三越前
日本橋三越本店新館ギャラリーでは、「生誕100周年記念 中原淳一展」が
開かれています。
会期は2月18日(月)まで、入場料は一般・大学生800円です。

人形作家、ファッションデザイナー、雑誌編集長などとして活躍した中原淳一
(1913-1983)の生誕100周年を記念して、表紙絵やスタイル画、人形など
約400点を展示する展覧会です。
会場は一部撮影可能です。
中原淳一は昭和7年(1932)に挿絵画家としてデビューし、雑誌、「少女の友」の
専属画家となります。
表紙原画 「少女の友」より「セルのころ」 第33巻第5号 1940年

しかし、優しく西洋的な中原淳一の絵は、日中戦争の激しくなった時局に合わない
ということで、軍部の圧力を受け、この年から掲載されなくなってしまいます。
中原自身も太平洋戦争中に応召し、横須賀海兵団に入営しています。
復員後の昭和21年(1946)に季刊婦人誌、「ソレイユ」(後に「それいゆ」)を
創刊し、ファッションなどのデザインを提案し、表紙も自身が描いています。
表紙原画 「それいゆ」 第37号春号 1956年

配色の研究 「それいゆ」 第36号原画 1955年

中原淳一のデザインした服の再現です。

そして、昭和22年(1947)に月刊少女雑誌、「ひまわり」を創刊しています。
表紙原画 「ひまわり」 第4巻第9号 1950年

「ひまわり」第3巻第8号(1949年)に掲載された少女の個室デザインの再現です。



戦後すぐの、住宅事情も極端に悪かった時代ですが、もし三畳間を個室に使えた
場合を想定してのインテリアデザインを紹介しています。
和室にテーブルと椅子を置き、いろいろ工夫を凝らした室内です。
本棚には少女の好む詩集や小説が並んでいます。
中原淳一はデザインを通じて、少女や女性の生き方そのものを提案しています。
「ひまわり」は昭和27年(1952)に廃刊となりますが、昭和29年(1954)に雑誌、
「ジュニアそれいゆ」を創刊しています。
表紙原画 「ジュニアそれいゆ」 第28号 1959年

マーガレットをあしらっています。
「ジュニアそれいゆ」第3号より 「青い鳥」原画 1955年

中原淳一は「青い鳥」の物語を好み、よく描いています。
しかし、過労がたたって昭和35年(1952)に心臓発作で入院し、「それいゆ」
「ジュニアそれいゆ」も廃刊となります。
その後、体調回復とともに徐々に仕事を再開しています。
スタイル原画 「お母様の見る子供服の絵本」 1967年

人形 1967年

ファッションデザイナーの丸山敬太さんが「七人のお姫さま」(1968年)の
裏表紙原画を元にドレスを再現しています。
ヴェルサイユ調の華やかなデザインです。

「蝶々夫人」 1976年

フランスの出版社の依頼で病中に描いたもので、この絵が絶筆となっています。
鹿の子絞りに蝶の模様を着ていて、背景もオペラの「蝶々夫人」をイメージして、
桜に蝶です。
中原淳一のデザインには古さを感じさせないモダンさがあり、今も生きています。
会場には表紙原画、デザイン画、雑誌などが数多く展示されていて、中原淳一の
世界をたっぷり味わえる展覧会です。
文京区の弥生美術館で2011年に開かれた、『中原淳一の少女雑誌
「ひまわり」展』の記事です。
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日本橋三越本店新館ギャラリーでは、「生誕100周年記念 中原淳一展」が
開かれています。
会期は2月18日(月)まで、入場料は一般・大学生800円です。

人形作家、ファッションデザイナー、雑誌編集長などとして活躍した中原淳一
(1913-1983)の生誕100周年を記念して、表紙絵やスタイル画、人形など
約400点を展示する展覧会です。
会場は一部撮影可能です。
中原淳一は昭和7年(1932)に挿絵画家としてデビューし、雑誌、「少女の友」の
専属画家となります。
表紙原画 「少女の友」より「セルのころ」 第33巻第5号 1940年

しかし、優しく西洋的な中原淳一の絵は、日中戦争の激しくなった時局に合わない
ということで、軍部の圧力を受け、この年から掲載されなくなってしまいます。
中原自身も太平洋戦争中に応召し、横須賀海兵団に入営しています。
復員後の昭和21年(1946)に季刊婦人誌、「ソレイユ」(後に「それいゆ」)を
創刊し、ファッションなどのデザインを提案し、表紙も自身が描いています。
表紙原画 「それいゆ」 第37号春号 1956年

配色の研究 「それいゆ」 第36号原画 1955年

中原淳一のデザインした服の再現です。

そして、昭和22年(1947)に月刊少女雑誌、「ひまわり」を創刊しています。
表紙原画 「ひまわり」 第4巻第9号 1950年

「ひまわり」第3巻第8号(1949年)に掲載された少女の個室デザインの再現です。



戦後すぐの、住宅事情も極端に悪かった時代ですが、もし三畳間を個室に使えた
場合を想定してのインテリアデザインを紹介しています。
和室にテーブルと椅子を置き、いろいろ工夫を凝らした室内です。
本棚には少女の好む詩集や小説が並んでいます。
中原淳一はデザインを通じて、少女や女性の生き方そのものを提案しています。
「ひまわり」は昭和27年(1952)に廃刊となりますが、昭和29年(1954)に雑誌、
「ジュニアそれいゆ」を創刊しています。
表紙原画 「ジュニアそれいゆ」 第28号 1959年

マーガレットをあしらっています。
「ジュニアそれいゆ」第3号より 「青い鳥」原画 1955年

中原淳一は「青い鳥」の物語を好み、よく描いています。
しかし、過労がたたって昭和35年(1952)に心臓発作で入院し、「それいゆ」
「ジュニアそれいゆ」も廃刊となります。
その後、体調回復とともに徐々に仕事を再開しています。
スタイル原画 「お母様の見る子供服の絵本」 1967年

人形 1967年

ファッションデザイナーの丸山敬太さんが「七人のお姫さま」(1968年)の
裏表紙原画を元にドレスを再現しています。
ヴェルサイユ調の華やかなデザインです。

「蝶々夫人」 1976年

フランスの出版社の依頼で病中に描いたもので、この絵が絶筆となっています。
鹿の子絞りに蝶の模様を着ていて、背景もオペラの「蝶々夫人」をイメージして、
桜に蝶です。
中原淳一のデザインには古さを感じさせないモダンさがあり、今も生きています。
会場には表紙原画、デザイン画、雑誌などが数多く展示されていて、中原淳一の
世界をたっぷり味わえる展覧会です。
文京区の弥生美術館で2011年に開かれた、『中原淳一の少女雑誌
「ひまわり」展』の記事です。
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懐かしいですね~。 小学から中学にかけての頃 姉がそれいゆ、私がジュニアそれいゆ(珍しく真四角の本)でした。 とても夢のある素晴らしい本で何度楽しんだ事でしょう。 手芸も楽しく感化されてお人形を作ったり、フェルトでピンクッションを作ったりました。
「みどり遥かに」という連載小説があり、映画化する事になり、主人公が公募され見事選ばれたのが浅岡ルリコで、ヘアスタルをあの短いのにするところも出てました。
亡き岡田真澄が今は存在しない横浜山手にあったセントジョセフカレッジの高校生、紅顔の美少年でモデルで出てました。
「みどり遥かに」という連載小説があり、映画化する事になり、主人公が公募され見事選ばれたのが浅岡ルリコで、ヘアスタルをあの短いのにするところも出てました。
亡き岡田真澄が今は存在しない横浜山手にあったセントジョセフカレッジの高校生、紅顔の美少年でモデルで出てました。
中原淳一の世界はモダンですが、戦後すぐの頃からあるので、懐かしくもあります。
こんばんは~
昔、見た覚えがあるような...
非常に味のある絵ですね。
いいものは、語り継がれる。
ちょっと覗いてみたい、
展覧会です。
昔、見た覚えがあるような...
非常に味のある絵ですね。
いいものは、語り継がれる。
ちょっと覗いてみたい、
展覧会です。
「それいゆ」は女性のファッションや趣味に本当に大きな影響を与えていたのですね。
中原淳一が浅丘ルリ子のデビューにも役割を果たしていたとは知りませんでした。