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「国宝 興福寺仏頭展」 東京藝術大学大学美術館
上野
chariot

上野の東京藝術大学大学美術館では、興福寺創建1300年記念、
「国宝 興福寺仏頭展」が開かれています。
会期は11月24日(日)までです。

興001


興福寺は藤原鎌足夫人の発願により建立され、和銅3年(710)の
平城京遷都に伴い、現在地に移っています。
その時に名を興福寺とし、長く藤原氏の氏寺として栄えました。
この710年が興福寺としての創建の年になります。

2009年には東京国立博物館で、同じく興福寺創建1300年記念を記念して、
「国宝 阿修羅展」が開かれました。

「国宝 阿修羅展」の記事です。

阿修羅像は西金堂に置かれていた像ですが、今回は東金堂をテーマとしていて、
国宝25点、重要文化財31点など約70点が展示されています。

「銅造仏頭」 白鳳時代 国宝
興002

頭部の高さ98.3cmという大きな像で、当初は鍍金が施されていました。
火災による破損を受けながら国宝に指定されているという、珍しい仏像です。

鎌倉期の木造十二神将がいかめしく立ち並ぶ奥に展示されています。

元は飛鳥の山田寺にあった像で、山田寺は蘇我馬子の孫の蘇我倉山田石川麻呂の
創建した寺です。
蘇我倉山田石川麻呂は皇極天皇4年(645)の中大兄皇子や中臣(藤原)鎌足らが
蘇我入鹿を暗殺し、蘇我宗家を滅ぼした事件では中大兄皇子たちに加担していますが、
後に謀反の疑いをかけられ、自害しています。
山田寺は石川麻呂の死後も造営が続けられ、仏頭の元になる薬師如来像も
鋳造されています。
造営が続けられたのは孫の持統天皇の援助によるものと思われます。

治承4年(1180)、平重衡による南都焼討に遭い、興福寺の堂宇が焼亡しています。
そこで、興福寺の僧兵たちは文治3年(1187)に山田寺に押掛けて、薬師三尊像を
奪い去り、再建された東金堂に据えています。
興福寺は藤原氏の氏寺であり、藤原氏の氏長者で興福寺再建を指導した九条兼実は
日記の「玉葉」に、三尊像は東金堂にふさわしく、移して良かったと書いています。

この東金堂も室町時代の応永18年(1411)に落雷で焼失し、本尊は破損した仏頭を
残して損壊してしまったようです。

その後、昭和12年(1937)の東金堂の解体修理中に、現本尊の台座の中から
仏頭が発見されるまでは行方不明になっていたという、数奇な運命の像です。

私が初めて奈良に行った時、興福寺の宝物館の陳列ケースの中に仏頭は
置かれていました。
私はそれを観て、その大きさと鼻筋が通り切れ長の目の引き締まった
若々しい顔立ちに驚き、破損を痛々しく思ったものです。

今回は360度の方向から観ることが出来るので、破損の状況もよく分かります。
頭頂部が抜け落ち、お顔の左後ろから後頭部が歪み、左耳の下半分が
欠け落ちています。
CGによる復元映像も放映されていましたが、当初の鍍金を施したお顔は
きわめて荘厳です。

「板彫十二神将像」 平安時代 国宝
興005

十二神将は薬師如来を守護する武神で、甲冑を着けた勇ましい姿で表現されます。
それぞれ本地仏(本来の姿の仏)があります。
11世紀頃の制作と思われ、厚さ3cmの檜の板の浮彫で、見事に立体感を表しています。

元は本尊を守護する形で並んでいたと思われるので、お堂の形の展示台の4面に
3体ずつ並んで展示されています。

「迷企羅(めきら)大将像」
興008

12体の中で一番躍動的な像で、片手片足を上げ、左腕をひねっています。
動きを表すためか、甲冑を着けず、裸足で、筋肉の緊張まで彫り出しています。
造った仏師は弟子にポーズを取らせて、スケッチでもしたのでしょうか。
迷企羅大将の本地仏は阿弥陀如来です。

「額爾羅(あにら)大将像」
興007

矢の具合を調べている姿です。
十二神将には当初の彩色が僅かに残っていますが、この像の胸甲には
截金が残っています。
額爾羅大将の本地仏は如意輪観音です。

「木造十二神将立像」 鎌倉時代 国宝
興006

寄木造で、眼は玉眼でなく、彫眼です。
各体の動と静の差や、彩色にばらつきがあることから、複数の仏師による制作と
考えられています。
頭の部分に干支にちなんだ動物が彫られているのは平安期以降の流行とのことです。

「伐折羅(ばさら)大将立像」
興009

剣を逆手に持って振りかぶり、眉を吊り上げた憤怒の相を示し、頭に戌の像を
載せています。
この像だけは足指に込めた力を見せるためでしょうか、沓を履かず草履履きです。
伐折羅大将の本地仏は勢至菩薩です。

「銅造釈迦如来倚像」 白鳳時代 深大寺蔵 重要文化財
興004

調布の深大寺所蔵の、東京都内では最古の仏像で、高さ約84cmです。
興福寺の仏頭と同じ白鳳時代の作で、顔立ちにも似たところがありますが、
よりやさしい表情をしておられます。
衣文が流れるように滑らかで、後の時代にはあまり見られない、倚像という、
腰を掛けて両足を下ろした珍しい姿勢です。
この像が深大寺に伝わる由来は不明とのことです。

「厨子入木造弥勒菩薩半跏像」 鎌倉時代 国宝
興003

元は大乗院持仏堂の本尊でした。
施無畏与願印を結び、台座の中には獅子が座っています。
体躯やお顔の若々しさは鎌倉前期の特徴を示し、装身具や截金(きりかね)は
貴族的趣向を反映しているそうです。

厨子はやや時代の下る鎌倉後期の作とのことで、内側には興福寺の宗旨である
法相宗の祖師たちの像が描かれています。

興福寺仏頭のみでなく、十二神将像など迫力のある作品の揃った、見応えのある
展覧会です。
特に仏頭の前に十二神将立像の立ち並ぶ様は壮観です。

展覧会のHPです。





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