府中
東京都の府中市美術館では「正宗得三郎展」が開かれています。
会期は12月28日(木)までです。

正宗得三郎(1883-1962)は岡山県出身の洋画家で、1902年に東京美術学校に
入学しています。
東京美術学校では青木繁の画風に感銘を受け、親しく交流しています。
1914年と1921年には渡欧し、モネやマティスと会い、マティスの指導も受けています。
1915年にニ科会に入会し、中心となって活躍しますが、二科会は太平洋戦争中の
1944年に解散します。
戦時中は長野県飯田市に疎開しますが、空襲で東中野のアトリエを焼失して、
多くの初期の作品を失っています。
戦後は府中市に移り、1947年に二科会のメンバーだった熊谷守一や黒田重太郎、
田村孝之介、宮本三郎らとともに第二紀会(現在の二紀会)を結成しています。
作風は印象派風で、筆勢にも色彩にも力強いものがあり、単なる写実の追及でない
大らかさも感じます。
洋画家でありながら富岡鉄斎に傾倒して、何度か訪問しているほどで、西洋画の技法と
東洋の精神の融合を志していたようです。
性格は篤実で、交友関係も広く家族思いであった一方で、破滅型の性格の長谷川利行
(1891-1940)の作品を高く評価し、二科会で周囲の反対を押し切って推薦したということで、
絵画への真摯な姿勢がうかがえます。
「ノートルダム寺院」 1915年 府中市美術館

30台前半のパリ滞在中に夕暮れ時のノートルダム寺院を描いた作品です。
空は紅色に染まり、寺院は夕日を受けています。
「パリのアトリエ」 1923年 岡山県立美術館

縦約130㎝の大きな作品で、2度目のパリ滞在中に制作されています。
マティス風の華やかな画面で、窓の外も晴れています。
「赤い支那服」 1925年 府中市美術館

肩と袖に青をあしらった薄紅の中国服を着て、金の髪飾りを付けた女性が座っています。
2回目のヨーロッパ留学の時のフランス土産の布地を使って、妻の千代子が
「赤い支那服」を作り、それを着てモデルになったそうで、西洋と中国と日本が一つに
なった作品です。
「白浜の波」 1938年 府中市美術館

浜に繰り返し寄せる白波がリズムを作っています。
空の青と雲の白、海の青と波の白、山や浜の茶と松の緑と、色調のまとまりを
考えています。
「鎮守の森」 1954年 府中市美術館

畑の中の神社をケヤキが囲む、武蔵野らしい景色で、葉の緑は濃く、
青空が広がっています。
正宗得三郎の風景画は天気や光の具合を意識しています。
「磯馴松(仏浦)」 1955年 府中市美術館

南伊豆の仏ヶ浦でしょうか、磯馴松(そなれまつ)が大きく幹をうねらせて海に伸び、
青い海からは白い波が寄せています。
「大あざみ」 1958年 府中市美術館

アザミの紅と壁の青が対比され、葉や茎に勢いがあります。
染付の壺を置いたテーブルの色彩も3分割され、装飾的です。
静物画には装飾的な作品が多く、マティスを取り入れています。
「縁側の静物」 1958年 府中市美術館

赤と緑を意識した画面で、その対比が鮮やかです。
丸い果物と庭で伸びるタチアオイは生命力にあふれています。
「素園小景」 1958年 府中市美術館

日暮れ時でしょうか、画面いっぱいの真っ赤なナナカマドの下の暗がりに
白いニワトリが身を寄せています。
正宗得三郎の画業は長いのですが、作風は一定していて、キュビズムや抽象画の
影響を受けず、戦時中も戦争画を描いていません。
富岡鉄斎に傾倒し、模写も行なっているだけに、単なる技法の追及や時流の模倣をせず、
自己の精神の在り様を描いているようにも思えます。
展覧会のHPです。
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東京都の府中市美術館では「正宗得三郎展」が開かれています。
会期は12月28日(木)までです。

正宗得三郎(1883-1962)は岡山県出身の洋画家で、1902年に東京美術学校に
入学しています。
東京美術学校では青木繁の画風に感銘を受け、親しく交流しています。
1914年と1921年には渡欧し、モネやマティスと会い、マティスの指導も受けています。
1915年にニ科会に入会し、中心となって活躍しますが、二科会は太平洋戦争中の
1944年に解散します。
戦時中は長野県飯田市に疎開しますが、空襲で東中野のアトリエを焼失して、
多くの初期の作品を失っています。
戦後は府中市に移り、1947年に二科会のメンバーだった熊谷守一や黒田重太郎、
田村孝之介、宮本三郎らとともに第二紀会(現在の二紀会)を結成しています。
作風は印象派風で、筆勢にも色彩にも力強いものがあり、単なる写実の追及でない
大らかさも感じます。
洋画家でありながら富岡鉄斎に傾倒して、何度か訪問しているほどで、西洋画の技法と
東洋の精神の融合を志していたようです。
性格は篤実で、交友関係も広く家族思いであった一方で、破滅型の性格の長谷川利行
(1891-1940)の作品を高く評価し、二科会で周囲の反対を押し切って推薦したということで、
絵画への真摯な姿勢がうかがえます。
「ノートルダム寺院」 1915年 府中市美術館

30台前半のパリ滞在中に夕暮れ時のノートルダム寺院を描いた作品です。
空は紅色に染まり、寺院は夕日を受けています。
「パリのアトリエ」 1923年 岡山県立美術館

縦約130㎝の大きな作品で、2度目のパリ滞在中に制作されています。
マティス風の華やかな画面で、窓の外も晴れています。
「赤い支那服」 1925年 府中市美術館

肩と袖に青をあしらった薄紅の中国服を着て、金の髪飾りを付けた女性が座っています。
2回目のヨーロッパ留学の時のフランス土産の布地を使って、妻の千代子が
「赤い支那服」を作り、それを着てモデルになったそうで、西洋と中国と日本が一つに
なった作品です。
「白浜の波」 1938年 府中市美術館

浜に繰り返し寄せる白波がリズムを作っています。
空の青と雲の白、海の青と波の白、山や浜の茶と松の緑と、色調のまとまりを
考えています。
「鎮守の森」 1954年 府中市美術館

畑の中の神社をケヤキが囲む、武蔵野らしい景色で、葉の緑は濃く、
青空が広がっています。
正宗得三郎の風景画は天気や光の具合を意識しています。
「磯馴松(仏浦)」 1955年 府中市美術館

南伊豆の仏ヶ浦でしょうか、磯馴松(そなれまつ)が大きく幹をうねらせて海に伸び、
青い海からは白い波が寄せています。
「大あざみ」 1958年 府中市美術館

アザミの紅と壁の青が対比され、葉や茎に勢いがあります。
染付の壺を置いたテーブルの色彩も3分割され、装飾的です。
静物画には装飾的な作品が多く、マティスを取り入れています。
「縁側の静物」 1958年 府中市美術館

赤と緑を意識した画面で、その対比が鮮やかです。
丸い果物と庭で伸びるタチアオイは生命力にあふれています。
「素園小景」 1958年 府中市美術館

日暮れ時でしょうか、画面いっぱいの真っ赤なナナカマドの下の暗がりに
白いニワトリが身を寄せています。
正宗得三郎の画業は長いのですが、作風は一定していて、キュビズムや抽象画の
影響を受けず、戦時中も戦争画を描いていません。
富岡鉄斎に傾倒し、模写も行なっているだけに、単なる技法の追及や時流の模倣をせず、
自己の精神の在り様を描いているようにも思えます。
展覧会のHPです。
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正宗兄弟は正宗白鳥が有名ですが、正宗得三郎も多くの人びとと交流があり、二科会、二紀会など、画壇で重要な役割を果たしていたようです。
私は特に静物画に魅力を感じました。
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こんにちは
久々府中市立美術館へ行ってきました。
紅葉が未だ美しい公園の中を散歩しながら、
辿り着いた美術展で、あの島崎藤村と仲良しだった画家「正宗得三郎」の展覧会をやってました。正宗白鳥は有名だけど、余り知らなかったこの画家は、当時のパリ画壇の画家や、日本の著名な文化人と接点あり、会場ソファに置かれた「画文集」を読み、結構充実した時間を過ごせましたよ。
久々府中市立美術館へ行ってきました。
紅葉が未だ美しい公園の中を散歩しながら、
辿り着いた美術展で、あの島崎藤村と仲良しだった画家「正宗得三郎」の展覧会をやってました。正宗白鳥は有名だけど、余り知らなかったこの画家は、当時のパリ画壇の画家や、日本の著名な文化人と接点あり、会場ソファに置かれた「画文集」を読み、結構充実した時間を過ごせましたよ。
花の絵は勢いがあり、色彩も楽しめ、装飾性があるのも面白いところです。