上野
上野の東京国立博物館平成館では、特別展、「アラビアの道-サウジアラビア王国
の至宝」が開かれています。
会期は3月18日(日)までです。

交易路として人と文明が行き交ったアラビア半島について、前期旧石器時代の石器から
サウジアラビア王国初代国王の遺品まで、約400点が展示されています。
総合文化展観覧料で観覧出来ます。
入口のホールです。


下の真中 「礫器」 シュワイヒティーヤ 前期旧石器時代オルドワン文化・100万年以上前

旧石器時代、200万年の期間のアラビア半島は湿潤な気候の時期が数回あったそうです。
人類はこのアラビア半島を通って出アフリカを果たしています。
「石皿」「馬」 マカル 新石器時代・前6500年頃


マカルはアラビア半島南西部の内陸にある遺跡です。
石皿は穀物をすりつぶすための道具です。
農業を行ない、馬を家畜として飼育していたことが分かります。
「人形石柱」 カルヤト・アルカァファ 前3500~前2500年頃 砂岩

「祈る男」 タールート島 前2900~前2600年頃

タールート島はペルシャ湾にある島です。
顔立ちとポーズはシュメールの影響を、大きさと服装は湾岸地域の独自性を
示しているそうです。
メソポタミア文明が興るとアラビア半島の湾岸地域はディルムンと呼ばれ、
交易活動が盛んになります。
「柱の台座または祭壇」 タイマー 前5~4世紀 砂岩

タイマーはアラビア半島北西部の内陸にあるオアシス都市で、エジプトと
メソポタミアの間にあります。
エジプトのイシス神や聖なる牛のアピスと、メソポタミアの神官が彫られていて、
二つの文明が入り交じった、とても興味深い造形です。
「アラム文字による奉献碑文」 タイマー 前4世紀頃 砂岩

アラム語はアラビア半島から現れたアラム人の言語で、メソポタミアから
ペルシャまで広まっています。
イエスもアラム語を話していたとされています。
「ラテン語碑文」 マダーイン・サーリフ 157~177年頃 砂岩

マダーイン・サーリフはアラビア半島北部の紅海近くにある、ナバテア人の都市です。
ナバテア人は陸上交易で栄え、王国を築きますが、106年にローマ帝国の属州に
なっています。
ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス時代の城壁改修を記念した石碑です。
「ナバテア文字による墓碑」 タイマー 203年 砂岩

「まぐさ」 カルヤト・アルファーウ 前3~後3世紀 石灰岩

まぐさは出入口や窓の上部に架けられる横材です。
カルヤト・アルファーウはアラビア半島南部にあったオアシス都市です。
「葬送用ベッドの飾金具と脚」 カルヤト・アルファーウ 1世紀前半 金銅と青銅

「男性頭部」 カルヤト・アルファーウ 前1~後2世紀頃 青銅

等身大の人物像の一部で、鼻は高く、ギリシャ・ローマ風です。
「葬送用マスクと装身具」 テル・アッザーイル 1世紀頃

石棺に埋葬されていた6歳前後の少女の副葬品です。
テル・アッザーイルはペルシャ湾近くにあります。
「クーファからマッカへの里程標」 ダルブ・ズバイダ 8世紀後半 花崗岩または玄武岩

7世紀にマッカ(メッカ)で始まったイスラム教はアラビア半島に広がり、
その興隆と共に巡礼路が整備されていきます。
クーファはイラクの都市です。
「まぐさ」 ハウラー 12世紀 漆喰

クルアーン(コーラン)第2章255節の一部が彫られています。
「クルアーン(コーラン)」 オスマン朝時代・16~17世紀

アラビア語で書かれたものだけがクルアーンであって、他の言語に訳されたものは
クルアーンとはされません。
聖書が日本語で書かれていても聖書であるのと違うところです。
「カァバ神殿の扉」 オスマン朝時代・1635または1636年 木芯、打出銀張、鍍金

マッカ(メッカ)のカァバ神殿はイスラム教の最高の聖所です。
オスマン朝のスルタン、ムラト4世が寄進した扉で、1930年代まで使われていました。
オスマン朝は1517年からメッカの支配者となりました。
「アブドゥルアジーズ王の上衣」 20世紀 木綿

サウード家によるアラビア半島の征服は18世紀に始まり、2度の建国と崩壊を
繰り返しています。
現在の王国はアブドゥルアジーズ(1876年~1953)が1932年に建国しています。
サウジアラビアとはサウード家のアラビアという意味です。
身長は2mもあったということで、かなり丈の長い上衣です。
現在の第7代、サルマーン国王は初代アブドゥルアジーズの25番目の男子です。
サウジアラビアは砂漠と石油とイスラム教の国というイメージが強いですが、
数多く展示されているイスラム教以前の遺物を見ると、古代から交易路として
栄えていたことがよく分かります。
2月4日までは前庭に張られたテントで、毎日先着1000名に無料でアラビアコーヒーと
ナツメヤシがふるまわれます。
砂漠ならぬ残雪の中のおもてなしです。

展覧会のHPです。
同じ東京国立博物館の平成館では特別展、「仁和寺と御室派のみほとけ
― 天平と真言密教の名宝 ―」が開かれています。
会期は3月11日(日)までです。
「仁和寺と御室派のみほとけ」展の記事です。
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上野の東京国立博物館平成館では、特別展、「アラビアの道-サウジアラビア王国
の至宝」が開かれています。
会期は3月18日(日)までです。

交易路として人と文明が行き交ったアラビア半島について、前期旧石器時代の石器から
サウジアラビア王国初代国王の遺品まで、約400点が展示されています。
総合文化展観覧料で観覧出来ます。
入口のホールです。


下の真中 「礫器」 シュワイヒティーヤ 前期旧石器時代オルドワン文化・100万年以上前

旧石器時代、200万年の期間のアラビア半島は湿潤な気候の時期が数回あったそうです。
人類はこのアラビア半島を通って出アフリカを果たしています。
「石皿」「馬」 マカル 新石器時代・前6500年頃


マカルはアラビア半島南西部の内陸にある遺跡です。
石皿は穀物をすりつぶすための道具です。
農業を行ない、馬を家畜として飼育していたことが分かります。
「人形石柱」 カルヤト・アルカァファ 前3500~前2500年頃 砂岩

「祈る男」 タールート島 前2900~前2600年頃

タールート島はペルシャ湾にある島です。
顔立ちとポーズはシュメールの影響を、大きさと服装は湾岸地域の独自性を
示しているそうです。
メソポタミア文明が興るとアラビア半島の湾岸地域はディルムンと呼ばれ、
交易活動が盛んになります。
「柱の台座または祭壇」 タイマー 前5~4世紀 砂岩

タイマーはアラビア半島北西部の内陸にあるオアシス都市で、エジプトと
メソポタミアの間にあります。
エジプトのイシス神や聖なる牛のアピスと、メソポタミアの神官が彫られていて、
二つの文明が入り交じった、とても興味深い造形です。
「アラム文字による奉献碑文」 タイマー 前4世紀頃 砂岩

アラム語はアラビア半島から現れたアラム人の言語で、メソポタミアから
ペルシャまで広まっています。
イエスもアラム語を話していたとされています。
「ラテン語碑文」 マダーイン・サーリフ 157~177年頃 砂岩

マダーイン・サーリフはアラビア半島北部の紅海近くにある、ナバテア人の都市です。
ナバテア人は陸上交易で栄え、王国を築きますが、106年にローマ帝国の属州に
なっています。
ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス時代の城壁改修を記念した石碑です。
「ナバテア文字による墓碑」 タイマー 203年 砂岩

「まぐさ」 カルヤト・アルファーウ 前3~後3世紀 石灰岩

まぐさは出入口や窓の上部に架けられる横材です。
カルヤト・アルファーウはアラビア半島南部にあったオアシス都市です。
「葬送用ベッドの飾金具と脚」 カルヤト・アルファーウ 1世紀前半 金銅と青銅

「男性頭部」 カルヤト・アルファーウ 前1~後2世紀頃 青銅

等身大の人物像の一部で、鼻は高く、ギリシャ・ローマ風です。
「葬送用マスクと装身具」 テル・アッザーイル 1世紀頃

石棺に埋葬されていた6歳前後の少女の副葬品です。
テル・アッザーイルはペルシャ湾近くにあります。
「クーファからマッカへの里程標」 ダルブ・ズバイダ 8世紀後半 花崗岩または玄武岩

7世紀にマッカ(メッカ)で始まったイスラム教はアラビア半島に広がり、
その興隆と共に巡礼路が整備されていきます。
クーファはイラクの都市です。
「まぐさ」 ハウラー 12世紀 漆喰

クルアーン(コーラン)第2章255節の一部が彫られています。
「クルアーン(コーラン)」 オスマン朝時代・16~17世紀

アラビア語で書かれたものだけがクルアーンであって、他の言語に訳されたものは
クルアーンとはされません。
聖書が日本語で書かれていても聖書であるのと違うところです。
「カァバ神殿の扉」 オスマン朝時代・1635または1636年 木芯、打出銀張、鍍金

マッカ(メッカ)のカァバ神殿はイスラム教の最高の聖所です。
オスマン朝のスルタン、ムラト4世が寄進した扉で、1930年代まで使われていました。
オスマン朝は1517年からメッカの支配者となりました。
「アブドゥルアジーズ王の上衣」 20世紀 木綿

サウード家によるアラビア半島の征服は18世紀に始まり、2度の建国と崩壊を
繰り返しています。
現在の王国はアブドゥルアジーズ(1876年~1953)が1932年に建国しています。
サウジアラビアとはサウード家のアラビアという意味です。
身長は2mもあったということで、かなり丈の長い上衣です。
現在の第7代、サルマーン国王は初代アブドゥルアジーズの25番目の男子です。
サウジアラビアは砂漠と石油とイスラム教の国というイメージが強いですが、
数多く展示されているイスラム教以前の遺物を見ると、古代から交易路として
栄えていたことがよく分かります。
2月4日までは前庭に張られたテントで、毎日先着1000名に無料でアラビアコーヒーと
ナツメヤシがふるまわれます。
砂漠ならぬ残雪の中のおもてなしです。

展覧会のHPです。
同じ東京国立博物館の平成館では特別展、「仁和寺と御室派のみほとけ
― 天平と真言密教の名宝 ―」が開かれています。
会期は3月11日(日)までです。
「仁和寺と御室派のみほとけ」展の記事です。
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存在自体それだけで価値のあるものですね。が、シリアにしてもパレスチナにしてもアフガンにしても、折角他国も羨む人類の宝を持ちながら、みーーんな自分かせぶっ壊しちまいやがんの。もうアホとしか・・・
文化は人間によって造られるものだけに人間によって破壊されるのでしょう。