六本木一丁目・神谷町
虎ノ門の大倉集古館では、企画展、「大倉コレクション 信仰の美」が開かれています。
会期は2023年1月9日(月・祝)までです。

大倉集古館の設立者で実業家の大倉喜八郎(1837~1928)は明治初めの
廃仏毀釈運動で寺社から流出した仏画や仏像の保護に努め、収集しています。
展覧会ではこれらの仏教美術が展示されています。
「百萬塔陀羅尼」 奈良時代・8世紀 特種東海製紙株式会社

称徳天皇(在位:764-770)は 藤原仲麻呂の乱を平定した後、国家の安泰を
願って陀羅尼を100万巻印刷し、小型の木製の塔に納めて、東大寺・西大寺・
興福寺・薬師寺などの十大寺に奉納しています。
陀羅尼とはサンスクリット語の原文を漢字で音写した呪文のことです。
これだけの量を1つの木版で印刷するのは磨耗のため不可能であり、
複数の木版を使った筈で、金属版を使ったかもしれないとのことです。
並んだ小さな文字の濃淡のムラの具合はたしかに印刷であることを示しています。
「一字金輪像」 重要文化財 鎌倉時代

一字で表される如来の真言を仏の姿にした像です。
画面の下側左右に、花瓶に活けた蓮の花が様式的に描かれています。
印を結び、蓮華の上に座した姿は、緻密に、華やかに描かれながら、
端正で、静かです。
肌の白と唇の赤の対照が印象的です。
奥村土牛は師の小林古径を偲んで、「浄心」という題で、中尊寺の木造の
一字金輪像を描いています。
「普賢十羅刹女像」 鎌倉時代 14世紀

普賢菩薩は華厳経や法華経に書かれた菩薩で、法華経が女人成仏を説くことから、
特に女性に多く信仰されています。
白象に乗った姿で表されます。
十羅刹女は法華経に登場する10人の鬼神で、法華経信者を守護します。
根津美術館所蔵の平安時代の絵では羅刹女は唐風の衣装ですが、
こちらは和風の装いです。
9人しか見えず、もう1人はどこかに隠れているのでしょうか。
「普賢菩薩騎象像」 平安時代・12世紀 国宝

優しいお顔立ちの菩薩で、袖には金箔を糸のように細く切って貼り付けた
切金(きりかね)模様が見えます。
乗っている象は、仏師も実物を観たことが無いためでしょう、象にしては
体が長いのがユーモラスです。
普賢菩薩は女人往生を説く法華経に登場するため、女性の信仰を集めています。
「阿弥陀三尊来迎図」 鎌倉時代~室町時代 14世紀

立姿の阿弥陀如来が勢至菩薩、蓮台を捧げ持つ観音菩薩を従えています。
両菩薩は身をかがめ、いかにも急いで現われた感じがします。
紺地の上に金箔や切金を用いた、きらびやかで動きのある図像です。
三尊立像形式の来迎図は鎌倉から室町にかけて多く制作されたとのことです。
「山越阿弥陀図」 冷泉為恭 文久3年(1863) 重要美術品

山越阿弥陀は、夕陽に阿弥陀如来の姿を観るもので、恵心僧都源信(942~1017)が
感得したと伝えられ、鎌倉時代に画題として成立したとのことです。
この図では松や桜が大和絵の手法で細かく描き込まれ、鹿の遊ぶ山の向こうに、
阿弥陀如来が姿を現しています。
転法輪印を結んでいて、左手を逆手にして変化をつけているとのことです。
冷泉為恭(1823~1864)は幕末の絵師ですが、佐幕派と見なされて、尊皇攘夷派に
付け狙われ、この絵も紀州粉河寺に隠れている時に、自己の救済を願って描いたもの
とのことです。
しかし、この翌年に殺されています。
「融通念仏縁起絵巻」 室町時代 15世紀

平安時代の僧、良忍上人(1072~1132)が阿弥陀如来から融通念仏の偈を伝授され、
毘沙門天の加護の下、念仏を広める様子を絵巻物にしています。
この場面は毘沙門天の呼び掛けに応じて、吉祥天や広目天など諸天が集まっている
ところです。
「法蓮上人坐像」 鎌倉時代 14世紀

法蓮は飛鳥時代から奈良時代にかけての修験僧で、豊前英彦山などで活動したと
されています。
大きく目を見開き、袂を広げている面白い姿で、衆生を救う宝珠を蛇神から
受け取っているところです。
「空也上人絵伝」 室町時代 16世紀

空也上人(903~972)の事績を、雲で仕切った縦長の画面に描いています。
上から、共にいた鹿が射殺されたので、その皮と角で衣と杖を作ります。
毘沙門天の招きで剃髪し、賀茂(松尾)明神から鰐口と鉦鼓を授けられます。
宮中に呼ばれた時に雨が降って来ると、傘が飛来します。
最後は、捨てられた屍や白骨を供養している場面です。
後半の場面の、南無阿弥陀仏と唱えると口から小仏が飛び出て来る様子も、
六波羅蜜寺にある木造の空也上人像と同じ姿です。
各場面は簡潔な描写ですが、分かり易く、観ていて面白い絵伝です。
田中親美(たなかしんび:1875~1975)は厳島神社の依頼で、5年をかけて
平家納経全33巻の現状模本を制作しています。
そして当初の姿を想定した数組の復元模本を制作し、大倉集古館はその1組を
所蔵しています。
展覧会ではそのうち6巻が展示されています。
「平家納経 妙法蓮華経提婆達多品第十二(模本)」 田中親美 大正~昭和・20世紀

地色の変化に合わせて、経文の字の色も変えています。
見返しには釈迦が説法している所へ龍女が侍女を従え、宝珠を捧げ持って
海上を進む様子が描かれています。
「平家納経 妙法蓮華経法師功徳品第十九(模本)」 田中親美 大正~昭和・20世紀

見返し絵には優しい表情で普賢菩薩に乗った普賢菩薩が繊細な描線で描かれています。
「金銀荘雲龍文銅製経箱(模造)」 田中親美 大正~昭和・20世紀 大倉集古館

厳島神社蔵の国宝、「平家納経納置」長寛2年(1164)の模造です。
黒漆で、側面に銅に鍍金の龍、蓋にも丸文で龍と雲、五輪塔をあしらっています。
法華経提婆達多品に龍女成仏が説かれていて、これも女人往生を意味する
意匠とのことです。
展覧会のHPです。
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虎ノ門の大倉集古館では、企画展、「大倉コレクション 信仰の美」が開かれています。
会期は2023年1月9日(月・祝)までです。

大倉集古館の設立者で実業家の大倉喜八郎(1837~1928)は明治初めの
廃仏毀釈運動で寺社から流出した仏画や仏像の保護に努め、収集しています。
展覧会ではこれらの仏教美術が展示されています。
「百萬塔陀羅尼」 奈良時代・8世紀 特種東海製紙株式会社

称徳天皇(在位:764-770)は 藤原仲麻呂の乱を平定した後、国家の安泰を
願って陀羅尼を100万巻印刷し、小型の木製の塔に納めて、東大寺・西大寺・
興福寺・薬師寺などの十大寺に奉納しています。
陀羅尼とはサンスクリット語の原文を漢字で音写した呪文のことです。
これだけの量を1つの木版で印刷するのは磨耗のため不可能であり、
複数の木版を使った筈で、金属版を使ったかもしれないとのことです。
並んだ小さな文字の濃淡のムラの具合はたしかに印刷であることを示しています。
「一字金輪像」 重要文化財 鎌倉時代

一字で表される如来の真言を仏の姿にした像です。
画面の下側左右に、花瓶に活けた蓮の花が様式的に描かれています。
印を結び、蓮華の上に座した姿は、緻密に、華やかに描かれながら、
端正で、静かです。
肌の白と唇の赤の対照が印象的です。
奥村土牛は師の小林古径を偲んで、「浄心」という題で、中尊寺の木造の
一字金輪像を描いています。
「普賢十羅刹女像」 鎌倉時代 14世紀

普賢菩薩は華厳経や法華経に書かれた菩薩で、法華経が女人成仏を説くことから、
特に女性に多く信仰されています。
白象に乗った姿で表されます。
十羅刹女は法華経に登場する10人の鬼神で、法華経信者を守護します。
根津美術館所蔵の平安時代の絵では羅刹女は唐風の衣装ですが、
こちらは和風の装いです。
9人しか見えず、もう1人はどこかに隠れているのでしょうか。
「普賢菩薩騎象像」 平安時代・12世紀 国宝

優しいお顔立ちの菩薩で、袖には金箔を糸のように細く切って貼り付けた
切金(きりかね)模様が見えます。
乗っている象は、仏師も実物を観たことが無いためでしょう、象にしては
体が長いのがユーモラスです。
普賢菩薩は女人往生を説く法華経に登場するため、女性の信仰を集めています。
「阿弥陀三尊来迎図」 鎌倉時代~室町時代 14世紀

立姿の阿弥陀如来が勢至菩薩、蓮台を捧げ持つ観音菩薩を従えています。
両菩薩は身をかがめ、いかにも急いで現われた感じがします。
紺地の上に金箔や切金を用いた、きらびやかで動きのある図像です。
三尊立像形式の来迎図は鎌倉から室町にかけて多く制作されたとのことです。
「山越阿弥陀図」 冷泉為恭 文久3年(1863) 重要美術品

山越阿弥陀は、夕陽に阿弥陀如来の姿を観るもので、恵心僧都源信(942~1017)が
感得したと伝えられ、鎌倉時代に画題として成立したとのことです。
この図では松や桜が大和絵の手法で細かく描き込まれ、鹿の遊ぶ山の向こうに、
阿弥陀如来が姿を現しています。
転法輪印を結んでいて、左手を逆手にして変化をつけているとのことです。
冷泉為恭(1823~1864)は幕末の絵師ですが、佐幕派と見なされて、尊皇攘夷派に
付け狙われ、この絵も紀州粉河寺に隠れている時に、自己の救済を願って描いたもの
とのことです。
しかし、この翌年に殺されています。
「融通念仏縁起絵巻」 室町時代 15世紀

平安時代の僧、良忍上人(1072~1132)が阿弥陀如来から融通念仏の偈を伝授され、
毘沙門天の加護の下、念仏を広める様子を絵巻物にしています。
この場面は毘沙門天の呼び掛けに応じて、吉祥天や広目天など諸天が集まっている
ところです。
「法蓮上人坐像」 鎌倉時代 14世紀

法蓮は飛鳥時代から奈良時代にかけての修験僧で、豊前英彦山などで活動したと
されています。
大きく目を見開き、袂を広げている面白い姿で、衆生を救う宝珠を蛇神から
受け取っているところです。
「空也上人絵伝」 室町時代 16世紀

空也上人(903~972)の事績を、雲で仕切った縦長の画面に描いています。
上から、共にいた鹿が射殺されたので、その皮と角で衣と杖を作ります。
毘沙門天の招きで剃髪し、賀茂(松尾)明神から鰐口と鉦鼓を授けられます。
宮中に呼ばれた時に雨が降って来ると、傘が飛来します。
最後は、捨てられた屍や白骨を供養している場面です。
後半の場面の、南無阿弥陀仏と唱えると口から小仏が飛び出て来る様子も、
六波羅蜜寺にある木造の空也上人像と同じ姿です。
各場面は簡潔な描写ですが、分かり易く、観ていて面白い絵伝です。
田中親美(たなかしんび:1875~1975)は厳島神社の依頼で、5年をかけて
平家納経全33巻の現状模本を制作しています。
そして当初の姿を想定した数組の復元模本を制作し、大倉集古館はその1組を
所蔵しています。
展覧会ではそのうち6巻が展示されています。
「平家納経 妙法蓮華経提婆達多品第十二(模本)」 田中親美 大正~昭和・20世紀

地色の変化に合わせて、経文の字の色も変えています。
見返しには釈迦が説法している所へ龍女が侍女を従え、宝珠を捧げ持って
海上を進む様子が描かれています。
「平家納経 妙法蓮華経法師功徳品第十九(模本)」 田中親美 大正~昭和・20世紀

見返し絵には優しい表情で普賢菩薩に乗った普賢菩薩が繊細な描線で描かれています。
「金銀荘雲龍文銅製経箱(模造)」 田中親美 大正~昭和・20世紀 大倉集古館

厳島神社蔵の国宝、「平家納経納置」長寛2年(1164)の模造です。
黒漆で、側面に銅に鍍金の龍、蓋にも丸文で龍と雲、五輪塔をあしらっています。
法華経提婆達多品に龍女成仏が説かれていて、これも女人往生を意味する
意匠とのことです。
展覧会のHPです。
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