上野
上野の東京藝術大学大学美術館では日中国交正常化40周年特別展、「契丹」が
開かれています。
会期は9月17日(月・祝)までです。

副題には「草原の王朝 美しき3人のプリンセス」とあります。
契丹はかつて中国東北部から中央アジアにかけての地域に居住していた
遊牧民族です。
907年に唐が滅びると、その混乱に乗じて耶律阿保機(やりつあぼき:
(872-926)が916年にモンゴル草原を拠点に契丹国を建国し、その勢力範囲は
中国北部に及びます。
後に遼を名乗り、926年には渤海を滅ぼし、約200年存続しますが、
1125に女真族の金に滅ぼされます。
中国を指す英語のCathayは契丹に由来するということです。
展覧会では約40ヶ所の遺跡から出土した約130件の遺物が展示されています。
そのうち45件は日本での国宝に当たる一級文物です。
3人のプリンスとは5代皇帝の孫娘の陳国公主、建国者の親族、6代皇帝の妃の
章聖皇太后のことで、この3人にまつわる文物を中心にした展示です。
第1章 馬上の芸術
陳国公主墓からの出土品を中心にした展示です。
陳国公主は5代皇帝景宗の孫娘ですが、18歳で没し、夫と一緒に埋葬されていました。
写真で見ると、二人は並んで豪華な副葬品に包まれ、仮面を着けて埋葬されています。
「金製仮面」 内モンゴル自治区通遼市ナイマン旗陳国公主墓出土
開泰7年(1018)

開泰は遼の年号です。
死者の顔に被せる仮面で、金は最上位の者に使われたそうです。
生前の顔を写したと思われますが、左右の耳の高さが違うなど稚拙さが見られます。
~旗という地名はいかにも北方的です。
「鞍・頭絡・胸帯・鐙・鞍飾・尻懸・障泥・轡・手綱」
通遼市ナイマン旗陳国公主墓出土 開泰7年(1018)
金属や白玉を使った副葬用の豪華な馬具で、契丹が草原の民族であることを
示しています。
契丹の馬具は宋からも天下第一と評価されていたとのことです。
他にも透かし彫りの冠、大きな琥珀の装身具、銀製の長靴など、豪華な副葬品が
展示されています。
銀に金鍍金を施した長靴は草原の民らしい副葬品です。
第2章 大唐の遺風
契丹は唐の文化もかなり取り入れていて、唐風の文物も数多く見られます。
唐も契丹も元は同じ遊牧民の鮮卑系と云われており、契丹には唐を受け継ぐ
気概があったのだろうということです。
「彩色木棺」 通遼市ホルチン左翼後旗トルキ山古墓出土 10世紀前半

トルキ山古墓は2003年に発掘されています。
高欄をめぐらした台の上に置かれた木棺はとても豪華でますが、傷んでいたため、
3年かけて修復しています。
浮彫や彩色がされ、持ち手の金具は獅子の顔の形をしています。
高欄の手摺は卍くずし模様で、柱には獅子が座っています。
頭の方が高くなっている形は古くは北魏時代など鮮卑系貴族と共通する形
とのことです。
木棺を家に見立てているのか、小さな風鐸がたくさん下がっています。
棺の頭の部分には錠前の付いた扉、台には手摺の付いたスロープもあるのは、
魂が出入りするためでしょうか。
墓の主は建国者に近い皇族の女性で、30代前半に亡くなっていると思われます。
遺体には結った長い黒髪も残っていました。
頭蓋骨からCGで復元した顔はモンゴル系の顔立ちです。
「獅子文盒子」 通遼市ホルチン左翼後旗トルキ山古墓出土 10世紀前半

唐風の精巧な細工を施してあります。
契丹の工芸は唐に比べると大らかになっているのが特徴とのことです。
「鏡箱・鸚鵡牡丹文鏡」 通遼市ホルチン左翼後旗トルキ山古墓出土 10世紀前半

宝石をちりばめた精巧な細工の鏡箱と鏡です。
第3章 草原都市
契丹の貴人たちの生活を偲ばせる品々です。
「白磁皮嚢壷」 内モンゴル自治区赤峰市アルホルチン旗耶律羽之墓出土
会同5年(942)

耶律羽之(やりつうし:890-941)は大臣職を勤めた皇族で、52歳で亡くなっています。
皮製の水を入れる袋を模した形をした白磁の壷で、同じ形の黒釉の壷もあります。
遊牧の民の好みを写した造形ですが、洗練されたデザインです。
第4章 蒼天の仏国土
契丹は北魏以来の華北仏教の伝統を礎に仏教国となり、11世紀に最盛期を迎えた
ということです。
章聖皇太后(欽哀蕭皇后)が亡き夫の6代皇帝聖宗の供養に建立した仏舎利塔からの
出土品が中心です。
仏舎利塔はは白塔とも呼ばれ、高さ約73mの八角七層の石造で、草原の中に
屹立しています。
塔の天頂部から1980年代にさまざまな奉納品が見つかっています。

「十万仏塔」 赤峰市バイリン右旗慶州釈迦仏舎利塔出土
重熙(ちょうき)18年(1049)

仏舎利塔の中に納められていた木製の小さな塔で、「十万佛」と書かれています。
ユーラシア大陸ではさまざまの遊牧民族の国家が興亡を繰り返し、今は歴史の中に
名前を残すだけとなっています。
その一つの契丹がどのような文化を持っていたのかを知ることの出来る貴重な展覧会です。
展覧会のHPです。
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上野の東京藝術大学大学美術館では日中国交正常化40周年特別展、「契丹」が
開かれています。
会期は9月17日(月・祝)までです。

副題には「草原の王朝 美しき3人のプリンセス」とあります。
契丹はかつて中国東北部から中央アジアにかけての地域に居住していた
遊牧民族です。
907年に唐が滅びると、その混乱に乗じて耶律阿保機(やりつあぼき:
(872-926)が916年にモンゴル草原を拠点に契丹国を建国し、その勢力範囲は
中国北部に及びます。
後に遼を名乗り、926年には渤海を滅ぼし、約200年存続しますが、
1125に女真族の金に滅ぼされます。
中国を指す英語のCathayは契丹に由来するということです。
展覧会では約40ヶ所の遺跡から出土した約130件の遺物が展示されています。
そのうち45件は日本での国宝に当たる一級文物です。
3人のプリンスとは5代皇帝の孫娘の陳国公主、建国者の親族、6代皇帝の妃の
章聖皇太后のことで、この3人にまつわる文物を中心にした展示です。
第1章 馬上の芸術
陳国公主墓からの出土品を中心にした展示です。
陳国公主は5代皇帝景宗の孫娘ですが、18歳で没し、夫と一緒に埋葬されていました。
写真で見ると、二人は並んで豪華な副葬品に包まれ、仮面を着けて埋葬されています。
「金製仮面」 内モンゴル自治区通遼市ナイマン旗陳国公主墓出土
開泰7年(1018)

開泰は遼の年号です。
死者の顔に被せる仮面で、金は最上位の者に使われたそうです。
生前の顔を写したと思われますが、左右の耳の高さが違うなど稚拙さが見られます。
~旗という地名はいかにも北方的です。
「鞍・頭絡・胸帯・鐙・鞍飾・尻懸・障泥・轡・手綱」
通遼市ナイマン旗陳国公主墓出土 開泰7年(1018)
金属や白玉を使った副葬用の豪華な馬具で、契丹が草原の民族であることを
示しています。
契丹の馬具は宋からも天下第一と評価されていたとのことです。
他にも透かし彫りの冠、大きな琥珀の装身具、銀製の長靴など、豪華な副葬品が
展示されています。
銀に金鍍金を施した長靴は草原の民らしい副葬品です。
第2章 大唐の遺風
契丹は唐の文化もかなり取り入れていて、唐風の文物も数多く見られます。
唐も契丹も元は同じ遊牧民の鮮卑系と云われており、契丹には唐を受け継ぐ
気概があったのだろうということです。
「彩色木棺」 通遼市ホルチン左翼後旗トルキ山古墓出土 10世紀前半

トルキ山古墓は2003年に発掘されています。
高欄をめぐらした台の上に置かれた木棺はとても豪華でますが、傷んでいたため、
3年かけて修復しています。
浮彫や彩色がされ、持ち手の金具は獅子の顔の形をしています。
高欄の手摺は卍くずし模様で、柱には獅子が座っています。
頭の方が高くなっている形は古くは北魏時代など鮮卑系貴族と共通する形
とのことです。
木棺を家に見立てているのか、小さな風鐸がたくさん下がっています。
棺の頭の部分には錠前の付いた扉、台には手摺の付いたスロープもあるのは、
魂が出入りするためでしょうか。
墓の主は建国者に近い皇族の女性で、30代前半に亡くなっていると思われます。
遺体には結った長い黒髪も残っていました。
頭蓋骨からCGで復元した顔はモンゴル系の顔立ちです。
「獅子文盒子」 通遼市ホルチン左翼後旗トルキ山古墓出土 10世紀前半

唐風の精巧な細工を施してあります。
契丹の工芸は唐に比べると大らかになっているのが特徴とのことです。
「鏡箱・鸚鵡牡丹文鏡」 通遼市ホルチン左翼後旗トルキ山古墓出土 10世紀前半

宝石をちりばめた精巧な細工の鏡箱と鏡です。
第3章 草原都市
契丹の貴人たちの生活を偲ばせる品々です。
「白磁皮嚢壷」 内モンゴル自治区赤峰市アルホルチン旗耶律羽之墓出土
会同5年(942)

耶律羽之(やりつうし:890-941)は大臣職を勤めた皇族で、52歳で亡くなっています。
皮製の水を入れる袋を模した形をした白磁の壷で、同じ形の黒釉の壷もあります。
遊牧の民の好みを写した造形ですが、洗練されたデザインです。
第4章 蒼天の仏国土
契丹は北魏以来の華北仏教の伝統を礎に仏教国となり、11世紀に最盛期を迎えた
ということです。
章聖皇太后(欽哀蕭皇后)が亡き夫の6代皇帝聖宗の供養に建立した仏舎利塔からの
出土品が中心です。
仏舎利塔はは白塔とも呼ばれ、高さ約73mの八角七層の石造で、草原の中に
屹立しています。
塔の天頂部から1980年代にさまざまな奉納品が見つかっています。

「十万仏塔」 赤峰市バイリン右旗慶州釈迦仏舎利塔出土
重熙(ちょうき)18年(1049)

仏舎利塔の中に納められていた木製の小さな塔で、「十万佛」と書かれています。
ユーラシア大陸ではさまざまの遊牧民族の国家が興亡を繰り返し、今は歴史の中に
名前を残すだけとなっています。
その一つの契丹がどのような文化を持っていたのかを知ることの出来る貴重な展覧会です。
展覧会のHPです。
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東京藝術大学大学美術館にて開催中の
日中国交正常化40周年記念 特別展「草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス―」に行って来ました。
公式サイト: http://www.tbs.co.jp/kittantokyo/
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【2012/08/04 10:49】
【2012/08/04 10:49】