恵比寿
山種美術館では特別展、没後60年記念 「川合玉堂-四季・人々・自然-」が
開かれています。
会期は12月24日(日)までで、会期中、一部展示替えがあります。

川合玉堂(1873~1957)は愛知県出身で、岐阜県で育ち、1887年に14歳で
京都の四条派の望月玉泉に学び、さらに幸野楳嶺に師事しています。
幸野楳嶺は竹内栖鳳や菊池芳文の師でもあります。
「鵜飼」 1895(明治28)年

部分

22歳のときの力作で、京都で開かれた第4回内国勧業博覧会に出品されています。
大きな画面の作品で、そそり立つ岸壁の下、篝火の煙をなびかせて漁をする
鵜飼舟を描いています。
川合玉堂は岐阜県育ちなので、長良川の鵜飼は馴染み深い題材であり、
生涯に500点あまり描いているそうです。
川合玉堂は同じ会場で橋本雅邦の出品した「龍虎図屏風」(現在、重要文化財)
や「釈迦十六羅漢図」に衝撃を受け、翌年上京して雅邦に入門します。
この第4回内国勧業博覧会は黒田清輝が「朝妝」を出展して、裸体画ということで
騒動になった博覧会です。
「夏雨五位鷺図」 1899(明治32)年 玉堂美術館

岩の上から鋭い目で川面をのぞき込むゴイサギです。
羊歯の葉や斜めに降り注ぐ雨も描かれ、緊張感のある引き締まった画面です。
「紅白梅」 1919(大正8)年 六曲一双 玉堂美術館

左隻

右隻

金箔地に、右隻の下から立ち上がって左隻にも枝を延ばす白梅と、
左隻の上から枝を下ろす紅梅の組合わせです。
右隻二羽、左隻に一羽の四十雀が止まっています。
大正期は琳派の画風が流行した時代とのことで、この屏風も尾形光琳の
「紅白梅図屏風」に倣っていて、たらし込みの技法も使っていますが、
枝の重なりの描き方に遠近感を出しています。
はじめ学んだ丸山四条派、橋本雅邦からの狩野派、さらには琳派と、
さまざまな画法をこなせるというのは、その技量の高さを示しています。
「宿雪」 1934(昭和9)年 日本美術院

大きな作品で、水墨が基調ですが、わずかに緑青が入っています。
人の姿はなく、春は未だの寒々とした景色です。
「雪志末久湖畔」 1942(昭和17)年

志末久(しまく)とは風の激しく吹き寄せることを言います。
吹雪の寄せる湖畔の景色で、冷たく張りつめた空間が広がっています。
古典的な山水画の雰囲気を残していますが、雪をいただいた山塊の重なりは
写実的です。
「鵜飼」 1939(昭和14)年頃

流れを下る鵜飼舟の篝火の明と岩場の暗が対照され、煙に霞む船頭も見える、
躍動感のある作品です。
「春風春水」 1940(昭和15)年

川の急流に張ったワイヤーを使った渡し舟には農家の女性が乗り、船頭が腰に力を
入れて舟を操っています
岩場には山桜が咲き、満々とした蒼い水の描写が印象的です。
ワイヤーと滑車を使い、水の流れの力を使って舟を動かす渡し舟は岐阜県出身の実業家、
岡田只治(1850-1914)の発明で、最盛期には全国約60ヶ所で使われていたそうです。
河合玉堂は多摩地方の風景を愛してよく描いています。
戦時中は奥多摩に疎開し、東京の自宅が空襲で焼失した後は現在の
青梅市御岳に移り住んでいます。
「早乙女」 1945(昭和20)年

終戦の年に描かれていますが、常と変わらぬ農村の営みです。
畦道は一気に引いたような太い線で、たらし込みも使われています。
田植は早乙女が中心になる農作業ですが、戦時中で男手の足りない
時でもあり、「銃後の守り」の意味も込めています。
「山雨一過」 1943(昭和18)年

雨上がりの山道の情景です。
谷から吹き上がる風に木々も草も馬子の蓑も揺れ、雲も千切れて飛んで行きます。
「朝晴」 1946(昭和21)年

部分

大きな作品で、終戦の翌年に描かれています。
崖から伸びる松、尾根道、遠山の重なった雄大な景色で、
遠くの尾根道を行く人と馬は朝霧の中から現れています。
「渓雨紅樹」 1946(昭和21)年

谷あいの村は雨に煙り、紅葉した木々の葉はうなだれています。
白抜きで表された道を傘を差した人が二人歩いています。
玉堂はよく風景の中に何人かの人を描いて、人のつながりを表しています。
玉堂は写生の折に見かけた水車小屋の風景を気に入り、自宅の庭に
水車を作ってその音を楽しんだということです。
水車を題材にした作品としては、東京国立近代美術館が1916(大正5)年制作の
六曲一双の屏風、「行く春」(重要文化財)を所蔵しています。
2016年に東京国立近代美術館で開かれた「安田靫彦展」に行った折に平常展で観た
「行く春」の記事です。
「屋根草を刈る」 1954(昭和29)年 東京都

第2展示室に展示されています。
81歳の作で、第10回日展に出品され、最後の日展出品作となっています。
玉堂の奥多摩御岳の家は茅葺きで、夏の間に生えた草を植木屋が刈り取って
いるところです。
刈られた草は倒れ、イチジクが実を付けています。
玉堂が孫に、「この絵に何か足りないものがあるかい?」と訊いたところ、
「花があるのに蝶がいない。秋だから黄色い蝶がいい。」と言われたので、
即座に3頭のモンキチョウを描き足したということです。(蝶は「頭」で数えます。)
自然の風景と人の営みが一体となった、河合玉堂らしさのよく表れた作品です。
第2展示室には孫や次男の奥さん、飼っていた猫を描いた作品もあって、
その優しい人柄を偲ばせます。
2013年に山種美術館で開かれた、「川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―」展の
記事です。
山種美術館のHPです。
青梅市の多摩川沿いにある玉堂美術館のHPです。
次回の展覧会は企画展、生誕150年記念「横山大観-東京画壇の精鋭-」です。
会期は2018年1月3日(水) から2月25日(日)までです。

chariot
山種美術館では特別展、没後60年記念 「川合玉堂-四季・人々・自然-」が
開かれています。
会期は12月24日(日)までで、会期中、一部展示替えがあります。

川合玉堂(1873~1957)は愛知県出身で、岐阜県で育ち、1887年に14歳で
京都の四条派の望月玉泉に学び、さらに幸野楳嶺に師事しています。
幸野楳嶺は竹内栖鳳や菊池芳文の師でもあります。
「鵜飼」 1895(明治28)年

部分

22歳のときの力作で、京都で開かれた第4回内国勧業博覧会に出品されています。
大きな画面の作品で、そそり立つ岸壁の下、篝火の煙をなびかせて漁をする
鵜飼舟を描いています。
川合玉堂は岐阜県育ちなので、長良川の鵜飼は馴染み深い題材であり、
生涯に500点あまり描いているそうです。
川合玉堂は同じ会場で橋本雅邦の出品した「龍虎図屏風」(現在、重要文化財)
や「釈迦十六羅漢図」に衝撃を受け、翌年上京して雅邦に入門します。
この第4回内国勧業博覧会は黒田清輝が「朝妝」を出展して、裸体画ということで
騒動になった博覧会です。
「夏雨五位鷺図」 1899(明治32)年 玉堂美術館

岩の上から鋭い目で川面をのぞき込むゴイサギです。
羊歯の葉や斜めに降り注ぐ雨も描かれ、緊張感のある引き締まった画面です。
「紅白梅」 1919(大正8)年 六曲一双 玉堂美術館

左隻

右隻

金箔地に、右隻の下から立ち上がって左隻にも枝を延ばす白梅と、
左隻の上から枝を下ろす紅梅の組合わせです。
右隻二羽、左隻に一羽の四十雀が止まっています。
大正期は琳派の画風が流行した時代とのことで、この屏風も尾形光琳の
「紅白梅図屏風」に倣っていて、たらし込みの技法も使っていますが、
枝の重なりの描き方に遠近感を出しています。
はじめ学んだ丸山四条派、橋本雅邦からの狩野派、さらには琳派と、
さまざまな画法をこなせるというのは、その技量の高さを示しています。
「宿雪」 1934(昭和9)年 日本美術院

大きな作品で、水墨が基調ですが、わずかに緑青が入っています。
人の姿はなく、春は未だの寒々とした景色です。
「雪志末久湖畔」 1942(昭和17)年

志末久(しまく)とは風の激しく吹き寄せることを言います。
吹雪の寄せる湖畔の景色で、冷たく張りつめた空間が広がっています。
古典的な山水画の雰囲気を残していますが、雪をいただいた山塊の重なりは
写実的です。
「鵜飼」 1939(昭和14)年頃

流れを下る鵜飼舟の篝火の明と岩場の暗が対照され、煙に霞む船頭も見える、
躍動感のある作品です。
「春風春水」 1940(昭和15)年

川の急流に張ったワイヤーを使った渡し舟には農家の女性が乗り、船頭が腰に力を
入れて舟を操っています
岩場には山桜が咲き、満々とした蒼い水の描写が印象的です。
ワイヤーと滑車を使い、水の流れの力を使って舟を動かす渡し舟は岐阜県出身の実業家、
岡田只治(1850-1914)の発明で、最盛期には全国約60ヶ所で使われていたそうです。
河合玉堂は多摩地方の風景を愛してよく描いています。
戦時中は奥多摩に疎開し、東京の自宅が空襲で焼失した後は現在の
青梅市御岳に移り住んでいます。
「早乙女」 1945(昭和20)年

終戦の年に描かれていますが、常と変わらぬ農村の営みです。
畦道は一気に引いたような太い線で、たらし込みも使われています。
田植は早乙女が中心になる農作業ですが、戦時中で男手の足りない
時でもあり、「銃後の守り」の意味も込めています。
「山雨一過」 1943(昭和18)年

雨上がりの山道の情景です。
谷から吹き上がる風に木々も草も馬子の蓑も揺れ、雲も千切れて飛んで行きます。
「朝晴」 1946(昭和21)年

部分

大きな作品で、終戦の翌年に描かれています。
崖から伸びる松、尾根道、遠山の重なった雄大な景色で、
遠くの尾根道を行く人と馬は朝霧の中から現れています。
「渓雨紅樹」 1946(昭和21)年

谷あいの村は雨に煙り、紅葉した木々の葉はうなだれています。
白抜きで表された道を傘を差した人が二人歩いています。
玉堂はよく風景の中に何人かの人を描いて、人のつながりを表しています。
玉堂は写生の折に見かけた水車小屋の風景を気に入り、自宅の庭に
水車を作ってその音を楽しんだということです。
水車を題材にした作品としては、東京国立近代美術館が1916(大正5)年制作の
六曲一双の屏風、「行く春」(重要文化財)を所蔵しています。
2016年に東京国立近代美術館で開かれた「安田靫彦展」に行った折に平常展で観た
「行く春」の記事です。
「屋根草を刈る」 1954(昭和29)年 東京都

第2展示室に展示されています。
81歳の作で、第10回日展に出品され、最後の日展出品作となっています。
玉堂の奥多摩御岳の家は茅葺きで、夏の間に生えた草を植木屋が刈り取って
いるところです。
刈られた草は倒れ、イチジクが実を付けています。
玉堂が孫に、「この絵に何か足りないものがあるかい?」と訊いたところ、
「花があるのに蝶がいない。秋だから黄色い蝶がいい。」と言われたので、
即座に3頭のモンキチョウを描き足したということです。(蝶は「頭」で数えます。)
自然の風景と人の営みが一体となった、河合玉堂らしさのよく表れた作品です。
第2展示室には孫や次男の奥さん、飼っていた猫を描いた作品もあって、
その優しい人柄を偲ばせます。
2013年に山種美術館で開かれた、「川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―」展の
記事です。
山種美術館のHPです。
青梅市の多摩川沿いにある玉堂美術館のHPです。
次回の展覧会は企画展、生誕150年記念「横山大観-東京画壇の精鋭-」です。
会期は2018年1月3日(水) から2月25日(日)までです。

- 関連記事