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「士 サムライー天下太平を支えた人びとー」 両国 江戸東京博物館
両国
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両国の江戸東京博物館では特別展、「士 サムライー天下太平を支えた人びとー」が
開かれています。
改修工事終了後初めての特別展で、会期は11月4日(月・祝)までです。
10月6日までの前期と10月8日からの後期で、一部展示替えがありますので、
展覧会のHPでご確認ください。

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パンフレットの写真は薩摩藩の侍です。
寒い季節なのでしょうか、重ね着しています。

江戸時代の侍についての展示です。
展示品の一部は撮影可能です。

武士は平安時代に発生していますが、「武士」の字は「もののふ」とも読み、
武力の保持者という意味です。
「侍」は「さむらい」と読み、貴人に仕える者という意味です。
「士」も「さむらい」と読み、学問や知識のある者という意味を持ち、
行政官としての役割を想定しています。
全部合わせると、貴人に仕え、武力を持ち、行政の役割を担う者となります。
江戸時代のさむらいは武力担当は番方、行政担当は役方と呼ばれ、
泰平の世が続くにつれ、役方の立場が強くなります。
これが面白くなかったのが戦国時代の生き残りの大久保彦左衛門で、
武を軽んじる風潮を嘆いています。

「関ヶ原合戦図屏風」 6曲1隻 翫月亭峩山模写 
 嘉永7年(1854) 関ヶ原歴史民俗資料館

画面右下に家康の陣や井伊、本多隊、中央上側に石田三成の陣が見えます。
合戦序盤の宇喜多隊と福島隊の衝突と一緒に終盤の島津隊の突撃が描かれ、
島左近、可児歳三、本多忠朝など武勇の士の名前も見えます。
この合戦により日本中の侍の運命が定まり、江戸時代中続くことになります。

「雑兵物語」(部分) 江戸時代・18世紀 東京国立博物館
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雑兵物語(ぞうひょうものがたり)は戦国時代の足軽たちの経験談や教訓を
まとめたものです。
足軽たちのリアルな姿を描いた絵が付いています。
鉄砲足軽小頭の朝日出右衛門と鉄砲足軽夕日入右衛門とあり、小頭は腕に
火縄を何本も巻き付けています。

「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」 (部分) 三谷勝波筆、戸田熊次郎序 
 明治時代 江戸東京博物館

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前期の展示で、後期は複製が展示されます。
参勤交代で殿様に従って江戸に出てきて勤務する侍を勤番侍といいます。
単身赴任で、藩邸の中の長屋住まいとなり、殿様の帰国とともに故郷に帰ります。
この絵巻は三田にあった久留米有馬藩の上屋敷での生活を描いていて
、明治時代に昔を懐かしんで記録に残したものです。
大小を脇に置いて車座になって酒宴を開いたり、夕涼みしたり、のんびり過ごしています。
中には殿様の有馬頼徳が芝増上寺の火の番を命じられたため、帰国が延期となり、
ブチ切れた侍たちが長屋で大騒ぎする場面もあります。
「高原乙次郎の部屋にて暴飲の図」とあり、やけ飲みをする、戸板を倒す、
銚子を投げる、書付を破る、ふて寝するなど、荒れ放題です。
壁に貼ってある紙から、天保10年4月5日のことと分かります。

「江戸城年始登城風景図屏風」 佐竹永湖 明治31年(1898)頃
諸大名が江戸城に登城する時、家来たちのほとんどはお城に入れません。
各大名家の家来、駕籠、鑓など大勢が大手門などの外で待っています。
暑い日、寒い日、雨風の日に殿様の帰ってくるのを待つのは大変だったでしょう。

  エー 奴さん どちら行く ハアコリャコリャ
  旦那お迎えに さっても 寒いのに 供ぞろい
  雪の降る夜も 風の夜も お供は 辛いね
  いつも 奴さんは 高端折
  アリャセ ヨイサ それも そうかいなー

                    端唄 「奴さん」

「出羽米沢藩上杉家大名火消行装図巻」 江戸時代後期 江戸東京博物館
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各大名は江戸藩邸に家臣と雇いの町人で編成される火消組を持っていました。
上杉家の火消の出動の場面で、騎馬の士は馬上提灯を腰に差し、火消たちは鳶口や
大きなまさかりを担いでいます。
加賀鳶は加賀藩前田家の大名火消です。

「火事図巻」 長谷川雪堤模写 文政9年(1826) 江戸東京博物館
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明和9年(1772)の目黒行人坂の火事を描いた絵巻の模写です。
大名火消と町人で編成される町火消が消火活動を行なっています。
ろ組、は組、も組、百組などが出動しているのが分かります。
町火消いろは四八組の編成は江戸南町奉行だった時の大岡忠相によるものです。

「毛抜き」 3挺 江戸時代中期
大岡越前守忠相所用の毛抜きです。
大岡忠相は心を静めるため、よく毛抜きでひげを抜いていたといわれています。
歌舞伎の「毛抜」ほどではありませんが、とても大きな毛抜きで、虎のひげでも
抜けそうです。

「遠山景元起請文」 文政9年(1826)9月
遠山の金さんと呼ばれ、大岡忠相と並んで名奉行とされた遠山景元が
幕府に提出した起請文です。
遠山景元は痔のため、騎馬での登城が難しくなったので、遠山の身分では
許されない駕籠の利用を願い出ています。
治ったら必ず騎馬に戻ることを約束し、破ったら神罰を受けてもよいという、
大層な起請文です。

「文久遣欧使節団肖像写真」 イポリット・ロビヤール撮影 文久2年(1862)
正使の竹内下野守保徳はじめ、24枚の使節の写真で、ロシアで撮影されています。
通詞の森山多吉郎や明治時代に活躍した福沢諭吉、福地源一郎、箕作秋坪などの
写真もあります。

「午砲」 幕末 江戸東京たてもの園
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青銅製24ポンド砲です。
幕末に海岸防備などに使用され、長州藩士や薩摩藩士はこのような大砲で
外国船を攻撃していました。
明治4年(1871)からは皇居内旧本丸跡に置かれ、毎日正午に空砲を撃って時を告げ、
「ドン」と呼ばれて親しまれていましたが、昭和4年(1929)に廃止されました。

「四斤山砲砲弾」 幕末 江戸東京たてもの園
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四斤山砲はフランスで開発された青銅砲で、移動が容易なことなどから幕末から
西南戦争まで盛んに使用されました。
上野戦争で使用され、上野公園から出土したとされる砲弾で、付いている突起が
砲身のライフルに当たることで、回転力が付く仕組みになっています。

「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」 
 川村清雄 明治18年(1885) 江戸東京博物館

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勝海舟は幕臣として幕府の終焉を導き、武士の時代の終りを見届けています。
イギリスの外交官、アーネスト・サトウの撮った写真を元に、江戸開城を果たした時の
姿として描いています。
向こうには、洋装に陣笠を被った旧幕臣が抜き身を持って斬りかかろうとしているのが
見えます。

展覧会のHPです。

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【2019/09/26 19:45】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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