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「生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展」 パナソニック汐留ミュージアム
新橋・汐留
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新橋のパナソニック汐留ミュージアムで開かれている、「生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子
パスキン展」のweb特別内覧会&アートトークに行ってきました。
展覧会の会期は3月29日(日)までです。

パスキン001


まず、「弐代目・青い日記帳」主宰のTakさんと、パナソニック汐留ミュージアムの学芸員、
宮内真理子さんのアートトークを伺いました。

会場の写真は主催者の特別の許可を得て撮影したものです。


ジュール・パスキン(本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス、(1885-1930)はブルガリアの
ユダヤ系の裕福な穀物商の生まれです。
ウィーンで中等教育を受けた後、父の許で働きますが、父と衝突して家を出てしまいます。
原因は絵を描きたかったことと女性関係とで、パスキンは子どもの頃から女性に囲まれている
暮らしが好きだったようです。
パスキンは幼少の頃、叔母さんたちに連れられてよくトルコ風呂に行っていたそうです。
ブルガリアは長くオスマントルコに支配されていたので、トルコ風呂の文化があったのでしょう。

家を出たパスキンはウィーンで素描を学び、さらにミュンヘンに行って学んでいます。
パスキンは素描が好きで、いつでもどこでも描いていました。
ミュンヘンではすぐにその技量を認められ、19歳で風刺雑誌と専属契約を結んでいます。
さらに本格的な油彩を学びたくて、今度はパリに向かっています。
気前が良く、友達の多かったパスキンは、パリで以前からの画家仲間から歓迎されています。

その後の画業も順調で、パスキンは下積み時代の無かった画家と言われているそうです。

最初のパリ時代の作品です。

パIMG_0375

右 「エルミーヌ・ダヴィッドの肖像」 1908年 油彩、カンヴァス グルノーブル美術館
パIMG_0390

後に夫人となるエルミーヌの肖像です。
まだ、ちょっと硬い感じです。
油彩を始めたパスキンは、評価されるのを気にしてこの作品を公開しなかったそうです。

第一次世界大戦が始まるとパスキンは後に結婚するエルミーヌ・ダヴィッドとともに
戦場となったフランスを離れ、アメリカに渡り、アメリカ国籍も取得しています。

アメリカ政府発行のパスキンのパスポート
パIMG_0430

寒いニューヨークを避けて南部やキューバにも行っていて、この頃は画壇の流行にも染まらず、
自分の好きな描き方の出来た時期と言えるそうです。
戦後、パリに戻り、エコール・ド・パリの画家として人気を博します。
特にキスリングや藤田嗣治らと仲が良かったようです。
繊細な線描と、真珠母色と呼ばれる淡く輝く色彩の画風が確立し、絶頂期を迎えるのはこの頃です。

第一次世界大戦をはさんで、再びパリに戻ってきてからの作品です。
パスキンらしさが出て来ています。

パIMG_0378

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左 「幼い女優」 1927年 油彩、カンヴァス 個人蔵
右 「少女-幼い踊り子」 1927年 油彩、カンヴァス パリ市立近代美術館

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「幼い女優」 はソファーに凭れている少女の姿です。
巧みな描線でその姿を捉えており、何か考え込んでいるような表情も描き出していて、
服の淡い薄緑色も鮮やかです。
「少女-幼い踊り子」は淡いピンクの衣装を着けた小さなバレリーナの立ち姿です。

左 「マンドリンをもつ女」 1926年  油彩、カンヴァス ゲレ美術・考古学博物館
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左 「二人のモデル」 1924年  油彩、カンヴァス 北海道立近代美術館
右 「ばら色の下着姿の座るマルセル」 1923年  油彩、カンヴァス パリ市立近代美術館
 
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右 「放蕩息子の帰還」 1927年 油彩、板 個人蔵
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パスキンはよく新約聖書を題材にしていて、特にルカによる福音書の中の
「放蕩息子」の話を描いています。
福音書では放浪した果てに戻ってきた放蕩息子を迎えるのは父親ですが、
この作品で迎えているのはパスキンが入り浸っていた娼館の女性たちです。
パスキン自身は、故郷を出た後は一度も戻っていません。

素描や版画、挿絵本なども展示されています。

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挿絵本 アンドレ・サルモン序文 「シンデレラ」 1930年
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パスキンの絵にはエスプリが効いています。

しかし、パスキン自身は人妻であるリュシーとの不倫関係に悩み、過度の飲酒による肝臓病や
うつ病、画廊と結んだ専属契約への精神的負担などが重なって、45歳で自殺してしまいます。

早くから才能と財産、友人、女性に恵まれていたのに、或いはそのためにかえって命を縮めて
しまったような一生とも云えます。

絶頂期である、若い晩年の作品の並んでいる部屋です。
パスキンの好きだった商館の雰囲気を出そうということで、天井のランプは1920年代の
デザインです。
展示室のライトは肌の色がきれいに見える美光色のLEDを使っているそうです。

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右 「テーブルのリュシーの肖像」 1928年 油彩、カンヴァス 個人蔵
左 「ジメットとミレイユ」 1927年 油彩、カンヴァス パリ市立近代美術館

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右は恋人のリュシーの肖像です。
憂いを含んだ顔をしていて、テーブルの花が彩りを添えています。
パスキンは1910年にリュシーに会い、10年後に再会して二人は恋に落ちますが、
その時は双方とも結婚していて、結局、不毛な恋に終わってしまいます。

右 「二人のジプシー女」 1929年 油彩、カンヴァス シャスティ・アストラップ、UK
左 「椅子にもたれる少女」 1928年 油彩、カンヴァス 個人蔵

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右 「ジメットとミレイユ」 1927年 油彩、カンヴァス パリ市立近代美術館
左 「長い髪のエリアーヌ」 1927-29年 油彩、カンヴァス ポンピドゥー・センター 

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右 「腰かける女」 1928年 油彩、カンヴァス 北海道立近代美術館
左 「恋人たち」 1930年 油彩、板 北海道立近代美術館

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北海道立近代美術館はエコール・ド・パリの作家の作品を数多く所蔵しています。

右 「三人の裸婦」 1930年 油彩、カンヴァス 北海道立近代美術館
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パスキンが最後の時期に描いた作品です。
横たわる3人の少女はかすかな描線を使って描かれ、柔らかな色彩に包まれています。
少女を描いていても、何となく気だるく、憂愁のただよう画面です。

パスキンの亡くなった1930年はドイツでナチス党が躍進した年です。
第2次世界大戦ではエコール・ド・パリのユダヤ系の画家たちはナチスから逃れるため、
シャガールやキスリングはアメリカに亡命し、スーティンはフランス国内を逃げ回り、
胃潰瘍を悪化させ、亡くなっています。
パスキンはその受難の前に世を去ったことになります。


パスキンの絶頂期の作品が最も多く展示され、パスキンの世界を存分に味わえる展覧会です。

エコール・ド・パリの音楽家、サティの曲をYouTubeで聞きながらこのブログを書きました。

展覧会のHPです。


次回の展覧会は「ルオーとフォーヴの陶磁器」展です。
会期は4月11日(土)から6月21日(日)までです。

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【2015/01/24 19:31】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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