東京
三菱一号館美術館ではラスキン生誕200年記念、「ラファエル前派の軌跡展」が
開かれています。
会期は6月9日(日)までです。

ラファエル前派はロンドンのロイヤルアカデミー付属美術学校の生徒だった、
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)、ウィリアム・ホルマン・ハント
(1827-1910)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896)の3人が1848年に
結成したイギリスの芸術結社です。
当時のアカデミーの教育が古典を偏重し、硬直化していると批判して、
ラファエロより前の初期ルネサンスや中世の素朴で自然に忠実な絵画
に戻ろうとする運動です。
聖書、古代の神話、中世の物語を題材にしていて、自然に忠実な絵画という
目標はジョン・ラスキン(1819-1900)の思想に影響を受けたもの
とのことです。
ラファエル前派は短い活動期間の後、女性問題や理念の違いなどから解散
しています。
ジョン・ラスキンは評論家、美術評論家で、自然の中に生きる人間を理想とし、
自然に忠実な絵画を描くということで、ラファエル前派の画家たちを支援しています。
また、水彩画を好み、多くの水彩画を描いています。
オックスフォード大学の教授も務め、ナショナル・トラストの設立にも
関わっています。
展覧会では、ジョン・ラスキンの描いた水彩画など約40点を含め、ラファエル前派
などの作品、約150点が展示されています。
第1章 ターナーとラスキン
ジョン・ラスキン 「渦巻レリーフ ―ルーアン大聖堂北トランセプトの扉」 1882年
セピア、白色のボディカラー、クリーム色の紙 ラスキン財団
(ランカスター大学ラスキン・ライブラリー)

唐草模様の写生です。
ラスキンは産業革命による工業製品の普及が、伝統的な職人の技術が廃れることを
憂慮しています。
そして、ゴシック建築などに見られる職人の仕事に深い関心を寄せています。
ルーアン大聖堂はモネの連作でも有名な聖堂で、モネが描いたのは1892年から
1893年です。
ジョゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー 「カレの砂浜 ―引き潮時の餌採り」 1830年
油彩、カンヴァス ベリ美術館

ターナー(1775-1851)の晩年の作品で、自然を描くのに写実を超えて
感動そのものを表すようになります。
そして光や空気を画面に表そうとするので、物の形もはっきりしなり、
抽象画に近くなってきます。
カレーはドーバー海峡に面したフランスの海岸で、日没の束の間の時間を
描いています。
浜辺にいる人たちは明日の漁のための餌を採っているいるそうです。
ラスキンはターナーを高く評価するエッセイを書いて、美術批評家としての
活動を始めています。
第2章 ラファエル前派
展示室の一つは撮影可能です。
フォード・マドクス・ブラウン 「トリストラム卿の死」 1864年
油彩、カンヴァス バーミンガム美術館

トマス・マロリー(1399-1471)の「アーサー王の死」に基いた作品で、コーンウォールの
マーク王に殺された恋人のトリストラム(トリスタン)にイゾルデがすがり付いています。
元はモリス、マーシャル、フォークナー商会のステンドグラスのデザインとして描かれ、
演劇的な場面では犬だけが何事かが起こったか知らぬ気で、窓からは海が見えます。
フォード・マドクス・ブラウン(1821-1893)はラファエル前派には加わっていませんが、
ロセッティと親しく、またロセッティの友人のウィリアム・モリスの設立した、モリス、
マーシャル、フォークナー商会に参加しています。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」
1863-68年頃 油彩、カンヴァス ラッセル=コーツ美術館

ギリシャ神話の「パリスの審判」で、三美神の中で最も美しい神に選ばれ、
林檎を受け取ったウェヌス(ヴィーナス、ギリシャ神話ではアフロディーテ)です。
ウェヌスはパリスに、自分を選んだら自分とそっくり同じ美人の妻を与えると
約束していました。
この申し出で、パリスを心変わり(ウェルティコルディア)させた、魔性のヴィーナスです。
手には林檎と、人を心変わりさせるクピドの矢を持っています。
薔薇とスイカズラも描かれていますが、ラスキンに花の描き方が雑だと批判され、
何回か描き直したものの、ラスキンとの仲は悪くなったそうです。
確かにロセッティの絵は同じラファエル前派のミレイやハントたちに比べると、
写実の力量は劣るようです。
ロセッティはエリザベス・シダルと結婚していますが、ウイリアム・モリスの妻となる
ジェーン・バーデンに心を寄せていました。
ロセッティ自身にも心変わりの時があったようです。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「ムネーモシューネー(記憶の女神)」
1876-81年 油彩、カンヴァス デラウェア美術館

ムネーモシューネーは記憶を司るギリシャ神話の女神です。
右手の容器に入っている水を飲むと、過去の記憶を完全に思い出すそうです。
額縁にはロセッティ自身により詩が書き込まれています。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「夜が明けて―ファウストの宝石を見つけるグレートヒェン」
1868年 チョーク、紙 タリー・ハウス美術館

ダンテの「ファウスト」の一場面で、グレートヒェンがファウストから贈られた宝石を
見ているところで、後ろに紡ぎ車が見えます。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「祝福されし乙女」 1875-81年
油彩、カンヴァス リヴァプール国立美術館、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー

ロセッティ自身の詩を絵画にしたもので、若くして亡くなった乙女が天国で恋人との
再会を待っているところです。
下では若者が彼女を想って天を見上げています。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「クリスマス・キャロル」 1867年
油彩、カンヴァス 個人蔵

中世風の装束の女性が楽器を手に、キリストの誕生を祝う歌を歌っていて、
壁には聖母子像が見えます。
詩的で、装飾性の高い作品です。
ジョン・エヴァレット・ミレイ 「結婚通知―捨てられて」 1854年 油彩、板 個人蔵

ジョン・エヴァレット・ミレイは高い技量の画家ですが、後にラファエル前派を離れ、
感傷的な作品で名声を得ています。
ラスキンの妻だったユーフィミアはミレイと恋仲になり、1854に別居し、翌年にミレイと
結婚しています。
その時期に描いているので、いろいろ考えさせられる作品です。
エリザベス女王はそれまで寵愛していたミレイとユーフィミアの結婚を不道徳として怒り、
長らくユーフィミアの謁見を許さなかったそうです。
ラファエル前派は女性関係が複雑で、グループとしての活動が早く終わった原因の一つと
なっているそうですが、関係をおさらいしておくと、作品を観る時の興味も増します。
ウィリアム・ホルマン・ハント 「誠実に励めば美しい顔になる」
1866年 油彩、板 個人蔵

道徳的な題名で、健康そうな女性が染付と金襴の紅茶ポットを持っています。
ウィリアム・ホルマン・ハントは細密で正確な描写が特徴です。
ウィリアム・ホルマン・ハント 「甘美なる無為」 1866年 油彩、カンヴァス 個人蔵

教訓的な目的の無い作品を楽しんだということで、豪華な衣装や宝石、波打つ髪などを
存分に描いて、その技量の程を見せています。
モデルの女性との破局により制作が遅れ、妻になる女性をモデルにして
完成させたそうで、女性は結婚指輪をしています。
第3章 ラファエル前派周縁
ラファエル前派と関係の深かったウィリアム・ダイス、ジョージ・フレデリック・ワッツ、
シメオン・ソロモンなどの作品の展示です。
ウィリアム・ヘンリー・ハント 「ヨーロッパカヤクグリ(イワヒバリ属)の巣」
1840年頃 水彩 ベリ美術館

ヨーロッパカヤクグリは青い卵が特徴で、絵には野イチゴや花の赤が添えられています。
ウィリアム・ヘンリー・ハント(1790-1864)はすぐれた水彩画家で、ラスキンから
高い評価を得ています。
特に自然を描くことが得意で、鳥の巣をよく描いていたので、「鳥の巣のハント」と
呼ばれています。
フレデリック・レイトン 「母と子(さくらんぼ)」
1864-65年 油彩・カンヴァス ブラックバーン美術館

白百合を活けた壺、鶴を描いた日本の金屏風を置き、ペルシャ絨緞の上で
くつろぐ母子の姿です。
フレデリック・レイトン(1830-1896)はイギリスの画家、彫刻家で、
ロイヤル・アカデミーの会長職も勤めたアカデミズムの画家ですが、
ラファエル前派と親交があり、このような唯美主義的な作品も描いています。
第4章 バーン=ジョーンズ
エドワード・バーン=ジョーンズ 「慈悲深き騎士」 1863年
水彩、ボディカラー、アラビアゴム バーミンガム美術館

フィレンツェの騎士、ジョヴァンニ・グアルベルトが兄弟を殺した男と出会い、
命乞いを受け容れて赦した後、教会で祈っているとキリストの木像が動き出し、
祝福のキスを与えたという伝説を描いています。
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(1833-98)はバーミンガム出身で、
職人の子としては珍しくオックスフォード大学に進み、神学を学びます。
そこでウィリアム・モリス(1834-96)と友人になり、またジョン・ラスキンや
ロセッティの影響を受けます。
1861年にはウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動にも参加しています。
「ティブールの巫女」のステンドグラス下絵 1875年
黒および色チョーク、金のハイライト バーミンガム美術館

エドワード・バーン=ジョーンズのデザインによるケンブリッジ、ジーザス・カレッジ礼拝堂の
ステンドグラスの下絵です。
ローマの初代皇帝アウグストゥスにキリストの降誕を告げたとされる巫女です。
ライオンの毛皮を被り、棍棒のような物を持った、まるでヘラクレスのような装いで、
右上には聖母子が見えます。
衣のひだが波打ち、量感のある堂々とした姿をしています。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「赦しの樹」 1881-82年
油彩、カンヴァス リヴァプール国立美術館、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー

ギリシャ神話の人物、デーモポーンはトラキアの王女ピュリスと結婚しますが、妻を残して
故郷に帰ったまま戻らず、ピュリスは嘆いて死んでしまいます。
それを憐れんだ神々によりアーモンドの木に変えられ、後悔したデーモポーンが戻って
木を抱きしめるとピュリスが現れ、赦しを与えます。
満開のアーモンドの花を後ろに、抱きつくピュリスと驚くデーモポーンは渦のように
からみ合っています。
1870年に描かれたものの酷評され、7年間も公的展示から身を引いた作品の再制作と
いうことですが、何が不評だったのでしょう。
2012年には同じ三菱一号館美術館で、「バーン=ジョーンズ展―装飾と象徴」が
開かれていました。
「バーン=ジョーンズ展」の記事です。
第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術
モリス・マーシャル・フォークナー商会 「格子垣(壁紙)」 1862年
デザイン:ウィリアム・モリス ブロックプリント、紙 ウィリアム・モリス・ギャラリー

ウィリアム・モリス(1834-1896)は、ロセッティの年下の友人です。
産業革命により職人はその地位を失い、大量生産の粗悪品が出回っていると考え、
モリス・マーシャル・フォークナー商会、後にモリス商会を設立し、生活に密着した
手仕事の美を復活させようとして、
アーツ・アンド・クラフツ運動を起こしています。
その模範を中世に求めた家具、陶磁器、ステンドグラスなどを生産しています。
アーツ・アンド・クラフツのデザインは現在も高い人気を得ています。
モリス商会 「3人掛けソファ」 1880年頃 クルミ材、毛織生地
リヴァプール国立美術館、ウォーカー・アート・ギャラリー

イングランド産のクルミ材を使い、モリスがデザインした「孔雀」と呼ばれる手織りの
ウールの生地を張っています。
ラファエル前派は1848年に結成され、短い活動期間の後、解散していますが、
そのロマンチックな好みは象徴派の先駆けとなっています。
フランスで第1回印象派展が開かれたのは1874年のことで、ともにアカデミズムへの
反発で始まっていますが、方向性は大きく異なります。
この違いはどうして起きたのでしょうか。
私にはフランスの明るい太陽とイギリスの曇り空の違いのようにも思えます。
ラファエル前派は日本でも人気が高く、よく展覧会が開かれています。
2011年に目黒区美術館で開かれた、「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」展の
記事です。
2014年に森アーツセンターギャラリーで開かれた、「ラファエル前派展
英国ヴィクトリア朝の夢」の記事です。
2015年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれた、「英国の夢 ラファエル前派展」の記事です。
展覧会のHPです。
chariot
三菱一号館美術館ではラスキン生誕200年記念、「ラファエル前派の軌跡展」が
開かれています。
会期は6月9日(日)までです。

ラファエル前派はロンドンのロイヤルアカデミー付属美術学校の生徒だった、
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)、ウィリアム・ホルマン・ハント
(1827-1910)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896)の3人が1848年に
結成したイギリスの芸術結社です。
当時のアカデミーの教育が古典を偏重し、硬直化していると批判して、
ラファエロより前の初期ルネサンスや中世の素朴で自然に忠実な絵画
に戻ろうとする運動です。
聖書、古代の神話、中世の物語を題材にしていて、自然に忠実な絵画という
目標はジョン・ラスキン(1819-1900)の思想に影響を受けたもの
とのことです。
ラファエル前派は短い活動期間の後、女性問題や理念の違いなどから解散
しています。
ジョン・ラスキンは評論家、美術評論家で、自然の中に生きる人間を理想とし、
自然に忠実な絵画を描くということで、ラファエル前派の画家たちを支援しています。
また、水彩画を好み、多くの水彩画を描いています。
オックスフォード大学の教授も務め、ナショナル・トラストの設立にも
関わっています。
展覧会では、ジョン・ラスキンの描いた水彩画など約40点を含め、ラファエル前派
などの作品、約150点が展示されています。
第1章 ターナーとラスキン
ジョン・ラスキン 「渦巻レリーフ ―ルーアン大聖堂北トランセプトの扉」 1882年
セピア、白色のボディカラー、クリーム色の紙 ラスキン財団
(ランカスター大学ラスキン・ライブラリー)

唐草模様の写生です。
ラスキンは産業革命による工業製品の普及が、伝統的な職人の技術が廃れることを
憂慮しています。
そして、ゴシック建築などに見られる職人の仕事に深い関心を寄せています。
ルーアン大聖堂はモネの連作でも有名な聖堂で、モネが描いたのは1892年から
1893年です。
ジョゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー 「カレの砂浜 ―引き潮時の餌採り」 1830年
油彩、カンヴァス ベリ美術館

ターナー(1775-1851)の晩年の作品で、自然を描くのに写実を超えて
感動そのものを表すようになります。
そして光や空気を画面に表そうとするので、物の形もはっきりしなり、
抽象画に近くなってきます。
カレーはドーバー海峡に面したフランスの海岸で、日没の束の間の時間を
描いています。
浜辺にいる人たちは明日の漁のための餌を採っているいるそうです。
ラスキンはターナーを高く評価するエッセイを書いて、美術批評家としての
活動を始めています。
第2章 ラファエル前派
展示室の一つは撮影可能です。
フォード・マドクス・ブラウン 「トリストラム卿の死」 1864年
油彩、カンヴァス バーミンガム美術館

トマス・マロリー(1399-1471)の「アーサー王の死」に基いた作品で、コーンウォールの
マーク王に殺された恋人のトリストラム(トリスタン)にイゾルデがすがり付いています。
元はモリス、マーシャル、フォークナー商会のステンドグラスのデザインとして描かれ、
演劇的な場面では犬だけが何事かが起こったか知らぬ気で、窓からは海が見えます。
フォード・マドクス・ブラウン(1821-1893)はラファエル前派には加わっていませんが、
ロセッティと親しく、またロセッティの友人のウィリアム・モリスの設立した、モリス、
マーシャル、フォークナー商会に参加しています。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」
1863-68年頃 油彩、カンヴァス ラッセル=コーツ美術館

ギリシャ神話の「パリスの審判」で、三美神の中で最も美しい神に選ばれ、
林檎を受け取ったウェヌス(ヴィーナス、ギリシャ神話ではアフロディーテ)です。
ウェヌスはパリスに、自分を選んだら自分とそっくり同じ美人の妻を与えると
約束していました。
この申し出で、パリスを心変わり(ウェルティコルディア)させた、魔性のヴィーナスです。
手には林檎と、人を心変わりさせるクピドの矢を持っています。
薔薇とスイカズラも描かれていますが、ラスキンに花の描き方が雑だと批判され、
何回か描き直したものの、ラスキンとの仲は悪くなったそうです。
確かにロセッティの絵は同じラファエル前派のミレイやハントたちに比べると、
写実の力量は劣るようです。
ロセッティはエリザベス・シダルと結婚していますが、ウイリアム・モリスの妻となる
ジェーン・バーデンに心を寄せていました。
ロセッティ自身にも心変わりの時があったようです。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「ムネーモシューネー(記憶の女神)」
1876-81年 油彩、カンヴァス デラウェア美術館

ムネーモシューネーは記憶を司るギリシャ神話の女神です。
右手の容器に入っている水を飲むと、過去の記憶を完全に思い出すそうです。
額縁にはロセッティ自身により詩が書き込まれています。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「夜が明けて―ファウストの宝石を見つけるグレートヒェン」
1868年 チョーク、紙 タリー・ハウス美術館

ダンテの「ファウスト」の一場面で、グレートヒェンがファウストから贈られた宝石を
見ているところで、後ろに紡ぎ車が見えます。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「祝福されし乙女」 1875-81年
油彩、カンヴァス リヴァプール国立美術館、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー

ロセッティ自身の詩を絵画にしたもので、若くして亡くなった乙女が天国で恋人との
再会を待っているところです。
下では若者が彼女を想って天を見上げています。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「クリスマス・キャロル」 1867年
油彩、カンヴァス 個人蔵

中世風の装束の女性が楽器を手に、キリストの誕生を祝う歌を歌っていて、
壁には聖母子像が見えます。
詩的で、装飾性の高い作品です。
ジョン・エヴァレット・ミレイ 「結婚通知―捨てられて」 1854年 油彩、板 個人蔵

ジョン・エヴァレット・ミレイは高い技量の画家ですが、後にラファエル前派を離れ、
感傷的な作品で名声を得ています。
ラスキンの妻だったユーフィミアはミレイと恋仲になり、1854に別居し、翌年にミレイと
結婚しています。
その時期に描いているので、いろいろ考えさせられる作品です。
エリザベス女王はそれまで寵愛していたミレイとユーフィミアの結婚を不道徳として怒り、
長らくユーフィミアの謁見を許さなかったそうです。
ラファエル前派は女性関係が複雑で、グループとしての活動が早く終わった原因の一つと
なっているそうですが、関係をおさらいしておくと、作品を観る時の興味も増します。
ウィリアム・ホルマン・ハント 「誠実に励めば美しい顔になる」
1866年 油彩、板 個人蔵

道徳的な題名で、健康そうな女性が染付と金襴の紅茶ポットを持っています。
ウィリアム・ホルマン・ハントは細密で正確な描写が特徴です。
ウィリアム・ホルマン・ハント 「甘美なる無為」 1866年 油彩、カンヴァス 個人蔵

教訓的な目的の無い作品を楽しんだということで、豪華な衣装や宝石、波打つ髪などを
存分に描いて、その技量の程を見せています。
モデルの女性との破局により制作が遅れ、妻になる女性をモデルにして
完成させたそうで、女性は結婚指輪をしています。
第3章 ラファエル前派周縁
ラファエル前派と関係の深かったウィリアム・ダイス、ジョージ・フレデリック・ワッツ、
シメオン・ソロモンなどの作品の展示です。
ウィリアム・ヘンリー・ハント 「ヨーロッパカヤクグリ(イワヒバリ属)の巣」
1840年頃 水彩 ベリ美術館

ヨーロッパカヤクグリは青い卵が特徴で、絵には野イチゴや花の赤が添えられています。
ウィリアム・ヘンリー・ハント(1790-1864)はすぐれた水彩画家で、ラスキンから
高い評価を得ています。
特に自然を描くことが得意で、鳥の巣をよく描いていたので、「鳥の巣のハント」と
呼ばれています。
フレデリック・レイトン 「母と子(さくらんぼ)」
1864-65年 油彩・カンヴァス ブラックバーン美術館

白百合を活けた壺、鶴を描いた日本の金屏風を置き、ペルシャ絨緞の上で
くつろぐ母子の姿です。
フレデリック・レイトン(1830-1896)はイギリスの画家、彫刻家で、
ロイヤル・アカデミーの会長職も勤めたアカデミズムの画家ですが、
ラファエル前派と親交があり、このような唯美主義的な作品も描いています。
第4章 バーン=ジョーンズ
エドワード・バーン=ジョーンズ 「慈悲深き騎士」 1863年
水彩、ボディカラー、アラビアゴム バーミンガム美術館

フィレンツェの騎士、ジョヴァンニ・グアルベルトが兄弟を殺した男と出会い、
命乞いを受け容れて赦した後、教会で祈っているとキリストの木像が動き出し、
祝福のキスを与えたという伝説を描いています。
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(1833-98)はバーミンガム出身で、
職人の子としては珍しくオックスフォード大学に進み、神学を学びます。
そこでウィリアム・モリス(1834-96)と友人になり、またジョン・ラスキンや
ロセッティの影響を受けます。
1861年にはウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動にも参加しています。
「ティブールの巫女」のステンドグラス下絵 1875年
黒および色チョーク、金のハイライト バーミンガム美術館

エドワード・バーン=ジョーンズのデザインによるケンブリッジ、ジーザス・カレッジ礼拝堂の
ステンドグラスの下絵です。
ローマの初代皇帝アウグストゥスにキリストの降誕を告げたとされる巫女です。
ライオンの毛皮を被り、棍棒のような物を持った、まるでヘラクレスのような装いで、
右上には聖母子が見えます。
衣のひだが波打ち、量感のある堂々とした姿をしています。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「赦しの樹」 1881-82年
油彩、カンヴァス リヴァプール国立美術館、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー

ギリシャ神話の人物、デーモポーンはトラキアの王女ピュリスと結婚しますが、妻を残して
故郷に帰ったまま戻らず、ピュリスは嘆いて死んでしまいます。
それを憐れんだ神々によりアーモンドの木に変えられ、後悔したデーモポーンが戻って
木を抱きしめるとピュリスが現れ、赦しを与えます。
満開のアーモンドの花を後ろに、抱きつくピュリスと驚くデーモポーンは渦のように
からみ合っています。
1870年に描かれたものの酷評され、7年間も公的展示から身を引いた作品の再制作と
いうことですが、何が不評だったのでしょう。
2012年には同じ三菱一号館美術館で、「バーン=ジョーンズ展―装飾と象徴」が
開かれていました。
「バーン=ジョーンズ展」の記事です。
第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術
モリス・マーシャル・フォークナー商会 「格子垣(壁紙)」 1862年
デザイン:ウィリアム・モリス ブロックプリント、紙 ウィリアム・モリス・ギャラリー

ウィリアム・モリス(1834-1896)は、ロセッティの年下の友人です。
産業革命により職人はその地位を失い、大量生産の粗悪品が出回っていると考え、
モリス・マーシャル・フォークナー商会、後にモリス商会を設立し、生活に密着した
手仕事の美を復活させようとして、
アーツ・アンド・クラフツ運動を起こしています。
その模範を中世に求めた家具、陶磁器、ステンドグラスなどを生産しています。
アーツ・アンド・クラフツのデザインは現在も高い人気を得ています。
モリス商会 「3人掛けソファ」 1880年頃 クルミ材、毛織生地
リヴァプール国立美術館、ウォーカー・アート・ギャラリー

イングランド産のクルミ材を使い、モリスがデザインした「孔雀」と呼ばれる手織りの
ウールの生地を張っています。
ラファエル前派は1848年に結成され、短い活動期間の後、解散していますが、
そのロマンチックな好みは象徴派の先駆けとなっています。
フランスで第1回印象派展が開かれたのは1874年のことで、ともにアカデミズムへの
反発で始まっていますが、方向性は大きく異なります。
この違いはどうして起きたのでしょうか。
私にはフランスの明るい太陽とイギリスの曇り空の違いのようにも思えます。
ラファエル前派は日本でも人気が高く、よく展覧会が開かれています。
2011年に目黒区美術館で開かれた、「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」展の
記事です。
2014年に森アーツセンターギャラリーで開かれた、「ラファエル前派展
英国ヴィクトリア朝の夢」の記事です。
2015年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれた、「英国の夢 ラファエル前派展」の記事です。
展覧会のHPです。
- 関連記事
-
- 「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」予告 パナソニック汐留美術館 (2019/04/01)
- 「博物館でお花見を」 東京国立博物館 2019 (2019/03/30)
- 「ラファエル前派の軌跡展」 丸の内 三菱一号館美術館 (2019/03/28)
- 「夢幻 村上豊」展 関口 講談社野間記念館 (2019/03/26)
- 「白日会第95回記念展」 六本木 国立新美術館 (2019/03/23)