六本木・乃木坂
六本木のサントリー美術館では「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」展が
開かれています。
会期は11月11日(日)までで、休館日は火曜日です。
2019年1月から福岡でも開かれます。

醍醐寺は貞観16年(874)、理源大師聖宝によって京都山科に開かれた、
真言宗の寺院です。
展覧会では貴重な文化財、資料により平安時代から近世までの醍醐寺の
変遷をたどります。
聖宝(832-909)は空海の孫弟子で、笠取山に虹のかかるのを見て、
寺院建立の場所と定めています。
その地で会った地主神は湧き出る水を醍醐味と賞し、土地を分け与え
守護することを約束したということで、醍醐寺の名の由来となっています。
「如意輪観音菩薩坐像」 平安時代 10世紀 重要文化財

会場の最初に置かれています。
元は水神を祀る上醍醐の清滝宮に安置されていました。
宝珠や法輪、蓮、数珠を持ったりと忙しくしながら、頬杖をついて安らかな表情です。
体をやや傾けた姿は柔らかく自然で、二つある光背の上の方も傾けてあるのが
目を惹きます。
「薬師如来坐像」 平安時代 10世紀 国宝

台座を含め3m以上の巨像で、両脇侍とともに4階から3階に下りた場所に置かれ、
圧倒的な存在感があります。
薬師如来なので、左手に薬壺を持っています。
「虚空蔵菩薩立像」 平安時代 9世紀 東京国立博物館寄託 国宝

小さな像ですが、しっかりと厚みのあるお姿です。
長く聖観音像とされてきましたが、最近の調査で虚空蔵菩薩であることが
分かったそうです。
虚空蔵菩薩は宇宙のように広大な智恵と慈悲の心を持つとされ、智恵、知識などを
もたらす菩薩として信仰されています。
「五大明王像(不動明王)」 平安時代 10世紀 重要文化財

揃って展示されている五大明王のうちの1体です。
五大明王の中心となる明王で、最もよく知られています。
右手に剣、左手に羂索を持ち、火焔を背負った、怖ろし気な姿です。
明王は大日如来の命により人々を仏教に導く存在で、通常、憤怒の相を示しています。
「五大明王像(大威徳明王)」 平安時代 10世紀 重要文化財

大威徳明王を乗せている水牛がとても可愛く作られているのも見所です。
水牛はヒンドゥー教の死の神、ヤマ神を表し、ヤマは閻魔大王ともなります。
通常は大威徳に調伏されて座っていますが、立っている姿は珍しいとのことです。
五大明王像はどれも手足が細長く、直線的な造形です。
醍醐寺では毎年2月にこの五大明王を本尊にして、五大力尊仁王会(五大力さん)の
大法会が行なわれています。
「五大尊像」 鎌倉時代 12~13世紀 国宝

それぞれ縦約180㎝あり、見事な出来栄えで保存状態も良く、描線や紅色の火焔など、
勢いのある描き振りがよく分かります。
金剛夜叉明王

三面六臂の姿で、弓矢や剣、金剛杵などの武器を持っています。
降三世明王

三面八臂で、大自在天(シヴァ神)と妻の烏摩妃を踏みつけています。
不動明王

剣と羂索を持ち、向かって右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左に制吒迦童子
(せいたかどうじ)を従えています。
軍荼利明王

一面八臂で、腕や足に蛇を巻き付けています。
大威徳明王

六面六臂六脚の姿で、牛に乗り、弓矢、鉾、剣などを持っています。
「文殊渡海図」 鎌倉時代 13世紀 国宝

10月17日からの展示です。
獅子の背に乗って善財童子を先頭に海を渡る文殊菩薩とその一行です。
獅子は文殊菩薩の乗り物とされています。
文殊菩薩のお顔は凛々しく、獅子は堂々とした姿をしています。
衣装には截金が入っているようで、とても華やかな図像です。
文殊菩薩の渡海というのは典拠未詳とのことです。
「閻魔天像」 平安時代 12世紀 国宝

10月15日までの展示です。
左手に人頭杖を持ち、水牛に乗った姿で、おだやかな表情を見せています。
中国の官人の服を着た閻魔様とは違った姿です。
真言密教の醍醐寺は加持祈祷により貴顕の現世利益追及の要求に応えてきたので、
時の権力者とも深い関係を持ってきました。
第74代座主の満済(1378-1435)は黒衣の宰相とも呼ばれ、くじ引きで足利第6代将軍に
義教を選んだことで知られています。
「織田信長黒印状」 安土桃山時代 16世紀 国宝
10月15日までの展示です。
醍醐寺三宝院での戦勝祈願の修法への礼状で、「天下布武」の印が捺されています。
礼状を出すところなど信長も律儀です。
真言宗でも高野山は信長に討伐されそうになっていますが、醍醐寺は上手く対処した
ようです。
第80代座主の義演(1558-1626)は豊臣秀吉の庇護を受け、応仁の乱などで
荒廃した醍醐寺を復興しています。
慶長3年(1598)に秀吉が醍醐寺で行なった醍醐の花見は有名です。
「醍醐花見短冊」 慶長3年(1598) 重要文化財

花見の参会者の詠んだ和歌の短冊を集めた冊子です。
「義演准后日記 慶長3年上・慶長7年上」 慶長3年(1598)・慶長7年(1602)
義演の日記で、慶長3年3月15日には醍醐の花見が無事に終わった喜びを
「一寺之大慶、一身之満足也」と記しています。
義演は醍醐寺に残る膨大な記録や資料の分類保存にも力を尽くしています。
「金天目・天目台」 安土桃山時代 16世紀

義演が秀吉の病気平癒を祈願した褒美の品と言われています。
天目は木の椀に金の薄板を延ばして被せ、天目台には金鍍金がされていています。
金の薄板は釉薬が途中までかかったようになっていて、芸の細かいところを見せています。
「豊臣秀吉像」 江戸時代

勾欄のある御殿の中で、御簾を巻き上げ、山水画の衝立を背に繧繝縁
(うんげんべり)の畳に座していて、豊国大明神として描かれています。
会場の最後には醍醐寺三宝院の障壁画や俵屋宗達の屏風衝立も展示されています。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「扇の国、日本」展です。
会期は11月28日(水)から2019年1月20日(日)までです。

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六本木のサントリー美術館では「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」展が
開かれています。
会期は11月11日(日)までで、休館日は火曜日です。
2019年1月から福岡でも開かれます。

醍醐寺は貞観16年(874)、理源大師聖宝によって京都山科に開かれた、
真言宗の寺院です。
展覧会では貴重な文化財、資料により平安時代から近世までの醍醐寺の
変遷をたどります。
聖宝(832-909)は空海の孫弟子で、笠取山に虹のかかるのを見て、
寺院建立の場所と定めています。
その地で会った地主神は湧き出る水を醍醐味と賞し、土地を分け与え
守護することを約束したということで、醍醐寺の名の由来となっています。
「如意輪観音菩薩坐像」 平安時代 10世紀 重要文化財

会場の最初に置かれています。
元は水神を祀る上醍醐の清滝宮に安置されていました。
宝珠や法輪、蓮、数珠を持ったりと忙しくしながら、頬杖をついて安らかな表情です。
体をやや傾けた姿は柔らかく自然で、二つある光背の上の方も傾けてあるのが
目を惹きます。
「薬師如来坐像」 平安時代 10世紀 国宝

台座を含め3m以上の巨像で、両脇侍とともに4階から3階に下りた場所に置かれ、
圧倒的な存在感があります。
薬師如来なので、左手に薬壺を持っています。
「虚空蔵菩薩立像」 平安時代 9世紀 東京国立博物館寄託 国宝

小さな像ですが、しっかりと厚みのあるお姿です。
長く聖観音像とされてきましたが、最近の調査で虚空蔵菩薩であることが
分かったそうです。
虚空蔵菩薩は宇宙のように広大な智恵と慈悲の心を持つとされ、智恵、知識などを
もたらす菩薩として信仰されています。
「五大明王像(不動明王)」 平安時代 10世紀 重要文化財

揃って展示されている五大明王のうちの1体です。
五大明王の中心となる明王で、最もよく知られています。
右手に剣、左手に羂索を持ち、火焔を背負った、怖ろし気な姿です。
明王は大日如来の命により人々を仏教に導く存在で、通常、憤怒の相を示しています。
「五大明王像(大威徳明王)」 平安時代 10世紀 重要文化財

大威徳明王を乗せている水牛がとても可愛く作られているのも見所です。
水牛はヒンドゥー教の死の神、ヤマ神を表し、ヤマは閻魔大王ともなります。
通常は大威徳に調伏されて座っていますが、立っている姿は珍しいとのことです。
五大明王像はどれも手足が細長く、直線的な造形です。
醍醐寺では毎年2月にこの五大明王を本尊にして、五大力尊仁王会(五大力さん)の
大法会が行なわれています。
「五大尊像」 鎌倉時代 12~13世紀 国宝

それぞれ縦約180㎝あり、見事な出来栄えで保存状態も良く、描線や紅色の火焔など、
勢いのある描き振りがよく分かります。
金剛夜叉明王

三面六臂の姿で、弓矢や剣、金剛杵などの武器を持っています。
降三世明王

三面八臂で、大自在天(シヴァ神)と妻の烏摩妃を踏みつけています。
不動明王

剣と羂索を持ち、向かって右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左に制吒迦童子
(せいたかどうじ)を従えています。
軍荼利明王

一面八臂で、腕や足に蛇を巻き付けています。
大威徳明王

六面六臂六脚の姿で、牛に乗り、弓矢、鉾、剣などを持っています。
「文殊渡海図」 鎌倉時代 13世紀 国宝

10月17日からの展示です。
獅子の背に乗って善財童子を先頭に海を渡る文殊菩薩とその一行です。
獅子は文殊菩薩の乗り物とされています。
文殊菩薩のお顔は凛々しく、獅子は堂々とした姿をしています。
衣装には截金が入っているようで、とても華やかな図像です。
文殊菩薩の渡海というのは典拠未詳とのことです。
「閻魔天像」 平安時代 12世紀 国宝

10月15日までの展示です。
左手に人頭杖を持ち、水牛に乗った姿で、おだやかな表情を見せています。
中国の官人の服を着た閻魔様とは違った姿です。
真言密教の醍醐寺は加持祈祷により貴顕の現世利益追及の要求に応えてきたので、
時の権力者とも深い関係を持ってきました。
第74代座主の満済(1378-1435)は黒衣の宰相とも呼ばれ、くじ引きで足利第6代将軍に
義教を選んだことで知られています。
「織田信長黒印状」 安土桃山時代 16世紀 国宝
10月15日までの展示です。
醍醐寺三宝院での戦勝祈願の修法への礼状で、「天下布武」の印が捺されています。
礼状を出すところなど信長も律儀です。
真言宗でも高野山は信長に討伐されそうになっていますが、醍醐寺は上手く対処した
ようです。
第80代座主の義演(1558-1626)は豊臣秀吉の庇護を受け、応仁の乱などで
荒廃した醍醐寺を復興しています。
慶長3年(1598)に秀吉が醍醐寺で行なった醍醐の花見は有名です。
「醍醐花見短冊」 慶長3年(1598) 重要文化財

花見の参会者の詠んだ和歌の短冊を集めた冊子です。
「義演准后日記 慶長3年上・慶長7年上」 慶長3年(1598)・慶長7年(1602)
義演の日記で、慶長3年3月15日には醍醐の花見が無事に終わった喜びを
「一寺之大慶、一身之満足也」と記しています。
義演は醍醐寺に残る膨大な記録や資料の分類保存にも力を尽くしています。
「金天目・天目台」 安土桃山時代 16世紀

義演が秀吉の病気平癒を祈願した褒美の品と言われています。
天目は木の椀に金の薄板を延ばして被せ、天目台には金鍍金がされていています。
金の薄板は釉薬が途中までかかったようになっていて、芸の細かいところを見せています。
「豊臣秀吉像」 江戸時代

勾欄のある御殿の中で、御簾を巻き上げ、山水画の衝立を背に繧繝縁
(うんげんべり)の畳に座していて、豊国大明神として描かれています。
会場の最後には醍醐寺三宝院の障壁画や俵屋宗達の屏風衝立も展示されています。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「扇の国、日本」展です。
会期は11月28日(水)から2019年1月20日(日)までです。

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第157回醍醐寺の黄衣の12人の僧侶が、法
【2018/10/13 01:43】
【2018/10/13 01:43】