

本阿弥家の家職は刀剣の研磨・鑑定でした。

「短刀 銘 兼氏 金象嵌花形見」 志津兼氏
 鎌倉~南北朝時代・14世紀 重要美術品

本阿弥img175 (3)

本阿弥光悦の差料で、茎に「花形見」と彫ってあります。
志津兼氏は美濃国志津の刀工です。

「刻鞘 変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀」
本阿弥img175 (4)

兼氏の拵で、合口は鍔の無い短刀のことです。
刻みの入った鞘で、全面に蒔絵で細かく忍ぶ草が描かれ、とても繊細で華やかです。

東京国立博物館の所蔵する、正宗など国宝の名刀も何振か展示されています。

「刀 金象嵌 銘 江磨上 花押 光徳」 郷(江)義弘
 南北朝~鎌倉時代 14世紀 東京国立博物館

本阿弥img184 (2)

郷義弘は正宗の弟子ともされ、越中に住みましたが、若くに亡くなったとも言われています。
光悦の従兄弟である本阿弥光徳が磨上げ、江磨上の銘があります。
加賀前田家三代目利常が、光悦の養子、光嵯から購入し、京都の北野天満宮で
試し斬りをしたことから、北野江とも呼ばれています。
長く前田家の所有でしたが、明治天皇に献上され、東京国立博物館の所蔵となりました。

光悦は熱心な法華信者でした。

「紫紙金字法華経幷開結」 平安時代 11世紀 京都・本法寺 重要文化財
本阿弥img175 (7)

法華経18巻と、始めの経である無量義経、結びの経である観普賢経が揃っています。
光悦の寄進で、寄進状も展示されています。

本法寺は日蓮宗の寺院で、本阿弥光悦が支援しています。
長谷川等伯もこの寺と関係が深く、山門建立の施主に
なるなどしています。


第2章 謡本と光悦蒔絵―炸裂する言葉とかたち

本阿弥光悦は斬新な意匠の蒔絵を制作し、その様式は光悦蒔絵と呼ばれています。

「舟橋蒔絵硯箱」 本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 東京国立博物館 国宝
本阿弥img175 (2)

東博の総合文化展でもよく展示されている作品です。
何とも大胆なデザインの硯箱で、鉛の板で舟橋の橋板を表しています。
表面に散らされている文字は後撰和歌集の源等の歌です。
「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」を元に、
「東路乃 さ乃ゝ かけて濃三 思 わたる を知人そ なき」と書かれ、
「舟橋」の字を抜いています。

本阿弥光悦は角倉素庵に協力して、嵯峨本と呼ばれる木版活字本を
出版しています。
雲母刷りなどによる豪華な装丁で、複数の文字を連ねた活字を使って、
流れるような書体を再現しています。
能の一部を抜き書きした謡本などが展示されています。


第3章 光悦の筆線と字姿―二次元空間の妙技

本阿弥光悦は近衛信尹・松花堂昭乗と共に寛永の三筆と称される書家でもありました。

「桜山吹図屏風」 色紙:本阿弥光悦筆 屏風:伝俵屋宗達筆 江戸時代 17世紀
はなDSC07660

右隻
はなDSC07663

左隻
はなDSC07664

大きく土坡を配し、桜と山吹を厚塗りで描き入れ、光悦筆による古今集の和歌色紙が
貼られています。

「鶴下絵三十六歌仙和歌巻(部分)」 本阿弥光悦筆 下絵 俵屋宗達筆
 江戸時代 17世紀 京都国立博物館 重要文化財

本阿弥img175 (6)

本阿弥img175 (5)

長さ約13mほどもある長い巻物で、すべて展示されています。
俵屋宗達が金銀泥で群れ飛ぶ鶴を描いた上に、三十六歌仙の歌を一首ずつ、
肥痩を付けた伸びやかな筆遣いで書いています。

大中臣能宣
みかきもり衛士の炊く火のよるはもえ昼はきえつつ物をこそおもへ

平兼盛
くれてゆく 秋の形見に おくものは 我がもと結のしもにぞありける

紀貫之
しら露も時雨もいたくもる山はした葉のこらず色づきにけり

伊勢
三輪の山いかに待ち見む年経ふとも たづぬる人もあらじと思へば

山部赤人
田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ

僧正遍昭
すえの露もとのしずくや世の中のをくれさきだつためしなるらむ

紀友則
東路のさやの中山なかなかに何しか人をおもひそめけむ

小野小町
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける

「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」 本阿弥光悦筆 江戸時代 17世紀 東京国立博物館
本阿弥img184 (1)

金銀泥の下絵は俵屋宗達筆と伝えられています。
蓮は開花と同時に実が成ることから、仏教では成仏の約束を象徴するものとして
尊ばれたそうです。
元は巻子本でしたが、関東大震災で大半が焼失したとのことです。

前大僧正
慈圓
おほけなく浮世の民におほふかな 我が立つ杣に墨染の袖


第4章 光悦茶碗―土の刀剣

本阿弥光悦は樂家二代常慶、三代道入に楽焼を学んでいます。
楽茶碗は楽焼の祖、長次郎(?-1589)が千利休の侘び茶の好みに応じて
作り始めた、手捏ねの茶碗です。

「黒楽茶碗 銘 雨雲」 本阿弥光悦 17世紀 三井記念美術館 重要文化財 
三井002

ざっと釉薬を掛けてあり、残った土色の地肌に深みがあります。
口縁は薄く、するどく切り立っていて、姿を引き締めています。

「黒楽茶碗 銘 時雨」 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀 名古屋市博物館 重要文化財
本阿弥img175 (8)

寒々と厳しい姿から、時雨の銘が付けられたようです。

「赤楽茶碗 銘 加賀」 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀 京都・相国寺 重要文化財
本阿弥img175 (9)

大振りの茶碗で、白土に黄土を刷毛塗りし、透明釉を掛けています。
前田家に仕えた裏千家4代、千仙叟宗室が所持したことから加賀の名があります。

「赤楽茶碗 銘 乙御前」 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀 個人蔵 重要文化財
4-4-2017_004.jpg

乙御前(おとごぜ)とはおかめ、おたふくのいみです。
ふっくらとした姿で、上から見た形がおかめ、おたふくに似ているので、この名があります。

樂家の茶碗も展示されています。

 「赤楽茶碗 銘 無一物」 長次郎 桃山時代 16世紀
 兵庫県立美術館 重要文化財

中002

ふっくらとした素直な姿で、使い込まれた跡が肌の景色になっています。

「赤楽茶碗 銘 鵺」 三代道入 江戸時代 17世紀 三井記念美術館 重要文化財
三008

赤々とした茶碗で、胴に雲のような黒い塊が見えます。
平家物語に出てくる、夜な夜な御所の上に現れて近衛天皇を悩ませ、
源頼政に退治された鵺(ぬえ)になぞらえた名です。
「鵺」は能の演目にもなっています。

刀剣、書、工芸など、本阿弥光悦の多岐にわたる活動を見渡せて、
なかなか面白い展覧会です。

展覧会のHPです。


東京国立博物館では能登半島地震の募金を始めていて、本館正面階段前には
募金箱が置かれています。
長谷川等伯の「松林図屏風」も展示期間が1月28日(日)まで延長されました。

のDSC01120


東京国立博物館の募金開始を伝えるHPです。


【2024/01/18 20:04】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
紫式部につながる作品
紫式部
chariot

NHKの大河ドラマで、紫式部を主人公にした「光る君へ」が始まったので、紫式部につながる
作品を集めてみました。

「紫式部図」 渡辺省亭 明治時代 19-20世紀 ミネアポリス美術館
ミDSC01303

近江の石山寺で月を眺めながら源氏物語の想を練っている紫式部です。
水墨で描かれた遠山が写実的です。

「雪月花」 上村松園 1937年 宮内庁三の丸尚蔵館
皇10-8-2009_003

貞明皇后(大正天皇の皇后)の用命を受けてから完成まで21年かかった作品です。
「雪」「月」「花」を題材にした三幅対です。

「月」は、源氏物語に因んでいるとのことですが、紫式部が石山寺の月を眺めて、
源氏物語の着想を得たという場面でしょうか。
古典007

   めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月かな

この歌は、紫式部が旧友と僅かな時間しか会えなかったことを詠んだものとされています。

「雪」は、枕草子の香炉峰の雪の逸話で、清少納言が中宮定子の問いに答えて、
白楽天の詩に倣って、簾を持ち上げているところです。
紫式部は清少納言のこのような才気をひけらかすような振る舞いを嫌っていました。

歌川広重 「近江八景之内 石山秋月」 1834(天保5)年頃 山種美術館
山種img273 (5)

近江八景は中国の瀟湘八景に倣って近江の琵琶湖周辺の景色を
八つ選んだものです。
紫式部は石山寺に籠って、琵琶湖の湖面に映る月を眺めながら、
源氏物語の想を練ったとされています。
左に石山寺の本堂、右に瀬田の唐橋、遠くに比叡山が見えます。

  石山や鳰の海てる月かげは 明石も須磨もほかならぬ哉   近衛信尹

明石も須磨も源氏物語ゆかりの地名です。

「石山寺縁起絵巻」 巻第三(部分) 伝高階隆兼
 鎌倉~南北朝時代 14世紀 滋賀・石山寺 重要文化財

やまと絵img148 (19)

近江の石山寺の創建の次第と本尊の如意輪観音の霊験を記した全7巻の絵巻です。
石山寺は紫式部が源氏物語の想を練ったと伝えられている寺です。
第3巻までは14世紀に完成しましたが、江戸時代に谷文晁が6、7巻を描いたことで
全7巻が完成しました。

「源氏物語関屋澪標図屛風」 俵屋宗達 江戸時代 寛永8年(1631)
右隻は源氏物語の関屋の巻で、石山寺に詣でる途中の光源氏が逢坂の関で
空蝉の一行と出会う場面です。
山が大きな土坡で表されています。
静嘉堂img140 (2)


「源氏物語画帖 若紫」 伝土佐光起 江戸時代 17世紀 根津美術館
名017

光源氏が初めて若紫を見る、有名な垣間見の場面です。
のどかな春の景色の中を、若紫の飼っていた雀が逃げて行きます。
「光る君へ」の第1回でも、小鳥が籠から逃げていく場面がありました。

「御産の祷(おさんのいのり)」 1914年 東京国立博物館
安田015

紫式部日記に記された、藤原道長の長女で一条天皇の皇后、藤原彰子(988-1074)の
敦成親王(後一条天皇)の出産場面です。
奥の不動明王像の前で僧が護摩を焚いて祈祷し、女房が憑坐(よりまし)となって
悪霊を引き出そうとしています。

「紫式部日記絵巻断簡」 鎌倉時代 13世紀 東京国立博物館 重要文化財
やまと絵img148 (17)

藤原彰子の生んだ敦成親王(後一条天皇)の五十日の祝いの場面で、道長の妻、
源倫子が抱いています。
手前の男性が道長、几帳を後ろにしているのが彰子です。
元は巻物でしたが、昭和8年(1933)に益田鈍翁が分割して、掛軸に変えています。

「上東門院彰子菊合残巻(十巻本歌合) 伝 宗尊親王筆 1巻 平安時代 11世紀
遊びの美img371

上東門院彰子は紫式部、和泉式部、赤染衛門、伊勢大輔などの揃ったサロンの主催者
でもあります。
菊の花を題材にした10番20種の歌を集めた歌合せの記録で、伊勢大輔の名も見えます。
宗尊親王(1242-1274)は後嵯峨天皇の長子で、名筆家として知られています。
鎌倉幕府の要請で、征夷大将軍として鎌倉に住んだこともあります。
残巻は平安時代の作と思われるので、宗尊親王の筆ではないようです。

左 伊勢大輔

  ながきよのためしにそふるきくのはなゆくすゑとほくきみのみぞみむ

一条天皇の時、奈良の僧が桜の花を献上し、その受取り役を紫式部は
まだ新参の伊勢大輔に譲ります。
それを聞いた藤原道長が伊勢大輔に何か歌を詠むように命じたので、詠んだ歌

  いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな

高橋天山 「遊魂・和泉式部」 2015年
院004

院005

和泉式部の歌に拠っています。

  もの思へば沢の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る 後拾遺集

あくがれ出でたおのれの魂を見やっています。

「かくや月・赤染衛門」 高橋天山 2019年
院展img687 (6)

中秋の名月を詠んだ赤染衛門の歌に拠っています。

  今宵こそ世にある人はゆかしけれいずこもかくや月を見るらん

「栄花物語図屏風」 土佐光祐 江戸時代・17~18世紀 東京国立博物館
「栄花物語」は藤原道長たち藤原氏の繁栄を記した歴史物語で、作者は赤染衛門などの
女性ではないかとされています。
右隻
とIMG_0120

右隻は「月の宴」の巻で、村上天皇の御前で植木の優劣を競う、前栽合せの場面です。

左隻
とIMG_0122

左隻には「はつ花」の巻で、彰子の出産場面が描かれています。
魔除けに弓の弦を鳴らす鳴弦も行なわれています。

「金銅経箱」 平安時代 長元4年(1031) 延暦寺 国宝
近004

上東門院彰子が自ら書写した法華経を入れて、比叡山の横川(よかわ)の
妙法堂に埋納した経箱で、1923年に出土しています。
平安後期から近世にかけて、経巻を埋納して経塚を造営することが各地で
行われています。
銅製の箱には宝相華文が毛彫りで表され、金銀の鍍金が施され、表には
「妙法蓮華経」と彫られています。

「金銅 藤原道長経筒」 平安時代・寛弘4年(1007) 金峰神社 国宝
蔵王003

藤原道長が金峯山に埋納した経筒です。
この経筒は高さ40㎝ほどの大きさで、鍍金がなされ、胴に511文字の願文が彫られています。
中に法華経8巻など、道長自身の書写した経巻15巻が納められていました。
金峯山への埋納のことは、道長の御堂関白記にも、寛弘4年8月11日に蔵王堂に参詣して
山上に埋納し、その上に金銅の灯篭を建てたと記述されています。

「酒呑童子図扇面」 室町~安土桃山時代・16~17世紀 個人蔵
平安時代の武将、源頼光と家来たちが酒呑童子を退治する物語が描かれた36面の
扇面の一つです。

安倍晴明の占いで、多発する神隠しが酒呑童子の仕業と判明。
そDSC05091

安倍晴明は陰陽師で、一条天皇や藤原道長の信頼を得ていました。


【2024/01/16 19:21】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(2) |
「向井潤吉展」 銀座 日動画廊
銀座
chariot

銀座の日動画廊では1月25日(木)まで、日動画廊創業100周年記念事業「向井潤吉展」が
開かれています。
日曜日は休廊です。

日本の民家を描き続けた向井潤吉(1901~1995)の作品、約30点が展示されています。

「日本民家輯のうち 杏花村 北信安茂里」
向井img174 (1)

あんずの花の咲く春の信州です。
安茂里は長野市の西側にあります。
google mapで見ると、もう茅葺屋根の家は見当たりません。

展示されている作品に描かれている茅葺屋根の家々は今はほとんど無くなっているでしょう。

「妻籠宿雨情」
向井img174 (2)

妻籠宿は中山道の宿場でした。
向井潤吉が民家を手掛けた最初の作品は新潟県の魚沼を題材にしていますが、
やはり雨と霧の情景でした。

(参考)
「雨 [新潟県北魚沼郡川口町]」 1945年
向井3-7-2010_005

終戦の年に描かれた、民家を手掛けた最初の作品です。
雨の日の重く湿った空気まで感じられます。
この頃には向井潤吉の画風が確定しています。


【2024/01/14 22:23】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
プロフィール

chariot

Author:chariot
美術館・博物館めぐりとカフェの記事を書いています。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード


| ホーム | 次ページ>>