上野
上野の東京藝術大学大学美術館では展示室1で「藝大コレクション展
-春の名品選-」が開かれています。
展示室2では「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」が
開かれています。
ともに会期は4月13日(日)までです。

「藝大コレクション展-春の名品選-」について書きます。
「絵因果経」(部分) 天平時代(8世紀) 国宝


5世紀に漢訳された過去現在因果経を絵入りの経巻にしています。
上段に釈迦の物語が素朴な表現で描かれています。
「小野雪見御幸絵巻」(部分) 鎌倉時代(13世紀後半) 重要文化財



小野皇太后(藤原歓子、1021-1102)は藤原道長の孫で、後冷泉天皇の皇后です。
小野の山荘で余生を送っていたとき、白河上皇が急に雪見を思い立って訪れます。
知らせを聞いた歓子は屋形の御簾の下に出衣(いだしぎぬ)を並べて上皇を迎えます。
出衣とは寝殿や牛車の簾の下に装束の袖や裾を少し出してその色合いを見せるもので、
上皇は歓子の雅なもてなしに感心したというお話です。
尾形光琳 「槙楓図屏風」 江戸時代(18世紀) 重要文化財

伝俵屋宗達筆の「槙楓図」を写したものです。
「風神雷神図」の場合と同じように、宗達の作品に比べ、画面が整えられています。
参考
伝俵屋宗達 「槙楓図」 江戸時代(17世紀前半) 山種美術館

右側に大きく曲がった幹と直立した幹の槙を置き、槙と楓の葉が右下から左上に
伸びていく、大胆な画面構成です。
女郎花と桔梗も見えます。
槙の葉は大きく描かれ、全体に重い印象があります。
高橋由一 「花魁」 1872年 重要文化財

モデルは新吉原の稲本楼の小稲(こいな)です。
小稲は評判の名妓で、花魁のモデルを探したときに、ただ一人応じています。
その頃、23・4歳だったという小稲は豪華な衣装に身を包み、髪を後ろに垂らす
下げ髪という髪型を結い、べっ甲のかんざしを差せるだけ差した晴れ姿で臨んでいます。
しかし描かれた顔は、目は細く、頬骨は高く、あごは尖り、唇の端は吊り上がり、
髪に張りがありません。
美化などとせず、写実を徹底しようとした結果ですが、妙に生々しい絵になっています。
小稲自身もこの絵を見て、「私はこんな顔じゃありません」と、泣いて怒ったそうです。
黒田清輝 「婦人像(厨房)」 1892年

フランス留学時に定宿だった家の女性を描いています。
色彩は明るいのですが、冬の情景なので、冷たい空気も感じます。
黒田清輝は元々、法律を学ぶためにフランスに留学したのですが、絵画に転向し、
師のラファエル・コランに学んだ外光派の技法を日本にもたらします。
外光派とは従来のアカデミズムの中に印象派の明るさを取り入れた画家を指します。
「人体骨格」 旭玉山 明治時代(19-20世紀)

鹿の角製の小さな人体骨格で、身長33.7cmです。
自由に動かせるようになっていて、吊り下げる環が頭に付いています。
旭玉山(1843-1923)は牙彫作家で、東京美術学校の教授も勤め、
人体骨格について初代陸軍軍医総監も勤めた松本良順(1832-1907)に
学んでいます。
舟越保武 「原の城」 1971年

ブロンズの像で、エントランスに置かれています。
島原の乱を題材にしていて、鎧の胴には十字架が見えます。
空ろになった目で茫然と立つ姿はは落城の哀しみを表しています。
展覧会のHPです。
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上野の東京藝術大学大学美術館では展示室1で「藝大コレクション展
-春の名品選-」が開かれています。
展示室2では「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」が
開かれています。
ともに会期は4月13日(日)までです。

「藝大コレクション展-春の名品選-」について書きます。
「絵因果経」(部分) 天平時代(8世紀) 国宝


5世紀に漢訳された過去現在因果経を絵入りの経巻にしています。
上段に釈迦の物語が素朴な表現で描かれています。
「小野雪見御幸絵巻」(部分) 鎌倉時代(13世紀後半) 重要文化財



小野皇太后(藤原歓子、1021-1102)は藤原道長の孫で、後冷泉天皇の皇后です。
小野の山荘で余生を送っていたとき、白河上皇が急に雪見を思い立って訪れます。
知らせを聞いた歓子は屋形の御簾の下に出衣(いだしぎぬ)を並べて上皇を迎えます。
出衣とは寝殿や牛車の簾の下に装束の袖や裾を少し出してその色合いを見せるもので、
上皇は歓子の雅なもてなしに感心したというお話です。
尾形光琳 「槙楓図屏風」 江戸時代(18世紀) 重要文化財

伝俵屋宗達筆の「槙楓図」を写したものです。
「風神雷神図」の場合と同じように、宗達の作品に比べ、画面が整えられています。
参考
伝俵屋宗達 「槙楓図」 江戸時代(17世紀前半) 山種美術館

右側に大きく曲がった幹と直立した幹の槙を置き、槙と楓の葉が右下から左上に
伸びていく、大胆な画面構成です。
女郎花と桔梗も見えます。
槙の葉は大きく描かれ、全体に重い印象があります。
高橋由一 「花魁」 1872年 重要文化財

モデルは新吉原の稲本楼の小稲(こいな)です。
小稲は評判の名妓で、花魁のモデルを探したときに、ただ一人応じています。
その頃、23・4歳だったという小稲は豪華な衣装に身を包み、髪を後ろに垂らす
下げ髪という髪型を結い、べっ甲のかんざしを差せるだけ差した晴れ姿で臨んでいます。
しかし描かれた顔は、目は細く、頬骨は高く、あごは尖り、唇の端は吊り上がり、
髪に張りがありません。
美化などとせず、写実を徹底しようとした結果ですが、妙に生々しい絵になっています。
小稲自身もこの絵を見て、「私はこんな顔じゃありません」と、泣いて怒ったそうです。
黒田清輝 「婦人像(厨房)」 1892年

フランス留学時に定宿だった家の女性を描いています。
色彩は明るいのですが、冬の情景なので、冷たい空気も感じます。
黒田清輝は元々、法律を学ぶためにフランスに留学したのですが、絵画に転向し、
師のラファエル・コランに学んだ外光派の技法を日本にもたらします。
外光派とは従来のアカデミズムの中に印象派の明るさを取り入れた画家を指します。
「人体骨格」 旭玉山 明治時代(19-20世紀)

鹿の角製の小さな人体骨格で、身長33.7cmです。
自由に動かせるようになっていて、吊り下げる環が頭に付いています。
旭玉山(1843-1923)は牙彫作家で、東京美術学校の教授も勤め、
人体骨格について初代陸軍軍医総監も勤めた松本良順(1832-1907)に
学んでいます。
舟越保武 「原の城」 1971年

ブロンズの像で、エントランスに置かれています。
島原の乱を題材にしていて、鎧の胴には十字架が見えます。
空ろになった目で茫然と立つ姿はは落城の哀しみを表しています。
展覧会のHPです。
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