六本木1丁目
六本木の泉屋博古館分館では特別展、「明治150年記念 華ひらく皇室文化
―明治宮廷を彩る技と美―」が開かれています。
会期は5月10日(金)までです。
4月14日(日)までの前期と4月17日(水)からの後期で、一部展示替えがあります。

3月15日にブロガー内覧会があったので行ってきました。
野地耕一郎分館長の挨拶の後、森下愛子学芸員の解説を伺いました。
明治の時代となり、皇室も諸外国との外交のため西洋文化を採り入れるようになります。
一方で、伝統文化を保護し、帝室技芸員制度を発足させています。
その時代の皇室に関係した美術品の展示です。
「明治天皇像」 松岡映丘 昭和9年(1934) お茶の水女子大学
「昭憲皇太后像」 矢澤弦月 昭和8年(1933) お茶の水女子大学

学習院大学史料館のパンフレットより
関東大震災後にお茶の水から大塚に移転した東京女子高等師範学校
(お茶の水女子大学の前身)の新講堂に掲げられました。
同校の日本画教授を務めた松岡映丘(1881-1938)、矢澤弦月(1886-1952)が
描いています。
背景の金地を天皇は赤色、皇太后は青色がかった色にしており、これは太陽と
月を表しているそうです。
両陛下の没後の制作のため、写真を基にしており、天皇は向かって左側に立つ
形になっています。
江戸時代までは向かって右が上位であり、現在も京都ではお雛飾りの男雛は
向かって右に置かれています。
昭和天皇は即位礼で西洋に倣って左に立ち、それ以来、関東では男雛も
左に置かれるようになっています。
明治天皇が西洋の君主に倣って、軍の総帥として初めて軍服を着用した時、
皇室の伝統から外れるのではないかと或る女官が危惧したということですが、
後にその危惧は当たってしまいました。
昭憲皇太后が初めて洋服を着用したのは明治19年(1886)の華族女学校
(学習院女子中・高等科の前身)に行幸の時で、明治天皇が明治9年(1873)には
軍服姿の写真があるのに比べると、かなり遅くなっています。
肩や腕を出す洋装には始め抵抗があったことでしょう。
昭憲皇太后の和歌
外国(とつくに)のまじらひ広くなるままにおくれじとおもふことぞそひゆく
「中礼服 北白川宮妃房子着用」 明治末期(20世紀) 霞会館

薔薇を織り出した絹地にビーズやスパンコール、金糸をあしらった華やかな
ロングドレスで、夜会や晩さん会で着用されています。
房子内親王は明治天皇の第七皇女で、北白川宮成久王に嫁いでいます。
「染付菊唐草文コーヒー碗・皿」 青磁株式会社 明治30年(1897)以降 個人蔵

外国の賓客を洋食でもてなすためには洋食器が必要となり、京焼や有田焼で
制作されるようになります。
有田には磁器の伝統はありましたが、同じ形の食器を何十個も作ったことは
無かったので、苦労したそうです。
お皿の場合、中央部分はナイフやフォークが当たるため、絵付けはおもに
縁の部分にされています。
ボンボニエールも約30点、展示されています。
ボンボニエールとはボンボン(砂糖菓子)を入れる菓子器のことで、
皇室では祝宴の際の引出物として、金平糖を容れる小さな器が用いられています。
多くは銀製で、陶磁器製もあります。
引出物にボンボニエールを採用したのは明治維新により需要が急減して
危機にあった伝統工芸の保護の意味もあったそうです。
「鶴亀形ボンボニエール」 明治27年(1894)3月9日 個人蔵

明治天皇・皇后の大婚25年記念式典(銀婚式)で配られた品です。
長寿を願って、鶴亀が選ばれています。
「入目籠形ボンボニエール」 大正4年(1915)11月17日 学習院大学史料館

大正天皇即位の儀式である御大礼のうち、大饗第二日の儀の折の品です。
大嘗会で用いられる籠を象っています。
2017年に三の丸尚蔵館で開かれた「皇室とボンボニエール展」の記事です。
柴田是真、海野勝珉、宮川香山、濤河惣助、橋本雅邦など、帝室技芸員の
作品の展示です。
「神鹿」 竹内久一 大正元年(1912) 東京国立博物館

春日神社の祭神、武甕槌命(たけみかづちのみこと)は常陸の鹿島から春日に遷る
にあたり、白鹿に乗って出発したとされ、鹿は春日社の神鹿として崇められます。
竹内久一(1857-1916)は彫刻家で、岡倉天心と親交があり、東京美術学校の
教授を務めています。
彩色も華やかで、彫刻と工芸の境界にある作品です。
「葆光彩磁珍果文花瓶」 板谷波山 大正6年(1917) 泉屋博古館分館 重要文化財

板谷波山(1872-1963)は葆光釉(ほこうゆう)といわれる薄いヴェールのような
釉薬を掛ける技法で有名です。
帝室技芸員にも任命され、陶芸家として最初の文化勲章を受章しています。
作品は高さ50cmほどもあり、桃、枇杷、葡萄を盛った籠がとても細密に描かれ、
絵に立体感があります。
まるで光が器の中に閉じ込められているようで、板谷波山の作風を代表する
端正で優美な作品です。
展覧会のHPです。
目白の学習院大学史料館でも泉屋博古館分館と共同企画で、「明治150年記念
華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美―」が開かれています。
会期は3月20日(水)から5月18日(土)まで、入館は無料です。
学習院大学史料館の展覧会のHPです。
次回の展覧会は特別展、「ゆかた 浴衣 YUKATA ―すずしさのデザイン、いまむかし」です。
会期は5月28日(火)から7月7日(日)までです。

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六本木の泉屋博古館分館では特別展、「明治150年記念 華ひらく皇室文化
―明治宮廷を彩る技と美―」が開かれています。
会期は5月10日(金)までです。
4月14日(日)までの前期と4月17日(水)からの後期で、一部展示替えがあります。

3月15日にブロガー内覧会があったので行ってきました。
野地耕一郎分館長の挨拶の後、森下愛子学芸員の解説を伺いました。
明治の時代となり、皇室も諸外国との外交のため西洋文化を採り入れるようになります。
一方で、伝統文化を保護し、帝室技芸員制度を発足させています。
その時代の皇室に関係した美術品の展示です。
「明治天皇像」 松岡映丘 昭和9年(1934) お茶の水女子大学
「昭憲皇太后像」 矢澤弦月 昭和8年(1933) お茶の水女子大学

学習院大学史料館のパンフレットより
関東大震災後にお茶の水から大塚に移転した東京女子高等師範学校
(お茶の水女子大学の前身)の新講堂に掲げられました。
同校の日本画教授を務めた松岡映丘(1881-1938)、矢澤弦月(1886-1952)が
描いています。
背景の金地を天皇は赤色、皇太后は青色がかった色にしており、これは太陽と
月を表しているそうです。
両陛下の没後の制作のため、写真を基にしており、天皇は向かって左側に立つ
形になっています。
江戸時代までは向かって右が上位であり、現在も京都ではお雛飾りの男雛は
向かって右に置かれています。
昭和天皇は即位礼で西洋に倣って左に立ち、それ以来、関東では男雛も
左に置かれるようになっています。
明治天皇が西洋の君主に倣って、軍の総帥として初めて軍服を着用した時、
皇室の伝統から外れるのではないかと或る女官が危惧したということですが、
後にその危惧は当たってしまいました。
昭憲皇太后が初めて洋服を着用したのは明治19年(1886)の華族女学校
(学習院女子中・高等科の前身)に行幸の時で、明治天皇が明治9年(1873)には
軍服姿の写真があるのに比べると、かなり遅くなっています。
肩や腕を出す洋装には始め抵抗があったことでしょう。
昭憲皇太后の和歌
外国(とつくに)のまじらひ広くなるままにおくれじとおもふことぞそひゆく
「中礼服 北白川宮妃房子着用」 明治末期(20世紀) 霞会館

薔薇を織り出した絹地にビーズやスパンコール、金糸をあしらった華やかな
ロングドレスで、夜会や晩さん会で着用されています。
房子内親王は明治天皇の第七皇女で、北白川宮成久王に嫁いでいます。
「染付菊唐草文コーヒー碗・皿」 青磁株式会社 明治30年(1897)以降 個人蔵

外国の賓客を洋食でもてなすためには洋食器が必要となり、京焼や有田焼で
制作されるようになります。
有田には磁器の伝統はありましたが、同じ形の食器を何十個も作ったことは
無かったので、苦労したそうです。
お皿の場合、中央部分はナイフやフォークが当たるため、絵付けはおもに
縁の部分にされています。
ボンボニエールも約30点、展示されています。
ボンボニエールとはボンボン(砂糖菓子)を入れる菓子器のことで、
皇室では祝宴の際の引出物として、金平糖を容れる小さな器が用いられています。
多くは銀製で、陶磁器製もあります。
引出物にボンボニエールを採用したのは明治維新により需要が急減して
危機にあった伝統工芸の保護の意味もあったそうです。
「鶴亀形ボンボニエール」 明治27年(1894)3月9日 個人蔵

明治天皇・皇后の大婚25年記念式典(銀婚式)で配られた品です。
長寿を願って、鶴亀が選ばれています。
「入目籠形ボンボニエール」 大正4年(1915)11月17日 学習院大学史料館

大正天皇即位の儀式である御大礼のうち、大饗第二日の儀の折の品です。
大嘗会で用いられる籠を象っています。
2017年に三の丸尚蔵館で開かれた「皇室とボンボニエール展」の記事です。
柴田是真、海野勝珉、宮川香山、濤河惣助、橋本雅邦など、帝室技芸員の
作品の展示です。
「神鹿」 竹内久一 大正元年(1912) 東京国立博物館

春日神社の祭神、武甕槌命(たけみかづちのみこと)は常陸の鹿島から春日に遷る
にあたり、白鹿に乗って出発したとされ、鹿は春日社の神鹿として崇められます。
竹内久一(1857-1916)は彫刻家で、岡倉天心と親交があり、東京美術学校の
教授を務めています。
彩色も華やかで、彫刻と工芸の境界にある作品です。
「葆光彩磁珍果文花瓶」 板谷波山 大正6年(1917) 泉屋博古館分館 重要文化財

板谷波山(1872-1963)は葆光釉(ほこうゆう)といわれる薄いヴェールのような
釉薬を掛ける技法で有名です。
帝室技芸員にも任命され、陶芸家として最初の文化勲章を受章しています。
作品は高さ50cmほどもあり、桃、枇杷、葡萄を盛った籠がとても細密に描かれ、
絵に立体感があります。
まるで光が器の中に閉じ込められているようで、板谷波山の作風を代表する
端正で優美な作品です。
展覧会のHPです。
目白の学習院大学史料館でも泉屋博古館分館と共同企画で、「明治150年記念
華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美―」が開かれています。
会期は3月20日(水)から5月18日(土)まで、入館は無料です。
学習院大学史料館の展覧会のHPです。
次回の展覧会は特別展、「ゆかた 浴衣 YUKATA ―すずしさのデザイン、いまむかし」です。
会期は5月28日(火)から7月7日(日)までです。

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