上野
上野の国立科学博物館の「縄文人展 芸術と科学の融合」に行ってきました。
会期は7月1日(日)までです。

日本館1階の企画展示室での展示で、通常入館料で観ることが出来ます。
縄文人の男女2体の骨を写真家の上田義彦さんが撮影し、グラフィックデザイナーの
佐藤卓さんがその写真と骨をレイアウトした展示です。
解説によると、人類学者が骨を観察して彼らの生前の姿を想像するのに対し、
芸術は科学とは全く異なるアプローチで人物の本質に迫ることができる、とあります。
通常の考古学や人類学の展示と違って、すっきりとしてアートな展示になっています。
男性の人骨は茨城県の霞ヶ浦東岸にある若海貝塚で発見されています。
若海貝塚は縄文中期~後期(5500~3300年前)の遺跡で、当時の霞ヶ浦は入江でした。
縄文中期(3700~3800年前)のほぼ完全な人骨です。
「身長」
約170cmあり、縄文人の男性の平均身長が約159cmなのに対して際立って高く、
巨人と言えるとのことです。
「年齢」
30歳代後半から40歳前後と見られています。
現代よりはるかに寿命の短い縄文人にすれば天寿と言えるようです。
身長も高かったので、生活力もあったのかもしれません。
「頭」
上から見た形は、縄文から鎌倉は短頭型から長頭型に変化し、鎌倉以降は
再び短頭型に進んでいるそうです。
この骨は短頭型がいちじるしいとのことです。
「顔」
頭蓋骨を横から見ると、眉間は盛り上がり、鼻骨と前頭骨の間は強くくぼみ、
彫りの深い典型的な縄文人の顔をしていることが分かります。
「歯」
縄文人の歯は酷使されるので、かなり磨り減っています。
かなりの虫歯の跡があります。
縄文人の虫歯の発生率は8%で、狩猟採集民としては高く、これクリやドングリなどの
炭水化物のカスが溜まるためと考えられています。
「頚椎」
頚椎症性神経根症が疑われるとのことです。
首や肩、腕、手にしびれや痛みを感じていたと思われます。
「背骨」
変形性腰椎症が見られるということです。
重い物を持ったり、中腰の姿勢を続けていたためと思われます。
「膝」
右の膝に関節炎の跡があり、軟骨が擦り減っていて、相当痛かっただろうということです。
「脛骨(けいこつ)」
左のすねの骨に骨折の跡があり、その部分がふくれています。
治るまで左足をかばって歩いたため、右膝に負担がかかって関節を痛めたものと
考えられます。
「埋葬」
うつ伏せで両膝を後ろに曲げる形(伏臥半屈葬)で埋められていました。
これは全国でも数例しかない特殊な葬り方で、場所も正式の墓穴ではなく、
貝塚に埋められています。
貝塚はゴミ捨て場ですから、この人物について何か特別のことがあったのではないかと
考えられています。
女性の人骨は北海道伊達市の有珠モシリ遺跡で発見されています。
有珠モシリ遺跡は有珠湾のモシリ島にある縄文晩期~続縄文時代恵山期
(3000~1800年前)の遺跡で、島全体が墓として利用されていたようです。
副葬品も多数発掘されていて、一部は重要文化財に指定されています。

縄文後期(約2500年前)のほぼ完全な人骨で、伊達市噴火湾文化研究所の所蔵です。
「身長」
約149cmで縄文人の女性の平均身長と同じです。
「年齢」
22~28歳前後と思われます。
「頭」
チラシの写真です。
左頭頂部に傷による孔があります。
孔の周りに治癒の跡があるので、負傷してからもしばらくは生存していたと思われる
ということです。
「顔」
若海貝塚の男性と比べると、凹凸がなだらかで、眼窩も丸みを帯びているのが分かります。
「歯」

左右の上顎側切歯が抜歯されています。
台湾などの先住民の研究から、抜歯は通過儀礼かと考えられています。
全国の縄文人に同じ抜歯のパターンがあるそうです。
「指」
左手小指を欠損しています。
パプアニューギニアの先住民には肉親を失った悲しみを紛らわすため、指を切り落とす
習慣があるとのことです。
この女性の場合、人為的なものか事故によるものかは不明です。
「骨盤」

手前が女性の骨です。
出産すると骨盤で一番大きな骨の寛骨の溝が出来ます。
この女性は複数人を出産したと考えられています。
「足首」

かかとを地面につけてしゃがむ、蹲踞の姿勢をとる習慣のため、足首の骨が
変形しています。
現代日本人にも見られる特徴で、この習慣の無いヨーロッパ人にはない形です。
「埋葬」
別の女性と一緒に屈葬されていました。
腕には南方の海で採れるオオツタノハガイで作った腕輪をしていたそうです。
頭骨にはベンガラをふりかけてあり、赤色がはっきり残っています。
赤は血の色を表し、再生を願う儀礼と考えられています。
2体の人骨を観察して、これだけ推測できるというのはとても興味深いことです。
特に男性は、当時としては長生きしたものの、体を酷使して傷めたあげく、尋常ではない
葬り方をされていたことに感慨を覚え、縄文人の人生の一端を見る思いがします。
展覧会のHPです。
大型の解説本です。
縄文人はJomoneseと呼ばれています。
岡本太郎のような縄文文化への憧れはJomonismというのでしょうか。
マティスの「ダンス」を骨たちが踊っています。
chariot
上野の国立科学博物館の「縄文人展 芸術と科学の融合」に行ってきました。
会期は7月1日(日)までです。

日本館1階の企画展示室での展示で、通常入館料で観ることが出来ます。
縄文人の男女2体の骨を写真家の上田義彦さんが撮影し、グラフィックデザイナーの
佐藤卓さんがその写真と骨をレイアウトした展示です。
解説によると、人類学者が骨を観察して彼らの生前の姿を想像するのに対し、
芸術は科学とは全く異なるアプローチで人物の本質に迫ることができる、とあります。
通常の考古学や人類学の展示と違って、すっきりとしてアートな展示になっています。
男性の人骨は茨城県の霞ヶ浦東岸にある若海貝塚で発見されています。
若海貝塚は縄文中期~後期(5500~3300年前)の遺跡で、当時の霞ヶ浦は入江でした。
縄文中期(3700~3800年前)のほぼ完全な人骨です。
「身長」
約170cmあり、縄文人の男性の平均身長が約159cmなのに対して際立って高く、
巨人と言えるとのことです。
「年齢」
30歳代後半から40歳前後と見られています。
現代よりはるかに寿命の短い縄文人にすれば天寿と言えるようです。
身長も高かったので、生活力もあったのかもしれません。
「頭」
上から見た形は、縄文から鎌倉は短頭型から長頭型に変化し、鎌倉以降は
再び短頭型に進んでいるそうです。
この骨は短頭型がいちじるしいとのことです。
「顔」
頭蓋骨を横から見ると、眉間は盛り上がり、鼻骨と前頭骨の間は強くくぼみ、
彫りの深い典型的な縄文人の顔をしていることが分かります。
「歯」
縄文人の歯は酷使されるので、かなり磨り減っています。
かなりの虫歯の跡があります。
縄文人の虫歯の発生率は8%で、狩猟採集民としては高く、これクリやドングリなどの
炭水化物のカスが溜まるためと考えられています。
「頚椎」
頚椎症性神経根症が疑われるとのことです。
首や肩、腕、手にしびれや痛みを感じていたと思われます。
「背骨」
変形性腰椎症が見られるということです。
重い物を持ったり、中腰の姿勢を続けていたためと思われます。
「膝」
右の膝に関節炎の跡があり、軟骨が擦り減っていて、相当痛かっただろうということです。
「脛骨(けいこつ)」
左のすねの骨に骨折の跡があり、その部分がふくれています。
治るまで左足をかばって歩いたため、右膝に負担がかかって関節を痛めたものと
考えられます。
「埋葬」
うつ伏せで両膝を後ろに曲げる形(伏臥半屈葬)で埋められていました。
これは全国でも数例しかない特殊な葬り方で、場所も正式の墓穴ではなく、
貝塚に埋められています。
貝塚はゴミ捨て場ですから、この人物について何か特別のことがあったのではないかと
考えられています。
女性の人骨は北海道伊達市の有珠モシリ遺跡で発見されています。
有珠モシリ遺跡は有珠湾のモシリ島にある縄文晩期~続縄文時代恵山期
(3000~1800年前)の遺跡で、島全体が墓として利用されていたようです。
副葬品も多数発掘されていて、一部は重要文化財に指定されています。

縄文後期(約2500年前)のほぼ完全な人骨で、伊達市噴火湾文化研究所の所蔵です。
「身長」
約149cmで縄文人の女性の平均身長と同じです。
「年齢」
22~28歳前後と思われます。
「頭」
チラシの写真です。
左頭頂部に傷による孔があります。
孔の周りに治癒の跡があるので、負傷してからもしばらくは生存していたと思われる
ということです。
「顔」
若海貝塚の男性と比べると、凹凸がなだらかで、眼窩も丸みを帯びているのが分かります。
「歯」

左右の上顎側切歯が抜歯されています。
台湾などの先住民の研究から、抜歯は通過儀礼かと考えられています。
全国の縄文人に同じ抜歯のパターンがあるそうです。
「指」
左手小指を欠損しています。
パプアニューギニアの先住民には肉親を失った悲しみを紛らわすため、指を切り落とす
習慣があるとのことです。
この女性の場合、人為的なものか事故によるものかは不明です。
「骨盤」

手前が女性の骨です。
出産すると骨盤で一番大きな骨の寛骨の溝が出来ます。
この女性は複数人を出産したと考えられています。
「足首」

かかとを地面につけてしゃがむ、蹲踞の姿勢をとる習慣のため、足首の骨が
変形しています。
現代日本人にも見られる特徴で、この習慣の無いヨーロッパ人にはない形です。
「埋葬」
別の女性と一緒に屈葬されていました。
腕には南方の海で採れるオオツタノハガイで作った腕輪をしていたそうです。
頭骨にはベンガラをふりかけてあり、赤色がはっきり残っています。
赤は血の色を表し、再生を願う儀礼と考えられています。
2体の人骨を観察して、これだけ推測できるというのはとても興味深いことです。
特に男性は、当時としては長生きしたものの、体を酷使して傷めたあげく、尋常ではない
葬り方をされていたことに感慨を覚え、縄文人の人生の一端を見る思いがします。
展覧会のHPです。
大型の解説本です。
縄文人はJomoneseと呼ばれています。
岡本太郎のような縄文文化への憧れはJomonismというのでしょうか。
マティスの「ダンス」を骨たちが踊っています。
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